第3章 第1節 アメリカの労働市場の特徴と課題

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アメリカ経済は1991年以降長期の景気拡大を続けているが,゛この間の就業者数の増加は約1,400万人(注1)に上っている。また,失業率は92年にピークを迎えた後低下し続け,98年4,5月には4.3%と約28年ぶりの低水準となり,その後も低水準を維持している。このようにアメリカの雇用動向が好調であるのは,アメリカにおいては,従来から指摘されてきたように,他の先進諸国と比較して労働組合組織率,最低賃金,失業給付額が低いなど,労働市場が柔軟であったことも要因の一つであるが,それに加えて,(1)低インフレにより景気の長期拡大が可能となっており労働需要が強まっていること,(2)製造業における大企業などのリストラによって生した余剰労働力を中小企業や新規設立企業などの雇用創出が吸収したこと,(3)労働移動コストの低下や人材派遣業の成長などによって労働需要に見合った労働力の供給が円滑に行われたこと,といった要因が相互に良い方向に作用し合ったためであると考えられる。

しかし一方で,解決されていない構造的な問題も抱えている。80年代から指摘されている実質賃金の伸び悩みや所得格差の拡大などの諸課題は,改善の兆しがみられていない。国際競争の激化などから大企業を中心として引き続き大規模な人員削減が行われており,労働者のJob Security(Stabi11ty)は景気が好調であるにもかかわらず高まっていない。ここ数年では,労働需給の逼迫に伴う問題も生じている。

以下では,現在のアメリカ労働市場の好調さを支える要因についてみた後,アメリカ経済が上記の諸課題と問題点にどのように取り組んでいるのがについて整理する。

1 長期の景気拡大が生む旺盛な労働需要

90年代半ば以降におけるアメリカの雇用動向の特徴は,1)失業率が低下しつつもインフレが顕在化しない→2)低金利の下で景気の持続的な拡大がもたらされる→3)その結果旺盛な労働需要が続く→4)更に失業率が低下する,という好循環が働いていることである。

この低失業率と低インフレを両立させている主な要因は,労働市場の柔軟性によりNAIRU(インフレを加速させない失業率)が低下してきている可能性があることに加え,(1)価格面からは,1)医療費の抑制などによって雇用コストの上昇が抑制されたこと,2)ドル高やエネルギー価格の低下等によって物価上昇率が低く抑えられたこと,3)タイミングのよい金利引上げによって物価が安定していること,(2)雇用面からは,労働時間が柔軟になっていることなどが雇用増につながっている側面もある(注2)。

(強まる労働需要)

最近は,労働需要が強く,労働力確保のための企業間競争がかなり激化しているといわれている(注3)。そこで,最初に,最近のアメリカの労働市場では労働需要が非常に旺盛であることを明らかにすることとしたい。

まず,実質GDPについてコブ=ダグラス型生産関数を用いた潜在生産能力を計算し,そこから需給ギャップを求めると,96年以降,需要超過傾向にあり,労働や資本に対する需要が高くなっていることを示している(第3-1-1図)。

次に,現下の労働供給に対して労働需要が強まっていることを示す。実際の労働市場では失業と欠員(空席があるのに埋まっていない状態)とが常に併存しているが,失業・欠員分析から導かれるいわゆる均衡失業率は,失業と欠員が一致ずる場合の失業率を示しており,実際の失業率がこれを下回っていれば,労働供給不足・需要超過による失業率の低下が生じており,上回っていれば労働供給超過・需要不足による失業率の上昇が生じていることを示すものである。推計された均衡失業率と実際の失業率の推移を比較すると,94年以降,実際の失業率が均衡失業率を下回っている。すなわち,94年以降,労働供給に対して労働需要が強くなっており,このことが失業率を低下させているといえよう(第3-1-2図)(注4,注5)。

以下では,失業率が著しく低水準となっているにもかかわらず,インフレが加速しない要因について検討を試みる。

(NAIRUは下がっているのか)

NAIRU(Non-Accelerating Inflation Rate of Unemployment),NAWRU(Non-Accelerating Wage Rate of Unemployment)はそれぞれ物価上昇,賃金上昇を加速させない構造的な失業率のことであるが,これらが低下していれば,経済が低インフレ体質になっているため,失業率が低下しても物価が上昇しにくい。

このNAIRU及びNAWRUは,失業率とインフレ率の間のトレード・オフ関係を示すフィリップス曲線をもとに考えることができる。このフィリップス曲線上の失業率とインフレ率との関係のうち,NAIRU(NAWRU)は,安定的なインフレ率と両立する失業率によって定義される。したがって,インフレ圧力は,失業率がNAIRU(NAWRU)を下回っているときに増大し,失業率がNAIRU(NAWRU)を上回っているときに減少する傾向にある。言い換えると,失業率が相対的に低水準にあるときは,高水準にあるときよりも,雇用を維持するために高い賃金を提示する必要があり,この名目賃金の上昇が,価格のより急速な上昇という形で消費者に転嫁されるものと解釈できる。

さて,90年代のアメリカ経済については,さきに挙げた要因や,生産性の向上,職探しコストの低下などによってNAIRU(NAWRU)が低下しているとの指摘がある(第3-1-3表)。そこで,NAIRU(NAWRU)の推計を行ったところ,NAIRU(NAWRU)の低下を統計的に支持する有意な結果を得ることはできなかったが,長期的にみるとNAIRU(NAWRU)が下がっている可能性があることが分かった(第3-1-4表)。いずれの場合にせよ,95~97年頃から,現実の失業率は推計されたNAIRU(NAWRU)より低くなっており,足元において潜在的なインフレ圧力が存在すると考えられる。NAWRUについて,雇用コスト全体と賃金・報酬を用いてそれぞれ推計したところ,90年代においては,雇用コスト全体で推計したNAWRUが賃金・報酬を用いて推計したNAWRUを下回っており,賃金以外の雇用コストの上昇が抑制されていることが,NAWRUを低下させていると考えられる。さらに,,NAIRUとNAWRUを比較すると,NAIRUはNAWRUよりも常に低くなっており,雇用コストの上昇分を打ち消す物価下落が,NAIRUをNAWRUに比して引き下げていることが分かる。

すなわち,雇用拡大に伴う賃金上昇率よりも雇用コスト上昇率が低くなっている,さらには雇用コスト上昇率よりも物価上昇率が低く抑えられていることが,物価の安定につながり,インフレなき雇用拡大を可能としていると考えることができる。つまり,現時点で,インフレが顕在化していないのは,以下にみるように,諸手当を中心とした雇用コストの抑制,ドル高やアジア通貨・金融危機による輸入品価格の下落などによって一時的に助けられているためであろう。

(低インフレ要因:雇用コストの伸びの低下)

低インフレ要因の一つとして,諸手当を中心に雇用コストの伸びが抑制されたため,労働需要が高まり失業率が低下しても物価上昇圧力が働きにくくなっていることが考えられよう。雇用コストは,労働者に直接支払われる賃金・報酬と社会保障費などの雇用主側が負担する諸手当との合計であるが,雇用コストの伸びは,労働需給の逼迫を反映して,97年後半からは上昇傾向を示しているものの,90年代を通じてみれば,諸手当を中心に上昇率が下がっていることから長期的に低下してきている(第3-1-2図)(注4,第3-1-5図)。

諸手当の伸びが大きく低下してきでいることの背景には,医療費の高騰による雇用コストの増加を抑制するため,雇用主側が,保険が支払われる検査項目や病名を限定したものや,定額払いの医療保険パッケージを採用するなど,労働者の加入する保険のカバレッジを縮小していることが挙げられる(注6)。これは,80年代まで医療保険の主力商品であった出来高払い医療保険では,医療機関が医療の供給量を増やせば増やすほど利益を上げる→保険収支が赤字となる→保険料値上げ,という問題が生じ,コストが高くついたため,より低コストが可能な定額保険料事前払い方式であるHMO(HealthMaintenanceOrgani一zation)を雇用主が採用するようになってきたためである。また,大手保険会社が,従来型の保険に固執することなく,HMOを設立・買収したことも,HMOの普及を促すこととなった。他方,賃金については,80年代に比べればその伸びはやや低下しているが,90年代に入ってからは,諸手当に比べれば伸びの低下は小さく,雇用コスト上昇の抑制要因としては大きくはない(注7,注8)。

(低インフレ要因:ドル高等によって安定した物価)

90年代半ば頃からの低インフレ要因としては,ドル高やエネルギー価格の動向も重要であると考えられる。生産者物価,消費者物価をみると,それ以前に比べて上昇率が低く,安定した動きを示している。これは,94年に始まったNAFTAなどによる輸入浸透度の高まりに加え,95年以降のドル高や,97年半ば以降はアジア通貨・金融危機の影響などによる輸入品価格の下落やそれに伴う輸入数量の増加,原油を始めとしたエネルギー価格の低下などが物価上昇の抑制要因として働いたためである。特に,97年後半からは,前にみたように労働需給の逼迫により雇用コストの伸びが上昇しているが,アジア通貨・金融危機などによる輸入品価格の下落等によって相殺され,現在までのところ,物価上昇が抑えられている(第3-1-6図,第3-1-7図)。このように,雇用コストの伸びが上昇傾向を示すなか,タイミング良く上記のような外的要因が加わり,インフレが顕在化しなかったといえるだろう(注9,注10)

(低インフレ要因:予防的利上げの効果)

その他の低インフレ要因としては,インフレが顕在化する前に,適切な金融引締め策が実施されていることも挙げられる。平成9年度年次世界経済報告に述べられているように,80年代半ば以降のFOMCによる利上げは,景気過熱によるインフレ予防を意図した緩やかな利上げが多く,これまでのところうまく機能してきたといえる。また,その結果,FRBに対する市場の信頼感が増し,金融政策の効果も高まったと考えられる。

(高雇用要因:労働時間の柔軟化等に伴う雇用増)

雇用が伸びている要因としては,労働時間の柔軟化や短時間労働が増加していることなども挙げられよう。

最近の雇用動向をみると,労働時間が柔軟化していることが特徴の一つとして挙げられる。フルタイム労働者のうちフレキシブルな労働時間が可能な者の割合は91年の15.1%から97年の27.6%へと増加している。また,労働者を,フルタイムとパー1~タイム(通常の週労働時間が35時間未満の者)の雇用契約形態別に分けてみると,パートタイム労働者の比率は,90年代に入ってから低下傾向にあるが,非経済的理由により実際の週労働時間が35時間未満である者は,フルタイム,パートタイムともに増加している(注6)。これは,80年代まで医療保険の主力商品であった出来高払い医療保険では,医療機関が医療の供給量を増やせば増やすほど利益を上げる→保険収支が赤字となる→保険料値上げ,という問題が生じ,コストが高くついたため,より低コストが可能な定額保険料事前払い方式であるHMO(HealthMaintenanceOrgani一zation)を雇用主が採用するようになってきたためである。また,大手保険会社が,従来型の保険に固執することなく,HMOを設立・買収したことも,HMOの普及を促すこととなった。他方,賃金については,80年代に比べればその伸びはやや低下しているが,90年代に入ってからは,諸手当に比べれば伸びの低下は小さく,雇用コスト上昇の抑制要因としては大きくはない(第3-1-8表)。

これらの背景としては,専門家や管理者といった比較的労働時間の自由な職に対する需要が増えていること,情報化の進展によりテレワークなどをする人が増えたこと(注11),人材派遣業を通じた雇用が増えていること(注12)等に加え,働きながら大学に通う学生の数が増えていること(注13),女性の就業者が増加していること,人々の価値観がより生活重視になっていることなどが挙げられよう。

(構造要因:若年人口比率の低下)

アメリカにおける雇用構造の特徴の一つとして,若年層の失業率が高く,高齢層の失業率が低いことが挙げられる。最近では,この若年人口の増加率は低下しており,その結果,失業率が相対的に高い24歳までの人口シェアが小さくなっていることから,自動的に全体の失業率が低下し,NAIRUを低下させているのではないかとの指摘がある。そこでこの影響を調べるため,失業率の変化を,年齢構成の変化と年齢別失業率の変化に要因分解してみた(注11),人材派遣業を通じた雇用が増えていること(注12)等に加え,働きながら大学に通う学生の数が増えていること(第3-1-9図)。その結果,若年層シェアの減少によるマイナス分と高齢層シェアの増加によるプラス分を合計した,年齢構成変化要因の寄与率の合計は,失業率の低下局面である92~97年では約マイナス4%と小さく,80年代に比べて約半分になっている。失業率が底を打った89年からの景気変動サイクルを通してみると,景気後退局面では,全年齢層において失業率の上昇幅が小さいことが失業率の上昇を抑制している。他方,景気拡大局面については,16~19歳の失業率低下幅は小さいものの,35歳以上の失業率低下幅の寄与が大きくなっていることが,全体の失業率低下の大きな要因となっている。したがって,デモグラフィックな要因が失業率に与えた影響については,年齢構成変化要因はそれほど大きくなく,相対的に高い年齢層の失業率が景気後退期にはあまり上昇せず,景気拡大期に大きく低下したため全体の失業率を押し下げたことが大きいといえよう。これは,雇用の流動性が高まったことや労働市場から退出する者が多かったためと考えられる。97年のCEA年次報告によれば,80年代始めから90年代半ばにかけでの労働人口の年齢構成変化は,NAIRUを約0.5%ポイント引き下げたとあるが,90年代以降のみを考えた場合,年齢構成の変化が与えた影響は大きくないといえるだろう。

(今後を考える上でのポイント)

以上のように,雇用コストの伸びの抑制やドル高,輸入品価格の低下等の要因によって,低失業率と低インフレが両立することで,景気拡大が続き,労働需要が強くなっていることが,更に失業率を低めていると考えられる。したがって,今後については,景気の先行きに対する不安感もあるものの,労働需給の逼迫からサービス業を始めとして雇用コストの伸びが上昇傾向にあることを考慮すれば,(1)景気拡大が続けば,雇用コストの更なる上昇が物価上昇圧力を一層強める,(2)これまで極めて低水準にある原油等の一次産品価格が上昇に転ずれば,物価上昇圧力が高まる,(3)内外の景気動向に配慮した金利引下げによってインフレが顕在化する,(4)世界の金融・為替市場が不確実性を高めているなか,仮にドル安が進めばインフレ圧力が生じやすくなる,といった可能性も考えられ,政策当局は一段と難しい政策運営を迫られることとなろう。また,労働需給がタイトになっているここ1,2年においては,雇用主側が雇用コストに計上されない契約一時金やストックオプションによって高い報酬を被雇用者に提示するケースも多いといわれており,インフレ圧力が統計上に現れている以上に強まっている可能性もある。

さて,上でみたような労働需要がどこで生じたのかをみてみると,主に中小企業や新規設立企業であることが分がる。そこで,次に,中小企業と新規設立企業の雇用創出についてみることとしたい。

2 大企業のリストラとベンチャー企業の雇用創出

90年以降の景気サイクルにおける雇用動向を概観してみると,過去の景気サイクルと比較して,91年に景気が底を打った後も,現在に至るまで製造業では雇用の改善はみられず,金融・保険・不動産業などにおいても93年頃まで雇用が回復しなかったことが特徴として挙げられる(第3-1-10図)。これは,国際競争の激化などから,大企業を中心として大規模なリストラが継続して行われたためである。しかしながら,人材派遣業やソフトウェア開発などのハイテク産業,外食産業などを始めとしたサービス業を中心に,中小企業や新規設立企業における労働需要が強く,ベンチャーに代表されるように自ら起業する者も多かったため,就業者は増加し続け,失業率はその後低い水準で推移することとなった(注14)。また,リストラを行った企業においては,その後,収益が改善しているところが多く,雇用が回復しているところもある。このような新陳代謝の活発な経済構造は,最近のようにグローバル化や情報化が急速に進み,厳しい国際競争で勝つための技術革新や経営効率化が常に求められているような状況においては,資本,労働,経営資源等の投入についてフレキシブルで迅速な対応を可能とし,大きな雇用創出をもたらしたものと考えられる。

そこで,以下では,大企業を中心としたリストラの成果と,中小企業や新規企業の雇用創出能力がどのようなものであったのかについてみることとしたい

(リストラした企業はどうなったか)

国際競争が激化するなかで,大企業を中心にリストラが行われているが,そうした努力の結果,従業員一人当たり収益や株価,雇用が回復している企業も多い。80年代には,石油危機や規制緩和,国際競争の激化を背景に,製造業を中心として,大企業における人員の削減や経営の効率化などのリストラが行われるようになったが,90年代に入ってからも,グローバリゼーションが進むなか,利益を重視する株主の意向等を反映して,金融業などを始めどして引き続きリストラが行われている。そのため,90~91年にかけての景気後退局面においては,レイオフに占める永久レイオフの比率が増加し(第3-1-11図),黒字の企業でも人員を削減するところがあった。これは,企業が経営効率を重視するようになった結果,それまでのような再雇用を前提としたレイオフを減らしたためである。その後,91年以降の景気回復局面においても,引き続きリストラを実施する企業も多く,その結果,上でみたように雇用がなかなか回復しない産業分野が現れた。しかし,リストラを行った企業については,その後,収益などが改善しているところが多い。さらに,生産拠点の海外移転などの構造的な変化に直面している家電,食料品などの一部の産業を除けば,リストラをした結果,業績が伸びるなかで雇用-を伸ばしている分野もある。従業員数500人以上の上場企業について,産業別に90年以降の雇用増加率と一人当たり収益の変化率の推移をみると,雇用と生産性を伸ばしている企業が多いが,人員削減を行った企業が,その後の生産性の改善や雇用の創出をしていることが分かる。例えば,.電子機械産業においては,90~92年平均と93~94年平均を比較すると,従業員を減少させた企業のうち,約6割(=63/(63+49))が同期間において生産性を向上させている。さらに,95~97年平均ではそのうちの約6割が生産性をさらに上昇させながらも雇用を増やしていることが分かる(第3-1-12表)。

以上のように,アメリカの大企業においては,80年代から90年代にかけて人員削減を始めとした効率化を進めて,収益力を高めたところも多かったが,この間,中小企業や新規設立企業やその他の大企業などは,これらの削減された労働力を吸収しながら成長を続けた。そこで,そのなかでも雇用吸収力の大きかった中小企業や新規設立企業を中心にみてみることとする。

(中小企業による雇用創出)

アメリカにおいては,個人企業を除くと企業数は約500万を数えるが,中小企業(従業員数1~500人未満,個人企業を除く)がそのほとんどを占めている。この中小企業に雇用されている労働者は全体の半分強(約5,400万人)であるが,新規雇用の多くの部分はこの中小企業が生み出している。例えば,89~95年にかけて創出された雇用約870万人(ネット)のうち約9割は,中小企業が生み出したものである(第3-1-13図)(注15)。また,大企業と比べると,大企業では製造業の雇用は減少しているが,中小企業では増加していることが特徴である。このような新規雇用に占める中小企業の割合が高いという傾向は70年代頃からみても長期的に変化していないことから,アメリカの経済構造の特徴であるといえよう(注16)。また,景気後退期においても,規模の小さい企業では雇用はむしろ増加しているところも多く,その経済活動が非常に活発であることが分かる。なお,我が国においては,中小企業(ここでは単純に従業員数300人未満の事業所とする,個人企業含む)の全雇用に占める割合は,約9割となっており,91年と96年の2時点間の変化をみると,300人未満の企業では,約230万人の雇用が生じたのに対して,300人以上では約30万人の雇用創出があり,中小企業の新規雇用は全体の約9割を占めていることから,中小企業の雇用創出力が重要であることは変わらないといえよう。ただし,この間,従業員数が4人以下の事業所における雇用は減少しており,アメリカの小企業の雇用が増加しているのとは対照をなしている。

このようにアメリカにおける中小企業の雇用創出が活発である理由は,国際競争の激化するなか,大企業においては経営や雇用形態がフレキシブルでないため外国企業に対する立ち遅れなどから活力が相対的に低下したこと,80年代以降,情報通信などの技術革新の進むなかで,機動的な経営や労働投入が可能であった中小企業の技術力が高まり競争力が向上したことなどが挙げられる。また,連邦政府を始めとして,中小企業への資金供給などの支援策も積極的に行われている(第3-1-10図)。これは,国際競争の激化などから,大企業を中心として大規模なリストラが継続して行われたためである。しかしながら,人材派遣業やソフトウェア開発などのハイテク産業,外食産業などを始めとしたサービス業を中心に,中小企業や新規設立企業における労働需要が強く,ベンチャーに代表されるように自ら起業する者も多かったため,就業者は増加し続け,失業率はその後低い水準で推移することとなった(注17)。

他方,中小企業の競争力が高いにもかかわらず,大企業との雇用コスト格差は大きい。これは,賃金・報酬の格差に加えて,企業年金,医療保険などの諸手当の格差が大きいことや,中小企業の労働組合組織率が低いことも関係していると考えられる。これに対して,中小企業においては,80年代以降,従業員の福利厚生面を充実させ,労働力の確保を図るため,後述する401(k)プランと呼ばれる従業員の積立金を中心とした確定拠出型企業年金が急速に普及した。相対的にキャッシュフローが少なく不安定な中小企業にとって,従来からの確定給付型企業年金を維持するのは困難であったため,(1)企業の経営状況に応じてプランを組むことができる,(2)ポータビリティがあることから,転職者を雇用することが多く,従業員の流動性の高い新興中小企業の福利厚生制度として適している,(3)管理・運用コストが確定給付型よりも相対的に低い:(4)中小企業に勤務する労働者の方が,通常よりも早く企業拠出金部分及びその運用収益の受給権を獲得しやすい,という401(k)の利点の存在が,その普及に貢献したものと考えられる。また,80年代半ば以降,制度面においても,確定給付型企業年金における税制上のメリットの減退や401(k)に関する制度の整備及び簡素化などが行われたことも普及の要因として重要であったと考えられる。

以上のように,中小企業の雇用創出能力は非常に高いが,詳しくみると,なかでも新しく設立された企業の雇用創出能力が高いことが目立つ。そこで,次に,新規設立企業についてみること~としたい。

(新規設立企業による雇用創出)

アメリカにおけるネットの新規雇用のうち約1割はその年の新規設立企業(個人企業除く)によるものである(新規開業事業所ベースでは約5割)。この新規雇用を支えている企業の開業率,廃業率はそれぞれ十数%程度と高いが,開業率は廃業率を上回っており,ネットの企業増加率は1~2%程度となっている(注18)。また,新規設立企業数(グロス)の推移をみると,90年代半ば頃には,これまでと比べて高い水準となっており,企業の盛衰が激しくなっていることが分かる(第3-1-14図)。対照的に,我が国では,既存企業による雇用増加数の方が大きい傾向がみられる。

このように,アメリカで企業設立が旺盛なのは,80年代からの規制緩和が効果を挙げていることに加え,ベンチャーキャピタルなど資金の融資体系が充実しており,株式の公開要件が緩やかであることなどから店頭市場が活発であるなどリスク・マネーの供給体制が確立されていることが主な理由であると考えられる(注19)。開業後早期に新規株式公開を望めることが,株式公開に伴うキャピタルゲイン獲得を求めるベンチャーキャピタルやエンジェルなどによるリスク・マネーの供給を円滑にしている面もあろう。また,産学官といった様々なセクター間・や企業と企業同士,あるいは人と人との間のネットワークも強く,新しい技術・や経営ノウハウの移転や蓄積がスムーズに行われることも強みの一つであると考えられる。さらに,一度失敗しても再起可能な企業風土があり,たとえ起業が不首尾に終っても,残った人と技術を次に生かそうという考え方が強いといわれている(注20)。このような状況の下,先端的な技術を必要とする製造業やコンピュータなどのハイテク産業においても,新規設立企業が産業の成長をリードしている。

新規企業が存続する比率は企業設立から5年後に約半分となーるが,さきにみたように,その後,中小企業から大企業へと急速に成長していく企業も多い(注21)。そのため,アメリカにおける株式店頭公開の時期は企業設立から平均して約5~7年後(NASDAQの場合,なお日本の場合は約30年後)となっており,成功した企業はその後飛躍的に成長し,さらなる雇用を創出する。例えば,全米証券業協会(NASD:National Association of Securities Dealers)が管理する店頭市場に登録されている約3,000社が生み出したネットの雇用は96~97年にかけて約73万人にも上っている。これは増加率にして約13%であり,この間,全体の労働者数の増加は約3%にしかすぎない。このうちデ一タの比較可能な約1,300社についてみると,92年時点で,雇用者数の全米に対するシェア2.6%に対して売上げのシェアが3.O%となっており,97年時点では,雇用シェア3.3%に対して株式時価総額が9.9%となっている。このように,成長している企業へ労働力と資本が適切に相当程度分配されていることがら,経済全体でみても,市場原理に基づいて成長分野への資源配分が適切に行われているものと考えられる(第3-1-15表)。ベンチャー企業が大きく成長していくのは,上で述べたように,社債や株式など投資対象に対する情報が充実しているなどリスク・マネーの供給を確保するスキームが確立されていること,情報化をいち早くビジネスの中に取り込んだことなどが主な要因としで挙げられるだろう。

以上みてきたように,製造業や金融業などを中心とした大企業がリストラを進めるなかで,中小企業や新規設立企業における雇用創出が相対的に大きがったことが,経済全体でみた雇用者の増加をもたらしてきた。このようにアメリカにおいては,労働の移動が激しいものの,他の先進諸国と比べて失業期間が短く,失業率が低くなっている。これは,アメリカの労働市場においては円滑な労働移動が可能であることも一因であろう。そこで,次に円滑な労働移動を支えている要因について検討したい(注18)。また,新規設立企業数(グロス)の推移をみると,90年代半ば頃には,これまでと比べて高い水準となっており,企業の盛衰が激しくなっていることが分かる(注22)。

3 円滑な労働移動

90年代は,職種間を始めとした労働移動が80年代に比べて活発であったと考えられるにもかかわらず,失業率は低くなっている。これは,円滑な労働移動が可能となっているためであると考えられる。この背景には,年金や医療保険がポータブルであり,労働移動にかかるコストが低く,労働移動の円滑さが担保されていること,人材派遣業の隆盛や高学歴化や職業訓練による労働力の質の向上などによって,ミスマッチが低下したこと等があると考えられる。

(縮小するミスマッチ)

90年代の労働移動は,以下にみるように,80年代に比べて広い職種,業種に及んでいるが,80年代よりも失業率は低くなっている。これは,労働需要が強いことに加え,相対的にミスマッチが低下しており,労働移動が円滑に行われたためであるといえよう。

91年以降の景気拡大局面における,職種別就業者数の推移をみると,80年代の景気拡大局面とは異なる特徴がみられる。専門家,管理者,事務補助職については,80年代同様雇用が伸びているが,オペレータ,精密機械工などについては,景気拡大にもかかわらず,雇用が伸びていない(第3-1-16図)。このことは,職種別の労働需要に差が生じたことを表している。さらに,職種別産業別の雇用動向をみると,80年代の景気拡大局面では,全体の雇用が増加しているなかで,雇用が減少している業種や職種の数は少なく,産業間・職種間の労働移動はあまりみられない。それに対して91年以降は,全体の雇用が増加するなかで,雇用の減少している業種,職種の数が多くなっており,業種別職種別の労働需要の差が大きかったと考えられる。このことから,産業間・職種間の労働移動が激しかったことがうかがえよう(第3-1-17表)。

このように,90年代の労働移動はそれまでに比べて活発であったといえる。それにもかかわらず,失業率が低くなっているのは,労働需要が強いことに加え,労働需給のミスマッチが小さくなっているためであると考えられる。ここで,夫業・欠員分析によってミスマッチが縮小しでいることをみてみよう。UV曲線上の失業率と欠員率を示す点が原点により近ければミスマッチが小さいことを表しているが,90年代は70年代や80年代に比べてより左下に位置しており,ミスマッチが小さくなっているといえよう(第3-1-18図)。そこで,一次に,ミスマッチが小さくなっている要因について考えたい(注23)。

(労働移動コストの低下)

上述のような円滑な労働移動を支えている制度的要因としては,まず,労働者が企業を移ったとしても年金や医療保険の権利を失わず移転可能性が保証されている(年金や医療保険のポータビリティが確保されている)ということが挙げられる。

アメリカでは,公的年金制度に加え,財産形成制度があるが,いわゆる個人退職勘定(IRA:IndividuaI Retirement Account)や401(k)プラン゛は,後者に属している。IRAは,退職後の所得を保障する目的で74年に設けられた制度であるが,これに対し,401(k)は確定拠出型プランであり,78年に創設された。確定拠出型のプランでは,上記のようにポータビリテイーが確保されているが,特に,401(k)においては,81年の法改正により転職先の確定していない転職者が次の転職先が決まるまでの期間,あるいは退職して独立するような場合には,前の事業主のもとで積み立てたプランをIRAに移管ずることができるようになっている。401(k)に加入している労働者の割合は84年の約6%から90年には約20%へと増加している。また,401(k)の普及には,単にポータビリティーがあるからというだけでなく,株式市場が総じて好調であったために,運用状況が良好だったことも寄与していると考えられる。一方,確定給付型の加入者数はほぼ横ばいである。401(k)プランは,従業員の流動性の高い新興中小企業の中心的なプランとして普及してきており,このような401(k)というポータブルな制度の普及が円滑な労働移動を支えている要因の一つといえよう。なお,401(k)に加入している者の中には,確定給付型を併用している者もあり,大企業においては確定給付型を補完するものとして位置づけられている(第3-1-16図)。このことは,職種別の労働需要に差が生じたことを表している。さらに,職種別産業別の雇用動向をみると,80年代の景気拡大局面では,全体の雇用が増加しているなかで,雇用が減少している業種や職種の数は少なく,産業間・職種間の労働移動はあまりみられない。それに対して91年以降は,全体の雇用が増加するなかで,雇用の減少している業種,職種の数が多くなっており,業種別職種別の労働需要の差が大きかったと考えられる。このことから,産業間・職種間の労働移動が激しかったことがうかがえよう(注24)。

また,医療保険についても,96年8月の医療保険改革法(The Health Insurance Portability yand Accountability Act of1996)によって,ポータビノティが保証されるようになった。アメリカでは,被雇用者の多くは勤務する会社から提供される保険に加入するが,この法律により,被雇用者が職を変えた場合に,それまで加入していた医療保険の保険範囲を,新たな職場で新たに加入した医療保険においても適用させることができるようになった。また,この制度は,自営業者の場合においても適用される普遍性の高いものである。

(拡大する人材派遣業)

ミスマッチが小さくなっている原因の一つとして考えられるのは,人材派遣業(Help Supply Service)のめざましい成長である。人材派遣業は,80年代以降大企業を中心にリストラが進むなか,事務補助等の業務を外部に委託することから広がった。その後,経済のサービス化,専門化が進展するに従い,専門家や管理者をも派遣するようになり,高度な技術を持った人材の迅速な確保や雇用コストの削減をしようとしていたクライアント企業側の要請とも相まって90年代に入ってから著しく伸びている(第3-1-19図)。

コンファレンス・ボードが企業を対象に行った調査によって,企業が人材派遣等を利用する理由をみると,最も重要な理由は,「需要の変化に対応した適切な人材の迅速な確保などの雇用の柔軟性」(81%,全回答企業91社に占める割合)である。また,最近では,専門家や管理者に対する需要が高まっているため需給が逼迫している面もあることから,このような「専門的技術を持った人材を必要とする際に人材派遣を用いる」(同48%)という企業も多い(注25)。他方,人材派遣会社においても,高度な労働需要に応えるべく,コンピュータを中心に,社員教育を充実させており,労働力の質の向上に努めている。このような人材派遣業の成長が,迅速で柔軟かつより効率的な労働資源配分を可能としているものと考えられる。なお,アメリカにおいては,会社法は州ごとに規定されているため,人材派遣業に関する規制も州ごととなっているが,特段の規制はないところが多い(注26,注27)。

(労働力の質の向上)

グローバル化が進むなかでの国際競争の激化や情報化の進展により,専門家や管理者といった職種に対する労働需要が高まっているが,高学歴化の進展や職業訓練の充実による労働力の質の向上が需要に見合った労働供給を可能としており,ミスマッチの減少に寄与していると考えられる。ここでは,労働力の質の向上を図るために重要な意味を持っ教育制度や職業訓練についてみることとする。

従来,アメリカの労働者には,基礎的な学力や仕事に必要な技能が十分でないとの指摘があり,教育制度及び教育改革の問題に関心が払われてきた。具体的には,地方分権制度の下,地域ごとの教育レベル格差の存在や,学校内における麻薬・暴力が大きな問題となっている。アメリカの教育制度は基本的には州及び地方政府が責任を負うものである。しかし,グローバル化,情報化が進むなか,上記のような問題を克服し,全体的な教育レベルの向上や安全の確保など,国全体としての目標達成に向けて,94年には2000年の目標:アメリカ教育法(The Goals2000:Educate America Act)が制定され,連邦政府も支援する体制が整備されている。すなわち,連邦政府は各州・地域,学校が教育改革を行う際のガイドラインを示すとともに,補助金を支給するなどの援助を行うこととなっている。

一方,労働者の高学歴化が進展しているが,これは高校卒業者の大学進学率の上昇と,社会人による大学(再)入学者数の増加によるものである。このように,高学歴化が進んでいる背景としては,奨学金などの充実も要因の一つと考えられる。大学以上の高等教育に対する奨学金に関しては,従来から連邦家族教育ローン(Federal Family Educational Loan)・プログラムなどにより,民間ローン会社などの貸出機関を介する形で奨学金が受けられる制度が確立されていた。さらに93年には連邦直接ローン・プログラム(Federal Direct Loan Program)により,奨学金受給希望者が連邦政府から直接,奨学金の給付を受けることができるようになるなど,奨学金制度の整備が更に進んだことにより奨学金受領者は増加し続けている。代表的な上記二つのプログラムによる奨学金受領者数が高等教育機関の全学生に占める割合は,85年度の31.3%から,95年度には50.2%にも上っている(注25)。他方,人材派遣会社においても,高度な労働需要に応えるべく,コンピュータを中心に,社員教育を充実させており,労働力の質の向上に努めている。このような人材派遣業の成長が,迅速で柔軟かつより効率的な労働資源配分を可能としているものと考えられる。なお,アメリカにおいては,会社法は州ごとに規定されているため,人材派遣業に関する規制も州ごととなっているが,特段の規制はないところが多い(注28)

次に,職業訓練については,基本的な法律として83年に職業訓練協力法(Job Training Partnership Act)が制定された。同法は,連邦政府の設定する基本的枠組みと補助金の支給をもとに,若年者,経済的に不利な立場にある人,解雇された者などを対象とした様々な職業訓練プログラムを提供するものであり,具体的な施策については,州及び地方政府が責任を有し,企業のニーズも踏まえて実施されることとなる。しかし,同法による職業訓練制度には,プログラムが複雑すぎるといった批判もみられた。

90年代に入り,クリントン政権では職業訓練の改革及び充実の必要性が強く意識されており,従来の職業訓練プログラムを「就職困難者を中心とした成人の職業訓練」,「若年者の職業訓練」,「生涯教育」の3つのカテゴリーに統合し,それぞれの補助金を各州に分配することなどを内容とした,効率的で柔軟な職業訓練制度の創設などが提案された。そして,98年8月,労働カ投資法(The Workforce Investment Act),が成立した。同法では,複錐なプログラムを3つの補助金に整理すること,職業訓練を受けたい人が自分に最適のプログラムを選択できるよう,職業訓練を行う機関が情報提供を行うこと,職業訓練実施機関の質を保証するため州の基準を設定し,認定制を採ること,各地域に少なくとも1箇所のOne-Stop Career Centerを設置して職業訓練そめ他のサービスを提供すること,連邦政府が定めた目標の達成に失敗した州・地域に制裁を課する一方,目標を上回る成果を挙げれば補助金を増額すること,などを内容としている。

また,成人が職業訓練を受け,技能を向上させたり,生涯教育を受ける機会をより多く持とうとしている背景には,所得税においてインセンティブ税制が採られていることも要因・として挙げられよう。

以上みたように,労働力の質が向上しているため,需要に見合った労働供給がなされているものと考えられる。特に若年層においては学歴が高いほど失業率が低いにもかかわらず,転職の回数も多くなっており,質の高い労働力については,労働移動が円滑に行われているといえよう(注29,注30)

4 労働市場における課題とそれに対する取組

これまでみてきたように,アメリカにおいては,低インフレ体質,高い新規雇用創出能力,円滑な労働移動を可能とする柔軟な労働市場を背景として,低い失業率と持続的な経済成長がもたらされてきたが,労働市場に問題も多く抱えている。ここではこれらの問題点について整理してみる。

アメリカの労働市場が80年代から抱えている大きな構造問題は2つあり,(1)実質賃金が伸び悩んでいること,(2)所得格差が広がっていることである。これらの問題は,90年代に入ってから労働市場が良好なパフォーマンスを示しているにもかかわらず,改善の兆しをみせていない。また,80年代から続く雇用削減の動きはおさまっておらず,90年代に入り,失業率が低下するなかでも,リストラの対象になった労働者は減少していない。さらに,直近では,景気拡大局面において,一時的に労働需給が逼迫しており,雇用コストの上昇傾向がうかがえるなどの現在の景気局面に固有の問題も指摘されている。このような問題に対してアメリカ企業や政府,労働者はどのように取り組んでいるのだろうか。

(実質賃金の伸び悩み)

アメリカの労働市場における第一の課題として,失業率が低下しているにもかかわらず,実質賃金が伸び悩んでいることが挙げられる。生産労働者の時間当たり実質賃金及び週当たり実質賃金のいずれをみても,直近は若干の上昇をみせているものの,70年代半ばを転換点として,90年代半ばまではぱ一貫して低下し続けた(第3-1-20図)。特に90年代に入り,雇用の状況が著しく改善したにもかかわらず,この問題が解決をみていない。このような状況は,労働者の仕事へのインセンティブを低めることにつながり,前述のようなアメリカの労働市場の柔軟性に悪影響を及ぽす可能性がある。

これまでの議論によると,労働生産性の鈍化が,実質賃金低下の最大の要因とされている。このうちアメリカにおける労働生産性の鈍化に関しては,資本装備率(就業者一人当たり資本ストック)の伸び悩みによる労働効率の低下や,幅広い層にわたる就業者の増加がもたらす労働の質の低下などが,その原因とされている。しかし,前項で述べたとおり,アメリカでは高学歴化が進み,職業訓練も充実してきているため,労働の質は改善しつつあると考えられる。したがって,生産性向上のためには,就業者数の増加に見合う,あるいはそれを上回る資本ストックの強化が重要であり,これは企業の収益の拡大をともなって実質賃金の上昇にも貢献する可能性があろう。

(所得格差の拡大)

実質賃金の伸び悩みとともに,所得格差の拡大も,長らくアメリカ経済における課題とされてきた。既存の研究成果は,勤労所得に関する所得格差の拡大の主な要因は,(1)高学歴もしくは熟練労働者に対する需要の高まりから,このような労働者に対する賃金プレミアムが上昇したこと,(2)実質最低賃金が低下したこと,(3)相対的に非熟練労働者層の多い移民が多数流入してきたこと,(4)労働組合組織率の低下,(5)国際貿易の進展等であることを指摘しでいるが,特に(1)がその約半分を説明するといわれている(注31)

97年のCEA年次報告によれば,家計をその所得(利子,配当等の資本所得を含む)によって5分位に分類し,各5分位が受け取った所得の増分をみると,93~95年にかけて各5分位とも所得が増加しているなかで,最下位の第5分位が最も高い伸びを示しているとされた。こうした動きは直近での所得格差の縮小を示唆するものであるが,同報告では同時に,91年以降の景気回復局面で新たに生まれた職の多くは,賃金の高い部類に属するという事実も指摘している。

ただし,勤労所得についてはどのような範囲を対象とするかによって若干不平等度は異なってくることに注意が必要である。OECDの欧米5ヵ国を対象にした研究(注32)によれば就労者のみを対象にした場合には,アメリカの所得分配が最も不平等度が高い。しかし,全生産年齢人口を対象とした場合には,個々人についてみても,アメリカの所得分配の不平等度はほぼ中位に位置する。これはアメリカではより多くの割合の人々が何らかのかたち(パートタイムなどを含め)で就労していることから,全く所得のない層が相対的に少ないためと考えられる(第3-1-21表)。

こうしたなか,さきに挙げたように,所得格差の拡大をもたらしている大きな要因の一つが,学歴差や技術差に求められることが考えられることから,連邦政府は,職業訓練に力を入れており,特に高校を卒業していない労働者に対する雇用対策を充実させている。

(続く雇用破壊)

グローバリゼーションが進行するなかで,金融業や製造業を中心としてリストラ,ダウンサイジングが引き続き行われている。特に,90年代以降は,空前のM&Aブームといわれており,M&Aが実施される際に,大規模なリストラが行われることも多い。これは,最近のM&Aは成長性の高い事業への参入を目的としたものが多いが,その際,本業部門におけるリストラが同時に行われることが多いためである。このように労働者のJob Securityは低下している可能性もあり,その結果,労働者のモラールが低下しているという指摘もある。また,短期的な企業の利益を重視する株主優先の経営方針が,このようなM&Aやリストラを促している側面があることも否めない(注32)によれば就労者のみを対象にした場合には,アメリカの所得分配が最も不平等度が高い。しかし,全生産年齢人口を対象とした場合には,個々人についてみても,アメリカの所得分配の不平等度はほぼ中位に位置する。これはアメリカではより多くの割合の人々が何らかのかたち(パートタイムなどを含め)で就労していることから,全く所得のない層が相対的に少ないためと考えられる(注33)

(景気過熱が生んだ弊害)

97年後半以降,景気が過熱気味であるため,著しく低い失業率の下で,企業が必要な人材を確保することが難しくなっている。このため,将来の雇用確保に対する不安から,企業が必要以上の人材確保を行っており,更なる失業率の低下を促す一因ともなっているといわれている。また,足元の労働生産性が経済全体のパフォーマンスからみればそれほど上昇していないのは,このような企業行動の結果,雇用保蔵が拡大し,必要以上の労働投入が行われているためであるともいわれている。

(まとめ)

アメリカの労働市場においては,80年代の規制緩和や90年代のグローバリゼーションに対応して産業構造や企業が急速に変化していくなかで,持ち前のしなやかさにより,雇用の創出や労働移動が比較的スムースに行われてきた。特に90年代以降についてみれば,いくつかの好条件にも恵まれ,景気が長期にわたって拡大するなかで,景気を過熱させずに,雇用の拡大を可能にしてきている。アメリカの労働市場は,実質賃金の伸び悩みや所得格差等の問題も抱えているものの,人的投資の充実や情報化も進んでおり,更なる変化に十分対応しうる素地を備えているといえよう。

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