昭和57年

年次世界経済報告

回復への道を求める世界経済 

昭和57年12月24日

経済企画庁


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第1章 1982年の世界経済

第7節 調整続く共産圏経済

1. 経済困難下で調整を進めるソ連・東欧

ソ連・東欧諸国は,ポーランドを除いて各国とも1981年より新5か年計画を実施しているが,計画遂行状況ははかばかしくなく,前5か年計画に続いて現行5か年計画も難航を余儀なくされている。

(年度計画未達成が続くソ連経済)

1981年のソ連経済は,年度計画目標の多くが未達成となるなど前年に続いて振わなかった。支出国民所得成長率(実質)は,80年の前年比3.8%からさらに鈍化して同3.2%となった(81年計画は前年比3.4%)。これで,国民所得増加計画は3年連続して達成されなかった。こうした成長計画の未達成を生産面からみると,①農業生産が79年以来減少を続けていること,②工業生産も農業不作の影響による食品・軽工業の低迷や基幹工業部門の不振化によって計画未達成が続いていること,③運輸や建設等その他生産部門にも計画未達成がみられること等,問題が複雑かつ深刻化していることがわかる。

このため1982年経済計画は,例えば国民所得成長率が前年比3%と戦後最も低い目標を設定するなど,全般に慎重な内容となった。しかし,工業生産は1~9月前年同期比2.7%増と年計画目標(4.7%)を大きく下回って推移しているほか,農業でも4年連続の穀物不作が確定的とみられるなど,82年も年計画の達成は厳しい情勢となっている。

(ソ連,食糧増産に向け長期計画策定)

ソ連では,農業生産が天候不順等の影響を受けて79年以来3年連続して減少し,経済計画達成を阻む大きな要因となった。82年も穀物生産が天候不順を主因に目標を大幅に下回るとみられ,農業不振は恒常化すらしようとしている。

農業不振は,経済成長を直接的に阻害したばかりか,食肉等の食料品の供給不足を深刻化させた。また,飼料用穀物の輸入を著しく増加させ貴重な外貨を費やさせることになった。

こうした問題を長期的に解決するために,82年5月に開催された共産党中央委員会総会において「1990年迄の期間のソ連邦食糧計画」が採択・公表された。これは,現下のソ連農業が国民の高まる消費需要を充分に満していないとの反省に立ち,①農業投資の引き続く増大,②農業と関連工業等を有機的に結びつけた農工複合体の拡大・強化,③食品買上げ価格の引き上げ等の一層の生産刺激策の導入等によって食糧生産を飛躍的に高めようとするものである。食糧計画に含まれる対策の多くは過去にもすでにみられたものであり,いわゆる「ブレジネフ農政」(投資拡大を背景に,農業の機械化,化学肥料の多投化等の農業の近代化を図ることによって農業生産の集約的発展を目指す政策)の集大成の感が強い。同計画は,第12次5か年計画目標を先取りしたもので,第1-7-1表にみられるように穀物生産等の諸目標は過去の生産のすう勢からみて極めて高い水準に設定されている。

(低成長を続ける東欧経済)

東欧経済は,概ね70年代後半から成長率が急速に鈍化し,80年代に入ると低成長が顕在化している。

1981年の東欧諸国の経済は,80年に続きほとんどの国で計画未達成となった。国民所得成長率は,第1-7-2表にみられるように東ドイツが計画を達成したほかはいずれの国も計画未達成となった。また,年計画が策定できなかったボーランドにおいては,政労間の対立激化の影響から国民所得は前年比13%減と著しい経済後退にみまわれた(74年の生産水準にまで後退)。

東欧経済が総じて低成長に陥っている原因としては,国によって違いはあるものの,①中央計画化システムの硬直化と経済運営の問題,②原燃料確保の困難化,③労働生産性の伸び悩み,④西側から導入した技術・設備の活用の不徹底,⑤農業生産の不安定,⑥貿易収支赤字と対外債務の累積(第1-7-3表)等がある。

1982年の東欧諸国の経済計画は,そのような情勢から,第1-7-2表にみられるように,81年計画目標をさらに下回り,81年実績水準に設定する国が多かった。しかし,エネルギー需給はさらに逼迫化し,労働生産性の伸び悩み等経済効率も容易に改善できないとみられ,82年に入っての工業生産は多くの国で年計画目標を下回る水準で推移している。

東欧諸国では,近年,経済不振の打開を図るための政策が進められている。

例えばブルガリアではハンガリーに及ばないものの経済の分権化・効率化を目指した「新経済メカニズム」が79年以来導入されている。ハンガリーでは,工業省の一元化,トラストの解体等が進められるとともに,国民の消費・サービス需要を充足するため,私企業規制の緩和が行われている。東ドイツでは,従来から経済管理の集権度は相対的に高かったが,最近,いわゆるコンビナート方式(各種異なる業種の企業を集めて一単位とする)を用いて社会主義計画経済の骨格はできるだけ保ちつつ,その枠内での合理化をめざす方向が打ち出されている。

(伸び悩むソ連・東欧諸国の対外貿易)

ソ連・東欧諸国の対外貿易は,途上国を含めた西側諸国の景気停滞とこれら諸国自体も経済不振に陥っていることから81年には伸び悩みをみせた。国連統計によれば,ソ連・東欧諸国の輸出は前年比で80年の15.6%増から81年には1.1%増へと鈍化した。輸入も同じく80年の14.9%増から0.8%増へと鈍化した。特に東欧諸国では81年に輸出入の減少(それぞれ1.0%減,3.7%減)が目立った。

(減少に転じた東西貿易)

ソ連・東欧諸国の対西側先進国貿易(狭義の東西貿易)は過去20年以上にわたって増加を続けてきたが,81年になって初めて減少に転じた。これをOECD統計でみると,ソ連・東欧諸国の西側先進国への輸出は前年比7.6%減,輸入は同6.3%減となった(東西両ドイツ間の取引を除く)。東西貿易の大幅減少は第1-7-1図にみるように東欧諸国の西側先進国との取引が著しく減少したためである(輸出15.2%減,輸入16.0%減)。ソ連の対西側先進国貿易収支黒字は80年の31億ドルから81年の21億ドルへと縮小した。また,東欧諸国の同収支赤字も80年の26億ドルから81年の21億ドルへと減少した。このように81年の東西貿易は縮小均衡に向かったと言える。

82年に入っても基本的にこうした傾向が続いている。ソ連・東欧諸国の西側先進国への輸出は1~5月前年同期比6.0%増,輸入は同9.3%減となった(東欧諸国の輸出10.3%減,輸入28.7%減)。

東欧諸国の西側先進国との取引が81年以来目立って減少しているのは,①東欧諸国が外貨事情の悪化や対西側債務負担の増加等からすでに70年代後半に導入していた輸入抑制策を一層強化したこと,②西側先進国への輸出拡大努力にもかかわらず,品質・サービス等の面から競争力が弱く,加えて先進国の景気停滞から比較的競争力がある原材料・半製品への需要が減退したこと等による。

(不安定の状態が続く東西経済関係)

東西関係はアフガニスタン問題を契機に不安定化の様相を示していたが,ポーランド情勢の緊迫化によってその傾向はさらに強まった。東西経済関係もそうした東西関係の大枠の中で不安定化を余儀なくされた。

1981年12月のポーランドにおける戒厳令布告の事態に対して,アメリカをはじめ西側諸国はアフガニスタン問題同様かかる事態は東西間で進められてきた協力・交流関係への信頼を根本から脅かすものとの基本認識の下に,各国がそれぞれ講じる措置を損うことのないよう留意しつつ,ソ連に対し一連の経済的措置をとり,同時にポーランドに対しては債務返済繰り廷べ交渉,新規公的信用供与の検討の停止などの措置をとった(アメリカは82年11月ポーランドの戒厳令に関してとった7項目の対ソ措置のうち石油・ガス関連の措置の解除を発表)。

こうしたことに加えて,東欧諸国の債務累積問題の表面化が東西経済関係の不安定化を促した。東欧諸国の対西側純債務残高(総債務残高から西側銀行への預金を除いたもの)は,貿易赤字の増加とともに急速に増大し,81年末には75年末の約3倍の600億ドル近くにまで達したと推定される。このため,累積債務の返済負担が増大し,とくに,経済情況悪化の下で多額の債務を抱えるポーランド,ルーマニアは西側に対して債務救済を要請した。西側金融機関の東欧諸国に対する信用供与態度はこうしたことから一層慎重化したため,すでにみたように東欧諸国は西側先進国からの輸入を切りつめざるをえなくなっている。

2. 経済調整を継続する中国

(調整強化策への転換)

中国では,大幅な投資の増加により高度成長をめざした「国民経済発展10か年計画要綱(78年3月採択)」が1年足らずして廃止され,79年より経済調整政策を実施している。その内容は,過大な投資率の引き下げ,農業・軽工業の重視,エネルギー・輸送部門の強化,地方・企業の自主権拡大等を内容とする経済管理体制改革の実施等である。

とデット・サービス・レシオの推移

79,80年には資金配分等において優遇策が実施された農業・軽工業の発展,賃金・農産物買付け価格の引き上げ等による国民の所得増等がみられた(第1-7-4表)。

その反面,①成長鈍化や分権化により歳入が減少する一方で歳出削減が進まず,2年連続して大幅な財政赤字(歳出の約12%)が生じたこと(第1-7-5表),②通貨の発行増や副食品価格の引き上げ等によりインフレが深刻化したこと,③地方・企業の自己調達資金を利用した重複投資の増加等,分権化によりマクロ的にみた非効率が露呈したこと,等の問題が生じた。

このため,政府は80年末より再び中央集権的姿勢を強めた。そして81年には財政収支の均衡を回復し,インフレを鎮静化するため,投資の大幅削減等厳しい財政金融引締め政策が実施された。しかし,上期には重工業の予想を上回る不振等経済活動の沈滞化がみられたため,秋には重工業の見直しが決定され,追加投資が行なわれる等引締めは若干緩和された。

81年の基本建設投資総額注(1)は前年比20.6%減少し(80年7.8%増),工農業総生産額は重工業の減少により前年比4.5%増にとどまった(80年7.2%増)ものの,厳しい歳出削減(前年比8.1%減)等により,財政赤字は25.5億元(歳出の2.3%)に縮小し,小売物価の上昇率も2.4%に鈍化した(80年6%)。

(1982年経済の動向)

82年も81年と同程度の経済成長(4~5%)を見込み,引締め基調を維持しているが,財政収支は依然として30億元の赤字を見込んでいる。

1~10月の工業総生産額は前年同期比8.1%増と81年実績(4.1%)及び計画(4~5%)を大きく上回っている。これは昨秋来見直されている重工業の増加が著しく,9.8%増と軽工業の伸び(6.5%)を上回ったためである。

また,81年には天候不順や栽培面積の減少にもかかわらず,生産責任制注(2)の進展等により食糧生産が増加し(1.4%増),綿花等経済作物生産も増加を続けたため,農業総生産額は前年比5.7%増となった。82年にも夏収食糧及び早稲の生産(年間食糧生産のl/3を占める)が前年比7%増加し,秋収食糧の成育も順調に推移しているため,食糧生産は計画(3.34億トン)を上回る豊作と見込まれている。

貿易面をみると,輸出は81年に前年比18.6%増(ドルベース)となったが,82年上期には,貿易相手国の需要減,価格の下落等により,前年同期比10.2%増に鈍化した。一方,輸入はプラント,鉄鋼,耐久消費財の減少等により81年10.9%増から82年上期に19.7%減少した。このため,81年にほぼ均衡した貿易収支は82年上期に24億ドルの大幅黒字となり,外貨準備高(金を除く)も6月末時点で70.6億ドルに増加した(81年末47.7億ドル)。

(調整強化後の対外経済交流)

調整強化策の実施に伴い,対外貿易や外資導入においても一時慎重な姿勢がみられた。しかし,対外開放政策は継続されており,国内の必要に応じて計画的に貿易拡大,外資導入をはかろうとしている。

中国とOECD諸国との貿易は78年におげる大量のプラント契約締結等により急増したが,調整期に入って完成プラント等の輸入が抑制され,特に81年からは耐久消費財の輸入規制実施の影響も加わって鈍化傾向を示している(第1-7-2図)。中国のOECD諸国からの輸入は81年前年比3.8%減の後,82年上期前年同期比21.6%減と急減したが,輸出は原油,繊維製品等を中心に増加を続け,81年21%増,82年上期10.3%増となった。このため貿易収支は急速に改善した(81年上期,19.8億ドルの赤字→82年上期0.4億ドルの黒字)。

また,発展途上国との貿易も輸入の鈍化から,81年に13.2%増に鈍化した(80年51.8%増)。

一方,当面の外資導入の重点は,①エネルギー資源開発,②社会資本の整備,③既存企業の設備改造,④投資効率が良く,輸出拡大につながる業種等に置かれているが形態的には技術・経営管理等を習得できる直接投資の導入を優先している。

81年末時点で認可されている合弁事業は軽工業,サービス業等を中心に40件(外資分0.9億ドル)で,このうち操業を開始しているのは27件である。また合作経営注(3)は390余(約18億ドル)にのぼっている。相手側は香港企業が圧倒的シェアを占め,地域的には,経済特別区注(4)の設定されている広東・福建省が中心である。その他,渤海,南シナ海等で西側先進国との石油資源の共同開発が進められており(外資分5億ドル),補償貿易(生産物分与方式)も590件に達している(外国企業提供の生産設備4.6億ドル)。

また中国は公的・民間ベース合せて既に約300億ドルの融資枠を獲得しているとみられるがその利用には極めて慎重である。80年のIMF・世界銀行加盟後は,それぞれ約14億ドル,4.6億ドルの融資を受け,日本・ベルギー等から政府借款の供与を受ける等長期低利融資を重点的に導入している(第1-7-6表)。81年の国家財政における借款導入額は約42.9億ドルであり,82年末の対外債務残高を約50億ドルと見込んでいる。

また,82年1月には初の円建て私募債を発行する(100億円)等資金調達の方法は一層多様化している。

(経済調整を継続する中国経済の今後)

82年9月に開催された共産党第12回全国代表大会では20世紀末までに工農業総生産額を80年実績の4倍とする(年平均増加率7.2%)目標が明らかにされたが,80年代は経済調整を継続し,90年代における高度成長の基礎固めの段階としている。

11月末に開催された全国人民代表大会では第6次5か年計画(81~85年)が採択された。計画の特徴は財政資金・エネルギー不足が継続すると見込まれる中で工農業生産増加率を4~5%に抑え,経済効率の向上をはかることを最優先の課題としている点である。このため新規投資の拡大よりも既存企業を活用し,非効率企業の閉鎖・合併,省エネルギー型への設備の効率的改造等企業経営の合理化を段階的に実施していくと共に,エネルギー・運輸部門の建設に重点を置くとしている。

また,調整強化以降中央集権的管理を強めながらも効率化を進めるため経済管理体制改革に対する取り組みも捨ててはおらず,農業面における生産責任制の急速な普及と共に,81年からは工業企業において経済責任制注(5)が推進されている。これらの責任制は生産隊や企業の自主権拡大を伴うものであり,生産性向上にとっては有益であったが,格差を拡大させ,利潤追求志向のため土地の利用や生産物の選択等の面で,国家政策との間に矛盾も生じた。このため最近では計画経済を主とし,市場調節を従とする方針が確認される中で種々の統制手段が講じられており,法令の整備,税・金利等経済手段の活用による調節も進められている。

なお82年には党主席制の廃止による集団指導体制の確立,国務院の機構改革等政治・行政面での改革も着手された。

こうした中で如何にして資金・エネルギーの有効活用やシステムの効率化を進め,90・年代の高度成長の基礎を築くかが中国経済の課題である。