昭和61年

年次世界経済報告

定着するディスインフレと世界経済の新たな課題

経済企画庁


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第2章 ディスインフレへの道

第4節 ドル高修正の背景

1980年央以降85年春に至るまで,ドルはほぼ一貫して上昇し,極めて高い水準に達した後,3月以降漸進的に低下し,85年9月の五か国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)以降急落した。

本節では,まず為替レートの動きを説明するいくつかの方法について,実際にそれらがどれくらい説明力をもっているかを簡単にみた後,為替レートの安定を図るためにはどのような政策的努力が必要であるかを検討する。

1. 為替レートの変動要因

(購買力平価説)

為替レートの変動要因として古くから主張されてきたものとして,いわゆる購買力平価説があげられる。これは,2国間の物価格差によって為替レートが決定されるとみるものである。しかし,この考え方は,すべての財が両国間で自由に取り引きされ,しかも,その財の価格が完全に伸縮的であり,いわゆる「一物一価の法則」が成立しているというやや非現実的な前提に基づいている。

また,比較すべき物価水準として何を選ぶのかといった問題もある。

ここでは,ポンド,マルク,円について,①1973年当時に各レートが均衡水準にほぼ近かったと想定し,②その時点以降における当該国とアメリカの物価の相対的変化を反映させることにより,各国通貨の購買力平価を計算してみた(相対的購買力平価説)。比較の対象とする物価水準としてGNPデフレータ及び卸売物価をとり,実際の対ドル・レートと購買力平価の推移をみたのが第2-4-1図である。これによると,短期的・中期的には為替レートは購買力平価に対して上下に大きく乖離しているものの,長期的にみると,購買力平価は,為替レートの動向を基本的に方向づけるものとなっている。

(フロー・アプローチとアセット・アプローチ)

一方,経常収支や資本収支等フローの需給均衡によって為替レートが決定されるという考え方(フロー・アプローチ)も,特に変動相場制への移行当初に有力な説としてみられていた。しかし,この考え方は,為替レートの経常収支調整機能が十分であること,金利の変化に対して資本移動がそれほど敏感に反応しないということをその前提としているが,実際には,いわゆるJカーブ効果の存在や国際的な資本移動の活発化等により,このような前提は非現実的なものとなっている。

こうしたフロー・アプローチに代って,各国通貨表示の資本の需給均衡が為替レートの水準を決定するという考え方(アセット・アプローチ)が有力となってきている。その背景としては,国際的な資産選択が活発になり,為替需給の決定に際して経常取引よりも資本取引の方がはるかに重要になっていることがあげられよう。こうした資本取引においては,各国通貨建ての資産がどれだけの収益率をもつか,また,その資産の保有がどれだけ安全か,という点が問題となる。こうした収益率や外国通貨建て資産の安全性(リスク)の指標として何を選ぶかについての決定的な理論はないが,通常のアセット・アプローチの実証分析では,①収益率の指標として両国間の実質金利差が,②外国通貨建て資産の安全性(リスク)の指標として当該国の累積経常収支(対外純資産累積額)が選ばれることが多い。

第2-4-2図は,マルク及び円の対ドル・レートの動向と,①当該国とアメリカとの長期実質金利差,及び②当該国の累積経常収支/名目GNP比,の動向を比較したものである。累積経常収支に示されるリスク要因は,国際的資本取引が本格化する1979~80年以降為替レートとの相関が弱くなる一方,実質金利差の方は相関がやや強くなっていることがわかる。

(説明しにくい為替レートの動き)

このアセット・アプローチの考え方に基づいて簡単な為替レート関数を推計してみると(第2-4-1表),推計期間を1974年1~3月期-80年10~12月期から1974年1~3月期-86年1~3月期に延長させた場合,累積経常収支によるリスク要因の説明力は低下するが,金利要因の説明力はやや上昇していることが注目される。さらに,1974年1~3月期-80年10~12月期で推計した関数で81年以降の為替レートを試算すると,実際の値とは大きく乖離しており(第2-4-3図),国際的資本取引の活発化の下で,為替レートの決定メカニズム自体大きく変化していることがうかがわれる。

こうしたアセットアプローチの考え方においては,為替レートに関する期待の役割が重視されており,また,最近では,特にドルの急激かつ大幅な変動を背景として,為替レートに関する自己増殖的な期待(バブル)の役割についても議論がなされているが,期待がいかに生成,消滅するかについての解明は不十分である。このように為替レートの動向を理論的に実証することは極めて困難となっているといえよう。

2. 為替相場の安定を求めて

(1) 変動相場制下での為替相場の不安定と経常収支不均衡の拡大

73年の変動相場制への移行当時,変動相場制の利点は経常収支不均衡を自動的に調整するところにあるという見方も存在した。しかし,その後の経験から,そのような調整機能には限界もあることがわかってきた。現に,GNPに対比した各国の経常収支不均衡の大きさを時系列に沿って比較してみると,変動相場制移行後にこれが小さくなったとは言い難く,むしろアメリカなどでは近年の不均衡拡大が目立っている(第2-4-4図)。さらに重要なことは,変動相場制下での為替相場がかなり大幅に上下し,しかも,経常収支不均衡の是正のために期待されるものとはしばしば逆の方向に振れたことであった。このような現象は,上述のとおり,①Jカーブ効果などによる経常収支調整の遅行,②国際資本移動の活発化,等に起因するものとみられる。いずれにせよ,現実の為替相場の不安定は,変動相場制に対する一部の懐疑論を生むことにもなった。

しかしながら,変動相場制が抱える問題点は必ずしもこの制度に固有のものではない。例えば経常収支調整を遅行させた要因は,固定相場制下にあっても同様に作用するであろう。しかも,固定相場制時代の収支調整は,平価変更をあまり頻繁には行わないことを旨としていたことによっても,遅れを伴わざるを得なかったことを想起する必要があろう。オーバー・シュートやミスアラインメント,さらには短期的な乱高下にいかに対処し,国際収支調整をい)かにすすめるかの問題はあるものの,変動相場制は依然として固定相場制よりは相対的には優れた制度であると考えられよう。

(2) アメリカの大幅経常収支赤字とドル高・高金利

為替相場が経常収支の動向から期待されるのとは逆向きに振れる場合があることは既に述べたが,80年代に入ってからの継続的なドル高はまさにこの典型的な事例であった。

アメリカの経常収支は82年以来赤字が続いており,特に84年に赤字幅が急拡大して1,000億ドルを突破し,85年にもこれを上回る大幅赤字を計上した。それにもかかわらず,80年代に入ってからは,85年2月下旬までほぼ継続的にドル相場が上昇し,80年1月から85年3月までに,米ドルの実効相場指数(IMF発表,80年=100)の上昇幅は63.7ポイントに及んだ(第1章第1節参照)。

この理由は種々考えられようが,とりわけ大きな影響を与えたと思われる要因は,アメリカの財政赤字の拡大及び厳しい金融引締め政策を反映した同国の異常な高金利である。そこで,為替相場との関連が比較的強いと思われる長期実質金利の動きをアメリカと西ドイツで比較すると,80年代に入ると同時に両者間の金利格差が急拡大し,これに伴ってドルの対マルク・レートも上昇している(前出第2-4-2①図)。もつとも,81年中頃からマルク安がもたらすインフレ懸念の故に西ドイツでも高金利政策が採られ,金利格差が縮小したあとは,それ以外の要因も多分にドル高に作用したものとみられる。いずれにせよ,アメリカの異常な高金利がドル高の端緒を開き,そのドル高がアメリカ以外の先進国の金融政策を著しく制約するとともにアメリカの経常収支赤字を拡大する重要な要因となったことは間違いない。

こうした状況から脱出するために,適当な時機を捉えてドル高を修正する必要があるとの共通認識が生まれたことは,したがって極めて当然であった。

既に第1章第1節でみたように,アメリカの景気拡大の鈍化,金利の定下による外国との金利格差の縮小等を背景に,ドル高は85年2月下旬をピークとして是正に向かい,85年3月から9月までのドルの実効相場指数は15.1ポイント下落したわけであるが,こうした緩やかなドルの低下を更に加速させたのは,同年9月22日の5か国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)の合意であった。同会議においては,「為替レートは対外インバランスを調整する役割を果たすべきであり,このためには為替相場が各国のファンダメンタルズを正しく反映するよう現在のドル相場を是正する必要がある。そして主要非ドル通貨の対ドル・レートの一層の秩序ある上昇が望ましく,このためより密接に協力する用意がある。」との合意が得られ,アメリカを始め,5大国が協調して秩序あるドル高の修正に取り組むという姿勢を明らかにしたことが市場の期待を大きく変化させていった。この結果,ドル高修正の動きはますます確固たるものとなり,ドルの上記実効相場指数は85年9月から86年7月までに27.1ポイントも低下した。

(3) 国際間の政策協調

為替相場の安定については,一国の政策努力のみでは達成不可能であり,国際的な取り組みが必要である。変動相場制の下で為替相場の安定を図るためには,基本的には先進各国それぞれがインフレなき持続的成長を目指し,良好なパフォーマンスを維持することが必要であり,このためには各国間の相互理解と協調が求められる。また,市場がファンダメンタルズを反映せずに無秩序な状況に陥った場合には,短期的乱高下を抑え,適時適切に介入を行うことも有効たりうる(付注2-5)。

このような認識の下に,86年4月のIMF暫定委員会では多角的サーベイランス(監視)の一般的強化が提案された。また,86年5月の東京サミット(主要国首脳会議)においては,主要国間で緊密かつ継続的な経済政策の協調を図ることの重要性が合意され,IMFの枠組みによるサーベイランスとともに主要国の間でのサーベイランスが強化されることとなった。また,有用であれば為替市場に介入するとの約束を再確認しつつ,為替レートの安定性の向上を図ることを協調あ進展を図る目的の一つとして明示している。

さらに,86年9月下旬から10月にかけてのIMF・世銀総会時の一連の国際会議においては,85年来の為替レートの調整が対外不均衡是正のため重要な貢献をしつつあり,その完全な効果は今後において益々現われることになろうとされた。そして,このような認識を背景に,対外不均衡の是正のためには,経常収支赤字国における財政赤字の削減と黒字国における内需の伸びの維持とが必要であることが合意された。さらに,こうした努力が為替レートの安定に寄与するとされ,今後は,為替レートの目立った調整なしに経常収支不均衡が是正されるよう努力を行うことについて合意がみられた。

そして,10月31日には,日米両国間の政策協調及び為替の安定等の問題につき,日米蔵相共同声明が発表された。そこでは,両国の政策協調努力を具体的にうたい,為替相場の不安定は安定した経済成長を脅かすおそれがあるとの見解で一致し,昨年9月のプラザ合意以来達成された円とドルとの為替調整は今や現在の基礎的諸条件とおおむね合致するものであるとの相互理解に達し,為替市場の諸問題について協力を続ける意向が再確認されている。同声明では,日米両国の協調行動は東京サミット等においてうたわれた経済政策の協調の重要な一歩であると位置づけられている。

今後とも国際間の協調が一層密接になっていくことが期待され,これが為替相場の安定に資することになろう。