平成3年

年次世界経済白書 本編

再編進む世界経済,高まる資金需要

経済企画庁


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おわりに

本報告書では,1990年から91年における世界経済の動向と今後の課題を4つの章に分けて分析した。世界の主要な国や地域で現在進行している大きな変化は,それぞれ固有の経済,政治および歴史を背景としているが,同時に,相互に密接な関連を有しているものも多い。そこで,報告書のむすびとして,世界経済が抱えている問題点を市場経済の特徴と限界という観点から横断的に整理し,その中で各国と日本が果たすべき役割について述べることとする。

(市場経済の特徴と限界)

ソ連における中央指令型の計画経済体制は,91年8月の政変を最後の節目として完全に崩壊するに至った。89年から90年の間に東欧で先行して実施された体制改革と合わせて考えると,第二次大戦後の世界を二分してきた市場経済体制と計画経済体制との間の競争は,前者の圧勝に終わったと言っても過言ではないであろう。しかしながら,東欧諸国やソ連が市場経済化を目指して懸命の努力を重ねている現状の下では,市場経済の優位性を誇るだけでは,もはや何の役にも立たないことは明らかであろう。今後の政策運営に役立てるためには,近年における世界経済の経験を踏まえて,市場経済の特質とその限界を改めてよく理解し,教訓を引き出すことが必要と考えられる。

計画経済と対比した場合,市場経済の基本的な特徴は次の2つにある。ひとつは,生産手段の大部分について私有財産制が認められていることであり,他のひとつは,生産,流通,分配の決定は競争的な価格メカニズムに委ねられていることである。市場経済が良好な成果を挙げるためには,制度的な支柱が必要である。市場経済を支える制度としては,金融制度,財政制度,貿易制度,独占禁止制度などをあげることができる。これら制度の具体的な中身は,各国間で大きく異なっている。相違をもたらしている背景としては,経済の発展段階や歴史的な経緯あるいは国民性の違いをあげることができる。市場経済では,このような制度の下で,企業は利潤原理に基づいて生産活動を行い,その結果,企業間の取引関係や流通市場,金融取引の慣行等が形成される。消費者は自らの好みに応じて消費を行うが,市場での競争を通じて供給体制は消費者のニーズに見合ったものに調整される。

一方,市場経済では,投資や貯蓄の決定が個々の企業や家計によって行われるので,マクロ的にみた経済活動の水準は,過大となってインフレを引き起こしたり,過小となって不況になるという不安定性が内在している。近年においては,金融や資本取引の自由化が進んだ経済で,為替レートの各国経済のファンダメンタルズから乖離した推移及び株価や地価におけるいわゆる「バブル」発生などが経済の変動を大きくする現象がみられる。このように,市場経済には不安定性を増大させるような要因が作用する。

また,基礎研究や環境の保全など,いわゆる外部経済効果を有する活動については,市場メカニズムだけでは供給量の調整を適切に行うことはできない(もっとも,環境問題は,ソ連,東欧等の方がより深刻であることが明らかとなってきており,市場経済に固有の問題ではないと考えられる)。さらに,市場経済メカニズム自体には,弱者を救済し,所得や資産の著しい格差を是正するという機能は備わっておらず,むしろ弊害を引き起こす傾向があるといえる。

(市場経済における政策課題)

市場経済の特徴とメカニズムを以上のように理解すると,市場経済に依拠している各国が政策的に克服すべき課題は,次の3つのカテゴリーに分けてとらえることができるであろう。

第一は,各国の経済発展段階に応じて競争制限的な規制をできる限り緩和あるいは撤廃することである。市場経済では,競争が活発であるが故に,競争を回避じようとする圧力も強く作用する傾向がある。生産,輸入,流通あるいは消費の各段階における規制は,それなりの必要性があって歴史的に設けられたものと考えられる。しかし,国内経済の発展段階に応じて,規制は絶えず見直されるべきものであり,安全性など真に必要なものを除き出来る限り緩和あるいは撤廃することが望まれる。このような規制緩和政策は,消費者の選択の自由を尊重するためだけでなく,海外からの競争を国内経済の活性化に役立てる上でも重要な手段となる。また,中南米等の公営企業が大きなウェイトを占めている経済では,民営化あるいけ民間企業の参入を図ることが経済再建の切札となっている。

第二は,マクロ経済の運営を適切に行うことである。インフレなき持続的成長を達成することは,世界中のどの国にとっても重要な政策課題となっている。この課題を達成するためには,何よりもまず,マクロの総需要管理を適切に行う必要がある。さらに,世界経済に占めるウェイトが大きい国では,マクロ政策の運営に際して,対外不均衡が著増しないように十分配慮する必要がある。

80年代前半のアメリカで採用されたレーガノミックスでは,対外収支に及ぼす影響が軽視されたために,財政収支と経常収支の赤字が増大した。家計部門と企業部門の負債比率が大幅に上昇したこと,銀行部門の経営状態が著しく悪化したこと,不動産部門は過剰投資によって不況が深刻化したこと等は,租税制度と金融制度の改革が直接の契機となっているが,マクロの政策が不適切であったことも重要な背景になっていると考えられる。これらの赤字要因は,いずれも90年代に負の遺産として引き継がれ,アメリカの景気回復の足どりを重くする要因として作用している。対外的な面では,アメリカの巨額な経常収支の赤字は,世界の資金を吸引する源泉となっている。また,この対外不均衡は,日本等に対米輸出の自主規制を求めたり,相互主義による制裁を持ち出すなど,アメリカの貿易政策を自由主義の精神に反する先鋭なものにする原因となっている。

我が国においても80年代中頃以降,地価が大幅に上昇するなど大きな後遺症がもたらされた。85年のプラザ合意以降,円の対ドル・レートは大幅に上昇したが,その輸出産業に対する不況圧力は官民の努力によって比較的短期間のうちに克服され,円高は日本経済の新たな発展の原動力となるに到った。しかしながら,85年以降に採られた金融の大幅な緩和政策を背景として東京への経済活動の一極集中や投機的な取引の活発化等の要因が複合して,地価の高騰を招くこととなった。その後の金融引締め措置や不動産に対する貸出し総量規制,土地税制の改正,土地取引規制などにより,地価は一部の地域では下落に転じているが,総じてみると大都市圏等を中心に高どまりしている。今後においても,我が国の経済運営については,内外の経済情勢等を注視しつつ,マクロの経済運営を適切に行う必要がある。

第三は,先進国および発展途上国は,それぞれの経済発展段階と経済力に応じて,世界経済の円滑な運営に協力することである。国際間の経済活動は,貿易,資本取引および途上国等への援助に分けてとらえることができる。先に説明した「市場経済の特徴と限界」「市場経済を支える制度」は,話を簡単にするために国民経済を念頭においたものであるが,国際的な経済活動についても同様の説明が可能である。第2次世界大戦後から現在に至るまで西側世界の経済成長を支えてきた代表的な国際機関としては,GATT(無差別で多角的な貿易をめざす制度),IMF(為替の安定及び国際収支不均衡の是正を促進する制度)および世界銀行(途上国に対する援助を行う制度)をあげることができる。これらの国際機関は,第2次世界大戦が終了する前後の時期に,圧倒的な経済力と卓越した指導力を有していたアメリカの主導によって設置された制度であり,加盟国に多大の経済的利益をもたらしてきた。戦後の荒廃から目覚ましい経済成長をなしとげた日本やドイツをはじめとするヨーロッパ諸国は,世界の自由経済体制から大きな利益を被った。その後,アジアNIEs,アセアン等,輸出志向型の経済発展を遂げた途上国も同様の恩恵を受けてきた。

GATTは発足以来,ケネディ・ラウンド,東京ラウンドなど度々協定が改正されてきたが,現在進行中のウルグアイ・ラウンドは,サービス,知的所有権,貿易関連投資措置等の新しい分野が交渉の対象としてとりあげられ,繊維や農業等,従来は本格的には議論されなかった分野も交渉の対象となるなど,画期的な内容となっている。しかし,ウルグアイ・ラウンドの交渉は,91年内の終結を目指しているものの加盟国間の利害対立により難航している。加盟各国は,個別分野毎の利害にあくまでも固執するという姿勢を改めて,世界の自由貿易体制を守るために互恵の精神で相互に協力することが望まれる。GATTウルグアイ・ラウンドを成功に導くことは,各国における保護主義的な貿易政策やEC,北米自由貿易協定などにみられる域外国に対する排他的な措置を牽制し監視する上でも重要な意味をもっている。特に,92年末に市場統合をめざしているECではハイテク分野を中心に日本を主たる対象とした差別的な障壁を設けようとする動きがみられる。また,協定の締結交渉が行われている米墨加自由貿易協定でも,日本等の第三国を差別的に取り扱うべきであるとする意見がアメリカの一部でみられる。我が国はこのようなブロック主義的な傾向に対してはGATT違反であるとの主張を明確にすべきことは勿論であるが,自らの主張が説得的であるためには,GATTウルグアイ・ラウンドで積極的な役割を演じる必要がある。

国際間で資本取引が円滑に行われると,各国間の資金過不足が調整されるだけでなく,世界経済の効率が高まるという重要な効果が生じる。ただし,市場原理によって動く民間資金は,リスクが高く,収益率の低い分野には循環しないので,南北問題を是正するためには公的資金の投入が必要となる。世界銀行などの国際金融機関を通じる資金供給や各国政府による2国間の資金協力は,金融・資本市場では受入れられない途上国の資金需要を満たすとともに,民間の資金を誘発する呼び水効果を有している。今後における世界の主要な国や地域の資金需要を展望すると,世界的な資金不足が生じると懸念される。米国等の先進国の景気が回復すること,統一ドイツの資金需要が旺盛なこと,中東で復興資金需要が高まること,さらにソ連や東欧の支援に資金が必要なこと,等を背景として資金需要が大きく盛り上がり,資金の供給が追いつかないと予想されるからである。世界全体の資金不足額を大胆に試算すると,前提条件の置き方にも依存するが,92年には約1,000億ドルの大きさになると見込まれる。

このような資金不足の状況を放置しておくと,市場金利が大幅に上昇する恐れがある。高金利は,一方で資金の効率的な利用を促すという側面もあるが,他方で発展途上国等における生産的な投資を閉め出すとともに,累積債務に悩んでいる債務国を一層の苦境に追い込むという弊害をもたらす。金利の大幅な上昇を避けながら世界的な資金不足を是正する方法としては,貯蓄の増強を図ること,例えば,非生産的な支出を抑制することによる財政赤字の削減が重要である。91年9~10月にアメリカ,ソ連,NATOで核兵器の大幅な撤去等を内容とする軍縮の提案や計画が次々と打ち出されていることは,世界の安全保障問題だけでなく経済問題を解決していく上でも歓迎すべきことである。これら諸国の軍縮が確実に実施され,財政赤字の削減に貢献することが望まれる。武器輸出三原則により武器の輸出を自ら禁じている我が国としては,武器輸出国に対して輸出の抑制と国連への登録制度の確立を呼びかける努力を引き続き行っていく必要がある。

世界的な資金需給のひっ迫を避けるためには,貯蓄を有効に活用することも重要である。先進国の金融・資本市場を一層効率化するとともに,途上国においても金融・資本市場の育成を図る必要がある。また,途上国では海外からの直接投資を促進するために,受け入れ体制を整備する必要がある。経常収支の黒字国である我が国は,80年代中頃から資金供給国としての役割を急速に増大させている。我が国の資本取引の内容をみると,証券投資や銀行借款では債権と債務が両建てで増大しており,世界市場での金融仲介機能面で大きく貢献していることがわかる。日本の金融・証券市場は,世界のマネー・センターとして益々その役割を高めていくことが期待されているので,市場取引の透明性を確保するなど一層の効率化と自由化を推進する必要がある。

また,我が国の直接投資の動向をみると,受け入れは少ないものの,海外への投資は着実に増大している。対外直接投資のうち,アメリカやEC向けの中には,貿易摩擦を避けるための次善の策として実施されているものも含まれているので,必ずしも市場原理に基づいているとは言い切れない面がある。しかし,海外直接投資は,資金を供給するだけでなく,生産技術や経営上のノウ・ハウを相手国に移転し,また現地での雇用や生産活動を促進する効果が大きいので,今後とも増大することが望まれる。

(対ソ支援について)

ソ連に対する西側の支援については,食料・医療品の不足あるいは既往債務にういての資金繰り悪化といった当面の問題と今後ソ連が市場経済化を如何に達成していくかという中長期的な問題を区別してとらえる必要がある。ここでは,後者の問題をとりあげてみよう。ソ連経済は70年以上にわたって社会主義体制の下で運営されてきた。このため,市場経済への移行に当たっては,まず,新しい政治的,経済的な枠組みが必要となる。さらに,市場経済を支える金融制度,財政制度など様々な制度や法律の整備,企業家精神を持った経営者の育成が必要となる。また,安定的な取引関係や卸売市場,労働市場も市場経済が円滑に機能するために不可欠の要素である。しかし,このような諸条件を整備することは,短期間では不可能であり,しかもソ連自身の自助努力による他はない。中長期的な視点に立った西側の支援に関し,第2章第4節では戦後のマーシャル・プランの例を紹介した。今回のソ連への支援を当時と比べた場合,支援する国はアメリカー国ではなく多数の先進国であり,関係する国際機関も多様化している。対ソ支援を有効に行うためには,支援する側で密接な情報交換と円滑な調整が必要である。ソ連側では援助の受け皿を早急に確立する必要がある。マーシャル・プランは,援助を受ける西欧16ヵ国の自助努力をうまく引き出すことに成功したが,計画の具体的内容は,受け皿となった欧州経済協力委員会によって作成された。なお,この欧州経済協力委員会はその後現在のOECDへと発展した。ソ連側が支援の受け皿を創設すれば,現在進められている共和国間の同盟体制の整備が促進されるという効果も期待できるであろう。

ソ連という広大な国の経済を再建することは容易でない。本報告書の第4章では,中国の改革の歩みや局地経済圏の発展をみてきたが,中国で採られた農村改革や経済特区等を通じた対外開放政策は,ソ連にとって有益な教訓を含んでいると考えられる。また,欧州におけるEC,そしてアジアにおける局地経済圏の発展をみるとき,対ソ支援を推進するためには,地理的,歴史的な関連という要素も活用していく必要があろう。

日本の役割については,IMF,世界銀行,欧州復興開発銀行などの国際機関へ出資するという形の協力を引き続き進めるとともに,2国間ベースで具体的な協力を行うことが期待されている。91年7月に行われたロンドン・サミットでの合意を受けて,我が国では既に食料援助,医療援助,貿易保険の供与等,総額25億ドルの支援策が決定されている。石油生産の合理化,流通部門の改善といった分野での技術支援もソ連側と協議が行われつつある。また,日本が戦後の経済発展の過程で積み重ねた経験や政策は,今後ソ連が市場経済化を進めていく際の大きな関心事項となっている。知的な協力という分野でも日本が果たせる役割は少なくないと考えられる。日本が果たしうる貢献は,2国間ベースにとどまらず,アジア・太平洋地域における活発な経済活動と地域的な結びつきの中でも展開できると考えられる。特に,シベリア,極東地域を中心とした経済開発は,アジア・太平洋地域全体にとっても意義があることと考えられる。

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アメリカの経済力と指導力が相対的に低下し,また,米ソ間の冷戦が終結したという国際情勢の中で,経済大国である日本が果たすべき国際的役割は今後益々大きくなると考えられる。こうした役割を果たしていくためには,世界情勢と日本の進路についての冷徹な認識がまず何よりも重要であり,同時に,国民各層の十分な理解を得ることも大切な条件となろう。


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