第1章 第3節 景気拡大を始めたヨーロッパ

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1 西ヨーロッパ:通貨統合開始に向け,最終準備

EUの統合が,新しい段階に入ろうとしている。1990年7月に始まった経済通貨統合(EMU:Economic and Monetary Union)は,市場統合を行う第1段階,通貨統合への準備期間である第2段階を経て,99年1月から最終段階である第3段階に入る。第3段階では,実際に単一通貨「ユーロ・(Euro)」が導入され,一元的金融政策が行われ,民間部門においても,金融取引の多くはユー口建てで行われる。非金融機関でも,財務を99年からユーロ建てで計算する予定としている企業が現れている。そして2002年からは,すべての取引がユー口建てとなり,同年の1月1日から6か月以内には,ユーロの銀行券,貨幣の流通が開始される。

EU加盟国がEMU第3段階へ参加するにあたっては,マーストリヒト条約に規定された経済収斂基準を97年までにクリアすることが要求された。そして,98年5月の臨時欧州理事会において,11か国(ドイツ,フランス,,イタリア,スペイン,オランダ,ベルギー,オーストリア,フィンランド,ポルトガル,アイルランド,及びルクセンブルク)がこれらの基準をクリアしたと認められた(第1-3-1表)。この11か国が,99年1月1日がら開始されるEMU第3段階への当初参加国となる予定であり(しばしばこれらの国全体を総祢して「ユーロランド(Euroland)」と呼ぶことがら,以下でうそのように呼ぶ),新たに誕生する単一通貨圏であるユーロランドは,人口約2.9億人,名目GDP約6.9兆ドルとなり,人口規模でアメリカ(約2.7億人)を抜き,GDP規模でもアメリカ(約7.3兆ドル)とほぼ同等となる。残りのEU加盟国4が国が通貨統合に参加すれば,人口規模,GDP規模とも,アメリカを超える経済圏が誕生することとなる。

さらに,96年から始まったEU拡大のための条約改正手続が最終段階を迎えるとともに,97年12月には,EUへの加盟を申請している中・東ヨーロッパ諸国のうち,加盟交渉を開始すべき国が決定された。そして98年3月から,これらの国のEU加盟実現に向けた交渉が始まっている。

本節では,まず(1)ユーロランド全体の1)経済の動向,2)通貨統合開始に向けた最終準備状況,そして3)通貨統合参加国の拡大及びEUの拡大に向けた取組について概観する。その後,(2)西ヨーロッパ諸国の経済動向を主要各国ごとに概観する。

(1) 通貨統合開始に向けた取組とEUの拡大

1) ユーロランド経済の現状

西ヨーロッパ全休の景気を,通貨統合参加予定国11か国全休(ユーロプンド)でみると,97年全体を通じた為替の減価傾向により輸出が好調となり,.これが内需に波及する形で景気が拡大している(実質GDP成長率は,97年前年比2.5%,98年1~3月期前期比年率2.8%,4~6月期同0.4%:第1-3-2図(1))。

こうした内需主導の景気拡大を支えた要因として,97年から98年にかけてユーロランドで持続的に行われている低金利政策が挙げられる。低金利政策は,99年の一元的金融政策の開始に備えた通貨統合参加国内の短期金利収斂の動きの中で,大陸のEU諸国の多くが,景気拡大に遅れがみられたドイツの金融政策に追随したことによる。この低金利政策によって,個人消費や機械設備投資が好調となるなど,ユーロランド全体として,景気の拡大は続いた(98年10月発表の欧州委員会見通し:98年ユーロランド全体の実質GDP成長率3.Q%)。

こうした中,景気に過熱感がみられる国でも今後一層の金利低下が見込まれていることから,先行きのインフレ圧力に対する懸念もみられる。

一方,97年後半からアジア地域で発生した通貨下落によって,,ユーロランド地域の通貨がアジア通貨に対して相対的に増価したことなどから,ユーロランドからアジア地域への輸出が減少し,これがGDP成長率を若干押し下げた(第1-3-2図(2))。OECDの試算によれば,アジア通貨・金融危機が98年のEU全体における実質GDP成長率を0.4%引き下げるとされている。

雇用情勢をみると,ユーロランドにおいても,景気拡大を受け失業率の低下がみられている。これに伴い,いくつかの国では賃金上昇率がやや高まりをみせているが,消費者物価は安定して推移している(第1-3-2図(3))。

2) 通貨統合開始に向けた最終準備

EMU第3段階への参加国が決まる中,単一通貨を導入し,運営するための枠組みもほぼ整備された。単一金融政策の面では,98年6月には欧州中央銀行(ECB:European Central Bank)が設立され,マーストリヒト条約では決められていなかった,金融政策におけるターゲットの決定,外貨準備の構成,最低準備制度の導入など,ユーロの運営の枠組みが決定された。一方,財政面では,98年7月から,財政赤字の相互監視が開始され,さらに政府部門及び民間の非金融部門でのユーロの使用に関する実務面での取決めもほぼ整備されつつある。以下ではこれらについて概観していくこととする。

(99年以降のECBの単一金融政策の概要)

98年6月に設立されたECBは,設立以後,99年1月1日からの単一金融政策の実施に向け,単一金融政策の枠組み,手法などの整備を行ってきた。金融政策手段の多くは,マーストリヒト条約と,その付帯条項である通称ESCB法(正式名称は“Protocl0n the Statute of the European System of Central Banks(ESCB)and of the European Central Bank)に規定されたとおり,欧州通貨機構(EMI:European Monetary Institute)が97年に公表したレポート“The Single Monetary Policy In Stage Threeで提案されたものがECBの政策委員会にて採用されることとなった。これまでの決定事項に基づき,99年1月以降の金融政策を概観すると,次のようになる。

まず,ECBの金融政策の第一義的な目的は,物価安定と定められている。そして,物価の安定のための指標として何らかのターゲット目標を設定し,この達成に向け努力するということにより,ECBの政策に関する透明性や説明責任能力を高めることとなった。物価の安定の定義としては,ユーロランドにおける消費者物価(HICP:Harmonised Indices of Consumer Prices)の前年比が2%を下回ることを指すことが決定された。また,物価の安定を維持するための対応として,マネーサプライに極めて重要な役割を付与するほか,幅広い金融・経済指標をベースにした物価動向見通しについても,主要な役割が与えられることとなった。

次に,金融政策の手段は,主に公開市場操作(Open Market Operation)によると定められたが,これは週次のレポ(Main Refinancing Operation:償還期間2週間,毎週行われる)と,月次のレポ(Longer-term Refinancing Operation:償還期間3か月,毎月行われる)とに分けられる。また,公開市場操作に属さないものとして,欧州中央銀行システム(ESCB:European System of Central Banks)からオペ対象先へのオーバーナイトでの貸出制度(限界貸出ファシリティー:the Marginal Lending Facility)と,銀行がらESCBへのオーバーナイトの預金制度(預金ファシリティー:the Deposit Facility)などが採用される(第1-3-3図)。

ESCBのもとでは,ECBは,一元的金融政策の決定を行い,各国の中央銀行が決定された政策の実施にあたることとなっており,公開市場操作においては,ECBがレポの方式などを決定し,各国中央銀行またはECB自身がECBの決定に基づき公開市場操作の実施に当たる。オーバーナイトでの預金・貸出制度(据置型粋組:Standing Facilities)については,担保条件をはじめとする借入・貸出条件をECBが決定し,その条件のもとで,各国中央銀行がある程度の独自性を持って借入・貸出を行うこととなっている。

なお,最低準備率制度の採用の可否,及び外貨準備の構成など,ESCB法において98年にECBが設立されて以後に検討されるべきとされた事項についても,98年7月以降の政策委員会において決定された。最低準備率制度は,通貨統合に当初から参加するドイツ,フランスで本制度が採用されており,市中銀行の流動性の状況を把握しやすいというメリットがある一方,無利子での預託は市中銀行にとってコスト負担が大きいという批判もあったことなどから,有利子による最低準備率制度の導入が決定された。また,外貨準備の構成は,ESCB法どおり500億ユーロ相当(ただし,99年時点では,395億ユーロ相当)を保有することとなり,このうち,金の保有割合を15%(したがって,99年時点では約60億ユーロ相当)とした。

(域内各国中央銀行における外貨準備と短期的なユーロの強弱)

ECBの外貨準備は500億ユーロ相当と決まったが,ECBの500億ユーロ相当の外貨準備に加え,各国の中央銀行も外貨準備を保有することとなる。この際,各国中央銀行がどの程度外貨準備を保有しようとするかによって,短期的なユーロの価値が左右される。

99年以降,各国の中央銀行においては,自国通貨のユーロへの転換の際に,たとえばドイツ連銀の保有するフランやリラなどのユーロランド通貨は,外貨ではなく自国通貨と同じ立場になる。したがって,各国の中央銀行が,外貨準備の減少を少しでも補填しようとした場合には,ユーロが短期的に売られ,相対的に減価することが考えられる。

一方,外貨準備の大きさは,先進国では,輸入量との相関が高い(第1-3-4(1)図)。これは,外貨準備が対外的な支払能力の保有を意味することから,輸入量と比例するだけの量を持つべきであると考えられていることによる。これをユーロランドについて考えると,99年以降には,域内からの輸入については共通通貨ユーロでの支払いで済むようになり,外貨が必要でなくなる。したがって,輸入全体の中で外貨を必要とする輸入の量は減少する。外貨を必要とする輸入の量が減少すれば,ドルやポンドなど,ユーロとはならない外貨の準備高を減少させるインセンティブが生じる。この場合には,ユーロが短期的に買われ,相対的に増価することが考えられる。

これをみるために,97年末のデータを用いて分析を行ってみることとする。ユーロランドの外貨準備高は,輸入量との関係でみる限り,97年末現在では先進国の平均に比べて妥当な水準であるが,ユーロが導入された後には域内からの輸入に見合う外貨準備は過剰となるため,先進国に比べて高い水準となる。欧州委員会も,ユーロ導入の際に,ESCBの外貨準備が過剰になるリスクについて言及している。実際,第1-3-4図(1)の近似曲線を用いて,99年以降のユーロ圏外取引に見合う外貨準備高を推計すると,1,004億ドルの外貨準備が過剰になるという結果が出た(第1-3-4(2)図)。

ただし,これらの推計結果は様々な仮定に基づいており,仮定の置き方によって相当程度変化しうるものである点に留意が必要である。特に,97年の状態から外貨準備の構成が変化しないという仮定を置いているが,各国中央銀行がこれらを見越して,既に域内外貨を売って域外外貨を買うという動きが生じているかもしれない。

高い外貨準備高はEU各国の対外的な支払能力の高さという観点から,国際的な信頼を高めるのに寄与するが,外貨準備高が多すぎれば,それだけ自国内の資金が生産的な用途に使われていないということになる。99年以降,各国中央銀行の保有する外貨準備は,最終的には各国の中央銀行がどの程度の外貨準備を持つのが適当と考えるかによって変わってくるが,短期的な為替の動向に大きな影響を与えることから注目される。

(中長期的なユーロの価値)

さらに,中長期的な観点から,ユーロが強い通貨となるか,そして基軸通貨として機能しうるかという点について,欧州委員会は98年2月に公表した“EuroPapersで,ヨーロッパ域内における要因と,域外の要因という2つの要因からこの問題を検討している。

ヨーロッパ域内における要因を,域内の金融政策と財政政策に分けると,まず金融政策では,ECBの独立性と信頼性がユーロの強さや安定性の基盤をなすとしている。一部では,ECBがインフレ抑制に関する信頼性を確立するために,引締め的な金融政策を行うのではないがという見方がある。この見方に対し,欧州委員会は,必要以上に高い金利を恣意的に設定し,経済情勢に見合わない金融政策を行えば,市場がECBの政策に対する信頼をなく:してしまうとしている。

さらに,財政政策については,各国が過剰な財政赤字をもたらさない財政運営を行うことが必要であるとしている。財政赤字の大きさという観点で,一部では,これまで財政赤字が大きく通貨も弱かったとされる国々が通貨統合に参加することで,ユーロが弱い通貨になるのではないがという見方がある。こうした見方に対し,欧州委員会は,これまでの動向が問題ではなく,今後これらの国が,過剰な財政赤字を発生させずに財政運営を行えるかどうかが重要であるとしている。

一方,域外の要因については,(1)ポートフオリオ投資におけるユーロの需給,(2)世界各国の外貨準備の構成,などの観点から議論できる。(1)ポートフオリオ投資におけるユーロの需給という観点からは,域外の投資家がユーロの保有を増加させる一方で,域内の投資家がリスク分散のため,域外に投資するインセンティブも同様に高まるため,ポートフオリオに対する影響は限定的であるとしている。しかし,(2)世界各国の外貨準備という観点からすると,主に中・東ヨーロッパ諸国でユーロを外貨準備として導入する動きが強まる。ただし,その場合も,中・東ヨーロッパ諸国の経済規模などから考えて,ユーロの為替相場に与える影響は限られたものになるであろうとしている。

《コラム1-2》 ユーロと各国通貨間の為替レート交換方法

98年5月の臨時欧州理事会では,通貨統合参加国の決定とならび,通貨統合に参加する各国通貨間の固定為替レートの交換方式が決定された。各国通貨間の交換比率は,現行のERM(為替レートメカニズム:Exchange Ralte Mechanism)の中心相場を採用することとなった。この時点では,ユーロと各国通貨間の交換比率自体は決定されていないが,これは,99年1月1日にユーロと1:1の比率で交換される欧州通貨単位(ECU:European Currency Unit)のバスケットを構成している通貨とユーロ参加国通貨が異なり,ユーロ参加国以外の通貨の変動がECUの相場に反映されるためである。

さて,98年12月31日には,各国通貨間の為替レートのみならず,各国通貨と現行ECUとの間の為替レートが決定され,99年1月1日には,ECUとユーロが交換比率1:1で固定され,各国通貨とユーロとの交換比率が決定される。99年1月1日からのユーロ導入のために,各国通貨はユーロの「補助単位」となるが,各国通貨のユーロへの交換は,以下の3段階で行われる。

まず,(1)12月31日の大陸ヨーロッパ時間11時30分に,ECUバスケット構成国の中央銀行が,アメリカ・ドルと自国通貨との為替レードを固定する。次に,(2)ECUバスケット中に含まれる各国通貨額を上記の為替レートを用いて各々アメリカ・ドル建てに換算し,これを集計することで,ECUの対アメリカ・ドルの為替レートが決定される。そして,(3)アメリカ・ドルを介する形で,ECUと通貨統合参加国との間の固定為替レートが決定される。

この交換にあたっては,四捨五入等による誤差をなくすために,次の事項が取り決められた。第1に,有効数字は必ず6桁で四拾五入して計算されることである。第2は,交換レートは1ユーロ当たりの各国通貨の価値という形で用いられ,逆数で用いる際には,分数のままで計算されることである。この2つから,交換比率は1ユー口1.97632マルクというように使用し,例えば111マルクのユーロ換算に当たっては,必ず,111マルク=111/1.97632ユーロー56.1649ユーロ56ユーロ16セント,という計算方法になる。なぜなら,1.マルク0.505999ユーロと逆算してから,111マルクをユーロ換算すると,111マルクー111×0.505999ユーロ=56.1659ユーロ=56ユーロ17セントという結果になり,誤差が生ずるためである。そして第3は,各国通貨間の交換レ一トも,6桁で計算されるということである。現在でも,ECU相場を介して,各国通貨間の交換比率は6桁で表されているが,これを維持するということである。

第1-3-4図(1)の近似曲線を用いて,99年以降のユーロ圏外取引に見合う外貨準備高を推計すると,1,004億ドルの外貨準備が過剰になるという結果が出た(各国通貨からユーロへの転換

(ユーロ導入の実務的側面)

金融政策の枠組みの整備とともに,ユーロの導入に際し欧州委員会などの欧州機関や各国政府レベルでユーロ導入の実務対応上行われなければならないことについても,欧州委員会の97年11月のレポート,Practical aspects of the introduction of the euro”において明らかにされた。このうち注目されたのは,(1)企業がユーロを自主的に用いるための枠組み,(2)ユーロへの移行にがかる様々なコストの取扱い,そして,(3)ユーロの価値に関する情報や教育の提供,である。

(1) 企業がユーロを自主的に用いるための枠組み

マーストリヒト条約では,1999年から2002年1月のユーロ紙幣及びコインの流通開始時までは,企業が各国通貨とユーロのどちらを使うかは,「強制せず,禁止せず」の原則の下,自由とされている(「ユーロ・オプション」と呼ばれる)。しかし,企業レベルでユーロと各国通貨の選択を自由としても,政府への決済,財務報告,税の申告・支払いにおいて,政府がどちらの通貨で取り扱うかを強制すれば,移行期間中において,その通貨の使用を予定しなかった企業や家計にとって,余計なコスト負担となってしまう。このため,政府への決済,財務報告,税の申告・支払いには,どちらの通貨を用いてもよいとする国が多い。

(2) ユーロへの移行にかかる様々なコストの取扱い

ユーロへの移行に関するコストとしては,自国通貨からユーロ,及び自国通貨から他のユーロランド通貨への交換にかかる費用や,二重価格表示のコストなどが指摘されているが,問題はこうしたコストを誰が負担するかということである。

まず,自国通貨から他国通貨あるいはユーロへの交換があるが,欧州委員会は,それぞれの交換に対して手数料を課すべきではないという見解を示した。

また,ユーロの価値に関する理解のためには,二重価格表示が不可欠であるという認識は消費者と産業界で一致しているが,二重価格表示の期間及び立法の必要性については見解が異なる。消費者団対は,二重価格表示の拘束力のある,移行期間中を通じた実施を要求している一方,産業界は,コストがかかるという理由から,自主的な短期間の実施を望んでいる。後者は,企業が市場がらの圧力や競争圧力を受けることから,消費者は法律などの強制力がなくとも十分な情報を受けることができるという考え方による。

こうした見解の相違に対し,欧州委員会は,二重価格表示を行うべきという見解は示さず,二重価格表示を行いうる条件などに関する見解を示すにとどまった。これによれば,ユーロへの移行期間中に二重価格表示を行い得るのは,その小売業者がユーロでの支払いを受け入れる場合であり,さらに,二重価格表示がユーロの価値に関する単なる情報提供であり,その価格が最終価格である場合に限られるという。

(3) ユーロの価値に関する教育の提供

欧州委員会は97年以降,ユーロの価格・価値に関する消費者の適応や,教育・トレーニング機会の提供に対する補助金の充実などという形で,予算を拡大している。さらに欧州委員会としては,自分たちの努力が活かされるには,各国でも,ユーロの導入以降,どのような変化が生じるかについての情報提供を行ってほしいとしている。

(財政の相互監視制度)

単一通貨ユーロを導入するための最終準備期間であるEMU第2段階では,これまで概観してきた単一金融政策手段の整備,ユーロ導入の実務的側面からの問題の克服が行われているが,これと並んで,ユーロの安定に向けた財政の相互監視が,98年7月から行われている。

これまでも,緩和的な財政がインフレをもたらすことから,「安定と成長の協定」をはじめとする財政緊縮のための枠組みを整備してきた。「安定と成長の協定」とは,通貨統合に参加する各国の財政緊縮努力を求めるものであり,具体的には,(1)一般政府部門の財政赤字が名目GDP比3%以内であること,(2)一般政府部門の債務残高(グロス)が名目GDP比60%以内にあること,などを規定しており,上記事項を達成できなかった国に対する制裁を含むものである。

このうち,財政の相互監視制度について前倒しで行うことが,5月の臨時欧州理事会にて決定された。こうした決定がなされたのは,98年3月に,欧州委員会及びEMIから出された収斂レポートにおいて,特定国における財政赤字に対する懸念が表明され,さらに,ドイツ連銀や経済学者からも危惧が表明されたためであった。

財政の相互監視に関する取決めでは,(1)各国の98年における財政緊縮の達成,(2)99年予算を,「安定と成長の協定」に基づき早期に策定,(3)経済が好調で財政が黒字になった場合でも,その黒字分を追加的財政支出に用いず,財政緊縮に資する方向で用いる,(4)政府累積債務がGDP比で高い国は,早急に削減しなければならない,(5)遅くとも98年末までに財政の安定化と名目GDP比3%という財政赤字の収斂基準の達成に向けた計画を提出する,といった項目が採択され,これらの項目に関する相互監視が行われることとなった。

3) 通貨統合参加国の拡大とEUの拡大

(新しい為替相場メカニズム)

ユーロ導入のための準備が着々と進むなかで,通貨統合に当初参加しないギリシャ,デンマーク,スウェーデン,イギリスの4か国(Pre-1ns国と呼ばれる)でも,ユ一ワ導入のための準備が徐々に進んでいる。

まず,これまでのEU加盟国通貨間の為替相場メカニズム(ERM:Exchange Rate Mechanism)に代わり,Pre-ins国通貨とユーロとの間の新しい為替相場メカニズムであるERM2(Exchange Rate MechanismII)が導入されることとなった。99年1月からは,ERM2に参加するPre-1ns国通貨は,対ユーロでの中心相場を持つこととなる。ただし,Pre-1ns国の参加義務はなく,参加した場合にも上下それぞれ原則として15%の変動幅を許容される。また,変動幅を越えそうな場合にも,物価安定に悪影響を与えると判断されるときには介入する義務がなく,さらにECBは中心レートのリアラインメントを提案できる。中心相場での固定という観点からすれば,拘束力の弱い制度となっている。

ERM2には,ギリシャ・ドラクマどデンマーク・クローネが参加することが,98年9月の通貨統合参加国蔵相による非公式閣僚会議(ユーロ11)において基本合意され,年末に正式に了承されることとなった。

(Pre-ins国における通貨統合参加への準備とイギリスの「5つのテスト」)

ただし,準備が進んでいるとはいえ,Pre-ins国4か国の通貨統合に対するスタンスをみると,通貨統合参加推進派と慎重派に分かれている。推進派であるギリシャ,デンマークでは,ERM2へ参加することを決定し,通貨統合参加のための経済収斂基準の達成に努めでいる。EU加盟国は99年1月から自動的にEMU第3段階に移行するが,イギリスとデンマークは,EMU第3段階へ移行したいときに移行することができる権利を持っており(Opt-Out権あるいはOpt-in権),この権利をいつ行使するかが注目されている。こうした中,デンマークで98年5月にアムステルダム条約批准のための国民投票が行われ,批准が賛成されたことから,デンマークの通貨統合への参加も大きな前進をみせることとなった。

一方で,慎重派であるイギリス,スウエーデンでの通貨統合参加準備は大きな進展をみせていない。スウェーデンは,当初参加を行わない理由として,単に国民の賛成が得られていないことを挙げ,国民投票によって通貨統合への参加を決定するとしている。ERM2への参加も表明していない。

また,イギリスでは,97年10月末の大蔵省の報告によると,イギリスの通貨統合の参加は,「5つのテスト」を行った上で,これに合格することが前提であるとしている。5つのテストとは,(1)イギリス経済がユーロランド経済と収斂しているか,(2)イギリスが為替調整を失っても大丈夫なほどフしキシブルに経済を調整できる手段を持っているか,(3)ユーロの導入が投資増などビジネスチャンスを拡大させるか,(4)シティの金融制度でユーロ導入の準備が十分になされているか,そして,(5)雇用増をもたらすか,というものである。ただし政府は,たとえ今期政権中に合格したとしても,総選挙を経て次の政権になるまでは通貨統合には参加しないと表明している。

(中・東ヨーロッパ諸国のEU加盟と制度改革)

通貨統合参加国の拡大に向けた準備とともに,EUは中・東ヨーロッパへの拡大に向けた取組を行っている。97年7月の欧州委員会による勧告である「アジェンダ2000」では,加盟申請をしていた12か国のうち6か国(ハンガリーポーランド,エストニア,チェッコ,スロヴエニア,キプロス)が加盟交渉対象国として選定された(平成9年度『世界経済白書』参照)。

この勧告に基づき,97年12月の欧州理事会では,上記の6か国が正式加盟交渉対象国として選出されたが,一部のEU加盟国から,すべての申請国と同時に加盟交渉を開始すべきとの意見があり,また,交渉対象国に選ばれなかった国々で加盟に向けた努力が停滞するのではないかという危惧も生じた。このため,EU加盟国と加盟交渉対象国,そして加盟交渉対象国に選ばれなかった6か国も含めたすべての加盟申請国が参加する「欧州会議」を設置し,年1回の対話の場を作った(第1-3-5図)。

この欧州会議の第1回は98年3月に開催された。その後,加盟交渉対象国6か国との具体的な加盟交渉が開始され,残りの6か国のうち,ルーマニア,リトアニア,ラトビア,スロヴアキア,ブルガリアについては,予備交渉が開始されている。

一方で,EUの中・東ヨーロッパ諸国への拡大に伴い,EUの制度改革の必要性が生じている。EUが中・東ヨーロッパ諸国に拡大すれば,欧州委員会委員の数を国別にどう割当てるか,特定多数決の持ち票の配分をどうするか,といった機構改革が必要となる。さらに,中・東ヨーロッパ諸国のほとんどが農業国であり,現在EUに加盟している国に比べ所得が低いため,「アジェンダ2000」で提唱された構造基金をはじめとするEU財政の改革が必要となってくる。

このため,EUでは96年3月以降,拡大のために必要な制度改革が検討されてきている。しかし,97年10月に調印されたアムステルダム条約では,これらの問題は先送りされ,98年6月のカーデイフ欧州理事会でも,機構改革については,10月に臨時理事会を招集し早期に決定するとし,また,EU財政の改革については,「アジェンダ2000」を99年6月までに採択するために徹底的に検討するとしただけで,具体的な進展はこれからといえる。

(2) ドイツ:景気の拡大始まる

ドイツでは,96年春以降,外需が牽引役となり景気は回復し,98年に入り,景気は拡大を始めた(実質GDP成長率は,97年前年比2.2%,98年1~6月期前期比年率3.3%)。

96年春以降,外需主導で景気が回復した主な要因としては,マルクが減価傾向にあったこと,労働生産性が上昇したこと,及び賃金上昇率や労働コストが抑制されたことが挙げられる(第1-3-6図(1))。OECDによれば,ドイツは,97年において先進国の中で単位労働コストが最も低下した国の1つどなった。さらには,周辺のEU諸国やアメリカの景気が内需主導の拡大を続けていたこともその要因の一つである。特に,ドイツの輸出の約6割を占めるEU地域への貿易黒字は,97年を通じ増加した。しかし一方で,97年後半以降,ドイツにもアジア通貨危機による影響などもあり,外需寄与度は97年10~12月期以降ゼロまたはマイナスとなっている(第1-3-6図(2))。

内需をみると,個人消費は,98年1~3月期には,4月からの付加価値税(VAT:Value Added Tax)引上げ(15%から16%へ)を控えた駆け込み需要により前期比年率3.5%となり,4~6月期には反動により,同2.7%減となったが,乗用車新規登録台数が4月前年同月比14.7%減となったのち,5月以降は平均で同2.9%増となっていることをみても,VAT引上げが消費の動向に深刻なマイナスの影響を与えているという状況にはない。固定投資は,設備投資が97年後半から98年前半を通じて増加した一方,建設投資は97年に低迷を続けたが,98年に入り持ち直しの兆しがみられ始めている。

このように,ドイツでは,外需の好調さが内需に波及する動きがみられる。

生産をみても,98年1~6月期では,国外向け製造業新規受注数量は前期比0.6%と伸びが小さくなった一方,国内向けは前期比3.9%増と力強さを増している。

単位労働コストの低下やエネルギー価格の低下などを受け,物価は安定している。97年平均で,消費者物価上昇率は1.8%,98年に入っても低下しており,98年9月には前年同月比0.8%と,統一後最低となった。通貨供給量も,97年後半から,おおむね目標圏を維持している(98年の通貨供給量の日標圏は,97年第4四半期対比年率3~6%)。98年4月のVATの引上げが物価動向に与える影響も比較的軽微にとどまっている。こうした物価安定傾向もあり,ドイツ連銀は97年10月以降,利上げを行っていない。

なお,98年9月27日にドイツで総選挙が行われ,この結果,社会民主党が16年ぶりに第一党の座につき,戦後初の左派連立政権が誕生した。

(ドイツの財政問題)

ドイツの97年における一般政府累積債務はGDP比61.3%で,通貨統合への参加基準である財政基準(原則としてGDP比60%以内)を,旧東独地域の併合による特殊事情を考慮すれば達成したとされた。この旧東独地域併合による累積債務は,97年末時点で,全体の61.3%のうち約13%ポイントを占めるといわれている。

旧東独地域では,ここ数年,復興ブーム後の経済成長の鈍化により,連邦政府からの財政移転が増加したことに加え,東西統一後の財政移転措置が恒常化することで,連邦政府からの財政支援に依存する体質ができあがってしまった。これが,財政赤字,ひいては政府累積債務の拡大につながっている(平成8年度及び9年度『世界経済白書』参照)。

特に,財政移転の恒常化については,「生活条件をすべての州で等しくする」というドイツ基本法の考えから,垂直的(連邦政府から国全体の利益になる事業を行う地方へ)及び水平的(富裕な州から貧困な州へ)な財政移転のシステムが複雑な形で存在する。そして,地方政府が追加的な税収を上げた場合にも,その多くが連邦政府や各地方政府に再分配され,結果的に自分の手元に残る税収は,貧困な州で29%,裕福な州ではわずか8%という状況である。

こうした状況の下で,財政移転をネットで受け取る州とネットで負担する州がでてくる(第1-3-6図(1))。OECDによれば,ドイツは,97年において先進国の中で単位労働コストが最も低下した国の1つどなった。さらには,周辺のEU諸国やアメリカの景気が内需主導の拡大を続けていたこともその要因の一つである。特に,ドイツの輸出の約6割を占めるEU地域への貿易黒字は,97年を通じ増加した。しかし一方で,97年後半以降,ドイツにもアジア通貨危機による影響などもあり,外需寄与度は97年10~12月期以降ゼロまたはマイナスとなっている(第1-3-7表)。ネットで受け取る州にとっては,税収を上げたり支出を抑制することは,財政移転の減少につながりかねないため,税収増や歳出削減の努力が生じにくい。

連邦政府が財政赤字削減の努力を行っていても,地方政府の財政構造が赤字削減の努力を行うインセンティブを弱めている。そして,旧東独地域に属するすべての州が,財政移転のネットの受け取り州であることから,旧東独地域がドイツ全体の財政構造改善の足を引張っているといえる。

しかし,99年1月からEUの取決めである「安定と成長の協定」が発効する。

「安定と成長の協定」は,単一通貨ユーロの安定を維持するという観点から,通貨統合参加国に対し財政規律を課すものである。そしてこの協定の下,毎年の一般政府の財政赤字を原則としてGDP比3%以下に抑えなければならない。

これを達成することができなかった場合には,最終的には,連邦政府に対し課徴金という形で制裁が課せられることとなるため,こうした問題に連邦政府及び州政府がどのように対処していくか,今後注目される。

(3) フランス:外需主導の拡大から内需主導の拡大ヘ

フランス経済は,96年には実質GDP成長率が1.6%と低成長にとどまったが,97年にはフラン安の進展,アメリカ,イギリスの景気拡大などから外需主導の回復,拡大局面に入った。98年に入り,アジア経済低迷の影響などから外需は減少しているが,個人消費,設備投資が増加するなど内需主導で景気は拡大を続けている。実質GDP成長率は,97年の2.3%から98年1~3月期は前期比年率3.0%,4~6月期は同2.6%となった。

失業率は,高水準ながらも97年6~7月をピークに徐々に低下している(98年8月11.8%)。97年6月の総選挙でジョスパン政権が誕生して以来,消費者信頼感は好転,このところの失業率低下を受けて更に改善しており,個人消費増につながっている。消費者物価上昇率は,98年に入り前年同月比1.0%以内で推移,9月は同0.5%と安定している。

中央銀行は,97年10月に市場介入金利をそれまでの3.1%から3.3%として現在まで同水準を維持している。マネーサプライ(M3)の伸び率は98年に入ってから上昇傾向にあり,8月は前年同月比4.4%増となった。

国内金利の低位安定や雇用情勢の改善から,設備投資,個人消費等の内需拡大傾向は続くと考えられ,フランス政府は98年の成長率を3.1%と見込んでいる。

(最低賃金の引上げとその影響)

フランスの法定最低賃金は,規定により年1回,原則7月1日にインフレ率などを基に改訂される。97年は,現ジョスパン左派政権の誕生直後で,最低賃金の引上げが選挙公約の一つであったことから,法律に定められた方式による最低引上げ率は1.7%であったのに対して4%の大幅な引上げが行われた。98年も前年に続いて大幅な引上げが行われるかどうか注目されたなか,フランス政府は,法律に定められた方式による最低引上げ率が1.5%であったのに対し2%の引上げを行うことを決定した。このようなフランス政府の決定に対し,労働組合は要求水準(4%)に満たないとして批判的である。また,経営者団体はワークシェアリングを目的とした週間労働時間の短縮(現行39時間を35時間にする)法案が5月に国会を通過した上に,最低賃金も最低引上げ率以上に引き上げられたとあって,フランス企業の競争力を奪うとして政府の対応を強く非難している。

97年の最低賃金引上げは,消費者信頼感の上昇,個人消費増につながり,98年の引上げについても,短期的には一層の個人消費増をもたらすと考えられるが,最低賃金の大幅な引上げが続くと,雇用,コスト上昇によって企業の国際競争力低下を招く。週間労働時間短縮によって創出される雇用を,最低賃金の上昇が抑制する可能性があり,今後の労働市場への影響が懸念される。なお,フランス雇用省の調査によると97年7月1日時点で最低賃金で働く労働者は,全賃金雇用従事者の11%であった。

(99年度予算案の内容)

フランス政府は98年9月,99年度予算案(予算年度は1~12月)を閣議決定じた。97,98年度ほどの緊縮予算ではないものの,歳出は前年度当初予算比2.3%増の1兆6236億フラン(約38兆円)に抑制されている。歳入は,景気拡大の恩恵などから同3.5%増の1兆3969億フラン(約32兆円),一般政府財政赤字はGDP比2.3%となる見込みである(第1-3-8図)。

歳出面では,全体の伸びは経済成長率・を下回る水準にとどめつつつ,雇用及び社会的公平の実現,日常生活環境の改善を2つの重点目標として,省庁別予算では,都市(前年度当初予算比32.4%増),環境(同14.8%増),国民教育研究技術(同4.0%増),健康・連帯(同4.5%増),雇用(同3.9%増)などに手厚く配分を行っている(第1-3-9表)。

予算案には,一税制の改革案も盛り込まれた。雇用増進のため,企業に対する職業税のうち,給与を課税対象とする部分を99年から5年間で段階的に廃止することとしたほか,低所得層の家計を支援する観点から,電気,ガスの基本料金に係る付加価値税率を20.6%から5.5%に引き下げることとしている。フランス政府は,職業税の負担軽減によって企業の雇用意欲が増し,5年間で約10万人の雇用増が期待できるとしている。一方,軽油に係る石油産品内国消費税及び富裕税については,税率を引き上げることとした。

《コラム1-3》 98年サッカーワールドカップの経済効果

98年6月からフランスで開催されたサッカーワールドカップは,フランスチームの優勝という,同国にとって最高の結果で終わり,同国経済にプラスの影響を与えている。

大会期間中の家庭用電気製品(ラジオ・テレビなど)販売増,ホテルレストラン等の売上増に加え,フランスチームの優勝は消費者心理の改善傾向に一層の拍車をかけ,その後の個人消費増につながるものと考えられる()。

また,同大会は,フランスのイメージアップにつながった模様で,ホテルなど観光業界は,大会終了後も売上増を期待している。

お祭リムードが去った後,急速な消費減少につながらないかとの懸念は残るが,当面低金利の持続,雇用環境の改善も見込まれることから,その可能性は低いだろう。

(4) イギリス:製造業を中心に景気の拡大テンポは緩やかに

イギリス経済は,92年の7~12月期から6年にわたり景気拡大を続けている。95,96年と景気の拡大テンポは緩やかであったが,97年は旺盛な個人消費や堅調な民間投資による内需の拡大を主因として実質GDP成長率(要素価格)は3.5%となった。イングランド銀行は,消費の過熱や賃金上昇によるインフレ圧力の高まりから97年中に5回にわたり政策金利(レポ金利)の引上げを実施した。

98年に入っても民間賃金の上昇や堅調な個人消費などから物価上昇圧力が続いたことから,イングランド銀行は98年6月に再度政策金利(レポ金利)を引上げ,7.5%とした。しかし物価上昇圧力を抑えるための昨年がらの6回にわたる金融引締めや,これに伴うポンドの増価などから,輸出や個人消費が鈍化してきており98年4~6月期の実質GDP成長率は2.3%(要素価格,前期比年率)と景気の拡大テンポは緩やかになっている。とりわけ輸出産業を中心に製造業は深刻な影響を受けており,9月に入り世界的な経済環境や金融環境の悪化によるイギリスの景気先行への懸念から,イングランド銀行は金融緩和に転じ,政策金利(レポ金利)を2年6カ月ぶりに0.25%引き下げ7.25%とした。

物価は,97年中頃からサービス消費などを中心として高まってきており,97年の消責者物価上昇率は3.1%となり,98年4~6月期では4.O%まで高まった。また金融政策目標として重視している消費者物価指数(RPiX:金利の動向に影響を受ける住宅ローン利払費用を除いた指数)についても98年5月には3.2%まで上昇していた。しかしその後金融引締めの効果から98年9月の物価上昇率は3.2%(RPIXは2.5%)と低下している。

雇用は,景気の拡大に伴って大幅に改善しており,失業率は,98年9月4.6%となり,80年5月以来の低水準どなっている。しかし労働需給の逼迫により民間を中心に賃金上昇の高まりが見られ,そのことがイングランド銀行の意図する利上げによる消費抑制効果を弱める形となっている。経常収支は96年の6.O億ポンドの赤字から97年は80.1億ポンドの大幅な黒字となったが,98年に入ってからはEU域外との貿易収支の悪化などから,98年4~6月期では0.6億ポンドの黒字と黒字幅は縮小している。マネーサプライ(M4)の増加率は98年9月前年同月比8.9%増となった。為替は対マルク,対ドル共に概ね増価しており98年9月末現在1ポンド=1.7ドルとなっている。

(改善が続く雇用環境)

6年目に入る景気の拡大の持続を反映して,イギリスの雇用環境は大幅な改善が続いている。80年後半から上昇し93年に10.3%とピークとなった失業率はその後低下を続けており,97年には一段とその傾向を強めた。98年に入ってからも失業率は緩やかに低下を続けており,98年9月では4.6%となっている。

失業率の長期的低下傾向の主要因として順調な雇用の創出が上げられる。景気が本格的に回復し始めた93年の1年後より雇用の全体数は増加に転じており,94年から98年第1~3月期にかけて156万人以上の雇用を生み出した。また失業率の低下が顕著であった97年には,97年末の雇用者全体2,310万人に対して一年間で53万3,000人の雇用増加がみられた。

これら雇用の増加をセクター別に見てみると,大部分がサービス業を中心に増加していることが分かる。97年を見てみると製造業の,雇用が1,000人減少しているのに対し,サービス業では38万1,000人の増加がみられる。これら雇用の増加はこれまでの労働市場改革の影響とともに,景気の長期拡大に支えられた所も大きいと考えられる(第1-3-10図)。特に96年から97年にかけては(1)個人の実質勤労所得の増大,(2)住宅金融組合等の普通銀行転換等に伴う家計の一時的な所得増(windfall gains),(3)株価や住宅価格の上昇による資産効果などから個人消費が拡大し,これらがサービス業における雇用増加に好影響を与えたと思われる。

このように雇用環境は改善が続いているが,労働需給の逼迫から民間部門を中心に賃金が上昇していることや,金利上昇から来るポンドの増価により輸出不振となった製造業に人員整理が見られることなどから,これ以上の失業率の低下は難しくなってきている。

(新たな雇用対策‘福祉から就労へ’―Welfare to Work Program―)

イギリスでは,これまでの労働市場改革の効果や,ここ6年にわたる景気拡大により新たな雇用機会が生み出され,失業率は低下傾向を続けている。しかし全ての人が等しく労働機会を享受しているかというとそうではない。

若年失業者や長期失業者の問題については,これまでにも数々の対策を採ってきたにもかかわらず,依然として他のヨーロッパ諸国同様深刻な問題である。ILO方式の失業率で見ると25歳~49歳の失業率は98年5月~7月平均4.9%であるのに対し,若年労働層の18歳~24歳の失業率は同11.7%となっており倍以上の開きが見られる。また1年以内の失業者が97年129万6,000人であるのに対し,1年以上の長期失業者は同128万9,000人とほぼ同数となっている(第1-3-11図)。

97年5月の総選挙で圧勝し,18年振りに政権の座についた労働党ブレア政権はこれらの問題に対して,“Welfare to Work”(福祉から就労へ)プログラムを策定し,52億ポンドの予算を投じ若年労働者や長期失業者などの就労意欲や技能を高め,実際の雇用の場への参加を促そうとしている。

若年労働者に対するプログラムの内容は,就職先探しのため集中的な面接,ガイダンス,短期訓練に始まるが,これらにより就職先が見つからない場合には,(1)6ヵ月以上失業状態にある25歳未満の者を雇用する雇用主に対し週間賃金の約20%に相当する60ポンドを6カ月にわたり支給,(2)一定条件を満たす者に対するフルタイムの訓練や教育,(3)ボランティア組織での就労,(4)環境保護活動での就労の4つの選択肢が与えられている。また,長期失業者に対するプログラムは25歳以上で2年以上失業状態にあるものを雇用する雇用主に対し週75ポンドを6ヵ月間支給する内容となっている。

ブレア政権は雇用問題に対し,福祉に頼ることではなく働くことにより社会の枠組みに参加し失業者の自立を促す方針をより強く打ち出した。その一環として長期失業者,若年失業者に対する具体的政策を今回“Welfare to Work”プログラムとして打ち出したわけだが,プログラムの成果が今後どのように現れるか注目されるところである。

(5) イタリア:景気は緩やかに改善

イタリア経済は,96年には,実質GDP成長率が0.7%と低成長にとどまったが,政府が景気刺激策として97年初から自動車買換促進補助金制度を実施したことなどから,景気は緩やかに改善し,97年の実質GDP成長率は2.3%となった。同補助金制度は,98年1月末に対象が大幅に縮小され,7月末に終了したことから,自動車販売は98年に入って減速しているが,国内金利低下による設備投資増,個人消費増などから,内需は引き続き堅調に推移している。一方,対外面ではアジアとの貿易収支が98年に入って赤字傾向に転じた。実質GDP成長率は98年1~3月期前期比年率▲0.5%,4~6月期同1.7%となった。政府は98年の実質GDP成長率を1.8%と見込んでいる。

失業率は,高水準で推移している(98年7月11.9%)。物価は,生計費上昇率が98年9月前年同月比1.8%と安定している。経常収支は98年に入って赤字となる月が出てきており,98年7月は15.3億ドルの赤字を計上した。

金融面の動向を見ると,長短金利は97年に続き98年に入ってからも緩やかな低下傾向にある。マネーサプライ(M2:18ヵ月超のCDを除く)増加率は98年8月前年同月比8.7%となった。なお,イタリア銀行は10月に公定歩合を1.O%引き下げ,4.O%とした。

(緊縮的な財政政策を継続しつつ,雇用対策に重点)

イタリア政府は98年9月に99年度(予算年度は1~12月)予算案を閣議決定した。同予算案では,一般政府財政赤字を14.7兆リラ削減するとしており,一般政府財政赤字のGDP比は,2.0%となる計画である(第1-3-12図)。97,98年度に続いて緊縮的な財政政策をとる一方,雇用創出を目的とした社会保障費軽減や投資への優遇措置が盛り込まれた。

赤字削減の内訳を見ると,歳入面では社会保険料徴収の適正化などによる5.3兆リラの増収を,歳出面では公的企業に対する補助金削減や地方政府の歳出抑制などによる9.4兆リラの支出減を計画している。

雇用対策の内容としては,(1)雇用主の社会保障費負担を給与支払額に対して一律0.8%軽減,(2)南部における新規雇用者にかかる社会保障費負担を今後3年間にわたって凍結,(3)南部インフラ整備事業の実施が計画されている。政府は,これらの対策によって,南部地域を中心に60万人以上の雇用を創出し,失業率を2001年末には10.2%まで引き下げることを目標としている。社会保障費削減の財源としては,炭素税(石油・石炭などにかかる税金)の増税が計画されている。

以上のように,99年度予算案は,財政赤字削減策と雇用対策がバランス良く盛り込まれたものである。また,99年度の財政赤字削減目標は,このところの金利低下,物価の安定,景気の改善もあり,達成可能な水準と考えられる。一方,今後継続的に財政赤字・政府債務残高削減を進めるには,社会保障制度の見直しは避けられず,その中でも特に他のヨーロッパ諸国と比較して手厚い年金制度の改革が必要であろう。

(6) スペイン:景気にやや過熱感

スペイン経済は,94年初めから輸出主導で回復を開始,95年7~12月期に一時的に減速したが,96年初めから再び回復軌道に乗り,97年は拡大基調を維持した。98年に入ってからは,外需は減少しているものの,設備投資,個人消費を中心に,内需が大幅に伸び,このところ消費者物価に上昇圧力がかかるなど,景気にやや過熱感が出始めている。実質GDP成長率は,97年の3.5%から98年1~3月期は前期比年率3.8%,4~6月期は同3.5%となった。

消費者物価上昇率は,98年8月前年同月比2.1%と,97年と比較してやや高まっている。失業率は,労働市場改革の成果と景気拡大の恩恵を受け,94年1~3月期の24.5%をピークに低下傾向にある(98年7月18.6%)。国際収支をみると,経常収支は98年4~6月期・669億ペセタの黒字,貿易収支は98年4~6月期7199億ペセタの赤字となった。このところの輸入増や,一アジア向けの貿易収支の悪化などから貿易収支は悪化している。

中央銀行は,98年10月に市場介入金利を0.50%引き下げ,3.75%とした。マネーサプライ(M3)の伸びは,このところ鈍化している。

(民営化の推進と財政赤字の削減)

スペインでは,国家産業公社(INI:Instituto Nacional de Industria)が国の持ち株会社として基幹産業を育成した歴史があり,オイルシ当ツク後の再編,EC加盟による産業競争力強化を目指した再編を経た今も国営企業の比重が高い。

96年3月の総選挙によって社会労働党に代わって政権についた国民党は,欧州通貨統合第三段階の参加基準を達成するために,97年3月に第三次収斂計画を策定,生産性の向上と合わせて,国営企業の民営化を前面に掲げ,政府保有株売却収入の国庫組み入れによる財政赤字の削減を目指している。

97年に(よ,テレフォニカ(電話),レプソル(石油),エンデサ(電力),アルヘンタリア(金融)などの巨大企業の政府保有株が民間に放出され,聖域とされた国鉄の一部路線民営化も検討されている。

欧州主要国の株式市場の好調もあり,これらの政府保有株放出はスペイン株式市場に一大ブームを巻き起こし,104億ドルに達する収入を国家にもたらしたといわれている。順調な景気拡大と,歳出の抑制もあり,一般政府財政赤字のGDP比,一般政府債務残高のGDP比は減少傾向にある(第1-3-13図)。

今後も,政府はより広範な国営企業の民営化を推進する方針で,売却資産は総額で200億ドル(これまでのものも含む)に達するとしているが,石炭,造船産業では政府のリストラ計画に反発し,組合が大規模ストを行うなど,慢性的な赤字企業の売却には困難が伴うとみられている。

2 中・東ヨーロッパ:急速に進む国営企業民営化

中・東ヨーロッパでは,ポーランド,ハンガリー,チェッコの主要3か国について,96年以降の経済状態に差がみられ始めている。

97年末には欧州理事会により3か国ともEU加盟交渉の第一陣として選ばれ,各国共に早期のEU加盟を目指している。しかし各国経済の現状を見ると,ポーランドは着実な拡大を続け,ハンガリーも着実な回復を遂げているのに対し,チェッコでは97年半ば以降,通貨の大幅な減価から物価が大幅に上昇したことや,財政の引締めなどから経済状況は急速に悪化している(第1-3-14図)。

ルーマニア,ブルガリアなど,その他の中・東ヨーロッパ諸国は,経済状態はいまだ低迷しており,IMFや世界銀行の支援のもと,経済安定化,回復に向けて緊縮政策をとっている。ルーマニア,ブルガリアでは市場経済化を進めるため,97年以降活発になった国営企業の民営化を急ピッチで迫めようとしている。

(ポーランド:内需拡大を中心に好調を維持)

ポーランドでは,実質GDP成長率が92年にプラスに転じ,その後順調に成長を継続してきている。95年以降は6~7%台の高成長を続けており,96,97年の実質GD1P成長率は,それぞれ6.1%,6.9%となった。98年に入っても第4~6月期の成長率は5.3%となり,やや減速の傾向がみられるものの,高水準での成長を維持している。

96年以降の高成長を牽引しているのは,拡大する消費と急増する海外からの直接投資である。直接投資額は96年に50億ドルと前年比倍増した後,97年は66億ドルとなり,累計受け入れ額でハンガリーを抜いて中・東ヨーロッパで最大の受入れ国となった。また,これらの好調な国内経済の要因としては市場経済移行後の,外国投資家にも開放された国営企業民営化が順調に進展したことも挙げられる。国内需要の拡大にもかかわらず,消費者物価上昇率は,96年は19.9%,97年は14.9%,98年8月でば11.3%と高水準ながら改善傾向にあり,失業率も97年は10.5%,98年8月は9.5%と低下している。

好調な国内需要を受けて輸入の増加が輸出の増加を大幅に上回り,貿易収支赤字は96年の127億ドルから97年は166億ドルへと拡大した。経常収支赤字も96年の14億ドルから97年は43億ドル(GDP比5.5%),と97年を通じて著しく拡大しており,引締め政策による政府の対応にもかかわらず,更なる赤字拡大が懸念されている。一方,外貨準備に関しては増加基調で推移しており,98年7月には268億ドルと97年末比約30%増加した。

国営企業の民営化については,それまで基幹産業以外の民営化が中心であったが,98年に入り銀行を中心とした民営化が相次いでいる。また民営化,合理化の遅れが指摘されていた石炭,鉄鋼,化学などの基幹産業についても,今後2~3年で民営化するとされている。

(ハンガリー:緊縮政策の効果により回復軌道へ)

ハンガリーでは,膨れ上がる財政収支と経常収支の赤字に対処するため,95年3月以降,「ボクロシュ・プログラム」と呼ばれる財政緊縮政策がとられている。

財政の緊縮により,実質GDP成長率は,95年1.5%,96年1.3%と減速したが,96年後半から,工業を中心として生産が急速に回復し,97年の実質GDP成長率は,4.4%と市場経済移行後10年で最高の成長率となった。98年に入っても4~6月期の成長率は5.1%となるなど回復を続けている。

緊縮政策と並行して国営企業の民営化を加速させ,現在民営化は最終段階となっている。結果として,現在銀行資本の六割が外国資本となるなど中・東ヨーロツパ主要三ヵ国の中で外資の受入れが最も進んでおり,外資導入による経営の効率化なども景気の回復の一要因として挙げられる。

フォリントの小刻みな切下げをおこなう「クローリング・ペッグ制」や財政緊縮の影響もあり経常収支赤字は95年以降縮小に向かっている。物価上昇率も95年には28,2%にまで上昇したが,98年8月は13.5%と高水準ながら低下している。

(チェッコ:悪化する経済状態)

チェッコでは市場経済化後,93年に実質GDP成長率がプラスに転じ,95年には6.4%となり回復基調を続けてきた。しかし96年には3.9%となり成長率は再び低下傾向となっている。

内需拡大を背景として95年初より継続していた貿易収支,経常収支の赤字拡大などから,97年には通貨が大幅に減価し,5月には通貨バスケット制から完全変動相場制へと移行した。通貨減価の影響による物価の上昇,消費の鈍化などから97年の実質GDP成長率は1.O%にまで鈍化し,98年,4~6月期の実質GDP成長率は2.4%減となるなど経済状態は大幅に悪化している。

通貨の減価による輸入の減少から,97年の経常収支赤字は前年比30%減少するなど改善している。消費者物価上昇率は,96年は8.8%,97年6月前年同月比6.7%と低下傾向にあったが,97年央から,通貨減価による輸入物価の上昇などにより97年,10~12月期には10.1%まで上昇し,98年に入ってからも13%台の高水準で推移していた。しかし,政府の緊縮政策により98年8月には9.4%まで低下している。

97年の11月にはチェッコの市場経済化を率いてきたクラウス首相が,市民民主党の政治資金疑惑などから首相を辞任し,中央銀行総裁のトショフスキー暫定内閣を経て,6月の総選挙によりチェッコ社会民主党のゼコン議長が新首相新首相となった。

(その他中・東ヨーロッパ諸国:経済停滞の深刻化)

ルーマニアでは,96年末の新政権発足後,97年2月より緊縮政策,価格の自由化,外国為替市場の自由化などから成る経済改革プログラムを実行に移してきたが,97年の実質GDP成長率はマイナス6.6%となり,消費者物価上昇率は97年154%にまで急上昇し,消費は大きく減速した。98年3月には経済改革の遅れの責任をとる形で,首相が辞任した。新政権は企業改革,民営化による経済成長により98年の実質GDP成長率1%を目標としているが,非現実的との見方が大勢である。

ブルガリアでは,97年4月の総選挙で誕生した統一民主勢力同盟新政権の下でIMFの)支援を受けながらマクロ経済安定化に努めてきた。97年前半には1000%を上回っていた消費者物価上昇率は,通貨をマルクにペッグして通貨供給を制限することで後半には収束し,97年は578%となった。しかし実体経済はこれら急激な物価.上昇などの影響から停滞しており,実質GDP成長率は,96年前年比11%減に続き97年も6.9%減となった。

緊縮政策により国内投資資金が不足しており,民営化を急速に進めることによる外資導入により,経済の回復を図ろうとしている。銀行の倒産,金融危機や政治的な混乱もあり,経済状態は依然厳しい状態が続いているが,IMFによる金融面などの安定化プログラムの実施,西側諸国からの資金支援,民営化収入などにより,ブルガリア経済は,97年前半には危機的な状況を脱した。

《コラム1-4》 チェッコ・ポーランド両国の民営化の違い

チェッコ・ポーランドの両国は共に1989年より市場経済移行を開始し,国営企業の民営化を進めてきた。チェッコでは国営企業の株式と一定比率で交換可能な利権証(バウチャー)を国民に低価格で配布る事で民営化を進める「バウチャー方式」を他の移行国に先駆け導入した。一方ポーランドは売却先に外国資本も含め公平な入札により国営企業の株式を売却する「入札売却方式」を採用した。

(図)

「バウチャー方式」を採ったチェッコでは民営化を迅速に進めることが出来た。しかしその過程で実質的に国営銀行傘下の投資基金がバウチャーや株式の多くを買い集めたために,企業の経営体質が変わらなかったことや,さらに政府が失業率を上昇させたくなかったこともあり,赤字企業を合理化することが出来なかった。・人員整理などの合理化の遅れにより失業率はこれまで低く抑えられてきたが,その代償として97年頃から銀行の不良債権問題が深刻化し,チェッコ経済に大きな影響を与えている。

「入札売却方7式」を採用したポーランドでは外国資本が赤字企業の合理化を積極的に進めたため,市場経済移行当初は失業率の上昇などの痛みを伴ったが,外国企業の新規直接投資の増加や株式市場の整理などにより,経済に好影響を与えている。

98年に入リチェッコでは三大銀行やチェッコ電力の民営化を予定しており,外国資本の導入の姿勢を強めつつある。ポーランドでも銀行の民営化を進めており,これまで以上の外国資本の取入れを図っている。両国ともEU加盟に向けて国有企業民営化の一層の積極化を図っているが,(ポーランドでは石炭,鉄鋼など非効率とされる基幹産業の民営化はこれからであり,チェッコでも銀行の非効率な経営が指摘されるなど,)合理化を伴った真の民営化は両国ともこれから本格化することになる。

3 ロシア:ルーブル切下げ

ロシアでは,92年の市場経済への移行開始以来マイナス成長が続いていたが,97年の実質GDP成長率は前年比0.8%増と初のプラス成長となった。しかし,98年に入り,ロシアの主要外貨取得源である原油価格の下落やアジア通貨・金融危機の影響などにより,実質GDP成長率は,98年4~6月期前年同期比0.9%減,7~9月期同7.5%減となった。また,鉱工業生産も97年前年比1.9%増から,98年4~6月期前年同期比1.3%減,7~9月期同11.8%減となり,再びマイナス成長へと転じた(第1-3-15図)。

雇用情勢を見ると,失業率については,96年末9.3%より97年末には10.8%と徐々に上昇しており,98年に入ってもその傾向は変わらず,8月末は11.5%となっている。消費者物価上昇率は,政府の緊縮政策により低下基調にあり,96年の前年比21.8%から,97年には同11.0%,98年7月には前年同月比5.6%となっていたが,ルーブル切下げの影響により8月同9.6%,9月には同52.2%と急騰した。

貿易収支(「シャトル貿易(運び人による個人貿易)」を含まない)は,黒字を続けているが,原油価格低下などの影響を受け,非CIS諸国との貿易収支黒字は97年10~12月期の73億ドルから98年1~3月期37億ドル,4~6月期47億ドルと大幅に縮小した。

(ロシア金融危機)

98年5月下旬,債券・為替市場において売り圧力が強まると同時に株価も下落し,金融危機に見舞われた。RTS株式指数は5月末で年初より50%以上下落し,短期国債(GKO)平均利回りについても年初の30%弱がら5月末には70%強まで上昇した。一方,ルーブル(対ドル公式レート)は,ロシア政府による市場介入や公定歩合の引上げなどにより,5月末で年初より3.3%の下落にとどまった。

一連の金融危機の背景には,97年に外国資金(主として短期)が大量に流入していたことが挙げられる。海外からのポートフォリオ投資額は96年99億ドルから456億ドルへと大幅に増加した。これらの資金が次の要因により,ロシア国内から流出し,金融危機を引き起こすこととなったと思われる。第一に,財政赤字が挙げられる。97年財政赤字のGDP比は7.O%となり,96年同7.9%より若干の改善が見られるものの,依然として高い水準であり,抜本的な歳入増加策は実現していなかった。第二に,ロシアの主要外貨取得源である原油の国際市場価格の低下が挙げられる。これにより,輸出額が大幅に落ち込んだため,貿易収支黒字は大幅に縮小している。このようなファンダメンタルズの悪化に加え,アジアの経済情勢の影響や不安定な国内の政治・社会情勢等も要因の一つになったと考えられる。

金融市場の安定化を図るため,ロシア政府は度重なる公定歩合の操作,国際支援を受けるために西側で信望の厚いチュバイス氏の対国際機関大統領特別代表としての起用,政府予算の歳出の削減や徴税強化を柱とした経済金融安定化ブログラムの策定などを行なった(第1-3-16図)。

他方,IMFは経済金融安定化プログラムの策定を受け,徴税強化や補助金削減の遅れなどを理由に延期していた拡大信用供与に基づく6億7,000万ドルの融資を6月30日こ実施した。その後,ロシアは100~150億ドルの追加融資を要請し,7月13日には,財政赤字削減等を条件にIMFや世界銀行,日本から総計226億ドルの融資を受けると発表した(第1-3-17表)。

しかし,国会での経済安定化関連法案の審議の結果,IMFが融資条件としていた財政関連の全ての項目を承認するには至らなかったため,IMFによる第1回目の融資は48億ドルと当初予定より減額されることとなった。このような議会の改革に対する消極的な姿勢は,市場の信認を一層低下させ,株価9下落,国債及びルーブルの売り圧力を高める要因となった。

(ルーブル切下げ)

8月に入り,短期国債償還のための財源が不足するとの懸念や,経済金融安定化プログラムの実現性への疑問などにより,年初と比べ8月14日時点の株価は71.O%,通貨は5.O%下蕗,また国債平均利回りは140.8%まで上昇し,金融市場が混乱状態となったため,ロシア政府と中央銀行は8月17B,2000年までの間1ドル=6.2ルーブルを中心に上下15%(1ドル=5.25~7.15ルーブル)としていた目標相場の1ドル目6.0~9.5ルーブルへの変更や,民間の一部の対外債務支払いの90日間の停止,99年末までに償還期限を迎える中・短期国債の新規国債への切り換えなどを盛り込んだ共同声明を発表した。

この実質上のルーブル切下げ措置には原油などの輸出による手取りが拡大し,短期的には財政再建にもつながるといったプラスの側面もある。しかし,小売販売の約50%を輸入に依存しているロシアにおいてはある程度の物価上昇は避けられず,また,地方行政府の中には既に価格統制を導入するなどの対応をとっているところもあり,国民の生活にマイナスの影響を与えている。

ルーブル切下げ後,減価傾向はますます強まり,9月初めには,目標相場圏の放棄し,変動相場制へと移行したが,今後,貨幣増刷や為替管理の強化などこれまでの経済政策の路線転換を求める国会と,市場経済化への構造改革の推進を求める国際社会との間で,政府がどのような対応をとっていくのか注目される。

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