昭和62年

年次世界経済白書

政策協調と活力ある国際分業を目指して

経済企画庁


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おわりに

1987年の世界経済は拡大を続け,1982年をほぼ底とする今回の拡大はかなり長期のものとなっている。最近の趨勢は84年ころの勢いに比べると鈍ってはいるが,国際機関の87年の実績見込みをみても工業国の成長はまだ続いているとされており,5年近い拡大が続いていることになる。こうした拡大にもかかわらず,短期的な動きを別とすれば物価は落ち着きを保っている。

これらの望ましい展開にもかかわらず,現在の世界経済については楽観が許される状況にあるわけではない。それはアメリカの赤字を中心とした世界的な経常収支の不均衡という問題が重くのしかかっているからである。

経常収支の不均衡のもとで,各国の政策の舵取りが難しくなっているうえにアメリカの経済体質,経済政策に対する信頼が揺らぎ,それが証券市場や国際通貨制度にもインパクトを与えつつあることは事実であるが,それでもアメリカの経常赤字は日々ファイナンスされ,アメリカの経済の5年を越える拡大はこれまでのところはさしたる陰りもなく続いてきた。現時点では,アメリカの経常収支赤字問題を即座に解消しなければ世界経済が崩壊するというものでもない。にもかかわらず,この問題が現在の状況の重苦しさのもととなっているのは,経常収支の不均衡はいつかは解消する必要があるのに対して,それがどのような形で,あるいはどのような副作用を伴いつつ実現するかの展望が開けていないからである。

確かにこうした不透明感が世界的な株式市場の動揺につながった最近の例もある。為替市場でもドル安の懸念が消えてはいない。これらの事態は深刻に受け止める必要があり,ことにアメリカがより真剣に財政赤字の削減や,経済体質の改善を通じて貿易収支赤字の縮小に取り組む必要があることを明確にしたものであろう。

しかし,こうした状態を「危機」と結びつける必要はない。世界経済は過去十数年の間だけでもかなり大きなショックや変動に耐えてきた。現在の国際的なシステムが危機回避の能力を十分にもっていることは明らかである。

ただし,各国の努力によって,現在の事態を改善する余地は大きい。経常収支の不均衡の是正そのものに加えて,保護主義を防遏し,各国の市場のアクセスを改善し,各国がより柔軟に外的変化に対して産業構造を調整し,黒字国からの資金の還流に際してドル建て資産の金利の過度の上昇を回避できるような還流の補強策を工夫すること,など課題は多い。これらは,すでになんらかの取り組みが開始されており,わが国のイニシアティブが発揮された例もある。

しかし,いまや世界経済の中でGNP,工業生産,貿易額,資本輸出,技術力などで重要な地位を占めるに至ったわが国としては一層世界に対する貢献を強めるべく努力しなければならない。

(世界経済の拡大の長期化)

世界経済の息の長い拡大は,アメリカの景気が82年の不況から急速に立ち直りを示したことがきっかけとなっている。アメリカのこれまで5年間の経済の拡大は,最近でこそ外需の寄与がプラスになっているものの,それまではアメリカの経済が国内的要因で拡大し,これが世界経済の牽引力となったことは明らかであろう。

アメリカでの物価の安定は,この拡大の初期においては82年以前の厳しい引き締めの反映があったことから当然として,その後の拡大の長期化の中でも,あるいはドル安局面のなかでも,維持されることとなった。これについては86年初の原油価格の低下が相当寄与しているが,日本,西ドイツ,アジアNICsなどの黒字国からの輸入との競争もアメリカの価格や賃金のかつてない弾力的な低下をもたらした要因とみることができる。

このことは,これまでのところ世界全体としての需給の逼迫はみられていないということを意味している。原油や一次産品の需給についていえば,世界的な省資源の進展や農業生産力の向上などからむしろ緩和ぎみで推移してきた。

1986年の秋頃には,ロイター指数などでみた国際商品市況も底入れしたようであるが,その後の上昇はさほど急テンポのものとなっていない。

原油価格も1986年の前半には急落をみているが,その後の回復をもたらしたのは,これによって追い込まれたOPECがとった減産体制であり,世界経済の拡大に伴う石油需要の増大ではなかった。原油価格はその後,1986年前半の下落幅の半分程をとりかえしているが,これによって,多くの国で物価上昇が幾分加速してきている。しかし,エネルギー関係の物価の上昇を除いた基調的なインフレ率としては,石油価格下落以前とくらべて特に加速しているということもない。

しかるに,いくつかの国では最近公定歩合が引き上げられており,アメリカのように「潜在的なインフレの圧力に対処する」ことが理由とされたケースもでている。しかしこれらはいずれも経常収支面での問題のある国でのことである。経常収支の悪化は為替レートを弱くし,輸入価格の上昇というインフレ要因を作り出すことは事実であるが,これらはかなり「予防的」な色彩が強いものであるといえよう。

他方,日本や西ドイツではマネー・サプライの伸び率がかなり高くなっており,金融政策の舵取りが難しくなっている。日本については,その世界経済に占める比重が高まっており,また最近景気の回復がみられ,今後さらに内需拡大策の効果がでてくるといっても,世界の需給の逼迫という事態を単独でつくりだすことはないといってよい。また,仮に黒字国の需要が増大して世界的な需給が逼迫したとしても,その場合に抑制されるべきは赤字国の需要である。

そうでなければ我が国が内需拡大策をとってきた意味がなくなってしまうであろう。

(世界的な貿易収支不均衡とそのインパクト)

アメリカの貿易収支赤字の趨勢は,1986年初からの原油価格の下落と回復,投機的な原油輸入数量の変動によって見極めにくくなっているが,基調としては微減傾向が始まっているものと思われる。アメリカの内需が拡大を続けているためこの程度の変化しか出ていないが,ドル安の効果はともかく現れ始めている。また黒字国の側では,日本と西ドイツ―特に日本―の黒字に減少傾向が明らかになってきている。為替レートの調整があまり進んでいないアジアNICsの黒字が拡大を続けているが,世界的な経常収支不均衡の改善はすでに端緒についている。

しかし,ある程度の改善が進んでもここ数年は巨額の不均衡が残ることは間違いがない。これは,アメリカの経済の体質ともいうべき問題があるからである。

アメリカの産業,ことに製造業の生産性は1980年代に入って,1970年代の伸び悩みを脱し,懸念された空洞化現象を回避しつつあるようにみえる。しかし,この間,他の工業国の生産性も上昇しており,このことだけでは競争力の改善に結びつかない。競争力に対しては,結局為替レートが決定的な役割を果してきた。その為替レートはドル高から修正された。

残る問題は価格競争力ではなく,アメリカの所得面からくる影響である。しかも,アメリカの所得の伸びが他の国々の所得の伸びにくらべてどうかという点よりも,アメリカの所得の伸びに対する輸入の伸びの弾性値がかなり高いという点が問題である。これは,体質なり構造の問題といってよい。単純に生産性が上昇したのではこれは変えられない。所得が増えたときに,これによる需要が外国に比較優位のある品目に向かいがちであるといった問題や,アメリカ国内の供給体制がスムーズに需要の増加に適応できない,といった問題である。

これは裏返せば黒字国の側にも当てはまる。我が国の構造調整に対する取り組みの意義は,このように考えると明らかであろう。

ところで,体質や構造が短時間では変えられない一方,アメリカの需要を抑制すれば,現在のアメリカの輸入の高い所得弾力性からして輸入の抑制の効果は大きいということになる。従って短期的にはアメリカの財政赤字の削減などの手段が有効ということになるが,これは世界全体としての需要を減少させることとなるという意味で,競争力の変化―需要の分布のシフトをもたらす―に比べて副作用が大きい。そこで赤字国の財政削減に対して,黒字国の内需拡大策を組み合わせるという国際的な政策協調の必要もでてくる。

(環太平洋地域のダイナミズムと日本の役割)

アジアのNICsの発展が最近目覚しい。その発展の要因をみると我が国のかつての高成長期との共通点が多く認められる。これらの国々は日本的発展を見せつつあるということもできよう。そして,その発展のスピードは急速で,世界市場においてかつて日本が特化していた分野で強い競争力を発揮しつつある。こうして,環太平洋地域においては,発展段階の異なる国々のダイナミックな重層構造が出現した。

同時に,環太平洋地域の重層構造のいわば核としての役割を日本が果たし始めたとみることもできる。基幹的な部品,資本,技術などを日本が供給していることが,この地域の急速な発展にかなり貢献している。

しかし,この地域の内外において発展の可能性をもちながら資本,技術,経営資源の不足に悩む発展途上国も多い。韓国や台湾のように発展の初期においては,資本の不足を海外からの資金と技術で補い,急速な発展のきっかけをつかんでいるところもあり,日本の黒字の活用によって,さらにこうした例を増やすことができるかもしれない。

日本の黒字は,これまで日本が,貯蓄を生産的投資に変換させる場所としては世界の中でも最も効率がよい場所のひとつであったことの反映でもある。今後,日本国内の生産力を高める必要がなくなるわけではないが,貯蓄を投資に変換させ効率的な生産体制をつくること,すなわち資本と経営資源の日本的な組み合わせを海外において行うゆとりも存在する。

他方で,累積債務一つをとってみても単なる融資の確保では基本的な問題が解決しない。またアセアンの一部の国々のように,最近かなりの技術を伴った資本進出を受け入れる素地ができたと思われるところもある。我が国の発展途上国に対する海外直接投資に期待されるところは大きいといわねばならない。

最近我が国とアメリカの貿易摩擦を背景として,アメリカ向けが増えているが,むしろ発展途上国へ向けてより一層の直接投資の増加が望まれる。

ただし,我が国がこれらの国々の潜在的な生産力の向上に寄与したところで,市場もある程度提供しなければ現実の発展は容易ではない。これまではアメリ力が大きな市場を提供していたため,韓国や台湾の発展も可能であった。そのアメリカは今後こうした役割をひとりで担っていけるとは限らない。我が国の市場のアクセスを改善する意義はここにもある。

日本の存在が大きくなったのは,環太平洋地域においてのみではない。日本のGNPはいまや世界のGNPの10%を超える規模になっており (経済企画庁総合計画局推計では1986年に11.8%),世界の輸出に占める日本の輸出の割合も1986年には10.6%となっている。特に工業品の輸出でみると,15.5%を日本が占めており(1985年),過去とくらべても比重の増大が著しい(1970年には9.9%)。

ここまで経済力が大きくなった背景としては技術革新の進展や高い資本蓄積率など潜在成長力に関連するものが目立っている。その意味ではアメリカが需要面から世界経済を牽引したのに対して,日本は供給面から貢献したということもできなくはない。しかし,経済力の拡大は同時に大幅な経常収支の黒字をもたらしてしまっている。長期的な経常収支の不均衡は保護主義の温床になるかもしれず,また赤字国にとっても将来的に生活水準の切り下げにつながりかねない問題であり,放置できるものではない。

我が国はすでに内需の拡大努力もあって経常収支黒字を減少させているが,今後も内需中心の経済構造への転換を図り,黒字の減少傾向を確実なものとしていく必要がある。発展途上国に対する資本の供給についても,環太平洋地域にみられるような近隣諸国の追い上げと,そこでの貯蓄率の高まり,黒字の増大から,やがて日本は資本供給国としての役割を減少させることができるであろう。日本の今後の役割に関しては,むしろ,経済力,金融力,科学技術力の向上により,国際社会に対する我が国の経済的貢献能力が高まっていることから,我が国が「国際公共財」に対しての貢献を増大させることが重要である。

また国際公共財への貢献のなかには,自由貿易体制の維持,強化の国際的努力への積極的な取り組みが含まれるが,我が国が自ら率先して自由貿易を推進する行動を示すことは海外の保護主義的気運を和らげていくためにも不可欠である。


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