経済審議会総括部会議事録

時:平成12年9月25日
所:経済企画庁特別会議室(436号室)
経済企画庁


経済審議会総括部会(第1回)議事次第

平成12年9月25日(月)10:00~12:00
経済企画庁特別会議室(436号室)

  1. 開会
  2. 経済企画庁長官あいさつ
  3. 議事の公開について
  4. 今後の検討テーマとスケジュールについて
  5. 経済審議会が果してきた機能と役割等について(フリーディスカッション)
  6. 閉会

(配布資料)

  1. 経済審議会総括部会委員名簿
  2. 経済審議会配布資料「経済審議会の今後の運営について」
  3. 経済審議会総括部会の公開について(案)
  4. 今後の検討テーマとスケジュールについて(案)
  5. 経済審議会が果してきた機能と役割等について(論点ペーパー)

(関連資料)

  1. 経済計画策定時の経済審議会総会の委員構成
  2. 経済審議会総会委員名簿
  3. 経済計画策定時の経済審議会の審議構造
  4. 経済審議会体制図
  5. 経済計画の総覧
  6. 経済指標実績と主な出来事
  7. 経済計画と長期展望及び他の計画
  8. 経済計画で提示された数値指標
  9. 経済計画における数値指標の具体例
  10. 長期展望の背景、概要、その後の動き
  11. 長期展望で提示された数値指標
  12. 政策提言の概要

(参考資料)

内閣府及び経済財政諮問会議について

[出席者(敬称略)]

(委員)

香西泰(部会長)、清家篤(部会長代理)、荒木襄、伊藤進一郎、岩田一政、浦田秀次郎、角道謙一、木村陽子、嶌信彦、高橋進、長岡實、畠山襄、グレン・フクシマ、福武總一郎、森尾稔、森地茂

(経済企画庁)

堺屋経済企画庁長官、小野総括政務次官、中名生事務次官、坂官房長、牛嶋総合計画局長、永谷総合計画局審議官、塚田総合計画局審議官、仁坂企画課長、藤塚計画課長、前川計画企画官 他

経済審議会総括部会委員名簿

  部会長     香西  泰   (社)日本経済研究センター会長
  部会長代理  清家  篤   慶應義塾大学商学部教授
            荒木  襄   日本損害保険協会専務理事
            伊藤 進一郎   住友電気工業(株)代表取締役副社長
            岩田 一政   東京大学大学院総合文化研究科教授
            浦田 秀次郎   早稲田大学社会科学部教授
            角道 謙一   農林中央金庫特別顧問
            木村 陽子   奈良女子大学生活環境学部教授
            嶌  信彦   ジャーナリスト
            高橋  進   (財)公庫住宅融資保証協会理事長
            長岡  實   (財)資本市場研究会理事長
            畠山  襄   日本貿易振興会理事長
            原  早苗   消費科学連合会事務局次長
            グレン・フクシマ  アーサー・D・リトル(株)取締役社長
            福武 總一郎   (株)ベネッセコーポレーション代表取締役社長
            星野 進保   総合研究開発機構特別研究員
            水口 弘一   (株)野村総合研究所顧問
            森尾  稔   ソニー(株)取締役副会長
            盛岡  通   大阪大学大学院工学研究科教授
            森地  茂   東京大学大学院工学系研究科教授
            八代 尚宏   上智大学国際関係研究所教授
            吉川  洋   東京大学大学院経済学研究科教授
            鷲尾 悦也   日本労働組合総連合会会長


〔 部会長 〕ただいまから、第1回総括部会を始めさせていただきます。

 審議会会長より、当部会の部会長を仰せつかりました香西でございます。

 本日は、委員の皆様におかれましてはご多忙の中をお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。また、堺屋経済企画庁長官、小野総括政務次官におかれましても、お忙しい中をご出席いただきまして、誠にありがとうございます。

 さて、お手元の資料2にございますように、去る6月30日の経済審議会におきまして、経済審議会に「総括部会」を設置することが決まりました。

 皆様ご案内のとおり、新中央省庁体制の発足に伴い、経済審議会は平成13年1月をもって廃止され、昭和27年の創設以来ほぼ半世紀にわたる活動の幕を閉じることになります。当部会におきましては、これまで経済審議会が経済計画の策定、その他を通じて担ってきた機能と役割を評価し、今後、政府内において果たすことが期待される機能と役割について調査・審議することとされております。

 委員の皆様方には、忌憚のないご意見を頂戴できれば幸いと存じます。

 本日はお手元にお配りしました議事次第のとおり、「今後の検討テーマとスケジュールについて」事務局から説明をした後、「経済審議会が果たしてきた機能と役割について」のフリーディスカッションに入りたいと思います。年内の限られた時間での取りまとめになりますので、本日第1回目から具体的なご議論をしていただければと考えておりますので、よろしくお願いいたします。

 委員に就任していただいております方々につきましては、お手元にお配りしている委員名簿(資料1)のとおりでございますけれども、初回でもありますので、事務局から委員の皆様を紹介していただきたいと存じます。

〔 事務局 〕それでは、お手元の資料1の委員名簿に従ってご紹介申し上げます。

 荒木委員でございます。伊藤委員でございます。岩田委員でございます。浦田委員でございます。角道委員でございます。木村委員でございます。嶌委員でございます。清家委員でございます。高橋委員でございます。長岡委員でございます。畠山委員でございます。フクシマ委員でございます。福武委員でございます。森尾委員でございます。森地委員でございます。

 なお、原委員、星野委員、水口委員、盛岡委員、八代委員、吉川委員、鷲尾委員の7名の方につきましては、本日はご欠席でございます。

〔 部会長 〕ありがとうございました。なお、当部会の部会長代理につきましては部会長が指名することとなっておりますので、清家委員にお願いしたいと存じます。ご多忙のところを恐縮ですが、よろしくお願いをいたします。

 それでは、本日の議題に入ります前に、堺屋大臣からご挨拶をいただきたいと存じます。

〔 大臣 〕本日は、委員の皆様方には、大変お忙しいところをご出席いただきましてありがとうございます。

 日本経済も、平成10年秋の「デフレスパイラルの入り口にある」ような状態からやや回復をしてまいりました。私ども経済企画庁の認定では、昨年の4月ぐらいが最悪時期で、それから緩やかではございますけれども、回復に向かっているのではないかと思っています。99年度の実質経済成長率は0.5%となり、これは一昨年に申し上げました数値が小数点以下まで当たったという、過去25年間初めてのホールインワンでございます。そういうプラス成長を得たということで、最悪時期から比べるとよくなったということが言えると思います。また、本年度に入りまして4~6月期につきましては、公共事業の統計上の問題等がありまして非常に跳ね上がった数字ではあるのですけれども、前年比1.0%増と2期連続のプラス成長を記録することができました。特に、企業部門につきましては、企業の利益率が向上してきました。それに伴って設備投資も良好に推移しております。また、その先行指標である機械受注も、今のところ好調でございますので、本年度いっぱいぐらいはいい状況が続くのではないかと思っています。

 しかしながら、その反面で雇用情勢は依然として厳しいものがございまして、完全失業率が4.7%の水準にあります。また、労働力の非労働力化、55歳~64歳の男性で就業、職探しをあきらめるという現象がかなり出ております。

 一方、新規の雇用は求人が増加する、あるいは時間外労働が増えるなどのプラス面も出ておりますが、非常にミスマッチが多い。これは産業構造の転換の1つの現れかと思っています。

 また、倒産件数も大変増えておりまして、月々 1,500を上回っている。負債総額も増えています。これも、一方で企業の利益が上がり、他方で倒産が増えているのは、まさに構造転換の1つの過程でございまして、今が景気の勝負所という感じを持っております。

 消費の方は一進一退でございまして、今年の夏は大変暑い夏だったのでございますけれども、それにもかかわらず全体ではそう増えていない。普通、猛暑効果というのは、従来よりも上乗せで出るわけですけれども、今回は、猛暑でクーラーが売れた、清涼飲料水が売れたと言われる反面で、紳士服などが売れなかったというような問題が出ております。

 そのようなことに対応し政府といたしましても、平成12年度の補正予算を組みまして、特にIT分野、高齢化対応、環境問題への対策、そして都市基盤の整備という4点に重点を置いて、次の時代を開く、新しい成長を開く新体制を作り上げたいと考えております。

 当経済審議会におかれましては、昭和27年の設立以来、昨年7月には「経済社会のあるべき姿と経済新生の政策方針」を答申いただくまで、あわせて14本の経済計画を世に送り出していただき、中長期の経済運営に対し特段のご貢献をいただきました。

 皆様ご案内のとおり、経済審議会の歴史は、来年1月6日に実施されます省庁再編成によりまして、経済企画庁が内閣府に発展的に移行するのに伴い終わることになります。その機能の多くは、新設されます経済財政諮問会議によって担われることになっております。この形と、それから運営・機能・名称いずれも全く新しいものになるわけでございます。

 経済財政諮問会議は、内閣総理大臣の指導性を十全に発揮するとともに、民間有識者の意見を十分反映するために設置される新しい合議制機関でありまして、今回の省庁再編成の目玉と言えるものであります。その任務は、経済全般の運営の基本方針、財政運営の基本、予算編成の基本方針等の調査審議を行うことであり、まさに我が国の経済運営にとって、極めて重要な役割を担うことになります。

 この経済財政諮問会議は、関係閣僚と政府機関の長及び民間人の10人以内で構成されることになっておりますが、それに専門的な委員を置くことも行われます。皆様方には、いろいろな面で経済財政諮問会議にもご援助、ご協力いただくことがあろうかと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。

 委員の皆様におかれましては、あと3ケ月あまりで新しい体制に移行するにあたりまして、これまで経済審議会が果してきた機能と役割について評価していただき、今後、新しい中央省庁体制において果たすことが期待されている機能と役割についてもご審議いただきたいと思っております。委員の皆様方の絶大なご協力とお力添えをお願いしたいところでございます。

 どうもありがとうございます。

〔 部会長 〕どうもありがとうございました。大臣は公務がありまして、途中で退席されます。

 それでは、本日の議題に入らせていただきます。

 まず、当部会の「議事内容の公開方法について」お諮りしたいと存じます。事務局から説明をお願いします。

〔 事務局 〕それでは、お手元の資料3に沿ってご説明させていただきます。

 1.会議の公開について

 会議については非公開、会議の開催日程は事前に公開する。

 2.議事要旨、議事録の公開について

 議事要旨を原則として会議終了後2日以内に作成し、公開する。議事録につきましては原則として会議終了後1ケ月以内に作成し、公開する。ただし、議事要旨、議事録ともに発言者名の公開は行わないものとする。

 3.配布資料の公開について

 配布資料は、原則として議事録と併せて公開する。

 以上でございます。

〔 部会長 〕ただいま説明のありました当部会の「議事内容の公開方法について」ご意見等がございますでしょうか。

              (「異議なし」の声あり)

〔 部会長 〕それでは、当部会の議事内容の公開方法につきましては、本日の会議の冒頭にさかのぼって、ただいまご説明のありましたとおりにさせていただきたいと存じますので、よろしくお願いいたします。

 引き続きまして、事務局から「今後の検討テーマとスケジュールについて」説明をお願いします。

〔 事務局 〕それでは、お手元の資料4の一枚紙をご覧ください。「今後の検討テーマとスケジュールについて(案)」でございますが、「1.総括部会設置の趣旨」につきましては、6月30日の経済審議会の決定とほぼ同じでございますので、省略させていただきます。

 「2.主要検討テーマ」としては、そこに挙げました2つでございます。

 (1)1950年代から2000年までの日本経済の変遷の中で、経済審議会が果たしてきた機能と役割の評価

 (2)今後予想される21世紀初頭の経済社会状況の中で、政府内において果たすことが期待される機能と役割

 「3.スケジュール」としては、本日、経済審議会が果たしてきた機能と役割についてフリーディスカッションをいただき、次回、第2回目の10月10日に、それをまとめていただきたいと思っております。これを踏まえまして11月上旬の第3回に、21世紀初頭の経済社会状況の中で、政府内において果たすことが期待される機能と役割についてご議論いただき、引き続き報告書スケルトンについてもご検討いただきたいと思っております。そして、11月下旬予定の第4回において、総括部会報告として取りまとめいただきたいということでございます。

〔 部会長 〕ありがとうございました。審議会自体がなくなる時間が短いので、その総括につきましても非常にスピーディにご議論いただきたいということですけれども、こういう形でご協力をいただいてよろしゅうございましょうか。

              (「異議なし」の声あり)

〔 部会長 〕ありがとうございます。それでは、テーマとスケジュールにつきましてはこの線でご了解をいただいたものと存じます。

 次に、本日の主要議題であります「経済審議会が果たしてきた機能と役割等について」のフリーディスカッションといいますか、皆様からご意見を承るのが主眼でございますけれども、事務局でこれまでの経緯その他についての資料を準備していただいておりますので、その説明をお願いします。

〔 事務局 〕それでは、40分程度のお時間をいただいて説明させていただきます。

 お手元の資料5「経済審議会が果たしてきた機能と役割等について(論点ペーパー)」をご覧ください。、これが本日の私どものメインの資料でございます。この(論点ペーパー)に基づきまして、関連資料1~関連資料12を適宜使用しながらこ説明させていただきます。

 本日は、1.にございますとおり、「経済審議会が果たしてきた機能と役割」についてフリーディスカッションいただくわけですが、私どもとしましては4つの面から整理させていただきました。1番目「経済審議会の審議体制」、2番目「経済計画を通じて果たしてきた役割」、3番目「長期展望を通じて果たしてきた役割」、4番目「政策提言を通じて果たしてきた役割」でございます。

 それでは1番目、(1)経済審議会が果たしてきた機能と役割の背景にある、経済審議会での調査審議体制の特性でございます。関連資料1の一枚紙をご覧いただきたいと思います。これは、過去14回の経済計画策定時の経済審議会の委員構成をあらわしたものですが、幅広い分野の委員から構成されていることが表されていると思います。初期には、経済審議会の本会議には労働界、消費者、マスコミの方はおられませんでしたけれども、中期以降次第にその分野の方も増えてきております。また、一番人数が多い分野としては経済界の方でございます。

 次の関連資料2に個別の各界の名簿を付けておりますので、これを見ていただきますと、その時代時代の中心的産業の方が選ばれております。例えば初期には、繊維とか鉱山の方が多く、中期までは化学とか商社の方がいらっしゃいまして、だんだん自動車とか電子機器産業の方が委員としてご参加いただいております。なお、全期間を通じて選ばれている分野としては、金融、電力、財界団体の方々がございます。

 次に、関連資料3の一枚紙をご覧ください。これは経済審議会がその必要に応じ多様な下部機関を設置してきたこと、を表すものでございます。個別の状況につきましては、関連資料4が付けてございますが、最初の2回の計画では下部機関は1段階のみ、部会のみでございました。それが3番目の「国民所得倍増計画」から小委員会等ができ、2段階となったわけでございます。各々の審議会の下部機関の数はこの表にあるとおりですが、延べ参加人数が一番右の欄にございますけれども、6番目の計画である新経済社会発展計画のときの 435人が最大ですが、これは例外的な大きさで、多くは 200人台でございます。反対に 200人を切ったのは3回のみで、直近の「経済社会のあるべき姿と経済新生の政策方針」の 143人が最小人数となっているというわけでございます。

 それでは、(論点ペーパー)の資料5に戻っていただきまして、経済審議会審議体制の特性でございます。資料5の1ページ目の2.に3点挙げております。①特定の分野の利害にとらわれず、経済社会全体の観点から検討をしてきたこと、②専門的な課題については、必要に応じて専門家による委員会や分科会を組織して検討してきたこと、③審議会の多様なメンバー構成から、議論の取りまとめに当たって、広範な分野の人々の意見が反映されたこと、でございます。

 論点としましては、1.以上のような認識でよいか。その他に経済審議会での調査審議の特性としてどのようなものが挙げられるか、2.このような国民各界各層を代表する有識者によるコンセンサス方式による調査審議のメリット、デメリットは何か、ということでございます。

 1枚おめくりいただきまして、2番目の側面、経済計画の策定を通じて果たしてきた機能と役割でございます。A.1.にありますとおり、経済計画は、内閣総理大臣の諮問に応じて策定され、計画目標と将来見通しの提示及び政府の政策方針の提示等を行い、また、その時々の経済状況と将来見通しを踏まえて、内容及び形式は様々に変化してきたわけでございます。

 ここで、関連資料5と関連資料6をあわせてご覧いただければと思います。関連資料5は、過去の14本の経済計画の一覧でございます。関連資料6は若干下にグラフが付いておりますが、これは戦後の経済史と経済指標、それと経済計画を対比させたものでございます。また詳しくご説明申し上げますが、2回の大きな日本経済の変換期がございまして、それとともに経済計画も変わってきております。2回と申しますのは、1番目が、関連資料6の真ん中ごろにあります71年8月のニクソンショック、第1次石油危機、第2次石油危機を経て日本経済がいわゆる高度成長から安定成長に移行した時期でございます。2番目が、90年前後のバブル崩壊でございます。

 経済指標も様々の変化を示し、いろいろな経済的な出来事もあったわけですけれども、これに従って経済計画がどのように変わってきたかを、関連資料5に戻り簡単に説明させていただきます。

 1番目の計画の「経済自立5カ年計画」につきましては、計画の目的にもございますけれども、戦後の復興と日本経済の自立ということが大きな課題でございました。

 2番目の「新長期経済計画」と3番目の「国民所得倍増計画」におきましては、極大成長を目指した時期でございます。その極大成長が、予想以上の高度成長になり、そのひずみの是正と均衡ある発展を目指したのが、4番目の「中期経済計画」以下7番目までの4つの計画でございます。

 なお、7番目の「経済社会基本計画」におきましては、計画の目的にもございますけれども、国際協調の推進というような、本日までに通じる課題も出てきております。

 その後、ご案内のとおり日本経済は、先ほどのニクソンショック、第1次、第2次のオイルショックに直面し、いわば安定成長への転換を目指したのが、8番目の「昭和50年代前期経済計画」と、次の「新経済社会7カ年計画」でございます。

 その次に、「1980年代経済社会の展望と指針」がございまして、これが名称においても「展望と指針」を使い「経済計画」という名前を使わなかった最初でございます。この時期から、ある意味で戦後日本経済は爛熟期になって、その日本経済の活力を生かして世界にいかに貢献するか、あるいは国民生活も経済力と同じように高めるという意味の計画が、「展望と指針」以下、「世界とともに生きる日本」、「生活大国5カ年計画」でございました。

 その後、ご案内のとおりバブルの崩壊等がございまして、日本経済は厳しい構造転換に直面しているわけでございますが、それを内容としたものが13番目の「構造改革のための経済社会計画」、直近の昨年お取りまとめいただいた「経済社会のあるべき姿と経済新生の政策方針」でございます。

 以上の点を、関連資料5の右から4番目の欄「実質経済成長率」を使って補足させていただきたいと思います。上の欄が計画ベースの数値、下の欄が実績の数値ですが、一番最初の計画から5番目までは、いずれも実績値が計画値を上回っております。ところが、次の6番目の「新経済社会発展計画」からは、ニクソンショック、第1次石油ショック、第2次石油ショック等を受けまして、一転して実績値が計画値を下回るという計画が4つ続いております。次の「展望と指針」と「世界とともに生きる日本」につきましては、結果としては計画で想定した数値と実績値がそう違わなかった。ところが、12回目以降は、ご案内のような理由で実績値が計画値を下回る、それもかなり下回るという状況になっているわけでございます。

 次に、関連資料7をご覧ください。これは経済計画と他の計画、長期展望等が時期的にどういう関係にあるかを対比したものでございます。一番上が経済計画でございます。その下が長期展望、それから公共投資基本計画、ここまでは経済企画庁が担当しているものでございます。それから、国土庁がやっております全国総合開発計画も過去5回ございまして、労働省が策定される雇用対策基本計画も、ほぼ経済計画と相応じてこのように策定されております。

 1枚めくっていただきまして、非常に細かい資料で恐縮でございますが、16本の公共事業関係長期計画の変遷でございます。始まった時期は様々でございます。例えば、最初の2つの「漁港」と「道路」につきましては、経済計画が始まる以前から策定されていますけれども、その後、産業基盤関係、すなわち「港湾」であるとか、「空港」であるとか、あるいは日本にとって大きな産業であった農業関係の「土地改良」といったものが比較的早期に策定が始まり、1969年の新全総の策定前後で12本とほぼ出そろってきております。なお、先ほど申しましたとおり、高度経済成長のゆがみ是正ということで、「下水道」、「廃棄物処理施設」、それから「住宅」につきましても、60年代の比較的早い時期に策定が始まっております。

 次に、関連資料8をご覧ください。非常に細かい4枚紙の資料で恐縮でございますが、これは過去の経済計画で提示された数値目標を、14回につきましてそれぞれまとめたものでございます。詳しくはまた申し上げますけれども、初期の計画におきましては、マクロ経済関係のみではなく、かなり詳細な部門別の目標ないし将来見通しが示されております。

 それが中期になりますと、定量的な表現はマクロ経済関連に次第に絞られてまいりました。そして、後期の計画におきましては、マクロ経済関連についても定量的な表現は漸減し定性的な目標ないし将来見通しという形での提示が増えてきたわけでございます。

 それでは、関連資料8に沿ってご説明いたしますが、まず大きな流れとしては、10番目の「1980年代の経済社会の展望の指針」におきまして、それまでの計画と大きな変化が数値指標の点でございました。一見してご覧いただけますように、いわゆる定量的な数値指標での目標の提示の仕方が、この時期以降変わったわけです。例えば、経済フレームにつきましては、GDP等は当然全部ありますけれども、財政収支とか国際収支は、「展望と指針」の1つ前の「新経済社会7カ年計画」までは明記されていましたけれども、それ以降は提示されていません。

 次の人口・世帯でございますが、初期には、何と申しましても過剰労働力人口をいかにして吸収するかが問題になっていましたので、生産年齢人口とか労働力人口ということが重視されています。

 その2つ下の雇用でございますが、これも初期には完全雇用の達成を目指すということで、かなり個別の労働指標がたくさん提示されていましたが、次第に完全失業率という形でマクロ的な指標に収斂してきております。

 1枚めくっていただきまして、産業・エネルギー分野でございますが、これにつきましては比較的初期に、主要産業別生産量とかエネルギーの生産量が個別に示されていましたけれども、中期以降は少なくなってきております。

 その下の国民生活・社会保障でございますが、これも初期には国民の経済生活の水準ということに関心がありまして、例えば上から2つ目の国民の摂取カロリーとか繊維消費量等々、経済生活の水準をあらわすものが多くなっております。それが中期になりますと、次第にいわば可処分所得とか租税負担率といったマクロ的な経済指標になってきまして、それが最近になりますと、ご覧いただきますよう高齢化、少子化に対応した指標が多くなっております。

 1枚めくっていただきまして、社会資本でございます。これにつきましても、10番目の「展望と指針」の1つ前の「新経済社会7カ年計画」までは個別の公共投資の分野別の投資額等が提示されていましたが、それ以降は提示されていません。しかしながら、最近の計画におきましては、その計画の課題に応じた独特の形での政策方針の提示が行われていまして、それが顕著なのが生活大国5カ年計画以下の2つでございまして、生活者・利用者の観点からみた社会資本の整備目標といったものがかなり詳しく提示されるようになりました。

 以上が数値指標からみた計画における目標等の提示方式でございますが、これを若干、例でみていただきますのが、関連資料9でございます。3つ例を挙げておりまして、初期の経済計画の例として「国民所得倍増計画」、中期の例として「新経済社会7カ年計画」、後期の例として「生活大国5カ年計画」を挙げております。

 1枚めくっていただきまして、「国民所得倍増計画」、まず、マクロフレームについては、マクロフレームではございますが、例えば上から6番目にあります個人消費支出、少し下の方にあります国内の輸送量等といった指標もございました。1枚めくっていただきまして、貯蓄投資バランスもこのように提示されています。さらに4ページ目、財政でございますが、財政収支につきましても、今から思えばかなり細かく数字が提示されています。5ページの社会資本でございますが、これもこのように部門別の投資額が示されています。6ページの産業別構成も、このように詳しく示されています。7ページのエネルギーにつきましても、エネルギーの種類別に詳しくその数値が示されています。

 次の8ページの「新経済社会7カ年計画」、中期の終わり頃ですけれども、これになりますとマクロフレームにつきましては、いわゆるマクロ経済指標に絞られてきています。9ページが国民総支出の内訳としての数字でございます。10ページが財政でございますが、これもこのような形で比較的中身まで詳しく提示されています。11ページの社会資本につきましては、部門別の公共投資額がこのように示され、12ページにおいては、生活関連の立場からの見方といった、その後の指標の端緒となるようなものも出てきております。

 最後に、13ページの「生活大国5カ年計画」でございますが、マクロフレームにつきましてはここに挙げている数値のみでございます。しかしながら、次のページからにありますとおり、生活者・利用者の観点からみた社会資本整備について、かなり細かい、ある意味でわかりやすい指標がこのように提示されるようになったわけでございます。

 それでは、恐縮でございますが、資料5の(論点ペーパー)に戻っていただきまして、3ページでございます。経済計画を通じて経済審議会が果たしてきた機能、役割でございます。2.に整理させていただきましたが、まず2つ挙げてございます。1番目として、経済計画は、政府の各種の政策を総合化、体系化する役割を果たしてきた。2番目として、民間活動への中長期的な指針としての役割を果たしてきた。さらに2つ挙げておりまして、3番目として、計画策定過程における幅広い議論等を通じ、経済社会の将来の方向について国民の理解を深めるとともに、政策課題の解決の方向についての国民的コンセンサスの形成に寄与してきた。4番目として、計量経済モデルに代表される経済学に裏打ちされた将来展望や分析により、こういうものを使って客観的な経済学的分析をもとに意思決定を行うという方式を、日本において普及させる役割を担ってきたと考えております。

 論点としましては、1番目は、以上申し上げましたような認識でよろしいか、その他に経済計画が果してきた機能と役割として、どのようなものが挙げられるか。2番目は、経済計画の内容・形式は、以上ご説明申し上げましたとおり、時代により大きく変遷しておりますが、今後21世紀初頭の中長期の経済運営の方針に求められるものは何かということでございます。これは、経済計画という形式を取るのかどうかということを含めての問題でございます。さらに、特に定量的な予測ないし目標の設定・提示についてどう考えるかという論点でございます。

 次に3番目の側面、将来展望の提示を通じて果してきた機能、役割でございます。将来展望としては、そこに書いておりますとおり、1960年のもの、82年のもの、91年のものの3回を代表的なものとして取り上げました。それぞれ各時代毎に長期的視点に立った経済政策の策定に役立てていくために、経済発展の前提となる内外の諸条件の大きな変化に応じて長期展望作業が行われたものでございます。

 それでは、関連資料10をご覧ください。過去代表的な3回の長期展望を横に対比したものでございます。全部で5ページございますけれども、時間の関係で1ページの「問題意識・背景」と4ページの「長期展望後の動き」を説明させていただきます。まず、一番左の1960年に策定された「日本経済の長期展望」、「1980年展望」ですが、「問題意識・背景」の1.にありますとおり、戦後日本の経済成長は度々の限界説があったにもかかわらず、かなり高い成長となった。この高い成長は、単に戦災からの回復要因のみでは説明しきれない、戦後における制度的・構造的変化や日本経済の特殊性、さらには世界的な技術革新や、消費革命の影響などが、高い成長を支えていく新たな制度的要因としてあるのではないか、それが今後どのようになっていくか、ということを展望したものでございます。

 次に、その右の1982年策定の「2000年の日本」、これにつきましては「問題意識・背景」の1.にありますとおり、戦前、戦後を通じて我が国の長い間の目標であった欧米先進国へのキャッチアップをほぼ終えたという時代認識から、次の新たなグランドデザインを求めたものでございます。その下の4.の(1)に「新たなグランドデザインを考える時期としては、以下のような恵まれた条件がある」とされておりまして、特にその1番目にありますとおり、「高齢化等の多様な変化が本格化するのは21世紀初頭であるので、それまでに20年間という、いわば時間的余裕があるので十分準備ができる」といった立場からまとめられております。

 その右の1991年に策定いただいた「2010年への選択」、これは1990年の東西ドイツ統一に象徴される東西の冷戦が終了し、民主化・市場経済化がそれらの国で進展し、国際的な経済のボーダーレス化が進展しつつありました。一方で食料問題、資源問題、環境問題等のいわば各国を通じての共通の問題が非常に大きな問題となってまいりました。我が国におきましても、こういった国際的な問題につきまして、国際貢献を含めていかに貢献するかということが求められ、また国内的には高齢化の予想以上の進展や労働力供給の伸びの鈍化といった環境変化が予見されたわけでございます。

 次に、一番下の欄にあります「長期展望の考え方」について若干触れさせていただきます。この考え方は、3回を通じてそんなには変わっておりません。例えば、真ん中の「2000年の日本」では、「長期展望は、政府の諮問によるものではなく、経済計画とは性格を異にしており、各界の有識者が日本経済社会の将来についてそれぞれの立場から自由に意見を出し合い、討論・検討を行って取りまとめたもの」とされています。1ページめくっていただきまして、左の2.にありますとおり、「計数的に寸分のすきもないといったものではない」、あるいは真ん中の3.にありますとおり、「長期展望はそれを実現するということよりも、長期の展望を持って、現在の政策判断を行うことに意味がある」。したがいまして、その右の2.にありますとおり、「予測の数値を当てることではなく、将来生じてくるであろう問題点や課題を明らかにし、将来に備えることが重要との視点」で各々作成されたものでございます。

 それでは、中身につきましては若干省略させていただき、2枚めくっていただきまして4ページ目「長期展望の動き」についての私どもの暫定的な整理でございます。一番左の1960年策定の「80年展望」、これは(1)にありますとおり、展望策定後も非常に高い成長が続き、欧米先進国並みの所得水準へのキャッチアップ過程を順調に歩んだわけでございます。しかしながら、予想以上の成長が進んだことから予期せざる動きもございました。1番目は、特に展望の前半の60年代に起きたことですけれども、予想を上回る高度成長が持続する中で、そのゆがみが顕在化してきたこと。ゆがみとしては、物価の上昇、公害問題、さらには福祉とか社会資本整備の立ち遅れが指摘されています。2番目は、我が国の国際的地位が急上昇していったこと。68年にはGNPの規模が米ソに次ぐ世界第3位になりました。さらには、このページの一番下に書いてありますが、1971年の円の切上げ等がございます。1枚めくっていただきまして、3番目は、長期展望の後半、おもに後半の10年の70年代のことですけれども、2度にわたる石油危機の発生とともに、日本経済が安定成長に移行したわけでございます。

 それでは、4ページに戻っていただきまして、1982年に策定した2回目の長期展望、「2000年展望」のその後の動きですが、(1)にありますとおり、予測できなかった最大のものは、何といっても80年代後半のバブル景気とバブル崩壊後の90年代全般を覆う経済の低迷でございます。これにより特に後半の10年間は、いわば目の前の経済の建て直しに追われ、長期展望で指摘した国際化、高齢化、成熟化という3つの流れに対する基本戦略の推進が大きく遅れたわけでございます。したがいまして、2000年の現時点になってみますと、21世紀初頭に起きるであろうと予測されていた時代の大変動を前にして、82年に長期展望を作ったときよりもさらに厳しい状況になっている、ということが言えるかと思います。

 その右の91年に策定いただきました「2010年展望」でございますが、(1)の真ん中の下線部に書いてありますとおり、2010年展望を策定した直後に発生した景気の後退についての視点が不完全であったことにより、いろいろな影響が出ております。国際社会への貢献ということを高らかにうたい上げたわけですが、それよりも、(2)にありますとおり、景気の急激な後退により、地価の下落や金融システムへの深刻な影響となって現れ、大企業を含めた企業の倒産やリストラクチャリングにより失業の増大となって国民生活を直撃したわけでございます。したがいまして、経済成長率につきましても、予想した成長率の最も低い値をも下回るという状況になっております。最後に、1ページめくっていただきまして、一番右の(5)で、いわゆる情報化につきましても、2010年展望でも情報化が進むとは予測したわけですが、IT革命に代表されます進展が予想以上に進み、これも展望をいわば上回るものになっているということでございます。

 次の関連資料11、これは長期展望でそれぞれ提示された数値、定量的な指標を、先ほどの経済計画と同じような手法でプロットしたものでございます。長期展望は、代表的なものが3つですので、比較的その特徴がわかりやすいかと思いますが、左上の経済フレームをご覧いただきますと、GNP等が3回を通じてあるのは当然としまして、一番最初の長期展望におきましては、かなり国際経済関係の指標が重視されています。これは日本を取り巻く国際経済の状況がこれからどうなるのだろうかということが長期的には大きな課題となりましたので、この関係の指標が多くなっております。

 次に、人口・世帯につきましては、初期におきましては、先ほども申し上げましたが、生産年齢人口が増加から鈍化に転ずるということで、労働力人口等の指標が多くなっております。これが2000年の日本、2番目の長期展望になってまいりますと、いわば高齢化が21世紀になるとやってくるということで、高齢化関係の指標が非常に多くなっております。2010年展望におきましては、合計特殊出生率が予想以上に低下といいますか、回復せず、生産年齢人口等につきましてかなり深刻な状況になってきたということで、またその関連の指標が増えております。

 その2つ下の雇用につきましても、一番最初の展望においてはかなり産業別の雇用というものに関心があった時代でございます。

 その次の産業・エネルギーでございますが、これも一番最初の昭和35年の長期展望におきまして、個別の分野の長期のエネルギーの展望といったものが多々提示されていたわけでございます。

 その次の国民生活・社会保障でございますが、これは初期におきましては、国民の消費水準を表すものが多かったわけですけれども、これが社会保障に関する指標がだんだん重視されてきております。特に直近の2010年展望におきましては、社会保障とか社会福祉関係の指標が非常に多くなっております。

 最後に右下の社会資本でございますが、初期の計画におきましては、鉄道、自動車あるいは港湾といった個別の社会資本に関係する指標が、どのようになっていくだろうかということを展望したわけでございます。

 それでは、資料5の(論点ペーパー)に戻っていただきまして、4ページ目でございます。長期展望を通じて果たしてきた経済審議会の機能、役割ということで、2.にまとめさせていただきました。1番目として、将来についての大胆な予測を提示し、背景となる様々な情報を提供した。2番目として、経済計画の場合と同様、経済社会の将来の方向について、様々な情報提供により、国民の理解を深めるとともに、政策課題の解決の方向について国民的コンセンサスの形成に寄与した。3番目として、閣議決定される経済計画とは異なり、将来展望、長期展望はより大胆な姿を描いて、問題点を鮮明に浮き彫りにしたということを挙げております。

 論点としましては、1.以上のような認識でよいか。その他に将来展望が果たしてきた機能と役割として、どのようなものが挙げられるか。2.経済を取り巻く内外の条件変化が、従前以上に急速かつ不透明になっていると思われる現時点において、将来展望の意義付けについてどのように考えるかということでございます。これは経済が非常に急速かつ複雑化している状況におきまして、例えば従前の3回のように、20年といった長期の期間をとらえて、いわば固定的に予測していくのはどうかということも含めての論点でございます。

 1枚めくっていただきまして、最後の側面であります、政策提言を通じて果たしてきた機能でございます。政策提言は過去、数々経済審議会からいただいておりますけれども、ここに書いてあります3つを代表的なものを取り上げさせていただきました。それぞれの時点におきまして大きな争点となっていた経済政策上の課題につきまして、各分野に関する専門家の方々の議論に基づき、客観的・専門的な政策提言をいただいたものでございます。

 それでは、関連資料12をご覧ください。政策提言の概要として、まず昭和47年に取りまとめられた「物価・所得・生産性委員会報告」を挙げております。背景としては、真ん中ごろの消費者物価指数にありますとおり、既に昭和30年代の後半から消費者物価がかなり上昇しております。さらに、卸売物価の方も40年代になると上昇を始め、この時期におきましては物価の安定ということが、かなり大きな経済政策上の課題となっておりました。したがいまして、経済審議会におきましても、一番下に書いてあります研究委員会とか、次のページの検討委員会等で検討いただきまして、「さらに」のところで書いておりますが、だんだんに問題となってきたのが、いわゆる物価と賃金のスパイラル現象への関心でございます。これを受けて昭和45年9月に、経済審議会総合部会の下に「物価・所得・生産性委員会」が設置されました。その最大の問題意識は、②の、「いわゆる所得政策導入の必要性の可否」ということでございます。2年後の47年5月に報告書を取りまとめていただきましたが、その最も重要な内容としましては、①にありますとおり、「所得政策を採用する必然性はない」ということでございました。1枚めくっていただきまして、この提言の影響といいますか、結果ですが、70年代初頭にアメリカにおいてはスタグフレーションに対する対応として所得政策が実施されたわけですけれども、第1次石油ショック、第2次石油ショック後の政策として日本ではこの委員会報告による提言もあり、所得政策なしに物価高騰を乗り切ることに成功して、いわば安定成長へのスムーズな移行に寄与したと考えられます。

 次のページでございますが、2番目の政策提言の例として、昭和62年の「新前川レポート」が出ております。背景としましては、1980年代の膨大な貿易黒字により各国との経済摩擦が激化しました。一方で、そのように我が国の国際的な経済の地位は上がったにもかかわらず、生活実感としてどうもそういう実感がない、ということのギャップの拡大の問題がございました。したがいまして、国際協調と国民生活の質の向上を目指し、経済構造調整を推進すべきだということになったわけでございます。そこで、昭和60年10月に、当時の中曾根首相が私的諮問機関に検討を要請され、翌61年4月に、前川春雄日本銀行総裁を座長とする私的諮問機関から、いわゆる「前川レポート」が出され、内需主導型経済成長の実現を目指したわけでございます。これを受けて経済審議会としましては61年9月に、この「前川レポート」の目的を政府としてより積極的に推進するため、経済審議会特別部会を設置して政策提言を行ったものでございます。

 62年4月にまとめられた報告書につきましては、この4ページの下から書いてございますが、規制緩和等にはじまり、1枚めくっていただきまして、製品輸入の促進、労働時間の短縮、経済協力というように、単に国際経済摩擦の解消策にとどまらず、国民生活の向上、国際協力の推進等の包括的な構造調整策を提示することにより、3.結果にあるように、その後の緊急経済対策、経済計画の原動力の1つになったと考えております。

 それでは、次のページでございますが、政策提言の例の最後として、平成8年の「6分野の経済構造改革」でございます。背景としましては、平成7年に策定いただきました「構造改革のための経済社会計画」におきましては、グローバリゼーションへの対応や成熟社会への転換のため構造改革の必要性がうたわれました。このため、高コスト構造の是正が必要とされまして、特に10の分野を選んで行動計画がこの計画において作られました。経済審議会としましては、次の2.にありますけれども、行動計画委員会を設置し、この10の行動計画のフォローアップを実施するとともに、構造改革に際して戦略的に重要な分野である6分野に絞って、さらに具体的な政策提言を行ったものでございます。

 このときは、報告書の策定の仕方に特徴がございまして、「そして」以下に書いてありますが、行政や業界のしがらみに縛られない学者等により構成されるワーキンググループを設置し、審議会の審議に際しては各ワーキンググループ報告書を基に関係各省庁と委員との間で公開討論方式により取りまとめが行われました。これにより理論的分析を踏まえた構造改革案が提示でき、今日まで続く経済構造改革に大きな役割を果してきたと考えております。

 それでは、資料5の最後のページに行っていただきまして、今申し上げましたような政策提言の果たしてきた機能、役割でございます。2.に整理しておりますが、1番目として、重要な政策課題に関し、専門家による理論的・実証的な検討に基づき、我が国にとって適切な政策選択の提言を行った。例えば、所得政策の可否について等でございます。2番目として、関係者の利害の錯綜などにより、対応が進まない新たな問題について、専門家の客観的・理論的な提言を基にして、経済社会全体の観点から踏み込んだ提言を行った。6分野のようなものでございます。以上により、適切な政策選択やそれぞれの課題での対応が大きく進む契機となったと考えております。

 論点としましては、1番目として、以上のような認識でよろしいか。その他に政策提言が果たしてきた機能と役割としてどのようなものが挙げられるか。2番目として、経済を巡る諸課題がますます多様化・専門化している現状に鑑みれば、外部専門家等を活用した客観的な政策提言の必要性は増していると考えられますけれども、どのような形で行っていくべきかということでございます。

 以上4つの側面から過去の経済審議会の機能と役割を振り返って整理してまいりましたが、論点のまとめとして、最後に4つ挙げております。若干重複するかもしれませんが、

 1.経済審議会が果たしてきた機能、役割について以上のような理解でよいか。

 2.これらを踏まえ、これまでの経済審議会の活動を、どのように評価するか。

 その中でも特に何が重要であったか。

 3.また、十分に機能、役割を果たせなかった点はどういうものか。

 いわば反省点でございまして、これが一番大事ではないかとも考えております。委員の皆様方の厳しいご指摘を是非いただきたいと考えております。

 4.21世紀初頭の経済社会状況の中で、以上のような中長期の経済政策の形成方式の特性及び機能・役割の中で、特にどのようなものが重要になるのか。あるいは、新たな特性、機能・役割が求められるのか。

 ということでございます。

 以上でございますが、参考資料としてはほかに、内閣府と経済財政諮問会議についての資料を付けております。これにつきましては、冒頭の大臣のご挨拶にもございましたけれども、経済審議会、そしてその事務局たる経済企画庁が移行する主な先が内閣府と経済財政諮問会議ということで、この参考資料1~参考資料7まで付けておりますが、本日の議題には直接に関係しないこともあり、事前にご連絡申し上げたように、説明は省略させていただきます。

 若干時間を超過しましたが、以上でございます。

〔 部会長 〕どうもありがとうございました。

 半世紀にわたる経済審議会の仕事でありましたので、大変密度の濃い話がたくさんあったかと思いますが、当部会としましては、これらを総括して、今後の参考にしたいということでありますので、最後の「論点」にも書いてありますけれども、これまでの問題点もひとつしっかり指摘しておかなければならないと思いますし、特にこれからどういうことをお願いしていくべきだろうか、こういうことで皆さんからご自由なご議論をいただきたいと考えております。

 それでは、どなたからでも結構でございますが、ご発言をお願いしたいと存じます。

〔 A委員 〕非常に広範な範囲について的確にご説明いただいて、ご説明自体は非常に良かったと思うのですけれども、その資料5に即して申し上げれば、経済計画と展望の2つがあり、それから政策提言があるわけですが、この経済計画と展望について申し上げれば、今後どういう感じになっていくかというと、どうしても展望型になってくると思うのです。経済計画という性格は薄れてくると思うわけであります。

 それで、計画経済というものもなくなってきたし、世界が複雑になってきたので、計量的な予測もなかなか難しいというようなことも、展望型に傾いてくる要因だと思うのです。そこで、経済企画庁といいますか、今度、経済財政諮問会議をお守りをする部局の特徴は、1つは、理論的な、経済理論に即した分析を行うということであり、もう1つは、それに従って長期的な展望を示すということであり、そして最後の1つは、いろいろな複雑な事象に整合性を持たせることだと思います。したがって、経済モデルとか数値計算とか、そういうものを軽視してはいけないということだと思います。それこそが、この新しい事務局が持つ、あるいはその会議が持つ迫力だと思うわけであります。

 今までも、後の政策目標のところにも関係しますけれども、非常に各省のコンセンサスが求められるが故に、せっかくのオリジナルな経済企画庁なり経済審議会の純粋な意見がなかなか通りにくい側面があったわけですけれども、今後もそうだと思うのです。したがって、そこを通すためには、経済理論、それは数値計算に裏付けされた、そういうものがバックにないとだめだと思います。そこをぜひやっていただきたい。

 また、長期展望等につきましても、今まで産業連関分析というのも、非常に古い統計に基づいて、5年も前のIO表でやっているというようなことですけれども、IT技術などもこれだけ進展してきたわけですから、そういうものを駆使して最新の情報で、産業間あるいは経済の諸セクター間のバランスその他を的確に時々刻々あらわすような、そういう数値をお作りになって、そして、それに基づいた迫力のある議論を展開していただいたらどうか。これが経済計画と経済展望に関連する話です。

 第2の政策提言の点については、率直に申し上げて、幾つかの例外を除いては、今まであまり成功してこなかったと思います。これは経済審議会が悪いわけでなくて、経済審議会の案ができ上がるときに各省協議が行われて、そして、各省協議を通過しないものは没にされてしまう、こういうことがあったと思います。しかし、これからもそうだと思うのです。まして、内閣府にいくわけですから、そこは避けられないことだと思います。したがって、あまり政策提言の方には期待できないのではないか。ただ、先ほどご説明のあった6分野の重点的な規制改革というのでしょうか、あれは、それなりに非常によかったと思うのです。だから、ああいう方式ができるものならば、そういう方式を指向したらいいのではないか。

 世の中では、明らかにこういうことがおかしいじゃないかと言われるものがあるわけです。みんな知っていて、そういうことがある。だけど、いろいろな既得権益とかいうもので保護されて、そういうものの改革が行えないというものがあるわけですから、そういうものについて、おめず臆せず指摘をして、そして、強い世論を背景として内閣府が経済財政諮問会議の答申をバックに実行していくことが大事かと思います。

〔 B委員 〕私も、今の意見に非常に賛成ですけれども、資料5の中でも、例えば3ページの2.の)のところとか、5ページの下から2行目ぐらいのところ、あるいは6ページの2.の①のあたりとかに散りばめられてはいるわけですけれども、経済審議会の1つの特徴というのは、科学的な、あるいは経済学的に非常にロジカルな理論ないしは実証分析に基づいた長期展望なり提言をしてきたところにあると思います。

 これも一緒にご説明にありましたように、例えば長期計画等には、当然当たり外れはあるわけです。しかし、例えば外れた場合でも、きちっとしたモデルに基づいていれば、どういうショックがあったから当初の目論見が外れたということがきちっとトレースできるわけで、そういう面では、よくアカウンタビリティと言われるわけですけれども、政策のアカウンタビリティを高めるためには、これからもこういったきちっとした理論と実証に基づいた政策策定プロセスというものは必要だと思いますし、これまでの経済審議会が果してきた役割というのは、私は、煎じ詰めていえば、そこのところに一番あるのではないかと思っております。いろいろなところに散りばめられていますけれども、そういうところをもうちょっと強調されてもいいのではないかと思います。

 もう一つは、最後のところの、これまでの批判点というのは、ロジカルな議論をするということと、もう一つの特徴に挙げられている、各方面からの合意形成を図るというのは、しばしば矛盾するところがあって、これのどっちを重視するかということで、こういう合意形成の過程で論理的な厳密性というものが損なわれてしまう部分がある。かといって、みんなが賛成してくれないようなものを、なかなか政府の政策としては出しにくい。この辺が、バランスを取るのが非常に難しいところなのだろうと思うのですが、私も、もちろんこれは独善になってはいけないので、常にフォローアップ等でどこが間違っていたかということをチェックしていく必要があると思いますが、合意形成ということと、理論的あるいは実証的にきちっとした議論をすることのどちらを重視するかといえば、少なくとも経済審議会とか、あるいはその後の経済財政諮問会議とかでより重視されるべきは後者の方ではないかと思っています。

 むしろ、合意形成とか、あるいは目標をどういうふうに定めるかというのは、政治の方の役割で、こういう諮問会議とか審議会の役割は、そういう意思決定をする人たちがきちっと科学的な根拠に基づいて最終的な選択をすることができるような準備を整えることにあるのではないか、そのように思います。

〔 C委員 〕今のご意見に、若干補足をいたしたいと思います。

 1つの基本的な問題は、政府が市場経済においてどういう役割を果していくべきであり、そして経済財政諮問会議がどういう役割を果たすか。結局、そういうことなのではないかと思うのです。

 経済計画の歴史を振り返ってみますと、ここには載っていない幻の経済計画は、アメリカから援助を受けるときにマクロバランスを、政府としても用意する必要があって、それで作ったけれども、吉田さんは、そういうことはあまり好きではなかったので、幻になった。あるいは、最近ですと、中曾根内閣のときに、いわば展望型に日本の経済計画は性格が変わったのではないかというふうに思います。

 ですから、大きい意味でいえば、市場経済において、政府はどういう役割をするか。

 例えば、アメリカの場合でもカウンセル型の政策決定というのはあるわけで、私は限られた知見しかありませんが、アメリカは、民間のシンクタンクがいろいろなカウンセルという名前を自分で付けて、それで政策提言をいろいろお出しになって、それを大統領府なり、時の与党が取り込んで、政策として取り入れてやっていくというような、言ってみますと、民間のシンクタンクの知恵の競争の原理をある程度活用しながら、政策策定のプロセスに取り込んでいくということをやったと思うのです。

 日本の場合は、そうではなくて、役所の間の調整といいますか、役所の間の競争で調整が行われてやってきた。それが、ある時期まではかなり有効に機能したように思うのですが、先ほどのご説明でも、90年代に入ってから、あるいは80年代の後半からなのかもしれませんが、どうもうまくそれが機能していない。それは、単に経済審議会が機能しないということではなくて、何らか日本のマクロ経済政策全般あるいは経済政策のやり方自体が従来型ではどうもうまく対応できないようなことが起こっていて、それで未だもって、90年代ずっと計画を何度もやりましたが、一向にその目標は達成できない。どうしてなのだろうか、その原因の解明というようなものについて、ややまだ不足しているのではないかと思います。

 いずれにしましても、日本型の特徴の官庁の間で調整してそれを持って行くというやり方が、私は、ある程度もたなくなっていると思っています。

 将来はどうなるかということですが、1つは、矛盾したことを言うようですが、一方では内閣のリーダーシップが生かされることと、それと同時に、議会での民主的な決定といいますか、アメリカ型で言いますと、例えば予算ですと、予算局がお作りになって、大統領が予算のアイデアといいますか、言ってみると財政戦略のようなものを押し出される。けれども、実際の予算案は議会で決定されるというプロセスを経るわけであります。将来の経済財政諮問会議がどういう役割を果たすべきか、私はまだ明瞭ではないところが多いと思いますけれども、ある意味では、内閣の持っているリーダーシップといいますか、そういうものが生かされるものにすべきではないか。

 そこの調整、これまでの役所のレベルでの調整というのは、今の世の中では非常に難しくなっている。戦後直後であれば、通産省とか大蔵省とかが財政資金なり財投なりを使ってやれば相当のことができたということだと思うのですが、今はそうではない。

 これまでの計画でも、社会資本の整備ですとか、今は公共事業の配分が問題になっていますけれども、では、そういう問題があるということをなぜもっと早くから経済計画は指摘できなかったのか。本当は、枠組みを、そういうことをやっていたのではないか、こういう問題点もあろうかと思います。

〔 D委員 〕今の話をずっと聞いていて、恐らく初期の時代は、経済全体で計画型というのはある程度成功したのだろうと思うのです。中後期になると展望型になるのだけれども、そこは目先対応に追われてしまって、本当は中長期の展望というのはすべて先送りになってしまった。特にこの10年間は、「失われた10年」というのは、実はそういうことだったのではないのかと思います。

 そういう点で言いますと、初期から中期にかけては、ある程度経済審議会の役割というのは成功してきたのだけれども、ここ10年、80年代後半ぐらいからは、あまり成功してこなかったのではないかというのが、1つの感想です。

 それがなぜなのかということの1つのポイントとして、僕は、感性という問題が1つあるのではないかと。初期の頃というのは、「アメリカに追いつき追い越せ」、あるいは「欧米の生活水準に追いつき追い越すのだ」というのは一方で数字のように見えながら、国民全体が感性的に自分たちの生活をイメージできたと思うのです。

 例えば、欧米の住宅を見たり、芝生のある家を見たり、電気冷蔵庫があるというように、具体的にイメージできたわけです。そのことが、例えば所得倍増というような具体的な数字を出されたり、GNPが8%ですよ、9%ですよと言われると、「ああいう欧米的な生活ができるのだな」というイメージに直結したのではないのかなと僕は思います。

 また同時に、あの当時、堺屋さんが団塊の世代の小説を書いたり、あるいは「パパママストア」という言葉を使っていましたけれども、今のコンビニの小説を書いていたりした。そういう小説を読んだり、あるいは欧米の生活を見ることによって、実は感性的なイメージをすることができた。

 それを経済企画庁、経済審議会が、そういう感性的なことを言わなくても、我々の頭脳の中にあって、それを経済的な数字で提示されれば「なるほど、ああいう生活ができるんだな」というところに我々は納得していたのだろうと思うのです。

 しかし、ある程度欧米型の生活に追いついた後に展望型になってきて、恐らく、「これからはこういう生活をしますよ」というふうに言ったのだけれども、そこで出された経済各官庁の10年、20年先の展望というものが、何か国民にとっては感性的に言うと、今いちリアリティがない、ということがすごく大きかったのではないか。

 そこには、欧米的な目標もあまりなかったわけです。そこへ、何かリアリティがあるように展望を出すのだけれども、我々はあまりリアリティを感じなかった。つまり、感性が不足していた、というのが非常に大きな点だったのではないか。

 これを官庁同士でいくら調整しても、感性的に国民にアピールするものがなければ、どんどん国民と遊離してしまう、というのが実態だったのだと思います。

 これは、僕の単なる想像ですけれども、経済企画庁は、そこに、気がついたのだと思うのです。したがって、数年前から「豊かさランキング」なんていうのを出し始めた。暮らしとか、教育とか、働くとか、遊ぶとか、癒しとか、今までの諸官庁には考えられなかったような、そういう「豊かさランキング」の指標を8つか9つぐらい出して、そしてそれを何とか数値化しようという試みをしたと思うのです。しかし、そこに採られた統計というのは、僕も見たのですけれども、我々が生活、癒すというところにイメージするようなランキングの指標になっていない。あるいは、遊ぶというイメージするようなランキングの指標になっていない。つまり、国民の感性をきちっととらえたような指標作りになっていないために、あの「豊かさランキング」というのも、せっかく作ったのだけれども、むしろ低く抑えられた県からは反発が出るとか、そういうような形になっていて、結局は、あまり意味をなさなかったというのが、僕は実情だったのではないのかと思います。

 そういうように考えますと、僕は、経済学的なロジックだとかいうことを基盤に置きながらも、実は、「感性的な要素を取り入れた新しい、10年後、20年後はこういうふうにすると居心地のいい社会になるんですよ」、「こういうふうになると本当に暮らしやすい社会になるんですよ」ということを、もう少し国民の生活レベルにマッチしたような、新しい感性的なリアリティのあるイメージをまず描く必要があるのではないか。そして、では、そういう社会にするためには一体何が障害になっているのか、という逆の方法を考えたらいい。その障害になっているのは、こういうようなインフラが足りないんだ、こういう規制があるんだ、こういう問題点があるんだ、というようなことをまず提示する。そして、それを除去すれば、実はこういう本当にリアリティのある豊かな居心地のいい社会というのができるんです、あるいはコミュニティを通じた社会ができるんですといった、そういう国民へのプレゼンテーションということが非常に大事ではないかと思います。

 ただ、問題は、感性というものをどうやって具体的に取り出していくのかということだろうと思うのですけれども、今の「豊かさ指標」で8つか9つのランキングがあるというのは、かなりいいテーマのとらえ方だと思います。あそこの中身をもうちょっと国民生活にマッチしたように変えていけば、リアリティのある展望型の計画が出せるのではないかと。そして、そこに、その展望を裏付けるような、具体的にそのためにはこんな成長率が必要です、こんな規制は撤廃した方がいいです、こんなインフラ整備が必要です、こんな財政構造が必要です、という形で経済的な、理論的な裏付けをしていくと、僕は、もうちょっと国民は、政府が出すそういう展望型のものに対して食いついていくのではないかいう感じがいたします。

〔 E委員 〕関連資料5の今までの経済計画の総覧を拝見していますと、感慨無量なものがございまして、私の人生の大半をこれはカバーするものですから。

 最初の点で、先程各省間の意見調整の問題等が出ましたけれども、これもしかし、善意に解釈すれば、限られた有効な資源をどれだけ効果的に経済成長に結び付けていくかというための議論であった。 100%の点数をもらえる答えではなかったにしても、この経済審議会の計画がそれを調整しながら比較的うまくまとめて今日までに至った。

 一番の問題は、先程指摘されましたけれども、最近時点での計画のところの難しいさ。1つは、成長型経済から成熟型経済に移っていたという認識が、我々は最初、欠けていたかな、遅れていたのかなという感じがしております。生活大国5カ年計画あたりでは、大分そういう議論もしたつもりですけれども、その点がちょっと遅れていたかなという感じがいたします。

 それから、今後の問題についての意見ですけれども、2点ございます。1点は、各省間の意見調整というか、各省の意見は今後も、経済財政諮問会議で吸い上げられるべきだと思います。しかし、結論を出すのは、今度は内閣が責任を持ってやるのだという形になるようでありますから、そこは従来よりも、あるいはきっちりした政治姿勢みたいなものが出るかもしれませんけれども、あくまでも基本は各省の意見は意見として吸い上げるべきだと思います。

 もう一つは、計画型よりは展望型になるのだろうという感じは、まさにそうでございますけれども、今後どういう方向から行くかというときに、私は、日本よりも相当早く成熟型経済に移行している国の個人消費の内容を分析してみて、そして、三種の神器時代だとか、3C時代だとかいわゆる耐久消費型のものであった時代ではなく、限られたお金・限られた時間をどういうふうに使っているかということを細かく分析をしてみて、その中で日本に合わないものもあるでしょうけれども、日本ではどうしてこういうところにもっと国民がお金を使わないのかなといった場合に、それを阻んでいるネックがあれば、それを政策的に取り上げて直していこうというようなことが、今後の1つの大きな課題になるのではないかと感じております。

〔 F委員 〕今までの評価と今後の役割に関してですが、比較優位をどこに置くかということで、きちっとした経済分析を行うということだと私は思います。そのようなことが行われれば、先程の委員もおっしゃっていたことですけれども、たとえ将来の現実と計画を作った、あるいは展望を作ったときの予測とが異なったものになったとしても、どういう理由でそうなったのかということがわかるわけです。ですから、きちっとした経済分析を行うことが非常に重要であろうと思います。

 そのときに、経済分野でも急速に技術進歩もありまして、そういったものをどのように利用するか、活用するかということが重要かと思います。

 もちろん、新しい技術を使って分析をするのが好ましいわけですが、それが一般の人にもわかるような形で説明できれば、非常にいいのではないかという気がいたします。ですから、その辺に力点を置いて経済分析をしていただければよいのではないかという気がいたします。

 2番目に、過去の経済審議会の評価ですが、これは有名になった世界銀行の「東アジアの奇跡」の中で、審議会というものが非常にすばらしいという評価を与えたわけですが、私は、実際にそうだったのかと。そうであれば、もう少しきちんとした評価を行って、そのような結論を出すべきではないかという気がしています。

 もう少し具体的に言いますと、例えば所得倍増計画でも、先ほど説明していただきましたように、かなり細かい数字が出ているわけです。そのような数字が果して、例えば予算編成のときにどう現実として反映されたのか。その辺は、私は知らないので問題として取り上げているわけですが、そのような政府内での、ここで出された経済計画に対する姿勢といいますか、そういうものがどうだったのかというのが第1点。

 それから、企業がここでの計画をどのように見ていたのか。確かに、これも先ほどご説明がありましたように、審議会のメンバーとして財界の方が多いわけですが、実際に財界の方々あるいは企業は、ここで出されたような数字をどのように見ていたのか。投資計画の中に本当に、この経済計画の数字を頭の中に入れて計画を作っていたのかどうかということ。このようなことをきちっと分析して、なるほど審議会での議論の内容というものが、政府そして企業、こういった経済主体の行動に大きく影響を与えたのだということであれば、世界銀行が言うように、審議会の役割というのは非常に強かったというふうに結論付けることができるかと思うのですが、そこのところの作業というのはまだやられていないような気が私はしています。

 ですから、もし経済審議会45年史とか50年史とかいうものを編纂されるとかいうのであれば、そういうところをきちっとやっていただければ、今、途上国に対していろいろ経済発展に関する講義などを私自身しているわけですが、そのようなときに、日本の経験というものをもう少し胸を張って講義できるのではないかという気がしています。

 それとの関連で、これはもう少し違った観点からの評価なのですが、日本のマクロ経済に関して、IMFとかOECDとかと協議するわけです。そういう中で計画が、どのような位置にあったのか。それが議論の中に入っていたのか入っていなかったのか。もし入っていたとすれば、どのような形でその協議の中で議論されたのかということが非常に興味があります。それによって、ある意味での国際的な評価、経済審議会あるいは経済計画に対する国際的評価がどのようなものであったのかというのがわかるような気がいたします。

 続きまして、展望ですが、これは先程の委員のお話をなるほどと思ってお聞きしていたのですが、ただ将来を考える場合に価値観というのが非常に多様化している。これは私、自分の子供と話していてもチャンネルが全然違うのじゃないかと思うことがよくあるわけです。また、大学で教えていますといろいろな学生がいます。ですから、将来展望をする場合に、例えば「何が豊かさなのか」ということに関して合意はないような気がするのです。そういう意味で、例えばシナリオを作るとしても、シナリオ1、シナリオ2、シナリオ3と、幾つか目標を掲げて、それに対応するような政策を考えるというようなこと。つまり、シナリオは1つではないのだということを強調すべきだという気がしています。

 これは、最後の問題点というよりは、もし情報があればいただきたいということなのですが、経済審議会が果してきた役割として3つ挙げられました。そして、計画、展望については、これはすべて網羅されていると思うのですが、政策提言に関して3つお話ししていただいたわけですけれども、この中に入る活動として、ほかにもし何かあるのであれば、この3つだけでなくて、かなり多いという印象で先ほどお話していただいたと思うのですが、これがどのようなものであったのか。つまり、リストなどをいただければ非常にありがたく思います。

 以上です。

〔 部会長 〕ありがとうございました。いろいろなご注文といいますか、資料的なお話もありましたが、それはまた事務局の方で検討していただくことにしたいと思います。

〔 G委員 〕私、過去10年間以前は日本におりませんでしたので、この時期に関して個人的な体験はありませんので、外の視点といいますか、感想として4 点ほど申し上げたいと思います。

 「論点のまとめ」の4点、第1点の機能、役割に関してですが、私は単純に外から見て考えることは、経済審議会の役割は、1950年代から70年代というのは政府主導、日本の経済復興に貢献する、そういう役割であって、80年代になりますと日本が豊かになって、むしろ、国民の願望とか将来のことを何を期待するかということをある程度反映している、豊かな生活大国とか、生活者大国とか、80年代になってからは役割がある程度変わってきたのではないかと理解しています。

 2番目としては、どう評価するかですが、単純に申しますと、外ではたぶん、日本の審議会制度に対して相当ポジティブな評価もあるとは思います。そういう意味では、戦後の日本の復興のために非常に建設的な役割を果して貢献されたとは思いますが、1つ感じることは、80年代に機能が変化して、先ほどからも何人かの委員からありましたが、どれだけ政策に関連したのか、悪く言いますと評論家的な展望、そこのギャップがある程度外から見たら感じるのではないか。50年代から70年代というのは、かなり日本の経済復興と密着した形の機能を果たしたのが、それから、どれだけ政策に反映されているかというのがあまりよくわからないのが80年代以降ではないかと思います。

 2点目としては、日本の経済の復興を中心的な目標としていましたので、生産者を重視する。そういう作業を、80年代頃までは、生活者あるいは消費者よりむしろ生産者に重点があったのではないかと思います。

 3点目としては、評価の面ですけれども、世界における日本の役割に関してちょっと不思議に思ったことは、数字の面では50年代から70年代というのは日本の対外輸出とか、貿易均衡とか、そういう数字がかなりはっきり指標として出ていたのが、80年代になってから、こういう具体的な数字があまり出なくなった。しかし、生活大国とか、ほかの国と共生あるいはうまく貿易関係や経済関係を保つ必要性という願望は示しているわけですけれども、具体的な統計から、数字から言いますとむしろ欠落していることが、私から見るとちょっと不思議だなと思いました。

 3番目の反省点ですが、これも外から見てですが、4つほど気が付いたのです。1つは、何回かご発表の中で「客観的」という言葉があったのですが、果してこれが「客観的」という言葉が使えるかというのが、ちょっと疑問に思ったのです。経済分析、方法論、理論の面では客観的なのかもしれませんけれども、前提条件とか、政治的あるいは国家目標ということが念頭にありましたので、どれだけ客観的という言葉が使えるかというのが、ちょっと疑問としてありました。

 2点目は、どれだけ参加者が多様かということです。これはアメリカ的、あるいはヨーロッパ的水準で見るのが正しくないかもしれないのですが、実際に多様な参加者が委員としているとすれば、ある程度は反対意見とか、少数派意見ですか、マイノリティオピニオンとかディセンティングオピニオンというのが表明されても不思議でない。本当にこれだけコンセンサスがあったのかな、あるいはコンセンサスが形成できる形の人たちが参加されていたのかなというふうに、外から見た場合に感じる面があります。

 3点目は、グローバルな視点というのが80年代からは、願望といいますか、言葉の面で相当、特に外との経済摩擦を巡ってありますが、実際に経済審議会としてどれだけ具体的な解決策を表明したかというのがよくわかりません。

 4点目としては、実施です。実際に提言あるいはこういう方向に行くだろうということが示されてから、5年後とか10年後に、どれだけ正確に予測されたか、どれだけ提言されたことが実施されたかという事後点検といいますか、そういうことをもう少し期待できたのかな。

 そういう4つが、私が外から見ての反省点です。

 4番目の、これから新たな経済財政諮問会議に対して、私は個人的に期待していることは4つありまして、1つは、市場機能を重視することです。先ほど申しましたように、政府主導でなく、もう少し市場のことを重視する。

 2点目は、消費者あるいは生活者の視点を反映するということです。生産者はもちろん重要ですが、それに対するバランスとしての生活者あるいは消費者。

 3点目は、グローバルな視点です。世界における日本の役割を常に念頭に置いていただきたいということです。

 4点目は、先ほど申しました事後点検といいますか、外から見ますと、日本からいろいろな形の報告書が、「前川レポート」とか「平岩レポート」とか「経済戦略会議」とかたくさんレポートがあるわけですけれども、それが具体的にどれだけ実行されているかということに関していろいろ疑問もありますので、そういう面で、実施状況についての評価もしていただければということです。

 以上です。

〔 部会長 〕あと時間が20数分となりまして、1人2~3分でご発言いただくと、全員の方にご発言がいただけます。なるべくなら全員にご発言いただければと思います。

〔 H委員 〕では、私は4点ほど申し上げます。

 先程、財界としての活用云々のお話もございましたので、私は、財界として言わせていただきます。

 経済審議会は、もともと会長は経団連の会長がここのところはずっとやっているわけです。そういう点では、財界の人がたくさん入っておられまして、この数値については、財界では、私どものような企業についても大変重要視しているということを申し上げたい。

 したがいまして、ここでの数値というものは、長期的な展望なり、あるいは長期計画なりというのは、企業としては絶えず留意している。

 もちろん民間のエコノミストはこれを利用して、いろいろなシンクタンクも使っておりますけれども、そういったものはすべてこれがベースになっている。私はそういうふうに思っておりますので、一言申し添えさせていただきたい。

 したがって、先程おっしゃいましたように、まずは経済審議会で計画数値をきちっと固める。それでもって、すべての調整が行われることが望ましいのではないかと思います。

 3点目でございますが、ただ問題は、各省との意見の調整は当然出てくるわけでございます。小渕さんになってから「経済戦略会議」が出た。これは、これに対する反省ではなかったかと。今日のは経済審議会の過去の経緯だったので、私は残念だったのは、経済戦略会議はどういう位置づけであって、どういうふうに見ておったのか、我々としては。ここ数年間ご一緒させていただいたときに、大臣の方からは、経済戦略会議というのは短期の問題であって、長期は経済審議会です、こういう話があった。これはもちろん閣議決定ですから、それなりの各省の調整がある、そういうことではあったのですが、そのあたりの反省点を少し考えておく必要があるのではないか。

 4点目は、先程の感性の問題、いろいろありますけれども、私は反省をしてみると、ベルリンの壁崩壊以来、東西の冷戦構造がなくなったということ、ボーダーレスエコノミー化になったということ。同時にIT時代になって、高度情報化になって瞬時に情報が行き渡る。つまり、マスコミその他が、我々の考えている以上に早く世界の情勢をキャッチして、国民に流す。それに対して、経済審議会としての出てきた数値というものがどういう形で国民各層にいかにディスクローズして、彼らの下支えを得られるか、納得性を得られるかということ。特に、最近の新しい経済体制のあり方については、「あるべき姿と経済新生の政策方針」ですけれども、これについては相当国民各層に、我々も各地に出掛けて行って対話をしたわけですが、そういったものは今後もやらないと、経済財政諮問会議が奥の院に入ってしまって、どういう議論が行われたのかということがわからないのでは、国民の総意は得られないのではないか。この点をぜひ気を付けていただきたいと思います。

 以上4点でございます。

〔 I委員 〕4点申し上げたいと思います。

 1つは、もし経済審議会が科学的とかモデル分析とか、先ほどの特色があるとしたら、当然この評価の方もそうなっているべきものであろうかと思います。

 それから、科学的にやったときに、計画の評価をする以上は、計画の評価とは何かということを、いろいろな見方があるのですが、一応この評価をするときはこういう視点から評価しましたという土俵をはっきりする必要がある。例えば3つ挙げるとすると、時代認識とか、現状分析とか、将来見通しという軸が1つあり、もう一つは、提案した政策がよかったのかどうかという軸があり、3番目は、その政策が具体的にどう実行されたかという軸がある。そういったたぐいの評価をする舞台を指定しておかないと科学らしくはならない、ということを申し上げます。

 そのときに特に重要なのは、今日の資料、簡単な調整でうまくできるような気もいたしますが、問題は時代区分が非常に不明確になっている。つまり、これが重要だと挙がっているのが「前川レポート」だったり、これが時代区分かというとそうではない。50年間というのは、そこをはっきりさせる必要がある。そこに初めて歴史認識が出てくるのだろう。

 もう一つは、計画の対象とするプレーヤーが特定されていない。先ほどから、他省庁との調整を云々がありましたが、それ以前に、審議会で出たことは経済企画庁の所管ですから、経済企画庁自身の政策についてはかなりリジッドにくっついている。他省庁になると少し違ってきて、民間になると、社会主義ではありませんから、当然、コントロールの度合いが違ってきている。そういうレベルを前提にして、ではどういうプレーヤーを前提にして議論してきたのか。どこがうまくできなかったのか。こういうところが少し甘くなっているという気がします。

 最後は、検討対象というか、分析でも何でもいいですが。対象として間違ったことよりも、対象としなくて間違ったことがうんと多い。そういう視点から見ますと、例えば、地域経済は各時代の各ブロック毎の経済はどうだったか。あるいは、日本の都市というものがどういうふうに評価できたろうか。国際とか、環境とかはどうだったのか。こういう我々が対象にしてこなくて、日本はおかしくなったかもしれない。例えば、単身赴任がこんなにたくさんある国はどこにもないわけです。何でこんなことが起こったのか。いろいろなことがあろうかと思います。そういうところに視点を当てることが、評価をし直すときにはいいかなと。

 将来のときも、国内だけでいいのか。アジアの近隣諸国の分析をどうやっていくのか。あるいは、今まで対象としてこなかったために失敗した現象領域を、どう我々はこれから扱っていけばいいのか。あるいは、先ほどの新しい体制は、予算と財政と経済という時間軸上違うものを非常に少人数でやるときに、本当にそんなことができるのかとか、問題点は割合クリアにできるような気がします。

〔 J委員 〕私も前のことはよくわからないのですけれども、今日のご説明を伺う限り、政策提言などは、その時代その時代に本当に重要なことが提言されていると思うのですが、先ほどもどなたかがおっしゃっていた、実行されたかどうかというフォローアップ。もちろん、実行されたものもあるのでしょうけれども、もうちょっとフォローアップがちゃんとできる仕組み。アクションプランを誰が責任を持って作って、どう実行するか、これは予算措置が伴わないとできないこともあるでしょうけれども、予算措置を伴わなくても、例えば規制緩和とか撤廃とかはできるわけですから、そのあたりがもうちょっと実行レベルにどう結び付けるかということが課題ではないかと感じます。

 長期展望ですけれども、これは私の誤解もあるかもしれませんが、20年先を20年毎に見通すようなところがあって、私は、20年というのは今のように変化の激しい時代には長いですけれども、それでも国家として20年ぐらい先を見通した展望を持つということは重要だと思うのですが、それを10年毎とか20年毎にやるのではなくて、20年を見通した展望を、例えば3年毎とか5年毎に、もう一回これを書き換えていく、そういうやり方も1つの方法ではないか。10年とか20年とか時代を区切ってしまうというところに、今の世の中の変化にそぐわない面があるのではないかと思います。

〔 K委員 〕先ほどのご説明をお聞きして、私は、企業経営と、地方都市から来ている人間という観点から申し上げたいのです。

 ビジョンとか展望、あるいは意志というのは、どんな組織にもあるはずです。それが戦略とかアクションプラン、マネージメントスタイルというものに、一貫性あるいは整合性が取れていなければならない。そういう点からすると、初期のあるいは中期までは、経済審議会というのは、西欧キャッチアップという中で、私は非常にうまく機能したんだと思っているのです。これは当然、中央官庁主導とか、規制があるとか、調整があるとか、分配であるとか、措置であるとか、あるいは供給者中心とか、中央官庁主導という形でないと、たぶんできなかったと思います。ただ、それが次にどういう国柄にするのだという、国の意志というものが、私はまだ明示できていないように思うのです。

 例えば、先ほどお配りいただいた関連資料10の「2010年への選択」、この中にも「これから目指すべき社会」という項目がありますが、ここに2項目あるのですが、私は、今までの西欧キャッチアップで国挙げてやってきたというものが、多様な個性溢れる地域の集合体、そういうイメージというのがまだまだ描ききれていないのではないか。あるいは、多様で個性あるサービスがどんどん出てくる、ITなどはそれを非常に支援するのだろうと思います。さらに、教育の分野においても、多様な個性ある人材をどう育てるか。そういう基盤整備は今までやってきたけれども、そういう人的資本も含めた、これからの社会における投資を何にするのだということが描ききれなかったために、例えば、バブル前の高度成長期に、相変わらず経済、経済といって、社会が多少混乱しても経済による手法しかなかったものですから、何に投資したらいいかわからないということになったのだろうと思うのです。

 そういう面からすると、私は、今申し上げたようなこれからの国柄をつくるとすれば、当然、地方分権とか、地方主権とか、イコールフッティングとか、規制緩和とか、行政における効率化であるとか、あるいは高齢化社会における基盤整備とか、そういうアクションプランがきちっと結び付いてくる。そういうことをしていかないと、どういう国柄を目指そうとするのか、地方の人間に全く聞こえてこないのです。それは、国民、東京だけが多くいる人ではなくて、多く地方にいる人たちが実感が得られるような展望、ビジョンというのがほしいと思います。

〔 L委員 〕それぞれごもっともな意見ということで拝聴しておりました。私から特にありませんが、展望型になるということはやむを得ないのですけれども、基本的なフレームというものは、できるだけ大枠はきちっと固める努力は常にされる必要があるのだと思います。

 そういったものがないと、ふやふやしたことになり過ぎても問題がある。その意味では、最初の委員が言われたように、データの分析なり、収集なり、できるだけアップツーデート、現在に近いものをと、その勉強だけは今後もお願いできればと思います。

〔 M委員 〕それでは申し上げます。1つは、コンセンサスと申しましても、委員の中のコンセンサスではなくて、むしろ政府が何を考えているかとか、ほかの省庁がどういった考えを持っているかというところに配慮し過ぎているのではないかという印象を持ちました。

 それから、計画の方で成長率が高めに出てしまうときには、ほかの、例えば財政計画とか、そういったところにも影響を与えるので、その点は注意した方がいいのではないか、というのが今までのごくごく簡単な私の感想です。

 次の2つについては、今後のことで申し上げたいと思います。経済審議会に期待するものは、精緻な経済分析というのもありますが、それはシンクタンクにも期待してもいいわけで、政府内部にあるということでは、日本経済をどうやってこれから構造改革していくのかということについて、例えば6つの領域の話のように、ワーキンググループでやっていくというようなのをこれからも続けていただきたいのですが、ただ、言っておられることは本当にみんながうなずくようなことなのですが、ほかの省庁の管轄に属することが多いのでご遠慮されることがあるように、横から見ると、見受けます。もう少しPRとか、その政策を実現するという執着心といいましょうか、どの省も今のところではいろいろな形で交渉によって合意形成していくわけで、条件はほとんど変わらないと思われますので、執着心という言葉が適当かどうかわかりませんが、そういったものがあってもいいのではないかというふうにお見受けします。

 それから、経済計画ですが、これは必ずしも経済分析に沿ったものでもないように見受けます。例えば、時の首相のお声がかりでしたようなものも見受けられますけれども、そういったことに対して、例えば、日本型福祉社会の実現を提唱というふうに大平内閣のときになっています。今ここにおられる先生方で、この計画を立てられた先生方がおられれば申しわけないですが、日本型福祉社会の実現というのは、果して正しい提言だったのだろうかどうかということについても、批判もかなり出ているわけです。こういった、今までも出たと思いますが、計画そのものが日本を展望するうえで果してどうだったのかという総括とか評価というものを、もう少しした方がいいのではないかと思います。

〔 N委員 〕大体今までの方が発言されておりますので、私は、ちょっと違う観点から1、2申し上げたいと思います。

 経済企画庁、この審議会自体は、行政に対する第三者機関という恰好です。審議会の附属機関でありますけれども、第三者の意見が一応出てくる。ただ、これを実際に行政に移すわけですが、これを予算化する、あるいは法制化するとなると、行政庁との調整はどうしても必要になります。そういう意味で、この調整の仕方がよかったかどうかという点についてはいろいろ議論があろうかと思いますが、これは今後の過程においても大事だと思います。

 経済財政諮問会議ができますが、今の審議会のような形で、第三者から意見が出てくるという形がなくなってきて、経済財政諮問会議の構成委員が民間から4人、あるいは閣僚は6人と言われていまして、それで本当に外部の意見が正確に、また自由に出てくるのだろうかという点が、私は非常に気になります。そういう意味で、今後の経済財政諮問会議の運営に当たっても、外部からの意見をできるだけオープンな形で汲み上げる、このことが必要ではないかと思っています。

 第2点は、これからの会議で大事なのは、今までの審議会の反省が1つあろうかと思います。この中でも、おもしろかったのは、関連資料10「長期展望の背景、概要、その後の動き」の最後に「長期展望後の動き」というのが出ております。これは一種の長期展望のフォローアップですね。各計画についても、こういう形でフォローアップして、どこが間違ったのか、どこがよかったのかということは必要だと思います。

 この中で私が気になっておりますのは、過去10年ぐらい、バブルのときと、97年に橋本内閣の6大改革がでました。そのときに経済審議会として計画の見直しなり、フォローアップなり、方針をもう少し積極的に、また前向きにやらなかったのだろうか。その点が、今おっしゃられた10年というものにつながっていたという感じがします。さっきはフォローアップという話もありましたし、見直しその他、それは機動的にやっておくことが一番大事だと思います。

 特に、これから一国の政策方針というのがやはり必要でありますけれども、これだけIT化が進み、グローバリゼーションが進んでいきますと、長期固定的なものはもうできないと思います。それに対して、片方では目標は必要でありますから、その目標をしっかり立てると同時に、随時機動的に見直して対応していくことが一番必要ではないかと思います。

〔 O委員 〕政策提言の活動が私は非常に重要だと思いますが、具体的にこの方法論に関連して申し上げますと、例えば、関連資料5の一覧表の下から2番目の構造改革の計画のときに、行動計画委員会での議論というのがあったわけですが、1つの大きな政策の構想なり現状認識を踏まえまして、学者の方々を中心としたワーキンググループが6つの部門の政策課題について意見をお出しになって、それを巡って委員の人たちと、それに関連した各省庁との間の議論がこういう場で行われたというのは、いわゆる政策の各省庁との調整のあり方として大変ユニークだったのではないか。といいますか、今後とも、もう少しそういうやり方をリファインしていく必要があるのではないか。

 つまり、政策の調整といいますか、各省庁の考え方を全体としての政策の中に取り込んでいかなければならないというのは当然ですが、それを密室でとは申しませんけれども、そういうところでやるのではなく、こういう公開されたところで、各省庁の考え方と経済審議会なり特別委員会の考え方なりとの擦り合わせをやっていくというのは、私は、非常に意味があったし、今後ともああいう方法は生かしていけるのではないかという気がいたします。

〔 部会長 〕どうもありがとうございました。本日は、皆様から大変有益なご意見をいただきまして、当部会として、ぜひとも与えられた課題達成に邁進したいと思います。

 部会の今後の審議のやり方についてもいくつかご注文ないしは意見が出ておりますが、この点については後ほど、また事務局と相談させていただきまして、できる限り実現していきたいと思います。同時に、委員の皆さんにいろいろ、逆にお願いするようなことになるかもしれませんが、そのときはよろしくお願いいたします。

 それでは、ずっとお話を聞いていただきました小野総括政務次官の方から何かございましたら、お願いいたします。

〔 総括政務次官 〕経済審議会総括部会の諸先生方には、本当にお忙しいところをご出席いただき、また熱心なご議論をいただき、心から厚く御礼申し上げたいと思います。

 堺屋長官の方から冒頭にご挨拶させていただきましたとおり、今、日本経済はいろいろな課題がございます。さらに、経済企画庁といたしましては、来年1月より、内閣府の中の経済財政諮問会議という形になってまいりまして、今以上に内閣総理大臣ないしは内閣というものをお支えいただいて、知恵の場として、これからの日本のあり方を、予算の面、経済の面、財政の面それぞれにおいて支えていかなければならないというような非常に大きな役割を担っていくことになってまいります。それに伴いまして、約半世紀にわたりました経済審議会の幕を閉じることになっているわけですが、これはむしろ、これから発展的な意味合いでの解消ということになるわけでございまして、先生方からのさらなるご指導をよろしくお願い申し上げたいと思います。

 混迷の時代と言われますが、今私たちはどこにいるのか、これは分析的な課題という面での問題であろうと思います。それから、未来の日本をどういうものにしていくのかという意味合いでの展望の問題。さらに、それの間をつなぐものとしての政策の課題、これらがこれまで以上に厳しく問われていきながら、この混迷の時代の中にあって日本がよりよい国になるように頑張っていかねばならないというのが、我々の決意でございます。

 重ね重ねでございますが、どうか今後ともよろしくお願い申し上げます。

 今日は、本当にご審議ありがとうございました。

〔 部会長 〕どうもありがとうございました。

 なお、時間の都合等で十分発言できなかったような点につきましては、事務局まで、Eメールでも、ファックスでも、電話でも、口頭でも、ご連絡いただければありがたいと存じます。今後の審議でも引き続きご発言をお願いしたいと思っております。

 次回につきましては、既にご連絡しましたとおり、10月10日火曜日の午後4時から6時までこの会議室で開催いたしますので、ご参加のほどよろしくお願いいたします。

 それでは、本日の議事はこれで終了させていただきたいと思います。どうもご協力ありがとうございました。

-以上-

(連絡先)
経済企画庁 総合計画局 産業班
Tel 03-3581-0977