平成10年 年次世界経済報告 平成10年度年次世界経済報告(世界経済白書)の公表に当たって

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世界経済について回顧と展望をすることが今は大変難しい時期である。97年後半から始まったアジア諸国における通貨・金融危機は,ロシア,中南米にも拡大,全世界的な重大問題に発展しているからである。

もちろんこれは,通貨・金融独自に生じたことでもなければ,通貨・金融部門にとどまるものでもない。過去長年にわたって生じて来た雇用を含む実物経済における変化と,国際的な流動性の拡大が累積させた問題が,97年に至って急激に顕在化したものといえる。それだけにアジア諸国における経済の収縮は,大方の予想をはるかに越える結果になった。

これとは別に,98年8月にはロシア経済が急激な市場化の失敗等から破綻し,欧州などに少なからぬ影響を与えている。また,新興市場国における市場経済の混乱は自由経済に対する失望感と警戒感を広げている。

ヨーロッパとアメリカの経済は,過去1年概して良好だったが,アジア,ロシア,そして中南米にも広がった新興市場国経済の危機を目の当たりにして,神経質な動きになって来た。率直にいって,今や世界経済はアジア危機に端を発する信用,実物経済の両面の収縮によって,強いデフレ圧力を受けている。

比較的良好な経済状態を続けて来た欧米経済も,低金利政策などによって,デフレ対策を積極化すべき局面に至ったといえるのではないだろうか。

世界経済,とりわけ国際通貨・金融の制度と政策は,金ドル交換停止,主要国の変動相場制への移行,オイルダラーの急増等に見舞われた1970年代前半以来四半世紀ぶりの重大局面(変革期)を迎えているといえる。

本白書においては,第1章において97年から98年前半までの世界経済の動向を,第2章においては,アジアの金融・通貨危機とその世界的影響を取り上げた。特に後者においては,東アジア5か国(韓国,タイ,マレイシア,インドネシア,フィリピン)の金融・通貨危機の深さと広がりを分析,これが雇用を含む実物経済に深刻な影響を与えている実態の分析に努めた。

アジア経済は,80年代から外国資本を積極的に取り入れ,外国の技術や華人の経営力を活用し,外国市場への輸出製品を量産することで急速に工業化して来た。この方式は,それまでの発展途上国の開発に採られていた国内市場の統合,インフラストラクチャーの整備,輸入代替の優先という発想とは違ったものであった。

そのためもあって,この「アジア方式」の成功は,国際的な金融・貿易の自由化の進展と電子制御技術の普及による新しい工業開発方式として注目されたものである。

だが,今次のアジア諸国の金融・通貨危機とそれに伴う実物経済の劇的な収縮は,この方式の問題点を明確にした。同時に,瞬間的に巨額の短期資金が流動する国際金融システムの危険性を示唆することにもなった。

アジアの金融・通貨危機とその後の世界経済の不安定化は,なお進行中の事件であり,その原因と結果を解明するのは性急に過ぎるであろう。従ってここでは,その現状と予想できるいくつかの危機のシナリオ及びそれを防止する対策を示すにとどめた。また,国際金融システムの諸問題についても,日本を含む諸国で検討中の問題なので,その意見を紹介するにとどめた。

本白書の第3章は,雇用問題について,詳しい分析を行った。経済の自由化と人口構造の変化の進むなかで,我が国においても遠からず雇用が重大な問題となる可能性があると考えたからである。

近年における欧米の労働市場は,従来から柔軟性を持って来たアメリカの他,イギリスやオランダなどでも柔軟性が増し,雇用が増加し失業率が低下している。

その一方,ドイツ,フランス,イタリアなどの大陸欧州諸国では,景気の回復,拡大にもかかわらず,雇用の伸びは緩慢であり,二桁の失業率が続いている。このように雇用情勢の二極化が進んだのは,各国労働市場の柔軟性や,それを取り巻く制度と慣習などさまざまな要因のためと考えられる。

99年1月に始まる通貨統合後のEUでは,資本は国境にかかわりなく移動することを考えれば,雇用の増加を図るためには,今まで以上に労働市場の改革を進める必要性が指摘されている。このことは,今後の日本にとっても,「他山の石」というべきであろう。

本年度の世界経済白書は,以上のような長期短期双方の問題意識も併せて作成した。これが世界経済と日本経済の在り方を考える上での指針となれば幸いである。

平成10年11月20日

堺屋 太一

経済企画庁長官

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