平成4年

年次世界経済報告

世界経済の新たな協調と秩序に向けて

経済企画庁


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第3章 市場経済移行国の経済改革と世界経済への融合

第2節 ロシア等における経済改革

ここ1年余り,旧ソ連地域においては世界の政治・経済の枠組みを大きく変えるような激しい変動が生じた。ゴルバチョフ政権下の91年8月,一部保守派のクーデター失敗を契機に,ソ連邦を構成していた共和国の独立機運が一挙に高まり,紆余曲折を経たあと独立国家共同体(CIS)の成立とともに,同年末に連邦は遂に解体し,約70年続いたソ連の歴史は終わった。一方,事実上ソ連を継承した新しいロシア連邦のエリツィン大統領は,市場経済への本格的な移行,世界経済への融合を明らかにした。92年に入ってからは,価格の自由化を含めた急進的な改革に乗り出し,IMF等国際機関にも加盟した。ソ連の解体によって新しく誕生した他の国々も改革を進めつつあり,ゆっくりとではあるがロシアと同じ道を歩みつつある。そしてこれらの国々は,国家としての自立を図りながら,他の旧ソ連諸国を含めた周辺の諸外国と,今後どのような地域関係を結ぶべきかを模索している状況である。こうした中,経済の状況は旧ソ連の全ての国で極度に悪化しており,IMFによれば92年の旧ソ連地域の成長率はマイナス18.2%,消費者物価の上昇率は1296%と見込まれている。

東西冷戦の終了により,今後旧ソ連の諸国は,世界経済の中に融合されなければならない。その際,これらの国がまず自らの努力で秩序だった市場経済化に真剣に取り組むことが必要である。その上で,西側の諸国や国際機関も旧ソ連諸国の現状を十分把握しつつ適切な支援を行い,移行を出来るかぎリスムーズにする必要がある。

本節では,主としてロシアでこれまで実施されてきた経済改革の具体的な内容をみることから始め,経済構造との係わりにおいてその影響がどのようなものであったかを見るとともに,今後の方向を探ってみる。また,ロシア以外の旧ソ連諸国の状況についても,簡単ではあるが最後に触れておくこととする。

1 ロシアの92年1月以降の主な経済改革

(1) 改革までの経緯と初期条件

前述のように,91年末にソ連は解体し,ロシアやウクライナ,ベラルーシ等の15の国に分裂した。もちろん,この中ではロシアが最大の領土,人口,経済力,資源を有しており,多くの点でソ連の立場を引き継ぐこととなった。経済的にも,国内や対外面における資産・債務はまだ交渉が継続しているが,事実上ロシアが大部分を引き継ぐと見られるし,ルーブル通貨を発行できるのもロシアに限られている。旧共和国間の関係においても,91年12月にバルト3国及びグルジアを除いてCISが形成されたが,政治面はもとより経済面での協調という点においても,現在のところほとんど機能しておらず,当分はロシアを中心とした関係が対立と妥協を繰り返しながら続いていくものとみられる。

また,旧ソ連領土の7割以上というロシア連邦の広大な地域の中には,非ロシア民族を中心とする共和国及び自治州が全体で21にのぼっており,旧ソ連と同様の民族問題,中央・地方間の対立の問題を抱えている。92年3月現在でほとんどの地方政府はロシア連邦条約に調印しているが,中にはロシア連邦からの独立を宣言しているものもあるし,紛争地域もある。しかも,地方ではこれまでの中央集権的な体制に対する反発が強く,自治権の拡大を強く要求するとともに,経済改革に対しても中央政府の急速な動きには抵抗している模様である。更に,ロシアにとって改革をより一層難しいものとしているのは,巨大な軍産複合体の存在であり,軍民転換という困難な課題に取り組まなければならない。

経済の不均衡という面でも,ロシアは極めて難しい状況から改革をスタートしなければならなかった。生産は既に2ケタの落ち込みを示しており,インフレも価格自由化直前の91年12月の時点で200%近くの上昇を示していた。また,財政の赤字もGNP比で20%程度に達し,対外面でも貿易の潜在的な赤字と約700億ドルの大きな対外債務を抱えていた。

こうした状況の中で,エリツィン大統領は経済改革の方向として,第1に価格の自由化をはじめ,新しい金融政策,税制改革,ルーブル強化等を含む経済安定化を,第2に農業を含む経済の民営化を明らかにし,ガイダール現首相代行(当時第1副首相)を経済改革の責任者に任じた。

(2) 価格の自由化と安定化政策

(価格の自由化)

ロシア政府は当初,91年12月半ばに予定していた大部分の価格自由化を,他の共和国の反発もあって遅らせ,年を明けた92年1月2日にこ実施した。この段階においてはパン,牛乳,塩,砂糖等の食料品,石油や電気・ガス料金,公共輸送機関等のサービス料金は自由化されなかったが,これらの価格も3~5倍の大幅な引上げが行われた。価格が自由化されたものの割合は支出の割合でみて,卸売の80%,小売の90%を占めると言われている。その後さらに自由化の範囲が広がりパン,牛乳等の価格も自由化され,石油価格も数回にわたり引き上げられた。

しかし,価格自由化も,その意義は次のような点で制約されたものとなっている。第1に,自由化といっても中央政府からの統制がなくなったということであり,一部の食料品等では地方政府が価格を統制することができることとなっている点である。このため,約3分の1の地方政府はこれらの価格を規制していると言われている。現在ロシア内においては地域間で大きな価格差が存在しているが,流通上の問題とあわせてこうしたことも価格差に影響しているものとみられる。第2に,従来物資の調達と配給を所管していた省庁が行政組織の再編の過程で廃止され,アソシエーションと呼ばれる事業者団体として残り,このような組織が価格の決定権に関与していると指摘されている点である。更に,以上のような価格への直接的な介入以外にも,国営商店等では流通マージンの規制(25%程度)が行われている。

価格の自由化の目的は,本章第1節で述べたように,第1に,価格をシグナルとして需給の調整を図るとともに,相対価格の変化を通じ効率的な資源配分を行うことと,第2に,それまで行列や配給という形で抑圧されていたインフレ圧力をオープンにすること(あるいはこれを別の面からみて,家計や企業部門に過剰に蓄積されている金融資産を吸収すること)にあった。過剰な金融資産が,企業および家計にどの程度蓄積されていたかを正確に見ることは困難であるが,IMFによると,家計の場合,資産の約3分の1程度が過剰という試算があり,これが価格の自由化により45~50%のインフレを生むとしている。

価格の自由化後,後者の目標に関してはある程度達成したとみられる。すなわち,インフレ圧力がオープンになって価格が上昇したことで,モノが従来に比べ格段に小売店に並ぶようになり,これまで見られたような行列も少なくなっている。また,激しいインフレの中で,過剰な金融資産の蓄積も吸収されたものとみられる。しかし,物価の上昇テンポは予想以上のものであり,1月の価格上昇は消費者物価で3.5倍,卸売物価で5倍にも達している(第3-2-1図)。自由化直後のこれほどの価格上昇は,先に価格の自由化に踏み切った東欧諸国のインフレをも上回っている。こうした状況では,価格がシグナルとしての役割を果たすことや,相対価格の構造がより適切な方向へ変化するということも困難である。

価格の自由化に関し,今後の課題として残されているのが,石油価格の問題である。1月以降これまでに大幅な価格の引上げが数回行われているが,国際的な価格水準をなお大きく下回っており,10月末の段階で約14分の1の水準となっている(第3-2-1表)。政府は今後も徐々に価格を引上げ,最終的には石油価格の自由化を行うとしているが,追加的なインフレ圧力になるとともに,他の共和国との関係で摩擦を生じやすい。

(引締め的な財政・金融政策)

これまでも価格の自由化を実施した国においては,かなりのインフレに直面するといったことが多く,価格の自由化にともなうインフレを防止するためには,財政・金融面における引締め策が同時に実施されなければならないとされている。

ロシアはGNPの20%もの財政赤字を引き継ぐことになったが,92年1月には年間の歳入見通し等の作成が困難であったため,とりあえず大幅な赤字の削減を目指した第1四半期の予算案が作られた。その内容は,まず歳入面では従来の取引税に代わり,税率28%の付加価値税が導入されることとなり,歳入の大きな柱とされた。その他にも,法人税,個人所得税,個別間接税,関税が財源として用意されている。こうした歳入全体のGNPに対する比率は35%に相当する。一方,歳出面では削減が広い範囲にわたって行われたが,特に国防費や補助金の削減が大胆に行われている(このため,歳出のGNP比は36%に低下)。こうした措置により,政府の予算案では赤字額は約100億ルーブル,GNPに対する割合は0.7%に低下すると見込まれていた。

しかし,現実にはこの予算案も議会によって一部品目の付加価値税の引下げや支出の増加が行われ,赤字が拡大する方向で一部修正され,第2四半期以降も歳入の減少と歳出の増加の双方から,赤字は当初の目標を大幅に上回ったとみられる。92年9月にガイダール首相代行が述べたところによると,上半期の赤字はGNPの7.5%に相当する1,013憶ルーブルに達したとされ,更にこれが8月までには約8,000億ルーブルへと急増している。因みに,政府は7月に92年全体の予算を議会に提出し,議会で可決されているが,それによると,年間の歳出は3兆3,193億ルーブル,歳入が2兆3,692億ルーブルとなっており,財政赤字は約9,500憶ルーブルとされていた(付表3-4)。92年当初は均衡予算を目指したが,政府の姿勢も厳しい経済状態の下で緩めざるを得ず,当初の目標からの後退とともに,IMFと合意したとされている92年第4四半期に財政赤字を5%以内に削減するという目標も困難となってきている。

他方,金融面においても1月以降,財政政策と並んで引締めが強化された。

引締めの主たる手段は,貸出金利の引上げと商業銀行の預金準備の操作である。まず,ロシア中央銀行が商業銀行に貸し出す際の公定歩合は,年初に一本化されるとともに,年利20%に引き上げられ,その後も4月には40%,更に5月には80%に引き上げられた。預金準備についても,2月及び4月に引き上げられている(1年未満の預金は20%,1年超の預金は15%の準備が必要)。この結果,商業銀行の貸出額は第1四半期には2,500億ルーブルにとどまった。

しかし,金融面でも引締めが浸透し,その影響が現金の不足やそれにともなう給与の支払い遅延等に現れてくると,金融緩和圧力が急速に強まり,実際,次第に緩和されている模様である(第3-2-2図)。

このような金融緩和の背景には幾つかの要因が考えられるが,第1に後に述べるように金融を引き締めても,企業の倒産が無いため生産を含めた企業行動に従来とあまり変化が見られず,企業間債務の拡大による従来通りの生産の継続,商業銀行からの安易な借入れが行われやすい。また,インフレの下で実質的な金利がマイナスになっていることも,こうした傾向を助長している。第2に融資を行う商業銀行が88年以降数多く設立されたが,借り手である国営企業が設立したものも多く,企業へのチェック機能が働いていない。第3にこのような借り手,貸し手の問題に加え,中央銀行が政府からは独立しているものの,産業界を背景とする保守色の強い議会の監督のもとにあることも影響しているとみられる。

こうした金融緩和圧力とともに,現在のロシアにとって金融政策の運営が更に難しくなっている事情もある。それは,ロシアの従来からの企業間決済の仕組みと,他の共和国との通貨を巡る混乱である。前者については,これまで企業間における取引の決済は,中央銀行の帳簿上において振替決済が行われているに過ぎず,通貨が用いられることはなかった。企業が現金を手にするのは従業員に支払う賃金としてのものが中心であった。従って,中央銀行が金融の引き締めを行っても,通貨に裏付けのない企業間の取引に対しては影響を与えることができない。ただし最近では,企業間取引にも現金による決済が行われるようになり,また,企業間債務が急増するに至り,通貨の裏付けのない取引は禁止されてきている。次に,通貨を巡る共和国間関係の混乱についてみると,ルーブル紙幣の不足を補うためでもあるが,クーポンの発行や独自通貨の導入を行う国が増えていることである。ロシア連邦内においてさえ,自治体によってはクーポンを発行して通貨不足を補っているところもある。このため,ロシア中央銀行にとっては,通貨の供給量をコントロールすることが著しく困難になってきている。

(3) 構造政策

(制度面における改革)

価格が自由化されても,市場経済が機能していくためには,私企業の活動を支えるための制度をはじめ市場のルールを定めることなどソフトおよびハードの両面から各種制度の整備が欠かせない。具体的には,所有権の明確化,自由な経済活動及び契約の遵守等を保証する法制度の整備,さらに財・サービス,労働,金融等の競争的な市場,といったソフト面でのインフラ整備とともに,それらが機能するための社会資本の充実といったハード面でのインフラ整備をしなければならない。また,ロシアでは社会保障制度は整えられているが,負担と給付のあり方の見直しや,失業保険制度の確立も求められている。

しかし,これまでのところ建物は別にして土地の私有化は認められておらず,商法等の法制度も多くの点で未整備である。後で述べるが,競争の確保を図るための実効的な独占禁止法の運用や赤字企業を整理するための倒産法の制定も急ぐ必要がある。流通の面では一部に私営の商店や商品取引所も出来つつあるが,西側に比べてその数や機能の面で十分ではない。金融市場について,商業銀行の設立と中央銀行との機能の分離が行われる等わずかな前進がみられるが,商業銀行のあり方については,その資産内容や営業のチェック等によって,より健全なものへと改革していく必要がある。

(民営化の状況)

旧ソ連においては,中央集権的な計画経済化が徹底して進められてきた。このため,農業,工業,商店等経済のあらゆる部門が国営化され,私企業は皆無に近い状況にあった。住宅についても国または公共団体が所有していた。ゴルバチョフが推進したペレストロイカにより,コーペラティフ(小規模な協同組合)の設立が認められるようになったが,経済に占める割合はなお小さく,国営企業は資産規模,生産等で90%以上を占めている(後述)。市場経済に基づいた経済システムを作るためには,前述の制度の改革により私企業が市場に参入し,経済の中心的な役割を果たせるようにすることが必要であるが,ロシアの場合国営企業の割合があまりに大きいため,その経営の改善を行うとともに,どうしても国営企業の民営化を図らなければならない。政府もこのことについては十分認識しており,国家資産管理委員会(中央政府では省と同格の行政機関)を中央および地方に設置して,民営化を進めようとしている。

東欧諸国の改革で述べたように,民営化の方法あるいはプロセスには幾つかのタイプがある。まず,小規模な企業や小売商店,公営食堂等は通常オークション(競売)によって売却される。ロシアでも92年6月末までに,約6,500の小売商店(全体の4%),2,100の公営食堂(同1.5%),3,900の理髪,クリーニング等の日常サービス店(同3.1%)が私有化された。全体に占める割合はまだ小さいが,申請中のものは急増しており,今後そのテンポは更に速まるものとみられ,92年8月末までに,私有化された小売商店は9,500件(全体の5.5%),公営食堂は2,800件(同2.0%)に増加している。住宅についてもアパートなどの共同住宅は,居住者に払い下げる形で私有化されたものが増加している。

他方,大規模な国営企業の民営化は,国営企業の資産をまず国家資産管理委員会に移管し,株式会社化が進められようとしている。既に93年中に株式会社化される約7,000の企業のリストが作られている。この内の約4,200社については,部分的(35%程度,資産総額で約1兆4,000億ルーブル)に株式の国民への譲渡が行われることとなっている。このためまず,約1億5,000万人のロシア国民全てに「私有化証券」の第1回目の配布が92年10月1日から開始された。国民はこの証券の使用方法として①企業の株式との交換,②新設される投資信託ファンドへの預託,③他人への売却,のいずれかを選択することができ,更に10月初のロシア大統領令により土地・住宅の購入にも使用できることとなった。「私有化証券」の第1回目の額面は1万ルーブル(前述の約1兆4,000億ルーブルをロシア人口で割ったもの)であり,配布は94年までに計3回実施されるとしている。しかし,こうした民営化の方法やその意味については,国民に十分に周知されていると言えず,産業界にも反対が強い。また,企業資産の評価(土地は対象外)が価格自由化以前の旧価格で行われているために,激しいインフレを経た後の実勢価値とは大幅にかい離している。国民に各企業の財務状況に関する情報を開示するシステムがなく,国民が取得した株式を自由に売買するための株式市場も未整備である。更に,優良企業が多く独占度も高い軍事・エネルギー・原子力等の基幹産業部門の企業は,国家安全保障上の理由により民営化の対象から除かれている。

(農業改革)

旧ソ連は慢性的な食料不足に悩んできたが,ロシアも同様である。しかし,こうした食料不足の一つの大きな理由は,非効率な生産が行われてきたことであり,特にコルホーズやソフホ―ズによる農業の集団化によって,個々の農民の生産意欲が抑圧されてきたことが大きく影響しているとみられている。このため,農業改革の一貫として自営農家の育成を図る一方,コルホーズ,ソフホーズを株式会社等の新たな形態に転換し,農業機構の再編を図ろうとしている(第3-2-3図)。

自営農家の数は,91年末の4万9千戸から92年6月末には12万8千戸に増加しており,その割合は全農家の4.5%になっている。しかし,土地の配分のあり方やこうした自営農家を支えるシステムが不十分であり,例えば,小規模農家に適した小型の農業機械の供給や肥料・飼料の供給体制も未整備である。

(4) 対外政策

(貿易・投資政策)

対外面では,92年1月の大統領令によって,企業による自由な貿易が認められるようになった。しかし実際には,輸入の抑制を図る必要があることから,輸入関税と併せ,行政の介入による数量制限を行っている。他方,輸出についても輸出税を課しており,最も貴重な外貨獲得源で国内価格と国際価格の差が大きい石油については,従量税の形で課税している。

投資に関しては,海外からの投資を促進しようとしているが,投資政策の内容が不明確で,特に通貨の問題や優遇税制の内容等が明らかになっていない。

カリーニングラード,ウラジオストク等を自由貿易地域に指定しているが,まだ具体的な開発のプランは用意されていない。

(為替政策)

為替に関しては,従来より公定レート,商業レート,旅行者レート等複数の為替レートが使われてきたが,92年に入り実勢に見合ったレートの設定と統一化が進められるようになり,7月1日からはようやく銀行間の市場取引に基づく変動為替レートへと一本化された。当初のレートはロシア中央銀行によって1ドル=125.26ルーブルと決められたが,その後毎週2回,銀行間の市場レートに従って見直されている(第3-2-4図)。しかし,ルーブルに対する信頼が大きく低下しており,ロシア中央銀行の介入にもかかわらず,10月末現在で1ドル=398ルーブルと大幅に減価している。政府はより高い水準でルーブルを安定化させ,その段階で固定レートに移行する意向を持っており,為替を維持するための通貨安定化基金の設立を準備しているが,現在の為替の状況からすると固定レートに復帰することは難しさを増していると言える。

92年7月には為替レートの変動制への移行と併せて,外貨の管理制度も変更され,外資系企業も含めた全ての輸出者に対し,獲得した外貨の50%を中央銀行の基金及び商業銀行を通じた銀行間通貨市場に売却することが義務付けられた。しかし,輸出の過少申告などの様々な手段で外貨の国外流出が続いており,中央銀行の外貨の準備は極端に厳しくなっていると伝えられている。

2 経済改革の影響と困難の背景

ソ連解体後のロシア政府は,ゴルバチョフ政権下のペレストロイカの過程と比べると,広範囲にわたる大胆な改革を実施してきた。それでも改革はまだ初期の段階であり,構造政策等これから実施されるものも多い。従って,この意味では,現段階で改革の影響を全体的に評価することはまだ早計だと考えられ,改革の動きをこれからも注意深く見守ることが必要である。とはいえ,改革の実施によって既にいくつかの兆候も現れてきている。例えば,価格は高騰したものの,物が市場に現れ,極端な物不足が解消するという変化が出ている。また,これまでには無かった新しいサービス業も生まれている。旧ソ連では経済に占める第3次産業のシェアが,西側と比べて極端に小さかった。人為的な経済構造が崩れて,新しい産業が生まれてきていると言えよう。ただし,政府の経済統計ではこうした新しい分野の経済が十分に捉えられていないため,統計だけを見ていると,経済状況を実態以上に過小評価してしまう可能性もあることに留意しておく必要がある。

しかし,それにもかかわらず,ロシア政府による改革の過程で,経済全体としての改善は進まず,むしろ悪化してきている。これには,様々なレベルでの政治の混乱や従来の制度の崩壊といったことも大きく影響している。旧ソ連の共和国間には様々な対立があり,ロシア内でも中央と地方,また,政府,議会,産業界,組合等の間において,改革の進め方について十分な合意が形成されていない。このような混乱は改革への姿勢を鈍らせたり,実施を遅らせるなどの動揺を生んでいる。例えば,財政・金融政策の混乱については既に述べた通りであるし,石油価格の自由化は当初92年3月に実施されることになっていたが先送りされているし,土地の私有化や「破産法」の制定も議会の反対により成立しなかった。大規模国営企業の民営化についても,92年10月から「私有化証券」の国民への配布が開始されているが,産業界はもとより政府内からも反対論が出されている。

(92年以降の改革の特徴)

改革が実施された92年初以降の経済の動きについて,その特徴的な点をまとめると次のように指摘できる。

① 価格自由化により,予想以上の高インフレと生産の低下が発生した。価格自由化は本来1回限りの価格水準の上昇をもたらすにすぎないと考えられるが,現実には価格の上昇はその後も続いている。もう少し細かく見ると,ロシアでは従来,西側諸国と比べ機械製品や耐久消費財の価格は人為的に高く設定され,石油等の原材料,食品,日用品の価格は低く設定されるという相対価格の歪みがあったが,価格自由化の結果,相対価格の歪みは是正されずに価格水準が全体的に上昇した。中でも,企業間の卸売物価の上昇は特に著しいものとなっている(第3-2-5図)。インフレが高まる中で,生産も上半期においては減少幅が拡大している(NMPは前年同期比18%滅)。これには投資,消費といった需要の減少という要因もあるが,共和国間関係の混乱による部品・原材料の入手難,設備の老朽化といった供給側の問題も指摘されている。しかし,これまでの生産の減少の程度は,以上の要因,特に需要の低下の程度と比べると,それほど大きいものではないという見方が政府によって示されている。これは,国営企業の中には,販売が低下しているにもかかわらず従来通りの生産を続けているところが多いためである。その結果,売れ残り在庫は増えているとみられ(例えば,商業及び工業における商品在庫は92年1月1日現在で37日分であるのに対し,7月1日現在では81日分),こうしたことは,市場の変化あるいは価格の変化が生産面における適切な反応を引き起こしていないことを示唆している。

② インフレの結果,実質賃金が当初大幅に低下した後,このところ賃金の上昇テンポが高まってきているが,インフレには追いついておらず,業種による賃金格差も広がっている。年金生活者等の受給額(最低賃金と同水準)も引き上げられているが,インフレに追いつかず生活は苦しさを増している。こうした結果,国民の約半数は最低生活水準(2,150ルーブル)以下の所得しか得ていないと言われている。小売商品販売高をみると,家計の実質所得の低下を反映して,92年上半期には実質42%の減少となっている。

③ 現金通貨が不足し,企業間の債務支払いの不履行が急増した。現金の不足は給与の未払いという状況を生んでいる。通貨発行高は92年上半期で昨年1年間の約3.5倍になっているが,それでもインフレ率を下回っているため,不足が発生しているものとみられる。企業間債務の未払い額の増加も,金融政策の引締めの中で,かつての安易な慣行に基づく取引が,支払い資金の手当てもなく続けられているためとみられており,その額は6月末には2兆5,000億ルーブルに達している。

④ 財政・金融政策とも当初はかなりの引締めが試みられたが,時間とともに,補助金の増額や追加的な信用の供与等によりその姿勢は緩和される懸念が生じてきている。ただ,財政赤字のGNP比,通貨の発行高からみると,昨年と比べればこれまでのところ引締め基調は維持されているといえる。

⑤ 対外面では,92年に入ってからも輸出入とも大幅な減少が続いており(第3-2-2表),石油についても生産の減少から輸出は減っている(第3-2-6図)。輸出入についてみれば,公式統計では92年上半期には輸出が輸入をごく僅かに上回っている(5億ドル)が,経常収支では赤字とみられ,現在700億ドルをこえる対外債務の返済は,返済時期の集中や短期債務の割合が大きいことから,繰延べが行われる等厳しい状況となっている。

以上のように,経済の厳しい状況には変化はない。その背景を考えると,このような幾つかの現象を整合的に理解することは,正確な情報に欠けていることもあり容易ではないが,市場経済への移行という目標にもかかわらず,生産の構造や企業の行動に大きな変化がないことや財政・金融の制度面における整備が遅れていることなどの構造面の問題が,価格の自由化,安定化政策等初期の改革の有効性を損なっていると考えらる。そこで以下では,現在のこれらのロシアにおける構造やその最近における変化を見ておくこととする。

(国営企業の問題点)

ロシアでは工業部門において,91年現在で国営企業が全企業数の95.7%,全生産額の96.7%,全従業員数の96.6%を占めている(第3-2-3表)。また,スターリン時代に極端な生産の集中化が行われており,ほとんどの企業が独占か極めて少数の企業による寡占状況にある。しかも,企業の規模が大きく,多くの企業は原材料の供給不足のリスクがないよう,内生化した垂直的な分業構造になっている。こうした企業は1社で数万人の従業員を擁し,従業員のための住居,保養所施設,消費財生産工場,農場までも保有している。

こうした国営企業では,88年の「国営企業法」の成立以降,独立採算制になる一方,経営の自由裁量権が与えられていたが,価格の自由化によって独占的な企業行動が現れてきたとみられる。旧ソ連の共和国間関係の混乱により部品等が不足し,この結果生産を落としている企業もあるが,価格の引上げを図りながら,需給に係わりなくこれまで通り生産を続けている企業も多いと言われている。独立採算制に移行したとは言え,倒産の危険がなく経営改善への誘因が働いていない。また,商業銀行の中には国営企業によって設立されたものも多く,金融面からのコントロールが効きにくいという指摘もある。

また,またこれらの多くの企業は市場のニーズとは関係のない生産を行ってきており,国際的な競争力はほとんどない状態である。特に機械産業など多くはこれまで軍産複合体のなかに組み込まれてきている。国防費の削減により,販売が落ち事業転換を行うか,武器の輸出等による新たな市場を求める動きも出てきている。

現在,政府は前述のように,民営化プログラムに従って大規模国営企業の株式会社化を進めていこうとしているが,競争的な市場環境をどのようにして作ろうとしているのか明らかではなく,また企業経営を担いうる経営者の育成,企業の経営を監視するための制度などが整っておらず,独占企業が継続される結果になってしまうことも懸念される。

(財政・金融制度)

経済を安定化させ,長期的にも経済発展を維持していくためには,財政や金融の基盤を作る必要があるが,ロシアは計画経済からの移行過程にあるため,市場経済にふさわしい財政・金融制度が作られていない。

まず,財政の面からみると,92年1月から付加価値税の導入など新しい税制が作られているが,徴税機構が未整備なことや企業の会計システムが未発達なこともあって,必要な税収を確保することは容易ではない。また税関もほとんどないため輸出入税を確保することにも問題がある。加えて,中央と地方の関係が混乱しているため,地方政府の中には税を中央に納めないというソ連当時と同様の問題が出てきている。歳出の側においては,補助金の整理が行われつつあるが,これまで被雇用者の負担がなかった点も含めて社会保障制度の負担や給付のあり方の改善,また失業の増大に対処しうる失業保険の仕組みの整備も必要となっている。

金融についても,現在は国民の大部分の貯蓄は,貯蓄銀行に預け入れられ,政府の一般財源となっており,投資に有効に使われていない傾向がある。他方,現在のところ資本調達の場としての株式市場はなく,国営企業等は商業銀行から借入れを行うシステムに変わってきているが,自ら設立した商業銀行を介して,運転資金等についても安易に借入れを増やすという行動がみられる。

一方,資金の不足の中で,新しく事業活動を始めようとしている企業に対しては,金利も高くなっており,資金の供給も十分行われていない模様である。

マクロの金融政策を担うロシア中央銀行も,産業界を背景とする保守派の優勢な議会に従属する立場に置かれており,通貨価値の安定やインフレを抑制するという本来中央銀行に期待されている役割が果たしにくくなっている。また,商業銀行の監督というもう一つの役割も十分ではない。

(難航する対外債務の返済)

旧ソ連の対西側債務は91年末の段階で総額651億ドルとされる(旧ソ連対外経済銀行)。うち中長期債務は530億ドル(公的債務213億ドル,対民間債務235億ドル),短期債務121億ドルとなっている。91年10月には旧ソ連諸国中8か国が旧ソ連の対外債務に対する連帯責任を認め,翌11月にはG7諸国が公的債務の返済繰延べに合意した。12月になると旧ソ連諸国は,対外債権・債務の継承条約に署名し,各国ごとの継承割合についての合意がなされた。対民間債務については同12月のフランクフルト会議において,また,公的債務については92年1月のパリでの主要債権国会議(パリ・クラブ)において,90年末までに契約した中長期債務のうち92年末までに期限の到来する元本部分を対象に,3か月の返済繰延べが合意され,その後3か月ごとに繰延べ期限の延長が行われている(現在,92年12月までの返済繰延べの合意が成立)。

IMFによれば,旧ソ連の92年における元利支払義務は総額156億ドル(元金返済96億ドル,利払60億ドル)となっており,このうち元金72億ドルの支払い猶予が合意されている。従って,92年には残る84億ドル(元金返済24億ドル,利払60億ドル)の支払義務があるが,ロシアのショーヒン副首相は,ロシアにとって年間25~30億ドル程度の返済が限度としている(ロシアの92年1~6月期の貿易黒字は5億ドル)。一方,ウクライナは独自に債務返済を進めていく意向を表明しでおり,ロシアとは異なる動きを見せている。以上のような情勢から,旧ソ連の対外債務返済は,解決に時間を要する課題となっている。

3 経済改革の今後の方向

(改革の進め方を巡る混乱)

前述のように急進的な改革が開始されて9か月が経過した現段階では,一部の好影響を別にして,経済が安定化するという兆しはまだ見えておらず,エリツィン大統領が92年秋までに改善するとしていた国民生活も悪化しており,改革に対する国民の支持が弱まりつつある。このため,政府の側においても年当初から進められてきた急進的改革を見直す動きが出てきており,7月初には「経済改革深化プログラム」(以下,深化プログラム)をまとめ,議会に提出した。この深化プログラムの特徴としては,以下のような点を挙げることができる。

    ①これまでのプログラムに比べて,より中長期的な視点からまとめられており,今後5年程度の期間を,i)危機的発展段階,ii)国民経済復興段階,iii)経済成長段階の3つに分けて,それぞれの段階における政策の方針を示している。

    ②制度面や供給サイドにおける改革についても,詳しく改革の内容が示されている。

    ③生産の回復がより重視され,改革のスピードについては,より緩やがなものとうかがえる。

深化プログラムの中には,インフレの低下,財政赤字の見通し等で楽観的な前提を置いているとみられるところがあり,他方で国営大企業の分割,競争政策の促進などの分野で不十分と考えられる点もあるが,こうした中期的なブログラムが政府によってまとめられたことは,改革のあり方が国民に明らかにされるという意味からも評価される。

しかし,議会では,このプログラムも含めて今後の改革の進め方について議論が続けられており,その中で旧共産党系や民族主義勢力等の保守派は,これまでの改革路線を激しく批判している。また,軍産複合体等を支持基盤とする中道勢力の「市民同盟」も深化プログラムに含まれる急進的な民営化等に反対して,より漸進的な改革プログラムを作成している。「市民同盟」の改革プログラムは,その内容が詳細には明らかではないが,企業を,基幹産業等における非民営化企業と,その他の民営化企業とに厳密に区別し,非民営化企業に対しては国家の保護を強化すること,民営化企業についても深化プログラムより緩やかなべースで民営化を行うことが提示されている。エリツィン大統領が今後どのような改革路線を選択するか流動的ではあるが,深化プログラムの棚上げと産業界の意向をより強く反映した改革への変更が行われることも予想される。

(共和国間関係とルーブル圏の確定)

ロシアが現在抱えているもう一つの大きな課題は,旧ソ連地域の共和国との関係である。ソ連の解体とロシアを含めた15の共和国の独立は,分業関係の崩壊をもたらし,経済改革の進展を一層困難なものとしている。91年末に,バルト3国及びグルジアを除く11か国で成立したCIS(独立国家共同体)は,共和国間の経済政策の調整を行う場としての機能も期待されたが,それぞれの国の思惑の違いや対立から,ほとんど機能していない状況にある(アゼルバイジャンでは,92年10月7日に議会がCIS非加盟を決議)。

現在それぞれの共和国の間の貿易は,主として2国間の貿易協定等に基づいて行われているが,必ずしも協定通り実現されていない模様である。共和国によっては,物資の輸出制限を行っている。特にロシアが他共和国への石油の供給を担っていることや,ウクライナが穀物の供給源であるなど,対立の芽を抱えている。ロシアとその他の共和国との間の貿易収支については,ロシア側が黒字となっている模様である。

通貨の面でも共和国の間で混乱が生じている。現在ロシア中央銀行が旧ソ連の中央銀行であるゴスバンクを引き継いで,独占的にルーブル通貨を発行している。従って,ロシア以外の共和国は通貨の供給をロシアに依存せざるをえず,インフレの高進とともに通貨の不足が深刻化するという問題が出ている。

そもそも,独立を達成した共和国としては,独自の通貨を持ちたいという意向が強い。国によってその態度はまちまちだが,エストニア,ラトビア,アゼルバイジャンでは既に新しい通貨を導入し,ウクライナ,リトアニア等も独自通貨の導入を表明している。現在独自通貨を導入していない国あるいは当面は導入しないとみられる国においても,多くが通貨の不足を補うためにクーポンを発行している。このため通貨情勢が極めて不安定化しており,これがロシアの金融政策の運営を困難にしているばかりでなく,共和国間における取引・決済を困難にし,バーター貿易に向かわせる原因となっている。

このため,92年6月にはウズベキスタンの首都タシケントで中央銀行会議が開催され,ロシア以外の国がルーブル圏に止まるかどうか,また離脱する場合に手続きをどうするか等が話し合われた。10月9日にはCIS首脳会議がキルギスタンの首都ビシュケクで開催され(首脳参加は10か国で,10月7日にこ議会がCIS非加盟を決議したアゼルバイジャンとCIS非加盟のグルジアはオブザーバーのみ派遣),ロシアを中心とするCIS加盟8か国(ウクライナ,トルクメニスタンを除く)が,ルーブルを単一通貨とする共通経済圏(ルーブル圏)の再形成,及び,各国間の決済機関である国家間銀行の創設に合意した。

4 その他の旧ソ連諸国の動き

ソ連の解体とともにロシア以外の共和国も,はじめて国際社会の舞台に登場した。しかし,あまりにも急速な変化の中で,ロシアと同様に政治的な不安定と経済改革の困難に遭遇している。ソ連という枠組みが崩れて独立を達成したとはいえ,自立は難しく,国内では民族的あるいは宗教的に複雑な問題を抱えてもいる。その一方でロシアへの依存を減らすため,旧ソ連地域外との協力関係を求める動きが少しずつ現れている。市場経済への移行については,どの共和国も促進する立場をとっでおり,経済改革を開始している(付表3-5)。しかし,バルト3国を別にすればロシアより遅れている。92年初に実施した価格の自由化に関しても,どちらかといえばロシアに追随せざるを得なかったといえよう。これらの国は現在は困難な状況にあるとはいえ,資源の豊富な国も多く,その潜在力は無視できない。情報が著しく乏しいが,簡単にこれらの国の状況をまとめておくこととする。

(ウクライナ,ベラルーシ,カザフスタンの状況)

ロシアに次ぐ経済力を持ち,穀倉地帯でもあるウクライナは,ソ連の解体を事実上導いた国であるが,黒海海軍の帰属問題やクリミア半島の領有権問題などでロシアとの対立が続いている。経済面でも92年1月にロシアが価格自由化を強行すると,事実上通貨と同じ機能を持つクーポンを導入した。今後,独自通貨を導入する意向も示している。経済状況はロシアよりやや良く,91年のNMP(物的純生産)は9.6%の減少と,ロシアに比ベマイナスの程度は少し小さく,92年も生産の落ち込みはロシアより少ないとみられている。物価上昇も91年はややロシアを下回っていた。改革プログラムはまだ発表されていないが,1月からの価格の自由化(ただし,消費に占める割合は60%とロシアに比べ低い)とともに,GNP比で14%に達する財政赤字の削減,引締め的な金融政策など,ロシアと同じように安定化に向けた政策を実施している。クーポンが導入されたことにより,クーポンの通貨全体に占める割合は約30%になっている模様である。

CIS成立の場所となったベラルーシでは,ウクライナとは違いロシアとの関係維持に努めており,ルーブル圏に止まることを表明している。経済状況は旧ソ連の中でも高い生活水準を保っており,NMPは91年でマイナス3%とロシア等と比べ落ち込みは軽微であった。それでも92年1月では工業生産は前年同月比14%減となっており,悪化している。また他の旧ソ連諸国とは異なり,財政は91年においても黒字となっている。価格の自由化は実施したが,補助金はかなり残されている。

カザフスタンは旧ソ連の中では,ロシア,ウクライナに次ぐ経済力を持っている。ナザルバエフ大統領に対する支持が強く,政治的には比較的安定している。NMPは91年の10%減から,92年1~3月期では前年同期比27%滅と大幅な落ち込みとなっている。一方,物価上昇は92年3月で卸売物価が前年同月比17倍にも達している。ただし,消費者物価は補助金の支給によってそれよりは低く抑えられている。価格の自由化を実施したが,その範囲はロシアと比べ狭いと言われている。政府は財政赤字をGNPの3.2%におさえる予算を成立させているが,その実現は難しい状況にあり,金融面でも工業,農業部門への信用供与は続き,ロシアと同様に企業間債務が増加している(5月で1,000億ルーブル)。

(その他地域の状況)

コーカサス(カフカス)地方や中央アジアの諸国においても,対照的な動きがみられる。コーカサスのグルジア,アルメニア,アゼルバイジャン,中央アジアのタジキスタンでは,政治的に不安定な状況が,経済にも大きな影響を与えている。例えばアルメニアでは,アゼルバイジャンとの紛争の影響により,生産施設の約85%の操業が行われていないという深刻な状況にある。その一方,中央アジアでもウズベキスタン,キルギスタン等では比較的計画経済に変化は少なく,経済には落ち着きがみられる。ウズベキスタンでは,価格の自由化も部分的にしか進んでいない模様である。

バルト3国は,CISには加わらず,ヨーロッパへの接近を図っており,経済改革にも積極的である。エストニア,ラトビア,リトアニアではすでにルーブルの効力が停止され,独自の通貨が機能している。しかし,3か国ともロシアを中心とする旧ソ連地域への貿易依存度が高く,同地域からの石油の輸入価格の上昇や,同地域への輸出の減少等による経済への影響が大きい。

(新しい地域関係の構築)

これら旧ソ連諸国の今後の地域関係をみると,ゴルバチョフ政権当時失敗に終わった連邦条約の締結過程やその後のCISの形成において,協力関係のあり方に関するロシア以外の国の立場は,地域・国によって違った。まず,スラブ系の国の中でも,ベラルーシは,ロシアとの関係を重視していたが,ウクライナは過去の歴史的な経緯からもロシアに警戒的であり,ヨーロッパへの接近を志向している。

ヨーロッパへの接近を最もはっきりさせているのはバルト3国であり,CISには加盟をしなかった。独自通貨を導入したエストニアでは為替レートをドイツ・マルクとリンクさせている。そして,将来はECへの加盟を希望している。

イスラム系の中央アジア諸国は,これまでロシア地域への依存が高かったため,ソ連の解体には慎重であったが,現在ではCISの枠の中にとどまりつつ,宗教的,民族的なつながりの深いトルコ,あるいはイランとの協力関係も模索している。トルコは黒海周辺9か国(他にロシア,ウクライナ,カザフスタン,トルクメニスタン,アゼルバイジャン,モルドバ,ルーマニア,ブルガリア)による「黒海経済協力圏」の振興を図り,イランはカスピ海周辺5か国(他にロシア,カザフスタン,トルクメニスタン,アゼルバイジャン)による「カスピ海協力機構」の交流発展を目指している(第1回正式会合が92年10月3日に開催)。また,中央アジア諸国と地理的に隣接し,国境を挟んで同一民族が居住する中国との経済関係も今後強まるものとみられる。