経済審議会国民生活文化部会(第4回)
議事録
時:平成11年3月31日
所:共用特別第二会議室(407号室)
経済企画庁
経済審議会国民生活文化部会(第4回)議事次第
日時 平成11年3月31日(水) 10:00~12:00
場所 共用特別第二会議室(407号室)
- 開会
- 高齢者等の意欲と能力が発揮される社会システムについて
~「生涯現役社会の条件」~
・清家部会長意見発表 - 人々を結びつける新たな機能(NPO・ボランティア等)について
・森委員意見発表 - 閉会
(配付資料)
- 資料 経済審議会 国民生活文化部会 委員名簿
- 清家部会長意見発表資料
- 森委員意見発表資料
- 参考資料1 雇用・就業に関する参考資料
- 参考資料2 NPO・ボランティアに関する参考資料
経済審議会国民生活文化部会委員名簿
部会長
清家 篤 慶応義塾大学商学部教授
部会長代理
大田 弘子 埼玉大学大学院政策科学研究所助教授
井堀 利宏 東京大学大学院経済学研究科教授
川勝 平太 国際日本文化研究センター教授
黒木 武弘 社会福祉・医療事業団理事長
鈴木 勝利 日本労働組合総連合会副会長
ピーター・タスカ ドレスナー・クライン・オートベンソン
永井 多惠子 世田谷文化生活情報センター館長
日本放送協会解説委員
西垣 通 東京大学社会科学研究所教授
浜田 輝男 エアドゥー北海道国際航空咜代表取締役副社長
原 早苗 消費科学連合会事務局次長
福武 總一郎 (株)ベネッセコーポレーション代表取締役社長
森 綾子 宝塚NPOセンター事務局長
湯浅 利夫 自治総合センター理事長
〔 部会長 〕 ただいまから、第4回の国民生活文化部会を開催させていただきます。
本日は、ご多用中のところをご出席いただきまして、誠にありがとうございます。
それでは、本日の議題に入らせていただきます。
本日は、「高齢者等の意欲と能力が発揮される社会システム」及び「人々を結びつける新たな機能」についてご議論いただきたいと思います。本日の議題につきましては、私とA委員から意見発表を行うこととしております。最初に私の方から「高齢者等の意欲と能力が発揮される社会システム」について意見発表をさせていただいた上でそれについて議論を進め、次いでA委員から「人々を結びつける新たな機能」について意見発表をいただいてそれについて議論を進めていきたいと思います。
なお、私の意見発表及びそれについて議論を行う間は、部会長代理に議事進行をお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。
〔 部会長代理 〕 それでは、代わって議事を進行させていただきます。
最初に、B委員の方から、高齢者等の意欲と能力が発揮される社会システムについて意見発表をお願いいたします。大体25分程度をメドにお願いいたします。
〔 B委員 〕 それでは、皆様のお手元に配っていただきましたレジュメに沿って意見発表を行いたいと思います。
前回申し上げましたように、これからの人口構造の変化を考えますと、働く意思と能力のある高齢者にはできるだけ長く働き続けてもらう仕組みを、あるいはその人たちの働く意思が活かされるような仕組みを作っていくことが重要であるという、3つの選択肢のうち第3の選択肢が重要であるというお話をしたわけです。ところが、現状はどうかといいますと、そこで申し上げたような、生涯現役で働ける仕組みにはなかなかなっていないわけです。
3ページの図1ー1は、1996年ですので若干古いデータですが、『雇用管理調査』から取りました定年年齢の分布です。この時点では、まだ60歳定年制というのは法制化されていませんので、60歳未満の定年も若干ありますが、現在でも、基本的には分布的には大きく変わっておりませんで、定年の年齢というのは8割ぐらいが、60歳以上といいましても、60歳のところに非常に偏った、非常に顕著なユニモーダル分布をしております。60歳を超えたところで見ますと、65歳以上も含めて、61歳を超えた定年年齢はまだ1割程度にとどまっていまして、少なくとも、定年という観点からいいますと、日本人の平均寿命の伸長ということを考えますと、必ずしも生涯現役という形にはなっていないわけです。したがって、これをどういうふうに変えていくかということが大切なポイントになってくると思います。
こういった状況は、だんだんマーケットの力で自然と変わっていく部分もあるわけで、その下の図2ー2を見ていただくとおわかりかと思います。これは前回の報告のときにも使いましたけれども、例えば20代の人口が今1,900万人ぐらいいるわけですが、西暦2015年には1,250万人を割り込むところまで減るわけで、現在の20代人口でみますと、2/3以下の規模になります。つまり、現在、企業が必ずしも高齢者の雇用に積極的でない1つの背景には、高齢者を雇わなくても、人材の確保という観点から問題が生じていないということがあるわけですが、これだけドラスティックに若年人口が減りますと、企業としても、若い人を無理に奪い合うというコストが非常に高くなってきますので、それよりも、数も豊富にあり、また経験も能力もある中高年あるいは高齢層の人たちを人材として活用するというインセンティブが企業自身に出てくる。あるいは、もうちょっと言いますと、そういう人たちを雇ってもコストが高くならないような賃金体系、処遇の仕組みを工夫する合理性が出てくるわけでございます。
図2ー2は、人口そのものの変化ですけれども、一定の仮定の下で、労働力人口の変化をみたものが図2ー4です。これは現在の労働力率がそれほど大きく変化しないという(多少の修正を加えておりますが、)下で人口が変化した場合に、労働力人口がどう変化するというところですが、見ていただくとわかりますように、20代の労働力人口がかなり減る。一方で、60歳以上の労働力人口が、それを埋め合わせるところまではいきませんけれども、増えるということですから、企業としても、この過不足を埋め合わせる合理性というのが出てくるだろうということでございます。
ただ、そこにいくまでに、今日お話し申し上げるような様々な制度的な変革、特に高齢者を雇っても企業としては困らないような賃金制度とか処遇の仕組みというのを作る必要があるわけです。そういう意味で政府の役割というのは、どんな雇用制度を作るかというのは個別の企業の労使が決めるべきことですから、政府がこういう仕組みにしよう、というようなことをとやかく言う筋のものではありませんけれども、少なくとも、長期的には需給関係からいってこのような雇用制度が一般的になるのではないかという将来図を提示する。あるいは、その将来像に近づけるために、現在阻害要因となっているものを除去していく。あるいは、そのために必要な賃金とか雇用制度の労使が変化を行う際に、それを促進するような誘導政策をとるということはあり得るのではないかと思います。
ちなみに、皆さんご承知かと思いますが、既に公務員制度調査会においては、公務員の65歳定年制に向けて制度を変えていくという答申が出されおります。
いろいろご批判もあるところかと思いますが、しかし、理屈から言えば、私は、公務員の65歳制は当然であると思っております。つまり、年金の支給開始年齢が65歳になる。一方で天下りはいけないというのであれば、65歳まで働いてもらうしかない。ただし、そこで非常に大切なのは、その下で総人件費は増やさないということですから、その3つの方程式を解けば、賃金をうんとフラットにする。あるいは処遇の仕組みをドラスティックに変えることで、65歳まで役所で働いていただいて、その後は天下りなしの仕組みを作る、ということしか論理的にはないわけです。
そういうような形で公務員については65歳定年制というのが徐々に進んでいくだろうと思います。
これは別に公務部門が主導する必要はないわけですけれども、週休2日制等の事例からもわかりますように、公務員セクターの雇用制度というのは、日本だけではなくて、どんな国においても、比較的その他の部門の雇用システムの1つの雛形になり得るものでありますので、そういった政府部門が比較的率先して65歳までの現役雇用システムを作るということも、重要なポイントになってくるのではないかと思っております。
それでは今、長期的にはともかく、高齢者の雇用がなかなか進まないのはどうしてだろうかということが問題になるわけです。1つは、先ほど言いましたように、まだまだ若者が多い労働市場の状況というのがあります。特に1990年代の前半というのは、いわゆる団塊の世代のジュニア、団塊二世の人たちの効果によって若年人口が増える日本の歴史上最後の時期にあたっていました。そういう面で今は、高齢者の雇用に対してはアゲインストの風が今しばらく前までは吹いていたということだろうと思います。
仮に人口構造が変わっても、一方で高齢者を雇いにくい雇用制度がもう一つのネックになっているわけです。つまり高齢者を雇おうとすると非常にコストが高くなってしまう。あるいは、やってもらう仕事がなくなってしまうような処遇の仕組みということです。
5ページ目の図1ー3ですが、これはエドワード・ラジアーというアメリカの労働経済学者が、定年制度はなぜ存在するのかということを理論的に証明しようとした論文からの抜粋ですが、その論文のタイトルを見ていただくとわかるのですけれども、“Why is There Mandatory Retirement? ”( 定年退職制度はなぜ存在するのか)というそのものズバリのタイトルの論文になっております。
この図の見方ですが、横軸が年齢とか勤続年数、つまり左下の原点0で雇われて、定年年齢Rまで勤める。縦軸は企業から個人に支払われる賃金及び個人の企業に対する貢献度をあらわすわけです。個人の企業に対する貢献度――経済学の言葉でいうと「限界生産力」という難しい言葉になりますが――は大体年齢に応じて少しずつ上がっていくのここでの説明のためには、貢献度の直線が水平であっても、論理的には構いません。これは水平であろうと、CDという貢献度の曲線が右上がりであろうと、今からお話しするストーリーは、賃金の曲線ABが貢献度の曲線を左下から右上に横切る限り、論理的には全く同じ話が成立しますので、とりあえず簡単化のために貢献度は一定であるというふうにしています。右肩上がりでも、途中から下がるような形になっていても、構いません。
ラジアーの理論に従えば、定年というものはどうして存在するかということですが、定年の年齢において、第1に、企業が従業員を強制的に辞めさせたいと思うのは、その時点でのBRという賃金水準が企業に対する貢献度DRを上回っているからである。つまり、もし貢献度を下回るような賃金あるいは貢献度に一致した賃金であれば、辞めてもらう必要はないわけですから、そこで辞めてもらいたいと考えている場合には、必ずその時点で賃金は貢献度を上回っていなければ、論理的におかしいということであります。
しかし、企業は当然、経済合理的な主体ですから、常に貢献度よりも高い賃金を支払っていては最適な経営ができません。そこで、定年以前のところで、貢献度よりも安い賃金で人を雇っていなければこういう仕組みは成り立たないだろう、というのが第2のポイントです。
そこで、一般的に年功賃金というものは、貢献度を左下から右上に横切るようなABというような直線であらわされる。そのときに、雇用期間の前半のところで、三角形ACEという部分、これはボンドであるとか、あるいはデポジットであるとか言い方をしますけれども、企業に対する貸付を行って、その貸付を雇用期間の後半のEBDというところで返済する。それはちょうど定年のところで雇用期間を終了することで、この企業に対する貢献度と賃金の総和の現在価値が一致する。そういう理屈であります。
したがって、賃金が貢献度を左下から右上に横切るような賃金体系の下では、必ず、どこかでMandate Retirement、定年退職というのを設けないと収支バランスが合わなくなってしまう。これが、定年というものがそもそも世の中に存在している理論的な理由である、というのがエドワード・ラジアーのロジックのエッセンスであります。
ということは、定年の年齢をもっと延ばそうと思う、あるいは定年をなくそうとと思えば、ABの傾きをもっと緩くしていく。限りなく貢献度に近づけていけば、理論的には定年というものは必要なくなってなくるわけです。初任給がそんなに下がらないとすれば、OAの水準がそれほど下がらないとすれば、定年の年齢Rを右の片に動かそうと思えば、当然、ABの傾きは緩くしていかなければいけないということが論理的に出てくるわけです。つまり、定年の延長と賃金カーブのフラット化は切り離せない。これは非常に常識的なことですけれども、それが示された理論ということになります。
実際、ラジアーの言っている図1ー3のような関係というのを企業はどのように考えているのだろうか、ということをみたのが図1ー5であります。これは企業に対するアンケート調査です。実際に貢献度あるいは限界生産力を測定するのは非常に難しくて、企業の経営者あるいは人事担当者に対して、直感的にどのように感じているかということを聞いたアンケート調査の結果が示されております。横軸に掲げられたような年齢層の平均的な労働者を見た場合に、その人の賃金と会社に対する貢献度の相対関係がどうなっているかと聞いているわけです。もちろん、一番若い、勤めたてのときにはまだ修行中ですから、賃金の方が貢献度を上回っていると答える企業が多いわけですが、その比率は、人々が一人前になるに従って急速に低下する。一方、30代から40代にかけては、賃金よりも貢献度の方が高いのだという、先ほどの理論で言えば企業に貸付を行っているというふうに考えている企業経営者あるいは人事担当者が多くなっていくわけです。しかし、その図を見ていただくとわかりますように、再び、40代の後半・50代ぐらいになると賃金が貢献度を上回る比率が高まっていくという形が見えるわけで、ラジアーがあらわした理論図式と、年功賃金の下で人々を雇っている企業の意識というのは比較的近いものがあるということがわかるわけです。
次の6ページに図1ー6がございます。これは同じアンケート調査の結果を使って作りましたクロス表です。この調査では、65歳定年がお宅の会社では可能ですかということ、早期退職制度がありますかということを同時に聞いていますが、それを見ていただくとおわかりのように、65歳定年が可能であると答えた企業は、55歳時点においてまだ貢献の方が賃金よりも高いと答えた企業では6割近くあるのに対して、55歳時点においても賃金が貢献を上回ってしまっていると答えた企業においては、65歳定年が可能であると答えた企業の比率は4割程度に下がるわけです。逆に、55歳時点において、賃金が貢献を上回っていると答えた企業においては、それ以外の企業に比べて早期退職制度がある比率が倍ぐらいになっているということが示されております。このようなことからも年功的な賃金体系を修正することなしに、定年の延長あるいは生涯現役の仕組みを作るのは難しいだろうということがおわかりいただけるかと思います。
また、仮に賃金がフラットになって、年を取った人は必ず管理職に就けるというような仕組みがありますと、年を取った人にはやってもらう仕事がなくなってしまう。あるいは、その人たちが辞めてくれないと、下の人がつかえてしまうという問題が起きるわけです。これは、前回お話ししましたように、担当者としても最後まで活躍できる仕組みを作っていくということが、この点で求められるわけです。
その下の図2ー5は、若干古いデータですが、石田先生の論文自体は1996年に書かれたのですけれども、調査自体は、当時の日本生産性本部が1990年前後に行った調査です。
これはどういう調査かといいますと、日本と、アメリカ、イギリスと、ドイツの4カ国の大手の製造業の企業に対して、特に研究開発型の技術者が第一線で活躍できる年齢の限界はどの辺でしょうか、と聞いた調査です。非常にはっきりしているのは、日本の企業の場合には、30代の後半から40代の前半のあたりに、はっきりとしたモードを持つ分布をしているわけですけれども、アメリカ、イギリス、ドイツのでケースで見ますと、一番多かった答えは、年齢とは関係がないという答えです。特にこの調査でまた別の視点から質問をしているわけですけれども、日本の場合になぜそういうことになるかというと、30代、40代になると、技術者あるいは研究者であっても、何々研究室長とかいった管理的なポジションに就けることが多くなって、なかなか第一線の技術者としては仕事がしにくくなってしまっている、という制度上の問題が指摘されています。
こういった賃金制度あるいは処遇の仕組み、つまり年を取った人の賃金は高くなるという賃金制度、あるいは年を取った人は、第一線の仕事ではなくて、管理職・監督職に回すという制度が高齢者を雇いにくくしているということがあるわけです。したがって、そういった問題を解決するためには、現在の制度をかなり抜本的に変えていかなければいけないということになります。1つは、年齢を基準にしない賃金制度というものが必要になります。基本的には、その人の能力とか貢献度に応じて賃金を支払う。
7ページに表1ー1がございます。これは説明すると長くなるのですけれども、説明変数のところに賃金プロファイルの傾きというのが出ています。これは非常に単純なリグレッションをとったものです。純退職金利得というのは、ここでは企業が従業員に辞めてもらいたいと思う年齢がこの純退職金利得のピークと考えていただきたいと思います。見ていただくとわかるのですけれども、賃金プロファイルの傾きがかなり優位にマイナスで効いているということは、賃金プロファイル、すなわち賃金カーブの傾きがきつければきついほど企業は比較的早めの年齢で従業員に辞めてもらいたいと考えるようになる、ということがわかっているわけです。その意味で、年齢というものから自由な賃金体系が必要になってくるだろうと思います。
そういったものの1つの形が年俸制と言われるものです。図2ー7に書いてありますけれども、年俸制というのは2つの時間軸から自由な報酬体系と理解することができるわけです。従来の年功賃金制度というものが、先ほど言いましたように、過去にどれだけ会社のために安く働いたかという過去、そのかわり将来いい思いをさせますよ、という形で過去と未来の関係と非常に強く連関している。しかも、働いた長さで人を評価するというようなところで決まっていたのに対して、年俸制というのはそのときどきの、過去にどんなに貢献していてもそのときに貢献度が低ければだめだし、あるいは過去がだめでもそのときが良ければいいという、過去・未来を問わない報酬体系。もちろん、年俸制ですから、どれだけ長く働いたかという労働時間も関係ない。という意味で、2つの時間軸からかなり自由な報酬体系です。こういった形の報酬体系が、生涯現役社会というものを作るためには必要だろうということです。
もう一つは、年齢というものを基準にしない処遇の仕組みが大切だということです。
これは前回お話ししましたので、時間の関係ではしょりますけれども、図2ー6にの一番右側のような、基本的にはそれぞれの担当の仕事で担当者としての能力を高めていってもらうことが大切だということです。
もう一つは、年齢というものを基準にしない能力開発の仕組みというものも大切です。日本の企業というのは、若いときにかなり重点的に能力開発投資をして、それをその後で回収するというパターンをとっているわけです。したがって、投資を回収するまでは従業員に辞めてもらっては困るという雇用制度をとっているわけです。それがかなりはっきりとあらわれるのが退職金制度です。
図1ー7で縦軸にあらわされているのは何かといいますと、企業はご承知のとおり、退職金を自己都合の退職による退職金とリストラとか整理・解雇といった会社都合による退職金の2つに分けているわけです。もちろん、会社都合で辞めてもらいたいというときに払う退職金は、企業が従業員に辞めてやらいたいと考えているときに支払ってもいいと考えている退職金です。それに対して、自己都合の退職金というのは、企業が必ずしも辞めてもらっていいと考えていないときに支払う退職金ですから、その比率というのが1に近いほど、その企業はもう自分から辞めてもらってもいいよと考えているんだ、というふうに考えることができます。逆に言うと、自己都合退職金と会社都合退職金の比率は、企業が従業員に課している自己都合退職に対するペナルティというふうに考えることができるわけです。
そのペナルティは、27歳とか32歳とかいうレベルでは、勤続10年ぐらいのところではかなり大きいわけです。つまり、自分の都合で退職したら、会社の都合で退職した場合の6割ぐらいの退職金しか支払いません、という形のディスインセンティブを与えているわけです。つまり、これは教育投資をまだ回収期間では、自己都合退職を企業が防ぎたいという動機を持っていることを示しています。これが例えば52歳、勤続30年というところになると、ほとんど1に近くなってきます。つまり、この時点になると、自分で辞めてもらっても一向に構わないと企業が考えていることが、この退職金制度の設計からもわかるわけです。
これはどうしてかというと、教育投資が比較的初期にかなり重点的に行われる。少なくとも、その投資の回収がすむまでは企業がそれを引き止めておきたいと考えている。もうちょっとこれをならして、中年になっても、もっと年を取ってから働けるような能力開発が行われるような仕組みにしていくことが必要ではないかと思います。
時間がオーバーしそうですので、次のところはかなりはしょります。
今言ったような制度変革の中で、能力主義とか業績主義の賃金体系が必要になってきますが、そのときに非常に重要なのは、そういった能力とか業績とか貢献度というのを、どれだけきちっと評価できるかどうかという問題です。この仕事能力評価をめぐる問題は、ポイントか3つぐらいあります。1つ目は、どれだけ正確に評価できるかという評価技術の問題です。2つ目は、評価の結果がどれだけきちっと評価される人間に情報開示されるかという、評価の情報開示の問題です。3つ目は、これが一番重要ですけれども、能力主義、業績主義といっても、業績が上がるような仕事を与えられなければ業績は上がらないわけですし、あるいは能力が磨けるような機会を与えてくれなければ能力は高まらないわけですから、そういう業績が上がる機会、あるいは能力が高められる機会、あるいは自分の能力を活かせると思われる機会に就けるかどうか、その機会の付与がどれぐらい公平に行われるかどうかということが重要になってまいります。
そういった観点から言いますと、労使関係のこれからの1つの重要なポイントは、そういった能力主義、業績主義が避けらないとしたときに、そういう仕事の配分であるとか、能力開発のチャンスについての労働者への機会の担保がどれだけきちっと行われるか。そういう面で言うと、賃金というのは能力とか業績といった結果で決まるのはしょうがないとしても、それが決まる際のルール、プロセスをどのように担保していくかということが、労使関係の役割として重要になってくるのではないかと思います。
もう一つ、最後に急ぎますけれども、そういう中で雇用を延長をしていく際に、考え方として、定年延長と定年廃止とがあるわけです。定年の延長というのは、今政府が進めようとしている政策で、65歳まで何とか定年を延ばそうということの合意形成を図ろうとされています。私は、中期的には、そういった政策はかなり妥当ではないかと思いますが、しかし、長期的には、私のポジションを言いますと、むしろ定年というものをなくしてしまう方がすっきりするのではないかと思います。
ちなみに、定年というものがどのぐらい高齢者の就業とか雇用を阻んでいるかということを示すエビデンスとして、9ページ目に表4ー1があります。これは60歳代の人が働くか働かないかの選択をする際にどういった要因が影響を与えるかということです。前回、年金の受給資格があると他の条件を一定にして就業確率が15%程度低下するという話をしたわけですが、「定年の経験あり」というところを見ていただくと、定年の経験があることによって、他の条件が一定の下で18%ぐらい労働市場から引退してしまう確率が高まる。つまり定年制度というものは直ちに引退と結びつくわけでありませんけれども、労働市場からの引退の非常に大きなきっかけ、あるいは動機になっているということがわかります。
その下の図6-1は、これも前回、年金のところでお示ししたのと同じことを定年の経験で行ったものです。実線は、定年退職を経験して引退している高齢者が、もし働いたら得られるであろう市場賃金率。破線は、定年退職を経験しないで働き続けている高齢者の得ている市場賃金率ということです。市場賃金率というのが、その人が持っている人的資本の賦存量、すなわち仕事能力を反映しているとすると、この図の示すところは、定年を経験して引退してしまっている人の方が、定年を経験しないで働き続けている人よりもより高い人的資本をもっている。すなわち、定年退職制度というものが、より高い人的資本を社会から失わさせているということがわかるわけです。
なぜ、私が、定年延長よりは定年廃止の方を長期的には目指すべきだというふうに考えるかといいますと、定年の延長というのは、仮にそれが65歳になったとしても、定年に変わりがないわけで、今申し上げてきたような定年制度の持っている問題というのは払拭されないわけです。むしろ、もっと思い切って能力ベースの賃金にする。あるいは、担当者として仕事をしてもらうという形にすれば、企業としては、担当者としての仕事をしてもらえる限り、別に何歳まで雇っても理論的にはかまわないということになるわけです。ただ、そのときに3つ問題があるかと思います。
1つは、引退の自由をどのように確保するかということです。当然、早く引退したいと人もいるわけですから、その人たちに対して企業年金であるとか、あるいは様々な個人年金等の組み合わせ、そして、年金数理的にフェアに減額された公的年金の組み合わせで引退できるオプションをどのように保障していくかということ。
もう一つは、実は定年制度というのは定年までは雇用が保障されているという雇用保障の側面があるわけですが、定年がなくなるということは逆に言うと、定年以前のところでも、年齢以外の理由で雇用調整がもうちょっと自由に行われるようになることに、理論的にはなりますので、その辺のところを、例えば労使がどのように評価するかという問題があると思います。
いずれにしても、私は、生涯現役社会というのは、別に死ぬまで働けというのではなくて、自分の職業生涯を基本的には自己決定できる仕組みにしていくということが大切だということだろうと思います。ただし、その場合には、自己決定できるかわりに、今言いましたように、雇用の安定性が、例えば年齢以外の理由によるリストラをもうちょっと容認しなければいけないというような形で損なわれるという、自由と安定のトレードオフの問題はあるかもしれません。
もう一つは、特に中高年の人たちです。今の若い人たちはいいわけですが、中高年の人たちは、先ほどの図1ー3にあるような賃金体系の中で、既に企業に貸付けを行っている。その人からは、そういう面から言うと年功賃金を受け取る既得権を持っていることにもなるわけです。しかし、その人たちの既得権をすべて保障したまま、雇用制度の変革をするということはできないので、その人たちの既得権が失われる場合に、例えば年功賃金は多少修正されるけれども、そのかわり定年が延びるというような形の、いわばバーター取引がどのぐらい可能かどうかという問題があると思います。
いずれにしても、我々が目指すべきなのは、自分の職業生涯というものが定年退職制度といったような、会社が決める制度であるとか、あるいは年金の支給開始年齢というような国が決める制度に規定されないで、自分で決められるようになる、ということが大切ではないかと思います。
時間がありませんので、あとは、質問のところで補足させていただきます。
〔 部会長代理 〕 ありがとうございました。
年齢を基準としない雇用制度というのは、高齢者の問題だけではありませんで、もちろん、現役世代から労働の仕方が変わるということで、今のB委員のお話の中でも、柔らかい表現ではありましたけれども、かなり厳しい面を含むお話もあったように思いますので、その点も含めて議論を深めていきたいと思います。
C委員、いかがですか。
〔 C委員 〕 去年、電機連合として初めて65歳の定年延長の要求をしたのですが、結果として、去年は、とりあえず別な方法でということですが、その話し合いを通じていくつか問題点が明らかになりましたのは、これは公式な話ではないのですけれども、例えば定年延長という制度をとった場合の雇用責任、法律的な問題をどう考えていくか。今は、60歳定年にしても、定年前における配置転換とか、職種転換についての本人の同意と法律上の制約の問題があって、それを65歳まで延長した場合にどういう問題が出てくるかというところが1つです。
2つ目は、これからの労働人口の変化によって市場の動向が変わるということと関連するのだと思うのですが、会社の側としては、60歳以上の雇用延長に対しては、能力評価を必ずしも安定したものとしてはもっていない。ですから、率直に申し上げて、会社の選択権を持たせてもらいたい、と。本人が希望し、かつ会社が必要と認めた人という条件を付けたい。
おおむね、この2つが実際の話し合いの場では一番難航したところです。
1番目の問題はいいのですが、2番目の問題は、これから若年労働力の減少という先ほどの説明からいけば、追々意識変化になっていかざるを得ないのだろうと思っていますが、そういう意味では、能力開発をこれからどういうふうにしていくかがそれぞれの個別の企業の労使にとって非常に大きな問題です。今までは、1つの会社に入って、ただタイムカードを押して勤めていれば60までは何とか勤められるということで、率直に言って、今までは住んでいたわけですから、それが大きな環境変化の波にさらされているという意味の、従業員の意識変化をどのように作っていくのか。あるいは、それに伴う支援措置、能力開発とかをどのようにしていくのかということが、一方でどうしても必要になってくるのだろうと思っています。
もう一つは、日本の社会・会社制度というのは、退職金に限らず、長期勤続を1人の人間の担保としてみているという制度になっているわけです。定年退職者は、経済学的にみれば、確かに初期投資を回収するという部分もあるのだと思いますけれども、様々な制度が、例えば、社内の融資制度にしても、勤続年数によって住宅の貸付金額を変えるとか、要は勤続がその人の担保になる部分がありますから、能力評価を進めていくということは異動の促進の効果をもつわけですから、社内におけるあらゆる制度を長期勤続を前提にした制度からそうでないものに変えていかなければいけないという、もう一つの側面があるのではないかという思いがあります。
もう一つは、勤続に応じて管理職になっていくという、同じ意味での制度なのですが、例えば、電機連合が、少し前になりますが、大学卒の技術屋さんと、職業専門学校を卒業して入った技術屋さんの意識調査をしますと、入社した当時は、同じように労働力移動というか、会社の異動、会社に対する帰属意識というのは非常に低いです。ところが、大学卒は、ある年代に達しますと帰属意識がだんだん強くなってくるのですが、これは会社の出世コースと言うとおかしいですが、ある意味では、管理職のコースに乗り始めると非常に帰属意識が強くなる。職業訓練の専門学校卒業生の方が、30代、40代になっても、自分の力を認めてくれるところだったらいつでも会社を移動してもいい、という意識がまだ残る。こういう部分をこれからどうしていくかということも、定年問題と関わり合って様々な問題が出てくるのではないかという思いがしています。
そういう意味で、去年の交渉では、とりあえず雇用延長ということで、つまり本人が希望した場合は必ず雇用延長をするということであって、定年延長ということにはできなかったわけですが、来年の要求のときには、B委員や皆さん方のお話も聞きながら、その意味でのエイジレス社会を求めていくという意味では、定年延長という考え方から雇用延長の考え方に方針を少し拡大をして、そういう部分を少し進めていこうかという思いがあるのです。
そのときに、労働組合ですから、当然、先ほどから議論に出ている雇用保障の問題と、年金支給との関わりを含めた生活との関わりをどのように考えるかということは切り離せないわけです。ただ、そういう部分だけでは、高齢者社会というのは成立し得ないと思いますから、後ほどのNPOとも関係するのですが、そういう経済的な側面から働きがいとか、生きがいという精神的な側面においての雇用延長という意義づけをしていかなければいけないかなと、今思っているところです。
そういう意味でいけば、年金との関係でエイジレスになった場合は、ある年齢の段階に達したときに、働いている方が得か、引退して年金をもらう方が得か、個人が判断することによって自ら引退の意思を……、経済的側面だけで言えば。そういう制度にしておかなければいけないかと、こんな思いです。
まとまりがないのですが、去年の交渉を通じていろいろことを感じたものですから、今日のお話も含めて、これからの組合側としての雇用延長の問題については、私自身はそんな感じをもっています。
〔 部会長代理 〕 続けて、D委員どうぞ。
〔 D委員 〕 2つほど質問させていただきます。定年廃止の方が定年延長よりももっともらしいということについてですけれども、それはそれでもっともらしいと思うのですが、その話と、B委員が最初に触れられた、公務員の定年を65歳に延長することが望ましいという話とはどういう具合に論理的に結びつくのか、それが1つの質問です。
もう一つは、5ページの図1ー3の定年が存在することの経済的な説明の図の読み方ですけれども、ABの賃金の曲線が貢献度の曲線を下から上回れば定年が存在することが説明できるということです。問題は、ABという曲線なり直線が貢献度を下から横切れるような賃金体系を企業がとっているか。何らかの合理性がそれにあるとすれば、あえて定年を延長して、そのカーブを変えることが本当にできるのかどうか。それによるコストはどのくらいあるのか。逆に言うと、貢献度と賃金を等しくさせることによって、定年の問題を実質的になくすようなことが本当にできるのかどうか。
それに関連しますと、7ページの図2ー7では、要するに年俸制に変えるということだと思うのですが、年俸制に変えることには、先ほどのお話でも出てきたと思うのですけれども、評価の問題がありまして、1年間の労働者の仕事が本当に評価できるのかどうか。これは職種によってかなり違うのではないかと思うのです。今でも年俸制をとっているところとか、出来高払い、その人の仕事がその人の報酬にかなりリンクしているようなところもあるわけですけれども、それはある意味で非常にはっきりとした因果関係があるところは簡単だと思うのですけれども、公務員のように、その人が働いたことの評価が本当に一人ひとりに分割して、しかも、利潤あるいは所得の形で評価できないようなところもあるわけです。私企業であっても、チームワーク的なところでやっているところとか、いろいろあると思うので、できるのかどうかという問題。
もう一つは、1年1年の年俸制が賃金カーブと貢献度を毎年同じようにしたときに、長期的な視点で人的投資をするインセンティブはどのくらいあるのか。特に企業固有の人的資本を長期的に高めることが、場合によってはその企業だけでなくて、経済全体にとってプラスになるような環境が仮にあるとすれば、年俸制だとそれに対してマイナスのインセンティブが働くのではないかという気もするのですけれども、そのあたりはどうなのでしょうか。
〔 部会長代理 〕 E委員、続けてどうぞ。
〔 E委員 〕 質問というのでしょうか、補足でまた少しご説明を伺えたらということでの2点です。
1つは、私ども消費者団体ですけれども、消費者大学という一般消費者向けの講座を開いて年24回やっているのですが、この5年、10年は、平日の午後なので主婦の方が多かったのですが、今は半数がリタイアをした男性が受講者という状況になっていて、そういった方々の力というのでしょうか、非常にもったいないというか、社会的に活用できる道というのを開いていくべきだと思うのです。私どもの会の活動にも、今、リタイアした男性の方が、例えば報告書作成のところのワープロ打ちですとか、お手伝いしてくださっているのです。少しずつそういう広がりが出てきているのですけれども、B委員のお話をお聞きすると、1つの企業にずっと勤めあげて、そこでの雇用延長というか、定年延長という形で、時間が短かったのでお話がなかったのですけれども、事前にお送りいただいた本を読ませていただきまして、そういう働く場というのも、既存のところの延長ではなくて、いろいろなバリエーションを考えていらっしゃったので、そういった働く場をどういったところが考えられるのか、どういうふうにやっていくことができるのだろうかということをもうちょっと補足でお聞きしたいと思います。
それから、後半のお話の中にちょっと含まれてはいたのですけれども、若年の労働者が少なくなれば、必然的に60~65歳あたりの雇用増が考えられるというお話で、人口動態的にはそうだと思うのですけれども、ただ、今はこういうふうに失業率が非常に高いとか、女性の働き方をどう考えるのかというお話がなくて、今までのお話をお聞きしていると、男性が1つの企業でずっと勤めあげて、さて定年60歳を迎えたときにどうするかというところに話の主眼があったような気がするのですが、女性の働き方はどのようにここではリンクしてくるのだろうか、変わってくるのだろうか。
例えば、ある家電メーカーですと、管理部門だけは男性にして、実働のところはパートの主婦、その方が人件費が安いということで、ほとんどリストラをしてそういったものに置き替えていっているという話を聞きますと、女性の雇用との関わりのようなところにはどのようなお考えをお持ちなのかということを、補足でお聞きできたらと思います。
〔 部会長代理 〕 ほかにご意見、ご質問が今の時点でおありでしたらお受けしたいと思います。
〔 F委員 〕 企業って何だろうという感じなのですが、経済合理の主体であるというとらえ方だろうと思いますけれども、家族があり、地域社会があり、企業があり、国があるという感じからしますと、それぞれが国民の生活の安定、あるいはセーフティネットの一端を担っているという感じがしてならないのですが、そういう意味で、確かに企業というのは経済合理の主体ですけれども、こと雇用に関しては、モノと違って人間でありますし、その人間をハッピーにするのが企業だとしますと、雇用の安定というのが非常に大事な役割であるとともに、企業が能力アップさせ、あるいは適材適所を発見して、企業も1つの社会的な安定の仕組みの中で物事を考えてもらうことも大事ではないかと思うのです。経済合理主義だけで雇用というのを割り切れるものかどうか、その辺が疑問がございまして、ご質問しました。
〔 部会長代理 〕 ほかにはよろしいでしょうか。
〔 G委員 〕 5ページの図1ー3ですが、この図の中には、最終的には退職金も含めてこの収支がとれているというか、前半である程度自分が貯めたやつを、退職金も含めて最終的にこのバランスがとれているということだと思うのです。退職金という問題も、こういう形で最後の清算のときに全部出すという形から、だんだん通常の年俸の中に組み入れていく、そんな形になっていくのかなと思うのです。そうなると、60歳の定年を65歳に延長したということになると、Rが65へずれるわけです。ですから、この図自体は変わらないわけですけれども、その中で、自分でリタイアの時期を決めることになると、例えば、65までというのはあるわけですが、63歳でリタイアをしたいといったときに、その2年分の清算のシステムみたいなものができれば、Bの点を65歳以降はDに下げる、そういう割り切りもできるかのかなぁ、と。
ですから、どこかで清算のシステムができれば、そこから先については、貢献度のところまで下がるということについては納得がいくかなと。その辺はどうなのかと思っております。
〔 部会長代理 〕 それでは、B委員お願いします。
〔 B委員 〕 それぞれの提起されましたご質問、コメントについてお答えしたいと思います。
C委員が最初に提起された、雇用責任、特に定年を延長する際に、企業に雇用責任がどこまであるかということ。これは非常に重要なポイントだと思うのですが、私は、次のように考えているわけであります。定年を65歳にするとか、定年を延長するというのは、例えば、今年雇った20歳の人に65歳まで雇用を保障しなければいけないとか、あるいはその人たちを将来ずっと雇い続けなければいけないということではなくて、定年の延長とか定年の廃止というのは、例えば65歳まで定年を法律的に延長するということの意味は、65歳までは、年齢を理由に退職を強要してはいけない。あるいは、定年を廃止するというのは、一切年齢というものを対象に退職を強要してはいけない、という社会的なルールを作るということだと思います。
それは決して、企業に今まで以上に長期の雇用保障を強要するもの、あるいは要求するものではないと思います。むしろ逆に、私は、国際的な競争環境の変化であるとか、国内的な規制の緩和ということを考えれば、企業が雇用を保障できる期間というのはだんだん短くなってきていると思います。したがって、一方で個人の職業生涯が65歳とか、もっと長くなる。一方では企業の寿命が短くなるわけですから、個人の方の職業生涯のイメージとしては、もちろん、1つの企業で勤めあげる人もいるでしょうけれども、多くの場合は途中で雇用を守り切れなくなった企業から伸びていく企業に労働移動をしていく。そして、どこかの企業で引退を迎える。しかし、その際にはどの企業も、例えば65歳定年制であれば、65歳以前のところでは年齢を理由にして人を解雇することはできない。
しかし、その背後にあるのは、それでは企業としてはもたないという部分が出てくてると思いますから、年齢以外の理由による、これは雇用調整のルールをもっと作る必要があると思いますけれども、雇用の調整をもう少し認める。
最後のF委員のご質問とも絡むわけですけれども、ご承知のとおり、日本の企業が人を今解雇しようとするときに、法律的な制限はないわけです。日本も、アメリカも、30日以前に解雇通告をすれば、あるいは30日分の賃金を払えば労基法は合法的に人を解雇することができるわけですが、判例によって、解雇権濫用の禁止というものが確立していて、企業には解雇をする権利はあるけれども、何人といえどもその権利を濫用してはいけないという民法の条項、それを盾に取って解雇権の濫用を戒めているわけです。私は、逆に言うと、こういう判例によって解雇が制限されているというのは、社会情勢が一気に変わりますと、判例というのは社会通念に照らしてとかいうことで変わりますので、かえって労働者にとっても危険な部分が出てきやすい。むしろ、解雇のルールを定めた、解雇権濫用の禁止にとらわれない、どのような場合にはどのようなルールで人を解雇することができるのだという解雇法のようなものを、あるいは雇用調整法と言ってもいいのかもしれませんけれども、長期的には設けていくことの方が、労働者の利益にも叶うのではないかと思っております。
つまり、今の雇用政策というのは、お願いですから、いらない労働者も雇っておいてください、というような形の雇用政策が多いわけです。雇用調整主助成金というのはそういう性格があると思います。そういう面から言いますと、企業に対して、社会的責任という名のもとに、雇用政策をすべてまる投げしている。つまり、企業の責任で雇用を維持すべきだというような形で、逆に、国は市場を通じて雇用を保障するという雇用保障の本来の政策を、企業に肩代わりさせてしまっている部分があると思いますので、私は、雇用の責任というのは、一社で雇用を保障するということがだんだん難しくなってくる以上、労働市場全体で、社会あるいは国の責任で雇用を保障する形に政策を転換していく必要があると思います。
高度成長期あるいは右肩上がりの経済のもとでは、事後的な雇用保障といいますか、事後的な終身雇用というものを企業に期待することができたわけですが、そういう状況が変わってきたわけですから、雇用の保障というものを企業の責任というような形でまる投げしてしまうというのは、むしろ、雇用政策としてはちょっと無責任な状況になってきているのではないかと思います。
2つ目に、長期雇用を担保にした制度、これはまさにおっしゃるとおりで、D委員のご質問とも関係するわけですけれども、長期雇用が合理的な理由というのはたくさんあるわけです。1つは、人的資本投資。特に企業特殊的な投資をする場合には、D委員が言われたように、長期雇用が前提になっていないとそのような投資ができない。それから、個人の生活の安定という観点からいっても、長期雇用というのはそれなりの合理性をもっているわけですから、私は、長期雇用というのを無理に流動化させる必要はないと思うのです。ただし、先ほど言いましたように、企業を取り巻く競争環境の変化、それから個人の職業生涯が非常に長くなっていくということを考えると、一社で長期の雇用を保障することがだんだん難しくなってきている。そうなってくると、逆に今度はこれは諸刃の剣で、長期雇用はいい面があるのですが、長期雇用を前提とした能力開発の仕組み、例えば、一社でしか役に立たないような能力開発の仕組みだとか、後払い型の賃金体系だとかは、働く方にとっても非常に危ないものになってくる。したがって、長期雇用の制度というのは、確かにいい面をもっていますけれども、私は、一方で、長期雇用の制度を前提とした仕組みの危険性というのが、外部環境の変化に伴って上昇してきているので、そちらの方を重視して制度を変えていくべきときに来ているのではないかと、これは問題提起ですけれども、思います。
そのときには、前回も申しましたけれども、雇用制度というのはいいところと悪いところが表裏一体ですから、長期雇用制度のもっているいいところだけを残しながら、その危険性を除去するということは難しいので、そこのところはある程度思い切りが必要になってくるかと思います。
次に、D委員の質問は非常に痛いところを突いているのですが、公務員だけがどうして65歳で、普通の人は定年なしがいいのか。私が、公務員の65歳定年制にとりあえず賛成だと申しましたのは、先ほど言ったように、年金の支給開始年齢が65歳になる中で、天下りはいけないということであれば、当面、65歳まで定年は延長するという形にしないと、制度としてちょっと辻褄が合わないのではないかということであります。長期的には、公務員に対しても、定年なしの仕組みにしていって構わないと思います。
実は、これはご承知かと思いますが、公務員は以前は定年制度ではなかったわけです。その面では、未来の姿を先取りしていたところもあるのかもしれません。そのときは、また別の退職システムがあったわけですが。
図1ー3のところに、D委員も指摘されたように、こういう年功賃金というのは、いくつかの理由で実際に存在しているわけです。1つは、企業特殊的な投資を回収するという点。もう一つは、これは若干技術的な話になりますけれども、いわゆるエージェンシー理論というのでしょうか、つまり、従業員をのべつくまなく監督しておくことはできないので、こういう形で働き盛りのところで企業に預金をさせておくと、従業員は黙っていても一生懸命働く。つまり、そんなにこと細かくモニタリングしなくても、サボったり、企業に対して破壊的な行動を行うことが防げる。そういう、いわゆるエージェントとしての従業員がプリンシパルとしての企業の目的に沿ったような行動をするように仕向けるためには、こういった預金を最初に預かっておくことが大切だ。アパートで敷金みたいのを取るのは、それを取っておかないと、とんでもなく部屋を汚してしまったりする人が出てくる。部屋が汚れた場合には、それを差っ引きますよ、ということがそこではシステムとしてあるわけです。年功賃金には、理論的にはそういう意味があると言われていますので、もしこれを崩すということになると、企業はもっと従業員の能力とか貢献度に対するモニタリングあるいは評価を強めなければいけないということになると思います。
ただ、それは、さっき言いましたように表裏一体の問題で、若い定年を維持できるような外部環境がある場合には、こういった制度が合理的かと思いますけれども、年齢構成の変化ということを考えると、多少年功的な賃金の持っていたメリットを捨てても、この制度を変えていかなければいけない部分が出てくるのではないかと思います。
その1つの具体的なポイントが、これもD委員が指摘された評価の問題だと思うわけです。評価については、先ほども少し触れましたけれども、おっしゃるように、公務員とかグループで仕事をする人についてはなかなか難しい部分があると思います。ただ、その辺についても、いくつか工夫がされているわけです。
今日の新聞に、東京都の教員に対する評価とかいう話が出ていましたけれども、それを具体的にどうやるか。私は、教員にあのような評価をやったら、かえって変なことが当然起こると思いますけれども。
1つは、自己申告制度というのですか、目標を設定させて、その目標に対する到達度で評価する。それはどんな仕事についても言えるのではないか。ただ、これについても弊害は言われていて、例えば、管理部門に目標を設定させると、必要もないような改革案とかをいっぱい作ることで、まわりがすごく迷惑するとか、そのようなことがよくあると言われていますので、その辺はいろいろ工夫する余地があると思います。
もう一つは、評価の納得を得るための非常に重要なポイントは、市場価値という、あるいは市場の評価というのをどのぐらい入れられるかということだと思います。
実際、最近年俸制を導入された企業の従業員が、大手の人材派遣会社あるいは人材紹介会社に駆け込んで、私をよそに紹介するとどのぐらいの値段でしょうかということを聞くケースが多くなっていると言われています。これも、そういう人材紹介会社の人に聞きますと、多くの人は、実は市場の価値よりも自分がもらっている年俸の方がずっと多いということがわかって、こっそり帰っていく人が多いということなのですが。そういう市場の評価でチェックする。
あるいは、これは労働組合なども非常に重要な役割を果たし得ると思うのですが、同じような産業で、同じような仕事をしている人たちの市場価値というものを、例えば産業別の労働組合がある程度基準を示して評価していくということも、私は、これからは非常に重要になっていくのではないかと思います。
E委員のご質問の中にありましたように、これは先ほど言いましたように、生涯現役とか、定年の延長というのは、必ずしも1つの企業で生涯現役を完結するとか、定年を延長するということではなくて、定年の延長とか定年なしというのは、あくまでも年齢を基準に「辞めてください」と言われることがないということで、雇用を維持できなくなった企業にいつまでもしがみつくことはできないので、企業を変わる。あるいは、働き方を、例えば、年を取ったら自営業に変える。あるいは、E委員のご指摘のような、必ずしも営利を伴わない仕事という形に移っていくという、多様性が当然、確保されるべきだろうと思います。
女性について言えば、こういった高齢者が活躍できるような仕組みというのは、すなわち女性が非常に活躍しやすい仕組みなわけです。先ほど来、長期の収支バランスを合わせる仕組みということが話題になっていますけれども、これは女性の研究者の中でもよく言われるわけですが、女性の活躍を阻んでいる最大の要因は終身雇用制度と年功賃金にある、という指摘をされる方が多いわけであります。それは今言いましたように、長く働くということを前提に貸し借り勘定を行うような組織の下では、女性はなかなか能力を発揮できない。そういう面から言いますと、高齢者にとって働きやすい職場というのは女性にとっても働きやすくなりますので、その分だけ同時に、高齢者と女性の間の競合関係というものも当然、強まってくるだろうと思います。
F委員が言われた企業の社会的責任というのは、確かにあると思いますが、先ほど申しましたように、私は、これは程度の問題だと思うのですが、従来の雇用政策といいますか、国の考え方というのはあまりにも企業に対して雇用の責任というものを強く求めすぎていた部分がある。それは、求められたからだと思うのです、事後的に雇用を保障できますから。しかし、高度成長のような状況でなくなってきますと、企業というのは、もともと生産物市場のところでは企業競争をしているわけですから、生産活動からの派生需給である雇用の部分だけ、市場原理と別のところで動かしてくれと言っても、それはなかなか難しいわけです。むしろ、企業が経済合理的な行動をとるということを前提に、その際に、できるだけ働く人の被害が起きないようなシステム改革を行っていくということが、私は望ましい雇用制度である、あるいは人間をハッピーにするという意味でも必要である、と。
とにかく、雇用を守ってくれさえすれば、あとは、配置転換だとか、転勤だとかは自由にやってください、というのもなかなか問題があるわけで、従来の日本の裁判所の判例に端的にあらわれていると思いますけれども、解雇権濫用の法理のような形で、解雇を非常に厳しくしている一方、配置転換であるとか、職種転換ということについては、非常に広く使用者側の裁量権を認めていて、自分の能力が全く活かせないような職場に配置転換されても、雇用が守られているのだから有り難く思いなさい、というような判例が多いわけです。それは、必ずしも人間をハッピーにしているとは、私は言えないのではないかと思います。
そういう面から言うと、企業も、個人も、それぞれ経済合理的な行動をとって、その中で両者の雇用が高まっていくような仕組みを作っていくということが大切ではないかと思います。
最後に、G委員がご指摘になりましたように、退職金を、もちろんこれは含んでいるわけです。図1ー3で言えば、EBDの一部は退職金あるいは企業年金という形で支払われるわけです。その際に、早く引退した場合には、例えば、早期退職割増金という形でそれを清算することは当然あり得るし、またそれが運用上もいい仕組みだと思います。
ちなみに、アメリカの企業は、ご承知のとおり年齢差別禁止法の下で、定年退職制度というのはないわけですけれども、アメリカの労働経済学者が繰り返し観測している結果によりますと、アメリカの、特に大企業においては、企業がターゲットにした年齢で辞めると、企業から従業員に支払われる企業年金の生涯現在価値が最大になるような年金の設計というのが非常に一般的である。先ほど、まさにG委員もちょっとおっしゃったと思いますけれども、もちろん働いてもいいけれども、賃金と年金とのバランスを考えれば、引退した方がずっと得だというふうに従業員が思って自主的にどんどん引退していくというようなシステム、これも企業と個人が両方とも経済合理的に考えて、よりベターなポジションに到達するという意味で、その引退が行われる仕組みが工夫されていますので、私が、年齢差別禁止法を導入して定年をなくしても大丈夫ではないかと考えのは、そういった仕組みを工夫することがいくらでもできると考えているからでございます。
すべてのご質問に答えているかどうかわかりませんけれども……。
〔 部会長代理 〕 ありがとうございました。
もっと議論したい点もありますが、時間の関係がありますので、次の議論に移りまして、またその後、時間がありましたら議論を深めたいと思います。
ここで部会長にバトンタッチするのですが、部会長に一息入れていただくために、シナリオの最初のところは、私の方から申し上げます。
それでは、A委員の方から、人々を結びつける新たな機能としてのNPO・ボランティア等について意見発表をお願いしたいと思います。ご発表は大体25分をメドにお願いいたします。
〔 A委員 〕 「人々を結びつける新たな機能 (NPOとボランティア等) 」というレジュメですが、2番目からさせていただきまして、最初に2の「ライフスタイルの中にボランティアを組み込む生き方を」というところからやりたいと思います。
今のお話を聞いていまして、労働市場の拡大をNPOを求められるのかなと思ったり、年俸制という問題でしたら、私どもの方の宝塚NPOセンターは年俸制をとっていまして、NPOの市場ということでちょっとお話ししたいと思います。
「ライフスタイルの中にボランティアを組み込む生き方を」ですが、小笠原暁というのは、宝塚NPOセンターの代表理事をしていまして、また宝塚まちづくり研究所の代表もしています。彼がいつも言っていることで、人間には、第1生活空間としての家庭、第2生活空間としての職場・学校、第3生活空間としての地域社会、第4生活空間としての個人的空間がある、と。個人的空間に「趣味等」と書いていますが、私の場合は、ここにNPOを入れようと提案していまして、ボランティア活動とかNPOがここに入っております。
【1】の幼年期には、家庭というのが重要、ほとんどが家庭だけで、地域というのが少しだけ、近所の子供たちと遊ぶというところが入ってきます。【2】の生徒・学生になりますと、ほとんど第2生活空間の学校の方になってきて、家庭というものがだんだん小さくなっていきます。【3】の成人になりますと、職場などか大きくなって、家庭がだんだん小さくなってくる。【4】の定年後には、家庭だけになってしまって、職場はなくなってしまう。地域社会も(関わっていた人はいいですが、)ない。趣味もあまり持たず、企業戦士として働いた方は【4】のケースになるのではないか。
この空間を考えてみますと、あらゆるところでバランスよく取っていく生き方が一番いいのではないか。最終的な職場がなくなってしまったら、何もなくなって、家庭に帰ったら、突然、家庭などあるわけないですから、おり場がなかったりするので、【2】ぐらいから、学校に行きながら、家庭も、ボランティア活動もしていく。そして、成人になって職場にいても、地域活動や、趣味や、NPOの活動をやっていく、また家庭を大事にしていく。そこの自分自身のおり場所というのが生活空間の中にあればいいのではないか、というような図式です。
次に移りまして、1番目の「ボランティアとNPOの違い」です。ボランティアというのは、あくまでも個人の活動で、NPOは組織です、非営利の組織です。
例えば、問題意識を持った者が個人の活動をする、ボランティア活動をする。あくまでもボランティア活動は個人ですが、それをグループ化する。グループというのはまだ小さな規模で、やはり、相手は個人であったり、自分自身も個人活動に近いものなのですが、それを組織化していくというところで社会に大きく関わっていきます。
具体的に言いますと、私自身などは、「高齢者問題を考え行動する会」を一番初めに作った動機は、老後を安心して暮らせるまちづくりをどうしたらいいのかというところが問題意識の始まりで、それを個人だけの活動では小さいので、グループにして、みんなに呼びかけてやっていく。それが大きくなりまして、今日のパンフレットの中に「メグの家」というパンフレットを持ってきたのですが、こういう民間ディサービスハウスを生んだのです。ここまでくると、これがNPOだと思うのです。
これを作った動機は、私たちが働いていて、親が痴呆症になったときにどうするか。今の現状では、あまり施設にも入れなかったりするわけですから、自分たちで作ってしまおう、ボランティアグループで作ってしまおうといって、作ったのです。痴呆性の老人を8名ほど預かれる1軒の家ですが、自分たちでお金を出して借りて、預かっています。
そういうことをやり始めて初めて思ったのは、ボランティアではだめなのです。やはり、きちっとしたヘルパーなり、資格のある人なり、施設長を置いて、安心して近所の方に来ていただける施設にするには、組織というものが必要になってきました。継続性とか、それから利用料金をいただかないと経営ができないとか、いろいろなことがありまして、これが初めて私どもがぶつかった大きな試練で、ボランタリーな心がいっぱいある人はいるのですが、マネージメントができない。経営能力がなかったというのが、初めのつまずきでして、そのとき助けていただいたのが定年退職後の人たちで、男性に半分以上入ってもらい、会計から、マネージメントのことを一緒にやっていきました。
そういう組織というのが、3番目のNPO・nonprofit organizationだと思うのです、営利でないということです。非営利、利潤を分配しないということで、利潤が上がっても次のために投資することで、自分たちの利益にはなりません。
それから、非政府・ nongoverment、政府から独立していること。「ただし、政府からの資金援助を排除しない」と書いていますのは、アメリカのNPOも、NGOも資金は政府からもらっています。
それから、フォーマルであることというのは、理事会等の組織の体裁を整えています。
自律性、独立した意思決定で組織を運営。このあたりが一番大事なことで、誰からも言われたのではなくて、自分たちの組織で意思決定ができます。
自発性、自発的に組織されていますが、寄付やボランティアに部分的に依存しています。別に依存しなくてもできるグループ・団体はいいのですが、ほとんどが、私どもの「メグの家」などもそうですが、寄付とボランティアの人たちに支えられてやっているのが現状です。
4番目の「NPOの果たす役割」、これは阪神淡路コミュニティー基金という財団があるのですが、そこの市村さんがいつも説明されているところです。この座標軸は、民・官・公・私と分けていますが、社会構成している第1セクターが今までは行政(今もそうですが、)がやっています。第2セクターが企業です。第3セクターがNPOとか非営利セクター。イギリスではチャリティ、アメリカではボランンタリーセクターと言っていますが、今まで日本の中には本当の意味の第3セクターというのはなかったわけで、これを根づかせようということが、今度のNPOの一番大きな目的だと思います。
この左側を考えていただくと、公な、パブリックなことをしていることは、非課税であり、免税であったのです。企業がやっている、私益に関することは課税されていたわけです。だから、NPOが行政と同じパブリックなサービスを行う場合は、税の上でも非課税、免税でやってもらう方がやれるということです。そういった座標軸です。
ところが、これには問題がありますのは、5番目の、NPOのような市民活動団体をしっかりした法人格を持たせるにはということで、特定非営利活動促進法ができました。これは、今日の資料に付けていただきました。19ページから「法律の概要」というのがあります。この法律です。もう皆さんはご存じだと思いますが、特定非営利活動は、12項目の中の活動を行う市民団体に法人格を与えるという法律で、いろいろな定義はありますが、あくまでもこれは法律上の手続きを踏めば法人格が取れますという、法人付与の法律です。
ところが、これを後でゆっくり読んでいただいたらいいと思うのですが、22ページにいきますと、では法人格を取りたいと申請のあったところの全国の件数が出ていまして、372件です。合計で411件ということで、思ったより申請数が少ないというのが現状です。なぜ少ないかといいますと、法人格を持っても、資金がないからです。お金がないのに、会社の名前を持っても仕方がないという、本当にボランティア団体の現状だと思います。
最初にやるべきだったのは、法人格を取ることではなくて、資金がどうNPOに回るかというような議論がなされないままに、とにかく法人格を持てば資金が回るのではないかという幻想をもたされてしまった、というのが今一番問題点かと思っています。
特定非営利活動促進法というのが、NPO法と言われていますが、実は、NPO法というのは、今から200も、300も決めていかなければいけない法律の中の1つが、この法人格付与法であって、すべてを網羅して、これが打ち手の小槌ではなかったわけです。だから、皆さんが取られないわけです。
仕方なく、ではどうするかというと、行政から資金を補助してもらおうということになてしまうわけです。「行政から資金を補助されることの危険性」と書いていますのは、具体的な例で言いますと、私どもの方の「メグの家」もそうですが、もう一つ、宝塚NPOセンターそのものも同じ立場にあります。民間で市民活動団体を支援するセンターを立ち上げたのですが、資金がありません。資金がないけれども、行政は、つぶれたら困るので資金を援助しましょうと言ってくれまして、宝塚市の方から1,000万円の補助金が出ました。出ましたが、これがモデルになって、日本全体でどうなるかちょっとこわいものがあるのですが、税金ですので、行政の管理下に置かれて、独立性を失われていくという危険性が将来に、出てきやしないかという危惧があります。私どもの方も、資金がないから今は本当に困っていますから、行政から補助金は求めますが、話し合いの中で、お金は出しても口は出さないという絶対的な約束をとりまして、もちろん、税金ですので、公のお金を使うわけですから、透明性をもたせ、オープンにしていくのは絶対的ですが、行政の属体にはならない、主体性をもったNPOセンターとして活動していくことがいちばん大事なことだと思います。資金を安直に行政から求めるというこわさというのを重々知りながら運営していかないといけないと思います。
では、自分たちで独立した資金を獲得できるのかというところで、【2】「税の仕組みを変える」という方法があります。今、官の方から、NPOを免税にしてもらう方法とか、税の優遇措置もまだ付いていません。それから、企業が直接NPOに寄付をしたら同じ額だけ税を免除してもらえる方法とか、そういうことの方策がとられない限り、私たちはいつまでも地方自治体の方から助成金をいただきながら、何か最後に気がついたら、何のための非営利法人を設立したのかな、という実態になってしまうのではなかろうかと思います。
【3】「ボランティア・寄付の文化をつくる」ですが、こういうセクターをやるときに一番思いましたが、アメリカとかイギリスを見ていますと、文化があるのです。日本の国の中には文化がなかったなということで、啓発活動から人材養成、そういう基本的なことから始めないといけない。また、NPO同士のネットワークとか、人のネットワークをしています。起業支援というのは、これはNPOの本来の仕事だと私は思っているのですが、今まで行政がやっていた仕事ですが、「メグの家」のような、民間もできる部分は自分たちでやっていく、そういう起業を興していきます。それから、「相談・コーディネート」ということで、その起業支援に対する相談やコーディネートも行っています。少しずつ、こういうことでボランティアとか寄付の文化をつくっていこうとしています。
【4】「若者に夢のある国をつくる」ということで、私はこれからのNPOという未来に賭けているのですが、NPOに就職したいなという若者がほしいです。でも、それには資金がないので、今、若い大学出たての子供たちは、何のためにいい大学を出たのか、NPOに就職して安いお金で働くのはとてもできないだろうと思いまして、成績とか学歴でない人生を過ごしてもらうためには、NPOで働いても、それだけの賃金が働けるようなシステムを作りたいと思っています。
NPOというのは、ベンチャービジネスだと思います。失敗するかもしれません、大企業が手掛けないようなことをやるわけですから。でも、若者のやる勇気をほしいと思っています。
ボランティアとか市民団体とか、本当に人間関係の真っ只中なんです。私も、毎日、何十人かのボランティアさんと接しながら仕事をしていまして、この人間関係の中で生きる勇気を若者に持てない限り、若者にも入ってきてもらえないと思います。コンピュータに向かい合っているだけの若者では、とても対処できない世界だと思います。
それから、生涯における役割をもつということで、高齢者が果たす役割として、今までのお話にありました、定年退職後の男性の方に入っていただいて、NPOを開拓していただくということが大きな役割になっていくと思います。ただし、男性が入ってこられる場合、企業から入って来られると、儲けることばかりを考えておられて、利潤はすぐ生むのですが、利潤の取り合いの喧嘩になって、つぶれていく団体が多くて、本当にボランタリィな心と企業の精神というのがどうしたらミックスできるのであろうかと、私はいつも悩んでいるのです。なかなか同じ人間の中でミックスできなくて困っている現状です。だから、非営利であるということとか、公のことをする場合に、自分の私利私欲でやらないということの基本が、定年退職した人になかなかわかっていただけないということがあります。
【6】「市民意識のめざめ」ですが、阪神淡路大震災がありまして、私たちは、行政に頼って生きてきたことに対する反省をしました。自分たちのできることは自分たちの責任においてするということが大前提になっていまして、まちづくりも、市民からやります。ただし、行政とはパートナーシップを組むというような強さも持っていかないといけないと思っています。
「NPOで一番自己実現」というところでは、自分自身、先日まで社会福祉協議会のボランティアセンターでコーディネーターを10年間していたのですが、その前はボランティアをしていまして、自分の好きなことをやっていって、自己実現していったら、給料がもらえた。今、先ほど言いました年俸制でして、自分の給料を自分ではじき出して、これだけの給料を取る。理事会にかけたら、通るようになっております。ただし、経営状態というのか、経理状態が全部自分でコスト計算していますから、たくさんは取れないという現状はありますが、自分たちで給料も考えながらやっていくこと、NPOというのはそういうおもしろさがあるなと思います。
こういうものが、今の企業に少し活かせたら、ピーター・ドラッカーも言いました「NPOから企業は学べ」という言葉を考えるときに、私は、NPOから学ぶものはたくさんあるのだろうなと思っています。
【7】「宝塚NPOセンターの目的は市民セクターの確立」で、宝塚市レベルのNPOセンターのような感じを受けられると思うのですが、市域を越えていまして、どこでもかまわないという意味で作りました。たまたま宝塚で生まれたNPOということで、「宝塚NPOセンター」と名づけただけで、別に、自分の街だけがよかったらという考えではありません。日本の国の中に市民セクターがたくさん確立していって、働く場をつくり、そして安心した街をつくることとか、子供たちにも夢を、そして定年後の人たちも働いてというようなことを考えていくセクターにしていきたいと思っていまして、今日、報告書も添付しています。そういう報告書などをきちっと仕上げていくということがこれからのNPOには求められると思います。会計の透明性とか、そういったことができるボランティアとか、有給のスタッフたちの人材というのは、私が行政とか社協とかで見ていた職員より、かなりレベルの高い人たちが集まってやっているなぁ、という実感をもちます。それも、働いているということに楽しみをもってやっている方たちが多い。ということは、今までの企業のあり方とか、行政のあり方みたいなものと違っているなぁ、というふうな思いがします。
ちなみに、「メグの家」なども、施設長とか、ヘルパーとかはボランティアで成り立っているのですが、私も理事の一員ではあるのですが、本当にほったらかした状態でも、皆さんは一生懸命働いているのです。これは、管理されないところだからなのかなと思います。管理されないNPOというものに、何か将来的なものがありますので、皆さんに論議していただいて、いかに日本の国の中にNPOを根づかせるかということを考えていただきたいなと思います。
以上です。
〔 部会長 〕 どうもありがとうございました。
それでは、ただいまのA委員からのご発表を踏まえて、NPOあるいはボランティア等の役割が高まっていく中で、より多くの人がそこに参加し、また自己実現を図っていくということができるようなシステムをどのように位置づけていくかという点についてご議論いただきたいと思います。
どなたからでもご自由に、よろしくお願いいたします。
〔 部会長代理 〕 1つお考えを伺わせいただきたいのですが、介護保険が導入されますと、いよいよ地域福祉の分野でNPOがいろいろな活動を始めると思うのです。民間企業も参入してきますし、恐らく、行政の方も増やすわけです。その需要者の側からみたときに、福祉NPOの意義、どんなところに位置づけられたらいいのだろうか。
行政は安い値段で仮にやってくるとしたら、あまり競争にならない。高く取ると、民間とあまり差別化ができなくなる。そこをどうしたら、NPOが本当に育っていくのだろうかというところを含めて、意義を、特に介護サービスという点でどうお考えになるか。
〔 A委員 〕 介護サービスになって介護保険になった場合は、NPOであろうが、企業が入ってきても、行政がやってきても、同じ値段になりますから、受益者が、利用者が選ぶということになります。
いかに選ぶか、そのときに、「メグの家」の例ばかりを挙げますが、働いている人たちが、お年寄りが好きで、ボランティアさんで関わっている人もそういう方たちばかりです。そうすると、お金のために働いていないから一生懸命やっている。利用者の方にしたら、そういう安定して、安心して、好意のある人たちに囲まれたところにいますと、痴呆症の人はすごく安定していくのです。いわゆる問題行動というものがなくなっていく。しかも、少人数で預かっている。家庭と同じような状態でやっていきますので、家族も安心である。そうしたときに、学校のような大きなところのディサービスと、小さな本当の民間の自分の家と同じ続きのところと、選ぶのは利用者ですから……。それと、本当にお金のことは関係なしにボランティアが一緒に、その人たちをサポートしているというときに、利用者はどちらを選んでいくのかな、というふうに思います。
それと、介護保険の料金設定の中で入らない部分というのが出てきます。例えば、話し相手とか、ちょっと銀行に行ってねとか、もちろん家事援助も入らないのですが、そういったところをボランティアとタイアップして、本当に無料で提供できるとしたら、市民のつくっている民間のNPOの方に利用者は来るであろうなと思います。
民間のというか、企業の参入というのは少ないです。思ったより少なかったような気がします。儲からないからだと思います。
〔 I委員 〕 今のご質問とも多少関連するのですが、NPOというのは大変すばらしいことだと私は思っているのですけれども、1つ、ちょっと疑問に思った点がございます。ベンチャー・ビジネスだとおっしゃった。私は、ベンチャー・ビジネスとNPOとは根本的に性質が違うものだと思っています。なぜかと言いますと、ベンチャー・ビジネスというのは市場経済というものを前提にしていると思うのです。だけれども、NPOというのは、贈与経済だとか、互助だとか、そういうものに属する話だと思います。
今、世の中では、市場経済万能というような風潮があるのですが、これは物事を非常に単純化した話だと思うので、経済人類学的なことを言えば、むしろ、贈与経済学的なものが共同体の中では多くを占めると思うのです。
ベンチャー・ビジネスというのは、今おっしゃったような観点から、今の介護保険のことに例を取って言いますと、儲かればいいわけです、基本的には。NPOの場合はそうではない。
物事を非常に単純化して申し上げますと、市場経済と贈与経済とどこが違うのかというと、贈与経済の場合には名前がある。つまり、やっている人たち、サービスを受ける人とサービスを与える人が、お互いに非常に顔見知りである。それから、交換されるものが、いわゆる一般交換手段である貨幣というよりは、例えば、生きがいとか、名誉とか、威信とか、信用とか、そういうようなものが交換される、そういうことがあると思うのです。そうすると、今介護保険とかいうような、お年寄りを世話をする場合には、単にお金が安いというよりも、知っている人であるとか、信頼できるとか、心が休まるとか、なかなか一般交換手段に還元できないようなものが非常に多くの部分を占めるのではないかと思うのです。
そう考えますと、NPOの場合に、何か利潤というもので計るという考え方そのものに、私は、やや違和感を覚えていて、それは考え方を変えて、むしろ、共同体の中では贈与経済というのが普通なわけですから、そういう新しい1つの軸を作るという考え方をすれば、大変ロジカルにも納得がいくのではないか、というような気がしております。
〔 部会長 〕 あとE委員とJ委員のお話を伺って、A委員にお答えいただきます。
〔 E委員 〕 私どもの団体の消費科学連合会というのも、任意の運体ですから、一種のNPOということで、いろいろな資料を拝見しまして、大変似たところがあって、ご苦労なさっていらっしゃる。特に、たくさんの皆さんが会員になってくださって、とおっしゃっても、規模というのが200万ぐらいでは、本当に実費しか出ていなくて、人件費部分はほとんど出ないだろうと予想されまして、大変ご苦労していらっしゃるということを、私どもの会の実情ともあわせて、法人格を取るということより、資金源のところの手当てが一番大変でしたというふうにおっしゃられたのは、私もそう思って聞いておりました。
質問というのでしょうか、ここでちょっと考えていただきたいという感じがしていますのが、日本でのボランティアとかNPOとかの位置づけというのでしょうか、役割。ようやくNPO法案が通って、こういった活動グループがあるのだというようなところでは、皆さん、かなりわかってきていらっしゃるところがあるかと思うのですけれども。
例えば、私どもの会などは、35年ぐらい活動しておりますが、私が入ったころ、よく電池の回収の話などをするのに、業界団体に行くと、私どもの会の名前を知らないと、どこかヤクザが来たのかというふうな感じで対応をされたような時代もありました。
非常に物好きな主婦がやっているとか、ヤクザと似通っているとか、そういうふうな位置づけでしかなかったところが、ここ5年か10年ぐらいで、こういった市民活動グループがあるのだということ、そういったものは見えてきたのですけれども、では、ここがどういう役割を果たしていくのか、どういうふうに育っていったらいいのかという点については、まだ全然議論が深まっていないという感じがしておりまして……。
これは行政でもないですし、企業でもないですし、そういった中でのこういった第三者的な組織のようなものを、日本の社会の中でどういうふうに組み立てて、育て上げていくのかということの議論が今本当に必要だという感じがしております。
お話の中の延長になるかと思いますけれども、例えば、規制緩和の中で、これからは行政はかなりいろいろな分野で手を引いていく。民間と消費者ということでの同じような土俵の上に立つというようなときに、例えば、金融関係であればオンブズマンですとか、製造業責任の関係で言えばPLセンターのような、かなり専門性を要するような第三者機関というものが非常に望まれているわけです。そういったところには、リタイアをされた、専門性をもったような方々の働くというのでしょうか、活躍ができるような場というのでしょうか、NPOの延長線上にあるかとも思いますけれども、そういった社会的な空間のようなものが日本の中にも、私は必要だと考えておりまして、そういったところの議論をこのような場で深めていただけたらという気がしております。
〔 J委員 〕 NPOの問題につきましては、今のお話でほとんど尽きていると思うのですけれども、こういう活動というものは自主的に出てきた活動ですし、いろいろな形態のものが考えられるわけです。それを行政の立場で関与していくということはなかなか難しい問題があると思いますが、NPOの法律を見ても、ほとんど行政としての関与は考えられない。法人格を与える、あるいは税制ということにならざるを得ないわけで、行政から独立をした1つの活動というものを前提にして、これからどのように、この組織というものを育て上げていくかということが大事ではないかと考えるわけです。
その場合に、こういう組織がいかに長く持続して経営していくかということのためには、1つは、財政・財源的な問題もあるでしょうが、もう一つは、リーダーというか、コーディネーターというか、こういう人たちの働きというものに非常に大きな影響を受けるのではないかと思います。この人たちをどういうふうにこれから確保していくかということが、全体のNPOを育成するための大きな鍵になるのではないかという気がするわけです。
そこで、先ほどの高齢者の問題とも関連するわけですが、先ほどの高齢者の雇用の問題については、どちらかというとフルタイムで働くということを前提にして、定年制の問題とかが話し合われたわけですが、高齢者というのは、ある年齢になると、私もそれに近くなってきたのですが、働くだけでなしに、多少人生の最後を楽しみたいというようなこともございますし、いわばパートタイマーといいますか、1週間のうちの半分は働いて、あとの半分は自分のことをしたい。あるいは、2月働いて2月は遊びたいとか、フルタイムからハーフタイム、あるいはパートタイマーということにだんだんと移っていくのではないかと、気持ち的にも。
その場合に、主婦のパートタイマーというのは、最近は非常に一般化していますけれども、高齢者の方々のパートタイマーというものをこれから、もっと拡充していく必要があるのではないか。
これには、地方自治体、特に市町村とか、あるいはNPOというような組織、あるいはボランティア団体というものが中心になって、本来の普通の民間企業ではできない隙間の仕事といいますか、私も市の仕事を多少やったことがあるのですが、例えば、電気製品が故障したときに、今はなかなか直すところがありませんけれども、ある一定のところに持っていきますと、その修繕をしてくれる。あるいは、家具の修繕をしてくれる。そういうセンターというものが最近、あちこちの市にできております。そういうのはリタイアした人たちが、手伝おうかということでやっている場合もあるわけです。
それから、公民館活動、コミュニティーセンター、あるいはNPOの場合もそうかもしれませんが、いろいろな趣味をもっている方々が、そういう趣味を皆さんに指導するとかいうことで生きがいを見い出すということもあろうかと思います。
あるいは、田舎では、その地域の特産物を開発しようということで、そこでとれる農産物なり海産物を加工して、新しいものをつくっていって、その地域の活性化につなげようというようなことが、よく最近はやられています。
そういう中での高齢者の方々の活躍が、最近非常に見られるようになっていることを考えますと、ボランティア団体なり、NPOというものが、高齢者の方々のハーフタイムあるいはパートタイマーというものと結びついて、生きがい、働く意欲というものを通じて社会に貢献していくことができないか。
定年で辞めてぱたっと自宅にいるということは、恐らく、耐えられないことでしょうから、そういう何か、半分働き・半分は自分で楽しむ、そういう世界をこういう中で見い出せればいいのではないかという感じがしているわけです。
〔 部会長 〕 それでは、A委員よろしくお願いいたします。
〔 A委員 〕 1番目のI委員がおっしゃったことですが、言い換えますと、今はベンチャー・ビジネスではないかもしれません、NPOは。これから、ベンチャー・ビジネスにしていきたい、というふうに書いた方がいいかなと思いました。
といいますのは、貨幣の交換が今のところはあまりないですが、これからはもっていきたいという、市場経済の中にも入っていきたいという思いがありますし、実際には介護保険などが入ってきますと、福祉の市民活動という事業が、市場経済の中に入っていかざるを得なくなってきますから、今の段階ではベンチャー・ビジネスではないと思います。
それから、市民事業の立ち上げという意味では、女性の働き方と、先ほどはおっしゃっていましたけれども、女性の働く場として市民事業を起業していって、そこで働いていただくという、私は最初、そういうためのNPOというふうに思っていたのですが、高齢者の男性の方たちにも、そういう市民事業をやってもらうということが一番いいのではないかと思いました。
オンブズマンなどもそうですが、NPOセンターができてから、オンブズマンのグループができました。オンブズマンができたときに、どうするのですか、そこも支援するのですか、と初めに行政から聞かれたときがあるのですが、そのときは答えられなかったのですが、できてみると、なかなかいいもので、できたからと嫌なものでも全然ないなという感じがして今、グループ支援も入っています。
今聞いていて思ったのは、高齢者の人のパートタイマーの拡充ということで、私どもの方は、資金的に大変なので、動いてくださる方は、30人ぐらいがボランティアで、3人だけが有給スタッフという現状です。でも、できるだけ高齢者とか女性に働いていただきまして、賃金を渡せるように頑張っていきたいということを、今感じました。
先日も、75歳の男性と話していましたら、「ボランティアもいいけれども、これにお金をつけてくれたら、本当にいいんだ」とおっしゃったので、「じゃあ、あなたがちょっと考えてくださいよ」。そういうふうに資金繰りが回るように考えて、みんなに還元できるような、働いたことが少しでもお金になって戻ってくるような、交通費だけでなくパートタイマーの賃金が払えるようなNPOを目指したいなと思いました。
〔 部会長 〕 K委員、今日はご発言がまだございませんけれども、どうでしょうか。
〔 K委員 〕 A委員関連としては、市から税が来たというのは、何ですか。業務委託としてきたのですか、福祉の。
〔 A委員 〕 補助金です。
〔 K委員 〕 完全な補助金。
〔 A委員 〕 はい。場所の減免と、光熱費の一部負担と、私たちの給料の一部負担です。
〔 K委員 〕 そうすると、NPO育成をするという項目で来たわけですね。
〔 A委員 〕 そうです。NPO支援のための行政支援です。
〔 K委員 〕 今日のテーマは高齢者雇用に関係しているのですけれども、高齢者雇用のところをいじると、我が国の雇用体系みたいなものが全面的にというか、かなり変えてこないと整合性をもち得ないのではないかと、1つ思います。
サービス関連の職種になりますと、常用的雇用というのは、期間の定めのないということですけれども、その期間の定めのない中に、さっきパートタイマー論議が出ましたけれども、月に16日雇用する、18日雇用するというような、いろいろ短い時間の専門的な職業をもつ人を抱えるパターンというのが出てくると思うのです。こういう人たちは、それでは、16日のほかの時間は――普通の労働者ですと休養する・リフレッシュするということですが――、この専門的な職業の場合には、その中に能力開発的な部分を組み込んでいる人たちです。だけれども、そこは非常勤だとカウントしないような、その人がどのような貢献をしたかということに着目しては、報酬を払うのですけれども、実際に自分で勉強しているような部分には、そこは払っていかないということになる。しかし、フルタイムの中でも、研究職というのがいますと、それはそれをカウントして払うということになります。その辺はちょっと矛盾する。それをどうするのかというか、私も、問題点だけを申し上げます。
それから、貢献度というのをどうやって計っていくのかというマトリックスが、緊急に必要です。
もう一つは、これも能力開発と雇用との関係に非常に重要で、これは教育機関との関係もあるわけですが、これからは非常に目ざとい事業体ですと、でき上がった人間を採りたいわけです。ですから、動いてきた人間をハントして採るということを、私のところもやているわけですが、ではどこででき上がらせたかということです。今のところは、比較的大きな事業体がそれをやってくれているわけですが、ある意味では、よくでき上がったところでポッと抜けていくわけですから、小池先生がよくおっしゃるのですが、前の方の十分対価を払っていない、貢献で返してもらっていない部分をどこかの企業が貧乏籤を引くという、この関係をどうするかということもあります。
そうすると、当然のことながら、学校教育の高等教育みたいなものがどのように機能するのかということとか、いろいろ変えなければならないことがあるなという印象です。
〔 B委員 〕 今のK委員のご質問に対して、ちょっとだけお答えさせていただきたいのです。
まさにおっしゃるとおりだと思います。今、最後におっしゃったような現象が、多分、これから起きてきます。そうなってきますと、従来のように、企業が教育コストをすべて負担するということはだんだんなくなってくると思います。つまり、従来のシステムは、企業が教育コストを負担して、しかも、その収益も企業が取るという仕組みだったわけですが、それが徐々に――もちろん、すべてが一気に変わるわけではありませんけれども――、費用もある程度個人が負担する。つまり、能力開発がうんとできるような職場は、逆言うと賃金がその間は、修業中は低いとかいう形で、個人がコストを負担する。しかし、そこで能力が高まったら、その個人は市場価格を取ることができるという形で、収益も個人に今度は帰着する。そういうような方向に、理屈の上では多分、進んでいくだろうと思います。
おっしゃるように、高齢者の雇用を進めるということは、雇用制度の抜本的な変革を伴うわけですが、実は今、高齢者の雇用とは無関係に、雇用制度の抜本的な変革がもう進んでいるわけです。例えば、能力主義の報酬体系であるとか、あるいは組織をスリムにして管理職を少なくして、専門職で働いてもらう仕組みとか。それが、企業が、例えばグローバル競争に対処するというような観点から進んでいるわけですが、ここで非常に重要なのは、そういう企業が高齢者の雇用を拡大することと無関係に進めている、賃金制度とか処遇制度の変革というのが、実は、高齢者の働きやすい環境をつくるという点でもプラスの効果をもっている。そこではコンシステンシィがあるという点です。
その点で言いますと、例えば、定年をなくすとか、あるいはその定年を延長するとかいうことが、今進みつつある雇用制度の変革を加速することはあっても、それのバリアになるということはないのではないか、と。その点が、ある面では日本にとってはラッキーなところではないかと思っています。
もう時間が来てしまいましたが、言い残したことがございましたら。
〔 D委員 〕 NPOに関して簡単に言います。
先週、慶応でNPO学会が開催されて、非常に盛況だったようですけれども、NPOの1つの問題は、今日のA委員のレジュメでもありましたけれども、資金をどういう形で調達するかというときに、税制の優遇措置をどう考えるかという問題は、1つ大きく残っていると思うのです。NPO法案ができても、寄付税制に関しての優遇措置はないわけです。
ここをどうするかというときに、もちろん、寄付税制に優遇措置を設けて、個人がNPOに資金を提供しやすくするというのは大きな流れだと思うのですが、そこが実際問題としてうまくいくためには、寄付を受ける先のNPOが実際にどのぐらいちゃんとした活動をしているのかの情報が、寄付をする方の一般市民にとってなかなかわかりにくい。
建前としては、いろいろなもっともらしいことを、どの団体も言えるわけですけれども、実際にそうやっているかどうかのモニタリングが非常に難しいわけです。
優遇措置を付けますと、結果として節税対策として、要するに偽のNPO団体をつくって……、というような形に悪用されかねませんので、そこのところの区別が非常に難しくなりますので、そのあたりの、本当にNPOをやっている方が積極的に広報活動をきちんとしていただくことが、広い意味では、資金をうまく集めるときに役立つのではないかと思います。
それから、先ほどもちょっと出てきましたけれども、NPOの1つの制約は「N」のところです。要するに、利潤を追求しないというところが、これはNPOの1つの特徴でもあるのですけれども、逆に言うと、制約になっていまして、ある意味では、ボランティア的な仕事をある動機をもっている人であっても、経済的なインセンティブも当然あるわけです。先ほど、交通費だけでなくて、ある程度の報酬がほしいという例が紹介されましたけれども、いずれにしても、そういった方たちに応えていくためには、ある程度利益を追求する方向も考える、そういう団体も必要だと思うのです。
それは、ある意味で企業の社会的責任にも絡んでくるわけですけれども、通常の企業であっても、成熟した社会でそれなりに、家計も含めた市場がいろいろな形の社会的に有益なものを欲しているような状況では、純粋の営利活動であっても、前と違った形で社会的にNPOを補完するような活動もできると思いますので、NPOと普通の営利活動の境を分離しすぎて、NPOはNPOで、別の世界でやっているのだ、という形にしない方がむしろ望ましいのではないか、という感想です。
〔 部会長 〕 あとお3人の方、短くよろしくお願いいたします。
〔 G委員 〕 人間の喜びに3段階あるのかな、と。最初は、人からモノをもらうというのは大変うれしいことですし、自分で何かができるという喜びがあります。最終的には、人に何かをしてあげるという、あげる喜びというのがあると思います。年齢とともにだんだんそういうふうに変わってくるわけです。そういう面では、人を結びつけるこれからの新しい機能とか、あるいは将来の高齢者の労働市場としてNPOというのは、非常に有望な部門かなと思います。
問題は、何をやるかという、コンセプトの問題か、と。先ほど、どなたかが言われていましたけれども、もう一つは、リーダーの問題なのかな、と。本当に社会が必要としている、あるいは社会に認知されたプロジェクトなり、そういうものに対しては、私は、法人格云々ではなくて、結構お金というのは集まるのではないか。
これは、私が1つ航空会社をやっていて、本当に地域が必要とするものには、皆さん大変な思いを寄せてくれている。そういうところがありますから、コンセプトをきちっと、何をやるのか、と。
それから、リーダーです。しょっていくリーダーというものをどう育てるかということが、すごく大事なことだと思います。
それから、利潤の問題ですけれども、私は、補助金と寄付の世界というのは、絶対甘くなると思います。ですから、1つは、組織である以上、利潤というのは上げたらいいと思います。それをまた、組織のためにとか、社会のために還元していけばいいことである。ですから、利潤をあげないというか、僕も、nonprofit というところが非常に気にあるのですが、それは企業とは違う、要するに社会のためにみんなでやるわけですから、それを還元していくという、そこのところに透明性があれば、私は、きちっと利潤をあげていった方が、こういう運動というのは長続きするかなと思います。
それから、行政に依存しない。これはすごく大事なことだと思います。くれる金はもらったらいいですけれども、今、いっぱいNPOができて、みんなこういうことをやるから、この分の金をくれとか、これに対応するだけで大変だ、と。これは私の聞いた話ですけれども。そうではなくて、せっかくみんなでやるのだったら、行政に依存しないでやるということが非常に大事なことではないかと思います。
〔 I委員 〕 私は、残念ながら、A委員のご意見とD委員のご意見に反対です。つまり、逆に言うと、そういうことをやっていたら、NPOのせっかくのいいところがぼやけてしまうわけです。つまり、それだったら最初からベンチャーをつくればいい。そういうシステムは、もうあるわけです。
私、もうちょっと補足しますと、決して今のシステムでうまくいっているわけではないです。つまり、何らかの利潤――利潤と言っていいかどうか、難しいのですが――、お金が入って、どうしても経費がかかりますし、今のシステムは何らかの改善をしなければいけないのだけれども、例えば、いろいろなやり方として、株式会社のような組織にする必要はないのではないか。
例えば、昔でも、企業に働いている人は(私なども、昔はそうだったのですが、)、いろいろ研究をします。それでお金をどれだけ得るかというと、会社そのものは何十億儲かったとしても、ボーナスがせいぜい100万円プラスになる、そんなものです。それでいいわけです。そのかわりに、その人はその会社の中で、1つの生きがいなり、威信なりというものをもつわけです。
だから、何らかの新しい利潤の得方といいのですか、中にいる人たちが、もちろんそれなりのお金も得る。だけども、メジャーの部分は、例えば、そのnonprofit に対して皆さんが寄付をしてくださったら、そこにいくとか、もっと社会に還元する。
行政から来ると、行政から補助金をもらったら、それは行政の紐付きになってしまうわけですから、おっしゃったように、そこに問題がある。
私が言いたいことは、ベンチャー・ビジネスとは違った、利潤も含みながら新しい、高齢者などが本当に働きたくなるような、そういう組織のあり方というものを根本的に考え直していくべきだと、私は思っています。
〔 K委員 〕 ごく基本的なことですけれども、NPOというのは、収益をあげるのはかまわないわけです。つまり、この家を運営するのにもっと――これもすばらしいですれども――、非常に多くのパンフレットの印刷にはお金がかかるわけです。ですから、適正なサービスに対する対価を払ってもらって、そこで少しの収益をあげた場合に、その収益を、その中で配当をしなければいけないいいわけです。この中で、より充実した事業の中で使い切ってしまってゼロにすれば、問題は全くないわけです。
ですから、例えば、これに関しまして、よりよいおむつだとか、ふわふわとしたおまるを開発なさいまして、あるいはどこからか仕入れて販売なさる。そのことであげた収益を、こういうパンフレットをもっと充実するとか、それから、もうちょっと適正な賃金でボランティアの方に、1時間当たり、今1,000円のところを、500円だったとしたら、それを800円に上げるとかいうような形で出していって、全体の事業をよくするということについては、NPOは何ら規制はないと思います。これは経済企画庁の方がお答えになった方がいいと思いますけれども……。
そういう意味では、まだまだ日本は収益事業をあげるのは下手だと考えております。
〔 部会長 〕 どうもありがとうございました。まだいろいろご意見もあろうかと思いますが、時間の関係もございますので、本日の審議につきましては、ここまでとさせていただきたいと思います。なお、補足的にご意見をお持ちの方は、ぜひ事務局の方に後で、何らかの形でお伝えいただきたいと思います。
最後に、数分だけ時間を頂戴いたしまして、お手元に配布しております「『新たなる時代のあるべき姿』を考えるにあたって(案)」及び次回の日程について事務局よりご説明願います。
恐縮ですが、時間が大分過ぎておりますので、手短にお願いいたします。
〔 福島推進室長 〕 今、お手元に「『新たなる時代のあるべき姿』を考えるにあたって(案)」を配布させていただいております。これにつきましては、この審議会の目標であります「新たなる時代の姿と政策方針」の基本的な考え方についての大きな方向性を示したものということで、以前、7つのテーマ等につきまして、委員の方々からもご意見をいただいたところでありますけれども、こうしたまとめたものに広く国民の声を聞く必要があるとの観点から、今、企画部会を中心に取りまとめ作業を進めているところのものでございます。
今後、今お配りしましたような大枠の方向で、企画部会、基本理念委員会の名において一度公表しまして、各方面の意見を聞いてみたいと考えております。
つきましては、この(案)に関しまして、ぜひにというご意見がございましたら、非常に短い時間で恐縮ですが、4月2日中に事務局の方までお寄せいただければというお願いでございます。
この部会につきましては、次回は4月8日木曜日の午前10時から12時まで、場所は本日と同じ経済企画庁内407号室、この会議室を予定しております。別途開催通知を郵送し、ご案内させていただきます。
以上でございます。
〔 部会長 〕 それでは、第4回の国民生活文化部会の審議は以上にて終了いたします。
本日はお忙しいところを長時間ありがとうございました。
以上