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第1章 長期金利上昇の要因と物価連動債の役割

第4節 活用が期待される物価連動債

 最後に、本章で行った検討をまとめておこう。

●景気回復局面での金利上昇は自然な動き
 2003年央以降のイールドカーブの動きが示すように、長期金利は先行き見通しの改善を主因として上昇基調にある。市場関係者のアンケート結果からもその見方が裏打ちされる。Fedがデフレ懸念への対処から金融緩和姿勢を明言しているため、インフレ期待の芽生えは稀有であり、金融引締め観測もほとんどみられない。アメリカのほか、ヨーロッパにおいても財政赤字が拡大しているが、財政面からの金利上昇圧力はほとんど生じていないといえよう。こうした状況から、2003年央以降の金利上昇は景気回復に伴って生じた自然な動きであると判断することができよう。
 長期金利上昇の経済への影響を悲観する見方がある。これに対しては、(1)名目の金利水準は歴史的にみても低い水準にあること、(2)過去の局面においても景気回復に伴う金利上昇は回復を腰折れさせることはなかったことを思い起こす必要がある。
 しかし、ほとんどの国において家計の債務残高は増加している点、債券保有者は金利上昇に伴いキャピタルロスを被る点等には留意することが求められる。
 
●今後の動向にとって財政赤字要因が大きなリスク
 投資家の資金移動や期待形成等によって長期金利が過度の変動を引き起こすリスクがある。
(1) 世界主要国の財政赤字は拡大しており、これは長期金利を上昇させる要因である。アメリカの実証研究によると、GDP比1%の赤字拡大は長期金利を0.5%程度上昇させるというのが平均的な姿である。これまでのところ、財政規律に対する信認があり、財政要因が長期金利上昇につながっているとは考えられないが、信認が失われるとそのリスクは高まる。
(2) 米国債はアジアを中心として世界から購入され、アメリカ国内の資金需要が満たされている。アメリカの経常収支赤字はGDP比5%を上回っており、1時間当たり6千万ドル超(約70億円)の資金流入を必要としている。仮に大幅なドル安が生じるようなことがあれば、海外からの資金流入がこれまでどおり続くのか懸念される。流入が先細るようなことがあれば、長期金利上昇のリスクが高まる。
(3) 長期金利の急上昇リスクが回避されても、アメリカの景気動向そのものに下方リスクは存在する。雇用の回復が遅れており、所得減税で刺激されている消費の先行きに不安材料がないわけではない。

 これらのリスクを考慮すると、主要国は財政赤字削減への取り組みを着実に行い、市場の信認を維持すると同時に、アメリカの経常収支赤字については持続可能な大きさへ低下させる幅広い政策が必要である。これらによって、長期金利が予想外の期待や観測によって過度に変動することを回避することが重要である。
 
●日本市場で物価連動債は厚みを増すことが重要
 一般論として市場が有効に機能するためには、多数の取引参加者があり、歪みがなく、市場取引に厚みがあることが必要である。このような市場では流動性が高く、取引が円滑に行われる。
 日本の国債市場の特徴は、公的部門の保有割合が過半と大きく、国債の種類では10年物の占める割合が国際的にみて極めて大きい。これまでも国債市場の流動性を高める取り組みが行われているが、その必要性は一層高まっている。
 物価連動債はイギリス、アメリカ等の主要国で発行されている。日本でも2003年度に1,000億円規模で初めて発行される。物価連動債は、インフレによる元本の目減りリスクを解消するため、年金投資家等の長期資産保有者に好まれる。物価連動債の先進国であるイギリスにおいては、国債発行残高の約25%が物価連動債となっている。さらに、イギリスやアメリカでは物価連動債利回りから求められる期待インフレ率が、金融政策の運営にあたって重要な情報を提供している。
 こうした点を考慮すると、日本では物価連動債の規模は国債発行予定額の0.09%と小さく、今後市場の厚みを増していくことが重要である。市場の厚みがあることが、期待インフレに関する有用かつ機動的な情報を発するために必要である。日本ではデフレ脱却を目指した政策運営がなされているが、穏やかなインフレ状況においては物価連動債の機能がより有効になると期待される。
 
●金融政策の透明性を高めることは期待形成に大きな役割
 金融政策には、透明性を高め説明責任を果たすことが求められている。
 Fedの研究によると、中長期の市場利回りにより大きな影響を与えるのは、Fedが今後の成長やインフレに関して示すリスクの方向よりも、Fed自身の今後の経済見通しの中身そのものであるということが明らかにされている。
 また、欧州中央銀行は2003年5月に金融政策の枠組みを見直した。その内容は、(1)「物価安定とはインフレ率が2%を下回ることであり、中期的に維持されるべき」というこれまでの基準に、「2%近辺を維持する」という内容を付け加え、物価安定の定義を明らかにした。既に、スタッフの経済見通しを情勢判断材料として発表(年2回)してきているが、(2)マクロ経済動向の予測を含め、物価安定に対する短中期的なリスクを考察するための経済分析を重視し、市場との対話促進に努める姿勢を示した。さらに、イングランド銀行においては、2.5%のインフレターゲットを掲げ、四半期ごとにインフレ見通しを公表している。
 このように金融政策における説明責任はますます重視されており、透明性を高める工夫が行われている。その背景として、市場参加者の期待形成が市場動向に大きな影響を与えるようになってきていることが考えられる。中央銀行の政策が市場に理解され、事前の期待が事後的にも実現すれば「驚き」が生じることはなく、市場に困惑は広がらない。
 日本は緩やかなデフレ状況にあるが、対話を深め期待形成に働きかけることがやはり重要である。日本銀行が物価水準の将来経路についてできるだけ踏み込んだ目標を公表し、家計や企業の価格期待をその経路に集約させることの必要性が指摘されている(齊藤 [2002])。そうすれば、将来の物価上昇を反映して短期金利水準が上昇しても、市場参加者の間で物価上昇傾向の具体的なイメージが定着すると考えられている。
 
●期待形成を考慮した政策運営
 金利は、国内貯蓄や流入する外国資本の量的制約下で資金市場が均衡するためのシグナルである。物価は、財やサービス市場の需給を示すシグナルである。経済状況に応じて望ましい金利水準とインフレ率は異なる。したがって、金利とインフレ率は低ければ低いほどよいという議論は間違いである。
 望ましい大きさが一義的に存在するわけではないが、中期的に潜在成長力が持続するような大きさは一つの目安となる。特にインフレについては、デフレや高インフレは資源配分を歪め経済活動を非効率にする。その意味では、主要国で参照されているような緩やかなインフレを目指すことが、資源配分の効率化をもたらすといえよう。金利は、市場の期待変化から大きな影響を受ける。期待の在り方によっては、過度の変動が起こり得る。金利と物価がシグナルとして十分な機能を果たせるように、市場の期待形成を十分考慮した政策運営が重要となっている。


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