第8回経済審議会地域経済・社会資本部会議事録

時: 平成11年6月23日

所: 共用第2特別会議室(407号室)

経済企画庁

経済審議会地域経済・社会資本部会(第8回)議事次第

日時 平成11年6月23日(水) 15:00~17:00

場所 共用第2特別会議室(407号室)  

  1. 開会
  2. 地域経済・社会資本部会報告について
  3. 閉会

(配付資料)

資料1 経済審議会 地域経済・社会資本部会 委員名簿

資料2 経済審議会 地域経済・社会資本部会報告書(案)

資料3 「経済社会のあるべき姿と政策方針」(素案)

資料4 「経済社会のあるべき姿と政策方針」に関する意見募集等の結果

経済審議会地域経済・社会資本部会委員名簿

部会長

森地 茂
東京大学大学院工学系研究科教授

部会長代理

安土 敏
サミット(株)代表取締役社長
企業小説家

石川 嘉延
静岡県知事

井上 繁
(株)日本経済新聞社論説委員

北村 浩子
(株)キンスイインターナショナルリゾート代表取締役

小林 重敬
横浜国立大学工学部教授

坂本 多旦
(有)船方総合農場代表取締役会長
全国農業法人協会会長

生源寺 眞一
東京大学大学院農学生命科学研究科教授

戸所 隆
高崎経済大学地域政策学部教授

中邨 秀雄
吉本興業(株)代表取締役社長

長谷川 逸子
長谷川逸子建築計画工房(株)代表取締役

林 淳司
川崎重工業(株)取締役副会長

溝口 薫平
(株)由布院玉の湯代表取締役社長

宮脇 淳
北海道大学大学院法学研究科教授


〔部会長〕

 ただいまから、第8回の地域経済・社会資本部会を開催させていただきます。

 本日は、ご多用中のところ、遠路ご出席いただきまして、誠にありがとうございます。

 本日は、前回のご議論等を踏まえて、事務局で修正していただいた部会報告書について、そして、企画部会で議論をしております「経済社会のあるべき姿と政策方針」素案の序章についての2つの議題につきまして、ご議論いただきたいと思います。

 なお、これまでと同様、本日お諮りする資料につきましても、最終的な報告書の公表と同時に公開することとさせていただきます。

 それでは、報告書(案)について、事務局よりご説明いただきます。また、併せて、企画部会で議論をしております「経済社会のあるべき姿と政策方針」の素案及び「経済社会のあるべき姿と政策方針」に関する意見募集等の結果についても紹介していただきたいと思います。

〔事務局〕

 最初に、資料2をご覧いただきたいと存じます。「地域経済・社会資本部会報告書(案)」でございまして、前回ご議論いただいた案につきまして、前回の皆様方のご議論、その後、各省庁から意見をいただいております。それを踏まえて所要の修正を行ったものでございまして、主な修正箇所にアンダーラインを付してございますので、そこを中心にご説明させていただきます。

 2ページから、第1章「21世紀の地域社会のあり方」がございますが、3「21世紀のあるべき地域社会とそのかたち」、いわば総論部分のところで、4ページをお開きいただきたいと存じますが、(2)「地方都市」の記述の最後のところ、「国際競争力をも備えた地域独自の突出した機能を創出し」云々ということで、国際競争力については、この上に書いてあります大都市の特色ある機能として強調していまして、一方、地方都市では突出した機能を創出すべき、こういう脈略なわけですが、地方都市においても国際競争力をも備えるべき、こういうご意見を反映したものでございます。

 その下、(3)「中山間地域等」については、最後の「また」以下のパラグラフを追加してございます。すなわち、「中山間地域等以外の農山漁村地域についても」、「食料等の供給を担うとともに」、「多面的機能を発揮していることから、今後とも必要な施策を適切かつ効率的に展開」するということで、中山間地域以外の平地部の農山漁村における施策についても簡単に触れた、こういう位置づけをいたしました。

 5ページ、4「あるべき地域社会を支えるネットワーク・フットワーク」ですが、一番下のところ、国際拠点と、アクセスとなる高度なネットワークにしか言及してございませんでしたが、「地域を相互に連携する地域間ネットワーク」を追加して書いてございます。

 6ページ、5「首都機能移転の検討」では、最初のところは、移転先に新しく建設された都市ということで、新首都というのを避けたものでございます。

 その下の2カ所については、部会でいろいろご議論いただいたわけですが、対面慣習そのものが悪・非効率であるかのように書いてございましたが、改めまして、その行き過ぎが、多数の儀礼的な集まりなど必要以上に人と会うという非効率をもたらす、あるいは行き過ぎを是正した効率的な慣習と、行き過ぎを問題にする記述に変えてございます。

 7ページから、第2章「大都市のあるべき姿」がございます。ここでは、8ページ、(1)「ゆとりの『空間』」の中で、②「教育・文化・娯楽・スポーツ空間のゆとり」で、「スポーツ空間」をまず追加してございます。それから、記述内容についても、「文化、芸術やスポーツを通した人と人との結び付きは、新しいコミュニティの形成に繋がるものであり、ゆとりある文化・娯楽・スポーツ空間の創出は重要である」。その管理・運営についても、地域住民が主体となる、あるいは必要な人材確保、企画の充実といったソフト面の充実で文化施設において魅力的な運営を行う。本部会でのご議論を反映して記述を充実してございます。

 10ページの一番下、ウ「民間事業者に対する資金面での公的支援と不動産の証券化の促進」ですが、不動産の証券化促進策として、SPC法の税のことのみ記述してございましたが、ここにありますように、「資産流動化に関する制度に関し、多様な投資商品の提供を促進するため、その改善について検討を進める。」という記述を追加してございます。

 11ページ、エ「都市中心部における住宅や福祉施設の整備」ということで、認可保育所と特別養護老人ホームのところを、民間企業の参入を促進する、とごく簡単に書いてございましたが、現在の政府の方針に即して正確な記述に変えてございます。認可保育所について、民間企業等の参入を認めるよう見直す。さらに、特別養護老人ホームについては今後、さらに検討するということでございます。

 13ページから、第3章「地方都市のあるべき姿」でございます。2「自立的発展を支える独自の産業・文化を持つ地域づくり」の柱書きの部分ですが、「基礎的な都市機能の高度化を図りつつ、突出した機能としての」云々ということで、基礎的な機能こそが大事で、その中から突出する機能が生まれてくるのである、というご意見を踏まえて、「基礎的な都市機能の高度化を図りつつ」を挿入してございます。

 一番下に、ア「中心市街地の活性化による商業基盤の確立」、これについては14ページになりますが、まず、「商店街の新陳代謝の促進や組織力強化のための方策について検討を行う」という記述を追加してございます。それから、「また」以下のパラグラフについては、従前の案では、この次にイとして、郊外型大型店舗のことを記述してございました。これは上のアの中心市街地の活性化と矛盾する施策で、矛盾するものが並んでいるというご指摘、ご批判がございました。しかし、そうは言っても、現実には新たな商業集積の形成もなされているわけですので、「また、新たに商業集積の形成がなされる場合においても」云々ということで、その場合の留意事項的な記述に変えてございます。

 16ページにとびますが、①「基礎的な都市的生活機能の確保」、ここでは地方都市でもコンパクト化は重要な施策であるというご意見を踏まえて、「諸機能のコンパクトな集積を図り、少子高齢社会にふさわしい」云々という部分を挿入してございます。

 17ページから、第4章「中山間地域等のあるべき姿」でございます。1「あるべき機能と今後の戦略的施策」では、「農林漁業活動が行われることにより生ずる多面的機能」ということで、多面的機能は、農林漁業活動によって付随的に生ずるものであるということを注記してございます。

 19ページにまいりまして、②「新たな産業の創造」のイ「地域資源等に着目した新たな産業の展開」ですが、バイオマス発電、これはわかりにくいということで、「木材等の生物資源を活用した発電」という解説を加えてございます。

 20ページ、(3)「生活支持機能の確保」ですが、これは前回案では、都市的な生活機能という言葉づかいをしておりました。中山間地域で都市的生活機能というのはいかがなものかというご意見を踏まえまして、中山間地域における脈絡で使われるときには、「生活支持機能」という言葉づかいに変えてございます。

 (4)「集落の再編整備等と多面的機能に対する国民意識の醸成等」と①「集落の再編整備等による集落機能の強化」で、「集落の再編整備」にアンダーラインがありますが、ここは「集落機能の強化」というのを見出しにしておりましたが、施策としては、むしろ集落の再編整備が重要なので、これを強調する書き方に変えたものでございます。

 21ページ、②「多面的機能に対する国民意識の醸成とその発揮に向けた取組み」の中で、まず、「多面的機能の定量的評価方法の検討」ということで、「国民意識醸成のために定量的な評価を行う」というのを加えてございます。

 それから、中ほどに直接支払い制度の記述がありますけれども、この場合に、「地域資源の維持管理を行うことを促進する観点から」、農業者だけではなくて、第三セクターなども対象として認めていくことが必要と、直接支払いの対象に第三セクターを加えるべきという記述を追加してございます。

 最後のところですが、「下流域が基金を造成する等の費用負担により上流域の森林を整備する等」ということで、上下流連携の取組みも追加で記述してございます。

 23ページから、第5章「21世紀型社会資本整備」でございます。25ページの③「国際競争力強化のための基盤整備」で、イ「快適な生活基盤の整備」のところでは、道路番号の整理について、外国人向けの施策だけではなくて、「利便性の向上を通じて地域間の交流の促進に資する」という文章を追加してございます。

 28ページ、(2)「時間管理概念の導入」のところで、「土地については、公共の福祉を優先させるという土地基本法の理念の下に、事業を円滑に実施するために、必要に応じて、土地収用制度の積極的活用を図る」と、本部会での意見を反映して追加してございます。

 29ページ、④「社会資本の状況の把握」ですが、ここは、「貸借対照表の作成など企業会計的要素を導入する」と断言してございましたが、なお検討すべき課題もあるようで、諸外国で「導入が試みられていることにかんがみ、我が国においても社会資本等資産と負債をどのように示すことができるのかに関し、企業活動に比較的近い活動を行っている公的企業をはじめとして、検討を進めていく。」という表現にさせていただいております。

 31ページから、第6章「地域経営システム」でございます。2「地域の自己決定能力の向上」、(1)「国庫補助負担金の整理・合理化と統合補助金の創設」、(2)「地方公共団体の課税自主権の尊重と地方税の充実確保」、比較的あっさりとした記述をしてございましたが、現在の地方分権推進計画の内容に即して、より正確な記述にしてございます。

 (3)「地方債発行に際しての環境整備」、これは協議制度への移行に伴って、発行条件の改善とか、市場規律の導入を図る観点から、こういう環境整備を図るとしてございます。

 Pと書いてございますのは、各省との調整がまだ了していないということで、異論が出ている部分でございます。

 32ページ、(4)「地方交付税制度の見直し」、交付税制度についても、自主財源の拡充に伴った規模の削減等も含めて検討を行うとしてございますが、ここもなお未調整の箇所として残っております。

 4「住民参加の拡充」では、「住民、企業の自発的な寄付行為等を通じた地域づくりへの多様な関与の途を開く」、あるいは住民間の利害調整に関して「高い識見を有する専門家による調停や住民投票のあり方も含め、調整の手法について幅広い検討が求められる」、これは追加で書いてございます。

 33ページ、5「21世紀の地域コミュニティ」は、前回、全然記述がございませんでした。そのときに、大臣からも、このような検討を皆様方にお願いした部分でありますが、そのときのご議論を踏まえて、このように書いてございます。簡単にご説明しますと、個人の帰属先となるコミュニティは、近代以前は、血縁、地縁が代表的なもので、そこには様々な機能があった。

 その後、産業が発展して行く中で「会社中心主義、いわば職縁によるコミュニティが台頭してきて、個人の生活が会社中心的になり、地縁によるコミュニティの機能は衰退していった。

 しかし、今後は、コミュニティのあり方についても、個人の意思や選択が最大限に尊重され、自己実現が可能となるような新たな姿が求められている。文化活動とか娯楽活動、あるいはスポーツに見られるような、趣味、志の縁により緩やかに結合し、かつ開放性の高い、新しいタイプのコミュニティが重要になってくる。

 また、従来の地域コミュニティが有していた防災等の機能については、今や自然発生的に醸成されるのを待つのは難しい。むしろ、積極的に、「自主防災組織」の育成、強化が必要である。

 したがって、21世紀においては、個人は、自己実現を図るために、単一のコミュニティに全人格的に帰属するのではなく、従来からの家族、地域、会社に加えて、文化サークル、娯楽サークル等、地域を超えた多様な複数のコミュニティに様々な形で関与する。いずれの地域社会でも、こうした多様なコミュニティが重層的に存在して、その中で、幅広く、ゆるやかな人間関係が形成されるのではないか。 このような文章を追加してございます。

 あわせて、資料3をご覧いただきたいと存じます。「経済社会のあるべき姿と政策方針」(素案)ということで、企画部会で検討が進められているもので、最終的には、経済審議会の総会にお図りして、総理に答申がなされるものであります。

 序章「知恵の時代へ」の部分については、別途の議題としてご議論いただきたいと考えておりまして、ここでの説明は省かせていただきます。

 構成は、次のページからですが、3部構成になっておりまして、第1部が「『経済社会のあるべき姿と経済新生の政策方針』策定の意義」、第1章「戦後の経済発展と歴史的大転換」、第2章「『あるべき姿』を選択する必要性」、第3章「『経済社会のあるべき姿と経済新生の政策方針』の基本的役割とその実行」。第2部が「経済社会のあるべき姿」、第1章「多様な知恵の社会」、第2章「少子・高齢社会、人口減少社会への備え」、第3章「環境との調和」、第4章「世界における位置づけ」、第5章「政府の役割と新しい『公』の概念」。第3部が「経済新生の政策方針」ということで、第2部の「経済社会のあるべき姿」に対応して政策方針が書かれてございます。第1章「多様な知恵の社会の形成」、第2章「少子・高齢社会、人口減少社会への備え」、第3章「環境との調和」、第4章「世界秩序への取り組み」、第5章「政府の役割」、第6章「回復軌道に向けての政策課題と新しい成長の姿」ということで、足元の話から入ってございます。

 最後に、(参考)として「2010年の国民生活」を示してございます。

 それでは、序章は別途ですので、12ページから第1部が始まっておりますので、12ページをお開きいただきます。第1部の「策定の意義」のところで、第1章では、「戦後の経済発展と歴史的大転換」、第1節では「戦後の日本の市場システム」を概観してございます。

 第2節が「歴史的転換の内容」ということで、従来から議論されていますが、1「多様な知恵の時代への移行」、2「少子高齢化の進展と減少に転ずる人口」、3「グローバル化」、4「環境、食料、資源・エネルギー問題による制約の高まり」でございます。

 14ページの第2章が「『あるべき姿』を選択する必要性」で、3つ目のパラグラフになりますけれども、「大きな選択を行う場合、その結果実現されるであろう姿と手段が明確に示されていることが極めて重要である」。「第二部で示す『あるべき姿』は21世紀へ向けて我々が選択すべき方向性と、その結果として実現されるであろう経済社会の姿を描いたものである。また、第三部において、それを達成するための政策方針を示している。」という構成の考え方を示してございます。

 第3章では「『経済社会のあるべき姿と経済新生の政策方針』の基本的役割とその実行」が書いてございます。

 16ページからが第2部の「経済社会のあるべき姿」でありまして、以下では、当部会と関連した部分を中心にご紹介したいと思います。

 第1章の「多様な知恵の社会」の中では、18ページの第4節に「多様性のある国土」とありまして、この総論部分と、1「大都市における国際競争力のある都市機能」、2「地方都市の個性的・自立的発展の源泉となる突出機能」、3「中山間地域等の多面的機能」、これが当部会の第1章を要約したものと同じ内容となってございます。

 27ページまでとんでいただきますが、ここから第3部の「経済新生の政策方針」に入るわけですが、ここでも、第1章の「多様な知恵の社会の形成」の中で、31ページの下になりますけれども、第3節「多様な知恵の社会における地域経済と社会資本」、1「『小さな大都市』構想」、次のページの2「独自の産業・文化を持つ地域づくり」、3の「中山間地域等の活性化」は、当部会報告で言えば、2章から4章までのそれぞれの地域の戦略的施策を要約したものがはめ込まれてございます。33ページ、4の「多様な知恵の社会を支える社会資本整備」は、第5章の社会資本整備に該当する部分からの要約でございます。

 一番下、第4節「首都機能移転の検討」、こちらも当部会での第1章にある首都機能移転の記述と同一内容となってございます。

 34ページ、第2章「少子・高齢社会、人口減少社会への備え」につきましては、36ページになりますが、第3節に「少子・高齢社会における街づくり」がございまして、1「歩いて暮らせる街づくり」、2「少子・高齢社会にふさわしい社会資本」が当部会での検討内容と同一のものとなってございます。

 38ページから、第3章の「環境との調和」がございます。この中では、40ページをご覧いただきますと、第2節として「地球温暖化問題をはじめとする地球環境問題への対応」があって、2「国内的な取り組み」の中のイの交通体系の話、それから、41ページの第3節「環境にやさしい安全な持続的発展社会を支える社会資本」、これらが当部会の社会資本整備の該当部分の要約となってございます。

 45ページの一番下に、第5章「政府の役割」がございます。46ページに、第1節「行政の効率化と財政再建」とあります。1「組織の簡素化と事業効率の向上」の中で、第2パラグラフですが、総合的な事業評価を充実とか、時間管理概念の導入、さらにはPFIの推進に関することにつきましても、当部会の社会資本整備・運営システムの中で議論していただいたところが入ってございます。

 49ページの第2節「地方の自立」でございますが、1「地方分権の推進と地方の自己決定能力の向上」、50ページ、2「行政の広域化の推進」、3「住民参加の拡充」、これにつきましては当部会の報告の第6章「地域経営システム」と同じ内容になっております。

 55ページが、先ほど目次のところでもご紹介いたしましたが、以下は(参考)になりますが、「(参考)2010年の経済社会」ということで、「あるべき姿」をできるだけわかりやすく、なおかつ具体的にイメージがわくように書き下してみたものであります。

 第1章「経済の展望」ということで、成長率とか、物価とか、失業率の数値が入ってきますが、56ページの第2章からは「国民生活の姿」を描いてございます。この中では、61ページに、第4節「家族、地域、コミュニティ」という節がございまして、1「家族の絆の強まり」から始まっておりますが、2「歩いて暮らせる街づくり」、63ページになりますが、3「中山間地域等のコミュニティ」ということで、当部会の提言内容に関して、よりわかりやすく具体的な描写を2010年の姿として試みたものが書いてございます。

 以上、企画部会での「経済社会のあるべき姿と政策方針」における位置づけをご紹介させていただきました。

 次に、資料4-1~資料4-3までございますが、資料4-1の1枚目をご覧いただきたいと思います。今回の「あるべき姿」の策定にあたりましては、様々な方法で、全国にわたって広く国民の生の声を聞く。さらには、海外からも意見を求める、こういう試みをやってございます。その結果、約・5,000件の意見を受け付けてございます。

 1つの手段が「インターネット、FAX 等での意見募集」ということで、これについては約・300件ございました。2つ目は、「各国有識者からのヒアリング、意見募集等」を行ってございます。3つ目は、「地方シンポジウムの開催」、これは皆様方にもご協力いただいて、全国9カ所で開催しましたが、その際に、来場者からアンケートという形で、約・1,000件の意見をいただいてございます。4つ目は、「経済企画庁の物価モニター制度を活用したアンケート調査」、これは・3,600人を対象に実施しております。5つ目が、「シンクタンクへの短期集中委託調査」、これは4月に発表してございまして、本部会においても、街づくり関連のものをご紹介させていただいたところであります。

 以下に、意見募集の方法、意見の内容を、簡単にまとめたものがございます。

 資料4-2は、「『経済社会のあるべき姿』を考えるにあたって」についての国民からの意見について、いろいろ集めたものであります。

 資料4-3は、シンポジウムの実施結果を集めた資料でございますので、ご覧いただければと思います。

 事務局からの説明は以上でございます。

〔部会長〕

 どうもありがとうございました。それでは、報告書(案)につきまして、ご議論いただきたいと思います。

〔A委員〕

 中身ではなくて、形式的なことで恐縮です。1つは、この部会の審議は今日が最後ですね。

〔部会長〕

 はい。

〔A委員〕

 もう一つは、資料3が、要するに経済審議会の最終的なレポートとして発表されるということですが、地域経済・社会資本部会報告書について、これの取扱いはどうなるのでしょうか。

〔事務局〕

 これは後ほどご説明させていただく予定でしたが、各部会報告もそれぞれ、本日の議論を踏まえて、さらに部会長にご一任いただいてとりまとめたものを、6月末頃には公表したいと思っております。

〔A委員〕

 資料3と同時に。

〔事務局〕

 資料3は、7月の上旬になろうかと思います。

〔A委員〕

 どっちが先ですか。

〔事務局〕

 各部会報告が先です。

〔A委員〕

 その後、全体のもの、そういう段取りになるのですね。

〔事務局〕

 そうでございます。

〔A委員〕

 わかりました。

〔B委員〕

 最後ということで、もう特段に部会の報告書について個別的に申し上げることはないと思っております。非常に多様な皆さんの意見を、かなり吸収しておられると思うし、私も、土地利用計画の問題ですとか、農林業も含めてビジネスの自由化ということをかなり申し上げて、そのようなことが含まれていると思いますので、ありがたいと思っております。

 今日加わった、中山間地域等以外の農林水産業についても、据わりがなかなか難しいと思うんですけれども、今、特に農業につきましては、全般的な農政改革が進んでおりますし、ある意味では、それにエールを送るという意味で、適切な記述になっているのではないかと思います。

 それから、全体としてこの部会の報告で何がセールスポイントかということは、以前から、部会長はじめ、かなり意を用いておられたかと思います。個々にはいろいろあるのだと思いますけれども、私自身は、そもそも大都市、地方都市、中山間地域等という形で分けて、それぞれにリソースの得意な分野といいますか、振興に当たっての法体系も違っているわけですし、また抱えている問題もずいぶん違うということで、それぞれに個性のある地域社会あるいは経済社会のあり方を描き出すという意味では、こういう形で3つに分けて、それぞれに議論を深めたということ自体が、この部会としての1つのセールスポイントになるのではないかと思っております。その意味で、こういった報告書になったことについて、大変嬉しく思っております。

 そういう意味で、報告書についてはこういったことでよろしいかと思います。

 「あるべき姿と政策方針」については、企画部会で議論されるということでございますけれども、ぜひ、この部会での報告書の内容のエッセンスが適切に盛り込まれることになるように、願ってやまないというところでございます。

〔C委員〕

 感想ということで。私もいろいろ申し上げさせていただいた点、整理していただいて、この報告書として今回はうまくまとまっているのではないか、こういうふうに今日見させていただきました。

 なお、今お話がありましたように、大都市、地方都市、中山間地域等という分け方でみたということ、これは非常にいいことだと思うのですが、もう一方で、これは今回どうこうということではなくて、今まで私が関わった中でも難しいことですが、大きく日本を見たときに、東日本・西日本、経済社会でいろいろな政策を受け入れる方の立場から言うと、かなり文化的な違い、あるいは今までの歴史的な形成によって、同じ政策が出てきても受ける側がかなり違ってくるわけです。その辺をどのように評価しながら、また政策を打っていくかということが課題かなということは感じます。

 これは今回すぐにどうこうということは非常に難しいと私自身は認識しているのですが、感想ということでお話しさせていただきますと、今後の課題というようなところで、そういう問題もあるかなと思っております。

〔部会長〕

 この報告書は、記者発表して、霞が関の中ではそれぞれ行き渡るでしょうが、地方自治体にはどういう格好になるのですか。

〔事務局〕

 地方自治体へのことは、まだ具体的には考えておりませんでしたけれども、何らかの形で行き渡るようなことは、各部会もそうですし、経済審議会の答申そのものも同じ扱いにあろうかと思いますが、考えていきたいと思います。インターネットとか、そういった形の公表もございますし……。

〔部会長〕

 書いている中身は、地方の人たちが努力していただかなければいけないことが多いのです。ところが、全総を作ったときにアンケート調査を国土庁がされたら、7割か8割はそんなものは知らないと言っておられるのではないか、というような結果が来て、「参加と連携」とは一体何だったのだろうと、こういうことを思ったのです。

 どうやって行き渡らせればいいのか、わかりませんが、何かうまい方法をお考えいただけるとありがたいと思います。

〔D委員〕

 初歩的な質問かもしれませんが、中山間地域等という呼び名が、何となくずっと気になってきたのですけれども、これからは、この大きく3つに分けた1つとして活字になって出てくるようなことが多くなるのでしょうか。

〔事務局〕

 中山間地域等という言葉自体は、全総とか、現在の経済計画でも使われてはいるわけです。大都市、地方都市、それから中山間地域等を含む農山漁村という言い方であったり、全総では多自然型居住地域ということで、中山間地域等を含む農山漁村と、核となる中小都市があるということで使われてはいるのですが、今回は、大都市、地方都市、中山間地域等ということでかなり目立つような形で取り上げておりますので、おっしゃるようなことにもなっていくのかなとは思いますけれども。

〔D委員〕

 それで、4ページの下の部分を見ましたときに、「中山間地域等以外でも」となっているから、では、農山漁村はこの中に入らないのかなと初めは思っていて、今度は入るのかなと思ったり、また「以外」ということは……。

〔事務局〕

 中山間地域と言うときには、平地と山間地の中間地と、山間地を合わせて、これを中山間地域と言っております。また中山間地域等は、それ以外の離島とか、過疎地とか、非常に自然的条件等が不利な地域も含まれており、そういう意味で中山間地域等と言っているのです。そこでカバーできない部分としては、平地部の都市ではない農村が十分カバー仕切れていなかったので、そこに何も触れないのはいかがなものかということで、いわば平地部の農山漁村の話を、「また」以下で書き込んだ、こういう意味でございます。

〔D委員〕

 一般的にお聞きしてみると、中山間となると、今おっしゃった平地部の……ということなどが入らないと解釈されやすいのですけれども。

〔事務局〕

 そこはちょっと厳しいご質問ですけれども、皆様には中山間地域等についてご議論いただいたわけで、平地部の農村の話というのはメインテーマではなかったわけです。ある意味でメリハリを付ける意味でご議論いただいたわけです。ですけれども、カバーされていない平地部の農村の話もどこかで触れた方がいいだろうということで、おっしゃるように、中山間地域等の中には入らないのですけれども、(3)の中に、「また」という形で入れたということでご理解いただければと思います。

〔部会長〕

 「また」のところは、中山間地域等以外ですか、中山間地域以外ではなくて。

〔事務局〕

 中山間地域等以外です。

〔事務局〕

 説明がやや錯綜ぎみに受け取られたと思いますが、全国を100%、3つの地域に分けて考えるというのは非常に無理がありまして、日本全国、この土地は3つのいずれかにはまるかという分類をされると、そういう形で3つに分けるというのは非常に難しいということです。国土構造を考える上で、かなりの部分をカバーして特色のある地域を、それぞれ大きく3つ掴み出した。これが基本的な考え方であります。

 ですから、それが1つは大都市であり、1つは地方都市であり、1つは中山間地域等、こういうふうになっております。ですから、ほとんどの部分が、そういう意味ではカバーされているのではないかと思います。

 では、農村部はどうなるかというと、もちろん地方都市の非常に重要な産業として農村部を抱えているところもありますが、現実には、地方都市と言うには大きくなくて、町や村であって、条件不利地というほどでもなくて、そこは豊かな田園地域である場合があります。そこは、この3つのうちのどこでも読み切れないところがある。ただ、先ほど、B委員からもお話がありましたが、農山漁村、農林水産業というものが非常に重要な地域であり、食料供給ということを考えても重要な地域でありますので、そこは若干据わりは確かに悪いのですが、大きな記述をしておくことが必要ではないか。中山間地域等だけの農業に限ってやるというよりは、もう少し大きな農業全体としての考え方もあるので、それは1つ記述をしておいた方がわかりやすいだろうということで、若干据わりが悪いのですが、中山間地域等のところに、関連して記述をさせていただいた。こういうふうなことでこの文章を整理したところでございます。

〔部会長〕

 もう一回確認ですが、中山間地域等の「等」は、離島とかそういうところが入っている。中山間地域等以外は平地が入る、こういうことですね。

〔事務局〕

 そういうことです。

〔部会長〕

 なかなか難しいですが、そういうことのようです。よろしいでしょうか。

〔E委員〕

 感想というか、お礼と言うべきかわかりませんが、今まで、政府がこうして出されているものに対して、私自身があまりにも無関心であったということで、今回、こういうメンバーに加えていただいたことによって、よりその遠いものが身近なものになってきました。

 それから、この論議のプロセスを、こうしてお時間をいただいて、皆さんとともに学べたということは、私自身が地域の中でずっと生活して、それから地域の中でいろいろなものを引っ張ってきた一人として、これは大変ありがたく思いました。

 ただ、こういうふうな1つのものが市町村、特に町村の中でどう実際的に生かされていくか、その辺の市町村長さんの、レベルと言ったら変でございますが、その辺の温度差なり、また、そのレベルアップなり、そういうものに対してどう関心を向けさせるか、そして、その方たちが実際に地域の中でこのご提案をどう活かしていくかということの手だてをもう一つ何かこしらえてないと、ただ報告書だけで、実際にそれが動き始めて、それが力になり得るにはどうすればいいかなということ。

 それから、今まで市町村というのは、3割自治ではございませんけれども、指示待ちで、中央政府のいろいろな指示を待っていれば、どうにかその地域経営がなされていたということに慣らされておりますので、これから先、地域が自分たちで自立していくという1つの気構えなり、そういうふうなものを今後、第二弾としてぜひ何かお示しなり、その辺の方向づけをやっていただければと思っております。

 今回、インターネットそのほか、いろいろなものを通して幅広くこういうご意見を吸い上げられたということに対して、大変敬意を表するとともに、すばらしいことだと思います。また、いろいろな面で、本当に勉強させていただきました、ありがとうございました。

〔F委員〕

 私は、宮城県のシンポジウムに参加させていただいて、そこで、宮城県の地方自治体の長の方のお話を伺うチャンスがあって、ある意味でショックを受けたことがあるのです。それは、要は社会資本については、今の公共投資中心のやり方のようなことは、確かにそれ自体は問題であるかもしれないけれども、それがないと地方自治体は生きていけないのだ、一言で言えば。そういう厳しい現場の意見のようなものが出てきました。

 いろいろなことをおっしゃっていましたけれども、また、いろいろな市長さんや町長さんがおっしゃってましたけれども、要は、Uターンして来る人は高齢者、若者は都市へ出て行く。そして、離農した人たちの雇用の場がない。工場を誘致するというようなこと、産業を誘致するようなことしか方法がないのだけれども、それもなかなか来てくれない。そうなると、道を造ったり、何かしてくれる以外には、雇用の場がない。それに対して、公共投資のばらまきのような社会資本のやり方は問題だという意見があるのはわかるけれども、それは、東京という日本の中心部分で、まさに一極集中の中心部分に東京の人が集まって決めていることであって、そういう状況の中では、我々地方都市は生きていけない。その辺について十分ご配慮いただきたいというような意見があったのです。これは一人ならず、そういうお話があって、そうだろうなと私は思いました。

 そのシンポジウムでも、意味が通じたかどうかわかりませんが、要は、人口があまりにも東京一極に集中したために、過疎状態になってくる。過疎状態になってくると、人がいなければ、商業も、何も育たない。つまり、人口がいなくなることによって、もはや、その地に、人間にとって魅力あるものができてくる栄養がなくなってしまう。いわば草原が枯れてしまうという状態になる。

 そういう状態をそのままにしておいて、公共投資、23ページに書いてあるのは、全くそのとおりだと思うのですが、「これまでの単なる設備整備としての『公共投資』から利用者の視点に立った『公共サービスの提供』へと改めるとともに、社会資本整備に施設建設後の『運営』あるいは『経営』要素を含める」云々。あるいは、その他のところにも同種のことが書いてあるわけです。これはこのとおりだと思うのですけれども、では、現実に過疎になってしまった地方都市や、さらに中山間地域はどう生きていったらいいのだという問題があって、その問題を本当に解決しようと思うと、人口を日本に適正に配置する以外、基本的に問題の解決の方法はないのではないか。

 応急処置をしながら、長期的に人口の再配分をしていくような施策をとらなければいけないということになるわけですが、一方、全体についての、例えば、資料3の34ページ、「首都機能移転は、東京一極集中の是正のための基本的対応として重要」云々とか、いろいろ書いてあるわけですが、こっちの方はひどく時間がかかるわけです。当たり前の話ですけれども。そして、しかも首都機能を移転するということが、再び日本の人口、日本国土というものを、能率よく、うまいバランスで使うということに対する、言ってみれば、1つの、しかも極めて限定された手段にしかすぎないということを考えてみると、地方自治体の方たちがおっしゃっている、とにかく公共投資でもしてくれなければ、我々はどうやって町として生きていけるのだ、という切実な声を少しどこかに反映できたらいいな、と。

 では、どうしたらいいのだというと、私自身は知恵がないわけですけれども、日本国土に、人口をバランスよく転換させていくような方向における社会資本の整備というような視点とか、そういう文言がどこかにないと、地方のそういう過疎地帯にお住まいの、あるいはその人たちを一生懸命考えている方たちは、切り捨てられて、何のことはない、本当に一極集中が解決しないまま、立派な理念であるところの社会資本整備は、「これからはソフトだ、公共サービスだ」と言われたのでは自分たちの立場はないぞと、こんな感じになるのではないかという気持ちが、その方たちの話を聞いてしたわけです。

 そういうことが、どうしていいのかというのはわからないのですけれども、何か配慮があったらいいのではないかという気がいたしました。

〔事務局〕

 おっしゃることはよくわかるのですが、いわゆる公共投資依存体質からいかに脱却するかということから、もともとの議論が始まっている。特に地方都市とか中山間地域は、そういうことで、人づくり、産業づくり、あるいは生活基盤の整備という取組みを挙げているわけです。

 それをやっていくためには、当然、社会資本整備が必要になるので、そういう意味合いでは、随所に、そのための社会資本整備が必要というくだりはありますし、23ページの第5章社会資本整備の最初のところでも、それぞれの地域のあるべき姿の実現を支援するために社会資本整備をやるのだ、こういうことは書いております。

 おっしゃるような、地方からしてみたら、もっと雇用のためにも公共投資を……というようなことに、真っ正面から応えるような記述というのは、なかなかスタンス的にできないところはあって、しかし、おっしゃることはわかったりして、なかなか難しい問題だなとは思います。

〔F委員〕

 私も同じ感じなのです。非常によくわかる。しかし、……。私も、ああいう話を聞かなければ、「全くこのとおり」と単純に思うのですけれども、何かもう一本柱を立ててあげないと、せめて支柱を立ててあげないと大変なのかな、という気がしたということなのです。

〔C委員〕

 今のに関して、先ほど、私が、東西の文化と言いましたが、若干それに関連するわけです。基本的に今、事務局からお答えがあったような形で、全国的な意味では、これはそういう方向転換する方に行っているかと思います。

 ただ、現実に受ける方からしますと、それは人材の問題があるのではないか。日本全体で見たときに、東京大都市圏・1都3県が(面積で)3%ぐらいですか、そこに人口が26%ほど。東京から以北の方ですと20%ぐらいの人口。東京から西の方が、54%ぐらい、という中で高等教育を受けた人たちがどういうふうに分布しているかというと、北の方には13%とか、大学生も現役で全体の11%ぐらいです。東京が多くて、西は50%ぐらいいる。

 こういうような構造の中で、私自身が感じますのは、西でいろいろ生活したときには、こういう政策が出てくると、西の人たちというのは案外、それを受け入れながら、消化しながら起こしていくのですが、どうも東は……。

 私も、30年ぶりで故郷に帰り、東の人たちとお付き合いするようになって、東というのは、国の方から言われるとそのまま「はい」と受けるようになって、自ら改革していくというようなところがない。いわゆる公共投資依存型から抜け出ない。結局、そこには人材の問題というか、そういうところがあるのではないか。

 その辺をどういうふうに変えていくかというあたりが、第一歩として、今回は、かなり出ているのではないか。あるいは、「知恵の時代」というあたりも、そういう中で人材の再配置という問題が大きく出てくるのかなと。それがない限りは非常に難しいなということを感じております。

〔G委員〕

 感想になるかと思うのですけれども、最後のこの会でも、中山間に対して、国民の皆さんの期待、またいろいろなご意見があるなぁということで、私ども中山間に住んでいる者として、非常にその責任の重さを感じております。

 私は、この報告書は、良くまとまった構成でありますし、そのご苦労に敬意をまずは表したいと思っているわけでございます。

 今もご議論がありますように、中山間というところは、これから非常に重要な時期を迎えます。ご議論いただきました中で夢もあると思うのです。私は、そう信じて生きておりますし、非常に夢のある中山間というのも見えたのではないか、また問題点も見えたのではないか。

 その辺で、私とすれば、中山間をこれだけご議論いただいたということを、これから多くの人に、中山間の仲間に伝えていきたいと思っております。それが私の務めではないかとも思っております。

 その意味で、「都市の里山」という言葉を記述いただいたということは、私としては、この言葉は非常にイメージ的なものでありますが、21世紀の国づくりに、これが大きな都市と農村の新たなる交流であり、また知恵をいただき、また、我々がどういう役割を果たすかという意味で、膨らんでくれることを期待しているわけでございます。

 先ほどからもお話がありますように、都市の皆様方が大いに中山間に興味をもっていただいて、知恵といろいろな事業も含めて、ご参加いただくなら、公共投資依存の体質を改善できる。まさに、この報告書が書いていらっしゃるような方向に行くだろうと、私は多いに期待をしているわけでございます。

 とは言うものの、私ども中山間は、農林業生産をベースにした、そのベースが結果的に多面的機能ということでないと、国民の皆さんのご理解をいただけないと思っておりますし、これから集落等も含めて、ここに書いてありますように、努力しながら再編して、努力しながらコミュニティの、要するに個人の帰属先というものも含めた我々の役割を見出していきたいと思いますので、ぜひ皆さんのお知恵とご協力をお願いしておきたいというのが、私の感想でございます。

 もう一つ、それと、農林業の多面的機能というのは、まだなかなか見えていないかと思うのですが、これはある大きな意味を持ちますので、都市づくりにも、大いに村の連中の多面的機能を「おい、おまえ来てやってみないか」と、活用していただきたい。お互いが役割を果たし合うような国になることを期待したいと思います。感想で申しわけないです。ありがとうございました。

〔H委員〕

 大変勉強させていただきました。ありがとうございました。今まで持っていなかった興味を、本当に持つようになりました。

 今朝の日経の朝刊の部会長の記事も非常に丹念に読ませていただきましたけれども、これを見ますと、実に詳しく、この報告書の方がはるかに詳しいのではないか、かように思っております。

 それから、関西の方では、関西の未来というシンポジウムがこれから開かれて、これから関西をどのようにしていこうかということを、大阪府も含めまして、いろいろ考えております。知事と話をしましたときに、知事の方からそういうご提案もありましたので、ぜひこれを参考にして、関西の地域の活性ということを図っていきたい、かように思っております。

 それから、1つ残念なことは、近未来2010年、この報告書のとおりの社会になりましたら、すばらしい社会になっているのではないかと思うのでございますけれども、その頃は、私は、恐らくこの世にいないのではないかと思うことが非常に残念でございます。この部会の報告書がどのように実行されていくのか、この目で見たいなと思っているわけであります。本当にありがとうございました。

〔部会長〕

 F委員のお話は、多分、全総の中でも一番大きな議論で、その中では、もう少し広域的に、あたかもヨーロッパのスウェーデン、オランダ、こういうところが生きていると同じように、まだ可能性があるではないか、こういうことをうたっているわけです。

 その中身に書いてあることは、完全にこの中で、個別手段としては書いてあると思います、広域行政ですとか、リサイクル産業ですとか、地場産業ですとか、交流、観光、地域間連携、事業間連携。そういう意味では、よくお読みいただければ答えにはなっているような気がいたします。

〔A委員〕

 私も、基本的には、両方ともよくできていると思っております。

 資料3の最後のページ、65ページがたまたま目についたのですけれども、この部会の議論とはちょっと違うので申しわけないのですが、3「社会全体での介護」の2行目、「特に、外に仕事をもつ男性に比較して、主婦である女性にその負担が重くなりがちである」ということです。

 これは、事実だと思います。事実なのですが、大阪のどこかの市長のように、奥さんのために職を投げうったなどということも、ちょっと前に話題になったりしています。また、男女の役割というものをあまり固定的に考えるのは、今の男女共同参画社会の趣旨から言ってもちょっと違うというか。つまり、このペーパーが経済社会のあるべき姿を求めているものである以上、あえて男性の形容詞として「外に仕事を持つ」、女性だっていっぱい持っているわけです。女性の前に、「主婦である」という形容詞をふる必要もないのではないか。つまり、「男性に比較して、女性にその負担が重くなりがちである」というのは、事実問題としてそういうことですけれども、最近のそういうことから行くと、いかがかなと思ったのです。

 D委員、いかがでしょうか。

〔D委員〕

 私も、全く同感です。

〔部会長〕

 違う部会の話でもありますので、ご意見を伺って、また事務局でご相談をいただきたいと思います。

 まだいろいろご意見があろうかと思いますが、次の議題がございますので、もし後ほどお気づきになった点、追加意見等がございましたら、事務局までご連絡いただきたいと思います。

 事務局には、本日の議論を踏まえて、部会報告書(案)の修正等をお願いしたいと思います。

 それでは、部会報告のとりまとめと公表並びに、経済審議会としての答申の予定について事務局から説明をお願いいたします。

〔事務局〕

 部会報告書につきましては、事務局で修正しましたものを部会長にご相談し、とりまとめていただき、6月末頃に当庁において記者会見を行い、公表していただくことを考えております。

 それから、経済審議会としての答申につきましては、明後日に、基本理念委員会を開催して、各部会の調整を図った上、企画部会で答申案を固めまして、7月上旬にも経済審議会総会にお諮りし、総理に答申する予定で考えてございます。

〔部会長〕

 ありがとうございました。

 ただいまの事務局の説明のとおり、本日のご議論を踏まえました部会報告の修正並びに公表につきましては事務局と相談の上、私の方で責任をもって行わせていただきたいと思います。よろしいでしょうか。

(「異議なし」の声あり)

〔部会長〕

 ありがとうございました。それでは、そのようにさせていただきたいと思います。

 引き続きまして、企画部会において議論しております「経済社会のあるべき姿と経済新生の政策方針(素案)」の序章、これを事務局から説明していただいて、ご議論いただきたいと思います。

〔事務局〕

 再び資料3でございますが、「序章 知恵の時代へ」、これは大臣が自らお書きになった部分でございまして、後ほどお見えになって解説があろうかと思いますが、初めに、事務局の方から簡単にご説明させていただきます。

 1ページからご覧いただきたいと存じますが、「序章 知恵の時代へ」ということで、「日本経済は厳しい不況下にあって、不況対策に取り組むと同時に、この不況から立ち直ったあとの日本の経済社会の『あるべき姿』とそれに至る政策を、はっきり提示しておくことが必要」ということで、「目下、進行中の世界文明の変化は」、「近代工業社会を超越して、新しい多様な知恵の社会に至る転換である」というふうにとらえて、「不況から立ち直った日本の経済社会は、知恵の時代にふさわしい姿を志向していなければならない。この経済社会の『あるべき姿』においても、新しい経済社会の根底をなす条件、目標、概念、価値観についても明確にしておくべき」ということでございます。

 このあと、それぞれ条件、目標、概念、価値観が出てまいりますが、その前に、第1節で「最適工業社会の繁栄と行き詰まり」というのがあります。「日本は、ひたすら近代工業社会の形成に励んできた。特に第二次大戦後は、すべての資源と能力を経済の発展、とりわけ近代工業化に振り向けるようになった。そこでは、おおよそ次のような社会的合意が存在していたと考えられる。」ということで、ア以下にございます。

  • 西側自由主義陣営に属する。
  • 産業経済においては、官の主導と産業界の協調を重視する。
  • 主要な知的活動を、首都東京に集中する。
  • 教育については、規格大量生産に適した人材を育成する。
  • 社会構造は、「会社人間」が中心になる。
  • 企業経営では、「日本式経営」を良しとする。

 こういった合意、価値観の「お蔭で、戦後の日本経済は急速に復興し、長期にわたる高度成長を続けることができた。」

 「この結果、1987年、最も完成度の高い近代工業社会、いわば『最適工業社会』を形成していた。」

 ところが、「1980年代末になると、日本でも規格大量生産型工業の拡大は限界に達し、投資対象の減少から資金過剰状況になった」。いわゆるバブルが発生し、やがて崩壊をする。それによる不況から未だに、本格的には立ち直っていない。

 「90年代の不況、とりわけ97~98年度の大きな落ち込みは」、「戦後の成長を支えてきた近代工業社会の軌範が、人類文明の大きな流れにそぐわなくなったという根本的な問題がある。これからは、多様な知恵の値打ちを生み出す機能と才能を拡大する仕組みと気質が必要である」。

 3ページですが、「従って、本答申においては、まず最初に『集約』として、2010年を目途とした経済社会の『あるべき姿』の概念を明確に示すことにした。」、こういう序章の位置づけがございます。

 第2節「『あるべき姿』の条件(未来変化への対応性)」ということで、

 1「知恵の社会化対応」については、「知恵の社会においては、絶えざる新しい知恵の創造による経済と文化の活性化が行われることになる。これに対応するため、個性、創造性に富んだ組織と人材を育成する仕組みと社会的気質が必要である」。

 2「少子高齢化対応」については、「不足する機能と要素を補充し得る多様多源な供給の源泉を持つべきである」。

 3「グローバル化対応」については、4ページになりますが、「『あるべき姿』の経済社会では、モノ、カネ、情報知識が自由に出入りするだけでなく、世界の流動の『集散』の場となるべきである。内外様々な人や企業に、活動の場として選ばれるような社会的利便性と経済的効率性と生活の楽しさを目指すべきである」。

 4「環境制約対応」については、「大量生消費、大量廃棄」の転換が不可避ということであります。

 第3節「『あるべき姿』の目標」:「最大自由と最少不満」に要約されるということです。

 1「『個』を基盤とした自由と『公』の概念」、第2パラグラフをご覧いただきますと、「多様な知恵の社会においては、商品サービスはもちろん、雇用や勤務の形態や、人々の帰属対象までもが多様化する。ここでは、各個人がそれぞれの好みによって、人生の目的とその達成手段とを選び得る個人の自由を、社会全体として最大にすることが重要である。」としております。一方では、「各個人が自由を追求できるためには、相互の了解としての『公』の概念が形成されねばならない」。

 2「人権と尊厳が守られる経済社会」ということで、少子・高齢化の中で、「経済成長を恒久的に維持するためには、激しい競争を通じて磨かれた個性と創造性によって新しい技術、産業、文化がきらびやかに登場することが必要である。しかし、こうした競争社会には失敗者や社会的弱者も少なからず存在する。『あるべき姿』の経済社会では、すべての人々の人権が完全に守られ、成功への挑戦の機会と人間としての尊厳が保たれなければならない。ただし、守るべきは個人の人権であって、経済的利権や行政的権限ではない。『あるべき姿』の経済社会では、すべての人々の人権と尊厳を十分に守る『安全ネット』が必要だが、その負担をする側にも大きな不満が生じないことも重要である。国民全体の不満が最少になる均衡点が追求される仕組みでなければならない。」としてございます。

 3「成長拡大傾向を維持する経済」ということで、「人口の停滞現象の中でも国民1人当たりではもちろん、総体としての国民経済も成長拡大傾向を維持すべきである。総体としての経済規模の縮小」となると、ア~カの「悲惨な状況に陥るからである。」ということであります。

 第4節「『あるべき姿』の概念(コンセプト)」で、これは〔多様性と創造的変革〕に集約されております。

 6ページ、1「自立した『個』を基盤とした経済社会」。中ほどのパラグラフで、「これからは、経済社会のすべての基盤は自立した個人にある。各個人はそれぞれの個性を発揮し、好みに応じてすべてを選択する権利を持つ」。「ここでの行為は、『縦』の関係ではなく、個人相互も企業も政府も平等な『横』の関係となる」。「機能組織においては、意思決定の迅速さと明確さが求められる」。ということが書いてございます。

 2「多様多角的な繋がりのある複属社会」ということで、「『個』を基本とした社会を維持し、良化していくためには、最良のコミュニケーション環境を創り上げなければならない」。そのための施策が書いてございますが、「また」以下では、「各個人が自らの好みによって帰属意識の対象を選ぶことになる」。当部会のコミュニティのところでも同じようなことを書いてございます。「これまで人類は、血縁共同体、地縁共同体、職縁共同体などを形成し、多くはいずれかに全人格的に帰属してきた。戦後は、『会社人間』と化した。これからは、これらに加えて好みの縁で繋がった好縁共同体にも帰属意識をもつ『複属者』となる。」ということでございます。

 3「経済社会における『官』の役割」ということで、「政府の役目は、自立した個人が自らの好みに基づく自由なる選択を行い、個性と独創性を発揮し得る社会的条件を整え、それを維持するためのルールを明確にし、適切に運営することに純化する。」としております。「これまでは、官が路線を定め、スケジュールを決めて経済社会を主導し、民間企業はその枠組みの中で活動した。消費者は、官の定めた規格の製品やサービスの範囲内から選択する仕組みだった」。「これからの社会は、各個人が自らの好みで製品やサービスを選び、好みの使い方をする。官の役目は各人が好みによって選べるようにルールを定め、それが守られるように監視し、生じた事故を適正迅速に処理することにある」。「『あるべき姿』の経済社会では、すべての人々が製品やサービスを発売し、消費者たる個人は好みに応じて選択することができる。つまり新規参入の自由と消費者主権が確立される。ここで重要なことは、供給者については『供給者の情報公開義務』、消費者にとっては『プライバシーの保護』が不可欠である。」と書いてございます。

 8ページ、4「創造的に変革する企業経営」ということで、「社会の単位である個人の活動を組織化した経済活動の主体となるのは、民間の企業や団体である」。「これまでの近代工業社会では、組織は人間から離れた資産保有の主体として実存しており、人間はこの組織に部品としてはめ込まれる形となっていた。これからの多様な知恵の時代では、組織は人間によって構成される」。「知恵の値打ちの創造が経済成長と企業利益の主要な源泉となる世の中では、生産手段は人間そのものと切り離すことのできない『知恵』と『経験』と『感性』である。企業が存続し繁栄し続けるためには、創造的な変革を続ける必要がある」ということでございます。

 5「多源的補充性のある経済社会」ということで、「少子高齢化の中で、総体としての経済成長を保っていくためには、強い刺激と必要機能の補充が欠かせない。年齢性別を超えた人材の活用はもちろん、外国からの機能や要素の補充も必要となる」。一番下の行にありますが、「特に2007年頃からの少子・高齢社会を想起すれば、文化的刺激や教育から生活支援サービスや介護まで、広範な分野で多源的な補充がなければ、満足な社会運営ができなくなることもあり得るだろう」。「秩序ある外国人の流入をも視野に入れた多様多源な補充を検討すべきである。」ということでございます。

 第5節「経済選択の基準としての価値観」ですけれども、効率、平等、安全、それに加えて自由ということでございます。「『あるべき姿』の経済社会が実現し、維持され、適切に運営される根底には、常に世の中の動く方向を選ぶ基準としての価値観が必要」。これまでは、「効率、平等、安全が『正義』であった」。これについては、「より明確かつ意識的な定義が必要となる。また、これらの正義に自由が加わる」ということでございます。

 1「効率」ですが、「近代工業社会における基本的な正義であり、戦後前半では最優先すべきものとされた」。「少子高齢化が進むこれからは、社会全体の効率向上はこれまで以上の重みを持つ」。

 2「平等」については、「近代思想における重要な正義であり、とりわけ戦後は、世界的にも重視されてきた」。平等には、「機会の平等」と「結果の平等」があるということで、「事前的に『結果の平等』を図る社会構造が試みられたが、結果は失敗に終わった。『あるべき姿』の経済社会において、「機会の平等と事後の調整」の組合せとなる」。ここでの平等というのは、「すべての人々が自らの意思で何事にも参加し得る機会を持つことである。そして、その結果として生じる経済的格差を是正し、みんなが生きられる仕組み(安全ネット)を確立する」ということでございます。

 3「安全」については、、安全の第1は平和と治安である。安全の第2は無事故・無災害である。安全の第3は財産の保全。安全の第4は健康。11ページの上のところでは、「特に『あるべき姿』の経済社会においては、『安全』の概念を全地球的規模に拡げて、地球環境の美化と保護とを正義の一部に加えるべきである。」ということでございます。

 4「自由」、「これまでの日本では、自由が社会正義とは認識されていなかった。正義と正義が抵触、対立する場合は、政治がこれを解決する」ということが行われてきましたが、「『自由』は正義として認識されていないため、自由と効率、平等、安全とが抵触した場合には、政治的議論となる前に、行政の判断で自由が抑えられている。『あるべき姿』の経済社会では、自由は、効率、平等、安全と並ぶ正義の一つとなる。これなくしては、『個』を基盤とした『横』に繋がる社会の形成も、激しい競争による生産性の向上や経済成長の維持も、不可能である。『あるべき姿』の経済社会が個の自立と競争による繁栄と楽しさを追求する経済の仕組みと気質を持つためには、『自由』が社会正義と認識されなければならない。この点を曖昧にしたのでは、世界経済の主要なプレーヤーにとどまることができない。」このような内容でございます。

〔部会長〕

 ありがとうございました。

 今、大臣にお書きいただいた序論をご説明いただいて、これから議論するところでございますが、議論の前に大臣から何かお話がございましたら。

〔大臣〕

 結構でございます。

〔部会長〕

 それでは、ご自由にご議論をお願いいたします。

〔C委員〕

 2点あります。4ページの「人権と尊厳が守られる経済社会」のところで、5ページの2段目の上、「すべての人々の人権が完全に守られ、成功への挑戦の機会と人間としての尊厳が保たれなければならない」。これは、敗者復活もあり得る社会ということで言っておられるのかと思うのですけれども、これから、自由と競争原則と言ったときに、敗者復活戦といいますか、それがなければならないと思うのです。それが、人権と尊厳としますと、別なイメージになってしまうのではないか。もっと敗者復活というあたりが強く出て、それができるような社会をもう少し打ち出した方がよいかなという感じがしました。それが1点です。

 2点目が、8ページで「多源的補充性のある経済社会」、「外国からの機能や要素の補充も必要」ということですけれども、私、基本的にこれでいいと思いますが、ちょっと気になるのが、例えば、アメリカと日本を比べたときに、アメリカ社会というのは人工社会であって、星条旗の下にみんなワーッとなる。それに対して、日本というのは自然社会といいますか、自然的にできてきた国で、あまりそういうふうにならない。ここのところで、外国からの機能や要素を補充してくるというときに、何らかの、アメリカとかそういうところと違った、日本的な何か縛り的なもの、自由ということを前提に置くのですけれども、違いを少しおかないと、経済社会というものが「あるべき姿」に行かなくなる可能性もあるのではないか。そんな懸念が、感想的なことですけれども……。

〔A委員〕

 今のC委員のところに関連したことですが、主として8ページ~9ページにかけての「多源的補充性のある経済社会」について、大臣にお伺いしたいのですけれども、要するに、ここで言おうとしていることは、外国人労働力などを国内に入れるというふうに読み取れるわけです。ただ、半面、9ページの上から4行目にあるように、外国人の前に「秩序ある」という形容詞が付いています。ということは、何でもかんでも入れればいいというものではなくて、秩序…何が秩序かというのはなかなか難しい感じもいたしますけれども…、ここで一応限定をしているのか。つまり、お尋ねしたいのは、この文章の意図するところを、もう少しご説明いただければと思っております。

 5の見出しにある「多源的補充性」という「源」という字、一般には「元」という字を使ったりすることが多いわけで、あえてこういう言葉を使われている意図があるのかと思うのですけれども、その辺もあわせてお教えいただければと思います。

 もう一つ、4ページ~5ページにかけまして、第3節「『あるべき姿』の目標」ですが、「最大自由と最少不満」。最少不満は、「最小」が同じ発音であり得るわけです。5ページの3の2行目ぐらい前で、「国民全体が不満が最少になる均衡点が追求される」と。均衡点という言葉から行くと、「最少」ではなくて「最小」という方が……、どうなのかなという気がしないでもないのです。「少」の字を使い分けておられるのかどうか。これは字の問題でございますが、お尋ねしたいと思います。

〔F委員〕

 8ページに「創造的に変革する企業経営」という項目があります。全くこのとおりで、私、40年間、日本の企業の中で生きてきて、本当に、この文章を読んでいるだけで胸がじんと来るような感じがするほど、このとおりだと思うのです。

 ただ、一方で、私は、非常にエスタブリッシュメントであった業界から、非常に激しく成長した流通業界でも、30年、経営者として過ごしてきて、ここに書かれているような「企業や団体が存続し、繁栄し続けるためには、常に創造的な変革を続けなければならない」という世界にも同時におりました。そういう両方の体験の中から感じることは、全くこのとおりなのですが、ここに書かれているような、「あるべき姿」の経済社会で、人間が組織の部品としてはめ込まれる形でない、組織人間によって構成されるようなものになるというのは、本当にそうあってほしいと思いますが、具体的にどういう種類のことがここで問題になるのか、イメージが非常にわきにくいのです。

 資産保有の主体として企業というものが厳然として存在している以上、そこに雇用されている、一般論で言えばサラリーマンというものが、その資産保有の主体として実存している企業の中から、どのようにして社会とつながることができるのか。どのような方法があると、長官はお考えになっているのか。イメージというか、感じだけでも与えていただけると非常に参考になると思いますが。

〔大臣〕

 皆さん、本当にお忙しいところを熱心にご審議いただきましてありがとうございます。

 まず、敗者復活の話、これは確かに重要ですが、この安全ネットのところとはちょっと場所が違うかなという感じがいたしております。

 それから、外国からの流入の件につきましてご質問がありました。多源的の「源」は、いろいろな国のいろいろな文化の源から日本に入ってくるという意味で、これは「元」ではなしに、「源」でなければならないと思っております。

 したがって、いろいろな国から、いろいろの能力を持った人たち、いろいろな文化を持った人たちが来て、日本に刺激を与えてくれるというような状況の方がいいのではないかと考えております。

 それから、最大自由の最少不満でございますが、これは社会トータルの量を言っておりますので、「少」という字でなければならないと考えております。それぞれの人の不満が小さいのではなしに、ある人は、かなり不満な人もいるかもしれませんが、全体として不満が小さい。

 これの逆が、最大多数の最大幸福ということが言われたことがありますが、これは「多」と「大」になっているわけです。最大多数の最大幸福というのは、極限的なものでは絶望的不満分子がいてもいいという話になるのです。ここは、初めは、最大多数の最大幸福だけではなくして、最少不満を求めなければならないと書いていたのです。その前の方をちょっと落としまして、最少不満が残っております。

 それから、F委員のご質問のありました、人間のはめ込まれる組織は、人間がつくる組織の話ですが、よく言われるのはフィルハーモニー型とジャズバンド型という話がございます。フィルハーモニーというのは、例えば、NHKフィルハーモニーというのがございますが、あれはコンサートマスターが代わろうが、第二バイオリンが代わろうが、ドラムが代わろうが、NHK交響楽団として存続し続けるわけです。人がどんどん代わって、下手になったら、「最近、NHK交響楽団もだめだね」と。上手になると、「近頃、NHK交響楽団はいいね」、こういう言い方をするのです。ところが、鈴木章治とリズムエースというカルテットがありますと、鈴木章治が出なくなったら、カルテットは解散です。

 今、引き継がれるものと、引き継がれないものと両方ございますが、固有名詞を挙げるといろいろ問題があるかもしれませんが、ファッションデザインというのを考えると、例えば、クリスチャン・ディオールは、名前は引き継がれておりますが、人は全く違います。今のクリスチャン・ディオールは当時のクリスチャン・ディオールと違って、今やっている人のデザインです。

 だから、人によって組織が代わっていく。

 マイクロソフトも,ビル・ゲーツとその仲間たちの組織みたいな感じです。

 それに比べて、例えば、新日鉄とかGMとなりますと、今の社長が違ってもGMというのがどんと存在して、その財産所有体である工場とか販売網とかを持っているGM株式会社に人々がぶら下がっている、はめ込まれている。社長が代わっても、GMはGMです。

 クライスラーという会社は、全部入れ替わったのです。社長、全取締役、従業員も90何%が入れ替わっているけれども、やはりクライスラーです。最近やっとそれから離れて、ベンツと合併して変わってまいりましたけれども。

  それに比べると、マイクロソフトでも、ジョージ・ソロス氏の投資信託でも、ソロス氏がいるから、あの投資信託がある。ウォーレン・バフェットがいるから、あの投資信託があるという感じがするのです。

 そういう違いを、フィルハーモニー型とジャズバンド型で考えていただくと、わかるような気がするのです。

 日本の今までの組織は、大抵はめ込み型でございまして、大相撲というのは、財産を持っていなくても、組織がきちんとしていて、横綱になるとスターなのです。ところが、劇団四季だったら、人が代わったら出し物も変わったような感じがします。そんなイメージでございます。

〔B委員〕

 なかなか格調の高いもので、すぐここでコメントするというのは難しいですけれども、2つほど感じた点を申し上げたいと思います。

 1つは、9ページの第5節に、新しい価値観ということで議論されているわけです。ここは、価値観ということですので、私は、3つプラス1つでいいかと思うのですけれども、政策論ということになると、この4つは、それぞれやや性格が違っているというふうに考えるべきだろうと思います。

 1の効率と、4の自由は、ある意味では自己責任の世界と言っていいと思いますが、2の平等あるいは3の安全というのは、ある意味では、自己責任の世界の足らざるところを補うというようなことがあるかと思います。むしろ、私自身、2の平等、3の安全という、社会の環境といいますか、制度的なインフラといいますか、これ自身を広い意味での公共財と位置づけるような視点が必要になってきているのではないか、と。社会の安定ということ自体が、そのメンバーが等しくいろいろな意味で、その利益を享受する、そういう関係があるだろうと思います。ただ、これはフリーライティングもできるということで、ほっとけば崩れていってしまうという意味でも、公共財的な要素があるというふうに思います。

 ですから、4つ、これ自体は、私は全く異論はないわけでございますけれども、政策論ということになりますと、中身についてやや違いがあるということも押さえておく必要があるという気がしております。

 もう一つは、今お聞きしておりまして感じたことでございますけれども、これはどこにということではないのですけれども、経済社会が大きな転換点に来て、これまでのいろいろな反省といいますか、欠陥についてきちんと総括して、次の社会あるいは21世紀に向かうということで、その場合に私が非常に思いますのは、経済の主体の持つ時間的視野、タイムホライズンの長さということがあるわけです。どうも、本来非常に長い時間的視野でもって考えるべき、例えば、土地利用の計画といった問題は、土地を金儲けの材料にしてしまったという意味で、非常に近視眼的な視野の下での行動を惹起するようなことがあったわけです。

 逆に、生き馬の目をぬくような、競争社会という感覚で対処すべき問題、ビジネスの世界で、のんべんだらりとしていても、何とかしてくれるという意味では、非常に長い時間的な視野で、こういうものを時間的視野が長いと言っていいかどうかわかりませんけれども、逆に非常に安易に時間に流されてしまうようなことがあったかと思います。

 本来あるべき時間的視野というものを再セットする、そういう視点も必要かなと。これは全くの感想でございますけれども、特に、序章の前半の部分あたりを読んでおりまして、感じたことであります。

〔部会長〕

 私からも申し上げたいのですが、4つあります。1つは、7ページの官の役割のところで、後ろの方の「供給者の情報公開義務」、これは大変重要だと思うのです。中で例示的に出ているのが、商品とか、新しい技術とか、どちらかというと民の供給者と認定している。もう一つ、中央政府の役割として、自治体が健全な競争をするようなベースをつくらなければいけないのではないかとずっと思っているのです。

 それが、例えば、今日新聞に出ていましたPLI、あれは、僕は、明らかに後退だと思っているのです。むしろ、ああいうことは、批判があったとしたら、もっとたくさんのインディケータを加えて、こういう格好でやると順位がこうなるとやっていって、究極のスタイルは、ああいうPLIの、総合指標でなくてもいいのですが、交通なら交通だけでもいいのですが、住まい方なら住まい方だけでもいいですが、そういうことをやっていって、それといろいろな社会資本整備とか地方自治体経営がどうリンクしているかということがクリアになってくる。それが公共投資自体が目的になっているようなことから脱却する1つの手段でもあるし、それから、隣の知事さんだけ意識しているような行政を、もう少し広域にする、そういう手段でもあるような気がします。

 したがって、ここは「供給者の情報公開義務」に加えて、中央政府は、そういう何かインフラとして健全な自治体間競争が行われるような仕組みを入れる方がいいのではないか。これは具体的な意見でございます。

 もう一点は、今、B委員がおっしゃったことで、「個」はどうしても競争が激しくなってくると、短期、しかも、身近なところに集中しがちであります。ゆとりがなくなると、余計そういうことになります。そういうときに、長期とか、広域とか、多数の国民に関わるこういうところを、官がちゃんとやっていかなければいけない。それを「市場の失敗」なんていう言葉でやってしまうと、イメージが発散してしまいますので、クリアに長期、広域、多数、こういうことについての地方政府、中央政府の役割はいかにあるべきか、こういう役割論が必要ではないかというのが、2点目でございます。

 3点目は、「個」が重要ということになると、例えば、相続税の話とか、二世社会の話とか、しかも、少子化で「個」の世代間のいろいろな意味での連続性がどういうふうになっていくのかというのが、やや気になるところであります。確かに、個人がどんどん自覚して競争社会に参入していくということと、今までの社会的な税制その他の仕組みがうまくフィットするのかどうかというのは、ちょっと気になるところでございます。

 最後に1点ですが、国際化が、外国人が日本に入るということだけ論じられていて、日本人がアジアとか外国とどういう関わりをもっていくのかという話の記述がほとんどない。企業としてのグローバリゼーションの話はあるように見えるのですが、個人としてどうなのか、あるいは政府としてはどうなのかという話が、もうちょっと何か、どこかにあった方がいいかなと、これは感想でございます。

 特に、後半の方のODAの記述は、我々の部会のテーマではありませんが、この記述はもうちょっと直した方がいいのではないかと、個人的には思っております。具体的には、発展途上国で、人道的な意味でのODAと、それから経済のグローバリゼーションに対応したODAと、それから、言葉はちょっと適切ではありませんが、ヨーロッパなどは、難民対策としての職場確保とか、いろいろな視点のODA戦略が出ているのに、日本の場合は、表向きと言うか、大義名分としては「かわいそうな」ということでとどまっていて、それがどうもソフトなインフラとか何とかという、ふわふわとした議論に行ってしまっているような気がします。

 私自身は、発展途上国の大学にしばらくおりまして、日本の戦後の経験をああいうところでうまく活かす必要があると思いました。例えば、一極集中問題などは極端なものでありますし、公害問題などというのも同じようなことが起こっております。その辺、日本の戦後の経験が一体どういう格好でああいうところに移転できるのかということ、あるいは、そういう経験をした個人がどういう役割が果たせるかということも、かなり重要なことのような気がしています。

〔A委員〕

 全体を見せていただいて、なかなかおもしろいし、従来のこの種のペーパーにはない特徴が極めて色濃く出ているというふうに思いました。

 特に、政治家というよりは、作家堺屋太一先生の文章だなぁというふうにも感じております。

 それで、私は、言葉に関心を持つのですけれども、独特の言い回しとか、造語とか、言葉を使われておられるのがかなり特徴ではないか。ただ、日頃の堺屋太一先生の様々な文章から行くと、相当抑えておられるというようなことも、また一方では感じました。

 そういう中で、序章「知恵の時代へ」は、明らかに従来のこの種のものとは違って、長官自らが筆を取られたわけですから、私は、長官の名前をここへ出されたらいいのではないかというふうに思うのです。

 外国の白書などでは、大臣などがちゃんとサインしたりして、名前を明確にしていますから、その辺は1つの新しい試みとしても、むしろいいのではないか、そんなふうにも思いました。

〔大臣〕

 時間軸の話がありました。社会の安定が公共財、まさにそういう意味で「公」という、パブリックという概念を書いてみたのですけれども、十分でなかったかもしれません。

 それから、官の役割と自治体の競争、これは大変重要なことで、ぜひ入れたいと思いますけれども、どういう形で入れたらいいか、民の競争と自治体の競争とどういう格好で入れたらいいか。

 もう一つは、自治体の規模の問題が今非常に議論されておりますので、その自助から自由と自治へとつながる段階でどういうことになるか、どういう具合に書いていったらいいか。

 官でないと長期的なことができない、あるいは広域的なことができない、確かにそういう面もありますが、それにどう歯止めをかけるかというのも難しいことで、公益的だといので、また官が乗り出してくる、長期的だといって官が統制してくる、これも大変危険なことなのです。

 ジャングルの掟というのがございまして、弱肉強食だと言いながら、ライオンが鹿を食い過ぎると、今度はライオンが飢える。鹿が増え過ぎると、草がなくなるというように、1つ1つの場面を見れば弱肉強食だけれども、全体としては、いわゆる極相をなしているのです。それで何万年も続いているとすれば、それも1つの長期的な安定ではないかという感じもいたします。

 それから、相続税、二世問題は大変難しくて、私も、どう書いたらいいのかわからないので、いい知恵があったら教えてもらいたいと思うのです。最近の日本の二世化は目に余るものがあると思っていたら、アメリカもブッシュ二世が立候補するというから、変わらないのかなという気がしますけれども。政治家は前から問題になっていますが、最近は、歌うたいから、相撲取りまで、みんな二世化です。二世問題というのは、相続、家業を継ぐというのと、才能であるべきところを継ぐというのと……。日本はほっておくと、家元主義でお茶やお華みたいに、本当にうまいかどうかわからないけれども、家元だからといってどんどん継ぐような社会があるから、これは要注意だとは思いますけれどもね。相続税のかからない方の二世がはびこっているのも問題です。これはどういうふうにすればいいか、私にもわかりません。

 それから、日本人が外国で活躍する。これは各論の方ではかなり出ているのでございますけれども、今までずっと国際化と言えば、日本人が外に出ることばかり言ってまいりましたので、ここでは特に強調しなかったのですが、あった方がいいかもしれません。

 それで、日本のODAの考え方、実を言いますと、当庁では、ODAの基本方針を定める役目がございまして、昨日もその議論があったのですが、当たり障りがないように、何でも書いてあるような、この基本方針ならなくてもいいような。だからこそ、各省全部が合議できるわけなのです。

 日本の今までのODAの一番のポイントは、日本商品が売れるということだったのです。向こうの申請主義と言いながら、商社などが仕組んで、ここにダムをつくったらいいですよ、ここに道路を引いたらいいですよと。その際には、我が社が……というような形でつくったのが結構多かった。それがだんだんフリーになって、外国が応札するのもありますが、それでも日本の貿易均衡を保つ。最後は、日本の貿易摩擦を減らして、安定した輸出市場をつくる、これが第1だった。

 それに人道主義的な衣は被っておりますが、グローバリゼーションと難民の問題はほとんど考えていませんでした。今、難民の問題が重要になっておりまして、朝鮮民主主義人民共和国に、なぜ米を送るのかというと、難民がこわいからだということです。

 これはちょっと言いにくい問題でございますが、難民にその国で定着してもらうために、今、例えばコソボですと、コソボか、マケドニアか、アルバニアかの辺で定着して、イタリア半島やオーストリアの方に来ないようにしてくれというのを、ものすごくやっているわけです。日本から見ると、人道問題ですが、ヨーロッパの人から見ると難民問題です。

 日本の周囲に大難民が発生すると、どうしようもない。この間、ガイドライン法という法案の審議の最中に、武装難民という言葉が国会で初めて出ました。今までは、難民というのは、大体ボートピープルみたいな想定だったのですが、アルバニアが崩壊したときに、アルバニアの政府が軍隊に食料を出さなかった。したがって、イタリアへ鉄砲を持った集団が1万人ぐらい行った。それで、行くなり鉄砲を売り払って、食料を買った。売り払ってくれたからよかったのですが。

 日本の場合、本当に武装難民が来たら、海上自衛隊はダメなことは、この間わかりました。実はこの問題は非常に深刻な議論を呼んでおりまして、日本の役所が対人地雷禁止条約に絶対反対、小渕外務大臣がやれという命令で反対を押し切られたのも、実はそこに関係があります。

 この問題は、日本として十分検討されていないので、時期尚早かなという感じがしております。

 最後に、名前の話がありました。これは閣議決定するものですから、著作づけはできないと思います。経済企画庁が審議会の答申として出てくるということになっております。我々は事務局をやっております。審議会の答申ですから、文責は、審議会のご答申を閣議決定したという形になります。

〔部会長〕

 外国で名前が入っているのは、閣議決定していないのですか。

〔大臣〕

 審議会でなしに、大統領の教書は、大統領が自分で議会に出しているのです。 これは、審議会の答申になっています。

〔部会長〕

 そのほかにいかがでしょうか。

〔F委員〕

 今のところは非常に重要なところで、先ほどの企業と個人の関係と、実は全く同じ関係になっているのです。外国では今、部会長がおっしゃったように、比較的自由に個人の名前が出てくる。日本では、今おっしゃる論理で、それは閣議決定だとか、企業の決定だ、だからダメだよということで、個人の名前が出ないわけです。この辺が、1つ突破口ではないかと思うので、本当は、私も、長官の名前が出るような仕組みができれば、企業と個人の問題も解決の糸口ができるように思うのです。

〔大臣〕

 今度の省庁再編で審議会をもっと減らして、責任をもって大臣がやるように変えようという話はあります。これは省庁再編のときに検討される問題だと思います。

〔A委員〕

 理屈を言うようですけれども、長官は大臣なのですね。つまり、政府を構成しているわけです。審議会というのは、政府部門から、いわば独立した諮問機関なわけです。これは、諮問機関の答申の性格を持っているわけです。その諮問機関の答申の中に、実際は役所の方々がいろいろ苦労されて文章を書かれているわけですけれども、政府のいわば代表である大臣の文章といいますか、実際に書かれているので、それは知れ渡るわけですから、そこのところの理屈というのは、やや理解しがたいようなことにもなりはしないかと思うのです。そのためにも、むしろ、お名前を出される方が、すっきりしていてよろしいのではないかと。つまり、第三者機関の審議会の答申を大臣自ら書かれるというのも、理屈から言いますと、今のそこがやや整合性に欠ける面があるのではないかと。

〔大臣〕

 理屈から言いますと、各論も含めて全部、事務局が書いているわけです。だから、局長が書いたものも、課長が書いたものも、審議会の答申になっているわけです。

〔事務局〕

 大臣がお書きになったので、大変ありていなことを申し上げましたけれども、A委員からご質問がありましたので、正確なことを申し上げますと、この答申案、あるいは部会報告案というのは、それぞれの部会で先生方にご議論いただいたものを、便宜事務局がまとめて文章にして、それを先生方に見ていただいて、よろしいということで審議会としての報告となる、こういうことであります。それは、企画部会の方でご議論いただいているものも同じであります。序章の部分というのは、やや背景になる考え方を含めてポイントを要約したもの、こういう位置づけになっているわけでございます。それを、審議会の答申報告としていただいて、私どもは、それを尊重するという閣議決定を政府としてする、こういう位置づけになります。

〔D委員〕

 私も、A委員、F委員のご意見と同じなのですけれども、経済審議会という大変難しい審議会に出席すること自体を大変躊躇しておりましたけれども、初め、長官のお話、ご意見とかご方針を承りまして、これなら一生懸命頑張れるというふうに思いました。

 その中には、活字ではありますけれども、空間とか、ゆとりとか、夢とか、文化・芸術とか、そういうことがたくさん盛り込まれておりました。

 今日いただいた中で、例えば、9ページの6行目あたり、先ほどご説明のありました「多源」のところですけれども、各国のいろいろな文化とか、能力とか、そういうことをおっしゃいましたけれども、今度逆に、こちらから心地よく送り出すという、この一言の中に、これは私の解釈ですけれども、日本人として考えをしっかり持った歴史観とか文化とかいうものを持った教育をして、そして送り出すこと、そして、国際的なマナー、プロトコルのようなこともしっかり教育していく。そういう人材が育つことによって、改めて中山間地域のようなところへの人材ということも、また還元してくるのではないかと考えるものですから、ぜひ、先ほどのご意見を大事にお考えいただければと思います。

〔部会長〕

 署名の方がいいではないかというご意見は、そういうことで伝わったかと思います。

 それから、我々としては、事務局に書いていただくのを、著名な作家であり政治家である堺屋さんを事務局として使ったという、大変ハッピーなプロセスを踏ませていただいたという事実もございます。

 その辺は、いろいろルールもありましょうから、事務局の方に我々の意見をお伝えしたというところでとどめておきたいと思います。

 まだいろいろご意見があろうかと思いますが、時間の関係もございますので、委員の皆様におかれましては、後ほどお気づきになった点、追加意見等がございましたら、早急に事務局までご連絡いただきたいと思います。

 それでは、本日をもちまして、部会報告書の議論も終了し、公表へ向けた運びについてもご了承いただいておりますので、ここで長官よりご挨拶をいただきたいと思います。

〔大臣〕

 1月以来、大変ご多忙のところを熱心にご参加いただきましてありがとうございました。他の審議会に比べて、今回の経済審議会は出席率が大変高うございまして、皆様方の貴重なご意見を伺うことができました。その結果まとめたものが、この「あるべき姿」でございます。

 これまで13回経済計画を作っております。今まではずっと経済計画という形でございましたけれども、これはあまりにも社会主義的だというので、今回は、「2010年頃のあるべき姿」ということにいたしました。途端に「あるべき姿」が流行りまして、「21世紀のあるべき姿」というのが、別途また審議会を富国有徳国家でやっておられるようでありますが、結構なことだと思っております。

 今、日本あるいは人類の文明は大変大きく変わるときでございます。これまでの経済計画というのは、成長率をどのくらいにするか、これが一番のポイントでございまして、新聞発表でも、今度の計画の成長率は何%というのがまず出たのです。この度は、恐らくそうではないのではないか。日本の将来をどう考えるかというポイントだろうと思いまして、その意味で、最大自由最少不満、あるいは経済成長は持続すべきだ、官の役割と公の概念というような、今まで経済審議会でなかったような文章も出しました。やはり、時代が変わるときには、経済は必ず倫理と関わってくるものですから、あえてそういうことも書かせていただいたわけです。

 その意味で、皆様方のこの部会、大変重要な位置づけで、皆さん方から、かつてないような多様な意見を聞かせていただいてありがたかったと思います。

 今日でこの部会は終わりますが、今後また、いろいろな関係でお世話になると思います。経済企画庁は、来年の末、再来年の1月1日から、経済財政審議会事務局と、国民生活局という内閣府の部署になります。政府の頭脳の中のさらに前頭葉的な役割を果たしていかなければならないと思いますので、ぜひこれからもご贔屓にお願いしたいと思っております。

 本当にありがとうございました。

〔部会長〕

 ありがとうございました。

 それでは、本日の部会はこれで閉会したいと思います。委員の皆様におかれましては、お忙しい中、また遠路を、毎回精力的なご審議をいただきましてありがとうございました。

以上