平成2年

年次世界経済報告 本編

拡がる市場経済,深まる相互依存

平成2年11月27日

経済企画庁


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第2章 ドイツ統一とヨーロッパ統合の進展

第2節 EC統合プロセスの加速

ECは85年の域内市場白書以来,92年末を目指してその統合プロセスを進展させてきたが,90年に入ってドイツ統一への動きが加速したこともあり,EC統合の動きも加速度を増した。それは統一ドイツを組み込んだECが安定を維持するためには,EC内部の結束が不可欠の要件と考えられたためであり,ドイツ統一への動きがEC統合を進展させる1つの要因となった。市場統合については,域内市場白書で取り上げられたおよそ300項目の非関税障壁のうち,約60%は理事会で採択されている。3段階で行われる予定の経済・通貨統合も第1段階に入っている。さらにドイツ統一を契機に,政治統合の動きも現れてきている。この節ではまずこれまでのEC統合の進展疾況を概観し,その後通貨統合の基礎となるEMS(欧州通貨制度)を評価する。

1. EC統合の進展

ECは1957年に締結されたローマ条約にうたわれているように,「共同市場を設立し,加盟各国の経済政策を徐々に接近させ,共同体全体の経済活動を発展・拡大させることにより,生活水準の速やかな向上や,加盟国間の関係緊密化を促進すること」を目指してきた。60年代には関税同盟の完成(68年),各種共通政策の実施(68年:農業政策,68年:運輸政策)等により共同体としての結束を固めた。70年代には石油危機があり,各国とも自国の国内的対応に追われEC統合の進展も足踏みしたものの,70年代末には為替相場の安定を主な目的として,現在進行中の経済・通貨統合の基礎ともいえるEMSが発足した(79年)。

EC統合は,80年代後半はまず域内単一市場の形成を目槓した市場統合の分野で進み,次に単一通貨,単一中央銀行制度を目指す経済・通貨統合の議論が進展してきている。さらに90年になってドイツ統一が進む中で,政治統合といった分野にまで拡大し,将来的には,共通の外交・防衛政策の実現を目標とするという声も上がっている。このような急速な進展の背景としては,①市場統合といった経済面での統合をより進化させ,一層の市場拡大を図るとともに,競争の活発化によりヨーロッパの競争力を回復させようという気運が高まったこと,②EC各国が金融・財政等の国内政策及び外交・防衛政策での協調を深め,結束することにより,ECの対外的な発言力を高めたいとする意向があったことが考えられる。

(1)市場統合

(92年末に向けた市場統合への動き)

ECは1992年末までに人,物,サービス,資本の移動の完全自由化を目標としている。EC域内関税はすでに68年に撤廃されており,残る非関税障壁(国境規制,政府調達,金融サービス,間接税等)の除去が市場統合への課題となっている。これらの非関税障壁は「域内市場統合白書」(85年6月)で明示されており,現在では障害除去予定項目数は282に統合整理され,すべての項目について委員会の提案がなされている。このうち,173項目,全体の約61%がすでに理事会で採択されているが(90年10月現在),その中で全EC加盟国が発効させた指令の数は,21に留まっている(90年4月現在)(付表2-9)。理事会での採択は,「単一欧州議定書」(86年2月)がローマ条約(ECの設立条約)を改正して,①市場統合の目標を92年末と明示したこと,②理事会の採択方式に関し全会一致制から特定多数決制の適用範囲を拡大したことから,より速やかに行われるようになってきている。しかし採択状況をみると,財政面に関する分野での採択の遅れが目立っている。この分野では全会一致が必要となる項目が含まれていることから,除去予定項目数としては少ないものの,今後の進展が著しく遅れる可能性もある。また理事会で採択された項目のEC8国での実施状況は,各国によりばらつきがみられる(第2-2-1表)。実施されていなければならない90項目のうち,実施数が最も多い国のイギリス,デンマークではそれぞれ77項目であるが,ギリシャ(46項目),ポルトガル(37項目),イタリア(36項目)では特に遅れている(90年3月現在)。

人の移動,資本の移動に関しては以下のように目立った進展がみられる。

人の移動の自由化に関しては,90年6月に西ドイツ,フランス,ベルギー,オランダ,ルクセンブルグの5か国間で,シェンゲン協定が調印されている。

これにより統一ドイツを含む上記5か国間では国境検査が廃止され,人の移動が完全自由化される。以後この5か国は,各国の国境警備にまかされてきた麻薬,武器,外国人犯罪者等の流入防止を協力して行うことになり,すでに大規模犯罪情報網(シェンゲン情報システム)を確立することが合意されている。

協定の発効には5か国の議会での批准が必要であるが,各国の批准が順調に進めば92年末の期限を待たずに他のEC諸国に先がけて実施される。

資本移動の自由化に関しては,為替管理撤廃,資本移動の完全自由化をもりこんだ第4次指令がすでに採択されており(88年6月),これらについても順調に実施に移されている。まず,①ベルギー,ルクセンブルグでの二重為替相場制が廃止され(90年3月),②資本移動の自由化も90年に入り,フランス(1月),イタリア(5月)において相次いで実施されたことから,実施猶予国であるスペイン,ポルトガル,アイルランド,ギリシャを除き期限前に達成されている。

(EC市場統合が域内経済に与える影響)

EC市場統合が,域内経済に与える影響を直接的にみることは難しい。しかしEC各国では,83年以降長期拡大局面にあり,企業競争力強化のための産業リストラクチュアリング等を積極的に進めている。また市場の拡大によって域内貿易も拡大しており,域内輸出シェアは70年50.5%,80年52.6%,89年には60.0%に達じている。さらに対外的にも92年統合実現の可能性が高まるにつれ,後に(第4章1節)みるように,EC域外から域内への金融サービスを中心とした直接投資も活発化している。また92年統合後の需要の拡大,競争の激化に対処するため,EC各国の企業は設備投資を大幅.に増加させており,これが80年代後半以降の成長加速の主因となった。この傾局はスペイン,ボルトガル等工業化が比較的遅れている加盟国に,より顕著に現れている。この2か国は86年1月よりECに加盟しているが,加盟後の設備投資の推移をみると,EC12か国平均を上回って伸びている( 付図2-5 )。これら2か国では外国からの直接投資も目立って増加しており,外資の流入による産業基盤の整備,産業の再編成が行われている。なおポルトガルについては,ECからの借り入れの増加も寄与している。

(2)経済・通貨統合

(経済・通貨統合のねらい)

単一市場のメリットを十分引き出すために,市場統合とあわせてより緊密な経済・通貨面での統合が進められている。経済・通貨統合は,EC市場統合を踏まえてそれを越えたEC各国の経済政策協調の強化と,統一通貨制度の創設を目標とする。金融・財政政策面の協調は,各国のインフレ率,金利等のパフォーマンスが異なっていては,通貨統合を維持するのが困難になるという観点から要請されるものである。経済・通貨統合がEC経済に及ぼすメリットについてEC委員会の報告書によれば,物価の安定,為替取引コストの除去等,成長の促進,金利低下,対外交渉力の強化が期待できるとされている(第2-2-2表)。

(ドロール・プランの第1段階の進展)

経済・通貨統合の動きは,60年代初より始まっており,決して最近噴出したものではなし)が,80年代後半以降加速した。具体的には,「ドロール・レポート」(89年4月)を基本として進展しており,90年7月よりすでにその第1段階に入っている。この第1段階では,①各国の経済・通貨政策の協調と経済パフォーマンスの収斂,②EC加盟国全通貨のEMSへの全面加盟,すなわち,ERM(為替相場メカニズム)への参加等を求めている。

ERMに参加していなかったイギリス(ポンド),ポルトガル(エスクード),ギリシャ(ドラクマ)のうち,イギリスは90年10月に正式に参加した。,イギリスは89年6月のマドリッドサミットにおいて,ERMへの参加条件(①自国のインフレ率がEC平均まで低下する,②EC8国の資本移動の自由化の達成等)を示していたが,国内経済的には,ポンドの安定及びインフレ抑制のための金融節度を強化するため(ERM参加と同時に1%ポイントの政策金利引き下げも実施),対外的にはEC内での発言力の強化といった目的を背景に実施に踏み切った。

イギリスのERM参加はEMSを強化し,欧州通貨同盟の第1段階の足並みを揃えるものとして,EC側やドイツ,フランス等もイギリスのECに対する積極的関与姿勢については,評価している。イギリスのERM参加により,第1段階の達成条件の1つであるEC全通貨のEMS完全加盟については,残りはポルトガル(エスクード),ギリシャ(ドラクマ)のみとなった。

(第2段階以降の進め方一ドロール・プラン)

EC通貨統合,の進め方については,既に第1段階の達成を前提に,今や焦点は第2段階以降に移ってきている。ドロール・プランの第2段階は,最終的な経済・通貨統合(第3段階:EC各国間で為替レートを固定,変更不能とし,単一通貨の発行を目指す)への移行期とみなされ,欧州中央銀行制度の創設を大きな柱としている。具体的には,まずEC全体を代表する連邦的な機関として,12か国の中央銀行総裁からなる評議会と実際の政策運営に当たる理事会で構成される欧州中央銀行制度を創設する。これがEC全体としての金融政策の方向を決定する。ECUはあくまでバスケット方式をとり,徐々に為替の変動幅を縮小させ将来は永久的な固定相場制へ移行し,ある時点でECUを構成する各国通貨の比率を凍結し,その段階で統一通貨を発行することとしている。

(慎重論の台頭)

一方,イギリスは6月のEC首脳会議を前にじて,ドロール・プランへの対抗案として「ハードECU」案を打ち出した。イギリス案では,まず各国の共同出資により欧州通貨基金(EMF)を設置し,EMFが「ハードECU」を発行し,現存のEC各国通貨と併行して流通させる。現存のECUが各国通貨のバスケットで構成される単なる価値の指標にすぎないのに対し,「ハードECU」は,EMFが各国通貨の保有を背景に,決して他のEC通貨に対して減価しないように調整される通貨である。こうして「ハードECU」が常に他のEC通貨に対して最良のパフォーマンスを示す結果,「ハードECU」は漸進的に単一通貨へと市場指向型の移行がなされる()。

イギリス案の背景としては,①EC経済・通貨統合をより漸進的に進めたいとする意向があげられる。さらに,②ECUがマルクを含むバスケット通貨である限り,マルクの影響を断つことができない),③ECUをハードカレンシーとすることにより,政府,民間の利用拡大を促進し,通貨としての地位を高めるといったこともあげられる。ECUのハード・カレンシー化は,ドロール・プランにおける弱点をつくものである。各国の反応をみると,すでにドロール・プランに沿って準備段階に入っているため,修正は難しいとしながらも,イギリスの通貨統合の発展的,段階的なアプローチの方法については,評価する向きもある。

9月上旬には非公式の蔵相会議が行われ,「ハードECU」案が議論された。

この会議に臨むにあたリイギリスは,スペイン,ポルトガル等を事前に訪問し,同調を求める行動をとる等積極的に活動した。結果としては,蔵相会議ではなんらかの進展が期待されたものの,むしろ慎重論が台頭した。EC委員会が1992年末の市場統合後すぐに第2段階をスタートさせようとしたのに対し,これを支持した国は,フランス,イタリア,ベルギー,デンマークの4か国のみであった。さらにスペインが,ドロールプランとイギリス案の折衷案ともいえる新提案をおこなった。その骨子は,欧州通貨基金を設立しECUをハードカレンシーとしてまず発行し,最終段階で,欧州中央銀行に発展させるというものである。

10月上旬のEC非公式蔵相会議では,オランダが第2段階へ向けて充足されるべき条件(①全加盟国がERMの縮小変動幅に参加すること,②ローマ条約改正案が全加盟国による批准を完了していること,③財政赤字の信用創造によるファイナンスが認められないこと等)を中心とした新提案を行った。

スペイン案もオランダ案も,第2段階の開始時期をEC委員会提案(93年1月)より1年遅い94年1月としており,イギリスの「ハードECU案」の発表を契機としてこのところ,慎重論が台頭してきていた。

10月下旬に開催されたEC臨時首脳会議では,イギリスを除くEC11か国が第2段階の開始時期を以下のような条件を充足した上で,94年1月とすることで合意するとともに,第2段階の開始時には,物価安定,ECUの管理等を主な任務とした新たな通貨機関を設立すること等にも合意した。①単一市場の達成,②条約の批准,③加盟国の中央銀行と中心機関より構成される新たな通貨機関を創設し,その独立性を保障する,④財政赤字を通貨発行によりファイナンスすることを禁止,⑤一国の債務をEC及び加盟国により肩代わりすることを禁止,⑥ERMへの最大多数の参加。

80年代後半に入り急加速した経済・通貨統合の動きは,第1段階に入っており,第2段階以降については,その開始時期及び統一通貨の創設の方式に議論の焦点が移ってきているが,ソ連・東欧の改革による東西緊張の緩和,東西ドイツの統一の動き等により,このところやや慎重論が台頭し始めている。イギリスの「ハードECU案」発表を契機として,各国から様々な案が出されており,今後第2段階へ向けてあ議論を通じて,再びEC内での主導権争いが激化する可能性が出てきている。しかし90年7月からドロール・プランの第1段階に入り,10月にはイギリスのERM参加等,EC経済・通貨統合への動きは,長期的には89年4月ドロール・レポートの発表以来進展してきていることも事実である。90年12月に開催が予定される政府間会議の動向が注目されると同時に,今後の一層の進展が期待される。

(3)政治統合

EC内で政治統合への動きも活発化している。政治統合は,EC統合積極論者にとっては,統合の究極の目標ないし理想であった。しかし,最近の東欧の民主化,ドイツ統一の進展により,その必要性を唱える声が急速に高まってきている。例えばEC統合の進展により,将来においては,共通の財政・金融政策を実施する可能性も高まっているが,現在のように,全会一致制を原則とする閣僚理事会が,強い権限をもった状況では,ECとしてまとまった決定を行えないことにもなる。そのため,EC各機関の権力の再調整(欧州議会,EC委員会の権限強化)を行い,より強力なECの意志決定プロセスを目指す必要が言われるようになってきている。また,統一ドイツをECに強く結びつけるため,政治面の統合の重要性をクローズアップする向きもある。

最近の政治統合の進展は,86年の単一欧州議定書に端を発する。そこではローマ条約の改正が行われ,①欧州議会,EC委員会の権限強化を認め,②欧州閣僚理事会の特定多数決方式の適用範囲の拡大を決定した。また欧州政治協力の規定があり,“EC加盟各国が,共同して欧州外交政策を策定・実施すること”がうたわれている。

その後の政治統合を加速させた重要な動きとしては,90年4月中旬のフランス(ミッテラン大統領)と,西ドイツ(コール首相)による共同宣言がある。

共同宣言では,「92年の市場統合と合わせて,経済・通貨同盟,政治統合を,同時に実現すること」が提案され,ヨーロッパの変化と,市場統合,経済・通貨統合達成の観点から,EC12か国の政治的な枠組みの構築の加速が必要であると宣言いている。また,90年12月の政府間会議にむけて,①民主的,合法的なヨーロッパ統合,②ECの機構の効率性の確立,③経済・通貨統合,及び政治統合の達成,④外交,“防衛政策の効率化について,準備作業を進めるように述べている。ここでは,パリーボンが枢軸となって,EC統合を進展させていくことが,確認されている。

また,政治統合推進派である,ベルギー政府も包括的な提案を行っている。

その骨子は,①閣僚理事会の特定多数決方式範囲の拡大,②政策決定過程における欧州議会の権限強化,議長の選挙制,③欧州議会によるEC委員長の選出及びEC委員長の権限強化,④EPC(欧州政治協力)の機能強化を通じたEC各国の外交,安全保障政策の綿一等となっており,機構改革に重点をおいたものといえる。

その後4月下旬より相次いで首脳会議,外相理事会が開催され,政治統合への検討案として,ほぼベルギー案にそった,①ECの民主的かつ効率的な意思決定の推進,②ECの各機関の効率化,③外交政策の協調が提案された。今後は,これらについて各国が準備作業を進め,12月中旬には政府間会議を開催し,経済・通貨統合と合わせて92年末までに各国批准をめざすことが確認されている。4月の独仏共同宣言以降,政治統合に関し,話合いの枠組みは整ってきているものの,内容について深く議論されることはなく,12月の政府間会議での進展が注目される。

2. EMSとEC経済への影響

近年,EC通貨統合の一環として設立されたEMS(欧州通貨制度)が注目を集めている。それは,変動為替相場制下にもかかわらず,通貨安定を第一義の目的とする固定相場制的要素を持った通貨制度として,EMSへの関心が高まったこと,1970年代後半から先進諸国内で経済政策の協調への動きがでてきたが,国際政策協調のあり方を示す例としてEMSが見直されたこと,EMSのERM(為替相場メカニズム)参加国の経済パフォーマンスが改善かつ収斂してきており,EMSへの評価が高まっていること等の理由による。

国際通費制度は70年代以降動揺が続いていたが,為替相場の不安定は,欧州経済の成長と投資を取り戻す上で障害となり,ひいては欧州の統合をも脅かすものと考えられた。そこで欧州における通貨安定圏をつくり,通貨面の混乱から欧州経済を保護しようという考えが強まり,79年1月にEMSが発足した。

EMSの設立は,2つの狙いによるものであった。①極めて不安定な国際通貨環境の中で欧州通貨間の為替相場の安定性を確立すること。②それによって可能となるEC各国経済の安定によって,経済統合を助け,EC内における成長と雇用を持続白もに改善することである。すなわち,EMSは,短期的にはEC各国通貨の過剰変動を抑制し,通貨の安定性を増大させ,長期的には加盟各国経済の均質化を容易にし,欧州統合へ向けての新たな推進力となると考えられた。

(1)EMSの特徴

EMSのERMにおいては,共同フロート制(スネーク)と同様,参加国は自国通貨のERM内各通貨に対するレートを所定の中心レートの上下限度幅(上下各2.25%,89年6月参加のスペイン,90年10月参加のイギリスは上下各6%)の中に維持する義務を負う(付表2-11)。さらに,EMSにおいては,各通貨のバスケット通貨であるECUが創設され,ある通貨の相場がECUに対する中心レートから75%のかい離幅を超えた場合には,通貨当局は市場への介入や国内金融政策を含む経済政策措置等の手段をとることが要請される(早期警戒装置,付表2-12)。ECUは各国通貨の構成単位数が固定(EMS発足後6か月及びその後5年ごとに,EC各国のGDP,域内貿易比率等を勘案して見直し)されており,構成通貨のウェイトは為替レートの変動にともなって変動するが,通貨のウェイトは,例えば89年9月21日現在では,西ドイツの30.1%からルクセンブルクの0.3%まで大きな開きがある(付表2-13)。このため,ECUバスケットにおける比重が高いほど,その通貨の対ECUレートば,他の通貨の変動に影響されにくくなる。このような制度の下では,最大のウェイトを持つマルクは他の通貨に比べ,より安定した地位を占めることができる。このようなマルクの地位があるために,他のウェイトの小さい通貨は,自国通貨の安定を図るためには,マルクにある程度リンクせざるをえない。しかし,このことは,むしろマルクの安定的な価値と西独連銀のインフレ抑制を重視した金融政策運営をEC各国に伝播したことにより,各国の通貨価値の安定とインフレの鎮静化につながり,EMSの積極的な評価とEC各国の結合強化に寄与したのである。

(2)EMSのEC経済への影響

EMS設立の直接の目的は,欧州における通貨安定圏を設立し,過大な為替変動の影響からEC各国を保護することであったが,さらにEC各国通貨の過剰変動の制約,通貨の安定を通じて,EC各国の経済パフォーマンスの収斂が容易になると考えられた。また,ドロールプランの第一段階は90年7月からスタートしているが,その中ではEC全通貨のERMへの参加の他,各国の経済政策の協調と経済パフォーマンスの収斂が条件となっている。ここでは,EMSが当初目指した効果が生み出されているかどうかを,EC各国,特にERM縮小変動幅参加国と,最近まで非参加であった国(スペイン,イギリス)及び拡大変動幅で参加していた国(イタリア)との経済讃指標の比較を中心とした分析により明らかにする。

経済パフォーマンスの収斂については,EC委員会の定義によれば,二つの異なった分野をカバーするとされている。一つは,為替レートの安定や健全な経済状況の維持に直接的に影響する経済変動の収斂であり,「名目的収斂」(Nominal Convergence)と呼ばれ,短期的視点から判断さ庇る。もう一つは,ECの究極的な目的の一つであるEC各国の生活水準の格差縮小であり,「実質的収斂」(Real Convergence)と呼ばれ,より長期的視点から判断される。具体的には,「名目的収斂」は為替レートの変動,物価上昇率等により測られ,「実質的収斂」は,一人当たりGNPのレべルの格差によって測られるとしている。

(経済パフォーマンスの名目的収斂)

名目的収斂を,まず為替レートの変動についてみると,効果がでていると言える。第2-2-1図の通り,欧州主要国通貨の対マルク相場変動率(各年平均レートの前年比変化率の絶対値)の推移をみると,EMS設立以前の旧スネークから離脱し,フロート制を採っていたフランス,イタリアはERM参加後,為替レートの変動が顕著に縮小し,アランスは77年の11.5%がら89年には0.1%へと低下している。一方,ERM非参加であったイギリス(90年10月がら参加),スペイン(89年7月から参加)は,ERM参加国に較べ,変動が激しく為替レートの安定化は達成されているとは言い難い。

EMSは,ERM参加国通貨間に一定の変動幅を認めるが,介入メカニズムにより過剰為替変動に制約を加えるものであるから,少なくとも短期的にはERM参加国通貨間の為替変動が縮小するのは自明のことと言える。また,ベルギーフラン,オランダギルダーの動きは,前に指摘したようにEC内の最強通貨マルクに対して,これらの通貨は政策的にも協調政策を採っていたことを裏付けている。

次に消費者物価上昇率(食料品,エネルギー,家賃を除くベース・第2-2一2図)について見ると,ERM参加国及びイギリスとも低下してきているものの,ERM縮小変動幅参加国では,西ドイツ,フランス,オランダがここ数年おおむね3%以下となり改善が著しい上に,78年の上下8%ポイントの格差から90年(1~5月)には,1.5%ポイントの格差へと収斂してきている。一方,イギリスは86年以降上昇し,最近は6%に近づき,ERM縮小変動幅参加国との格差は拡大している。また,イタリアはERM参加国ではあるが,6%の拡大変動幅を維持してきたこともあり(90年1月から縮小変動幅に参加),縮小変動幅参加国ほどの収斂は見られない。

実質長期金利についてもほぼ同様の結果がでている(第2-2-3図)。縮小変動幅参加国はEMS設立以前は,金利水準も低かった上に格差も大きかった(75年14.0%ポイント)が,89年には格差は1.3%ポイントと大幅に縮小した。一方,イギリス,イタリアも金利水準自体は上昇傾向にあったが,最近は低下してきており,それにより縮小変動幅参加国との格差は拡大してきた,る。

この収斂度合を数量的に把握するために,縮小変動幅参加国(以下ERM4)とこれにイギリス,イタリアを加えたEC6か国(以下EC6)で標準偏差を算出し比較した(第2-2-4図)。

それによると,消費者物価上昇率では,ERM3(旦RM4からベルギーを除く)が75~78年2.3から87~89年0.8となっているのに対し,EC5(EC6からべルギーを除く)では75~78年4.6から87~89年1.7と収斂状況に差が生じていることが確認できる。また,実質長期金利についてもERM4が75~78年2.2から87~89年6.5と縮小しているが,EC6では75~78年2.2から87~89年0.8と格差の縮小幅が小さい。また,マネー4プライ(M2)もERM4が75~78年2.5から87~89年1.2,EC6では75~78年4.6から87~89年4.7と拡大し,明確な相違が見られる。

このように,ERMの縮小変動幅参加国での経済パフオーマンスの収斂がみられるのに対して,非参加であったイギリスと拡大変動幅参加国であったイタリアを加えた場合の収斂は,少なくとも十分ではないことは明らかである。

(賃金上昇率と失業率の収斂状況)

次に物価上昇率の収斂に大きな影響を及ぼしたとみられる賃金上昇率と失業率の動きを見てみる(第2-2-5図)。まず名目賃金上昇率は,74年には各国とも総じて水準が高い上に,ERM4の豪も低い西ドイツと最も高いベルギーとの間に10.8%ポイントもの格差が生じていたが,その後は石油ショックの影響が弱まり,各国とも水準が低下し始め,89年にはERM4は4.4%ポイントの幅に収まっている。一方,イギリス,イタリアも水準自体は低下し,ERM4に対する格差は縮小したとは言え,89年もオランダとイギリス間には,7.8%ポイントとERM4の2倍近くの格差がある。

また,かつては西ドイツが徹底したインフレ抑制政策により,賃金上昇率水準も最も低かったが,最近は,ERM縮小変動幅参加国であるフランス,オランダ,ベルギーは西ドイツよりも低い伸びに留まり,西ドイツ同様に徹底した緊縮政策を採用してきていることがうかがわれる。言い換えれば,西ドイツのインフレ抑制の政策スタンスが,ERMを介してフランス,オランダ,ベルギーにも影響を及ぼしていることを裏付けている。

失業率についてその推移を見ると,86年までは,ベルギー,オランダで大幅に悪化しており,ERM4内では,83年にフランス,ベルギー間に6.1%ポイント,84年に西ドイツ,オランダ間に5.6%ポイントの格差があり,収斂したとは言い難かった。これは,ERM各国が悪化した経済状態を立て直すためインフレ抑制政策を優先したことによる。しかし,最近はERM4の格差も縮小傾向にある。89年には,最低の西ドイツと最高のフランスの格差も1.6%ポイントへと縮小した。これに対して,EC6では,最低イギリス,最高イタリアとの格差が,5.7%ポイントと依然として大きい。

これを再び,標準偏差により比較してみると(第2-2-6図),名目賃金上昇率は,ERM4では,75~78年2.3から87~89年に1.1へと縮小したのに対し,EC6では,75~78年5.4から87~89年2.4となっている。一方,失業率については,79年から86年まででは,標準偏差はERM4とEC6が逆転しており,83~86年ではERM4が1.7に対し,EC6では1.4となっていたが,87~89年ではERM4が0.6,EC6が1.2となった。ERM4がインフレ抑制政策を優先したことにより格差の拡がっていた失業率も,最近は収斂の方向へ向かっていると言えよう。

(経済パフォーマンスの実質的収斂)

次に,ECの究極的な目的である生活水準の格差縮小すなわち「実質的収斂」について,一人当たりGNPの推移によって分析してみる。第2-2-7図のとおり,EMS設立以前は,ERM4自体収斂していたが,その後は,ERM4を含めEC主要国全体で次第に格差がつき,近年は依然として格差が拡大する傾向にある。標準偏差を算出してみるとより明確に表れる(第2-2-8図)。ERM4の標準偏差は75~78年0.4から87~89年の1.7へと拡大し,また,EC7(EC6+スペイン)の標準偏差も75~78年の1.9から87~89年3.0へと拡大している。一人当たりGNPは,水準は上昇しているが,ERMへの参加,不参加に関係なく,その格差は拡大している。

(EMSと経済パフォーマンス収斂の総合的評価)

EMSのERMは,旧スネークがフランス・フラン,イタリア・リラ等の離脱により,マルク圏のミニスネークとなり,結局夛敗したのに比べ,現在まで一国も離脱せず,逆にスペイン・ペセタの参加(89年6月,但し,6%の拡大変動幅採用),イタリアの拡大変動幅の解消(90年1月)及びイギリス・ポンドの参加(90年10月,但し,拡大変動幅採用)等欧州通貨制度の求心力となっている。また,87年1月以来3年以上も全面的な調整がおこなわれていない事実,及び民間ECU建て取引が拡大している事実は,EMSの一応の成功を裏付けていると言えよう。

また,上記分析のとおり,経済パフォーマンスの「名目的収斂」については,おおむね達成されていると判断できる。すなわち,ERMを介して,各加盟国が西ドイツに追随する政策を採った結果,マネーサプライ,金利水準,さらにインフレ率といった経済パフォ〒マンスの改善及び収斂に役立ったと考えられる。

一方,「実質的収斂」については,一人当たりGNPでみる限りむしろ拡大しており,内部安定を目指す均質化は,今のところ不十分となっている。したがって,「実質的収斂」を達成するためには,ERMによる金融政策の協調的運営を通じた「名目的収斂」を一層雉進することの他,EC諸国内の地域間格差等の構造的要因の除去といったさらに多くの努力を必要とすると考えられる。

「実質的収斂」はECにとっては,長期的な課題であるが,少なくとも,まず全EC諸国のERM加盟による「名目的収斂」の推進がその出発点となる。そのような意味から,イギリスが90年10月拡大変動幅とはいえ,ERM参加を果たしたことは,EMSの強化の点でその意義は大きい。イギリスの参加は,今後全EC諸国のERM加盟,さらにERM縮小変動幅参加,及びそれらを通じたEC諸国の一層の「名目的収斂」への画期となるものと考えられる。

しかし,最近の中東情勢の緊迫化は,石油価格の高騰を通じて,経済パフォーマンスの「名目的収斂」にマイナスに作用する可能性がある。EC各国で石油価格の高騰により受ける影響は同程度ではなくj各国それぞれの対応にも差が生み出され,それによって金融政策,経済パフォーマンスが分散化の方向に向かうことも考えられ,今後の成り行きが注目される。

(経済・通貨統合の実現に向けて)

最後に,ECが目指す経済・通貨統合(EMU)を達成するために,金融政策と財政政策の政策協調が必要条件と考えられることから,この状況をみてみる。EC諸国の一般政府財政収支の対GDP比の推移を見てみる(第2-2-9図)と,89年はイギリス,西ドイツが財政黒字に転化したが,その他各国は,その赤字幅が縮小傾向にあるとは言え,依然赤字のままである。しかも,EC12か国平均で見ると,81年マイナス5.3%から89年マイナス2.8%と縮小に向かっているものの,EC12か国の格差は81年11.5%ポイントから89年20.9%ポイントへと拡大し,財政収支の収斂は実現していない。ドロールレポートは,89年6月通貨統合への一つのモデルとして大筋で合意され,そこでは財政政策の協調の必要性がうたわれているが,EC12か国の90年財政収支見通しを見ると,西ドイツが再び赤字となるのをはじめ,各国とも総じて赤字幅を拡大させ,EC12か国平均でもマイナス3.5%へと拡大している。また,EC12か国の格差は21.7%ポイントヘ拡大するとしており,財政収支の収斂は見込めない状況となっている。

これまで見たように,ERMの下で経済パフォーマンスの収斂がみられるが,これらは主として金融政策の収斂によってもたらされたといえる。しかし,財政政策のスタンスの相違が大きいとERMを維持するために金融政策に多くの負担がかかることとなる。したがって,ERMを通じた経済パフオーマンスのより一層の収斂は,財政政策スタンスの協調によって,一層確かなものとなると言えよう。金融政策の収斂,財政政策め協調は,ドロールプランの第一段階の条件にも挙げられているとおり,経済パフォーマンスの収斂への推進力となると同時に,経済通貨統合の実現可能性をも一層高めるものである。この意味で財政政策の協調が今後の重要課題といえる。