昭和62年

年次世界経済白書

政策協調と活力ある国際分業を目指して

経済企画庁


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第2章 世界的な貿易収支不均衡-その原因と影響‐

第6節 日欧における貿易収支黒字縮小の帰結

85年春以来の大幅なドル安の下で,アメリカの貿易収支赤字はようやく縮小の兆しをみせてきているものの,なお大幅なものとなっている。一方,黒字国側についてみると,ドル建てでみた収支の調整の大幅な進展はみられないが,各国の自国通貨建てや実質でみた黒字の減少幅はかなりのものとなっており,それぞれの国内の景気に大きな影響をもたらしている。

1. ドル安の下での自国通貨建て貿易収支黒字の減少

西ドイツ等の西ヨーロッパ諸国や日本の自国通貨建ての貿易収支は,産油国としてやや立場の異なるイギリスを除いて,いずれも,86年秋をピークとして黒字幅を減じつつあるか,赤字化してきている。個々の国については,それぞれの国の景気動向の微妙な違いや,為替動向の違い等を反映して黒字減少のタイミング・幅等にバラつきがみられるが(西ドイツ及び日本については,後出第2-6-3図参照),イギリスを除く西ヨーロッパの主要8か国について,自国通貨建て近似の概念として,ECU建ての貿易収支を合計してみると,85年初から86年央にかけての貿易収支黒字の拡大と86年秋以降のその縮小の傾向がはっきりする(第2-6-1図)。

すなわち,84年から85年初にかけておおむね均衡していた西ヨーロッパ主要8か国の貿易収支(3か月移動平均)は,その後86年央にかけて大きく拡大し,86年7月に月額55億円ECU(1ECU‐0.984米ドル(86年平均))に達した。その後9貿易収支黒字は,11月までは50億ECU前後の水準を保ったが,87年に入っては30億ECU台にまで急速に減少している。この西ヨーロッパ諸国の貿易収支の動向の背景のひとつには,もちろん石油価格の動向があり,85年末から86年央にかけての下落時には,黒字拡大の方向に,またその後の回復期には,黒字縮小の方向に作用したことは間違いない。しかし,この西ヨーロッパ主要8か国について,石油輸入を除いて石油価格の影響を排除した非石油収支をとってみても,その黒字幅は85年後半をピークとして,緩やかな減少傾向を示しており,85年春以降進行してきたドル安(西ヨーロッパ主要国通貨の対ドル・レートの上昇)が,輸出数量を抑制し,輸入数量を拡大させ,Jカーブ効果による黒字拡大効果を乗り越えて西ヨーロッパ諸国の貿易収支黒字削減に寄与してきたことをうかがわせる。この貿易収支の黒字縮小自休は,為替レートの変動による収支調整効果が発現されたことの証であり,現在の世界的な対外収支不均衡を考えた場合,望ましくもあり,また必要なことであるが,これらの国の景気動向という観点からみると,まさに企業の場合の収益の減少と対比して考えることができ,重荷となる可能性がある。

2. 自国通貨建て貿易収支と景気動向

あらためて,為替レートの変動や,石油価格の変動がこれらの諸国に及ぼす影響の経路について考えてみると,まず,為替レートの増価は通常,その国の景気動向に対して相反する2つの効果をもたらす。第1には,貿易の数量面に対してもたらされる効果があり,これは輸出数量を抑制し,輸入数量の増加要因となるという形で景気に対してはマイナスに作用する。

第2に,為替レートの増価は通常,交易条件(輸出価格/輸入価格)を改善(上昇)させるが,この交易条件の改善に伴って,実質所得が海外から流入し,国内の需要に対して潜在的なプラス効果がもたらされる。

一方,石油価格の低下(上昇)は,石油輸入国にとって,交易条件の改善(悪化)にほかならず,為替レートの場合と同様に実質所得が流入(流出)し,国内の需要に対して潜在的なプラス(マイナス)の効果がもたらされる。

実際の景気動向に対する影響は,これらが複雑にからみあったものであり,またそれぞれの効果の発現のタイミング,流入した実質所得が実際の需要として有効となる度合い,貿易上の様々な依存関係,乗数効果の程度,相対価格の大幅な変動が経済の供給面に及ぼす影響等様々な要因によって異なり得るが,国内への波及が,始まるまえの,いわゆる「水際」の段階で上記の3つの景気に対する効果を足し合わせたものは,自国通貨建ての貿易収支の変化額にほぼ等しくなる(「昭和61年度,年次世界経済報告」第3章第1節参照)。したがって,自国通貨建ての貿易収支の黒字が拡大から縮小に転じたということは,これまでの黒字拡大過程で生じた実質所得の流入等の景気拡大要因の波及や,政策的な要因は別として,海外からの新たな景気拡大要因は発生しなくなったことを意味しており,とりわけ,既に波及効果が出尽くしたとみられる国にとっては,今後の景気動向に対して重荷となってくる可能性が高い。

3. 日欧の景気と内需・外需の動向

最近の西ヨーロッパ及び日本の成長の内容をみると(第2-6-2図),84年には,米ドル相場の上昇や,アメリカ経済の急速な拡大等の下に,外需中心の成長を示したが,85年以降にはドルの反転,アメリカの拡大速度鈍化等の下に外需の伸びは鈍化し,代わって,物価上昇率の低下等の下に内需が成長の中心となった。

こうした中で,日本では,85年央より外需の不振等の下に景気は後退を始め,また,西ヨーロッパ諸国の景気も86年秋には,外需の不振の継続に内需の鈍化も加わって伸び悩みの状態となった。その後日本の景気は86年末ないし87年初頃から回復してきているが,西ヨーロッパでは,厳冬やフランスのストライキ等の要因も加わり一層落ち込み87年春になってようやく回復傾向となってきている。しかし,西ヨーロッパ全体としてみれば,外需が依然低迷している中で,いわゆる内需の自律的回復力はそれをカバーするほど強くはないとみられ,政策的な需要刺激に期待がかかる情勢となっている。

なお,外需の減少という点に着目すると,日本では85年末から86年末にかけて短期間に大きな減少がみられたのに対して,西ヨーロッパでは,寄与度で1%を越える比較的大きな減少が1年半以上の長期にわたって継続していることが注目される。また内需の観点からは,日本では86年後半から伸びが加速しているのに対して,西ヨーロッパでは85年央から86年央とやや早くに大きく伸びた後,鈍化してきていることが注目される。

4. 「外需の減少」の中身

貿易収支の動向を西ドイツと日本について,輸出・入,数量・金額(自国通貨建て)別にやや詳しくみると(第2-6-3図),輸入は数量では着実な増加を続けており,特に日本では86年央以降伸びが加速している。しかし,金額でみると為替の増価や,石油価格の急落のために85年央から86年央にかけて著しく減少し,86年末に到って石油価格の回復も手伝ってようやく横ばいないし緩やかな増加に転じた。一方,輸出数量は,ドル相場の反転とほぼ並行して85年初に,それまでの増加基調から横ばいに転じ,日本では86年初以降緩やがな減少を示している。また輸出金額も85年央以降,輸出価格の低下も加わって減少を続けている。この結果,収支をみると実質では85年央以降,一貫して黒字縮小傾向が続いており,まさに外需の減少を裏付けている。一方,金額での収支,即ち貿易収支は輸入金額の著しい減少の下に86年央まで黒字を拡大させた後,86年秋以降となってようやく横ばいないし縮小傾向を示すようになった。

こうした貿易の収支の動向が,国内の景気の動向に影響を与えるのであるが,ここで,改めて確認されることは,為替増価に伴う「外需の減少」または,貿易面で発生する景気へのマイナス効果とは,単に数量面での現象にとどまらないということである。実際,例えば86年の10~12月期でみると,輸出数量は前年同期比で西ドイツ0.1%増,フランス2.4%減,日本4.3%減と横ばいないし減少となっているのに対して,輸出価格は各々,3.5%低下,3.3%低下,11.3%低下とそれ以上に大きく低下している。これは,国によって程度の差はあるものの,ドル安の進行の下で,ドル建ての輸出価格の上昇を抑えることにより,価格競争力の維持や国際市場におけるシェアの確保を図るという戦略が輸出産業によってとられてきた結果とみられ,そのこと自体は輸出数量への減少圧力を軽減するものであるが,輸出産業の収益圧迫等の形を通じて国内経済にマイナスの影響を与えたとみられる。

5. 西ヨーロッパの輸出減少の要因

こうして西ヨーロッパ諸国や日本では,85年春のドルの反転以降,輸出が不振となってきているが,西ヨーロッパ諸国の輸出に対する,対ドル為替相場の上昇の影響については,日本等とは基本的に異なる点が2つある。

(実効為替レートの動向)

その第1の点は,ドル安の直接的なインパクト自身,日本と西ヨーロッパ諸国とでは,異なっているということである。たしかに,日本円も西ヨーロッパ諸国の通貨も,その対ドル・レート (名目)でみれば,一様に大きく増価しており,この点では大差はない(第2-6-4図)。しかし,西ヨーロッパ諸国では,貿易に占める西ヨーロッパ諸国間の相互取引の比率が高く,また,その西ヨーロッパ主要国の通貨は,EMSの制度の下に,対ドル・レートは大きく変動しても,制度加盟通貨相互間では,一種の擬似的な固定相場制となっていることから,貿易取引全体に対して意味を持つ為替レートの上昇幅は,日本円と比べてかなり小さくなっている可能性が高い。こうした,貿易取引全休に対して意味を持つ為替レート指標としてしばしば,実効レートという統計が作られているが,実際,IMFによる実効為替レートの動きでみると,西ドイツ・マルクでさえ,その上昇幅は日本円の半分程となっている(第2-6-5図)。もちろん,こうした実効為替レートなる指標については,一般に第3国市場での競争が十分反映されているか,物価上昇率格差をどう評価するか,貿易取引きの商品構成をどう評価するか等様々な問題点もあるが,少なくとも,西ヨーロッパ諸国の場合,対ドル・レートの著しい上昇にもかかわらず,貿易取引全休としての競争力はかなり維持されやすい状況にあったといえよう。

(西ヨーロッパでの輸出減少の波及・累積効果)

しかし,実効為替レートの上昇が比較的小幅だったにもかかわらず,西ヨーロッパ諸国の輸出はかなり減少している。それを説明すると考えられるものが,日本と西ヨーロッパ諸国の違いの第2の点となる西ヨーロッパでの輸出減少の波及・累積効果である。しかし,その説明の前に第2-6-6図によって,西ドイツ,フランス,日本の輸出の不振の内容を国・地域別に具休的にみておこう。それぞれ,自国通貨の対ドル・レートの上昇の下に,アメリカ向けの輸出は減少方向に寄与しているが,西ドイツ,フランスのアメリカ向け輸出の減少方向への寄与度は,日本のそれに比べてかなり小さい。一方,西ドイツ,フランスのEC諸国向け輸出はその寄与度を大きく減じており,両国の輸出不振の大きな要因となっている。

こうした両国のEC向け輸出の不振は,西ヨーロッパ諸国間では,貿易取引を通じて相互依存関係が極めて緊密であることを考えれば納得がいこう。すなわち,相互依存関係が緊密であるということは,図式的にいえば,A国の独立的需要の減少(増加)→A国のGNPの減少(増加)→A国の他国からの輸入の減少(増加)→他国のA国への輸出の減少(増加)→他国のGNPの減少(増加)→A国の他国への輸出の減少(増加)→A国のGNPの減少(増加)→…という乗数効果が累積的にはたらくということであり,ここで議論しているような,対ドル・レートの上昇のような場合には,独立的需要であるアメリカ向け輸出が,各国で同時に減少するため,乗数効果も更に相乗的に作用し全休として縮小均衡の方向へと向かい,各国の輸出が大きく低下することとなる。言い換えれば,西ヨーロッパ諸国では,日本のようにドル安の下に直接アメリカ向け輸出が大きく減少することによって輸出全体が滅少するのではなく,西ヨーロッパ諸国間の相互依存関係を通じてアメリカ向け輸出減少の効果が相乗・累積されることにより輸出全体が大きく滅少するのである。

こうした効果を時間を追って実際のデータによって直接検証することは難しいが,ひとつの目安としてEC諸国について,それぞれの国の平均消費性向や,国別平均輸入性向等をもとに相互依存の乗数表を作成したのが第2-6-1表であり,また同表をもとに,86年のEC各国のアメリカ向け輸出の減少の波及効果を試算したのが第2-6-2表である。これによれば,例えば西ドイツは,アメリカ向けの輸出の滅少額そのものは1.4億ECUであり,イギリス,フランス,イタリアに比べてその規模はかなり小さいが,その他のEC加盟国のアメリ力むけ輸出の減少に伴う同国のEC域内向け輸出の減少幅は9.1億ECUもあり,アメリカむけ輸出の減少が間接的に西ドイツの輸出を大きく減少させることが示されている。また,他の国でもアメリカ向け輸出減少分の2~3割分EC域内向け輸出が滅少するという結果となっている。

なお,こうした波及効果が完全に実現するには,かなりのタイム・ラグを要すると考えられるが,この点は,前述の西ヨーロッパ諸国の外需の滅少が長期にわたっているという事実とも符合している。また,第2-6-1表は,各国が財政支出という形で独立的需要を増加させた場合の政策効果の漏出を示しているとも考えられるが,相互依存の緊密さは同時に漏出効果が大きいことも意味しており,このことが西ヨーロッパ各国の経済刺激政策に対する消極的姿勢の一因となっている可能性もある。

6. 西ヨーロッパの内需の鈍化

前出の第2-6-2図でもみたように,日本では86年央から内需がかなり好調となってきているが,西ヨーロッパ諸国の内需は85年央から86年央にかけて好調となった後,86年秋からは,かなり急速に鈍化してきている。ここでは,西ドイツと日本を比較することにより,何故西ドイツのほうが先に内需が拡大したか,また何故西ドイツの内需は鈍化し始めたのかをみることとする。

(交易条件改善の実質所得効果の波及の違い)

両国の内需を好調とさせた要因は,金利の低下等もあるが基本的にはドル安及び原油価格低下の下での交易条件改善による実質所得の流入であったと考えられる。一方,この実質所得の流入が現実の国内の需要に結びつくひとつの条件は,国内の物価が低下し,国内の経済主休の現実の実質可処分所得が上昇することにある。そこで,輸入デフレータ及び,国内最終需要デフレータ,消費デフレータの前年同期比変化率を比較してみると(第2-6-7図),輸入デフレータの下落のタイミングは両国で一致しているものの,消費財等の輸入比率の違い(製品(SNTC.5~8)輸入比率,西ドイツ59.7%,日本28.1%,85年)や石油の製品輸入比率の違い(西ドイツ41.6%,日本20.O%,85年)さらには,国内の諸制度の違い等の下に国内最終需要デフレータ上昇率の低下の本格化のタイミングでは西ドイツのほうが半年ほど先行しており,また消費デフレータでは,西ドイツでは86年前半に大きく低下してその後横ばいとなっているのに対して,日本では87年1~3月期まで徐々に低下を続けるという違いをみせている。

その結果,両国について交易条件改善に伴い流入した実質所得のGNP比率と国内最終需要の伸び率を重ねて比較してみると(第2-6-8図),西ドイツでは交易条件改善のタイミングと国内最終需要拡大のタイミングがほぼ一致しているのに,日本では国内最終需要拡大のタイミングがやや遅れている。すなわち,西ドイツでは交易条件改善による実質所得の流入は,85年7~9月期に始まって86年4~6月期にかけて大きく増加した後減少し,国内最終需要の伸び率も,実質所得の流入の開始とほぼ同時の85年央から,実質所得の流入幅の拡大と歩調を合わせて上昇し,86年7~9月期以降実質所得の流入幅の縮小と並行して低下してきているのに対して,日本では,実質所得の流入の動き自体,輸出価格の動向等もあって,1四半期遅れて85年10~12月期に始まり,また当初の流入量は少なく86年4~6月期に大きく拡大した後減少に転じるという形となっており,西ドイツと若干異なっているが,それ以上に国内最終需要については違いがあり,伸び率が高まり始めた時点こそ85年央となっているものの,当初の上昇は極めて緩慢で,実質所得の流入のピークより1~2四半期遅れた86年後半になってようやく伸び率を高めており,政策効果もあって今後とも内需の拡大が続くことが期待されている。

(外需から内需への波及)

また,86年秋以降の両国の内需の勢いの差についていえば,ひとっには,以上の分析で暗示されるように,西ドイツでは,交易条件改善に伴う実質所得流入による内需刺激効果のピークが既に過ぎつつあるということがある。しかし,そのほかに,前出の第2-6-2表でもみたように,西ドイツの場合,EC諸国のアメリカ向け輸出の減少の波及効果がタイム・ラグをもって発生し続けるという効果が生じ,外需の低迷が長期化したことの影響も大きい。すなわち,日本等では,外需の減少により製造業が低迷しているおりにも,サービス業等が安定的な成長要因として働き続けたが,西ドイツの場合,もとより第3次産業の経済全休に占める割合自体が相対的に低いため,経済の安定的成長要因としての力が弱い可能性があり(第2-6-9図),このため,外需の不振が長期化してくると,次第にその波及効果が内需へ及び,内需の伸びも鈍化し,景気全体に悪影響がもたらされるのである。

以上は,自国通貨建てでの貿易収支黒字の減少傾向という景気に対するマイナス材料は,特に西ヨーロッパでは,外需減少の長期化,及びその波及効果と交易条件改善に伴う実質所得流入幅の漸減傾向の下での内需の伸びの鈍化という形で,実際の景気に対して悪影響をもたらしてきており,石油価格回復でOPEC向けの輸出回復が期待される等の要因はあるものの,政策面で景気に対する配慮が必要な状況となっている。