平成2年

年次世界経済報告 各国編

経済企画庁


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I 1989~90年の主要国経済

第3章 イギリス:景気後退色強まる

6. 経済政策

(1)金融政策の緩和

金融政策は,中期財政金融戦略(MTFS)の粋組みの中で,インフレ抑制を主目的とした節度ある運営を行う三とを引き続き基本としている。中心となる政策手段は短期金利であり,イングランド銀行は景気の過熱傾向を背景に,88年6月初以降,政策金利(注)を相次いで引き上げた(88年11月までに,累計9回,5.5%)。その後,景気は鎮静化したが,89年には,主として,ポンド相場の低下など対外的な考慮から,5月および11月に各1%引き上げられて15.0%となった。90年に入ってからも,金利はこの高水準に据え置かれていた。メージャー蔵相は,10月5日,ECの為替相場調整メカニズム(ERM)への参加を発表すると同時に,政策金利(今回は最低貸出金利,MLR)を14.0%と公表し,市中金利の1%引き下げを誘導した。これを受けて,大手市中銀行の貸出基準金利(ベース・レート)は1%引き下げられて14.0%となった(実施は10月8日)。今回の政策金利引き下げは,マネーサプライの伸びが急速に鈍化して目標圏におさまってきたこと,内需の伸びが鈍化し,今後も鈍化が続くとみられること,石油価格上昇の影響が当分はみられるものの,インフレ率は来年には大幅に鈍化する見通しとなるなど,政府のこれまでの高金利および政府支出抑制政策がインフレ圧力を弱めていることがますます明らかになっていると政府が判断したことによる。

マネーサプライ(MO)の伸びは,89年以降高まりを示していたが,90年8月以降は目標圏(1~5%)内におさまるようになっている(第3-3図)。

より広義のM4については,目標圏は設定されておらず,その水準は二桁と依然高いものの,最近では伸び率に鈍化傾向がみられる(90年10月14.2%,前年同月比)。

(2)ERMへの参加

英ポンドは,10月8日,懸案となっていたERMに参加し,EMS(欧州通貨制度)に完全加盟することとなった。中心レートは,1ポンド=2.95マルク,9.89フラン,2207リラなどとされ,変動幅は,当分の間,各加盟通貨の中心レートの上下6%の拡大変動幅が適用される(通常は2.25%)。このERM参加は,インフレ抑制を続けるための金融面での節度を強化することを主目的としている。これにより,①為替リスクが軽減されて取引コストが低下し,企業の生産計画がたてやすくなること,②通貨切下げにより,価格競争力を維持することが困難となることから,労組の賃上げ,それを理由とする企業の価格引上げを抑制する効果があるとみられている。また,ERMへの参加と同時に実施された金利の引き下げにより,景気に対するてこ入れも可能となった。

(3)財政政策の手直し

財政面でも,基本的には中期財政金融戦略に沿った引締めスタンスを維持しており,政府支出の伸びは名目成長率以下に抑制されてきた。しかし,89年度(89年4月~90年3月)以降,政府支出の対GDP比は,これまでの急速な低下からほぼ横ばいにとどめ,公共部門収支の黒字幅も縮小させ,財政の均衡化を目標とするなど,若干緩和気味に運用されている(第3-4図)。

90年度予算案(90年3月20日発表)の主目標は,インフレの克服および90年代においてイギリス経済が引き続き成功するための基礎を固めることとされ,財政支出面での引き締め基調を続けるとともに,税制面では,特に,貯蓄を優遇し,サプライ・サイド改善のための措置がとられた。

中央政府の90年度歳出計画額(注1)は,1,790億ポンド,前年度当初見込み比10.7%増と,89年度秋季財政演説(オータム・ステートメント)に沿ったものとなっている。この中で,国民健康保険,道路,住宅,教育関連等の社会的に必要度の高い項目について重点的な追加支出が行われているのが特徴である。これに,地方自治体の独自の財源による支出や負債利子等を含めた一般政府の支出計画は2,127億ポンド(前年度当初予算比9.5%増)となっている。うち,民営化収益(マイナスの歳出項目)が50億ポンド見込まれており,これを除いた政府支出の対GDP比は39%で,前年度の383/4%よりやや上昇が見込まれた(注2)。

歳入面では,①個人所得税基礎控除等の引き上げ(7.7%のインフレ調整,90年度4.3億ポンドの減税),②各種の貯蓄優遇税制の導入(非課税特別貯蓄口座,個人株式保有計画の投資限度額の引き上げなど),③個別消費税の引き上げ(ガソリン,アルコール,たばこ。90年度13.5億ポンドの増税),④株式の譲渡に対する印紙税の廃止(実施91年12月頃),⑤付加価値税の小規模業者免税点の引き上げ(23,600ポンド→25,400ポンド)などの予算措置がとられ,90年度の歳入純増は7000万ポンド(インフレ調整後,4.3億ポンド,91年度同9.6憶ポンド)と見込まれている。これにより,90年度の歳入規模は2,186億ポンドとなり,一般政府部門の収支は59億ポンドの黒字と見込まれた。公企業部門の収支(10億ポンドの黒字)を加えた公共部門全体では69億ポンドの黒字(対GDP比1/4%)と見込まれていた。

しかし,11月8日発表された90年度秋季財政演説によると,90年度の政府部門黒字(PSDR,Public Sector Debt Repayment)は,3月の見通しが縮小されて30億ポンドと見込まれている。政府支出が,石炭・電力公社に対する融資追加増,農産物支持価格のコスト増,中東紛争などから1,806億ポンドと当初見込みを16億ポンド上回ることが主因である。また,90年度政府支出の対GDP比も当初の39%から391/2%へと改訂されている(第3-13表)。

なお,90年4月より導入されたコミュニテイ・チャージ(Personal Commu-nity Charge.いわゆるPollTax,人頭税)は,地方財政の健全化を目的とした地方税制改革であり,サッチャー政権による構造改革の主要な項目であった。これは,18歳以上の成人を対象に一律に課する地方税であり,従来の居住用資産に課された地方税(レイツ,Personal Domestic Rates)に代わるものである。これについては,個人資産保有者の税が軽減され,借家人の税負担は増えることになるため導入前から逆進的であるとして反対が強かったが,平均負担額が予想以上に高かったこともあって,保守党の人気を急速に低下させ,サッチャー政権の退陣の一つの原因となった。今後は,地方財政を担当するヘーゼルタイン新環境相の下に,手直しを検討するものとみられる。

(4)サッチャー首相の辞任

サッチャー首相は,11月22日,保守党党首選挙が第2回投票にもちこされたことから辞意を表明し,1979年6月以来,3期,11年半に及んだ戦後最長のサッチャー政権も遂に交代することとなった。

サッチャー政権は,イギリス経済の活性化を主目的として,中長期的な観点からの政策を終始一貫してとってきた。その主要内容は,①勤勉・才能が報われる,労働インセンティヴを強化する税制,②国の役割を縮小して,個人の選択の自由を拡大する,③民間活動の余地を広げるために,公共部門赤字を削減する,④賃金交渉における労使の責任を自覚させる,などにより,インフレのない,競争力のあるイギリスを目指したものである。このうち,小さな政府については,国有企業の民営化,持株の放出,規制緩和,公営住宅の払下げ(持家制)の促進など大きな進展があった。財政の健全化についても大きな成果をあげ,所得税率を相次いで引き下げる中で,財政収支は黒字化したほどであった。また,労働組合の規制については,政治ストやピケの禁止,スト権の確立に秘密投票を採用するなど法的な措置により,組合の力を弱めることに成果をあげた。組合の組織率も大きく低下した。しかし,一方で,最優先政策とされてきたインフレの抑制については,ECの中でインフレ率が最高のクラスにあるように,遅れをとっている。また,本年4月に導入された人頭税への移行は,上でみたように不評であった。対外面でも,政権当初の対ソ強硬政策,その後のゴルバチョフ大統領との関係構築等により,イギリスの発言権を大きくした一方で,EC統合の強化については,主権の制約に反対するという立場から強く異議を唱え,しばしば孤立した。

戦後最長の政権となるなかで,経済的な弱者への配慮が乏しいとみられたことや,強いリーダーシップを発揮する政治スタイルへの反感もあってサッチャー首相の人気は低下し,人頭税が導入された今春には記録的な低水準となった。補欠選挙や地方選挙でも,保守党は議席を大量に失うようになり,世論調査では,労働党の優勢が強まり,保守党内部でも92年6月までに実施しなければならない次の総選挙は,サッチャー首相の下では勝つことが難しいという見方がひろがった。このため,90年11月の党首選において,ヘーゼルタイン元国防相が反サッチャー票を集めてサッチャー首相に挑戦し,第1回投票でサッチャ-首相の当選を阻むことに成功した。