昭和60年

年次世界経済報告

持続的成長への国際協調を求めて

昭和60年12月17日

経済企画庁


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第1章 1985年の世界経済

第1節 景気拡大3年目のアメリカ

1. 成長の鈍化とその原因

82年末に始まった今回の景気拡大期は3年目を終わろうとしている。アメリカの戦後の8回の景気拡大期は平均すれば14.9四半期続き,最も長い5回目と短い8回目を除くと平均13.3四半期続いた(第1-1-1表)。

今回の拡大期は,84年央までの力強い拡大と,その後の成長鈍化という際立った対照がみられる。この鈍化の原因を需要項目別にみると,84年後半については主としで個人消費,住宅投資の鈍化が大きく寄与した。85年に入ってからは在庫調整が進行し,また全期間を通じて純輸出のマイナスが大きく成長率を低下させている(第1-1-2表)。

84年後半の個人消費の成長鈍化は,実質個人可処分所得の鈍化等によるものであった。実質個人可処分所得の伸びは85年に入っても回復していない。しかし,個人消費は85年に入るとむしろ伸びを高めている。これが個人貯蓄率を著しく低下させていることから,その持続性には疑問がある。

(在庫調整の進行)

84年後半以後の時期は,成長鈍化の中でまず在庫の積み上がりがみられ,84年10月以降には在庫調整が進行した。企業の在庫と出荷の関係をみると,85年前半は75年,82年などの典型的な在庫調整の局面に類似している(第1-1-1図)。

もっとも,75年,82年に比較すると各段階とも在庫率は必ずしも高くない(第1-1-2図)。特に製造業の在庫率が低い段階で在庫調整が進行しているのが,今回の在庫投資の動きの特徴である。

こうした点からみれば,今回の動きは景気の山からの在庫積み上がり,そして在庫調整といった動きではない。むしろ77年から78年にかけての出荷・売上げの伸びの緩やかな鈍化に対応した調整に類似した局面にあるとみられる。ただ77年から78年の時期に比較すれば出荷・売上の鈍化幅が大きかった(84年1~3月期の前年同期比16%増から,85年4~6月期には3%増に)ことに対応して,在庫投資もかなり小さくなり,それが成長率を引き下げる効果を持ったとみられる。

したがって,在庫投資の減少は,今回の成長鈍化を引き起こした主な原因ではなく,結果であるといえよう。

(設備投資の鈍化)

85年に入ってから目立ってきた現象として,設備投資の増勢が大幅に鈍化してきたことが指摘できる。

アメリカにおける過去の景気循環をみると,景気の山と設備投資の山は大体一致している(第1-1-3図)。

むろん,48年,52年,67,68年のように景気回復の後半期において,まだ景気の山に達する以前に設備投資が横ばいないし減少に転じた時期はある。したがって,今回の投資の伸びの鈍化をとらえて,直ちに景気循環の下降局面に入りつつあることを示す証拠とすることは出来ない。もっとも67,68年は政府の内外両面における大幅な支出増(ベトナム介入強化と「偉大なる社会」計画),赤字予算の景気刺激効果が景気を下支えしたため,景気循環が現れなかったという見方ができる。こうした政策が今後採用されるとは思えないので,この時期を例外とすれば,設備投資がピークに達して減少を始めた後,それから遅くとも1年後には景気は山に達することになる。

85年に入って設備投資が鈍化した理由は種々考えられるが,最も重要なのは83,84年の設備投資を支えていた稼働率の上昇,収益/コスト比率上昇の両方の要因が,84年の後半に入って急速に弱まったことである(第1-1-4図)。

このことは一方では設備投資の増加に伴って,設備ストック=生産能力の伸び率が次第に上昇してきたこと,それに対して以下で述べるように,ドル高の影響もあって生産の伸びが緩やかとなったことが最も大きく影響している。設備ストックの伸び率は,設備投資がかなり大きくなっているので,今後も高いままにとどまろう。また収益/コスト比率については,ドル安が進行し海外からの競争が緩和するとともに,金利が低下すれば多少の改善が予想される。他面輸入資本財価格のドル安による値上がりはマイナスに作用しよう。

商務省調査によると85年についても1~3月調査以後,最近の調査になるほど計画の伸びは下方に修正されている。85年9,10月時点での民間調査(マグロウヒル社)によれば,86年の企業の設備投資計画は前年比名目で1.0%減,実質では5.4%減となっており,アメリカ企業の設備投資意欲は次第に弱まってきているとみられる(第1-1-3表)。

(堅調な消費支出と低下した貯蓄率)

設備投資と対照的に85年に入ってむしろ堅調さを強めているのが個人消費である。実質個人可処分所得の伸びが85年に入ってから大幅に鈍っているだけに,この消費の堅調は注目される。

消費の内容別に見ると相変わらず高い伸びを示しているのが耐久消費財である。特に7~9月期には,乗用車の販売促進策の効果もあって,前期比実質年率20.5%(速報)と急増し,これだけで当期のGNPを2.2%押し上げた。

このため,消費者信用残高の可処分所得比も急速に上昇している。過去数年6%程度で推移していた個人貯蓄率は85年に入って急速に低下し,7~9月期には2.9%と記録的な低水準になった(第1-1-5図)。

個人可処分所得の伸びの低下は,主として83年から84年前半にかけて高い伸びを示した賃金・俸給所得の伸びが低下してきたためである(第1-1-6図)。

なお,個人可処分所得の伸びが85年4~6月期に一時的に高まっているのは,1~3月期に税の還付が事務的な理由で遅れたことの反動であって,1~3月期と4~6月期の伸びは,ならして見る必要がある。

次に,賃金・俸給所得の伸びが低下した理由を,賃金の動きと雇用者の動きに分けて考えて見よう。

(急速に低下した生産・雇用の増加率)

生産・雇用の動きを見ると84年夏を境に明らかな変化が見られる。生産が鈍化し,製造業の雇用者数の伸びも鈍化し,85年に入ってからはむしろ減少傾向を示すようになった(第1-1-7図)。それまで低下傾向にあった失業率も,84年後半からほとんど横ばいで推移している。

生産鈍化の原因を探るために,産業別の生産の推移をみると,ほとんどの産業がドル高の影響を受けているが,中でも繊維(途上国中心に輸入品との競争が激化),一次金属(世界的な需要の減退,構造的過剰能力),電気機械(ICなどを中心とする不況)などが大きな落ち込みを示している(第1-1-4表)。

これらの中には,電気機械の不振のようにやや一時的な原因があるとみられ,やがて回復の期待されるものもあるが,繊維,一次金属などはかなり構造的な問題点を有しているとみられる。また,全般的に以下で述べるようにドル高の影響を,直接・間接に受けており,こうした状況が今回のアメリカの政策の方向転換をもたらした基本的な原因となっているとみられる。

他方賃金の伸びは,今回の景気拡大期においては比較的低位にとどまった。84年から85年にかけて,景気回復にもかかわらず賃金上昇率はむしろ低下している(第1-1-8図)。これは従来の景気拡大期には見られなかった動きであった。1983年には景気が回復を始めていたにもかかわらず,労組傘下の111万人の労働者が賃金の凍結・切下げを受け入れたが,これは労組傘下にある労働者のうち,同年中に賃金協約を改訂したものの37%にも上っている。

このような変化は,81年から組合員の賃金コストが81年以降上昇率を低下させていること,さらに82年後半からは,非組合員の賃金コストの上昇率をも下回っていることなどに反映されている。明らかに82年ころまで拡大した組合員,非組合員間の賃金格差は,海外からの競争や,非組合員のみを雇用する企業からの競争の結果維持が不可能となり,格差の縮小が起こったのである(第1-1-5表)。さらに不況がこうした変化を加速したことは言うまでもない。しかし85年に入っても契約改訂の際賃金凍結又は引下げを受け入れる組合が相当数に上ったことは,組合の賃上げ闘争に臨む態度がかなり変化したことを意味しよう(85年1~9月期に協約を改定した労働者のうち,1年目に賃金凍結もしくは引下げを受けた者は37%)。

こうした組合の態度の変化のもう一つの現れは,年次賃上げ(AIF:AnnualImprovement Factor)が多くの契約から姿を消したことである。このことは多くの組合が自動的に年3%の実質賃金の上昇を求めることを止め,もっと少ない上昇に甘んじて,雇用を維持しようという考え方に転じたことを意味する。

さらに新規採用者に対しては低い賃金表を適用するという改正も,多くの企業で行われた。さらに,多くの労働規約・慣行が廃止,改正された。この中には利益分配制度の採用も含まれており,これらが,労働生産性の上昇,景気変動に応じた賃金の柔軟な変動に役立つとみられる。しかし,賃金の契約期間の短期化,年次賃上げの廃止などが定着するという明証はないとされている。

こうした変化が,景気の急拡大にもかかわらず賃金上昇率がむしろ低下したことの背景にあった。

最近の傾向をみると,賃金上昇率の鈍化が依然続く中で経済全体としては非製造業部門で就業者数の増加が続いているため,雇用はまだ増大している。しかし雇用の伸びが鈍化し,賃金の伸びが低いままであれば,賃金・俸給所得の伸びは低いままにとどまり,やがて個人消費の伸びにも影響が及んでくることが懸念される。

(成長率引下げ要因としての純輸出)

純輸出は,今回の景気回復が始まって以来ほとんど一貫して成長率の引下げ要因となっていた。しかし,その影響が生産などに明確に現れるようになったのは,国内需要の伸びが鈍化した84年後半以降であった。

83年と84年を比較して大きく違う点は,83年のマイナスが82年に続き,かなりの程度輸出の減少によるものであるのに対し,84年には輸出は増加したものの,輸入の増加が大きくそれが成長を引き下げる要因として働いたことである。

これは84年のアメリカの成長率が6.8%と高かったことによるものと思われる。

この点を貿易統計によってみてみよう。通関輸出(名目)は82年に9.2%,83年に5.5%それぞれ前年比減となった。両年の減少に対する地域別の寄与率は中南米向けが82年に41%,83年に66%であり,EC向けが82年に21%,83年に31%でこの2地域向けの減少が大きかった(第1-1-6表)。

これに対し84年には世界景気の回復もあって輸出は前年比8.7%増加したが,輸入が26,4%増と急増したため,通関収支は大幅に悪化した。輸入増に対する各地域の寄与は日本が24%,ECが20%,中南米が10%と,各地域ともほぼ同様に伸びている。

さらに85年に入ると,アメリカの輸出は再び低迷した。また輸入もアメリカの国内需要の鈍化を反映して伸び悩んだ。しがし,上期の経常収支赤字は一層拡大した。さすがに7~9月期には輸入の増加も一段落し,純輸出滅少の成長率引下げ効果も小幅になった。しかし80年から引き続いたドル高は,輸出及び輸入の両面においてアメリカの赤字増加に大きく貢献した(第1-1-9図)。

財別にみると83,84年はあらゆる分野で収支の悪化がみられた。特に消費財分野での貿易収支の悪化は顕著であり,またアメリカが比較優位を有するとみられる食料の分野でも,ドル高による貿易収支の悪化がみられた(第1-1-10図)。

(落ち着きみせる物価)

こうした中で景気拡大3年目になったにもかかわらず,物価は依然安定していた。

今回の物価安定に最も貢献したのは賃金安定と,生産性の上昇であった。景気拡大が続き,生産性が上昇した。またドル高で輸入品価格が低下しがつ輸入の急増からそのウェイトも増加したこと,一次産品市況も軟調であったことが物価の安定に貢献した(第1-1-11図)。

さらに経常収支赤字が輸入の急増で急激に拡大したにもかかわらず,ドルが一層高くなったことが,こうした長期の景気拡大と物価安定を両立させる上に役立った。

物価上昇とそれに対処するための金融引締めが,過去において景気の下方転換をもたらす有力な契機となったことを考えると,こうした物価の安定は景気の持続的拡大を維持する上で有利であろう。今後ドルは緩やかに下落することが望ましいが,それが物価の安定を害することのないように,特に注意する必要がある。その意味でも金利の低下が金融緩和によるよりは,財政赤字の削減によってもたらされることが望まれる。

以上,84年後半以降のアメリカの成長鈍化の要因をみると,まず不況の反動として急増した消費などが鈍化し,これにドル高の影響が加わった。そのため生産が鈍化し,稼働率が上昇しなくなったり,所得が伸び悩むなどの現象がみられた。そのため設備投資も鈍化した。さらに在庫投資の変動がこうした最終需要や生産の動きを増幅した。

これは,今回の回復を支えた要因のうち,回復直前の不況が長く,かつ谷も深かったということの反動が,まず消失したことを示している。また81年の減税や82年後半の金融緩和の効果も,ほぼ完全に消滅したと考えられる。

しかし物価の安定や,70年代後半以降増加してきた研究開発投資が生産性を押し上げる力は,まだ失われていない。また耐久消費財に対する需要も健在である。アメリカはもともと耐久消費財に対する支出の,家計支出全体に占める比率が高い国である。日本とアメリカの家計貯蓄率の差の一つの大きな理由はアメリカの耐久消費財支出(耐久消費財は将来数期間にわたり消費が行われるという点で,将来の消費のために行われる貯蓄と類似している)比率が高いことに求められ,この修正を行うなら,日米の消費性向には大きな差はないとの見方もある。その意味では,アメリカの貯蓄率の低さ自体は必ずしもアメリカ経済に対する懸念材料とは考えられない。

こうした点や,さらに第2章でみるようにアメリカの技術力が日本やヨーロッパに比して劣っているとは考えられないことなどから,中期的にみれば,アメリカ経済の将来を心配をする必要は少ないとみられる。しかし,当面企業の設備投資マインドは弱まっており,今後金利の低下,ドル高修正などで多少の回復は予想されるが,86年の投資は比較的低い伸びにとどまろう。また,個人消費についても個人所得の伸びの鈍化等により,伸びが鈍化するとみられる等懸念材料もない訳ではない。さらに,ドル急落などの事態となれば,そのアメリカ経済及び世界経済に及ぼす悪影響は小さくなく,為替レートの先行きには注目を要しよう。

2. 高金利・ドル高とその影響

アメリカの79年末以降の高金利は,当初は主に金融引締めにより,82年央以降については主に国内貯蓄・投資バランスのひっ迫により発生した。このような貯蓄・投資バランスのひっ迫の原因としては,財政赤字の拡大に加え,インフレの鎮靜化,投資の期待収益率や期待所得増加率の上昇等,アメリカ経済の基礎的諸条件が改善してきたことが影響していると考えられる。

(高金利をもたらした資金需給のひっ迫)

アメリカの貯蓄・投資バランスに対して影響を及ぼしたのは,まず財政赤字の拡大であった。もっとも,政府貯蓄が滅少(政府赤字が拡大)すると,民間貯蓄が増加するという関係が成立しており,減税による財政赤字拡大分の約半分は個人貯蓄に回ったと試算される(昭和59年度年次世界経済報告参照)。しかし,財政赤字の拡大は82年以降の国内貯蓄・投資バランスひっ迫の主要因であることに変わりはなく,この傾向は84年には一時やや弱まったものの,85年4~6月期以降再び強まっている。

第2の要因は個人貯蓄率の低下である。84年にやや高まった個人貯蓄率は85年に入ってから低下した。これが貯蓄・投資バランスをひっ迫させた一つの原因である。

第3の要因は,70年代後半以降の研究開発の盛り上がり等に伴う投資の期待収益率の上昇と,それによる設備投資の増加である。こうした設備投資の増加が84年の貯蓄・投資バランスのひっ迫の要因であった。

しかし,85年に入ってからは,先に述べたように企業部門の投資超過幅は縮小している。これは設備投資の鈍化,在庫投資の減少によるものである(第1-1-12図)。

こうした動きはあるものの,全体としてみたアメリカ経済の国内投資超過幅(国内貯蓄・投資バランスの投資超過額は経常収支赤字額に対応する)は,84年,85年と拡大を続けた。さすがに,85年に入ってからはドル高はアメリカ経済にとって問題であるとの意識が次第に強くなり,また物価も安定していたので金融当局は金融政策を比較的緩やかに運営した。広義マネーサプライ(M2,M3)が落着いた推移を示したことや景気に対する配慮もあって,マネーサプライ(Ml)は目標圏を大幅に上回って推移したが,当局はこれを容認した。また財政赤字の増大にもかかわらず,金利は安定的に推移し,実質金利でみれば84年後半以後の緩やかな低下傾向が持続された。ドル高も春以降緩やかに修正されたが,資本の流入・債務の増加(定義上恒等的に経常収支の赤字に対応する)があまりに大幅であったため,アメリカの対外純債権は急速に減少した。

(アメリカの純債務国化)

アメリカ政府の公式統計によれば,82年末に1,470億ドル(GNP比4.8%)の対外純債権が存在した。対外債権・債務額がいくらであるかを正確に決定することはほとんど不可能である。アメリカ政府の統計は対外債権のうち対外投資分は投資時の価格で評価されている。また保有金は1オンス42.22ドルの価格で評価されている。こうした点からみて,アメリカの対外純債権はかなり過小評価されているとみられる。

しかし,ともかく84年末には純債権額は282億ドルに縮小したと発表されており,これを正しいとすれば,85年1~3月期,4~6月期の経常収支の赤字がそれぞれ303億ドル,318億ドルであったことから見ても,4~6月期中に純債権がマイナスになったことになる。

このような変化の起こった原因はいくつか考えられるが,資本移動の面からみればアメリカの銀行が発展途上国などへの貸出しに慎重となるとともに,国内で増大する資金需要に対し,外国からの融資受入れを増加させたことが大きく寄与している(第1-1-7表)。また対米向けに海外からの直接投資が増加したことも目立つ。

このような純債務国化という見方については,統計上にも少なからぬ問題がある。それがアメリカの国際流動性の不足を来たすということは,ドルが基軸通貨であるだけに考えられない。しかし,年1,000億1ドルを超える巨額の債務増が続けば,その結果は投資収益(この部分ではアメリカは伝統的に大きな黒字を出していた)の大幅な悪化につながり,それが経常収支の赤字を一層増大させることは明白であろう。その意味でも経常収支の改善はアメリカにとって急務であるといえよう。

(高金利・ドル高の国際的影響)

高金利・ドル高が発展途上国,特に累積債務国にとって利払い額の増大,債務の実質的増大などの形で大きな負担となっていることは,いうまでもない。

他方ドル高は,アメリカの景気拡大とも相まって他国からアメリカに向けての輸出を急増させ,各国の景気を浮揚させた(第1-1-8表,第1-1-9表,第1-1-10表)。しかし,同時に,これが各国の黒字増,アメリカの赤字増という形で貿易摩擦を激化させ,またアメリカの工業生産の伸びを鈍化させ,結局その後の成長鈍化の原因となったことを考えれば,そのプラス面をあまり大きく評価することもできないかもしれない。

さらに高金利は,アメリカ以外の各国の政策の自由度を制約した。アメリカの高金利は自国内で発生したものであるのに対し,他の先進主要国のそれは,アメリカからの波及という面を強く持つ。国内の実質金利を下げようとすれば交易条件が悪化せざるを得ず,インフレの再燃又は加速が懸念されたり,貿易黒字の拡大による貿易摩擦の激化が懸念される。このため,各国政府は,自国通貨の対ドル価値の低下を防止するために引締め気味の金融政策を採らざるを得なかった。これが各国の国内金利を高止まりさせ,内需の拡大に対する足かせとして作用した面がある(第1-1-13図)。

ドル高が85年2月以降次第に修正されたのに応じ,ドイツなどを中心に金利を下げようとする動きがみられた。これは各国が何とかして高金利・ドル高の制約から逃がれようと努力したことを示している。

(高金利・ドル高修正の動き)

ドルの実効レートは85年2月25日に史上最高(1980~82年=100として140.9)を記録した。

しかし,その後低下傾向に転じ,多少の変動を繰り返しながらも,11月14日までに約16.7%下落を示した。このように年初来ドル高が修正される方向に向かった要因としては,①アメリカの景気拡大速度の低下,②アメリカの金利低下による外国との金利格差の縮小,③国際的協調行動が挙げられる(第1-1一14図)。

85年1月17日のワシントンにおける5か国蔵相・中央銀行総裁会議で国際的な協調行動に関するウィリアムズバーグ・サミットでの合意が再確認されたこと,アメリカの成長率の鈍化及び金利の低下等により,ドル高は2月下旬をピークとしてそれ以降是正に向かった。さらに,5月末の公定歩合引下げも大きな役割を果たした。この引下げは単に市場金利に追随しただけではなく,ドル高による輸入の増加のため生産が伸び悩んでいることを背景に採られた政策であった点から注目すべき引下げであった。

こうした緩やかなドルの低下を更に加速させたのが,9月下旬のニューヨークでの5か国蔵相・中央銀行総裁会議であった。ここでは,為替レートは各国の基礎的条件をよりよく反映するものであるべきだとする見解の下で,主要国通貨の対ドル相場の秩序ある上昇が望ましい,とする合意が出された。これを受けて各国は協調行動を行い,ドルは大きく低下した。

これまでの経験は,ドル高修正を定着させるためには,基礎的条件の改善が必要であることを示唆している。これまで行われた国際会議で合意されたように,9月下旬以降のドル高修正局面を定着させるためには,各国の財政・金融・貿易等様々な分野における協調的政策等の実施が必要であるといえよう。特にアメリカにおける財政赤字の削減のための一層の努力が求められる。

3. 政策転換の動き

(必要性の認識)

レーガン政権が1981年2月に発表した「経済再生計画」は,(1)連邦支出の増加率の抑制,(2)大規模減税の実施,(3)政府規制の緩和,(4)安定的な金融政策の四本柱から成っていた。しかし,その後の推移をみると,連邦支出の抑制は,国防費の増加もあって必ずしも計画どおりには進まなかった。減税,規制の緩和等は実施に移された。投資減税等は資本コストを低下させる1つの要因となり,これを通じてそれ自体は設備投資の増加をもたらす方向に作用したとみられる。ただ,こうした企業減税は財政赤字の拡大を通じ,資本コストの上昇の一因となって,この面からは設備投資にマイナスの影響を及ぼしたことには留意する必要がある。その後82年,83年に急速に拡大する財政赤字に対処するため,一部減税措置の取りやめ,間接税の増税,社会保障税の引上げが行われ,83年以後に導入された税制改正については純増税になっている(第1-1-11表)が,貯蓄・投資の促進という考え方から,個人所得税率の引下げ,早期投下資本回収制度は維持されていた。しかし,減税のねらいとする貯蓄の促進という点から見ると,大きな成果があったとは考えにくい。歳出,歳入面の以上のような動きから,財政赤字は大幅に拡大した。

安定的な金融政策は,マネーサプライの伸びを安定的,抑制的に調節することを主体とするものであり,これが79年以降の高金利を生んだが,インフレの抑制には貢献したとみられる。もっとも金融政策のスタンスは82年後半からやや変化している。

以上のように,レーガン政権の政策は,意図したというよりは,結果的に,金融を引締め気味に,財政を景気刺激的に運用することになったとみられる。

それがともかくスタグフレーションを終息させたことは認められようが,同時に大幅なドル高を生み,双子の赤字を悪化させたことも疑いない。

しかし,景気拡大の速度が鈍化するまでは,こうした弊害は十分認識されなかった。ドル高による輸入増は生産をそれほど鈍化させず,かえって物価を安定させ,また,高金利も期待収益率が高く,設備投資が伸びている間は,その悪影響は顕在化はしなかったことによる。

しかし,84年後半以降成長が鈍化するとともに,その弊害が次第に強く意識されるようになった。特に大きな問題は,ドル高による内需の蚕食が目立ち始め,成長が鈍化するとともに貿易摩擦問題が激化してきたことであった。さらに,資本の流入による純債務国化からアメリカ経済の先行き不安ということさえ問題とされるに至った。

その結果,金融緩和の進展が図られ,財政赤字削減のための努力の強化が必要と認識されるなど経済政策全般の見直しが図られることになった。

(拡大する財政赤字と赤字縮小策)

85財政年度(84年10月~85年9月)の連邦財政赤字は2,119億ドルと史上最大となり,レーガン政権発足前の80年度に比較して1,381億ドル増加した。一方,81年度以降レーガン政権の実施した減税による減収額は85年度1,064億ドルに達している(前掲第1-1-11表)。もちろん減税が景気拡大効果を通じて一定の増収効果を持ったことは考えられるので正確な比較は不可能だが,これは赤字増の約77%にも上る大きな赤字増要因であった。

歳出増に大きく寄与したのは国防費と社会保障・医療保険費であった。同じ期間に両者はそれぞれ1,147億ドル(85.6%増)及び1,045億ドル(69.3%増)増加した。86年度予算についても大統領及び共和党の考えた社会保障費の削減は,議会特に民主党の優勢な下院の考え方と対立し,他方,国防費の削減については大統領が消極的であったため,歳出の削減は進まなかった。しかし,85年8月の第1次予算決議においてようやく,(1)86年度に財政赤字を555億ドル削減する,(2)国防費は権限ベースで実質伸び率ゼロ,支出ベースで名目7.1%増とする,(3)社会保障年金等については物価スライドを認める,との合意がなされた。このような削減は審議当時の法制度を変更しない場合の赤字(いわゆるベースライン赤字)に対する削減予想額であり,ベースライン赤字の額は86年度の経済情勢に大きく左右される。また,歳出総額を設定する予算決議とは一応切り離された形で個々の歳出予算法案が審議・決定されるため,このような削減が本当に実現するかどうかも不確実である。現に85年度の場合にも農産物価格支持,失業給付金などの支出は予算を上回り,国防費での節約にもかかわらず歳出実績見込みは予算決議の際の歳出予算を152億ドル上回っている(第1-1-12表)。したがって86年度の実際の赤字額がいくらになるがについては,まだ不確定な要因が多い。

しかし,政府,議会とも財政赤字削減の重要性については認識しており,レーガン大統領も国防費の増加について,予算教書で示した実質5.9%増から大幅な譲歩をみせているなど,財政赤字削減に向かっての努力がみられ,その成果が期待される。

(税制改革案)

レーガン大統領は,5月末「成長・公正及び簡素化を目指した税制改革案」を議会に提出した。同案はレーガン大統領の84年年頭教書の指示により,財務省が作成,84年11月に大統領に提出した財務省案をやや現実的にしたものであるが,その考え方は大筋では変化していない。

税制改正の目的は,現行税制が公正でなく,複雑すぎて,成長阻害的である,との見地から,(1)個人所得税については,従来の14段階の税率区分を3段階の比例税率に近い構造に改める一方,古くからある65種以上の所得控除や税額控除を制限,縮小,廃止することで簡素化,課税ベースの拡大を図り,いわゆる包括的所得課税に近づこうという努力がみられる,(2)他方,こうした改正によって全体的には増減収はなく,所得階層別の税負担の配分も基本的には変更しない,(3)法人税については,投資減税を廃止し,産業優遇税制や81年法で導入した早期投下資本回収制度も大幅に縮減するなど,サプライサイダー的見地に立った81年法をかなり修正しようと試みている(第1-1-13表)。

このような優遇制度を廃止し,限界税率を下げることよって,税による資源配分の歪みが是正されることが期待されている。大統領経済諮問委員会によれば,こうした効果によって今後10年間に約390万人の雇用が創出され,成長率も2.5%~3.2%ポイント高まると試算されている。

もっとも,法人税負担が高まり,特に投資優遇税制が廃止,縮小されることから,産業界を中心に厳しい反対意見が出ている。また個人所得税について,従来認められていた項目別所得控除の一部(州税,地方税は連邦税算定の際所得から控除される)を認めないこととなっているため,地方政府などからの不満も強い。こうしたことから議会での審議が続いており,85年中の成立は難しい情勢となっている。

(高金利・ドル高の修正,新通商政策の発表)

84年後半にアメリカの景気拡大速度が鈍化したのを受けて,84年11月以降公定歩合は0.5%ずつ3回(84年11,12月,85年5月)引き下げられた。特に85年5月の引下げは市場金利誘導,成長率低下への配慮もあったとみられ,前2回の引下げが市場金利追認的に行われたのと対照的であった。

その後公定歩合は引き下げられていないが,マネーサプライが目標以上に増加してもこれを容認していること,金利も低下していることなど,金融緩和には一層の進展がみられる(第1-1-15図)。

こうした変化は,9月22日の主要5か国蔵相・中央銀行総裁会議の結果,更に強まっているとみられる。さらに,同会議でドル高修正のための協調介入が決定されたことは,アメリカ当局がドル高修正が必要であるとの考えを固め,行動に出たものであるとの評価ができよう。これは従来のドル高容認から大幅に方向を転換したものである。

さらに議会で民主党議員を中心に高まりつつあった保護貿易主義を抑えるため,レーガン大統領は9月23日に通商政策に関する行動計画を発表した。この計画は,3億ドルの基金設立によるプラント輸出の促進(総額約10億ドルの混合借款を供与)以外には,ほとんど具体的施策は含まれていない。しかし,自由かつ公正な貿易の推進を世界に宣言したこと,ドル高修正の必要性を認め,前田こ行われた5か国蔵相・中央銀行総裁会議の合意の実施を宣言したこと,などの意味を持つものであった。

しかし,アメリカにとっては異例に属するこうした計画が出されたことは,アメリカでの保護主義の強さとその背景にある輸入の激増の影響が大きかったことを示している。行動計画は,むしろ今後への課題を残すものである。今後の2国間,多国間の交渉や,知的所有権保護の強化が実を結ぶまでに解決されるべき問題も多い。計画の柱の一つとなっている1974年通商法301条の適用は,保護主義的色彩を持つ可能性もある。そうした意味からも,計画に基づく輸出の増大のためには,ドル高修正や財政赤字の削減が前提とならざるを得ないであろう。

以上のように,今回の政策転換は全体として金融を緩和方向に動かすとともに,財政赤字削減の強化を目指すなど経済政策全般の見直しを図るものとみられる。こうした動きは既に効を奏して,ドル高は修正されつつある。問題は金融引締めという政策の持ったインフレ鎮静効果である。これが消滅してアメリ力経済が再びインフレ的傾向を示すようになれば,大きな犠牲を払って得られた物価安定は無に帰し,世界経済は再びインフレの荒波の中に漂うこととなる可能性もある。そうした意味からも,ドル高の修正,金利の低下がアメリカの財政赤字の縮小を通じて実現されることが何より望まれる。