第2章 第3節
アメリカの利上げの世界経済への影響
アメリカの利上げが開始されれば2006年6月以来、約10年ぶりとなる。利上げが新興国の金融市場に与える影響について懸念が高まる中、国際機関の要人は繰り返し、新興国は利上げに備えるべきと発言している。
1.新興国の過去の通貨危機・混乱
アメリカの過去の利上げ局面及び量的緩和の縮小に向けた動きの中、その前後に起こった世界経済のリスクイベントをまとめると、金融政策の変更ないし変更を示唆した後に何らかのリスクイベントが発生した局面があったことが分かる(第2-3-1図)。
以下では、メキシコ通貨危機(94年)、アジア通貨危機(97年)及びバーナンキショック(13年)を例示として取り上げ、90年代以降の新興国の通貨危機や金融市場の混乱がどのような要因で起こったのかを分析する。
(1)メキシコ通貨危機
メキシコでは94年末から95年にかけて、大規模な通貨危機(テキーラ危機)が発生した。この背景としては、(1)割高な為替レート、(2)政策対応の失敗、(3)政情不安の高まり、(4)短期資本への依存が指摘できる。加えて、94年2月にFRBが初回利上げに踏み切ったことを契機として、同国への資金流入が減少傾向となったことも危機の一因と考えられる9(第2-3-2表)。
メキシコでは、92年末に北米自由貿易協定(NAFTA)が成立したことに伴い、経済に対する先行きに楽観的な見方が広まっていた。加えて、構造改革の一環として、外国投資の規制緩和や資本取引の自由化、国内金融部門の自由化などが実施されたこともあり、資本が流入するとともに、外貨準備も増加した(第2-3-3図)。資本流入の拡大に対応して、メキシコ中銀はインフレ抑制のために、91年11月よりクローリング・バンド制度10を導入したものの、内外インフレ率の差を下回る為替変動の切下げ率が設定された。その結果、ペソは実質増価となり、経常収支が悪化するともにペソの切下げ予想が高まった。
財政政策については、93年には景気減速の影響で財政黒字が縮小し始め、94年の大統領選挙に向けて、景気浮揚のための特別減税措置や公共投資の前倒し実施など拡張的財政政策が採られた。これにより、インフレ懸念が高まり、ペソの切下げ予想が一層高まった。
94年には、左派ゲリラ集団の武装蜂起(1月、12月)や当時の与党・制度的革命党の次期大統領候補及び与党幹事長の暗殺(3月、9月)等が起こり、政情不安が高まっていた。
適切な為替切下げの先送りにより為替レートが割高になり、経常収支赤字が拡大していたが、赤字は90年代初頭から94年初めまでは、アメリカなどからの証券投資を中心とした短期的な資本流入によってファイナンスされていた。政府は、94年3月の与党大統領候補暗殺の後に資本が流出した際にも為替レートの切下げを行わず、ドル建て短期国債(テソボノス)の発行の増加で対応してきた。結果、94年末にはテソボノスの非居住者保有残高が約170億ドルに達し、当時の外貨準備高61億ドルを大きく上回っていた。
メキシコに対する資金流入は、94年2月のアメリカの金利引上げを契機として減少した。94年末以降、短期資金を中心に、メキシコからの資金の逆流が大幅となり、ペソの減価圧力が高まった。94年11月に米国の公定歩合が0.75%引き上げられたことを契機に、メキシコから安全で利回りの高い米国債券へと資金が環流し始めた。これに対し、政府は、12月20日に15%の為替レートの切下げを発表したが、ペソの切下げ圧力は止まらず、12月22日には変動為替相場制に移行した。また、外貨準備は93年12月末の263億ドルから95年1月末には35億ドルにまで急減した。
なお、アメリカの利上げにより資金流出を招くおそれがあった新興国に対し、FRBが利上げを市場に織り込ませるだけの十分なガイダンスを示さなかったことも市場心理を不安にさせたと考えられる。
(2)アジア通貨・金融危機
97年には、タイを始めとするアジア各国において、アメリカのヘッジファンド等による投機売りが仕掛けられ、外貨準備額が急減し、変動相場制への移行を余儀なくされる事態に陥った(アジア通貨・金融危機)。危機の背景としては、(1)実質的な対ドル固定為替相場制の維持、(2)大幅な経常収支赤字と短期資本流入の急増、(3)金融システムの脆弱性が指摘されている11。
第一の危機発生要因としては、東アジア諸国の多くが、80年代半ば以降実質的なドルペッグ制を採用していたことが挙げられる。ドル高の進行等の要因もあって実質実効為替レートでみて各国通貨の増価が進み、96年以降の半導体市況の低迷などとあいまって、輸出が減速し、経常収支赤字が増大する傾向にあった。
第二の要因としては、危機に見舞われた国々では、高金利政策によるアメリカとの金利差拡大によって、経常収支赤字を短期の資本流入でファイナンスするという傾向が強まっていたことが挙げられる。実質的な固定為替相場制は、海外投資家にとっては為替変動のリスクが少なく、高収益を期待できる面もあった。しかし、投資家が経済の先行きについて懸念を持つようになると、短期資本が急速に海外に逃避した。
第三の要因としては、海外から流入した短期資本が製造業の過大な設備投資や、株式や不動産に対するバブル的な投機に向けられていた一方、金融機関も不十分なリスク評価に基づく融資の拡大を行っていたことが挙げられる。また、金融機関に対する規制・監視体制が十分でなかった。このため、非効率的な投資が助長され、経常収支赤字の更なる拡大と短期資本流入を招いたことも危機発生の要因に挙げられている。
(3)バーナンキショック
13年5月にバーナンキFRB議長(当時)が今後数回のFOMCにおいて資産購入の縮小を可能とする発言をしたことに伴って、金融市場が大きく変動した。市場との対話が十分になされていない中での唐突な発言だったことから市場の混乱が増幅されたとみられている。中でも、FRB等先進国の金融政策の影響を受けやすい新興国の5通貨(ブラジルレアル、インドルピー、インドネシアルピア、南アフリカランド、トルコリラ)は「フラジャイル・ファイブ(F5)」と呼ばれ、13年5月から8月にかけて最大で約20%程度下落した(第2-3-4図)。これらの国には、高いインフレ率や経常収支赤字、財政赤字等、経済のファンダメンタルズがぜい弱であるという共通点がみられた。
このように、通貨危機や金融市場の混乱の発生要因として、(1)経常収支が赤字傾向にあり、これを海外からの短期資金でファイナンスしている傾向にあること、(2)ドル高が進むと実質実効為替レートで増価することになり、輸出減・経常収支悪化に伴って、為替の切下げ圧力が強まるという固定相場制やペッグ制の抱える問題点が指摘できる。また、通貨危機を回避するためには、短期資金の急減を防衛するためのリスク耐性が十分にあるかどうかが重要となる。
2.現状の点検
アメリカの利上げが視野に入る中、新興国通貨の一層の下落及び新興国からの資金流出が懸念されている。以下では、新興国経済の現状とリスクに対する耐性を点検する。
新興国の通貨は14年9月頃から下落傾向にあったが、原油価格下落や15年夏の世界同時株安の影響を受け、15年9月にかけて更に下落した(第2-3-5図)。ここではF5国に加えて、14年後半以降の原油価格の下落に伴って通貨が大きく減価しているロシア、変動相場制移行後の最安値を更新したマレーシアを主に取り上げる。
まず、経常収支についてはマレーシアとロシアを除いて赤字となっているが、外貨準備高は一般的に必要水準とされる輸入金額の3か月分を全ての国が上回っている(第2-3-6図)。
また、対外債務残高についてはロシアを除いて増加傾向にある。中でもマレーシアは残高の約5割を短期対外債務が占めている(第2-3-7図)。
また、新興国への資金流入の規模を確認するために外国銀行の保有する債務残高対GDP比率をみると、特にマレーシアでは海外からの資金流入が高まっていることが分かる(第2-3-8図)。
短期債務に対する耐性を評価するために外貨準備高の短期債務残高比をみると、トルコでは適正水準とされる1倍を下回っており、南アフリカやマレーシアも倍率が低下傾向にある(第2-3-9図)。前項でみたとおり、過去には短期的な資金への過度な依存が通貨危機を引き起こしたケースもあるため、リスクに対する十分な備えを持つことが必要である。
さらに、海外投資家が国際金融市場の変動に伴い投資活動を変化させた場合の影響を評価するために、現地通貨建て国債の外国人投資家保有比率をみると、アジア諸国では緩やかに上昇している(第2-3-10図)。
さらに、為替が減価傾向にある中、既に外貨準備が急速に減少している国もある(第2-3-11表)。
以上のように新興国のリスク耐性にはばらつきがみられるが、バーナンキショック当時と状況はあまり変わっていない。
新興国の金融市場を分析するには、経済指標のみならず、政治リスクや地政学的リスクも考慮する必要がある。バーナンキショック時には、F5国はいずれも翌年(14年)に総選挙や大統領選挙を控え、政治的不透明さが高まっていたが、当時と比較して、政治の不安定性や地政学リスクが一層拡大した国もある。ブラジルやマレーシアでは現政権の腐敗問題が噴出しており、政府の政策に対する信頼性が低下している。ブラジルでは15年11月時点で大統領の支持率が10%と史上最低水準にあり、大統領が弾劾される可能性も言及されている。トルコでは15年6月に総選挙が実施されたものの、与党は過半数を獲得することが出来ず、連立合意には至らなかったため、憲法の規定に基づき11月に再選挙となり、与党が単独過半数を占める結果となった。ロシアでは、14年に発生したウクライナ危機が解決する兆しはみえず、欧米の経済制裁が続いている(第2-3-12表)。
ここで、アメリカが利上げに踏み切り、新興国の金融市場が大きく変動した際に、新興国が採ることの出来る政策余地について検討する。新興国では、08年の世界金融危機に対応するために財政刺激策を採った結果、危機以前と比較して財政赤字が拡大している国が多く、財政面からの景気下支えの余地は縮小していると考えられる(第2-3-13図)。一方、金融政策については、物価上昇率がインフレターゲットを上回っている国が多数みられる。これらの国では、通貨安からの資金流出、物価上昇と景気減速のバランスをにらみながら、経済政策の難しいかじ取りを迫られることになる(第2-3-14図)。
3.金融危機を防止する仕組み
以上のように、新興国のリスクに対する耐性は国によってばらつきがみられる一方、世界金融危機前と比較して、金融危機の伝播を防止する国際的な仕組みや危機を未然に防ぐ仕組みが強化されていると考えられる。
まずは通貨制度の変更である。メキシコ危機やアジア通貨危機を経て、多くの国が為替を固定相場制度から変動相場制に移行している(第2-3-15表)。
国際機関による取組みとしては、第一にIMFの機能強化が挙げられる。
IMFでは、世界金融危機を受けて、出資割当額(Quota)の増額や融資枠組みの拡大が行われている(第2-3-16表、第2-3-17表)。
09年4月にはフレキシブル・クレジットライン(FCL、Flexible Credit Line)が導入された。FCLは、経済のファンダメンタルズや政策フレームワークが強固で、優れた経済運営実績を維持している加盟国を対象とした融資制度であり、IMF財源への早期かつ巨額のアクセスが可能となっているため、危機予防の保険としての機能を果たしている。また、FCLの信用枠が承認された場合でも、政策条件にしばられることはないという柔軟性も有している。
また、11年6月には予防的流動性枠(PLL、Precautionary and Liquidity Line)が設立された。PLLは、健全なファンダメンタルズ及び政策を実施している国に対して、想定される、または現実の短期的な国際収支に係るショック等への対応支援を行うものである。
また、金融機関の健全性を確保することを通じて危機を未然に防ぐ仕組みとして国際的な金融規制の見直しに向けた検討もなされ、2010年にバーゼルIIIが合意された。具体的には、金融危機の経験を踏まえ、自己資本比率規制が厳格化されることとなったほか、定量的な流動性規制や、過大なリスクテイクを抑制するためのレバレッジ比率が新たに導入される予定となっている。バーゼルIIIは13年から段階的に実施されており、19年初から完全実施予定である。
第二に、アジアにおける取組が挙げられる。
まずは、チェンマイ・イニシアチブ(CMI、Chiang Mai Initiative)の強化である。CMIは、従来は二国間通貨スワップ取極のネットワークであるASEANスワップ協定により構成されていたが、2010年3月にはCMIのマルチ化が発効した。これにより、ASEAN+3のメンバー国がCMIの枠組みに参加することになり、通貨スワップ発動に係る意思決定のルールが共通化された(第2-3-18図)。
14年7月には、マルチ化の機能を一層強化する形で、マルチ化の改訂契約が発効された。主な改訂内容としては、(1)CMIのマルチ化の資金規模を1,200億米ドルから2,400米億ドルに倍増、(2)引出可能上限額に対してIMFプログラムなしで発動可能な割合を20%から30%に引き上げ、(3)危機に至る前に予防的に資金を供給できる機能(危機予防機能)の導入が挙げられる。
コラム2:Sharing Economy
近年、アメリカを中心にSharing Economyと呼ばれる経済取引が流行しつつある。決まった定義はないが、「供給者と消費者をオンラインプラットフォームで結びつけ、現在使用されていないものを貸し出すこと」や「個人やグループが十分に活用されていない資産から収入を得ることを可能とすること」とされる(注1)。
Sharing Economyが注目される背景には、ミレニアル世代(注2)を中心とした所有に対する意識の変化がある。アメリカで行われた調査によると、回答者の4割強(43%)が「所有を負担」としており、7割強(71%)が「今後2年のうちにSharing Economyの消費者になる」としている。同調査は、14年の市場規模は150億ドル、2025年までに3,350億ドルまで成長する見込みと試算している(注3)。
Sharing Economy siteはインターネットを利用した仲介・マッチング業であり、財・サービスの提供者及び受益者双方から手数料を徴取することでビジネスとして成立している(コラム図)。提供される財・サービスは、配車サービスや一般住宅への宿泊サービスが主であるが、旅行用品や宝石などもシェアの対象となっている。
財・サービスの提供・利用はスマートフォンのアプリケーションから操作可能であり、予めプラットフォームにクレジットカード番号を登録することで現金が不要となるサービスもある。さらに、SNSを利用して利用者が財・サービスの提供者を評価しており、評価の低い財・サービスが駆逐されていく仕組みとなっている。
Sharing Economyの急速な発展の背景には、SNS及びスマートフォンの普及があると考えられる。OECDによると、13年時点で、スマートフォン経由でSNSにアクセスする人は42%と、パソコンを使う人(46%)に肉薄している(注4)。
また、財・サービスの購入に当たって、ネットに書き込まれた口コミを信用する人が増えているという背景もある。Sharing Economy siteには利用者の口コミや評価の点数表示がなされており、利用に当たっての重要な参考情報となっている。
Sharing Economyの意義は、Peer-to-PeerないしC to Cマーケットが仲介者であるSharing Economy siteを通じて、市場化されることである。これまで友達同士、消費者同士で市場には現れていなかった取引が、Sharing Economy siteを通じて、「見える化」されると言い換えてもよい。また、オンラインプラットフォームを活用することで取引費用(情報収集コスト:金銭的、時間的)を低減できる。
一方、Sharing Economy siteをめぐっては、既存の業種との競争が公正に担保されておらず、不当に競争力が高いという批判もある。
第一に、Sharing Economy siteが仲介するサービスの提供者は個人事業主か従業員かという議論がある。アメリカの配車サービス会社は、運転手を個人事業主であるとして社会保険等の雇用者負担を免れている。会社側の態度に対し、同社のサービスを利用し運転手として働いていた者は個人事業主ではなく従業員であるという訴えを起こした。カリフォルニア雇用開発省は15年9月にこれを認め、原告が失業給付を受ける権利があると判断した。
Sharing Economyの競合相手であるタクシーやホテル業界には、国や地域によっては、許可制や供給自体を制限する数量規制が課されているところもある。Sharing Economy siteの財・サービスの提供者になるのは、サイトによるスクリーニングはあるものの、比較的容易と言われる。遵法コストがない分、Sharing Economy siteは安く競争できる。また、参入規制が低くなるため、既存の業界と競合する財・サービスでは需要と供給のバランスが崩れる可能性がある。この問題に対処するため、宿泊サービスではオーナーが年間に貸し出せる日数を制限するといった動きがある。
Sharing Economyをめぐっては、既存の規制業種との競合が起こる中でどのような規制をかけるべきか、そもそも規制をかけるべきかが議論されている。その際、政府が規制すべきか、業界の自主規制にとどめるべきか、様々な考え方がある。15年3~5月に実施された調査によると、スイスでは21%が規制に賛成、36%が反対しているのに対し、アメリカでは25%が賛成、28%が反対としている(注5)。
Sharing Economyは、マッチングサイトを通じて、十分に活用されていない財・サービスの稼働率を高めるという意義を持つビジネスモデルのイノベーションと位置づけられる。解決されるべき論点も数多くあるものの、消費者が所有から共有に意識を向けつつある中、このような変化をいち早くビジネスに取り入れられる環境にあるかが、今後の各国経済の成長に影響する可能性があると考えられる。
(注1)Deloitte (2015)、PricewaterhouseCoopers(2015)
(注2)ミレニアル世代の定まった定義はないが、例えばアメリカ商務省センサス局では1982~2000年までに生まれた者を「ミレニアル世代」としている(U.S. Department of Commerce, 2015)。
(注3)PricewaterhouseCoopers(2015)
(注4)OECD(2015b)
(注5)Deloitte (2015)