昭和57年

年次世界経済報告

回復への道を求める世界経済 

昭和57年12月24日

経済企画庁


[次節] [目次] [年次リスト]

第2章 長期化する欧米先進国経済の調整過程

第1節 第2次石油危機後の景気循環の特徴とその要因

1. 停滞の長期化と同時化

第2次石油危機後の景気停滞の予想外の長期化と最近の停滞色の一段の深まりの事実については,すでにOECDにより指摘されているところである。OECDは,第1次と第2次石油危機発生後の景気停滞の期間と深さについて(この分析は各国政府等による景気循環時期区分とは必ずしも一致しない),北アメリカ及び西ヨーロッパ主要4か国のGNP(GDP)実績とトレンドの差の動きから次のような結論をえている。すなわち,①北アメリカでは,今回の危機発生直後の景気の落ち込みは前回ほど深くなかったが,景気停滞期間は今回(80年から81年にかけて一時的な回復がみられた時もあったがこれを除きほぼ全期間の13四半期停滞している)の方が前回(8四半期)をはるかに上回っており,景気の落ち幅も前回に近づきつつある。②西ヨーロッパ主要4か国についても,基本的に同じことがいえ,82年央までの時点ですでに落ち幅はほぼ同程度,停滞期間は今回の方が長期となったとしている(第2-1-1表)。③そして,80年以降これら諸国で同時的に停滞した。さらにこのような,欧米先進国の景気停滞の長期化と最近のその深まり,そして同時的停滞の発生は,鉱工業生産の動きや稼働率の動きからも確認されよう(第2-1-1図,第2-1-2図)。以下分析の都合上,今回の石油危機発生後現在に至るまでの期間を,①危機発生の年である79年及び80年初まで,②80年春頃からアメリカのレーガン政権成立の81年春頃まで,③その後から現在までの3時期に区分して,停滞の長期化・同時化の原因をみていくこととする。

2. 1979年から80年初めまで(石油危機発生当初)

(2つの石油危機の直接的影響比較)

最初に,OPEC諸国の石油価格大幅引上げにより生じた今回,前回の石油危機が,主要先進国経済に与えた直接の影響をみる(第2-1-2表)。まず,①石油価格の上昇倍率は,今回が前回の約6割程度と小さく,②引上げ期間は,今回の方が約1年近く長いものの,前回は集中的に引上げられたのに対し,今回は段階的,分散的な引上げであった。③石油価格引上げにより主要先進7か国(アメリカ,西ドイツ,フランス,イギリス,イタリア,カナダ,日本)がOPEC諸国に移転させた所得の程度は,表中のA,B,Cの3ケースで示されている。特にB,Cの純輸入金額増や純購買力のOPECへの移転に注目すると,前回は73,74年合わせて,7か国GDPの1.4~2%であったのに対し,今回は79,80,81年の3年間で1.3~1.7%であり,今回の方がやや小さかったとみられよう。これは,今回の危機発生後,石油輸入量が急減したからである。これらは,今回,前回の石油危機による直接的なデフレ効果である。④他方,石油価格引上げの当初の直接的インフレ効果についてみると,先にふれたように,石油価格の引上げ率自体も小さく,そのため輸入デフレーターの上昇率もより小さかった。しかし,国内需要デフレーターの水準も,前回に比べ低かったため(後出第2-5-3図参照),それに対する輸入物価上昇の寄与率は大きかった。この寄与率は大きいが,国内需要デフレーターや,消費者物価水準のピークも低かった(第2-1-3表)ことは,結局のところ,石油価格上昇効果が全体としてのインフレ率の上昇には結びつかなかったことであり,この意味で前回に比ベインフレ面でも良い成果を示したといえる。

以上のことから,今回,前回の石油価格引上げの,少なくとも直接的なデフレ及びインフレ効果をみる限り,今回のそれが,前回のそれより大きかったとはみられない。

(景気循環局面の比較)

次に,石油危機が発生した時点における景気局面についてみよう。前回の73年は,総じて各国とも景気は既に過熱段階にあり(第2-1-3図),アメリカ,西ドイツ等では在庫,設備投資が循環的にも下降局面に入っていた(第2-1-4図)。このため,石油価格上昇のもたらしたデフレ効果は一段と厳しいものとなり,総じて各国の急速,大幅な景気後退を生む主因となったものと考えられる。

今回,79年の石油危機発生時に,アメリカ,イギリスの景気は峠にあったのに対し,西ドイツ,フランス等の西ヨーロッパ諸国は,80年初めまで続く上昇過程の途中にあった。また,在庫,設備投資は,前回と逆に,ほぼ各国とも循環的な上昇局面にあった。このため,今回は,少くとも79年段階での,石油価格上昇による景気の後退は,イギリスを除いて明確なものとはならなかった。このように今回は,当初のデフレ効果を柔らげるものとして景気局面が有利に働いたとみられる。

(インフレ効果が小さかった理由)

そして,先にふれたように,今回はインフレ効果も,前回よりも小さかった訳であるが,これについては3つの要因が指摘されなければならない。

第1に,今みた景気局面の差であるが,今回はなお過熱前の段階にあり,需給がひっ迫していた前回のようなインフレ急騰の素地は薄かったといえよう。

第2に,今回は,当初から,アメリカ,イギリス等のマネー・サプライ抑制管理を中心とした金融引締政策と多くの国で財政政策の抑制的運営が続けられたことである。前回は当初各国で引締めが行われたが,早くも74年後半にはアメリカ等は緩和・拡大政策へ転換した。

第3に,物価上昇の主要な決定要因の1つである賃金上昇率が,前回よりも今回の方が低かったことである(第2-1-3表)。

(経常収支の各国間格差と為替相場の変動比較)

次に,経常収支及び為替相場の石油危機発生時当初の推移についてみると,経常収支は前回の73年,74年は,西ドイツ,アメリカ等とイタリア,イギリス,フランス等の間の不均衡が拡大し,また後者の国々のインフレの根強さも手伝って,為替相場が悪化し,急激・大幅な変動を繰り返した。今回79年は,前回ほどの各国間格差拡大が生ぜず(第2-1-3表),また為替相場も比較的平穏に推移した。この点においても今回は前回より良好な状態にあったといえよう。

以上のように,今回石油危機発生当初の直接的デフレ及びインフレ効果等は,景気局面の差や政策対応の差を反映して,総じて前回より軽度であったものとみられる。この意味で,石油危機発生当初に,景気停滞の長期化,同時化の原因を求めることはできないといえる。

3. 80年春頃から81年春頃まで

(アメリカの急速な後退)

アメリカでは,すでに79年から,消費は増大していたもののインフレ高騰と実質可処分所得の伸び悩みが生じていた。しかし,80年3月には消費者信用規制措置が導入されたため春先きから年央にかげて大幅な消費減少が生じた。また,79年後半から金融引締めの一層の強化が図られたため80年春まで金利が高騰を続げたことに加えて,実質所得の減少が合することによって住宅投資がさらに減少し,また稼働率の急落,利潤の減少を背景に設備投資も減少した。こうして,アメリカの景気は,80年夏過ぎまで停滞を続けることになった。

(西ヨーロッパも80年央までに後退へ)

一方,西ヨーロッパでは,すでにイギリスが,79年5月に誕生したサッチャー政権の引締政策の影響も受けて,個人消費,設備投資,在庫投資の減少等から,79年後半から景気後退に入っていた。これに加え,80年央頃までに西ドイツ,フランス,イタリアも後退を始めた。これら諸国が80年春頃まで景気の拡大を続けえたのは,総じて,実質所得の増大や個人消費の増加及び旺盛な在庫投資や設備投資の好調があったためである。しかし,80年春過ぎから個人消費も減少を始め,また在庫投資も減少に転じ,輸出も頭打ちとなった。

(短期に終ったアメリカの後退)

しかし,アメリカの景気は,80年夏場を底に回復に転じ,81年初まで急速に回復することになった。これは,信用規制の撤廃,金利の低下が生じたこと並びにインフレ率の低下,実質可処分所得の増加等から,消費が増加を続けたことが大きい。さらに住宅投資が,金利の低下,カーター政権の住宅振興策実施等から急回復したほか,設備投資も増加をみた。こうしてアメリカの景気が,回復を続げるなかで,81年初めにレーガン政権が成立した。

(長期停滞化の最初の原因となった引締めの継続)

ここでみた期間は,基本的には,第2次石油危機の直接的インフレ・デフレ効果を調整するために必要とされる過程であったとみるべきであり,前回の74年ないし75年初めごろまでの調整過程と同一視されるものであろう。しかし,前回の引締めが早期に緩和に向ったのに対し,今回はアメリカの部分的な景気振興策を除いては,マネー・サプライの抑制,公定歩合の引上げ等を中心にした各国の引締政策が続けられた。これは調整過程の一環としてのインフレ抑制のために不可避的なものでもあり,また中長期的なスタグフレーション体質改善の役も担わされた面もあった。しかし結果的には,やはり各国の景気を,それがなかった場合に比較して一段と冷えこませ,後の長期停滞化をもたらす最初の原因を形成したといえよう。

4. 81年春先きから82年現在まで

(再び後退したアメリカの景気)

アメリカの景気は,81年春から再び低迷の色を濃くすることとなった。これは,①実質可処分所得が伸び悩んだこと,②貯蓄率が上昇したこと,③80年終りから81年初めにかけ金利が急上昇したこと等から,81年初から乗用車販売,住宅投資が減少したためである。

(80年の終り頃から実質金利上昇)

ここで注目すべきことは,物価が鎮静化してきたのに対し名目金利は高騰を続け,かつ高水準で推移したため,80年終りから,81年初めにかけて,短期,長期の実質金利がプラスに転じ,しかもその後も上昇し,高水準にとどまったことである(後出第2-2-3表参照)。実質長期金利の高騰に,景気の先行き不透明感,利潤の減少等が加わって,81年4~6月期から設備投資は基調的に弱含みないし減少傾向で推移するようになった。

また,81年に入ってからのドルの一段高とその後の高騰が(後出第2-2-7図参照),アメリカの輸出を抑制する要因となり,輸入の減少があったにもかかわらず,純輸出が減少し,景気の足を引っぱることとなった。

81年秋から景気は明確な後退をはじめ,82年1~3月期までマイナス成長を続け,4~6月期の実質GNP成長率は一旦プラスに転じたものの,7~9月期には前期比横ばいとなった。その後も,第1章第1節でみたとおり,現在に至るまで明確な底入れ感なしに推移している。

(西ヨーロッパは81年後半に底入れ)

一方,西ヨーロッパ主要国の81年春頃からの動きをみると,81年初めに西ドイツ,イタリアの実質GNPが増加をみせ景気の底入れが論じられ,ミッテラン政権の拡大政策による消費の増大を挺子として,フランスが一足先に回復に転じた。しかし,フランスを除いて,なお西ドイツ,イギリス等では実質可処分所得が減少を続けたことから,消費は減少ないし弱含みで推移し,輸出価格の低下による輸出増が,各国総じて唯一の景気を支える要因となった。また在庫調整が長期化し,設備投資も減少を続けた。しかしこの他にも,内需の弱さや,利潤の減少等の要因があり,何よりもアメリカと同様に実質の長期,短期金利が上昇したためであった(後出第2-2-3表参照)。これは,アメリカの高金利を背景としたドイツ・マルクをはじめとする欧州通貨安,交易条件悪化,輸入インフレの再発を防止するために,西ヨーロッパ諸国の金利引下げ,金融緩和への政策転換が行なえなかった結果生じたものであった。このため81年から82年央まで各国政府当局者のアメリカの高金利批判が度々表面化し,先進国首脳会議(サミット)をはじめとした,主要な国際会議でも論議された。

このようなアメリカの高金利,ドル高のなかで,OPEC諸国向け輸出等の増加継続や在庫調整の進展もあり,フランスに続いて,イギリス,西ドイツ,イタリアも81年央から後半にかげて底入れし,82年初には回復の兆しもみえた。しかし,その後も賃上げ率の低下,高水準の実質金利が継続し,消費及び住宅投資,設備投資は各国総じて弱含みないしは減少気味に推移し,今日に至っている(詳細は第1章第1節参照)。

(途上国向け輸出の減少始まる)

そして,特にこれまで各国総じて景気の唯一の積極的支持要因とみられた輸出が,OPEC諸国を含む途上国向けを中心にして81年終りから82年初めごろにかげて減少に転じた。これは,先進主要国の石油消費節減の急速な進行等により,産油国の石油輸出収入が急激に減少した結果生じたものである。このOPEC諸国等の石油収入の減少に加え,非産油途上国の一次産品価格の低下や先進国向け輸出所得の減少が,今度は逆に,アメリカと並んで西ヨーロッパ主要国のこれら途上国に対する輸出を減少させることになった。これは前回の欧米主要国の経験とは大きく異なるものである。前回の石油危機発生後は順調に途上国向け輸出が増加したのに対し,今回も,当初は増加したものの,その伸び自体はより小さい国が多く,そしてアメリカ・フランスは81年後半に入ってから,イギリス・西ドイツ等は総じて82年に入り減少が生じた(第2-1-4表)。

(名目石油価格低下の効果)

しかし,この間原油価格の低下があった。これは,82年7月まで続いており,OPEC平均月平均原油価格でみると,低下幅は約1.5ドルである。名目価格の低下によるOECD諸国全体のGNP押上げ効果は,10%の価格低下が生じた場合,その後1年から1年半の間に約0.3%生じるとされ,また,その間インフレ率は0.5%から0.8%低下するとみられている(前出OECD「エコノミック・アウトルック」31号)。しかしこれまで名目価格は,約4.3%低下したに過ぎない。このため,名目石油価格の低下もほとんど景気立直りに貢献できなかったといえよう。

5. 景気停滞の長期化,同時化の要因

以上の3つの時期を総括してみると,今回の欧米主要先進国の景気停滞の長期化と同時化,そしてその最近の停滞色の強まりをもたらしたものは,以下のように整理されよう。

第1は今回と前回の政策の違いである。前回は,危機発生後遠からずして,財政・金融政策は緩和・拡大に転じたのに対し,今回は,81年半ばから約1年間のフランスの拡大政策とアメリカの2度にわたる個人減税等を除いて,各国で全時期を通じて,第1次的にはインフレ抑制を,また中長期的にもスタグフレーション体質を改善する一環として,引締政策が維持された。

このため,当初は各国それぞれの政策の結果として高金利が発生した。

しかし,その後,インフレ率の低下とともに,西ヨーロッパでは国内的必要性による引締政策及び高金利の維持の重要性は薄れたにもかかわらず,アメリカの高金利とドル高の継続が,西ヨーロッパ諸国の金融緩和の大きな制約要因となった。この意味で,今回の景気停滞の長期化と同時化を招いたのは,基本的には各国の引締政策であり,しかもとりわげアメリカのそれが大きかった。また,西ヨーロッパでもアメリカの高金利が金融政策の自由度を狭め,これが景気停滞長期化の一つの要因となったとみられよう。

第2に,今回危機発生当初の,前回に比べての小幅賃上げ及びその後の引締政策の長期化,失業の増大等による賃金上昇率の低下から実質可処分所得が伸び悩んだことが少くとも景気回復の観点からは,消費を弱め,停滞の長期化を招いた一つの要因を形成したとみられよう。また,企業においても当初盛んであった設備投資が引締政策長期化,高金利等による利潤減少,稼働率低下,先行き見通し難が生じるに伴い,長期にわたり不振となり,これも今回の停滞の長期化をもたらす要因となった。

第3は,81年後半からの,ドル高,あるいは産油国をはじめとする途上国の国際収支の悪化等の結果としての,途上国等に対する輸出の鈍化である。

これも,主要先進国の景気停滞が長期化し,途上国の輸出が伸びなかった結果による悪循環現象といえよう。

次節では,この要因のうち,特に金融・財政政策の展開に的をしぼり,その欧米主要国の景気停滞に与えた影響等をさらに詳細に検討する。そして,第4節では,第2の原因を,企業と家計の対応という面で検討する。