経済審議会企画部会(第8回)議事録
時:平成11年3月24日
所:共用第二特別会議室(407号室)
経済企画庁
経済審議会企画部会(第8回)議事次第
日時 平成11年3月24日(水) 14:30~16:30
場所 共用第二特別会議室 (407号室)
- 開会
- 「新たなる時代のあるべき姿」の基本的考え方について
- 閉会
(配布資料)
- 資料1 企画部会委員名簿
- 資料2 我が国の国家像についての意見集計
- 資料3 「新たなる時代のあるべき姿」を考えるにあたって
経済審議会企画部会委員名簿
部会長 小林 陽太郎 富士ゼロックス(株)代表取締役会長
部会長代理 香西 泰 (社)日本経済研究センター会長
委 員 跡田 直澄 大阪大学大学院国際公共政策研究科教授
荒木 襄 日本損害保険協会専務理事
伊藤 進一郎 住友電気工業(株)専務取締役
角道 謙一 農林中央金庫理事長
小島 明 (株)日本経済新聞社論説主幹
小長 啓一 アラビア石油(株)取締役社長
佐々波 楊 子 明海大学経済学部教授
ポール・シェアード ベアリング投信(株)ステラテジスト
嶌 信彦 ジャーナリスト
高橋 進 (財)建設経済研究所理事長
長岡 實 東京証券取引所正会員協会顧問、日本たばこ産業(株)顧問
中西 真彦 ベンカン(株)社長
那須 翔 東京電力(株)取締役会長
樋口 美雄 慶応義塾大学商学部教授
星野 進保 総合研究開発機構理事長
堀 紘一 ボストン・コンサルティング・グループ社長
松井 孝典 東京大学理学部助教授
水口 弘一 (株)野村総合研究所顧問
村田 良平 (株)三和銀行特別顧問、外務省顧問
八代 尚宏 上智大学国際関係研究所教授
吉井 毅 新日本製鐡(株)代表取締役副社長
吉川 洋 東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授
鷲尾 悦也 日本労働組合総連合会会長
特別委員 岩城 秀裕 (株)野村総合研究所経済構造研究室長
大野 直志 日本開発銀行国際部副長
大前 孝太郎 経済戦略会議事務局主幹
金光 隆志 ボストン・コンサルティング・グループ プロジェクトマネジャー
〔出席者〕
(部会)
小林陽太郎部会長、香西泰部会長代理、荒木襄、伊藤進一郎、角道謙一、佐々波楊子、嶌信彦、高橋進、中西真彦、那須翔、樋口美雄、堀紘一、松井孝典、水口弘一、村田良平、八代尚宏、吉井毅、吉川洋、鷲尾悦也の各委員、
岩城秀裕、大野直志、大前孝太郎、金光隆志の各特別委員
(事務局)
堺屋経済企画庁長官、塩谷事務次官、林官房長、中名生総合計画局長、高橋審議官、牛嶋審議官、梅村企画課長、大西計画課長他
〔 部会長 〕 ただいまから、第8回の企画部会を開催させていただきます。
委員の皆様にはお忙しいところをお集まりいただきまして、大変ありがとうございます。
今日は、大臣も3時ぐらいには、こちらにお見えになるそうであります。
早速、本日の議題に入らせていただきます。本日は、経済社会の歴史的転換について及び「『新たなる時代のあるべき姿』の基本的考え方について」等をご審議いただきたいと思います。それでは、事務局からご説明を願います。
〔 事務局 〕 お手元の資料2「我が国の国家像についての意見集計」でございますが、前回の資料は、各部会で出されましたご意見とペーパーで事務局にいただきましたご意見とを別々にしていましたが、それを合体させていただきました。前回ご覧いただきましたときに、「世界秩序への関わり方」から始まりまして、「積極的に関わるべき」、「与件とすべき」、ということで左右に分けておりましたが、それ以外の、例えば4ページから「
尊敬される国であるべきか」とかございまして、それを全体として小見出しを付けて整理させていただき、多少キーワード的なところには線を引かせていただいたものでございます。これは後ほどご覧いただければと思います。
それから、経済審議会の各部会の委員の意見というので、厚い資料がお手元にございます。これは構造改革推進部会、国民生活文化部会、グローバリゼーション部会、地域経済・社会資本部会の各委員から賜りましたご意見を、コピーをとり、お配りさせていただいたものでございます。これもご参考にご覧いただきたいと思います。
本日は、資料3「『新たなる時代のあるべき姿』を考えるにあたって」を中心にご議論をお願いしたいと思っております。このペーパーの趣旨としては経済審議会で検討していくにあたり、その具体的な内容の検討に立ち入る前に、その基本的考え方について大きく方向性を示し、広く国民の意見を聞く必要があると考えており、こういった認識の下に、国民の間で広く議論が交わされることを期待してその材料を提供するものである、ということでございます。
〔 部会長 〕 ありがとうございました。
今日は、いつもとちょっと違いまして、しばらくしたところで休憩を入れていただくことになっています。それまで、今の事務局から説明のありました資料について、ご意見、ご質問をいただきたいと思います。
〔 A委員 〕 1つ、この資料に書いてない点を指摘したいと思うのです。冒頭に「内外の歴史的転換とは」とあります。私は、現在起こりつつあるし、21世紀にはさらにそれが加速して非常に大きな影響を及ぼすであろうと思われことの1つとして、国民、国家というものが徐々に重みをなくすというか、役割が減りつつある傾向があることを指摘したいと思います。
今のような格好の国民、国家は、せいぜい18世紀、イギリスの植民地がアメリカという国になって独立した、その直後にフランス革命があった、その辺から、国家とか、国民とか、それに加えて徴兵・兵役の義務があるとか、納税の義務があるとかということが明確になってきたわけですが、今や、グローバリゼーションの流れというものによって国境そのものがなくなり、経済の分野に限っても、例えば、関税同盟、自由貿易地域というものがどんどん増えているわけです。
私が調べたところによりますと、これは完全に正確ではないかもしれませんが、1990年には関税同盟ないし自由貿易地域は25あった。昨年末、WTOができたために、全部そういうものはWTOに届けないといけないから数は正確で、100になっています。
それが世界の大きな流れだと思うのです。
ところが、我が国は、海に囲まれていて、そもそも明治維新の前から、国民、国家になる素地がちゃんとあったから、そのままずっと今日まで至っている。そして、そういう世界の大きな波に乗ろうと思っても、手を組めるのは台湾と朝鮮半島しかないのですけれども、このそれぞれは政治的な理由があるからできないという状況で、日本は、21世紀においては特異な大国ということになるのだろうと思います。EUは、これから統合が進みますと、ますますそういうことになっていくだろう。
これは、この資料そのものをどういうふうに書き直してほしいという趣旨で申し上げているのではありませんが、その点は、頭に置いておくべき点である。日本が非常に得意な国だと考えるべきだ、という点でございます。
〔 B委員 〕 2つの点について意見を申し上げます。最初は、「2)グローバル化は新しい段階へ」ですが、財の貿易とか、資本の取引の障壁の問題の他に、WTOの2000年の交渉などでも、もう一つサービスの──サービスの貿易というのはわかりにくい日本語ですが──国際的な取引というか、流通というか、そういうことが問題になるわけです。トランスボーダー取引というのは一番典型的であるし、それらに伴って、ある種の規制の国際的な標準化が問題になろうとしていますので、ここで、サービスの国際的な流通というか、取引について触れておく必要があるのではないか。
もう一つは、教育の問題です。この部会でも、教育についての重要性はたびたび委員の方々からご発言があるのですが、この問題は、「(3) 社会構造と経済構造の新たな形成に向けて」の「5)教育、人材育成」で取り上げられていますけれども、教育の根本的な理念の転換ということにも触れながら、大きく扱う必要があるという気がしております。
特に、教育の理念のところで言いますと、明治以来の戦前の教育の理念は、結局、富国強兵ということだったと思いますが、戦後も、もちろん富国強兵の「強兵」の部分はなくなっていますけれども、優秀な技術者、優れた商人、そういうサプライヤーサイドの教育の理念がどうしてもあって、賢い消費者とか、リスクを引き受けると言うとおかしいですが、リスクを念頭に置きながら賢い選択をすることのできる消費者、そういう意味の消費者教育はどうもウェイトが小さいのではないか。
「個」の問題、個人の問題を重要視しながら、市場主義ということを前提に考えますと、消費者の教育の根本的な建て直しが必要ではないか。その辺について触れていただければいいのではないかという気がいたします。
〔 C委員 〕 これは非常に多岐にわたって、いろいろな角度からあるべき姿が論じられていると思うのですが、例えば、「(4) 財政と安全ネット等の福祉について」の「1)財政再建の道筋の提示」ということで、これは、私は、大きく踏み込んでいく必要があると思う。
なぜならば、経済、社会、もっと言えば、福祉も含めて広い社会の有り様は、国家財政と密接不可分なわけですから、財政再建は非常に重要なポイントになってくると思うのです。
大蔵省の試算で、仄聞するところによると、このまま行くと、既に膨大な財政赤字があるわけですが、1.75%ぐらいの成長で、歳出ゼロに抑えても、2020年あたりには中央政府で600兆円ぐらいの財政赤字になるだろう。地方を入れると1,200兆円という気の遠くなるような、膨大な、破滅的財政になるという予測が1つある。そのとおりになるかどうかは別にしまして。
例えば、地方分権の問題で機関委任事務が今度廃止になる、という程度しかまだ進んでないです。今の中央政府と財政の過半数は、所管を除いて、半分以上は地方に交付される、交付税交付金と補助金その他で。この膨大な額が、地方でかなり無駄があると私は見ているわけです。
この辺の再建に踏み込んで、中央政府と地方政府の交付税交付金、補助金との関わり方を、例えば、私はある雑誌にも書たいのですが、交付税交付金は全廃する、補助金を半減する、この辺を思い切ってやりますと、20兆を超えるほどの財源が出てくる。そういった思い切った財政改革をやって、その財源でもって、今度法人税も40%になりますし、所得税もかなり在来からは下がったわけですが、私は、これをもう一歩踏み込んで、国民の懐を豊かにする、そういうところへ金を回すということをやるべきではないかと。
それから、今の財政再建の問題も、今度の国会を通った案件の中に、具体例ですが、市川と松戸の間、高々10km、これにほぼ1兆円の金を注ぎ込んで道路を延長する。そんなことをやる必要があるのか。これは、松戸の人にははなはだ申しわけないですが。
今、産業構造の転換に大変な金がいるのです。私は、国際科学振興財団の会長を仰せつかっていますが、大学等の技術移転促進法というのが今度の国会を通りましたが、法律1本通して、大学のシーズが産業界にトランスファされるかといったら、到底不可能です。かなりきめ細かい整備をやらなければいけない。
私、試験的に、我が財団でそのシーズを200ぐらい集めまして、いろいろな角度から評価・分析しました。それがどういう市場で、どういう商品として、企業に挑戦させて、創業して立ち上げさせると、どういうふうになるか。学校の先生は、そういう視点で分析できないです。大企業にいる人たちの技術屋を集めて、これを評価させた。そうすると非常におもしろい答えが出てくる。これが1点当たり100万近くかかります。これをいかに短時間に我が国の産業界(数百万社ある)、特に製造業にどううまくトランスファしていくか。そういうところにこそ1兆円の金をいの一番に使うべきである。
そういう財政との関わりをやらないと、経済構造の改革、産業界の構造的転換が可能になってはじめて、理想のあるべき社会像がそこに出てくるわけです。地獄のさたも金次第で、経済の発展なくして、どんな絵を描いても、それは単なる絵に終わる。そこのところの財政、経済のポイントをもう少し踏み込んで提言に盛り込まれるといいのではないかと思います。
〔 D委員 〕 1つ気になったのは、少子高齢化社会の問題です。なぜ少子化が進むのか、それはやむを得ないことか、望ましいことなのか、望ましくないとすれば、それをどうすればいいのか、という視点が必要ではないかと思います。
もちろん、これは2010年までの間に解決する話ではありませんが、日本の長期的な最も大きな問題である少子高齢化にどう対応するかという視点が必要だと思います。
そのときに大事なのは、高齢者と並んで重要な、女性の活用ということが、少なくとも高齢者と同じくらいのウェイトで必要があるのではないか。これは少子化と密接に結びついているわけであります。
年金と賃金の関係でも、単に勤労所得によって年金が削られないようにということだけではなくて、年金と賃金自体の整合性をどう考えるかという観点から考える必要があると思います。
それから、労働力減少についても、移住労働者だけではなくて、直接移住労働者を入れる場合にも、貿易を通じて間接的に輸入する方法もあるわけです。それから、既存の高齢者・女性等の労働力の効率的な活用というのも、一種の労働力減少対策であるわけで、こういう視点が重要ではないかと思います。
それから、年金についても、どうやって維持可能な制度にするかということで、給付の削減か、保険料の引き上げかということで今問題になっているわけですから、維持可能な制度だけでは、全然政策にならないのではないかと思います。
それから、後で雇用システムについてはE委員の方から当然にご批判があると思いますけれども、このままではかなり誤解を生むわけです。何と言っても、日本的雇用システムは本来合理的なものである。したがって、無形文化財と違って保護する必要はないのだということから、中立的な政策が必要だという論理が出てくるわけであります。それから、ホワイトカラーとブルーカラー、男性と女性、組織労働者と未組織労働者との間で、やはり、同じ雇用システムといっても、その見方がかなり違うのではないか。今問題なのは、労働者が非常に多様化している中で、これまでの雇用システムというのは極めて合理的であったけれども、必ずしも、全員にとって望ましいものではないのではないか。そういう、もう少しきめ細かい視点が必要ではないかと思います。
〔 F委員 〕 2点ほど。1つは、さっきA委員がおっしゃった、国際社会における日本ということです。問題は、実際に具体的にどういうことを位置づけて考えているのかということです。
最近のアメリカの論文で、21世紀というのは、スーパーパワーはアメリカだ。リージョナルパワーはヨーロッパ、独、仏、あるいはロシア。それからアジアは中国、インド。アフリカは、アルジェリア、ナイジェリア、中南米はブラジルだ、というようなことを言ってきているわけです。それは僕は気にすることはないと思うけれども、日本はその中でセカンドリージョナルパワーというふうな位置づけになっているわけです。
今まで日本はG7に入れたというのは、経済力があったから入ったわけですけれども、恐らく、今後経済がだんだん衰退してくると、国際パワーを持つために軍事力も、政治力もないし、もう一つ構想力というのもあると僕は思うけれども、これもなかなかないということになると、一体、国際社会の中で日本はどういう位置づけの国になろうとしているのか。そこら辺、抽象的な議論だけでなくて、もし本当にコア・メンバーになるのだったら、ある程度の経済力は持たなければいけないのかもしれない。その辺の関係をどういうふうに考えているのかなという感じがします。
企業の動向を見ても、企業は生き残りのために再編をやっているわけですけれども、さっきA委員がおっしゃったように、国も地域連合だとか、そういうことをずっとやっているわけです。中南米もやっているし、ASEANもやっているし、あるいはEUもやっている。日本だけは、そういう地域連合にほとんど入っていないわけです。そういうことも含めて、国際社会の中で発言力、あるいはコア・メンバーとなっていくために、何をパワーの源泉として国際発言力を求めるのか。やはり、経済なのかどうなのか、という辺をもう少しきちっと考えた方がいいのではないかというのが、1つです。
もう一点は、今度、省庁再編で国土交通省ができて、すさまじい予算官庁になるわけです。そういう意味でいうと、日本の国土計画を考えたときに、国土をどうつくるかというのはすごく大きな柱となると思うのです。そのときに、今までの高度成長期までというのは、経済と国土という議論でずっとやってきたけれども、これからは、全体のトーンからすると、人と国土というトーンでものを考えていく視点が、重要なのではないかという感じがします。
その2点です。
〔 G委員 〕 私も2点ほど申し上げたいと思います。1つは、ヒトの移動の話でありまして、国境を超えた移動です。いまだかつて受け入れ側の都合によって、受け入れる人数とかというのは変化してきたわけで、今後、そういったものが歴史上変わるという認識はどういうことを意味するのだろうかということであります。
また、ヒトの移動との関連で、「(1) 少子高齢社会に向けて」の「2)労働力人口の減少を許容するか」というところですが、外国労働者の受け入れ問題であれば、例えば、職種の指定とか、そのような話が出てくるわけですが、移住労働者であれば、今まで日本に住んでいる人たちと同じように扱おうということが当然の前提となりますので、仕事の選択というのも自由に行うことができるはずだと認識しているわけです。ヒトの移動、特に職種の選択が自由になされる限りにおいて、雇用条件が悪ければ、そういった仕事に就きたくないと思うのは、これは日本人であろうと、あるいは移住労働者であろうと共通であるわけです。
こういった視点から、移住という問題を考える上では、労働力の移動ということだけではなくて、そのほかのいろいろな問題が出てくるわけですが、そういったことについてはほとんど触れられていないという点について、どう考えたらいいのだろうか、という問題提起をさせていただきたいと思います。
2点目は、働き方の問題ですが、特に雇用システムのところです。働き方が非常に多様化してきており、雇用形態の多様化といいますか、そういった問題も出てくるわけです。雇用形態の多様化に伴って、現在起こっているのがパートタイマーと正社員、そういった人たちの間の格差の問題です。そういうとき、例えば女性とか高齢者、こういった多様な人たちに働く場を提供する上では、従来型だけの雇用形態では無理があるだろう。どうしても柔軟な働き方が求められてくるわけですが、そのときに、労働時間の問題が大きな問題になってくるわけで、この労働時間の柔軟性といったところを維持しつつ、なおかつ雇用条件、例えば時間当たりの賃金においては一般の労働者と短時間雇用者との間で差がつかないとか、そういうようなものをどう構築していくのかということが重要になってくるのではないか。
平たく言えばワークシェアリングの問題というようなところも、当然、そこには提示されてくるのではないかと考えております。
〔 部会長 〕 今日の位置づけのところは、ほかの各部会がやっておられて、1つ大きな方向とか、イメージとか、そこへ持っていくための具体的な施策そのものは、各部会でも検討されて、ここにある案は最終案ではなく、またいろいろ検討していただくことになりますが、しかし、基本的な見方とか考え方という点で、今までのところで事務局側からお答えしておくこと、確認しておくことがあったらお願いします。
〔 大臣 〕 それでは、私から。
皆さん、どうもありがとうございます。ちょっと遅れてまいりまして恐縮でございます。
今、高齢化社会の問題、それから大国、セカンドリージョナルパワーの問題、労働移動の問題が出ました。これはいずれも、今度出すもののコアでもあるし、初めて取り上げる重要ポイントでもあろうかと思います。
まず、歴史的認識から申しまして、20世紀に至るまでは、労働移動は出す側の自由だった。初めて1900何年かに、アメリカが中国人に対する移民の規制、日本に対する規制をしました。それで、大正10何年に、アメリカが対日移民法を出したときの日本の記述を書いたら、歴史的にも、人道的にも全く違反している。インディアンの許可を取って、アメリカ人、ヨーロッパ人が行ったこともなければ、アイヌ人の許可を取って日本人が行ったこともない、というのを盛んに書いているわけです。そういう時代がもう一ぺん戻るかという認識から始まって、たった80年しかたっていない現在の状況が今後も維持されるのかという認識に立っているわけでございます。
移住労働者という概念も、日系人で出戻りの人にわりと使われている言葉でございますけれども、人によって、例えば、昔は出稼ぎというのがありましたけれども、出稼ぎ労働者は、都市に住んでいる方よりも、働いている間はつらい条件でも、国元に帰れば立派な暮らしができるから職種を選ばなかった。今の移住労働者というのもそういうところがありまして、日本にいる間はつらい暮らしでも、お金を持って国へ帰ると、何をしていたか知られないという利点があって、わりあいと動くのではないかというようなことも言われております。そんなことも考えたわけでございます。
それから、少子高齢化は難しい問題で、G委員のご指摘ですけれども、ドイツ、イタリア、日本が一番低いですが、ドイツでも、イタリアでもあらゆる政策をとりました。ところが、どれも成功していないのです。スウェーデンもいろいろな政策をとって、一時的に成功したのもありますけれども、どれも成功していないのです。フランスも、普仏戦争に負けて20年たちますと激減しまして、第1次世界大戦で勝つまでものすごい激減です。年金を与えることから、託児所をつくることから、部屋を広くすることから、あらゆる政策をとってもダメ。結局、第1次世界大戦になったら急に増えた。これは歴史的事実で、何ということはありませんが。
だから、これが変えられる方法があればそれに超したことはないですけれども、果たして変えられるだろうか。
ハンガリーもそうですが、ブルガリアなども、3人子供を生んだら勤めるよりいいほどの年金を与えても、どんどん減っています。ドイツも大体似たような傾向です。
だから、これをどうかする方法があればありがたいことだと思うのです。
一番の問題は、F委員のご提言にありましたことで、私たちの最初の検討もずっとこのことが気になっていたことですが、日本は大国を目指すのか、それとも大国になることをあきらめるのか、というのがこれからの1つの大きな選択肢だと思うのです。
スウェーデンとか、オランダとかいう国は、大国になることをあきらめた国です。スウェーデンもカール12世のときまでは大国になることを目指して、ウクライナまで攻め込んだりした。オランダも、英仏戦争のときにはそうだったのです。
日本は、その後の「国際秩序」との関わりにも出てくるのですが、そういう基本的な問題をいろいろと考えていかなければいけないので、本案にはすごく相矛盾したことがたくさん出ておりますので、そのつもりで、今日は議論をしていただいて、もうしばらくそういう状態で、皆さん方のご意見を伺って、方向を出していきたいと考えておりますので、よろしくお願いしたいと思います。
〔 部会長 〕 ありがとうございました。
今の大臣の話に触発されて、また新しいご意見、その他も出ると思いますが、それはちょっとお待ちをいただきます。
それでは、E委員。
〔 E委員 〕 ずっと出ておりませんで、勝手なことを言うようですが、前回は欠席をいたしましたが、意見書を出させていただいたので、中身もそれなりに取り入れていただいているような気もいたします。
ただ、どうしてもぬぐい去れないのは、まず今、大臣が言われた、大国になるかどうかというのは大変基本的なことでいろいろ意見はあると思うのですが、そのことよりも、まず、日本人は、基本的に何を求めるかということ、何を幸せに感じるかということだと思うのです。その辺が、この資料全体にあっち行ったりこっち行ったりしている気がしてならないわけです。
それから、私も含めて、ここのメンバーは、日本人の中で特殊であるかどうかということを考えたらいいです。自分の原体験が──皆さんは専門家でいらっしゃっていろいろなところウォッチングしておられますから、何も自分の生活感だけでおっしゃっていないということは重々わかっているのですが、それでも、やや特殊な種族に属するのではないかという感じがするわけです。
そうした場合に、私が、これまでの社会をある程度方向転換するためには、今までなかった自由だとか多様化ということがキーワードになることは、私自身も痛感しておりますし、私の職業の世界ではずいぶん自由だとか、多様性という言葉は主張しているようでありますが、今から申し上げることを考えると、この資料から考えると、かなり保守派に属するなと思うわけです。
それで、感想だけを申し上げたいと思うのですけれども、まず、冒頭に、「ポスト規格大量生産社会は」とありますが、それ以外にも、複合型とか、いろいろな多様な選択だってあるわけで、決して、規格大量生産型が世界中でなくなってしまうとか、日本でゼロになるということはあり得ない。ですから、システム自体に、批判するためにこういう言い方をするのは、それはそれでやむを得ないと思うのですけれども、私は、複合だとか、多様な選択と言っておきながら、既に規格大量生産型にしていく必要はないということであっていいのかどうか、こういうふうに基本的には思っています。
それから、知恵の社会での流行や社会主観による価値の変化が大きいということを、我々自身が社会生活を営むことによって、やや安定的に進めていくということも必要ではないかと思うのです。新しい価値が常にころころ変わるときに、システムをころころ変えていくということは、日本の社会運営にとって適切であるかどうか、それがまた効率的であるかどうか、あるいはそれが人間にとって、それこそ幸せであるかどうかということについて、私はやや疑いをもつわけです。
確かに、こういう方向性という意味からいって、こういうことは大事だと思います。また、大臣が前回のときも発言されたように、社会的に議論を巻き起こすということであれば非常に刺激的でよろしいですが、では求める価値を一時的に可変的な価値を10年単位、20年単位で、今、変わった価値は何なのですかということは、皆さんにわかるでしょうか。この可変的だということで、来年は、あるいは10年後の間はこういう価値です。また流行が変わったら、その10年後はこうなりますということが、システムと同時にわかっていくのかどうかということは、私は非常に不安に思うわけであります。
それから、次のグローバル化の問題でありますが、最近の論調は、確かに英米型のグローバルスタンダードだということが言われていますけれども、例えば、今年のノーベル経済学賞がセン教授であったように、あるいは、それ以外にもいろいろな社会学者が、アメリカ型であっていいのかどうかというようなこと、あるいはEUの動向だとか、世界の潮流ということを考えたら、必ずしも、私は、それだけではないと。一方の議論というものを十分に斟酌する必要がある、こんなふうに思っています。
一部の意見では、グローバル化によって豊かになった国はない、ということまで断言する人がいるわけですが、そうした論調というのもある程度考えていくべきであって、全体的に世界中の知恵でもって、このグローバル化の欠点を是正するのではなくて、事前にコントロールするというようなことがあってもいいと思います。
欠点を是正するというのは、我々の側で社会民主主義というときに、市場の失敗を是正するのか、市場の失敗がないようにコントロールするのか、というような議論が我々の世界ではあるのですが、基本的には、市場の失敗を是正するのではなくて、欠点を是正するということはコントロールするという意味ですから、コントロールするシステムはどういうふうにしたらいいのかということを考えていかなければいけないと思います。
それから、私は、個というインディビジュアルとソサエティという関係からいうと、社会というものが構成されて、はじめて個というのは生きるのだと思うのです。その意味から言うと、ここの資料全体ではインディビジュアルという概念は非常に強いですが、ソサエティという概念はときどき出ていますけれども、あまり出てこないということについて、私は非常に疑問を持つのです。個が生きるためには、社会・ソサエティというものがどういうふうな構成をしているかということを、一方で準備をしておかないと、個が逆に生きない、こういうふうに私は思います。
それから、ここにはたくさんの成功者の方がおられるわけでありますけれども、本当に成功者への報酬というものが重大であるかどうかということであります。ここにおられる方は、報酬でもって喜びを感じているのではなくて、審議会へ出て発言することで喜びを感じておられるのではないかというふうに私は思うのですが、いかがなものでございましょうか。
私は、税制の問題もそう感じるのですが、報酬だけで生きがいを感ずる人たちがそんな大勢いるというふうには思わないわけでありまして、ここにおられる方はそうでないと私は信じております。
それから、先ほど言いましたインディビジュアルとソサエティの関係ですけれども、多様な社会関係をもつということは、そういう社会に帰属する方が企業の社会よりも、どちらかというとヒエラルキーがない、差別がないコミュニティーでありソサエティです。ですから、血縁、地縁、職縁はまた別ですけれども、趣味とか、いろいろな共同体をたくさんつくるということはいずれも、心配のとおり、要するに平等意識というか、メンバーとしては平等だという、どちらかというとチャンスの平等よりも結果の平等を追求するコミュニティーがたくさんできて、そこに帰属するということになるのではないかと私は思うのです。そうした場合、社会の価値観と、そうしたコミュニティー間の、それぞれに帰属している社会の価値観を持ち込んだ国民的統一というのはどういう形でできるかということを明示しなければいけないのではないか、このように思います。
そして、「7)リスクに応じた所得の獲得」のところで、機会の不平等はほかのメンバーもほかの部会で一生懸命言っているはずですが、これは考え方の違いですけれども、機会の均等というのは当然の前提ですけれども、結果の平等というのもあって初めてチャンスの平等というのが生きるのではないか、と。これは議論のしようがありませんが、私はそう思います。
それから、「【8】多様な人的資源の有効活用」ということで、移住労働者の議論は先ほどありましたけれども、私は、こうした多様性が求められたときに、言葉は悪いですが、適正な差別化といいますか、価値をどのようにお互いに相互の比較をしていくかということは、非常に社会的な問題になると思います。例えば、さっきの雇用システムの問題でもそうですけれども、多様な労働市場が重層的にでき上がることになりますと、これを単にマーケットだけに委ねて労働の価値ということを決めることが本当に正しいかどうか。そこに、社会的な納得性というのはどこにあるのだろうか、そういうシステムというのは何なのだろうか。労働市場というのは、普通の商品の市場のように、マーケットでコントロールできない部分があるはずなので、そうしたものに対しては、人間がそこの意思決定に参画をして納得性をもたなければいけないという、メカニズムもなければいけない。そうすると、差別化する理由は何かということを、やはり、きちんと考えておかなくてはいけない。それをどういうところで担保するかということを考えておかなければいけないというふうに思うわけです。
最後に、自由ということですが、私の教わった自由というのは、他人の自由を制約しない範囲での自由というのが自由の本当の定義だと思います。そうしますと、安全や、平等や、効率を阻害するというのは、他人の自由を束縛する危険性があるのです。それは本当の自由ではないと思います。
終わります。
〔 I委員 〕 私は、知の時代になるのだというのは、長年の私の主張でもあるので、全く同感ですけれども、問題は、今の日本社会から個の時代、知の時代に行くための一番大事なドライバーは何かと考えてみると、案外おかしなことになるのですけれども、私は、尊敬だと思うのです。
日本史の中でも、あるいは横比較して諸外国と比較しても、今の日本というのは、なるほど金銭とか地位に対するアクノレッジメントというか、認識というのは結構あるような気がしますけれども、金にならないことをやっている人だとか、税金をたくさん払う人、そういう人たちに対する尊敬というものがあまりないわけです。この尊敬という概念なしに、個の時代や、知の時代に、僕はたどり着けると思わない。
問題は、これを学校教育の問題だというふうに狭く規定してしまうと、この部会の目的ではないでしょう。それから、個人的にも私はもっと尊敬というものを、もちろん、学校教育が果たせるところは大きいけれども、学校教育ではないところで果たせるのではないか。どういうものを尊敬すべきだ、そういうものは尊敬しないのだと、学校で先生が教えちゃうと、共産主義みたいで怖いと思う。そうではなくて、尊敬ということの大切さ、それからプライドをもつことの大切さ。特に最近、若い層を見ていて感じるのは、この人のプライドって一体どうなっているのだろうかというのが気になるので、プラインド、尊敬というものを、前文みたいなところにぜひ入れてもらえないかというのが1つです。
2つ目は、この資料が時間軸としてどれぐらいのスパンをにらんでいるのかということと絡むのですけれども、あまりはっきりしないですけれども、私は、少々時間軸が短いのではないかという印象を受けました。
〔 部会長 〕 10年。
〔 I委員 〕 その10年というのが、どれくらいの時間の速さで来るかという読みだと思うのですけれども。
というのは、少子化とか地価の下落、あるいは高齢化というものを、全部問題としてとらえている。つまり、英語で言うとプロブレムだいう具合にとらえて、それを解決しようというのが基本トーンですけれども、私は、それは非常にまずしい発想だと思います、はっきり言えば。つまり、私から見れば、少子化というのは非常にオポチュニティだ、地価の下落もオポチュニティだ、高齢化もオポチュニティだ。なぜかと言えば、この数10年の日本の歴史を見てみると、何が問題かといったら、こんな狭いところにこんなたくさん人がいるということで、偏差値だとか、マイホーム1軒買うのに一生かかって買うとか、あまり意味のないモノを手に入れるためにものすごく努力をしなければいけない。それは競争が激しいから。なぜ激しいのか。人間が狭いところにたくさん住んでいるから。そのときに、地価が下落するということは、面積が広くなるわけではないですけれども、相対的に手に入れやすい。商売のチャンスも増える。自宅を手に入れるチャンスも大きい。大いに結構ではないか。だから、問題は、それが引き起こすマイナスを消去さえすれば、流れはむしろ日本人が幸せになるための流れだから、私は、地価の下落なんていうことは大いに歓迎すべきことだと思います。
少子化もそうだと思います。前に私が計算したのだと、1200年後に、今のスピードだと日本人はいなくなってしまうのだけれども、今とそのときよりもっと数字が小さくなっていますから、たぶん1000年ぐらいで日本人がいなくなる計算でしょうが、そこに行くにはまだ時間があります。
それから、高齢者もそうです。高齢者というと、なんか問題だと、福祉の対象だととらえますが、そういう考え方もありますが、私は、高齢者というのは知恵のある人たちだと思うのです。若者と年齢の高い人を比べたら、一般論で言えば、例外はいくらでもいますけれども、高齢者の方が知恵があります。ということは、日本人の平均的な知的レベルが高齢化によって上がるということです。ということは、それだけすばらしい日本がつくり得るわけです。問題は、高齢者というか、年配者が若い人を押さえ込むからろくな社会になっていないところが今の日本です。そうではなくて、若い人が高齢者の知恵をレバレッジできるような考え方なり、やり方というのをもっと開発していけば、私は、高齢者が増えるというこはちっとも悪くないと思う。
したがって、何が言いたいかというと、トーンを少し変えてくれないか。少子化とか、地価の下落とか、高齢者とかいうものを、マイナス要因としてらえるのではなくて、これはオポチュニティなのだ、チャンスなのだ、我々はこのチャンスをどう活かすかを企画し、プログラムしなければいけないのだという考え方があっていいのではないか。
もう1つだけ言わせてもらいます。最後の点は、やはり、ドライバーみたいな話ですけれども、こういう世界に行くときに、今の日本が全然違った姿だし、各省庁のやっていることもかなり見当違いのことが多いはなぜなのだというと、私は、ここに書いてあるようなことは、わかっている人は結構いると思うのです。わかっているのだけれども、変わりたくないという理由があるのだと思います。なぜ変わりたくないのだという原因解明を、もうちょっと真剣にやらないと、こうなった方がいいですよ、と言うだけでは、皆さんは建前では「そうですね」と言うけれども、本心では変わっていくのを妨害していく。何も変わらないということになる。
そういう意味では、一体何と何をトレードオフしているのだ。トレードオフのポイントは何なのだ。我々は、何をやろうとして、何を捨てなければいけないのかというのを、もうちょっと突っ込む必要がある。
それから、そのためには、意思決定システムというのを相当変えていかなければいけないと思うのです。僕は、役所のこういう審議会というのは嫌いで、実は3回しかやっていないですけれども、今回は、前にやったのとはちょっと雰囲気が違うなと思って、日本が変わる予感もしているのですが、最後、どうやってモノを決めていくのかというのは、そういう意味では興味深々なのです。
それから私は、新たなる時代のあるべき姿を手に入れるためには、従来型の意思決定システムでは不十分だと思う。これは企業を研究すればすぐわかることで、株価が5,000円とか1万円する会社と、300円とか500円の会社と何が違うかというと、別に東大を出た人の数が違うわけではないし、博士号を持っている人の数が違うわけではないし、特許の件数が違うわけではなくて、簡単に言えば、意思決定の仕方が違うだけです、本当のことを言って。モノをどうやって決めているのか、この違いで、株価が少なくとも10倍近く違ってしまうわけです。
そういうことを考えると、日本全体が、これは政治もそうだと思います、それから、お役所のモノの決め方もそうだと思います。つまり、株価で言えば300円とか500円のような意思決定システムが今、日本の主流になっている。これを、株価では5,000円とか1万円するような意思決定システムに変えていかないと、こういう姿にたどり着けないのではないか。そこら辺を少し書き込んでもらえるといいな、と。
以上3点です。
〔 部会長 〕 ここで、息を少し抜いていただいて、この後はH委員からご発言していただきます。
事務局の筋書きですと、この辺で皆さん立っていただいていろいろ意見交換をしていただたいたらということにもなっていたのですが、大分エネルギーを消耗していらっしゃるかもしれない。お茶でもひとつ召し上がってください。
(休憩)
それでは、H委員。
〔 H委員 〕 10年後の「新たなる時代のあるべき姿」というものを政府として、きれいな姿で描くのか、あるいは、問題提起で材料を提供するというのか。もし後者であれば、トゲをあちこちに作ったほうがいいのではないか。普通、どこでもプレゼンテーションするときは、相手がすぐ乗っかってくるような落としどころ、トゲをつくっておくものなのです。それがなければいけないのではないか。だから、どちらをとるかということです。
個別の問題、その中で特に人間という問題。先ほどI委員が言われましたけれども、人間という問題を取り上げてきたというのは非常に大きな新しい局面だと思います。現在、世界の動向でも、結局、経済学者ではなくて、社会学者であるとか哲学者、あるいは歴史学者の意見というのは、人間という問題が非常に重要だと思うのです。その中であえて注文をつければ、知という問題と個という問題、それと全体との問題。これはE委員もちょっと触れられましたけれども、高齢者とか女性という問題を一括りとして、全体としての議論がある。ところが、人間全体ということになると、知と個ということになって、全体との問題はどうなるか。
言うなれば、昔は「サラリーマンとは気楽な稼業」と言われましたけれども、今はそうではない。それにしても、学校でもそうですけれども、普通の人、ルーティンワークをして実際上の会社の業績などを全部支えている普通の人たちはどうなのだ、ということに対する配慮も、全部が知的創造力をもっているわけではありませんから、その辺が個と全体との問題が、高齢者・女性の問題と比べると、このところでちょっとバランスが悪いのではないかと思っています。
第2点は、私は、経済成長がなかったらベンチャー・ビジネスも──これは鶏と卵みたいなところがありますけれども──起こってこないし、かつての企業も起らなかったのではないか。したがって、経済成長という問題の位置づけをどうするかということは、十分議論をする必要があるかと思います。
最後は、これは先ほどC委員も言われましたけれども、財政再建という問題と、雇用あるいは安全ネットという問題をどうバランスして、あるいは時系列にどうやるかということは非常に重要な問題で、またこれは、この資料の冒頭にあります「内外の歴史的転換」ということとの絡みからいっても、かなり苦しい時期があるのか、と。その場合の財政再建のコスト、どこがどう払っていくのか。そうしないと、時代の潮流にシステムを適合することができれば、そのためには相当のコストが必要だということは、やはり、触れておかないと現実的にこれが出るころ、日本の経済がどうなっているかという予測はできませんけれども、そんなに楽な状態ではないと思いますので、現実とのギャップがあまりあったらよくないというような感じがいたします。
〔 J委員 〕 皆さんに比べて細かくなりますが。
「1)多様化の中での国土は」のところですが、用途目的別、用途地域制というものが効率性は有効であったけれども、規格大量生産型工業社会に限定して有効だったということではない。むしろねらいとしたところは、住みやすさといいますか、そちらをねらいにした。
また、情報収集の困難や通勤時間の拡大をもたらすというのは、これはその結果としてなったのではなくて、むしろ逆に言えば、今の用途地域制が通勤時間の困難性をもたらした要素もある。というのは、用途地域制というのは、混在型の用途地域が7割りぐらい、東京都心3区は8割ぐらいでしょうか。ですから、住宅がほかの用途に、事務所とかいうものから、価格競争力で低いものですから住宅が外に行ってしまった。逆に、今の用途地域制が不十分なために追い出された結果、という要素もあると思うのです。
ですから、私は、今の地域用途制が完全なものかどうかというのは非常に問題があると思いますが、用途地域制を廃止するのではなくて、それを都市の中で適切に配置することによって、多様化の都市としてうまく持っていくということの方が大事ではないか。その意味では、もしここで街づくりの整備に何か言及するとしたならば、街づくりというのは、個々人の利害関係を自由にしたら、全体として多機能の快適な都市空間をつくるという意味でも成功しないわけで、そこのところは、ある程度大型のコンセンサスを受けた、都市の地域のマスタープランというものをもっときちんとやる。それの具体的な方法とかはいろいろありますが、むしろ、そっちの方で押さえることが必要かなという感じがしています。
用途別から環境条件に変更すべきかということがありますが、今の用途地域制度においても、環境条件に即して作業上の規模とか、いろいろな音の出し方とかは相当チェックしていますので、そこは不十分ならばもっと十分にする必要がある。
いずれにしても、柔軟な運用というものは基本的に必要かと思います。
それから、大したことではないですが、高度利用といった場合、往々にして事務所機能、それだけの高度利用という感じにとられるので、ここは、住居、文化、その他のものを含めての高度利用であるということは踏まえておく必要がある。
これからは文化面、あるいは余暇活動、いろいろな面で交流というのが動的に多くなると思います。地方部においても、都市部においても。静的なものでなくて、動的に多くなって、交通移動量というものは、人間の生活全体としてみた場合には、抑制されるというふうにはならないと思うのです。
〔 K委員 〕 全体としては非常に明るく書いてあるという印象が強いだろうと思います。それはそれでメリットなのですけれども、既にご指摘もありましたけれども、避けなければならない危険、危機というのをはっきり書いて、これを避けていけば、こういう夢が実現するだろう、そういうバランスのとれた書き方が望ましいと思いました。
2点目は、A委員やF委員、それから大臣からもお話のあった、国際的地位の話ですが、私も、大事な問題と思うのですが、だからこそ、グローバリズムを日本はしっかり守る必要があるのではないかと思います。日本にとって一番まずい状態は、アジアならアジアが非常に閉鎖的なブロックになること、世界がブロック化することである。日本としては、その中で生きていくためには、共通のルールというのをなるべくやって、世界のどことでも付き合えるような世界であってほしいわけですから、そういう点では、日本自身も、グローバリズムあるいはユニバーサリズムをもっと強める必要がある、そういうふうに私は理解しております。
3点目は、流行の話ですが、一方で流行があるということは確かに事実ですが、個性を尊重し、多様化するという強調とやや矛盾しているのは、少なくともその関係はどうなっているのかという疑問を感じました。
あと、政策のところは、やや舌足らずのところが多くて、もう少し議論をしていただきたいと思うのですが、例えば、規制緩和とか、規制するということは、別段それほど政府支出は伴わないけれども、むしろ、新規参入にとっては非常に大事な問題であると思います。あるいは、年金については、戦略会議の答申が出ているわけで、これをどう受け止めるかということを問われている。私自身は、戦略会議の案に賛成です。そのことも議論すべき点ではないか。
例えば、介護は、やはりコストですから、どこかで損得するわけで、それをどう分配するかという問題ではないかという気がいたします。
なお、出生率については、日本のこれまでの制度が非常に出生率を下げる方向に働いていると私は思いまして、例えば、終身雇用、年功序列というのは、女性にとっては、一度子育てを初めてリタイアすると、もう再度入ってこれないという制度です。世界的にみても、男女別賃金格差の小さい国の方が先進国の間では出生率が高いわけです。そういう意味では、今後起こる社会的変化の中で回復の望みがないとは言い切れない、と私は考えております。
〔 L委員 〕 私は、ずっと参画させていただいて毎回お願いしている点について、まず教育に関しては、反映していただいて大変感謝申し上げたい。
この前申し上げましたが、今の我々の企業経営の現実と、この夢というのは、どう考えても、ここに結びついていく過程に非常に無理があるのではないか。つまり、皆さんがいろいろおっしゃいましたけれども、C委員もおっしゃっていますけれども、財政の問題、K委員がおっしゃった年金の問題もそうです。企業の年金負担というのは、一説には、計算すれば100兆円と言われているわけです。それを企業として落としていかなければいけない。時価会計ですべて、持株をそれに投入しても、恐らく解消できる問題ではないだろう。15年かかってやらなければいけない。そういうような実体と、10年後の日本経済とがなかなか結びつかない。
この前申し上げましたように、ここに挙げているいろいろなテーマを、縦糸と横糸がどういう形でスケジュール管理していくかということが、もう少し中に組み込んでいけないか。つまり、どれに重点を置いていくのか。すべてが網羅されているのですが、それぞれにおいての強弱と、スケジューリングはやっていかないといけない。そうしないと、このままだと非常に高コストの社会の中でやっていく、現実問題としてそれが本当に経済成長に結びつくのかと。つまり、経済発展がなくて、企業の発展がなくて、日本経済は存在し得るのかどうか。だから、これは分配の形での姿を見ているかもしれませんけれども、ここに行き着くためのインプットのところが非常にはっきりしない。
大変抽象的ですけれども、時間がございませんので、私のコメントとさせていただきたいと思います。
〔 M委員 〕 総論的な部分で2、3点、細かい点を1点お話ししたいと思います。
総論というのは、さっきもお話がございましたが、教育の問題と自己責任、個の問題でございます。ここに教育問題は書かれておりますが、教育の中身について、もう少し書き込んだ方がいいのではないかという感じがいたします。
第2点は、自己責任なり個性の問題ですけれども、先ほどもお話がございましたが、社会人でありますから、自己責任と、相手を尊重するということはあった上で、相手の責任を尊重した上で、自己責任がいえるのです。他人を尊重する、同時に、社会についても、先ほどお話がございましたが、尊重する必要があるという感じがいたします。
教育の問題に戻りますが、職業を尊重するということは、今、すたれているように思います。どんな職業であれ非常に尊いものです。勤労というのは尊いというのだというのは、今はそうではなくて、金が儲かるのが一番いいのだと。教育と言えば、一流の大学、就職のしやすいところがいい、それではないのではないかと思います。その辺は十分に考えるべきではないかと思います。
あと、さっき大臣から、大国を目指すかどうかというお話がございましたが、これは結果論なのです。国民にとって一番いい暮らしをつくっていく、自然にそこから大国になっていく。福祉大国になるとか、そういうことでない方がいいのではないかという感じがいたします。
第3点は、政策課題ということでたくさん書いておりますけれども、これは非常に項目が多くて、精粗まちまちだという感じがしますので、重要なものに刈り込んだ方がいいのではないかという感じがいたします。
そういう中で、細かい問題になりますけれども、先ほどJ委員からお話がありました、都市計画の問題、それから中山間地の問題。世界の大勢は、中山間地というのは基礎的に条件が不利である。その条件が不利なのは、自己責任では賄えないから、何か公的な補助・助成をしなければいけないということで、今、欧米でも始まっているわけです。そういう意味では、そこのところは全部自分でやれという話になるのか。
次に兼業農家の問題ですが、兼業農家の意識を言う場合に、どういう方向で再検討するのか。兼業農家の意識というのは、むしろ、農地保有問題に端を発しているので、そこをはっきり。現在の日本の国土で専業農家になるということを期待するのは無理でありますから、一体この再検討というのはどういうことかよくわからない。
〔 N委員 〕 時間も残り少ないようですので、1点だけ、ずっと関わって感じておりますことを述べたいと思います。
「(3) 社会構造と経済構造の新たな形成に向けて」の「【5】教育、人材育成」ですけれども、先ほど、自己責任原則というお話が出ましたけれども、グローバル、自己責任原則のある魅力的な人材が担っていくより仕方がない。仕方がないというか、それ以外にないのだというメッセージをもう少し、教育と人材育成のところで伝導したらいいのではないか。
それは、従来、教育といいますと、学校に押し付け、次は、大学というのは大変評判の悪い教育機関なわけですけれども、多量の卒業生を企業の方に押し付けまして、多少どうかと思う人でも数年たちますと役に立つようにしていただきまして感謝に耐えないのですけれども、そういう時代が企業の高コストというものを生んだのではないかと反省しております。この際、教育、人材育成というのは、社会的な負担。社会的という意味は、個々人が担うべきなのだ、と。そこへのサポートということで、企業も放念していただいたらいかがなものでしょうか、というのが1点でございます。
長年、評判の悪いところで勤めておりました者の反省点としましては、むしろ経済学をやっておりますと、先日来、現場で働かせていただきまして、得難い経験をさせていただきました。というのは、今後は、教育の現場と、実際の現場というものが行き来できるのが、自己責任原則なり教育のあるべき姿ではないかと思っておりますので、自分の感想も含めまして、締め括らせていただきます。
〔 O委員 〕 個々の話はいろいろなところで出ましたので、全体的な印象だけ申し上げます。
基本的には、よくまとまっていると思います。よくまとまっているという意味は、1部、2部、3部という構成のそれぞれの中身は非常にわかりやいすのですが、私が感じましたのは、現状認識、ゴール・こうありたい、そのためにはどうすればよいのか、という3部構成の「こうありたい」までは非常にわかりやすいですが、そのためにどうすればよいのかというところが、少なくとも、2. の書き方と3. の書き方が対応していないのではないか。
要するに、「夢を追求できる社会」というのであれば、これが最初に来ているのであれば、3. のところも、そのためにどういうことをなすべきかというのが最初にあって、(2) が「21世紀型社会への適応」であったら、それに対応して、そのためにどうすればよいのかというまとめ方をすべきであって、3. のまとめ方は、それとは全く無関係に、1 部、2部、3部を書いた人は全然違う人で、3部を書いた人は3部でまとめている、そういう印象です。
せっかく1部、2部、3部構成になっているのですから、もうちょっとそれぞれの構成が対応するように、わかりやすくやっていけばいいのではないか。そうすると、もうちょっと全体が読みやすくなるのではないか、というのが私の印象です。
〔 P委員 〕 3点ばかり申し上げたいと思います。1点目は、生産あるいはサービス提供する人たちの立場、あるいは消費する、生活する人の立場、いろいろな視点から書かれていると思います。そうやって書いたことが、先ほど大臣もおっしゃっていましたが、我々日本の国というのがどういうふうになっているのだろうか、全体として。これは経済も、社会生活もいろいろ含めて、どういうイメージをもてばいいのか。これのイメージアップをどうやったらできるだろうかという感じを、1つもちました。この努力をする必要がある。
いろいろおっしゃっている中で、代表的なことを申し上げますと、それぞれ言われていることを評価するメジャー。要するに国がどうなっているか、我々は日本の中で生活しているわけですから、それを評価するメジャーというのはないのか。
例えば、「(2) 社会への10の影響は」に「【1】産業・企業構造の再編成」と書かれていますが、産業という大きな括りで書かれていて、非常に言葉はきれいですけれども、新産業とか、ベンチャー・ビジネスとか、知識・知恵の創造する産業が主流になる、これは傾向的にはあると思うのですが、これが主流になって本当に国民の生活を支えられるのだろうか。何かそういうメジャーがいるのではないか。このときに、日本の国際収支はどうなっているのか、こんなきれいなことになるのか、こういう物差しがいるのではないか。そうしないと、どうしてもイメージが合わない。
産業といっても、例えば、鉄で申し上げますと、付加価値をものすごく上げてきています。皆さんご覧になると、鉄は全部同じだとお思いになられるかもしれませんが、全然違うわけです。付加価値を高くしたものは、日本の国にとって大事なのです。もう一つは、非常にコストを下げていますから、外から持ってきたのでは競争にならない。こういうマーケットのものもたくさんあるわけです。それがどこかへ行って消えてなくなる、こういう感覚は僕は間違っていると思います。
したがって、こういうことになったときには日本の国はどのようになるのかな、こういう視点がぜひ欲しい。
2点目は、東アジアはグローバル化といって、非常に世界的という感覚があるのですが、私どもは、東アジアに非常にリンクしていますから、そのメッセージというのはいらないのかなというのが、2点目の素朴な疑問です。
3点目は、L委員もおっしゃっていましたが、10年後に向かってというのは、財政が大変だということは当然あるわけですが、企業も金融も含めて大変です。相当な道を歩むことになるだろう、こういう感じを持っていますから、今は政府の方でいろいろな検討をなされている。それが、この政策のところに一言もないというのは、非常に離れ過ぎているのではないか、こういう感じです。
〔 部会長 〕 Q委員、お1人だけ発言されていませんが。
〔 Q委員 〕 1つだけ。設問の仕方、あるべき論という感じになっていますが、果たして、客観的に経済企画庁の経済審議会企画部会というところが、国民に向けて「こうあるべき」ということは、経済の領域を超えて非常に社会的な話になってくると、これが妥当かどうかということに関して、多少の抵抗を感じるわけです。
例えば、どうなるべきか、というふうに問いかけた方がいいのではないかという気がして、ずっと聞いていたのです。
あといろいろコメントがありますが、時間がない関係で以上にさせていただきます。
〔 部会長 〕 ありがとうございました。これは実は、企画部会自身の位置づけということに絡むことで、今のQ委員のご質問にも絡むのですが、今、ご存じのように、企画部会として大きな姿を描きながら、しかも、なおかつ各部会の情報も入れながら、今日ご覧いただいたものは、全く各部会の検討が入っていないわけでありませんが、大きな段取りとしては、「あるべき」というべきか、「ありたい」というべきか、そこはいろいろ問題がありますが、大体10年後こうなりたいと。あまり荒唐無稽なことではなくて、ある程度皆さんのご意見が固まってきたところで、これは最初のときに大臣から皆さんにお話があったように、外部というか、ほかの方にも、こういうことについて少し意見を広く求めようではないかというプロセスが1つあります。ですから、これは原案の骨格が大体できてきたところで、これが広い層でどういうふうに受け取られるか。この辺はちょっと当たってみないとわからないところがあります。なおかつ、I委員のお話もあったけれども、そこへどうやって行くのか。これも部会で議論されていることを最終的に、合理的に意味あるようにやっていかなければいけないのですが。
今度、大臣もご出席だと思いますが、各部会の部会長、部会長代理が集まって、その辺のある意味のすり合わせというのか、基本的な方向を再確認する場が、もう一つあることになっております。これから時間的には大分詰まってきていますけれども、プロセスとしては、いろいろ今日ここでご意見いただいたことも含めて、多分、似たようなご意見も各部会で出ているのではないかと思います。
今日も非常に参考になるご意見をたくさんいただきました。多分、いろいろご意見いただいたことについて、大臣、あるいは事務局からまだお話もあるのではないかと思いますが、時間が過ぎていますので、皆さんに十分に時間を割けないで恐縮でございますけれども、興奮覚めやらぬうちに、今のうちに言っておかないといけないということは、ぜひメモでも、何でもいただいて、あと、基本理念委員会などで、ぜひばらばらにならないように。しかも、それは「べき論」で押し付けるものではなくて、多くの人たちがこうありたいと思うような姿を、少なくとも書きたいというのが、今やっていることなので、「あるべき」というところにあまり注目をなさらないで。誰かが押し付けている、そういう話ではありませんので、ひとつよろしくお願いいたします。
それでは、事務局からスケジュールをお願いします。
〔 事務局 〕 次回は、4月1日木曜日の午後3時から5時まで、場所は 404号室でございます。よろしくお願いいたします。
〔 部会長 〕 基本理念委員会が3月29日にありまして、その後、1日に企画部会をいたしますので、ひとつよろしくお願いいたします。多分、基本理念委員会を経て、1日のときには、今日いろいろいただいたご意見等についても、全部とは言いませんけれども、かなりそれなりの方向が出ることを請うご期待で、次回ひとつよろしくお願いいたします。
それでは、第8回の企画部会の審議はこれで終了したいと思います。長時間どうもありがとうございました。
──以上──