経済審議会 地域経済・社会資本部会(第2回) 議事録

時: 平成11年3月10 日

所: 共用第2特別会議室(407号室)

経済企画庁


経済審議会地域経済・社会資本部会(第2回)議事次第

日時 平成11年3月10日(水) 10:00~12:00

場所 共用第2特別会議室(407号室) 

  1. 開会
  2. 21世紀初頭のまちづくりについて
    ・A委員意見発表
  3. 地域経済・中山間地域等の活性化について
    ・B委員意見発表
  4. 閉会

(配付資料)

  1. 資料1 経済審議会 地域経済・社会資本部会 委員名簿
  2. 資料2-1 我が国の国家像についての意見集計(部会等開催時の意見)
  3. 資料2-2 我が国の国家像についての意見集計(事務局に提出された意見)
  4. 資料3 地域経済・社会資本部会の検討テーマとスケジュール(前回配布資料)
  5. 資料4 「地域経済・社会資本部会」の適当テーマについての意見集計
  6. A委員発表資料
  7. B委員発表資料
  8. 参考資料1 (関連施策の概要)
  9. 参考資料2 (関連データ)

経済審議会地域経済・社会資本部会委員名簿

部会長
森地 茂   東京大学大学院工学系研究科教授
部会長代理
安土  敏   サミット(株)代表取締役社長
        企業小説家
石川 嘉延  静岡県知事
井上 繁   (株)日本経済新聞社論説委員
北村 浩子 (株)キンスイインターナショナルリゾート代表取締役
小林 重敬  横浜国立大学工学部教授
坂本 多旦 (有)船方総合農場代表取締役会長
        全国農業法人協会会長
生源寺 眞一  東京大学大学院農業生命科学研究科教授
戸所 隆   高崎経済大学地域政策学部教授
中邨 秀雄  吉本興業(株)代表取締役社長
長谷川 逸子  長谷川逸子建築計画工房(株)代表取締役
林  淳司  川崎重工業(株)取締役副会長
溝口 薫平  (株)由布院玉の湯代表取締役社長
宮脇 淳   北海道大学大学院法学研究科教授


〔 部会長 〕 おはようございます。お忙しいところをお集まりいただきましてありがとうございます。ただいまから、第2回の地域経済・社会資本部会を開催させていただきます。

 本日は、検討テーマが二つありまして、第1が「21世紀初頭のまちづくりについて」、第2が、「地域経済・中山間地域等の活性化について」でございます。それぞれのテーマについて、A委員、B委員から意見発表をいただき、それを受けてご議論いただくことを考えております。

 議論に入ります前に、本日の配布資料について、事務局より簡単に説明をお願いいたします。

〔 事務局 〕 最初に、資料2ー1「我が国の国家像についての意見集計(部会開催時の意見)」、この資料の最後のページに「別紙」が付いておりますが、「『あるべき姿』における我が国の国家像をどう考えるか」ということで、7項目の問いかけがございまして、本部会をはじめ、各部会でまず最初にこれについてご議論いただいたわけであります。その後、基本理念委員会、企画部会でも議論がなされておりまして、この資料は各部会と基本理念委員会の開催時における意見を集計したものでございます。四角い表がありますが、この左右で対立軸を示しております。例えば、12ページをご覧いただきますと、本部会と特に関係の深い「地域のあり方について」がありまして、【1】「過疎・無人地帯」を許容するか、許容しないかということについては、この資料では「許容しない」というご意見が大勢になっております。

【2】「その他」をご覧いただきますと、基本理念委員会では「道州制ということを議論すべきである」、企画部会では「各地域の交流を考えるべき」といったようなご意見が出ております。

それから、資料2ー2「我が国の国家像についての意見集計(事務局に提出された意見)」につきましては、各部会の委員の皆様方に事務局の方に文書でご意見を提出していただきたいとお願いしましたところ、事務局にご提出いただいた意見を集計したものであります。ちなみに、21ページをご覧いただきますと、ただいまの「地域のあり方について」の部分がありますが、ここでは【1】「過疎・無人地帯」を許容するという立場のご意見も、22ページにかけて結構出ていまして、例えば、22ページの国民生活文化部会のご意見の左側をご覧いただきますと、「公共投資などで過疎化を防ぐことが可能という幻想は捨てるべき。」、関連をしまして「地方税の比重を増やす。地方自治体に課税自主権を与える。地方交付税を廃止に向けて大幅に縮小する。」といったご意見もいただいております。

23ページの【2】「その他」で、構造改革推進部会の委員の方からのご意見をご覧いただきますと、そのすぐ下の「・」に書いてありますが、「地域主権国家の再編なくして、地方の自立・発展はありえない」。そのすぐ下、「地域の主権の確立と地域の自立のための条件整備が不可欠」という地域の自立に関するご意見もいただいております。

 ご多忙の中、このように意見の提出にご協力いただきましてありがとうございました。今後、こういった皆様方のご意見も踏まえて、企画部会で「あるべき姿」を取りまとめていくことにしてございます。

 資料3が、本部会固有の検討テーマとスケジュールでありまして、前回の部会において説明させていただいたものと同じ内容でございます。(2)に「個別検討項目」がありますが、本部会では、個別検討項目として、【1】21世紀初頭のまちづくりについて、【2】地域経済・中山間地域等の活性化について、【3】21世紀型社会資本整備について、この3項目を大きな柱として設定してございまして、本日は、このうちの【1】と【2】について、冒頭に部会長がおっしゃられましたように、委員の方からの意見発表をもとにご議論いただくことにしております。

 2ページにスケジュールがございますが、次回の第3回目において、社会資本整備について、本日と同じスタイルでご検討いただきまして、4月の第4回目、第5回目の2回かけて、これら3テーマについて改めてご検討いただき、5月の6回目で全体の取りまとめを行うというスケジュールを組ませていただいているところでございます。

 資料4が、今申し上げました本部会固有のテーマについて、これも委員の皆様方から事務局に文書で意見の提出をお願いしておりましたが、提出いただきました意見を集計したものでございます。見出しを付けておりますが、これは事務局の方で便宜的に設定したものでして、とりあえずこのように分類させていただいたということでございます。見出しだけをざっとご覧いただければと思います。

 まちづくりの関係については、「空間と時間のゆとり・都心居住・職住近接」という観点からのご意見がいくつかございます。「都市再構築の方向」に関するもの。2ページにまいりまして、「地域における主体的・個性的なまちづくり」に関するご意見もたくさんいただいております。3ページにまいりますと、「女性・高齢者」それから「環境」といった今日的な課題に配慮したまちづくりについてのご意見をいただいております。その他、様々な観点からのご意見をいただきました。

 4ページ、地域経済の関係については、行政体制のあり方、地方分権、特に地方自主財源の充実、地域が主体的に地域整備をするという地域の自立に関するご意見を幅広くいただいております。中心市街地活性化等に関するご提案。5ページにまいりまして、中山間

地域の関連では、その機能と活性化策についてたくさんのご意見をいただいております。

 7ページにまいりまして、社会資本整備の関係については、優先的・重点的に整備すべき分野についての基本的な考え方。それから、具体的な整備分野ということで、8ページの頭にかけて、結構幅広くご意見をいただいております。8ページにまいりまして、整備システムの問題として、事業評価の拡充、PFIの推進の仕方、9ページにまいりまして、各省庁間の事業間連携の強化というご意見もございます。

 これにつきましても、ご多忙の中、ご意見を提出いただきましてありがとうございます。今後の議論の中でまた改めてご披露いただければと思います。

 資料の中身だけをざっとご説明させていただいておりますが、参考資料1は、本日のテーマに関連する施策として、生活空間倍増戦略プラン、昨年閣議決定されました新しい全国総合開発計画の概要、地方分権関係、中山間地域対策、先般最終答申のございました経済戦略会議の関係部分の抜粋などを集めてございます。

 参考資料2は、関連する基礎的なデータをいくつか集めたものでありまして、これは後ほど適宜ご覧いただければと思います。

 配布資料としては、本日のコメンテーターでございます、A委員、B委員からの意見発表資料をお配りさせていただいております。

 以上でございます。

〔 部会長 〕 ただいまのご説明について、特に何かご意見がございますでしょうか。

 それでは、今日の本題であります「21世紀のまちづくりについて」の議論に入りたいと思います。冒頭お話ししましたように、A委員に意見発表をお願いしております。その後、広く議論をいただくということでございます。

 A委員、ご発表を15分から20分ぐらいでよろしくお願いいたします。

〔 A委員 〕 本部会のテーマでございます、21世紀初頭のまちづくりについてコメントしろということでございます。

 21世紀初頭のまちづくりの議論は、実は我が国だけではなく、先進国諸国がまさに今、その議論をしている最中でございます。それはなぜかというと、都市が大きく歴史的な転換期に入っているのではないか、そういう見解が先進諸国では一般に認識され始めております。

 それはどういうことかというと、これまでの都市づくりを進めてきた仕組みが、ある意味で制度疲労をもたらし、次の時代の都市づくりの仕組みを作り出さなければいけない、そういう時代に入っているということです。

 そこで、今日は、これまでの都市づくりの仕組みと、それを組み換えて新しい仕組みにどういうふうに進めていったらいいのかということについて、冒頭お話をし、さらにそれを進めるための推進策について若干のコメントをさせていただきたいと思います。

 最初に、「これまでの都市づくり」でございます。我々は、これまでの都市づくりを総括して、「近代都市計画の仕組み」と申し上げております。それは、ここに書いてありますように、都市化。要するに、都市に急激に人口が集中する「都市化社会」、あるいはその都市化社会をある意味で促している「工業化社会」、そういうものをベースに考えられてきた都市づくりがこれまでの都市づくりであった。

 ある意味で近代に沿って、具体的に申し上げますと、1880年~1980年という100年間が今で言う近代の仕組みが中心的に動いたところではないかと言われていますが、まさにそういう時代に近代都市化の仕組みが動いてきたということでございます。

具体的に申し上げれば、ドイツでは1900年にザクセン一般建築法、イギリスでは1909年に都市計画法、アメリカでは1916年にニューヨークのゾーニング条例、日本では1919年に都市計画法ということで、19世紀末に用意された仕組みが20世紀に具体化した。それから約100年を経過しているということでございます。

それでは、その時代の都市計画の仕組みはどういう性格を持っていたか。簡単に言えば、成長時代の都市づくりでございます。都市へ人口がどんどん集中してくる。そのために、郊外部に新しい市街地がつくられてくる。それをどういうふうにうまく秩序づけるかということが都市づくりの中心で、そういう意味ではフローをどう対応するかということですし、新規市街地の形成に当たっては、道路とか、公園とかいう基礎的な、画一的な社会資本を整備することがまず第1に必要とされる時代であったと考えられます。そのための制度の仕組みがとられたわけであります。

一方、工業化社会をベースにしていたということは、人々の頭の中に、効率性を重視する、あるいは明確な都市構造をつくる、そういう都市づくりが指向されたわけです。効率性を重視するために都市に収まっている機能をできるだけ純化していこうという考え方がございました。それから、明確な都市構造を持つということは、ツリー構造と申しまして、木・枝・葉という構造をつくっていこう、と。そのためには、まず基幹的な社会資本を重視していこう、そういう考え方がベースにあったと思います。

このような、基礎的、画一的な社会資本の重視とか、基幹的な社会資本の重視というものの土台に立つと、行政を中心とした事前確定的なプラン、行政があらかじめプランを作っておいて、それによって都市をつくっていくということが極めて効率的で、具体的であったという意味で、トップダウン。選択性のない、硬直的というふうに現在では考えられる、そういう都市づくりが行われてきたのではないかと考えられます。

さらに、工業化社会を支える産業空間の形成ということも大きな役割で、工業化の中心であります工業地の機能を分離する。先ほど、機能純化というのがございましたが、機能をできるだけ分離して、工業化社会を支える交通ネットワークの整備。ある意味で効率性というのは時間の問題ですから、時間をある意味で効率的に使うための交通ネットワークの整備というものが重視される、そういう都市づくりが行われてきたと考えられます。

 さらに、こういう成長時代の都市づくりを支えていた社会階層があるというふうに言われております。これは我が国だけではなくて、ヨーロッパ、アメリカでも一般的に既に、都市計画の分野の歴史をやっている方々の共通の認識でございます。

 こういう成長時代の都市づくりを支えてきた社会階層というのは、そこに書いてございますように、工業化社会を支えた労働者であると同時に、有力な消費者でもある新中間階層の台頭というか、急増によっていたと言われております。例えば、ドイツでは1870年に、旧来からの下層労働者という階層が30いたとすると、中間階層の労働者は1しかいなかった。しかし、1870年~1913年の約40年たった時点では、それが9対1という比率に変わってきたという、経済社会学上のデータがございます。そのぐらい急速にそういう階層が増えてきました。

 そういう階層は、従来、伝統的につくられてきた、機能が密集して、複雑に入り組んだ、そういう中世以来の伝統的な市街地に住むのではなくて、郊外部に低層低密度な緑あふれる空間の中に住みたいという要求を持ち、それを支えてきたのが都市計画であった。郊外部を秩序づけて、そこに新しい住宅市街地をつくっていく。その郊外部にできた住宅市街地を交通ネットワークで結びつけていくということが、都市計画の中心的な課題になってきたということでございます。まさに、そういう階層がその都市計画を支えてきた、都市づくりを支えてきたということでございます。

 それを逆の目から見ますと、どちらかというと男性が中心市街地に働きに出る。女性は、郊外部で家庭をつくり、子育てをするという、労働と家庭の分離、あるいは男性と女性の生活の区分というものが、その中から生まれてきたわけです。

 核家族を基礎とした、そういうものをベースとした都市づくりが行われるようになるわけです。

 アメリカの都市社会学者によると、都市化というのは、新しい生き方そのものであったということでありますが、まさに、都市化時代の都市づくりは、そういう新しい生き方そのものを反映した都市づくりをやってきたのだと考えられます。

 しかし、こういう動きが、ちょうど近代都市計画が仕組まれてきた1880年から約100年たった1980年代になりまして、先進諸国でそれぞれ違った仕組みに組み換えていかなければいけないのではないか、そういう意見が出されてきました。都市化社会から都市型社会、アーバナイジングソサエティからアーバナイズソサエティ、工業化社会からトランス工業社会、というような移行に伴う都市づくりではないかと言われております。

 例えば具体的には、ドイツが1987年に連邦建設法典を作って、都市計画を大きく組み換えました。イギリスは、例のサッチャー政権によって1980年に新しい都市計画の仕組みを作りました。アメリカは1980年代から都市成長管理政策というものを大きく打ち出してきました。我が国も1990年代になって、都市政策ビジョンを先日出しましたが、「都市化社会から都市型社会」というキャッチフレーズの下に新しい都市政策を進めていこう-そういう動きを具体的にこれから進めていこうということでございます。

例えば、ドイツは1987年に都市計画の仕組みを変えたわけですが、その中で大きく3点主張しているわけです。1つは、これからの都市づくりは、内部市街地(ドイツで内部市街地というのは既成市街地のことです。)、既成市街地再編を中心に都市づくりをやる、そのことが重要である。そのために、ドイツではニュータウン法を廃止してしまう。これからは郊外部に大規模な開発は行わないのだということを宣言してしまうわけです。さらに、環境の重視ということを、もう一つの大きなテーゼにするわけです。環境の重視は、郊外部に大規模なニュータウンをつくることによって郊外部の自然を壊さないということにも結びついているわけです。さらに、既成市街地において、これまではできるだけ機能を分離しようと考えてきたけれども、しかし、計画的な用途複合というものも進めていかざるを得ないという立場にスタンスを変えていくということを、ドイツでは都市計画法を改正することによって具体化しているわけです。

 そのような動きが、(2)にありますように、これからの都市づくりの大きな枠組みであるわけで、従来、新市街地形成を都市計画の中心にしてきたところを、既成市街地の再構築を中心とした都市づくりに移し、ストックの重視とか、地域特性に応じた多様な社会資本の重視というものが求められております。

 それから、効率性を重視した従来の都市づくりから、むしろ、意味充実を重視し、特徴ある地域特性をもった都市づくりをやらなければいけない。そのためには、機能を純化するということだけではなくて、機能を複合化するとか、ツリー構造というものをネットワーク構造に変えて、それぞれの地域特性をもった地域をうまくネットワーク化していくということが必要であるし、基幹的な社会資本ではなくて、身近な社会資本の重視というのを考えよう。

 さらに、行政の事前確定的なプランに基づく都市づくりではなくて、行政と市民、民間企業との協議に基づくプランによって都市をつくっていく。そのためには、NPOをはじめとする市民からの考えをボトムアップしていく、あるいは市場との連携を図る、そういうことが必要になってくるだろう。

 さらに、トランス工業社会を支える産業空間の形成という意味では、様々な機能が近接化していること、情報ネットワークの整備の重視ということで、従来の大きなフレーズとは違ったフレーズを新しい都市づくりの仕組みの中に組み込んでいかなければいけない、そういう時代に入ってきたのではないか。

 それでは、そういう時代の都市づくりを支える新しい社会階層は何かということを考えると、これはいろいろ議論しなければいけないことですけれども、そこに書いてありますように、都市型の頭脳労働集約産業を支える新しい社会階層がこれから生まれてきて、そういう階層を支える社会空間づくりが必要であり、そういう階層は、恐らく既成市街地の中の環境を上手に分かち合って都心居住を実現する。仕事の場と居住の近接化、男女共同参画社会、核家族だけではなく様々な家族形態に対応した都市づくりというものが要求されてくると考えられます。

 今までのお話は、どちらかというと大きなストーリーです。しかし、もう一つ小さなストーリーというのがありまして、3「市街地特性に対応した都市づくり」でそれを申し上げております。小さなストーリーとしては、大きなストーリーの陰に隠れてもう一つ違った仕組みが世界各国ではあって、それが3の(1)と(2)でございます。(1)は、新規市街地形成が近代都市計画の大きな仕組みであったと言われていますが、しかし、ヨーロッパでは伝統的な市街地の存在、その保存というものを一方でやってきたわけです。

 例えば、フランスは、4枚目にパリの土地占有計画(POS)がございます。日本の用途地域制と考えていいかと思います。例えば、一番上の業務地域、住宅・商店その他、小工場・作業所・その他については容積率350%、オフィスでは200%、そういうところから始まってそれぞれの容積率が示されていますが、この容積率というのは基本的にかなりの部分がパリが抱えてきた伝統的な市街地をそのまま制度に組み換えた、そういう容積率配分だと言われております。こういう制度的な仕組みを整えることによって、むしろ、伝統的な市街地を維持してきた。

ドイツも同じでございます。近代的な都市計画の仕組み、コントロールの枠組みに組み込まれているもの以外に、伝統的な市街地があって、そこでは別の都市計画の仕組みを組み込むことによって、伝統的な市街地を維持してきた。

イギリス、イタリアも、中心市街地のかなりの部分を保存地域という形で維持してきた、というのがこれまでの歴史でございます。

 一方、伝統的な市街地をもたないアメリカでは、先ほど見たパリの資料の後ろ2枚がニューヨークのゾーニングです。これは住居系だけのゾーニングを示してございますが、住居系だけで、そこにありますように、【R1ー1】から10いくつの枠組みが縦に用意され、さらに右側に、容積率、用途、敷地、空地、建物、住宅という様々な要素をコントロールしております。

 簡単に言うと、このコントロールによって、ニューヨークはまさに市街地の形態そのものをつくり出してしまうということです。伝統的な市街地の保全を図るということではなくて、新しい市街地の構造をニューヨークはこの詳細な厳しいコントロールによってつくってきたという歴史をもっているわけです。

 それに対して我が国は、必ずしもそういうことをやってこなかった。伝統的な市街地をある部分壊してきたり、保全してこなかった、つくってこなかった。アメリカのように、新しい仕組みによって市街地をつくってくるということもやらなかった。常に更新し続ける市街地と、ストック形成を図れない都市づくり、あるいは市街地像が確立してきていない都市づくりというようなところがあったのではないか。それは、恐らく、我が国の中産階層の多さというものを反映し、それがある意味で、経済成長の源になってきた。それが逆に言うと、市街地の形成をある意味で阻害してきたという面もないわけでないという感じを持っております。

 そういうことを少し頭に入れていただき、新たな潮流に対応した都市づくりをどう考えるか。これは、時間がございませんので、(1)~(5)まで申し上げます、今の文脈でお話ししますと、この中で(2)と(3)が重要だと思っていまして、特に(2)、これから大都市を中心にして、国際競争力を支えるソフトパワーの増進を支える都市空間の形成というふうに考えてみた場合に、例えば、ヨーロッパでは、そういう新しい頭脳集約的な労働者が働く新しい空間は、むしろ、伝統的な市街地の中にしつらえていく。それをうまくつくり変えることによって、しつらえていく。アメリカは、これまでつくってきた、そういうしっかりした都市づくりの空間の中にそういう要素を入れてくるということができるわけですが、我が国では、新たな文化や魅力をもった都市空間というものをどういうふうにつくっていけるのかということについては、日本の中間階層による中流大衆文化とそれによって形成された都市空間が、そういうものをある意味で支えることはかなり難しいと私は考えています。

 そうしますと、何とか新しい仕組みを作って、そういう空間をつくり出していかなければいけないのではないか。そのための推進方策を5で述べております。5「新たな都市づくりの推進方策」ということで、2点申し上げております。

 1番目は、「行政による画一的規制型から官民協議型都市づくりへ」でございます。そこに書いてありますように、一例を申し上げますと、「画一的規制型から提案型都市づくりヘ」ということです。アメリカの共同開発の資料が、先ほど見たアメリカのゾーニングの後ろのところに出ています。従来の公共側が一方的に規制する都市づくりではなくて、公と民が協議して都市をつくっていくという仕組みは、各国で整えられてまいりました。例えば、この表は、官と民がそれぞれ持っている資源を出し合ってよりよい都市空間をつくっていこう。公共側は公共が持っている資源-「公共のインセンティブ」と書いてありますが-施設整備をしたり、密度ボーナスを与えたり、様々な許認可手続の迅速化というソフトを手段に使う、あるいは資金的支援を行うといった公共がもっているインセンティブ・資源を使う。一方、民間は民間が持っている、例えば、アメニティ整備、周辺との調和、コミュニティー支援、そういう様々なノウハウを提供する。お互いが持っている資源を提供し合うことによって新しい魅力的な都市空間をつくっていくという仕組みを実現しております。

 2番目ですが、1番目の議論はどちらかというと、経済が発展期と申しますか、活性化している時点では、こういう官民協議型が使えるわけですが、もう一方、例えば、我が国の中心市街地の衰退している地方都市を考えてみると、できるだけ市場メカニズムをうまく使って都市を活性化していくという仕組みが必要ではないか。その1つの手段として、TIFという仕組みがアメリカで動いておりますので、それを紹介したいということでございます。それは最後のページにございます。

 最後のページの8行目をご覧いただきたいと思います。「中心市街地再開発の資金を調達するため、再開発に伴う将来の固定資産税の上昇分を担保として、(それぞれの地方都市の)再開発部局が債券を発行し、その再開発が実現した後に、固定資産税上昇分が再開

発部局に渡され、再開発部局はその資金を債券の償還に充てるTIF(Tax Increment Finance) の仕組みであります。

アメリカでは中心市街地の再生に、このTIFの仕組みを非常に活用しております。自治体は何もやらなければ、そういう衰退した市街地から固定資産税を受け取ってきただけ。そこに民間活力で民間を招き入れて開発を行う。その開発資金がないときに、民間がそこの地域に入ってきて実際に開発が行われれば、それに伴って固定資産税は大きく上昇する。その上昇分をあらかじめ、債券で発行して、それを再開発の資金にするというTIFの仕組み。そういう仕組みをとることによって民間のリスクをできるだけ少なくし、あるいは公共団体が中心市街地を活性化するリスクを小さくして、そのことによって中心市街地の活性化を図るというような仕組みも、これからの推進方策の一つとして考えていくべきではないかと考えるわけです。

 ちょうど20分ぐらいたちましたので、終わらせていただきます。

〔 部会長 〕 どうもありがとうございました。

それでは、ただいまのA委員からのご発表内容を踏まえて、21世紀初頭のまちづくりについてのご議論をよろしくお願いいたします。

〔 C委員 〕日本の街がこういうふうになってしまったこと-「こういうふうになった」というのは、非常に悲惨な状況だと私は思っているのですが-制度とそれの運用と関わるようなところで失敗したようなこと、つまり農地のスプロールの話とか、調整区域のスプロールの話とか、建築家が常に景観の規制を嫌がった話とか、商店街の人たちが跡継ぎのいる人といない人の合意ができなくて、そこの活性化がうまくいかなかったとか、その辺の話はきちっともう分析されて、体系化されて、それでこういう話と組み合うようになっているのでしょうか。

〔 B委員 〕 この辺はかなり重要な視点です。実は、冒頭に申し上げましたように、我が国は1919年に近代都市計画の仕組みを整えたわけです。欧米とほとんど遜色ないのです。仕組みも、制度の大きな枠組みを考えると、ほとんど各国の仕組みと同じ仕組みを導入しているのです。ところが、お話のように、なぜ、そういう仕組みを整えたのに実際運用してみると欧米とは違う都市ができてしまったのかということです。

それは1つは、我が国の様々な社会的な背景の中で、法律の中によく書き込むのですけれども、必要最小限の規制にしようということです。例えば、我が国が先進諸国と同じ仕組みを整える。しかし、一部穴抜けをする。例えば、これ以下の小規模なものについては規制をかけない。様々な仕組みを導入することによって、大きな枠組みは近代都市計画の枠組みとして整えたわけですけれども、実際に運用する仕組みの中にそういう必要最小限の規制をする、そういうテーゼみたいなものがありまして、それによって様々な抜け道を作ってきた。

 抜け道を作ってきたということの背景には、先ほど若干申し上げましたけれども、よくこういう話をするのですが、欧米では伝統的な市街地がある。したがって、開発というのを考えてみると、そんなに大きく開発が出てくるわけではない。ところが、我が国はあらゆるところに開発が起きていて、統計を見ると、例えばヨーロッパで対面積当たりの開発量を1と考えると、我が国では10とか100という統計があって、そんなことに一々ヨーロッパと同じような形でコントロールできますか、ということを例えば行政レベルで言うわけです。そのために、例えば、小さなものはできるだけそこから除いて、行政的に対応できる部分に対応していこう、という都市づくりをやってきたわけです。

その結果として、我が国は建築の自由があるのだ、そういう言葉が出てきたと思いますけれども、しかし、先ほど申し上げましたように、そもそも制度の枠組みは、建築の自由があるというところから出発していなくて、制度の枠組みとしては、ヨーロッパと同じような仕組みを作ってきた。しかし、それを穴抜けするような仕組みを作ることによって、結果として、ヨーロッパとは違う建築の自由の世界を作り出してきたというのが、我が国のあり様ではないかと考えております。

〔 D委員 〕 A委員の今日ご発表いただきました内容に、私も基本的に賛成なのです。今の都市づくりの最大の問題と私自身が思うのは、例えば、先ほど出ていました中心市街地の再活性化を考えたときに、いくつかの街で関わっているのですが、都市計画の部門の方たちは、依然として郊外開発をやっていくということ、これを理念としてもっているのです。

今までの自分たちのまちづくりというのは、中心から、過密化していたものをできるだけ郊外に持っていこう、そしてきれいな街にしていこう、この理念が地方へ行けば行くほど、まだ固定的にあるわけです。そういう中で中心市街地活性化というのを、11省庁なり、13省庁でやろうとすると、形としてはやるのですけれども、精神が伴わない。

中心市街地を活性化しましょうと言っていながら、一方で、中心にあるものをどんどん出していくというようなこと。その辺で、行政担当者及び市民の考え方を基本的に変えていくという、ソフト面でかなりやらないと、時代の大転換という形でやらないと、どうもうまくいかない。非常にミスマッチを起こしているということを感じるわけです。これが1点です。

 2点目は、私、京都で30年ほど生活していたわけですけれども、京都のまちづくりに、私が3年前にふるさとに戻る前に関わったり、それまでの5年間で急速に変わってきたのが、積み重ね的な都市をつくっていこう、こういう考え方です。それまでは、古いものをできるだけクリアランスしていくというような考え方があったのですけれども、急速に、積み重ねの都市をつくっていこう。これは、伝統的な街をつくっていくということですが。

そういう中で感じますのは、やはり、これも人の問題、考え方の問題というのが非常に大きい。かつての日本というのは自営業中心でした、商工業者にしろ、農業にしろ。それが高度経済成長なり、いわゆる産業化社会において、サラリーマン行政というか、サラリーマン中心の社会になってくる。小規模事業者も、なかなか積み重ねができなかった大きな理由というのが、先ほどC委員からもありましたように、後継者の問題で、自分の息子がサラリーマンになっていく。そうすると、将来に対して投資していくという意欲がまずないのです。後継者養成をやる気がないから、積み重ね的なメンテナンスをいろいろな形でやっていかない。この辺があって、いわゆる将来の個人投資が非常に不安定になってくる。それで、積み重ねが起こらない。こういうことが一つあったかと思います。

 他方で、高度経済成長とともに、地価が高騰してきて、固定資産税がどんどん高騰してくる。そうすると、そこで効率的なものをやろうとすると、後継者はいない、高騰はしてくる、そこで新規参入者に任せるとなれば、効率的なまちづくりということでスクラップ・アンド・ビルド型になる。京都も、バブルの頃は、典型的にワンルームマンションとか投資型に変わってがちゃがちゃになった。その辺の人々の考え方というあたりを変えていかないと、なかなかうまくいかない。それを制度でどうコントロールするかというあたりと、ソフト面でする、そのあたりが1つ問題点かと思っています。

〔 B委員 〕 私、中山間地にいますが、私は今、仕事の関係で中山間地と東京を10日おきぐらいに行き来していまして、単純に田舎者として感じることは、都市は3日いますと耐えられない、苦痛を感じる、これは体感です。「住めば都」という言葉が昔からあるのですけれども、大変だなぁと感じるわけです。

 私は、田舎へ帰りますとリフレッシュされて、今度は逆に、東京が恋しくなるときもあるのです。

 そういう意味で、これからの都市づくりの概念の中に、地方と都市づくりの関連というものをきちっと位置づけないと、都市を都市のためにつくると、どうも気になる。それを肌で感じているということです。

 ですから、都市をつくるときには、地方なり地域というか、その周囲を含めた中山間、地方経済も含めた中で都市をどうつくっていくかという概念を、ぜひこれから固めていって都市をつくる。

 あるときに東京都の方とお話ししたとき、「東京都は東京都民のものではないです。東京都が都民のものだと思われたときに、東京は大変でしょうね。」というお話を冗談でしたことがありますが、そんな感じを田舎者として受けているということです。

 ですから、地方と都市というあたりもひとつお考えいただきたいということです。

〔 E委員 〕 A委員のお話は大変おもしろかったのですが、成長時代の都市づくりについて、C委員がおっしゃったように、私も、ここのところが日本の場合には、いいものができて、その脱法がどうこう、あるいは抜け道がどうこうという以前に、基本的に何か間違っていたのではないかという感じを受けざるを得ないです。

 私は、この30年間、東京を中心に店舗をつくろうということで、東京の周辺中を歩き回って土地を探してきた者ですが、我々流通の業界で見ましても、都市計画というのは非常に強力なもので、これを逃れて何かやっているというのは、ある程度以上の企業や人では、まずないです。個人の違法建築なんていうのは多々あるかもしれませんが、大きなところではほとんどない。つまり、きちんと規制をすればきちんとできたものが、大きくは大体そのとおりになっているにもかかわらず、例えば、新宿の高層ビルから見下ろした景色は、私は、あれはサラリーマンを殺すための地獄ではないかと。2時間ぐらい、あるいは1時間半ぐらいかけて、小田急線で、足をつかないでも立っていられるような電車に乗って通勤してくる。そして、そのやって来る途中は、全部2階建て以下です。

私は、世田谷の代田に住んでいるのですが、あるいは成城や田園調布というような美しかった街は、どんどん用途地域の指定どおりにやっていくと、全部小さいアパートに最後にはなってしまう。私の家の近所も、昔の一戸建てが全部小さいアパートになっている。それも皆、低層です。低層であるということは、人口が多く住めませんから、東京が大きくなるほど、ますます遠くになっていく。その問題解決はというと、早い電車を走らせるからいいだろうというわけです。電車を早く走らせて問題解決してきているということで、非常にまずいわけです。

 今お話があったように、東京は、都市は住みにくいというのですが、私自身は、下北沢に住んでおりますので、会社が家から15分です。そして、新宿で主として遊んでいるということになると、実に東京は住みやすいです。つまり、時間的に近くあって、しかも、私は親の代からいるからそこそこの広さのところに住んでいる。つまり、広い場所があって、時間的に仕事場と近く、そして余暇を過ごす場所が近ければ、東京は何も問題ない。

つまり、それが住みにくいというのは、要は、遠くなるからです。遠くなるその街をつくってしまった基本的な計画というところに問題があるので、それは抜け道ができたせいではないのではないか。効率性を重視して、明確な都市構造の都市づくりが全くできていなくて、都市構造がどこにあるのか。

 30年間ずっと探していると、例えば東武東上線でも、京成線でも空き地はいっぱいあった。農地もいっぱいありました。あの段階、例えば昭和40年代の初めの段階に、ちょっと手を打っておけば、いくらでもきれいな、ここに言われるような街ができたものが、その後どうなったかというと、くねくね曲がったひどい道の、ごちゃごちゃの街ができてしまっている。

そして、高層利用するとスラムになる、こういうことをおっしゃる向きもあるのですが、これは論理が全く反対である。大きな都市ではすべて高層利用しているから、大都市にスラムができたら、必ず高層のところがスラムになっただけの話であって、日本には現に高層でないスラムだってあるわけで、高層利用とスラムとは何の関係もないのに、日本は高く土地を使っていない。

そこに、オフィスを野放しでつくらせた。先ほど、フランスではオフィスを別に分けているのを見てあっと思ったのですが、私も、人間は働く場所を求めて移住するので、オフィスを野放しに都心につくれば東京はデカクなるに決まっている、ということを昔から言っているわけですが。

肝心なところを規制しないで、そして、高度の利用ということもしないでいるので、基本的な成長時代の都市づくりのグランドデザインが間違っていたのではないか、というのが私の感じですが、いかがでしょうか。

〔 A委員 〕 私は、こう考えているのです。例えば、ここに書いてある基本的な視点というのは、恐らく、我が国にもあったと思うのです。例えば、東京をつくるにあたって、東京の都心をつくり、副都心をつくり、郊外部をつくり、そういう大きな枠組みでつくった。例えば、基本的な道路とか、鉄道というのはつくってきたわけです。しかし、住んでみると、とんでもない街である。

それはなぜかというと、例えば、20メートルとか、あるいは20数メートルの幹線道路は官が一生懸命つくってきた。その次の、皆様が生活する生活空間に対応した、例えば12メートルとか、8メートルとか、6メートルというような道路を考えてみると、それはほとんどできていない。できているのは、ほとんどが4メートルの道路です。自分たちの住宅をつくるにあたっては、4メートルの道路をつくりなさい。4メートルは自分たちでつくりなさい。4メートルと基幹的な道路との間を埋める、そういう仕組みを我が国は持っていなかった。それを財政的に公共側もつくらないし、まして民間側がつくる術もない。そのために、例えば住宅市街地が、先ほど、もっと高層化すべきだというお話がございましたけれども、高層化しようもない。4メートルの道路に高層の建物を建てたらどうなるのですか、というような話になる。

 高層を建てるべきところはたくさんあります。しかし、高層を建てるべきところに、高層を建てるべき枠組みをつくってこなかったというのが、我が国の都市の仕組みではないかと考えているわけです。

 ですから、20メートル以上の幹線道路に沿っては、それなりの高層の建物がずっと建っているわけです。例えば、東京都心から新宿あるいは渋谷にかけて、コリドー状に、幹線道路沿いに高層の建物が建っているわけです。しかし、それを一度入りますと、とんでもない市街地が展開している。一度入ると、4メートルの道路しかない。4メートルの道路もないという市街地が、例えば青山あたりにいくらでもあるわけです。そのことを実はやってこなかった、そういう抜け道をつくってきたというふうに申し上げていると私は考えております。

〔 F委員 〕 東京を中心にして都市を考えていると、日本の国は木造住宅で、大変小さなスケールで都市を埋めてきたということが歴史的に残っていて、ヨーロッパのように中央集権的にパリのトップが都市をつくってきたという歴史とはずいぶん違うものがあって、そうした小さなスケールを変更しているのが都市づくりであったみたいなところがあるのですけれども、依然として、その小さなスケールというのは、わりと身体的にヒューマンなところがありまして、いまだ活気をもっている。

 例えば、去年から、墨田区というところを外国のたくさんの学生と調査、研究をするということで発足しているグループがあって、私も少し関わっているのですけれども、非常に過密快適とドイツ人の学生たちが思って、この都市にどういう密度で人が住んだらいいかということをディスカッションしたりしています。

 そのことを通していろいろなことを考えていると、A委員が整理してくださったように、私たちの国というのも、この100年というのは、近代化というか、工業化ということにすごく極端に移転をするような、中央集権的な意図をもって進めてきたと思うのです。その中で、様々な末端の住まいのあり方まで極端に変えようとしても変わらない部分、あるいはすごく変わって、今、白書を見ると単身世帯というのがたくさんあるわけですけれども、先ほどの先生のところでも、家族の形態が変わってきているということでしたが、家族というよりも、生きていくスタイルの中での集合の仕方というか、独身者がまとまって住むとか、様々必要な要素も変わってきているわけですけれども、都市は急速に発展したために起こってきた、そういう核家族が残している家族のあり方から、土地問題から、様々なものがどうも都市の中でうまく機能していないということは確かですが、しかし、その古いものの中にも、私たちはまだまだ魅力的な空間も残しているところがある。この100年というものが工業化してきた中で、すべて悪いわけでないのではないかということと同時に、そうした大きな集権的に都市を一極集中化したり、様々な均質な開発をするというような進め方の中にもってきた問題もたくさんあるのではないか、という感じもするのです。

 ですから、この100年間、ヨーロッパ並みの国家づくりしてきたところで、都市づくりの中にもっている問題というのは、様々な問題があって、大変大きな波及をしているという感じはいたします。

〔 G委員 〕 私は、大阪の都市のことだけについて意見を述べさせていただきますと、現在、戦後できました都市計画案というのが未だに生きているわけです。一部は、例えば東西線の道路というのは何メートルという幅員をもって、地図の上には都計線というのはきっちりあるわけですが、実際には50年たった今も-部分的にはできているのですが-できない。

さっき、A委員が、抜け穴があるというのですが、ここに1つ物を建てようとしましたら、地下は掘ってはいけない、あるいは4階以上の建物は建ててはいけないということになっていますが、「地下を掘るとなったら、埋め戻していただければ、今は掘っていただいても結構だ。計画を実行するようになったら埋め戻していただきたい、と。あるいは4階以上の建物を建てても結構ですが、エレベーターはつけてはいけない。こういう規制があります。

 したがいまして、抜け穴がある部分については、そういうふうになっているものですから、街全体が一向に整備されない。そういうことがあるからには、都市計画というのは、戦後できたものですから、もう一回、この際見直す必要があるのではないか。

 これは大阪だけに限ったことではないと思うのですが、大阪の都計線の地図を見てもらったらわかりますけれども、実際未だにずいぶん都計線が残っているという、これを整備していくことが、これからのまちづくりには大変大事なことではないかと思うわけです。

〔 H委員 〕 地方都市の中心市街地の問題に絞って意見を述べさせていただければ、今もご指摘がございましたが、成長時代の体質なり発想、あるいは財政システムを含め

て-これは補助金というものも含めての話ですけれども-計画とかが作られている。そのことが、中心市街地に対し活性化をするとかいうことに対して有効に効果をもち得ない、そういう状況になってきているのだろうと思います。

 ですから、先ほどご紹介のありました資料の7ページのような、これはインフラ整備の問題にも共通してくるわけですけれども、そういう硬直的な計画を策定する、あるいは成長主体の体質をもった計画を策定する前に、公共のインセンティブですとか、民間のインセンティブというものをもっと柔軟に組み合わせられるような、そういった形でまず作ってみることが必要であって、そのことは国の計画だけでなくて、各地方自治体で作っている中心市街地の再開発計画とか、そういうことにも非常に強い問題点として挙げられるのではないかと思います。

 今、地方都市で起こっているのは、どんどん郊外にいろいろな大量販売店舗ができていきますので、中心部のところが衰退化していく。ところが、その中心部についての再開発計画は、今までどおり成長指向型の、あるいは成長期にできた体質の中でつくっていくものですから、どうしても民間がそこへ入ってくるインセンティブというのは非常に薄い。そうすると最終的に何をやるかというと、そこへ公的な機関を誘致して庁舎をもってくるとか、そういう形で当面の活性化というものを考えようとする。

 地方自治体と議論していると、今、市街地の活性化という話になると、役所あるいは公的機関をどこにもっていくかというのが一番大きな話になって、郊外部にもっていくのか、中心市街地に残して地域政策としてやるのかという話になってしまう。

 恐らく、そういうことでは限界があると思いますので、7ページに書かれているようなことなどを、PFIなどもそうでしょうけれども、もっとソフト面での制度設計、それをやっていく必要があると思います。

〔 C委員 〕 A委員、先ほどのF委員の話と、それから今のお話にも関わるのですが、日本の街はものすごい勢いで、個別建て替えとか、用地の統合とか、非常に小さなロットで、欧米よりたくさん起こっています。それはマーケットメカニズムと仮に呼ぶとしますと、それをうまく吸収してある目標にもっていく、その仕組みがなかなか作れなかった。そして、逆の、先ほどご指摘の相続税のような話もありますし、いろいろなことがあるのですが、それに対して、もう一回提案して、こういうふうにすればそのエネルギーをいい方に向けられる、こういうシナリオは書ける可能性がありますか。

〔 A委員 〕 そういう仕組みをうまく組み込まないといけないと思っています。

 これまでの都市づくりというのは、先ほどちょっとお話が出ましたけれども、できるだけ大きくまとめてつくっていこう、と。そのために地権者をまとめなければいけない、共同化しなければいけない、そういう制度をずっと作ってきたわけです。しかし、それはなかなか言うはやすく実現は難しかった、というのが歴史ではないかと思います。

 そうすると、そこまで縛らなくて、むしろ、ある広がりを、これだけ環境を皆さんで持ち合っているのだ、それを皆さんでいろいろ配慮しながら、例えば敷地単位で開発することによって、うまく環境を分かち合って住む、そういうことはどういうふうな形でできるか。そういう柔軟な仕組みを用意しなければいけない。

 ところが、我が国はそれをやろうとした途端に、行政が動かなくなるのです。それを誰が判断するのか、それがいいと誰が判断するのか、我が国でそれを現在判断するのは、建築主事という、アメリカが制度として戦後我が国に持ち込んだ、個人。首長さんでない、個人です。建築主事、個人に責任を負わせる、そういう仕組みしかないわけです。そうすると、そんな人に、全体の環境がこうだからこれでよろしいというふうに言わせるのか。とても、それはできない。恐らく、新しい仕組みを何らかの形で作っていかないと、そういう仕組みは実際には運用できないのではないか、と私は思っています。

〔 部会長 〕 政務次官、何かご発言がございましたら。

〔 政務次官 〕 私も、6年前まで草加市、お煎餅の街ですが、人口23万人ぐらい、そこの市長をやっていたのです。都心から15kmですから、日本の高度成長の都市化の象徴みたいなまちで、お話がございましたような、かつての農村が一気に都市化するわけですので、まさに縮図で、いろいろな課題が出てくるわけです。

おっしゃるように、都市計画道路というのもあるのですが、それを買収する費用もない。それよりも、人口が一気に集中してくる、人口圧力、不動産圧力の方が強いわけです。様々な、今お話しいただきましたような悩みをしました。

駅前はかろうじて再開発法による再開発事業をやったのですけれども、東武伊勢崎線ですが、多分、草加が最初で、あとは永久にできないだろうとみんな、建設省の人も言っているわけです。それは、やはり、効率の問題だろうと思います。

だから、いろいろなまちづくりがありますが、まちづくりをしていこうというシステムとしての法律の整備と、あとは何よりも、そこに住む人の意識が問題なのだろうと思います。

ですから、ハードとソフトの両方をよっぽど行政が説得していかないとまちづくりはできませんし、行政が説得する能力が仮にあったとしても、そこに住む人たちの協力がなければできないわけですので、残念ながら、まちづくりというのは、望ましい方向に行っていないというのが首都圏全体の共通の課題ではないか、こう思っています。

〔 部会長 〕 まだたくさんご意見があろうかと思いますが、時間の関係もございますので、2つ目のテーマ「地域経済・中山間地域等」の活性化についての議論に移りたいと思います。

 B委員、よろしくお願いいたします。

〔 B委員 〕 「地域経済・中山間地域等」の活性化について意見を述べよということですが、私は、中山間で農業経営にずっとこだわってきたものですから、地域経済に対する思いが欠落している点が多々あると思いますので、これは委員の皆さんのフォローをよろしくお願いしたいと思うところであります。

 簡単なレジュメを作っておりますので、それについてお話し申し上げたいと思います。

 まず、「地域経済・中山間地域等」を考える上での視点といいますか、課題といいますか、その辺に少し触れてみたいと思います。

 1ページ、私が常々感じている「個の帰属先」ということで、今日までは、個人の帰属先は「都市は職場」であり、「農村は家と集落」であったのではないか。しかし、これが今大きく、A委員もおっしゃいましたように、構造が変化しまして、今、都市は職場と終身雇用の崩壊という問題があるようですし、農村は家と集落というのが、「崩壊」というのはオーバーな表現かもしれませんが、おばあちゃん一人で住んでいらっしゃる方がたくさんいる。そして、農業経営をしている青年すら、独りぼっちである、非常に不安定になっているということでありまして、これをどうするかという課題は大事な視点ではないかと思っております。

 次に、「成熟経済社会の到来」の下の方に「・」で書いていますが、消費構造と生産構造。私の場合には農業生産・食品ですが、成長時代は非常に画一的な消費であって画一的生産であったものが、非常に豊かになると同時に、市場が成熟するとともに、多様化しているにもかかわらず、生産構造がまだ多様化に追いついていないというあたりが、これか

らの地域経済・中山間地域等を考えるときに非常に重要だという視点をもっております。

2ページですが、地域経済としては、先ほどもちょっと触れましたけれども、東京から1時間離れれば、タイムスリップしてしまうようなすばらしい国ができていると、私はうれしく思っているわけです。したがって、地域社会はどんどん縮小している-表現が正しいかどうかわかりませんが-。そのかわりに、今、私どもの農産物が一気に東京でも、どこでも飛んでいく。地域経済が非常に広がっている、膨張しているというあたりを視点に置く必要があるのではないか。高速交通、情報化、物流の考え方ということで、私は、我が国に過疎などはない、それは心の過疎ではないかと、よく仲間たちに言っている状況であります。

 したがって、地域経済エリアの膨張に伴う地域経済圏というものの見直しが必要ではないか、という視点をもっております。

 それから、地域社会と経済が財政と公共依存に、特に地方経済、中山間は依存体質になっているという点は、我々も少し反省しながら、どうしていくかという課題は抱えているということであります。

 したがって、公共依存、財政依存となりますと、平等分配ということがまず前提に立ちまして、ここが、なかなか次に行けない地域経済・中山間地域等の、特に農村といってもいいですが、課題を抱えております。

 それから、中山間地域の社会資本整備でありますけれども、先ほど申しましたように、高齢化が非常に進んでおりますし、人口の減少が著しく進んでいるということで、水と森、これをこれからどう維持管理していくか、これは非常に重要な視点ではないかと思っております。

 その次に、農村地域も家という単位で、特に農村地域は動いていたのですけれども、我々の子供の、個人で自立しなさい、自分を主張しなさいという教育で、もはや家という単位では動かない日本ができている。この辺を見ながらこれからの地域経済なり中山間地域というものも考えませんと、どうしても次へ行けなくなっているという視点をもっております。

 ではどうあるべきかということであります。2ページの、我が国社会の「あるべき姿」の2つ目の○で、「我が国の最大の資源は、水と森(里山)」と書いているのですけれども、私はそう思っておりまして、いかなることがあろうと、都市づくりにしても、地方経済・中山間地域を守るにしても、これは非常に重要な資源だと思っております。したがって、「中山間地域は都市の里山」という概念が必要ではないか。アメリカ、カナダ、中国大陸、ロシアや、この間のように、栃木県に降った雨が一瞬のうちに水戸市を襲うという状況を見ましても、都市の里山としてこれからは考えなければいけないのではないかという視点をもっております。

 急ぎますが、3ページに移らせていただきます。上から3番目の○で、生活者が地域づくりに積極的に参加し、投資する社会を形成する必要があるということです。地域づくりというものは、行政・団体・銀行・企業がやられるものだという概念が、国民の大半ではないか。しかし、これからは「官・学・産・民」の役割を明確にしながら、一人ひとりが地域づくりなり地域経済づくりに参加していく意識をどうつくり、それをシステム化することが非常に重要だと思っております。

 特に、地域社会の「あるべき姿」ということで、私が気にしているのは、心のゆとりです。成長、成熟した社会でありまして、高齢化、生命に対する貪欲なまでの欲望が高まっていくであろう21世紀は、人と自然の触れあい等、新しい価値観をどう活かして地域づくりをし、地域経済、中山間を使っていくかということが非常に重要ではないか。

 それから、先ほど、地域社会の縮小、地域経済エリアの膨張ということを申し上げましたが、「広域生活経済交流圏」の形成という一つのものの考え方がこれからは必要ではないかと考えております。

 個人の問題でございますけれども、特に今、農業・農村では担い手不足ということで、大事な農地等が耕作放棄地になっていくという大きな課題を抱えております。これも個の確立の時代を迎えるからには、農業法人化ということを、今回の農業基本法も重要に議論していただいておりますけれども、これからは非常に大きな役割を果たすべき時代、そして、個人というものの帰属先をどう確立してやるかということも大きな課題ではないかと思っております。

 それから、2「地域経済・中山間地域等の活性化について」ですが、私もあまり専門家ではございませんのでいかがかと思うのですけれども、単純に、素人なりにこれを申しますと、どういう産業や文化を持つ地域経済をつくっていくかということで、「総合生命産業」。高齢化、環境問題、世界的にみた場合には人口の爆発的拡大になる場合、まさに地球そのものが非常に狭くなり、生命という問題が非常に意識される21世紀ではないかと考えるならば、総合生命産業として、1次、2次、3次を掛け合わせて6次産業。どれをゼロにしても、日本はなくなる。これは、足しても、掛けても6になってしまったものですから、「6次産業」と私が勝手に言っているわけでございます。それをどう作るかということ。

 それから、これからは地域経済なり中山間地域等は、「流通、情報通信、観光」等の機能に着目した活性化を図る必要があるのではないか。

 特に今、私が懸念しておりますのは、経営者養成システムの確立です。今の教育をとやかく言うのではないですけれども、私のところに、農業をやりたいということで全国から50名も毎年就業希望がきますが、どなたとお話ししても、1+1=2という概念できております。経営たるものは、経営者たるものは、1+1=2にならない。1にもなるけれども、3にもなる、その辺の教育なり、育成システムを作らないと、経営者がいなくなってしまう。今の若者が、楽をして給料をたくさんもらうのが一番賢い奴だ、こういう概念になってしまうと、これは非常に気になるところであります。

 それから、中山間地域の機能は何かという問いがあるわけですが、ここに書いてありますように、中山間地域の機能としてはたくさんあると思いますが、食料供給機能、国土保

全機能、生活空間機能、癒しと学びの機能-これは今回の農業基本法でも、中山間地域を含めた多面的機能ということがこれから非常に重要です-と。「0円リゾート」づくりということで、私は、農場を開放しまして、自由に子供たちに来ていただく。特に小学校3年生以下の子供たちが自由に来て、いろいろな体験をしてほしい。そうした体験から、癒しと学びの機能が非常にあるということを、都市の皆さんから教えていただいております。観光・交流機能、今はグリーンツーリズムという言葉がどんどん出始めていますけれども、そうした機能をこれからどう活かしていくかということが地域づくりではないかと思っております。

 最後に、中山間地域の活性化を考えましたときに、地域経済の面を相当割愛しているのですけれども、お許しいただきまして。私たち、特に中山間農業・農村と考えるならば、総合的な利用計画を整備する必要がある。要するに、生活空間、生産空間、森林空間、その他の空間というものを土地利用計画をできるだけ早く樹立しないといけないのではないか。

 同時に、私どもは農地を預かっているわけですが、農地の守るべき総量、利用計画を樹立する。農地の利用を、経営農地、自給農地、環境農地、交流農地という区分で活用していく必要がある。経営農地というのは、経営農地を守りましょう。自給農地というのは、自分の食料を基本的に確保していくような農地。環境農地というのは、棚田であって経済的に成り立たない、しかし、これは地域の景観、そして災害等を考えた場合には、これは国民みんなで守っていかないと大変だという農地。交流農地というのは、都市の皆さんがどんどん中山間地域に入ってきていただいて、ある意味では、農地付きセカンドハウスというようなものをもっていただいて、生産を体験していただくような農地があっていいと考えております。

 経営でございますが、複合化と経営の多角化を推進する必要があります。特に今、安全・安心という食料が非常に消費者ニーズでして、自然農法というか、自然に順応した農業、そうしたものは先人たちがまさにきちっと3,000年なり5,000年の歴史の中でやってきていまして、これが戦後の経済成長の中で、お米はお米、牛は牛というふうに分離したところに大きな課題があります。特にお米は1,000ha作ろうと、1ha作ろうと、春と秋の作付けは変わらないというのが生命産業でございまして、それは家畜が結びつくことによって、その副産物の堆肥は土に戻り、稲藁が餌になっていくという、我が先人たちが築いてきたすばらしい文化といいますか、経済システムというものをもう一度考え直す必要があるということと同時に、原材料を生産するだけでなしに、加工・販売・交流という農業の多角化、経営の総合化といいますか、それを総合生命産業と申していますが、それが必要ではないか。

 産業として自立した農業経営の確立と、新たな経営継承システムの整備が必要であります。私は、その意味では、法人化は、自分の息子以外の青年に継承していけるという利点があるわけで、注目も集めております。ただ、それだけでなく、家族経営の皆さんも、相続という農地なり経営引き継ぎでなしに、農地と経営を一体として、誰にでも。アメリカは、リース、売買というような形が基本ですし、ヨーロッパは契約という形で親子でも継承していく、そういうシステムを作る必要があるということであります。今は、農地は相続で引き継いでいけますが、経営は、一生かけて築いた農業経営が、自分の息子が農業経営をとらないとなると、崩れていっている。これは地域経済を考えるときに、非常に不安であると考えています。

 次に、国民の誰もが生活し、体験、生産できる交流の場を、先ほども触れましたけれども、農地付き賃貸住宅というシステムがこれから農村にできると、今年は北海道に1年ぐらい、その賃貸住宅に街の人が行かれる。また、街にも、我々の農村の者が住めるような賃貸住宅があるといいな。そして、村と街を行き来すればいいなと。僕は、東京はすばらしい都市だと思っています、東京が好きです。そして、農村も好きになれる。私は、皆様のお陰で体験させていただいていまして、こういうシステムができるといいなと思っております。

 新たな生活基盤の整備ということですが、今の農村の生活様式の三世代同居の住宅は、今の若い方は、維持管理できないです。そういう教育をしておりません。したがって、農村も、近代的住宅、それから集落の生活空間、インフラストラクチャー、そうしたものも考えていかないと、どうしてもこれからの若者が農村・地方に住み着かないのではないか、定住しないのではないかということであります。

 デカップリング政策が今議論されておりますが、水と里山というのは、我が国の最大の資源でありますから、上流・下流の話し合いによって、お互いが負担を分け合うようなシステム、それを今検討されていますが、中山間地域等への直接払いということもぜひ、私は-すべてという意味ではなしに-ここは本当に守るべきところだというところを明確にして、早期実現が必要ではないかと考えております。

 集落機能の見直しと、集落エリアの拡大でありますけれども、これは今、旧村、戦後そのままの集落を自治単位として集落が動いていますが、もはや、さっき申し上げたように、地域が縮小していますので、旧村単位とした広域エリアを単位として集落機能を見直す必要があるのではないかということであります。

 当然、そういうことから、市町村合併もこれから避けて通れない、広域自治圏域という時代が来ている、という考えが必要ではないかと考えております。

 ちょっと時間を超過いたしまして、申しわけありません。

〔 部会長 〕 どうもありがとうございました。

 それでは、ただいまのB委員からのご発表内容を踏まえて、地域経済・中山間地域等の活性化についてのご議論をよろしくお願いいたします。

〔 I委員 〕 A委員の、これからの都市づくり、それから今のB委員の、地域経済・中山間地域等の活性化、それぞれに順序立ててご説明いただきまして、私も、納得するところが多かったわけです。

 地方や地域が下請け的な、中央と地方というような位置づけになってしまったのではないか。私は、フランスですと、パリとその郊外の田舎の魅力、それぞれが同等に補完し合う関係によってその位置が高められてきているというふうに評価しているわけですが、どうも日本の場合には、東京と地方と、極端に言えばそういうようなことによって地域の個性というものがいろいろ損なわれてしまっている。

 それには、建築基準や、それぞれの法律という大きな枠が均一化して、それは国土を守っていくための1つのルールですが、どうも条件とか、気象・風土から、伝統文化まで、一律に法律ということだけで一過性になっていっているところに問題がある。

 先ほど、抜け道という表現がありました。その抜け道が、建築なら建築を建てるための抜け道だけであって、暮らしていく地方の独自性を出すための抜け道ではなかった。そういうふうな個性が出せるようなルールづくりというものができてまいりますと、地方の中山間地域の活性化という一つのものの中で、農村が果たしている役割という、農産物の供給地である位置づけもですが、国土保全のための環境保全という位置づけもできてまいります。それから、農村景観という一つのものが、グリーンツーリズムで教育の癒しと学びの機能というB委員のお話がございましたけれども、教育空間として提供する場所である。伝統文化を、保全・継承し、それを活用する場となりますと、都市と地方のそれぞれの役割が明確に位置づけられていくのではないかと思っています。

 そういう面で、農林地域といいますか、農村というものの公益的な機能での評価があまりにも低い。それを評価するものを何か高めていくことも、ひとつぜひしていただきたいと思います。

 都市住民と共通の-循環していくといいますか-双方が補完し合える-都市の魅力、そのためには背後地としての農村地域なり農村というのがある。それがフランスの田舎の都市がパリと同格でいけるようなものを、日本の中でもつくる。そのためには、それだけの評価をしうる位置づけに、都市の人たちなり、中央の人たちが、ぜひ持っていただきたい。

 いろいろなことをしていくときに、教育という一つの視点が、今まで少し欠けていた。能力主義といいますか、イタリアで職業を持っている人たちが、家を継ぐことによっての専門的な、デザイン的な勉強をしていくことによって、同等の位置づけになっていく。今、イタリアが元気だというのは、デザイン力です。そういうような能力をもっていくための仕組みが、視点として必要ではないか。

 国土保全という中山間地域の対策の中で、新しい一つの創設ができていくようにしていただく。都市と農村のそれぞれの役割を分担しているのだという位置づけを、ぜひそういうものの中にもっていただければと思います。

 あと、暮らしている視点、土地に対する愛着心、愛情、そういうようなものが必要。土地というものがこれだけ崩壊していく1つの原因は、その地域のコミュニティなり、そういうふうなものが欠けていることが大きな原因である。だから、暮らしの豊かさという価値観をどういうふうにつくっていくか。

 湯布院というのは、そういうふうなものをずっと追い続けてきた結果が今、注目されてきているわけです。

 また、地域の中でそういうことを頑張っている人たちを、どういうふうに研修していき

ながら、その一つの事例を作っていただけるか。その辺の視点がほしいと思っています。

以上です。

〔 D委員 〕 私自身の経験で言いますと、私は、大都市をずっと見てきたのですけれども、ふるさとに帰って、群馬というところに帰りますと、どうしても中山間地域と付き合うようになります。そこで感じたことは、現在の中山間地域というのは、補助金依存体質が強過ぎるのではないか。その段階で非常に不安になるのは、例えて言えば、延命装置を付けておいて、一気に外されたらどうなるのだろう、こういう不安感をもつわけです。地域活性化を考えようといったときに、そういう不安感があります。

 経済的に見たときに、おそらく、現在の中山間地域は全国スケールとか、都道府県レベルの視野から見たときには、それなりの社会基盤整備というのは整ってきていますし、東京から経済的に活性化しようというスケールで見たときには、結構できているのです。ところが、地域から発想したときには、どうもうまくいかない。

 これは例えばどういう点があるかというと、生活に密着した点で非常に難しい。例えば、建物的なもので言えば、ホールはあっても、毎日の買物がうまくいかない。そういうようなところにミスマッチが起こってきているということがあるわけです。

 そういう点で考えたときに、それをどうしたらいいのかと考えると、人がいない。リーダーになっていく人たちが、ともかく少ない。人をどういうふうに引き寄せるかという、そこの地域で生活していく人をどれだけ増やしていくか、しかも、リーダーになれる人をどう増やすかということが最大の課題ではないか。

 もう一つの問題点は、非常に小さなシステムで安住しようとするところがありまして、例えば、旧来の市町村単位で物事を考えるというようなことがあるわけです。ここのところを、地域の枠組みを変えて、新たな連携構造をつくっていく、そういうシステムづくりを何とかできないか。

 例えば、それぞれの地域に商工会というのがありまして、そこに専門指導員がおりますが、小さなところでも1人はいるわけです。これがそれぞれ専門分野が違い、いくつも村がありますから、そのそれぞれ専門が違う人たちが連携して指導に当たればいいのですけれども、蛸壺的になっている。

 ところが、連携しようといったときに、現在の地域システム、地域経済システムでやろうとすると、どうもうまくいかない。それは何かというと、例えば選挙区なり、今までの広域市町村圏とか、そういう枠組みが厳然としてあって、それから外れたところでもっと効率的にやっていこうというと、どうもうまくいかない。

 この辺も含めて、地域的に新しい時代に対応した枠組みに変えられるかというところを考えていかないと、うまくいかないのではないかと考えております。

〔 J委員 〕 ただいまのD委員のお話と関係するのですけれども、今、私は、中山間地域というのは地方とか過疎という理解と、必ずしも山とか里だけでなく、海とか島とか、そういうことも同じことだと考えていいのではないかと思っています。

 江戸時代の地理学者で、ドイツの方が日記に書かれているのは、横浜とか神戸のことを書かれて、その後で瀬戸内海を書いています。瀬戸内海を見たとき、街も道路もまだよくないけれども、大変すばらしい自然が残されていて、魅力のある場所として、世界でも、将来大変な繁栄を見るだろうと書かれています。

現在、いろいろな点で変わっておりますけれども、基本的にはまだ過疎であり、残っている部分が江戸時代と同じように多いと思うのですけれども、大正時代に、そういうこともあってか、国の保養地の指定を文化庁から受けたり、昭和になって国立公園の指定を受けたり、そういう制度もあってその部分というのはかなり残っているのですけれども、一方、その線引きから外れたところ-地域としては同じ地域ですけれども-そういうところは戦後の基幹産業、臨海工業地帯ということでメチャメチャになったところもあります。それから、埋め立てとかで、土地が大変たくさんつくられています。それが荒れ地で、畑にもならないし、何にも使われていないというところもたくさん残っています。

 そういうところも荒れ放題のままに、過去からの線引きをされたところも、それはそれとして守られているのですけれども、みんながばらばらになってしまっている。これは、先ほど先生のお話しのように、国の後、県になって、それから市になって、その下が町村になったり、その市の中であれば町内会とか-日本の町内会のあり方が平等だとかいろいろなことはいいのですけれども-そういうところと行政の都市づくりみたいなものが関連して進んできているものが弊害を起こしているような気がしています。

 例えば、私は、ここ数年は第三セクターというのがあちこちで作られまして、それがみんないい活用になっていないような気がしております。その第三セクターも、一箇所どこかにできると、同じようなものがあちこちにできているということで、地域のそれぞれの魅力というものが一般に引き出せていないのではないかと思っております。

 また、その第三セクターに限らず、あちこち町村会館みたいなものもいっぱいつくられてはいますけれども、ハードとソフトウエアというものは、ある程度できたところもありますし、できていないところもありますが、それにプラスして、先ほどからおっしゃっている、ヒューマンウエアといいますか、人材がないのではないかと思っております。

 ただ、最近になっては、地方も、昔は海の交通の発達、それから鉄道ができて100年、駅を中心の考え方。そして、今は車社会になったり、各地方都市にも飛行場ができて、海外へ直接ダイレクトに飛んでいけるようになりましてからは、海外を見て帰った若い人たちが、歴史とか文化のあるまちを見て、欧米諸国のその良さを見て、地方であっても、東京ではないけれども、本当に世界に自慢できるところだというような認識をしている人が多くなってきました。そういう意味では、東京経由の海外ではなくて、地方から直接海外へ出ることによって、人材交流で、これからは魅力のある人材が地方に育ってくる。それをできるだけ側面から応援するような体制ができたらいいと思っております。

〔 F委員 〕 先ほど、言葉足らずの話をしましたけれども、今お話に出てきた地方のそうした公共建築をつくっていくやり方、観光づくりもそうですけれども、そうしたあらゆることは、行政の人たちを見ていると、国の方針に合わせるという方に、霞が関に顔を向けて物事を決めていて、地域の人たちの生活感覚とかいうものと、私はときどき、ほど遠いものを感じてならないのです。

 そうした感じで、すべてのことが国が目標としてきた、かつては近代化、あるいは工業化といったら、そういうことに向かうということで、一斉にその国の地域も、都市づくりから地域づくりまでみんなそういう方向に向いてきた。

 そのことを100年やってきて、国家が近代化を目指すということはもう終了したのではないか。そういう方向にいると、国家的モチベーションというのはもう失ってしまっているということを、地域の人たちは感じているし、都市づくりの中でも、A委員のお話でもそういうことだろうと思うのです。

 私たちの国は、こういうやり方をしてきて、国が貧しく、風景から様々なことが問題をたくさん残してきたということについて、どういうように国がその方針をもっていくかということが今、問われて、こうした会議もあるのだろうと思うのですけれども、私は、これからのいろいろなことは、政治というのも、生活が楽しく、安全で、生きがいがあるものにするためのシステムを考えることであって、あくまでも人々の生き方や、先ほど「総合生命産業」といういい言葉がありましたけれども、まさにそういう快適で、よい生活をしながら、私たちの国の人々のよき生活を指導していくためのシステムを作るために政治はあるだろうと思うのです。

 そうしたときに、国は、これから目標をどこにもっていくかというときに、私が望みたいことは、私たちの国は大陸ではないので、ドイツとか、フランスとかに行くと、大陸的に、高速道路のまわりが全部CO2 で森林がやられているということがどんどん伝染していくとか、そのような大問題が、島国であるために少し緩和されていると思うのです。そういう島国という限られた空間の中で維持できるということを最大に発揮して、国は、もっともっとグローバルにエコロジカルな課題というのをすごく先進的にやっていく。まちづくりも、都市づくりも、地域づくりも、その中に含まれて指導してほしいと思うのです。

 そのことというのは、多分、これまでのヨーロッパ的なアングロサクソン的というか、そういうものではなくて、もっとアジアの人たちが良い環境の中で快適に過ごしたいと思っている、いながら国づくりをしているというところがあると思うのです。そういう人たちともっと共同を図っていく。日本独自な環境でしかできないような独自の方針を改めて掲げていく中に、地域のあり方とか、都市づくりというのができてきて、その具体的なつくり方というのは、さっき言った小さなリテールまで、身体にまで関わることなのだから、自主的に住んでいる人たち、事業をしようとする人たち、あるいは生産をしている人たち、教育の現場にいる人たちに、もっともっと自主性を立てさせていくようにしていくことで、やっていくべきではないかと思うのです。

 そうした、末端のことまですべて決められていくと、非常に硬直してしまって、つくられている環境の中で、つくられた生活をしているという意識をずっともって生活をしている人々がいるわけです。私も、そうです。すべてのことがそうしたことの中にあるような気がするので、もっと自主性をもたせて、国は、今、地球的な規模で大課題としていることを先進的にやっていくということの中で、私は、都市づくりも、地域の環境づくりも、リーダーになり得るのではないかというように考えております。

〔 C委員 〕 B委員、質問したいのですけれども、中山間地の問題で一番国民から見てわかりにくい問題は、みんな森も里山も好きで、私自身もそういうところで育っていますので、そうです。ところが、片や、食料安保だとか、放置すると大変だよと、こういう話ばかりです。たとえ、これから都市の人が1人10万円ずつ負担したとしたら、何が起こるのか。あるいは、それでもまだ全部はカバーできない、そういうところは一体どうなるのか、こういうシナリオとか、レベルという概念がなくて、非常にエモーショナルな説明でしかいろいろな目標が与えられていない。これに対する苛立ちと、中山間が余計な、いらないものと批判とされるようなところに、スポットを当てられる。このマッチングが非常に物事を解きにくくしているのではないかと思うのですが、その辺についてお話しをいただけないでしょうか。

〔 B委員 〕 日本は島国ですし、農地・土地という概念が非常に強かった。小作から、戦後一気に自作になった、そこは非常に大きい1つの変化だったわけです。それで、このような民主国家ができているということはすばらしいことであるけれども、それから、農村だけの問題でなしに、国自体がバブルに向けて経済、土地神話に入っていった。それは農村も例外ではなかったということは、まず申し上げておかなければならない。

 では、森、水というものに、どうするかという中で、4ページの最後に付けてはいますが、農村もこれからは、PFIというような概念が重要だと思います。地方行政も大変厳しくて、各市町村も財政は大変苦しんでいるわけです。

 では、どうするかというと、私は、PFIという概念は、これはまだ議論されますけれども、非常に大事な考え方である。要するに、国民一人ひとりがどう参加していくかによって意識が変わっていく。教育で変えるといいましても難しい。お金が絡むと人間というのは弱いもので、影響していく。ここら辺から、時間がかかっても、すべきだということが一点です。

 したがって、10万円ずつ出していただくということは、そのお金で改善するというより

も、それに参加したという意識、これが非常に重要ではないかと思っているわけです。

〔 C委員 〕 ちょっと意味が伝わらなかったのかもしれないです。例えば、先ほどの都市の問題だと、放置したらこういうことが起こると、みんなわかります。

〔 B委員 〕 都市は、人がお金をかけてつくり変えなければ再生しない、大変お金がかかるところですが、我が国はモンスーン地帯なので、農村は放置してもある程度は自然に戻ると思います。

 ただ、放置しますと、この間ございましたように、栃木県に降った雨が水戸市に被害を生ずる、そういう問題はあります。

 そして、河川の水量がどんどん減っている。というのは、あまりにも河川改修しまして、農村の上流まで基盤整備したためにコンクリートになっているわけで、一気に水が流れてしまう。そして、後は水がほとんどなくなる。

 今、水田転作等で田んぼは、35%に近い90万haでお米が作られていない、畑作になっている。海と山の急斜地ですから、大平原ですと水の流れは緩やかですが、日本ほど河川の短い国はないわけですから,ただ放置しているとエロージョンの問題も起きてしまう。

だから、私は、中山間地域の森は都市の里山という概念がほしいと思っているのです。

〔 A委員 〕 今のお話に若干つながるのですが、先ほどかなり体系的にお話しいただいて、かなりの部分でそうだなぁと感じました。

 特に、4ページの最後の方で「デカップリング政策の確立を図る。」と出ています。そういう動きが我が国でもあるという話ですが、例えば、ヨーロッパあたりはかなり進んだ仕組みがとられているわけです。私、ドイツの話を聞いたときに、ドイツでは耕作放棄地があると、耕作放棄地をできるだけ河川の周辺にまとめる。河川の周辺にまとめた耕作放棄地を、そこに住んでいる農民が管理する。そうすると、河川と緑が一体になって多自然型の河川になる。それがグリーンツーリズムというような自然資源に活用できる。そういう耕作放棄地を河川の周辺にまとめて、それを整備する、そういう仕事を農民がやり、そこからお金を一定程度もらっている。さらに、グリーンツーリズムの中でいろいろな観光事業に携わる。そういう働きをしながら、仕組みを整えていくというお話を聞いたことがあるわけです。

 そういうお話と、先ほどの補助金依存体質、その間にはかなり大きな距離があるような感じが私はしておりまして、そのプログラムをどういう形で組んで、新しい時代のデカップリング政策を意味ある政策としてつなげていく、そのシナリオが読めないというのが、恐らく、C委員のお話ではないかと思うのです。

 私も、そういう感じが非常にしまして、シナリオをどういうふうに作っていくのかということまで、ちゃんと議論をしないと、この政策は、非常に見た目はいいですけれども、妙な形に落ち着いてしまわないかという心配があります。

〔 B委員 〕 その辺で、これは時間がかかる問題で、土地利用計画、また地域土地利用計画を市町村がきちっと立てながら、そして農地の利用計画を、私はそれを提案しているのですけれども、経営農地、自給農地、環境農地、交流農地と位置づければ、国民の皆さんが一緒に参加したいという役割が見えてくるし、また農村の我々の役割も見えてくるのですけれども。

 これは今議論がどんどん進んでいまして、これから大いに進んでいくと思います。

 都市社会と一緒でして、農村も先ほど申し上げましたように、土地神話があったわけです。農地法がございますけれども、憲法29条が出てくると、なかなか動けない。さっきの都市づくりと全く同じ状況が日本列島に起こっていたということはお許しいただいて、農村・中山間地域もこれからそういう方向に今大きく動き始めているということは、都市づくりと一緒ではないかと思っております。

 日本列島そのものが戦後の構造疲労を、都市だけでなしに、農村も起こしているのは皆さんご存じのとおりだと思いますし、これをどうしていくかは非常に重要なテーマではないかと思っています。

〔 C委員 〕 例えば、これから何かこの場で提案していこうというときに、中山間地という括りでいいのか。先ほどの農地の区切りと違って、もう少し空間上で分けて議論した方がいいとか、提案した方がいいとか、こういうことは何かございますか。

〔 B委員 〕 今、中山間地域という一つの概念がございまして、その中で、人口密度とか、市町村の山の面積とかがございまして、中山間という形で動いているのは事実でございます。もう一度、それを新しい概念として、皆さんのお知恵をいただきたいのはい

ただきたいですが、私として、それをどういう方向でという意味でございますか。

〔 C委員 〕 ここで書いてあることは、中山間地どこでも通用する話なのかどうか。

〔 B委員 〕 通用すると思います。そういう意味で書いたつもりです。特定のところではないと思います。

〔 D委員 〕 一点、質問したいのですけれども、中山間地域のいろいろな施策を考えるときに、最終的に何となくネックになるのが、都市と農村の交流ということが出てきたときに、都市の方が上で農村が下だ、何か奉仕者みたいな形。グリーンツーリズムがそうですし、その辺の意識的なギャップというものが最終的にネックになるのです。

 これは、都市側の方、あるいは政策側の方が何か考えなければならない、システム的に何かしなければならない問題だと思うのですけれども、そのあたりはどう考えたらいいのか。例えば、デカップリング政策のあたりで何かできるのか。

 それがかなりネックになると思うのですが。

〔 部会長 〕 B委員が一番冒頭に言われたポイントだろうと思います。

〔 I委員 〕 さっきの補助金というお話があって、気にかかるのは、補助金を得るためには、地方では、ほとんど経営コンサルタントに依存している。経営コンサルタントが、日本国中同じような仕組みで、ちょっと名前だけを書き上げていくという仕組みがあって、書いているのではないか。その辺の仕組みの問題と、地方にそういうものが少し書きやすい仕組みを何らかの形でしていただかないと、現実、どこへ行っても同じようなものが出てきて、農村なり、地方の個性が失われていっている。

 ちょっと気になりましたので。

〔 J委員 〕 私も、コンサルタントという表現がいいのかどうか、地方のことでもほとんど各省庁の下に関連していらっしゃるようなところで書かれているのではないか、ということをよく感じることがあります。本当に小さなことから大きなこと、ということは結局、お金の方に皆つながってくることだろうと思うのですけれども、いかに補助金をたくさん取るかということで考えられている。地方で補助金をもらったらそれを全部使わなければいけないし、たくさんとらなければいけない、そのことだけで走っていて、地方だと、もらったものをその部分で少し残して他の方に回すとか、そういうことが考えることができないかなと思うのですが、そういう仕組みが大きくお金とともに影響してきているように思います。

〔 G委員 〕 冒頭に、過疎はない、心の過疎だということを書いてあるわけですけれども、確かにそうでしょうけれども、農村から青年が都会へ出て行く、これは厳然たる事実ではないか。それは、農村に魅力がないからではないか。その魅力づけとは何かというと、この中にもありましたけれども、農業の法人化ということではないか。経営ということです。

 経営というのは、変化に対する対応だと僕は常に考えているのですけれども、新しい農業というものに魅力を感じて、研究開発等をやれば、若者に魅力があるのではないか。

 例えば、バイオというようなことを今農村でやることも大事なことではないか。

 現在、日本の野菜の2/3は輸入に頼っている。せめて逆に、2/3は日本で自給できるというようなことを考えていけば、それにもちろんお金というものは付いて回るわけですけれども、そこに法人化による経営ということを考えていけば、都市的な魅力が農村にできてくるのではないか。

 それだけではなしに、いろいろな魅力ある村づくり、まちづくり、それは統廃合によって、いろいろな地域の活性化というのは図れるのではないか。そういう意味では、これから魅力ある農村というものをつくるのはどうしたらいいかということも、考えていく上では大事なことではないかと思っているわけです。

〔 部会長 〕 ありがとうございました。まだいろいろご意見はあろうかと思いますが、時間の関係もございますので、ここまでとしたいと思います。

 なお、ご意見がまだたくさんあろうかと思いますので、事務局の方にぜひファックスで

も、電話でも、お寄せいただけましたら幸いでございます。よろしくお願いいたします。

 それでは、次回の日程について事務局からご説明願います。

〔 事務局 〕 次回は3月31日水曜日の15時から17時まででございまして、社会資本整備のあり方についてのご検討をお願いしたいと考えております。別途開催通知でご案内をさせていただきます。

以上です。

〔 部会長 〕 それでは、第2回の地域経済・社会資本部会の審議は以上といたします。本日は長時間のご審議、大変ありがとうございました。

以  上