第1章 先進国における低金利・低インフレ(第3節)
第3節 金融政策の評価に関する実証分析
世界金融危機以降、先進各国で講じられてきた非伝統的金融政策等の効果もあり、世界の景気は緩やかに回復している。今後、アメリカが金融政策の正常化を進めていく中で、政策金利の引上げが新興国・途上国の資金流出を招くとの見方もあるが、その定量的な影響に関する統一的コンセンサスは得られていない。加えて、2016年11月8日のアメリカ大統領選挙以降アメリカの長期金利は上昇傾向にあり、選挙直後には新興国等からの資金流出が一時的に観察された。
こうした状況を前提として、以下では、アメリカにおける金融政策変更が新興国・途上国に与えてきた影響を分析する。
1.アメリカの金融政策変更の新興国金融資本市場への影響
ここでは、04年以降のアメリカの金融政策の変更が、主な新興国の金融資本市場にどのような影響を及ぼしたか、定量的に検証する。具体的には、金融政策変更を緩和方向と引締め方向でその政策手段に応じいくつかのグループに分け、政策変更がアナウンス又は実施された直後の新興国市場への影響をイベントスタディによって分析した。
FRBは、15年12月に9年半ぶりに政策金利の誘導目標を0.25%引き上げた。一般にアメリカの政策金利引上げは、新興国から証券投資の資金流出を誘発する。その背景には、アメリカと新興国との金利差縮小から投資家にとって新興国債券の魅力が低下することや、金利差の縮小に伴い対ドルで新興国通貨が減価するため、通貨間のキャリートレード等により投資を拡大させてきた投資家のポジション解消の動きがあると考えられる。さらに過去に遡ると、一般にアメリカの金融政策の変更は、投資家の新興国への投資行動を大きく変動させる影響力をもつと考えられる。ここでの分析の問題意識は、今後想定されるアメリカの政策金利の追加的な引上げの新興国への影響について、過去の金融政策変更時の経験から示唆を得ることにある。なお、過去の局面での世界の経済状況、金融市場制度や市場を取り巻く法制度・規制等、及び投資家のリスク許容度が足元の状況とは異なるため、一概に過去の経験が将来の予測にそのまま当てはまるとは言えないことから、結果の解釈には留意が必要である。
(先行研究)
国際金融市場における流動性の高まりは、03年頃から世界金融危機までは国際銀行部門の資本フローの拡大を背景としていたが、10年頃からグローバル流動性の主役は銀行からアセットマネージャーやその他運用側に移り、債券のリスクプレミアムの低下や発行額の拡大と相まって、国際資本移動は「より高いイールドを求める動き」を理由に引き起こされるようになった87。こうした状況を背景に、アメリカの金融政策変更が新興国の金融資本市場にどのような影響を及ぼしたかに関する実証研究が多数行われている88。
岩田(2014)では、ブラジル、インドネシア、南アフリカ、トルコの4か国を対象に、05年1月~14年1月末までの日次データを用いて、アメリカの量的緩和及び量的緩和縮小の示唆やその決定に関する合計11のイベント89が、(1)現地通貨建て5年物国債の信用力を示すクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)のプレミアム、(2)5年物国債の流通利回り(以下、「国債金利」という)、(3)対ドル為替レートに対し、どのような影響を与えたのかという観点で回帰分析を行っている。分析ではCDSプレミアム、国債金利、対ドル為替レートをそれぞれ被説明変数とし、説明変数にはイベントダミーに加え、グローバル変数としてアメリカの国債金利、グローバルリスクの度合いを表すVIX指数90を用いて推計を行っている。
推計の結果、13年5、6月の量的緩和縮小の示唆により、ブラジルのCDSプレミアムやトルコの国債金利が直接的に上昇したとの結果が得られている。グローバル変数の影響としては、アメリカの国債金利が下がると新興国の国債金利も低下、VIX指数が下がると新興国のCDSプレミアムが下がる関係がみられたと指摘している。
(具体的な分析)
今回行った分析では、アメリカ金融政策に関するイベントとして、岩田(2014)で分析対象とした量的緩和(9回)と量的緩和縮小示唆と決定(2回)に加え、04年~06年の間の利上げと15年12月の利上げ(計18回)、07年以降の利下げ(計9回)、量的緩和引締め示唆としていわゆるバーナンキショック(1回)を加えた合計39個のダミー変数を作成した(第1-3-1図、第1-3-2表)。それぞれのイベントの影響の持続性を幅広く確認するため、各イベントから影響を計測する期間をイベント後1、5、20、60日間の4通りとし、CDSプレミアム、各国の現地通貨建て国債金利、及び対ドル為替レート(自国通貨/ドル)に対する各イベントの直接の影響の大きさを確認する91。同時に、岩田(2014)の推計式を参考に、グローバル変数(アメリカ国債金利、VIX指数等)を通じた影響も確認する。具体的には、以下の重回帰分析を国ごとに行った92。
CDSプレミアム=
Α1×(39イベントダミー)+β1×アメリカ国債金利+γ1×VIX指数+定数項 …(1)
各国の現地通貨建て国債金利=
Α2×(39イベントダミー)+β2×アメリカ国債金利+γ2×VIX指数
+δ2×CDSプレミアム+定数項 …(2)
対ドル為替レート=
Α3×(39イベントダミー)+β3×アメリカ国債金利+γ3×VIX指数
+δ3×CDSプレミアム+τ3×各国の現地通貨建て国債金利+定数項 …(3)
3本の推計式に含まれる説明変数が異なるのは、先行研究に倣い、アメリカでの金融政策変更がまずCDSプレミアムに影響し、CDSプレミアムの変化を通じて国債金利に影響し、さらにCDSプレミアム・国債金利両方の変化を通じて為替レートに影響を及ぼすという経路を想定しているためである93。
推計対象とする新興国の対象国の選定では、IIF(Institute of International Finance:国際金融協会)の非居住者証券投資フローデータを構成する国や、世界的に有名ないくつかの世界国債インデックスの対象組入れ国を勘案し、各地域を代表する9か国(ブラジル、メキシコ、ポーランド、ロシア、タイ、南アフリカ、インドネシア、マレーシア、トルコ)を抽出した。
以下、CDSプレミアム、国債金利、為替について順に推計結果を概観する。なお、イベントの効果については、回数が多いことから、上述したカテゴリーごとにイベント1回当たりの平均効果を検討の対象とすることにする。
(CDSプレミアムへの影響)
アメリカの金融緩和/引締は、投資家リスク許容度等に影響を与えるなど、新興国の流動性や信用リスク等のリスクプレミアムを低下/上昇させるとの見方があり、これによるとCDSプレミアムは低下/上昇することが予想される。
上記(1)式の推計結果の主要な部分を整理したのが第1-3-3表である。各イベントのうち、利上げと緩和縮小決定については、イベントの直接的な効果は見られなかったが、それ以外のイベントでは相応の関係がみられた。中でも、利下げ後の5日間については、世界金融危機から間もない08年10月29日のFOMC会合で行われた利下げ(1.5→1.0%)の際に、プレミアムの顕著な低下がみられた。イベント後20日間の効果と比較すると、20日間の方が平均効果は小さく、イベント直後の効果が時間の経過とともに徐々に薄れていくことがわかる。また、非伝統的な量的緩和としてMBSや国債等の資産買入れが決定された08年11月~09年3月の間についても、多くの国で5日間・20日間共にプレミアム減少効果がみられた。逆に緩和縮小の示唆では、5日間ではプレミアム増加方向に有意となる国が多かったが、その効果は持続せず20日間では有意とならなかった。イベントの効果を比較すると、同じ緩和イベントでも量的緩和より利下げの方が効果が大きい。また、符号の向きは逆であるが、緩和縮小示唆の効果は利下げの効果とほぼ遜色ないレベルであったことがわかる。
アメリカの国債金利、VIXの動きとの関連は、5日間だけでなく、20日間、さらに表には記載していないが、60日間においても一定程度みられ、VIXが高いとCDSプレミアムも高くなる関係がすべての国で有意にみられた。
(自国金利への影響)
各国の金融政策や政治動向等の特殊事情を除けば、アメリカの利上げや量的緩和縮小は、各国国債金利上昇へ、一方で利下げや量的緩和は、各国国債金利低下へつながるのが一般的な見解と考えられる。
推計結果を見ると(第1-3-4表)、イベントのうち量的緩和と緩和縮小示唆の効果については、過半の国で期待された方向で有意な影響が見られた一方、その他のイベントについては、効果は必ずしも明確でなかった。イベントの効果をみると、イベント後5日間の平均効果は、緩和の際には影響が大きい国で▲10bp(▲0.1%)前後、緩和縮小示唆の際も10bp(0.1%)近くと逆向きでほぼ同程度の影響がみられた。但し、CDSプレミアムとは異なりイベント後20日間の平均効果は有意でないか非常に小さくなる。これは、各々の市場参加者の違いや、CDSプレミアムと国債金利のリスクプレミアムの構成要素が異なることなどによると考えられる。
また、アメリカの国債金利が高いと新興国の国債金利も高くなる関係がほぼすべての国でみられた。
(為替への影響)
為替は、債券よりも流動性が高く、政策イベントを始めとするカタリスト94の賞味期限が長期にわたることは考えにくい。実際に5日間以上の期間のイベント効果を推計すると、理論上は金利と通貨は逆相関の関係にあるにもかかわらず95、順相関関係が得られたケースが多かった。しかしながら、効果が持続する期間を1日間のみの短期間と仮定して推計を行うと、理論と整合的な結果が得られた(第1-3-5表)。これによれば、緩和直後に大方の国で為替増価の傾向がみられたが、利下げ直後は、7か国で影響が有意であったうち、3か国で予想とは逆に減価するという結果となった。利上げ、緩和縮小示唆、緩和縮小決定では、有意となった国が9か国のうち半分もなかった。
グローバル変数のうち、VIX、CDSプレミアム、現地通貨建て国債金利(5年)にはすべて期待される符号で、どの国の結果でも強く有意になった。
以上、回帰分析から推計された結果を踏まえると、新興国のCDSプレミアム、国債金利、為替に対して、アメリカの金融政策イベントのうち、利上げや緩和縮小の決定については直接には有意な影響はほとんどみられなかった。この背景には、利上げや緩和縮小の決定時には、金融政策当局と市場とのコミュニケーションが前もって相当程度行われていたことから、市場参加者の側で政策変更に関する事前の織り込みが進み、実際のイベント決定時には、サプライズ的なアクションが採られなかったとも考えられる。例えば、緩和縮小については政策の実施に先立ってその示唆が行われ、04~06年の利上げについてはFOMCが0.25%ずつという慎重なペースにコミットして予測可能なタイミングで進めていったことから、政策変更の直後に逐次市場が顕著な反応を示すというより、より漸進的な反応がみられたと評価できる。
(ファンダメンタルズと政策効果の大きさとの関係)
ここまでは、金融政策イベントやグローバル変数が新興国の市場にどのような影響を及ぼしたのか、プラスマイナスの符号の向きに注目して分析してきた。次に、そうした影響がどのような国で強いのか、新興国各国のファンダメンタルズと影響の強さの関係をみることとしたい。市場参加者のファンダメンタルズに対する評価の違いは、各国の資産ごとのリスクプレミアムやボラティリティーの度合い等に反映されていると仮定すれば、アメリカの金融政策変更が各国のCDSプレミアムや国内金利に及ぼす影響はそれらが大きい国ほど顕著であることが予想される。ただし為替については、金融政策効果が直接的でなく国内金利の変化という間接的な影響を通じて影響がみられる可能性もある。債券のリスクプレミアムを代理する指標としては、恣意性を排除するため、各国が直面する様々なリスクを総合的に指標化した格付機関のレーティングスコアを用い、同一の基準で国同士のリスクプレミアムの比較が可能であるとの前提を置いた。
分析においては、量的緩和、利上げ、利下げ等イベントの種類ごとに、それらが実施された期間の自国通貨建て長期債の平均格付けを算出し、平均格付けと政策効果の大きさの関係を検証した。前述の通り、政策によって負の効果が期待される場合は、格付けが低い国ほどマイナス方向に大きい効果が、逆に政策によって正の効果が期待される場合は、格付けが低い国ほどプラス方向に大きい効果がみられる傾向が期待される。以下では9か国の推計結果を用いて、点数化した格付けと、政策の効果との相関関係を確認する。なお、分析は5種類の政策イベントと3つのグローバル変数の各組合せについて行ったが、そのうち政策効果、またはグローバル変数とファンダメンタルズの対応関係が明確であったものを抜粋して示す(第1-3-6図)。
推計された回帰分析の決定係数をみると、政策効果の大きさとファンダメンタルズの対応関係が明確なケースは、CDSプレミアムでは緩和縮小の示唆効果、各国金利では利上げ効果、緩和効果、及び緩和縮小の示唆効果、為替では利下げ効果、及び緩和効果であった。例を挙げれば、アメリカが量的緩和を行った時、ファンダメンタルズに対する評価が相対的に低かったインドネシアやトルコでより大きく自国金利が下がったのに対し、評価が相対的に高めであったメキシコやポーランドでは自国金利への影響はほぼゼロであった(第1-3-6図(3))。逆に緩和縮小が示唆された際には、ファンダメンタルズに対する評価が相対的に低かったインドネシアでCDSプレミアムがより大きく上昇したのに対し、ポーランドの上昇幅は相対的に小さかった(第1-3-6図(1))。アメリカ利下げ時では、トルコの為替のリターンが高く、メキシコではあまり変化はみられなかった(第1-3-6図(7))。
2.VIX指数の変動と新興国金融資本市場への影響
一般に、新興国の証券投資対象を先進国のそれと比較すると、主にソブリンリスク、流動性リスク等の各種リスクが高いことから、大きなリスクイベントが発生しグローバルなリスク回避の動きがみられると、投資家のリスク許容度が低下しリスク管理の観点から、相対的に新興国資産が売られやすくなるとされている。この動きは、例えば13年以降の新興国資産(株式・債券)の非居住者の証券投資ネットフローにみられるように、リスクイベント時又はその後に、ネット流出が発生していることと整合的であると考えられる(第1-3-7図)。
本分析では、主要な新興国の証券投資に係るネットの資金流入額96と、グローバルリスクの度合いを表すVIX指数97との間で、何らかの有意な関係がみられるのか検証する。
(分析に用いた指標)
まず、VIX指数と証券投資のネット資金流入金額との関係を分析する際に用いるデータを簡単に解説する。
VIX指数は、S&P500のオプション価格から算出されるため、営業日での日次データを用いることができるが、IIFが作成する証券投資のネットフローは原則として月次で計測されており、VIX指数の頻度と合わせることはできない。他方、VIX指数の月末値や月次平均値を用いると、日次レベルでの短期的なイベントリスクの発生及び収束程度を適切に捕捉することができず、したがってリスクと資金流出入の対応関係も把握しにくい。このため本分析では、月間の主な証券投資に係る資金流出入が、当該月で最も大きなリスクイベントが起きたタイミングで発生し、事後的に若干の反動や調整があるとしても相殺される度合いは限定的と仮定して、月間で最大のVIX指数の数値(以下「月次最大VIX指数」)と、当該月の資本流出入額の関係を調べた。
(先行遅行関係分析)
月次最大VIX指数からネット資金流出入金額への影響は、若干のタイムラグを伴う可能性があるため、両者の時差相関をチェックした。具体的には、資金流出入での1か月のタイムラグの有無を検証したところ98、同月のデータ間の相関の方が1か月の時差相関より高かったため、リスクイベントの発生後間隔を置かずに資金流出入が発生すると想定し、同時点のデータを用いて分析することとした。
(回帰分析の推計期間)
本分析で用いるネット資金流入額データは、09年1月より取得が可能であるが、VIX指数が世界金融危機後に跳ね上がった後、翌09年にかけて徐々に水準が低下していったことにかんがみ、こうした非常に大きな変動があった期間を分析の対象から除き、10年以降のデータで分析を行った(第1-3-8図)。
なお、推計期間は標本数が最大となる、10年、もしくはスタートを1年ずつ繰り下げ11年、12年、13年のそれぞれの年初から16年9月までとする。評価の対象とする資産は、(1)債券と株式の合計(以下「資産全体」)、(2)債券、(3)株式の3分類とし、アジア、中南米、欧州、アフリカ・中東の4地域別の資金流出入額と月次最大VIX指数との関係を分析した。以下では、13年初からの分析のパフォーマンスが最も良かったことから、13年初以降の期間についての分析結果99を示す。
(分析の結果)
資産全体、債券、株式の資産対象と、4地域の12通りの各組合せについて、毎月のネット資金流入額と月次最大VIX指数の間の回帰直線をみると、いずれも負の関係(すなわち、VIX指数で計測されたグローバルリスクの最大値が低い月ほど、ネットの資金流出額は小さくなり、逆に最大値が高い月ほど、ネットの資金流出額は大きくなる)が示唆された。中でも決定係数が0.20以上となる回帰直線は4つあり、資産の中では特に株式の流出入とVIX指数の関係が、地域別では特にアジアでの資金移動と月次最大VIX指数の関係が、明確であることが示唆された(第1-3-9図)。
第1-3-11図では横軸より上で新興国に対し資金がネットで流入、横軸より下ではネットで資金が流出したことを示す。同図(2)、(3)、(4)をみると、多くの月で月次最大VIX指数が20未満であるが、こうした時期にはネットでプラスの資金流入が見られる場合が多い100。このように月次最大VIX指数が低く市場が落ち着いている時期でも、指数が上昇すれば新興国への資金流入は減少する傾向にある。他方、月次最大VIX指数が30近くないしそれ以上の月はそれほど多くないものの、そうした月には指数の一時的な上昇に見合った大規模な資金流出が起きたと評価できる。
また、第1-3-9図(1)に例示するように、VIX指数が高まり新興国からネットで大規模な資金流出が起きた月の多くで中国発のリスクイベント(例えばPMI低下や実質GDP下振れなど)が起きており、こうした月に中国を始めとするアジア新興国の株式市場から一斉に資金が引き揚げられたことを示している。また、図には記載していないが、グローバルリスクイベントとして、アメリカの金融政策正常化への動向、原油等の資源価格下落が新興国からの資金流出のトリガーとなっていることも確認できた。
上記の分析では、地域全体のネット資金流入を実額で分析対象としていることから、中国のような株式・債券市場が大きい国の資金流出入がアジア地域や新興国全体の資金流出入の多くを占めており、より市場規模が小さい国での資金移動と月次最大VIX指数の関係は明確ではない。このため、次項では、国ごとにネットの資金流入と月次最大VIX指数との関係を分析し、国ごとの特徴を把握するための分析を行う。
(国レベルの分析)
地域別分析で分析対象とした4地域は計25か国から構成されているが、そこから月次最大VIX指数の流出入額全体への影響等が相対的に強いと思われる国を10か国抽出101し、個別分析の対象国として回帰分析を行った。流出入額は、株式、債券、及び資産全体の3種類を用いた。具体的には、国ごと、資産の種類ごとに以下の推計を行った。
ネットの資金流出入=α×月次最大VIX指数+定数項
先の分析結果を踏まえると、国別の回帰分析でもVIX指数とネット資金流入額の間には、負の関係が予想された。実際に、10か国のうちチェコの債券及び資産全体の結果のみ、傾きがプラスとなった102が、その他はすべて負の相関が得られた。また、その他負の関係がみられた各回帰直線のうち、中国債券、インド株式及び韓国の資産全体のケースでは、決定係数が相対的に高く月次最大VIX指数と資金流出入の間に比較的安定的な関係があることが示唆された(第1-3-10図)。
これらの決定係数は、債券・株式市場規模の厚み等の影響を受けている可能性が考えられる。中国債券や韓国債券市場の規模、インド株式や韓国株式市場の時価総額規模をみると、一部外国人投資家に対しては各種規制があるものの、相対的に市場規模自体に厚みがあるため、流動性が高い反面、リスク回避局面において資金流出が進みやすい。これに対し、厚みが相対的に小さい国々では資金流出が進みにくい関係が想定される(第1-3-11図、第1-3-12表)。また、インドや韓国では、VIX指数が20未満で比較的低くてもネットで資金流出が進んだ月もそれなりにみられるのに対し、月次最大VIX指数が高まる局面では、流入するケースはほとんどなく流出する一方となる。これは、VIX指数が低くてもその国固有のファンダメンタルズ、その他政治情勢等の要因で資金が流出したケースが少なくない一方で、市場でグローバルに先行き懸念が高くなると、各国のファンダメンタルズの良し悪しなどの個別事情に関わらず、ともかく資金を引き揚げようとする動きが顕著になるためとも考えられる103。
次に、個別国での資産ごとの回帰式の係数(α)を標準化し104、グローバルリスクとネットの資金流出の関係の強さを国同士で比較した。最初に、資産の種類ごとに特徴をみると、債券の係数は期待される符号の向きではあるものの、統計的に有意な関係が見られたのは10か国中5か国にとどまり、VIX指数の変化と資金移動の関係が弱い。他方株式では係数は9か国で有意になり、VIX指数の変化と資金移動の関係は相対的に強い。但し影響の強さには国間でのばらつきが大きく、株式市場時価総額の多寡との関係にも特徴が見いだせない。債券で有意な関係が得られた5か国の係数を比べると、相対的に格付けが低い国では、相対的に格付けが高い国より、グローバルリスクの上昇時に資金流出度合が大きい傾向がある。例えば、インドネシアの係数は韓国の6倍以上である。同時に中国のように格付けは高めだが流出度合いが大きい国もみられ、必ずしもファンダメンタルズ要因だけで資金流出度合いが決まるとは限らないことにも留意が必要である。最後に資産全体について各国の係数を比べると、インドネシアやインドの係数はチェコの4倍以上、韓国の2.5倍以上であり、ブラジルやトルコの係数もチェコの3倍程度となっている(第1-3-13表)。こうした係数の違いは、分析対象とした10の新興国のうち、インドネシア、ブラジル、トルコは格付けでみてもファンダメンタルズに対する評価が相対的に低く、チェコや韓国は高いことと整合的である。また、中国で係数が大きめなのは、上述のように債券や株式の市場の厚みと関連している可能性が考えられる。
これまでの分析結果を整理すると、まず、何らかのショックによりグローバルにリスクが上昇すると、それが世界の各地域に波及して新興諸国からの資金引揚げにつながる傾向が、2013年以降の新興国全体のデータで確認された。こうした傾向は、債券よりむしろ株式で明確にみられ、地域別ではアジアの新興国で他の地域より強い関係がみられた。アジアでよりはっきりした傾向が観察された要因の一つに、推計対象とした期間中中国発の大きなリスクイベントが複数回あり、そのたびに中国の株式市場から大きく資金が引き揚げられた一方、リスクが低い平時には中国の株式市場に先進国等から資金流入が進んだことがあったと考えられる。さらに、新興国のうち10か国を抽出して国ごとに資金流出入の動向を分析した結果、ほとんどの国でグローバルリスクが上がるとネットで資金流出が進む傾向がみられた。リスク上昇に対する債券市場での資金流出の度合いを、基準化した係数を用いて国同士で比較すると、相対的に国債の格付けが低い国では、高い国と比較して最大で6倍程度の資金移動があったと評価される。今後、経済発展に伴い新興国の金融資本市場の厚みが増し、同時に流動性も高まると、新興国にとっては自国への資金の出入りがより対外要因に左右されやすくなり、金融部門が成長すればするほど、変動相場制下であっても金融政策を自律的に運営することが難しくなる、との指摘がある105。
今後、国際金融資本市場ではアメリカの金融政策正常化や、将来の経済政策の動向等、複数のグローバルリスクイベントの可能性が指摘されている。本分析はこうしたイベントに際し、新興国の資金流出入にどの程度影響があるのか、どのような国でより影響が大きいのか、考えるための手がかりとなる。ただし、上述したように、市場での反応はその時々のマクロ経済環境、投資家のリスク許容度、リスクの性質等に応じて多様であることには十分な留意が必要と考えられる。16年11月のアメリカ大統領選挙の結果を受けた市場の反応をみても、VIX指数の上昇は限定的であったにもかかわらず、新興国市場全体からの月次での資金流出は、15年8月の中国発の世界経済減速懸念時よりも大きくなっている。新興国への資金流出入は、新興国各国を取り巻く政治情勢、貿易・通貨の動向や先行きの不確実性等、VIX指数には十分反映されない要因が重要となるケースも多いと考えられ、今後の動向を注視していく必要がある。