平成5年

年次世界経済報告

構造変革に挑戦する世界経済

平成5年12月10日

経済企画庁


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第2章 持続的成長及び市場経済化の条件

第3節 経済の混迷が続くロシア

(ロシアの資本主義は「国家独占」段階からの開始)

ロシアは,1991年末にソビエト連邦が崩壊した後,社会主義を放棄し,資本主義への転換を進めている。しかし,ロシアの資本主義は,70年余りにわたる社会主義体制下で構築された資本の「国家独占」(第2-3-1図)状態からの開始を余儀なくされており,私有財産制を基礎とする競争的な資本主義への転換にはかなりの期間と困難を伴うものとみられる。

ロシア経済は,旧ソ連時代からの中長期的・構造的な停滞を経て,90年以降のコメコン貿易の崩壊や旧ソ連諸国との取引縮小で更に大幅な落ち込みを示していた。すなわち,90年のロシアの実質NMP(物的純生産)は前年比でマイナス4%,91年には同マイナス11%と急速な減少トレンドを描いていた(第2-3-2図)。このため,従来のシステムによる経済運営はもはや不可能と判断したエリツィン大統領の主導により,いわゆる「ショック療法」による本格的な市場経済化が開始された。すなわち,ポーランド等中・東欧諸国で既に導入されていた急進的な改革手法を用いて,92年1月以降,価格自由化や独占体の解体・私有化といった競争的な資本主義への移行を目指した一連の改革政策が実施されていった(第2-3-3表)。

(ショック療法の影響と評価)

しかし,92年1月から93年央までの1年半の期間を通して,高インフレと生産の縮小が続き,国民の実質的な生活水準は大幅に低下した。しかも,市場経済が円滑に機能するために必要な,確立された商慣習,金融仲介機能を備えた銀行システム,私有財産権を保証する経済法,等の新しい経済システムは未だ十分に整備されていない。こうした事態に対し,保守派は,ショック療法の無理な適用がロシア経済を破滅させたとして改革派を糾弾している。一方,改革派は,ショック療法に対する保守派の妨害が眞革を中途半端にし,経済の停滞を招いているとして保守派を批判している。いずれにしても経済の不振は,保守派と改革派との潜在的な政治対立を表面化させ,こうした政治闘争の激化が更なる経済の停滞を招くという悪循環に陥っている。

こうした経済の悪化を理由に,ロシアの内外からショック療法への否定的な評価も生じている。しかし仮に,漸進的改革手法を採用していたとしても,逆にそれが市場経済化を遅らせ,「計画もなく市場もない」という新・旧両体制の衝突による矛盾と混乱をいつまでも居座らせる可能性がある。ショック療法は,短期的にはいくつかの否定的現象を招いたものの,旧来の指令経済システムへの後戻りを早い段階で不可能にし,ロシアの市場経済への流れを決定的にしたという点で,長期的観点から肯定的に評価することができる手法である。

社会主義経済から資本主義経済への移行は,ロシア革命後70年余りをかけて築いた道とは反対の過程であり,こうした過程を,ロシアのような多民族で構成する大国において,かつ,資本の「国家独占」下で進めることは容易ではない。そのような歴史的な体制転換の中で生じるロシアの矛盾と混乱は,単なる改革手法の相違といった観点から結論づけるのではなく,さまざまな構造的要因を考慮に入れながら,長期的に見守っていく必要がある。

(ロシアの経済問題の論点)

ロシアにおける経済及び改革の先行きは,政治の不安定もあって極めて不透明である。したがって,今可能で必要なことは,ロシアが現在抱える構造的な問題を把握し,それらを,ロシア経済の現状と今後を分析するための論点として整理しておくことである。ロシアは現在,次のような問題を抱えている。

第1に高インフレの問題がある。その要因としては,①企業の独占・寡占体制,②金融政策(中央銀行機能の不備による通貨の過剰発行),③財政政策(地方政府の中央への税収納入拒否による歳入不足と,補助金支出の継続による歳出増等を原因とする巨額の財政赤字),が挙げられる。

第2に生産の減少の問題がある。その主な要因としては,旧ソ連域内貿易の縮小と,更にその縮小の原因の1つである旧ソ連諸国の独自通貨導入が挙げられる。

第3に,私有化の過程における新旧両勢力による資産の獲得競争の問題がある。小規模な私有化や新たな経済主体の創出は比較的進展してきているが,大規模な国有資産の私有化方法については今後の課題を残している。

以下では,主要なこれら3つの論点,すなわち,高インフレと独占及び金融・財政政策,旧ソ連域内貿易縮小の影響と課題,私有化及び新興経済の創出,について検証していくこととする。

1 高インフレの持続と独占及び金融・財政政策の現状

92年1月の価格自由化により,従来から生じていた潜在的なインフレ圧力が顕在化し,更に企業の独占・寡占体制の存在,ロシア中央銀行の緩和的な金融政策,地方政府からの税の納入拒否と補助金支出の増大による巨額の財政赤字,等によりその後インフレが加速され,ロシア経済に高インフレがもたらされた。

以下では,価格自由化への経緯とその後の高インフレ,その要因とみられる企業の独占体制と緩和的な金融・財政政策について検討する。

(価格自由化への経緯)

旧ソ連では,80年代後半の財政赤字が主な原因となって,90年代に入る頃には通貨の過剰供給が生じていた。しかし,こうした通貨の過剰供給は,すぐには物価の上昇という形で顕在化しなかった。その理由は,ほとんどの商品の価格が国家(価格国家委員会)によって固定され,かつ,モノ不足でそれら商品への実際の支出がなされずに,通貨は強制預金という形で潜在的なインフレ圧力として蓄積されていったためである。他方,ヤミ市場や公認の自由市場における価格はすでにかなりの上昇を示しており,公定価格との格差は拡大していた。

このため旧ソ連政府(パブロフ首相)は,91年1月に卸売価格を,同年4月には消費者価格を,数十パーセントから数倍の範囲で引き上げた(第2-3-4(1)図)。しかし,ヤミ価格や自由価格の水準には程遠く,安い公定価格で国営部門から購入して,ヤミ市場や自由市場において高値で売るという商業活動(一種の裁定取引といえるが,当時のソ連では投機・横流しによる不当利得として批判された)が活発化した。こうした二重価格の状況を解消するには公定価格の自由化以外に道はなく,公定価格の自由化は隠匿された物資の放出,生産への刺激,採算原理に基づいた企業経営,などにも役立つと考えられた。

(価格自由化後の高インフレ)

92年1月の価格自由化により,卸売取引の8割,小売取引の9割に相当する部分の価格が自由化された。その後,残る部分の価格についても徐々に引上げまたは自由化が実施され,93年7月のエネルギー価格の自由化により,国家による価格統制はほぼ解消された(ただし,パン,ミルク等の主要食料品の価格などは,依然として地方当局がコントロールしている場合が多い)。

価格自由化は,潜在的なインフレ圧力を顕在化させてモノと通貨の関係を正常化することを目的の1つとしていたため,当初よりある程度の物価上昇を想定していた。ショック療法導入の中心者であるガイダール第1副首相(後に首相代行)の予測では,物価は92年1月の当初1か月で2~3倍の水準に急上昇した後,秋までには前月比で10%以下の上昇率に落ち着くとの見通しが示されていた。しかし実際には,物価の上昇は予測をはるかに上回るものとなった。すなわち,価格自由化直前の91年12月に比べて,92年12月には卸売物価が62倍,消費者物価が26倍へと大幅に上昇し(前掲,第2-3-4(1)図),93年に入ってもそれぞれ前月比で20~30%程度の上昇が続いている。

これにより,消費者物価でデフレートした実質賃金は,91年12月を100として92年12月には52,93年6月には44と半分程度の水準にまで低下しており,ロシア政府は,93年6月現在で,所得が最低生活費(貧困ライン)を下回る者が国民の3分の1以上にのぼるとの報告を公表している。国民はこうした実質賃金の低下を補うべく,副業収入の獲得や自家菜園による食料確保に努めている。しかし,こうした手段すら持たない年金生活者等の社会的弱者層の生活はかなり苦しい状況にある。

(高インフレの要因たる企業の独占体制)

高インフレの1つの大きな要因として,ほとんどの国営大企業が,独占的地位を有することから価格設定についても独占的な引上げを行ったことが挙げられる。企業間でみると,供給企業(独占体)の生産物に対する需要曲線は極めて垂直(第2-3-5図)に近かったが,価格自由化後も,大企業分野への新規参入が困難であるために供給企業が直面する需要曲線は依然として垂直に近い(従って価格を引き上げても需要は減少しない)。こうした状況で価格設定権が与えられた供給企業は,価格自由化による生産費の大幅な上昇を見込んで,かつ,これに大幅な利潤マージン率(マークアップ率)を付加して,生産物価格の大幅な引上げを行った。他方,各需要企業も,自らの生産物に関しては独占体であるため,供給企業が価格を引き上げてもこれを自らの生産物価格に転嫁できると考え,また,企業間の代金支払いが預金口座による振替決済で後日行われることもあり,供給企業が設定した高価格による契約を受け入れた。

これにより,供給企業は従来と同様に生産物の供給を続けたが,実際には,契約した高価格による各需要企業からの支払いは滞り,このために供給企業は,自らへの供給企業(仕入先企業)に対する支払いも不能になるという事態が,工業部門の全域で連鎖的に発生した。すなわち,あらゆる企業間で,企業間信用の供与という形態の,支払い見込みの立たないツケによる購入が累積的に増大する現象(企業間債務の累増)が発生した。

更に,流通部門においても,特定の流通組織・企業による独占が価格の高騰をもたらした。流通部門は従来,地方自治体が管轄する独占的な流通組織(トルグ)が,国家から仕入れた食料品や消費財等に流通マージンを付加して傘下の国営商店に卸すという形で配給と価格のコントロールを行ってきた。こうした官僚流通組織の多くは現在,協会(アソシエーション)と呼ばれる形態や株式会社形態の商社等へと転換(民営化)しているものの,依然として小売商品の配給と価格に対する強い影響力を有している。このことは,価格差補助金を得て一部商品の小売価格を抑える利点もある反面,流通の多様化と競争を妨げて価格の高騰をもたらす要因ともなっている。

(高インフレの要因たる緩和的な金融・財政政策)

高インフレのもう1つの大きな要因として,引締め的な運営を予定していた金融・財政政策が,92年半ばから緩和的なスタンスへと変更を迫られ,ロシア中央銀行の通貨増発によるマネーサプライの急増がもたらされたことが挙げられる。

価格自由化後の金融政策をみると,ロシア中央銀行は,大幅な物価上昇による現金不足を解消し,92年6月末で3兆2千億ルーブルに達した企業間債務を相殺するため,同年6月からマネーサプライを急増させ(第2-3-4(2)図),金融の量的なコントロールは緩和基調となった。ロシア中央銀行は,企業に資金供給を直接行う機能を旧ソ連時代から有しているため,産業界(中道勢力)からの要請に応じて企業間債務を相殺するための融資を企業に行った。ショック療法を主導するロシア政府(ガイダール首相代行)は,金融引締めの継続を目指していたが,ロシア中央銀行の管轄権が中道・保守勢力が多数を占める議会に属していたため,議会の決定で企業に資金供給を行うロシア中央銀行を政府がコントロールすることができなかった。更に,多くの企業は,こうして供給された融資資金を,未払いの企業間債務の決済には使用せず,従業員への賃金支払いとインフレヘッジを目的としたドルや原材料の購入等にあてたため,更なるインフレとルーブルの対ドル・レートの減価がもたらされた。また,インフレ予想の高まりによるルーブル通貨への信認の低下から,ルーブルをできるだけ早く手放してモノに換えようとする傾向が強まったことも,物価上昇につながったとみられる。

他方,金利面をみると,ロシア中央銀行の公定歩合は92年初の年利20%から同年末で80%,93年9月で180%の水準にまで順次引き上げられたが,この間のインフレ率を考慮すると,実質金利は大幅なマイナスとなっており,事実上,緩和基調となっている。

価格自由化後の財政政策をみると,ロシア連邦の一般政府部門(特別会計の基金,政府活動,輸入補助金を含む)の財政収支の赤字は,92年にはGDP比21.8%で,5%以下の目標を大きく上回った。この傾向は93年になっても変わらず,7月に議会が承認した93年度(1~12月)予算では,財政赤字が22兆3千億ルーブルでGDP比20%超(見込)と大幅なものになっている。これは,財政安定化を目指した政府提出案よりも,赤字幅が拡大しており,予算に関しても政府と議会との対立がみられる。財政赤字の原因としては,歳入面では,ロシア連邦内の共和国や州など地方政府の一部が,徴収した税収を当該地域での支出に優先的にあて,連邦中央予算への納入を後回しにしていることが挙げられる。この結果,予算執行における主導権が,連邦中央政府から地方政府に移行しつつある。こうした事態は,旧ソ連邦末期にロシア共和国等の連邦構成共和国が,ソ連邦中央予算への税収納入を停止して,経済面からソ連邦を崩壊させた状況に類似している。ソ連邦と同様の連邦システムを採るロシア連邦にとって,地方政府の離反は大きな脅威となる。他方,歳出面では,各種補助金(92年度はGDPの8.9%)と輸入補助金(同17.5%)の支出が増加している。

以上のように,緩和的な金融・財政政策によるマネーサプライの急増は,約4か月程度のタイム・ラグを伴って,物価の上昇に跳ね返っていることがみてとれる(前掲,第2-3-4(2)図)。

2 旧ソ連域内貿易縮小の影響と今後の課題

旧ソ連域内の経済構造は,コメコン貿易と同様の分業的な生産構造にあり,ソ連崩壊で域内リンケージが切断されると,各国に生産の大幅な減少がもたらされた。また,新たに独立した旧ソ連諸国の多くは,独自通貨を導入したが,このことは,各通貨間の貿易決済システムの必要性を高めている。旧ソ連域内の取引減少から,外国貿易へのシフトを目指す旧ソ連諸国の国々もあるが,制度の不備等から国際市場とのリンケージはまだ不十分で,域内取引の減少を力バーするには至っていない。

(旧ソ連域内の経済構造)

旧ソ連や中・東欧諸国は,各国ごとに分業生産して相互に供給し合うコメコン貿易が崩壊したことで国内生産が大幅に低下したが,これと同様の現象が,独立後の旧ソ連諸国においても発生した。

旧ソ連諸国の生産は,コメコン諸国と同様に特定の品目に特化しており,例えばロシアは石油,天然ガス等のエネルギー,木材等の原材料,海産物の比率が高く,ウクライナは機械類,テレビ,砂糖,ベラルーシは機械類,軽工業品,ジャガイモ,ウズベキスタン,トルクメニスタン,タジキスタンは綿花の比率が高いといった特徴がみられる。

こうした産業構造を受けて,旧ソ連諸国は経済的な相互依存が極めて強く,各国の90年時点の域内貿易依存度(輸出入の平均/GNP)は,最も低いロシア(11.1%)を除いて,20.8%から41.0%という高い依存度を示し,また,各国の域内取引が貿易総額(域内+域外)に占める割合も,最も低いロシアでも60.6%,その他の国では82.1%から92.5%と高い比率を示している(第2-3-6表)。

このようにロシア以外の旧ソ連諸国は域内取引の割合が高いが,特にロシアに対する各国の経済関係は緊密である。例えば,90年現在で各国のロシアに対する輸出結合度をみると,いずれの国もロシアへの経済的依存が大きいことがみてとれる(前掲,第2-3-6表)。したがって,ソ連崩壊によりロシアと各国とのリンケージが切断された結果,各国はロシアという主要な輸出先を失い,ロシアは各国からの資材供給不足の影響を強く受けて,旧ソ連地域は全般的な生産縮小に陥ったのである。

(ソ連崩壊による域内リンケージ切断の影響)

ソ連崩壊によりこうした旧ソ連域内の密接な経済リンケージが切断されたことを主因に,ロシアでは,前述のように実質NMPが大幅に落ち込み,鉱工業生産も,92年には前年比19%減という大幅な減少となり,その後も減少傾向が続いて93年5月には90年12月の63%の水準にまで低下している(第2-3-7図)。

ロシアの鉱工業部門の中でも,特に製造業の分野では,大企業,中小企業を問わず,資材の入手困難から生産がストップする企業が続出した。こうした稼働停止は,国営大企業のような国家補助を得られる見込みのない中小企業の経営に,より深刻な影響を与えており,市場経済を担いつつあったコーペラチフ(後述)等の新興の中小企業は,製造業においては厳しい状況に追い込まれている。

(旧ソ連諸国の独自通貨導入)

新たな独立国にとって,自国言語による通貨単位と自国に特徴的な表象人物でデザインされた「独自通貨」を発行することは,主権国家としての国内的統合及び国際的認知の象徴として政治的に重要な意義を有する。旧ソ連諸国5か国においても,独自通貨導入の流れは決定的となっており,13か国(新ルーブルを導入したロシアを含む)では既に何らかの形で独自通貨または準独自通貨(正式な独自通貨導入までの暫定通貨)を導入済であり,残る諸国も独自通貨導入の準備を進めている(第2-3-8表)。

ロシアは,93年7月に,ロシア及び他の旧ソ連諸国で流通している旧ルーブル紙幣(1961年から92年までに発行されたもの)の効力を停止し,93年以降にロシア中央銀行が発行した新ルーブル紙幣のみを有効としたことで,事実上,独自通貨発行と同様の効果を獲得した。ロシアがこうした措置に出た目的は,第1に,国内の通貨供給量のコントロールを独自にかつ厳格に実施するためである。第2に,他の旧ソ連諸国によるルーブルの使用に枠をはめ,今後,新たなルーブル圏に参加する諸国に対してのみ新ルーブルを供給することで,ロシア国外の通貨供給量の把握を確実にするためである。これら2つの目的の背景には,①独自通貨を導入した他の旧ソ連諸国が,回収したルーブルの廃棄やロシアへの返還を行わずにロシア内に持ち込んで使用したため,ロシアのインフレを加速させ,通貨当局によるマネーサプライのコントロールを困難にしたこと,②ロシアが,新ルーブル圏における金融政策の主導権を確保したいとの意図を有すること,などがある。今後,新ルーブル圏に参加する旧ソ連諸国は,ロシア中央銀行から供給された新ルーブルをロシアへの対外債務として計上し,ロシアによる新ルーブルの一元的管理への協調を求められることとなる。

(域内経済関係の再構築)

以上のように旧ソ連諸国がすべて独自通貨を導入したとしても,そのことが即座に各国の旧ソ連域内経済圏からの離脱を意味するわけではない。旧ソ連諸国間の経済関係は依然として構造的に深いつながりを格っており,特にその中心であるロシアとの経済関係をすぐに断ち切ることは,他の旧ソ連諸国にとって有効な方法ではない。したがって,各国の独自通貨の導入を前提とした,新たな域内経済関係の再構築が必要となる。

ロシアは「新ルーブル圏」の形成を目指して,ロシア,ベラルーシ,アルメニア,カザフスタン,ウズベキスタン,タジキスタンの6か国間での合意を成立させている。しかし,ロシア以外の5か国は他方で独自通貨導入の準備も進めており(カザフスタン,ウズベキスタンは93年11月にすでに導入),新ルーブル圏における各国の独自通貨と新ルーブルとの調整も今後の課題になるとみられ,新ルーブル圏の先行きはまだ不透明である。また,CIS全体で「経済同盟」を締結し,共通経済圏を形成しようとの動きも出ている。これは,各国の独自通貨導入により,貿易代金の支払いが複数の独自通貨間の決済へと複雑化したものの,未だその決済ルールも確立しておらず,旧ソ連域内の取引停滞と生産縮小が生じているためである。しかし,新たな経済システムが,CIS全体として現実に機能し始めるという段階にはない。

したがってまず当面は,域内の近隣諸国とのブロック化で乗り切ることも考えられる。前述の輸出結合度をみると(前掲,第2-3-6表),各国はロシアとの結合度が高いと同時に,地埋的に近い諸国との結合度も当然ながら高い。このため相互に結合度が高い近隣諸国のグループで,域内にいくつかの経済ブロックを形成し,当面の経済不振からの脱出の契機とすることも可能となる。これが機能してくれば,旧ソ連域内のより大きな経済圏へと再構築することもできる。

今後は,独自通貨を前提として以上のようないくつかの経済圏の構想を考慮に入れつつ,①国内取引から国際貿易への転換に伴う新たな通関システム,②共通の関税システム,③多数の異なる通貨間の貿易決済システム,等を整備し,旧ソ連諸国間の取引の円滑化を図っていく必要がある。

(外国貿易へのシフト)

旧ソ連諸国の中には,旧ソ連域内との輸出入から旧ソ連域外との輸出入(外国貿易)ヘシフトしようとする動きを進めている国々もある。これらの国々は,国際市場へ供給できる天然資源を豊富に有している場合が多く,その輸出価格が,旧ソ連域内の価格より国際価格の方が有利で,輸出代金の受取りも外貨でかつ確実なため,こうしたシフトを進めているのである。更に,前述のように,旧ソ連域内からの原材料調達が困難になっているため,国際市場からの輸入に頼る必要がでてきたことや,その決済用の外貨の入手のためには輸出も国際市場へ振り向ける必要があるといったことも外国貿易へのシフトの原因となっている。

しかし,旧ソ連諸国が国際市場に参入しようとする場合,国際貿易への経験不足や通関システム,為替・決済システムの未整備といった自らの不備による制約が生じる場合も多い。他方,ロシアは,現在の国際貿易システムにはロシア製品への差別的扱いを行っているものがあるとして,各種規制を撤廃するよう,国際会議の場などで要請を行っている。例えばロシアは,ECによるアルミニウムに対する反ダンピング課税を,国際市場がらのロシア製品の締め出しとして強く反発している。

こうしたロシアを始めとする旧ソ連諸国の外国貿易へのシフトの動きにもかかわらず,国際市場とのリンケージは未だ不十分であり,旧ソ連域内貿易の減少をカバーするまでには至っていない。

3 私有化及び新興経済創出の現状と課題

ロシアの私有化の状況をみると,小規模な私有化と商業・サービス部門での新興経済主体の創出にはかなりの進展をみせているが,一部での不透明な私有化方法と資産格差の拡大に対する批判も起きている。国営大企業の私有化は,株式会社化(国家が全株式を所有)した後に民間へ売却する形で行われるが,企業構成員が過半数の株式を所有する大企業が多く,合理的な経営への懸念が生じている。土地・住宅の私有化や農業の私有化も進んでいるが,全般的な経済の不振から,経営基盤の弱い自営農は厳しい状況となっている。私有化の過程では,新旧勢力が国有資産の獲得競争を展開しているが,一般国民も土地,住居,株式,外資,小企業等の個人資産を所有し始めている。競争的な市場経済のためには,多数の競争主体を創出し,それらを個人所有の下に置くことが不可欠であり,個人所有を目指した私有化の流れを加速することが,今後のロシア経済の必須の課題となる。

(私有化の現状と企業規模別の私有化方法)

私有化の目的は,資本の「国家独占」を解体し,私有財産制を社会の基礎とする競争的な市場経済を構築することにある。ロシアでは,ソ連崩壊前の91年7月にすでに私有化法がロシア最高会議で採択され,92年初には急進的な私有化プログラムが公表されるなど,エリツィン政権にとって私有化は,市場経済への移行における最も重要な課題として位置づけられている。このため,私有化を推進する中央の機関として国有資産管理国家委員会(国家資産管理委員会),及び,連邦資産基金を設け,それぞれの下部機関として地方の資産委員会,資産基金を設けて全国的な私有化に取り組んでいる。

企業の私有化の方法には,先行する中・東欧諸国でもみられるように,企業の規模の違いにより,異なる方法がとられている。ロシアの企業規模は,従業員数や固定資産の価額に応じて,超大企業,大企業,中規模企業,小企業,4つに分類される(第2-3-9図(1))。ロシアでは,超大企業,大企業は,91年末現在でほぼすべてが国家所有(ロシア連邦所有に加え,共和国,州等の地方所有も含める)となっており,特に連邦所有企業には軍需産業が多く,最も私有化の困難な分野となっている。超大企業は,巨大な軍需企業や石油企業,輸送企業などの基幹産業部門の企業が中心であり,私有化の対象から除外されることが多い。一般の大企業は,3つのタイプの方式で株式会社化される。他方,中規模企業,小企業も旧ソ連休制下ではほとんどが国家所有の状況にあったが,87年にコーペラチフ(注1)という形態の私営企業が認められるようになってから,民間企業比率は次第に高まっている。中規模企業,小企業は,当該企業の経営者・従業員集団への払下げや,競売(オークション)による一般への売却という形で私有化される。

私有化件数をみると,91年末に25万社であった連邦所有及び地方所有の企業のうち,92年中に4万7千社(19%)が私有化され,93年に入って5か月間で更に2万社以上が私有化されて,同年5月末には総数で6万8千件となっている。

(新興経済の創出)

旧ソ連時代にも,計画経済下の指令システムではコントロールしきれない部分の必要悪として,非合法ながらもヤミ経済を担う小ビジネスが存在していた。これら小ビジネスは,自動車や家電製品等の修理,住居・別荘・倉庫等の修繕建築,不足物資の調達・仲介などが多く,87年のコーペラチフ解禁で経済の表面に出てくるようになった。コーペラチフは,競争原理で活動する新興経済主体として期待されてきたが,国営大企業への依存度が高い製造業部門のコーペラチフは,ソ連崩壊で取引縮小に陥っている国営大企業の影響を受けて,資材難等の苦しい状況にある。一方,商業・サービス部門のコーペラチフは非常に活発化してきており,自己資金で小規模なコーペラチフから出発して独力で中規模・大規模な株式会社となった新興企業(注2)もいくつかみられるようになっている。

(小規模私有化)

市場経済の進展による新興経済主体の自然発生的な増大と同時に,既存の大規模な経済主体が小規模な経済主体へと分割・私有化される動きも活発化してきている。工業部門では,国営大企業の各工場等のうち賃貸企業となっていた部分(そこに勤務する経営者・従業員集団がコーペラチフを設立して賃貸契約を結ぶ場合が多い)を,その経営者・従業員集団に払い下げる方式の私有化も進んできている。商業・サービス部門では,国営の商業企業(多数の商店を有する)から店舗の払下げを受けて独立する商店が増加しており,中には複数店舗の払下げを受けて新企業としてチェーン展開を図る店長・従業員集団も出現するなど,商業・サービス部門の私有化はかなりの進展が認められる。以上は,既存の国営企業の一部を分割して小規模化し,そこで働く人々へ払い下げる内部的私有化である。

既存の国営企業・商店の小規模な部分を,企業外の経済力及び経営能力のある主体に売却する私有化の形態として,競売(オークション)や競争入札が行われている。この私有化方式には,官僚,新興実業家,マフィアなどあらゆるグループが加わって,国有資産の獲得に積極的に乗り出している。しかし,こうした新富裕階級と一般国民との資産格差が急速に拡大すると,旧社会主義の経済面における平等(機会の平等でなく結果の平等)理念がまだ残るロシアでは,これを不平等,不公正とする感情が一般国民の間に高まっている。更に,小規模私有化の過程が不透明であり,事実上,多数の参加者による自由な競争となっておらず,競争に参加する機会の平等さえなく資産が特定のグループに分配されてしまうことへの一般国民の不満が生じている。

(大企業の私有化)

ロシアの大企業の私有化は,第1段階でまずすべての国営大企業を株式会社(国家が全株式を所有)に転換した後,第2段階でその株式を民間部門に売却していくという方法をとる。私有化される国営大企業の構成員(管理職及び従業員)集団は,3つのタイプの私有化方式を選択できる(前掲,第2-3-9図(2))。

    第1方式:私有化される企業の全資本の25%に相当する株式を無議決権株とし,当該企業の全構成員に対し,無償で交付する。それ以外の75%は普通株とし,従業員は全資本の10%までの普通株を額面の3割引きの価格で購入する権利を有し,管理職は同5%までの普通株を額面価格で購入する権利を有する。

    第2方式:私有化される企業の全資本の51%に相当する株式(普通株)を,当該企業の全構成員が額面価格で購入する。当方式では無償や割引等の優遇的措置はない。

    第3方式:私有化される企業の全資本の20%に相当する株式(普通株)について,当該企業の構成員集団から選出された私有化実行グループに,額面価格で購入する権利を与える。また,企業の全構成員(私有化実行グループのメンバーを含む)は,全資本の20%に相当する株式(普通株)を額面の3割引きの価格で購入する権利を有する。

これら3つの私有化方式は,いずれの場合も,私有化される企業の株式の配分が,まず当該企業の構成員に優先的に行われ,その残りの部分を私有化証券等により一般に売却する方式となっている。企業構成貝による自社株所有は,企業損益が自らの所得に反映されることから,構成員の労働意欲を高める効果があるとされる。しかし,企業構成員が過半数の自社株を所有する企業においては,経営陣は,外部から厳しい経営責任を追求されることもなく,かつ,従業貝総会で選出されるために従業員の解雇・削滅も厳しく行えず,他方,従業員側も自らの経済利益を最優先した利益分配を求めることから,市場経済に適応した合理的な経営が妨げられる可能性も高い。ロシアの失業率が93年6月末で0.8%と,同様のショック療法を導入した東ヨーロッパ諸国に比べて低い数字にとどまっているのも,こうした事情を反映しているとみられる。

株式会社化による国営大企業の私有化は,企業所有権の民間(企業外)への移転を通じて企業に対する監視を強化することにより,企業の効率化と市場原理の徹底を図ろうとするものである。しかし,①ロシアの一般国民が株式会社制度への知識と理解に乏しく,株式の流通市場も未発達なため,企業外からの監視機能を期待できないこと,②3つの方式のうち,企業構成員で株式の過半数を所有できる第2方式を選択した企業が8割にのぼり,企業株式の内部保有比率の高さが今後も続くとみられること,等から当面は企業構成員の株式保有を主とするロシア独自の株式会社制度とならざるを得ない可能性もある。

(土地,住宅の私有化)

土地の私有化を目指した憲法修正案が,91年4月の人民代議員大会で否決されて以降,土地の私有権が法的な保証を得ていない状態のため,これを正面から規定した新憲法草案がエリツィン大統領によって提示され,93年秋以降の重要な政治課題となっている。

土地の私有権は法的には確立していないとはいえ,かなり強い占有権として,事実上,私有権に近い性質を有するようになったものもある。集団農場(コルホーズ)や国営農場(ソフホーズ)から独立した自営農が農場から受け取った土地は,事実上,私有農地として扱われているとみられる。また,農場で働く農民が自宅の周囲で耕作する自留地や,アパート(目集合住宅)住まいの都市住民が都市郊外に割当てられた自家菜園用の土地(注3)もかなり強い占有権が認められる。なお,外国人については,土地の長期賃借権までは認められているが,土地の私有権が法的に認められた事例は未だみられない。

都市の集合住宅(地方自治体の所有が多い)は,現在居住する住民への低価格による払下げが進んでおり,92年中にロシアで260万戸(全戸数の8%)以上の払下げが実施された。モスクワ市はこのテンポがロシアで最も速く,同年中にモスクワ市の全戸数の20%以上が払い下げられた。他の地域では,より緩やかなテンポで進められている。

(農業の私有化)

エリツィン大統領は91年12月,多数の自営農を創設することを目的に,集団農場や国営農場の解体を規定した大統領令を布告した。92年以降,これらの集団的経営を行ってきた農場の再登録が進められ,93年6月末までに2万3千の農場(全農場の91%)が再登録を終了した。ただし,従来から効率的な黒字経営を行ってきた農場には,そのままの経営形態で再登録することも許され,約8,000の農場(再登録の34%)がこれを選択した。それ以外の農場は経営形態を変更して再登録し,その内訳は,株式会社(300),企業・組織の副業経営体(約400),協同組合等その他の組織(約2,000)への転換,及び,多数の自営農(6万2千)への分割,等となっている。自営農は,91年末に4万9千戸であったが,92年末に18万4千戸,93年6月末には25万8千戸に増加し,1戸当たりの農地面積は平均で約42ヘクタールとなっている。

自営農の生産に自留地や自家菜園の生産を加えた「小規模農業生産」の状況をみると,92年にはジャガイモの80%,野菜の55%,肉の36%,ミルクの31%,卵の26%が小規模農業生産によるものとなっている。また,小規楳農業生産者の家畜保有高の割合は,91年末から92年末にかけて,肉牛は19%から22%へ,乳牛は28%から31%へ,豚は22%から25%へ,羊及び山羊は31%から36%へと高まっている。

国有及び集団所有の下での大規模農場の生産から,農地の私有を基礎とした小規模農業生産への転換は,一部で良好な成果をあげて.おり,農業の私有化は軌道に乗りつつある。しかし,92年以降の経済の混乱の中で,肥料・飼料の供給不足,農業機械の高騰,機械用燃料の不足と高騰,生産物の輸送の障害などから,経営基盤の脆弱な自営農は困難に陥っており,自営農を放棄せざるを得ない農家も出始めるなど,自営農経営にとってはかな,り厳しい状況が続いている。

(私有化過程での国有資産の獲得競争)

私有化の過程においては,旧勢力と新興勢力との間で,国有資産の獲得競争が展開されている。旧勢力は,ソ連時代からの行政・立法等の権力機関の幹部,国営企業幹部,集団農場幹部,軍幹部等から成る。これら指導的ポストがすべて共産党の支配下にあったため,こうした人々は「党官僚グループ」と呼ばれ,現在でもかなりの指導的ポストを確保し,従来からの強力な人脈を維持している。他方,新興勢力は,改革を掲げて当選した政治家,市場経済の導入で利益を得られるようになった実業家,旧体制下からヤミ経済の担い手として活動してきたマフィア等から成る。一般に,党官僚グループは保守派,新興勢力は改革派と呼ばれるが,党官僚グループも改革そのものに反対しているわけではなく,従来からの政治的特権を経済的権益に転化し得るような改革手法であれば,急進的改革をも支持する用意があり,むしろ早く権益を確保して市場経済における自らの基盤を確実にしたいとの意識さえある。これに対し,新興勢力は,党官僚グループが権力を利用して自己に有利な私有化で国有資産を獲得し尽してしまわないうちに,その獲得競争に食い込もうとしている。したがって,新興勢力が支持する急進的改革は,党官僚グループによる支配を早急に打破して自らの取り分を増やそうとするものである。以上から,保守派と改革派との対立は,表面的には改革のテンポの違い(保守派は漸進的,改革派は急進的)という形をとっているが,根底にあるのは,国有資産の獲得競争であるとみることができる。

(私有化の正否)

経済面における社会主義の理念が平等(機会の平等でなく結果の平等)であるならば,資本主義の理念は自由競争である。しかし前述のように,ロシアは資本主義へ踏み出したとはいえ,国民の多数にはまだ社会主義的な平等意識が残っており,競争の結果として勝者と敗者が生じて両者の間の経済格差が拡大することは,不平等,不公正とする感情が生じている。更に,競争が自由な競争となっておらず,結果の平等だけでなく競争に参加するための機会の平等さえ保証されていないことが国民の不満を高めている。

一方,私有化の更なる加速を目指す立場からは,現在の私有化が,資本の「国家独占」所有から「集団」所有に移行し始めたばかりの段階であり,社会全体に「個人所有」(私有財産制)が確立されるまでには,ショック療法を更に徹底させる必要があると考えられている。現状では,資産の個人所有または私有財産制が進んでいないために,資産がいわゆる「誰のものでもない」状態となっており,このことが,資産の責任ある有効な利用を妨げている状況にある。また,管理者及び労働者の意識も従来とあまり変わっておらず,できるだけ働かずに企業から賃金を受け取る労働慣習が,経済混乱の中でますます蔓延している。

こうした非効率を打破し,競争的な市場経済を機能させるには,①経済構造において,独占体の分割により多数の競争主体を創出し,②所有形態において,それら多数の競争主体を個人所有(私有財産制)の下に置くことが不可欠である。私有化の過程においては,資産格差の拡大や不公正な分配という問題はあるものの,国民は土地,住居,株式,外貨,小企業といった個人資産をすでに所有し始めており,こうした個人所有を目指した私有化の流れを加速することが,今後のロシア経済の必須の課題となろう。