平成4年

年次世界経済報告

世界経済の新たな協調と秩序に向けて

経済企画庁


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第1章 世界経済の現況とその特徴

第1節 先進国経済の現状

1 回復力の弱い先進国経済

1980年代後半に順調な拡大を続けてきた先進国経済は,89年以降成長のスピードをゆるめ,91年には第2次オイル・ショック後の82年以来の低い伸びとなった(付図1-1)。また,92年に入ってからも,アメリカ等の一部の国に改善の様相がみられるが,その回復力は極めて弱いものとなっている。国別にこの間の経済動向をみると,まずアメリカ,イギリスが90年央以降景気後退局面に入り,その後90年末にはフランス,日本でも景気は緩やかに減速するようになった。ドイツでは91年初まで比較的高い成長が続いたが,91年央以降経済は減速に向かった。92年に入ると,アメリカで改善の動きがみられるようになったもののその回復力は弱いものとなっており,日本,ドイツでは景気の減速感が広まった(第1-1-1図)。また,欧州諸国では依然として景気の基調は弱いものにとどまっている。

今回の停滞局面では,各国間で景気の停滞へ向かう時期に差がみられたが,これはストック調整のサイクルや金融の引締めの時期・程度に差が生じたためと考えられる(付図1-2)。早期に景気後退に向かったアメリカ,イギリスでは主に景気の過熱からインフレ圧力が高まり88年以降金融が引締められた。これに対し,日本では本格的な引締めが行われたのは90年に入ってからであり,設備投資,住宅投資,耐久消費財のストック調整が始まると91年後半には景気は調整過程に入った。また,ドイツでも88年以降金融は引締められたが,ドイツ統一による景気のブームが90年にみられたため,ストック調整に向がう時期はやや遅れた。

今回の世界的な景気停滞局面において特徴的なのは,景気の落ち込みは82年時と比べて比較的浅いものである反面,回復力が極めて弱い点である。例えば,アメリカ経済についてみると,過去4回の回復局面では景気の谷から1年過ぎた時点までの平均成長率(年率)は5.1%であったが,今回はGDP成長率がプラスになってから92年第2四半期までで1.6%と極めて回復力は弱いものにとどまっている。

(1) 足取りの弱いアメリカ経済

アメリカ経済は82年11月からの長期の景気拡大の後,90年7月から景気後退に入った。91年第2四半期には緩やかながらも景気回復の様相がみえだしたが,後半に入って停滞感があらわれた。92年に入り再び改善の様相がみられるものの,その足取りは弱い。各需要項目についても,過去の回復局面に比べて極めて弱い動きとなっている(第1-1-2表)。

個人消費をみると,サービスは比較的堅調に推移しているが,耐久財,非耐久財では足取りが弱く,91年秋頃から減少しはじめた後,92年初頭から盛り返したが,夏頃から伸び悩んでいる。特に,乗用車販売は不調で,91年は800万台(季節調整値,年率)で推移し,前年比11.7%減となった後,92年に入ってからも91年と同程度か,やや低い水準で推移している。

住宅投資は91年第2四半期から増加に転じ,4四半期連続して前期比で2桁の伸びとなるなど,一戸建てを中心に好調であった。住宅着工件数は91年1月844万件を底に,92年春頃までは増加傾向にあったが,その後やや頭打ちとなっている。金融緩和を受けて,住宅抵当金利は91年第1四半期の9.5%から,92年第2四半期8.7%へと緩やかに低下してきているが,家計部門は主に住宅ローンの借換えといった反応をしており,金利低下の効果が過去の回復局面のようには住宅着工に十分に波及しているとはいえない。

民間設備投資は91年は一貫して減少していたが,92年に入って増加に転じている。内訳をみると,構築物では減少傾向にあり,特に非居住用建築物では91年から一貫して減少しており,依然として不動産不況の影響がみられる。オフィス空室率(都心部)も91年は17.8%と80年代後半の高い水準が持続しており,ストック調整の局面が続いている。機械設備では91年第2四半期から緩やかに回復に向かっている。その内訳をみると,情報化関連機器が一貫して伸びており,92年第2四半期で前年同期比16.6%増と極めて高い伸びとなっている一方,工業設備は伸び悩んでおり,同5.0%減となっている。

輸出入についてみると,91年の実質輸出は前年比5.8%増,実質輸入が0.1%減となったが,92年に入ってからは,実質輸入の伸びが実質輸出の伸びを上回るようになってきた。その結果,純輸出の実質GDPへの前年比寄与度(いわゆる外需)は91年でプラス0.6%となったが,92年に入ってからはマイナスになっている。

生産面をみると,90年10月から減少しはじめた鉱工業生産指数は,91年4月から増加に転じたが,耐久財消費等の伸びの弱さを受けて91年11月からは再び3カ月連続で減少となった。その後92年2月から緩やかな増加傾向をみせたが,夏頃から一進一退の様子をみせている。

更に雇用面では,これまでの景気回復局面においては製造業の雇用が急速に改善しているが,今回は生産が回復傾向を示している時も製造業の雇用が減少傾向にあり,現時点では増加に転じる兆しが見えていない。失業率は90年半ばから緩やかに上昇してきており,現在は7%台の後半で推移している。

なお,今回の特徴として,在庫の積み上がりがあまりみられない。全企業在庫率は91年1月を山に91年は緩やかに低下傾向にあり,年末から92年初頭にかけてやや上昇したものの,再び低下しはじめ,80年代を下回る水準となっている。

物価(消費者物価上昇率)は,91年秋以降,年率3%程度と安定して推移している。

回復の遅れる実体経済の中で,金融政策は90年7月から段階的に緩和基調の展開が行われてきており,現在の短期金利の水準は過去の水準に比べても十分低下してきている。しかしながら,マネーサプライの伸びは依然として低く,実体面への影響も顕著にはみられない。

このように米国経済の回復の足取りが弱いのは,後述するように,①雇用が増加していないことから所得の伸びが低く,更に家計の債務水準が高いことから,消費の増加が鈍いこと,②国防支出(実質でみて91年第2四半期から92年第2四半期の伸び率は8.9%減,GDPに対する寄与度はマイナス0.5%)の滅少に加えて,巨額の財政赤字から政府支出が増加していないこと,③金融緩和の景気刺激効果が弱まっていること,④これらの背景にある債務依存型経済の調整が依然として続いていること等があげられる。

(2) 停滞感の強まるドイツ経済

(調整局面が続く西独地域)

西独地域の経済は,統一ブームが一巡した91年央から調整局面が続いている。91年の西独地域の経済は,第1四半期までは統一需要の増加に伴って高い成長がみられたものの,第2四半期には,東独地域からの需要拡大が一巡したことや金融引き締めの影響等により,実質GNPは前期比マイナス成長に転じた(第1-1-2図)。さらに,91年7月に行われた所得税,法人税等の増税は,前年の減税等を背景に大きく伸びていた個人消費を減速させた。また,企業の収益も減少したことから設備投資も低下した。このため,実質GNP成長率は91年第2四半期以降,3四半期連続して前期比マイナス成長となった。

92年に入ってからは,第1四半期に暖冬等の特殊要因により実質GNP成長率は高い伸びとなったものの,生産,受注は3月以降前月比で低下傾向が続き,失業率も年初から上昇傾向が続いている。このため,92年に入ってから経済の停滞感は一層強まっている(付図1-3)。

しかし,こうした経済の停滞にもかかわらず,金融政策は強く引締められ,公定歩合は92年9月に引き下げられた後でも8.25%と極めて高い水準に達している。これは,①90年以降の名目賃金の高い上昇率及び②91年後半から連銀の目標圏を上回って推移するマネーサプライの高い伸びを背景としたインフレ圧力が高まっているためである。こうした金融引締めは,西独地域の停滞を長引かせる一因となると同時に,周辺国の金利水準を引上げ,欧州の景気回復の足どりを重いものとしている。

(景気回復の遅れる東独地域)

東独地域では,統一直後から91年初にかけてGNPが50%近く低下するなど大幅な悪化がみられたが,91年央には生産等の指標で底を打ち,91年後半には建設部門で大幅な回復がみられ,鉱工業生産も増加に転じた。しかし,91年末から92年初にかけて生産,受注ともに季節要因から低下したまま,春を過ぎても依然として明確な回復の兆しはみられず,経済の復興は予想よりも遅れている。

また,労働市場をみると,統一直後から失業者数,操短労働者数ともに劇的な増加がみられたが,91年4月をピークにして両者を合わせた数は低下に向かった。しかし,これには政府による雇用促進措置が大きく貢献しており,自律的な回復には至っていない。

こうした東独地域の回復の遅れについては,急速に賃金水準が西独地域の水準にキャッチアップしていく中で,生産費用構造が依然として改善されないことが最大の制約要因として指摘できる。

(3) 緩やかな回復過程にあるフランス経済

フランス経済は,現在,景気は回復過程にあるが,そのテンポは極めて緩やかである。今回の回復過程は,91年春ごろに始まったとみられ,主に次の2つの特徴をもっている。第1に,輸出主導型であること,第2に,設備投資循環の後退局面(ストック調整)を伴っていることである。91年以降,ストック調整や大企業のリストラクチュアリングによって急増した失業者数も,このところ少しずつ改善に向かいつつある。

(輸出主導型回復)

92年上半期の輸出額(FOB通関ベース)は,前年同期比で6.5%増と,昨年同時期の0.7%増に比べ,大きな改善をみせた。こうした好調な輸出を支えているのは,このところ向上が著しいフランス製工業製品の価格競争力である。フランス政府は,80年代半ば以降,フラン切り下げによる競争力強化政策を放棄し,企業に対して,徹底した合理化推進による競争力向上のための努力を求め続けてきた。この新しい産業政策が,賃金の抑制を通じて,フランス製工業製品の輸出価格の上昇を抑え,輸出の増加に結びつくようになってきた。自動車部門では,この傾向が顕著に現れている。自動車部門の貿易収支,輸出価格,輸入価格の推移をみると(第1-1-3図),90年秋以降,輸出価格が輸入価格を下回り,その幅が拡大してくるにつれて,貿易収支黒字が大きくなっている。一方,このように輸出全体が増加を続けている反面,設備投資をはじめとする内需が弱いことから,輸入は減少傾向で推移している。このため,貿易収支は,91年秋から黒字基調となっている。特に92年上半期には,164億フランの黒字を計上するなど,フランスは,慢性的な赤字体質から脱却するのに成功している。

(長期化するストック調整)

今回の景気回復が緩やかなものにとどまっているのは,ストック調整が続いているためである。フランスでは,80年代後半に設備近代化を中心とした設備投資が盛んに行われたが,89年ごろからの金融引締めに伴い,国内最終需要の伸び率低下などから,設備稼働率が低下し始め,設備過剰感が広がるとともに,ストック調整期に入った(付図1-4)。現在もこの調整過程が続いており,同時に実質長期金利が高止まりしている状況にあるため,調整期間が長期化している。国立統計経済研究所(INSEE)の調査によれば,製造業の設備投資額(実質)は,92年も前年比8%程度の減少となる見込みである。

(4) 基調の弱いイタリア経済

イタリアでは,89年以降景気は滅速し,91年には成長率は1.4%と83年以来最も低い伸びとなった。92年に入っても依然景気の基調は弱い。

(底堅い個人消費と不振の続く投資と輸出)

内需の動向をみると,個人消費は91年2.8%増となるなど堅調に推移している反面,機械設備投資は91年0.7%増と鈍化した後,92年に入ってからは前期比マイナスとなっている。これは,80年代後半に高い伸びを続けた設備投資が,その反動から90年央より低迷し,循環的な調整過程にあるためである。こうした設備投資の滅速は,イタリアの景気回復を遅らせる要因の一つとなっている。

また,外需の動向をみると,91年の実質輸出は,ドイツの景気減速の影響等から0.8%減となる一方,実質輸入は,2.8%増となったことから,外需の寄与度はマイナスとなった。その後92年に入ってからも,世界経済の停滞から輸出は一進一退で推移している。

以上のように,イタリア経済は,個人消費が堅調な反面,投資,輸出の不振から景気回復力は弱いものとなっている。

(スカラ・モビレ廃止がもたらす効果)

91年末に凍結されたスカラ・モビレ(賃金の物価スライド制)は,92年7月,イタリア政府及び三大労組(労働総同盟,勤労者組合同盟,労働連盟)により,将来にわたり廃止するという画期的な合意が成された。1945年に導入された同制度は,物価上昇と賃金上昇の悪循環をもたらし,国際競争力強化のため労働コストを削減することが課題であるイタリアにとって,そのコスト引き下げに最も大きな障害となってきた。これまで,数回の制度改訂が行われたものの,廃止にまでは至らなかった。しかし,今回の決定はEC経済・通貨統合を控えて,インフレ率の低下が必須とされているイタリアが,目標達成に向けた意欲的な姿勢を示したものといえる。

そこで,消費者物価上昇率をみてみると,依然高水準にあるものの,92年に入ってからは低下傾向にあり,賃金上昇率も,91年の第4四半期をピークに急速に低下し,92年5月以降は,消費者物価上昇率を下回る伸びとなっている(第1-1-4図)。労働コスト削減に伴う輸出競争力の回復,公務員給与抑制による財政支出削滅の面からも,スカラ・モビレの廃止がもたらすプラスの効果は大きく,EC統合へ向けた構造改革の第一歩ともいえる。

(5) 低迷続くイギリス経済

90年後半以降,景気後退局面を迎えたイギリス経済は,その初期の段階においては,輸出が伸びを維持したものの,消費,民間設備投資を中心に国内需要が急激に低下したことから成長率の低下は深刻なものとなった。91年後半以降は,製造業部門の生産,個人消費に下げ止まりの兆しがみられるものの,外需の減少からマイナス成長が続いており,景気は依然低迷を続けている。

(回復のもたつく個人消費と貯蓄率の上昇)

80年代末に金融緩和を背景に不動産関連を中心に積み上げられた家計部門の負債は,今回の景気後退における実質個人消費の低下を,深刻かつ長期的なものとしている。家計部門における住宅借入関連利払いの可処分所得に占める比率は,80年代後半から徐々に上昇した後,90年第3四半期をピークにやや低下を始めているものの,いまだ5.4%と高い水準にある(付図1-6,その他利払いも含めたトータルの利払い比率は90年10.5%)。これに伴い,住宅ローン支払いの長期(6か月以上)滞納者が増加しており,92年6月には約31万人に達している。家計の支出は負債返済に圧迫され,かなり自由度が低い状態にあることがわかる。消費の内容をみると,自動車を中心に耐久財の低下が著しい。このような状況の下,家計の貯蓄率は急激に上昇している。実質可処分所得の伸びは91年0.2%減と鈍化するなかで,家計の貯蓄率は10.3%と90年の8.9%から大きく上昇しており,92年第1四半期には11.5%と82年以来の高水準を記録している。

(後退局面にも関わらず輸入が増加)

前述した個人消費の大幅な低下とともに今回の景気後退のなかで注目される特徴の一つは,91年に入り輸入が増勢を続けている点である。

輸入の国内需要に対する比率をみると(第1-1-5図),オイルショックに引き続く過去2回の景気後退期間では一貫して低下しているが,今回は景気後退期前半から上昇を続けている。品目別でみると,91年初から資本財が増加したのに引き続き,91年未備からは中間財,消費財ともに増加している。景気後退に入り生産の低下が続くなかで,近年みられる輸入依存度の高まりが明確に表れてきいる点は特徴的である。

なお,輸入が伸び悩むなかで,貿易赤字は拡大してきており,このような輸入の増加は景気後退を長期化させ,回復を遅らせる要因の一つとして懸念される。

2 先進国経済の主要な特徴

以上にみたような91年から92年にかけての回復力の弱い先進国経済をいくっかの観点から横断的に概観し,そのマクロ的特徴を明らかにする。

(1) 実体経済面の特徴

(個人消費の低迷と設備投資の弱さ)

まず,今回の停滞局面の特徴をみるために,各国の個人消費,投資の各需要項目について前回の後退・回復局面である82年と比較してみてみよう(第1-1-6図)。

アメリカでは,今回の特徴としては,①一番大きな低下は住宅投資にみられるが,落ち込み幅は今回の方が小さい,②構築物等に対する設備投資の落ち込みは今回の方が大きいが,機械・設備等に対する設備投資は今回は比較的堅調である,③個人消費は今回の方が弱い,ということが挙げられる。このため,今回の景気後退は,①及び②の要因によって落ち込み幅は小さなものとなったが,③の要因から景気回復力は弱くなっていると言える。次にイギリスの今回の後退局面の特徴についてみると,①住宅投資,機械・設備に対する設備投資ともに前回とほぼ同様の落ち込みとなっている,②個人消費は今回の方が弱い,ということが挙げられる。このため,イギリスの景気後退は,現在,先進国の中でも一番厳しいものとなっており,景気後退期間は戦後最長の長さに達している。

ドイツでは,91年以降の景気の調整過程においては,①機械・設備投資は,92年初には高い伸びとなったものの,総じてみれば落ち込みがみられる,②個人消費がやや弱い,という点が特徴としてみられる。また,フランスでは,①機械・設備等に対する設備投資の落ち込みが今回は相対的に大きい,②個人消費も今回の方が弱い,という点がやはり指摘できる。ただし,ドイツ,フランスではアメリカ,イギリスと比べると,全体としての落ち込みは今回の方が小さい。

以上のことから,今回の景気停滞局面の特徴として言えることは,総じてどの国でも個人消費が低迷している他,特に欧州では設備投資の落ち込みが比較的大きいということである。そこで,個人消費と設備投資について,その低迷の背景を少し詳しくみてみよう。

(低迷する個人消費の背景;弱い雇用,バランス・シートの調整,統一コストの負担)

第1-1-7図は,各国の実質個人消費の伸び率を名目可処分所得の伸び(プラスに寄与),消費性向の伸び(プラスに寄与),個人消費デフレーターの伸び(マイナスに寄与)に分けてみたものである。これによると,アメリカでは前回の回復局面と比べて可処分所得の伸びが小さいことが実質個人消費の伸びの最大の制約要因となっていることがわかる。これは一つには後述するように雇用面での回復力が極めて弱いことを反映したものである。さらに政策面からみると,前回の回復局面では82年以降の所得減税を受けて税・社会保険負担等の伸びがマイナスとなり,税制面からの刺激策が可処分所得の伸びに寄与しているのに対して,今回は税・社会保険負担等の伸びは可処分所得に対してほぼニュートラルとなっていることが挙げられる。これは,巨額の財政赤字を抱える中で,所得面に対しで積極的な刺激策がとられていないことを示している。また,今回の局面でのもう一つの特徴は,消費性向の伸びの寄与が著しく小さいことである。前回の後退局面から回復局面の初期にかけては,実質可処分所得の伸びが低下する中で消費性向が上昇することで消費を下支えしていたのに対して,今回は消費性向の伸びはほとんど寄与しておらず,むしろこの間に総じて低下している。これは,80年代後半に積み上がった債務負担に対して,90年代に入ってからは債務を削減しバランス・シートの改善を図ろうとする動きがみられたためである。これと同様のことは,むしろイギリスにおいてより顕著に現れている。イギリスでは,家計部門の可処分所得に対する負債比率は85年から90年にかけて30%ポイント上昇し,90年には可処分所得を上回る水準まで達している(第1-1-8図)。このため,今回の後退局面においては,債務削減のために所得は消費に向かわず,消費性向の伸びは実質個人消費の伸びに対して大きくマイナスに寄与しており,これが個人消費の最大の制約条件となっている。他方,ドイツをみると,実質個人消費は91年初まで好調な伸びが続いた後,91年央に大きく落ち込んでいる。こうした個人消費の動向は,統一ブームが一巡し景気が減速したこと,物価上昇率が上昇したことの他に,税・社会保険料負担等の動きも背景としたものと考えられる。90年初には,所得税等の減税等を背景に,税・社会保険料負担等の伸び率がマイナスとなっている一方,91年央には,社会保険料率の引上げや所得税,間接税等の増税等を背景に税・社会保険料負担等の伸びが高まっている。同時期の実質個人消費の動きの要因をみると,90年初は可処分所得の寄与度が大幅なプラスとなっており,91年第3四半期は個人消費デフレーターの寄与度が大幅にマイナスとなっている他,可処分所得の寄与度もマイナスとなっている。91年に行われた増税は,当初湾岸支援を直接の目的としていたが,同時期に統一コストが高まってきたことを考慮すれば,91年央以降については,統一需要の一巡による景気減速,インフレ率上昇とあわせて,統一コストの負担が実質個人消費の抑制要因のひとつとなっていると言える。

(反動局面にある設備投資)

次に設備投資についてその低迷の背景をみてみよう。第1-1-9図は主要国の民間総固定資本形成の名目GDPに占める割合をみたものである。これをみると,アメリカを除いて80年代央から後半にかけてどの国でも民間総固定資本形成の割合は大きく上昇している。そして,89年から91年にかけてピークを迎えた後はかなり急速に低下していることがわかる。このため,アメリカを除いた欧州諸国等では,今回の設備投資の低下の要因の背景には,80年代後半の設備投資ブームの反動からストック調整に入っていることが考えられる。他方,アメリカでは,80年代央にやや回復がみられるものの,80年代後半を通して一貫して民間総固定資本形成の割合は低下しており,これが中期的な競争力の低下の要因となっていることが考えられる。

(高まる失業率と労働需要の弱さ)

景気回復力の弱さは労働市場にもあらわれており,91年から92年にかけて先進国の失業率は総じて高まりがみられる。第1-1-10図は,アメリカ,イギリス,ドイツについて,失業率の前期差を労働供給要因(労働人口の増加)と労働需要要因(雇用者数の増加)に分けてみたものである。これによると,アメリカでは,今回の景気回復局面においては,労働供給の伸びは前回とほぼ同様のペースで増加しつつあるのに対して,労働需要の伸びは今回極めて低いものにとどまっていることから,失業率はむしろ高まっている。こうした労働需要の弱さの背景には,企業が競争力の向上を目指して大幅な合理化を行っていることが考えられる。このため,製造業では生産が増加に転じた後も雇用者数を抑制する動きがみられている。

他方,欧州諸国についてみると,イギリスでは,労働供給がマイナスの伸びとなっている反面,それを大幅に上回って労働需要が減少していることから失業率は上昇しており,典型的な景気後退局面にあると言える。また,ドイツでは,90年の統一前後で東独や東欧諸国からの移住者によって労働供給は大幅に増加したものの,統一ブームによって労働需要もそれを上回って増加したことから,失業率は低下した。しかし,91年に入って統一ブームが一巡すると失業率の低下も頭打ちとなり,92年には経済の停滞感が強まる中,労働需要はマイナスに転じたことから失業率は上昇に向がっている。

今回の景気停滞局面における労働市場の特徴としては,景気の落ち込みが浅いものであったことを反映して失業率は80年代前半ほどには高まらながったことが挙げられる。ただし,その反面,回復局面においても企業の合理化の動きを反映して労働需要の増加は弱いものにとどまっている。また,失業者をその職種別にみると,アメリカ,イギリス,フランス等では過去の後退局面と比較してホワイト・カラー,特に中間管理職において失業率が高まっているという特徴がある。これも企業の合理化による影響がその背後にあるものと考えられる。さらに,業種別では,アメリカ,イギリスで過去の局面と比べてサニビス産業で相対的に雇用吸収力の弱まりがみられている。

(総じて落ち着きのみられる物価と労働需給を反映した賃金)

経済の停滞を反映して,賃金・物価は統一コストに悩むドイツを例外として落ち着いている。各国の単位労働コストと消費者物価上昇率の推移についてみると,アメリカ,イギリス,フランスでは,90年後半から単位労働コストの上昇率の低下と並行して消費者物価上昇率も低下していることがわがる(第1-1-11図)。他方,ドイツでは,統一前後の90年から急激に単位労働コストが上昇する中で,消費者物価にも顕著な高まりがみられる。このように,ドイツを除いて各国で単位労働コストと消費者物価の上昇率が低下していることは,賃金が現在の緩んだ労働市場や低い生産性を反映した低い上昇率で推移していることを示していると言える。そこで,これを名目賃金上昇率と失業率の関係で゛みてみてみよう(第1-1-12図)。これをみると,アメリカでは91年以降やや右方へのシフトがみられるものの,ドイツを除いて総じて関係は安定していると言える。しかし,ドイツでは91年以降,上方へのシフトが明確に見られている。これは,90年以降,名目賃金が統一ブームによる企業収益の増加等を反映して極めて高い水準の伸びとなった一方で,91年央以降景気の停滞により生産性の伸びが低下し,失業者数の低下が頭打ちとなったためである。このため,ドイツにおいては91年以降,消費者物価上昇率は過去と比べて極めて高い水準に達している。

(2) 財政・金融面の特徴

以上にみたように,財・労働市場では超過供給が存在し,インフレ率が低下している状況下にあるにもかかわらず,景気拡大策が発動できない,あるいは発動しても景気浮揚効果が弱いというマクロ政策面での困難が生じており,これが今回の景気回復力を弱くする一因となっている。

(財政政策の制約)

91年から92年にかけての各国の一般政府の財政収支をみると,ほとんどの国で財政収支の悪化がみられる。第1-1-13図は,OECDによる各国の一般政府赤字の対前年変化幅とGNPに占める割合を示したものである。これをみると,90年以降,景気の停滞を反映して各国とも総じて財政赤字は拡大している。しかし,財政赤字の変化幅の内訳についてみると,特にアメリカでは,財政赤字の悪化はほぼ景気停滞による循環的な要因によってもたらされている。これを過去の景気後退局面と比べると,82年には大幅な減税措置により循環赤字を超える構造的な赤字の増加も同時にみられるという点が異なっている。これは,今回の景気停滞局面においては,財政面からの有効な景気刺激対策がとられていないことを示している。このような財政政策の制約要因となっているのは,アメリカにおいては巨額に膨れ上がった財政赤字のために,これ以上の財政出動の余地が無くなっているためである。逆に今回は90年11月に成立した「包括財政調整法」に基づいて91~95年度にわたって1,500億ドル近い増税(高額所得者に対する限界税率の28%から31%への引上げ等)を行うこととしている。また,欧州諸国においても,ドイツを除き財政赤字の拡大は主に循環的要因からもたらされている。これは,EC通貨統合を控えて経済・財政状況のコンバージェンスを図る必要があるため,財政政策は短期的な景気対策としての裁量的運営が許されなくなっているからである。

他方,ドイツについても,他の国と同様に90年以降財政収支の悪化がみられているが,そのほとんどは構造的な赤字の増加となっている。これは,ドイツ統一に伴い,東独地域に対して巨額の資金移転を行っているためである。このため,ドイツでは現在マーストリヒト条約の通貨統合条件を超える大きさまで財政赤字は拡大している。

(2極化する先進国の金融政策)

先進国の金融政策は,ドイツを中心とする欧州諸国とアメリカとで大きく様相を異にしている。まず,各国の政策金利の動向からみると,ドイツでは高いマネーサプライ伸び率等を背景としたインフレ圧力の高まりにより金融政策は強く引締められており,フランス,イギリスでも政策金利は景気停滞下にもがかわらず高どまりがみられた。他方,アメリカでは,景気の停滞に伴って公定歩合の水準は極めて低い水準まで引下げられてきている。

このように欧州諸国とアメリカでは金融政策のスタンスに大きな相違があるものの,景気対策という観点からはアメリカでは金融政策の有効性が失われており,欧州では金融緩和措置がとれないという困難を共に抱えている。欧州諸国では,ERM(為替レートメカニズム)内の平価維持を重視したことからドイツの金利引上げの影響を゛受けざるを得なくなり,景気刺激という観点から金融政策を行うことは困難となった。こうしたドイツの高金利は,後述する9月の欧州通貨危機の背景となるとともに,各国の景気に対して抑制的な影響を及ぼしている。他方,アメリカでは,第2章第1節で詳しくみるように,政策金利は過去の景気回復局面と同じ程度に十分な緩和が行われているものの,銀行貸出,マネーサプライ,広義流動性のいずれも増加がみられない。このため,金融緩和による景気刺激効果は十分な効果を発揮できないでいる。

(米国におけるマネーサプライと実体経済のかい離)

第1-1-14図をみると,金融政策当局の目標圏とマネーサプライの動向は,アメリカが下方にかい離している一方,ドイツでは上方にかい離していることがわかる。アメリカのマネーサプライをさらにGDP成長率との関係でみると,マネーサプライの伸びは景気回復に向かい始めた91年からGDPの伸びを常に下回って推移している(第1-1-15図)。このようにマネーサプライの伸びが鈍い理由としては,後に詳述するように①80年代後半に発生した金融部門のストック面での不均衡の調整が完了しておらず,金融部門が貸し渋りをしていること,②長短金利の開きや非貨幣金融資産の収益率の高まりの中でマネーから非マネーへのシフトが起こっていること,③80年代後半の貯蓄貸付組合(S&L)の経営悪化を背景としてこれら部門から預金の逃避が起こっていることが挙げられる。その意味でアメリカ経済にみられる金融変数と実体経済のかい離の背景には構造的な問題が存在していると言える。他方,ドイツについては,マネーサプライとGNPの関係を統一ドイツ・ベースでみると,両者の関係は大きく崩れていないことがわかる(第1-1-16図)。これは,ドイツのマネーサプライの高まりが,東独地域の復興に伴う資金需要の高まりと大きく関連したものであることを示している。しかし,こうしたドイツのマネーサプライの高まりは,ドイツの強い金融引締め政策をもたらす一つの要因となっている。このため,前述したように欧州諸国はERM内の平価維持を重視したことから引締めを余儀無くされており,金融政策の景気対策としての裁量性が奪われている。

(3) 国際収支・国際金融面の特徴

(やや足踏みする国際収支不均衡の縮小傾向)

先進国の国際収支の動向をみると,91年には各国間の不均衡は縮小方向に向かったが,92年に入ってからは縮小にやや足踏みがみられている。第1-1-17図は,各国の貿易収支,経常収支,輸出入の動向をみたものである。これによると,アメリカでは,90年から91年にかけて輸出の堅調な伸びと輸入の鈍化によって貿易収支は改善し,また経常収支も湾岸危機に伴う多国籍軍支援金受取も重なって改善の動きがみられていた。しかし,91年後半以降輸入の伸びが再び高まったことなどから縮小にはやや足踏みがみられる。ドイツでは,90年のドイツ統一によって東独地域での需要が急激に高まり輸入が激増したことなどから貿易収支,経常収支ともに急速に悪化し,91年初には経常収支は赤字に転じた。その後91年央以降は,統一需要が一巡し輸入も落ち着きがみられるようになったため貿易収支は黒字傾向に転したものの,小幅な黒字にとどまっていることから経常収支は依然として赤字が続いている。フランスでは,EC向けの輸出が堅調に推移したことから輸出の増大により貿易収支は改善し,92年に入ってからは黒字で推移している。イギリスでは90年以降,輸出が堅調に増加したことから貿易収支,経常収支ともに改善したが,91年央以降は輸入の増加テンポが高まったため,貿易収支,経常収支の改善にもやや足踏みがみられる。

このように,91年には,アメリカ,フランス,イギリスで輸出が堅調に推移し,国際収支の改善に大きく貢献した。こうした輸出の堅調さの背景としては,賃金抑制による国際競争力の改善が1つの要因として考えられる。また,92年に入ってからは,これらの国の中でも輸入の増加によって国際収支の改善が足踏みしているアメリカ,イギリスと,引き続き堅調な輸出によって貿易収支が黒字に転じているフランスの間で相違がみられるようになっている。また,先進国全体としては,アメリカの景気回復力が弱く総じてどの国でも景気回復が遅れていることから,輸出の伸びの鈍化がみられる。

(欧州市場を中心に活発な国際資本移動)

91年の主要先進国の資本移動の動向をみると,以下の特徴が指摘できる。まず直接投資は,全体としては90年対比で縮小するなかで,欧州主要国での活発な資本移動が持続している。直接投資の流出は日本からの流出額の縮小がやや大きかったものの,各国でおおむね堅調に推移している。一方流入をみると,欧州主要国ではイギリスを中心に比較的堅調に推移したものの,アメリカで景気の停滞を背景に前年対比で大幅な縮小を示したため,主要先進国全体では大幅な縮小となった(第1-1-18図)。

また,証券投資は流出,流入とも大幅に縮小した90年から一転し,91年には再び活発化した。特に流入は日・米・独で大幅に増加したことから,主要国全体で前年比3倍強の水準まで拡大した。日・米では,海外からの株式投資が前年の売り越しから大幅な買い越しとなっている。一方,ドイツではイギリスをはじめとする欧州域内からの公債への投資が増加した(第1-1-19図)。

(減少した米国への資本流入)

アメリカの資本収支の動向をみると,経常赤字の縮小に伴い,90年の431億ドルの黒字から91年には48億ドルの黒字と入超幅が大幅に縮小している。特に民間部門では228億ドルの赤字と,ネットで資金供給国となっている。民間部門の内訳をみると,証券投資が流入,流出とも大幅に増加するなかでネットでは再び流入超となる一方,直接投資と銀行部門で流出超となった。直接投資は,米国内の景気停滞を背景に海外からの流入が大幅に減少した。アメリカが直接投資においてネットの資金供給国となったのは80年以来となっている。また,銀行部門では外銀による在米資産の引き上げが活発化した(付図1-7,①)。しかし,92年に入ってアメリカの経常収支は再び赤字が拡大しており,これ,に伴って資本収支の入超幅も拡大しつつある。

(ドイツへの活発な資本流入)

他方,欧州の主要国の動向をみると,ドイツは経常収支の赤字転化に伴い,資本収支にも大幅な変動がみられる。長期資本では,直接投資の流出超を主因に169億ドルの流出超となっているものの,短期資本では金融部門の対外資産の回収を主因に長期資本の出超幅を上回る254億ドルの流入超となった。ドイツは従来経常収支黒字を金融部門や企業部門が短期の預金等のかたちで海外へ放出していたが,91年に関しては金融部門,民間非金融部門ともネットで短期資金の取り手に転じている。また,長期資本では証券投資が90年の39億ドルの流出超から91年には227億ドルの流入超に転じた。これは,特に年後半,米独金利差の拡大を背景に海外からのドイツ債への投資が顕著に増加し,通年で前年の4倍弱にあたる385傳ドルもの証券投資流入があったこどによる。また,こうした証券投資流入はほとんどが公債に対する投資となっており,ドイツの大幅な財政赤字のかなりの部分が海外からの資金流入によってファイナンスされていることを示している(付図1-7,②)。

フランスでは,長期資本については大幅な証券投資の流入によって調達した資金を直接投資で放出する傾向が89年以降持続しているが,91年には,証券投資の入超幅,直接投資の出超幅ともに縮小している。一方,短期資本については,従来金融部門での流入を民間非金融部門が放出するかたちとなっていたが,91年については金融部門も流出超となった結果,短期資本は大幅な流出超となった(付図1-7,③)。

イギリスでは,借款で調達した資金を直接投資,証券投資で放出する傾向が持続していたが,90年には直接投資も流入超に転じた。91年には国内景気の低迷を主因に海外からの直接投資の流入が減少したことから,直接投資のネットの入超幅は縮小した。一方,証券投資は海外への流出,海外からの流入とも90年対比増加するなかでネットの出超幅も拡大した(付図1-7,④)。

(日本の資金還流)

日本は,91年には経常収支で729億ドルの黒字を計上する一方,長期資本収支でも371億ドルの流入超を記録し,基礎収支で1,100億ドルの黒字となった。こうした資金は,短期資本収支と金融勘定で海外に還流された。特に金融勘定での為銀部門の資金放出は935億ドルと空前の水準に達した。日本は80年代後半に経常黒字を上回る長期資本を海外に放出していたが,その差額は主として為銀部門によるユーロ市場からの短期資金調達によってまかなわれていた。ところが,90年以降為銀部門はネットの取り入れから放出へと転じた。特に91年には,外貨建て資産・負債を両建てで圧縮する動きが加速化するなかで負債の返済額が資産の圧縮額を上回ったことに加え,海外で取り入れたユーロ円建て負債の返済が大規模に進んだことから,こうした巨額の資金が為銀部門から海外へ流出することとなった(付表1-1)。

(米独金利差の拡大とマルク高・ドル安への展開)

91年の主要先進国の為替レートの動向をみると,前半6月までと7月以降で大きな変化がみられた。まず6月までは,湾岸における武力衝突の短期終結に伴うアメリカの常気回復期待の急速な盛り上がりを背景に米ドルが上昇した。

一方,欧州通貨は,旧ソ連情勢の不安等から急速に下落した。特にドイツ・マルクは,旧東独の経済不振の持続もあって下落幅が大きくなった。また,日本円は,相対的に堅調な景気動向を反映して底堅い推移となった。ところが7月以降年末にかけては,アメリカの景気に停滞感が現れ,政策金利の引き下げが相次ぐ一方,欧州ではドイツで物価上昇圧力の高まりを背景に引き締め政策がとられ,米独金利差が拡大した。このため,米ドルが弱含む一方,ドイツ・マルクは急速に上昇した。こうしたドイツ・マルクの上昇に対し,他の欧州主要国もERMのバンド維持′の観点から高金利政策を取ったため,欧州主要国通貨は対ドルで上昇した。この間,日本円は欧州通貨に対しては年末に多少弱含んだものの,対ドルでは強含みで推移した。

92年に入ると,3月にかけてアメリカの景気に再び明るさが見られるなかで,米ドルが上昇した。一方,日本円は日本の景気に減速感が強まるなかで下落した。また,欧州主要国通貨も対ドルで下落した。ところが4月以降は,アメリカの景気に再び弱さがみられ,金融緩和期待が広がる一方,ドイツが高金利政策を維持する姿勢を鮮明にするなかで,市場に米独金利差の更なる拡大観測が広まり,ドイツ・マルク高,米ドル安の展開となった。更に,6月初のデンマークの国民投票に端を発する欧州統合の先行きに対する不安感の高まりもあり,ドイツ・マルクの上昇は6月以降加速した。こうしたドイツ・マルクの上昇は9月半ばにはイギリスのERMからの一時離脱,イタリアの市場への介入の一時中止という事態にまで発展した(第1-1-20図,なお,ERMを巡る動きρ詳細については,第1章第3節を参照)。

(4) 景気回復の4つの構造的制約

現在の世界経済のマクロ政策面での困難は,従来のような財政・金融のポリシー・ミックスにより景気回復を後押しするような政策をとることができない点にある。アメリカでは,巨額の財政赤字を抱え財政面での支出拡大の余地が無いため,景気の回復策はもっぱら金融の緩和に頼らざるを得なくなっている。しかも,金融システムの機能が損なわれているために,金融の緩和が実体経済を浮揚させる効果は失われており,景気対策については手詰まりの状態にある。他方,欧州においても,EC通貨統合という中・長期的な課題に取り組む中で,財政,金融政策ともにその裁量的な運営の余地が著しく小さくなっている。また,他方では,先進国のほとんどが同時的な景気停滞状況に陥っているにもかかわらず,国際協調を通じた景気回復策は各国の政策の優先度の違いもあって有効性を発揮できないでいる。その点では,日本において本格的な景気対策が採られたことは世界経済の浮揚にとって極めて重要な意味を持つと考えられる。

しかし,さらに重要なことは,今回の景気回復を弱いものにしている背景には,先進国の構造的な問題が深くかかわっていることである。

その一つは,特にアメリカ,イギリスにおける企業,個人両部門にわたる債務の増加である。83年から88年にかけての景気拡大は,この間の金融革新ともあいまって企業,個人に対して債務残高の高まりをもたらした。このため,現在では悪化したバランスシートを改善するために,企業部門,家計部門ともに債務の削減に積極的な動きをみせている。しかし,こうしたバランスシート調整の過程では,投資や消費に資金は回らず,景気回復力を極めて弱いものとしている。また,金融部門においても,資産内容の悪化により銀行の貸出態度が慎重化するなど金融伸介機能が低下しており,アメリカ等では金融緩和の景気刺激効果が弱まっている。

二つめは,各国の財政赤字が巨額に達していることである。アメリカでは,巨額の財政赤字の削滅が一向に進まないことから,数次にわたる政策金利の引下げにもかかわらず,長期金利は高どまりし,投資の回復を妨げている。また,欧州においても,EC通貨統合を前にして,イタリア等の巨額の財政赤字を抱える国では財政赤字の削減を余儀無くされている。こうした財政赤字の大幅な削減は中・長期的には供給力の改善に資するものの,短期的にはデフレ的な影響を被ることは避けられない。

三つめは,ドイツ統一コストの増大による欧州諸国の金利の高どまりである。ドイツでは,90年の統一以降,東独地域へ向けてGNPの4%にも達する資金移転を行っているが,東独地域の復興は予想よりも遅れており,ドイツの財政再建の足かせとなることが懸念される。こうしたドイツの統一コストは,欧州通貨危機の背景の一つとなるとともに,金利の高どまりを通して欧州経済にマイナスの影響を及ぼしている。

四つめは,企業が国際競争力の向上を重視し,大幅な合理化を行っていることである。こうした企業のリストラクチャリングは,人員削減を伴うことによって労働需要を極めて弱いものとしている。また,欧州においては,産業構造が大きく転換する中で構造的な失業が増大しており,需給のミスマッチもみられている。このため,先進国では総じて雇用問題が重要な課題の一つとなっている。

以上に示したような先進国の構造的な問題は,現段階ではどれも景気回復力を弱めるものとして作用している。しかし,こうした構造問題は,いずれも過去においてなおざりにされてきたものや今後の新たな体制のために準備されなければならないものばかりである。従って,この解決を図ることは短期的に景気にマイナスに作用しても,中・長期的にみれば世界経済の健全化に資するものであり,多少のコストを払っても現在進めていかなければならない問題であると考えられる。このため,こうした構造問題を抱える国では,短期的な視野に左右されず構造問題の根本的な解決を図っていくことが極めて重要であると考えられる。