経済審議会国民生活文化部会(第3回)

議事録

時:平成11年3月19日

所:共用特別第二会議室(407号室)

経済企画庁


経済審議会国民生活文化部会(第3回)議事次第

日時 平成11年3月19日(金) 10:00~12:00

場所 共用特別第二会議室(407号室)

  1. 開会
  2. 年金制度と雇用システムについて
    ・清家部会長意見発表
    ・井堀委員意見発表
  3. 閉会

(配付資料)

  1. 資料   経済審議会 国民生活文化部会 委員名簿
  2. 清家部会長意見発表資料
  3. 井堀委員意見発表資料
  4. 参考資料1 年金制度と雇用システムに関する参考資料
  5. 参考資料2 我が国の国家像についての意見集計(各部会での意見及びペーパーで事務局に提出された意見)

経済審議会国民生活文化部会委員名簿

 部 会 長 清家   篤    慶応義塾大学商学部教授
 部会長代理 大田  弘子    埼玉大学大学院政策科学研究所助教授
       井堀  利宏    東京大学大学院経済学研究科教授
       川勝  平太    国際日本文化研究センター教授
       黒木  武弘    社会福祉・医療事業団理事長
       鈴木  勝利    日本労働組合総連合会副会長
       ピーター・タスカ    ドレスナー・クライン・オートベンソン
       永井  多惠子    世田谷文化生活情報センター館長
                  日本放送協会解説委員
       西垣   通    東京大学社会科学研究所教授
       浜田  輝男    エアドゥー北海道国際航空咜代表取締役副社長
       原   早苗    消費科学連合会事務局次長
       福武  總一郎    (株)ベネッセコーポレーション代表取締役社長
       森   綾子    宝塚NPOセンター事務局長
       湯浅  利夫    自治総合センター理事長


〔部会長〕ただいまから、第3回の国民生活文化部会を開催させていただきます。

本日は、ご多用中のところをご出席いただきまして、誠にありがとうございます。

それでは、本日の議題に入らせていただきます。

本日は、「年金制度と雇用システム」についてご議論いただきたいと思います。本日の議題につきましては、私とA委員から意見発表を行うこととしております。A委員が所用のため11時頃に来られる予定ですので、最初に私の方から意見発表をさせていただいたところでそれについて議論を進め、その後、A委員から意見発表をいただいてその上で再び議論を進めていきたいと思います。

なお、私の意見発表及びそれについて議論を行う間は、部会長代理に議事進行をお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。

〔部会長代理〕それでは、代わって議事を進行させていただきます。

最初に、B委員の方から、高齢者を中心に年金と雇用の相互関係をどう考えるかという点について意見発表をお願いいたします。ご発表は大体25分程度をメドにお願いいたします。

〔B委員〕早速、始めさせていただきます。

こういうものを引き受けるときには、座長というのは必ず全部出席しなければいけないかわりに、意見発表はいたさないわけですが、諸般の事情で私も発表させていただくということですので、よろしくお願いいたします。

それでは、皆様のお手元にお配りしたレジュメをもとに少しお話をさせていただきます。

私は、今回は「年金と雇用をめぐる論点整理」で、次回にまた高齢者雇用についてお話をさせていただきますが、今回の話も実際にはミクロの雇用の話と若干絡みますけれども、主にマクロレベルでの話を中心にさせていただきたいと思います。

皆様方のお手元に、私がちょうど1年ぐらい前に書いた『生涯現役社会の条件』(中公新書)を配らせていただいています。今日のお話の内容も大体それに沿っておりまして、ここに出てくる資料もすべてそれに則っております。

去年の暮れに出ました国民生活白書でも、このタイトルを大分宣伝していただいたような感じで、そこにも大分ここでのアイデアが取り上げていただいていますが、皆様方はもう既にご存じの情報もずいぶんあるかと思いますけれども、少し論点を整理させていただきたいと思います。

まず最初、3ページ目のところの図2ー1ですが、これはよく出てくる日本の65歳以上の人口の比率の動きを見たものでございます。ここから言えることは2つございます。2020年ぐらいのところを見ていただくとはっきりわかりますけれども、現在既に、日本の高齢者比率は先進国の中でもいちばん高い部類になっていますけれども、西暦2020年には27%ぐらいになるのではないか。ほかの先進国が20%前後ということですから、日本の高齢化の行き着く先のレベルがいかに高いものであるかということが、おわかりいただけるかと思います。つまり、日本の高齢化は世界の中でダントツに高いものになるというのが、第1点です。

もう一つこの図からわかるのは、日本の高齢化の時系列的な動きが非常に急カーブである。これはすなわち、スピードが非常に速いということです。ヨーロッパ諸国は高齢者比率が、7%~14%の間が高齢化社会、エージングソサエティというわけですけれども、このエージングソサエティを卒業するのに大体、半世紀から、フランスなどは1世紀ぐらいかかっているわけです。日本は、この高齢者比率が7%になったことが確認されたのが1970年の国勢調査で、これが14%を超えたのが1995年の国勢調査ですから、ほかの国が半世紀ないしは1世紀かけて卒業した高齢化社会の時代を、たった四半世紀で卒業した。しかも、これからスピードが速くなってくる。

ここで押さえておいていただきたいのは、高齢化のレベルが世界一になるということと、そのスピードがものすごく速い。それだけ、経済社会の変化も速やかに行わなければいけないということだろうと思います。

制度の変化というのは時間がかかりますから、2020年ぐらいのこのものすごい高齢化という長期的視点に立って、制度の変革はすぐに始めないといけないという、この長期的視点と、即応性と、この2つが求められるということです。

2つ目は、若年人口が激減してくるということで、図2ー2を見ていただきたいと思います。現在、20代の人口が約1,900万人ぐらい日本にいますが、それを見ていただくとわかりますように、西暦2015年、今からほぼ15年後、1,248万人まで減ります。今の2/3以下に20代の人口は減るということです。これは、人口予測ではありません。15年後の20歳~29歳の人口は既に生まれている人たちの人口がそこに推移するわけですから、その人たちの死亡率が変化しない限り、確実にこういうことが起きる、若年人口が今の2/3以下に減るということです。

ちなみに、これはどのくらいの減り方かということのイメージを皆さんに持っていただくために申し上げたいのは、日本で20代の人口がものすごく増えた時期があります。それは昭和40年代、西暦で1965年~1974年までの10年間です。その10年間に、20歳~29歳までの20代の人口は約250万人増えました。

私も、中学生ぐらいでしたから、そんなにはっきりと認識していたわけではありませんが、昭和40年代はどういうことが起きたかというと、若年人口が250万人増えたことによって、高度成長期でしたから、企業は若い人をたくさん雇い、ものすごい活力を得たわけです。あるいは、社会的には、これは日本だけではありませんけれども、学生紛争というような、大学で若い人たちが大暴れして、ものすごいエネルギーが出てきた。若い人が250万人増えただけで、そのぐらいのエネルギーが出てきたわけです。

これを見ていただくとわかるのですが、例えば、21世紀の最初の10年間、すなわち、西暦2001年から2010年までの間に、20代の人口は450万人減ります。つまり、昭和40年代に増えたときのオーダーの倍ぐらいのマグニチュードで今度はマイナスの方向に、若い人が減るわけですから、どんなインパクトが起きるか。もちろん、大学などが相当つぶれるとかいうことは、容易に想像がつくわけですけれども、大学紛争と同じぐらいのインパクトが、しかも、逆の方向に働くと考えなければいけないということだろうと思います。

こういう人口構造の変化に対応して最近よく出てくるのは、それでは、人口の高齢化自体を何とか止めたらどうだ。子供をもっと生むようにして、少子化対策を行うことで、こういった問題が起きないようにしたらどうかという議論があるわけですが、これは結論を先に言うと、あまり意味のある議論ではないわけです。

もちろん、私も、子供を生み育てたい人が、もう少し子供を生んだり、育てたりできるような環境を整備する。例えば、子育て支援とか、企業の育児休暇制度とか、そういうのを整備する必要はあると思いますが、まず第1に、現在の人口問題研究所が予測しているオプティミスティックな出生率の回復でさえ、出生率は1.8まで回復するというのがいちばん楽観的な高位推計です。

先ほどから言っている人口推計というのは、すべて平成9年の人口推計の中位推計を使っています。中位推計は、出生率が将来1.6ぐらいまで回復する。ご承知のとおり、今これは1.39ですから、これでさえ、かなりオプティミスティックではないのかという議論があるぐらいですので、私は、少子化対策で問題を解決するというのは非常に難しいだろうと思います。

というよりは、そもそも、今すぐ出生率が2.0まで回復したとしても、例えば、年金財政にそれが寄与するようになるのは、21世紀の半ば以降です。これは日本大学の麻生助教授が、去年の日本経済学会で非常に精密な計算をしていますけれども、出生率が2.0まで回復するということもあり得ませんけれども、仮にそうなったとしても、それが年金財政等に寄与するのは2030年とか、そのぐらいのところからなので、少子化対策で問題を乗り切ろうというのは、あまり意味のある考え方ではないと思います。

少子化対策について、これは私の経済学者としてのコメントというよりは、もうちょっと別の視点かもしれませんけれども、大体、少子化対策を何とかしなければいけないと強く言う人は、年金の保険料を凍結しろとか、後世代に負担を先送りするという主張をする人と一致していることが多いわけで、その負担を後に送るという政策をとりながら、その受皿の子供をもっとつくろうというのは、確かに、その意味ではコンシステントですけれども、今、意思決定に参加していない、今から生まれてくる子供に責任をみんな押し付けるというのは、ちょっと倫理的な問題があるのではないかという気もします。

したがって、少子化対策というのは、何度も言いますけれども、子供を生み育てたい人がもう少し生めるような環境をつくるのはいいですけれども、高齢化問題の解決策としてとるのは、非常に無責任なことだろうと思います。

人口の高齢化というのは、改めて言うまでもないことですけれども、長寿化と少子化によってもたらされているわけで、長寿化も、少子化もいずれも経済成長の結果として出てくるわけです。人々が長生きするようになる、あるいは子供の数が減るというのは、今まで繰り返し1人当たりの所得が増加するたびに、あらゆる社会で観察されていることですから、高齢化自体を困った問題だと言ってもそれはしょうがないわけです。もし、高齢化自体を困った問題だというのであれば、50年前の日本に戻さなければいけない。しかし、これもナンセンスな話です。基本的には、人口構造の変化というのは変えられないのだ、あるいは、もっと積極的に経済成長の結果なのだというふうに、前向きにとらえることが大切だろうと思います。

むしろ、問題は、人口の高齢化そのものが問題なのではなく、高齢化すると困るような仕組みが問題なのだということです。例えば、その典型が公的年金制度。特に現在の、いわゆる賦課方式の年金制度は、基本的には若い人たちの現在の保険料で今の高齢者の年金を賄う、いわゆるペイ・アズ・ユー・ゴー・システム、ある面では今の収入で今の支出を賄うというシステムです。

もちろん、日本の厚生年金制度は、完全なペイ・アズ・ユー・ゴー・システムではなくて、若干の積立金を持っていますから、正確には修正賦課方式、あるいは修正積み立て方式と言った方がいいかもしれませんが、実体は、限りなく賦課方式に近いわけで、実際、厚生省自身も、将来、何人で何人を負担する形になるとかいうような説明をしているわけですから、現在の仕組みは賦課方式になっています。

いつごろから年金制度が賦課方式の性格が強くなったかといいますと、図3ー6を見ると非常にはっきりわかります。ご承知のとおり日本の厚生年金制度は最初は、理念としては積立て方式、いわゆるフリーファンデッドシステムで始まった。つまり、自分たちが積み立てたお金の運用の元利合計で老後の年金を賄うという形で始まったわけですが、そのシステムですと、制度の発足当初は多くの人が年金をもらえない。何十年か積み立てなければ年金がもらえない。それでは、ちょっとかわいそうではないかということもあり、しかも、昭和40年代は、先ほど言いましたように若い人がどんどん増えてきましたから、若い人の払っている保険料をそのときの高齢者の年金のために使っても、財政的には――実はこれは長期的には問題があったわけですけれども――、そのときでみればそんなに問題は起きなかった。ということで、1973年のところで1人当たり厚生年金の受給額、これは95年価格の実質額ですが、ものすごくジャンプしているのがわかります。1995年プライスで、1973年前後で4万円だった年金が8万円以上に、2倍になっているわけです。これは当時の田中内閣の下で、福祉制度の抜本的な充実を行うという一環で厚生年金制度の大改革が行われて、このときから事実上、日本の年金は賦課方式。つまり、十分に保険料を納めていない人にも高い給付を行う。その給付の原資は、そのときの数が増えつつあった若い人たちの保険料を使うという形に変わってきたわけです。

しかし、これはそのときはよかったわけですけれども、先ほど言いましたように、若年人口が激減して、高齢者が増えるという時代になると、こういうシステム自体はもたなくなってくるわけです。

ご承知のとおり、例えば、厚生年金の保険料というのは、5年ごとの人口推計の見直しのたびに改定されるわけですが、最近の人口推計は大体、前回の予測よりも常に下方に出生率が修正されて、高齢化が高まるということを繰り返していましたので、人口推計が変更されるたびに、厚生年金の保険料率が上がる、あるいは給付水準が切り下げられるということで、年金制度についての不信感というものも強まってきてしまった。それも基本的には、若い世代の保険料で高齢者の年金を支えるという賦課方式の仕組みをとる限り避けられないところなわけです。

したがって、最近いくつかの提言が出されていますけれども、少なくとも、基礎年金の部分はともかく、厚生年金においても、報酬比例部分等においては、積立て方式の性格を持つような形に戻していくことが必要ではないかという議論が出てきているのは、その意味では当然なわけです。

もう一つは、次回の話ですのであまり詳しくは申しませんけれども、例えば、いわゆるピラミッド型の組織構造です。特に大企業とか役所などでとられている、若手の担当者の人がたくさんいて、その上にミドルマネージメントの人が乗っていて、いちばん上に上級の経営層が乗っている。こういう仕組みが維持できるための条件は、2つあるわけです。1つは、人口構造がピラミッド型で、図2ー6のように、若い人がたくさんいて、若い人をいくらでも安く、たくさん雇える。もう一つの条件は、企業組織自体が成長していく。経済の成長に伴って、企業自体が成長していく。そうしますと、10年前、20年前に雇った大量の若手の人は、10年後、20年後には組織が大きくなっていますので、そのまま上の中間管理職層のところにはまり込むことができるという仕組みです。しかし、今、人口構造がその図で言えば(イ)のような形でだんだん台形型に変わってきている。しかも、組織自体が膨張し得なくなってきている。そうすると、そこで斜線とかハッチを入れたような部分のところが、つまり10年前、20年前に雇った大量の若者が全部中堅の管理職層になれるわけではないですから、そういうシステムをとっていると、必ずそこで窓際族のような人が出てきたり、辞めてもらわないともたない。典型的には官庁の、特にキャリア層の人事システムというのはこういうのに近いわけですが、こういう仕組みになっているわけです。

しかし、これはもうだんだんもたなくなってきている。大企業においても、こういう人たちを外に今までは排出していたわけですが、組織が大きくならなくなった。組織が大きくならなくなると、関連企業、あるいは子会社に出すということをやりだしていたわけですが、例えば、来年から新しい会計基準ができると、子会社に人事コストを移しても、企業の会計上バランスシートがそれによって改善されることはありませんので、こういうシステムはもたなくなってくる。いずれ人口構造は、いちばん右のビヤ樽の形になってくるわけですから、むしろ、企業の仕組みもそれぞれの専門分野で最後まで担当者として仕事をしてもらう形に変わってくるということだろうと思います。

数日前に公務員制度調査会の答申も出されましたけれども、公務員も、年金が65歳になって、65歳まで働いてもらわないといけない。一方で、天下りはいけないということになれば、65歳までの定年ということになりますが、その場合には、今のような管理職にするということを動機づけたり、処遇の中心とした人事システムは、相当抜本的に見直していかなければならないことになると思います。

この話は、次回に詳しくいたしますので、年金と雇用の話に集中していきたいと思います。

今言いましたような、高齢化に伴う、例えば年金財政の問題というものを解決するシナリオは、大きく分けると3つぐらいあります。1つは、負担をどんどん増やしていく。すなわち、働いている世代の保険料とか税金を増やしていく。5ページの図3ー1に、働く世代は、現在のところ20代から50代まで、労働力率が100%に男性においては近い世代です。女性の場合には、ご承知のとおりM字カーブを描くわけです。この20代から50代ぐらいのところの負担をうんと重くしていく、社会保険料とか税金を高くしていくという考え方。これはある程度やらなければいけないわけですが、しかし、これをあまりやり過ぎますと、現役の人の生活水準が下がってしまう。それから、社会保険料の半分は、例えば雇い主の負担ですから、人を雇った途端に、賃金を払うのはいいとしても、何だかわからない“○○保険”というのが何割もついてくるのでは、企業としては、そんな国で人を雇うのはやめよう。もっと労働コストの安いところで人を雇いましょう、ということになりかねませんので、雇用の空洞化という問題を引き起しかねないわけです。

2つ目のシナリオは、給付水準を下げる。それも、確かにある程度はやらなければいけないと思いますが、しかし一方で、例えば、今回の年金の改正では、いわゆる賃金スライドの部分がなくなるではないかと考えられているわけです。それも1つの考え方かもしれませんが、賃金スライドをなくすということは、現役の労働者の生活水準は向上しても、年金生活者の生活水準は向上しませんという意味ですから、ある面から言うと、そのようなことは、経済が成長していく中で、現役は生活水準が上がっても、例えば、引退した人というのも、引退生活が20年ぐらいあるわけですから、20年間生活水準が向上しないということが、納得されるだろうかという問題があります。

それから、これから人口が増えてくる高齢層の購買力を余り低下させることは、内需中心の経済成長を図らなければいけないという視点からも制約になるので、給付もあまり切り下げるというわけにいかない。そこで出てくるのが、生涯現役社会といいますか、できるだけ長い間、社会を支える側にいてもらうような仕組みをつくりましょう。年を取っても、働く意思と能力のある人に、できるだけ長く社会を支える側にいてもらう形の仕組みを作っていこう。負担の裾野を広げるという考え方です。

そういうシナリオを実現するための前提条件がいくつかあるわけですが、1つは、そもそもそのように高齢者が働いてくれるかどうかということです。その点については、日本はほかの先進国と比べて非常に大きなメリットがあるわけで、図3ー2に見られるように、例えば、労働力率で測った就業意欲――労働力率というのは当該人口に占める労働力人口の比率です。労働力人口というのは就業者と失業者の合計ですから、定義的に言って、それは働く意思をもっている人たちの人口と定義されているわけですが、日本の例えば60代の前半の男性をみると、労働力率が75%ぐらいあります。アメリカ、イギリス、アングロサクソンの国は比較的高くて50%ぐらい。ヨーロッパ大陸に行きますと、ぐっと下がりまして、ドイツが30%ぐらい、フランスが15%ぐらい。アジアの先進国で見ましても、お隣の韓国が6割ぐらい、シンガポールが5割ぐらい。日本の高齢者の就労意欲は高いわけです。

次の図3ー4を見ていただきたいのですが、今、60歳代前半の男性の労働力率の変化を国際比較したものです。1970年頃は、ほかの先進国も日本とそんなに大きな差があったわけではありません。ところが、70年代から90年代にかけての過去四半世紀の間に、大きな差がついたということです。この1つの要因は、皆さんはご承知かと思いますが、特にヨーロッパ諸国においては、若い人たちの失業問題というのが非常に深刻になってきましたので、若年失業の解決策として、高齢者の引退を、むしろ政策的に促した。つまり、高齢者に早く引退してもらって、ワークシェアリングという形で、若い人たちの雇用機会を増やすという政策をとったわけですが、それが行き過ぎまして、今、ヨーロッパ諸国も慌てて、若年失業よりも年金財政の方が大変なので、高齢者の就業を促進しようとしているわけですが、一度そういうようなトレンドになったものは、もうなかなか戻らないということです。

ちなみに、日本においても少し細かく見ますと、図3ー3にありますように、60代の前半の男性の労働力率は今、75%ぐらいあると言いましたけれども、長期的にみますと、右肩下がりの関係になっています。バブル経済期のときに、若干反転上昇しましたけれども、長い目で見ると、右肩下がりの状況が続いているだろうということです。

できるだけ右肩下がりを、どこかで着地させて、もう少し年を取った人たちにも働いてもらえるような状況をつくっていく必要があるわけです。

それで、具体的なミクロのお話は来週するとしまして、高齢者の就労意欲と年金の間にどんな関係があるかということですが、次のページの表4ー1を見ていただきたいと思います。これは、高齢者の働くか・働かないかの確率がどのような変数によって影響されているかということを示した図です。その数字については細かく申し上げませんけれども、そこに「就業確率関数の計測結果」が出ていまして、そこに数字が並んでいます。そこでマイナスが付いた数字は、その左側にあります「説明変数」が就業の確率を減らすファクターと読んでいただきたいと思います。例えば、経験に問題があるという人は、問題がないという人に比べて他の条件が一定の下で、33%ぐらい就業の確率が低下する。あるいは、定年を経験した人は、定年を経験していない人に比べて18%ぐらい就業の確率が低下するということです。

見ていただくとわかりますように、下から3つ目に、「厚生年金の受給資格あり」という説明変数がありますが、それが-0.15ぐらいということは、厚生年金の受給資格がある人は、ない人に比べて15%ぐらい就業の確率が低下する。これは、年金をもらえるようになると引退することが可能になるということの裏返しなわけです。

それはある面で言うと、引退が可能になってきたというプラスの面もあるわけですが、一方では、現在の年金制度、少しずつ改善はされてきていますが、いわゆる年金の給付に対して収入制限が設けられています。つまり、働いて給料をもらいますと、年金をもらえる年齢になっていても、年金額が減らされてしまう。場合によっては全くもらえなくなってしまう。

実は、昨年の年金審議会の答申の中で、今回の厚生省の案の中にもあるのかもしれませんが、こういう収入に応じて年金を減らすというのは、現在、60代の前半までですが、60代の後半にもこれを拡張しようというアイデアが盛り込まれています。恐らく、そのアイデアの背景にあるのは、そんなに働いて収入がある人に年金はいらないのではないか、という考え方だろうと思いますが、これは経済学的にみれば、働くことに対する罰金を課しているのと同じことになるわけです。つまり、働いたら年金をそれだけ減らしますよというのは、働いていることに対するペナルティを科していることになりますので、当然、それは就業行動に影響を与えます。

図4ー5は、しばらく前のシステムを前提にした仕組みですが、しばらく前までは、9万5,000円を月給が超えますと、年金が大幅に減額されてしまうという仕組みになっていまして、見ていただくとわかるのですが、厚生年金の受給資格のある人が働く場合には、収入を9万5,000円ぐらいに抑えることがはっきりと見て取れるわけです。これは、そういう制度があれば当然、個人の合理的な行動として、それ以上働いてもいいことはないわけですから、働くのをやめる。

こういった意味での、これから、できるだけみんなに働いてもらった方がいいというときに、年金制度が収入を抑制するような仕組みになっているのは、やはり、問題があって、しかも、それを65歳以上まで拡大するというのは更に問題があると私は考えているわけです。

むしろ、年金というのは、受給資格のある人にはきちっと給付して、そして、その人たちに別途高い勤労収入があれば、それを合算して所得税で再分配を図るという方が、より就業に対する影響という観点から言えば望ましいやり方だということになります。

もう一つのポイントは、現在の報酬比例型の年金というのは、より能力の高い人の引退を促進している可能性があるということです。次のページの表5ー1に、公的年金がいくらもらえるかというのは、これも説明変数、どのような要因によって決まるかということですが、時間がありませんので、この表については説明いたしませんけれども、結論だけを言いますと、働く際の能力の高い人ほど、年金の受給額も高くなる。これは常識的に考えても当たり前で、報酬比例部分があるということは、過去の報酬が高かった人ほど年金の額が多くなる。過去の報酬が高かった人というのは、一般的に言えば、持っている能力が高いということですから、そういう形になっている。

その下の図5ー5を見ていただくと、それが非常にクリアにわかるわけです。これは、私どもが経済企画庁の経済研究所で仕事をしていましたときに、やらせていただいた仕事の成果の一部ですけれども、点線は、公的年金を受給しないで働き続けている高齢者のもらっている賃金の分布です。実線は、公的年金を受給して引退してしまっている高齢者が、もし働いたら得られるであろう賃金率の分布です。見ていただくとわかりますように、年金を受給しないで働き続けている人よりも、年金をもらって引退してしまった人の賃金の方が右側に寄っている。ということは、より高い賃金分布になっているということです。これは、統計的に2つの分布の間に差があるかどうかという検定をしてみますと、非常にはっきりと、この分布は違うということが確認されるわけです。

仮に、この賃金というのは、その人の持っている人的資本、能力の反映であるとしますと、厚生年金の制度によって、わざわざ能力の高い人が引退してしまっているということを示すものになるわけです。

そこで、年金と雇用という関係だけに限っていいますと、公的年金制度というのは、できるだけこれから“生涯現役社会”ということを考えた場合には、高齢者の就業を妨げない形に変革していく必要があるということだろうと思います。

ポイントは3つぐらいあると思います。最後に、この3つのポイントを申し上げたいと思います。

まず第1点は、引退時期の決定から自由な公的年金制度にする必要がある。いわゆる完全積立て方式の年金になれば、いつから年金給付をするということは、事実上問題でなくなるわけです。つまり、自分の積み立てた年金をいつからもらうかというのは、早くもらい始めればそれだけ減額された年金を生涯もらうことになりますし、後からもらうということになれば、年金数理的に増額された年金がもらえることになりますから、できるだけ年金の中に積立て方式の部分を入れていけば、例えば、報酬比例部分を完全積立て方式にすれば、報酬比例部分については、それをいつからもらうかというのは全く個人の選択に委ねていいような種類の話になってくる。つまり、引退時期ということと、年金をいつからもらうかという、逆に言うと、年金が何歳からもらえるかということに依存して引退時期を決めなくてもいいということになってくると思います。

第2点は、今言いましたように、わざわざ働くということに罰金を科すような仕組みというのは改めていく必要がある。そういう面で、就労を妨げない公的年金制度にしていく。

最後のページに図4ー9がありますが、これはそういった指摘を受けて、1994年の厚生年金の改正では、年金の収入制限の方法が若干変わったことを示すものです。その内容については、皆様方にお配りした『生涯現役社会の条件』という本を時間がありませんので、見ていただければいいと思いますが、しかし、それでもまだ現在の年金制度は、収入が35万円ぐらいになると全く年金がもらえなくなってしまう、あるいは20万円~35万円ぐらいの間では収入が1円あるごとに年金は50銭減らされる、つまり、50%の税率で所得に税が課せられるという形の収入制限の方法がまだとられているわけで、このような点は少し見直していく必要があるのではないかと思います。

第3点は、個人の能力からできるだけ独立的な公的年金制度にする。そういう面では、

強制加入の部分にあまり報酬比例的なものを持たせない方がいいだろうということです。

ちょっと時間をオーバーしましたけれども、また後のディスカッションで補足的にお話しさせていただきたいと思います。

〔部会長代理〕ありがとうございました。

それでは、今の部会長からのご発表内容を踏まえまして、高齢者を中心に年金と雇用の相互関係についてどう考えるかにつきまして、自由にご議論いただきたいと思います。どなたからでも、どうぞ。

〔C委員〕この3つのシナリオ、負担の増加、給付の削減、働く人の長期化。それと全く別で、年金資産の運用の効率化で、例えば、企業年金の場合はリターンが1%アップすると、その給付に対する影響は大体25%~30%です。ですから、今のフリーファンデッドの年金システムをより効率化すれば、そのリターンを上げて、もうちょっとその問題に直接影響があるのではないかと思っています。

〔B委員〕それは、全くおっしゃるとおりです。

ですから、この議論の前提は、ファンドの運用が限りなくエフィシェントになっていくということを大前提にして、こういうシナリオを考えるべきだと思います。

その際に大切なのは、おっしゃるように、例えば、年金の報酬比例部分を今のペイ・アズ・ユー・ゴー・システムからフリー・ファンデッドにした場合には、そのファンドがものすごく大きくなりますから、今、C委員が言われた、ファンドの運用能力の問題が深刻になってくるわけです。ですから、そういう面から言うと、私も、若干留保条件があるのは、今の例えば年金を運用している人たちが、ファンドが増えたときに、それをちゃんと効率的に運用してくれるのでなければ、私が今言ったような提案というのは、ちょっと危険な面もあることは確かだと思います。

〔C委員〕その点について追加ですけれども、アメリカで、年金ではなくて、ソーシャル・セキュリティ・ファンド全体……。

〔B委員〕公的年金。

〔C委員〕そうですね。その運用について議論がありますけれども、クリントン大統領が、最近、株式に投資しましょう、と。これは今の担当者が直接にやるという前提です。グリーンスパン議長がそれを反対して……。いろいろな学者の分析で、公的な運用と民間の運用のパーフォーマンスのギャップは結構あります。数パーセントのパーフォーマンスのギャップがあります。ですから、競争のある公的年金、あるいは社会基金の数パーセントの運用利回りのギャップは非常に中長期的に大きな影響があると思っています。

もっとトランスペアレントで、オープンで、競争の機能が働く運用のシステムはいかがでしょうか。

〔B委員〕それは、私よりC委員の方がよく存じだと思いますけれども、これは多分、D委員も私と違う意見をお持ちだろうから伺いたいのですが、私は、ある程度公的な年金というのは必要だと思うのです。すなわち、すべて年金をプライベートなものにしてしまうと、年金については、これは経済学者がよく使う議論ですけれども、いわゆるアドバース・セレクションという、逆選択の問題がありますから、ある程度強制加入にしないといけない。

それから、多少パターナリスティックなところもあると思いますけれども、年金のようなものというのは、59歳になったときに、「自分も入っておけばよかった」というふうに思ってもそうはいかないので、やはり、若いときから、多少強制力をもってみんなが入って老後に備えておいてくださいということも必要だと思います。なぜかというと、それに入らない人がいると、みんなの税金でその人の生活を賄わなければいけない。

ただし、そのときに、年金に入るのは強制だけれども――日本の自動車保険は、損害保険強制的に入るけれども、どれに入るかは個人が選択できます――、強制加入だけれども、私的な年金に自分が一番いいと思うところに入ってください、という形で競争をさせるというシステムはありうるのではないかと思います。

〔部会長代理〕ほかの方、いかがでしょうか。

〔E委員〕対策のうち、部会長のご意見は、高額所得者に対する制限は、むしろ就業機会を損なうというご意見ですが、現実にそれを高齢者雇用という経営のコストからみたときには、率直に申し上げて、現状以上の雇用を増やす際にどれだけ労働条件のコスト負担をしていいかという側面からみると、年金併用型で多少賃金を安く再雇用しているというのが現状です。それを経済学的に「ペナルティ」という一言で片づけていいものかどうかというのが、ちょっと私自身も納得しきれない部分があります。

就業機会に恵まれて賃金収入が高い人であれば、公的年金の部分については制限があってもいいのではないか、というふうに私は思うのですけれども、その辺が1つ気になるところです。

もう一つは、今、アメリカ型の401Kというのが盛んに言われていますけれども、個人の責任に帰す部分と、公的なところで強制する部分の区分けを明確にしないと、日本の場合には私的の資金運用はちょっと苦手な国民性ではないだろうか。そういう部分がありますから、先ほど言ったように、国が指定したいくかの年金制度で選択をするというのはいいと思うのですけれども、全く個人に委ねて、ハイリスク・ハイリターンで、その責任は個人ですよというような、今のアメリカ型401Kみたいな制度は、日本にはなじまないのではないかと思っていますから、その点についてお聞かせいただきたいと思います。

〔B委員〕2点ご質問があったかと思います。両方とも、なかなかもっともなご意見だと思います。

まず、年金の給付に伴う収入制限がペナルティになっていると言ったのは、働く方に対しては、理論的に言えばペナルティになるわけです。つまり、税金を課すのと同じことですから、なっている。実際に、就労を抑えるという行動も見られている。しかし、おっしゃるように、経営者に対しては、これはある面で言うと補助金になるわけです。高齢者に、「あなた、これ以上働くと年金が減らされてしまうから、10万円ぐらいで働いた方がいいのじゃないですか」と。そうすると、トータルでは企業は年金と賃金を合わせた報酬を払ったことになるわけです、労働者を引きつけるために。そういう問題はあると思います。ですから、その面で、こういった制度が企業に安い賃金で労働者を引きつけることを可能にして、それが高齢者の雇用を当面促進しているという面は、おっしゃるとおりと思います。恐らく、経営者も――経営者の中には「これは邪魔だ」と言う人もいますけれども――、これをやめられると、「20万円出さなければいけないのだったら、もう雇いたくない」という人もいるわけですから、両面あると思います。

ただ、私は、こういう形で雇い主にいつまでも、当面はいいとしても、補助金を与え続けていますと、高齢者の仕事というのは、例えば、60歳になって53歳と能力は全然変わらなくても、「賃金は安くていいんだ」と。つまり、能力に応じた賃金は高齢者に対しては払わなくていいんだ、ということが制度化されてしまう。それは労働市場の機能を歪めることになるのではないかという心配を持っています。

401Kについては、私もE委員がおっしゃったことにかなり同感で、401Kのような形で、私は、個人年金勘定を作っていくというのはいいことだと思うのです、企業間を移動しても年金権が担保されるという意味で。ただ、最近の401Kをめぐる議論は、若干、本来の趣旨と離れて、一番極端な話は株価対策とか、そういうようなことから議論されたり、あるいは、どちらかというと401Kのサービスを提供する側のビジネスの都合の話で議論されていて、肝心の労働者の受給権をどのように確保するか、あるいは今おっしゃったように、本来はきちっと労働者に対して運用についての教育をしたり、情報を開示したりするというルールが決められないと困るわけですが、その辺の議論があまり十分にはなされないわけです。もう一つは、401Kというのは、小さな企業などで導入しやすいので、年金ファンドの数から言うと、確かにアメリカで401Kを含む確定拠出型の方が増えていることは間違いないですが、労働者のカバレッジから言えば、まだまだ確定給付型の方が多いです。それから大体、全部を確定拠出型にしているというのはあまりないので、多くの場合は確定給付型と拠出型のミックスですから、その辺についてもきちっと整理する必要があると思います。アメリカの場合には、ご承知のとおり、エリサ法のような、企業年金の受給権についてきちんと担保したような法律もあるわけです。

私は、401Kは、従業員に対する情報の開示、あるいは運用についての教育、あるいは年金権のはっきりした担保みたいなものをちゃんと法律で定めた、企業年金法みたいなものを整備するなかでやっていくべきであって、いきなり401Kだけとか、あるいは確定拠出型の企業年金だけをつまみ食いするような形の導入というのは望ましくないのではないかと思っています。

〔F委員〕私、専門家でないのでわかりませんけれども、お考えはよくわかったように思います。最初に申し上げたように、高齢化の問題において、特に年金の問題も含めて、公の責任と個人の責任の大原則みたいなものはあった中で、それを現在どうしていくかという、そこの方法論の問題がこれから討議されないとだめなのだろうと思うのです。

今日のお話の中では、高齢者への雇用をどうするかという問題、雇用機会をどうつくっていくかという問題が考えらないと“生涯現役社会”ということは、その受皿はどうするのだという問題は、ヨーロッパの社会と逆のように、高齢者に職場はつくったけれども、若年層がなくなるということになってはだめで、そのあたりを、こういう経済が停滞している状況の中で新産業として高齢者を受け入れる受皿として何をどうやっていくかということは、真剣に考えていかないとダメだろうと思ったのです。

もう一つは、そういった中で、雇用の問題、年金の問題だけではなくて、もう一つは、社会を高齢者にとってより豊かな基盤をどうつくるかという、非常に大きな概念の中で年金の問題と雇用の問題はあると思うのです。ということは、雇用の基盤整備という中で、先ほど申し上げたように、社会福祉事業をよりよく民間に活用するとか、より多くの多様な参入ができるようにするという問題も、多分、こういった大きな枠の中でどう位置づけるかということもちょっと考えておいた方がいいなと。そのためには、社会福祉事業法を見直さないとダメだ。社会福祉法を見直すという中でも、多分、現制度の中では1種、2種の問題。1種は、入所サービスはパブリックセクターでしかできないのだ、2種は民間が一部しか入れないのだ、そういう枠組みをとる。また、さらには、公設民営というような、PFIとは逆ですが、そういった制度を縛っているものは何だと、そこの突っ込みがまだまだ足らないと思うのです。いろいろ調べてみましたら、社会福祉事業法の173条あたりが縛りになっている。その社会福祉法173条あたりを、要するに公でつくったものは民間で使ってもいいのだというような、縛りさえ解ければ、私は相当大きな問題が解決すると思うのですけれども、なかなかそういう論議が出てきていないという問題があると思います。

また、これはまだ十分調べてないのですが、いただいた資料の中で、死亡給付型の保険というのがあります。そういったものも、リバースモゲージなどと絡めて、死亡給付のものを生前にもらえるような返還の施策みたいなものがとれるかどうか。そういったものまでも、全体を見通した上での高齢化の問題、年金問題、雇用問題というものがどこかの段階でまとめていただいたら、見やすいかなと思ったのです。というのは、今までのいろいろな論議が個々の問題が大変重要な問題なので、個々の問題だけが論議をされていて、高齢化社会におけるトータルの問題として関連づけるということはあってもいいかなと思ったのです。

〔B委員〕雇用の受皿とか雇用機会の話は、次回に少し詳しくさせていただきますので、そのときにお答えさせていただきたいと思います。

いろいろな形で民間の活力を高めていく、特に福祉の分野等でまだまだ規制の緩和が必要だろうということは、F委員のおっしゃるとおりだろうと思います。

一言だけ、公と民の役割分担ということに関して申し上げたいのは、先ほど言いましたように、私は、年金についてはある程度強制加入にしたりとかいう意味での公的な介入は必要だろうと思っています。ただし、運営は民間の企業に任せてもいいのかもしれません。

ただし、これは後半のA委員の議論のところでも出てくるかと思うのですけれども、公の最大の役割というのは所得の再分配なわけですけれども、少なくとも、年金制度については所得の再分配の仕組みというのはあまり持たせない方がいいと思うのです。所得の再分配は税でやる。

むしろ逆に言うと、先ほど言いましたように、年金に強制的に入ってもらう1つの理由は、うっかりしてか、あるいはわざと年金に入らないで、最後は再分配で面倒をみてもらうという人を出さないようにするということが、1つの目的でもあるぐらいなので、年金というのは、そういう面から言うと、公的な管理あるいは強制的に加入してもらうという意味は経済学的にあるわけですけれども、そこにあまり大きな所得再分配の機能は持たせない。そういう面では非常にシンプルな仕組みでいいと思っています。それが年金についての官民の役割分担というものではないかと思っています。

〔G委員〕“生涯現役社会”というのは、女性の問題というのが全然入ってこないように思うのです、読まないとわからないですが。女性自身は、主婦をして、103万円の壁というのがあって、103万円以上の年収があると扶養家族から離れますので、保険も掛けなければいけないということで、大体の人は103万円以内の年収で働いているという状況です。その人たちが、定年退職というか、辞めたときに、年金は夫と一緒にもらうわけですが、そこで離婚したらどうなるかという問題。また、その人たちがその後ずっと生涯現役で働いていける場所があるのかという問題もある。男性にとってすごくいい構造ですが、女性にとってはまたまた問題点が多いなぁと。よりよく生きていきにくい定年後だなという印象をもちまして、この辺は考えられているのでしょうか。

〔B委員〕その話は、来週のところになるかと思いますけれども、私は、年を取った人が働きやすい仕組み、特に企業の場において、これは女性とかの働きやすい仕組みにかなり重なっていると考えております。

つまり、従来の生涯現役ではない、若いところから定年までの終身雇用・年功賃金制度というのからはじかれていたのが60歳以上の高齢者とか女性だと考えれば、生涯現役というのは死ぬまで働くということではなくて、自分が十分に働いたと思ったときに引退する、それはもしかしたら60歳以前かもしれない、人によっては70歳かもしれない。つまり、いつ引退するとかいうことを、会社が決めた定年の年齢とか、国が決めた年金の年齢とか、そういう外から決められるのではなくて、自分自身で決められるようにしようというのが生涯現役ということの基本的なアイデアです、少なくとも私にとっては。そういう面から言いますと、今まで、若いところから中年ぐらいまでの日本人の男性を前提に作られていた日本の雇用システムがそれの最大のネックになっていたわけですから、そこを破壊していかなければいけない。それを破壊するということは、逆に言うと、女性がもっと活躍しやすくなる環境を整えるためにも非常に重要ではないかと思います。

その辺は、次回お話しさせていただきたいと思います。

〔H委員〕B委員の講義は、私にとって非常に整理されていて、おっしゃるとおりだと思います。私は、年金審議会という厚生省の場で行われているいろいろな答申が、年金という狭い枠内だけで論じられ過ぎているという感じがして、雇用の促進とか、消費とかという観点から、この経済企画庁で1つの提案を出すというのは非常にいいことではないかと思っています。

高齢者のもらう賃金の問題だけでなくて、それが年金とどういう関係をもつのかということだけでなく、これはこの次に場があるのかもしれないですけれども、高齢者の雇用形態についてもう少しプラス的に……。

例えば、今、雇うとしましても、1年ごとの非常勤の扱いで、よければもう1年延ばすよという、かなり能力のある人でもそういう環境です。そうしますと、これは中間管理職の問題なのですけれども、非常に若い人間が、こんなことを言ってはアレですが、いくらか“いじめ”の雰囲気がございます。その辺のところも、高齢者の力が本当にいるのだということになれば、今は実質的には60ぐらいのところで切れます。そこから65の間と、65から70ぐらいまであるとすれば、もうちょっと長期的なスパンの雇用ということも考えないと、あまり幸せ感がないし、働く気になれない。バカにされてまで、年金も調整して働けるか、という感じになってくると思います。その辺もどこかで話す機会があるかと思いますけれども……。

〔B委員〕それもまた次回にお話しさせていただきたいと思います。できましたら、今日差し上げました本を少し読んでいただいて、また持って来ていただけると……と思います。

H委員が言われたポイントは、非常に大切なポイントだと思います。つまり、そういう面から言っても、正規の定年年齢を引き上げていくということが1つ大切です。まさに E委員が仕事をしておられる電気連合等においても、定年の引き上げということについて議論されているかと思いますが、働く側のバーゲニングポジションを、少なくとも企業側とイーブンのところに持っていく仕掛けというのはどんなものかというのを考えていかないと、おっしゃるような問題がいつまでもあると思います。

あまり「次回を楽しみにしてください」という話ばかりで、期待を持たせてはいけないですけれども、A委員もいらしたので、そんなところでよろしいでしょうか。

〔部会長代理〕ほかにご意見がありましたら。

〔C委員〕B委員がおっしゃったとおり、これから10年間、400万人ですか、いちばん生産性の高い年齢が減るわけです。ですから、その状況をほっておけば、1人当たりGNPそのものはかなり大きな打撃を受けると思いますから、国全体の生活水準は結構維持するのが難しくなることでしょう。ですから、失った生産性の高い400万人の分をなるべく高齢者で賄わなければならないということでしょう。

そういうことで、これはちょっと厳しい見方ですけれども、経済学で罰金、インセンティブの話に必ずなると思います。ですから、どうやって今の年金生活者に仕事をさせるか、言い方はちょっと厳しいですけれども……。

前の話で、日本の年金システムは、公的部分と、私たちが言う企業年金部分が混在しています。大体、西欧では公的は、ある生活水準、自分の給料とあまり関係ないです。そして、企業年金は、自分のポジションとか給料とかに関連しています。401Kになるか、前のような確定給付型になるかという部分は、企業年金のところだけです。

私の率直な意見は、今の年金生活者が恵まれすぎだと思っていますし、特に賃金スライドであれば、全く働かないで、ほかの人の生産性のメリットを取るばかりではないかと思っています。

少なくとも、賃金スライドを物価スライドにしませんと、働く、経済に参加するインセンティブは全くないと思っています。

基本的に、公的年金の発想は、最低生活水準。そして、自分の働くポジションとか給料とかを反映するのはプライベートな年金。それは確定給付型と拠出型とどっちが効率的であるか、それは別次元の問題だと思います。そういう公的負担についての意識の変化は必要だと思っています。

ですから、前提は、ほっておけば400万人の非常に働く気のある人がいなくなって、年上の人はあまり働く必要性もない――年金生活が裕福ですから――、経済全体に対しての、ミスマッチ、ひずみがどんどん大きくなるおそれがあります。

ちょっと消極的すぎますか。

〔B委員〕私も、先ほどのお話は、今C委員がおっしゃったようなことと同じだと思います。ただし、高齢者にできるだけ働かせるとかいう言い方になると、ちょっとポリティカルには問題があるかもしれませんので、働く意思のある人の意思をあまりディスカレッジしないシステムにする、という言い方がいいかと思います。

それから、これは測ってみないとわかりませんけれども、確かに20代の人はプロダクティブかもしれませんけれども、本当に20代の人の方が60代の人よりもプロダクティブかどうかは、はっきりはわからないかもしれない。特に産業構造が変わってきますと、もうちょっとマチュアリティみたいなものが大切になってくることもありますから、あるいは技術の助けを借りたりして……。そういう面から言うと、20代の人がいなくなって、それを年を取った人が代わると直ちにプロダクティビティにマイナスの影響があるかどうかは、ちょっと分析してみる必要がまだあるかと思います。基本的には、全くC委員のおっしゃるとおりだと思います。

〔部会長代理〕もう既に公的年金の議論がずいぶん出ていますし、公的年金に関しては、B委員と私もちょっと違った意見を持っておりますので、後半また議論に参加させていただきます。

A委員が見えられましたので、次の議論に移りたいと思います。これ以降は、部会長よろしくお願いいたします。

〔部会長〕それでは、A委員の方から、老後の所得保障のために公的年金、企業年金、私的年金をどう組み合わせるかという点についての意見発表をお願いしたいと思います。ご発表の方は25分程度でお願いしたいと思います。

〔A委員〕遅れて来ましてすみません。

前半の部会長の議論に年金の話は少しは出てきたのですか。

〔部会長〕出てきました。

〔A委員〕それと重複しているかもわかりませんけれども、皆さんのお手元にお配りしてありますレジュメに沿いまして、「年金の役割分担」ということでお話しさせていただきたいと思います。

年金の役割分担を考えるときに、特に公的年金の役割をどう考えるかというのが大きな論点だろうと思います。

まず最初に、公的年金の存在意義に関して簡単に整理してみたいと思います。ここでは、公的年金が存在するとすれば、その意義が4つぐらいの点で重要になりうる、そういうところを書いてあります。1は、所得再分配を書いています。2は、私的年金が失敗するという観点です。3は、温情主義、パターナリズムという観点です。4は、公的年金ですと強制加入ですので、強制加入のメリットという観点です。

順番にレジュメに沿って説明させていただきます。

最初に、所得再分配という点ですが、年金制度というのは,特に世代内の所得を再分配するという性質を持っていまして、基本的に早く死んだ人が長く生きた人に所得を再分配する。つまり、年金を負担するのは若いときですが、もらうのは年を取ったときですので、年取ってからの生存期間が人によって違いますので、早く死んだ人は、自分が若いときに負担した年金額をそのまま、例えば市場で私的貯蓄で回した場合に比べれば受け取り額は小さくなるわけです。それに対して、長く生きた人は、過去に自分が負担した額とは独立に、長生きすればするだけ年金の給付が増えますので、相対的にはたくさん所得が、長生きすればするほど年金から得られることになります。

これは、事前的に年金を積み立てる・年金制度に入る前に自分がどのくらい生きるかというのがわかっていれば、長生きする人は得で、早く死ぬ人は損ですから、この場合、年金制度というのは世代内での再分配をやろうと思っても、早く死ぬ人は年金制度に入るインセンティブがありませんので、こういうメカニズムは存在しないわけです。

その意味で、生存期間がある程度わかっている場合には、世代内の再分配をやろうとすると、これは私的年金の失敗の話とも絡みますけれども、私的年金でやろうとすれば、私的年金は成立しないことになります。それでも、公的年金の場合は強制的に加入させますので、長生きする人とそうでない人とが、生存期間がそれぞれの人にとってある程度わかっている場合でも、強制的に長生きの人へ早く死ぬ人から再分配させる。それが望ましいということであれば、これは公的年金でないとできないことになります。

ただし、生存期間が不確実であれば、私的年金の場合であっても、自分が将来長生きするかどうかに関してわからなければ、リスクに関して危険回避の人がほとんどであるとすれば、ひょっとしたら長生きするかもしれないと思って年金制度に入るインセンティブは私的年金の場合にもあります。

その意味で、公的年金が世代内の所得再分配の観点からメリットがあるとすれば、生存期間の不確実性がかなり事前にわかっているケースであって、そうでなければ、私的年金でもかなりの部分は、世代内での再分配が可能になります。

もう一つ、公的年金特有の所得再分配機能というのは、賦課方式の年金が持っている世代間での再分配機能です。これは、要するに若い人がその時点での年取った世代を助けるという賦課方式の年金に特有の再分配機能です。賦課方式の年金は、公的年金でないとできない。私的年金は基本的に積立て方式。マクロ的な観点では同じ、つまり自分が積み立てたお金が自分の老後に返ってくるシステムですけれども、賦課方式は、若い人がそのときの年取った人を支えるという、これは年金が世代間での助け合いという観点からもっている機能です。

世代間で助け合いというと、一見非常にもっともらしく聞こえるのですけれども、助け合いというのがどういう意味かというのは、これまた議論が別に必要だろうと思います。つまり、ずっとある世代の人が年取ったままで、別の世代の人が若い人のままであれば、ある人からある人に所得再分配が行われることになりますけれども、時間がたてば、人間は誰でも年取って死んでいくわけですから、その意味では、一時転換で、若い人から年取った人へ移転が行われるということと、それから、一生を通じてその人が年取ったときにネットで、その人の一生の間でどのくらい年金を通じて所得が移転されるのかというのは、これまた別の問題。

特に日本のように高齢化・少子化が進んでいる世界では、賦課方式の年金制度というのは、これまでは若い人がたくさんいましたので、助け合いというのが経済的には非常にメリットがある制度――要するに若い人がたくさんいますので、若い人が1人当たりでみて負担を少なくとも、年取った人からみればそれなりの高い給付を受けることが可能な制度だったわけです。今後は、高齢化・少子化が進みますので、若い人のサイズが小さくなって、年取った人のサイズが大きくなる。そうすると、今までと同じ給付水準を維持しようとすれば、若い人の負担額は大きくならざるを得ない。これを世代間の助け合いという制度で正当化できるのかどうかというのは、これはまた別の問題だろうと思います。

2番目の観点は、私的な年金ではうまくいかないので、公的年金が必要である。この場合によく議論されるのはインフレ対策ということで、要するに私的な年金、あるいは私的な貯蓄の場合、インフレ・スライド性が非常に取りにくいので、インフレによってその資産が目減りしてしまうと、老後の備えが非常に不十分になってしまう、こういう議論があります。

公的年金の場合は、日本もそうですけれども、物価スライド制が制度として組み込まれていますので、インフレになっても給付額が調整される。これは老後の実質的な所得水準を維持することができる。

これは、名目利子率がインフレに応じて調整されてこなかった、金融自由化が進展しなかった時期には、ある程度の説得力は持っていたと思いますけれども、現在、あるいは今後の金融システムを考えますと、自由化が進展して、名目金利はかなりインフレに対して反応するだろうということが予想されますので、現在のデフレが進んでいるときには名目金利も非常に少ないわけですが、ただ、実質金利でそれほど下がっていないということもありまして、逆に、仮にインフレが進めば名目金利はそれに応じて当然反応するはずですので、実質金利はそれほど変化しない形で名目金利が動くとすれば、インフレ・スライド制をあえて取らない形の私的年金制度でもうまくインフレには対応てきるのではないかとという気もします。

問題は、予想外のインフレが起きて、とても民間の金融システムでは調整できないような大きなショックが起きた場合にどうするかということです。その場合、インフレ・スライド制を取っていないと、かなり影響を受ける可能性もあります。ただ、その場合、非常に大きな金融的なショックが日本経済全体に起きている状況なので、そういった状況のときに、要するに高齢者の年金の実質給付額だけをインフレ・スライド制で維持しようとすると、そこにかなり財政的な負担を投入する必要があるわけです。そういった金融的に大きなショックが起きているときには、日本経済全体がガタガタしているときなので、そのときに高齢者だけの実質的な給付水準を維持するのがマクロ政策からみて望ましいかどうかというのは、これまた別問題だと思います。そういった状況のときには、勤労世代もかなりマイナスの影響を受けている状況だと思います。その意味で、予想外の大きなショックが起きている場合には、インフレ・スライド制をあえて維持するメリットがあるのかどうかというのは別の議論だと思いますので、いずれにしても、そういった観点からインフレ・スライド制を維持すること自体が疑問になる可能性も高いと思いますし、小さなショックの場合には、名目金利で対応できますので、逆の意味で、インフレ・スライド制に固執する必要もないのではないか。その意味で、この観点からの私的年金の失敗というのは、これからはそれほど大きくならないのではないかと思います。

問題は、いわゆる情報の非対称性があって、逆選択で、私的年金がうまく機能しないということ。要するに、誰が長生きするかというのは、民間の保険会社にとってはわからないけれども、加入者にとっては、自分の家系の親とか親戚の個人的な遺伝情報は自分がよく知っているので、自分は長生きしそうだから年金に入る、あるいは、長生きしないから入らない。私的年金の場合には、そういうことが可能です。保険会社はその辺の情報がわかりませんので、それで私的年金が逆選択で、長生きする人だけが入ってきてとても採算がとれない。それで年金の条件が悪くなって、結果として、ますます長生きする人だけが入って、市場がうまく機能しなくなる、こういう状況だろうと思います。

これは、生存期間の不確実性がどのくらい個人情報としてあるのか、わかっているのかということだと思うのですが、この点は、逆選択の問題は多少はありうると思います。その意味では、公的年金がこの観点から多少は必要だろう。問題は、その程度問題で、どのくらいかというのは、後で多少議論したいと思います。

3番目の温情主義というのは、将来のことはあまり考えないで、若いときにどんどん消費する傾向があるとする。年取ってから若いときに使ってしまったので、お金がない。そのときに問題は、年取ったときに所得がほとんどない人に対して、それは若いときにたくさん遊んだから自己責任だという形で、政府がそれをそのまま放置すれば、これはある意味では消費者主権の原則からすれば、若いときにたくさんいい思いをしたので、年取ったときにお金がなくてそれほどの生活ができなくてもしょうがないのだと言うこともできるのですけれども、問題は、年取って所得あるいは資産がほとんどない人の場合は、政府の方である程度社会保障政策を取らざるを得ないというところがあります。

そうすると、それに、ある意味でただ乗りして、若いときに意図的に所得を消費に回して、年取ったときに政府の社会保障に依存する、そういう傾向を助長することになりますので、それを防ぐために、強制的に若いときにある程度の貯蓄をさせて、年取ってからの老後所得保障に充てるというのは、それなりのメリットがありうるだろう。これは積立て方式でも当然できるわけですけれども、強制的にある程度の少額の貯蓄を公的に行うことの1つのメリットということになります。

4番目、公的年金の場合は強制加入ですので、公的年金の保険料徴集するコスト、運用の収益に関して規模の経済性が働けば、単一の公的年金制度で運用した方がメリットが大きい。私的な年金がいくつかあって、それが併存して規模の利益が働かない場合よりはいいということになりうるわけです。

これも、私的年金の場合でも規模の経済性があれば、ほっておけば、どんどんいいところが勝っていく可能性もありますので、強制加入の問題は、どのくらい強制加入を義務づけるか、あるいは強制加入を義務づけていても、運用面でどこまで裁量を与えるのかというのは、政策的にはいろいろな自由度がありうると思います。

その意味で、公的年金の存在意義というのは多少はあると思うのですが、かといって、現在日本の公的年金を老後の生活保障の重要な部分と位置づけることまでの積極的な根拠というのは、昔に比べると少なくなってきているのではないかと思います。

その意味で、2の「公的年金の守備範囲」の方に入りますけれども、1つの大きな考え方は、生活保護との役割分担をどうするかということだと思います。

ここで大胆に分けたのですけれども、老後の消費は基本的に2つのパターンからなっていると分類できると思います。1つは、基礎的な生活のための消費。これは日常の生活水準、最低限の生活水準を維持するために消費する。それには、それなりの財源がかかる。

それプラス老後に、レジャーあるいは海外旅行とか付加的に楽しみをするためにいろいろな消費活動をしたい。これも、老後の重要な消費活動です。

現在の年金制度は、老後の生活保障ということで、人によって多少の差はありますけれども、平均的にみるとかなり高い生活保障をしていまして、ある意味で、基礎的な生活のための消費を超える部分に関しても、公的年金で面倒をみている。例えば、公的年金を使って海外旅行に行くことが、現在の高齢者にとっては基本的に可能になっています。

別に高齢者の人がお金もあって、時間もあるから、海外旅行に行っていけないとは言っていないわけで、どんどん行って結構なのですけれども、問題は、そのための財源を公的年金という形で保障する必要があるのかどうかということだろうと思います。

特に今後のことを考えますと、これから団塊の世代が高齢者になってきて、若い人が年金を負担する世代に入ってくるわけです。そうすると、現在の公的年金制度では、若い人の負担を増やさない限りは、団塊の世代の人が老後のある程度の楽しみを――要するに、低限の生活を上回るような給付水準まで――維持することは基本的にできないだろう。

その意味で、今後の年金制度の1つの考え方というのは、政府は基本的には必要最小限の老後の生活費。しかも、その全部ではなくて、一部を公的年金でみる。それ以外のところは、ほかの形で対応するという形にしないと、若い人の負担がとても合理的なところを超えてしまって、かなり高くなる可能性があると思います。

このときに、必要最小限の生活保障という点で、生活保障制度で非常に重要な役割を果たしているのは生活保護で、生活保護制度がセーフティネットとしてうまく機能していれば、あえて公的年金を維持する必要はないという議論もありうるわけです。要するに、非常に恵まれていない人に関しては、所得を生活保護という形で保障していけばいい。それ以上の所得に関しては自助努力で対応する、これが生活保護制度の機能だろうと思います。

生活保護制度というのは、必ずしもうまくいっていなくて、1つは資産や所得の状態をきちんと把握しなければいけないということ。あとは、100%の生活保護給付ですので、生活保護というのは自助努力を損なうデメリットがあって、要するに自分で自助努力をして所得を稼ぐと生活保護給付が減るという形で、いわゆる限界税率が100%、これはよく言われているデメリットです。

ただ、若い人にとってみれば、生活保護を受けてしまうと自助努力を損なうインセンティブはかなり高いと思うのですが、年取った人は多くの場合、最近は多少感じるようになったかもしれませんけれども、基本的には労働意欲はそれほどないと考えますと、特に高齢者でも65歳を過ぎたような人の場合、生活保護を受けたからといって自助努力を損なう、要するに勤労意欲を損なうインセンティブというのはあまり問題にはならない。そもそも勤労意欲がないような年齢であれば、生活保護で対応しても、それほど負の、ディスインセンティブ効果はそれほどないのではないか。

これはある意味で、資産調査をきちんとやる形で年金の給付額を抑えて、所得の高い人、資産の高い人に対する年金給付額を調整しなければいけないという議論は結構あるわけですけれども、それをもう少しすっきりさせれば、そういった形の年金というのは基本的には生活保護と同じ形なので、生活保護をもう少し弾力的にして、公的年金の基礎年金部分とうまく統合する形で見直せば、それで代替できるのではないか、こういう議論にもなりうるかと思います。

ただ、完全に生活保護では対応できないところもあると思いますので、その意味では、ある程度の公的年金で対応するというのは、やむを得ないだろうと思います。その場合も、現在のように、60とか65歳の高齢者をすべて、かなり高額の給付を一律に与えるというのは、これからは無理だろうと思いますので、基本的には、苦しい高齢者だけを、生活水準が大変な高齢者だけを支える年金制度に、国民全体を支えるとすればそういった形に変える。

その場合の、苦しい高齢者というのは、1つの方法は、低所得・低資産の高齢者に限定するということ。もう一つは、平均よりも長生きしている高齢者に重点を移す。つまり、平均よりも長生きしている高齢者というのは、要するに70とか75歳を過ぎている高齢者ですから、それほど消費をたくさんしようというインセンティブはそもそもないわけですので、それほど高水準の給付をする必要はない。しかも、そういった高齢者の資産というのは遺産になりますので――要するに、そういった高齢者の場合は自分でたくさん消費するそもそものインセンティブがありませんので、結果として、資産が遺産という形で若い世代にトランスファーされるのですけれども、それに関しては相続税で累進的に取ることも可能ですので、そういう方向が考えられます。

その次に、生活水準という観点から、公的年金の役割分担という意味で重要なのは、基礎年金に限定するということだと思います。先ほどC委員の方から、賃金スライドはやめた方がいいのではないかという議論が出ましたけれども、私も、同じようなことを書いていまして、賃金スライドは基本的には必要ない。物価スライドに関しては、現在はあまりインフレが起きていませんので、物価スライドの問題はあまり議論にならないと思いますけれども、多少インフレが起きても、実質的な給付水準を下げるという意味では一時的に物価スライドを停止することも選択肢にあると思います。

もう一つの大きなポイントは、3番目の支給開始年齢の引き上げとして、年金の基本的役割が、長生きすることのリスクを公的に分散するということであれば、要するに、平均寿命よりも長生きすることのリスクだけをカバーすればいいわけです。日本は世界でもいちばんの長寿国ですから、今、60から65歳に公的年金の支給開始年齢を引き上げる方向になっていますけれども、65歳でもまだ……。例えば、女性の場合は75歳という形にして、もう少し上げてもいいと思っています。基本的には平均以上に関しては、それを超えた部分に関しては政策的に面倒をみるけれども、それよりも前に関しては基本的に自助努力。自助努力というのは、もちろん、政府は何の政策的な対応をしないという意味ではないですけれども、制度的にはそれなりの対応をするのですけれども、基本的には自分の若いときの貯蓄なり、それから、先ほど出たと思いますけれども、働けるうちは働くインセンティブに合うような形の制度を作って、高齢者であっても、働くことによる所得、そういった形で対応する。それでも所得水準の低い人に関しては、生活保護も含めた、制限的な社会保障を使うという形で、一律に公的年金で給付するというのは、もう少し上げてもいいのではないかと思います。

最後ですけれども、3の「自由度の高い年金制度」ということで問題になるのは、去年、厚生省が年金白書を出したのですけれども、モデル家計というのがあって、典型的な例というのは、夫がサラリーマンで妻が専業主婦で、ずっと40年間……、どれだけ年金がもらえるか。あるいは、夫が自営業で妻がそれに従事している、あるいは専業主婦の場合にどうなるかという形、基本的に同じカテゴリーの家計で同じ職業でずっといった場合にどれだけ年金をもらえるかというのが、これまでの基本的な想定になっていると思うのですが、そういった想定が現状の社会情勢の変化に合ってこなくて、女性の場合であれば、専業主婦になったり、労働市場に参加したり、また専業主婦になったりする。男性の場合であっても、サラリーマンになったり、自営業になったり、いろいろな形の流動化が進んでいますので、ライフスタイルが多様化したときに、それに合った形での年金制度を設計する必要がある。

今までの終身雇用・年功序列賃金を前提としての年金制度というのは今後は、労働者のことだけを考えても、ディストーションをもたらすような形になると思います。その意味から、自由度の高い年金制度というのは、基本的には個人勘定でやらざるを得なくて、個人勘定でやるということは、賦課方式の年金では無理だろうと思います。

ただし、個人勘定でやるということは、ある意味で私的年金にかなり近くなるわけですけれども、そこでやる年金というのは、基本的に平均寿命まで生きるということを前提にして、そこまでの老後の設計に関してをターゲットにして、要するに、予想よりも長生きした場合のリスクに関しては公的年金できちんと対応すべきであって、それに関して賦課方式で税なり、保険料かどうかは知りませんけれども、政府あるいは国民全体でカバーする。その分と、自助努力に対応する年金の分、これは個人勘定であるか、あるいは完全に私的年金であるかは議論はありうると思いますけれども、どちらにしても、そういう方向の年金が持っているところは、例えば、70とか75歳まで、老後であってもある程度は自分で積極的にいろいろな消費活動もできるような、そういう時期に関しては自助努力で基本的には対応すべきだろう。その上で、確定拠出で自己責任という原則の年金制度を整備していく。

そのときに、現在のいわゆる2階の部分をどうするかというのが大きなポイントになると思いますけれども、経済戦略会議ですと、2階の部分を民営化するという話になっていますが、必ずしも民営化するかどうか、非常に大きな問題ですけれども、もう一つの選択肢は、民営化しなくても、2階部分を段階的に安楽死させる。徐々に2階部分の給付水準を下げていって、そのかわりに、個人勘定別の確定拠出型年金制度を入れていって、数十年かけて変えていくというような形のこともありうるかなと。

その意味では、公的年金というのは賦課方式で維持する必要があると思いますけれども、その守備範囲を、ここでお話ししたように大幅に縮小して、給付水準・給付開始年齢も大幅に見直す。一方、個人勘定の私的年金、公的年金があっても個人勘定というのは可能だと思いますけれども、それを整備拡充する。その2つをうまく組み合わせて、それでも対応しきれない社会的弱者に関しては、生活保護なり、別の形の社会保障で対応するという組み合わせが1つの考え方かなという気がします。

〔部会長〕どうもありがとうございました。

それでは、ただいまのA委員からのご発表内容を踏まえ、ご議論いただきたいと思います。どなたからでも、どうぞ。

〔D委員〕前半の話で、働く人口を増やす、社会を支える側に高齢者も回るようにすることによって高齢化の問題が軽減するというお話、これは大賛成ですが、さはさりながら、その方法を取ったとしても、これほど急速に高齢化が進むとなると、年金の給付削減は避けられないと思います。そうでないと、持続可能ではない。つまり、将来世代にかなり重い負担をかけざるを得ないわけです。

将来世代まで持続可能な年金にするには、今申し上げた給付水準を大幅に切り下げるか、つまり、政府の役割というものを今より大きく限定するか、あるいは完全に積立て方式に移行させてしまうという、2つの方法があるかと思います。

そのときに、積立て方式に移行する問題としては、既に確定された、給付を約束した年金を積立て方式にする場合に、積立て不足分があって、今、2階部分だけでも積立て不足が350兆円、1階部分まで全部積立て方式に移行すると、490兆円ぐらいですか、かなりの積立て不足があるわけで、これをどうするかという問題があるわけです。

私は、この問題を考えますと、政府の役割を大きく限定して、公的年金の給付を削減するという方法をあわせて取らざるを得ないと思っています。

それからしますと、ここはA委員の意見に賛成なのですが、政府の役割は一律のナショナルミニマム、公的年金は一律のナショナルミニマムの確保、これは、C委員がさっきおっしゃった意見にも賛成です。そこに限定するのがよいと思うのです。

では、2階部分はどうするか。2階部分は、既に約束された給付があるわけですから、その部分はA委員がおっしゃったように給付水準を下げながら、徐々に積立て方式に移行させて、私は、民営化する方向でいいと思っています。

この2階部分をどうしていくかというのは、いろいろ細部の議論はありますが、全体的な方向としては、国の年金は一律基礎年金にして、ナショナルミニマムにする。つまり、サラリーマンであれ、自営業であれ、老後の年金は一律ナショナルミニマムにする。

A委員と少し意見が違いますのは、給付を低所得・低資産に制限しますと、またこれは所得審査というものが必要になりますので、年金は年金として一律に払う。そして別途、所得が高い人には税を課す。所得税で取るという方向が望ましいかと思うのです。

A委員がもう一つおっしゃった、長生きのリスクに対応するものに位置づけて、つまり給付開始年齢を大幅に引き上げる。70とか75歳に引き上げるということも、考え方としては賛成ですが、その場合は、現実的にみると、2030年、私がもらい始める頃から引き上げが始まるのです。ということは、今からまた70歳にしていくと、高齢化のピーク時を終わった頃に、70歳開始ぐらいに引き上げられることになりますので、現実的に見ると、給付水準を一律にナショナルミニマムの基礎年金にするということで、ほぼ持続可能性は維持できるのではなかろうかと思っております。

恐らく、基礎年金にとどめるというところが、先ほどのB委員の意見とはちょっと違って、B委員の意見は、2階部分まで含めた形で公的年金として維持するというお考えだったと思うのですが、私は、A委員とB委員の真ん中ぐらいの意見を持っております。

〔B委員〕A委員はいらっしゃらなかったので、申します。私は、2階部分のところは強制加入の積立方式、しかし、運営は民営化してもいいのではないか、そういうことを申し上げました。

A委員、何か……。

〔A委員〕確かに、2階部分をどうするかというのは非常に大きな問題だと思います。D委員がさっき指摘されたように、現在の公的年金制度を前提にすれば、350兆円ぐらいの追加的な財源――これは現在価値でみてですから、毎年毎年350兆円という意味ではないですけれども――ぐらいが必要。要するに今の公的年金制度をそのまま維持するとすれば、それだけのお金が基本的に足りなくなってきますので、その部分は、若い人の年金の保険料を上げるか、あるいは、支給開始年齢、あるいは実質的な給付水準を下げるかで対応するという形でやることになると思うのです。

ただ、現在の年金制度の改正の、今年が5年に一度の改正に当たるのですけれども、問題点の1つは、支給開始年齢の引上げ・給付水準の切下げ、先ほどD委員が指摘されたように、かなり時間をかけてやるわけです。そうすると、世代別の勘定からいいますと、若い人からみると、確かに保険料の負担は改正前に比べると落ちるのですけれども、同時に、給付開始年齢も上がりますし、5%給付水準も下がります。若い人が高齢化になってきて、それが実質的に機能する形になっていますので、世代別の損得勘定――これを損得勘定で議論するのがいいのか悪いのかという議論はありますけれども――だけでみると、若い人から見ると、今回の年金改正をやる前とやった後で比べても、それほど改善はされていないと思います。つまり、年金改正の後でも、給付水準が下がる部分だけ負担数値も、若い人から見ると、現在価値でみて下がっていますので、ネットで見て、いずれにしてもそれほど改善されていない。若い人から見ると、いずれにしても公的年金にそれほどメリットはない形になっています。

その意味では、世代間の不公平が問題であるとすれば、今のお年寄りの人、それから、これからお年寄りになる我々の団塊の世代の人も、既得権を削減しないと世代間の不公平の問題というのは改善されない。高齢者、これから高齢者になる人の実質的な給付水準を下げない形で、徐々に年金制度を改正しようとすると、どうしても若い人の給付水準と若い人の負担をそれぞれ下げますので、その意味では、公的年金のサイズとしては小さくなるわけですけれども、若い人にとって、公的年金に対する信頼性というのはそれほど改善されないのではないか。そういう意味で、年金制度の改正をやるとすれば、なるべく早めに給付水準を実質的に引下げをやるというのがポイントだろうと思います。

これは政治的には非常に難しい点だろうと思いますけれども、そこのところをどれだけ切り込めるかで、350兆円の年金の2階部分に関しての債務のところを、実質的に下げることもできますし、先ほど部会長の方から言われたように、仮に積立て方式に移行するとしても、その場合の移行期間での負担も少なくすることができるのではないかと思います。

〔部会長〕ほかにどなたかご意見がございますか。

〔E委員〕私自身も、現状の年金財政から言えば、ちょっとここは連合と違うのですが、給付削減はやむを得ないのかなと思っていますが、ただ、今のA委員のお話の中で、最低限の生活を基礎年金できちっと維持する。その場合の「最低限の生活」はどうやって定義するのだということについては、どういうふうにお考えになりますか。

今は、たしか基礎年金が13万3,000円でしたかね……。

〔H委員〕夫婦で。

〔E委員〕2人でね。

ですから、その辺の金額の算定や高齢化をどうやって位置づけかということについて、お願いします。

〔A委員〕そこは非常に難しいところだと思うのですが、実質的に最低限というと、その時点というのは、要するに国民全体のある意味の合意水準によりますので、どこまでの消費が最低限かということに関しては幅があると思うのですが、私の個人的な感じでは、固定的な費用、例えば住宅とか、要するに衣食住のうちの住に関してはかなり固定的なところがありますので、それをどこまで算定するかというのは問題があると思いますけれども、いわゆる経常的な費用、その人が日常的な生活をするときに関しての経常的な食と衣の部分に関しての最低限の生活水準を保障して、住宅に関しては、いろいろ差があって難しいと思うのですけれども、そこのところはなるべく少なめに算定する。

具体的にどうなのかというのは難しいところだと思いますけれども、私の個人的な感じでは、13万円というのは最低限の水準として十分だろう。それを引き上げる必要はないと思います。

〔F委員〕その場合に、世帯で考えるか個人で考えるかによって非常に違ってくると思うのです。

この基礎年金の改正のときには、当時は、40年かけて5万円と言われたのですけれども、そのときは、食費プラス光熱費ということを考えたと思うのです。それからすると、家計の項目的にはどこまで考えるのか。それと、そのかわりにおっしゃっています、生活保護費の算定の仕方はどうなのかということも考えて、提案しなければならないのではないでしょうか。

それから、将来世代の負担が大変だということは、年金制度の中でわかるのですけれども、それのきちっとした数字をもう少し議論して、どの程度の経済成長があった場合にはというような、少しいろいろことを実質的に考えて提案しないと……。今のように、低迷しているようではどうにもなりませんけれども、かなり経済成長していれば、もうちょっと柔らかく考えることができるのではないかということ。

よく言われるのですけれども、私もまだもらってはおりませんけれども、そういう側で考えると、年金の拠出とか給付ということだけで考えるのか。今の高齢者がどれだけ、つまり我々の社会資産に対して貢献してきたかということもあわせて考えないと、どうしても世代対立的になります。

ここでは、何を国民的な価値として統一するかみたいなことも議論されているわけですけれども、そこのところで割れてしまっては、私は、日本人である意味がないというか、そこのところも配慮する必要があると思います。

特別長生きした人であるとかというようなことだけを考えると、どういうふうに負担を、保険料とかを出していくのか、あるいは全部を税金でやるという考え方もありますが、多くの人がなにがしか福祉を得ないものには、参加する率というのはかなり落ちてくるのではないでしょうか。その辺のところも……。

ある意味では、しかし、既に若い世代の中で、基礎年金に入らない人という人が1/3ぐらいいるのですか。

〔D委員〕若い世代という意味は?

〔H委員〕全体の中の。

〔D委員〕低所得で免除を受けている人と、自ら払わない人と合わせて、1/4です。

〔H委員〕つまり、入っていない人がいるということは、これを見越して既に、一方では、生活保護期待というものがかなりいるということがありますね。

そうすると、生活保護期待の給付と基礎年金のことというのを、どうやって調整して考えて、みんなが少しは参加するようにするのかしないのかということも、きちっと数字を出して計算していかないと、提案していかないといけないのではないでしょうか。

〔部会長〕A委員、世代会計の計算上の技術的な話は少しあるかと思いますが、成長率とか。

〔A委員〕世代間のいろいろな損得勘定というのは、世代会計という形で、各世代が現在の年金制度を前提とした場合にどのくらい将来にわたって、これは平均的に生きたということでやったものですけれども、払って、それから将来どのくらいもらうかということを、世代別に現在価値化してどうなるかということをするわけです。

その場合、経済成長率がどうなるかとか、賃金上昇率がどうなるかというのは、1つの重要な要因にはなるのですが、ただ、経済成長率が多少変わっても、世代会計の基本的な経過というのはそれほど大きく日本の場合は影響を受けなくて、大ざっぱに言いますと、40代よりも高齢者の世代というのは、現在の公的年金制度でみれば、ネットでプラスで、30代より若い人というのはマイナスというのが大体の結果です。これは経済成長率が動いても、それほど定性的には変わらないような、その意味では、ロバストな結果になっています。

基礎年金に関して、確かに現在入っていない人がたくさんいるわけです。その多くの人というのは、生活保護期待というよりは、むしろその分を……。入っていない人のかなりの人というのは、所得が結構あるのです。その人が入っていないというのは、入っていない部分で私的に貯蓄をして、そのことの方が有利だということ。特に若い人の場合にはそれが言えます。中年の人の場合であっても、公的年金制度自体が、5年に1回かなり変わっていますので、将来どうなるかわからないという不安感があって、入らないその分を私的に何らかの運用をするということはやっていると思いますので、必ずしも、入っていない人が生活保護を期待しているかどうかというのは、また別の話だろうと思います。

基礎年金を基本的に一律給付という形で回すためには、保険料方式にはかなり限界はあると思います。つまり、保険料方式ですと、徴集のコストがかかってなかなか取れないということがあります。取れないかわりに、給付もないというのか保険料方式の基本的な方針ですけれども、その「取れないかわりに、給付がない」といっても、今後は収益率がそれほど、民間で回すよりも、特に若い人の場合には期待できないということであれば、それはうまく機能しないわけです。その意味では、税方式に変えて、国民全体に何らかの政府の財源をふって、それを一律にトランスファーするというのはやむを得ないかと思うのです。

ただ、その一律にトランスファーするときに、あまり高額のトランスファーをやってしまうと、政府の役割が非常に大きくなると思いますので、基礎年金に限定しても、それほど大きな額でトランスファーするのはやらない方がいいのではないかと思います。もちろん、それをやってしまって、後で所得税で取るというのも1つの考え方だと思いますけれども。

私は、公的年金で、最低限の生活をすべてカバーするというのも、やはり限界が……。今まではそれでやってきたと思うのですが、限界がある。最低生活水準自体がどうなるかという問題もあると思うのですけれども、それと分離して、公的年金というのは、ある少額の給付水準しか出せない。それを超えた部分に関しては、生活保護なり社会保障の別な形でやる方が、より効率的な形のセーフティネットになるのではないかという気がしています。

〔D委員〕基礎年金の水準ですけれども、高齢世代というのは経済格差が大きいわけです。いちばん大きい世代です。格差が大きいときに、一律の水準をどうするかというと、低いほどいいわけです。高く出してしまうと、今、A委員がおっしゃったように非効率になるわけです。あるべき方向としては、一律の給付は、食費と光熱費とかなるべく低くして、住宅とかは、個別に住宅政策として行うことが望ましいと思うのです。

あと、この水準は、医療保険の自己負担分がどれぐらいになるか、介護保険の費用がどれぐらいになるかということとも関係すると思います。

それから、H委員のおっしゃったことと私はちょっと意見が違うのですが、高齢者の社会への貢献という面があるではないかということ、確かにあるですが、恐らく、高齢化社会の問題というのは、高齢者対若者の対立ではなくて、私が高齢になったときと、今生まれた子供たちが高齢になったときの、今の高齢者(つまり、私が高齢になったときの高齢者)と将来の高齢者との対立だと思うのです。老後の不安が非常に大きいのは、今生まれたぐらいの子供たちが高齢者になったとき。つまり、未来の高齢者の方が、はるかに老後の不安は大きいと思うのです。それから言うと、私と、今生まれる子供たちと、どっちが社会に貢献したかというと、それは同じぐらいなわけです。今の高齢者の中には、戦争を経験した人たちもおられますけれども、私の世代を考えますと、私が高齢になったときと、将来のまだ先の高齢者とは、もう少し公平な仕組みにしなければアンフェアだというふうに思います。

それから、経済成長との関連も、年金の水準をどうするかということ自体が経済成長とかなり関係していて、企業の法定福利費の部分がありますので、あまりに年金の保険料を大きくしますと、企業の競争力に直結しますし、一方では雇用にも影響を与える。つまり、正社員の数を減らすという形で、雇用にも影響を与えるのではないかと思います。そういう意味でも、私は、年金の給付というのは、大幅に削減して、一律給付にした方がいいと思っています。

〔F委員〕お尋ねしたいのです。今、A委員のお話を聞いていて思いつきで申しわけないですけれども、3ページの(2)の上のところで、「高齢者の資産は遺産となるから、相続税で対応可能である。また、財源は国民全体が負担するという意味で消費税で賄うべきであろう。保険方式から税方式への転換である」。

先ほど、世代間と世代内という話があったのですが、世代内の再分配のさらに世代内として、相続税を目的税化して、その年金に充てる考えというのは成立しないですか。

〔A委員〕相続税を目的税化するというのは、あまり考えたことがないのでわからないのですけれども……。

ここで相続税の問題というのは、年金制度として相続税を使うという意味ではなくて、世代間の公平性を確保する観点からは、相続税というのは有力な政策手段だという形で書きましたので、必ずしも、年金の財源として相続税が……という議論ではないのです。

どういうことかといいますと、要するに高齢者は、先ほどD委員もおっしゃられたように、資産格差がかなりあるわけです。高齢者の中でも、たくさん持っている人、そうでない人がいるわけですけれども、高齢者に一律に年金を給付することは不公平ではないかという議論があるわけですけれども、そのときの1つの考え方として、高齢者に一律に年金給付を与えても、高齢者が消費をたくさんしなければ、一律年金給付の多くの部分というのは遺産になるわけです。遺産の段階で、相続税で累進的に取れば、世代内の不公平の問題というのはそれほど気にする必要はない。要するに、たくさん遺産を残した人は、たくさんその税金を負担するというので、その子供の世代に極端に所得は移転しないという意味では、垂直的な公平性に関しては、高齢者に一律の給付を与えても、その与えたこと自体は、それほど不公平でもないのではないか、そういう意味で言っただけです。必ずしも、相続税を年金に使えという意味では……。

〔F委員〕それはわかるのです。今申し上げたような考えを、するのか、しないのかという問題。

〔A委員〕それはよくわからないですけれども、目的税というのは、一般的にはなかなか正当化しづらいところがあると思うのです。つまり、ある財源の税をあるところにリンクさせるというのは、ある意味で言うと、政府全体の自由度を縛ることになりますので、よほどの合理性がない限りは……。

あるところの財源を特定の支出に充てますと、そこで既得権化しやすくなって、その税収がたまたま、バブルのときにすごく税収が大きく増えたわけですけれども、経済情勢が大きく変わったときに、その税収が増えたことによって、それで目的税化してしまえば、その理由で給付水準が増えてしまうということが起きやすいので、給付と財源とをリンクさせるとすれば、よぼどの狭い意味での合理性がないと、なかなか正当化しづらいのではないかと思います。

〔部会長〕相続税ではないでしょうけれども、少し似たような形としては、例えば、地方公共団体がリバースモゲージみたいな制度を導入するとすれば、それは個人対、1対1の対応で、再分配はないですけれども、いわば遺産を担保にしてその年金を支払うというようなことはあり得るかもしれません。

I委員、J委員、今日はまだご発言がございませんが、いかがでしょうか。

〔I委員〕今日の議論は、全く私は専門外で、皆さんのご意見を聞いて大変勉強させていただきました。

総論的なお話になるかもしれませんけれども、今までの制度とかというのはすべて、人生60年、そんなところに1つ焦点が合わせて作られてきたのかなと。とにかく、人生80年時代でありますから、これから30年とか、50年という視点でしっかりその辺を見据えて、今日もいろいろご意見がありまして、なるほどと思うのですが、部分的にいじるということではどうにもならないかな、と。だから、人生80年を想定して、基本的に全部、制度だとか仕組みというものを作り変えていかないと……。

これはあまり時間がない。早急にやらないと、なかなかうまく機能しないかなと。もう部分の問題ではないなぁ、そんなことを私は非常に感じております。

では具体的にどうするかというお話ができなくて大変申しわけないですが、先ほど、B委員の方からお話がありましたが、それだけ全体の寿命が延びたわけですから、生涯現役といいますか、65歳で切ってしまう、このこと自体に非常に無理があると思います。これから、高齢者というときには、高齢者の中で実際に介護が必要な人というのは10%ちょっとで、80何%は元気なのです。それなりの人生の経験だとか、ノウハウを持っておられる元気な方がおられるわけですから、この方々を、生涯現役、先生が先ほど言われたように、定年の時期というのは自分で決めるのだ、という形で社会に参画していただく、その仕組みはというのは、社会の活性化というか、活力になっていくのではないか。何でそこで切ってしまうのだ、というような感じがします。

基本的には、30年、50年というものを想定して、何か部分的な制度改革ではなくて、いろいろ雇用な問題だとか、年金の問題だとか、そのほかに医療の問題だとか、たくさん視点があると思うのですが、そういうものを全体的に寿命が延びたわけで、根本的に作り変えていかなければいけない、そんな感じが今日いたしました。

大変雑駁な意見で申しわけございません。

〔J委員〕私、年金問題については素人で、発言できる知識はあまりないわけですけれども、過去に議論されていた年金という問題と、今日のご議論は非常に落差が大きいので、私、どういうふうに考えていいかちょっとわからない点が多くあるわけです。

例えば、公的分野と私的分野との区別をこれからどう考えていくかという点について、これだけ高齢化社会になってくれば、公的な分野というものをもっと厳密に限定していかなければならないということはよくわかるのですけれども、今までの議論で、年金というものは一体何だったのだろうか。老後の生活を単に保障するとするならば、ここにもございますように、生活保護という制度があるわけです。この制度が今、弱点があるとするならば、その弱点を直していけば、生活を維持するという点だけで言えば、生活保護制度を改善していくなり、充実していくということで、年金というのはいらないのではないか、というような話にもなってしまうわけでございます。

しかし、一方では、お国から生活の助成をされて生きていくということに対してモラル感というものがあるのではないかと思いますので、自分たちが自分たちで生活できる範囲では、自分の所得で生活をしたい、我々が生活する場合には基本的にはそういう気持ちがあると思います。そうなると、公的年金というものを、従来とどういう形で変えるのかはなかなか難しい問題と思いますが、問題は給付水準だと思うのですけれども、この給付水準をどの程度までならば公的年金として許されるのか。これすべて税方式でやるとするならば、まさに生活保護と同じ議論にもなりかねない問題ですから、保険料と税負担というものをどうかみ合わせるかという問題も、やはり1つの問題ではないかと思うわけです。

いずれにしても、今までの年金制度で、例えば、厚生省ですか、有識者に対するアンケートなどをやった、ああいう議論の延長線上では、今の議論は考えられないような、基本的な問題を含んでいきますから、ここまで意識改革を短時間でやって、政府の意見としてこれを国民の皆さんに知ってもらうということになると、相当の意識改革を国民の皆さんにしてもらわないと、これは難しいのではないかという気が先ほどからしておりますのが、ちょっと発言するのに何を発言していいかわからないというのが、正直なところでございます。

〔部会長〕どうもありがとうございました。まだいろいろとご意見もあろうかと思いますが、時間の関係もございますので、本日の審議については、ここまでとさせていただきます。また、今日の問題について何かご意見がある場合には、事務局側にお伝えいただきたいと思います。

冒頭にもちょっと申しましたけれども、人口構造の変化がものすごく大きいわけですから、今、J委員が言われたような、有識者調査みたいのをやると、あらゆる制度にはいいところと悪いところがあるから、いいところを残しながら、悪いところを直していきましょうというふうになるわけですけれども、問題は、A委員のご指摘の中にもあったかと思いますけれども、いいところと悪いところは表裏一体になっているので、なかなかいいところだけを残しながら問題を解決するということが難しいところもあると思います。私の意見は、どちらかというと、そういう面ではD委員にも批判されたのですけれども、いいところをちょっと直しながら……というようなところが、かなりあるかもしれませんが、そういう面で人口構造が非常にドラスティックに変わるときには、I委員が言われたように、根本からすべてのシステムを変えていって、その中には今まで相当よかったものも、場合によっては捨てていかなければいけないということも含まれているのではないかという印象を持っております。

それでは、次回の日程について事務局よりご説明いただきたいと思います。

〔福島推進室長〕次回は3月31日の水曜日午前10時から12時、場所は本日と同じ経済企画庁内407の会議室を予定しております。別途開催通知を郵送し、ご案内させていただきます。よろしくお願いいたします。

〔部会長〕それでは、第3回の国民生活文化部会の審議は以上にいたしたいと存じます。本日は長時間、ご多用の中のご審議、誠にありがとうございました。

以上