平成元年

年次世界経済報告 本編

自由な経済・貿易が開く長期拡大の道

経済企画庁


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第1章 軟着陸をめざす世界経済

第2節 加速した物価上昇率とその抑制

1. 主要国の物価上昇率の動き

世界経済が長期にわたる拡大を続けている中で,稼働率の高まり等製品需給がひっ迫し,さらに,労働需給の引締まりを背景に労働コストも上昇し,加えて,88年末からのエネルギー価格の上昇もあって,物価上昇率は88年央から89年にかけて多くの国で高まりがみられた。

(消費者物価の動き)

物価上昇を各国の消費者物価上昇率の動きでみると,まず,先進国では,①物価上昇が加速し,前年同期(月)比5%以上の高い上昇率となったアメリカ,イギリス,イタリア,カナダ,オーストラリアと,②前年同期(月)比5%未満の中程度の上昇率にとどまり,上昇率は高まったものの,このところ落ち着きを取り戻してきた西ドイツ,フランス,物価上昇がやや高まったものの,安定した動きの日本とがある。次に,発展途上国では,①上昇率が急速に高まり,かつ,加速して高い上昇率となった中国,香港,フィリピン,②上昇率が高まり,加速しているものの,まだ中程度の韓国,台湾,マレーシア,タイ,インドネシア,③物価上昇がまだ安定しているシンガポール,④多くの国でハイパー・インフレが続いているラテン・アメリカ,の4グループに分けられる(第1-2-1図)。以下,国別に消費者物価の前年同期(月)比上昇率でみることとする。

先進国のうち,第1に,消費者物価上昇率が加速し,前年同期(月)比5%以上の高い上昇率となった各国についてみると,まず,アメリカでは,88年半ばまで4%程度で推移し,12月に4.4%となった。89年に入り,石油価格の上昇等を受け,5月に5.4%と最も高まった後,このところ5%を下回る上昇率となっており,落ち着きを取り戻してきた。不安定な動きを示すエネルギーと88年の干ばつの影響を受けた食料を除いた消費者物価の上昇率(コア・インフレ率)は,88年初には4.3%前後であったのが,製品需給のひっ迫,賃金上昇率の高まり,卸売物価上昇率の高まりとともにやや加速し,12月には4.7%となり,89年に入って2月には4.8%と最も高まった。その後,金融引締めの効果や,稼働率の上げ止まり等の製品需給緩和,賃金上昇率の頭打ち,自動車の販売促進のための値引き等から一層の加速をまぬかれた。このように,アメリカでは88年末から89年初には,物価上昇が加速するリスクが大きかったが,金融引締めの効果等により,このところ,そのリスクはやや後退している。コア・インフレの構成要素である医療,教育は9.5%のウェイトを持ち,前年同月比7%前後の高い伸びを続けており,物価上昇の一層の減速を困難にしている。

イギリスでは,87年から88年4~6月期まで概ね4%程度で推移した後,88年の後半から内需が過熱気味となったことや住宅ローン金利の上昇等から加速し,88年7~9月期5.5%,10日12月期6.5%,89年1~3月期7.7%,4~6月期8.2%と急速に高まったが,住宅金利急騰の影響が一巡したことから,このところ,7%台に低下し,89年央には上昇率の高まりは峠を越した。なお,88年夏から急騰己た住宅金利の影響を除いた消費者物価上昇率の加速は緩やかであり,89年1~3月期5.7%,4~6月期6.0%となっている。

イタリアでは,88年にはイタリアとしては落ち着いていたものの既に5%前後であった。89年に入り,1~3月期6.1%,4~6月期6.8%と,個人消費,設備投資を中心に内需が過熱気味となったことから高まりがみられたが,その後,内需に過熱緩和の傾向がみられ,7~9月期6.8%の高い上昇率ながらやや落ち着いた動きとなっている。

カナダでは,88年中は概ね4%程度で推移した後,89年に入り,1~3月期4.5%,4~6月期5.0%と住宅取得価格や住宅金利の上昇による住居費の高まり等から加速した。

オーストラリアでは,88年初には,賃金上昇率の鈍化から,上昇率は低下したが,上昇率の水準としては7%前後となお高く,後半には,食料品や住宅関連費等の上昇から高まりをみせた。89年に入って,住宅抵当借入利払い費の算定方式が変更されたため,上昇率は低く算出されているが,この技術的要因を除くと,住宅費を中心として,依然高まりをみせている。

第2に,先進国のうち,物価上昇率は高まったものの,前年同期(月)比5%未満の中程度でとどまり,このところ落ち着きを取り戻してきた各国についてみると,まず,西ドイツでは,87年後半から88年前半までは概ね1%程度で安定していたが,88年後半からマルク安による輸入物価の上昇がみられたことからやや高まり始めた。89年からは年初の個別消費税の引上げまたは導入,石油価格の上昇等により,1~3月期2.6%,4~6月期3.1%と加速したが,このところ,エネルギーと食料価格の低下により上昇率は鈍化した。

フランスでは,88年前半は2%台半ばで推移したが,後半から食料品,工業品部門を中心に高まりがみられ,88年7~9月期2.8%,10~12月期3.0%となり,89年に入ってから,石油価格の上昇圧力等により1~3月期3.4%,4~6月期3.6%と加速したが,このところ,食料品部門は依然高まりをみせているものの,工業品部門を中心にやや落ち着きを取り戻した。

日本では,88年7~9月期まで概ね1%を下回っていたが,88年10~12月期,89年1~3月期がともに1.1%とやや上昇率が高まり,89年4~6月期には消費税の導入等により2.8%の上昇となった。しかし,消費税の影響も一時的なものにとどまり,7~9月期は2.7%(前期比では0.1%)と落ち着いた動きとなっている。

発展途上国については,第1に,物価上昇が急速に高まりかつ加速している国をみると,中国では,景気の過熱とボトル・ネックの発生から,原材料・エネルギー等の需給ひっ迫や日用品価格が上昇したため,89年1~3月期27.1%,4~6月期23.9%と大きく加速した。また,香港では,87年半ばから,香港ドルの対円減価や労働力不足による賃金上昇等から,急速に高まりをみせ,89年5月以降は10%前後の物価上昇が続いている。フィリピンでは,88年以降はおおむね8%台で推移してきたが,89年央以降は2桁の上昇率となっている。

第2に,上昇率が加速しているものの,中程度の国をみると,韓国では,87年後半から急速に上昇率が高まり,88年に入って食料品価格の高まりから上昇率は高水準で推移し,89年3月には一時4%台となったものの,4~6月期5.7%と再び上昇している。台湾では,88年1~3月期まで1%を下回り,安定していたが,88年半ばから高まりをみせ,89年に入ってからは,食料品,サービス価格の上昇により,1~3月期3.9%,4~6月期5.1%と加速した。マレーシアでは,88年前半までは概ね1%程度で推移していたが,後半から上昇率が高まり,89年に入って3%台となっている。タイでは,87年は概ね3%程度で推移していたが,88年に入って4%程度に高まり,89年4月以降は7%台となっている。イ.ンドネシアでは,88年中おおむね8%台で推移し,88年末から89年初には一時5%台となったが,このところ,5~7%台となっている。

第3に,これに対し,シンガポールでは,87年後半以降概ね1%台半ばで推移しており,89年1~3月期には1.3%の上昇と安定しているが,このところ2%台で推移している。

第4に,ラテン・アメリカでは,消費者物価上昇率(年末対比)でみると,全体では86年の64.5%から87年に198.9%へ高まった後,88年には472.8%に達するなど,インフレの高騰は激しさを増している。とりわけ,ニカラグア(7,778.4%),ペルー(1,307.1%),ブラジル(933.6%),アルゼンチン(372.0%)では3桁を超えるハイパー・インフレを記録した(ハイパー・インフレとは,需要が供給能力の限界に達していることなどから,財政赤字の通貨増発によるファイナンスや,事実上ドル価格制となっているため自国為替レートの減価分だけ価格が上昇する等の要因により,貨幣供給の増加が有効需要や供給の増加につながらず,物価のみを急激に騰貴させる状態である)。こうした中で,メキシコでは「経済安定・成長協約」等インフレ抑制のための厳しい緊縮政策の効果により,87年の159.2%から88年は51.7%,89年7月には前年同月比16.8%まで改善したほか,チリも87年の21.5%から88年は10.9%へ改善している。

(卸売物価・輸入物価の動向)

消費者物価の背景には卸売物価の動きがあり,また,卸売物価の動きには輸入物価も密接に関係している。ここでは,以上でサーベイした各国のうち,アメリカ,イギリス,西ドイツ,日本の主要国について,卸売物価・輸入物価の動向を前年同月比上昇率を中心にみることとする。さらに,卸売物価から消費者物価への波及,輸入物価から卸売物価への波及についてみる(第1-2-2図)。

アメリカでは,88年平均では卸売物価(完成財生産者価格)上昇率は2.5%であったが,後半から上昇率を高め,88年7~9月期の前年同期比上昇率2.6%,10~12月期同3.4%となった。89年に入ってからは,石油価格の上昇によりエネルギー価格が上昇したためより騰勢を強め,89年1~3月期同5.1%,4~6月期同5.9%となった。しかし,金融引締めの効果による製品需給緩和,6月以降のエネルギー価格の下落,自動車の値引き等により落ち着きを取り戻してきており,このところ,前年同月比上昇率で4%台となっている。不安定な動きを示すエネルギーと食料を除いた卸売物価の前年同月比上昇率は,88年初には2%台前半であったのが,製品需給のひっ迫,賃金上昇率の高まりとともに加速し,12月には4.3%となり,89年に入って6月には4.8%と最も高まった。その後,金融引締めの効果があり,稼働率の上げ止まり等の製品需給緩和や賃金上昇率の頭打ち等から,このところ4%台前半の上昇率となっている。また,完成財の1段階前の中間財の生産者価格の上昇率についてみると,87年末から88年にかけて前年同月比はおおむね5%台で推移しており,89年に入って6%台まで加速し,最も上昇率が高まったのは完成財より3か月早い89年3月の6.5%であったが,このところ,自動車の生産制限から鉄鋼等,中間原材料全体でも需給が緩和したこと,及び,石油価格の下落とともに急速に落ち着きを取り戻し,3%台となっている。

西ドイツでは,卸売物価(工業品生産者価格)は,88年からやや上昇率を高めた後,89年から個別消費税の引上げまたは導入(ガソリン,天然ガス等)によりさらに上昇率を高め,89年1~3月期前年同期比3.1%,4~6月期同3.3%となった後,このところ3%前後で上昇率は鈍化している。

イギリスでは,卸売物価(工業品)は88年後半から上昇率を高め,さらに,89年に入って石油価格の上昇によりエネルギー価格が上昇したため,より騰勢を強め,89年1~3月期前年同期比5.2%,4~6月期同5.0%となった後,7~9月期同4.9%と低下した。

日本では,88年中は卸売物価(国内工業製品)は前年同期比で概ね下落を続けていたが,89年4~6月期になって円安による輸入物価の上昇等から上昇に転じ,さらに,4月からの消費税導入等により,前年同期比で2.7%の上昇となった後,このところ3%前後で推移している。

これら卸売物価から消費者物価への波及について,88年央からの物価上昇の加速の局面での特徴は,特にアメリカ,西ドイツで,また,最近は日本でも,消費者物価の方が卸売物価よりも上昇率が低かったことである。アメリカでは,89年2月から6月まで,西ドイツでは,88年4月から89年5月まで,消費者物価の上昇率が卸売物価の上昇率を下回った。アメリカ,西ドイツでは全体として価格上昇が吸収され,よりな形で卸売物価から消費者物価に波及しており,89年央までの物価の加速期においては消費者物価には卸売物価ほどの高まりはみられなかった。ただし,イギリスについては,88年の後半がら内需が過熱気味となったことや住宅ローン金利の上昇等から,消費者物価の上昇率は卸売物価の上昇率を上回って推移している。

一方,輸入物価から卸売物価への波及は,輸入依存度によりそのマグニチュードは異なるが,特に,西ドイツ,日本で89年初からの卸売物価の上昇に輸入物価が影響を及ぼしたことがうかがえる(ただし,西ドイツでは1月に,日本では4月に,それぞれ,間接税の引上げ・導入があったことも影響がある)。ここでも卸売物価と消費者物価の関係と同様に,卸売物価の方が輸入物価より上昇率が低く波及は小さかった。一方,イギリスでは88年末から89年初に輸入物価は安定しており,その後,上昇率を高めたものの,おおむね国内物価上昇率より低かった。卸売物価から消費者物価への波及と同様に,内需が過熱気味となったことから,おおむね国内物価上昇率が輸入物価上昇率を上回って推移した。

本節では,以下で,88年後半以降,欧米等で物価上昇が加速したことの背景として,①製品需給がひっ迫し,稼働率が上昇したこと,②労働需給が引き締まり,失業率が低下するとともに賃金が上昇したこと,③石油価格,国際商品価格の動向,の3要因について分析する。物価上昇に対して,各国政策当局は政策金利の引上げ等の金融引締めを実施したが,これら金融政策による物価上昇の抑制については,本章第4節において分析することとする。

2. 製品需給

経済の長期拡大の中で,需要の増大から,アメリカ,ヨーロッパの各国では生産が供給能力の限界に近づきつつあり,稼働率は70年代初頭の第1次オイル・ショック前後の高水準に近づいた。アメリカでは稼働率の高まった産業において,製品需給のひっ迫から,卸売物価(完成財生産者価格)の上昇がみられた。しかし,各国とも稼働率の上昇に伴い,製品需給ひっ迫からある程度の物価上昇の高まりはみられたものの,70年代のようなインフレに突入するほどの本格的な需給ひっ迫には至っていない。この要因としては,①最近の設備投資ブームに伴う資本ストックの増加による生産能力の増大,②経済の国際化に伴う製品輸入の増大等による輸入の安全弁効果(第2章第4節参照),③70年代のような仮需の発生を防止するような在庫管理の適切化等が考えられる。ここでは,物価上昇の要因となった稼働率の上昇と,逆に,物価が大きく加速しなかった要因の生産能力の向上及び在庫管理の適切化について述べる。

(稼働率の上昇)

主要国の稼働率をみると,各国とも87年末から88年初にかけて稼働率の上昇が始まっており,89年初にほぼピークを迎え,その後は上げ止まっている(第1-2-3図)。アメリカでは,84年から87年前半は80%程度であったが,87年後半から上昇し,89年1~3月期84.O%,4~6月期84.O%となった。イギリスでは,88年から60%台となり,89年1~3月期69%の後,4~6月期63%,7~9月期61%と低下した(イギリスの稼働率は,生産能力の上限で生産を行っている企業の比率であり,他の国の稼働率とは定義が異なる)。西ドイツでは,製造業稼働率で,88年から上昇し,89年1~3月期87.9%,4~6月期88.9%となった。

これらの稼働率上昇の背景としては,①各国経済の順調な拡大,特に88年以降の設備投資ブーム,②世界的な設備投資ブームに支えられた輸出の拡大,等が考えられる。このように稼働率が上昇し,生産が供給能力の上限に近づきつつあることは,製品需給のひっ迫を意味し,物価に対して上昇圧力となる。ここで,アメリカの産業別稼働率と製品別卸売物価の動きをみると,87年末から89年初にかけて,稼働率の高い紙・パルプ,金属,化学で卸売物価上昇率が高く,逆に,稼働率の低い電気機械で卸売物価上昇率が低くなっている(第1-2-4図)。

(生産能力の増大)

設備投資は,当初,需要要因として,製品需給をひっ迫化させるが,生産能力化した後は供給要因として,製品需給の緩和につながると考えられる。

アメリカの生産能力についてみると,設備投資が堅調に推移し,実質粗資本ストックが増加するにしたがって生産能力も順調に増大している(付表1-8)。ただし,88年では,鉱工業生産の伸びが5.7%増であったのに対し,生産能力の増加は2.4%にとどまっており,稼働率の低下には部分的に寄与したにとどまった。産業別にみると,稼働率の高い紙・パルプ,化学,繊維では生産能力増大率が高く,逆に,稼働率の低い電気機械では生産能力増大率も低くなっている(第1-2-4図)。

(在庫管理の適切化)

1970年代には,物価上昇が高まり始め,インフレ期待が強まると,いわゆるインフレ・ヘッジのための仮需が発生し,物価上昇を一層高めるとともに,その後の景気循環の波を激しくしていた。最近では,オフィス・コンピュータの普及やPOS管理の普及に伴う流通面での在庫管理が適切化されるとともに,生産現場でもジャスト・イン・タイム方式の導入等の在庫管理の合理化が図られている。これらの技術革新等から,在庫残高を1か月の販売高で除した在庫率の変動は小さくなっており,かつてのような形での仮需の発生はみられず,物価の安定に寄与している。

在庫率をアメリカについてみると(付図1-1),89年初から消費支出の伸びの鈍化に伴い,小売業での在庫率が1.6か月台にやや高まったが,6月の1.63か月をピークにこのところ低下し始めている。卸売業では87年央からやや上昇したが,88年央から低下し,このところ1.3か月前後で推移している。製造業では,84年央から,全産業では,86年央から,ともに低下傾向にあり,全産業では87年以降おおむね1.5か月程度で安定的に推移している。89年央になって,自動車販売が弱含んだことから,小売業で自動車の在庫率が2か月台になり,製造業でもやや在庫率が高まったが,このところ在庫率は低下し始めている。物価も落着きを取り戻してきており,89年央に在庫率がやや高まった要因は,インフレ・ヘッジのための仮需の発生ではないと考えられる。

3. 労働需給

長期の経済拡大が続く中で,雇用環境は着実に改善し,失業率はがなり低下した。アメリカ等では従来完全雇用と考えられていた水準まで失業率が低下しており,ヨーロッパ大陸諸国では概ね失業率は低下してきているが,まだその水準は高い。雇用者数も着実に増加したが,新たに雇用を吸収したのは,大部分がサービス業であり,欧米等では製造業雇用者はこのところ滅少または横ばいとなっていることが特徴である。賃金上昇率はイギリスでやや高まったものの,アメリカ,日本,西ドイツ等では緩やかとなっている。

このような労働需給の引締まりは,最近の物価への上昇圧力となったが,がっての70年代のような賃金一物価のスパイラルは生じなかった。その要因としては,①アメリカのCOLA(生計費調整)条項を含む契約の対象労働者のシェアの低下等にみられる賃金の物価インデクセーションの縮小,②雇用者が比較的賃金水準の低いサービス業に大部分吸収されており,サービス業雇用者が雇用者の大きな割合を占めるようになった雇用構造の変化,③労働者が賃金引上げとともに雇用の確保,労働時間の短縮等を労使交渉で重視するようになったこと,④製造業雇用者の減少,横ばい傾向や設備投資の拡大に起因する労働生産性の向上等の要因が考えられる。労働市場全体については第2章第3節で分析することとし,ここでは,物価上昇の要因となった賃金上昇の高まりと,逆に,物価が大きく加速しなかった要因となった生産性の向上について述べる。

(賃金上昇の高まりと鈍化)

労働需給のひっ迫を示す失業率の着実な低下とともに,88年以降賃金上昇率も高まりをみせた(第1-2-5図)。特に,イギリスでは,前年同期比9%台の高い賃金上昇が続いている。アメリカでは,89年1~3月期の前年同期比4.1%でピークとなり,4~6月期には3.9%と上昇率が低下しはじめ,賃金上昇は頭打ちとなりつつある。一方,西ドイツでは,前年同期比で3%台の上昇のままで推移するなど,緩やかな上昇にとどまっている。日本では,88年央がら上昇が高まり,88年8月,89年1月,6月は前年同月比6%台の上昇となったが,これらを除けば,88年央以降同4%程度で推移している。

(労働生産性の向上)

労働生産性は,経済が拡大する中で着実に向上を続けており,賃金上昇の物価への圧力を弱めている。生産性上昇率についてみると,アメリカでは,87年以降概ね1~3%程度で推移しており,イギリスでは,88年後半以降,生産性上昇率が高まり,89年1~3月期には,6.0%となった。西ドイツでも,88年以降,生産性上昇率は高まっている(第1-2-6図)。さらに,今回の設備投資ブームがある程度のタイム・ラグを伴って生産能力化するとともに労働の資本装備率が上昇することから生産性上昇率は,今後,いっそう高まると考えられる。

生産性向上は,直接に労働コストを引き下げ,物価上昇圧力を弱めるとともに,実質的な労働供給の増加を意味することから,労働需給の緩和につながる面があると考えられる。

4. 石油・国際商品市況

石油価格・国際商品市況は89年前半には物価に対する上昇圧力となった。これらは,長期の経済拡大による需要増大の需要面からの需給のひっ迫を背景として生じたが,供給面からの要因も考えられる。

(石油価格)

石油価格については,86年の半ば以降,上昇に転じたが,87年の後半から一部OPEC加盟国が増産を始め,公式価格の値引きが始まった。88年前半には公式価格は事実上撤廃され,スポット価格連動の値決め方式に移行していった。OPECの原油生産量は88年1~3月期の17.4百万バーレル/日から10~12月期には22.5百万バーレル/日に増加した結果,価格は88年を通じてほぼ弱含み,特に9月から10月にかけて急落した。11月のOPEC総会では89年上半期の新生産枠を18.5百万バーレル/日とすることで,85年以来初めてイラクを含む全加盟国が合意した。全ての加盟国が増枠されたが,実質的には88年後半に比較して15~20%の減産に相当する合意であった。市場はこの合意を好感し,価格は上昇に転じた(付図1-2)。

89年の石油価格の動き(北海ブレント・スポット価格)をみると,長期の経済拡大に伴う堅調な消費とOPECの減産や非OPEC諸国による輸出削減等による需給ひっ迫に加え,アラスカでのタンカー事故や北海油田での事故等の一時的な特殊要因が重なり,4月には一時21ドル/バーレル台と86年1月以来の高水準となった。しかし,その後,OPECによる増産の動きや事故の回復等により低下し,概ね16~19ドル/バーレルの範囲で推移している。なお,6月のOPEC総会では下半期の生産上限の引上げ(19.5百万バーレル/日)が合意されたが,一部加盟国が合意に対する不満がら生産割当を超えて生産を続け,さらに9月の閣僚監視委員会で生産上限の再引上げ(20.5百万バーレル/日)が合意されたにもかかわらず,実際にはそれを大幅に上回る生産が続いている。

したがって一時の需給ひっ迫感は薄れており,石油消費の堅調な推移やアメリカ,日本での石油消費原単位の上昇など懸念材料はあるものの,当面大幅に価格が上昇する可能性は小さいと言えよう。

短期的な石油価格の動きが,以上のようなOPECの動向に左右されたのに対して,ここ2~3年の石油価格の低迷は,中長期的には2つの面で大きな構造変化をもたらした。第1に,石油需給構造の変化である。需要面では消費が回復に転じた一方,供給面では採掘コストの高い非効率な油田の閉鎖,北海油田(イギリス)における産油量の減少等により非OPEC諸国の生産が停滞したのに対して,OPECの生産輸出が回復した。第2に,石油産業の効率化や産油国による石油消費国の精製・販売などの下流部門への進出等の市場構造の変化である。

(国際商品市況の動向)

80年代後半の国際商品市況の推移をSDR換算ロイター指数でみると,86年8月を底(728.8)に緩やかな上昇に転じ,87年には石油価格回復に伴う国際商品市況の上昇期待やドル安による資金の流入から上昇基調を保った。88年に入り,需要面では,世界的な経済拡大に伴う在庫の減少から銅などの非鉄金属が,また,自動車需要の伸びに伴いゴム,亜鉛等がそれぞれ急進し,砂糖も共産圏,発展途上国の積極的な買付けを反映し,堅調に推移した。一方,供給面では,88年央のアメリカ中西部の干ばつの影響により穀物相場が急騰するなど,上昇はさらに加速した。その後も,引き続き非鉄金属が堅調であったことから,89年1月にはピーク(1108.7)に達した(第1-2-7図)。

その後,3月以降,依然として砂糖の需給ひっ迫は続いているものの,①銅が需給緩和感から下落基調に転じたこと,②供給面ではアメリカ穀倉地帯で適度な降雨がみられ,収穫増が見込まれること,③需要面からはアメリカ経済の減速に対する市場の懸念が出てきたこと等から,全体としては横ばいないし緩やかな下落傾向となった。また,前述のように,石油価格が大幅に上昇する可能性も小さいとみられることから,国際商品市況が急激に上昇する局面にはならないものと考えられる。

農産物についてはこれを裏付けるように,アメリカ農務省の世界農産物需給予想(10月1日現在)によると(付表1-9),大豆,小麦,とうもろこしともに,89~90年度は生産が前年度の干ばつの影響を脱して,順調に回復するとされている。需要も,大豆,小麦,とうもろこしとも堅調に推移すると見込まれている。期末在庫については,小麦,とうもろこしは前年度末よりさらに減少すると見込まれており,在庫率も低下するものと予測されている。