経済審議会企画部会(第6回)議事録

経済企画庁

経済審議会企画部会(第6回)議事録

経済審議会企画部会(第6回)議事次第

日時 平成11年2月25日(木) 15:00~17:00

場所 共用特別第一会議室(404号室)

  1. 開会
  2. 経済社会の歴史的転換について
  3. 「新たなる時代のあるべき姿」の基本理念について
  4. 閉会

(配布資料)

  • 資料1  企画部会委員名簿
  • 資料2  広報委員会委員名簿
  • 資料3  経済社会の歴史的転換について
  • 資料4  経済社会の歴史的転換に関する参考指標
  • 資料5  我が国の国家像についての意見集計
  • 資料6  我が国の国家像を議論するにあたっての参考指標
  • 資料7  各部会の検討事項対比表
  • 資料8  内外からの意見募集及び広報活動のスケジュール
  • 資料9  企画部会の今後の予定

(参考資料)

  • 参考資料1-1 構造改革推進部会の進め方について(案)
  • 参考資料1-2 第1回構造改革推進部会議事概要
  • 参考資料2-1 国民生活文化部会について(案)
  • 参考資料2-2 第1回国民生活文化部会議事概要
  • 参考資料3-1 グローバリゼーション部会の進め方について(案)
  • 参考資料3-2 第1回グローバリゼーション部会議事概要
  • 参考資料4-1 地域経済・社会資本部会の進め方について(案)
  • 参考資料4-2 第1回地域経済・社会資本部会議事概要

経済審議会企画部会委員名簿

部会長
小林 陽太郎  富士ゼロックス株代表取締役会長
部会長代理
香西  泰   社日本経済研究センター会長
委員
跡田 直澄   大阪大学大学院国際公共政策研究科教授
荒木  襄   日本損害保険協会専務理事
伊藤 進一郎  住友電気工業株専務取締役
角道 謙一   農林中央金庫理事長
小島  明   株日本経済新聞社論説主幹
小長 啓一   アラビア石油株取締役社長
佐々波 楊子  明海大学経済学部教授
ポール・シェアード ベアリング投信(株)ステラテジスト
嶌  信彦   ジャーナリスト
高橋  進   財建設経済研究所理事長
長岡  實   東京証券取引所正会員協会顧問,日本たばこ産業株顧問
中西 真彦   ベンカン株社長
那須  翔   東京電力株取締役会長
樋口 美雄   慶応義塾大学商学部教授
星野 進保   総合研究開発機構理事長
堀  紘一   ボストン・コンサルティング・グループ社長
松井 孝典   東京大学理学部助教授
水口 弘一   株野村総合研究所顧問
村田 良平   株三和銀行特別顧問,外務省顧問
八代 尚宏   上智大学国際関係研究所教授
吉井  毅   新日本製鐡株代表取締役副社長
吉川  洋   東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授
鷲尾 悦也   日本労働組合総連合会会長
特別委員
岩城 秀裕   野村総合研究所経済構造研究室長
大野 直志   日本開発銀行国際部副長
大前 孝太郎  経済戦略会議事務局主幹
金光 隆志   ボストン・コンサルティング・グループ プロジェクトマネジャー

出席者

(部会)
小林部会長、香西部会長代理、荒木委員、伊藤委員、角道委員、小島委員、小長委員、佐々波委員、シェアード委員、高橋委員、長岡委員、松井委員、吉川委員、の各委員
(事務局)
塩谷事務次官、林官房長、中名生総合計画局長、高橋審議官、牛嶋審議官等

〔 部会長 〕 ただいまから、第6回の企画部会を開催いたします。

本日は、委員の皆様にはご多忙中のところをお集まりいただきまして、大変にありがとうございました。

最初に、前回お話を申し上げましたけれども、この部会の取りまとめ作業にご協力いただくという趣旨で、当部会の特別委員を4名の方に新しくお願い申し上げました。お名前は、資料の2枚目に書いてありますが、ご紹介を申し上げます。

岩城さん、大野さん、大前さん、金光さん、よろしくお願いいたします。

資料2にありますが、広報委員会ですが、メンバーを指名させていただきました。委員長は、村田委員にお願いをいたしまして、小島委員、嶌委員、水口委員にご参加をいただくことになりましたので、あわせてよろしくお願いいたします。

それでは、本日の議題に入らせていただきます。

今日は、「経済社会の歴史的転換について」、「『新たなる時代のあるべき姿』の基本理念について」をご審議いただきたいと思います。早速、事務局から説明を願います。

〔 事務局 〕 お手元に資料3と資料4がございますが、資料3「経済社会の歴史的転換について」をご覧いただきたいと思います。

前回、企画部会の今後の進め方について、検討テーマとして、経済社会の歴史的転換の本質は何か、またそれにより何が変わるのか、具体的にイメージできるように明確化をしたいというのを一番最初に挙げておりましたが、そこに該当する部分が資料3でございます。(主要変化が与える影響の基本的方向性)と書いております。大きく4つ柱を立ててみました。

前回の「進め方」の中にも「規格大量生産の社会から多様な知恵の社会へ」とご紹介しておりましたが、1つ目の柱として、1.「多様な知恵の時代への移行」でございます。

(変化の内容)としては、「情報、プログラミング、デザインといった知識、知恵を使いこなしたり、新たに創造して生まれる価値が、経済成長や企業収益、人々の満足を高めるにあたっての原動力となる。」というふうに書いております。

このまま読みますと、今までの時代だって知恵を使いこなしていたではないか、というようなニュアンスも出るわけですが、先ほど申し上げましたように、問題意識として、規格大量生産から知恵の時代へということで、その意味でいろいろな面で、例えば産業面的にいいますと、十分に変化に対応している面も多いと思いますが、さらに広く、例えば社会の仕組みなど適合できていない部分はないか、というような問題意識でございます。

その下に、(影響)とございますが、便宜上3つに分けて書いております。1つ目は「構造改革」ということでございますが、上の方のまるで、「知恵をもとにした価値の生産にあたっては」、「極めて大きな価値を生み出すことが可能となる」ということで、「新しい企業が急速に成長するといったダイナミズムがもたらされる」のではなかろうかということ。下の方のまるで、「能力主義の浸透」が進んで、「所得の格差が拡大」をしないか、というような影響を書いております。

2つ目は「生活文化」ということで、上の方のまるで、「上記の変化に伴って、」というところでございますが、「生涯同一の企業と運命をともにすることが困難になり、脱会社人間化が進む」とややきつい表現になっておりますが、このようなことを書いております。下の方のまるで、「価値観の多様化がさらに進む」ということを書いております。

3つ目は「地域社会」ということで、上の方のまるで、「情報化に伴う企業立地や生産活動の分散化が可能になる一方で、知識、知恵をもとにした価値の生産に適した大都市への集中化の力」という2つのベクトルが働くのではなかろうかということを書いております。

2ページにまいりまして、2つ目の柱として、「グローバル化」を挙げております。グローバル化と日本の文化というようなことで、前回、検討テーマとしてご紹介したところでございますが、(変化の内容)として、「財の貿易に加え、資本の取引が共通の市場原理に基づいて行われるようになってきた。」ということや「世界市場への参加国が拡大している。」ということ、それから「巨額の資本が瞬時に世界中を駆けめぐる」ということを紹介しており、「世界経済の不安定性」というものも出てきているということを言っております。上から5行目のところに、「このようにグローバル化は国境の概念を希薄化していくのみでなく、同時に世界全体での新たな枠組みを必要とする段階に入っている」のではないかということも書いております。

その下では、「通信技術の発展」ということで、「情報が瞬時に世界中に共有される」ということや、「ビジネスの多国籍化」、「人の往来や連絡の機会が格段に高まる」ということを書いております。

(影響)としましては、1つ目の「経済構造面」では、1番目のまるで、「市場原理が一層浸透し、競争が激化する」、「世界規模で産業構造の再編成が進む」ということ。2番目のまるで、「産業のワンセット主義は追求することができなくなる」のではないかということ。それから3番目のまるで、「世界市場のルールに、各国が自国の制度を調和させていく必要性が出てくる」のではないかということを書いております。

2つ目の「生活文化面」では、1番目のまるで、先ほどの「資本の論理、異質な文化・価値観等が、個々の生活、各国固有の生活文化と融合し、新しいライフスタイルが生まれる」のではないかということ。2番目のまるで、ここは多少きつい表現をしておりますが、「他方、異文化の侵食に対し、国のもつ固有の良さを見直す機運も高まる」のではないかと書いております。ここでは、異質とか、異文化という、ちょっときつい表現で強調しているのをお許しいただきたいと思います。

3つ目の「地域社会」では、先ほどの「資本の論理」ということで、「地域間でも競争が激化」をし、「地域間での優勝劣敗」が今まで以上に明確になるであろう、ということを書いております。

3つ目の柱として、「少子高齢化」を立てております。これも、検討テーマの方では、「少子高齢化において、日本経済が目指すべき方向と日本人の価値感の尺度はどのように変わるか。」というテーマを紹介しておりましたが、(変化の内容)としては、「1995年にピークを打った生産年齢人口が21世紀初頭には本格的な減少局面に入るだろう。また、総人口も中位推計では2007年をピークに減少局面に入る」とされていますが、このように新たな局面に入るということを言っております。

その下に括弧で書いてございますのは、出生率を回復する努力というものが求められるわけでございますが、これが意味のある変化としてあらわれてくるためにはかなり長い時間がかかるということで、当面、10年といったようなタームで考えますと、人が減るという変化の方向性をある程度与件として考える必要があると思って書いております。

(影響) の方でございますが、1つ目の「経済構造」では、6つ書いております。1番目のまるでは、「低成長が不可避」となって、「活力維持のためには、経済効率を高めるべく多くの改革が必要になる」のではないかということや、2番目のまるで、「社会保障制度の単純な持続」が財政的に難しくなるであろうというようなこと。それから、1つとばして、4番目のまるで、「稀少化する人的資源の有効活用のため、労働力についても流動性や多様性の向上等が求められる」ようになるだろうということ。5番目のまるで、マクロ面では「消費性向が高まる」のではないか、というようなことを書いております。

2つ目の「生活文化」につきましては、3ページの下から4ページにかけまして、1番目のまるで、「高齢者介護にかかるコスト」が高まるとか、4ページの上では、「女性、高齢者が生活文化面での価値判断の主役となる」、ということを書いてみました。

最後に、4つ目の柱として、「環境適合」でございます。環境制約の高まりが経済社会にどのような影響を与えるかということでありますが、(変化の内容)といたしましては、経済の規模が拡大して、その拡大と「環境・資源の維持とのトレードオフ」という問題が強まってきているということ、それから近年、特に「地球規模での環境制約に対する意識」が高まっている。こういった「環境問題への意識の高まりから、今後、本格的に経済活動への影響が顕在化していく」のではないかということであります。

(影響)としては、あまりたくさん書いてありませんが、1つ目の「経済構造」の方では、1番目のまるで、「大量廃棄型構造は持続不能」になるということ、2番目のまるで、「環境関連分野でもより多くのニュー・ビジネスが興る」、ということを書いております。

2つ目の「生活文化」では、「個人・企業の意識に占める環境指向が高ま」るのではないかということを書いております。

3つ目の「地域社会」では、「個人、企業、NPO等による環境保全活動の基盤」に地域社会がなるであろうということを書いております。

以上は、「歴史的転換」ということで、便宜的に4つの柱を立てまして、それぞれ(変化の内容)と(影響)を簡単に見てみたものでございます。

資料4でございますが、今の4つの柱に即していくつかの参考資料を並べてみたものでございまして、ざっとご覧いただければと思います。

1ページが、「国内生産額の伸びと知的産業の生産額の伸び」ということで、(注)のところに小さい字で書いてあって恐縮でございますが、知的産業として、電気通信、研究機関、研究開発、公告、法務・財務・会計サービス、娯楽、個人教授所の部門を並べて合計して、知的生産のベースとしていまして、このような伸びが見られるということでございます。

2ページには、産業分類別のGDPの構成をとっておりまして、3次産業が増えていくということですが、当審議会の経済社会展望部会の報告書で2010年の数字を作っておりますので、一番右の方に2010年の構成比を入れております。

3ページも同じで、就業構造の方で2010年の構成比を入れているのをご覧いただければと思います。

4ページでは、「グローバル化に関連する参考指標」としまして、金融あるいはGDPの規模の30年ばかりのトレンドをとっております。5ページは、「開発途上国の台頭」という題になっておりますが、途上国の貿易のオーダーをパーセントで表示したものを付けております。

6~8ページに、少子高齢化に関連する参考指標としまして、先ほど申し上げた中位推計の国立社会保障・人口問題研究所のデータをグラフで付けておりますが、8ページの「仮定された合計特殊出生率の推移(中位推計の結果)」で、現在までのところと、それから2010年以降において多少改善するという前提で作られているというのをご覧いただけると思います。

9ページでは、「環境適合に関連する参考指標」ということで、万tでございまして、上の濃い方が一般廃棄物、下の薄い方が産業廃棄物の量でございます。これで見て取れますのは、85年までは5年刻みですが、最近、不況などのせいもあると思いますが、量的にはそう大きく増えていないというのがご覧いただけると思います。

以上、簡単でございますが、説明を終わらせていただきます。

〔 部会長 〕 ありがとうございました。

ただいまの資料3、資料4についての事務局の説明、「経済社会の歴史的転換」について、いろいろご意見をいただきたいと思います。ご自由にどうぞご発言ください。

〔 A委員 〕 ここに書いてあること自体に別に異論があるわけではないのですけれども、こういうような方向に持っていくときに、我々の気がついていないようなネックというか、いろいろな障害があるのではないかというようなことを、このごろ考えるときがあるのです。

1つは、これは本当に聞いた話で、私自身、検証していないからわからないのですけれども、情報化時代というけれども、インターネットのコスト・代金は、シンガポールだかどこかの比較で、日本はべら棒に高いというのです。それは一体どのくらいの違いがあるのだろうか、その原因は何なのだろうかというところも知っておきたいなという感じがするわけです。それが日本の特殊事情で高いのか、それは安くできるのか、そういったようなことは、つまらないことのようだけれども、今後どんどん情報化を進めていくときに、我々はちゃんと把握しておかなければいけない問題なのかなという感じがしております。

それと同じように、例えば、はっきり言って国際化の時代に遅れているのは、金融も遅れている、いろいろなところで遅れているというのですけれども、将来に向かって歴史的転換を求めていく場合に、現在置かれている日本の状態がどんな分野で国際的な趨勢に非常に遅れてしまっているのか、それはなぜなのかということを把握した上で、その反省の上に将来像を描いていかなければいけないのかなという感じがしています。

議論の口火を切る意味で一言発言をさせていただきました。

〔 部会長 〕 有難うございました。B委員、先ほど手を挙げていらっしゃいましたけれども。

〔 B委員 〕 非常に個別の問題で恐縮ですけれども、少子高齢化のところ、特に地域社会という項目がここにはないですが、これも地域社会に与える影響というのは非常に大きいと思います。1つは、人口は減るのですけれども、世帯数はどうかといった場合に、世帯数は相当長期にみても増えていくのではないかという予想は相当強いです。まさに女性が、結婚するのが少なくなるとか、親と子が離れる。今までは核家族といっていた、核家族そのものもある程度分解するというか、子供が別居するという人数も大きい。そういうことから言うと、世帯そのものはまだ増加するだろう。ただ、今までのような、例えば、住まいそのものに対するニーズも変わってくるのだけれども、地域社会における街の構造というものにも相当影響が出てくるのではないか。

1つは、「1.多様な知恵の時代への移行」のところに、「大都市への集中化の力も働く」とあるのだけれども、都市への集中の中でどう住まい・職場が立地するかということも非常に変わってくる。情報化になり、機械設備などが働く場で小さくなっていくという方向の中で、従来の大規模立地型が都市の中でも分散・小規模になってくる。一方で、女性が就労する、あるいはお年寄りの方がたくさん都心に住まうとなると、街のあり方、その地域の中での職と住まいとの関係というものも相当変化があるのではないか。

そういう意味で、そこら辺の変化ということも、地域社会に与える影響というのは少子高齢化の中で1つ視点を考えておいて、それに対する考え方も必要ではないか。

〔 C委員 〕 全体のことですけれども、これを読んでいると非常にたくさん逆艪が付いていて、歴史的転換をする話と、「ちょっと待てよ、所得格差が広がるぞ」とか「地域格差が広がるぞ」ということ等全部ブレーキがかかっているわけです。

過去の歴史的転換というのは、こうだというか、胸を叩き・わき興るようなところがあって初めて歴史的転換というのが起こったのではないか。これは、何か嫌々ながらやろうとしている、そういうイメージが非常に強いのではないか。これでは、本当にやろうっというふうな気持ちになるだろうかという感じを少し、はっきり言って持つわけです。

もちろんそれは、日本が成熟して、かつてみたいにボーイズ・ビー・アンビシャスで、すぐ飛びつくような子供ではなくなって、冷静に客観的にみているという、そういうプラスはもちろんあると思うのですが、ただ、このままで国民に訴えても、恐らく何のインパクトは出てこないわけで。もし、どうしてもこういうを議論しろというのなら、真剣にプラスとマイナスを本当に議論して、どっちかだというふうに言わないと迫力は出ないのではないか。我々にそうする決意があるのだろうか、という自分で自分に逆艪を付けているわけですが、そういう危惧をこれに対してちょっと感じたということです。

〔 D委員 〕 今、C委員がおっしゃったのと関連するのですけれども、転換と、成熟したので「もうこれがいい」というような感じがあるので、奮い起こさなければいけないということですけれども、現在の10年間続いて、また来年も成長率がプラスになるのか、その近傍なのか、夜明けの前が暗いのか、長官がおっしゃったようなことなのか、よくわからないようなとき、やはり、何かしなければいけないということは、現在の不況の中でそれはコンセンサスなのだと思います。

経済計画で政府からお出しになるのに、自己責任で頑張れというのも、大変言いにくいかとは思うのですけれども、透明性の確保、グローバルスタンダードを受け入れるというのは、そもそも国民が受け入れるわけなので、ここでのメッセージとしては、政府として挙げられることはこれこれだけなのだから、まあ頑張れ、というようなメッセージをお伝えいただいたらいかがなのかと。

少子高齢化、女性があらゆる変革のところに立っているものとして、お願いしなければいけないのではないかと思っております。

もう一つ、少子高齢化ですけれども、一ぺんにマイナスイメージというのではなくて、何か頑張っていけばこれもプラス指向になるのだよ、と。その1つとして、この前ちょっと申し上げたと思うのですけれども、成長というのも、そもそも投資ではなくて、非常に大きな部分が消費なわけです。少子高齢化というのですけれども、質のいい物を多く消費するような社会が成熟であり、それが低成長ということではないと思う。その辺のイメージといいますか、何か新しいものがイメージできればいいのではないかと。

〔 E委員 〕 私も、D委員と同じですが、基調としては明るくぜひうたっていただければと思っております。全般的には非常によくお考えになって、よくまとまっていると思います。

それから、最初にA委員からお話がございました、情報化の問題については、一言、私、関連して申し上げます。シンガポールという国は、高速化が進んで、シンガポールワンという情報が結構やっているのですけれども、日本のそういう情報化の高速化というのはまだ十分でない。ファイバー・ツゥ・ザ・ホームができておりません。だから、インターネットプロバイダーがたくさんあって、そのコストがずいぶんかかる。

ただ、ベースは、彼らは英語を話す国民になっているわけです。ですから、10年後の日本の社会というのは、いつまでも日本語という国民の文化というのは言葉が重要ですから、それは外すことはできないけれども、グローバル化していく中での国際的な言葉というものが国民の生活に根づかないと、例えば、インターネット一つ取っても、受信はできても発信ができないということになっていくわけです。そういう点では、グローバル化に対しての生活文化面もあわせて、そういった国際的な言葉の教育というのをもっと国民に根づかせないと、知識もそんなに増えないわけです。

部会長は言葉が流暢ですから、世界の文化が同時に全部がわかると思うのですけれども、英語を理解できないと、どうしても日本の文化しか理解できないという国民に将来もなっていくということで、私は、そのあたりは何か一工夫していただきたいということで、ちょっと付け加えさせていただきます。

〔 F委員 〕 他の方のご意見と若干ダブるかもしれませんが、4つの切り口から社会経済の変化を考えていこうということについては異論はないのですが、4つのディメンジョンの相互関係のようなことをもう少し、いわば立体的に考えると、またいろいろな見方が出てくるのではないかと思うのです。

例えば、知恵の時代とグローバル化ということと関連して考えますと、グローバル化の中に、財のみならず資本を国境を越えた移動ということが書かれておりますが、それだけではなくて、知恵を持った人が移動するといいますか、特にかなり熟練度の高い、インテリジェンスの大変高い人の移動といいますか、日本を中心にして考えれば、そういう人たちを日本の中にどう取り込んでいくかということが、国としては非常に重要なのではないか。

先ほど、言語の問題が出ておりましたが、そういうことも関連しますけれども、人材の移動といいますか、知恵の移動というのもあるわけで、そういうことを考えながら、そして、この4つの切り口で変化のあり方を考えるだけではなくて、これもどなたかがおっしゃったと思いますが、一体日本としてはどうすべきなのかという主体的な意欲といいますか、国としての向かうべき方向性のようなことも考えていく必要があるのではないか。国民に、そういう意欲とか、夢とか、そういうものを持たせるという意味もありますし、そんな気がいたします。

〔 G委員 〕 本日のテーマはかなり抽象的で、なかなか発言しにくいのですけれども、ただいまの発言のように、もう少し4つのファクターの補完性について考えればいいかと思うのです。

1つ1つ見ていけば、その問題、あるいはチャレンジのように見えるのですけれども、もしかすると、全部一緒に考えあわせると、お互い問題解決につながる部分もないわけでもないのです。

例えば、特に問題視されるのは高齢化の問題です。ただ、高齢化が進む、あるいは少子高齢化が進むということを1つの与件としてとらえますと、実はこれは環境にやさしいわけです。ですから、環境問題の解決方法の要因として働くのではないか。

同じように、これから知恵の時代になってくると、労働力が細ってくると、筋肉ではなくて、頭脳の部分を使えばいいわけで、それも1つの問題解決につながるのではないかという気がするのです。

その関連で言いますと、ここで観点として欠けているのは、教育問題です。これからどういうふうに日本の教育システムを変革させるのかという問題です。6大改革では、その中で、最後の改革として教育改革が出ていたのですけれども、その後、一体どういうふうになっているのか。新聞などを読んでも、あまり進んでいないのではないかという気がするのですけれども、今日の話からいいますと、いろいろな議論はできますけれども、ではそれをどういうふうに実践していくのかということを考えるときには、人的資本の形成問題が出てくる。あるいは、情報化社会ということで考えますと、これから情報化社会に見合った教育システムが当然ながら必要になってくるわけで、これをもう少し前面的に出していただいたらいいかなという気がいたします。

〔 H委員 〕 非常によくおまとめになっていると思います。この紙の性格ですけれども、一応、今後の何年かを考えた場合に、こういう変化が起きてくると客観的なことを書かれて、そこで、これについてはこういう方向でこういう問題がある、そういうメリット・デメリットというか、問題点というか、それを客観的にお書きになったものではないかという気はいたしますが、ここから先は、これをどういう方向に持っていくのか。この流れの中で、持っていくためには、どういう問題があって、それをどう熟慮していくのか、あるいはそれをどう助成していくのか。そういう方向で、これから先、おまとめになるのが大事ではないかという感じがしています。

そういう意味では、お互いに関連した問題がありますし、特に今、G委員からお話がありました、教育問題というのはこれから先、いろいろな面で重要だと思いますので、そういう意味では、確かに、この10年のうちには教育の効果が出ることは期待できませんけれども、長い目でみれば、大事なことだと思いますので、この紙の性格と、これからどういうように議論を持っていくのか、その点が気になりました。

〔 I委員 〕 先ほどから、いくつかのヘディングといいますか、このタイトル間の関係ということがお話に出ていたかと思うのですが、私は、ここに書いてあることはほとんど、特に反対することはもちろんないのですけれども、1つ欠けている視点として、テクノロジーということがあるのではないかと思うのです。つまり、我々の未来について考えるときには、具体的にどういうテクノロジーが利用可能であるか、どういう物理的な可能性が我々に開けているかということに関して、もちろん不確実性が伴うでしょうけれども、現実においてベストの信頼できる知見というのを集約して、その可能性についてできるだけしっかりとした情報をとらえるということが最も重要なことだと思うのです。

例えば、「3.少子高齢化」で、1つ目の「経済構造」の最初のまるで、「低成長が不可避となる」と書いあるのですが、確かに、それだけを取れば悲観的な材料なのですが、以前にも発言させていただいたような記憶があるのですが、日本の成長の過去のレコードを見ますと、労働力そのもののダイレクトな成長への貢献というのはそんなに大きくないわけで、資本ストックとか、あとは技術進歩の部分というのが非常に大きいわけです。ですから、そういうこともあるでしょう。また、「1.多様な知恵の時代への移行」ということでいろいろ書いてあるのですけれども、ここでも情報通信革命というのは言葉としては非常にしょっちゅう使われるのですが、私が理解しているところで、例えば光ファイバーということでも、これを大がかりに現在の日本で進めるのに、イエスという意見と、ノーという意見が交錯しているような印象を私は持っているのです。そういうところも、エンジニアリングないしはサイエンティストに、一体どういうことなのかということを、できるだけしっかりとした意見を述べていただいて、政府としても、そういう情報を集約すべきではないかというふうに考えます。

それが主な意見ですが、何人の方が教育ということでお話しになったので、私も教育の一端に携わる者として意見を言いたいと思います。今、いろいろな問題が確かにあるのです。先ほど、G委員は、改革ということが言われた。いろいろなことが行われているようですが、妙な改革もずいぶん多いのです。

これはちょっと脱線をいたしますが、一言。例えば、「ゆとり」というような言葉がよく使われますが、「教育にゆとりを」と言うと、こういう言い方をしたら、恐らく誰も反対できないと思うのです。「ゆとりなんて、なくたっていい」と言う人はまずいないので、反対できないです。

そういう議論の下に、例えば中等教育でも、中学から数学で二次方程式が消えるということになっているようですが、これを我々、大学でいろいろ話をしていますと、理科の先生だけでなくて、文科の先生でも、非常に評判が悪いです。これは何十年後に日本を危うくするものであろうというのが、大学教師の大半の考えです。しかし、「ゆとり」という名のもとに、中学から二次方程式が消える。一生のうちで二次方程式の根の公式を使ったことがあるか、誰もない。それで消えるそうでありますが、これは非常に誤った教育に対する考え方です。こういうことが避けられなければいけないと思います。

後半は脱線であります。

〔 J委員 〕 私も、基本的に今までの議論に異論を持っているわけではありませんが、若干気がついた点を述べさせていただきます。

日本の国の10年ぐらいのタイムスパンでの話ですが、国際的な環境みたいなものがその間にどうなっていくのかという見通しがもうちょっとないと、具体的には、例えば、世界的には人口が増えていくわけですから、しかも、肉食みたいなものが増えて、穀物みたいなものが不足していく、それで食料問題みたいなものが起こってくるだろう。あるいは、資源・エネルギー問題とか、いろいろ国際的に見たときに、10年ぐらいのタイムスパンでいろいろな変化が起こるわけです。ですから、我が国では、例えば少子高齢化で云々という変化ですけれども、世界的には違った流れがある。そういう中で、具体的にものの流れみたいなものがどうなっていくのか。その中で、日本という国の境界条件が大きく変わるわけですけれども、その中でどうなのかという視点がもうちょっとあってもいいのではないかというのが1点です。

それから、私自身は、非常に物事を単純化して、例えば経済というのがよくわからないので、見ているのですが、いつも気がつくことは、日本の国民というのが世界的な意味でのいろいろな国の国民と比べて全く同じようなレベルという言い方はおかしいですけれども、感覚を持っているのかというところをもうちょっと考えた方がいいのではないか。

グローバルスタンダードというとき、アメリカ人を例えば基準にとれば、彼らは物事に対して何でも積極的に関わる。それは経済にかかわらず、あらゆることに対して個人が積極的に他と関わっていく。グローバルスタンダードというのは、そういう人を基準にして成り立つようなルールではないかと僕は思っているのです。

ところが、日本人というのはむしろ逆でして、他とあまり積極的に関わろうという性癖はなくて、そういう関わりはむしろ弱い方ではないか。それを、例えば社会的な弱者と強者と、前者を強者と言い後者を弱者と言うとすると、日本は社会的な意味では弱者的なタイプの国民が多いのではないか。今までの日本のシステムというのは、そういう意味ではそれに適用していたのではないか。これから、世界がグローバルスタンダードでやっていくというときに一番遅れているのは、そういう国民の持っているある種の資質みたいなものがちょっと違っている。そうすると、皆さんから今出てきたような議論で、結局、教育というのが非常に重要になっています。そういうグローバルスタンダードの下でちゃんと活躍できるような人間というのが国民の大多数でないと、ルールをいくら変えていっても、実際的には機能しないのではないか。したがって、教育の規制緩和みたいなものを積極的にやらないと、ここで言っているような認識を持っていたとしても、実質的には、経済でそういう主体となるべき人間というのが日本には少ないということになりかねないのではないかというのが、第2点です。

第3点で、今、I委員がおっしゃった光ファイバーの問題みたいなものを考えるときに、鉄道を引くとか、電話線を引くとか、そういった種類の投資を今までは国がやってきたわけです。それをこれからは、国がやるのか、民間がやるのか、そういうような種類の議論というのもぴしっと見据えないと、見据えるというか、こういうところである程度判断をしないと、ここで言っているようなことを実際にやるためのインフラストラクチュアが整備できないのではないか。

その3点、ちょっと気がつきました。

〔 K委員 〕 最初にC委員が言われた、夢みたいな、それがほしいと思います。明治以来、日本は、欧米のとても届かないという目標、その水準を目指して夢を追いかけたわけです。アメリカも、例えば、人間を月に送り込むというのは、それを発想したときには、できないと思った人が多いでしょうが、実はそれを追いかけてできた。何か大きな時代的な夢みたいなものができないかな、というのが1つです。

その関連というか、成長制約という、これまで出てきたものを振り返ってみますと、例えば、公害の問題がありました。石油がなくなるという話がありました。しかし、これが全部その後のポジティブな展開のバネになっているのです。公害が出てきてから、これからは高齢化ですが、場合によっては、先進国はすべて高齢化がこれから来るわけです。日本は幸い、早くきて、早くチャレンジして、それを乗り越える技術でブレークスルーするとか、システムとしての何かがあれば、将来の世界が学ぶような何かをつくれるかもしれない。

まず、公害ですが、公害が出てきたときに、いろいろな公害防止機器に投資をしなければいけないというので、大分日本の成長率が下がる、資本係数がどんどん高くなって、非生産的な投資をしなければいけないという話があったのですが、結局、公害関連産業というものができて、そこで技術革新がどんどんあって、投資があって技術革新があって、それは大変な生産性があって、新しい産業分野を日本は付け加えたわけです。

既存の産業だけ考えると、例えば、鉄鋼で新しい公害防止技術をつくらなければいけない。これは収益を圧迫するし、競争力がなくなるということになるのですが、新しく出てきた制約を克服するために出てきた新しい動きは、日本の経済社会に新しい分野を生み出して、それが今にしてみれば、ODAをやるときも、日本は環境関係でいろいろ協力します、という自信を持てるような分野が出てきたわけです。

石油危機があったとき、もう日本の製造業は終わりだという議論があったのですが、結局、あれがバネになって、世界一燃費率の高い自動車産業ができた。アメリカは、むしろ第1次石油ショックのときは、石油価格に蓋をして、石油をがぶがふ使う産業・デトロイトを維持したために、そういう燃費率の高い技術革新が遅れたのです。第2次石油危機になって、ようやく数年遅れで始めた。

高齢化も同じように、これは明らかに時差の問題だけです。主要な国にはみんな来るわけです。これを前向きにとらえることができるのかどうか。高齢化というのは、需要構造が高齢者層に急激にシフトするということです、どの国よりも早く。そこに生まれる新しいニーズとか、潜在的なニーズとは何であるか。それに対するサプライサイドの対応というのは、ほとんどまだついていない。そのニーズを拾って、サプライサイドがついてくれば、将来、次から次に日本の後を遅れて高齢化する国があるわけですから、その日本から生まれる新しいサプライサイドの能力というものが世界に通用する可能性もある。そういうアプローチが何かできないかなという感じがします。

それから、そういうものを含めて、日本の国全体としてのイメージとして、ちょっと大づかみなバランスシートを考えてみますと、規格大量生産型というのは、恐らく、そういう産業化というのは日本は20世紀で一番うまくいった国の1つだと思うのです。そのあらわれが日本の貿易収支、いまだにすごい黒字になってあらわれています。だけれども、国のバランスシートを見ると、貿易だけではなくて、観光があるし、投資があるし、芸術だとか、文化だとか、書籍だとかというものがある。あるいは、頭脳が日本に入ってきているか、流出しているか、留学生が入ってきているのかどうなのか。要するに、20世紀型の規格大量生産型産業を象徴する貿易収支という面は圧倒的に黒字を1970年代以降続けているわけですが、ほかはなかなかついてこない。赤字です。それをバランスをとるというのが、日本のこれからの1つのバランスのとれた国の姿になるのかもしれない。

観光の収支だって、要するに観光という言葉は、国の光を観る、あの国はすばらしいところだから行きたい、それが原動力です。それぞれお国自慢というのがあって、国内では誘致合戦をやってきたわけですけれども、国全体としてみると、圧倒的に石油代金ぐらいの赤字です。それから、留学生も、日本で学びたいというよりも、外に行って学びたいというのが多い。文化その他も、日本の文化その他いろいろなものを見たい、ファッションとかを身につけたいというよりも、外のものを身につけたいという。ですから、その辺の日本の国の全体の対外的なバランスシートを、貿易一極集中から少し多様化すること、発想の仕方としてはそういうことも考えていいのではないかとちょっと思いました。

最後に、情報化や英語の話をされた人がいますが、言語というのは、1つのソフトです。だから、情報化時代において、言語というソフトにおける互換性というものを日本社会が持たないと、なかなか情報化時代に乗り切れないと思うのです。そういう意味で手段として、あるいは社会のソフトウエアとして言語を戦略的に位置づける必要があるのではないかと思います。

〔 部会長 〕 有難うございました。実は、この後の「新たな時代のあるべき姿の基本理念」にも関連してくるのですけれども、1つだけ、皆さんから大切なご意見をいただいて、こういう見方ができるかどうかというのを皆さんにお考えいただきたいのです。

今、4つの視点で「歴史的転換」を皆さんに出したわけですが、例えば、多様な知恵の時代への移行というと何かなと、それはまさに規格大量生産社会から移行しているのだ。グローバル化ということは、その反対のナショナル的なところからグローバル化へ移行している。少子高齢化というと、多子若年化という時期というのがかなり昔あったような気もします。環境適合社会というと、大ざっぱに言えばノーコンストレインドでいろいろなことができた、そこから環境適合。そうすると1つかなりはっきりしていることというのは、こういう移行というのは、今これから始まるというのではなくて、結構、50年、20年前ぐらいから、程度は別だけれども、それぞれ動いています。

それで、経済審議会で、90年代というのは、このままほっておくと、まさに失われる10年になる言っているわけですが、1つは、日本の経済そのものが、今の言ってみれば規格大量生産社会、かなりナショナル中心の、しかも比較的若い人がたくさんいた、なおかつノーコンストレインド、そういう乱暴な言い方をすると単線イノシシ型スタイルで成長した時期というのは、一体いつまで続いたのか。ともかくそういう時期があった。それが終わって、80年代の半ば以降、特に90年代というのは、変わってはいますけれども、まだ完全に単線イノシシ型から出ないけれども、今度は逆に全体成長しないで、横這いで、今はっきり言えば階段のところにいる。できれば、これからもっと動きを起こしていきたいわけです。

制限を付けているのじゃないか、とC委員がさっきおっしゃいましたけれども、あえて言えば、むしろ、我々がやろうとしていることというのは、単線イノシシ型でやってきて、ここ10年ぐらいはその貯金でずっとプラトーの上にいて、中の動きが平均して動きがなくなってしまったので、言葉は格差でも何でもいいけれども、動きを起こそう。動き、そういう差ができることはいいことだということをまず第一に認めようではないか。だから、全体を何かで動かそうということよりも、中に動きを、マグマをうんと起こして、その動きが暴発することもあるかもしれないけれども、結果的には経済活動のチャーニングにもつながるし、あるいはそれが全体のパイを大きくすることにつながるかもしれない。ですから、表現上、ニュアンスは別にして、格差ということがここで出てくるかもしれないということは、あえてそれを是とする。特に、今度のは一応10年間を視野に置いていくのですから、そういう動きを起こしていくことが必要ではないかというのが1つのメッセージなのではないか。

もう一つは、まださらっと読んだぐらいですから誤解がたくさんあることをお許しいただきますが、今売れている「老人力」という本があります。老人力というのは、ずいぶんあちこちで誤解されているとどこかに出ていましたけれども、それは、老人の中から若者みたいな力を引き出せという話ではないのだ。老人の老人らしいところを生かしていくのが老人力なのだ、と。あえて老人と言わなくても、確かに成熟化してきている。成熟社会というのは、単線イノシシ型ではない。いわゆる目茶苦茶に走る、闇雲型の力・エネルギーはないかもしれないけれども、とまどいも1つの力だ。あるいは、いつまでも物事を忘れないのではなくて、忘れちゃうことも、実は力なのだ。

変な表現ですけれども、成熟ということそのものをネガティブにとらえるのではなくて、成熟ということをむしろプラスにとらえるということは、何人かの方がおっしゃった、明るい面をどうやって出していくかということは、ないものを無理に作っていくのではなくて、実際には日本の社会が入っている現在のステートというのは、従来にはない豊かさを産むもとをずいぶん持っているのではないか、というふうにとらえることができるのではないかという気もします。

何といっても、ギャップを作っていくことが次の成長のバネになる。それを助けるために、技術の問題などもどうとらえるか、国際的な視点もどうとらえるか。

考えてみると、ごく一部の時期を除くと、1945年・50年プラスの時代というのは、継続してアメリカのスタンダードがグローバルスタンダードの時代であったのではないか。ちょっとそれが変わるのではないかと思われた時期があったのだけれども、また強烈に復活をしてきて、ここしばらくは、またどうもそうなりそうだというのが実態です。5、6年何となく日本スタンダードが大きな顔をしそうな時期もあったのだけれども、そうではなくて。今度は、グローバルスタンダードそのものを、日本が主体となって作っていくというのがどこかの分野でできるのか。あるいは逆に、そうではなくて、欧米型のグローバルスタンダード、アメリカ型のグローバルスタンダードもそれに非常に効果的に・スピーディに適用できるのなら、それはそれで悪いことはないではないか。ただ、今のままのいろいろなことで適用できるのかどうかということは考えなければいけないと思います。

もう一つは、10年ということが我々の視野ですが、むしろ10年の間に、アウトプットというところで、なるべく今まで持っているものを上手に組み合わせて、刈り取りというところでどれだけ成果が出るかという話。特に教育の問題というのは、10年の話ではなくて、20年、30年、50年先を視野において、どういう仕込みをするかと。はっきり言って、我々の今度の計画の10年先のところでは、教育にやることについての成果というのは、正直言ってあまり見込めないけれども、だから、やらないのではなくて、先に向かって種まき・仕込みのためにやっておかなければいけない。そういうカテゴリーとしては教育というのは非常に重要な問題だと思うので、そういう中身を仕分けをして、整理をしてやっていくことが必要かなという気はしています。

他に何かありましたら、どうぞコメントしてください。

〔 L委員 〕 最初の資料3に関しましては、私の個人的意見としては、全般的に環境変化に対して受け身過ぎるのではないか。もう一つ、その変化を悪とか、こわいものととらえ過ぎているのではないかという感じを持っています。ですから、変化に対してもう少し主体的に対応をして、チャンスととらえる、そういうアクティブかつポジティブな態度がもうちょっとあった方がいいと思っています。

以上です。

〔 部会長 〕 ほかにはよろしいですか。

〔 J委員 〕 部会長の今おっしゃったことで。成熟化ということと、ごちゃごちゃやって格差をつけるというのは何か矛盾していることではないか。成熟化というのは、むしろ意味としては、そういう格差がなくなってきているということを意味するので、成熟化社会を「壊す」というのならわかるのだけれども、成熟化社会でなおかつ格差のあるというのは、僕はちょっと矛盾しているように思ったのが1点。

それから、僕が教育と言った意味は、規制を全部撤廃します、アメリカでも何でもいいけれども、グローバルスタンダードでやりましょうと言っても、日本の国民にそれだけの主体的な、それを担うだけの人材がたくさんいれば、それはほっといてもそうなっていくだろうと思うのですけれども、本当に日本という国は、それを担う主体的な人たちがそんなにたくさんいるのかという問題があって、いくら政府で何か規制撤廃して「こうですよ」と言っても、全くアメリカだとかヨーロッパがそうなるような形では進行していかないのではないか。だから、少しその辺を考えたものを作らないとだめなのではないかという意味で、教育の問題もそういう意味で言ったのです。

〔 部会長 〕 教育の問題、J委員の言われた意味はよくわかりました。

格差のあることと成熟社会というのは、むしろ矛盾しないかというお話ですが、これは矛盾するかもしれないですけれども、例えば、アメリカという社会は成熟化しているというのか言わないのか、一般論から言えば成熟社会だと思うのですが、格差は大変にある。それは、成熟が先にあるのではなくて、むしろ格差をあえて許容することをやっていった方がいいのではないかというのが私の個人的な意見です。

また、グローバルスタンダード、今おっしゃったことは非常に重要なことだと思いますが、しかし、一般に言ういろいろなグローバルスタンダードの範疇に入るようなものは、あまり高度の心構えとか何とかがなくたって、その気になれば十分に習熟できるものがたくさんあるのではないかと思います。ただ、今おっしゃったように、何から何までそのまま当てはめれば、今までどおりできると考えるのは、安易なところがあるかもしれません。

事務局から資料3の説明がありまして、皆さんから自由に感想、ご意見を伺いましたが、次の理念のところも関連をしますので、次の基本理念のところについて説明をさせていただいて、前段も含めいてご意見をいただければと思いますけれども、よろしいでしょうか。

〔 事務局 〕 続きまして、資料5、資料6をご説明申し上げたいと思います。

資料5は、「我が国の国家像についての意見集計」と書いてございますが、前回の「今後の進め方」の中にも、「経済社会のあるべき姿」として「国家としてのあるべき姿」という問いかけがございまして、世界の中の日本の位置づけとか、新たな秩序をどう考えるかとか、我が国はどのような国を目指すかというのがございました。資料5の最後のところに、「別紙」が付いておりますが、「『あるべき姿』における我が国の国家像をどう考えるか」という7つのクエスチョネアを作って、これについて4つの部会でそれぞれご意見を賜ったものをまとめたものでございます。1~7までございます。それが資料5の方に出てまいりますので、1ページ目からご覧いただければと思います。

資料5でございますが、「1.世界における我が国の位置づけについて」ということで、最初に、「世界秩序への関わり方」でございます。

便宜的に、甲論乙駁といいますか、左側が「積極的に関わるべき」、右側が「与件とすべき」ということで対称的な意見を書こうと思いまして、欄を2つ作っております。右側が空いているのは、そういう意見はあまりなかったというふうにご覧いただければと思います。「積極的に関わるべき」という意見が当然多いわけでございます。「受け身的な発想だけではなく、積極的な姿勢が必要」という意見から、「グローバルスタンダードに関して、広い意味での知的基準を作り出していくということを考えるべき」という意見があるのをご覧いただけると思います。

問いかけの中に、「尊敬される国であるべきか」、そうであればコストはどれだけ払うのか、という問いかけもございまして、それが1ページの下から2ページにかけて書かれております。「尊敬される国」という問いかけが、尊敬という言葉は何なのだという意見も出ておりますし、1ページの一番下のところでは、「世界に尊敬されるためには、経済的負担、市場開放、移民・亡命の受け入れなどが必要ではないか」という意見を書いております。

2ページで、「その他」とございますが、その関係で出た意見を適宜編集したものでございます。いろいろな意見が出ておりますが、ご覧いただければと思うのは、構造改革推進部会の下の2つ目ですが、世界は、「これから国家像を固めていく国」、これは新興の国々という意味だと思いますが、これと「すでに固まっている国」、先進国というイメージだと思いますが、この2つの二重構造になっている。こういったことを踏まえた関わり方が必要だ。あるいは、地域経済・社会資本部会ですが、「我が国の経済成長の成功体験を発展途上国に伝えていくことが世界貢献」なのだということや、先ほどいただきましたご意見にも関連していると思いますが、「狭い国土に多くの人口が住む等、日本は21世紀にかけての世界の姿を先取りしており、問題解決が世界の見本となり、世界から尊敬されることにつながる」のではないか、というご意見などがございました。

「2.自由と社会的秩序などのトレードオフについて」ということで、問いは、自由と社会秩序、個性と組織、応報と安全ネット、といういわば相対立する関係にあるものをどのように考えるかという問いでございます。左側が「自由、個人、応報優先」という考え方で、2ページの一番下では、「日本は自由が無さ過ぎる」のではないか、「思い切って自由を強調」せよ、というような意見。3ページには、同じように、「自由、個人、応報優先」ということで、「格差が無さ過ぎる」ので、「日本経済に現在の停滞をもたらした」、というグローバリゼーション部会の意見がございます。

その下に、「その他」として、構造改革推進部会のところには、「調整過程が重要」だ。「構造改革を進めるには、自立した個人を作ることが必要条件」だ、というご意見がございます。

それから、この問いかけが「トレードオフ」という言葉を使っているものですから、3ページの真ん中から下あたりに何回も「トレードオフ」という言葉をご覧いただけると思うのですが、例えば、国民生活文化部会の2つ目をご覧いただきますと、「社会保障分野では、『自由と社会的秩序』は必ずしもトレードオフになると思わない。『社会の安定』をキーワードとして、両者の調和を考えることができるのではないか」という意見や、グローバリゼーション部会では、「これまでは公平と効率が代替関係にあったが、現在は補完関係になっているのではないか」というような意見等、トレードオフそれ自身についても、色々な意見が出ております。4ページの方で、地域経済・社会資本部会では、「自由と社会的秩序をトレードオフの関係で議論するのは不適切で、自由を享受するためにも必要となるルール的社会秩序はある」などの意見も出ております。

4ページでは、「3.産業・技術等のワンセット主義について」ということで、これは別紙の方をご覧いただけるといいのですが、産業や技術のワンセット主義をどこまで維持すべきかという問いかけでございます。左側「ワンセット主義の維持」・右側「ワンセット主義の一部あるいは全部放棄」に分かれておりますけれども、左側「ワンセット主義の維持」は、構造改革推進部会では、「地域ごとの分業構造があるので、日本がフルセット主義を捨てると地方を捨てることにならないか」というご意見や、地域経済・社会資本部会では、「エネルギー・食料といった将来の日本経済に係る安全保障の議論も重要」というご意見がございます。右側「ワンセット主義の一部あるいは全部放棄」は、基本理念委員会で、「放棄というよりも、転換ということだ」という意見や、地域経済・社会資本部会で、「護送船団方式や弱体産業の保護は反対。しかし、淘汰されるものの中からも後世に伝えていくべき技術をいかに保護し、伝えていかが大事」という意見がございました。ここは意見が左右に分かれております。

「4.日本固有の良さについて」という問いかけでございます。これは大変難しい問いでございまして、グローバル化の中でも絶対に守るべきであり、一度失うと取り戻せない日本の固有の良さは何か、という問いでございます。その辺につきましては、「ステークホルダーによる日本の特色が今問題」であるといった意見や、それから、5ページの方でいろいろ書いておりますが、「生成りの文化~敢えて不自然なことをしないことに美を見出す精神」、構造改革推進部会では、「様々なものを輸入し、混ぜ合わせていくことがうまい」、同じような意見では、グローバリゼーション部会では、「厳しい状況でそれに対応していく高い適応能力」が特色であるという意見がありました。また、「何事もきちんとしていること」「自然をとりこみ共生する」とか、いろいろとご意見をいただいております。問いもなかなか難しいですが、答えもなかなか含蓄があると思います。

「5.経済成長について」において、「経済成長の重要性」では、「経済成長はこれからも重要な要素である」か、「追求すべき価値」は何かという、これもまた難しい問いがありまして、経済成長の重要性については、左側「経済成長は重要な要素である」、右側「経済成長以外に追求すべき価値がある」と分けてあって、右側の欄にもたくさん意見が出ております。ご覧いただければと思いますのは、5ページの一番下の左側ですが、「生活水準はこれから大きく下がるのではないかという危機感を持っている」ということ。右側は、「経済成長率に注目し過ぎている」とか、「可処分時間」とか空間とかが重要。6ページにまいりますと、右側で、「グロス・ナショナル・アメニティのような新しいモノサシが必要」、「サスティナブル社会の構築が必要」というご意見がございます。左側で、「今の経済水準を守る、ということが暗黙的に含まれている」と考えるべきだというご意見などがございました。

「移民について」では、「人口減少の中では移民を受け入れても経済成長を追及するのか」という問いがございまして、それにつきましては、ここに3つ出しているご意見があります。1つは、「外国人労働力を入れるとなれば、海外からの供給圧力はかなりなものとなり、与える影響は計り知れない」であろうといったこと、それから、労働移動ですから、受入国、送り出し国、移動する労働者、その3つの視点があるということ、「現在のように労働力需給が緩んでいるときに冷静に議論すべき」であるといったこと、おそらくこのご趣旨は、バブル期ですといろいろ人が要るということで、冷静に議論しずらいという意味だと思いますが、このような意見がございました。    

「その他」には、経済について「ゆとりと豊かさ」、「ボランティア」、あるいは「雇用の安定」、こういうご意見をいただいております。

7ページにまいりまして、「6.個人の帰属先について」でございます。これは、いわゆる会社人間というものから脱却した後に、企業も、地域も、家族とか家庭も変容するわけですが、どこに帰属先を求めるのかという問いでございます。ここにございますように、「家族と地域が個人の帰属先として機能するような社会にすることが必要」という意見。 それから、職場=仕事、地域=住民自治、趣味=好み、NPO=善意というように要素を 整理できないか、という意見などがございます。

ボランティアにつきましては、国民生活文化部会の上から4つ目ので、「ボランティアでは行き先のなかった退職者・高齢者」が、「NPO」では「活躍できる場があり、退職者の活躍の場としてのNPOをたくさん作っていくことが必要」、「多様な選択肢があってしかるべき」というご意見が出ております。同じような意味では、その下にも、グローバリゼーション部会で、「個人の帰属先について」は家族か、地域か、NPOか、という問いにしてあったのですけれども、「“or”ではなくて“and”」であろう、それくらい多様化するのではないか、というようなご意見がございました。

それから、7ページの一番下のところでは、「会社人間」という言葉を使っているものですから、「会社人間」というのはそもそも何だという議論もあると思いますし、それが「日本の国民生活をどれくらい規定しているかについては、はっきりしていない」ではないか、というご意見や、8ページには、今の日本の「会社と個人の関係は異常である」。「個人は会社が飼った家畜のような状態」だ、というご意見、また、「価値観の多様化により横型の構造が生まれるにもかかわらず、そのような社会構造になっていない」というご指摘があるというのをご覧いただけると思います。

「7.地域のあり方について」でございますが、人口が減少していく中で、広大な過疎・無人地帯が存在するおそれがあるけれども、これはどう考えようか、という問いかけでございます。「過疎・無人地帯」と書いてございますが、さっきのところで、「ワンセット主義を捨てるべきだ」ということになると、「地域的にも偏在」する部分が出てくるではないかというご意見がございましたが、一般に、「許容しない」という右側の方の欄が多いという感じがいたします。そこに5つございますのでざっと御覧頂ければと思います。

最後に、9ページでございます。地域のあり方について、基本理念委員会で「道州制」 というご意見もございました。構造改革推進部会では、「20世紀は都市経済時代であった」のに対して、今後は「地方の良さが認識される」時代に入る、というご指摘や、国民生活文化部会では、地域の人々が「政策提案を言い出せるような環境づくり」、「地域が主体」の公共投資、このような意見が出ております。

4つの部会並びに基本理念委員会で、「別紙」の「『あるべき姿』における我が国の国家像をどう考えるか」というご議論をいただいたときの意見集約でございました。

なお、資料6が、今のいくつかの問いについての参考資料でございます。後でご覧いただければと思います。

以上でございます。

〔 部会長 〕 ありがとうございました。

先ほどの部分も含めて、今ご説明したことについて、いろいろご意見をいただければと思います。

〔 D委員 〕 ここでご指摘いただいていることの中には、既に変化が起きてしまっていて、起きた変化に対して社会が非常にとまどっている点などかいくつかあるように思いますので、その点を指摘したいと思います。

資料3ですけれども、「生活文化」の中で、4ページのところに、「女性、高齢者の多様な活動の意義が高まる中で、女性、高齢者が生活文化面での」とありますけれども、生活文化もさりながら、企業文化の方にも声が届かないというところがあるのではないか、「あるのではないか」どころか、それがいくつかの問題を起こしているのではないかということを申し上げたい。

教育についていくつかご指摘があったのですけれども、長い間、私も教育なるものに携わってきたのですが、ここの国は、非常に教育投資に余力があったのか、無駄をしてきたのか。つまり、非常に多く優秀な女子学生を教えてきたのですけれども、企業サイドの受入れ、もしくは社会でのサポートシステムがないために、その教育投資が生かされなくて、非常に無駄と言うと変ですけれども、子育てに生かされたというのにしては、あまりにもったいないシステムであったというふうに思います。それがまず、生活文化の主役になる前に、企業にも、端役でもいいから入れさせていただきたいというのが1点です。

それから、企業のあり方、企業人間というのですけれども、これは既に変化が起きているのではないでしょうか。卒業生に言わせますと、自分の子供の頃には、会社の社宅に夏休みに行くというのが最大の喜びであったけれども、もうああいうのはごめんだ。夏休み、冬休みぐらいは、自分で行きたいのだ。事実、会社の社宅も金融関係なんかは売却なさるそうで、そういう文化もお終いかなと思っております。

もう一つ、私自身、留学の問題、日本から外に送り出すのに2つほど関わっておりまして、困ったことだなぁと思っていることがあります。企業の方も困っていらっしゃるのではないか。つまり、企業の留学生試験で、ビジネススクールに2年行ってきた者が、帰って来て国際派になったとたんに、かなり流動化してしまっていて、企業としては投資なさった金額を回収するどころか、もともと個人に帰属していらっしゃるのではないか。これは、皆さんおわかりになっていること、ことに金融界で顕著に出てきいる事態である。国として帰属しているというのであれば、これを何かプールして、留学制度を考えていかなければいけないのではないか。それは企業としてお考えいただかなければいけないのか。国ではなくて、やはり、企業としてのプールなのか。そこは早急にお考えいただかないといけない問題ではないか。そのためにか、ここ数年、企業からの派遣が減っているようです。

その一般の方は何が起きているかというと、せっかく就職した者に対する、男子学生・男子の雇用の方は離れることに躊躇がありまして、応募してこない。

私も、この間ひさしぶりで、自分はずっとフェミニズムをやったことはないけれども、これではあまりに女が多過ぎるではないか、男の子も入れたらというので、逆差別を初めてしたようなわけです。

そこも問題が出てきているのだというふうに思います。男の子の方が応募をしない。つまり、会社を離れることへの不満というのですか、不安ということが出てきていると思いますか

それに比較しまして、アメリカですけれども、受け入れている大学院ではなくて、大学を卒業するか4年生、それから出た1年以内で、フルブライトでフェローというのを始めたのですけれども、それにはすばらしいのが入っていく。大学を卒業して、企業に就職する前の2年間、何かさせてもらえるというようなフレキシビリティ、これは企業文化としてもぜひお入れいただきたい。

以上でございます。

〔 部会長 〕 私も、正直に言って、会社人間という状況というのは、全くなくなったとは思いませんが、ここに言われるほどの状況「何とかしなければいけない」というのは大分昔の話で、ここはかなり時代錯誤ではないかと僕は思っておりますし、現実にぎりぎりのところで「あなたは、会社と家庭とどっちを選びますか」と聞かれたら、会社を選ぶ人がそんなにいるなんて思えません。帰属先というのは、そういう意味だと僕は思いますが、おっしゃるとおりだと思います。

ただ、いろいろな施策の上で、さらにそこから進んで、もう少し個人の立場で自由にいろいろな能力発揮できるようなことを、プロダクティブに会社がやっているか、それは女性の活用も含めて、これは逆の意味で会社としていろいろ考えなければならないところがあります。

実は、女性の活用についても、僕の感想からいうと、遅かれ早かれ、もともと新しい分野で従来のわりに保守的な男性は来なかったという、ファイナンシャル・サービスの分野などは圧倒的に女性が多い。そういう形で、必要なところには優秀な能力のある女性がどんどん活用されていくと思います。重厚長大のマニュファクチャリング分野では依然として男性優位で、これもリストラを迫られて、少ない人数の中で、どこかに書いてありましたが、効率を優先しなければいけないということになれば、能力。いずれ、そうなってくるのではないでしょうか。

そのスピードが遅いか速いかということは、おっしゃるように、生活文化ばかりではなくて、企業文化の中でということはわかりますが、僕は、必ずそうなっていくと思います。それはあくまで感想です。

理念だけではなくて、前の部分も含めてで結構ですから、どうぞ。

〔 M委員 〕 遅れてまいりまして失礼をいたしました。

私は、10年展望で考えました場合に、日本は世界秩序の形成には、軍事的な側面は別といたしまして、積極的に関与していくべきではないかと。ただ、現実には、国際機関への日本人の派遣の数が少ないとか、お金を出している割りにはボイスがないとか、まだ積極的に役割を果たしていない面というのはあるのですけれども、10年展望で考えました場合には、特に経済協力などの面ではかなり大きなお金を使っているわけですから、そういうところを中心にしまして、もっともっと世界の平和と世界経済の発展に貢献する役割を積極的にやっていくべきではないか、その方向づけをぜひこの部会ではやっていただきたいという感じがいたします。

それから、自由と社会的秩序のところの感じですけれども、これは一言でいえば、結果の平等から機会の平等というところに力点を移していくべきではないか。

最近の小学校の運動会などを見ておりましても、競争を極端に避けるような秩序形成が行われているので、ああいうことでは日本人の将来も暗澹たるものだという感じがするわけでございますが、そこになりますと教育の問題とも関連してくるわけですけれども、まさに機会の平等に徹してやって、あとはセーフティネットでカバーをしていくという秩序づくりをやっていくべきではないか。

それから、経済成長は、3%がいいのか、2%がいいのかというのは議論のあるところだと思いますけれども、やはり、構造転換をあまり摩擦なくて、より円滑に進めていくということのためにも、その程度の経済成長というのは基本的に維持をするという体制で具体的に考えていくことが必要ではないか。

それから、日本的な伝統ということで、長期雇用であるとか、年功序列制度というのはあったわけですが、これは徐々に崩れていっているわけですけれども、長期の10年展望でみますと、各企業にとって根幹となるべき労働分野というのは、長期雇用の体制で残るだろう。むしろ、周辺部分については派遣労働的なものとか、あるいはアウトソーシングで外に出してしまうとかいうことで位置づけられていくことになるのではないだろうか。企業に残された長期安定的な労働分野というのは、管理職分野であり、かつ技術専門職分野というのがその中核になっていくのだろうと思いますけれども、そこの分野については、従来、日本的な伝統である長期的な安定雇用というような分野は残るのではないか。

その基本には、景気が悪くなれば首を切っちゃうということではなくて、基本的には人間尊重の考え方というのが雇用のベースにあってしかるべきだし、またあり続けるのではないだろうか。その辺が日本的な特色ということになっていくのではないだろうかという感じがいたします。

全体を通観いたしまして、これは先般にも私ちょっと申し上げさせていただいたわけでございますが、アメリカ型でもない、ヨーロッパ型でもない、まさに日本型の経済運営のあり方、日本型の資本主義、そういうものを10年展望の中では模索していくべきではないか。その辺をもっと積極的かつ具体的に取り上げていくということを考えていくべきではないかと思います。

以上でございます。

〔 A委員 〕 気がついた点を1、2点申し上げますと、先ほどから部会長がおっしゃっている、いわゆる所得格差の問題。恐らく、部会長の考えていらっしゃる考え方に反対する人はいないと思うのですけれども、どういうふうにこの問題にアプローチをして、どういうふうに整理していくかというのは、よっぽどうまくやりませんと、とにかく端的に言えば、行き過ぎた大衆民主主義の結果がこうなっていて、日本は機会の平等だけでなくて、結果の平等まで求めるような国になってしまったということだと思うのです。それを、それではだめなのだということを、どううまく説得するかということが鍵だと思います。私は、これは政治家の責任も相当あると思います。ですから、これは整理の仕方として、うまくみんなにわかってもらえるような整理の仕方が必要。

もう一点、今度は全然違う点ですけれども、ワンセット主義の問題です。この間、ちょっと暇なときに、G7の国々の国民総生産というか、国民総支出というのが正しいのか、構成要素の比率を見ておりますと、いろいろな国は輸出輸入の割合が20%前後です、全体を100とした場合に。それで、10%ぐらいのところにあるのが日本とアメリカです。アメリカは、輸出と輸入でどっちかというと輸入の方が多い。日本は、輸入が少ない。しかし、全体の比重からすると、日本とアメリカが1割ぐらいで、ほかの国々が2割ぐらいだというところに気がつきまして、これは一体どこから来ているのだろうか、と。

日本とアメリカというのは、国民性なども全く違うのです。だから、日本のワンセット主義というのは、何も日本の国民性から来ているわけではないのかな、と。その辺がよくわからなくなってしまったのですけれども、その辺のことをどの部会か存じませんけれども、少し突っ込んでいただくと、その中で、いろいろなことをしても日本はワンセット主義になってしまうのだということか。それとも、こうすることによってその壁を越えることはできるのだ。アメリカとは違うけれども、こうなのだということか。その辺の答えが出てくるような気がするものですから、これは質問というよりも、お願いですけれども、ひとつどこかの部会でその辺を1回検討していただければいいと思います。

〔 B委員 〕 経済成長のところですか、経済成長とほかの価値と二律ではなくて、経済成長そのものは目的ではないのです。ほかの価値の実現のためには一定の経済成長がある、そういう投資は必要だ、そういう位置づけなのだろうと思うのです。

私は、目的とするのは、豊かな生活ということだと思うのですけれども、豊かな生活の中身は千差万別だけれども、1つの流れとしては、モノから時間の豊かさというのがある。モノについて言えば、日本の場合には、非常にきめ細かさといいますか、例えば、デパートとかも、あまり諸外国での経験がありませんけれども、乏しい経験でも、品揃えは日本の場合には豊富だし、店員さんもたくさんいる。そうでない面も出てきていますけれども、それが逆にまた、生産性・効率性の悪さである。

例えば、プレハブ住宅でも、本来あれは大量生産でもってどんどん価格を安くする方向であったのですが、結局、消費者のニーズというのが、アメリカのように同じものに満足せずに、うちの場合は屋根の形はこうする、窓はこうだということで、部品の型をいろいろと出さざるを得なくなる。あるいは、それをまた出す。その結果として、価格がなかなか下がらないという要素もあって、そこら辺の、きめの細かさということは消費のニーズの問題ではあるのだけれども、もっと安い価格で自分の求めるものが求められる、そういう方向、そういう流れに1つ持っていくことがあっていいのではないか。

一方で、時間の豊かさというのがこれからは非常に大事なことであって、地域活動にしろ、コミュニティー活動にしろ、趣味の問題にしろ、アウトドアの活動にしろ、そこの豊かさというのはこれからの社会の1つの大きなもので、そのためのいろいろなインフラなり、ソフト・ハードのインフラを支援する。一方で、経済の成長もそういった分野とに着目しての成長、そういった方向に行けば、1つ幸せの方向ということがあるのではないか。

ちょっととんで、移住問題です。これはそこにある単に労働力不足でもって考えるべきではないというのには、僕は大賛成だし、それは国際交流でやるべきですが、もう一つ、例えば単純労働者の問題、これの見通しが、労働力がどうなるかということです。例えば、建設業に従事する労働者の需給関係、これは当面、正直言って、日本の国内だけで間に合っている。国内労働者だけで間に合うと思うのですが、試算の仕方によっていろいろあるのですけれども、2010年あたりになると、供給が日本の労働者だけでは追いつかないのではないかという試算も実際にあります。その場合、では単純に、ここにあるように受入れ体制を整備していいかどうかというと、例えば、建設業について言うならば、一方で生産性をもっと高めなければいけないという問題があって、単に量的に足りないからといって外国人労働者を入れてきた場合に、それがまた賃金を引き下げ、結局、生産性アップに結び付かない。あるいは、女性の参入という問題もあります。そこの辺は相当慎重に考えるべきかなという感じがしています。

「7.地域のあり方について」、ここにありますように、「広大な過疎・無人地帯が存在するおそれがあるが、これを許容するのか」という観点ですが、これからの地域を考える場合に、できるだけ平地を増やそうというのは、あまり考えるべきでないのではないか。それぞれに希望する定住を全部合わせると、日本の人口の3倍ぐらいになる、そういう笑い話もありますけれども、これからはそれぞれの地域が定住人口を増やすということではなくて、交流といいますか、いろいろな意味での交流。例えば、お店に行くという特色のある問題もあるでしょうし、文化的な問題もあるし、さらには、僕は、住まいのあり方というものも、従来のように一戸型の住宅1つで住むという時代ではないわけです。マルチハビテーションということで、1人の人が2つ住宅を持っていることもある。その場合に、こういった地域にそういう住宅需要もこれからは掘り起こしていく。そういう長期・短期の交流ということで地域というものを考えていく、定住人口を増やすということ、そういう関係が非常に大事。

もう一つは、よく言われるのですが、それぞれの地域の連携が当然ここに来て必要だということ。

もう一点、最初の「尊敬される国であるべきか」、これはもちろん「されるべき」であるけれども、ここのところはそれが目的ではなくて、私は、国益というものをまず中心に考える。国益と言うと語弊があるかもしれませんけれども、国民の幸せは何かをまず考えるべきだ。その幸せというのは、豊かさということもありましょうし、もう一つ、幸せというのは、日本の安定した国。ちょっと語弊があるのですけれども、部会長が言われた、動きを起こすとか、いろいろな新しいことをやることはもちろん賛成ですけれども、犯罪が少ないとか、魏志倭人伝にあったような、そういうときから続いている安定した国。住みよい国といいますか、社会、そこのところの基本だけは押さえる。そういう観点を踏まえつつ、グローバル社会の中でどうしたらいいかということを考えていくべきであって、結果として、それが尊敬される国につながっていくということではないかと思います。

〔 G委員 〕 いくつか思いついた点から言いますと、2のところで安全ネットの話が出てきますけれども、安全ネットというものを考える場合は、今までかなり規制があった経済システムが規制緩和されて、そこで市場経済化して、安全ネットみたいなものが必要になってくるという考え方だと思うのですけれども、まずどういうような安全ネットが必要なのかということは、経済の発展段階によって違ってくるような気がします。

それから、誰が安全ネットを供給するのかという問題がありまして、政府が提供するという前提だと思いますけれども、場合によって、例えば、企業なり、家族なり、NPOなり、むしろ安全ネットの多様化という問題を1つ念頭に置いた方がいいと思うのです。

極論として、ある経済発展段階まで行くと、市場そのものが、むしろ安全ネットと対比するものととらえるのではなくて、市場が1つの安全ネットにもなり得る。例えば、労働市場もそうです。厚みのる労働市場ができますと、流動性が高いもの、これが個人にとって1つの安全ネットになる。こういう観点が重要かなあという気がします。

それから、移民の話が出てきますけれども、移民の話の1つ手前のところでは、移民のことでどれくらいの成果が挙げられるのかは疑問ですけれども、より実現性の高いものとして、1つ前の段階としては、在日外国人の問題、帰国子女の問題、片親が外国人である、いわゆるダブルとかハーフとかの子供たちの問題、こういう移民者ではないが、多少異質を持っている日本人、あるいは日本人に近い人たちを、どういうふうに社会全体の中で活用するのかという課題があると思います。これは宝物というのでしょうか、1つの資源財として考えるべきだと思います。

そこで、非常に具体的な話としては、恐縮ですけれども、日本には二重国籍というものはないです。二重国籍というものを取り入れればいかがなものかというのを、提案させていただきたいと思います。

それから、6のところでは、私は、個人か家族かという二者択一的な問題よりも、家計部門の生産の経済圏と、それから市場の経済圏、この両方があって、有名なベッカー、シカゴ大学の先生が指摘しているように、この2つが補完しているわけです。ですから、全部ではないですけれども、個人が、家族みたいな安全ネットというものがバックにあって、はじめて経済システムの中に組み込まれるというのがあるのではないかという気がして、できれば、こ2つの中の1つということではなくて、両方を、その能力あるいは機能を高めるという考え方で臨んだ方がいいのではないかという気がします。

〔 部会長 〕 時間が押していますが、どうしても何かおっしゃりたいという方いらっしゃいますか。

〔 J委員 〕 「我が国の国家像」ということで、先ほど部会長がおっしゃったのですが、その制約条件下というふうに、これから10年変わってくるわけです。そうすると、制約条件下での国家のあり方というか、貿易、いろいろなものがちゃんと入ってくるのかどうか、そういう問題としてとらえたときに、日本が世界の中でどこまで自立していくのか。あるいは、全く相互依存というか、他国に依存してしまうのか、その辺の議論というのは必要不可欠ではないかと思います。

例えば、基本的なものはすべて自立体制を維持していく。この問題は、1と3に関係すると思うのですけれども、ワンセット主義というのは、結局、国家としてどこまで他国に依存しないてやっていけるかというところなので、こういうところをきちっと押さえないと、我が国の国家像というのは全く見えてこないのではないか。これが決まればある程度、いや、これがほとんどすべてを決めるようなところがあるから、もうちょっと具体的な10年という単位でも国家像というのは見えてくるのではないか、というのが1点です。

もう一点は、7の人口減少というところでの地域のあり方ということに関係して、要するに、都市の問題だろうと僕は思うのです。制約条件下でないときの都市のあり方が今の日本の都市のような状況をつくり出して、これは環境的にも、災害的にも、あるいは資源・エネルギー的な意味でも、全く非効率なものになっているわけです。ですから、人口減少という新しい条件下で、多分、都市のあり方というのは大分変わってくるので、もっと積極的にこういうところは、それこそ国家の施策として、いろいろ出てくるのではないかと思います。

以上です。

〔 部会長 〕 ありがとうございました。まだご意見がおありかと思いますけれども、大変貴重なご意見をいただきましたので、この辺を踏まえて次の部会でさらに審議をお願いしたいと思います。また、今日伺えなかったご意見がありましたら、事務局の方までぜひお寄せいただきたいと思います。

それでは、次回移行の日程を含めまして、残りの資料の必要な部分について、簡単に事務局からご説明をお願いします。

〔 事務局 〕 お手元に資料7、資料8、資料9とございますが、資料7は、参考資料として、それぞれの部会の進め方というのがついておりますけれども、各部会の検討事項を対比したもので、縦軸に、「多様な知恵の時代への移行」「グローバル化」「少子高齢化」「環境適合」「その他」を入れましてマトリックスにしたものでございます。

資料8は、諮問でも、全国規模で広く国民の生の声を聞き、海外からも意見を求めるようにということで、内外からの意見募集に鋭意努める予定でございます。その意見募集と広報活動のスケジュールとして1枚にしたものでございます。具体的には、2月中旬にモニターのアンケートを実施しております。それから、本日の朝からホームページを開設しまして、経済審議会の審議についてのご意見を広く聞くようにしたところでございます。

それから、前回もちょっと申し上げましたが、シンクタンク委託調査、これは4月の中旬ぐらいを目途にしておりますが、議論を効率的にするために、数本の委託調査をシンクタンクに短期で頼み、共同で研究していこうというものでございます。

それから、広報委員会(第1回)とありますが、来週にも1度お願いしたいと思っております。

それから、3月中にシンポジウム(PFI)の開催とありますが、これは3月8日から末日ぐらいまで、今、全国15カ所ぐらいでPFIの関係で私どものシンポジウムをお願いしたいと思っております。その際に、経済審議会でのご議論をご紹介し、意見を求め、PRにも努めたいと思っております。

海外関係でございますが、来月初めに、海外向けにもホームページを開設したり、関係者からの意見を聞くということをしてまいりたいということでございます。

一番右の欄は、情報発信ということで、政府広報で意見を募集しているということ、5月の中旬の段には、概案がまとまりましたら、そういうものを政府広報としてテレビや新聞で広報してまいりたいと考えております。

最後に、資料9でございます。企画部会の今後の予定としまして、4月いっぱいまで一応日にちを取らせていただければというお願いでございます。今、部会長からお話がございましたように、次回が3月5日、さらに本日のご意見などを深めていただければと思いますが、前回の企画部会でご指摘がございまして、3月中ぐらいを目途に基本理念を中心に経済審議会としての方向性を取りまとめたいと考えております。これを3月中といたしますと、あと2回でございますが、そういった回を中心に全体としての方向を取りまとめるような作業をお願いしたいと考えております。

それから、前回のご説明では、企画部会の検討の中で大きなところとして、マクロ経済の展望に関する議論がございます。これも前回、ちょっと申し上げましたが、当部会での効率的な審議に資するために、先日申し上げたとおり、タスクフォースを事務局内に設置をして勉強を始めまして、昨日、第1回目を行ったところでございます。メンバーは、当部会の委員になっていただいています、吉川先生、樋口先生、東京大学の岩田一政先生にお願いをしておりまして、これから3月末にかけて4回程度開催したいと思っております。その作業のスケジュールでまいりますと、4月の上旬(このスケジュールで言いますと第9回ぐらいになります。)にもお諮りできるようなスケジュールで考えているということ、これもあわせてご報告申し上げたいと思います。

以上でございます。

〔 部会長 〕 ありがとうございました。

皆様、大変お忙しいと思いますけれども、ぜひ次回以降もよろしくお願いいたします。

それでは、これで第6回企画部会を終了させていただきます。どうもありがとうございました。

──以上──