経済審議会国民生活文化部会(第8回)議事録
時: 平成11年5月27日
所: 経済企画庁特別会議室(436号室)
経済企画庁
経済審議会国民生活文化部会(第8回)議事次第
日時 平成11年5月27日(木) 10:00~12:00
場所 経済企画庁特別会議室 (436号室)
1.開会
2.国民生活文化部会報告(案)について
3.閉会
(配付資料)
資料1 経済審議会国民生活文化部会委員名簿
資料2 国民生活文化部会報告(案)
資料3 「自由と秩序」について(考え方の整理)
資料4 国民生活文化部会における議論を深めるべき論点について
資料5 国民生活文化部会スケジュール(案)
経済審議会国民生活文化部会委員名簿
- 部会長
清家 篤
慶応義塾大学商学部教授- 部会長代理
大田 弘子
政策研究大学院大学助教授井堀 利宏
東京大学大学院経済学研究科教授川勝 平太
国際日本文化研究センター教授黒木 武弘
社会福祉・医療事業団理事長鈴木 勝利
日本労働組合総連合会副会長ピーター・タスカ
ドレスナー・クライン・オートベンソン・証券会社ストラテジスト永井 多惠子
世田谷文化生活情報センター館長
日本放送協会解説委員西垣 通
東京大学社会科学研究所教授浜田 輝男
エアドゥー北海道国際航空咜代表取締役副社長原 早苗
消費科学連合会事務局次長福武 總一郎
(株)ベネッセコーポレーション代表取締役社長森 綾子
宝塚NPOセンター事務局長湯浅 利夫
自治総合センター理事長
- 〔部会長〕
A委員は中央線の事故で少し遅れていらっしゃいますが、ほかの委員の先生方はお揃いになりました。時間ですので、ただいまから、第8回の国民生活文化部会を開催させていただきます。
本日は、ご多用中のところをご出席いただきまして、誠にありがとうございます。
本日は、前回の「国民生活文化部会(素案)」についての委員の皆さん方の議論を踏まえまして、事務局の方で修文をしていただきました改訂版・「国民生活文化部会(案)」を議論していただくこと、もう一つは、前回、一枚紙で配付いたしました「議論を深めるべき論点」、年金の問題、定年の問題、学校選択の問題についても議論をいたしたいと思いますので、両方について事務局から説明の後、ご議論をいただきたいと思います。
なお、本日お諮りする資料につきましても、前回と同様最終的な報告書のとりまとめと同時に公開することとさせていただきたいと思います。そういう意味で、今回はまだ公開はしないということですけれども、それでよろしゅうございますでしょうか。
(「異議なし」の声あり)
- 〔部会長〕
では、そのようにさせていただきたいと思います。
それでは、事務局より、資料の説明をお願いします。
- 〔福島推進室長〕
それでは、お手元の資料2「国民生活文化部会報告(案)」に基づきましてご説明いたします。
最初のところに目次が書いてございまして、前回お示ししたものに、第1章の「総論:『個』が中心となる社会の全体像」というのを新たに付け加えております。第2章以下、「各論:『個』が中心となる社会の構築に向けての方策」、これ以下は前回お示ししました素案を委員からのご意見をいただいて修正したという構成になっております。したがいまして、まず、第1章の「総論:『個』が中心となる社会の全体像」のところを簡単に説明させていただきたいと思います。
めくっていただいて、1ページに「はじめに」がございます。「はじめに」のところは、基本的に前回の素案と変わっておりませんけれども、総論を付け加えた関係で、後半部分で簡略化したところがございます。
もう一点、1ページの下から4行目から、「しかしながら、『個』の自由は」……というパラグラフですが、前回、自由と秩序という関係でいくつかご意見をいただきましたが、今日も資料を用意させていただいて、ここのところはもう少し議論していただいた上で、少し修文させていただこうということで、そのままにしてございます。
3ページ目の第1章「総論:『個』が中心となる社会の全体像」でございます。ここでは、この報告書の全体像がどうなっているかというところを簡単にまとめるという性格のものを付け加えたということで、1「『個』が中心となる社会へ」、「個」が中心となる社会がどのようにして形成されていくのかということを書いております。
これも前回の素案の部分から要約するような形で作っておりますので、やや繰り返しの説明になりますけれども、(1)「企業中心型社会の変容」ということで、戦後の高度成長期を通じて、企業中心型の社会が日本でつくられてきた。その形成を可能にしていた環境というのが、このところ大きく変化してきているということを書いてございます。
その結果として、下の方の4行ですが、「今後の個人と企業との関係は、個人の仕事能力を媒介とする契約関係」というのが強まるのではないか、「その結果、企業はその従業員にとって、従来のように生活的機能も含めて全面的に帰属できる場ではなくなっていく」という考えでございます。
(2)「家族の変容」ですが、こちらも戦後の動きということで、核家族化の進行、女性の社会進出、「それに伴って家族の持っていた機能も変化していった」ということで、それを補完する形で社会保障制度の充実、家事のアウトソーシングに伴う市場の発達というのがあったということを書いております。
4ページ目ですが、「このような家族機能の外部化は、家族という共同体の束縛からその構成員を自由にした」という面があるのではないか。その結果として、家族構成員が家族の中だけでは完結し得ない生活を行い、意識の上でも行動の上でも、自分自身の関心や目的意識を大切にするようになった」ということで、個別化が起こっているということを書いております。
(3)「個人と新たなコミュニティとのかかわり」ですが、企業、家族といった従来の帰属先に加えて第三の活動の場というのが出てきている。それを可能にする条件として、情報通信手段の発達がある。あと、会社人間を脱して時間的余裕を持った男性も出てくるのではないか。NPOの果たす役割も高まってくる、ということを書いております。
(4)「『個』を主体とする『複属社会』の形成」ということで、「企業中心型社会の変容を受けて、人々は企業への強い帰属意識から離れることになる。また、企業を離れた人がそのまま家族に帰属することにはならない」ということで、「21世紀初めの我が国では、人々は特定の組織や共同体に全人格的に帰属するのではなく、企業や家族との生活を分かち合いながらも」、新たな「社会的な目的や関係性を求めて参加する帰属先を見つけていくことに」より、「『個』を主体とする『複属社会』が形成され、人々の自己実現の場が多様になっていく」としております。
以上のような「個」を主体とする社会という流れを受けまして、そういう「個」を中心とする社会において、いろいろな要素をどう考えていくのかというのが2「『個』中心社会における『経済的豊かさ』の確保」以下ですが、最初は、経済的な豊かさの確保という観点からみております。ここでは、「労働力人口全体が減少する」、あるいは「労働力も高齢化していく」ことから、「このような社会で経済的な豊かさを維持していくためには、高齢者や女性も含めて各人が、経済的自立を得て「個」としての立場を確立し、その意欲と能力を十分発揮しうることが重要」という考え方をまず出しております。
「このためには、高齢者や女性がより一層活躍できるような、雇用や生きがいの発揮の場を整えていくことが必要である。」、「とりわけ、子供を持つ女性が『個』として能力を発揮していくためには、就業と育児の両立を支援」することが重要としております。
5ページにまいりまして、「一方」以降では、そのような雇用や生きがいの場に加え、「経済的豊かさ」の観点から年金制度の話を書いております。「公的年金制度の充実が図られ」、「老後も他人に頼ることなく自分自身で生活を続けることが可能になった」ということですが、今後の高齢化の進行を考えますと、「公的年金制度の維持が困難になるのではないかという不安が増大してきている」ということで、「公的年金制度の維持を図るために」、「種々の改革を早急に行うことが必要」としております。また、公的年金だけではなくて、企業年金、個人年金の組合せも重要、また、貯蓄等の効率的な運用や住宅資産の活用も必要ということを書いております。
3は「『個』中心社会における『安心』の確保」。「『個』中心社会は、自己責任を基本とする社会」ということですけれども、そういう社会を支えるセーフティネットの存在もより重要になる。特に「高齢者の『安心』」というのが今後は重要にな課題となると考えております。
高齢者の「安心」という観点から介護の問題を書いておりまして、「個」を中心とする社会においては、この介護の役割を家族のみに担わせるのではなく、「社会化することが必要」としております。
「また」以降ですが、高齢者がひとり暮らしになった場合の安全という意味で、「公的介護サービスと連携した家事や食事等の生活支援サービス」などが必要ということでございます。
また、「『個』を主体とする『複属社会』では、様々な帰属先において多様なかかわりあい、いわば人脈を築くことが可能」ということで、こうなれば生活の安心を支える一助となるのではないかという点も加えております。
4「『個』中心社会で創造性を持続的に保つには」ですが、経済社会が成熟化して少子化が進むことになりますと、「今後,経済的活力の源を、知識や知恵等『個』の有する『創造性』に」求める傾向が強まると考えられます。「このような社会の要請に応え活力ある経済社会を実現していくためには、創造力ある人材の育成が不可欠である。特に、初等・中等教育段階の子供たちに、独創性や個性、豊かな感性を有する人材となる芽をはぐくむとともに、他人の異なる資質能力や言動を認め」ていく力が必要であると書いております。
また、「このような創造力ある人材を育成するためには」、学校、家庭、地域住民等、「新たな人々のネットワークを構築する」ことが必要としております。
さらに、創造的な社会を維持していくためには、「新しいものが生まれやすく、また生み出しやす気風や環境を我が国社会が醸成していくことが重要であり、異質なものや失敗に対する寛容や、文化的な活動を重んじる精神、地方や地域の文化を継承・振興する姿勢等、独自性や多様性の発露を促すような社会的思潮を形成していくことが必要である」としております。
5「『個』中心社会で社会全体の秩序を持続する方法と仕組み」、ここでも秩序という言葉が出てまいりまして、「はじめに」のところの議論と同じ問題がございますので、ここもあわせて、その際にご議論いただきたいのですが、ここでは「自由と秩序」に関しまして、事務局の方で少し検討した考え方を書いてございます。「経済的には相当豊かな生活が実現されている現状や個人の意識の変化を踏まえると」、それぞれ自由度を高めて、希望・要望や選択の多様性が実現されていく方向に進んでいくことが考えられますけれども、「しかし」というところで、「このような個人の自由の一層の拡大は、個々人に自己責任が強く求められるとともに、他の人の自由を侵害してはならないという自由に対する制約とのバランスを図りながら実現していかなければならない。そして、自由と自由に対する制約との適切なバランスを図るための社会規範を明確に確立しておくことが」必要としております。
「こうした社会規範を確立し、社会全体の秩序を持続していくためには、『個』それぞれが、主体的・意識的に」やっていくことは当然ですが、家庭は、しつけ等を通じて重要な役割を担う。地域社会は、子供たちの経験、ふれあい、社会ルールを学ぶという観点から、「大きな役割を果たす」ということでございます。
以上の総論のところでは、以下の各論の報告書を、なぜ「個」という社会が出てくるのか、そして、「個」中心社会ができてきたときに、安全とか、社会の秩序とか、そういうものがどのようなことになるかという観点で、全体的なビジョンを示すということで書いております。
7ページからが第2章各論「『個』が中心となる社会の構築に向けての方策」を書いております。
以下は、基本的には前回ご説明したものと変わっておりません。総論を書いた関係で、各論の方もやや整理させていただいている部分がございますが、委員の方からご意見をいただいて修正したところは下線を引いておりますので、そこを中心に説明させていただきます。
7ページの下のところ、「従業員が企業から選ばれるだけでなく」ということで、これは企業も選ばれる側へ」と書いてあるが、個人・従業員も選ばれるだろうというご意見がありましたので、そこの点を明記してございます。
9ページをおめくりいただきますと、(1)「家族の果たす機能の変化」、ここは整理の関係上修文させていただきましたけれども、「このように、本来、家族がその内部に」という部分は、前回はこの後に、これからの家族の果たす機能の重要な部分として、情緒的な面とかいう説明を書いておりましたが、それは後ろの方に整理させていただいたので、ここでは、脆弱化していった部分のところだけを書いております。
(2)「家族構成員の個別化の進展」で、「重い生活保障の機能を期待すると」と書いております。前回は、「生活保障の機能を担わせると」と書いてありまして、誰が担わせるのかというご議論がございましたので、「期待する」と変えております。
10ページですが、「家族のこれからの機能」ということで整理しておりますけれども、③「経済的側面の機能」のところで、今後、経済的側面が共働きの夫婦が主流となっていく中で、家族の機能として重要になるという部分でございます。「その際には」、前回の部会では「男女の賃金格差」というご意見がございまして、もう少し幅広い観点から、労働条件についての男女間の平等を確保することが」こういうものを実現していくために重要ということを書き加えております。
12ページにまいりますと、新しいコミュニティの形成が今後進んでいくというところで、②「情報通信手段の発達と新たなコミュニティの形成」、ここは「同じ好み」と、前回は好みだけを書いておりましたが、志というものの方が重要ではないかということもございまして、そこはあわせて書かせていただいております。
③「男性のコミュニティ活動への参加」ということで、こういったコミュニティ活動の中でも、特に街づくりがコミュニティ活動に非常に重要な役割を果たすのだというお話がございましたので、「街づくり」という言葉を明記しております。
④「サマータイム制度の導入」、こういう制度の導入というのは、環境問題に資するという点だけではなく、コミュニティ活動への参加にも重要な機会を増やすという面のご指摘がございましたので、加えさせていただいております。
13ページにまいりまして、NPOのところで、NPOの活動に参加したい人々を適切にコーディネートするような活動をする、個人とNPOを結ぶとか、NPO間の調整をするといったサポートセンターの役割が重要ということを書き加えております。
さらに、行政からの助成金はNPOに対して非常に重要という点も書き加えております。
14ページ、④「NPOの活動を推進するための具体策」ということで、こういう活動をするための時間を確保するという観点から、「労働時間の短縮と自由な勤務形態の促進」も必要だというご意見がございましたので、書き加えております。
15ページ、ここは「子供の育成環境の整備」のところですが、(1)「地域における体験機会の充実」ということで、家庭における親子のふれあい、あるいは子供たちが地域でいろいろ大人と共に活動する機会が最近減っているのではないかというご指摘がございましたので、同様の趣旨のことを前回も書いてあったのですが、ここでは問題点を指摘するという形で書き直しております。
その下、「地域における子供たちの居場所や活動拠点となるような活動機会や場を設け、積極的な参画を促していくことが求められる」。ここは前回は、その2行上にありますように、子供たちにゆとりある時間と空間を護るというふうに書いてあったのですが、その「空間」というのを詳しく書き加えております。
(具体策)のところでは、「長期自然体験活動」を「・」のところでさらに書いた方がいいというご意見でございましたので、書き込んでおります。
16ページにまいりまして、(3)「教育委員会の取組みの促進」、ここのところは前回、全くこの点に触れていないところで、今日、ご議論いただきます学校選択の機会なども含めて、「教育委員会の取組みの促進」というところを事務局の案として書き加えております。1枚めくっていただいて17ページに「学校選択」とありまして、( 追加論点3に基づき記述)と書いております。
教育委員会というのは、上に書いてありますように、様々な地域における文化活動、スポーツ活動に大きな役割を果たす役割は非常に重要だということ、さらに、教育委員会は、地域の意向を把握しながら、「創意工夫を凝らして取組みを進めていくことが求められる」と書いております。
以下、「学校選択(追加論点3に基づき記述)」ということで、今、教育委員会が学校選択の機会を拡大する上で重要な役割を果たしているというところから、今日のご議論を踏まえて(追加論点3)ということで記述させていただこうというところでございます。
学校選択の問題につきましては、堺屋大臣の方からも、学校選択というのは可能な限り自由にできるようにした方がいいのではないか、というようなコメント等をしております。この点はまた後ほどご議論いただきたいと思います。
さらに下線のところを進めさせていただきますと、19ページ、ここは年金の話をしているところですが、②「公的年金のあり方」の真ん中あたりに、「交際費等までを含む」、ここは基礎年金と報酬比例部分年金を合わせてどこまで支出をカバーするかということで、通常の生活の支出をカバーする。この「通常の生活」というのはどこまでかというご議論がございましたので、ここでは、「交際費等までを含む」、食、住、被服に加えてさらに交際費なども含めたということで、通常の生活の支出としております。
その下の、「世代間負担の不公平感を助長し経済社会の活力の低下をもたらし」、ここは世代間の不公平というのが年金問題では非常に重要な問題だというご指摘がございましたので、付け加えております。
21ページですけれども、「企業年金のあり方」が20ページから書いてありまして、確定供出型年金の導入の際の留意点を書いたところであります。その導入の検討にあたってはということで、「従業員の受給権を保護する観点から」ということを明確にしたことと、もう一つ、1.2.3.とありますが、前回はこれに「従来の確定給付型も労働者が選択できるにすること」というのを書いてありましたが、これは不要ではないかというご意見がございましたので、落としております。
22ページを見ていただきますと、「住宅等の資産の活用」を新たに付け加えております。ここは年金の流れで、高齢者の生活の安心ということを資産の面等から考えた流れですけれども、住宅といったような資産も有効に活用することが高齢者の消費生活を豊かにできるということで書いております。特にリバースモーゲージという方式を活用できるようになれば、こういうものが普及していけば、それは有効なものになるだろうということを書き加えております。
23ページ、①「高齢社会における雇用制度」の②「能力開発」のところは、企業や政府も何か具体的にこういうことをやっていくというのを書き加えたらどうかというご意見がございましたので、「企業が労働者に対して教育訓練のための休暇を付与していくとともに」、政府としても支援を充実していくということで書き加えております。
25ページにまいりまして、(2)「女性が働きやすい環境整備」のところで、結婚、出産等で一旦離職した場合、再就職するに際に、労働条件が非常に落ちてしまうというお話がございましたので、「能力や業績に応じた処遇を受けることができるような」と書いてございます。
その下、②「保育施設の整備」で、「民間企業等が参入できるよう主体制限を見直し、利用しやすい保育所の設置を推進」ということで、民間企業等の参入を明確にするという書き方をしております。
27ページにまいりまして、介護サービスの提供のあり方ですけれども、「民間事業者の介護サービス市場への参入」。前回は、介護サービスの提供にあたっては市場をベースとして考えると書いてあったのですが、このところをもう少し詳しく、「民間事業者の介護サービス市場への参入促進する。このことは、サービス内容の多様化をもたらし、利用者の選択の幅の拡大に資することになる」と書き加えております。
28ページにまいりまして、②「介護保険とその課題」で、「サービス利用促進の観点から、保険の給付への利用券方式の導入」、これはいわゆるバウチャー方式ということで、市町村の裁量により任意に導入することが現在でも可能となったわけですけれども、こういう導入をどんどん進めていくことがいいのではないかということ。それから、介護サービスにどのようなニーズが発生するかは、地域毎に、いろいろ特性があるということですので、「地域の特色を十分に勘案して」取り組む必要がある。それから、「国及び都道府県においては、保険財政の安定化や事務の円滑な実施のために、市町村等を支援する」、これも前回の部会で財政の問題とか事務のマンパワーの問題とかいろいろあるというご指摘がございましたので、付け加えております。
その下、「特に中心とする在宅介護サービスについて」というところでは、在宅介護サービスが中心ということを明記したこと、「将来の安心のためにも、望ましい提供体制のあり方を示すとともに、必要とされるマンパワーを確保するべきである」という書き方にしております。前回は、今後の整備目標を新ゴールドプランの見直しというような形で明示する必要があるという書き方をしてありましたが、もう少し具体的に書き加えたものでございます。
その下、在宅介護サービスですが、「施設介護サービスについては現時点では開かれていないので、必要な措置を講じた上で早急に導入を図るべきである」としております。
その下、医療サービスの供給ですが、「医療サービスについては、現在情報の開示が遅れて」いる、その点が問題だというご指摘がございましたので、ここではその点について、「幅広い情報の提示を可能にし、かつ第三者による客観的な評価制度を導入し、評価結果の掲示を義務づけるべきである。また、医療への民間企業等の参入についても、必要な措置を講じた上で早急に導入を図るべきである。さらにプライバシーを保護しつつ、個人の医療や福祉の利用履歴のポータブル化」を進めていく必要があるということを書いております。
最後の④で「寝たきり」の予防ですが、ここに「ひとり暮らし高齢者の安全」ということを付け加えまして、その下で、「食生活のあり方に留意する等」とあります。これは食生活が重要というご意見がございましたので書き加えております。
それから、「ひとり暮らし高齢者の安全」という観点を付け加えましたので、最後の方で、「ひとり暮らしの高齢者の安全を図る観点から」の様々なサービスの体制を整える必要があるということを書いております。
以上が、前回のご意見を踏まえ修正した主要な点でございます。
あと、資料3をご覧いただきますと、先ほどちょっとご説明しました「自由と秩序」の考え方について、前回もご議論いただきましたけれども、もう少しご議論いただきたいということでございます。資料3には「はじめに」の先ほどちょっと触れさせていただいた部分と、前回の部会で委員からいただいた意見を簡単に整理させていただいております。
なお、「「経済社会のあるべき姿」を考えるにあたって」の、4月13日に公表させていただいた部分に、若干それと関連する記述がございますので、ここも参考にご覧いただきたいと思います。
資料2、資料3につきましては以上でございます。
- 〔部会長〕
ありがとうございました。
ここで今のご説明について議論してもよろしいかとも思うのですが、資料4が、今の報告書案の中に既に出てきています、年金のあり方、高齢者の雇用と定年のあり方、公立小・中学校の学校選択の弾力化についての話でございますので、あわせて後で議論をしていただくということで、事務局の方から資料4についてご説明いただきたいと思います。
- 〔佐々木計画官〕
それでは、資料4、追加論点でございますが、まず、年金についてのご説明を申し上げます。資料としましては、「追加論点1」ということで、「長期的な年金政策のための取組み」という一表を用意しております。これは既に各委員にはご案内のとおり、今の報告書案の中にも、この4つの論点が掲げられていますが、これはそれぞれ「支持する考え方」と「反対する考え方」が大きく分かれている点でございます。そのポイントのところをこの表の中で整理しております。
まず、「厚生年金の積立方式への移行」ですが、現役世代が年金受給世代を支えるという現在の賦課方式では、これからの少子高齢化の中で世代間の負担の不公平が拡大するということから、人口構造に中立的な制度にすべきである、そういう面では移行すべきだという考え方がございます。これに対しまして、積立方式に移行する場合には、既に年金を受けておられる方への支払、それから自分の分の積立という「二重の負担」、これは380 兆円とも言われています額が発生するので、これを負担するのは非常に難しいのではないかという形で、反対する考え方がございます。
「厚生年金の廃止(民営化)」ですが、個人の選択の幅を広げ、民間の役割を拡大させていくという観点からは、厚生年金は廃止してしまっていいのではないか。これに対しましては、インフレへの対応を実質的に担保していく、企業年金のない中小企業のサラリーマンの老後の所得を保証する、こういう観点からは廃止すべきではない、こういう考え方がございます。
「基礎年金の財源の税方式化」ですが、現在では3分の1相当が国庫の負担ということですが、これを支持する考え方としましては、次に出てまいります「第3号被保険者問題」、国民年金の空洞化などの問題にかんがみると、税方式で担保する方がいいのではないかという考え方でございます。これに対しましては、現在3分の1を国庫負担しています部分の残りの3分の2を含めて税で負担するのは巨額の税負担を伴うということで、国民合意が得られないのではないか。もう一つは、残りの3分の2については本人と企業が出しているわけですが、その企業の負担が減少して、最終的には国民の負担が増加するから反対である、こういう考え方がございます。
「第3号被保険者問題」ですが、通常は専業主婦の問題と言われておりますが、この場合には、被扶養配偶者がいる場合、いない場合、いずれも同じ保険料率を取っている。こうした場合には、共働き世帯あるいは独身者世帯の場合、それぞれ被扶養配偶者がおりませんので、不公平ではないのか。その面では、被扶養配偶者も保険料を負担すべきだという考え方がございます。これに対しましては、被扶養配偶者は配偶者の給与で生活をしている、その面からは応能負担の原則からみると、あえて個別に負担をする必要はないのではないか、こういう考え方がございます。
いずれも議論を二分しているところでございますが、議論を深めていただく上での参考として整理させていただいております。
- 〔塚原計画官〕
引き続きまして、「追加論点2」の「高齢者雇用定年制のあり方」でございます。
「当面10年間における60歳以上の高齢者の雇用手法をめぐる主な考え方」としまして2つあるかと思います。1つは、「おおむね全員の雇用について肯定的な意見」、もう一つは、「雇用は限定的にすべきとの意見」でございます。肯定的な意見につきましては、現実問題として厚生年金の支給開始年齢が引き上げられること。それから、高齢者の長年培ってきた知識、技能を活用しないのは社会的な損失であるということから、全員の雇用について肯定的な意見で、「65歳定年制を導入すべき」、あるいは「65歳まで希望者全員が雇用される継続雇用制度を導入」ということでございます。
一方、限定的にすべきであるということに対する意見としましては、高齢期になりますと、個人の能力差や健康面での差が非常に大きいということで、一律の延長は不可能ではないか。雇用を延長しても賃金に見合うだけの仕事がない。労働者も必ずしも延長を希望していない。そういったことから、「企業の定めた基準に適合するものまたは特に必要と認めたものに限り継続雇用」すべきではないかという、大きな2つに分かれているということでございます。
それから、将来的な雇用制度のあり方につきましては、基本的な考え方としまして、定年制を維持すべき、定年制そのものを廃止すべき、という大きな2つの考え方があろうかと思います。
定年制の維持について、それを支持する理由としましては、定年制を廃止するということは、すべての世代の賃金・処遇制度を見直す必要があり、極めて困難である。現在、ほとんどの企業で定年制を導入しており、廃止は非現実的である。年齢以外の理由で高齢者を解雇するのは判例上及び実際上極めて困難である。高齢者の雇用の促進という観点から、定年制を廃止した場合に、定年制による雇用保障機能がなくなるため、実際に高齢者の雇用が促進されるかどうか不明確である。ということから、定年制というものは維持すべきということでございます。
一方、定年制の廃止については、職業生活からの引退時期を年齢にかかわらず決定できる。年功賃金ではなく、業績に応じた処遇を受けられるということから、定年制というものは廃止すべきという意見がございます。
4ページをお開きいただきたいと思います。「追加論点3」「公立小・中学校の学校選択の弾力化について」ですけれども、最初に用語の説明をさせていただきたいと思います。
5ページの「資料1」をお開きください。まず、「就学校の指定」ですけれども、現在、児童・生徒の就学すべき学校については、児童・生徒の所在地の市町村の教育委員会が就学すべき小学校または中学校を指定することとなっている、これは学校教育法施行令第5条で定められております。
次に、「通学区域」ですけれども、その際には、学校指定が恣意的に行われたり、保護者にいたずらに不公平感を与えることのないよう、通常、どこの市町村でもあらかじめ「通学区域」を設定し、この通学区域に基づいて学校指定を行っている、ということでございます。
この「通学区域」については、法令上の定めではなく、道路や河川等の地理的状況、地域社会がつくられてきた長い歴史的経緯や住民感情等それぞれの地域の実態を踏まえ、各市町村教育委員会の判断に基づいて設定されているものでございます。
こういった問題について、今までも、臨教審、行政改革委員会でいろいろな指摘がなされていますけれども、その指摘の一端をご紹介したいと思います。6ページ、資料2をお開きください。これは平成8年の行政改革委員会が学校選択の弾力化についての提言を行ったものでございます。
7ページをお開きいただきまして、中段に、先ほど述べましたように、「現行法令で定められた学校指定制度においては、市町村教育委員会は子供の就学すべき学校を指定するよう定められているが、通学区域に関する規定はなく、また、指定に当たっての保護者の意向の確認や保護者の選択についての制限は行われていない。したがって、学校指定に当たって、保護者の意向に十分配慮し、保護者の選択を働かせることは、市町村教育委員会の前向きかつ積極的な取り組みにより可能である」と言っております。
この中でさらに、62年の臨教審の答申についても紹介しておりますけれども、それによりますと、下の方で、「学校選択の機会を漸進的に拡大していくために、当面、具体的には、調整区域の設定の拡大、学校指定の変更・区域外就学の一層の弾力的運営、親の意向の事前聴取・不服申立の仕組みの整備など多様な方法を工夫すべきである」、また、「通学区域制度の見直しと学校選択の機会の拡大については、国や教育委員会の全国的組織等が一定の方式を定め、全国一律に採用するというような画一主義を排し、あくまで市町村教育委員会がそれぞれの地域の歴史や実情、住民の意思を最大限に尊重しつつ、自主的な判断と主体的責任に基づき進めるよう十分に配慮する」とされております。
そのような動きがあるが、ところが実態はどうかという認識につきましては、8ページの上で、「どの程度保護者の意向を重視し選択を働かせるかは市町村教育委員会の意向、試みにかかっており、市町村教育委員会の取組は十分とは言えない」ということを述べております。
次に、9ページをお開きいただきたいと思います。経済企画庁の中に別途、国民生活審議会がございますけれども、その中で同様な指摘がなされていまして、「公立小・中学校の学校選択の弾力化」ということで、「学校選択を弾力化し、学校間の競争を通じて各学校の多様性を高める必要がある」ということで、具体的な提案としましては、「公立小・中学校の通学区域制を見直し、児童生徒や親が学校を選択できる仕組みを導入する」、あるいは「学校選択に役立てるため、学校の施設、教師、教育方針等について、児童生徒や親の意見も含め、情報を公開する仕組みを検討する」という提案をしております。
こういう流れを踏まえまして、学校選択については弾力的な運用が図られているということですけれども、10ページで、具体的にはどのような運用がなさるかというのを簡単にご紹介したいと思います。
資料4の「通学区域制度の運営に関する事例」ですが、1「地理的理由による事例」、地理的理由による運用の弾力化ということで、通学区域は別なのですが、近くに学校がある場合は、通学区域を越えてその近い学校に行かせるというような運用がなされてきているということです。
2「いじめ、不登校等教育的配慮による事例」ですが、昨今非常に問題になっていますいじめの問題等により学校を替わりたいというときには、通学区域を越えた学校の選択ができるようになっているということです。
3「『小規模特認校』による事例」ですが、小規模特認校というのは、例えば過疎地域などで、自然環境に恵まれた小規模小学校の特性を活かすという配慮から、これを希望する保護者の児童について、特例措置として、通学区域外からの入学を認めることも行っております。
4「『調整区域』による事例」ですが、そこの概念図のところに黒く塗った方が、もともとのA小学校の通学区域、白い方がもともとのB小学校の通学区域だったわけですが、そこに道路とか、新しい鉄道が通るとかということで、通学区域が分断される場合には、調整区域という定めるところは、基本的にはB小学校の通学区域になるわけですが、その場合に、兄弟でありながら、お兄さんがA小学校で、弟がB小学校ということも考えられる、その場合には調整区域というものを設け、A小学校への選択も認めることも行っているのが実態でございます。
元に戻っていただきまして、4ページでございます。こういった現状を踏まえまして、本日の論点としまして、「学校毎に特色ある過去運営を実現するとともに、保護者や地域住民の意向を踏まえた教育行政を展開していくという観点からも、各市町村教育委員会が学校選択の弾力化を一層推進すべきと考えられるが、下記の2つの視点について、如何に考えるべきか」ということを論点としております。
第1点としまして、「全国一律に、市町村内全域あるいは複数の学校の中から、保護者の選択に基づき就学すべき学校を決定すべき」かということでございます。この問題点としては、「子供や保護者等への影響」ということで掲げてございますけれども、「一定の学校に希望が集中し学校施設の使用限界等から希望どおりの学校に就学できない場合、子供たちに不要な優劣・差別意識を植え付けたり」、「また、近隣の学校を希望したにもかかわらず、わざわざ遠距離通学をしなければならない可能性がありうる」ということでございます。
第2点としまして、「各地域によって歴史的・地理的要因等による様々な実情の相違があること、また公立小・中学校は市町村が設置するものであることから、地方分権の流れに即し、あくまでも各市町村教育委員会の各々の判断によって、取り組むべき」ということでございます。こういうことをやりますと、(問題点例)に書いてありますように、「地域や教育委員会によって対応に相違があるため、全国的な観点から見た場合、必ずしも学校選択の弾力化が」進まないことも懸念されるということがございます。
こういう大きな2つの方向性についてご議論いただければと思っております。
- 〔部会長〕
どうもありがとうございました。
ただいま、福島室長から資料2と資料3を中心にご説明をいただき、佐々木計画官、塚原計画官から資料4を中心にご説明をいただきましたけれども、案について本格的に議論できるのは今日ぐらいではないかと思いますので、ぜひ活発に忌憚のないご意見を伺いたいと思います。どなたからかでもどうぞご自由に。
B委員、いかがですか。
- 〔B委員〕
ご指名をいただきましたので発言させていただきます。まず、具体的なことで、サマータイムの件です。これは、私は、必ずしも推進派ではありません。というのは、コンピュータ化社会においては、時刻の管理は結構面倒なわけで、特に今、2000年問題等がいろいろ騒がれております。サマータイムの場合には2000年問題とは違って、予めわかっているわけですから、対処ができないということはありませんが、相当煩雑なことが心配されるわけです。家電製品、その他についても、もしかしたら全面的に1年に2回ぐらい調整ということにもなります。そういうことによるマイナス面ということに関してはあまり議論されていないような感じがしてならないのです。
昔のような、つまり、みんなそれぞれ時計をちょっと進めたり遅らせたりすればいいという時代ではないということです。様々な意味で、そういう時刻を恣意的に変更するということに対するデメリットというのは非常に出てきている状況であるということを、もう少し考慮すべきであると思います。今、インターネットにおいては、1つのスタンダードタイム、つまりニューヨークだろうが、東京だろうが、ロンドンだろうが、同じような時間を使うという意見すら出ている状況でありますので、その辺を懸念しております。それが第1点です。
もう一点は、わりに大きな話であります。全般的に言って、私は、この報告書は非常によくできていると思っております。大変労作で、私は大分さぼっていたのですが、脱帽しております。ただ、大きな話としてちょっと問題かなというか、難しいかなと思うところもございます。
それは、個ということが非常に前面に押し出されているわけです。それはよくわかります。今の状況で、そういうことになっているわけです。この「個」というのは、基本的には欧米のインディビジュアル中心の近代的な考え方に基づいてやっていこうということだと思いますが、これがなかなか日本社会では根づかなかったというのは、戦後ずっとそうであります。昔から、近代化されてからずっとそういうことになっているわけです。その問題が様々なところで出ているという気がします。
自由と秩序の問題についてもそうですが、例えば、「個」中心というのは、インターネット等を使ってフレキシブルにコミュニティをつくっていこうということとも結びついているわけです。
それはもちろんいいのですが、事例を言いますと、アメリカでは、女性中絶医を攻撃するホームページが開かれて、女性の中絶をしてくれる女医さんなどを、あんなのは殺していいんだ、というような血なまぐさいホームページを出した。それは、女性の地位を向上させるというのは、どちらかというと、「個」中心でインターネットをサポートする人たちなわけです。だから、それは規制してはいけないということです。そこに非常に自己矛盾があるわけです。その「規制してはいけない」ということでやっていったら、そういう自由を謳歌する人たちを、むしろ攻撃するような意見が出てきたということです。
どうなったかというと、皆さんはご承知だと思いますが、結局は、裁判に訴えて、ある意味では中央の権力の力で自分たちの安全を守ってもらったという結果にならざるを得なかったわけです。
これは非常に難しい問題で、自由と秩序というと、それは自分の自己利益ということだというふうな人もいるのですが、必ずしもそうではなくて、自由の中には、世界観とか価値観の差というものもありまして、今の場合も、中絶してはいけないというのは、自己利益ということではない。彼らの宗教的な倫理観に基づいて、例えばカトリックだと、中絶はいけないという、そういう世界観に基づいて言っているわけでありまして、これも1つの倫理なわけです、そういう人たちからすれば。私は、別にそういう意見に賛成ではない、中絶反対というわけではないです、個人的には。
私が言っていることは、倫理というのもいろいろあるわけで、その辺はもうちょっと複眼的なところもあるかな、と。
特に、日本の倫理というのは、基本的に共同体に基づいてつくられてきたと思うのです。企業の中もそうですし、家庭とか、地域とか、地域の村とか。このお話というのは、基本的に、そういうものはもうある意味では崩れて、新しい時代が来ているのだというお話です。その中で、では倫理というのはどういうふうに考えていくのかということに関しても、大きな課題としてあるのではないかと。私も、もちろんそれに対して回答があるわけではございません。以上でございます。
- 〔C委員〕
全然論点が違って恐縮ですが、教育のところについて意見があります。
まず、全体的な方向ですけれども、14ページ~15ページで、ここは「『個』の時代を担う人材育成、教育における新たなネットワークの構築」というのが大きいパラグラフで書かれているのですが、「子供の育成環境の整備」ということで、体験機会の充実と書かれてきていますが、ここにたどり着く前に……。
例えば、うちの子供ですと今、中学3年生と小学校6年生ですが、中学生は公立に行っていますと、ほとんど部活、特に運動クラブに入っていますので、部活で全部の時間をとられていて、実際にこういった場ができても活動する機会はない。下の子は今、小学校6年生ですけれども、塾に行っていて、なかなかこういった場というのは――学童保育クラブに行っていましたのでいろいろな地域での遊びはやってはいるのですけれども、結構塾に行っているお子さんも多いという感じなのです。
そういう現状をどうするかという話が全くなくて、ぽっと「体験機会が必要ですよ」というふうに書かれても、今の状況をどうするのかという話が何もなしにここへすっと行けるのかな、という感じがしております。
一言も、塾ですとか、部活とかいうような話が入ってきていないので、もうちょっと前段があって、個別の、15ページの(1)から始まっていくのではないかという感じがいたします。
それから、教育委員会ですけれども、教育委員会もいろいろと私もかかわっていますけれども、すごく硬直化しているというのが、教育委員会への私の印象です。今までもいろいろな形で接触はしているのですけれども、この中で全く落ちているのは、中野区でやっておりましたけれども、教育委員の公選の話。ここの話などは全然出てこないというのもちょっとおかしくて、このあたりのことも考えたらどうかという気がいたします。
具体的には、教育委員会が小・中学校を通じた社会教育ということをやっていて、私もこの社会教育を担当するような委員をやったことも何回かあるのですけれども、講師を呼んで学習会を開く形でないとお金を下ろさないということです。親の側から、どんな親でも一回は学校に来てほしいということでパソコン教室をやってみたいとか、そういう申し出をすると、全部ダメなのです。お金が下りないというところがあって、ともかく、今年は教育委員会からお金をもらうことは小学校はやめて、学習会も、楽しく集まる会という「楽集会」に名前を変えて、自分たちだけでやっていこう、教育委員会から離れようということを、もう一歩踏み出しました。すごく硬直化しているところを何とか破れないのかな、という感じがしております。
それから、学区のところで、学校の選択の話が出ておりましたけれども、私の子供も、転居したものですから、学区からは外れてしまった。ただ、長年通っている学校なので、そのまま継続をして行かせたいということで、校長先生に教育委員会への依頼状を書いてもらって、今は学区の違うところに通っているという結果にはなっているのです。そういう意味では、今は、いじめであっても、そういうので対応していただけるとかで、かなり弾力的にやってきていますので、この方向というのは流れていくのかなという気がしているのです。
ここで、学区というものがなくなって、流動化をしていくと、ここで前提に流れている基調が、それぞれが「個」になって、それからネットワークを組もう、ネットワークの中に地域が非常に大事だ、というような書き方になっている全体の書きぶりの中で、ここだけが、結構自由に皆さん選択しましよう、となると。今の地域での子育てというのは、学区というのでしょうか、隣近所という感じですか、それで成り立っているようなところもあるので、ちょっと矛盾してくる場面もあるような感じがするので、その辺の整合性みたいなこともどこかに一文入れてある方がいいのではないかと思います。
- 〔A委員〕
B委員、C委員がおっしゃったことに一言ずつ補足なのです。
私も、サマータイムは積極的賛成ではありませんで、むしろ反対です。理由は、B委員がおっしゃったのと同じ理由です。それと、省エネ効果というのも、必ずしも明らかではないということです。
前回、隣におられたD委員と、「サマータイムって、賛成?」という話をしたら、D委員は賛成だと。その理由は、諸外国が全部やっている。やっているから、日本だけがサマータイムを導入しなければ、またそこで、日本だけが違う時間をとることになるという理由で、私もちょっとぐらついたのですけれども。
それは、時差をそのつど1時間どうするかという話であって、むしろ、私は、B委員がおっしゃった、様々なものに、あらゆるものに時間が内蔵されているわけで、そこから起こるトラブルというものは決して軽くはないと思うのです。
それから、どうも世の中、サマータイムはいいことだ、ということに議論がどんどん進んでいるのですが、もう少し冷静に、その起こりうるコストとメリットは比較考慮する必要があると思っています。
次の教育のところで、私は、この分野はよくわからないのですが、C委員がおっしゃったように、教育委員会がかなり硬直的だというのは、十分に感じられるわけです。学校も選択できるようになっても、学校自体が選択されるような運営、個性をつくるような運営というものができなければ、今よりは一歩前進ですけれども、本当の教育改革にはならないように思うのです。
それで、16ページに、「教育委員会の取組みの促進」の前のところに、「学校運営体制の改善・充実」というところがありまして、ここは非常に重要だと思います。3つ目のパラグラフの、「学校毎に特色ある学校運営を実現するため」……云々という、ここが非常に重要なのですが、恐らく今は、これがほとんどできない状況になっているのではないかと思うのです。詳しくわからないですが。このパラグラフでは、社会人の積極的な活用という程度のことがうたってあるのですが、カリキュラム、それから教科書の選定、様々なものをもう少し学校が責任をもって運営できるようにする。(具体策)の1つ目に、「学校予算の執行や教員人事、教育課程の編成に関する学校の裁量権限の拡大」とぽつんと1つ書いてあるのですが、実はここのところがかなり難しくて、かつ重要だと思いますので、この点で、政府の関与を最小限にするとか、その方向で検討を始めるとか、具体的な議論に入るとか、一歩踏み込んだ方がいいのではないかと思います。
- 〔E委員〕
大変いいまとまりになっていると思いますけれども、まず、年金のところから意見を少し申し上げたいと思います。
19ページ、報酬比例部分のところで、交際費等とはっきり書いたわけですけれども、つまらないものだけを出しているみたいで、保健衛生費とか、交通費とか、「まで」と書いてあるから含んでいるのでしょうけれども、交際費だけでなくもう少し例示を出してほしいということが1点であります。
20ページ、「長期の制度維持のための取組み」というところは、事務局から2つの考え方を整理していただきまして、大変わかりやすいわけです。この問題は、専門審議会等も延々と、侃々諤々やってきている問題です。年金制度も長年にわたる長期的な制度ですし、国民生活の中に取り入れられた基礎的な制度ですし、なにしろ規模が非常に大きくなっているということで、根本的、抜本的な改革というのは、ここに整理されているように大変いろいろ引きずる問題であると思っております。
そこで私の提案は、最初の方に出ていますように、今、年金はこのままで大丈夫かというのがいちばんの国民の不安であると思っていますけれども、そこで、政府が決めるペーパーの原案としては、私としては、c)の「長期の制度維持のための取組み」は、これは百年論争で話がつきにくい、また国民の合意も非常に難しいところですので、改革の方向のところにかなり詳しく書いてありますけれども、要は、年金の給付総額を落とす、それによって若い人の掛け金を適正化していく、そういうことによって年金制度は長期的に維持可能だということを、方針をぜひきっちり書いていただきたいということであります。年金総額を落とすことの手段としては、既に、スライドの廃止とか、水準の見直しとか、支給開始年齢の引上げとか、具体策が書いてありますけれども、こういうことの組合せによって、将来的にも年金制度は維持可能だという判断を、私はできると思いますので、それをきちっと政府の考え方として出していただくというのが、今、国民の老後不安なり、年金の不安を解く最大の大事な政策と申しますか、方針のポイントではなかろうかと思います。
あわせて、公的年金、個人年金の充実とか、住宅等の資産の活用によって、これからの国民の老後の生活、セーフティネットというのですか、それは大丈夫だという方向で書いていただきたいということであります。
そういう意味では、A委員等から大変お叱りを受けるかもわかりませんが、c)の「長期の制度維持のための取組み」は、これは政策としては非常に困難であると私は考えておりますし、どちらかというと、長期制度維持のための取組みというよりも、公平論とか、小さな政府論とか、税制の問題とか、いろいろな要素が絡んだ別の角度の観点を含んでいる問題ですので、そういう意味で、ここで並列的にa、b、cというような形で書くのではなくて、政府の方針としては、a、b、あるいは企業年金、個人年金等で老後を支えるのだという方向をきちっと出すことをお願いしたいと思います。
それから、細かくて恐縮ですが、少し気になるところがございまして、整理ができていないのですが、25ページの保育サービスです。保育サービスは、質と量と使いやすさというのが非常にこれから大事になってくると思います。そこで、冒頭に書いてありますように、延長保育、乳児保育、休日保育とか、いろいろな使いやすい保育制度、それから民間参入、さらには、26ページになりますけれども、小規模の保育所、分園の形の保育所ということで、きちっと質の高い正式の保育所をこれから政策としてやっていこう。それで、お母さん方の要望に応えようということですから、くどくど申し上げましたけれども、ここに書いてありますように、認可外保育施設の積極活用というのは、何もこのようなものは抹殺しろと言っているわけではありませんが、政府の方針としては、正規のものを工夫して使いやすくして、これから、お母さん方が願っている、正規の保育所で対応するという方向で、「認可外保育施設の市町村における積極的活用」というのは削除していただければと思います。
それから、28ページに、またいろいろな形で原案が提示されたわけですけれども、1つは、民間事業者も加わった市場の話であります。ご存じのように、介護も、医療も、福祉も、通常の市場ではなくて、供給ができると必ず需要が伴うという市場でありまして、自分で金を払うわけではなくて、税金とか保険料で費用が払われるわけでありますから、供給が需要を呼ぶ。その需要が保険料だとか税に大変大きな負担をこれから伴ってくるわけです。
そこで、1つは、過剰ぎみだと言われている医療について、さらに民間の参入が必要かどうか。私は、もうメリットがないのではないかと……。
それから、在宅介護についても、ほぼ施設水準が伴っているわけですから、これから介護サービスは在宅型は力を入れなければいけないわけですから、その点は大いに民間の参入を認めるとして、施設入所介護のところも継続性、永続性が非常に大事な施設ですし、整備水準も整っておりますので、民間参入については、私は、必要があるかなという気がいたします。
さらに、これも細かくて恐縮でありますが、情報開示は着々と、弁護士も、医療機関もその方向で進んでいるわけですけれども、ここに書いてありますような、医療方針とか医療内容については、これはなかなか検証はしにくいことでありまして、大変な議論を呼んでおります。こんな病気も治せます、親切にやります、美人の看護婦を揃えています、いろいろなことが考えられるわけですけれども、客観的な技術の情報公開は大いに進めるべきでありますけれども、検証不可能なような内容については、非常に慎重でなければならないと思っております。
最後になりますけれども、カードシステムの普及、これも大いに結構だと思っております。これから、こういう情報の共有化というのが大事になるわけですけれども、ここに書いてあるように、「ポータブル化を可能とするよう大容量電子媒体を用いた保健医療福祉カードシステム」、こうなりますと光カードのカードシステムというように限られるわけですけれども、これからの情報技術は日進月歩でありまして、いろいろなネットを使うとか、いろいろな形での情報の共有だとか、情報のやり取り・提供が可能ですから、こういうふうに媒体とか手段を1つだけに限るような書き方から、もう少し広めの書き方に直していただきたいということであります。
細かい点まで申し上げて恐縮です。以上でございます。
- 〔A委員〕
E井委員のご意見に真っ向から反対いたします。
20ページの年金ですけれども、今の年金制度への不信感、特に若い人の不信感は相当強くて、将来もう年金はもらえないのではないか、というような不信感があるわけです。それはどこから生まれたかというと、改革を小出しにしてきて、財政再計算のたびにずるずる、少しずつ改革をしていく。そして、結局、年金というのは逃げ水だというような言葉が出てきているわけです。それから考えますと、これから本格的な高齢化に向かい、2025年のピーク時までの年金制度をどう確保していくかという、今非常に重要な時期です。そのことを考えますと、私は、cに書かれた「長期の制度の維持のための取組み」、積立方式、基礎年金の財源問題、これこそが今議論が必要な論点であると思います。
残念ながら、今回の財政再計算の改革法案でも、この点の議論は先送りされましたので、5年後を待たずに、すぐにでも議論に入るべきだと思っております。
議論に入るための条件も、既にいくつかもの試算も出されておりますし、議論に入るための条件もできているというふうに思います。
私自身は、追加論点で出されたものでいきますと、積立方式への移行に賛成ですし、2階部分は廃止。廃止した上で、政府は、税制上の優遇措置だけを取る。それから、基礎年金は財源の税方式化に賛成です。3号被保険者は保険料を徴収すべき。そのためにも、基礎年金は消費税方式にすべき、という意見です。
これで合意がたぶん取れないでしょうから、論点を出すということでも結構ですが、この部分は早急に議論を始めるということは強調していただきたい。少なくとも、経済戦略会議で出された提言を真正面から受け止めて議論するということは書き込むべきではないかと思っております。
それから、29ページ、医療への民間企業の参入ですけれども、私は、民間企業を参入させるべきだと思っております。今、株式会社が医療法人経営できないというときの制約は、利潤を分配してはいけない、利潤を外部に出してはいけない、という制約なわけですけれども、その非分配制約を今の医療でかける根拠というのは見い出し難いと思っています。株式会社を排除するということが医療サービスの質を確保するという根拠は、やはり見い出し難いと思うのです。むしろ、重要なのは、徹底的な情報開示と事後のチェック体制を整えることで、それはここに書かれているとおりです。
民間企業を参入させることによって、私は、医療機関は今、かなり経営が厳しいところが出ていますが、経営のプロが担うことが必要だと思います。それから、医療サービスという観点からみたときに、より利用者のニーズに応えようとする形で、営利法人と、非営利法人が競争することの方が望ましいと思っております。介護施設についても同じような観点で、民間が入ることに、私は賛成です。つまり、株式会社が病院経営してはいけないという規制を取り除くべきだと思っています。
- 〔F委員〕
26ページの学校運営の点は、先ほどA委員も言われたように、学校毎に特色ある学校運営を実現するところが、まず前提として大事だと私は思います。そのために、例えば、チャータースクールまで行かなくても、私立化というものをもっともっと推進していく。地方自治体でも、ご案内のように、教員の人件費というのがいちばん多いのです。だから、私立化をどんどん進めていく。
また、私も私立の学校を経営しているのですが、大変財政的にもよくなっているのです。公立の校長というのは、経営感覚の人が、経営者として運営できるようなことをもっと認める。また、寄付金の制度というのでしょうか、そういった篤志家の方々の寄付金がもっと自由に受けられるように、特に私立の場合はそれがもっともっと受けられるような制度にしていただきたい。そういうことをすることによって、地域における特色のある学校が出てくるように、私は思いました。
それから、27ページの2行目ですが、福祉も、「施設から在宅へ」という考え方は、私は、必ずしも賛成ではないのです。介護サービス、在宅サービスをやっても、とても難しいというのが現状です。現在、グループホームという言い方もされていますが、施設に関して、民間がどんどん施設に出て行っても、現実的には憲法問題とか、要するに国のお金とか公的なお金を民間に出すことができないという縛りがある中で、中間施設という考え方があるのです。グループホームなどは、中間施設という言われ方をしています。そういう中間施設というのが、これから大変展開しやすい構造だと思っています。その中間施設に対してのいろいろな補助策、例えば、償却費に関して上乗せをしていく、中社審の構造改革でもそのことは述べておれておりますが、これは社会法人であろうと、民間企業であろうと、その介護報酬プラス中間施設に対する減価償却をどんどん認めていく形になると、大変いい形で展開できる可能性が出てくると私は思いました。
28ページですが、ここも多少小さいことになるかもしれませんが、アンダーラインを引いたところの3行目~4行目に利用券方式があります。経済戦略会議とかいろいろなところで、バウチャーという言葉がありますから、括弧して(バウチャー方式)と入れておいて、国として同じような言葉づかいの方がいいかなと思いました。
下から3つ目のパラグラフ、「特に中心となる在宅介護サービスについて、望ましい提供体制のあり方を示すとともに、必要とされるマンパワーを確保すべきである」、これは雇用の問題も含めて大変重要なのです。ただ、現在の雇用対策に対するマンパワーの確保ということは、どちらかというとマンパワーの数を増やすということに、現時点で力点が置かれていて、その質的な問題についてはちょっとおろそかになっているように、私は今の流れは感じがします。
そういう中で、この中の文章に入るのか、後の具体策に入るのかはわかりませんが、今40万とも言われている准看護婦の方々の戦力化ということは、私は、非常に注目していいと思うのです。このあたりのこともぜひ政策的にも考えていただきたいと思いました。
下から2つ目のパラグラフ、先ほども申し上げたのですが、「在宅介護サービスに関して民間企業等が一定の条件の下に広く参入が認められているが、施設介護サービスにおいては現時点では開かれていないので、必要な措置を講じた上で早急に導入を図るべきである」ということは、逆にいえば、施設介護サービスについてはいろいろな問題があるのだ、だから、これは今はちょっとペンディングといいましょうか、オープンになっていないということですが、逆に、ここの部分をもっともっと、先ほど申し上げましたような中間施設という概念を入れていただくことによって、一気にこれを拡大していかないと、在宅介護ということになると、それだけだと民間企業は絶対進出しません。現実的に、今多くの会社の決算数字とかを見ているのですが、在宅中心でされているところは本当に大変なのです。その辺は、施設的な形態は併用してできるような形にしていただかないと、民間による介護サービスの提供は、私は現実的には困難だと思っています。
その場合に、社会法人とのイコールフッティングの問題も含めて、施設整備費が出せないということであれば、今申し上げたように、減価償却費を、民間がやる中間施設にも出る、そういう制度にぜひしていただきたいと思いました。
あわせて、地方自治体と民間による公設民営という考え方もぜひやっていただきたいのです。前にもちょっと申し上げたと思いますが、国のお金を民間に導入するのは大変な手続で、現時点で無理。しかし、地方自治体の普通財産に関しては、特に介護の問題は地方自治の問題、主体ですから、地方自治体の議会の承認ということを得れば、基本的には、普通財産を、そういう対応財産にするとか、民間あるいは社会法人対応案件として提供できる。
私はなぜそういうことを申し上げるかというかと、教育においても、福祉サービス、電気・ガスについてもそうですが、公共サービスというのは非常に継続性の高いサービスだと思います。継続性の非常に高いサービスというのは、例えば、初期投資をならす方法というのはいくらでもあると思うのです。これは現実的には難しいかもしれませんけれども、初期投資の部分に関しては、公的機関でも証券化するとか、あるいはSPCを使うとか、いろいろな資金を調達して、それを長く分散していく、そんな新しい手法をもっともっとパブリックサービスの分野で導入していただくことによって、財源問題も含めて、初期投資も非常に少なくて、安定的なサービスが提供できるような仕掛けを作る、そういう制度をどう作るかということが私は問われているのだと思いますので、その辺のことをぜひ何らかの形で。もう発言する機会が少なくなりましたので、具体策か、文章か、そういうところで今言ったニュアンスのことをぜひとも取り上げていただきたいと私は思いました。
- 〔G委員〕
いくつかのポイントがありますけれども、1つは、前のときに議論された「自由と秩序」という単語です。私は、日本語のニュアンスに対してちょっと音痴かもしれませんけれども、私の考えで、「秩序」は管理社会的なニュアンスがあって、権力構造を維持するイコール社会の秩序を維持するというように受け止められるのではないかと思っています。
「秩序」は、B委員がおっしゃったとおり、やり放題の時代ではないのです。インターネットについても、テレビについても、週刊誌についても(インターネットと週刊誌は全然変わりがないと思いますけれども)、何があってもやり放題の時代ではないと思います。「秩序=既存の権力構造」というニュアンスは、特に外国の目から見ては、強いと思っております。
また、同じようなニュアンスですけれども、安全と安心は、いいことですけれども、絶対的な要素は持っていないと思います。例えば、金融問題を解決するためにペイオフ制度を延期できます。それは皆さんの安全・安心感にすぐ100%貢献する出来事です。しかし、それで金融システムは死にます。ですから、安心・安全のコストも考えなければならないと思っております。
私が持ってきたポイントは2つ、サマータイムと単身赴任の問題です。新聞の切り抜きを持ってきました……。
サマータイムについて、賛成派・反対派両方があるのはよくわかります。そして、外国でやっているから日本でやるべきだという話でないのは当然です。私の経験からみて、ヨーロッパで障害はゼロです。場合によって、1時間遅れてアポイントに行く人とか、目を覚ますのが1時間後とか、そういう人は必ず出てきますけれども、大きな電車の衝突とか、そういう話は聞いたことがありません。
サマータイムは、僕の多くの日本人の友達から、これが建設的だという指摘もありましたけれども、ポイントは、業界の間、あるいはエリートの間で決まるような問題ではなく、一般国民が決める問題だと思っております。国民投票がいいと言いましたけれども、国民投票にいかなくても、私たちが普通の人の意見より価値のある意見を持っていると思っていません、このポイントについて。ですから、これはもっと日本の国民全体の反対派と賛成派の事情を調べた方がいいと思っております。こういう問題こそ、ボトムアップで決めるべきだと思っております。
単身赴任問題について、素案に書いてあるように長所と短所があります、2つの考え方があります。そして、単身赴任は日本独特の現象だと思いますけれども、これは何が原因であるかよくわからないというポイントがありましたけれども、この新聞の切り抜きを見る限りでは、その法的な面が強いようです。本当にそうかどうかわかりませんけれども、この中で、例えば裁判官の判決、裁判官が家族生活を優先させる考え方が社会的に成熟しているとは言えないと判断するということです。裁判官がそれに基づく法的な根拠があるかどうか、私はもちろんわかりませんけれども、その法的な問題であれば、当然、法は変えられるし、法的な根拠がなければ、単なる個人的な意見・解釈であれば、これは法の運用そのものの以外の問題ではない、と私は個人的に思っているのです。なぜなら、家族生活を優先させる考え方が社会的に成熟しているとは「言えない」というのが彼自身の意見であれば、「言える」という状況に何が必要であるかと思うしかないです。
以上、単身赴任の問題は、法務省の方の意見、あるいは労働組合、連合さんの考え方が、今本当に法的なネックがあるかどうか、会社は労働者に対しての法的な義務がどこまであるか、法的な援助をどこまでやるかを考える必要があるかもしれないと思っております。
最後に、大きな問題の年金問題と教育問題について。年金問題は、まさに問題があるからこそ、あまり前進が見えないからこそ、若い人々に不安感があるのではないかと思っております。ですから、こういうふうになるという、はっきりした解決が見えてくれば、年金はこれぐらいあるという前提ができます。今は、年金はもうないという、ものすごく大げさ的な考え方があります。
しかし、ポイントは、今の状況で政府が投資している資金のリターンは極めて低い、いろいろな形でリターンの見込めないところに流れてきているのは、大体みんながわかっています。そして、人口構造が追い風のようになりますから、年金に対しての不安、もう年金が出てこないという問題は、合理的考え方だと思います。「その解決はこれだ」という解決が出る前は。
最後に、教育。学校と学校の間の差が出るおそれということですけれども、それは目標だと思います。学校と学校の間の差は、競争原理で、本当に人が行きたくない学校はどういう問題があるか、運用の問題がどこにあるかについては、いろいろな形でクローズアップされて透明になります。今のところは、学校が悪くても、人が強制的に行かせていますから、その悪さが市場的な形であらわれてこないです。
前に話がありましたけれども、イギリスは、数年前から、学校のパブリックスクリーニングシステム、格付システムを導入しました。当然、これは教師の労働組合、あるいは教育のエスタブリシュメントからものすごく大きな反対がありました。アンフェアとか、これは全くナンセンスだ、特別なファクターを全然考慮していない、そういうクレームがありました。これは、前の保守党の時代にやりました。その当時の野党の労働党が強烈に批判しました。しかし、今、労働党が政府与党になっても全然変わらないです。やはり、このシステムは定着して、かなりユースフルです。自分の学校は番付のどこにあるか、知る権利はある。知らなかったら、教育について何もできない。両親について、PTAの参加を促進するとか、いろいろな形で学校システムの全体のレベルアップにつながっていると思っています。これはイギリスの例です。
とりあえず以上です。
- 〔H委員〕
まず、サマータイムの問題ですが、私は、ここではコミュニティへの参加という部分で取り上げていますが、これだけ前半というか、全体を流れる論調が、一人ひとりの生き方だとか、「個」の自立ということを言っている以上は、いかに明るいうちに自由な時間をよけい多く取るかという意味において、私はサマータイムは賛成です。ただ、今までの委員会(ここの委員会ではありません。)の議論を聞いておりますと、省エネ問題を含めた、そういう経済的なメリット・デメリットの議論ばかりです。むしろ、私は、生活のあり方としていかにして自由な時間を多くつくるかという視点でいけば最優先すべきであって、その上で、プラスとマイナスはこういう問題があるので、これらについてはこれから十分克服していけばいい、という発想に立つべきだと。
ただ、そこで問題になるのは、私たちは、ある意味では時間の過ごし方が下手でして、日本人は、私どもを含めて組合員も、結局は、時間が余るとお金を使って時間をつぶすことしか知らないわけです。要は、お金を使わないでいかに自由な時間を過ごすかという意味での啓蒙活動みたいなところに力点を置いた考え方に立つべきでではないかと思っています。
それから、「論点」でいくつか出されていますが、年金については、私は個人的には、A委員のおっしゃるとおりだと思っています。ただ、ご存じのとおり、年金審議会からは、組合側の委員は退場もしたし、辞職もしてしまったものですから、軽々にものが言えないのであります。ただ1つ、そういう環境の中で言うことは、先ほどから出ているように、結論はともかく、問題の先送りはもういけないのではないか。ですから、5年といわずに、早急に、どうするのだということは、今、多少の意見の相違は当然のようにあるのでしょうけれども、結論を出さなければいけないということだけは、論点整理とあわせて明確にしておかなければいけないだろう、最低でも、そのように考えます。
教育の問題については、社会経済生産性本部の方でもこの前までずっと議論をしてきたのでありますが、その中で議論しているのは、ある意味では各パーツの問題を議論するのですが、今まで、ある意味で平均的な人材の育成というところに焦点が置かれて、採用する企業の側も、独創的な性格をもった人よりも、むしろ、会社の中の集団にいちばん合う人をという意味での採用をしてきた。そういうことでは企業が成り立たないということで、今、採用することから変え始めているわけですが、まだ完璧ではない。そういう、俗に言う学歴偏重とか偏差値の問題は、ある意味では、そういうものがなければ、いい会社に入れない、いいところに行かれない、ということから始まっていく部分がありますので、企業の側も、選ばれる時代に入ってきたという意味においては、ここの教育問題のところも、そういう視点を少し触れて、そこから根本的に直していく。
社会経済の委員会の中で議論したときは、学校もある意味では、市場主義と言うとおかしいですけれども、学生は辞めちゃって、行きたい学校が満杯になったら、それでいいんだ。そのかわり、ろくな先生とろくな教育ができないような学校には誰も行かない。そこの校長と先生は、したがって、辞めればいいのだ。いい学校にするということは、全面的に校長の裁量権(これは人事も、予算も、)を持たせるべきだ。このようなことの議論から一定の考え方をまとめていますので、もし時間があれば、それらも参考にしていただきながら、活用できる部分は組み入れていただければ、私どもとしては大変ありがたいと思っています。
自由と秩序の問題ですが、G委員の発言にもありますとおり、私は、自由の対立概念は責任だと思っていますから、これを直結「秩序」という表現は、まずいだろうと思います。
言わずもがなだと思いますけれども、私は、完全な自由な社会――つまり、法律も何もないということですが――、それは少数の人が、力のある人が自由になって大多数の人が不自由になるわけで、その大多数の不自由な人を自由にして、少数の人を不自由にさせるというのが法律だ。だから、その部分においては、自由を拘束するわけであります。そのときに、大多数の人が自由になったときに、法律以外に社会の秩序を保つために、その社会独特の――それが宗教観に根ざすものであれ何であれ――、倫理であるとか、道徳であるというものが総合的にマッチして、その社会としての秩序が保たれるわけであります。
そういう論理構成からみれば、秩序の部分、いわば倫理や道徳の部分に行政が介入するというのは、やはり好ましいとは思わない。だとすれば、そういうことに対する社会的な様々な団体を含めた大きな国民運動が自発的に起こってきて、アメリカの今の銃規制の問題ではありませんけれども、国民各層が自分たちの共同体である日本の社会の秩序をどうやって作っていくんだという意味での倫理観や道徳についての議論を、運動として盛り上げるという考え方に立つのがいちばんふさわしいのではないか。と感じておりますので、最後でありますので、各項目で一言意見を申し上げさせてもらいました。
- 〔I委員〕
13ページになります。②「高齢者活動の場を提供するNPO」です。
私どものところで、NPOで働いているというか、ボランティアなのですが、65歳~75歳の男性に、いくらぐらい年金をもらっているのかということ、なぜここでボランティアで働けるのかということを聞き取りしたのです。そうしたら、企業年金と厚生年金で合わせて40万円ほどもらっている。40万円もらっていると、家は自分の家ですから、夫婦2人では生きていくのに十分なお金であるから、ボランタリーなことをして、それを社会に還元したいということを、その5人ともがおっしゃっていました。
「高齢者に活躍の場を提供するNPO」では、こういうところで働く人はそういう意識かなと思ったのです。
もう一つ、「雇用の受皿にNPOを」と、今朝の読売新聞を見ていましたらぱっと目に入ってきました。③「働く場としてのNPO」ですが、今、雇用の場ということでNPOを受皿にしていただけるのだったら、そこにも、行政からの助成金を出してでも、リストラにあった人たちの雇用を考えていくのがいいのか、というようなことが論議されたと書いてありました。
今までボランタリーな形の参入はNPOにあるのですが、本当に仕事としてやってくださるようなプロフェッショナルな方が少ないので、給与がきちっと払われたら、いい市民事業が起業していくのではなかろうかと思いました。
次の14ページ、④「NPOの活動を推進するための具体策」ですが、その2番目の○ですが、この表現が少しわからないのです。「適切なNPO活動が実施されていることについてのNPOによる積極的な広報活動の実施」、この広報という意味と、それから適切なNPO活動ということで、もう少しわかりやすく書いていただいた方がいいかなと思いました。広報活動というのは、マスコミに流すみたいな意味があるのですが、たぶん、これはアカウンタビリティというような、情報の公開であったり、会計の透明性であったり、そういうことをする責任ということの意味だと思うのですが、そういうふうに形を変えていただきたいと思いました。
第3号被保険者のことですが、妻というものが、例えば、年金の保険料を払わなければいけなくなったときに、ではどこからそれを出すのか。夫の給料から出すということになると、またこれがアレなので、就業の問題と考え合わせていかないといけないと思います。
就業の問題で考えましたところ、子供とか高齢者に対する育児とか介護ですが、それは機械ではどうしようもないことで、フェース・ツー・フェースでやらなければいけないところ。それをまた女性が担うということも、ちょっと抵抗があるのですが、今いちばん困っている部分としてはそこの部分であろう。
それと、子供をもちながら働くという意味では、パートタイマーでもいくのですが、能力とかキャリアのある人もパートになると格段に賃金が下がってしまう。スウェーデンのように、パートであっても常勤のフルタイムと同じような時間給が払われるようなシステムがあれば、第3号被保険者と言われる人たちの就業の問題とか年金の問題が解決するのではないかというふうに思いました。
最後に、先ほどの5名、年金のまあまあ生活レベルのいい方たちの話ですが、彼らは、これ以上は年金はいらない。ただし、もっともらっている、役員になられたり、会社の何かをされている方たちが、厚生年金とかをいらないと言っても、入ってくる。いらないと言ったときに、入らないように、いらない人はいらないでいいのではないか。本当に困っている人たちのレベルを上げる方が大切で、これ以上いらないと言う人もいるんだよ、というようなことを言っていました。以上です。
- 〔部会長〕
どうもありがとうございました。ほかにどなたかご意見がございますか。
よろしいでしょうか。それでは、今日は大臣もお見えですので、堺屋長官から、何かコメント、ご意見がございましたら、お願いいたします。
- 〔堺屋経済企画庁長官〕
いつもありがとうございます。
国会日程等がございまして、到着が遅れました。いつもこの部会にはずっと出たいと思っていながらなかなか出られないので、今日はいいお話を聞かせていただいてありがとうございます。
あと1回あるそうでございますが、私は、この中間報告案を見て、非常に基本的な問題で皆様方にお尋ねしたいということがいくつかございますので、次回、またお話しいただければと思います。
まず第1は、経済成長は国民生活にとって必要かという問題であります。
人口が減少していくとしたら、経済成長はしなくていいのではないか、全体としてはマイナスでもいいのではないか、という人もいるわけでございます。1人当たりの所得が増えれば十分だ、という人がいるわけですが、人類史上を見て、全体としての経済が衰退して立派な文化と秩序と国民意識を保った例はかつて見当たらないのであります。必ず、頽廃と、無秩序、無気力が起こっているのです。
この計画年度は大体2010年でございますが、日本は、それぐらいまではまだ大してアレですが、その後は急激に、このままであれば減少いたします。そのときに、果たして日本の文化、社会の秩序、国民の士気、将来に対する夢というものが保たれるだろうか。何としても、経済は成長し、新しい設備投資、新しい労働生産性が生まれないと保てないのではないか。もし保てるとしたら、人類史上初めてのことで、どんな世の中になるのか、ということを非常に疑問に思っています。
その辺について、考えていきますと、では人口を保つためにどうすればいいのか、ある程度減ってもいいけれども、激減をしないような方法が必要なのかどうか。そして、そのためにどれだけの負担をすべきか。育児手当、育児休暇、保育所、離婚子女への保育の方法、非嫡出子の認定、外国人からを含めます養子制度の拡大、移民に対する国籍の付与、勤労移民の増加、日本人の親族――日本人の国籍を得た人の親とか子とかを日本に入れていいという方法、あるいは国籍を与えるのを現在の属人主義から属地主義にアメリカみたいに――大抵の国がそうなっていますが――変えるとか、いろいろな手当がございますけれども、人口を減らさないためにどれぐらいの負担をすべきか。当然、ここで経済的負担をいたしますと、ほかの分野での負担が薄くなるわけですけれども、それでも、やはりこれは大事な政策なのかどうか、ということが非常に疑問に思っているところであります。
過去、紀元2世紀にさかのぼって、人口の減少した例が40ぐらい見つかったのでありますが、いずれも非常に悲惨な結果に陥っています。だから、日本も危ないのではないかという感じがいたします。
その次に、3番目といたしまして、今日も議論いただいところだと思いますが、会社人間を脱した人々の寄る辺として何であるか。部内でも議論がありますが、家族・家庭をどう評価するか。家族と家庭はまた違うのだろうと思うのですが、このことはもう一つ重要な問題が経済的にございまして、現在の日本は非常に貯蓄率が高い。特に高齢者の貯蓄率の高いのが非常な特徴でございまして、60以上、70以上になるとどんどん貯蓄率が上がる世界唯一の国でございます。それは恐らく、家族に・子孫に・子供に残そうするからかもしれませんし、そこはいろいろ議論が分かれるところです。少なくとも、それはかなりの人にとって要素だろうと思うのですが、これから家庭と家族、及びそういう貯蓄率、あるいは住宅流通制度などと財産関係とどういう形になるだろうか。
家族の次によく言われるのは地域コミュニティです。今日のように、雑居住になり、ネットワークがフットワークをはるかに上回る時代に、地域コミュニティというのは本当に何らかの機能を保ちうるのかどうか。私は、新しい概念を持ち込むか、あるいは諦めるかというような感じがあります。
これは行政の方から言いますと、すぐ、地域別に分かれているものですから、何でも地域コミュニティと言いたがるのですが、実際問題として、この20年間、発展しなかったものは、長期休暇と地域コミュニティと言われるぐらいでありまして、なかなかうまくいっているとは言えません。
その次に、職場を転々とし、居住を変えるような人間にとって、年金、労働市場、医療・介護、つまり収入と健康だけで安心というのは十分なのだうか。何かそこに、安心の求めるものがないから、貯蓄率が高いのかという感じもいたします。
また、離婚は増えるかどうかというのも大変重要な問題です。離婚した夫婦の子供の養育がどれぐらいの負担になるのかというのも問題になってまいります。
先ほどからご議論いただきました教育につきましては、誠にH委員のおっしゃったとおりだと思うのですが、学校の選択を自由にすると、G委員もおっしゃいましたけれども、教員が大変反対するというのがいちばん問題です。これは、もし「個」を中心とするならば踏み切らなければいけないのかどうかということを感じております。
最後の問題として、将来の日本人がどんな夢を持って生きるのだろうかというところは、私にも、非常に迷うというか、大きな課題になっております。そもそも、1つの国民が描いてきた夢というのは、第1は、きらびやかな自国の未来、経済が成長し、あるいは軍事が強くなり、文化で世界の人を驚かせる、というのは確かに1つでありました。技術進歩による世の中の楽しさ、そしてサプライジング、ものすごく変わった世の中になって驚くぞ、と。自分自身はその中の平均的一員でも、世の中はものすごく成長神話があることが夢でありました。私の青春時代はそうだったのです。そういうようなものが今後も続くのか。あるいは、個人成功は、財産の収入とか、組織の中で高い地位につくとか、組織の中で権力と権限を持つとか、あるいは個人的な自慢、技量、周囲からの尊敬といったものを目指すとか、それとも、自分だけの4畳半の中での楽しみを得られるような偉い人が増えるのか。あるいは、子供の成功だけを夢見る(これは最近でも多いわけでございます。)そういうような形になるのか。それとも、日々、旅行とかコレクションとか、友人付き合いとか、あるいは怠惰な生活とか、性欲を満たすとかいうようなことで夢が描けるのか。一体どんな経済成長、人口増加と、日本人が夢見てきたことが変わって、今後一体何を目標に人間は生きるのか。
もう一ぺん、技術の発展で成長してきらびやかな世の中になるのだというような描き方もあるでしょうし、人それぞれだと言ってしまえばそれまでなのですが、人それぞれには違いありませんけれども、大きな流れとしてこういうものがあるのではないか、というようなことが世の中の決め手になると思います。
そういったことを皆様方からご示唆いただけたら、これに1本筋が通った、大きな日本社会の未来の構えが出てくるのではないかという気がします。
あらゆる会議で言われるのは、年金とか、医療とか、非常に技術的・細部的な問題で、日本の社会の未来を大づかみに描いた図というのが、昔は高度成長でこうなってアメリカみたいな物質文明になるのだとかいうようなことがありました。そういった大づかみにつかんだ未来というのが、どうも皆さんに見えない。
この間、小学生、中学生を対象とした4カ国の比較がございました、文部省の外郭団体がおやりになったのです。それは、アメリカ、ドイツ、中国、日本の4カ国を比較しているのですが、日本の子供たちだけが未来を断然暗く描いているのです。これからは、必ず貧しくなる。それから、社会の不正は、ものすごく増える。人脈とコネで世の中が動く。貧富の差は非常に広がる。自分自身の将来は平凡なサラリーマンだろう。およそ子供らしくないのが7割ぐらい。他の国は、そういうのが少ないところでは1割ぐらい、多いところでも、ドイツが比較的似ていまして、4割ぐらいです。日本だけは、7割ぐらいがそういう子供で占められている。それで、1割5分ぐらいが「わからない」ですから、本当に積極的な夢を見ている人は15%ぐらいしかいないのです。
こういう子供にまで浸透した夢の喪失を大問題だと思いますので、皆さん方のお知恵を借りたいと思います。よろしくお願いいたします。
- 〔部会長〕
どうもありがとうございました。
今、堺屋長官からいくつか重要な問題提起がありまして、私は、そのうちのかなりの部分は、長官自身がもう答えをお持ちのことでもあるのではないかと思いますが、この際ですから、長官から注文を受けるだけではなくて、長官に対して質問というか、そもそも何をやってほしいのかというようなことも含めて、せっかくの機会ですから、委員の皆さん方から何かございましたら。
- 〔F委員〕
私、岡山という地方におりますから、東京との比較でいつも話をするのです。たぶん、NPOをされているI委員も同じようなお考えだと思うのですけれども、田舎の人間のおもしろさというのは、地域づくりに自ら積極的に参加できるというところです。参加ができて、それがよくなっていくという実感を味わうというのが、いちばん大事なことの1つだと思います。
今までの我が国というのは、東京中心だったわけですから、いろいろな情報が上意下達で、地方の人間も含めて、国民を基本的に信じていなかった。
東京のまちづくり、選挙にしても、基本的には東京の街を地域の人間がよくするのだということを誰も感じていないと思います。これは政治マターだと。
ということは、地域と個人とのかかわりの距離が、東京とか大都会は非常に距離が出てきすぎてしまったと思うのです。
そういう面からすると、今回の論議の「個」という問題と地域の問題をどう結びつけるかということが大事なことであって、個人の英知を集めることによって地域もよくなっていく。そのことは、教育の問題も、自分たちの地域を担っていく存在として地域の人たちが教育を考えれば、当然、その教育に対しても地域の人たちが関心を持つ。このサイクルを、私は田舎にいる人間として、東京と岡山と両方に住んだ人間の実感として感じるのです。
- 〔C委員〕
最初の経済成長の部分ですけれども、私は消費者団体の人間ですけれども、「消費」という言葉が付いておりますけれども、実際には今のこの不況脱出ということでほかの国々が結構経済成長のところにかけてやってきて、アジアのほかの国々がその方向を目指している。私どもから考えると、環境とか、資源とか、爆発的な人口増加、日本だけを見ると非常に少子化ということになりますけれども、世界的には非常な人口増加、そういう制約を考えると、これまで経済成長がなくなったところでは文明としては衰退していったのが40ぐらいありますというお話でしたが、そのときの状況と、この20世紀、21世紀というあたりは変わってくるというふうに思っていて、静止した経済の中での豊かさみたいなもの、そういう方向を何か見出していくべきではないかと、これまで経験したことがないような社会になるかと思うのですけれども、考えてみる必要があるのではないかという感じがいたします。
それから、人口の部分ですが、日本を考えると少子化ということですが、私自身が今、小学生と中学生の子供を抱えて、まわりを見ると、一人っ子が多かったりとか、逆に3人とか4人もっていらっしゃる方もあるのですけれども、まず30代の独身が男女とも非常に増えています。そういった方たちの話を聞くと、まず、結婚する意味というのをほとんど見出せない。親元に同居して、ほとんどの者が、昔でいえば家事サービスみたいなものを、結婚することで、そこでお互いがやるという形でしたけれども、それが外部化されていますから、食事にしても、お洗濯にしてもコインランドリーに行けばいいですから、結婚する意味がほとんど見出せない状況で、まず、結婚しない。
その次に、子供を育てるのにものすごくお金がかかるという話があって、私のまわりの一人っ子の人たちは、1人、その子を大事に育てていきたい。
それから、地方の話が出ましたけれども、私の実家は山口県ですが、例えば東京の大学に行かせようと思うと、その4年間分を支えるのにものすごいお金がかかる。学費と生活費でかかるということで、全財産持って出るような感じになっている。教育費がかかる。何のために教育費をかけているかというところが非常に大きな問題だと思うのですけれども。
女性がもっと働きやすくとか、保育施設を充実というのはずいぶん言われていますけれども、それだけではない、根っこにそんなことがあるような気がいたします。
- 〔部会長〕
どうもありがとうございました。まだいろいろご意見があるかと思いますけれども、時間ですので、本日の議論はこの辺にしたいと思います。
先ほど、G委員も、安全と自由のバランスというようなお話をされたわけですが、私、以前に聞いた話でなるほどと思ったのですけれども、その辺の工事現場に行くと、必ず「安全第一」と書いてあるわけですけれども、あれは嘘だというわけです。本当に安全が第一だったら、あんな高いところに登らなければいい。やはり、その高いところに登って仕事をするのが第一で、安全は第二に考えているのが本当だろう。
いずれにしても、安全とか、自由とか、いろいろなバランスの問題があるわけです。先ほどG委員が配ってくれた資料で、裁判官が、日本の企業に配置転換などの裁量権を広く認めているのは、一方で雇い主に対して、解雇権をすごく制限している。解雇を制限するバランスとして、配置転換の裁量権を認めているという部分もあるというふうに言われているわけです。
別に、大臣の言質をとるわけではないですけれども、この報告書は、役所の報告書ですと従来、バランスをとるといいますか、いいところもあるし悪いところもあるから、悪いところも直しながらいいところを伸ばしていきましょう、という話になりがちだと思うのです。先ほどの大臣のキークェスチョンに答えるという意味でも、多少バランスを失したといいますか、バランス崩しませんと、こっちに流れて行くのだという話が出てきませんので、場合によっては、いいところを伸ばすためには、あるいは悪いところを直すためには、いいところの大部分も捨てなければいけないのだというような種類の報告書としたいなとは思っているのですけれども、そういう方向でよろしいでしょうか。
- 〔堺屋経済企画庁長官〕
どうもありがとうございます。
- 〔部会長〕
それでは、本日の会議はこれで終了させていただきたいと思います。また今日の議論について、なお言い足りないという部分がございましたら、いつものとおり、ファックス等でご連絡いただきたいと思います。
それでは、次回の日程について事務局よりご説明を願います。
- 〔福島推進室長〕
次回は6月18日金曜日の午前10時から12時まで、場所は本日と同じ会議室(436号室) を予定しております。また、郵送等でご連絡いたします。よろしくお願いいたします。
- 〔部会長〕
どうもありがとうございました。
以上