昭和63年

年次世界経済報告 各国編

経済企画庁


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I 1987~88年の主要国経済

第11章 ソ連:88年,経済はやや回復へ

1. 概  観

ソ連は,第12次5か年計画(1986~90年,以下5か年計画を計画と略す)3年目の1988年を迎えているが,経済は87年の大幅不振からの反動もあってやや回復の兆しがみられるものの,ゴルバチョフ政権(85年3月~)が進めてきた「ペレストロイカ」(改革)はまだ十分な成果をもたらすには至っていない。

同政権は,経済的な成果が不十分な理由として,硬直化した政治システムや官僚組織を挙げ,経済改革を進めるには政治改革が不可欠である,との認識から,47年ぶり開催の党協議会(88年6月)を皮切りに,政治改革についての討議を重ねてきた。そして,10月にはゴルバチョフ共産党書記長が最高会議幹部会議長を兼任して改革推進の体制を一層強化し,この体制の下,11月の最高会議では,改正憲法,新選挙法が採択された。

改正憲法では,①新議会である・人民代議員大会・の創設,②長期間の審議が可能となる常設の新「最高会議」の創設,③大統領に近い強力な権限を有する「最高会議議長(国家元首)の創設,などが盛り込まれ,新選挙法では,①複数候補制の導入,②候補者推薦における制限廃止,③リコ-ル制の導入,④代議員の任期5年を連続2期までに制限,⑤代議員と行政機関職との兼職禁止,といった新たな規定が設けられるなど,根本的な政治システムの改革が実行される。これらの政治改革をもとに,本格的な経済改革が次期第13次計画に盛り込まれることとなろう。

ソ連経済は,ブレジネフ政権(1964~82年)後半,とくに第10次計画(1976~80年)以降,幹部指導層等の規律の乱れ,不適切な経済運営,軍事費の増大,労働規律の弛緩,技術革新の遅れ等から,慢性的停滞に陥った(ソ連でもしばしば「停滞の時代」と呼ばれている)。そのため,アンドロポフ,チェルネンコ,ゴルバチョフと,3政権にわたり経済改革が続けられている。これまでに行われた改革をみると,初期の綱紀粛正(党幹部や労働者への規律強化,アルコール追放運動等)といった既存システムには特に変更を加えないものから,競争原理・市場メカニズムの導入といった社会主義経済システムそのものに関する改革へと転換してきている。具体的には,貿易取引の拡大・自由化をめざす「新貿易制度」(87年1月,付注11-1),西側とのソ連国内での合弁企業設立を認めた「合弁企業法」(同1月,付注11-2),タクシー,レストラン等主にサービス業での個人営業の活用を図る「個人労働法」(同5月,付注11-3),独立採算制と資金の自己調達制を柱とする「国営企業法」(88年1月,付注11-4),といった,企業・個人の自主性,利潤動機を活用した改革が実施されてきており,今後もコルホーズ改革(=「賃貨請負制」の導入,付注11-5),「協同組合法」(付注11-6)といった効率化,活性化を目的とする改革が実施される予定となっている。


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