経済審議会地域経済・社会資本部会(第1回)議事録

経済企画庁

経済審議会地域経済・社会資本部会(第1回)議事録

経済審議会地域経済・社会資本部会(第1回)議事次第

日時 平成11年2月8日(月)15:30~17:30

場所 共用特別第1会議室(404号室)

  1. 開会
  2. 委員紹介
  3. 堺屋経済企画庁長官挨拶
  4. 地域経済・社会資本部会の公開について
  5. 地域経済・社会資本部会の進め方について
  6. 閉会

(配付資料)

  • 資料1 経済審議会 地域経済・社会資本部会 委員名簿
  • 資料2 地域経済・社会資本部会の公開について(案)
  • 資料3 「新たな時代の姿と政策方針」の諮問文
  • 資料4 経済審議会の今後の運営について
  • 資料5 「新たな時代の姿と政策方針」の策定手法の多様化について
  • 資料6 地域経済・社会資本部会の進め方について(案)
  • 参考資料

経済審議会地域経済・社会資本部会委員名簿

部会長
森地 茂  東京大学大学院工学系研究科教授
部会長代理
安土 敏  サミット(株)代表取締役社長
        企業小説家
委員
石川  嘉延  静岡県知事
井上  繁   (株)日本経済新聞社論説委員
北村  浩子  (株)キンスイインタ-ナショナルリゾ-代表取締役
小林  重敬  横浜国立大学工学部教授
坂本  多旦  (有)船方総合農場代表取締役会長
        全国農業法人協会会長
生源寺 眞一  東京大学大学院農業生命科学研究科教授
戸所  隆   高崎経済大学地域政策学部教授
中邨  秀雄  吉本興業(株)代表取締役社長
長谷川 逸子  長谷川逸子建築計画工房(株)代表取締役
林   淳司  川崎重工業(株)取締役副会長
溝口  薫平  (株)由布院玉の湯代表取締役社長
宮脇  淳   北海道大学大学院法学研究科教授

〔 事務局 〕 定刻でございますので、ただいまから、第1回の地域経済・社会資本部会を開催させていただきます。

 私は、事務局を務めさせていただきます、経済企画庁総合計画局の審議官の高橋でございます。

 去る1月18日の経済審議会総会において、小渕内閣総理大臣より「新たなる時代の姿と政策方針」の策定について諮問が行われました。同時に、その検討体制として、企画部会のほかに、新たに「構造改革推進部会」「国民生活文化部会」「グローバリゼーション部会」「地域経済・社会資本部会」の4部会を設置することとされました。

 その折に、各部会の部会長及び委員は経済審議会の豊田会長が指名することとされましたが、本部会の部会長には、森地茂氏が指名されたところであります。森地部会長、よろしくお願いいたします。

 また、委員に指名されました方々は、お手元の資料1の委員名簿のとおりでございますが、本日は初回でもありますので私の方から本日ご出席の委員の皆様をご紹介させていただきたいと存じます。

 安土   敏委員でございます。

 石川  嘉延委員でございます。

 北村  浩子委員でございます。

 小林  重敬委員でございます。

 坂本  多旦委員でございます。

 中邨  秀雄委員でございます。

 長谷川 逸子委員でございます。

 林   淳司委員でございます。

 溝口  薫平委員でございます。

 なお、井上 繁委員は若干遅れてお見えになる予定でございます。

 本日の事務局の出席者は、お手元の座席表のとおりでございます。ご紹介は省略させていただきます。

 それでは、これからの進行は森地部会長にお願いしたいと存じます。よろしくお願いいたします。

〔 部会長 〕 大変難しい、大切な議論でございますが、皆様のご理解とご協力を得て、お役に立つアウトプットを出したいと思います。よろしくお願いいたします。

 なお、部会長代理を私の方から指名させていただくことにルールでなっているそうでございます。大変恐縮でございますが、安土委員にお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。

 それでは、本日の議題に入る前に、堺屋大臣よりご挨拶をいただきたいと存じます。よろしくお願いいたします。

〔 堺屋経済企画庁長官 〕 部会長よりご紹介いただきました、経済企画庁長官の堺屋太一でございます。

 このたびの経済審議会は、非常に従来と変わった形で進められることになります。ご存じのように、経済審議会は、総理大臣直属の諮問機関でございまして、古くは所得倍増計画をつくりました。以後、5カ年計画を基本として再三、計画をつくってまいりました。ところが、5カ年計画が5年もったためしはございません。大体、3年ぐらいで見直すようなことを繰り返しながら、今日までやってまいりましした。

 現在ございます経済計画は、平成7年、村山内閣のときにつくられたものでして、日本のこれからの改革をいかにしていくべきか、そういったテーマを掲げているわけでございますけれども、経済成長率を年率1.75%ないし3.0%の間に置いております。これは日本経済を改革しなかった場合には1.75%、その計画に書いてあるとおり改革ができれば3.0%、このような数字を出しております。これは現在になりますと、非常に現実から乖離した数字になります。

 そこで、このたび、1月18日に小渕総理大臣から改めて諮問がございました。

  お手元の資料にございますように、「内外の歴史的な大転換期にあたり、『新たなる時代』の我が国経済社会のあるべき姿と、その実現に向けての経済新生の政策方針いかん。」というのが、この諮問でございます。

 従来は、経済計画として大体5カ年計画という形でございましたが、今度は、「あるべき姿」ということになっていまして、必ずしも計画ではない。何パーセント成長で何をどれだけする、というような経済計画的な発想ではなくして、民間主導の下に「あるべき姿」を追求しようというのがその趣旨でございます。そして、その前提としまして、「内外の歴史的大転換期」ということを挙げ、大体これから、21世紀の初め10年間ぐらいの姿を描いていただきたい、こういう形になっております。

 どのようにこれをやっていけばいいかということを内々検討し、また、経済審議会にもかけさせていただき、その審議会の下にフォロー・アップをする企画委員会があるわけですが、それにもかけさせていただきました結果、さらにこれを詳細に検討するために小委員会・部会をつくるべきだということになりました。その結果、先ほど事務局が申し上げましたように、「構造改革推進部会」「国民生活文化部会」「グローバリゼーション部会( 国際的なグローバル化を進める部会) 」「地域経済・社会資本部会」の4部会を新たに設けることになりました。

 地域経済・社会資本部会というのは、一方においては、日本の形をどのようにつくっていくか、「この国のかたちづくり」ということだと思います。同時に、地域経済というものをこれからどう考えていくか、これもまた重要な問題であります。農業が自由化されるに従って非常に変化を強いられている。あるいは、公共事業に依存した地域経済というものの転換も考えなければいけない。また、商店街そのほかの変化も起こってくることでございましょう。そういった点を皆様方に考えていただきたいということでございます。

 ご存じのように、現在、日本は2年続きのマイナス成長でございまして、今年度、平成10年度は特にマイナス2%を上回るような縮小ではないかと見られています。平成11年度、この4月から始まる年度にはどうしてもプラス成長にしたいというのが我々の願いでございます。

 そういった短期的な問題と並べて10年程度の長期的な方向として、日本経済がいかにあるべきか。その中で社会資本の整備と地域経済がいかにあるべきか、皆様方からお知恵を拝借したいということでございます。

  日本は、明治以来130年、欧米諸国を見習いまして、近代工業社会の形成に努めてまいりました。その点では、80年代に非常な成功をおさめ、世界で人類史上最も完全な近代工業社会をつくり上げたといえるでしょう。自動車や電気製品のような規格大量生産の商品は強い競争力と巨大な生産力を持つようになりました。そして、日本の1人当たり国民総生産、国内総生産は、人口1,000万人以上の国では第1位になりました。貿易は大きな黒字であり、犯罪率は少なく、失業率は非常に低い、そして貧富の差も少ない、という国ができたわけです。

 ところが、そのとき既に、世界の文明、人類の文明は、近代工業社会、つまり規格大量生産の時代から次の多様な智恵の時代に移っておりました。日本人の欲求も、同じ規格品をもう一つほしいというよりも、個性的なもの、変わったもの、違った情報、そういうものがほしいという時代に変わってまいりました。

 そういう中で日本は、構造転換といいますか、方向の転換が一足遅れた。80年代には、日本が世界一、ジャパン・アズ・ナンバーワンで、アメリカなどを追い抜いたと喜んでいたのですが、その間にアメリカは、ソフトな技術を向上させ、違った方向に発展していた。これが今、日本の不況の原因にもなっているのではないか。したがって、私たちは、近代工業社会とは全く違った新しい時代、つまり、歴史的転換期を迎えている。これを乗り越えなければいけない、という発想でこの審議会を進めたいと思っております。

 したがいまして、皆様方にも、従来の考え方あるいはこれまでの経済の延長線上ではなく、いわば突飛なお話をしていただいていいのではないかという気がしております。どうしても役人が集まりますと、従来の話をそのまま引き伸ばす、専門家にありがちな形になるものでございますから、ぜひ皆様方の新しい発想、将来への希望というものを赤裸々に述べていただきたいと思っております。そういう意味では、何事も遠慮なくおっしゃっていただき、それが日本の未来を探る道につながるのではないかと期待しております。どうかよろしくお願いいたします。

〔 部会長 〕 どうもありがとうございました。自由に議論をしろというありがたいお話でございますが、難しいお話でございます。ぜひよろしくお願いいたします。

 それでは、本日の議題に入らせていただきます。

 まず、本日の部会の公開方法について、資料2のご説明をお願いいたします。

〔 事務局 〕 お手元の資料2をご覧いただきたいと思います。

  地域経済・社会資本の公開については、以下によることとする。

  1.  原則として議事録を会議終了後1カ月以内に作成し、公開する。ただし、発言者の公開は行わないものとする。
     また、原則として議事要旨を会議終了後2日以内に作成し、公開する。
  2.  配布資料は、原則として議事録と併せ公開する。
  3.  会議開催日程については、事前に周知を図るものとする。

 以上でございます。

〔 部会長 〕 ありがとうございました。

 ただいま説明のありました本部会の公開について、ご意見等がございますでしょうか。

 よろしければ、本部会の公開については、本会合の冒頭にさかのぼって、そのようにさせていただきますのでよろしくお願いいたします。

 続きまして、事務局より、先日の経済審議会総会で行われた「新たなる時代の姿と政策方針」の策定の諮問の内容及びそこで了承された経済審議会の今後の運営等についてご紹介いただき、引き続き、本部会の進め方につきましても説明をお願いいたします。

〔 事務局 〕 それでは、お手元の資料3をご覧ください。ただいま大臣よりお話がございましたように、1月18日に小渕内閣総理大臣より経済審議会会長・豊田会長宛に次の諮問文がなされました。

 「内外の歴史的な大転換期にあたり、『新たなる時代』の我が国経済社会のあるべき姿と、その実現に向けての経済新生の政策方針いかん。」ということでございます。

 その背景につきましては、今、大臣よりお話のありましたとおりでございますので、これに付け加えることはございませんが、下から5行目にございますように、その策定の期間は「平成11年から21世紀初頭までの10年間にとるべき政策の基本方針の策定」ということになっております。

  また、その下にございますように、「策定にあたっては、全国規模で広く国民の生の声を聞くとともに、海外からも意見を求めるなど、内外に開かれた活発な議論が求められる。」とされております。

  次に、資料4をお開きいただきたいと思います。これまでの経済審議会の下に、企画部会のほかに4部会が設けられたということでございます。

 その各部会の検討テーマは、次の2ページの(別添)にあるとおり、企画部会は、総論としての大きな方向性を探る、マクロ経済の展望について検討するということになっております。

 構造改革推進部会は、産業、経営、市場等の経済各面での構造について検討いただき、市場原理の徹底や創業・起業の促進、新技術・新業態の発生・普及等、様々な課題についてご議論いただくことになっております。

 国民生活文化部会は、国民生活と文化を規定する人口、教育、環境、資源、社会保障等の問題についてご議論をいただくことになっております。

 グローバリゼーション部会は、我が国の世界における位置づけ、世界的な課題についてご議論いただくことになっております。

 そして、3ページにあります本部会は、先ほど大臣からご指摘のあったとおりに、我が国の地域経済の問題・産業の問題、そして社会資本の整備のあり方についてご検討願うことになっております。

 その内容は、次のページの「検討体制」のグラフのとおりですが、1点、本部会との関係でご説明申し上げますと、上の方にあります「首都機能移転委員会」は、今、国土庁にございます首都機能移転審議会の審議との関係で、前の橋本総理より「首都機能移転の経済的な効果について経済審議会でも検討してほしい」ということで設けられたものでございます。2年ほど前に中間報告を出しておりますが、現在は、国土庁の審議会の検討等を見ながら、事務局を中心にいろいろな勉強をしているという実態でございます。

 次に、資料5でございますが、これは先ほどの諮問文の説明の一番下にありましたように、政策手法の多様化、国民からの意見を聞くにあたってのいろいろな手法を書いたものでございます。マスコミへの特集企画、シンクタンクへの短期集中委託調査、国民からの提言募集、各国有識者からのヒアリング、モニターによる意向調査、広報としてのビジュアル発表資料の作成等となっております。2のところをご覧いただきますと、本部会との関係でも、「c.我が国の長期の街づくりに関し、生活空間の拡大方策に関する調査」の委託を予定しております。

 以上が本部会の関連のご説明でございます。

 本日の議題は、主として資料6でご議論いただくことになっておりますが、まず、1の「『あるべき姿』における我が国の国家像についての議論」でございます。3ページをお開きいただきたいと思います。既に、経済審議会の総会あるいは企画部会で1回ずつご議論いただいておりますが、そこでは、21世紀初頭の「新たなる時代の我が国経済社会のあるべき姿」を求めていくためには、審議会全体としてなるべく共通の理念を持ち、できる限りそれに基づいた政策方針を各部会においてご議論いただくのがいいのではないかということでございます。

 そこで、経済審議会における検討の方法としては、各部会においては、まず、「あるべき姿」における我が国の国家像についてご議論いただくことになりました。各部会のご議論の結果は、基本理念委員会、企画部会でさらにご検討いただきまして、それぞれの部会にまたフィードバックしていくことになろうかと存じます。

 本部会におきましても、第1回目の本日、まず、「あるべき姿」における我が国の国家像についてご議論いただければと存じます。

 そこで、この議論の参考の資料としまして、今ご覧になっている(別紙)に論点を7つほどに大括りしてございます。

  1. 世界における我が国の位置付けについて
     我が国は、大国として世界秩序の形成に積極的に関わるべきか、あるいは、世界秩序を与件として、それに合わせて行動していくべきか。
     これからの我が国は、尊敬される国であるべきか。もしそうであれば、そのためのコストはどれだけ払うこととなるか。
  2. 自由と社会秩序などのトレードオフについて
     自由と社会的秩序、個性と組織、応報と安全ネットという問題は常に相反する、いわばトレードオフの関係にあります。そういったものをどのような水準に設定するのか。
  3. 産業・技術等のワンセット主義について
     これまでの我が国は、農業から各種工業までの各産業の技術をすべて我が国で取り揃える、いわゆるワンセット主義をとってまいりました。これを今後どこまで維持すべきなのか。ワンセット主義をとらないとなった産業については、その産業がなくなれば、当然、それに付随する技術がなくなりますし、その技術を支えてきているところの教育もなくなるなります。それをもたらしている情報あるいは常識というところまでが一連のものとしてつながってきております。もしそういったワンセット主義をとらない場合には、この産業を放棄するといったときには、このどの段階までを放棄するのか、すべてを放棄するのか、途中の段階までにとどまるのか、ということが問題になるわけでございます。
  4. 日本固有の良さについて
     グローバル化の下でも、将来にわたり絶対的に守るべきものがございます。かつ、一旦失うと取り戻せない日本の固有の良さというのもございます。それは社会システム・制度、慣行、文化、様々な面においてあろうかと思いますが、それは何であろうかという問いかけでございます。
  5. 経済成長について
     これまで日本は、先ほど長官からお話がありましたように、大変な経済的な成果を遂げたきたわけでありますが、引き続き、経済成長は重要な要素なのか。もし、それに代わって追及すべきものがあるとすれば、それは何か。将来、人口減少が見込まれていますが、そういった中では移民を受け入れても経済成長を追及すべきとするのか否かという問題でございます。
  6. 個人の帰属先について
     これまで特に戦後は、会社に帰属した形で会社人間ということがいわれてきました。それが時代の変化によって、会社人間から脱却をすることが求められ、またそういった流れになっているかと思いますが、そうした後には、会社、地域、家族、こういったものも同時に変容しているわけで、会社人間から脱却したその先はどこに帰属をすべきなのか、あるいは求めるべきか。家族か、地域か、NPOか。また、人のネットワークというものはどのようになっていくのか。
     同時に、税あるいは社会保障、あるいは相続、すべて関わってくるわけですが、経済単位というのは個人単位で考えるべきか、あるいは家族単位で考えるべきかという問題でございます。
  7. 地域のあり方について
     人口が減少していく中で、当然、人が住まない地域も出てくる可能性があります。そうすると、広大な過疎・無人地帯が存在するおそれがありますが、こういったものを許容するのか。
     それから、当然、地域のあり方を考える場合には、地方自治のあり方、国土保全のあり方、我が国全体を取り巻く環境・自然環境というものについてもどのように考えるかという問題がございます。

 以上、大括りに7つの問題を具体例として出しておりますが、こうした問題点を踏まえまして、「あるべき姿」における我が国の国家像をどう考えるかということについてご議論いただきたいと思います。

 以上でございます。

〔 部会長 〕 どうもありがとうございました。

 それでは、早速、ただいまのご説明についてご意見を伺いたいと思います。資料3、4、5についてご質問、ご意見があれば伺いたいと思いますが、主として、ただいまの資料6の(別紙)の7項目、あるいはこれに追加する事柄、何でも結構でございますので、ぜひよろしくお願いいたします。

〔 D委員 〕 7つ、非常に重要な課題が並べられております。そのうちのいくつかについてお話しさせていただきます。

 一つは、2の「自由と社会秩序などのトレードオフについて」でございます。

 たまたま、私は、都市計画を専門にしていまして、今、ある省庁の研究会でまさにこの議論を、要するに、ヨーロッパを中心としたところでは所有権について、特に土地所有権についての不自由、建築不自由というものがある。それに対して我が国では、建築の自由がある。その対比の議論をいろいろやっているところです。

 よくよく欧米の都市計画の制度と我が国の都市計画の制度を考えてみると、そんなに極端にヨーロッパに建築の不自由があって、我が国に建築の自由があるわけではないということが、当然のことながらわかってまいりました。

 なぜ、そういうことがいわれるのかということを突き詰めて考えてみますと、我が国で都市をつくる際の秩序をつくるときに、基本的な考え方がそのベースにある。それは、規制にあたっては、必要最小限の規制を行うという考え方が我が国の基本的な考え方として、あらゆるところに行き渡っているのではないか、という議論でございます。必要最小限の議論をどういうふうにとらえるのか。その必要最小限の議論を我が国で、そういう形で設定しているがために、建築の自由があるというふうにいわれている。要するに、自由と社会的秩序をまちづくりの面から考えると、そういう議論があるわけです。

 これは、どういう水準に設定するかという課題がございますが、要するに、今までの我が国の水準は、従来の必要最小限の規制をやるという水準にとどまっていた。しかし、ご案内のように、近年、憲法以外に土地基本法という法律ができ、土地基本法は憲法の枠組みにありながら、しかし、新しい時代に向けて新しい秩序をつくり出す、そういう仕組みを土地利用の面からつくり出すべきではないか、という議論を土地基本法でうたっているわけで、その新たな水準設定、新たな時代における必要最小限の議論をどういうふうに設定すべきかという議論が、恐らく一つ、次の時代に向けて起きているのではないかと考えます。

 そのときに、新たな水準をどういう形で設定していったらいいのかという議論がございます。今までは、どちらかというと行政があり、民間がありというような形で、そこに市民が介在しているというような形であったのですが、最近は、いろいろ議論していく中で、新たな水準設定の基本的な枠組みを、「行政的公共性」という言葉を使っているのですが、行政的公共性だけで水準を設定しているということが果たしていいのであろうか。市民側にも、ある意味で公共性というか、それを設定をする役割を、担えるとすれば担わせるべきではないか、という市民的公共性のような議論をもう一度議論すべきではないかというお話がございました。

 その議論が、ここの6に書いてあります、NPOとか地域の問題に関わってくるお話だと考えておりまして、自由と社会秩序は、私が深く関係しています都市づくりの面から、先ほど長官が「次の時代に向けての議論をすべきだ」というお話でございましたが、次の時代に向けては、社会資本あるいは都市をつくっていく際の、例えば必要最小限の規制とはどういうものかということを設定する、さらに、設定する際の基本的なアブローチをどういう形で、あるいは基本的にそれに関わる主体をどういう主体として考えていくべきか、というような議論が一つあるのではないかと考えます。

 とりあえず、1点だけ申し上げます。

〔 G委員 〕 私、話べたですので、お許しをいただいてお話しいたします。

 私は建築家として今、地方の公共建築の設計を主な仕事にしていますけれども、地方は、先ほど長官がおっしゃるように、建設というのが経済の活動の中心のようになっているために、私も、建築というものを文化としてつくりに行っているつもりですけれども、業者としか扱っていただけないというのがこの国です。測量士、そのほか業者という手続をして、建築家というように私の目指す文化的環境づくりということとは別なところで扱われて建築をやっているという屈辱を味わっているのです。

 どうも「つくる」ということの論理が中心にあって、「使う」という論理から入っていないために、私の目指すものといつも違って、大変苦労をしてつくっているところがあります。

 私は、地方は日本海の方の仕事が多いのですけれども、新潟大の先生が「裏日本」という本を書いておりますが、日本が工業化する中で、皆が出稼ぎに行き、日本海のエリアを中心にして、特に戦後は東京一極集中の中で工業化、そういうモノカルチャーの中で地方の文化というのは大変すさんでしまっているということを感じます。しかし、まだまだ発達しない分だけ様々な伝統的な行事も行われ、文化も残っていて、そのことを一生懸命継続する中で、何かを起こしていきたいというように思うわけですけれども、そこのところにはもはや農業もなく、産業の変化も行われていて、そうしたものを持続することが非常に大変となっているわけです。

 持続することを失っている地方というのは、風景も、文化もすべて変わっていってしまう。私たちは、持続ということの中にその国の豊かさというのを見い出したいわけですけれども、今ある国の様々な方針、経済活動にあっても工業化ということの中でどこかで集中していることで、その大切なものを持続する社会をつくることを大変難しいと感じております。

 最後に、「地域のあり方について」ということが書いてありますけれども、まさに広大な日本中の国土を活かして、そして農業をやり、様々な産業をその地域地域で特徴をつくっていた、そのことが近代化の中で壊され、そして日本の文化を曲げてしまって、持続す

べきものを持続できない環境をつくっている、というように私には感じられるのです。

 去年でしたか、モンタナのマンスフィールド財団というところで、「次の世紀の住宅の素材はどうあったらいいか」ということと同時に「世界の環境をどう持続するか」、そういうシンポジウムに招待されたとき、カナダの社会学者が、「日本人は、木造の家に将来も住むのか」という質問と同時に、私のレクチャーの後の質問でしたけれども、「まだまだ、林業を、私たちの国の環境も日本は壊しますか、アジアの国に続いて」みたいなすごい厳しい言葉をいただいたのです。

 こうしたグローバル経済の中で、私たちはたくさんのモノを失う。食料も外国から入り、建築の材料も外国から入ってきて、日本の国にはたくさん豊かなものがあるのですが、山もだめになっているし、日本の国内の建材は大変高くなっている。高いから、安い外国の材料を得ているというのも、どうも矛盾を感じてならない。

 あるとき、氷見の海岸を900メートルぐらい開発するのに、私は、その目の前に海浜植物園をつくるとき、ゴミが大変な海岸なので、すばらしい松林を復元しよう、あるいはその植物も復元しようということの中で様々な植物を植える。それを見るためのデッキをつくるときに、プラスチックの義木を張るといわれて、私は大変びっくりしました。かつて様々なところでプラスチックが海に流されて、お魚のお腹の中にはいったり、様々な公害を起こしたという歴史もあるわけですから、ぜひ大切な氷見の海岸にプラスチックを敷かないようにということをお願いして、なかなか聞いてくださらないので、環境庁に訴えましたところ、すぐさま動いてくださった。そうしたら、そのあたりにはたくさんの雑木が残っていて、プラスチックの義木より安く手に入る。それは何年かに1度張り替えるかもしれないけれども、台風に強いはずである、というようなことで何とか自然の木を張ることができたわけです。

  そのような歪んだことが様々なところで行われていて、どうも国土をうまく活かした持続できる社会では、地方に行くと、ないのではないかということを感じるわけです。

  私は、政治とか社会とか、そういう大きなことに関わることなく、住宅を設計したりてきた建築家ですけれども、政治とか社会というのは、生活に関わるライフスタイルのシステムということや、ライフスタイルの安全性とか、生き生きとしたライフスタイルをつくるためにあるはずだと思うわけですが、この1ページを見ても、「生活」という言葉が一つも出ていなかったりするというところに、政治というのはもう少し経済活動や違うところを中心にあるような気がするわけです。

 そんなことで、最後の7に触れるようなことですけれども、国土全体を持続するような開発の進め方、社会のつくり方というものをしていくことによって、もう一度様々なも のが、文化も、産業のあり方も、風景からあらゆることが持続できる、そうした喜びを得られるのではないかと思って、そうしたことを国土の保全とか環境づくりに持ち込んでほしいと思うわけです。

〔 部会長 〕 今の生活空間の話は、ここの固有の話の次の議題の中で出てまいります。またその節、お願いいたします。

〔 B委員 〕 七つのテーマが提示されましたけれども、私は、まず第1番目の問題の議論をする際に、「世界秩序の形成に積極的に関わるかどうか」という観点もある意味では非常に大事ですけれども、こういう議論をするときに、これまであまり議論されなかったものの中に、先ほど堺屋大臣の方からお話がありましたように、我が国が現在、世界を見渡しても、ここ50年ぐらいを考えますと、あるいは明治維新以降で考えれば、大変成功した国だった。その成功体験、なぜ成功させてきたかという、文化にしても、現在の社会システムにしても、様々な要因を世界の多くの国々、特に発展途上国に、ある意味では人類の共有財産の一つとして、いかにそれを伝えていくか。そういうことを通じて、世界の平和や世界の発展に貢献する、そういう視点がもっと我が国で打ち出されていいのではないか。いつまでも、世界秩序を与件として考えるとか、前提として一国の繁栄とか、一国の安全とか、自分たちのことばかりを考えるという議論から、そろそろ卒業しないといけないのではないかと思います。

 我々、地方団体でありますけれども、ささやかながらいろいろ地方団体で提示し得る手法で、特に近隣アジアに向けて情報発信するような作業をしておりますが、それに大変手応えがある。我が国全体としても、日本の今まで積み上げてきたものを諸外国に提示する、そういう観点で議論が深まればいいなと思います。

 2番目の「自由と社会的秩序などのトレードオフ」という問題の設定の仕方ですけれども、私は、トレードオフというとらえ方には、必ずしも賛成できないわけです。自由と社会秩序はトレードオフではなくて、自由を満喫するためにも社会秩序が必要、ルールは必要です。それを、「自由」と「社会秩序」と対比をさせてトレードオフの関係だという議論を始めると、どの程度で互いが我慢し合うかという議論になってしまう。それでは、この問題は解決しないのではないか。自由を満喫するためには、みんなが自由を感じられる社会的なルールは何かという観点ですべて考えるべきではないか。「個性と組織」も、「応報と安全ネット」もトレードオフという要素もありますけれども、それをトレードオフでない関係でいかに両立させるかという視点が必要ではないかと私はつくづく思うのです。

 今日の学校の学級崩壊、あるいは成人式に式をやっても集まってこず、式が成り立たないという社会現象を見ますと、自由と社会秩序という立て方では、私は解決しないと思うのです。もっと違う発想で、自由を満喫する上でいかに社会秩序はあるべきかという観点、教育から見直していかなければならないところもありますけれども、そういうふうに思います。

 4番目の「日本の固有の良さ」の問題ですけれども、これは1番目の問題、あるいは6番目の問題、さらには5番目の「経済成長」にまで関わってくると思いますし、7番目にも関わってくると思います。固有の良さについて、いろいろ見直すべきものもあると思いますので、これは大変いいテーマです。いろいろこれから具体的にも発言をしたいと存じます。

 5番目の「経済成長」の問題ですけれども、私は、経済成長は非常に重要な要素だと思うのですが、経済成長そのものが目的ではおかしい。最近の景気対策でデフレスパイラルが進行すると大恐慌になるという議論がありますし、私自身もそうならないという確証がないので不安を覚えるわけで、当面の景気対策も必要だと思うのですけれども、例えば、それだけで本当に今日の日本がいろいろ当面している問題が乗り切れるかということを考えますと、それも非常に問題が残っていると思うのです。そうすると、とにかく経済成長至上主義でいくと、例えば、今日我々が直面している社会の様々な構造変革を先送りするという結果に陥ってしまいがちなので、この問題の立て方も、私は何となく違和感を覚えるわけであります。

 我々は、経済成長の結果、経済の豊かさの果実を何のために追及するかという、追及する価値の方にむしろ議論の焦点がいくべきであるし、成熟社会の今の日本を考えますと、人類全体に貢献するような、例えば日本が持っている様々な今までの文化的な価値とか資源、そういうものを大事にして、それをリファインするということで、もし追及したら、それが結果的には日本の経済成長を促進するようになるのではではないかとすら私は予感するのです。そういう議論があってもいいのではないかと思います。

 6番目の「個人の帰属先」の問題ですけれども、少なくとも、世界のリーディングカントリーとか、先進諸国の中で、家族が崩壊した状態でその国の繁栄とか安寧が保たれた地域があるのかどうか。私は、そういう観点から、今の家族の機能とか家庭の機能が崩壊をしているのではないか、というような状態を深刻に考えるべきないかと思います。極端にいったら、家族のあり方をどう考えるか、そこからすべてを出発してもいいぐらいではないかというふうに思うわけです。

 あまり文明化していない国々で、生まれた子供たちを地域共同で育てているという社会があるという文化人類学のレポートも目にしたり、耳にはしていますけれども、日本のようなこれだけ成熟した社会で、これからも繁栄を維持していこうと考える場合に、それが我が国が追跡すべきモデルかどうかということもあると思うのですけれども、そういう点の議論が必要ではないかと思います。

 当面感じたことを申し上げました。

〔 E委員 〕 私の場合は、中山間地域で農業に取り組んでいまして、的確な意見にならずに、今、大臣からは「自由な発言を」とお許しをいただいたので、この7項目に整理して発言できないのですけれども、中山間で農業を産業としてとらえながら30年間、法人で経営してきた立場で、抽象的な発言になりますけれども、まず、思いを申し上げて、また次の機会に具体的に発言させていただきたいと思います。

 一つは、先ほども出ていましたけれども、これからの我が国の「あるべき姿」は持続的社会の形成ということが一つある。そして、定住・再生産社会という概念。これから月に、火星に行けるというお話もありますけれども、80億になるこの地球の中で、日本は少子化といえども、定住して再生産していく概念、これは我が民族のすごく長けたところではないか。この辺をどう表現し得るかが課題だろうと思います。そこで、競争だけでは日本は弱い。競争と協調というシステムの構築、その三つを私は大きな思いにしているわけでございます。

 あえて、この項目別にいうと、3の「産業・技術のワンセット主義」ということで言えるのかどうかわかりませんが、私は今、第6次産業の創造というテーマに取り組んでおりまして、1次・2次・3次を足しても掛けても6になる、ただそれだけのことですが、要は、総合生命産業という新しい産業概念というのも必要ではないかというのが私の思いでありまして、それぞれ成長市場であった今日まではそれぞれを活性化してきた。これからの安定経済成長時代の時代では、それを連携なり融合していくことによって新しい産業創造ができないものだろうか、ということを今考えております。

 それから、4の「日本固有の良さ」では、私は、社会システムというものが我が国の強さだと思っておりまして、今日まで都市は、会社という一つの生産機能があり、農村は集落を一つの生産機能としてとらえながら一つの国づくりをしてきているのではないかと私は思います。特にその中で、皆さんにご心配をかけています、農村・農業が非常に今大きな課題を抱えているということは、その集落機能・生産機能が非常に衰えてしまった。ここをどうするかということが、非常に大きな我々農業のテーマで、新しい生産システムをどうつくり得るかというのが課題と思っております。

 それから、個人の問題ですけれども、今、B委員から発言がございましたけれども、私たち、農業基盤のない若者に農村に入っていただくように、開放して農場に入っていただいていますけれども、農村も今まで、家という単位でとらえてきたために、担い手が非常に不足してしまって、高齢化・過疎でどうしようもない。これからは、個というものを、先ほど申し上げたようなシステムの中でどう秩序を保っていくのかという方向が大きな課題ではないかと思っております。

 それから、7の「地域のあり方」ですけれども、今我々は、日本の社会の中で土地利用計画がどのくらいしっかりしたものがあるのかというのを課題に感じておりまして、特に農村で土地なり農地とはいうものの、その利用計画が非常に定かでない。ここが、これからの国づくり、農村・地域をつくっていくときの大きな課題になっております。それと同時に、先ほど触れましたように、集落というものの自治エリアといいますか、これは一つの治めであったのでしょうけれども、ここが今完全に問題を起こしておりまして、これをもう少し大きいエリアなり市町村合併という、そこまで走っていいのかどうかわかりませんけれども、今日までの集落自治エリアではもはや問題がある。地域づくりについては、私は、このあたりから地域づくりについて「国民参加」という概念を強く期待しているわけです。PFIという議論もあるようで、私は、その法律に大変期待をしているところであります。

 以上であります。大変抽象的な意見ですけれども。

〔 A委員 〕 長官から、多少変わったことを言ってもよろしいということなので、申し上げるのですが、2010年ぐらいまでというのは、私が思っていたよりも、あまりにも短くて、考えるときのスパンは100年ぐらいを考え、それを目標にして10年に何をするかというような考え方をとらないと、この種の問題は解決がつかないのではないかと思うわけです。

  実は、バブルの最中が戦後の日本のサラリーマンが一番不幸だったときで、企業は浮かれていたけれども、個人は非常に不幸であったというのが私の実感であります。

 あるとき、私は、私の所属するホテルのサウナで、男たちが話をしているのを黙って聞いておりましたら、「今日、オレは千葉の有名な新しい高級住宅を買いに行ったが、16億円なんて、頭にきて、やめた」と言うから、私は「うん、納得」と思っていたら、「オレは、7億しか用意していかなかったんだ」と言う。その7億円はどうしたのかといったら、土地を転がして儲かった、それで買いに行ったという。7億円というと、我々普通のサラリーマンの一生の稼ぎが及ばない額である。それを数カ月で儲けた人が買いに行ったら、16億の家で頭にきた、と。こういう話を聞いて、サラリーマンは怒らずにいられないわけです。こんな社会は最悪だと思っていたら、幸いにバブルが崩壊して、一斉に土地が下がり、いろいろなものが安くなった。そうしたら、「これは不況で、大変悪いことである」というので、一体これはどうなっているのだろうというのが、非常に正直な私の感じです。

  長官も、最近の『文芸春秋』に、バブル崩壊後、働いている人の賃金がそれほど下がらないで物価が下がって幸せになった面がずいぶんある、ということをお書きになっていましたが、全くそのとおりだと思う。

  特にバブル最盛期のころ、サラリーマンがどうも幸せ感がないのはなぜかと考えていくと、突き詰めていくと、時間と空間が両方ともない。人間というのは、時間と空間の中で生きているわけですから、1時間半も2時間も通勤にかかって、家に帰ったら個室もないような小さい部屋にいる。都心部に来ようと思ったら、本当に一家が6畳に押し込まれるというような状況で、働いている会社に行けば会社に飼われた家畜のごとく、社畜化していかざるを得ない。家に帰るのが遠いですから、通勤していたら、効率を上げようと思うと帰らないのが一番いい。なるべく長い時間会社にいようということになって、社畜化していく。あるいは、家庭というものも省みたくても、家にいないわけですから、子供と話す時間もないということで、家庭の崩壊に長距離通勤ということが非常に関わっていたと思うのです。つまり、社畜化していくことも、家庭の崩壊も、同じことから起こっている。これは時間・空間が日本の働く人たちにあまりにもなさ過ぎたせいである。

 では、一体なぜ時間と空間がなかったかというと、一極集中ということです。都市化が、東京だけではありませんが、どんどん進んだことで通勤が遠くなっていく。では、なぜ一極集中あるいは数極集中したかというと、結局、人は働く場所を求めて移動しているわけです。戦前、農業は農地を求めて、そして工業時代は工場を求めて移動していた。戦後は何を求めて移動していたかというと、オフィスを求めて。オフィスで行われているのは事務であって、事務というのは、生産に付属するいわば読み書きソロバンであった時代もあったのですが、最近ではコンピュータによる付加価値製造、あるいはマーケティングによる販売の優位ということがあって、実はオフィスの中で行われている仕事が昔の工場の中で行われていたものと同じ種類の、いわば生産活動がオフィスの中で行われている。ところが、そのオフィスは野放しで、日本中に自由につくられることになっていれば、当然、便利さを求めて集中してくる。そのオフィスに人々はついて行くということで、不思議なことだけれども、オフィスを自由につくらせたことが日本の町を、国を歪めたのではないかということが、私がそのときに感じたことです。

 バブルの最中は、毎年20万都市が1個ずつできないと、東京近郊の新しくできるオフィスが賄えないほどオフィスが増えた。今オフィス不況になり、こういう状態になっている。いずれにせよ、日本の新しい姿を考えるときに、一極集中ないし数極集中という問題を変えなければ基本問題は解決しないとなると、10年ではとても無理。

 過去、歴史に「たら・れば」は禁物かもしれませんけれども、「たら・れば」をいうのなら、昭和40年に非常に厳密なオフィス専用地域とか、ある程度以上大きなオフィスはここでなければつくってはいけないということを決めておけば、四大工業都市が日本にばらまかれたように、各地に非常にいい形で都市がばらまかれたかもしれないけれども、もう遅いわけです。東京のオフィスは今でも余っているほどあるので。かと言って、この問題を解決しなければ、日本人には永遠に時間と空間が与えられないということなので、長期ビジョンとして、時間と空間を日本人がなるべく豊かに持つようにするにはどうしたらいいかという視点を入れて、その長期ビジョンに関連して、他のいろいろなことを論ずる必要があるのではないか。10年で論じろというのには、ちょっと無理があるのではないかというのが率直な感じなので、ぜひ長期的なことも考えに入れるべきではないかと思います。

  もう一つ、1の「世界における我が国の位置付け」ですが、幸か不幸か、日本は今のようなことも関連があって、狭い国土にたくさんの人がごちゃごちゃと詰め込まれていまして、これは地球の未来の姿を一足先にやっているわけです。それで、飢えていては何にもならないのですが、その人たちがかなり無理をしながら、理屈だけを通さずにまあまあというようなことをいって問題解決をしている姿は、地球全体がこれから21世紀から22世紀に向かって問題解決していかなければならない姿をいち早く日本はやっているのではないかと思う。その意味で、先ほど申し上げたような問題を日本がさらに解決していけば、さらにいいモデルとして、ひとりでに日本が何を輸出するとか、指導するとかということがなくても 、黙っていても、「あの日本方式を見習おう」というのが地球全体の課題になるのではないかというような気がいたします。

  問題のつかまえ方、というような点で私の意見を申し上げました。

〔 H 委員 〕 二、三、ご意見を申し上げたいと思います。一つは、1番目の課題に関係してですけれども、いわゆる国の安全保障という問題を一体どう考えたらいいのか。これは国防という意味ではなくて、経済的な意味でしょうか、エネルギーとか食料とかという問題について、将来の安全保障というものをどう考えたらいいのかということを、どこかできちっと議論をする場が必要ではないかという気がする。エネルギーでいえば、今現在、世界の潮流として高速増殖炉というのはかなりスローテンポといいますか、ダウンしていますけれども、こういうものも日本みたいな国では、果たしてそれでいいのかどうか。タブーを、ある程度きっちりタブーなしに議論する場が必要ではないかということを常々考えております。

 それから、食料の安全保障にしても、これは私の専門ではありませんけれども、50年後には世界の人口は100億人になるとか (数字は違うかもしれませんが、) という推計もあるということです。その場合に、世界の人たちが、本当に食料を全部食べられない状態になるのか。どういうことになるかということまで考えたら、これはキリがないわけですが、バイオテクノロジーの科学技術で本当に解決できるのかどうか。もしできないとするなら、最低限、日本民族が生き延びるためには、食料問題についてどういう体制をつくったらいいのか。生産・備蓄、いろいろな意味でどういう体制をとったらいいのかということ。国際協調ということが基本であることは間違いないわけですけれども、その中でもなおそういう問題をきちっと議論して、何かの方向をもっておく必要があるのではないかというのが一つであります。

 二つ目は、2の課題に関連してですけれども、自由と競争というのが果たして最終的に本当にいいのかということについては、確かに疑問はいろいろある。いわゆるアングロサクソン型の自由と競争というのが本当にいいのかどうかということについては、いろいろ議論はあると思いますが、今、こういう問題を提起して議論をする場合には、私は、日本人というのは伝統的に集団主義といいますか、そういう傾向が非常に強い。それがある意味で、今現在の日本の社会経済の活性化というものを非常に阻害している面があるのではではないかという気がするわけです。

 私、よく皮肉をいうのですけれども、今、マルクス、レーニンがこの世に生きていれば、世界中を見渡して、ここに我が理想の国があった、と日本を指して言うに違いないということをよく言うのです。伝統的に集団主義の民族であります。そういうことからいうと、今の状況から脱却する、構造改革という問題も絡んでくるでしょうけれども、そういうことをやるためには、自由と競争といいますか、いろいろなことをやるにしても、ソフトランディングばかりでなくて、ハードランディングというものも含んだ、そういう方向をもう少し強く出した方が、今の日本の状況に合うのではないか。あまり自由と競争というものを協調主義の方に偏るよりは、今現在の状況からいえば、そっちの方にシフトした方がいいのではないかという気がしております。それが2点目です。

 3点目は、7の「地域のあり方」の問題ですけれども、極端にいって、さっきの中山間地の問題も含めて、地域というかコミュニティーが、今現在かなり崩壊しつつあるというか、かなり崩壊してしまっている状況にあるのではないかと思うわけです。これは突き詰めれば、一つは、この30、40年の経済至上主義というか、物質文明至上主義というか、そういうものが結果的に精神の荒廃をもたらした。それが家族というものについての考え方などを非常に変えてしまった、というようなところからコミュニティーの崩壊を招いてきている面が非常に強いのではないか。二つ目は、中央集権的ないわば統制、統治体制、そういった体制の中で地域というものがだんだん自分の自主的なモノを考える力を奪われてきたということがあるのではないか。例えば、どこかに書いてありましたけれども、公共事業依存型の地域経済ということがいわれていますけれども、中央集権的な統治体制というものがそれに作用しているのではないかという気がします。そういう面について相当突っ込んだメスを入れていかないと、地域の問題は解決できないのではないかという気がします。

 これは一つ視点を変えていえば、さっきG委員がおっしゃった考え方に私は賛成で、私も、そういう感じを非常に強く持っているのですけれども、日本でここ30、40年ほどの間に、現代日本人の手が加わったものというのは、どうも絵にならない。例えば、ヨーロッパでは「どこをとっても絵になる」とよくいわれますけれども、日本では、現代日本人が手を入れたところは全然絵にならない。自然は非常に無神経に破壊されてしまう。それから、いろいろな構築物というのは、ある意味で感性というのはおよそ感じられない。そういうようなものが続出していて、非常に画一的で、かつ感性が非常に乏しい、そういう風景しか日本というのは見られなくなってしまった。これは非常に悲しいことだと思うのですけれども、そういうことについて、コミュニティーというものについてもっと自主的に物事を考える、これは行政面あるいは財政面、税制も含めての問題かもわかりませんけれども、いろいろな面でそういう体制をつくっていかないと、本当の意味の地域の救済というか、活性化はできないのではないかと思います。

  以上です。

〔 C委員 〕 私は、瀬戸内海の中央に位置するところに住んでおります。古代から、紀伊と豊後水道が出会う町として、海からの町ということで大変歴史的なものをもっております。

 ちょうど17年ぐらい前に、家庭で5人の子育てをしておりまして、突然、社会に出ることになりました。ちょうどニュージャパンの火災があって消防法が新しくできたり、そのときに、消防法の規制でも地域地域によって微妙に違うというようなことがありまして、そのころから、まちづくりとか、建物のハードの問題に関心を持つようなことが出てきました。

  そこで思いましたのは、あの当時、各省庁の違いということもあったのですけれども、先ほどどなたかが「100年のスパンの10年」とおっしゃいましたが、私の住んでいるところですと、本当に1000年のスパンの中での建物の20年とか50年の期間を考えなければいけないとか、そういう自然環境というものを要求されて、今日明日のことを考えなければいけないということに出くわしました。

  ちょうどそのころは、バブルの前のころで、瀬戸内海に目が向いてきておりました。瀬戸内海はそれまでは「基幹産業の海」ということで、鉄、造船、石油のコンビナートがあったり工業の海と思われていました。本当に海に背中を向けてというふうな考え方しかなかったと思うのは、明治になって、それまで海からの交通だったものが陸からの鉄道によることでまちづくりがなされてきた関係もあって、昔の港として発展したところが、本当に過疎になっているということもございました。それに加えて、鉄とかの構造不況があったり、造船の不況になったときに「ポスト造船の雇用対策」だとか、オレンジの自由化ということになって、オレンジの自由化のために減反政策がとられて、今ミカンの栽培をやめると補助がもらえるとか、いろいろなことが起こったせいか、中央の方からリゾート開発のような視点でのまちづくりがなされるようなことが起こってきました。

  そういうことで考えましたときに、ほとんどの方が、瀬戸内海の自然とか歴史的な環境、島とかをご覧になりましたら、イタリアとか、フランス村とか、ドイツにある村とか外国のコピーというか、気候も環境も全く違う中で同じようなものを想定されて、大きな研究所とかいうところがみんなコンサルをなさっていましたけれども、地元に住んでいるものは、「ポスト造船の雇用対策」だとか、将来にわたってもこんなことにはならないであろうというような絵を書かれていました。もちろん、こういう社会環境になりまして、そういう話は明日にでもできるという話は、一部着工したりしたものもありましたけれども、すべてだめになったということがあります。

 その中で、私は、地元にいらっしゃる漁業の方、農業の方と、地元で観光業をやっている者の視点としてまちづくりを考えたときに、ずいぶん疑問に思っていたことがあったのですが、この不況でかなりだめになりました。

 その対応をしたときに、例えば、港のことなら運輸省の港湾、橋のことなら運輸省の場合もあるし建設省の場合もある、そのあたりの難しさというので、お互いに責任のなすり合いといいますか、本当に住民の側に立ってとか、本当に利用者の側に立ってという考え方がなされていないということで不満に思っていることもありました。今度、建設省とか運輸省とかが一緒にものを考えらるということで、これはとてもいいなと思っていますけれども。

 また、私は、広島県と岡山県の県境にいます。目の前の海は香川県と愛媛県の県境部分です。国際観光モデル地区という指定が運輸省の方でなされたときも、広島とか岡山はそういう指定をとられましたけれども、その間の地区が全く抜けていますと、岡山の市内というか、その域内だけ、広島の域内だけで、それが点から線にならなくて、何とかと思いましたら、瀬戸内中央国際観光モデル地区ということで広島県側として指定を受けることになりました。そこで、瀬戸内海を通じて愛媛県、香川県、岡山県、広島県、点と面と線という地区での指定ということになるので、これは将来楽しみだなと思っていましたら、岡山県のある2つの市の方から、広島県側でとっているモデル地区の中に入れてほしいとか、そういうお話があったのですけれども、これは県単位でやっている制度だから難しいということになって、そのままになっております。こういう問題というのは、県単位ではなく、県境のボーダレスをやって考えなければいけない問題がたくさんありまして、そういう形をとらないと、せっかくいい指定とか制度ができても、何も日の目を見ないのではないかということに出くわしたことがございました。

 もう一つ、歴史的な自然環境とか、文化遺産とかいうものがありまして、近々国の指定を受けるとかいう問題になっているにも関わらず、その国の指定を受けるような建造物のすぐ下が、商店街にあるようなタイルで道路の舗装がなされたりすることがありました。そういうときに、私は、おかしいのではないかということで申入れをしましたけれども、これは都市開発とかいう考え方ではなくて、文化庁の考え方とかではなくて、例えば、道路の補修の費用が余ったからタイルをつくったというので、本当に話し合いがなされていないまちづくり。また、近々電柱の地中化とかがなされるから、中にはパイプだけでも埋めてあるのですかと聞きましたら、それはまた予算がついたら引っ繰り返して新しいのでやり替えればいいというようなことを聞きまして、環境とか、自然の保護の面からも大変なむだ遣い。お金もそうですけれども、自然の資源のむだ遣いということにもなるのではないかと、疑問に思ったりしたこともございます。

 江戸時代のドイツの地理学者の方が日記の中に、横浜の家屋とか道路とかはあまりよくない、神戸は普通に書かれている。そして、私のまちに、江戸から乗った方が家財道具を持って降りたので一緒に降りたと書かれていますが、この地を見たときに、将来、瀬戸内海全般のこともあると思うのですが、世界でも大変魅力のある場所としてこの地域は残り、平和と繁栄が約束されているというふうに書かれた。歴史的な自然景観とかそういうものが残っておりますけれども、そういうものを戦後の50年の間は、破壊するとか、背中を向けるような姿勢でまちづくりがなされてきたように思っております。

  たまたまそういうところに引っ掛からなかったので、過疎になったか、忘れられていくらか残っているという町があることをお忘れなく、これから地域づくりをしていただければと思います。

  以上です。

〔 部会長 〕 まだ、あとお二方にご発言いただきたいのですが、時間の制約がございますので、次の資料の説明をいただいて、1番目と合わせてご発言をお願いいたします。恐縮でございます。

〔 事務局 〕 同じく資料6でございますが、1ページにお戻りいただきたいと存じます。2に本部会固有の検討テーマを挙げてございます。まず、(1)「地域経済・社会資本に関する『あるべき姿』」ということで、これは「少子高齢化、規格大量生産社会から知価社会へ等といった大きな潮流の変化を踏まえると、21世紀初頭におけるまちづくり、地域経済・社会資本整備に関する『あるべき姿』はどのようなものか。」という総論の検討でございます。

 (検討の視点の例)として挙げてございますのは、

 まちづくりについては、基盤となる施設の画一的な整備を重視し、機能のレベルアップや面白みという点で不十分だったのではないか。

 地域経済については、先ほどから議論も出ておりますけれども、公共投資依存型タイプから脱却できていない。今後は、流通、情報発信、観光、サービス産業といったものの機能により着目して活性化を図るべきではないか。

 社会資本整備については、全国均質的な整備の時代は終わったのではないか。

 これらはあくまでも例で、まず、総論として「あるべき姿」のご議論をお願いしたいと存じます。

 (2)が個別の検討項目ということで3項目挙げてございます。

 1番目が「21世紀初頭のまちづくりについて」。イ、少子・高齢化の進展、価値観・居住スタイルの多様化、環境への関心の高まり、大都市の国際競争力の低下等を踏まえた、21世紀初頭のまちづくり・都市の再構築はどのようなものか。「あるべき姿」をより具体化した基本コンセプトのようなものをご検討をお願いしたいという趣旨であります。

 ロは、食住遊という良質な生活空間の拡大、それらの近接化によるゆとり時間の創出、あるいは産業競争力の向上といった視点に立ったまちづくり、都市の再構築の推進方策はどのようなものか。イを実現するための方策についてのご検討をお願いしたいという趣旨であります。

 2番目が「地域経済・中山間地域の活性化について」。イ、地域経済が低迷状況から脱却し、変革を図るための、自立的発展が可能となるような、独自の産業や文化を持つ地域づくりはどのようなものか。地域経済活性化の問題。

 ロ、担い手不足によってコミュニティーの崩壊にも直面している中山間地域の機能は何か。この機能を活かすための活性化方策はどういうものか。中山間地域の問題を特出ししてあります。

 3番目が「21世紀型社会資本整備について」。イ、財政制約や環境制約の中で、21世紀初頭に優先的・重点的に整備すべき社会資本分野はどうあるべきか。優先的・重点的の基本的な考え方の検討をお願いしたいという趣旨であります。

 ロ、こうした社会資本の効率的・効果的整備を可能とするような事業評価、PFI、あるいは住民参加といった整備システムをどう提示するか。整備システムの問題を挙げております。

 以上が検討項目のイメージですが、2ページに3にスケジュールがございます。2回目から6回目までの日程をこのようにセットさせていただきましたので、ぜひよろしくお願いしたいと存じます。2回目に、まちづくりと地域経済・中山間地域、3回目に、社会資本整備の検討を予定しておりますが、この2回につきましては、委員の方あるいはゲストの方からの意見発表をお願いしたいと考えております。4回目がもう一回、まちづくりと地域経済・中山間地域の問題。5回目、社会資本整備の検討を行いまして、6回目、5月ですが、部会全体の取りまとめを考えております。6月の企画部会の取りまとめに間に合わせるという趣旨であります。

 なお、やや分厚い参考資料がございます。これは本部会の検討テーマに関連して現在行われている施策の概要を集めたものであります。表紙の目次だけをざっとご覧いただきますと、このような10のテーマについてまとめてございますので、これにつきましては適宜、後ほどご覧いただければと存じます。

  以上でございます。

〔 部会長 〕 ありがとうございました。

  個別の検討項目については、今のスケジュールにございましたように、次回以降、引き続きご意見を伺うことになろうかと思いますが、まずは、F委員、I委員から、最初の議題を含めて、今のこともまとめてご意見をお願いします。

〔 F委員 〕 私は、小さな会社の経営をやっておりますけれども、会社の経営というのは、変化に対する対応ではないかと考えておりますが、この大きなテーマの「『あるべき姿』における我が国の国家像」、これも変化に対する対応ではないか。10年後にどのように変化しているか、あるいはどのように変化させているのか、こういうことがわかってくると国家像というのは見えてくるのではないかと思っております。

  その中で、10年間の間に一番変わるであろうと思われるのは、女性という問題ではないか。女性があらゆるものに関わってくる。これがどのように変化していくか、これにどのように対応していくかということにかかってくるのではないかと思うわけであります。

  私は、寄席という演芸もやっておりますけれども、江戸時代の後期の落語で、「稽古屋」という落語があるのです。この落語の中に、女性にもてない男がいるのですが、どのようにしたら女性にもてるかということを庄屋さんに聞きに行く話があるのです。江戸の終わりのころに、女性にもてる方法というのは既に決まっていたわけです。このようにすれば女性にもてる、この対応は今の時代でも当てはまるのではないか。1、見栄。2、男。3、金。4、芸。5、性。6、おぼこ。7、せりふ。8、力。9、肝。10、評判。この十をやれば女性にもてるという。

 「1、見栄」、清潔感が非常に大事である。

 「2、男」、男前でないともてない。

 「3、金」、お金でございます。お金を遣わないと女性にもてない。しかし、このお金は、庄屋さんのいわく、死に金を遣ったらいかん。生きたお金を遣えよと、こう教えているわけです。

 「4、芸」、芸事、これは文化ということです。文化というものをちゃんと整備しないと、女性にはもてない。

 「5、性」、性格。明るい性格でないと、もてないぞと。明るい社会をつくることが大変大事なことではないか。特に女性は、明るいということが非常に喜ばれるということです。

 「6、おぼこ」、ちょっとぐらい欠点があってもええやないか、ということです。

 「7、せりふ」、要は喧嘩の仲裁に入れるぐらいの話芸、話術がほしい。要は、しっかり勉強していないと喧嘩の仲裁に入れないぞ、こういうふうに教えているわけです。

 「8、力」、男は腕力や体力があることがいいのだ、こういうふうに教えているのです。これは、健康ということで、今でいう厚生省の仕事ではないのか。

 「9、肝」、要は決断。これは指導力ということにかかるのではないのか。

 「10、評判」、世間の評判は非常に大事である。

 この十を教えているのですが、この十を国家の計画に当てはめても十分いけるのではないか、かように思っております。

  時間がないので、この辺で終わらせていただきます。

〔 I委員 〕 吉本興業の社長さんのお話を聞いていて、私の湯布院という温泉地は、女性を大事にしてきたお陰で今、全国から400万の観光客が来る町になった。30年前は、一過疎にすぎなかった。

 過疎だということを嘆くのではなくて、何か魅力をつくっていこう。その魅力が、差別化でございます。

 すぐ近くに別府という国際観光都市があった。そのことを真似をせずに、そことの差別化を図る。別府が団体で男性であれば、湯布院は女性の小グループ化ということで、町の性格を明確に打ち出していく。それを持続してきて、それをどういうふうにアピールしていくか、それは絶えず人の口コミ、特に女性の口コミによって支えられた。吉本興業の社長さんのお話を聞いて、そういうことを実行してきてよかったなというのが、実感でございます。

 私、一地方に住んでいて、国家的にどうのということまで申し上げることはやぶさかではございませんが、国家像が今見えなくなっているのではないか。「あるべき姿」として、日本としてどうあるべきか。では、日本に住みたいのか、日本の中でどこに住みたいのかと思えるような、そういう思いを持った方、また逆にいえば、その住んでいる人たちが誇りを持ち得るような風土であるのか。ですから、地方に住みながら、その町に住みたい、そして、住んだ人たちが自信をもっていけるようなことを、時間をかけてやっていかなければならない。そういう大きな旗を示すべきではないかと思っております。

 そのためには、個性というものをどのように連動させるか。今まで個性というのは、大きな企業体なら企業体の中で、または会社の中で、帰属的なものの個性でございましたけれども、そうではなくて、それぞれの個性がその1つの社会の仕組みの中でどういうふうに機能していくかという、中身のあり方を問うべきではないか。

 そういうときに、地域のコミュニティーといいますか、地域に住みたくなる。そのためには、地域を開いていく。閉鎖的な1つの農村社会の中で、なかなか地域を開くということに悪戦苦闘いたしましたけれども、よそ者といいますか異業種をいろいろと、「移住」といっては言葉がいけませんが、いろいろな性格なり、いろいろな個性を持った方たちをその地域の中に入れていくことによって、町が横断的にいろいろな情報交流の場となっていく。そうすることによって地域が輝き始める。そういうときに、いろいろな建築の問題がG委員の方からもございましたけれども、実際に個性的にいろいろなことをやろう、文化活動をやろうとしたときに、経済優先のために文化的なものがどうしても押しやられていくことを私たちもずっと経験してまいりましたけれども、そういうふうなものの中で、地域の市民レベルといいましょうか、教育の仕組み、そのようなものを絶えず私たちは構築していきながら、地方のあり方なり、地方からの情報発信というものをやってきたのではないかと思います。

 そういうときに、独自性を尊重する風土を社会なり地域がどこまでつくり得るかということが、一つの決め手になったような気がしております。

 以上です。

〔 部会長 〕 大変重要なご指摘ばかりでございましたが、こういうことが議論になかったなと思うことを二、三、私の方から申し上げたいと思います。

 一つは、人口移動について、職場を地方に分散するとか、所得格差を何とかなくしたいということをやっていて、戦後の前半ぐらいはわりあいうまくいっていたような気がするのですが、後半になってから、人々が大都市に行きたいとか、遊びたいとか、情報がどうだとか、いい学校へ行きたいとか、こういうところがズレてしまって、そこは国家ではなくて民間に任せたようなところがあったのですが、そこもどうもうまく機能しなかった。こういうことを一体どうマネージしていくのか。国が全部やれということではないのですが、この辺の議論が一つ重要かと思います。

 もう一つは、ここにないことで、安全のタブー化というか、安全は絶対なものだということをいい続けたがために、地震が起こるときに、ここは強くして・ここは弱くして、というようなことは全然できなかった。外国では、非常にびっくりされることですが、プラットホームから人が落ちても「政府の責任だ」こういう国であったり、せっかくきれいな川を柵で仕切るとか、安全タブー、あるいは安全を100%だ、こういうところで国に対する国民の期待が少し違っていたかなと。

 我々技術屋からいいますと、「安全は絶対である」とした途端に、価格の対象にならないのです。9割を9割5分にしたいといえば、いろいろな対策もあるのですが、これは絶対に建前の議論になりますと、なかなか対応ができない。このようなことをどう考えるか。

 もう一点は、ここに書いてあるのと触れるのですが、ナショナルミニマムとか、所得格差とかをどこまで国が保障しなければいけないのか。あるいは「最低限の文化的生活」というのは一体何なのか、こういうところも定性的にはわかっているけれども、なかなかこのレベル設定ということができなかった。個性という問題も、どうもそういう気がします。

 なぜこんなことを申し上げたかというと、後ほど大変な宿題を事務局からお願いするわけですが、この国が変だと思うようなことを一度、いろいろ挙げていただくことは大変重要だと思います。例えば五全総のときに、単身赴任、これは日本特有の形態でございますが、あるいは学校の先生がどこかの別の県に行ったら資格がないとか、自由に私学が全国ネットワークを張れないとか、こういうことも1つのバックグランドになっている。聞いてみますと、子供を口実にして奥様が、転勤で移りたくないのだ、という説もありますが、これは前半に申し上げた「何が魅力か」ということとも関わると思います。

 そういう個別のことで結構ですから、ぜひいろいろご発言いただきたいと思います。

〔 D委員 〕 今の人口移動に絡んだお話ですが、最初のテーマの「個人の帰属先」、特に家族に関連しての人口移動との関連です。

 最近、私、いわゆる地方中心市街地を再生、衰退の問題にぶつかっておりまして、いろいろ議論しております。世界各国の中心市街地の再生問題その他を議論しているのですが、例えば、イタリアの1970年代、地方中心市街地が非常に大きく衰退してしまった。そのときに、どういう方策でそれを切り抜けたかというと、商業というのは相続するものではない、という原則を打ち立てた。商店街というのは、共同で新しい中心社会をつくり出すものである、そういう旗印の下に、その商業地域で活躍できる人が商業を担う。ですから、新しい主体がその地域にどんどん入ってくる、そういう仕組みをつくることによって、地方都市の中心市街地が再生していったというお話を聞いております。

  ところが、我が国の中心市街地、特に商店街でいいますと、「後継者がいない」という言葉をまず最初に聞くわけです。後継者がいないから商店街は活性化しない。将来の行き先がわかっているのに、そんなに投資するわけにいかない、様々な意見があるわけです。しかし、このことを相続しないという前提で考えると、事態は全く変わってくるわけです。

  その話は、何も商店街だけでなく、恐らく、日本の農業にも当然のことながら関わってきている問題で、家族があり、家族が相続する、そういう関係を我が国でどういうふうに本当に考えいったらいいのか。これは、国がどう指導するというお話では必ずしもないと思います。地域、個人が考えるべきスタンスの問題だろうとは思いますが、そのことについて、やはり、議論すべき課題は残っているのではないかと思っております。

〔 C委員 〕 安全タブーということですけれども、海に向かっての岸壁だとか、川沿いのところに防波堤をつくっているものが、そんなに広くないです。上がると落ちるかもしれない、というふうにつくってあるものですから、県とかの行政の名前で「この上で魚釣りをしてはいけません」というふうになされています。外国の方が見られたらびっくりされるのですけれども、「もし落ちて事故があったときの責任を」という意味で書かれているだけですよ、と説明すると、皆さん安心して魚釣りをされます。

 そういうふうに、どうもおかしいと思うことがずいぶんあると思いますけれども、それならそれで、もっと幅広く、散歩もできるような広い防波堤の上にしておけばいいのにとか、まちづくりの点で安全ということではおかしいと思っております。

〔 F委員 〕 おかしいなと思われることは、ずいぶんあるわけです。例えば、道を歩いていて、自動車、単車にちょっと怪我をさせられると、交通違反ということで罰金を課せられたりするわけです。去年の京都会議で「公害をまき散らすな」、こういうことになっているわけですが、日本は車社会ですから、いろいろな車から公害を吐き出しているわけです。ところが、この自動車をつくっている会社は、一切罰を受けることはない。考えてみると、10年後、20年後には、地球をずいぶん汚染するわけです。ところが、この産業を止めてしまうと日本の国家経済は大変おかしくなってしまうわけです。ここに大変矛盾を感じる、おかしいなと思うけれども、これはやむを得ないのかと。

  ただ、ハイブリットとかいうものが最近できまして、だんだんそれに移行していくでしょうけれども、国家的な利益の問題と、それから公害をまき散らすという問題、この両輪はどの辺で妥協すべきなのか、ということに大変苦慮するところがあるのではないか。こういう問題はいろいろな場面にあるのではないか、こういうふうに思っております。

〔 G委員 〕 先ほどの続きで、ほぼ今の方の続きのお話になるのですが、食料を今、国内でどれくらい生産しているのかわかりませんが、大多数のものが輸入品で、建材も輸入品になってきていいる。そういうグローバル経済の中で生きている方向をとっている日本にあっては、それを致し方ないとしていくのか。10年、20年の間にもう一度、国内の生産を引き戻していくことによって、先ほど申し上げておりました地域のあらゆること文化的なことや風景、そうしたずっと持続していきたいことをもう一度復活できるのではないかと思っているわけですけれども、大きなグローバル経済の中でなかなか難しくしている現状を見ますが、そういう方針をとらなければ日本の地域の美しい風景のとり直しもないのではないかと思うわけです。

  これは、国の方針に関わることですけれども、私は、環境とか、風景とか、それまでやってきた林業、農業、漁業とかいうものが国の風土・環境をつくってきて、それを壊してしまったというように思うわけで、どんなスパンなのか、それをどれくらいパーセントか取り戻すというような、そういう計画というものを持ってほしいと思うわけです。

〔 B委員 〕 先ほど発言をしなかった部分でちょっと補足したいのです。

 3の「産業・技術等のワンセット主義」の問題ですけれども、私は、いわゆる護送船団方式とか、衰退あるいは弱体産業の保護を、行政施策としてするということについては反対ですけれども、一方で、バイオテクノロジーの例で見られるように、ありとあらゆる資源というのは、時代が変わり、視点が変わるととんでもない大化けする場合もあるので、いかにそういうものを残していくか、ということを一方で考えるべきではないかと思います。

 何が残り何が淘汰されるか、これはできるだけ人為的にしないで、一種の競争原理なり市場経済の中に淘汰は任せた方がいい。しかし、その結果、もう淘汰されそうになったものについて、いかに技術とか産業を保存していくかということ。将来のために何かあるかもしれない、そういう発想が必要ではないか。

 静岡県の例を1つ取り上げますと、宇宙開発事業団が日本版スペースシャトルを打ち上げる際に、先端部分の耐熱表面材をどうするかということて、実は、本県内の青磁作家の技術が現在、ほぼ採用されることになっているわけです。これは、宇宙開発事業団が要求する、安くて、耐熱性を発揮して、しかも軽い。アメリカのスペースシャトルよりも、コストでは1/50とか、1/100、軽さは1/10ぐらいだとかいう要求水準を、昔からある青磁の技術がみごとクリアする。セラミックですね。

  この人たちの話をいろいろ聞いてみると、現代の科学用語でいくと、例えば、耐熱力を高めるためには表面塗装材をどうするかという議論をしているときに、そんなものは昔から釉薬としてあったとかいうような、その人たちにとってみると極めて簡単であることです。こういうことは、ほかの分野でも見られるのではないか。

  ですから、とるかとらないかというよりも、私は、ワンセット主義を国策としてとるべきではないかと思うのですけれども、そこをいかに保存していくか、そういう視点が必要ではないかと感じるのです。

  それから、「地域のあり方」の問題ですけれども、政治の問題としては、無人地帯がどんどん現出してもいいとか、過疎はほっといてもいいということはなかなか言いにくいことでありますけれども、一方で、コストの面とか、現実に人々が何を欲求しているかということを考えますと、私は、もっと人々の、先ほどは人口移動のお話がございましたが、土着をよしとする発想、土着性とか、一生懸命・そこに生まれ育ったら絶対に動かない、ここが絶対だ、そういう思考 にとらわれているところから、いかに脱却するかということをもっと考えなければいけないのではないか。社会全体のムードとして、そこのところがもう少し変化してもいいのではないか。

  これは、土地基本法ができましても、公共事業をいろいろやられるときに用地買収が難航する原因にも一方でなっていくわけです。土地所有権の絶対性というのは、憲法では私有権の制限は公共の福祉のためにやっていいのだとうたわれていながら、現実にはなかなかそういう実態にはいかない。公共の福祉のために制約をするには、みんなが納得するような仕組みをどう構築していくかということも含めて議論があっていいと思うのです。それが、この「地域のあり方」にも関わってくるような、日本人の思考形態の変化にもつながるのではないかと私は思うのですけれども、そこの議論もすべきではないかと私は思うのです。

〔 E委員 〕 今、安全という座長からの問いがあったわけですが、私は、これは自己責任管理意識というような概念を日本人は、しっかりこれから植えつけていかないと大変だろうと思うのです。

 私どもは、38ヘクタールの農場を、15年前から、全く閉鎖状態を開放して、県民の皆さんに自由にお入りいただいている。そのかわり、自己責任です。大変な経験をするわけです。幼稚園の子供が多いですけれども、お母さま方は、ウサギに噛まれたら、救急車を呼びなさい、その補償をしなさいという。だったら、入りなさんな、来なさんな。「それが免役でしょう」というようなお話もしながら、ちょっと異常な状態です。

  ただ、私どもがそれを10年続け、「船方農場というのは自分で守らなければ、足を折りましても、傷をしても、それは自分のことですよ」という概念でずっとまいりました。

 その辺がこれからの、PFIも含めた、一つの意識改革というか。自分たちもその場に行って楽しみ、参加しているのだ、という概念を植えつけなければいけない。

 それから、安全、これも大変な課題がございまして、先ほどの問いですが、今の我が国の農業の自給率は42%です。58%は外国に依存しています。農地面積でいうと1,700万ヘクタール。今我が国1人当たり1日当たり2,627キロカロリーを接している、そのために1,700万ヘクタールの農地が必要です。我が国は、約500万ですから、1,200万を外国に依存している。これがどうかというのはこれからの議論でしょうけれども、課題は、農業だけではなしに、2,627キロカロリーの摂取に対して、ちゃんとそれを体の中に入れているのは2,047キロカロリーぐらいです。あとは、生ゴミで捨てている。だから、ここをどうするのか。非常に贅沢というか、豊かといえばそうですけれども、この辺で、豊かなのだから、有機農法であるとか、無農薬という概念ももう出てきているのですけれども、安全と、さっきも触れたように、80億になっていく中でこの辺をじっくり議論しませんと。

  ただ、そこをいうと怒られるのですが、消費者ニーズという言葉が一体何だったのかというのが。今、競争社会で、いいものを安くして、とにかく国民消費者ニーズなのだと思い込んだのは、一体誰だったのかというあたりを、私、消費者と交流しながら今疑問を感じております。

  以上です。

〔 堺屋経済企画庁長官 〕 熱心な討議をいただきまして大変ありがとうございました。

 今いろいろな観点からいろいろなご意見をいただいたのでございますけれども、部会長からお話がございましたように、日本の戦後の前半1970年代の初めまでは、効率第一主義でやってまいりました。経済成長を重んじて、設備投資を太平洋ベルト地帯に集中させた。それで、人口移動は非常に盛んでございました。この間、日本は、経済が高度成長し、競争力も強くなったのですが、全体の規模としては小さかったものですから、外国から文句をいわれるほどの貿易黒字もありませんでした。また、国民も、一応それに納得をしていたわけであります。

  ところが、70年代の石油危機を迎える前後から、今度は、平等、安全、効率という戦後の三つの正義の中で、平等、安全がだんだん飛び出してきて、特に平等主義が強くなって、地域も、あらゆるところを整備して同じようにしなければいけない、というようなことになってまいりました。

 また、今、D委員からもお話がございましたけれども、イタリアなどは、この間もイタリアへ総理大臣と一緒に行ったのですが、いまだに家族、家族、家族です。男は50になるまで、ママ、ママで大変だそうでございます。嫁と姑の問題などは、姑の圧勝だそうでありまが、日本はそうでもありません。

  それから、地域移動も、生まれたところから150キロ以上移住する人はほとんどいない。したがって、南イタリアが貧しいままでも、いつまでたっても人口が減らない。

  日本は人口移動が、鎌倉時代から非常に激しいそうでございまして、たちまち東京へ集まってくるから、1人当たりの格差は減るのですが、過疎・過密は激しくなる。

  ヨーロッパは逆でございまして、あまり過疎・過密は起こらないけれども、所得格差は、イタリアの国内で(県別で見て)6倍とかになる。ドイツは、東ドイツは特別ですけれども、各地でそういう問題を抱えております。

 それから今、B委員がおっしゃいました産業の技術をどう残すかということ。例えば、今起こっていますのは石炭ですが、石炭は産業としてもうじきなくなります。その後、石炭技術を残すべきかどうかというような問題がある。残すとすれば大変な費用がかかります。そして、特定の大学にその授業を残すとしますと、その教授、助教授がいて、生徒がいるという形を残さなければいけない。これは大変難しいトレードオフの問題だろうと思います。

 今まで、平等思想が出てまいりましてから、あまりハードな議論がされなくなりました。90年代になって、一番の特徴は、口角泡をとばして議論をする人がいなくなったことです。三派全学連のころは、盛んに皆がやっておりましたけれども、最近はそんなことがなくなりました。私らから10年ぐらいが、議論が盛んな世代。昔、私たちが若かったころ、何かの議論が白熱してくると、先輩が来て「まあ、今日はいいから飲めよ」といってビールを注いでくれた。最近、我々が議論していると、若い人が見て、「大臣、もういいじゃないですか。今日は、もう飲みましょうよ」と逆のような話が多いのです。

  そして、何となく全部が両立するような、なにもかもが両立するような話でおさめてきたのです。それが今日の不況の原因でもあり、日本が根本改革ができなかった原因ではないかという感じもいたします。

  ちょうど、日本が平等を重んじ、平等を重んじるために規格を重んじ、規格を重んじるために規格そのものが目的になりました。神戸の地震で明らかになったことは、日本は規格は非常に厳しいけれども、安全性はあまりなかったということであります。こういうような部品を使えばいいという製品規格になったものですから、性能・構造規格ではなくなってきたという問題まで起こりました。

  安全は絶対なのかという部会長の提案も大変重要なことだと思います。日本は、なにもかも基準主義でございますから、この基準を達成すれば安全は絶対なはずだという、「はずだ主義」でございまして、コンピュータの紙をそこで切ってしまう。外国は、特にアメリカやフランスなどは、確率主義でございまして、ここの程度だったら1万分の1まで安全だとか、1億分の1まで安全だとかいう形になっております。したがって、1億分の1の事故が起こったときの対策をとることができますが、日本は、この基準を達成したら事故は起こらないはずですから、起こった場合の対策をとらないのです。これは、神戸の場合ではっきりしたのです。

  チェルノブイリの原子力もそうです。スリーマイル島とチェルノブイリとどこが違ったかというと、まさにそこなのでございます。こういう確率論という概念を日本にも入れていくべきかどうか。

 それから、自己責任の議論も大変重要なことだと思います。

 そういったことを全体の仕組みとしてどう組み上げていくか、これは皆様方にお尋ねしたい一番のポイントだろうと思うのです。個々の問題についての問題点の指摘は、いろいろな方面からなされておりますし、また、相互に逆の議論もございます。例えば、今の土地基本法の問題、土地基本法が果たしていいのか悪いのか。あの法律ができてからいいことが一度もない、という人もいますし、いろいろあります。日本は、私権が世界で一番強い土地収用法を持ちながら、一向に発動できないというポイントもまたございます。あまりにも強いから発動できないのだ、ということもあります。話し合いをしないという人がいるかと思えば、一方では、日本ほど公共事業の話し合いに時間がかかるところはない。成田空港でも、着工して30年、まだできていない。話し合い、話し合いの連続でございまして、世界中でこんな国はないであろう。いかなる発展途上国でもないようなこともございます。

  そういう個々の問題は、どちら側からも言い分があるのでしょうけれども、概念として、哲学としてどうするか、そして、システムとしてどのような仕掛けをつくっていくか、これが大事なことだろうと思うのです。

  価格の問題とか、効率の問題とか、保存の問題とか、平等の問題とかいうようなことが何となく両立するような形でうやむやにしてきたのがいけないのではないか。ここは、日本の現実の妥協はともかくとして、あるべき姿というのは、やはり何かあるのではないか。

  本当に皆様からもお話がございましたように、住みたくなるようなまちというのはどういうことか、これも大変重要な問題だと思います。

  現在、日本には、14万2,000箇所の集落(人家が4軒以上あるところ)がありますけれども、これはどんどん減ってくるだろうと思います。それから、どの程度の食料自給度を立てるか、これも価格の問題と関係して大変重要な問題です。また、そんな中で、例えば農業ですと、どういうような製品をつくれば競争力を持ち得るのか。今まで農林省は、専ら規模拡大ということで対応しようとしてきましたけれども、規模拡大だけでできるのかどうか。むしろ、兼業農家のような形も残すべきなのか、そういうことも大きな問題だろうと思います。

 いろいろなテーマが含まれておりますが、全体像としての日本を最終的に組み上げていきたいと考えておりますので、皆様方の広い知識、高い見識で議論していただいて、この全体像を作り上げていきたいと思っております。

 ぜひよろしくお願いいたします。

〔 部会長 〕 どうもありがとうございました。

 せっかく大臣から、もうちょっと頭を活性化するようなインセンティブを与えられたところで、残念ですが、予定の時間がまいりました。

 基本的には、先ほど事務局からの手順で次回以降の議論を進めていただきたいと思います。

 大変お忙しいところを恐縮ですが、本日の資料6の1及び2、この個々の論点について、2月末までに、すべての委員からメモをご提出いただけないか、こういうお願いでございます。もちろん、この項目については特にないという場合には結構でございますが、可能な限り、限られた時間でご議論いただくために、メモをお出しいただいて、事務局で取りまとめていただき、場合によっては特定の方に時間をとってご説明をいただく、こういう格好にしたいと思いますので、ぜひよろしくお願いいたします。

 それでは、次回以降の日程について事務局より説明をお願いいたします。

〔 事務局 〕 次回でございますが、3月10日水曜日の午前10時から12時でございます。別途ご案内させていただきますので、よろしくお願いいたします。

〔 部会長 〕 それでは、本日の審議は以上といたします。

  なお、本日の審議内容等につきましては、私の方からこの後、記者クラブでブリーフィングをさせていただきたいと思います。

  本日は長時間のご審議、大変ありがとうございました。

(以上)