平成3年

年次世界経済報告 資料編

経済企画庁


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II 1990~91年の主要国の政策動向

第7章 ソ  連

1. 保守派復権期(91年初~3月国民投票)

90年初からのソ連の民主化の進展に対する保守派の巻き返しは,同年秋頃から徐々に顕著となってきた。例えば90年10月には,市場経済化を目指す経済改革プログラムが当初の急進的なものから保守派の意向を受けた漸進的なものに変質して採択されたこと,12月には改革派のバカーチン内相から保守派のプーゴ内相への交代が行われ,新思考外交を主導したシェワルナゼ外相が「独裁が到来する」と警告して辞任したこと等が挙げられる。保守派と急進改革派との間でバランスを維持してきたゴルバチョフ・連邦中央政権も,急速に保守派に接近するようになり,91年に入ると保守派主導によるいくつかの具体的な事件が表面化した。まず1月11日,リトアニア共産党は「リトアニア国家救済委員会」結成を宣言し,同委員会は,反ソ的報道を続けているとして共和国テレビ・ラジオ局を管理下に置くことを決定,12田こその要請を受けた形でソ連内務省治安部隊が同テレビ・ラジオ局を武力制圧した。この際の衝突で14人が死亡した。また,ラトビア共和国でも同様に国家救済委員会が設立され,同月15日以降,ソ連内務省特殊部隊が共和国の警察学校や共和国内務省等に対して武力行使を行い,同内務省での衝突により5人が死亡した。更にソ連最高会議は16 日,ゴルバチョフ大統領の提案に基づき,国内のマスコミ報道を規制する決議を採択した。この措置は,検閲を禁止した新聞法(前年成立)と矛盾するものであり,グラ支ノスチの後退として受け取られた。

経済面での統制的な措置としてゴルバチョフ大統領は1月22日,ルーブル通貨の流通に関する大統領令を布告,翌23日から高額紙幣(1961年制定の50ルーブル札及び100ルーブル札)を無効とし,更に23日から3日間に限り,労働者は1,000ルーブル,年金生活者は年金月額を上限として新紙幣または低額紙幣への交換を実施するものとした。この措置は,ヤミ経済で不当に儲けた人々が保有する高額紙幣を無効にし,当時1,650億ルーブルあるといわれた過剰流動性を吸収しようとしたものとされる。しかし,結果的には80億ルーブル程度しか吸収できなかったとされ,国民の不満の高まりという政治的代償の割には経済的効果は大きくなかった。また,同大統領は26日,経済的破壊及びその他の経済犯罪に関する大統領令を布告,内務省・KGBに対し経済取締りの強い権限を賦与した。これにより捜査当局は,合弁企業を含むあらゆる企業,組織,商店等に対し,令状や通告なしに自由に立ち入り,隠匿物資の捜査,会計帳簿の検査,預金口座や金庫の封鎖等を実施できることとなった。更に,同大統領は29日,国防省と内務省が治安維持で協力体制をとり,全国で軍・警察による合同パトロールを実施するよう命ずる大統領令を布告した。これにより,モスクワその他主要都市では2月1日から軍・警察の合同パトロールが開始された。

このように,国民の経済活動への統制が強まる中,リトアニアでは2月9日,独立を問う共和国国民投票が実施され,有権者の84.4%が投票に参加,うち90.5%が独立賛成票を投じた。また,3月3日にはエストニアとラトビアでも独立を問う共和国国民投票が実施され,エストニアでは投票率82.9%,うち独立賛成票77.8%,ラトビアでは投票率87.6%,うち独立賛成票73.7%と独立への高い支持が示された。

他方,急進改革派のエリツィン・ロシア共和国最高会議議長は,連邦中央政権による統制強化の動きに対し2月19日3,ゴルバチョフ大統領を独裁者と非難して辞任を要求し,連邦中央政権との闘争をロシア共和国国民に呼び掛けるなど,保守派と急進改革派との緊張は極度に高まった。3月初からは,連邦中央政権の統制強化に反対してソ連全土に炭鉱ストが拡大し,各地のスト委員会は賃金引上げ等の経済的要求ばかりでなく,ゴルバチョフ大統領の辞任や連邦の政府,人民代議員大会,最高会議の解散といった政治的要求を前面に打ち出し,エリツィン議長の立場を支持した。

こうした国内の騒乱状態と経済の破綻に対し,保守派は,秩序回復と経済の安定のためには統制の更なる強化が必要と考えるようになった。このため,全土に国家非常事態宣言を布告して事態の収拾を図るようゴルバチョフ政権に圧力を掛け,場合によっては同政権を退陣させて更に強力な政権の下でこれを行おうとした。

これに対し,エリツィン議長等の急進改革派勢力は,ゴルバチョフ大統領が意欲を燃やす連邦制維持を問う全ソ国民投票にロシア共和国が参加することでゴルバチョフ政権に協力し,保守派から同政権を引き離そうとした。


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