平成2年

年次世界経済報告 各国編

経済企画庁


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I 1989~90年の主要国経済

第8章 ソ  連

1. 概  観

ブレジネフ政権(1964~82年)後半から慢性的停滞に陥っていたソ連経済は,ゴルバチョフ政権(85年3月成立)以降の「ペレストロイカ」政策の下で改革を続けてきたものの,経済状態はむしろ悪化し,特に89年以降生産の減少傾向が顕著となってきている。90年には実質GNP(国民総生産)が1~3月期前年同期比1%減,1~6月期同1%減,1~9月期同1.5%減とマイナスに転じるとともに減速のテンポを速めており,その他の経済指標も軒並み悪化している(第8-1表)。更に90年から91年にかけての冬には飢餓と大量難民の可能性が取り沙汰されるなど,ソ連政府も「危機的状況」との認識を示している。中央指令・官僚統制システムが弱まる中,それに代わる市場経済システムも稼働していないため,需給の不適合,流通の停滞等により物不足が深刻化している。また,多額の軍事支出や補助金支出による財政赤字の増大から過剰なマネーサプライが生じており,これが強いインフレ圧力となっている。

こうしたソ連経済の現状・問題点やその原因については本編第3章で詳述されているが,いずれにしてもソ連国民のゴルバチョフ・中央政権に対する不満は相当高まっており,共和国やそれ以下の自治単位レベルによる地方分権志向が強まってきている。ゴルバチョフ政権はこれまで,外政面では冷戦構造の終焉を導いた立役者として,西側先進諸国からの高い支持を得てきた。しかし,新思考外交の立役者であるシェワルナゼ外相の辞任(90年12月),91年1月のリトアニアやラトビアでの武力行使にみられる政権の右傾化の兆候は,西側先進国においてもゴルバチョフ政権のペレストロイカへの疑念を生んでいる。ソ連は,西側からの医療援助,食糧援助,金融支援等の援助に大きく期待している。しかし,こうした事態の発生により西側からの援助が停止する可能性もでてきている。また,仮に援助が続けられたとしても,90年の農業の豊作を有効に活かせなかった原因,すなわち中央統制の弱体化と共和国主権の高まりに伴う調達・配分システムの混乱(企業レベル,農民レベルや共和国レベルでの生産物の出し惜しみ等),流通・保管システムの崩壊という問題が解決されなければ,いかなる物的援助も意味を失うこととなる。早急に財政赤字の削減と過剰なマネーサプライの吸収を図るとともに国内のインフラ整備,市場経済の前提となる制度面の改革の実施,共和国・連邦間の経済関係の再構築が不可欠の状況となっている。


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