経済審議会国民生活文化部会(第5回)議事録

議事録

時:平成11年4月8日

所:共用特別第二会議室(407号室)

経済企画庁


経済審議会国民生活文化部会(第5回)議事次第

日時 平成11年4月8日(木) 10:00~12:00

場所 共用特別第二会議室(407号室)

  1. 1.開 会
  2. 2.人々を結びつける新たな機能(家族、企業)について
    ・大田委員意見発表
  3. 3.「会社人間からの脱却と新しい生き方に関する調査」
    (平成10年度経済企画庁委託調査)について
  4. 4.閉会

(配付資料)

資料

  • 経済審議会国民生活文化部会委員名簿
  • 大田委員意見発表資料
  • 委託調査報告書「会社人間からの脱却と新しい生き方に関する調査」

参考資料

  • 家族、企業に関する参考資料

経済審議会国民生活文化部会委員名簿

 部会長 清家   篤    慶應義塾大学商学部教授
 部会長代理 大田  弘子    埼玉大学大学院政策科学研究所助教授
       井堀  利宏    東京大学大学院経済学研究科教授
       川勝  平太    国際日本文化研究センター教授
       黒木  武弘    社会福祉・医療事業団理事長
       鈴木  勝利    日本労働組合総連合会副会長
       ピーター・タスカ    ドレスナー・クライン・オートベンソン
       永井  多惠子    世田谷文化生活情報センター館長
                  日本放送協会解説委員
       西垣   通    東京大学社会科学研究所教授
       浜田  輝男    エアドゥー北海道国際航空咜代表取締役副社長
       原   早苗    消費科学連合会事務局次長
       福武  總一郎    (株)ベネッセコーポレーション代表取締役社長
       森   綾子    宝塚NPOセンター事務局長
       湯浅  利夫    自治総合センター理事長


 

〔部会長〕ただいまから、第5回の国民生活文化部会を開催させていただきます。

本日は、ご多用中のところをご出席いただきまして、どうもありがとうございます。

それでは、早速、本日の議題に入らせていただきます。

本日は、「人々を結びつける新たな機能(家族、企業)」についてご議論いただきたいと思います。本日の議題につきましては、A委員に意見発表をお願いしておりますので、最初にA委員の意見発表に基づいたご議論をいただきたいと思います。

次に、現在、審議しております「新たなる時代の姿と政策方針」の策定手法の多様化の一環としまして、経済企画庁の方で「会社人間からの脱却と新しい生き方に関する調査」というテーマで短期集中委託調査を行いました。その内容について、調査を行った博報堂の梅本さんよりご報告をいただき、これについて委員の皆様に議論をしていただく予定にしております。

それでは早速、恐縮でございますが、A委員よろしくお願いいたします。大体25分程度お話しいただいて、ディスカッションをするということでお願いいたします。

〔A委員〕今日、私がお話しするところは、あまり私も専門ではありません。多分、どなたも専門でいらっしゃらなくて、私のところに回ってきたのだろうと思います。あまり見識のない分野もありますので、“今思っていること”というような程度でお話しさせていただきまして、なるべく短く話しますので、後の議論で深めていただければと思います。

「人々を結びつける新たな役割」ということですので、最初に、企業と個人の関わり、それから個人と家族がどうなるか。いずれにしても、この両方で生活保障機能が弱まりますので、それの受皿として、生活保障機能の弱まりに対応してどのような制度的な対応が必要になってくるのかということで、最後に、これから人々を結びつける機能が何であるのか、という順序でお話しいたします。

まず、企業と個人の関わりですが、方向としては、希薄になることは間違いないのではなかろうか。まず、雇用そのものと福利厚生という2つのつながりがあります。その雇用の方ですが、現に今、中途退職あるいは中途採用が増えています。それから、その途中で倒産あるいはリストラによる解雇ということもあって、従業員の側でも企業に対して、全面的に企業と関わっていくという態度は急速に薄れているように思います。前回、前々回もいろいろな話が出ましたけれども、能力形成をするにあたっても、その会社に骨を埋ずめるつもりでの能力形成ではなくて、自分の能力が市場でいくらで売れるかということを念頭に置いたような能力形成といいますか、そういうものが出てきているように思います。

中途採用のほかにも、委託型の在宅勤務とか、それからパートタイマーの形態がさらに専門的なものも出てきて、多様な勤務形態が増えていくだろう。

その結果として、今の長期勤続制度というものがなくなるわけではなくて、もちろんそれも残りますが、それ以外の待遇・雇用形態の従業員も多数存在して、恐らく、モザイク状の企業組織になるのではないだろうか。

つまり、企業としては、その企業固有の技能形成を誰かにしてもらわなければいけないわけですから、そういう中核的な勤労者は超長期雇用を前提に労務管理をして、それ以外のいろいろ多様な雇用形態を組み合わせていく、組み合わされていく、ということになるのだろう。

そうしますと、企業にしても、従業員にしても、ギブ・アンド・テイクを今よりもっと短い形で成立させていく必要が出てくる、ということが言えるかと思います。

そうしますと、生活保障という点でみたときに、これまで非常に大きい役割を果たしていた企業の福利厚生制度はどうなっていくのだろうか。ここは、私もちょっとよくわからないのですが、考えられるのは、2つの方向がありまして、1つは、企業は能力主義を高めますし、労働コストも低減させていかなければいけないということがあるので、福利厚生の比重自体を減少させる。減少させるというのは、かなり確実な方向だろうと思いますか、減少させて、それを現金で給付する形も増えたり、あるいは業績主義的な考え方を持ち込む。つまり、かなり高コストの福利厚生を一律に給付するのか、それとも、業績主義的な考え方を持ち込んでいく方向も考えられるのではないか。つまり、一律給付ではなくて、例えば、能力形成のようなものにしても、業績が上がった人に対しては手厚い能力形成を手助けしてやるというような考え方が入ってくるのではないか。

もう一つの方向は、福利厚生まで業績主義になるのではなくて、給与と福利厚生給付というのは明確に切り離して、福利厚生は労務管理の手段として完全に位置づける。つまり、本業の勤務の方で能力主義が強まりますから、その従業員のストレスを緩和する手段として福利厚生を位置づける。福利厚生自体は、一律給付で、給与とは完全に切り離して位置づける。この2つの方向が考えられるだろう。

いずれにしても、関係が短期化する、あるいは従業員の意識が変化する、法定福利費(年金の保険料とか健康保険料)が上昇しますので、企業独自の福利厚生に充てる法定外福利費自体は減少させざるを得ないということによって、企業による生活保障の比重は減少するだろうと思います。

今までは、従業員の家族も企業とわりと深い関わりをもってきたわけですが、企業と従業員の家族はどういう関係になるかということを考えますと、従業員を通しての家族との関わりというのは、恐らく、希薄になっていく。従業員個人が企業と関わるということになっていくだろう。社宅ですとか葬式――今、葬式は企業が来てくれないと非常に困るというような状況にあるわけですが――など、その濃厚な関係はなくなっていく。こういうところは、民間が補っていくのだろうと思います。

今までは、家庭生活というのは仕事のサブシステムであったわけですが、こういう構造は確実に変わっていくだろうと思います。

では、こういう状況の中で、企業と従業員の関わりが希薄になる中で、従業員にとって企業とは何なのだろうか。私は、丸抱えといいますか、そこに骨を埋めるというような関係は希薄になっても、依然として、従業員にとって、企業というのは非常に重要なものであって、親的な企業ではなくて、場としての企業になっていくのではなかろうか。従業員同士の結びつきをつくっていく場であったり、自己実現をする場である、その場としての企業というのは、むしろ、これまで以上に強くなっていくだろうと思います。

実際今、企業による生活保障というのは減少しても、従業員同士で共済組合のような形で生活保障をやるケースも出てきているようです。従業員同士というのはある程度信用できるし、同質のグループでもありますので、従業員同士の結びつきによる生活保障というのは増えていく可能性があります。形を変えて、従業員にとって企業というのはかなり重要な位置を占めるだろうと思います。

次に、個人と家族の関わりですが、ここは私の最も苦手とする分野の1つですので、よくわからないのですが、基本的には、働く主婦が増えていきますし、家族の単位が小さくなってきていますので、生活保障機能は弱まっていくだろう。恐らく、家族が生活保障をかなりの部分担うということは、今でも既に薄れていますが、どんどん薄れてきて、家族というのは情緒的な機能に純化していくのではなかろうか。逆に言いますと、情緒的な機能に純化できるような社会的なバックアップ体制が必要だろうと思います。生活保障機能が弱まっているところで、介護にしても、育児にしても、家族にあまりに重い生活保障を担わせるということは、家族自体不幸ですので、情緒的な機能に純化できるような社会的サポートが必要であろうと思います。

次に、レジュメの2枚目にいきまして、企業とか、家族という生活保障機能が弱まるということに対応して制度的にはどんな対応が必要になってくるか。重要な点は、そこに3点書きましたが、生活が不確実性も高まっていく。家族生活で言っても、離婚する可能性もあります。仕事にしても、本人の希望に関わらずいつ転職することになるかわからないという状態がありますので、個人の選択に際して、制度がある場合に有利で、ある場合に不利であるということを増幅しないように、中立的な制度である必要があります。

それから、生活保障機能が、集団的な生活保障機能が弱まりますので、自助努力を行いやすいような制度にする必要があります。

それから、社会が家族の弱くなった機能を支えていくという考え方が必要です。

制度的な対応はいくつかあるのですが、年金などはこれまでの議論で出てきていますので、それ以外のところで、4つの観点で申し上げます。1つは、家族単位で行われていた生活保障を個人単位に切り換えていくことが必要になってきます。これは言うまでもなく、ライフスタイルが多様化するからです。離婚も増えるでしょうし、単身も増えるし、いろいろなケースが考えられますので、基本的には、個人単位の生活保障というのを確立していく必要があります。かなりのところが個人単位になってきているわけですけれども、まだ家族単位の考え方が残っていて、その中でも、個人の選択に中立でない制度がいくつか残っています。税制で言いますと、配偶者控除・配偶者特別控除がまだ残っています。これは配偶者を被扶養者として位置づけるところから発展してきて、あるときから扶養控除がなくなって、配偶者に関しては配偶者控除に変わっていったわけです。ある段階、夫の年収が一定を超えると配偶者控除がなくなって、そこで税が増えるという、この不連続を防ぐために配偶者特別控除ができたという経緯があります。これは配偶者を被扶養者とみているわけで、配偶者は基本的には被扶養者ではない。税の考え方からいきましても、労働を提供しているわけで、貨幣価値にはならなくても、労働を提供しているわけですから、本来は課税されてしかるべき労働を提供しているわけですから、そこに課税しないにせよ、被扶養者として優遇措置を与えるというのは逆の方向です。税のあり方としても、配偶者控除は廃止すべきです。中立とか公平というところで考えましたときに、公平を家族単位で考えるのか、個人単位で考えるのかというのは課税上も難しい問題ではありますが、先進諸国の動きを見ても、今重要なのは、個人の選択への中立性を重視すべきだ。個人の選択に対する中立性、つまり主婦が働くか働かないか、結婚するか、離婚しないか離婚するかという個人の選択に中立な制度というのは、個人単位を強めることです。それからいきますと、個人単位を強めるという意味からも配偶者控除は廃止すべきだろうと思います。むしろ必要なのは、女性が働くということを選択しにくい状況、それは今の状況では育児と介護です。育児と介護に対して手当という形で支給するのが支援的な政策としても望ましい方向だろうと思います。

それから、年金制度は、専業主婦が、ご存じのように第3号被保険者という形で保険料徴収を免れています。これも、専業主婦からも保険料を徴収すべきと思います。もう一つ、世帯単位の強い考え方が残っているのは遺族年金で、これは廃止する方向が望ましいだろうと思います。つまり、共働き世帯と専業主婦世帯の公平ということもありますが、1人の女性が働いたり、専業主婦になったり、あるいは離婚したりと、いくつかのライフスタイルの中を移動するわけですから、それから言いましても、中立的な制度にする。ということは、個人単位の制度に変えていくということが必要です。

2番目に、企業を通して様々な生活保障が行われ、それに対する優遇措置がとられてきましたが、それを個人化していくことが必要です。

まず税制上でいきますと、福利厚生制度に対する税制上優遇措置があります。特に、社宅の家賃と企業からお金を借りて家をつくった場合、原則課税することになっていますが、基準がかなり低く設定されているために、社宅でも1万円ぐらいでも課税はなされないということになっています。こういうものをなくしていく。つまり、社宅がある会社でもない会社でも、そこは同じ扱いをするということです。

それから、退職金課税が20年を超せば優遇されるようになっていますが、こういうものは廃止していく。つまり、転職に対して不利にならない制度を作っていく。

それから、企業年金をポータブル、転職しても企業年金を持って行けるようにするという制度が必要です。これを具体的に言いますと、今話題になっています確定拠出型の年金の導入ということになります。確定拠出型というのは、給付を約束するわけではなくて、拠出額だけを決めておく企業年金で、拠出した分を決めていくということは、その人の持分が確定していくわけですから、転職した場合には、それに対応しやすいわけです。

年金に関して更に言いますと、恐らく、今の税制上の優遇措置も、それぞれどの制度に入るかによって受けられる優遇措置にかなり格差があるわけです。自営業者のように、公的年金だけの人は、その分だけの優遇措置しかない。ところが、大企業に勤めていて、厚生年金の上に厚生年金基金という手厚い企業年金まで付いている人は、かなりの額の税制上の優遇措置を受けられるわけです。これに、今話題になっている401Kのようなものを加えて更に優遇措置が受けられるようになると、まさに人によって受けられる優遇措置がかなり格差が出てきますので、あるべき方向としては、すべての人に一定額の優遇措置を与える。つまり、老後向け貯蓄に対する一定額の優遇措置を与えて、どういう職業であれ、転職しようがしまいが関わらず一定額の優遇措置を与えられるような制度にして、それをまず公的年金で使い、企業年金で使い、残った部分は個人貯蓄で老後向けの貯蓄に税制上の優遇措置を得られる、というふうにするのがいいだろうと思います。

それから、企業を通しての保障という点で言いますと、雇用調整助成金のような形で企業を通して失業を防ぐというような措置がとられていますけれども、これも支援措置は個人対象にすべきだと思います。企業を通しての支援措置というのはやめていく。

3番目に、老後生活の選択肢を豊富にしていくということも生活保障にとっては重要です。最近、厚生省の方が、規制緩和をして、例えば2階建ての家を何人かで借りて施設のようにして住む場合も補助金が支給されるようになったという政策の変更があって、これは非常にいいことだと思います。

さらに、そこに書きましたように、持家を持っている人が多いわけですから、それが老後の生活保障に役立てられるような仕組みを整えていく必要があります。具体的に言いますと、住宅を担保にして年金資金を借りるというようなことがもう少し柔軟にできるようになるといいかと思います。

さらに言いますと、持家をそのままにして有料老人ホームに入る、あるいは子供と同居するという場合に、その持家を、そこで人に貸して家賃収入を得るということができればいいですが、今、借地借家法でそれが非常に難しくなっています。定期借家権をなるべく早く創設して貸しやすいようにする。あるいは、高齢者はなかなか家を借りられないというのがかなりの不安ですので、定期借家権を創設することによって賃貸市場を充実させて、高齢者でも借りやすいようにすることが必要です。

それから、寄付金制度の充実、これは前回、話に出ました。

以上申し上げたようなことをまとめるような話にもなりますが、セーフティネットを転換していく必要がある。企業を通しての生活保障から漏れた個人が出てくる、あるいは家族の生活保障が弱くなって個人が守られないまま出てくるという状況になりますので、セーフティネットそのものは充実しなくてはいけない。ところが、それが単に充実するだけではなくて、今までの考え方を転換する。社会のセーフティネットのあり方の転換が必要です。どういう転換かと言いますと、これまでのセーフティネットは集団を対象にしていて、例えば、弱い生産性の低い産業を保護するとか、所得の低い地域に財政調整をするという形で、集団に対して所得再分配をしてきていましたけれども、これを個人の所得再分配に変えていく、集約させていくということです。言葉を変えて言いますと、産業政策を社会政策的にやってきた点がありますので、産業に対する支援あるいは地域に対する支援というものをやめて、所得の低い個人を抽出して、そこに対する所得再分配ということが必要かと思います。本当の意味の弱者を捜し出すために納税者番号などで明らかにしていくということです。

2番目は、自助努力を前提にして、個人で対応できないリスクを社会全体でプールするという考え方を明確にする必要があると思います。これは前の年金の議論でB先生もおっしゃったことですが、社会保障というのは、個人で対応できないリスクをプールするのだ。医療でもそうですが、軽費の医療であったり基礎的な部分というのは自助努力に委ねて、そのかわり高齢化とか、あるいは経済の変化で不確実性が高まった部分に対して、社会保障あるいは政策的な所得再分配をしていくということが必要です。

3番目に、機会を確保していく。転職をした場合の職業機会を与えるというようなことです。

4番目に、情報を充実させていく。どこに・どういうケースで・どういう措置が得られるという情報の充実が非常に重要かと思います。

最後に、企業や家族の生活保障としての機能が弱まっていく、あるいは従業員と企業の関係が弱まっていく中でこれから、人々を結びつける機能は何なのだろうか。これまでは生活保障のために結びつくということがあったわけですが、それが、もう貧しい時代ではありませんから、より自由な結びつきに変わっていくのだろうと思います。先ほど、家族の機能が情緒的な機能に純化した方がいいと言いましたが、これもそのような意味です。あるいは、企業にしましても、濃密に縛られる・縛るというような関係から、もう少し柔軟な結びつきになっていく。つまり、ギブ・アンド・テイクを比較的短期で成立させるような結びつきになっていく。

それ以外にも、社会の中でも地縁・血縁が薄れて、趣味による結びつきですとか、そういうものが増えていくだろう。生活保障にしましても、先ほどは、企業の従業員の中での結びつきを言いましたが、もっといろいろな結びつきが、例えば大学の同窓会ですとか、いろいろの結びつきの形があるのだろうと思います。先ほど、企業は従業員にとっての場だということを申し上げましたが、場というのは、何も企業ではなくて、前回に出たNPOですとかボランティアというものも場ですので、そういう多様な就労の場、参画の機会がつくられていくことによって、結びつきの機能というのはいろいろなところにつくられていくだろう。

もう一つ、これから考えておかなければいけないのが、通信ネットワークの発展によって結びつきが増えていくということです。今既に、顔を知らないままメールのやり取りというのはよくなされているわけですが、そういうこと以外に、電子メールをやり取りなさっている方はよくわかると思いますが、電子メールによってかえってコミュニケーションが濃くなるというのはよくあることで、通信ネットワークの発達というのは、高齢者の結びつき、あるいは高齢者とその家族の結びつきというものを、これまでよりもはるかに充実させる可能性ももっていると思います。

ですから、これからの時代、企業の機能が薄れたりするから、結びつきが希薄になるのではなくて、それにかわる結びつきが出てくる。それは、これまでのような貧しいからとか、あるいはそこで収入を得ているからといったような動機ではない、もっと自由な結びつきが生まれてくるのではないかと、私はわりと楽観的に考えております。

以上です。

〔部会長〕どうもありがとうございました。

それでは、ただいまのA委員からのご発表を踏まえまして、どなたからでも、どうぞご自由にご議論いただきたいと思います。

B委員、いかがですか。

〔B委員〕よくわからないところが多いのですけれども……。Aさんのお話は非常に共感するところが多かったと思います。

こういう問題が大きく問題になってきたのは、1つには、いろいろな意味で外との結びつきが非常に流動化してきて、企業にしても、家族にしても同じメンバーの間で長期的にギブ・アンド・テイクの関係でいろいろなことをやってきたということが、成り立ち得なくなってきつつある。つまり、最初に何かをギブしても、将来もらうときに相手がいなくなる可能性があるわけです。メンバーが非常に流動化する場合に、新しく人々を結びつける役割というのは非常に前とは違ってきているのだろうなという感じはします。

それで、多少細かいところですが、質問をさせていただきます。1つは、家族の役割で情緒的な機能に純化するというこですけれども、その意味はどういうことなのか、もうちょっと教えていただければと思います。

今、確かに家族の機能は弱くなっているところもあると思うのですが、逆に言うと、生活保障機能に関してですけれども、強くなっている面もあるような気もします。それはどういうことかというと、不況ですから家族、要するに、結婚していれば夫婦両方が働けるわけです。今までは、夫だけが働いて専業主婦、そうするとリスクが非常にあるわけですけれども、両方が働ける可能性があって、その意味で共働きのチョイスが結婚していれば出てくる。1人であれば、自分が失業していればリスクが大きくなるわけです。その意味では、終身雇用を前提としたケースと比べればこれからは、むしろ、結婚している方がいろいろな意味で、共働きのオプションもある意味では、家族の生活保障機能というのは強くなっている面もあるのではないかと思います。

家族という場合、親族とか、地縁(古い意味での)も含めた形での大きな意味での家族というのは、生活保障機能が薄れていると思うのですけれども、核家族に限定して夫婦間でのいろいろな関係でみると、必ずしも弱くなっているとも言えないところもあるのではないかという気がします。

もう一つの地域の重要性をどう考えるかということですけれども、確かに古い意味での地縁というのは弱くなってきていると思うのですけれども、今まで、特にサラリーマンの場合であればベッドタウンという形で、仕事が終わって夜寝るだけという形で、その地域との関わりがほとんどなかった、そういう世代が高齢化して、退職した後かなり時間もある。もう一つは、生活水準がどんどん向上して、住む地域のいろいろな意味での環境に関して関心が強くなってきていることもありますので、新しいコミュニティーをどういった形で維持・発展させていくのかという意味での機能は、むしろ強くなってきているのではないかという気がします。

もう一つ、人々を結びつける機能で重要な点だと思う点は、市場がどのくらいこれに代替可能かということだろうと思うのです。企業の場合であっても、こういう問題がそもそも問題になってきたのは、前回の話とも関係しますけれども、終身雇用といったものが崩れてきて、逆に言えば、そのときにパートとか派遣社員という形で、いろいろな形で自由に労働が調達可能になってきた。あるいは、家族の場合であっても、今までは、例えば家事の場合であれば、その家族の構成員が家事サービスをしなければいけなかったわけですけれども、それがある程度市場で、お金を払えばいろいろなサービスが自由に購入できるようになってきた。そういうことの結果として、より自由な結びつきが出てきたわけで、その意味では、自由な結びつきの背後には、市場化というものがあると思うのですが、そのあたりの役割をどういう具合に重視していくのかというのが、こういう結びつきの機能の評価のところで関係してくるのではないかと思います。

簡単ですけれども、以上です。

〔A委員〕まず、家族に関してですが、情緒的な機能という意味は、愛情の機能といいますか……。家族はいろいろな機能をもっていて、弱者を保護する機能であったり、経済単位としての家族とかいろいろあるのでしょうが、愛情の場といいますか、そういう意味なのです。あまりこなれていない言葉で申しわけありません。まさに愛情を提供し合う場――「提供」って変ですね――、情緒的な安らぎを得る場と言ってもいいです、情緒的な機能というのはそういう意味です。

夫婦が働くことによる生活保障というのは、おっしゃるとおりだと思います。夫婦がお互いに保険になり合うというのは、非常に重要なポイントだと思います。

先ほど申し上げた生活保障の弱まりというのは、弱者に対する機能。病人であるとか、子供であるとか、そういう弱者に対する生活保障機能、介護する機能が弱まっていくという意味で、おっしゃる点は賛成です。

地域の重要性も、賛成です。おっしゃるとおりだと思います。要は、地縁というものがもっと自発的な参画に変わっていく、強制されていたものが自発的なものに変わっていくという意味で重要だと思います。

次の、市場の機能も、まさにおっしゃるとおりで、これまでの集団の中で暗黙のうちに提供されていた生活保障が崩れていったときに、かなり市場がそれを代替する。市場サービスによって代替しうる。ですから、先ほどの家族の情緒的な機能も、市場によって代替し得ないものが純化して残っていくということではないかと思います。あるいは、この間出ていましたNPO、ボランティア、そういったものが代替していくということで、市場の機能は更に強まるというふうに思っています。

座長はなかなかご発言できないというのは、私も、前回と前々回でよくわかりましたが、ここはぜひ座長もよろしくお願いします。

〔部会長〕後ほど、時間がありましたらさせていただきます。

〔C委員〕やっと女性のところが出てきたのですが、3の(1)の部分で、パートタイマーとか、そういうものはあるのですが、“103万円の壁”と言いまして、本当に働きたい女性が働けない。配偶者控除というのがありまして、103万円以上年収がありますと控除から外れてしまって、保険とか年金の問題が出てきて、皆さん103万円のぎりぎりのところで仕事を辞められるのです。だから、アルバイトとかパートタイマーで雇っても夏ごろになると「辞めます」と、辞められてしまう。長期的に働いてもらいたい人に働いてもらえないという現状がありまして、配偶者控除とかが廃止されれば、“103万円の壁”も取り払っていただけたら、女性がずいぶん働けるようになるのではないか。かなり有能な人たちが、ここの部分で立ち止まっておられるというのが現状かと思いました。

〔A委員〕配偶者控除・配偶者特別控除を廃止しても、103万円で課税されるという壁は残るわけです。103万円というのは基礎控除と給与所得控除ですので、これは給与所得控除をどうするかという問題と絡んでおります。私自身は、給与所得控除というのはもっとかなり減額して、サラリーマンも自分で経費を申告するという形に変わっていく方向が望ましい、と。それをやりますと、例えば共働きの場合でも、家事サービスや育児サービスを外から買った場合の経費を控除できる、というようなこともできます。壁はそういう形で、給与所得控除をどうするかという議論と関わるわけですが、低くする形というのは、私も賛成です。

企業が、103万円を超したときに配偶者手当をどうするかというのは、私には、どうすればいいのか、社会的制度の問題ではないのでよくわかりません。

〔部会長〕D委員とE委員、続けてお願いします。

〔D委員〕私も、基本的な流れとしては、A委員が発言されたような方向に向かっているような気がいたしますけれども、ちょっとわからない点の質問と、それから、これについてはどうお考えでしょうかということでお聞きしたいのです。

1つは、1ページ目の1の(4)「従業員にとって企業は何か」の2つ目の「・」ですが、「従業員同士の結びつきによる生活保障が増える可能性」というのがありまして、ここはあまり具体的なお話がなしに次に行ってしまったので、具体的にはどういうことをお考えなのかというのが1点です。

それから、2ページ目、今前段でご質問があったところと絡むのですけれども、「家族単位の生活保障を個人単位に」ということで、女性の立場というところが一番ポイントになるかと思うのですが、私どものところでも、【1】、【2】ともいろいろと話をするのですけれども、女性の中にも多様な意見がありまして、私としては、A委員に賛成なのですけれども、この話をすると総反発を受けるような状況もありまして、何かタイムスパン的にこういうふうにやっていったらいいのではないかという、時間的な流れというのでしょうか……。既得権で、これを前提にして生活をしていらっしゃるというか、老後も遺族年金を考えてやっていらっしゃる方もあるので、少しそのタイムスパン的なお話を聞かせていただけたらと思います。

それから、この中には入っていないのですけれども、これは家族との結びつきということなので、日本に多い単身赴任、これについてどういうふうに考えていかれるのか。

私自身も今、夫は単身赴任で長崎へ行っております。前々回のときに委員のどなたからか、日本は単身赴任があるのが非常に異常に思えるというご発言があったのですけれども、かなり単身赴任で成り立っている社会でもあるのですけれども、逆に、私の夫が行っているところは、家族で赴任してくるのが当然だという考えのところなので、今もう2年目ですけれども、どうして家族が来ないのだということでかなり問題になってきているようなのです。私自身は働いていますので、自分が働くということを優先してそういう選択をしているのですけれども、一方で、家族との結びつきを求めている、そういう組織の存在などもあったりして、この単身赴任というものについてどういうふうにお考えかということもお聞きしたいと思います。

〔部会長〕引き続き、E委員のご意見を伺って、その後でA委員にお答えいただきます。

〔E委員〕全体の問題提起としては、私も全く同感ですが、例えば、1番目の雇用形態のケースの場合でも、こういう大きな流れは否定しようがないと思っていますが、いくつかの前提条件が必要なのだろうと思うのです。例えば、様々な雇用形態がこれから出るにしましても、専門性の高い職種の場合には、むしろそれは需要は拡大しているという状況の中からは、ギブ・アンド・テイクを現在より短期でやるということは当然だろうと思うのですが、一方では、単純労働の場合には、これからは供給過剰だろうと思いますから、こういう労働形態の場合をどのようにしていくのかという視点が1つ必要かなという気がしています。

もう一つは、これだけ様々な自由闊達な雇用形態が進むということは、それだけそれを雇用する側の自由裁量が増えていくわけですから、それに伴う企業の、俗に言う企業倫理とか、企業の今言われているモラルハザードとか、そういうものをどうやって防止するかという意味で、それを罰則と呼ぶのかどうかを含めて、どのようにしていくのかということが一方で必要ではないかという気がしています。

それから、福利厚生制度は全くこのとおりなのですが、振り返ってみますと、今各社がもっています福利厚生制度は大きく2つの問題点があります。1つは、終戦直後の生活が貧しいときに生活の補完機能として企業が導入したという制度があるわけです。これは、私たちから見れば、生活の補完的要素だったわけですが、企業の側から見れば、それが企業への帰属意識を高めるというプラス効果があったということですから、現在のような大きな流れから言えば、生活水準の向上なり、あるいは個人の自立ということからみれば、そうした社内の福利厚生制度は徐々に廃止をしていくべきだろうということについては全く異論がないのであります。

もう一つの問題というのは、社内の福利厚生施設というのは基本的には不平等なのです。恩恵を受ける人と受けない人の間に非常に不平等感をもつわけで、これを解決するために、カフェテリア方式とかいろいろなことが工夫されているわけですが、要は、不平等な制度を社内に作らないことが1つの基本的な考え方にあっていいのかなという気がしています。

次に、企業と家族との関わりでは、ここに非常に薄くなるということで葬式などの例が出ていますけれども、日本的な生活慣習とかが、いわゆる文化的なものに結びついているものが果たしてどこまで近代的な合理性で割り切れるのかというのはなかなか難しいのかなという気がしているわけです。

例えば、一方では企業においては、労災で一家の担い手が就労不可能な場合には、その奥さんや家族を優先的に雇用するとか、ある意味ではそういう家族的な部分というものに対しての評価はあるわけであります。

ですから、日本的な慣習の長所として評価できる部分と、そういうものから脱皮をしなければいけない部分との、ある意味ではボーダーラインみたいなものがあるような気がしていますので、その辺の整理がこれから少し難しいのかなと思っています。

それから、先ほどから議論になっている配偶者控除の問題で、実は、これは組合の側から見ると非常に頭の痛い問題でありまして、男女同一賃金という考え方からいけば、まさしくいろいろな問題点を解決しなければいけないのですが、一方では、今までの労働組合というのは賃金というものの性格を生活保障という考え方のいわゆる経済的側面としてみてきて、賃金の水準を議論してきているわけです。この場合の基礎は、1人の労働で一家4人が生活できるという考え方です。そうすると、こういう考え方の上に立った賃金で男女を同一にした場合には、8人分の生活ができる賃金論というものが出てこなければいけない。そうすると、現在のような環境の中では到底考えられないことで、今ある制度、こういう考え方で事実上やれているのは教員だけだろうと思うのです。普通の民間会社の賃金が、30万だ、35万だ、25万だとかいろいろ言われている数字自体は、少なくともその収入をもってある年代にいけば、奥さんと子供2人という標準的な一家4人の生計費をもとに考えられている。そういうときに、女性の賃金がどうあるべきかということは新しい課題でして、これは、私たちとしてはこれから新しい賃金論をどうやって作り出していくのかということで、議論は始めているのですが、なかなか理論的に整合性がとれない部分が出てくる。そうなると、一方で、能力・仕事別の賃金、あるいは能力とか業績に応じた賃金という論理と、生活給という考え方と、それからその生活給の場合に1人さえ生活できればいい給料なのか、そういう様々な問題を全体を整合性をとるために賃金はどうあるべきかという議論をしていくときに、この配偶者控除や配偶者特別控除の問題というのは絶えず出てくるのでして、そう簡単に割り切れない部分を組合は抱えているというのが今、偽らない状況です。ただ、制度としていい制度だと思っていませんから、何とかしなければいけないとは思っているのですが、それをやるために今申し上げた、様々な問題が新しく生まれてきているということです。

〔部会長〕それでは、A委員よろしくお願いします。

〔A委員〕今のE委員のお話は、そのとおりと思います。私も勉強させていただきました、ありがとうございます。

ご質問の方ですが、従業員同士の結びつきというのは、今、少しそういう例が出ているというのは私も耳にした程度で、あまり具体的には申し上げられないのですが、例えば企業の福利費を通しての制度ではなくて、従業員同士が、例えば、生命保険に入るにしても、会社を通してだと安くなるわけです。そういう形でやっていく。

それから、今E委員がおっしゃったことで私も思ったのですが、例えば葬式みたいなものも、従業員という場を使ってやるということはこれからも続くかもしれません。それに労働組合が関与して、まさに労働組合としてやっていくというケースはだんだん増えてきているようです。

2番目の、ではどうやって改革していくのか。専業主婦の問題、働く主婦との対立といいますか、そこをどういうタイムスパンでやっていくのかというのは、現実的な問題として難しいのですが、まず税に関して言いますと、これはわりと急がれる議論で、課税最低限をどうするのかという議論が、恐らく、わりと早い段階で出てきますので、そのときに課税最低限を構成するものとして配偶者控除という議論が更に詰まっていくだろうと思います。やり方としては、基本的には、それが増税にならないようにやっていく。ということは、配偶者という地位に対する控除ではなくて、女性が働けないということに対する控除、介護控除、育児控除(3歳以下の子供を抱えた場合の控除)というようなやり方に変えていくという改革の方法があろう。できれば、控除ではなく、手当の方が私は望ましいと思いますが、いずれにしても増税にならない形でやっていく。

年金はもっと難しくて、前回にB委員がお話しになったように、2階部分をなくしていけば遺族年金の問題もすっとなくなるのですけれども、それが難しいとすれば、2階部分をどんどん縮小していくなかで、ではその縮小する給付をどこに集中するかというところで、遺族年金の議論をしていくということになると思います。

第3号被保険者の話は、もっと早い段階で出てきて、1階部分、基礎年金部分に国庫負担が増えていきますと、残りの財源をどうするかという話で、わりと早く出てくる可能性のように思います。

いずれにしても、固定的ではないということが大事で、働く主婦と専業主婦は固定的ではなくて、今専業主婦が反対していても、その方もこれからは、ご主人の仕事によってはリストラにあって働かなければいけないかもしれないし、離婚もするかもしれないという、その不確実性は確実に高まっていますので、議論自体は少しずつ進んでいくのではないかと思います。

それから、単身赴任も、状況が変わっていくのだろう。1つは、共働きが増えていきますし、もっと雇用の流動性自体が高まっていけば、単身赴任せざるを得ない状況になったときに、勤めを続けるのかどうするのか。あるいは、奥さんが辞めても、また次の勤め先もあるかもしれないし、そういう働く側の選択肢も増えていくように思います。

以上がD委員へのお答えです。

E委員の方は、全部そのとおりと思いますので、お答えするものはないと思いますが、単身赴任のケースも含めて、労働法制というのを見直さなければいけないだろうと思います。

〔F委員〕お話、流れとしては、こういう格好になるのかなという感じがするわけですが、家族の問題を考えてみますと、今のような流れになってきた場合に、制度的あるいは行政として考えていかなければならない点は、1つは、女性がこれ以上にどんどんと社会進出をしていくことになりますと、育児の問題、あるいは家事の支援をどうするかということを社会全体がどういうふうに考えていくかという問題があろうかと思います。現在も、保育所制度とか、幼稚園制度というものも垣根をどういうふうに取り払っていくかという議論が行われていますが、そういう子供さんの保育の問題、あるいは具体的な家事をどのように支援していくかという問題についてこれから、行政としても相当考えていかなければならない分野が出てくるのではないかという気がするわけです。

もう一つ、子供さんを育て終わって、独立した後に、残される老夫婦、高齢者となった夫婦、あるいは配偶者を失った一人暮らしというような方々に対して、どういう仕事を与え、あるいはどういう生きがいをもってもらうかということ、行政の立場として、社会全体としてそういうものをどのように支えていくかということを真剣に考えていかなければならないことになるかと思います。

前回のお話でも、高齢者に対する仕事の問題が出ましたけれども、高齢者に対する仕事、それから生きがいというものを社会全体としてどう考えていくか。NPOとか、ボランティアとか、そういうものを含めてこれからもっと深めていく必要のある分野ではないかと考えているわけでございます。

企業につきましては、おっしゃるとおりの議論でございましょうが、基本的には長期雇用と申しますか、終身雇用というものを前提としたいろいろな制度はすべて見直していかなければならない時代になってきたのだろうと思います。これまでは、会社にすがっていれば、あるいは会社と一緒に仕事をしていけば生活が保障されるというような感覚だったでしょうが、ある日突然、大きな会社が倒産したりするのを見て、やはり、会社だけに頼っていてはいけないのだという感じが非常に強く出てきたと思います。それは終身雇用というものを前提にしての諸制度をこれから見直すということを考えていかなければならないと思いますが、今日お話しのような企業を通しての福利厚生、あるいは退職手当の制度、あるいは財形貯蓄というものを考えてみましても、すべてが長期雇用を前提としてでき上がっているような気がするわけですが、こういうものを雇用が流動化していく中でどういうふうに構成し直すかということの議論を深めていくべきだと思います。

前々回でしたか、年金の問題について、2階建てをやめたらどうかというような議論については、私は、そこまではなかなか踏み切れないような感じがするわけですが、年金につきましてもこれから、企業をどんどん替わっていく場合にも、その年金の原資というものをきちんと引き継いでいける、そういうシステムをぜひ作っていかなければならないという感じがしております。

〔G委員〕企業なり、家庭なりがどのように変わっていくかということで大変教えられる点があるのですけれども、現在の生活の実態から見まして、このような方向に簡単に進むのだろうかという感じがするのが第1点です。これは感想でございます。

第2点は、非常に個人の面が強調されたお話だと思って承っておりますけれども、結局、人間は個人1人では生きていけないから社会をつくっているわけでありまして、そのために家族があり、地域社会があり、職場があり、いろいろな手段で生活をしている。その中でお互いが支え合って、助け合って生きているのが日本の社会(人類はそうでしょうけれも)の姿ではないかと思うのです。そこで、セーフティネットのお話が出ているわけですけれども、これから日本の国は「小さな政府」というものをいろいろ模索しているわけであります。したがって、そういう集団の、セーフティネットの定義はよくわからないのですけれども、生活保障機能というのは一概に捨て切っていいものかどうか、大変にそういう思いがするわけであります。その辺、これからも個人が家庭に属し、地域社会に属し、職場に属した中で、お互い助け合いながら、単に趣味とか好みとかいうことでの帰属ではなくて、生活保障的な機能もますます「小さな政府」を模索する以上は大事な観点ではないかと思いますが、その点についてお願いいたします。

〔部会長〕では、A委員からお願いします。

〔A委員〕個人単位にしていくとか、セーフティネットを変えるというのは、冷たい社会になるとか、孤独な社会にするとか、自分で何とかしろとか、そういうことでは全くありません。状況が固定化している――1つの企業に長く勤める、1つ家庭ははずっと離れないというようなある固定化した状況――を前提にした生活保障制度というものが続きますと、逆に、そのリスクは高まっていくわけで、不安も高まっていくわけです。離婚できないことは、それはそれで不幸なわけで、そういう選択をしたときに、離婚したときに、非常に不幸になるということではなくて、それぞれライフスタイルが多様化した中での生活保障に変えていくということが重要だろうと思います。ですから、個人単位だから冷たい社会というのではなくて、個人の選択を可能にする、生活保障を時代に合わせて見直していくということが今日お話ししたかったことの趣旨です。

「小さな政府」という場合に、今の政府が本当に必要なものだけを効率的に提供しているかというと、そういうことはないわけで、既得権の中で過剰に保障を提供している。つまり、政治的に弱者というのがつくられて、そこに対して保障を与えているということはかなりあるわけで、そこら辺は削減して、本当の弱者に対する保障に特化していくということが、申し上げたかったことの2点目です。ですから、政府が小さくなっても、必ずしも生活保障が削減されるわけではなくて、より効率的な本当に必要なところに保障がいく形にすべきだということです。

〔H委員〕私も、A委員の流れというのは、大変よく理解できますし、そういう方向に行くのだろうと思うのです。

また、部会長にも時間があったらお尋ねしたいのですけれども、1つは、保障に関しては個人単位というのは大きな流れだと思うのです。タイトルの「人々を結びつける新たな役割」、こういったものがなぜ起こってきているのかという部分に関して、ぜひご意見をお尋ねしたいと思ったのです。

1つは、お話にもありました、家族における経済的な問題、あるいは企業のリストラ等がある成長性の問題が今までとは違うとか、あるいは国の財政の問題(年金も含めて)も出てきている。一方、私は東京に顕著かなと、田舎の人間として思うのですけれども、拠り所のなさであるとか、あるいは高度成長の中で個人主義というものがどんどん芽生えて、それを後からプッシュアップしてきたという流れの中でいろいろな制度の見直しをする中で、個人主義の揺り戻しみたいなものが今起こりつつあるのではないかと私は思うのです。

中途半端な個人主義とでもいいましょうか、例えば、モデルになるアメリカのようなところは、制度上の規制緩和とかいろいろなものが徹底し、国の制度も分権化されている中で個人主義というのが高度に発展している中での個人主義。ところが、我が国の場合は、何となくそこまで徹底できない、と同時に、社会環境も非常に今はプラス要因がなかなか見えないという中での揺り戻し現象のように思うのです。

その揺り戻しの部分をどういう具合に受皿なり、絆なりというものを構築していくという、これはあまり国がやるべき問題ではないかもしれませんが――、例えば、企業にとっては、どういう政策をとっていくかということは結構重要な問題です。例えば、企業の問題について言いますと、今我が社では、長期雇用の中における実力主義みたいなものをやっているのです。それは福利厚生は完全に個人の問題として切り離して、例えば住宅手当なども廃止をしました。しかし、一方、企業の一員として精神的な絆をもたせるための働きかけというのは、逆に強化しようとしているのです。それは、福利厚生のフリンジ・ベネフィットではなくて、企業というある種の日本的、一昔前の家族主義的な企業集団ではなくて、もう少し心地のいいというか、自己実現ができる、そういう方向に我々の会社では動こうとしている。これも多分、今までの福利厚生における家族主義とか賃金体系における家族主義的な経営ではないと思うのです。そういったものが本当にいいのかどうか。我々は、そういう方向に行こうとしているのです。

もう一つは、絆の部分では、東京では拠り所がないとか、中途半端が顕著だということを申し上げたのは、先回、C委員からお話があったと思うのですが、私自身も岡山のまちづくりとかを長年やっていまして、最も金がかからないで個人が、地域住民が楽しむ方法というのはまちづくりだ、ということを言っているのです。今まではどちらかというと、賑やかなアミューズメントパークとか、賑やかな場所ができて、そこに行くことが楽しみだという、基本的には受け身型の楽しみが中心であって、そういったところに相当フォーカスが合っていると思うのですが、これからの楽しみ方はそうではなくて、でき上がりではなくて、そのプロセスを楽しむという部分にもっともっと、誘導というのは変な言い方だけれども、国ではなくて地方自治体とか、企業とか、地域住民というところに新たな絆とか役割というものを見つけるような、そういう新たな日本的なマインドをもった個人主義、あるいは地域主義というものが、私はすごく大切ではないかと思うのです。

一方、通信ネットによる、先ほどもお話があった新たなコミュニティーづくりというのも、実質的に私どもの事業でもやっています。いわゆる不特定多数の人たちにおけるコミュニティーというのは、そのコミュニティーを破壊する人間がどうしても出てくるのです。そこの破壊されるコミュニティーを維持するためのコストが非常にかかってしまう。そういった面で、コミュニティーも、通信によるコミュニティーも、同じような志をもったとか、そういう限られたコミュニティーをいくつも作っていくという形にしないと、不特定多数のコミュニティーというのは安心をしてコミュニケーションができない。安心してコミュニケーションができないところに、私は、コミュニティーはできないと思うのです。

今の地域社会におけるコミュニティーができないというのは、個人のニーズとか、主張というものがあまりにも多岐になって、地縁社会の中では本音が言えない。そういうコミュニティーでありながらコミュニティーになり得ていない部分がある。コミュニティーの最も大事なのは、共通言語があって、お互いがバラツキがそれほど多くはない、学び合いはあってもバラツキはない、少なくともコミュニティーブレーカーというのでしょうか、そういう人は排除するメカニズムがないと、多分、新しいコミュニティーはできないと思うのです。

そういう視点でやれば、アメリカ型でもない、ヨーロッパ型でもない、非常に日本的なこれからの時代の21世紀型のモデルになるようなコミュニティーもできるのではないかと思っているのです。

〔I委員〕今のH委員のご意見に、私も大賛成です。

日本には、かつて村社会といいますか、例えば、長屋だとか、よそから何かめずらしいものをいただいたときに近所に分けるとか、そういった地域がお互いに支え合って生きていくという、非常にいいシステムがあったと思うのです。これからの制度というのは、今日議論があったように、個人というものが中心になるのでしょうけれども、人々を結びつける世界というのは、そういう癒しだとか、安らぎのある世界、それぞれ個人というよりも、何かそこに……。

今は、日本人全体が、何となく将来に対していろいろな不安がある。今までの制度とかがうまく機能しなくなってきたということもあるのでしょうし、それから、物質的にはものすごく豊かになったのですけれども、何か満足感がないというか、不安なのです。日本人全体が守りに入っているというか、そんな時代なのかなと思うのですが、かつて日本には、そういう非常にいい制度といいますか、お互いに地域が支え合って生きていくというような部分がありましたし、家族の中でも、かなりそういう部分があったと思うのです、家族のそれぞれの役割といいますか。そんなものを取り戻していかなければいけないのかなと。

今、H委員が言われたように、確かに個人も非常に大事なのですけれども、家族のまとまりというのですか、そんなものが1つこれからの大事な部分かなと私は思っています。地域だとか、あるいは趣味同好会だとか、そういったものとの関わりというのはものすごく大事になってくるかと思います。

〔部会長〕J委員、何かご意見がございますか。

〔J委員〕なかなか難しいところですね、個人というのは。

アメリカのように猛烈型資本主義でいいのか、という疑問というのは少々ありまして、個人だと、A委員のこの論理というのは確かにそのとおりだと思うのですけれども、これを少し加筆して、個人だけが大事だというふうにとられないように。そうすると、全体的な社会的なマナーも含めた、社会的な立ち居振る舞いすべてに、特に若い人に影響するような気がするのです。ですから、情緒的結びつきというのがあらゆる意味で大事です。

その一方、情緒的な気持ちがあれば、サービスでも、保障でもどうしてもせざるを得ないという、非常に矛盾した側面が1人の個人の中にもあると思うのです。一定の保障とかサービスも、ある一定の責任の範囲でする一方、彼らの情緒的な結びつきとか、それを安定的にするために、あらゆる公的、あるいは地縁、NPO型、産業型、企業型、いろいろなサービスがバラエティをもって選択できる、そんな感じではないかと思っているのです。

誠に中立的な言い方なのですけれども……。

〔部会長〕では最後に、せっかくA委員にエンカレッジしていただいたので、私も質問させていただいて、まとめてA委員からお答えいただけますでしょうか。

いろいろあるのですが、1つだけ。A委員のお話は、個人の選択を、ある面では選択と自己責任という形で家族とか企業を律していこうということだと思うのですが、論理的にはそれはかなりすっきりしていると思いますが、1つだけ、論理のところで、子供の問題です。つまり、子供というのは自分が選択して生まれてきたわけではなくて、親がつくったわけですから、そこで親が勝手に自分の選択だといって家庭を壊したりすることによって被害を受けたりすることがあるわけで、その辺は選択だから……というふうに律しきれるかなという気はいたします。

ついでに、E委員に伺いたいのですが、生活給の理論というのは、ご承知のとおり日本だけではなくて、世界中で賃金決定をする際には生活費というものを前提に賃金が決められているわけです。ですから、私は、生活給という側面が全く賃金理論から失われるということはあり得ないと思うのです。ただ、その際に、E委員も言われていたように、例えば、アメリカの生活給が1人の人間が生きるという意味での生活給であるとすると、そういう国と競争する場合に、今度は日本の中で生活給を考える場合に、個人単位の国の生活給と家族単位の国の生活給が競争すると、それは個人単位の生活給の国の賃金体系に寄っていかないと競争できなくなってしまうという面があるかと思うのですが、その辺はどうお考えになるかということです。

もう一つ、今日のお話のテーマは会社人間ということだと思うのですが、もし、これからのトレンドが会社人間から仕事人間、会社よりも自分の仕事により強い帰属意識をもつような人間になっていくとしたときに、労働組合のあり方として、日本の場合はご承知のとおり企業ベースの組合というのが基本になっているわけですけれども、それがもう少し産業ベースといいますか、例えば産業単位で職業人としての権利だとか何かを何とかしていくという形に変化していく可能性があるのかどうか、ということにちょっと興味がありますので、伺いたいと思います。

〔A委員〕2、3点申し上げます。こういうテーマが設定された背景というのは2つあると思うのですが、1つは、制度の前提とする状況と実態との乖離だと思うのです。制度が、家族とか企業に人は属す、それが固定的であるという前提に立って作られていた場合に、実態がだんだん乖離していくと逆に疎外感が生まれてくる。子供の問題でも、例えば幼児虐待であるとか、いくつもひずみが出てくるという点があって、そこは実態に合わせた制度を作っていく必要があるという点が1点です。

2番目に、日本型のシステムが常に暖かくて安心であるということは、私はないというふうに思っています。これまでの制度でみんなハッピーだったかというと、そういうことはないわけで、外れた人たちにはかなり冷たい、あるいは厳しい状況を強いるようなシステムであったようにも思います。終身雇用もそういう点があって、最初で参入できないと後は非常に苦しくなる。そういう面で日本型だから暖かくて安心ということはないと思うのです。

地域が支え合うことの良さはもちろんそのとおりですけれども、一方でプライバシーもないわけです。私のように、うるさい地方都市で育ちますと、うんざりが先に立つわけですが、安心と引き換えに、絶えず噂とか、プライバシーがないような状況も強いられるわけです。

私が申し上げたかったのは、決して、個人だけが大事だとか、個人単位で行動せよということではなくて、今までのような集団に属さない、あるいは集団に反すると制裁――制裁という言葉は堅いですが――、そういう窮屈なものではなくて、まさに個人の選択を活かすような形でもっと自由に結びつけるようなものにしていきたいということです。

それから、地域といっても、今までのような地域の結びつきではなくて、もう少し主体的に関われるような地域があっていいと思うのです。私は、決して個人だけが大事といった意味ではなくて、むしろ、今までの日本というのは内と外とがあまりに区別されすぎていて、外に対してはどうでもいいと思う、電車の中で化粧しようと何しようと、外の人に対しては恥ずかしくも何ともないということは、逆に、内と外が明らかに乖離していて、内だけが大事という状況があったからだろうと思うのです。むしろ、そうではなくて、常に社会の中で関係をもっていくといいますか、そういうことが必要だと思います。ある種のライフスタイルを強要して、それから外れた人には冷たいというようなものをなくしていきたいという意味です。

アメリカのようになってしまうのではないかというのは、いろいろな制度の議論のときに出てくる話ですが、私は、日本は決してアメリカにはならないというふうに思います。構成要員が全く違いますので、アメリカと日本の社会というのは、恐らく両極端に属するような社会ですので、例えば規制緩和の議論でも、規制を緩和していって競争が激しくなるとアメリカのようになるという議論もあるわけですが、私は、日本の今の問題点をどんどん解決していく、それが結果的にはアメリカがもっている制度に近づくことになっても、思い切ってそちらを目指しても、構成要員は日本人なわけですから、ちょうどいいところに落ち着くのではないかというふうに思います。

部会長がおっしゃった子供の問題は、おっしゃるとおりです。子供に関しては社会的なサポートを強くしていく必要がありますし、それから、夫婦別姓を認めるべきだと思います。

以上です。

〔E委員〕私の方は、賃金水準と国際競争の関係ですが、国際競争は基本的には内外価格差がよく言われるわけですが、今までは特に、物価安定審議会を含めて、生活に必要な物価の内外価格差というのが問題にされてきたということだろうと思うのです。実際の企業が経営コストとして人件費をみるときは、今度いわゆる経営コストとしての内外価格差がどれだけあるかということが重要になるのではないかと思っているわけです。

これは部会長が別なところで、私自身もお話を聞かせてもらったわけですが、いわゆる経営が様々な経営活動を行う上での経費がどれだけ諸外国と比べて――賃金だけが世界で一番なわけでなくて、ガス代、電気代含めてすべてが当然のように世界で一番高いコスト負担を強いられているわけですから――、経営コストからみた内外価格差にもっとスポットを当てて、そして、今回でも物価上昇率が過年度で0.1%であるが故にこの低水準、私たちはそれは割りきっているわけですから、これからデフレになって物価が内外価格差の解消を含めて当然のように物価が下がった場合に、賃上げというのはどうあるべきかという初めての状況に遭遇するわけで、私は、5%ぐらい賃金が下がったら賃上げ要求なんかする必要ないと思っているわけですが、ただ、そのときに、年金生活者はどうするかとか、借金を抱えている人をどうするかという技術的な問題はいくつもあると思っていますが。

基本的にはそう思っていますので、例えばアメリカのような、生活におけるいわゆるコスト負担という問題で考えれば、賃金だけを取り出してアメリカ的な水準で考えていくべきだという論理は、組合としてはちょっととり得ない。したがって、そういう意味から言えば、経営コストとして同じ意味において内外価格差がなくなったとすれば、当然今、部会長がおっしゃられたような考え方についての検討はしなければいけないというふうに思っています。

それから、仕事中心社会といいますか、技能中心になっていった場合の組合のあり方ですが、私は、労働市場によって労働組合の組織というのは作られるというふうに思っていますから、従来のように長期雇用を前提にした縦型の労働市場であるが故に、企業別労働組合というのが一番ふさわしかったわけで、これからは流動化が進んだり、技能の評価が高くなる。今日お話しになったような短期的なギブ・アンド・テイクというような契約社会になっていくとすれば、当然、企業別労働組合だけでは対応できませんから、それはある意味では職能別な性格をもたせるとか、そういう複合的な部分がこれから組合組織としてはありうるのではないかと思っています。これは個人的な意見ですが。

したがって、私たちみたいな産業別の組合は、個々の企業別労働組合の集まりと、将来は人材派遣も組合でやりたいと思っているものですから、そういう意味では職能別組合的な要素をもった労働組合とが混在をする産業別組織というのが、今、私が描いている将来像です。

〔部会長〕どうもありがとうございました。

それでは、まだいろいろご意見もあるかと思いますが、次の議題もございますので、とりあえず、A委員のご発表に基づく議論はこの程度にさせていただきたいと思います。なお、また追加的に何かご意見のおありの方は、事務局の方までメモ等でお知らせいただければと思います。

それでは、冒頭に申しましたとおり、平成10年度に経済企画庁が実施いたしました委託調査「会社人間からの脱却と新しい生き方に関する調査」について、調査をしてくださいました博報堂の梅本さんからご報告いただきたいと思います。恐縮でございますが、25分程度でご報告いただいて、その後、議論させていただきたいと思います。

〔梅本プランニングディレクター(博報堂)〕私どもは、マーケティングコミュニケーションという視点から普段業務をやっておりまして、ソーシャルイシューについての研究を最近強めているのですが、皆様方の経済政策あるいは税制度のあり方といった専門性の高いお話とはちょっと違う、生活者の現実というものを凝視するところから10年後の姿というものを見い出すという視点で研究させていただいた次第でございます。そういう意味では、ちょっと耳慣れない言葉ですとか論理があるかもしれません。お許しいただければと思います。

お手元の資料に沿って簡潔にお話しさせていただきます。

まず、今回の検討視点ですが、「はじめに」の1.「本調査の検討視点」のとおりでございます。

その上で、この1ヵ月間でどのようなことをやったのかということで、開いていただきますと、2ページに委員、3ページに有識者、4ページにフロントリーダーという形で、意見聴取をさせていただいた方々のお名前、略歴等が載っております。基本的には、学者の方でありましても、調査研究あるいは実践論といったものを通じて発言なさっていただける方、さらに文学ですとか、ドラマづくり、いろいろな意味で異質な部分で社会の現実というもの、変化というものを見ておられる方、もっと言えばフロントリーダーという名称で位置づけてございますが、例えば、横浜フリエスポーツクラブですとか、新しい社会の組織づくり、ネットワークづくりの先駆者になられているような一般市民の方々、こういった方々の現実を踏まえたレポーティングをさせていただいております。

5ページから3ページにわたり、簡単な要約になっていますので、そこに沿って、なおかつ後半部分を重くお話しさせていただこうと思います。

5ページの「調査結果のポイント」というところからご覧いただければと思います。

まず、第1章「戦後日本の社会システム」と「企業・家庭・人間」というところです。脱会社人間社会というものをみていく上で、そういうシステムがどういうシステムとして、あるいは人々の意識の中から生まれてきたのか、成立してきたのかを検証することが不可欠であるとして、簡潔な整理をさせていただいたものでございます。今までいろいろな議論がありましたとおり、企業側にも、社員さらには家庭側にも、双方にメリットのある相互依存構造として、生活支援機能としての企業というものができてきたというところは、有識者の方々を通じた私どもの調査でも同じ議論でございます。その中で、疑似家族あるいは生活集団としての側面を企業が担いつつあった、続けてきており、“右肩上がり”の経済構造の中では、それがある意味では人々の経済的な安定とか満足につながる確実性の高い選択肢であったということが言えるかと思います。

ところが、そういった中で、あるいはそれとリンクする形で大きな変容を遂げさせられてしまったものがあります。これがまさに日本の家族、地域社会です。言わずもがなかもしれませんが、都市化というものがその中に大きく関与していまして、そこには人口が都市に集中するという人口の都市化という問題、それから都市型生活の非常に急速な定着化、つまり、今議論がございましたような、村社会というものが、日本の1つの美しい共同体のあり方としてあったものが、人口の流動化、生活の都市化、核家族化等の動きの中で大きく変わってきてしまっていたということが、1つの視点として言えるかと思います。

家族は、ある程度の犠牲を強いられながらも、そうは言っても、それよりも得られるメリットの大きい夫が会社人間である家族システムというものを選択していった、あるいはせざるを得なかった側面は認めなければいけないのではないかと思います。

第2章は「会社人間からの脱却」への萌芽の検証でございます。ある意味では、不連続な変化というものはございません。今後を予見する上で、あるいは現実を見ていく上で、80年代以降の生活者のトレンドの変化というものは大きく影響しております。第1節に書いてありますとおり、自明のことですが、収入よりも自由時間、余暇というものを選ぶ意識というのが80年代になってから急速に強まってきた。こういった動きというのは、特に新しい世代の社会進出、それから女性の社会進出というものと大きな関係があるものとしてとらえられます。今日のお話にこれからいくつか出てきますキーワードですが、例えば、1960年代生まれの新人類世代、これが80年代の半ばぐらいから社会人になっていくわけですが、こういった時期の中で、実は今出てきています就社よりも就職だという意識ですとか、仕事探し・自分探しというフリーターという意識、こういう意識は確実に萌芽が見られていました。それから、80年代後半の男女雇用機会均等法施行によりまして、女子の、とにかく社名ということよりも仕事の中身と、中身探し・自分の自己実現、加えて「主婦」とありますが、女性の結婚退職の減少という大きな潮流は、この段階でもう見えてきていた。ただ、それが上の年代の方の社会理解、あるいは一部のこの若い方々の動きということで、社会的に全体な動きとなっていたかどうかは別としまして、萌芽が見られたとご理解いただければと思います。

それから、第2節にありますとおり、新しいネットワーク形成への萌芽も見られていました。これは、子育てを終えた専業主婦の有職化か進んできたという現実の中で、女性の多くが家庭外に何らかの仕事、あるいは従来の地域社会とは違う意識的なネットワークというものを形成しつつあったという現実でございます。

3つ目の視点としまして、特に最近の動きですが、90年代に入りまして、団塊ジュニア世代、団塊の世代のお子さまを中心とする人口ボリュームの多いここが社会人になった中で、帰属意識というものと、ある意味、極端に言いますと全く無縁な意識世代として社会デビューしてきた。つまり、今までの帰属というものの考え方のあり方を大きく変えていくような芽というのが、これはいい意味か悪いかは今後の議論ですが、出てきてしまっているということでございます。

引き続きまして、6ページの方にまいります。そういう中で、今から今後ということで、第3章「会社人間からの脱却」の行方として、新たな結びつき・活力、どんなものが現実に今、今後に向けて予見できるのかという総論でございます。

第1節は、皆様方これまでご議論されたことかと思いますが、企業の側の論理の変化ということでございます。ある意味では、年俸制や能力成果主義に象徴される雇用の流動化は必至である。そういうアングロサクソン型のグローバルスタンダードの導入の中で、これら一過的な不況克服ではなく、大きな体質変化というのが起こってきているところです。それに加え、日本国内では、少子高齢化の問題、それから急速な情報化に伴うアウトソーシング機能強化、こういった意識が絡みまして、雇用システムの市場原理化への変貌というのは大きく動いていく。

同時に、企業内において、いわば組織の中でどううまく自分が機能していくか、役に立っていくかというような組織能力(ケイバビリティ)から、本来の仕事をする能力(コンピテンシー)に、重視されるポイントが大きく変化してくる。その中で労働市場が流動化した中でもサバイバルできる雇われ能力(エンプロイアビリティ)というものが求められる社会になっていくのは、大きな流れとして間違いないのではないかと思います。

そういう中で、働き方とか生きがいというものも大きな分化が起こってくる。大きく言

えば、【1】基幹型社員、永続型の社員、それから【2】専門職型社員まさにスペシャリストを目指す、流動性も含めたスペシャリストを目指す方々――、それから【3】働きよりも、場合によってはほかの生きがいを重視する周辺型社員、いろいろな名づけ方が有識者の中でもあるわけですが、大ざっぱに言いますと、このような形の中で動いていくということが言えるかと思います。

当然、そういう流れの中で福利厚生は、この不安定・流動性というものと関係して低下・解消に向かってくる。逆に言えば、企業も選ばれる側でありまして、今はやや不況ということがあり、非常に働く側にとって不利益に見えますが、長い目で見ますと、企業が自分にフィットするものとして選ばれていくという、まさに双方が選択される時代になっていくということでございます。企業というものが前提という状況も揺らいでくる。SOHOや、それを含む起業的な動きが絡みまして、より自由の働く形態というものが見えてくるというふうに考えております。

第3節は「働き方・生き方」分化と家庭、地域社会ということですが、1つは、働き方の変化も家族、家庭に大きな変化を創出してくるということでございます。先ほどのお話にもございましたとおり、家族の中での情緒機能、あるいは絆づくりということへの意識は高まってきているというのが現実と理解しております。現在の時点でそれを推進しているものとして、“金持ち・時持ち”という表現がございますが、これは全般的なマクロの話ですが、“時持ち”となった働いている男性の方々の家庭への時間的回帰の可処分時間というものの扱われ方というものが現実化してきている。それから、現在の30代家族の家事参画の動き。30代家族というのは、先ほど申し上げました60年代生まれの新人類、新しい感覚の世代でございます。ここが家事に参画することが、いわば当たり前という動きの中で、働き方とのポータビリティといいますか、選択の自由度というのが非常に強くなってきている。もう一つは、リタイアされた、退職された年代層での夫婦共有価値をどうにか模索して努力していくという、これはまさに“ポスト働き”という部分ですが、―ポスト会社人間、退職してという部分―ですが、そういった部分が強まっている。それから、これは先ほどの30代も含めて男性全般に言えることですが、先ほどの30代も含めてですが、家庭への“再デビュー”。よく“公園デビュー”みたいな言い方が世の中でされますが、まさに家庭に男性が再デビューする努力―これには2つの見方がございます。精神的に家庭に参加するということへの努力といいますか、参加という部分。それから、生活という場面での参加ということで新しい理解を得るとか、知識を得る、参画がわかる、といった2つの意味でかなり大きな精神的にも体験的にも影響を与えてきている。

一方で、行政がこれまで視野に入れられなかった、溶け出した部分としての動きの家族というものの多様化が、我々の想像を超えた形で出てきているということがあります。例えば、老後の過ごし方の多様化、ここに顕著にあらわれるわけですが、血縁によらない家族共同体というのが形成される動きがかなり目立ってきているということです。グループホームですとかコーポラティブハウス、いわば新しい疑似家族的なコミュニティー、これも1つの家族であり、共同体であり、こういうものを地域社会がどうとらえるのかといった芽が見えてきているということでございます。

もちろん、必ずしも家族とか、従来の地域というものに関係なく、意識的な関心とか結びつきによるもの、そういった動きというのも昨今非常に強まってきている。ここで、例えば今回取材したものを挙げてございますが、団塊の男性の方々が地域ネットを組む。例えば、じゃおクラブというのがございます。そういった方々が地域のボランティアですとか、社会教育にどんなことができるかということを実践する。また、主婦の方とそういうことを連携する。それから、活力のある老人というものをつくるためにどう支援ができるかという、エルダーホステル協会のような動き。それから、マスコミで有名になりました横浜フリューゲルスの後のソシオ制度という市民参画による地域スポーツ振興、そのほかいろいろな動きが、この辺は枚挙にいとまがございません。この辺は、行政が今まで特に目立った支援が、制度上もできませんし、どうしていいかわからない、こういったものが、育てていくべきものとして起こってきているということでございます。そういう意味では、1つの結論としまして、従来の社会構造の中である意味では公認されていなかった新しいコミュニティーというものを、社会活力づくりにどう活かすかという視点が重要な時代になってくるという結論でございます。

そのような芽がある中で、10年後というところまでを俯瞰した中で、ポスト企業中心社会を一体どういう像として描けばいいか、というのが第4章でございます。一言でいいますと、共同体の発想が今までは、職縁社会あるいは社縁社会、「会社が社会」というのが自分の常識であり、一歩外に出ると違う、あるいは同じ職縁の中で一歩外に出ると違うというところから、意識的に情報で人とかコミュニティーがつながる情報縁のような社会に変わっていく。そこでは、当然ながら複数の、あるいは多岐的な視野で社会を見つめ直せる、社会性意識も高い社会へと変わっていくということで理解しております。

そこにおいて1つの問題点は、帰属という発想をある意味では忘れることが必要ではないかという報告でございます。参画、ソーシャルパーティシペイションという社会に変わるのではないかということでございます。

左側に「築く家族へ」とあります。かなり極端なものの言い方かもしれませんが、これまで家庭とか家族というのは、自然と成立してきていて、その維持を地域社会も、あるいは行政も、支援していくというスタイルであったかと思います。ところが、現在の流れの中で言えば、家庭というものは努力して築いていかなければいけないコミュニティーの1つにすぎないかもしれません。今のはちょっと極端な言い方ではございますが、家庭をもう少し各自が、自分にとっての家庭とは何かということを積極的に努力して主体的につくっていく時代になってくる。先ほどお話がありましたとおり、その中では、経済危機管理意識としての共同体家庭というのもございます。もちろん、情緒的な癒し機能というものがベースにはなるかと思いますが、そういったものを内包しつつ、どうするのか。そうすると、家族においても、自ら選択する参画と責任。後で申し上げます、地域社会あるいは新しいコミュニティーにおいても、組織依存ではなく、組織機能を全うできる意識というものが必要な社会になってくるということでございます。

右側に「コミュニティー創造へ」とあります。“オンリー・ワン・フォーエバー症候群”これはある方の造語ですが、「いつまでも、あなただけよ」。こういった発想からの脱却で、リセット型の人生あるいはコミュニティーとの関わりというものが大きく現実になってくるということでございます。まさに帰属というよりは参画。そして、1つの現実としまして、高齢者のあり方、それから交流が、地域社会を活性化したり、あるいは個人の価値、尊厳を認める社会へ成熟する大きなきっかけになっていく。今後の社会というのは、個人というものの様々に異なる個人、そういった存在の価値を認め合える成熟した社会にならなくては、こういった参画型社会が成立しないということでございます。

そういった中に、今までの会社人間たちが培った知識が活きないかと言えば、そんなことはないというのが結論でございます。先ほど申し上げましたケイバビリティ・組織能力というものは新しい地域コミュニティーですとか、意識的なコミュニティーを活性化していく上で、マネージメントしていく上で必ずや生きてくると、ポジティブにとらえるべきであるということでございます。

こういう社会構造におきましては、ある意味では、今後の望まれる日本人像というものは決して描いてはいけない、脱ヒエラルキーの、それぞれの個が尊ばれるフラットな社会であるべきであり、また、その中にこそ先端ですとか異端というのが社会を広げていく活力として認められるような社会として、行政は、社会を、個人をとらえなくてはいけないというのが結論でございます。

そうなったときに、例えば、フランシス・フクヤマさんとか、佐伯啓思さんは、日本型社会は共同型で高信頼型の社会というものの言い方をされています。その一方で、日米の検証をされた山岸俊男さんという学者は、日本は安心型社会であるけれども信頼型社会ではないという実証研究を発表されています。ある意味で閉鎖型、固定型人間関係の社会であった側面が日本では強いという判断でございます。それは安心というものを生みやすい反面、流動化した中あるいは外部に対して信頼関係を築きにくい。ところが、日本社会というのは依存安心というのを非常に求める社会であったわけですが、今後は、個と個あるいは個とコミュニティーの信頼を築きやすい、信頼をどう効率よく構築していくかという社会に発想を変えていかなければいけない。その萌芽は、今の新しい動きの中で見えてきているということでございます。

ちょっと抽象的なお話が続いて恐縮でございます。次のページにまいります。

7ページは、そういった構造の中で、行政の果たしうる役割、求められる改革とは何かということで、私どもが取材した方々のご意見を中心に整理したものでございます。

1つは、これは先ほど出ていたお話とかなり重複しますが、個人を基本とした制度社会への転換を図る、こういう大きな意識変革が必要であるということでございます。これは、明らかに新しい非常に多様化してしまった社会をどう公正かつ効率的な社会として認めていけるか、というベースで考えております。そこで出てくる具体像としては、先ほど出ました、個人を単位とした税制・社会保障制度へ、それから、年金あるいは財形制度、退職金等のことを絡めた労働流動性をある意味では認めうる、公平に扱える、場合によっては政策的に促進できる意図というものでございます。

2つ目は、意識的な新しいコミュニティーを育てる支援が行政として必要ではないか。今までは、ここに書いてございますが、自治会ですとか町内会、PTA、こういった既存のコミュニティー中心に偏っています。これは国の役割、地方の役割いろいろなものあわせてのお話ですが、例えば、端的な例でいきますと、学童保育というものを頑張ってやりたいという方を認めるために、地域の町内会か自治会の会長さんのオーケーがなければいけない。その方が抵抗すると、そんなものはつくれない。もっと柔軟にいろいろなニーズに応じた社会の活力となる地域コミュニティーづくりを制度支援していく必要があるということでございます。具体的に言えば、NPOという存在は無視できません。今後非常に重要な社会のアプリケーションになっていくというとらえ方をしております。そのために、NPOを育てるためのNPO、アメリカにあるようなNPO育成のためのNPOを作っていく。現在以上に活性化していく。

もう一点は、非営利団体を支える税制改革を。横浜フリエですとか、アメフトのチーム、いろいろなところで聞く話ですが、今の税制度の中で非営利型の団体が、あるいはそこに寄付する方の課税控除というものが実現しない。新しい社会性の芽を、残念ながら、まだキャッチアップできていないというところで、こういう指摘がございます。

それから、もっと言えばNPO参画を視野に入れた次の時代の社会システム整備、いわば社会への関心、あるいは合意形成の円滑化といった意味で、特に環境、高齢者問題、まちづくりなど、今後10年間の中で非常に大きく見込まれる問題の中で、効率的な行政のあり方、あるいは円滑な合意形成のあり方という分野において、NPOというものをもっと重視してとらえていくべきであるということでございます。

最後に、一番下の方にございますが、雇用関係の法規への、いわば雇用者側の罰則規定を強化することで、イコールな関係をもつ。あるいは、新しい就業形態SOHOをジョブマッチングですとか、あるいは図書館の延長としての情報環境を備えたSOHOができるインフラ整備の場づくり。もう一つの視点は、社会参加というもののプロセスにあるボランティアですとか、選挙に立候補することを促す保障型の制度というものを社会として整備していく、といったことを含めた広範な議論が私どもの調査研究の中であったわけですが、こういったことのご検討をいただければということでございます。

最後に、日本の社会、このままいきますと世帯間隔離のある社会になる不安を内包しつつあります。議論の中で、今の20代、30代の意識とか現実、あるいはティーンエージャーの現実、こういったものを視野に入れる努力をしていくことで、ある意味では、10年後という中の社会全体トータルでの自立して支え合える社会が見えてくるのではないか、というのを最後に余談ながら付け加えさせていただきます。

とりとめのない話で恐縮でございましたが、以上でございます。

〔部会長〕どうもありがとうございました。

それでは、ただいまの報告につきましてご議論いただきたいと思います。どなたからでも。

〔B委員〕基本的な考え方というのは、前半のA委員の話と共通なところもあるように思いました。最後の政策的な提言のところも、個人を基本とした制度社会への転換を図るということで、これはこれで今日の前半の話とかなり対応しているのではないかと思うのです。

1つ、政策提言のところで多少気になる点についてコメントさせていただきますと、個人を基本とした制度へ変えるというのは、A委員の話に則しますと、要するに、制度は中立的であるべきだという話だと思うのです。このお話ですと、帰属的な社会から参画的な社会へ変わるときに、人によっては従来型の帰属的な形でコミュニティーをつくったり、家族関係を築きたいという人もいるわけで、どちらを選ぶかに関して、制度は中立的であって、全員が今までのような帰属的なかなり制約の高い社会を強制的に選択するということではない、そういうことだと思うのです。

その観点からしますと1つ問題になり得るのは、その次の政策提言のところで、例えば、NPOのところで、プラスの新しいコミュニティーを意識的に育てなければいけないと、中立的なところから一歩踏み込んでいると思うのです。私も横浜に住んでいますので、フリューゲルスの話は多少関心はあるのですけれども、あの新しいJリーグのクラブができたのは、確かにおもしろい試みだとは思うのですけれども、別の観点から言えば、あれはスポーツの1つのクラブですから、特にあそこだけを優遇する積極的な根拠づけは弱いのではないかと思うのです。要するに、スポーツというのは自己満足というか、自分が一番メリットを受けるわけでスポーツをやっているわけで、Jリーグだから支援してプロ野球はだめだとか、そういう形の線引きは非常に難しいわけです。いろいろなところでそのボランティア的な形で応援している人というのはいっぱいいるわけです。そうすると、あそこがおもしろいからといって、特に税制上、スポーツのような個人的な喜びが一番強いと思われるようなところまで支援するような形でNPOを拡大していいのかどうか。そうすると、線引きが非常に難しくなってくるのではないかという気がするのですが、そのあたりはどういう具合にお考えでしょうか。

〔梅本プランニングディレクター(博報堂)〕おっしゃられたとおり、確かに1と2で踏み込み方が違う。中立から踏み込んでいるというところは、ご指摘のとおりだと思います。

あえて書きましたのは、必ずしも、そういったサッカーの市民活動の支援を選択的にするとか、そういうことではございませんで、むしろ、戦後、ある意味では企業というものを経済の基本の1つの単位として育てていったというような発想で、NPOというものをあるいは非営利的な団体というものを育てていくための情報の公開ですとか、あるいはどうやったらどんな形態のものが育つのですという、そういう支援をまず中央としてはすべきではないか。いわば、孵化させていく装置というものを、できるだけ整備していくべきではないかということ。そこから先は、これは個別の地方自治体のご判断で、特色のある地域づくり、あるいはその地域での民意に応じた地域づくりとしていろいろなコミュニティーの動きを、地域行政が支援するのかしないのか、そこに傾注的な部分があるのか、中立的であるべきなのか、恐らく、そこら辺が2段階のことがあるのではないかというふうにとらえておりますけれども。

〔D委員〕私は、専門家でもありませんので、自分の体験的なところから感じている話とか質問しかできませんけれども、私自身も、ずっと子育てを通じて、ここで紹介をされている「じゃおクラブ」の活動と非常に似たようなものを今、地元で展開をしております。核家族で子育てを始めたものですから、自分たちだけでは育てられないと思って、積極的に赤ん坊の頃から地元に出て行って、保護者会とか、父母会とか、PTAとか、すべて関わってずっとやってきました。

今、いろいろと動いているメンバーというのは、非常に多様化した動きをしていまして、一方では、例えば学校給食の民間委託の話が出れば、それについてどういう意見を議会へもっていこうかというふうな政治的な活動。だから、「議員も出したいわね」というように活動もしています。その中でも、スポーツを、1年間通じてテニスクラブを毎週日曜日を楽しみにやっているような仲間もいます。学校のPTAとなると、昼間の活動ですから、働く私どもとしてはなかなか伺うことができないので、夜に学校の先生とかを呼んで学習会を開くとか、いろいろ多面的な活動をして、非常におもしろいことを地域で自分たちなりにもやっているというふうに感じているのです。

それにずっと携わってやってきて思うことは、共働きの夫婦が原則なので、男性も女性も同じように出ては来るのですけれども、夜とか土日とかなので、どういった方でもかなり参画はできるのですけれども、特に父親ですが、大企業とか、自営業とか、公務員といったような方に出て来られる方が限られていて、中小の方々は、特に今はリストラということもあって労働条件が苛酷になっていて、結構残業残業で、土日もサービス残業ということで、今、過渡的な、一時的な原因かもしれませんけれども。全体としての流れとしては「会社人間からは脱却」という点では皆さん一致はしているのするけれども、なかなか現実の労働条件のところが厳しい。一時、労働時間の短縮ということが言われて、これはちょうどバブルの頃でしたけれども、先進国並みに労働時間の短縮という話が出ておりましたけれども……。

出ていらっしゃれる方、脱却ができる人でこのお話が組み立てられていますけれども、なかなか脱却できない人たちというのが、意識はあっても脱却できない人たち、そういう労働条件・労働時間のようなものと絡めて、私も10年ぐらい関わってきて非常に感じておりますので、そういった格差みたいなものについて、調査を通してどうお感じになったかということ。

もう一点は、私どものような30代・40代の子育て、ちょうど企業の中の中心にいるような年代で書かれているのですが、会社から脱却した人間――リタイアした方々――たちが、私などは土日は本当に地元のおばさんで地元に出ているのですけれどもお目にかからないです。新聞記事などで世論調査みたいなものをみますと、夫の方はリタイア後は妻とともに過ごしたいという人がすごく多いのに、逆に、妻の方のアンケートをとると、夫とともにはいたくないという人の方が多いです。夫としては、すごく居場所がないのだろうと思うのです。そういう意味では、会社人間から脱却をしたわけですから、もっともっと地元とかいろいろなネットワークを組めるのではないかと思うのですが、ここではその話があまりなかったように思いますので、リタイアした男性……。

私ども、いろいろな話を聞きましても、妻側の話を聞くことが多いのですけれども、決してリタイアした男性が困るというわけでもないのですけれども、例えば、ずっと家にいられて、しょっちゅう冷蔵庫を開けて、なにが残っているとか、これが腐りかけそうだとか言われて、そういうごちゃごちゃがうるさいというようなことを言う。そういった男性の行き場というのがもっとあるのではないかというふうに考えておりますので、この中にはあまり出ていませんけれども、聞かせていただけたらと思います。

〔部会長〕時間も押し迫っていますので、あとご質問のある方のを受けまして、その後、梅本さんの方からまとめてお答えいただきます。

〔J委員〕ちょっと気になったので申し上げたいのです。B委員が、スポーツというのは、それを享受する人のためだから、あまり公的な役割がないから振興する必要はない、というのでちょっと気になったのです。私も文化に関連しているものですから、文化もそういう話がよくあるのですけれども、1つは、それがJリーグの場合は、コミュニティー意識の醸成ということに関わるのなら、ある1つの公的な役割を果たすだろうということ。それから、Jリーグが子供たちのために教育的な事業、スポーツに関連する、そういうことをやっていれば、ある程度の役割というのは果たせるので、そういう団体自身も教育とか普及とかということに関してやれば、振興に値する部分がある。

ちょっと余計なことですけれども、わりあいそういう議論が多いので、一言。

〔部会長〕ほかにご質問がございますか。

よろしいですか。それでは、梅本さんお願いいたします。

〔梅本プランニングディレクター(博報堂)〕D委員のおっしゃられた趣旨は、ホワイトカラーで時なしの働き盛りの方はどう参画できるのだろう、というようなご趣旨だったと思うのですが、今もう一つの流れとしまして、例でお答えするのがいいと思うのですが、マンションの管理組合、これはかなりの部分、ある意味で同質化した年代というか、金額の問題でかなり同質化したクラスソサエティの方がエリアの中で何らかの自分たちの活動をやるわけですけれども、かなりホワイトカラーで忙しい30~40代、それと50~60代の方がうまい組み合わせの中で、まさに自らの家を守る問題の延長上にある共同ニーズの問題ですから、積極的に動いているという話をよく耳にします。

先ほど私が申し上げた、学童保育の父親の会などというのも、まさに忙しいわけですが、父親たちの間で問題点の課題抽出をやったり、行政に言おうとか、自治会長さんに相談しようとか、そういった動きが都市部ではかなり起こってきているのではないか、と。

そういう意味では、こう言ってしまいますと極論かもしれませんが、可処分時間の問題と意識の問題、ニーズの強さの問題、そのコミュニティーの中で共通化できる意識の問題というところをうまく組み合わせていきますと、非常にいい芽というのはいろいろ出てきているのではないか。それを何らか阻害する、先ほどの学童保育で自治会長さんのオーケーがなければいけないとか、マンションの管理組合が行政に相談に行っても「町内会を通して言ってください」とか、こういったところの柔軟性というのが制度的に補完できると、もっと効率よくなるのではないかというのが、答えになっているかどうかわかりませんが、最初の問題でございます。

2点目の、ポスト退職者の男性の行方という問題でございますが、まさにおっしゃられたとおりでございまして、1つの今回の調査の中でも出てきたのは、地域社会の活動をやりたい人が多い、ボランティアをやりたい人が多い、それから、従来型の自治会とか町内会の役員をやりたいという気持ちも多い。ところが、実はそこにミスマッチがございまして、その人たちを使える枠組みとか組織体というのがもはやなかったり、ミスマッチが起こったりというのが、1つ対外的な現実があるのではないか。そういう意味で、そういった方々を受け入れるコミュニティーづくりとか、あるいはその人たちが自らつくれるコミュニティーのつくり方づくりといいますか、そういったきっかけの部分と受皿の部分が、これは地域の自治体の行政かもしれませんが、必要になってくるのかなと。

それと、先ほど、家庭は築くものというような挑発的なことを私は申し上げましたが、それは、ある意味では50代以降のあるいは60代の夫婦・家族の中でも同じ、リセットされた、チューニングし直した夫婦の関係とか、親子関係というものをもう一度築く努力を意識してやっていかないと、これは別に啓蒙することではなく、することでバラバラにならずに維持できるということがあるのかなというふうに思います。

お答えになっていたかどうかわかりませんが……。

さっきのサッカーの話は、何かコメントしてもよろしいですか。

〔部会長〕どうぞ。

〔梅本プランニングディレクター(博報堂)〕今回横浜フリエスポーツクラブを取材した意図は、彼らが、「サッカーだけではありません、ほかのスポーツ、例えばゲートボールの老人とかの問題も共同戦線を今後張っていきたい、広げていきたい」という意思。サッカーは1つの入り口であり、ほかの地域社会の問題にも目を向けてる存在でありたいという意図。さらに言えば、ソシオ制度という市民持株会みたいなものを作って、企業社会に従属しないプロチームをつくりたい、こういう意図を彼らが持っていましたので、取材させていただいて、そういった意図での問題点というものをピックアップしたというのが経緯でございます。

お答えになっているかどうかわかりませんが、そんなところでございます。

〔部会長〕C委員、一言だけどうぞ。

〔C委員〕今、リタイアした人を受け入れられるきっかけとか受皿を行政が作るとおっしゃいましたけれども、この部分がNPOが作ると思うのです。まさしく私どもは、NPOを育てるためのNPOセンターでして、今一生懸命、単体のNPOを作っているのです。そこでは、今までボランティアしてきた地域の女性たちに加えて、リタイアした男性がもう既に一緒にやっている状態ですので、リタイアした人が活かされる道というのを、行政が作るのではないのだと思いました。

〔部会長〕どうもありがとうございました。まだいろいろとご意見もあろうかと思いますが、時間の関係もございますので、本日の審議につきましては、ここまでとさせていただきたいと思います。

なお、ただいま、梅本さんの方からご報告いただきました委託調査の結果につきましては、明日午後4時より経済企画庁の方から記者発表する予定になっております。

それでは、次回の日程について事務局よりご説明いただきます。

〔福島推進室長〕次回は4月22日木曜日の午前10時から12時まで、場所は経済企画庁内436号室、4階の会議室を予定しております。別途開催通知を郵送して、ご案内させていただきます。

〔部会長〕それでは、第5回の国民生活文化部会の審議は以上にいたしたいと存じます。

本日はどうもありがとうございました。

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