平成7年

年次世界経済報告

国際金融の新展開が求める健全な経済運営

平成7年12月15日

経済企画庁


[前節] [目次] [年次リスト]

第3章 国際金融の新展開と東アジア

第2節 資本流入への政策対応

途上国全体へのネット資本流入は,80年代後半には停滞したが,90年代に入って拡大した(本章第1節1参照)。途上国に対して海外から資本が流入すれば,資本が流入した途上国では,次のようなメリットが生じる。①国内金利が低下し,国内投資を始めとする国内支出が拡大する,②外貨制約が緩和されるため,先進国から優れた資本財や中間財を輸入することが可能となり,生産効率が高まったり,製品の品質が向上したりする,③特に,直接投資の流入は,国内の設備投資を拡大するとともに,技術や経営ノウハウの移転を促進する。

したがって,途上国に資本が持続的かつ安定的に流入すれば,途上国の成長の加速が可能になると考えられる。

しかし,94年には,証券投資を中心に新興経済への資本流入が減少するとともに,新興経済,特に中南米から海外へ資本が流出し,そのような資本の流れの変化のなかC,94年末にはメキシコ通貨危機が発生した。こうした経駿を契機に,資本流入が途上国経済に及ばず悪影響が注目を集めている。

資本流入は,資本を受け入れる途上国の経済に対して,望ましい影響を与えるだけではなく,資本流入の大幅な拡大が続いたり,その反動で資本の逆流が生じる場合には,悪影響を及ぼす可能性もある。すなわち,活発な資本流入によって経済が加熱化し,①インフレ,②為替レートの割高化(実質為替レートの増価)による競争力の低下と経常収支赤字の拡大,が生じうる。また,流入した資本が急に逆流すると,③外貨危機が生じたり,④金利急騰によって景気が低迷したりする。このような悪影響が生じる場合には,途上国政府は,資本流入に対して,政策的な対応をとる必要が生じる(第3-2-1図)。

以下では,90年代前半に資本流入が拡大した東アジアにおいて,どのような経済的影響が生じ,どのような政策対応がとられたかを検討する。

1 資本流入の経済効果と政策課題

資本が途上国に流入すると,どのような悪影響が生じうるのであろうか。

資本流入の経済的影響を検討するにあたっては,途上国の為替制度の違いを考慮に入れる必要がある。途上国は,国によって様々な為替制度を採用しているが,採用している為替制度によって,資本流入が及ばす経済的影響は大きく異なるからだ。途上国の為替制度は,①ドルなどの単一の通貨にペッグする固定相場制,②政府が政策的に為替レートを調整する管理フロート制(通貨バスケット方式を含む),③変動相場制,の3種類に分類できる。

ここでは,2つの対照的な為替制度であるドル・ペッグ制(自国通貨の対ドル名目為替レートを,外国為替市場で介入を行うことによって固定するものと仮定)と変動相場制(外国為替市場での介入を全く行うことなく,市場における自国通貨と外国通貨の需給によって為替レートを決定するものと仮定)をとりあげ,①資本流入の大幅な拡大が続く場合,②その反動で資本の急速な逆流が生じる場合,の2つのケースに分けて,資本流入が資本受入国経済に与える悪影響について検討する。なお,管理フロート制のもとでの資本流入変化の影響は,一般に,ドル・ペッグ制と変動相場制の中間的なものとなるが,実際の運用上ドル・ペッグ(変動相場)制に近い形で運用されていれば,その影響もドル・ペッグ(変動相場)制の下での影響に近くなる。

(1)大幅な資本流入拡大の影響

まず,資本流入の大幅な拡大によって生じうるマクロ経済上の問題を見てみよう。

(インフレの加速)

固定相場制の下では,資本流入が拡大した場合に,通貨当局は,自国通貨が増価しないようにするため,外国為替市場に介入し,流入した外貨を買い上げる必要がある。そのため,ハイパワード・マネー(現金と銀行の中央銀行準備金)が増加してマネーサプライが増加し,インフレ圧カが高まる。また,一般物価(財・サービスの価格)のみならず,株価,地価,貴金属価格などの資産価格にも上昇圧力が働く。(注3-10)

一方,変動相場制の下では,通貨当局は外国為替市場に介入しないので,資本流入が拡大しても,介入によってマネーサプライは増加せず,インフレ圧力が高まることはない。

したがって,固定相場制の下で,資本流入が拡大した場合には,インフレを抑制することが,資本流入国の政府にとっての重要な政策課題となる。

(為替レートの割高化:実質為替レートの増価)

固定相場制の下では,名目為替レートが固定されているため,海外からの資本流入が拡大してインフレが加速すれば,資本流入が拡大しなかった場合に比べて,実質為替レートは増価する(つまり,為替レートが割高になる)。

一方,変動相場制の下では,資本の流入が拡大すると,資本受入国の通貨に対する需要が高まるため,名目為替レートには増価圧力が働くが,一方インフレ圧力が高まることはない。したがって,名目為替レートが増価しただけ,実質為替レートは増価する。

このように,資本流入の拡大は,固定相場制の下ではインフレの加速を通じて,また変動相場制の下では名目為替レートの増価を通じて,いずれの為替相場制度の下でも実質為替レートを増価させる。

(競争力の低下と経常収支赤字の拡大)

資本流入が拡大して実質為替レートが増価すると,海外で生産される財・サービスが国内で生産される財・サービスよりも割安になる。そのため,国内で生産される貿易財(衣服,自動車のように,国際取引される財。主に,製造業製品や一次産品)の競争力は低下し,国内生産が縮小する反面,海外製品の輸入が拡大する。つまり,資本流入の拡大に伴う為替レートの割高化によって,貿易財産業は縮小し,また貿易収支赤字,経常収支赤字が拡大する。一方,資本流入の拡大に伴って国内支出が拡大するため,非貿易財産業(主に,第3次産業)の生産は拡大する。

近年,途上国の中には,外向きの経済政策を採用して貿易自由化を行い,貿易の拡大を通じて経済成長を促進しようとしている国が多い。こうした国々では,同時に資本取引の自由化も徐々に進めているわけだが,資本流入が拡大して実質為替レートが増価すると,経済成長にとって重要な輸出産業(貿易財産業)が縮小し,貿易自由化の本来の目的の一部が損なわれる。また,大幅な経常収支赤字が継続して対外債務が積み上がった国々は,投資家の信認を失い,国際金融市場から資金調達をすることが困難になる。

したがって,資本受入国の政府にとっては,資本流入の急速な拡大が実質為替レートの大幅な増価につながるのを回避することが,政策課題となる。

(2)資本の逆流による影響

メキシコでは,94年末の通貨危機の際に,証券投資資金を中心に,大幅かつ急速な資金の流出に見舞われたため,為替レートの減価,金利の上昇,インフレなどが生じ,厳しい経済調整を余儀なくされた。以下では,流入資本の形態の違いに着目し,証券投資資金を中心とする短期資金(HotMoney)の急激な流入減少や,急速な流出が生じた場合に,どのようなマクロ経済上の問題が起こるかを考えてみよう。

(証券投資受入れのリスク)

直接投資,長期銀行借款,公的借款などの形態の流入資本に比べ,短期証券への投資を始めとする短期資金には,変動が激しく,資金の流入が一時的なものに終わったり,急速に逆流したりするリスクがある。

政治情勢の不安定化,為替大幅切下げ期待の高まり,政府対外債務のデフォールト・リスク(返済不履行り支ク)の高まり,主要な輸出品の価格の急落,といったショックが生じると,海外投資家は,証券投資資金をこれまで投資してきた国から引き揚げる可能性がある。こうしたショックによって,当該国の投資環境が悪化し,投資の期待収益率が低下したり,リスクが高まったりすれば,証券は売買が容易なので,海外投資家は,当該国の証券を売って,別の国の通貨建て資産を保有しようとする。そのため,証券投資資金のフローは,変動が激しく,非常に短い期間に逆流するリスクがある。

(為替レートや金利の変動)

急激に証券投資資金が引き揚げられた国では,株価が下落するだけでなく,為替レートや金利の変動が生じ,実体経済に悪影響が生じる。また,固定相場制や管理フロート制の下で,外貨準備が少なければ,外貨危機を生じる可能性もある。

固定相場制や管理フロート制の下で一定の為替レートを維持しようとする場合,資本が流出すると,通貨当局は外貨を売って自国通貨を買い支える必要が生じ,外貨準備が減少する。逆に,自国通貨は金融当局に買い上げられるので,国内のマネーサプライが減少し,国内金利は上昇する。また,急激な資本流出が継続すれば,外貨準備が底をつき,外貨危機を生じる可能性もある。一方,変動相場制の下では,大幅な資本流出が生じた場合,外国為替市場で外国通貨の供給(ドル売り)が減少するため,自国通貨が急速に減価する。

金利や為替レートが短期的に変動すると,投資がら得られる期待収益の不確実性が高まるため,海外・国内の投資家の投資が抑制され,資本流入自体が縮小し,資本流入のメリットをも損なう恐れがある。また,短期的には,金利の大幅な上昇によって,景気後退と失業の増大が生じる。中長期的には,金利や為替レートの変動が大幅であれば,生産構造を短期間に大幅に調整するには諸々のコストがかかるため,望ましい資源配分が実現されず,経済厚生上の損失が大きくなる。また,為替レートの大幅な減価は輸入物価の上昇を通じて,インフレをもたらすという悪影響ももたらす。

例えば,資金流入の大幅な拡大が続き,実質為替レートがオーバーシュート(経済ファンダメンタルズがら大幅に乖離)して行き過ぎた増価が続くと,相対価格の変化を通じて,輸出産業の海外移転が進んだり,輸入品と競合する産業が撤退したりするといった経済構造の変化が生じ,ファンダメンタルズにそぐわない経済構造が形成される。こうして形成された経済構造は,不可逆的な要素を含んでいるため(履歴効果),実質為替レートがファンダメンタルズを反映した水準に戻った後も持続する。そのため,市場で成立している為替レートとファンダメンタルズにふさわしい経済構造がかい離し,資源配分を長期に渡って歪めることになる。したがって,変動相場制を採用するなどして,為替レートの変動をある程度許容している国では,資本流入によって為替レートの変動が過度に大きくなると,資源配分の非効率化や失業増加といった経済構造の調整コストを生じる可能性がある。

通貨当局にとって,証券投資の流出入によって,こうした悪影響が生じないよう,為替レートの過度の変動を抑制することが政策課題となる。

2 資本流入への政策オプション

多くの新興経済は,近年,国際金融市場へのアクセスを高め,積極的に海外から資金を取り入れて成長を促進する一方,大幅な為替レートの増価やインフレの加速を避けるように努めてきた。また,将来において逆流する可能性のある短期証券投資のような短期の投機的資金の流入を抑制する国も見られた。

資本流入に伴う問題に対処するため,途上国政府がとりうる政策オプションは,次の3つに分類することができる。第1のオプションは,資本移動を制限し,大幅なネット資本流入や資本の逆流を抑制することである。第2のオプションは,不胎化介入である。不胎化介入とは,外国為替市場へ介入して外貨を買うことによって,為替レートの増価を防ぐとともに,介入によって増加したマネーサプライを売リオペなどによって吸収することによって,インフレを防ぐ対応である。第3のオプションは,緊縮的財政政策である。政府支出削減などによって,資本流入に伴う国内需要拡大が相殺されてインフレ圧力が低下するとともに,金利が低下して資本流入が減少することが期待される。以下では,これらの政策オプションが機能するプロセスについて検討する(第3-2-2図)。その後本節4で,東アジアでは実際にどのような政策対応がとられたか検証する。

(1)資本移動の制限

資本移動の制限は,①大幅なネット資本流入の抑制と,②資本の逆流の抑制,を目的としている。

(ネット資本流入の抑制)

ネット資本流入を抑制する方法には,①資本流入の制限,②海外投資の促進,の二つの方法がある。

① 資本流入の制限

資本流入制限のねらいは,国内の生産的な投資に向かい,国際競争力の向上に貢献すると考えられる資本(直接投資や長期の株式投資など)の流入を損なうことなく,短期の利益を追求する変動の激しい資本(短期の証券投資など)の流入を制限することにある。また,資本流入の制限は,通貨当局が短期の投機的資金の流入について懸念を持っていることを示すアナウンスメント効果を持っており,海外投資家の投資意欲を抑制する働きがある。

資本流入を制限する手段には,規制による直接的方法と,課税などによる間接的方法がある。例えば,チリでとられている政策手段をみると,直接的方法としては,①海外投資家による国内への短期証券投資,②国内企業による海外からの借入れ,③非居住者の預金預け入れ,などに対する総量規制が挙げられる。また,間接的な方法としては,①海外からの短期資金の借入れに対する課税,②銀行が受け入れる非居住者からの預金に対しで高い必要準備(法定の中央銀行への無利子預金積立)を課することが挙げられる。これらの間接的手段は,国内の資金調達者の調達コストを高めて海外資金への需要を弱めたり,海外投資家の受け取る収益を低下させて国内への投資インセンティブを弱めることによって,短期の投機的資本の流入を間接的に抑制することを目的としている。

② 海外投資の促進

海外への直接投資規制を緩和したり,年金基金などの国内の機関投資家の海外証券への投資を占あ化するこどなどによって,海外投資親制が緩和されれば,資本流出が拡大し,資本流入を相殺するため,ネット資本流入を抑制することができる。例えば,タイでは,91年4月に,居住者に対して,投資目的による500万ドルまでの外貨持ち出しと,タイの銀行での外貨預金口座の開設を許可した。チリでも,92年から選択的な資本流出規制の緩和を行っている。

ただし,海外投資規制の緩和が進めば,海外の投資家は,資本移動自由化を始めとするその国の経済政策全般に対してコンフィデンスを強め,その国への投資リスクを低く評価するようになる可能性がある。その場合には,海外の投資家にとって,かえってその国への投資を拡大するインセンテイブが強まる一方,その国から資金を引き揚げるインセンティブが弱まるため,ネット資本流入が拡大する可能性がある。また,海外投資規制を緩和すると,一たび,投資環境に変化が生Eた場合には,資本の逆流を助長する可能性もある。

(資本の逆流の抑制)

多くの途上国では,急速な資金流出が生じて経済に撹乱的影響が及ぶのを防ぐため,ある一定期間に持ち出すことができる資本の量を制限するなど,資金の流出を規制している。例えば,チリでは,海外投資家が短期証券を購入する場合に,ある一定の期間,その証券の売却を禁じている。

また,資本流入の規制は,短期資金の流入を抑制することを目的としているため,将来において外国資本が逆流するリスクを小さくする効果を持つ。

(2)為替レート政策

(外由為替市場での不胎化介入)

一般に,通貨当局が外国為替市場で外貨買い介入(ドルなどの外貨を買って自国通貨を売ること)を行えば,マネーサプライが増加し,インフレ圧力が高まる。したがって,資本流入が拡大すれば,固定相場制の下では,インフレ圧力が高まる。しかし,変動相場制の下でも,通貨当局が,自国通貨の増価をある程度抑えるために,外国為替市場で外貨買い介入を行えば,自国通貨の増価は抑えられるものの,インフレ圧力は高まる。

外貨買い会入によってインフレ圧力が生じないよう,多くの国の金怠当届は,公開市場操作によって売リオペ(中央銀行保有の国債などの債券を売り,流通通貨を減少させること)などを行い,外貨買い介入によるマネーサプライの増大を不胎化(Steri1ization)し,マネーサプライの増加を抑制している。

不胎化の具体的な手段としては,売リオペのほかに,銀行の預金準備率の引上げ,銀行の貸出上限の設定,などの方法がとられている。

また,資本流入に伴う外貨買い介入によって外貨準備が蓄積されれば,その後,外国資本が逆流した場合に,通貨当局は,自国通貨買い介入(外貨を売って自国通貨を買うこと)によって,自国通貨の減価を防ぎ,変動を抑えることができる。

(より柔軟な為替レートの設定)

資本流入の拡大に直面した途上国の中には,変動相場制に移行したり,あるいは為替レートの変動幅を拡大して,より変動相場制に近い制度へ移行し,自国通貨の増価を許容する政策をとる国も見られる。為替レートの変動を許容して自国通貨が増価すれば,自国産業の競争カが低下するというデメリットはあるものの,①外貨買い介入によるインフレ圧カが弱まる,②為替レートが増価することによって,輸入物価が低下し,インフレが抑えられる,③為替レートの変動力吠きくなり,市場参加者の直面するリスクが高まるため,短期の投機的資金流入を防ぐ,といったメリットがある。

(3)緊縮的財政政策゜

資本流入に対する一つの政策オプションとしては,緊縮的財政政策が挙げられる。タイでは,80年代後半以降,大幅な資金流入が続いたため,88年がら91年にかけて,緊縮的財政政策がとられた。緊縮的財政政策は,次のような効果を通じて,資本流入の拡大を抑制したり,資本流入の拡大にょる悪影響を緩和したりする。

    ①緊縮的財政政策は,総需要を抑制してインフレ圧力を弱める。つまり,資本流入の拡大に対して実施された外貨買い介入によるマネーサプライの増加が,十分に不胎化されない場合には,総需要が拡大するが,緊縮的財政政策は,この總需要の拡大を相殺してインフレを抑える。また,インフレが防止されるので,実質為替レートが割高になるのが避けられる。

    ②公債発行が抑制され,金利が低下することがら,金利差に反応して生じる資金流入のインセンティブを弱める働きがある。特に,短期の投機的な資本流入(Hot Money)が,拡張的な財政政策による金利の上昇によって生じている場合には,財政政策をより緊縮的なスタンスに転換することは,資本流入の拡大への適切な対応策といえる。

    ③緊縮的財政政策によって財政収支が改善し,政府貯蓄(税収一経常支出)が増加すれば,国民貯蓄が増加して経常収支赤字が減少するため,リスク・プレミアムが低下して,持続的な資金流入に資すると考えられる。

3 東アジアへの資本流入の活発化とその経済的影響

これまで,資本流入が資本受入国経済に与えうる悪影響と,それに対する政策オプションについて考えてきた。それでは,東アジア(アジアNIES1 ASEAN,中国)においては,90年代前半の時期に,活発な資本流入がマクロ経済にどのような影響を与えたのであろうか。また,94年末に発生したメキシコ通貨危機の影響は,東アジアにどのように波及し,東アジア諸国はどの上うな政策対応をとったのであろうか。ここでは,東アジアと同様に,90年代前半に資本移動の拡大を経験し,またメキシコ通貨危機の震源地となり,同危機の経済への影響も大きかった中南米主要国(ブラジル,メキシコ,アルゼンチン,チリ)と比較しつつ,検討してみよう。

(1)90年代前半の資本流入拡大の影響

(資本流入の拡大)

まず,90年代前半における,東アジアと中南米へのネット資本流入の規模を比較してみよう。東アジアと中南米の国際収支を経常収支(プラスは黒字),資本収支(プラスは黒字),外貨準備の変動(プラスは減少)に分けてみると,東アジアへの資本流入(資本収支の黒字)は,80年代末を底に増加しており,93年には504億ドルに達した。94年には,やや減少したものの447億ドルの資金が流入している。一方,中南米への資本流入も,89年以降増加が続き,93年には530億ドルまで拡大した。しかし,94年の中南米への資本流入は,385億ドルへと縮小した(第3-2-3表)。

90年代前半の資本流入拡大期における資本流入の規模と,80年代後半の資本流入の規模をGDP比で比較してみよう。東アジアでは,80年代後半にGDPの0.9%を占めていた資本流入は,90年代前半にはGDPの2.9%を占めており,GDP比で2.0%拡大している。また,中南米では,80年代後半にはGDP(7)0.7%にあたる資本が流出していたが,90年代前半にはGDPの4.3%にあたる資本が流入しており,資本流入の拡大幅はGDPの3.6%となっている(第3-2-4表)。

90年代前半における両地域に対する資本流入は,絶対額でみると同程度となっているが,経済規模の違いを勘案するためGDP比で見ると,中南米に対する資本流入のほうが東アジアに対する資本流入に比べて大幅となっている。また,80年代後半がら90年代前半にかけて,資本流入が拡大した度合いも(GDP比で見て)中南米のほうが大きかった。

(成長の加速)

東アジアと中南米への資金流入が拡大した90年代前半の時期には,東アジアでは,全体として,80年代後半の高成長と同程度の高成長が持続しており,また,中南米では,80年代に比べ経済成長が加速している。

東アジアは70年代,80年代を通じて高い経済成長を維持しており,90年代に入ってからも,高成長が続いている。特に,90年代に入ってからは,フィリピンと中国の経済成長が加速している。一方,中南米諸国は,80年代においては,82年以降の中南米債務危機を契機として成長率が落ち込み,「失われた10年」と呼ばれる深刻な経済の停滞を経験したが,90年代に入ってからは,総じて成長率が高まっている。ブラジルを除く中南米経済は,80年台後半には0.6%の我長にとどまったのに対じて,90午から94-?にがけては年平均4.4%の成長を記録した。中南米において圧倒的な規模(中南米経済の約3分の1)を持つブラジル経済も,93年になると,87年以来の長期低迷から脱し,93年には5.0%,94年には5.7%の高成長となった(第3-2-5図)。

90年代に入ってからの両地域の経済成長の加速が,資本流入の拡大を促すとともに,資本流入の拡大が経済成長を支える効果を持ったと考えられる。

(安定的なインフレ動向)

資金流入が拡大することによって生しうるデメリットの1つは,インフレの加速である。しかしながら,90年代前半の資本移動拡大期における東アジアと中南米のインフレ動向(ここでは,消費者物価上昇率)を見ると,東アジアでは,おおむねインフレ率は低水準ながら,中国及びフィリピンではインフレの加速が見られた。一方,中南米では,総じてインフレ率は高めであり,ブラジルでは更にインフレが加速した(第3-2-6表)。

東アジアでは,フィリピンと中国を除いて,80年代以降,総じてインフレの制御に成功してきた。アジアNIEsやASEAN(除くフィリピン)では,80年代半ばから90年代初めにかけて,景気拡大の持続を背景に,物価上昇率が徐々に高まっていた。しかし,90年代に入ってからは,資本流入の拡大や高成長持続によるインフレ圧力にもかかわらず,インフレ率はむしろ低下ないし横ばい傾向で推移しており,インフレの顕著な加速は見られない。次に,90年代にインフレ加速が見られたフィリピンと中国について,インフレと資本流入拡大との関係を検討しよう。

フィリピンにおいては,資本流入が拡大した90年代初めにインフレが加速したが,インフレ率は,92年の18.7%をピークに低下してきており,94年には9.1%となった。しかし,フィリピンでは,84年以降,変動相場制を採用しているため,資本流入によるインフレ圧力は生じにくい。したがって,90年代初めのインフレの加速は,同時期の資本流入の拡大によるものとは言えない。

中国では,87~88年に続いて,93年以降経済が過熱してインフレが加速し,94年のインフレ率は24.7%となった。中国では,80年代初め以降,金融政策の不備などから,景気過熱と大幅な景気減速を繰り返しており,90年代前半の経験も,基本的にはこのパターンの延長ではあるが,90年代前半の資本流入拡大も,金融政策の不備を背景にして,景気過熱とインフレ加速にある程度の影響を持ったと考えられる。なお,中国のインフレ率も,95年に入ってからは,引締め政策の影響で低下傾向にある。

このように,東アジアにおいては,総じて,90年代前半の資本流入拡大によるインフレ加速は見られない。また,中国については,そのインフレ加速に,資本流入拡大が一部影響した可能性は否定できないが,これまでも景気過熱と大幅減速を繰り返していることから,基本的には金融政策を始めとするマクロ経済調整が不適切であることに問題があると考えられる。

中南米では,財政赤字の拡大と,中央銀行による財政赤字ファイナンスを主因として,80年代には,高率のインフレを経験したが,90年代に入って,その収束に成功した。例えば,メキシコでは,87年には132%であったインフレ率が,94年には7.0%まで低下した(ただし,95年に入ってからは,大幅なペソ安に伴う輸入物価の上昇などから,インフレが再び加速している)。また,ブラジルでも,94年初めから財政支出削減を実施するとともに,94年7月に米ドルとのリンクを強めた新通貨レアルを導入したため,消費者物価上昇率は,前月比で見て,6月の50.8%から,95年5月には2.1%まで低下した。このように,中南米においても,資本流入によるインフレの加速は見られない。

ただし,一般物価(財・サービスの価格)は安定していたものの,東アジアにおいても,中南米においても,株価や地価などの資産価格の上昇が見られた。東アジアと中南米の株価は,90年代に入ってから94年に調整局面を迎えるまで上昇傾向にあった。90年代に入ると,先進国の金利が低下したことから,先進国から東アジアや中南米などの新興経済の株式市場に資金が流入した。しかし,94年に先進国の金利が上昇し始めると,資金が先進国に還流し始め,新興経済の株式市場は調整局面を迎えた(第3-2-7図)。

(外貨準備の増加)

東アジアでも,中南米でも,資金流入の増大に伴って,外貨準備が大幅に増加している。外貨準備勘定は,通貨当局による外国通貨の購入または売却を記録したものであり,外国為替市場での通貨当局の介入は,この変動の一要因である。両地域において,外貨準備が増大していることは,通貨当局が名目為替レートの増価を防ぐために,外国為替市場に大幅に介入して,自国通貨を売却して外貨を購入していたことを意味するものと推測される。

東アジアでは,外貨準備高は,90年代に入ってから2,166億ドル増加し,94年末には,3,319億ドルに達した。これは,途上国全体の外貨準備高5,198億ドルの約64%を占めている。特に,アジアNIEsの外貨準備の総額は,94年末に1,744億ドルとなっており,アジア諸国の外貨準備の総額の半分以上を占めている。

中南米諸国の外貨準備も90年から93年にかけて急速に増加した。この間に764億ドル増加して,93年末には,1,093億ドルに達した。しかし,94年には,中南米から先進国へ資金還流したことを背景に,中南米諸国の外貨準備は48億ドル減少した(前掲第3-2-3表)。

(安定的な実質為替シート)

資金流入が拡大した90年代前半を見ると,中南米では通貨の実質実効為替レートが増価している国が多いが,東アジアでは通貨の実質実効為替レートが増価している国は少ない。中南米を見ると,アルゼンチン,メキシコ,チリの通貨の実質実効為替レートは,90年から94年末にかけて,それぞれ10%強増価している。ブラジル通貨の実質実効為替レートも,85年以降増価傾向にあり,90年から92年にかけては30%減価したものの,その後94年にかけて増価し,94年には,90年の水準に戻している。一方,東アジアを見ると,シンガポールと香港の通貨の実質実効為替レートが,91年から94年初にかけて増価している。しかし,その間,他の東アジアの国の通貨は,減価ないしは,安定した推移を続けた(第3-2-8図)。

このように,ネットの資本流入が増大した90年代において,通貨の実質実効為替レートは,東アジアでは増価している国が少ないが,中南米では増価している国が多い。

(強力な外国為替市場への介入)

次に,90年代の資本流入拡大期における資本収支と外貨準備変動の関係を見ることによって,資本流入の拡大に対する通貨当局の介入姿勢の違いを見てみよう。資本収支の黒字額は,経常収支の赤字額と,通貨当局の保有する外貨準備の増加額の和に等しい。つまり,資本流入の拡大(資本収支黒字の拡大)は,経常収支赤字の拡大または外貨準備の増加に対応している。

東アジアでは,全体としてみると,90年代前半には,経常収支が小幅な黒字となるなかで,資本収支も黒字となっており,経常取引,資本取引の双方を通じて流入する外貨を通貨当局が購入し,外貨準備を積み増している。個別の国を見ると,ASEAN諸国は,経常収支赤字の赤字幅が大きく,90年代前半(90~94年)の平均で,マレイシアではGDPの10%程度,タイ,フィリピンでもそれぞれGDPの5%程度の経常収支赤字を記録している。しかし,各国において,90年代前半には,経常収支の赤字を上回る大幅な資本流入が見られ,外貨準備が蓄積されている。

一方,中南米では,全体として見ると,資本収支の黒字幅は東アジアとほぼ同じ水準であるが,経常収支の赤字幅が大きく,その結果,外貨準備の蓄積は東アジアに比べて低水準にとどまっている。

資本収支黒字に占める外貨準備の増加の割合は,東アジアにおいては90年代前半のすべての年で100%を上回っているのに対して,中南米では,その比率は90年(56.4%)から93年(36.6%)にかけて徐々に低下している(前掲第3-2-3表)。

このことから,東アジアにおいては,通貨当局が外国為替市場に強力に介入して,経常取引,資本取引の双方から生じる為替レートの増価圧力を相殺していたと考えられる。一方,中南米では,大幅な資本流入に対して,通貨当局の外国為替市場への介入姿勢が,東アジアに比べて弱く,実質為替レートの増価をある程度許容していたと推測される。

(東アジアの為替政策の背景)

それでは,90年代前半の資本移動拡大期において,東アジアと中南米の間で,通貨当局の政策対応に違いがあったのは,なぜであろうか。

東アジアにおいては,全体としてみると,投資率と貯蓄率がともに高まっているため,貯蓄投資バランスに大きな変化はなかった。もともと貯蓄超過となっていたアジアNIEs(韓国を除く)では,貯蓄超過と経常収支の黒字が続いている。一方,韓国とASEANでは,貯蓄不足であり,経常収支は赤字となっているものの,経常収支の赤字幅は,マレイシアを除いては小幅なものにとどまっている。このように,経常取引の面からは,韓国を除くアジアNIEsでは強い通貨増価圧力が働いており,韓国とASEANの通貨には弱い減価圧力が働いていた。

一方,台湾を除くすべての国で,資本収支が大幅な黒字となっており,経常収支赤字国でも,資本収支の黒字幅が経常収支の赤字幅を上回っている。そのため,資本取引の面からは,通貨増価圧力が極めて大きかった。したがって,経常収支面と資本収支面を合わせると,東アジアではすべての国で増価圧力が強かったと考えられる。特に香港とシンガポールは,経常収支黒字ど資本収支黒字の双方から強い増価圧力が働いていたと考えられる。

多くの東アジア諸国は,自国通貨の対ドルの名目レートが大幅に変動しないよう,為替レートを管理している(第1章第5節参照)。そこで,東アジアの通貨当局は,各国通貨への増価圧力に対応して,外国為替市場へ積極的に介入し,外国通貨を買って,対ドルでの名目レートの安定を図ろうとしたと推測される。

それでは,東アジア通貨の実質為替レートはどのように推移したであろうが。対ドル名目為替レートが安定的に維持されたものの,東アジアの物値上昇率は,アメリカや日本の物価上昇率を上回っているので,米ドルに対する実質為替レートは増価傾向にあった。しかし,米ドルは円に対して,趨勢的に減価傾向にあるため,米ドルに強くリンクしている東アジア通貨の円に対する実質為替レートは減価していた。このような対ドルでの実質増価,対円での実質減価の結果,東アジア通貨の実質実効為替レート(ドルや円などの主要取引通貨に対する実質為替レートを加重平均した為替レート)は,おおむね安定的に推移してきたものと考えられる。

逆に,東アジアにおいて経常収支が黒字ないしは小幅な赤字で推移した背景には,実質実効為替レートが増価せず,安定的に推移してきたことが寄与しているものと考えられる。

(中南米の為替政策の背景)

中南米においては,最近まで数千%にのぼるハイパー・インフレーションを経験したため,インフレ期待が根強く残っている国が多く,インフレの抑制が最も重要な政策課題となってきた。そのため,為替レートをインフレ制御のための名目アンカー(いかり)として用いることによって,安定化政策を実施している国が多い。

為替レートをアンカーとして用いる政策は,次のような考え方に基づいていろ。高インフレの下で,為替レートを自由に変動させると,為替レートが大幅に減価し,また為替レートの減価が輸入物価高騰を通じて国内インフレを引き起こすという悪循環が生じうる。そうした悪循環を断ち切って,物価水準が「漂流」しないようにするアンカー(いかり)役として,固定的な名目為替レートを用いるのである。具体的には,通貨当局が外国為替市場に介入して,自国通貨の対ドル名目為替レートを,あるいは,複数の主要国通貨(通貨バスケット)に対する名目為替レートの加重平均レートを固定したり,低率で切り下げたりして,名目為替レートの安定を図っている。その結果,①輸入物価の上昇が抑えられること,②国内要因で物価上昇率が高くなれば,実質為替レートが増価してデフレ効果が生じ,国内物価を安定させる効果が働くこと,が期待される。このような名目アンカー政策が高インフレ引下げに成功するためには,同時に財政赤字を削減することなどによって,国内貨幣供給を引き締める政策が徹底的にとられなければならない。

為替レートを名目アンカーとして使ってきたアルゼンチン(91年~),メキシコ(90~94年末),ブラジル(94年~)では,年数千パーセントという高率のインフレを収束させることには成功した。しかし,主要な貿易相手国であるアメリカなどと比べると,依然としてインフレ率が高く,名目為替レートが固定的であることから,実質為替レートの割高化が進行していた。

これらの国では,もともと国内の貯蓄投資バランスが大幅な投資超過傾向にあり,また実質為替レートが割高化したため,経常収支赤字は大幅となり,この面から,通貨は減価圧力を受けていたと考えられる。しかし,減価圧力があるにもかかわらず,割高な実質為替レートが持続しえたのは,90年代前半に経常収支赤字を上回って資本収支黒字が拡大し,通貨増価圧力が高まったためである。そうした通貨増価圧力に対して,通貨当局は,アンカー役である名目為替レートを安定的に維持すべく,外貨買い介入を行ったものと思われる。その結果,外貨準備は積み上がっていった。

また,為替レートを名目アンカーとして用いていないチリでは,名目為替レートは減価傾向にあるが,実質為替レートは割高化している。名目為替レートが減価しているのは,経常収支赤字と外貨買い介入から生じる減価圧力が,資本収支黒字から生じる増価圧力を上回っているためであると考えられる。また,実質為替レートが割高゛となっているのは,チリの物価上昇率がアメリカなどの貿易相手国よりも高かったためである。このことから,チリの通貨当局は,外貨買い介入によって通貨増価圧力を一部減殺していたものの,東アジアほど徹底した介入は行わず,ある程度,実質為替レートが増価するのを許容していたものと推測される。

総じてみると,中南米では,国内の貯蓄投資バランスが大幅な投資超過となっており,経常収支赤字が大幅であった。しかし,90年代前半には,それを上回る資本流入があり,通貨増価圧力が生じていた。通貨当局は,外貨買い介入を行い,対ドル名目為替レートを,横ばいないし緩やかな減価傾向に維持してきたものの,中南米と先進国のインフレ格差からくる実質為替レートの増価については,ある程度許容していたものと推測される。

(2)メキシコ通貨危機の波及への対応

メキシコ通貨危機を契機に,外国人投資家は,新興経済における投資リスクの再評価を行った。メキシコは,93年までは新興経済の中でも最も良好な経済パフォーマンスを示しており,またNAFTA(米加墨の北米自由貿易協定)に加盟するなど,国際的な地位も高まっていたため,投資家が他の新興経済を評価する際の基準として位置づけられていた。例えば,90年代に入ってから,メキシコの債券は,他の新興経済が発行する債券の格付けをする際のベンチマークの役割を果たしてきた。それだけに,メキシコ通貨危機が他の新興経済に与えた影響は大きかった。メキシコ通貨危機が発生した後,多くの新興経済は資本流入の減少や資本の流出に見舞われ,株価の下落,為替レートの減価,金利の上昇などを経験した。

資本の流出に直面した国がとることのできる主な政策オプションは,①外国為替市場での自国通貨買い介入,②金利の引上げ,の2つである。メキシコ通貨危機の波及によって,東アジアの新興経済は,どのようなショツクにみまわれ,またどのような政策対応をとったのであろうか。ここでは,為替レートと金利の動きを見てみよう(第3-2-9表)。

(為替レートの変動)

94年末に始まったメキシコ通貨危機は,国際金融市場のセンチメントが変化した95年1月中旬,東アジアにも影響を及ぼした。東アジアでは,タイ,インドネシア,マレイシアなどで通貨の減価圧力が高まったため,外国為替市場において,外貨を売って自国通貨を買う介入が大規模に行われたものと思われる。その結果,自国通貨の対ドル・レートの維持が図られた。自国通貨買い介入は,スワップ・ファシリティーによって借り入れた外貨を売却したり,90年代に入ってからの資本流入の拡大によって積み上がっていた外貨準備を取り崩したりすることによって行われた。結局,東アジア通貨の減価は軽微で,一時的なものに終わった。すなわち,投機的な通貨の売り圧力を受けたはとんどの国では1月中に,また最も長引いたフイリピンでも2月末には,減価圧力が収まった。95年4月時点では,フィリピンとインドネシアを除く東アジアの通貨の名目レートは,メキシコ通貨危機前の水準よりも,むしろ増価している。

(ただし,インドネシア・ルピアは,比較的高めの国内インフレの影響による実質為替レート増価を避けるため,クローリング・ペッグ制の下で,名目レートは徐々に切り下げられている。)例えば,タイでは,95年1月12日にタイ・バーツが切り下げられるとの噂が流れ,バーツの売り圧力が高まったため,通貨当局は,バスケット・ペッグを維持するのに必要なだけのバーツ買い否入を行うどの声号を発表した。翌日中央銀行は,外国銀行との間でスワップ・ファシリテイーを結び,バーツ買い介入に必要なドルを手当てして積極的な介入を行った。また,外貨準備も取り崩され,タイの外貨準備は,95年1月中に4億ドル程度減少した。

また,インドネシアやマレイシアでは,外貨準備を取り崩すことによって,ドル売り介入が行われたものと思われる。その結果,外貨準備は急速にしかも大幅に減少した。94年11月末から95年1月末にかけて,外貨準備はインドネシアで4億ドル程度,マレイシアで42億ドル程度減少した。

(金利の変動)

タイ,フィリピン,香港などの通貨当局は,95年の1月から2月にかけて,短期金利を極めて高い水準に誘導し,借り入れた自国通貨を売ってドルを買う投機を行うコストを高め,自国通貨に対する短期的な投機的売り圧力を抑制した。そのため,債券価格や株価が下落した。その後,投機的圧力が弱まると,短期金利は急速に引き下げられた。

変動相場制を採用しているフィリピンでは,金利が引き上げられ,外国為替市場での介入が行われたものとみられている。それにもかかわらず,95年2月末時点で,94年12月上旬に比べ,ペソは対ドルで7%下落した。その間の外国為替市場の動きをみると,95年1月13日には,特にペソ売り圧力が強まったため,一時的にペソの取引が停止された。その後も,2月を通じてペソの売り圧力が続いたが,2月24日に翌日物短期金利を30%まで引き上げるなど,金利を引き上げ続けたため,3月半ばには,ペソも落ち着きを取り戻した。

また,管理フロート制をとっているタイでは,金利カ引き上げられ,翌日物短期金利は,95年1月11日こ6.5%,16日こ12.0%それぞれ引き上げられた。

それに加えて外国為替市場での介入が行われたとみられている。ドル・ペッグを維持している香港でも,1月13日にインターバンク金利が6%以上も引き上げられた。タイや香港では,1月下旬には,通貨の売り圧力は収まった。

逆に,シンガポールへは,他の新興市場から引き上げた資金が流入したため,短期金利はむしろ低下圧力を受けた。

(経済ファンダメンタルズの評価)

メキシコ通貨危機に対して,東アジアの多くの国は,資本流出に対する規制の強化ではなく,①外国為替市場での自国通貨買い介入,②金利引上げ,といった手段によって対処した。結局,東アジア諸国では,中南米などに比べ,経常収支赤字や財政赤字が小さく,また外貨準備も豊富であったことから,こうした総合的に見て良好な東アジアの経済ファンダメンタルズが適切に評価されるようになると,東アジア通貨の売り圧力は短期間の内に収まり,メキシコ通貨危機による影響は,一時的なものにとどまった。ほとんどの東アジアの株式市場も,回復傾向を示している。このように,95年1月以降東アジアの新興経済全体について投資家が抱いた懸念は,95年春までには後退した。ただし,メキシコ通貨危機を契機に,投資家は,経済政策が健全で成長性の高い国をより厳しく選別して投資するようになっていると考えられる。

4 資本流入に対する政策対応:東アジアの経験

90年代の資金流入の拡大期において,東アジアと中南米のほとんどの国は,インフレの加速を回避することができた。しかし,実質為替レートについて見ると,東アジア通貨が,増価を避けることができたのに対して,中南米通貨には増価している通貨が多い。また,94年末のメキシコ通貨危機以降,資本の大幅な逆流に見舞われた中南米のメキシコとアルゼンチンでは,深刻な経済の低迷が95年半ば以降も続いているのに対して,東アジアでは,メキシコ通貨危機の影響は,比較的軽微なものにとどまった。このように,資金フローの大幅な拡大や急激な変動に対して,東アジアと中南米の間で,通貨やマクロ経済の動向に違いが見られるのはなぜであろうか。ここでは,この問題に関する考察を通じて,持続不可能な資本流入の大幅な拡大や,資本の急速な逆流を防ぐために,途上国政府がどのような政策対応をとるべきかについて考えてみよう。

東アジアと中南米のマクロ経済動向の違いには,様々な要因が寄与していると考えられる。また,途上国は,実際には,様々なポリシー・ミックスを採用して,資本移動がもたらす問題に対処している(第3-2-10表)。したがって,東アジアと中南米の経験から,断定的な結論を導くことは難しいが,以下では,①流入資本の構成,②為替レート政策,③貯蓄投資バランス,の違いに着目して,政策運営上の教訓を導き出してみよう。

(1)流入資本の構成

(直接投資受入れ比率が高い東アジア)

束アジ゛アと中南米の実質為替レートの動向や,メキシコ通貨危機の影響の違いを説明する要因の1つとして,流入資金の構成の相違が挙げられる。流入資金の構成を見ると,東アジアでは直接投資の割合が大きいのに対して,中南米では証券投資の割合が大きい。90年から93年までの間のネット資本流入の資金形態別の構成を見ると,直接投資の割合は,東アジアでは65%であるのに対して,中南米では26%と小さい。逆に,証券投資の割合は,東アジアでは19%にとどまっているが,中南米で゛は80%を占めている。

直接投資には,海外子会社・合弁会社への出資・貸付の他,土地取得やM&A(会社購入)などが含まれる。東アジアへの直接投資は,特に製造業分野での出資,貸付の形の投資の比率が高い。そうした製造業分野での直接投資は,他の形態の資金が流入した場合に比べて,実質為替レートの増価を招きにくいと考えられる。なぜなら,直接投資,特にグリーンフィールド投資(新規工場などの設置)は,当初,輸入を誘発する効果が大きいため,直接投資が拡大して経常収支赤字が拡大(ないしは黒字が縮小)し,直接投資の拡大による資本収支黒字の拡大(ないしは赤字の縮小)を相殺して,為替レートの増価圧力を弱めるからである。例えば,ある日本の自動車メーカーが直接投資を行い,タイに新しい工場を建設すると,タイでは,工場を建てるための鋼材や機械,あるいは部品となるタイヤやガラスなどを海外から輸入する必要が生じるため,経常収支の赤字が拡大(ないしは黒字が縮小)する。

また,直接投資は,証券投資などに比べて,逆流しにくい安定的な資金であると考えられる。投資家は,先進国金利の上昇や景気変動といった投資環境の変化に敏感に反応し,容易に証券を売買することができる。一方,直接投資の一部は,投資受入国において,工場の建設や機械の設置に使用されるため,1度投資された直接投資資金を簡単に引き揚げることはできない。

したがって,流入資本の構成という観点から見ると,直接投資受入れ比率の高い東アジアでは,90年代にほぼ同じ額の資金流入を経1験した中南米に比べ,為替レート増価圧力が弱く,また,資金の逆流も起こりにくかったと考えられる。

(短期資本流入制限によって資本流入の構成を変えられるか)

東アジアにおいて,資本流入全体に占める直接投資の比率が中南米に比べて高いのは,平成6年度の世界経済白書によれば,東アジアの,経済ファンダメンタルズが比較的良好に保たれてきたためであると考えられる。すなわち,東アジアにおいては,財政赤字が小幅であったことを背景に,総じてインフレの制御に成功してきた。また,市場メカニズムを重視した外向きの経済政策を,中南米よりもいち早く,積極的に導入してきた。

ところで,東アジアでは,中南米に比べ,短期の資本流入に対する規制が,より一般的に行われている。その結果,例えば,短期国内証券の所有者の構成を見ると,中南米では,多額の短期国内証券が非居住者によって保有されているのに対して,東アジアでは,居住者による保有比率が高い。(注3-11)(ただし,中南米でも,チリでは,短期資金の流入を制限するための規制を維持してきた。また,ブラジルでも,レアル・プランの開始(94年7月)によって資本流入が拡大して,通貨が増価したことから,外国人投資家の対内投資に課税するなどの措置が取られた。)

低いインフレや外向きの政策採用によって,東アジアの直接投資が促進されたことに加えて,このような東アジアでの短期資本流入への規制が,短期資本流入の抑制を通じて,結果的に直接投資受入れ比率を高める効果を持ったと言えるであろうか。もしそうであれば,短期資本流入規制を強化することによって,資本流入の構成を直接投資中心のものに誘導することも可能となろう。しかし,この点については,短期資本(HotMoney)の大幅な流入や急速な流出の防止を目的とした短期資本の移動制限の強化は,次のような問題点を持っており,その有効性が疑問視されていることに注意する必要がある。したがって,東アジアで,資本流入規制が強かったことが,直接投資の流入比率を高めたとは言い難く,資本流入規制を通じて資本流入の構成を望ましい方向に誘導することは,望ましい政策とは考えられない。

短期資本の移動の制限の第1の問題点は,資本移動規制が投資家の自由な投資行動を妨げるため,規制がない場合に比べて,資本移動が縮小するとともに,投資資金の効率的な配分が損なわれることである。つまり,資本移動規制は,新興経済が海外資金べアクセスすることによる経済的メリット自体を制約してしまう。従来の資本流入に関する規制を更に強化する場合には,将来の資本取引自由化のスピードや範囲について,投資家の見通しが不確実なものとなり,投資先国の政府の自由化政策へのコミットメントに対する投資家のクレディビリティーが損なわれる。その結果,投資家は新規投資を控えたり,資本を引き揚げたりするようになり,望ましい投資も抑制される可能性がある。

第2の問題点は,効果が短期的なものにとどまることである。資本流入に対する規制は,短期的には効果があることが知られている。しかし,貿易取引の際のインボイスの操作(輸出を過少に申告したり,輸入を過大に申告したりする操作)ヤヤミ金融を通じた取引などの抜け道が存在することから,資本流入規制や課税が回避されるため,資本流入の制限は,短期的にしか効果を持たない。また,規制の抜け道が発見されると,政府が規制を強化するため,更に規制が強化され,自由な資本移動をますます阻害する恐れがある。

また,世銀融資の前提として,構造調整プログラムを実施している国の場合などは,そもそも,自由な資金フローを妨げる規制を導入することが難しい,といった問題点もある。

(安定的な資金流入を確保するための施策)

資本移動の制限については,効果が短期的なものに過ぎないのに対し,デメリットが大きい。したがって,資本移動の規制によって,資本流入の構成を直接投資を主体とした構成に変えることは難しいと考えられる。一時的な資本流入の急増や逆流に対処するため,資本移動規制を強化する必要がある場合には,規制緩和への政府のコミットメントに対する投資家のクレディビリティを損なわないよう,規制の強化は一時的なものにとどめ,規制の強化の必要がなくなった時には速やかに撤廃することが重要である。

メキシコ通貨危機の後,投資家は,新興経済を再評価して,経済政策が健全で成長性の高い市場を選別して投資するよ,うになった。このことは,持続的な資金の流入を確保するためには,健全なマクロ経済政策の運営が重要であることを意味していると考えられる。直接投資のみならず,様々な形態の資金が,安定的に流入するためには,財政赤字を削減してインフレを防ぐなど,マクロ経済運営の基本を正すとともに,規制緩和を進め,投資家が自由に投資できる環境を整えることが重要である。

(2)不胎化介入の限界

大幅に資金流入が拡大したとき,通貨当局が外国為替市場に不胎化介入して,流入した外貨を買うとともに,介入によって増加したマネーサプライを吸収することが長期的に可能であれば,資本流入によるインフレや実質為替レートの増価という問題を生じない。それでは,資金流入に対する長期的な政策として,不胎化介入を続けることは可能なのであろうか。不胎化介入にデメリットがあるとすれば何かを考えてみよう。

(積極的な不胎化介入)

東アジアと中南米では,不胎化介入がどの程度行われていたのであろうか。

不胎化介入は通貨当局のバランスシートの様々な項目に影響を与えるため,各国の不胎化介入の規模を比較するのは難しい。ここでは,中央銀行の銀行準備(市中銀行の中央銀行預金)に対する外貨準備の比率(以下,「外貨準備/銀行準備」比率と呼ぶ)によって,不胎化介入の規模を比較してみよう。資本流入が拡大したときに外貨買い介入を行えば,不胎化してもしなくても,中央銀行の外貨準備は増加する。不胎化(国債売リオペなどによって流通通貨を吸収すること)していなければ,マネーサプライが拡大して銀行準備が増加するのに対して,不胎化していれば,マネーサプライは拡大せず,銀行準備も増加しない。したがって,不胎化が行われていない場合に比べて,不胎化が行われている場合には,「外貨準備/銀行準備」比率は大きくなる。

「外貨準備/銀行準備」比率を,80年代前半と90年代前半について比較してみると,中南米では,すべての国において高まっており,東アジアでも,台湾を除くすべての国で高まっている。ただし,80年代前半から90年代前半にかけての「外貨準備/銀行準備」比率の変化幅を見ると,東アジアの比率の変化の方が,中南米の比率の変化に比べて,大幅である。このことは,①東アジアでも中南米でも,不胎化介入の規模が大きくなっていること,②東アジアにおける不胎化の規模は,中南米における不胎化の規模に比べて大きいこと,を意味している。東アジアでは,積極的に不胎化介入を行って実質為替レートの増価を回避したのに対して,中南米では,実質為替レートの増価をある程度許容していたものと考えられる(第3-2-11表)。

(不胎化介入のデメリット)

不胎化介入のデメリットは,不胎化しない場合に比べて,マネーサプライが減少して金利が上昇するため,①資金流入を促す効果が働くこと,②国内市場で流通している国債金利が上昇して国債の利払負担が高まる一方,見返りに通貨当局が買い取った外貨資産の金利は相対的に低いため,財政負担が高まること,である。また,金利の上昇は,民間投資をクラウドアウトする可能性もある。

新興経済では,一般に債券市場の厚みが薄いため,①売リオペによって不胎化を行う際,オペレーションの対象となる債券の価格が大幅に低下し,金利が大きく上昇する可能性が大きい。また,②資金流入が急増した場合には,そもそも売リオペによる不胎化が難しい。短期金利が不胎化によって上昇すると,特に,短期資金の流入が促されるため,資金フローの構成がより短期化する可能性がある。こうした現象は,90年にチリで,91年にコロンビアで,またマレイシアでも91年から92年にかけて見られた。

また,不胎化の規模が大きければ大きいほど,国内金利が海外資産の利回りを上回るようになり,不胎化による財政コストは高まる。不胎化を行う際に中央銀行によって売却される証券の金利と中央銀行の外貨資産の金利(自国通貨建てに換算)の差は,中南米においては大きく,不胎化のコストが大きがったことを示している。一方,東アジアにおける国内債券金利と海外資産の利回りの差は,中南米に比べて,かなり小さく,東アジアにおいては,不胎化の財政コストが小さかったとことを示している。また,束アジアでは,財政収支が小幅の赤字(ないしは黒字)の国が多く,不胎化介入の余地が大きかったものと考えられる。世界銀行の推計によれば,90年から93年にかけての,中南米による不胎化の財政コストは,GDF比て0.25%から0.50%程度にのぼるとされ′Cいる。ただし,東アジアにおいても,フィリピンでは,不胎化の財政コストは大きかった(第3-2-12表)。

こうしたデメリットが生じるため,不胎化政策は,一時的には実質為替レートの制御に有効に機能するものの,長期的には継続することは望ましくないと考えられる。

(公開市場操作によらない不胎化)

不胎化によるコストは,不胎化の手段によっても異なる。チリ,韓国,タイ,マレイシアのように,銀行の預金準備率を引き上げることによって不胎化を行えば,インフレを防ぐことができるし,金利上昇も少ないため財政負担の増大も避けられる。ただし,預金準備率を継続的に引き上げることは実際上はできないので,効果は短期的なものに終わる,という問題点を持っている。

また,インドネシア,韓国,マレイシア,シンガポールでは,公的企業,年金基金などに,その資産を商業銀行ではなく中夫銀行へ預金させたり,あるいは政府証券で保有させたりすることによって,財政コストを生じることなく,資本流入の影響を不胎化している。もし,突然の資金流出が生じ,国内の貨幣供給が極端に縮小した場合には,政府証券を保有している公的企業や年金基金にその政府証券を中央銀行に売却させることによって,貨幣を供給することができるというメリットもある。これに対して,ブラジル,チリ,メキシコといった国においては,不胎化は公開市場操作に大きく依存している。

このように,東アジアでは,相対的に公開市場操作に依存しないで不胎化を実施してきたため,金利の大幅な上昇を招かず,不胎化を実施する余地が大きかったと考えられる。

(為替レート変動幅の拡大)

長期にわたって不胎化を実施する場合には,国内金利の上昇,財政負担の増加などのコストが大きくなる。一方,不胎化を行わなければ,名目為替レートの増価か,インフレの加速を通じて,実質為替レートの増価が生じる。長期的な不胎化介入やインフレの加速はコストが大きいため,東アジアにおいても,中南米においても,名目為替レートの増価を許容する動きが見られる。

東アジアと中南米の通貨を比較してみると,香港とアルゼンチンでは,通貨が米ドルにペッグされている。一方,東アジアでは,フイリピン(84年~)と台湾(87年~)が,また中南米ではメキシコ(94年12月~)が変動相場制に移行しており,名目為替レートは原則として市場において決定される。

他の東アジア,中南米の新興経済の通貨は,管理の方法は様々であるが,管理フロート制の下で名目為替レートの弾力性が徐々に増している。例えば,インドネシア,チリ,(94年12月までの)メキシコでは,為替レートの変動幅が広げられた。特に,チリ,インドネシア,マレイシアでは,通貨バスケット(通貨バスケットに対する価値の変動を抑えるように自国通貨の為替レートを決定)を採用しているため,為替レート変動幅を拡大することによって,各構成通貨に対する為替レートは,大幅に変動することが許容されている。韓国では,数年後に変動相場制に移行することを目指して,日次の標準為替レートの調整福をさらに広げている。シンガポール,マレイシアといった嬰々も,名奉為替レートの増価を許容している。

なお,為替レート変動幅の拡大は,投資家の投資リスクを高め,資本流入を抑制する効果も持っている。

(3)貯蓄増強による安定的な資金流入の確保

国内の貯蓄投資バランス(国内総貯蓄と国内総投資の差)の貯蓄不足(=投資超過)が拡大すると,①金利の上昇と,②経常収支赤字の拡大を招く。金利の上昇は,自国資産の投資収益率の上昇を意味し,資本流入の促進要因となる。一方,経常収支赤字が継続的に拡大(したがって資本流入が拡大)すると,自国資産に対する海外からの投資のリスクプレミアムが高まり,資本流入の制約要因となる。

したがって,過度な資本流入を抑制するためにも,継続的な節度ある資本流入を確保するためにも,貯蓄不足幅を縮小し,大幅な貯蓄不足が継続しないよう貯蓄不足幅を一定の水準に抑え,金利の低下を促すことが望ましい。

ここでは,貯蓄不足幅を縮小するための政策として,主に緊縮的財政政策をとりあげ,それが資金フローや為替レートに与える影響を検討してみよう。

(貯蓄投資バランスが資金流入に与える影響)

90年代前半のネット資金流入拡大期における,東アジアと中南米の貯蓄投資バランスを見てみよう。

東アジアでは,80年代を通じて貯蓄率と投資率(国内総貯蓄と国内総投資のGDP比)が高まってきたが,90年代に入って,貯蓄率が高水準で推移するなかで,投資率が更に平均で2.1%高まったことから,貯蓄超過が解消し,貯蓄と投資がほぼ均衡している。

一方,中南米では,投資率は,過去の水準と比べても,また他の地域と比較しても,低い水準にとどまっている(た,だし,チリとアルゼンチンの投資率は,90年代に入ってから,緩やかに上昇している。)。また,消費が増加したため,貯蓄率は低下している。特に,資金流入が拡大し始めた90~91年において,貯蓄率の低下傾向が顕著である。90年代に入って,中南米の投資率と貯蓄率は平均で,それぞれ0.4%,1.8%低下している(前掲第3-1-2図)。

このことから,海外から流入した資金は,マクロ的に見れば,東アジアでは,投資をファイナンスしていたのに対し,中南米では消費をファイナンスしていたということができる。東アジアでは,貯蓄率が高まり,高水準の投資が国内資金である程度ファイナンスされたため,金利上昇圧力が緩和され,資本流入圧力が弱まったと考えられる。また,経常収支は,東アジア全体としては,小幅な黒字となり,中長期的にみて,投資家のコンフィデンスを高め,東アジアへの資金フローを安定的なものとしたと考えられる。

(緊縮的財政政策が為替レートに与える影響)

貯蓄投資バランスが,実質為替レートに与える影響について考えてみると,東アジアでは,貯蓄率の高まりが,金利上昇圧力を弱めた結果,資本流入インセンティブが弱まり,競争的な実質為替レートが維持されたと考えることができる。

ここでは,東アジアにおいて貯蓄率が高まった要因のうち,政策的な要因に注目し,特に,緊縮的財政政策をとりあげる。(注3-12)緊縮的財政政策は,公債発行の減少による金利の低下を通じて,為替レートにどのような影響を与えているのであろうか?

東アジアと中南米における各国の90年代前半の財政政策を比較してみると,東アジアでも,インドネシアやフィリピンといった国では,政府消費がGDP比で見て拡大している。しかし,東アジアでは,総じて見ると,90年代前半の資本流入拡大期に,緊縮的財政政策をとった国が多い。一方,中南米では,90年代前半に,政府消費のGDP比は,チリで横ばいとなっているのを除いて,ブラジル,メキシコ,アルゼンチンでは高まっている。

政府消費の削減が為替レートに与える影響を見ると,マレイシア,タイのように政府消費がGDP比で低下傾向を示している国では,実質為替レートが減価している。例えば,タイでは,86年から90年にかけて,GDP比で年平均約7%の大幅な資本流入があったものの,88年から91年にかけて,政府支出をGDP比で3.4%減少させた結果,86年から90年の間の実質為替レートの増価率は,4.8%にとどまった。一方,アルゼンチン,メキシコ,フィリピンのように政府悄費がGDP比で増加傾向を示している国では,GDP比でみた資本流入の大きさは,マレイシアやタイほど大きくないにもかかわらず,実質為替レートは増価している(前掲第3-2-4表)。

(緊縮的財政政策の評価)

東アジアでは,中南米に比べ,90年代の資本流入拡大期において,より緊縮的な財政政策がとられたために,金利上昇圧力が低下し,資本流入インセンティブが弱まったことが,競争的な為替レートを維持するのに寄与したと考えることができる。また,資本流入の拡大に対して,緊縮的財政政策をとった国々では,不胎化介入が同時に行われていたことから,不胎化介入は,緊縮的な財政政策と同時に実施されれば,インフレの防止と競争的な為替レートの維持に,より効果的であると考えられる。緊縮的財政政策は,金利低下を通じて,資本流入を抑制するだけでなく,不胎化による政府の金利負担を小さくするからである。

しかし,財政政策の運営は,中長期的な観点から望ましいか否かを検討する必要があるため,短期的な資金フローの変動に機動的に対応することが望ましいとは限らない。例えば,タイでは,80年代後半以降,資本流入拡大期の政策対応としての緊縮的な財政政策の下で,必要な投資的経費が抑えられてきたため,インフラ不足が深刻となっている。

(貯蓄増強による安定的な資金流入の確保)

メキシコ通貨危機を契機に,投資家は,投資対象国のファンダメンタルズをより厳しく評価し,経済政策が健全で成長性の高い市場を選別して投資するようになった。投資対象国を評価する際,投資家は,①投資率が低く,将来の債務返済能力が疑問視される国や,②経常収支の大幅な赤字が継続し,対外債務が累積している国を低く評価しているとみられる。メキシコは,投資率が低く,またGDP比で8%にものぼる大幅な経常収支の赤字が継続していたため,投資家の信認を失い,外国資本の流出や国内資本の海外への逃避に見舞われた。

近年,資本移動が活発化しているため,国内貯蓄率と国内投資率の相関は徐々に弱まっており(本章第1節3参照),海外貯蓄を活用して,国内投資をファイナンスする傾向が強まっている。しかし,国内投資は,依然として国内貯蓄によって規定される側面が強く残っており,国内投資の拡大のためには,国内貯蓄の増強が不可欠である。また,国内貯蓄が不十分な状況で国内経済のブームが起こり,外国資本に依存して国内投資を拡大する場合には,経常収支の大幅な赤字が生じ,それが持続すると投資家の信認を失うこととなりがねない。したがって,投資家の信認を高め,継続的な資本の流入を確保するためには,貯蓄率を高め,国内投資を拡大するとともに,経常収支赤字を削減して,経常収支の大幅な赤字が継続しないようにする必要がある。貯蓄率を高めるための政策としては,政府貯蓄の増加が重要であり,そのためには,政府支出を削減し,財政収支を改善する必要があると考えられる。

(4)まとめ:資本流入に対する政策対応

最後に,本節で明らかになった教訓をまとめておこう。

第一に,直接投資受入れ比率の高い東アジアでは,為替レート増価圧力が弱く,また,資金の逆流も起こりにくかったものと考えられる。東アジアの直接投資受入れ比率が高いのは,東アジアの経済ファンダメンタルズが良好であるためであり,東アジアの資本流入制限が強いためではない。資本移動の制限は,その効果が短期的なものに終わるだげでなく,資本移動を阻害し,資金の効率的な配分を損なうといった問題点を持っており,直接投資比率を高めた要因とは言えないからだ。途上国が,海外からの安定的な資金流入を確保するためには,健全なマクロ経済政策の運営と自由な投資環境の整備が重要である。

第二に,東アジアと中南米はともに,積極的な不胎化介入を行ってきた。しかし,不胎化介入は,国内金利を上昇させ,資金流入をさらに促進したり,国債利払の増加を通じて財政負担を高めるといったデメリットを生しる。そのため,実質為替レートの増価を防ぐ政策として,不胎化介入を中長期的に続けることは難しい。ただし,東アジアでは,中南米に比べて,不胎化による財政コストは小さく,不胎化介入の余地が大きかったものと考えられる。長期的な不胎化介入やインフレはコストが大きいため,東アジアでも中南米でも,名目為替レートの増価を許容する動きが見られる。

第三に,持続不可能な資本の大幅な流入を防止し,継続的な節度ある資本流入を確保するためには,国内貯蓄を増強することが望ましい。東アジアの多くの国では,緊縮的財政政策がとられ,財政収支赤字が縮小(ないしは黒字)となったことから,政府貯蓄が増加し,貯蓄率が高まった。その結果,それらの国では,①金利上昇圧力が低下して資本流入インセンティブが弱まり,競争的な為替レートを維持するのに役立った。また,②経常収支が小幅な赤字ないしは黒字となっていたため,投資家の信認を高め,海外からの継続的な資金の流入に寄与した。

メキシコ通貨危機を契機に,投資家は,投資対象国の経済ファンダメンタルズをより厳しく評価し,経済政策が健全で成長性の高い市場を選別して投資するようになった。途上国政府としては,大幅な資本流入のもたらす悪影響に対して,様々な政策オプションを採用して対処するとともに,海外からの安定的な資本流入を確保するため,良好な経済ファンダメンタルズを維持することが重要である。