平成3年

年次世界経済報告 資料編

経済企画庁


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II 1990~91年の主要国の政策動向

第15章 石油情勢

90年8月初に勃発した湾岸危機は,91年1月中旬の武力行使の開始,2月末の停戦を経て終結した。

原油価格の変動をみると,91年1月17日の武力行使の開始に際して,一挙に10ドル程度急落し,20ドル程度にまで下落した後は,概ね10ドル台後半がら20ドルをやや上回る比較的小幅な変動となった。

湾岸危機の期間中,OPECの原油生産量は,主にサウジ・アラビアの増産により,イラク・クウェイトの減少分を補う水準を維持し,サウジ・アラビアはOPEC内での発言力を強めた。このため,湾岸危機終結後のOPECの生産上限は,サウジ・アラビアの意向を強く反映した内容となった。

○石油情勢をめぐる1年間の動き(91年1月~12月)

1月17日    多国籍軍による武力行使の開始。

  18日    イラク,イスラエルへのミサイル攻撃開始。

  22日    イラク,クウェイトの油田を攻撃,原油がペルシャ湾へ流出。

  31日    多国籍軍,カフジを完全奪回。

2月15日    イラク革命評議会,クウェイトからの条件付き撤退を発表。

  18日    イラク,アジズ外相,ソ連ゴルバチョフ大統領と会談。

  24日    地上戦開始。

  26日    イラク,フセイン大統領が撤退声明を発表。多国籍軍,クウェイト市を解放。

  28日    米ブッシュ大統領,「28日午前0時(米東部標準時)をもって停戦」と発表。

3月11~12日  OPEC閣僚監視委員会開催(於ジュネーブ)。OPECの生産上限を日量2,230万バレルとすることで合意。

5月27~29日  産油国・消費国対話会議開催(於イラン,イスファハン)

6月 4日    OPEC総会開催(於ウィーン)。OPECの生産上限日量2,230万バレルを維持することで合意。

7月1~2日   産油国・消費国対話会議開催(於パリ)。

8月19日    ソ連で゛クーデターが起きるが,失敗(8月21日)。

9月19日    国連安保理,イラクの16億ドル相当(日量約50万バレルで約6か月間)の原油輸出を容認。

  23日    イラク,国連核査察団を拘束。

  24~25日  OPEC閣僚監視委員会開催(於ジュネーブ)。OPECの生産上限を日量2,230万バレルから同2,365万バレルに引き上げることで合意。

  28日    イラク,国連核査察団を解放。

10月30~11月4日 中東和平会議開催(於マドリード)。

11月 6日    クウェイトの油井の消火作業終了。イラク軍によって放火され,炎上を続けていた700を越える油井の消火作業が終了し,6日記念式典が行われた。クウェイト政府高官によれば,消火にかかった費用は15億ドルにのぼる。

  26~27日  OPEC総会開催(於ウィーン)。9月の閣僚監視委員会で合意されたOPECの生産上限を維持することで合意。

12月10~18日  中東和平会議開催(於ワシントン)。

第15-1図 原油および石油製品の価格の推移

(参考1)  OPEC原油の生産上限の推移について

① 91年3月11~12日 OPEC閣僚監視委員会

91年第2四半期の生産上限を日量2,229.8万バレルとすることで合意した。

今回は,湾岸危機終結後の最初の閣僚監視委員会であり,OPECが90年7月の総会で決定した生産上限(日量2,249.1万バレル)への復帰を行うかどうかが注目された。

会議では,イラン等の価格重視派は,原油のOPECバスケット価格が,90年7月に決定した最低参考価格(21ドル)を下回っていたことから,大幅な減産を主張した。しかし,会議の結果は,湾岸危機の期間中の大幅な増産によりOPEC内での発言力を強めたサウジ・アラビアの意向を強く反映したものとなり,減産を比較的小幅(対2月生産量△70万バレル)にとどめることで合意した。

② 91年6月5日 OPEC総会

91年第3四半期の生産上限を3月の閣僚監視委員会で合意した水準に据え置くことで合意し,わずか1日で終了した。

このように,総会が短期間で終了した背景には,3月の閣僚監視委員会以降,原油価格についてはOPECのバスケット価格がほぼ17ドル台と最低参考価格(21ドル)を下回っているものの,生産量については,4月日量2,230万バレル,5月同2,240万バレルと,ほぼ3月の合意水準付近で推移したことがあげられる。

③ 91年9月24~25日 OPEC閣僚監視委員会

91年第4四半期の生産上限を日量2,365万バレルとすることで合意し,従来の生産上限を大幅に上回る現行の生産水準(8月同2,360万バレル)をほぼ追認する形となった。

原油のOPECバスケット価格は,6月以降強含みで推移したものの,9月下旬現在で19ドル台半ばと,依然として最低参考価格(21ドル)を下回る状態が続いていた。

会議では,生産拡大を目指し日量2,400万バレルへの大幅な生産上限引上げを主張するサウジ・アラビアと,現行の生産水準にとどめることによって価格の維持を図ろうとする多数の価格重視派の調整が難航した。しかし,結局,サウジ・アラビアの意向を反映した結果となった。

④ 91年11月24~25日 OPEC総会

今回の総会では,92年第1四半期の生産上限を9月のOPEC閣僚監視委員会で合意した水準に据え置くことで合意した。

原油のOPECバスケット価格は9月中旬以降強含みで推移し,10月下旬には最低参考価格の21ドルをほぼ達成する水準まで上昇した。しかし,その後はやや弱含み,会議前には20ドルを割っていた。

会議では,大多数の価格重視派は各国とも既に能力一杯の生産をしている,春先から原油需要は減少に向かう等の理由で,現状の生産上限の据え置きを主張した。これに対して,唯一増産余力のあるサウジ・アラビアは,冬場の需要増を見込んで生産上限引上げを主張した。しかし,サウジ・アラビアが生産上限引上げの主張を取り下げ,現状の生産上限を据え置くことで合意した。サウジ・アラビアが生産上限引上げの主張を取り下げた背景には,OPE0の結束を乱したくないという意図が働いたものとみられる。

○生産上限枠の推移

(参考2)  産油国・消費国対話会議について

① 5月27~29日 イスファハンで開催

イランの主催のもと,産油国,消費国双方からOPEC事務局長,石油会社,政府関係者らが参加。このような大規模な産油国・消費国対話会議は初めてであった。

会議は,90年代の石油需給に対する展望,市場の動向等について各代表の演説を主休として行われ,討議は行われなかった。

② 7月1~2日 パリで開催

フランス,ベネズエラの共催のもとに閣僚級のセミナーが開催され,産油国,消費国の代表の他,EC,OPEC,世界銀行などの国際機関の代表が参加した。

会議では,国際石油市場の現況や環境問題についての意見交換が行われた。

セミナーでは国際エネルギー機関(IEA)事務局が産油国と消費国の専門家レベルの会合開催を提案した。

イスファハン,パリの会議ではともに生産量,価格といった問題についての討議はなされなかった。

③ 産油国・消費国対話会議の意義

石油価格は市場メカニズムによって決定されるため,産油国と消費国との対話によって価格の安定を図ることはできない。しかし,双方の対話によって情報の交換,双方の協調が進み,市場の透明性が増大すればその意義は大きい。

(参考3)  中東和平会議について

(1)マドリード会議

① 会期:10月30日~11月4日

② 場所:マドリード,スペイン王宮

③ 会議内容

会議には,当事者であるイスラエル,シリア,レバノン,ヨルダン等の代表の他にブッシュ米大統領,ゴルバチョフソ連大統領らが出席した。

最初の3日間の全体会議では,各代表の演説が行われたが,従来からの主張を繰り返すにとどまった。

また,11月3日からは2国間直接交渉が開始されたが,イスラエル,アラブ双方の主張には大きな隔たりがみられた。

今回の会議におけるイスラエル,アラブ双方の主張をまとめるとおよそ次のようになるが,これらは従来からの主張を繰り返したにすぎない。

(イスラエル側)

(アラブ側)

④ 会議の意義

今回の中東和平会議は,湾岸危機終結後,米国主導の「世界新秩序」構築の一環として中東和平達成を訴えたブッシュ米大統領の強い意欲を受け,ベーカー米国務長官が中東への往復を繰り返し,当事者を説得した結果実現した。

今回の会議では,イスラエル,アラブ双方が主張を述べ合い,議論は擦れ違いに終わった。このことから今後も多難な交渉が続くことが予想される。しかし,40年以上に及び紛争を繰り返してきたイスラエルとアラブ諸国が,一同に会し交渉のテーブルについたこと,議論は擦れ違いに終わり意見の一致は見られなかったものの,今後も交渉を継続し,第2ラウンドヘ向けての調整が図られることになったことの意義は大きい。

(2)ワシントン会議

① 会期:12月10日~18日

② 場所:ワシントン,米国務省

③ 会議内容

当初アメリカは,イスラエルとヨルダン・パレスチナ合同代表団,イスラエルとシリア,イスラエルとレバノンの3つの個別和平交渉を12月4日からワシント・ンで開催することを提案した。アラブ側の代表団は4日に開催場所である米国務省に現れたが,イスラエルは準備不足を理由に9日開催の主張を貫き,4日に会議は開催されなかった。結局,アラブ側がイスラエルの対応を非難しながらも交渉を断念せずワシントンでイスラエル代表団の到着を待ち,会議は10日から始まった。

10日からの会議では,シリア,レバノンがイスラエルと領土問題等の実質討議に入った。しかし, ヨルダン・パレスチナ合同代表団とイスラエルの交渉は,パレスチナ代表団がヨルダンとは別の部屋で交渉することを要求し,イスラエルがこれを拒否するなどの手続き問題でもめたため,実質討議に入ることはできなかった。

実質討議に入った交渉でも,双方の主張には大きな隔たりがみられ,議論は擦れ違いで終わった模様である。しかし,イスラエル,アラブ双方の代表団は,92年1月7日に交渉を再開することに合意した。このように2回目のワシントンでの交渉でも具体的な成果はあがらなかったものの,双方が交渉を継続することを確認したことの意義は大きい。


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