第2回 経済審議会・国民生活文化部会議事概要

  1.  日時:平成11年2月25日(木) 10:00~12:00
  2.  場所:経済企画庁長官官房会議室(708,709号室) (第4合同庁舎7F)
  3.  出席者
    (部会)
    清家篤部会長
    井堀利宏、大田弘子、川勝平太、黒木武弘、鈴木勝利、ピーター・タスカ、永井多惠子、西垣通、原早苗、福武總一郎、森綾子、湯浅利夫、の各委員
    (事務局)
    中名生総合計画局長、高橋審議官、牛嶋審議官、梅村企画課長、大西計画課長、佐々木計画官、塚原計画官、福島推進室長
  4.  議題
    • 国民生活文化部会の検討内容について
    • 人々を結びつける新たな機能(人材育成、教育)について2人の委員からの意見発表
  5.  議事内容

     事務局より資料3「第1回基本理念委員会議事概要」、資料4「我が国の国家像についての意見集計」、資料5「各部会の検討事項対比表」、資料6「国民生活文化部会の検討事項について(案)」について説明の後、討議。各委員からの主な意見は以下のとおり。

    (各委員の主な意見)

    ○将来国民がどういうライフスタイルを営むのが望ましいのかについて、政府が「あるべき姿」を議論することの必要があるのか。国民一人一人の生き方そのものを政府が誘導するのではなく、それに対して影響を与えるようにシステムを変えることを議論するのではないか。

    ○上に関し、いくつか重要な点として、①若い人の意思が政治に反映されないシステムをどう変えていくのか、②選択の幅が拡大したことで結果の平等から機会の平等へ視点が移るのではないか、③裁量的な行政を排し、透明なルールへ移行することがあるべき国家像になるのではないか、④中央と地方との役割分担をどう考えるか、などが挙げられる。

    ○日本は大国になってしまい、否応なく世界秩序形成に関わらざるをえない。どうしてこういったリーダーシップの求められる国になってきたかの検証が必要。

    ○そうした視点に立つと、旧来の社会秩序を欧米型に変えていく中で、価値規範・規律として、経済・軍事技術の核の部分を全て国内で賄う「ワンセット主義」が出てきたが、行き詰まっている。今では経済発展そのものは目的ではなく、文化の発展と固有のよさの尊重が目的であるということが国際社会の共通認識となっている。明治維新当時、欧州人は自分たちの「力ある文明」に対し、日本を「美しい文明」の国と見ていた。「自然と調和した美しい空間」こそが日本の世界に提示しうる価値基準となるのではないか。

    ○若者の国家あるいは世界への帰属意識についての調査によると、中国・韓国の若者は国家に対する帰属意識を持つ者が7割5分、世界に対する帰属意識を持つ者が5割に達しているのに対し、日本の若者の場合国家に対しては2割5分、世界に至っては1割未満。代わりに何を大事にするかの一番目にはお金を挙げている。このような自己中心的なアイデンティティがどうして形成されてきたかの追及なくしては、帰属先を明らかにすることはできない。

    ○企業も生産だけでなく消費する主体であり、ゼロエミッションというようなことが問われるようになった。また家族もテレワークの発達などを通じ、消費だけでなく生産する主体へと変わりつつある。両者の境界が曖昧になるなか、まとめるのは「生活単位」としての地域。国家から地方へ、政府から民間への流れを促す国づくりが必要。地域の多様性を探る中で、家族や企業の在り方の基本的な方向が出てくるのではないか。

    ○単に一般論を論じるだけではだめで、それをベースに具体的な議論をすべき。その上で経済制度の議論に集約するのがよいと思う。例として、女性の家事労働をGDPなどの経済指標に反映させるよう評価し、これに対価を払うというような経済システムを作ることも大事なことではないか。

    ○子供のアイデンティティの問題については、教育システムの問題であり、経済的問題にどう収斂させるのか。この部会で直接的に議論するのはふさわしくないのではないか。

    ○国家の政策決定に国民の意思が反映されないというシステムを変えることも、「あるべき姿」のための課題であり検討してほしい。

    ○日本は明治初期や戦後期にあるべき国家像を描いていたのか。また、世界各国では国家の将来像を描いて国の基本的な長期計画を立てているのか。こうした時代的、国際的にみたときどうなのかということが知りたいとともに、今本当に日本はこれらに比肩する本格的なものをつくろうということなのか教えてほしい。

    ○「あるべき姿」の中に消費という視点がない。消費の質は大きく変化している。経済成長との関わりでお金の使い方がどうなるかについても、検討を加えてほしい。

    ○同じく、「あるべき姿」の中で情報の手段及び内容ということも挙げられていない。携帯電話の発達など、情報の手段及び内容の変化は国民生活文化に大きな位置を占めるものであり、やはり検討項目に加えてほしい。

    ○今の経済社会は、全て創造と破壊の一過性の形になっており、10年20年先に残るようなものを積み重ねていくという構造になっていない。その転換が必要。

    ○公的年金・企業年金・私的年金をどう接続させていくのか。医療・介護サービスなど福祉については多様な主体の参入を認め様々な制度を組み合わせられるようにし、国民の選択の自由を保障する、またそういうことを国民へ積極的にアピールすることも必要。

     次に、人々を結びつける新たな機能(人材育成、教育)について、まず、2人の委員から以下の意見発表があった。

    (委員意見発表1)

    ○小学校から中学校低学年までは、自分が能力的にどの位置にいるかということを知らずにのびのびし、高校から大学において得意分野で競争するのが望ましい。

    ○社会との接点を見つけるために体験学習を増やしていくことが必要。

    ○子供の教育における「地域社会のかかわり方」として、諸外国の学校運営組織のように、父母が学校経営に参画するということは、有意義。我が国でも「学校評議員」という動きが出てきている。

    ○大学生の自己表現力が低いという調査結果があるが、諸外国のように子供や大人が地域の舞台芸術や美術等の分野で積極的に活動し、自己表現力を向上するための機会が得られるような環境づくりをすることが必要。美術やデザイン等精神的満足を得られる職業に就く人が、ひいてはこれからの世の中を支えていくことになる。

    ○我が国の教育基本法は、「能力」ではなく「人格形成」を目指していることを忘れないようにしたい。

    (委員意見発表2)

    ○我が国では、教育は国から与えられるものということに慣れ過ぎてしまっている。しかし、これからは家庭や地域社会の中で、ひとりひとりが「よく生きる」ことを考えることが重要。

    ○子供と教育を巡る問題について最も取り上げるべき点は、不登校の増加や非行、いじめ等表面化した問題ではなく、子供の学習意欲の低下や広い意味での「生き抜く力」の低下。少し前までは、「いい大学に行けばいい会社に行ける、今頑張らないと後で困る」という脅しが通用したが、今の子供にはそういう実感がない。

    ○なお、現在の教育改革の議論については、多様化が強調されすぎており、基礎的な学習がないがしろにされる恐れがないかと危惧している。また、悪名高い「受験」についても、いたずらに否定的にみるのでなく、子供の人生選択のための舞台としていかにあるべきかといった積極的な視点から、その改革を検討すべきである。

    ○人材論的教育から脱皮すべき。経済社会に資するためなど外的テーマにあわせるための教育ではなく、ひとりひとりがよく生きていくという個別のテーマのための手立てやきっかけ、情報を支援するものとして教育を捉え直すべき。

    ○「よく生きる意欲」を持つためには、ひとりひとりが自分にとって「よく生きる」とは何かに気づくことと、違った他者や個性が共通の夢や目的のために交流し合う「場」があることが必要。それには、子供にとってリアリティのある問題から体験的に獲得しスタートするしかなく、ここに、「家庭、地域社会、学校、企業の連携とネットワーク」の必然性と意義がある。

    ○ネットワークの中で、学校は「連携」のセンター的役割を果たす。つまり、これからの学校とは、子供たちと大人たち(教師、地域の人々、企業人)が交流し、互いに学び合う「場」である。それぞれの主体が、子供に働きかけていくことが必要であり、関係者のボランティア精神、企業の取り組みが求められる。企業は、連携そのものをビジネスチャンスとして積極的にやっていくべき。

     以上の意見発表を受けて、討議。各委員からの主な意見は以下のとおり。

    (各委員の主な意見)

    ○大学レベルでも基礎学力は低下している。面接や小論文のみなど入試方式の多様化、試験科目数の削減が影響しているのではないか。義務教育段階でのある程度の体験学習の導入はよいが、それに重きを置き過ぎると基礎学力の習得に問題が出てくる。学校はあくまで基礎学力を身につける場と位置づけ、体験教育などそれ以外の発展的教育は地域など学校を離れた場で身につけるよう仕切りを明確にすべき。子供の側からの自由な選択の機会を拡げるとともに、それを支える裏付けとなるよう、教員もボランティア等様々な経験を積むべき。

    ○学校に行くことがもう少し楽しいことであるべき。消費者としての親、子の選択がもっと重視される形で改革が行われるべき。医療と教育は類似したところがあり、取り返しのつかない結果を招かないようがんじがらめの規制をされてきた。

    ○異質のものが入ってくることにより外部の視点が機能する。その意味で教員の3分の1くらいは外国人であってもよい。

    ○今の子供は、人生稼がないと生きていけないのだという労働の意味をほとんど分からないままに高校生くらいまで来ている。自分が高校生であった当時よりも、現在の方が社会、労働を巡る状況は厳しいものになっているのに、逆に高校生の意識の乖離は大きくなっており恐ろしいものがある。高等教育の早い段階で色々な体験ができたり、ドロップアウトしてもやり直しできるような複線的な仕組みを作る必要がある。

    ○教育には、一人の人間の能力を大きく育てるという公の場で強調される機能が一方にあるが、他方で役に立つ人間を選別するという機能がある。子供の方は、前者の建前の陰に、後者の現実があることを察知している。この点をわきまえなければ議論は迷走する。例えばゆとりのある教育を目指して休みを増やすといっても、内申書のため、結局塾通いや自発的でない「ボランティア」に追われるばかりになる。

    ○教育の役割には、個を育てるという温かい面と、「社会に役に立つ人間を作り、選別していく」という冷たい面との両面があることは否めない事実。しかしながら、現実問題として、今の教育システムで選別された人が、企業などで役に立っているのか疑問。つまり、個を育てるという面がうまくいっていないということが選別機能自体効率的でない一つの要因になっており、このことは相反するようにみえる両面の問題が関連していることを示している。

    ○単身赴任というのは日本独特のもので、企業、家族、地域の間の歪みの現れではないか。こうした現象を生み出す制度的要因があるとすれば、その除去に向けた提言をすることは有益であろう。

    ○子供の表現力が乏しいということは、社会の構成員になった時のことを考えると問題。小学校くらいまでは社会科などでのグループ発表など工夫がされているが、中学になると自分を表現する場がほとんどなくなるなどといったことも問題なのではないか。

    ○受験というものは通過しなければならないものとして仕方ないが、30歳以降になっても学習の場があるなど、大人のために多様な選択肢があり、流動性が高まるような仕組みができれば、子供時代の受験競争の在り方にも影響してくるのではないか。

    ○子供が学習の意義を感じられないことの背景には、教育の先が見えないことがある。自己実現できるための新しい働き先として、NPOが一つの目標となる。その存在を伝えることが重要。これにより子供の学習する目的も変わってこよう。また地域の各主体の連携を図ることそのものが新しいビジネスになり、これが就職の場となる。地域の受け入れる側がしっかりしていなければそれも問われることになる。

    ○画一的な学校教育制度はある程度成功してきたが、中高一貫教育や飛び級制度など、子供たちに多様なコースを与える方向が出てきつつある。さらに多様な制度を作り、選択できることが必要ではないか。

    ○社会人教育も拡充・多様化することが望まれる。また、専門学校などのルートも尊重される必要がある。

    ○学校の週休二日制については、学校から解放される時間が多くなる分、犯罪などに関わる危険性も高まる。子供達の欲する時間の使い方をもっと正確に把握する必要がある。

    ○地域活動の側の受け皿の問題として、魅力あるリーダーをどう地域社会に作っていくかも課題。

     最後に、第2回部会を終了するに当たり、清家部会長から以下のとおり、とりまとめがあった。

    (1)部会の検討の進め方について

    • 各委員から頂いた意見を踏まえつつ概ね資料6にあるような形で進めて行きたい。
    • 国民生活に「あるべき」というのを当てはめることには強い違和感があるが、多様な選択肢の実現を図ることが重要であるという共通認識はできつつある。また今後、産業、企業が平均的にどう変わっていくのかということについても、人々に伝えることが重要。

    (2)意見発表について

    • 教育の問題については、「単身赴任」を巡る歪みの問題など、いくつかのトピック的な事項については今後もさらに議論して行きたい。
    • 教育には、経済学的には投資と消費の両方の面がある。また、これに対しどの程度公的な介入があるべきなのかについても、さらに今後議論して行きたい。

     なお、本議事概要は速報のため、事後修正の可能性があります。

(本議事概要に関する問い合わせ先)
経済企画庁総合計画局計画課
経済構造調整推進室
押田、徳永(内線:5577)