土地・住宅ワーキング・グループ報告書
経済審議会行動計画委員会 土地・住宅ワーキング・グループ報告書 平成8年10月9日
(座長) | 岩 田 規久男 | 上智大学経済学部教授 |
---|---|---|
西 村 清 彦 | 東京大学大学院経済学研究科教授 | |
福 井 秀 夫 | 法政大学社会学部教授 | |
山 崎 福 寿 | 上智大学経済学部教授 |
はじめに
多くの人々が、土地・住宅問題のひとつとして、外国に比較して日本の住宅の規模
が小さく、地価や住宅価格が非常に高いことを指摘する。東京圏では、十分な広さを
持った住宅を取得するためには、通勤に片道1時間半以上かかる郊外で住宅を探さな
ければならない。平成2年において、首都圏で、通勤に片道1時間以上かかる人の割
合が通勤者全体の65%を越えており、さらにそのうち1時間半以上かかる人の割合
は22%に達している。
他方、東京都心から30分圏内の地域に多くの遊休地や農地が存在しており、住宅
も低層のまま郊外へと遠々と続いている。農地や空閑地が都心から30分圏内にたく
さん存在しているにもかかわらず、多くの人々が毎日通勤によって多大なエネルギー
を消費している。これは、日本では土地の希少性が諸外国に比べて著しく高いにもか
かわらず、土地を有効に利用していないために生じている矛盾である。
土地を有効利用していないという点は、防災面からも問題である。昨年の阪神・淡
路大震災により、我々は日本の都市が大災害に対していかに脆いものかを尊い犠牲に
より思い知らされた。「安全・安心なまち」は豊かな生活の基本であり、今後の土地
・住宅政策は「災害に強いまちづくり」を一層計画的に推進していかなければならな
い。特に、都心周辺密集市街地については,防災上の観点から建て替え、更新が緊急
の課題とされてきたにもかかわらず、それらの達成率はきわめて低い。震災が起こっ
たときに、延焼や被害を最小限に食い止めるためには、火災や被害に強い住宅を供給
するだけでなく、十分な広さの道路や空間を準備しておかなければならない。また、
良好な環境を得るためには、緑地や公園を整備することも必要であるが、これらの整
備は防災にも役に立つ。このように、震災に強い街区を形成するためには、土地を高
度に利用することによって、道路や緑地帯のための十分な空間をつくり出さなければ
ならない。土地の高度利用が実現できれば、よりコンパクトな都市構造が形成される
結果、通勤距離は短縮し、さらに防災面や環境上有効な公共ストックと空間を生み出
すことができる。
従来、土地や住宅の利用は外部性を伴うため、規制や計画によって市場取引に介入
することが合理的であると考えられてきた。しかし、実際の規制等は外部性と異なる
理由で採用されていたり、外部性をコントロールする手段として不適切であったりす
るため、規制等によって市場取引が歪められ、その結果、かえって望ましくない深刻
な事態に陥っている場合が数多く存在する。土地・住宅問題の多くが市場取引によっ
て解決できるにもかかわらず、規制等によって、それらの解決がはばまれている。
以下では、日本の土地・住宅問題の何が原因であるかを明らかにしたうえで、いか
なる分野のどのような規制を緩和し、市場メカニズムを活用すれば、土地の有効利用
が実現でき、かつ都市における公共ストックを有効に利用する事ができるかを明らか
にしたい。この点を明らかにする事によって、どのような都市計画や規制が本当に必
要であるのかも明らかになる。
他方、土地税制は土地利用と土地をめぐる分配に大きな影響を及ぼすが、日本の土
地税制は地価が高騰すると強化され、地価上昇率が低下すると軽減されるという歴史
を繰り返してきた。このようなその場しのぎ的な土地税制は土地の有効利用を阻害し、
分配面では不公平をもたらしてきた。土地税制は長期的な土地の有効利用と分配の公
平の観点から設計すべきであり、地価が変化する度に変更されるべきものではない。
従って以下では、土地・住宅政策の観点から土地の有効利用と所得分配の公平のため
に、いかなる改善を税制面で行うべきかを明らかにしたい。
以上の観点から、土地・住宅政策について次の8項目を提案をしたい。
- 1 都市計画・建築規制の合理化 (「一律型」規制から「市場活用型」へ)
- 2 土地・住宅税制の改善(「土地所有優遇型」から土地公共性に根ざす「有効利用型」 へ)
- 3 定期借家権の導入
- 4 中古住宅市場における情報提供の充実
- 5 住宅政策における価格メカニズムの活用(個別対応型から「価格メカニズム活用型」 へ )
- 6 土地収用の適正化
- 7 生産緑地制度の見直し
- 8 地方自治体の関与のあり方 (「独立型」から「広域型」へ)
これらの政策を実施することにより、「遠い・高い・狭い・醜い・危い」という五 重苦の日本の住環境は改善され、主要先進国と比べてもひけをとらない生活の豊さを 享受できるようになるであろう。
1.住宅・土地政策の目的
(1)土地の有効利用及び都市公共インフラの効率的利用
東京圏を中心とする日本の住宅価格は、依然として平均的勤労者にとっては高水準
である。都心に近接し、環境が良く、広い面積の住宅に、収入に見合った負担で居住
することができる者はきわめて限られている。このような状況を放置することは、市
民の豊かさを損ない、多くの勤労者に長距離通勤の負担を強いるとともに、交通関連
インフラ等に対する多大な負荷をも発生させることになる。
ところが一方では、東京都内をはじめとして、インフラが十分整備されず、住環境
も劣悪で、老朽化した木造住宅が密集するなどの低未利用地が多く存在している。一
般的な既成市街地においても、インフラの貧困、権利調整の困難等を背景として、快
適な環境を有する中高層共同住宅化による土地の有効利用は、ほとんどなされていな
い。このような低未利用地を十分に有効利用して多くの住宅床の供給を図ることによ
り、大都市中心部ほど土地利用密度を高くし、周辺地域へのスプロールを抑制するこ
ともできる。
この意味での土地の有効利用により、インフラの投資効率が飛躍的に高まるほか、
住宅床の需給が緩和することを通じて、床当たりの地価負担は小さくなり、良好な居
住を求める多くの市民のニーズを満たすことも可能になる。市民の社会経済的厚生の
総和は、飛躍的に増大する。土地・住宅問題対策のもっとも重要な目的は、この点に
ある。これは資源配分の効率性の問題であり、基本的には土地の有効利用によって達
成される。
また、最近、銀行等が担保として保有する不良債権の処理が、金融制度の秩序を維
持する上で、きわめて重要な課題になっている。これらの中には、多くの土地や建物
が含まれており、不良債権として遊休化している。その原因の一つに、従来からの硬
直的な取引規制や計画がある。規制や計画を改善して、建物や土地の共同化事業等を
促進することによって、このような不良債権を流動化することは、金融秩序の維持と
いう観点から重要なだけでなく、土地・住宅の有効利用の観点からもきわめて重要で
ある。
(2)土地からの利得の公正な分配
土地や住宅に関してはこれらの資産を保有しているか否か、いつ取得したか等の違
いによって資産格差が拡大し、特に個人の場合にはそれが消費生活水準の格差にも反
映することがある。これに伴う不公平感の蔓延が、日本社会の特徴ともいわれてきた
平等性を失わせ、社会の安定を阻害する可能性もある。
そもそも、土地の値上がりは、ほとんどの場合、土地所有者自身の寄与によるもの
というよりも、道路、鉄道、空港、公園、下水道等のインフラが公的に整備されたり、
経済活動が活性化することによるものである。これらは、納税者やインフラ利用料金
の負担者等の寄与によりもたらされたものであって、地価上昇の利益のかなりの部分
が土地所有者に帰属してしまうような現行土地税制が採用されてることは、公平の観
念からみて納得できるものではない。この観点からは、開発利益を税制により吸収し、
地価上昇をもたらしたインフラの整備主体や、経済的繁栄を担っている勤労者や企業
に還元していくことが必要である。これは土地・住宅に関する所得分配の公平の問題
である。
土地・住宅政策の目的は、細分化すればさまざまな分類が可能であるが、大きくは
ここで述べた土地の有効利用及び土地・住宅に関する所得分配の公平の二つが重要で
ある。
(3)土地利用転換の副作用には独立の分配政策で対処
土地の有効利用に伴い、従前居住者が長年住み慣れた住居を追い出されたり、建替
後の家賃が大幅に上昇するため、従前の借家人の居住継続が困難になる等の副作用が
生ずることが指摘される。
これらを理由として、再開発等による土地の有効利用を批判する議論があるが、従
前居住者の「現在の住み方を変更したくない」との意向をすべて尊重するのであれば、
土地の有効利用は不可能になり、通勤難に苦しむ市民の居住水準を向上させることは
できなくなる。従前居住者の既得権を守ることは、潜在的市民の犠牲の上に成り立っ
ていることを認識すべきである。
大都市中心部においては、土地の有効利用による社会的なパイの増大をまず優先す
べきであり、従前は戸建住居に居住していた人も、再開発後は共同住宅居住になるこ
とを甘受しなければならない。
しかしこの場合、家賃が激変する等により新しい居住形態に対応できない者を放置
しておくことはあってはならず、それらの弱者に対しては、公的に家賃補助等を実施
するという独立の分配政策を講じることが必要である。またこのときの財源は、土地
の有効利用によって生じた地価上昇分を公的に吸収する土地譲渡所得税等の土地税収
に求めるべきである。逆に言えば、このような分配政策が適切に採用されるならば、
大都市中心部において現状のままの低層居住形態を継続することは否定されるべきで
ある。
2.大都市地域における市街地政策のあるべき姿
(1)土地の有効利用のあり方
日本の都市計画・規制や土地税制のあり方を考える上で、土地・住宅問題が日本の
ように深刻でない欧米の都市と比較してみることが参考になる。
欧米先進国では、土地利用は都市中心部ほど高度になるように、容積率などによっ
て規制されている。これに対して、郊外には広々とした敷地の一戸建ての低層住宅が
展開している。農地はこの郊外住宅地の外側に広がっており、内側には殆ど存在しな
い。街の中心部に向かうにつれて建物の高さは高くなり、一戸建ては減少し、共同住
宅が増え、自然の森林に代わって大公園や街路樹が都市に緑を供給し、中心部には高
層ビルが林立している。
これに対して日本では、東京都心3区といっても高層、中層、低層のビルや住宅が
無秩序に混在している。東京都心まで通勤1時間圏内には、低層の住宅や商業用家屋
が密集しているところも少なくない。また一方では、都心まで1時間以内の地域に住
宅と住宅の間に有刺鉄線やブロック塀で囲まれた農地が混在しており、他方では都心
から1時間半も離れてもなお高層のマンションがそびえ建ち、欧米であったら田園風
景が展開される地域に至っても延々と市街地が続く。
このような状態を比較して、いずれが社会経済的厚生を大きくする土地利用形態と
いえるであろうか。集積の利益が存在する以上はこの利益をうまく活用するとともに、
快適な街を作るためには、企業が集積する都市中心部は容積率を高くして高度利用し
なければならない。土地を高度利用すれば、企業はそれだけ相互に近接した場所に立
地できるから、交通時間と交通コストを節約でき、社会的には交通量も抑制できる。
また、道路幅も広くとれるし、公園の整備もできる。職住近接を図って通勤混雑を緩
和するためにも、都心部から30分以内の地域にも住宅が必要であるが、そういう地域
は商業にも適した土地であるから、極めて希少性が高い。従って、住宅といえども中
高層の共同住宅でなければ、土地を使い過ぎることになる。東京のような巨大都市で
どうしても一戸建ての低層住宅に住みたい人は、都心から40~50分からそれ以上離れ
た地域に住むことで満足すべきであろう。そういう地域であれば、商業用地や道路・
公園用地等と競合する程度が小さくなるからである。
(2)床面積当たり地価の低減
前述のように、土地の有効利用というときに基本的に重要であるのは、大都市中心
部の土地の希少性を反映して、高密度の土地利用が必要になるという点である。従っ
て、住宅に関しても土地の希少性が高い都心部ほど、中高層共同住宅化を図るべきで
ある。これによって、床面積当たりの住居費負担を引き下げることが可能となるとと
もに、コンパクトな市街地が形成されることによるインフラ投資効率の向上が図られ
る。さらに、通勤、企業間のコミュニケーション、市民の移動コスト等さまざまな側
面で集積の利益を高めることもできる。何よりも床面積当たりの地価を大幅に下げる
ことは、市民が生活の豊かさを真に実感できるための必須的要素である。
この場合重要なことは、床面積当たりの地価を十分に低下させることであって、地
価そのものの低下を図る必要はまったくないという点である。日本では、国土利用計
画法をはじめ、地価の上昇そのものを罪悪視する制度が残存し、土地対策においては
「地価抑制策」の重要性が長年にわたって主張されてきた。マスコミをはじめ、多く
の人々も、地価そのものを下げることが重要であると信じている。
しかし、地価を規制により強制的に下げるような手法によっては、土地の有効利用
を図り住宅床の供給を増やすことはできない。むしろ反対に、規制は土地の流通を抑
制し、有効利用の可能性のある土地が市場で取引きされることを阻害することによっ
て、床面積当たりの地価を大きく押し上げることになる。これにより、社会経済的な
厚生は縮小し、莫大な非効率が発生する。
価格規制は土地供給が抑制されることにより超過需要を生じさせ、特定少数の人に
対する宝くじ的利益を発生させるという意味で、所得分配の公平の観点からみても望
ましくない。供給を受けられなかった多くの超過需要者は何の利益を得ることもなく、
彼らの居住水準は何ら向上しない。
資源配分を歪め、特定少数の人に不公平な利得をもたらす国土利用計画法の価格規
制のような「地価対策」手法は、本来、早期に撤廃すべきである。これに代わるべき
は、土地投機を抑制し、関連インフラを十分に整備するとともに、快適な住環境を伴
った高密度な市街地を形成することに資するような土地の有効利用政策である。
(3)計画的市街地形成の必要
土地・住宅は単なる個人的財産だけではなく、外部性をもっているという意味で社
会的存在であるから、その利用に当たっては計画的な利用が必要である。その理由は
主として以下の二点である。
第一に、企業や個人は、道路・公園緑地・下水道等の都市基盤(インフラ)を社会
的に最適な水準まで整備・供給することは出来ない。例えば道路の場合、私的な開発
主体は開発地域内の道路整備は出来ても、不特定多数が利用する開発地域外の道路ま
で整備することは、本来出来ない。従って、都市基盤の整備は公的主体が担当しなけ
ればならない。
ところが日本では、都市基盤が整備されていない所でも自由に建物を建てられると
いう開発の自由があるため、歩道もない狭い道路をトラックやバスが歩行者の安全を
脅かしながら住宅や店舗の軒先をかすめて走り、道路はいつでも混雑しているといっ
た姿が日常的に見られる。このような都市環境の悪化と混雑は社会経済的厚生を低下
させるものである。これを未然に防止するためには、計画的・先行的に都市基盤を整
備し、その後に初めて民間の開発を可能にするような制度を作らなければならない。
第二に、個々の土地利用は、近隣の土地利用者の利益や効用に相互に悪影響を及ぼ
し合うという点である。例えば、閑静な住宅地にスナックやバーができれば、住宅地
の環境は悪影響を受け、その地域に居住する人々の社会的厚生を低下させる。こうし
た影響の良い面を促進し、悪い面を抑制するためには、個人や企業の自由な土地利用
は制限される必要がある。
なお、計画に従った土地利用の必要性については、土地についての公共の福祉優先、
投機的取引の抑制、利益に応じた適切な負担とともに、1989年(平成元年)制定の土地
基本法に定める土地についての四つの基本概念となっている。
また、日本の土地利用計画は欧米先進国に比べて市民参加が不十分であり、改善が
必要である。1968年(昭和43年)制定の現行都市計画法にも、公聴会・説明会の規定
(第16条)、縦覧および意見書の提出(第17条)、周知の措置(第66条)等住民参加の条項
はあるが、都市化社会から都市型社会への移行により既存市街地の土地利用転換が益
々重要になってきていること等に対応するため、従来以上に「自分たちが住んでいる
又は将来住む可能性のある地域の土地利用計画は、自分たちで作成し調整する」とい
った市民参加を制度的にも十分確保する必要がある。
但し、ここでいう市民参加は、当該地域に既に住んでいる住民だけでなく、当該地
域に住む可能性のある潜在的住民も含むという意味で、通常の住民参加よりも広い概
念である。このように広く参加をとらえるのは、住民参加が単なる既存住民のエゴに
終わることを防止するためである。
3.都市計画・建築規制の合理化
(1)容積率規制の緩和
大都市、特に東京は過密であるといわれる。道路は慢性的に渋滞し、鉄道の混雑も
極端な水準に達している。住環境も悪く、公園や広場も少ない。集中に伴う外部不経
済がさまざまな場面で発生している。これに対しては、東京への新規の事業所立地を
規制したり、東京の容積率を引き下げる(いわゆるダウンゾーニング)ことによって、
人口や諸機能の東京への新たな流入を阻止し、東京の住環境を守るべきであると主張
されることがある。これは成長管理政策と呼ばれる政策のバリエーションの一つであ
る。
しかし、この種の議論は集中による混雑の外部不経済の抑制は、集中そのものを抑
制することによってしか達成することができないという認識を前提とし、集中がもた
らすさまざまな利益を考慮していない。
また、東京圏への人口流入(社会増)は近年減少しており、1994年(平成6年)か
らは転出超過に転じているという実情にあるが、ここでの議論は東京圏等大都市圏の
中での歪んだ集中構造の是正、土地の有効利用に焦点をあてている。
集中は経済活動やレジャー、文化等の利便性の面で、多大な集中の利益をもたらす
が、他方で交通混雑等の外部不経済も発生させる。その場合重要なことは、集中の利
益をできるだけ増大させるとともに、集中そのものを抑制するのではなく、集中に伴
う外部不経済を直接的に抑制する手段を採用することである。集中の利益の追求と外
部不経済の抑制という複数の目的には複数の手段が必要なのである。この経済政策の
原理こそ東京一極集中の問題への対処の基本でなければならない。
外部不経済には、道路、鉄道、下水道、住環境等さまざまな領域がある。これらの
個々の領域毎に、直接的に外部不経済を完全にコントロールするならば、集中そのも
のの姿は市場メカニズムの作用した結果として適切に決まってくるものである。
また、東京が既に過密であるという議論では、東京の道路等のインフラの整備水準
は低く、これ以上容積率を増やして土地の有効利用を図ることは、ますます混雑を激
化させるだけであるといわれる。しかし、現在の貧弱なインフラ整備水準を与件とし
て、いいかえればインフラ整備水準を引き上げる可能性を検討せずに、現行インフラ
に合わせた土地利用を正当化しようとすることは妥当ではない。前述したような市民
参加による民主的手続きを経て作成された都市計画に従い、容積率を高め、土地の高
度利用を図ることは、新たな道路等のインフラ用地を生み出すことをも可能にする。
この可能性を実現させるための最終的な担保措置は、第8節で述べる収用権限である。
インフラの創出を伴った土地の高度利用は、集中促進と外部不経済の抑制の双方を
可能にするであろう。先験的に東京の現行インフラ整備水準を前提として容積率を想
定し、これに合わせて土地利用をコントロールしようとすることは倒錯した思考様式
である。インフラ整備と容積率の上昇とは、同時に進行させるべき政策課題である。
容積率を低水準のまま維持することは、高度利用された土地の供給を制限することに
よって、高地価を温存し、既存地主の利益を増大させる効果を持つことを忘れてはな
らない。
また、東京の現行の容積率の活用率が指定容積率の半分弱しかないことから容積率
規制の緩和は必要ではなく、せいぜい容積率の売買を認めることによって対応できる
という意見もあるが、それは妥当ではない。まず第一に、道路幅員による規制、日影
規制、北側斜線規制、前面道路斜線規制といった単体毎の規制により、既存の容積率
を使いたくても使えないという状況がある。第二に、土地の有効利用が遅れていたこ
となどから、都心部にも低層の建物が存在することが容積率の活用率を押し下げてい
る。第三に、仮に以上の問題が解決されたとしても、容積率の売買については街区内
程度の近接地域で行われるのが通常であるから、東京全体で容積率に余裕があっても
地域によっては不足することは十分あり得る。従って、各地域や街区の土地の有効利
用の需要等に応じた容積率のアップが必要である。
現行の容積率規制は、第一にインフラへの負荷をコントロールすることによって集
中による外部不経済を抑制すると共に、第二に、都市環境の確保を図ることが目的で
あるとされている。しかし、第一の床面積とインフラ負荷が比例するという前提自体、
証明がなされたことがないのみならず、直観的にもこれを信じることは困難である。
例えばデパートのような商業施設と住宅とでは同じ床面積でも発生交通量が異なり、
道路や駐車場に対する負荷には大きな差がある。容積率は年中同じであるが、道路や
鉄道の混雑は季節や時間によって大幅に変動する。同じ床面積であれば、住宅は公園
をより多く必要とするが、商業施設は駐車場をより多く必要とするであろう。
床面積によるインフラ負荷のコントロールという、両者の間にきわめて遠い因果関
係しか存在せず、精密さを著しく欠く手法に頼った制度が、混雑をコントロールする
制度として存在していることは問題である。長い歴史の中で生じた容積率規制の社会
的な損失の総計はきわめて大きいと考えられる。インフラ負荷のコントロールの側面
で容積率規制に期待される機能は、個別インフラ毎の混雑料金制を完全に実施するな
らば、これによって代替することができ、その方が社会的損失ははるかに少なくてす
む。
第二の都市環境の確保についても、床面積との関係を推論することは困難である。
都市環境、住環境の問題は端的に建築物の形態そのもののコントロールに全面的に委
ねられるべきであって、容積率との関連を想定するのは有害無益である。なお、都市
環境・景観の確保については、建築協定まで含んだ広い意味での都市計画・規制によ
り、建物の高さ・形・意匠等をコントロールしていくことが必要である。
以上のような容積率規制の問題点を考慮すると、少なくとも緊急に実施すべき点は
次のとおりである。
第一に、本来、容積率規制は長期的には撤廃して、混雑料金制によって代替される
べきであるが、短期的には容積率規制が大都市圏における集中の利益を阻害すること
がないように、道路を中心としたインフラ整備を進めることと併行して、容積率の上
限を大幅に引き上げるべきである。都市空間をコンパクトに集約化し、高容積の市街
地を形成することによって、道路やオープンスペースの創出を図り、都市の環境を改
善することも可能になる。過剰で合理性のない容積率規制は、インフラそのものの整
備を妨げ、かえって混雑や環境悪化をもたらす側面があることを認識しなければなら
ない。
第二は、インフラの創出のため、容積率の引き上げ政策と相まって、道路率や公園
率等のインフラ率を大幅に引き上げるべきである。東京都に代表されるように、日本
の都市はインフラが整備されぬまま低層住宅が郊外まで延々と密集しているため、欧
米主要国に比べて宅地率(宅地面積の総土地面積に対する比率)が著しく高く(たと
えば、東京の中心8区レベルで、東京63%、ニューヨーク44%、ロンドン51%、
パリ41%)、都市環境も劣悪である。東京などの大都市の宅地率については、欧米
主要国の大都市並の宅地率まで引き下げることを目安にすべきであろう。
なお、指定容積率の上昇に当たっての基準としては、床面積当たりの地価を前提と
して、大都市中心部や交通インフラ結節点のように、それが高水準であるところほど
高容積率となるようにすることが妥当である。床面積当たりの地価が高いということ
は、それだけ土地を有効利用する必要性が高いことのシグナルでもあるからである。
(2)日影規制を廃止して中高層住宅化を促進
日本の都市計画・建築規制における日影規制は、実効容積率を引き上げることがで
きない主要な要因の一つになっている。例えば、環七通りの内側のような土地の希少
性が高く、土地の有効利用に対する要請も強いところで、現行のような日照権を認め
ることは、中高層共同住宅化を妨げ、ひいては通勤地獄を作り出し、日本の経済ポテ
ンシャルを小さくするなどのさまざまな歪みを生み出している。大都市中心部では日
影条例を廃止して、単体の建物毎に日影をコントロールすることは認めないようにす
べきである。
(3)街区単位の建築規制と容積率等の売買市場の創設
指定容積率の上限を大幅に上昇させるとともに、単体の日影規制を改めて街区ごと
のコントロールとしたうえで、街区単位で良好な都市環境が維持できるように、容積
率や日照権の敷地間の売買等による移転を認めることとし、これを登記等の方法によ
り公示する制度を創設すべきである。これまでのように、単体敷地ごとの数値規制を
原則とする考え方は転換すべきである。容積率や日照権を購入した者は、その資産価
値を保全することが可能となり、これを放棄した場合には、対価を得る代わりに当該
敷地は日照権や容積率を十分には享受できないことになる。本来、このような街区内
部で処理することが可能な問題について、単体規制を適用する合理性は存在せず、一
層の市場化が必要である。
(4)敷地・建物共同化へのインセンティブの付与
街区単位でのまとまりのある住宅市街地の計画的な形成を促し、土地の有効利用に
よる高密度居住を実現するためには零細な敷地と建物の共同化を図るとともに、これ
を有効利用に適した形状となるように整形化することが必要である。
ところが現行制度では、敷地を共同化するインセンティブはほとんど存在していな
いばかりか、逆に、200m2以下の住宅地の固定資産税を軽減したり、国土利用計画
法による価格規制が一定面積以下の土地取引を規制対象から外していることによって、
零細敷地を作り出すインセンティブを与えている。敷地と建物を零細化して利用する
ことは、ペンシルビルに象徴されるように、土地利用に伴う規模の経済の利用を妨げ
ることにより、土地の有効利用を阻害する。この弊害は都市の中心部になるほど大き
くなる。従って、小規模敷地を取引きしたり、小規模敷地における単独の土地利用を
図ることを不利にするとともに、中高層共同住宅の建設を前提とした大規模な敷地が
相対的に有利になるようにように制度を設計する必要がある。このためには、固定資
産税等における小規模宅地優遇措置など、敷地細分化を有利にするような制度を撤廃
するとともに、現行の容積率規制が存続する間は、敷地を大規模化すればするほど容
積率が高くなるような敷地規模別容積率を導入することが必要である。
(5)建築規制の実効性確保
現行の建築規制は、その実効性が十分ではない。違法建築物が多く、違法の大部分
が放置されたままとなり、除却命令や代執行の対象となる違法はきわめてわずかであ
る。このような、いわば違法状態の恒常化が、さらなる違法を誘発し市街地の環境を
悪化させるとともに、土地の有効利用を妨げる原因ともなっている。
このような状況に対しては、まず容積率規制や日影規制をはじめとして、規制の合
理性の検証という観点から、違法が蔓延する前提となる規制そのものの合理化を図っ
ていくことが必要である。しかし、精査の上必要とされるにいたった規制項目につい
ては、現行のように除却命令、行政代執行を経て違法が是正されることになる制度は、
監督行政部局の能力上・体制上の限界から、現実に機能することは今後ともほとんど
期待できない。むしろ、必要となる規制項目については当該対象行為そのものに着目
して、外部不経済の程度に応じた課徴金を徴収する経済的インセンティブ手法を原則
として、建築規制の実効性を図ることが望ましい。
(6)計画・規制の弾力化
良好な市街地を形成するという観点から、全国一律の都市計画や規制が適用されて
る。しかし、このような硬直的なルールの下では、都市環境やインフラの効率的な利
用も実現できず、良好な市街地を形成することもできない。変化に富む日本列島は、
気候、風土、歴史、習慣等も様々であり、このような各地域毎の環境の違いを考慮に
入れなければ、望ましい土地利用は不可能である。このような都市計画や規制を、各
地域の実情に合わせて、弾力的に各地方自治体の創意と工夫により活用することによ
って、都市と地方間の土地・住宅市場を効率化し、地域的なインフラをより効果的に
配分することができる。
4. 住宅・土地税制の改善
(1)土地譲渡所得税課税の適正化
戦後の日本の土地税制史においては、土地譲渡所得税の強化と軽減が場当たり的に
繰り返されてきた。土地投機が過剰になったとして土地譲渡所得税を強化したり、こ
れが鎮静化し、不況となったため土地の流動化促進策が必要だとして土地譲渡所得税
を緩和したりを繰り返すことによって、土地の有効利用を妨げてきた。土地譲渡所得
税制は、経済変動等に短期的に左右されない、長期安定的な制度として仕組んでおく
ことが必要である。土地所有者自身が土地に付け加えた価値(土地に対する資本投下
の利子分を含む)を超える土地譲渡所得税を強化することは、地価上昇期待が高いと
きにも税引後に期待されるキャピタルゲイン取得額を減少させることによって、土地
投機を抑制し、土地の有効利用を促進する効果を持つとともに、この節の(3)で述
べるように、開発利益を還元する上でも最も優れた手法である。
これにより土地投機による過大な利益が減少すれば、地価バブルの発生が抑制され
る。従って、土地の固定資産税や次に述べる土地含み益利子税の課税における、取引
事例価格による時価評価もバブル部分を含まぬ適切なものになる。
このような土地譲渡所得税強化論に対しては、譲渡税の強化は凍結効果(ロック・
イン・イフェクト)を発生させ、土地の取引を阻害するとして、土地の有効利用のた
めには土地譲渡所得税を軽課するべきであるとの議論も根強い。しかし、凍結効果は
土地含み益利子税や土地譲渡所得課税の売却時中立課税方式によって容易に排除する
ことができる。従って、これらの措置の導入と併せた土地譲渡所得税の強化は、土地
の流動化、土地の有効利用を促進し、さらに以下で述べるように、分配の公平化を図
るのための最も適切な税制であり、土地譲渡所得税の適正化というべきである。土地
譲渡所得税軽課論は、凍結効果の防止が容易に制度化できることを無視した議論であ
り、妥当ではない。
なお、現行の譲渡所得税率は、長期保有土地売却に比較して、短期保有土地売却に
高い税率を適用しているが、これは長期の土地保有を相対的に有利にし、短期の土地
売却を禁止的なものにしている。凍結効果防止策を合わせた土地譲渡所得税という新
しい土地キャピタルゲイン課税の導入に伴い、期間毎に異なる税率を適用することに
ついても再設計が必要である。
このような措置と合わせて買換え特例を全面的に復活させ、他方で本人死亡時に土
地譲渡所得が実現したとみなして相続人に譲渡所得税を課すべきである。但し、相続
人が納税した「みなし土地譲渡所得税」は、相続税からは控除される。さらに、土地
譲渡所得税の強化及び含み益利子税等の導入は、土地の値上がり益がほとんどインフ
ラの整備等によるものであることを踏まえると、所得分配の公平にも合致する。土地
所有者に自らの寄与分によらない利得を得させる理由はない。所得分配の公平の観点
からも、従来の開発利益をめぐる制度の根幹を転換すべきである。
(2)固定資産税、相続税の改善
上に提案した新しい土地譲渡所得税制が実施される場合には、土地の取得価額を超
える分は新しい土地譲渡所得課税の課税対象になるから、土地の固定資産税は土地の
取得価額を課税標準とすべきである。しかし、土地譲渡所得税が現行のままであれば、
土地の時価に課税すべきである。土地の固定資産税の時価評価による評価額の上昇は、
住民の追い出しにつながるという批判があるが、土地の固定資産税も、上で提案した
土地譲渡所得税ほどではないが、土地投機を抑制し土地の有効利用を促進する機能を
持っている。全国のすべての自治体について、固定資産税評価額の決定から裁量性を
排除し、時価で評価するように評価額算定の考え方を統一すべきである。
土地の固定資産税の評価額の上昇を抑えたり、小規模住宅地の税額を優遇する措置
は、通勤難に苦しむ多くの市民の利益を犠牲にして、たまたま都心に土地を保有する
地主の既得権益を擁護することにほかならない。
相続税についても、金融資産に比べて土地の評価額が低いことが無用の土地需要を
誘発する結果になっている。金融資産と有利さが同等となるようその評価を一元化す
ることが必要である。小規模宅地の相続税優遇措置についても、同様の理由で撤廃す
べきである。
(3)土地・建物の流通や建物の投資を阻害する税制の撤廃
住宅に対しては、固定資産税や都市計画税が課せられているが、これらの税制には
合理性がない。すなわち、行政サービスの価値はその地域の地価に反映するから、土
地に対して固定資産税や都市計画税を課することは、利用料金を徴収することが困難
な行政サービスの対価を土地所有者から徴収することにほかならず、合理性がある。
しかし、住宅をはじめとする建物の価格はその立地条件や行政サービスの水準には関
係がないのみならず、建物に保有税を課すことは、建物に投資することを不利にし、
土地の有効利用を抑制することになる。このような税制は有害であって、撤廃すべき
である。
また、土地や住宅に対しては、不動産取得税、印紙税及び登録免許税が課されるが、
これらは土地や建物の取引コストを高め、その流通を阻害する効果をもつ。これらの
税制も、土地・住宅の流通を円滑にする観点からは、やはり撤廃すべきである。
(4)開発利益は原因者に還元
さまざまなインフラ整備や経済活動の成果の多くが、土地所有者に私的に帰属する
ことになる現行税制には問題が多い。土地投機を有利にし、土地の有効利用による豊
かさの増大を阻むのみならず、所得分配に関する自己責任の原則にも反しており、不
公平である。税金は現行よりも土地に対して相対的に重くし、勤労の成果である所得
に対して相対的に軽くすべきである。
地方税についていえば、地方税収の約半分を占める住民税及び法人住民税を大幅に
減税し、土地の固定資産税を地方税の中心に位置づけるべきである。このような措置
により、土地資産を持たない勤労者にとってはもちろん、標準的な居住用資産を保有
する勤労者にとっても、総合的にみれば大幅な減税となるであろう。
(5)土地基金の設立
土地の有効利用及び土地に関する所得分配の公平を一層促進するため、国及び地方
自治体が土地キャピタルゲイン税(第4節(1)で提案した新しい土地譲渡所得税)、
固定資産税、土地相続税等の土地に関する税金を財源として土地基金を設立すること
が適切である。土地基金はインフラ整備、都市再開発、都市環境整備等の土地の有効
利用に資する事業のための財源として活用するとともに、土地の有効利用により従来
の居住形態を変更せざるを得なくなった社会的弱者に対する家賃補助等の補償措置に
も活用することができる。このような基金の意義は次の通りである。
第一に、国及び地方自治体は、土地課税から毎年相当規模の財源を得ることができ、
これを原資として先行的にインフラ整備を図ることができる。効果的なインフラ整備
は土地の価値の上昇をもたらし、土地基金の原資をますます豊かにするという好循環
を生む。ただし、基金の運用にあたっては、分配のルールを予め法令により明確化し
ておくこととし、行政の裁量の領域を極力小さくすることによって、政府の失敗を避
ける必要がある。
第二に、土地投機が抑制されることで、都市再開発等土地の有効利用の促進が図ら
れる。
第三に、土地基金は開発利益の還元措置の具体化策であり、多くの人々の所得分配
の公平の観念に一致することになる。
5.定期借家権の導入
(1)居住水準の向上を妨げる現行借地借家法
土地の流動化を妨げ、住宅投資の活性化や居住水準の向上を阻んでいる最大の要因
の一つは、現行借地借家法である。現行借地借家法は、1941年(昭和16年)に導
入された正当事由制度によって、貸し手からの解約を強力に制限しており、高額な立
ち退き料の提供がある場合等でない限り、いったん貸した土地・家屋の返還を求める
ことはできない。また、賃料改訂についても継続賃料の改訂は常に近傍の新規市場賃
料よりも低い水準で裁判上決定されている。1992年(平成3年)の法改正で定期借
地権が創設されたのは一歩前進であるが、何よりも重要であるのは定期借家権の創設
である。正当事由制度や継続賃料抑制主義は、広い面積や部屋数の多い借家の著しい
供給不足、借り手の回転の早いワンルーム借家市場の肥大化、戦前や諸外国と比べて
も異常な持ち家率の上昇など、土地・住宅市場に大きな歪みをもたらしている。現行
の借家権の保護を通じてかえって借家市場の縮小や持ち家市場の肥大化が生じている。
これは既得権益を持つ借家人は保護されるが、潜在的な需要者たる借家人は、市場の
不存在や賃料の高額化により、かえって劣悪な居住環境を強いられていることにほか
ならない。
特に、正当事由に関する判例によれば、立ち退き料の提供がなく正当事由が備わる
ことは例外的であり、立ち退き料には、移転料、借家権価格、代替物件確保費、営業
補償等すべてが含まれ得るが、その算定方式は個別性が強い。従って、具体的に正当
事由の有無や立ち退き料の金額について、当事者が予め予測できるような法則性を判
例から読みとることは困難である。
継続賃料の改訂ルールについても、あらかじめ改訂ルールを特約した場合で算定方
式が相当である限り有効とされるが、相当か否かは事後的な事情にも依存するため事
前の予測は困難である。他方、特約がない場合に裁判所が賃料を決定する場合には、
新規市場賃料よりもその水準を抑制すべきことを前提としているが、その金額を事前
に予測することもまた困難である。
従って、正当事由の具備の可能性やそのために支払わなければならない立ち退き料
などの対価は、借家契約終了時点で借り手がどの程度住宅等に困窮しているか、代替
物件を容易に見つけられそうかなどを予め知ることができない限り、予測することは
できない。そのような予測は実際上不可能であるにもかかわらず、貸し手になるため
には、借り手の生活や営業から派生する利益のうち、借家権の消滅により失われるす
べての利益に対して全責任を負う覚悟がなければならない。このような不確実性が貸
し手の供給意欲の大幅な減退を招いているのである。
これらの状況を踏まえれば、第一に、定期借家権を創設すべきである。今後は、新
規に設定する借家契約について、当事者の自由な合意により存続期間を定めることを
可能にしなければならない。従来型の正当事由制度の保護を受ける借家権の選択を認
めることを前提として、契約で定めた借家期間が終了すれば自動的に借家契約が切れ
る定期借家権制度を創設することが必要不可欠である。
第二に、継続賃料は新規賃料を基準に設定されるべきである。すなわち、継続賃料
の設定については、当事者の事前の合意がある場合にはそれを優先し、合意がない場
合に継続賃料を裁判所で決定する際の基準として、近傍の新規市場賃料を用いるべき
ことを立法により明記すべきである。
第三に、住宅福祉は公共が責任を負うべきである。定期借家権導入の結果、居住や
営業の場を失うことになる者で、自助努力によりこれに対応することができない弱者
に対しては、国や地方自治体による家賃補助政策、公営住宅への入居等の住宅福祉措
置の充実が必要である。
(2)都市再開発の促進のために借家権に関する緊急特例措置を
以上の議論は、新規に設定される借家権に関するものであるが、既存借家権につい
ても、その堅固な保護は木造賃貸住宅密集地区等の再開発を進めるうえで大きな隘路
になっている。このため、都心部等都市再開発の必要性が高い地区においては、既存
借家権を国や地方自治体による家賃補助、補償措置等の代償措置の下でこれを消滅さ
せることができるように、特例的立法措置を講じるべきである。
6.中古住宅市場における情報提供の充実
日本では、中古住宅市場が整備されていない。そのために、多くの人が住宅を一生
に一回の買い物と考えている。建売住宅よりも注文住宅が選好されるのも、住宅部品
や建築材料の標準化が進展せず、住宅建築費の費用削減が生じないのも、中古住宅市
場が未整備であることに一因がある。
中古住宅市場が整備されれば、将来の売却の可能性を考慮に入れて、住宅を購入す
る結果、標準的な仕様やデザインの家を求めることが合理的になる。なぜならば、標
準的な家屋は、最も高い中古価格で売却することができるからである。その結果、新
築住宅の市場でも、標準的な仕様の建売住宅が大きなシェアを占めるようになる。こ
れは注文住宅を減らし、建売住宅を増やすことになるとともに、建築部品の標準化に
よる費用削減をもたらすことになる。同時に、新築住宅の販売管理費(細かな仕様の
選択と注文に関する費用)の削減とコストダウンを可能にする。
中古住宅市場を整備するためには、中古住宅を客観的に評価して、品質についての
詳細情報を消費者に提供する仕組みが必要である。例えば、不動産業者にこのような
情報の提供義務と責任を負わせるという方法によって、これは可能になるであろう。
さらに、中古住宅の取引を阻害しないためには、第4節で述べた、住宅の売却を阻
害する現行の土地譲渡所得税の凍結効果防止対策や土地・建物の取引に課せられる不
動産取得税などの取引税の撤廃が必要である。
7.住宅政策における価格メカニズムの活用
(1)無限定な住宅への公的資金投入の抑制
住宅政策は、日本の戦後内政史上、一貫して重要課題とされ続けてきた。「居住水
準の向上」、「良質なストックの確保」といったスローガンが唱えられ、現在も政策
におけるこれらの目標は依然として存在している。しかし、住宅政策における住宅そ
のものの質が重視される反面、住宅の価格や家賃の決定メカニズムに歪みをもたらす
制度の存在については、ごく最近まで不当に軽視され続けてきた。
多くの政策場面では、「住宅取得能力の向上」によるこれらの目標達成が説かれ、
国や地方自治体の政策でも、低利融資や補助金の投入により「住宅取得能力の向上」
を図ることは善政であるとされてきた。
しかし、土地・住宅税制、都市計画・建築規制、借地借家法などがもたらす市場の
歪み・縮小を放置したまま公的資金の投入を増大させても、特に、地価の値上がり期
待が高く、農地の宅地化が進んだ大都市地域においては、土地所有者の売却意欲が小
さいために、土地供給が価格変化に対して地方ほどには敏感に反応せず、その有効性
は大きく低下する。すなわち、土地供給が住宅需要者に対する公的資金の支援による
土地需要の増大に見合うほど増大しなければ、その分地価が上昇し、結果的に、一般
納税者から住宅需要者を形式上経由して、地主や大都市農地所有者へ膨大な所得移転
を発生させてしまうのである。
住宅金融公庫持ち家融資や住宅取得促進税制などは、一見したところ誠に善政のよ
うにみえる。しかしこれらの政策は、投入する公的資金総量に比べ、目的達成そのも
のの効率性が著しく劣る政策であることを多くの人は気付いていない。消費者も住宅
供給者も実は真の受益者ではなく、真の受益者はこれらの政策によって地価上昇の利
益を受ける政策採用以前からの土地所有者なのである。
市場を歪めるさまざまな合理性を欠く規制を撤廃せず、第4節で提案したような土
地税制の改革を行わないまま、公的資金投入という納税者の負担でこれらの歪みを相
殺することは、非効率であるばかりか、分配の公平を損なうものである。住宅政策は、
住宅を取りまくあらゆる制度の歪みの評価・是正という観点から、再編成が求められ
ている。さまざまな規制や税制や補助金がもたらす歪みは、政府の失敗の産物である。
市場も失敗するが、政府の失敗も市場のそれに劣らず大きいのである。
さまざまな住宅都市関連補助金、住宅金融公庫融資、住宅取得促進税等は、市場の
失敗、なかんづく外部経済・不経済を根拠とするものに精選し、根拠の明らかでない
再分配措置は撤廃すべきである。
一方、住宅弱者に対する再分配措置としての公営住宅、家賃補助等については困窮
度に応じて分配するという原則を一層貫徹していくことが必要である。
(2)住宅・都市整備公団の市場補完機能への特化
戦後の住宅政策において、住宅・都市整備公団が果たしてきた役割は大きいが、現
時点では分譲住宅や分譲宅地事業の大部分は民間と競合しており、公団自身が実施す
る必然性が乏しくなってきている。賃貸住宅事業については、借地借家法の影響によ
る民間借家市場の低迷を補う意味で、公団の大規模借家の大量供給を評価することが
できるが、これもいわば借地借家法の歪みの相殺措置にほかならない。
今後は公団は、道路、公園、駐車場、下水道等のインフラを先行的に整備すること
や、低層住宅密集市街地等の都市再開発事業におけるノウハウや技術力の提供等に事
業の主力をシフトさせ、市場補完機能への特化を図っていくべきである。
(3)交通等の公共インフラへの混雑料金制導入
第3節(1)で述べたように、容積率規制がもたらす大きな歪みを除去するために
は 、特に道路、鉄道を中心としたインフラの利用に対しては、混雑料金制による価
格メカニズムの活用が有効である。現在は通勤手当を非課税とし、通勤及び通学定期
を大幅に割り引く等の措置により、朝夕の最も混雑する時間帯の乗客に対して一層の
混雑乗車を促進するという反対のインセンティブを与えている。また、首都高速道路、
阪神高速道路、高速自動車国道などでの、季節、時間帯、混雑の如何を問わず料金を
均一にする制度は、道路利用を平準化するインセンティブを運転者に対して与えず、
混雑を促進している。
今後は、鉄道や高速道路におけるピークロードプライシング(時間差料金制)等混
雑料金制を導入する必要がある。なお、一般道においても電子装置を利用した課徴金
システム等技術進歩の活用により混雑料金制の導入は可能であり、大都市を中心とし
て検討すべきである。
8.土地収用の適正化
低層住宅密集市街地のように、震災が起こったときにきわめて危険な地域は、早急
に再開発し、安全で環境のよい街区に作り替える必要がある。密集市街地の住宅は、
その住居を利用している本人だけでなく、他の周辺居住者にも危険な環境を作り出し
ている。この意味で、密集地における低層住宅の居住者は、負の外部経済をもたらし
ている。
従って、個々の居住者が、自らの土地利用から生じる危険を認識したうえで土地利
用を決めても、危険を最適な水準にコントロールすることはできない。危険に対する
配慮は必ず過小になってしまう。これは他人に及ぼす危険を考慮しないからである。
従って、「私は危険を十分に考慮して、ここに住んでいるのだから、余計な事は言わ
ないで欲しい」というような主張は妥当ではない。このような地域での土地利用には、
大きな公共性がある点を認識しなければならない。
土地収用法、都市再開発法、土地区画整理事業等による広義の収用権限は、多くの
場合伝家の宝刀とされ、都市開発事業は、実際上全員合意に近い形で運用されること
が多い。政府の失敗をもたらす膨大な規制や公的な資金投入を合理的なものに改変す
るとともに、外部性など市場の失敗がもたらされる領域では、適切に公的な介入がな
されることが必要である。土地の有効利用のためには市場機構を極力活用すべきであ
るが、これが十分に機能するためには、担保としての収用権限が適時適切に発動され
なければならない。現在の再開発プロジェクトの進め方の多くは、このような担保措
置を発動しない事を前提として、ひたすら長期間にわたって、説得のために人員と金
銭を投入し続けている。
この理由としては、インフラの整備や住宅開発プロジェクトの実施に際しての最終
的な計画実現に関する担保措置が用意されていないことが大きな要因となっている。
しかし、このような土地収用に際しては、幅広い市民参加と十分な情報の開示、さら
に市民に対する周到な事業の説明が前提とされることは言うまでもない。土地収用に
対して強い抵抗感が在るのは、時間をかけた事前の交渉と十分な情報の開示がなく、
一方的に収用決定だけが市民に通知されるというような民主的な手続きを欠いた方法
が支配的だったからである。市民を含めて、事業の必要性と公共性を十分に検討する
ことが必要である。このような民主的な話し合いに基づいた、土地収用権限の行使は、
多くの人々に受容されるものであろう。
特に、公共財であるインフラ等に関する収用権限が適切に発動されることは、さま
ざまな無益有害な規制の撤廃とともに、車の両輪の関係になる。また、都市防災性向
上の観点からは、緊急避難・輸送道路や広域迂回路となる幹線道路ネットワーク、広
域防災拠点となる都市公園、電力・ガス・水道等ライフライン確保のための設備の整
備、災害に対して最も脆弱な木造密集市街地の土地区画整理による解消等は、我が国
の都市にとって緊急の課題であり、「安全・安心」という最も公共性のある都市づく
りを強力に推進していく必要がある。
このため、市民参加等による民主的手続きにより地域住民の総意として策定された
都市計画に従い、都市計画事業の認可がなされた道路等のインフラ整備事業について
は、速やかに土地収用手続きを取るべく運用の改善が必要である。
また、およそ収用適格事業については、事業計画の即地的確定後速やかに土地収用
法による事業の認定を得ることが適切である。これは、1967年(昭和42年)の土地
収用法改正による事業認定時の価格固定措置を導入した際に想定されていた運用であ
るが、近年では実際上大部分の地権者の合意を得た後で、伝家の宝刀的に事業認定が
なされる運用が定着してしまっている。事業の認定そのものは公益性の宣言手続きで
もあって、土地収用の裁決そのものとは切り離して、独立に早期に手続きを終えるべ
きである。これは、開発利益の帰属の適正化にも資することになる。
また今後は、権利変換方式のみならず、住宅・都市整備公団等の公的デベロッパー
による全面買収方式の都市再開発も促進すべきである。いったん複雑な権利関係をク
リアーすることができ、従後の土地や建物の処分形態にも自由度の高い全面買収方式
は、木造賃貸住宅密集地区の再開発等に当たって、もっと活用されて然るべきである。
また、土地収用法による一団地50戸の住宅経営等の収用権を背景とした再開発の実
施も考慮されるべきである。
さらに、民間デベロッパーによる事業であっても、たとえば関係権利者の80パー
セント以上が事業施行に賛成している場合等の一定の条件を満たす場合には、事業施
行のために収用権限が発動できるようにするという立法措置を検討することが必要で
ある。
なお、権利変換方式、全面買収方式のいずれであっても、またこれらが任意による
と強制によるかを問わず、再開発にあたっての権利調整のルールや最終的な権利関係
の確定は、行政法規の規律によることにし、これらを行政事件訴訟法による取消訴訟
の排他的管轄の下に置くことが、法的安定性の見地から適切である。民事的手法の積
み重ねは、権利関係の終局的確定の可能性が小さく、これを前提として取引しようと
しても事前予測性に乏しいため、関係者の信頼を得ることはきわめて困難である。行
政処分として立法しておくことにより、従後の取引の安定性を増大させる事ができ、
再開発における民間活力の導入が促進されることになるであろう。ただし、この場合
でも、行政裁量や裁判所の裁量が極力混入する事がないように、事前に結果を明確に
予見できるような要件をそろえておくことが必要不可欠である。
現行のいわゆるマンション法は、阪神・淡路大震災復興にあたっての適用の困難が
示しているように、民事的処理を前提とし、要件についても最終的に裁判所の認定に
委ねる部分が多く、建て替え決議の実効性にも不安が残るものになっている。マンシ
ョン法についても、手続きの実質的な担保のために、行政処分を立法により介在させ
ることにすれば、法的安定性が増大し、土地の有効利用に寄与するであろう。
9.生産緑地制度の見直し
1991年度(平成3年度)の税制改正により、長期営農継続農地制度が廃止され、
新しい生産緑地制度が発足した。しかし、この制度の運用実績によれば、農地所有者
は希望すれば一定の要件を満たす限り生産緑地の指定を受けることができ、指定を受
ければ宅地並みの固定資産税が免除されるだけでなく、相続税もほとんどかからない。
土地の有効利用の必要性がきわめて強い環七通りの内側のような都心部に生産緑地
が無秩序に混在することは、良好な環境に寄与しないばかりか、土地の有効利用を大
きく妨げる要因になる。
従って、このような都心部周辺の生産緑地については制度の根本的な見直しを図り、
緑地とすべき所は土地の固定資産税・都市計画税や土地譲渡所得税などの土地関連税
を財源として公部門が買収して、積極的に公園化し、それ以外の生産緑地については
宅地と一体化して区画整理等による都市開発を進めるべきである。
10.地方自治体の関与は法治主義で
現在、なお宅地開発やマンション開発に際しては、根拠の明らかでない負担金や施
設の提供義務等が、地方自治体の要綱の形態で法的根拠なく存在し、開発の抑制要因
になっている。日本は法治国家のはずであるから、国法によらず、条例化もできない
要綱はすべて撤廃すべきである。
仮に、このような指導要綱が条例化に馴染むとしても、現在の細分化された自治体
の単位の中で、果たして住宅・土地問題に関する完結した政策が実施できるかについ
ては疑問があり、中長期的には、経済社会の実態に即した単位で土地・住宅政策を講
じる事ができるよう、各自治体が連携し広域的単位での地域土地・住宅政策の策定が
必要である。
例えば、東京周辺の自治体において住宅開発に対して抑制的な行政指導が存在する
のは、当該単独自治体区域内の住宅居住者の住民税や固定資産税のみによっては十分
にインフラ整備等に必要な財源を調達する事ができないからである。土地・住宅政策
の広域化・連携化は、住宅を負担発生源とみなす理由を消滅させることになる。