昭和59年

年次世界経済報告

拡大するアメリカ経済と高金利下の世界経済

経済企画庁


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第1章 1984年の世界経済

第6節 比較的好調な共産圏経済

1. 中国経済の「近代化」

中国では1979年以降,農業では生産責任制を導入し,工業では企業利潤をすべて国家へ上納する制度から,部分的な納税制度等へ移行する等の改革が進められてきた。現在,中国経済は良好なパフォーマンスを示しており,改革の方向が正しいことが再確認され,更に推進されようとしている。

以下,83年,84年の中国経済を概観し,79年以降,農業面,工業面で進められてきた改革が更に推進されようとしている状況を見てみる。

(1) 中国経済の現況

83年は第6次5か年計画執行の3年目であったが,工農業総生産額及び食糧,綿花,石炭,鉄銅など主要生産品の生産量は,同計画の85年時目標を2年早く達成した(第1-6-1表)。79年以降,生産量リンク生産責任制を実施し,農業生産物買い上げ価格を引き上げたこと等により,農業生産は大幅な増加が続いた。84年も夏季収穫食糧(冬小麦中心で年間食糧生産の2割を占める)と早稲収穫量が昨年に比べ750万トン増加し,秋季収穫作物も前年並みとみられる等,年間食糧生産は前年を上回り4億トン前後に達すると見込まれている。

工業は調整強化により伸びが鈍化した81年を除き,高い伸びを持続している。82年から急速に回復した重工業の急成長のため,83年上期は軽工業とのアンバランスが懸念されたが,軽工業が下期に伸び,83年全体ではバランスのとれた成長を示した。この状態は84年に入っても続き,軽工業と重工業の生産は1~9月前年同期比各々12.0%,12.9%増となっている。

83年には基本建設投資の規模の抑制は成果を収めたと評価されている。重点建設が強化され,従来からのボトルネックであるエネルギー産業,輸送・郵便電信部門への投資の基本建設投資総額に占める比率が増加した(各々前年の18.3%から21.3%,10.3%から13.1%に上昇)。

工農業生産の発展,経済効率の改善につれ財政収支も好転してきた。79年,80年と財政収入が前年を下回る状況が続いたが,81年からこの傾向は是正され,83年には依然赤字は計上したものの,財政収支の基本的均衡という目標は達成されたと評価されている(第1-6-2表)。84年に入ってからの財政収入の増加は急速であり,1~9月で前年同期に比べ約20%増となった。これは主に国営企業の欠損額の減少,利潤の増加による。84年予算では財政収入は第6次5か年計画の85年時目標収入額を上回ると見込まれ,最近財政赤字は急速に減少しているとみられる。

(2) 経済面の改革

(農村での改革)

農業では79年以降,一連の改革が行われてきた。共産党中央委員会は83年1月に「当面の農村経済政策の若干の問題」という改善案を発表,実行した。その成果を認め,上記改革案に基づき84年1月1日に中国共産党中央委員会の1984年農村工作に関する通達」を出した(全文が公表されたのは611日)。これは生産責任制の安定化と完成の下に,生産力の水準を高め,流通経路を改善し,商品生産を発展させることを,84年の農村工作の重点としている(第1-6-3表)。

(都市を中心とする経済体制の改革)

農村の5年にわたる改革の成果が認められ更に推進される一方で,農村経済の発展に都市の経済が遅れ気味であると判断され,84年には都市の経済体制改革に力を入れることになった。84年5月15日から17日間にわたって開かれた第6期全国人民代表大会第2回会議で,趙首相は「政府活動報告」で都市経済体制の方向を「都市の改革もテンポを速めるべきで,国と企業との関係,企業と従業員との関係を解決することから手をそめ,当面の状況に合致した各種改革措置をさしあたって体系化していき,それと同時に行っていくべきである」と示した。

都市経済体制改革の第1は企業と国家の分配関係の変更,企業の自主権の拡大・活性化である。

国務院は5月11日に国営工業企業の自主権を一段と拡大することについての暫定規定」を公布した(第1-6-4表)。これにより国家は,企業にインセンティブを与え,経済を活性化させ,企業の水準・経済効率を向上させることを目的としている。また,工場長の責任の範囲が大幅に広がり,党は原則として経営には介入しないことになった。

税制の面からも改革を行った。これまで中国では基本的には利潤は国家に上納,資金は国家が支出という体制を採っていたが,この方法がもたらす非効率性を是正するため,79年から一定比率の利潤留保,上納利潤請負などの方法を採り,さらに83年6月から利潤上納と納税を併存させるという第一段階の改革を試行してきた。その結果,改革により企業の収益が上がり,財政収入の増加に結び付くという成果が認められたため,84年10月より更に改革を進め,全面的に納税制へ移行することになった。国務院は84年9月に財務省の「国営企業納税制移行第二段階試行規則」を承認し,通達した。この改革では,単純過ぎるとされていた工商税を納税対象により,製品税,付加価値税,塩税,営業税に細分し,第一段階で設置した所得税,調節税に税率などの面で改善を加えた。この改革により,①企業と国家の分配関係が法で確定されるので,経済の発展に伴い財政収入が着実に増える,②企業は収益増加のため経営管理を改善し,経済効率を高めようとするインセンティブが強まる,③租税の調節作用により,当面の不合理な価格体系による矛盾が緩和される,④企業は行政上の従属関係から利潤を上納するということがなくなり,経済関係を合理的に解決するのに役立つ,等の効果が期待される(前出「政府活動報告」)。

第2に,建設業・基本建設の改革がある。投資請負制と入札請負制を推進し,工期の短縮,工費の引下げ,工事の質の向上を目的としている。

第3に,農村・都市部にわたる流通体制の改革が進められている。現在,中国では農産物が豊作であっても都市部への流通経路が不備であり,国が買い上げた作物を収める倉庫が不足し,一方工業製品の農村での購入が困難であるなどの状況がみられる。そこで,これまでの行政地区別,行政段階別の統一買い付け・供給の流通体制を,開放的で,流通経路が多く,段階が少ない流通体制に初り替えることを目的としている。具体的には,①農業・副業生産物の買い付けでの自由化範囲を拡大,②農村の購買販売共同組合を民主化し柔軟な行動を行わせる,③卸売商業と物資供給の体制改革,④国営小規模商業での請負制・リースの導入と大・中規模商業での経済責任制の推進,⑤対外貿易体制の改革,などを推進している。

10月20日に共産党第12期中央委員会第3回総会が開かれ,10項目にわたる「経済体制改革に関する中国共産党中央委員会の決定」が採択された。同決定は「都市を重点とする経済体制全般の改革について,その必要性,緊急性を明らかにし,改革の方向,性格,任務および基本的な諸方針・政策を規定しており,中国の経済体制改革を導く綱領的文書である」とされている。今まで試行されてきた諸改革をまとめ,更に進めたものとなっており,市場メカニズムの重視,企業に対する行政的管理と経営の分離等の自由化が図られる一方,現在の不合理な価格体系の改革の必要性も挙げられており,今次決定の成否を握る最大の問題とみられている。

(対外開放)

中国では80年に広東省の深馴,珠海,汕頭の三市と福建省厦門市に,一定の区域を設定し,経済特区とした。これらの地域では,整地工事や,生産のための給水,排水,電力供給,道路,埠頭,倉庫などの公共施設を中国単独又は外資と合作で整備するほか,低率の企業所得税・原材料の輸入関税免除等の特別措置が採られ,外国企業を合弁,合作又は100%外資等の形態で誘致し,積極的に外資を受け入れるとされている。こうすることにより外国の先進技術を導入でき,また,ここで作られた製品を外国に輸出することで外貨を獲得することがねらいとされた。これらの地域では他地域に比べ,技術水準が高く,職員の報酬も高く設定されており,経済活性化の影響を受け農民の収入も多くなっている(第1-6-5表)。特に外資の進出が活発なのは深しん特区であるが,この地域が香港に隣接していることなどから,香港資本の進出が多い。

この特区での成果を踏まえ,84年3月下旬に「沿海都市座談会」が開かれ,比較的条件の整っている14の沿海港湾都市を指定し,開発区とすることが決まった。これらの都市では財政省の認可を経た企業は企業所得税を特区並の15%(他地域での外国企業所得税は33%)とする,輸出用製品の原材料輸入関税及び輸出関税を免除する等の優遇措置を採り外資の導入を推し進めていくことになった。経済特区,14の開発都市及び経済特区並の扱いを受けることになった海南島を対外開放の端緒とし,当該地区の経済発展のテンポを速めるだけでなく,先進技術の導入,科学的管理技術の普及,経済情報伝達,人材の育成・提供などの面で,内陸部を支援,先導することを国家のでは目標としている。

対外開放が進む中で,外国企業の投資を促進するため,経済関係の法規も順次整備されている。79年以降,『中外合資経営企業法』『中外合資企業所得税法』『外国企業所得税法』『個人所得税法』『特許法』『商標法』及びこれうに関する行政的法規を制定した。また,特区,開発都市については,それぞれの地域で独自に関係諸規定の整備が行われている。

(3) 問題点と第7次5か年計画の展望

このように中国は,比較的良好なパフォーマンスを示してきたわけであるが,依然問題を持っている。

第1は経済効率の低いことである。改善の方向に向かいつつあるとはされているが,目標にはいまだ達していない。この点は84年の一連の改革がどのような効果を収めるか,及びその結果に対する今後の対応にかかっていると言えるであろう。特にエネルギー消費の効率化は不自然に低く抑えられている現在の価格体系との関連もあり,難しいといえよう。現在,農村部ではエネルギーの大部分(80年時点で約80%)が焚木・わら類で賄われているとされる。農村経済が発展するにつれ,エネルギー需要が増大し,供給不足の状態が出てくると予想される。需給関係に見合ったエネルギー価格の設定が今後の問題となるであろう。また,農業生産物が全国的にみれば供給過剰ではないが,農村部では過剰となり,保存・販売に苦慮するという状況も出てきており,工業製品についても自由市場に向ける部分の増産に見合う原材料の調達をどうするかなどの問題がある。このような生産力の増大に見合った流通面の整備,効率化も必要とされている。

第2に,過去に財政赤字補てんのため,貨幣を増発したが,この傾向が現在も続いていると指摘されている。

第3に今後更に経済発展・近代化を推進していくための資金の問題がある。現在,ボトル・ネックとされているエネルギー・輸送部門等を増強して問題を解決するためには多くの資金が必要となる。中国は現在,世銀,第二世銀などの国際機関,日本を始めとする各国政府から借り入れ,また,外国からの直接投資も急増しているが,今後これらをいかに活用していくかが注目される。

現在,中国では第7次5か年計画(1986年から1990年まで)を策定中である。第7次5か年計画の「主要な任務は国民経済の持続的な安定成長を保持し,国民生活を更に改善することを保証し,また,この後10年の経済振興のために基礎を整え,条件を作ることである(国家計画委員会主任)」としている。これにより西暦2000年までの工農業総生産額4倍増(1980年比)の達成を確実にしようとしている。具体的には①農業の振興,②エネルギー,交通,原材料工業への投資増加と建設規模の拡大,③科学技術振興による既存企業の段階的な技術改善,④経済体制改革の継続と対外開放に基づく経済技術交流の積極的推進,⑤消費財生産の重視による民生向上,が中心となるとされている。③に関しては,資金・時間をより有効に利用するため,新しく企業を興すよりも,既存企業を生かしてその技術水準を高め,改造・拡張を重点とすることとなっている。そしてこの面での日本からの協力が期待されている。

2. 改善進むソ連・東欧経済

ソ連・東欧経済は,70年代後半から内的には経済の非効率,技術革新の遅れ等の要因により,一方外的には世界経済の停滞等の要因により大きな落ち込みをみせたが,83年には各国とも経済調整の進展に伴ってやや改善の傾向がみられた。

ソ連・東欧経済の改善基調は,84年に入っても継続しているものとみられる。しかし,ソ連の穀物,原油生産等は低迷している。以下では,83年,84年のソ連・東欧の経済情勢を概観した後,現在ソ連の抱える問題に触れる。

次に,東西経済関係の推移とソ連の経済改革をみることとする。

(1) ソ連・東欧経済の現況

(1983年の経済情勢)

83年のソ連・東欧経済は最悪期を脱し,改善の傾向を示した。特にポーランドにおいては81年,82年の大幅なマイナス成長からプラス成長へと転じた。

ソ連では,83年の経済はアンドロポフ体制の下に経済監視体制の強化,流通面でのあい路の緩和,さらに投資の増加等により,総じて改善の動きを示した。

支出国民所得は,83年計画前年比3.3%増に対して83年実績同3.1%増とわずかに計画目標に及ばなかった。しかし,工業総生産は5年振りに83年計画同3.2%増に対して実績同4.0%増と計画目標を上回った。一方農業総生産は,83年計画同10.5%増に比べ実績同5.0%増と計画目標を下回った。穀物生産は比較的天候にに恵まれたこともあってやや回復を示した(84年2月のチエルネンコ書記長の演説によれば1.9億トン台)。しかしながら,ソ連の穀物生産は過去5年間天候不順,異常気象といった理由で計画目標を大幅に下回っている。

東欧コメコン諸国(東ドイツ,ポーランド,チェコスロバキア,ハンガリー,ルーマニア,ブルガリアの6か国)では,70年代末から経済は停滞していたが,83年にはやや回復を示した。

東欧諸国の生産国民所得の伸びは,ルーマニア,ブルガリアを除く4カ国において83年計画目標を達成した。ポーランドでは,81年,82年に前年比各々13%減,8%減と2年連続して大幅なマイナスを記録したが,83年には政情の安定化に伴い前年比で4~5%増(同計画同2~2.5%増)と計画目標を上回る回復を示した。また,計画目標を達成できなかったルーマニア,ブルガリアも各々前年比3.4%増,同3.0%増と比較的堅調な伸びは示した。

東欧諸国の工業は,東ドイツ,ポーランド,チェコスロバキアで工業総生産の83年計画目標を達成しており,他の諸国もやや計画目標を下回った程度で大幅な後退を示した国はみられない。なかでも東ドイツは他の東欧諸国が低迷した間も着実な成長を示しており,注目される。一方農業では干ばつの影響により,東ドイツ,ハンガリー,ルーマニア,ブルガリアにおいて生産減となった。東欧諸国で計画目標が達成されたのはポーランドのみであった。

東欧諸国の対外取引面をみると,累積債務問題から依然として輸入抑制・輸出促進政策が採られているため貿易収支は改善し,対外ポジションは好転した。

(1984年の経済情勢)

84年のソ連・東欧経済は,83年に引き続き改善傾向にある。各国とも84年計画目標作成時に83年の実績を重視し,ルーマニアを除いて前年計画よりは高いが全般的にやや控え目の目標を設定した。こうしたこともあって84年のソ連・東欧経済は,ソ連の穀物・原油生産を除きおおむね計画目標に近い伸び率で推移しているものとみられる。

第1-6-6表 ソ連・東欧諸国の主要経済指標の推移

ソ連の工業総生産は,工業での労働生産性が計画目標を上回る上昇を示し,年初より順調な伸びとなっている。1~9月期の前年同期比は,4.1%増と年計画目標(前年比3.8%増)を上回っている。工業総生産増加の9割以上は労働生産性の上昇によるものである。

東欧諸国の工業総生産も,総じて計画目標に近い伸び率を示し,経済の改善は進展しているものとみられる。東ドイツは,84年1~6月の生産国民所得(前年同期比5.1%増),工業総生産(同3.8%増)とも年計画目標を上回った。また,ポーランド,チェコスロバキア,ハンガリーでも工業総生産は年計画を上回る伸びを示している。一方,ルーマニア,ブルガリアの工業総生産の伸びは年計画をやや下回っている。

農業面では,ソ連の穀倉地域で天候不順,一部地域で異常気象が報告され,6年連続の不作が予測される。畜産は順調な生産の伸びがみられるものの,ソ連経済の弱点ともいわれる農業は,多大な投資にもかかわらず依然として改善されていない。この結果,84~85年度の穀物輸入は5,000万トンに上ると見込まれている(米農務省10月発表によれば穀物生産は1億7,000万トン,年計画は2億3,900万トン)。

東欧諸国の農業は比較的天候に恵まれ,ポーランド,ブルガリア等において前年に比べ良好な収穫が予想されている。

(ソ連の原油生産の停滞)

ソ連の原油生産は,84年年初から前年を下回る水準で推移している。

第1-6-1図はソ連の原油生産の推移を示したものである。60年代,70年代を通じて順調に生産を伸ばしてきた原油生産も80年代に入って傾向的に伸びに低下がみられる。84年1~9月の原油生産は前年同期比で0.4%減となっており,年計画目標を達成することはほぼ不可能な状態にある。

原油生産低迷の主な要因は,①西シベリアでの生産の主力であるチュメニの油田の生産量が減少していること,②インフラ・ストラクチャーの未整備,等の点が挙げられる。また,西シベリア地方北部は極寒,凍土等の厳しい条件下にあるため,生産が制約されるとともに生産コストも上昇している。現在原油生産の50%以上を西シベリア産原油が占めていることから,西シベリア地域での生産の伸び悩みが直ちにソ連原油生産不振に結びついている。

また,ソ連の対OECD輸出の中で原油輸出は81年ではその5割を占め,外貨獲得の可能性という面からも原油生産の動向が注目される(第1-6-3図参照)。最近ソ連は原油生産の不振にもかかわらず,西側向け原油輸出を微増させており,外貨収入は維持されている。一方,東欧諸国向け原油供給量は削減しており,その価格問題とともに今後とも東欧諸国のエネルギー政策に多大な影響をもたらすものとみられる。

なお,東欧諸国向け原油供給量は,81年で約151万B/D,非東欧向けは,約89万B/Dと推計される(米国エネルギー省推計)。

(2) 最近の東西経済関係

(東西サミットの開催)

最近の不安定な東西関係の下で,84年6月モスクワ,ロンドンで東西サミットがそれぞれ開催された。西側サミットにおいては,東西関係についての議論は,おおむね従来の域を出るものではなかった。また,ソ連・東欧諸国は,15年振りにコメコン首脳会議を開催したためその動向が注目された。しかし,域内調整問題が中心に検討されたものとみられ,『経済・科学技術協力の一層の発展と深化の基本方向に関する声明』と『平和維持と国際経済協力に関する宣言』を採択したにとどまり,新たな東西関係に関する展望はみられなかった。なお,今後は定期的に同首脳会議を開催することが決定されている。

(東西貿易)

東西貿易(ソ連・東欧諸国とOECD諸国間の貿易)は,80年代に入って減少傾向を示してきたが,84年には世界景気の回復に伴いやや増加を示している(第1-6-2図)。

ソ連では,西ヨーロッパ向け天然ガスパイプ・ラインの完成によるエネルギー輸出の増大から輸出は堅調な伸びを示している。輸入も83年に穀物輸入が増加し,本年も穀物生産不振から引き続き増加が予想されるなど今後の拡大が見込まれる。

83年の東欧の対西側貿易は,工業製品の輸出は国際競争力の低下から低迷しているものの,一次産品(石炭,農業品・食料品等)を中心に増加傾向を示した。84年の貿易も83年と同様な傾向にある。

なお,最近の東西貿易の形態としては,東側の外貨不足からバーター貿易の占める割合も少なくない。カウンターバーチェ方式(交換買付け条件のついた輸入契約)や東側のプラント輸入に際してはバイ・バック方式(資本,機材を輸出し,その製品を買い取る条件の付いた契約)が採られることが多くなっている。

(累積債務問題の現状)

東欧の累積債務問題は,現在小康状態を保っている。83年末の対西側債務は,東欧諸国の調整努力が効を奏し,約530億ドルと前年末の約569億ドルから約40億ドル減少したが,東欧最大の債務国であるポーランドについては,前年並の250億ドルと推計されている。(ウィーン比較経済研究所推計)。

また,東欧諸国のBIS報告銀行に対する資産・負債状況でも,純債務残高は81年末の363億ドルから84年4月の253億ドルへと改善している(第1-6-7表)。

東欧の累積債務問題は,70年代を通じた過度な投資と特にオイル・ショック後の設備投資財費用の高騰を主因とし,70年代後半には問題化していた。

79年ポーランドにおける食肉値上げ反対ストライキが発生することによって,不振であったポーランドの経済活動はスト続発により混乱し,政治・経済共危機的状態となり債務返済困難に陥った。これを起点に経済的不振にあった他の東欧諸国についても西側の態度に慎重さが増したことから,東欧全般に累積債務問題が深刻化したのである。東欧のこの様な状況に対しソ連は,資金援助等によって東欧諸国を支えていた。また,この間,東欧諸国も債務返済繰り延べ交渉や厳しい輸入抑制・輸出促進政策を実施することで対外ポジションを好転させ,現在は小康状態にある。

しかしながら,東欧諸国で現在も採られている輸入抑制策に頼る健全化は,投資不足による設備の老朽化をもたらし,将来の成長に問題を残す可能性がある。

(3) ソ連の経済改革とその問題点

(アンドロポフの経済改革)

アンドロポフ体制は,82年11月誕生後わずか1年3か月という短かさで終焉したが,アンドロポフ体制下での経済改善は一定の成果を示した。アンドロポフ体制前,ブレジネフ時代最後の年である82年のソ連の生産国民所得の成長率は,工業生産の低迷,4年連続の農業不振により前年比2.6%増と79年(同2.0%増)に次ぐ戦後2番目の低成長となった。こうした不振の要因としては,①農業における穀物不作の恒常化,②労働力不足の顕在化,③未完成プロジェクトの増加,④新技術導入の遅れ等種々の要因がある。しかし,なかでも巨大な官僚組織に基づく計画の硬直化,官僚組織自体の硬直化とが重要である。18年間にわたるブレジネフ時代の末期には全般的に規律に乱れがみられ,また,国民の食料品の配給制(82年実施)等に対する不満が大きくなっていた。

アンドロポフ氏は82年11月に書記長に就任した時点で,上述の様なブレジネフ元書記長の負の遺産の下に経済改革に着手せざるを得なかった。アンドロポフ前書記長の実施した経済改革は,乱れた規律の回復に主眼が置かれて報告銀行に対する負債状況いた。もっとも,アンドロポフ体制はあまりに短命であったため,その他の将来に対する経済改革案は着手の段階にとどまった。また,アンドロポフ体制下で一部試みられた「経済的実験」もブレジネフ時代に計画されたものでその規模も小さなものにとどまっていた。しかし,ともかくアンドロポフ前書記長は,労働規律の強化,網紀の粛正,労働インセンティブの増加等硬軟両様の政策を実施することによって83年のソ連経済を改善へと向けさせたのである。

(ソ連の技術水準の遅れ)経済改革の問題と同時に現在ソ連の経済が抱える問題の一つとして,西側に対する技術水準の遅れが指摘できる。

ソ連は,コンピューター,産業用ロボット,NC工作機械等先端技術の開発,生産に力をいれており,その生産も年々増加し,技術水準も向上している。例えば産業用ロボットの生産は,1981~85年に3万台を計画しており,84年1~9月で1万300台(前年同期比33%増)と前年を大きく上回る成長を示している。

しかしながら,その技術水準は西側,特に米国,日本の水準からは相当遅れており,全工作機械の生産台数に対するNC工作機械のウエイトは低く,産業用ロボットにしても簡単なマニュピュレーターでありソ連国内の要求にも対応できない水準にあるといわれている。こうしたことからソ連は西側からの技術導入を期待しているが,近年ココムによる先端技術輸出規制が強まっており,東西の技術格差は短期には縮小しないものとみられる。

(軍事支出負担)

ソ連の経済を検討する場合,よく問題となるのが膨大な軍事支出である。ソ連の軍事支出は,第1-6-8表のとおり各調査機関によって異なった結果が示されているように,実際の支出額については不明な点が多い。

しかし,一般的にその負担はかなり大きなものとみられている。例えば,アメリカ政府軍備管理・軍縮局の推計によれば軍事費の対GNP比は15%前後と推測されており,政府支出に対する軍事支出の比率の推移をみても,75年では63.8%を占め,82年においても45%近くを占めている。また,兵員数は約440万人と推定され,若年労働力不足が顕在化している現在,新技術を比較的取入れ易い若年労働者の不足は,経済的にマイナスとなっているものとみられる。

(ソ連経済の活性化について)

アンドロポフ体制下でなされた経済改革も,アンドロポフの死去に伴い84年2月チェルネンコが書記長に就任したことにより,今後の動向が注目される。

チェルネンコ書記長は,書記長就任時の演説で今後とも政治・経済運営については前体制を基本的に踏襲していくと述べている。現在のソ連首脳部は,チェルネンコ書記長を中心とする集団指導体制がとられているものとみられる。

なお,84年初から開始された企業の自主権の拡大等による「経済改革実験」は現在進展しており拡大の方向にあるが,今後経済の活性化を図るには,次の条件が必要となろう。

第1には,政権の安定である。

第2には,現在続けられている経済改革(経済制度改革を含む)が着実に実行されることである。

第3は,現在採られている経済改革のなかでも例えば,工業での作業班(ブリガータ方式),農業での請負制(スベノー方式)等の拡大により,責任の分担をより明確にすることにより生産意欲,能率の向上を図ることが必要だとみられる。

第4は,ソ連を取り巻く「国際環境」の好転である。現在の東西関係は不安定な状態にあり,ソ連の軍事支出負担は相当大きなものとみられる。「国際環境」の好転は経済調整をもより容易なものとする可能性があるからである。

今後ともソ連・東欧諸国は,国際環境の変化により柔軟に対処していくことが求められよう。