昭和56年

年次世界経済報告

世界経済の再活性化と拡大均衡を求めて

昭和56年12月15日

経済企画庁


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第1章 1981年の世界経済

第5節 国際収支と為替相場の動向

1. 拡大から縮小へ向う産油国の石油黒字

世界の経常収支動向(公的移転前)をみると(第1-5-1表),石油価格の大幅引上げから79年に684億ドルへと急増した石油輸出国の黒字は,80年にはさらに拡大し1,122億ドルに達したが,81年については石油需給の緩和からその幅は縮小するものと見込まれる。このため79年に78億ドルの赤字に転じた先進工業国の経常収支は80年には441億ドルの大幅赤字となったが,81年については石油消費節約の進展や引続く景気停滞もあってその幅は縮小するものと見込まれる。しかし,非産油途上国では石油価格の大幅上昇に加えて,先進工業国の景気停滞等から輸出の伸びが鈍化したこと,対外債務に対する利払い額が急増していることなどもあって依然大幅な赤字が続いており,赤字幅は79年の576億ドル,80年の821億ドルに続いて,81年もさらに増加するものと見込まれる。

(石油赤字のファイナンス)

こうした先進工業国,非産油途上国の経常収支赤字に対して,そのファイナンスはこの間民間市場を通ずる資金還流を中心にかなり順調に行われたとみられる。石油輸出国のオイル・マネー運用額は79年606億ドル,80年869億ドルと増加し,長期運用の割合も高まっている(第1-5-2表)。

非産油途上国の赤字ファイナンスをみると,従来オイル・マネーの還流に重要な役割を果してきたユーロ・クレジットの組成額は80年前年比31.8%の大幅減となった(第1-5-3表)が,国際決済銀行(BIS)に対する報告銀行の80年の対非産油途上国債権純増額は前年比4.4%増となっており,公表されたユーロ・クレジット以外の形態の貸出がこれをカバーしたものとみられる。しかし,非産油途上国のうち,とくに低所得でかつ民間市場からの借入れ手段が限られている国では,適正な経済成長の達成に必要な輸入の伸びを維持し得るだけの資金の取入れができなかった。

一方,先進工業国の赤字ファイナンスは,80年にはユーロ・クレジットの組成額が前年比43.5%増と大幅に伸びた上に,ユーロ債及び外債の発行額も非産油途上国向けが前年比27.4%減であったのに対し,先進工業国向けは同2.7%増と小幅ながらも増加し(第1-5-3表),外貨準備(金を除く)も79年が前年比6.9%増に対し,80年は同20.1%増となった。

2. 先進国の経常収支動向

先進工業国の経常収支(以下,公的移転後)赤字は全体として80年に拡大したばかりでなく,各国間の不均衡も拡大した(第1-5-1図)。すなわち,79年に黒字に転じたアメリカでは80年にはさらに黒字幅が拡大し,イギリスも80年に黒字に転じた。また,日本でも80年全体では赤字となったものの,年後半以降急速な改善をみせ,81年に入ると黒字に転じた。これに対して西ドイツ,フランス,イタリアなどでは大幅赤字が続いた。しかし,7大国以外の先進工業国の赤字は依然大幅なもののドル高,欧州通貨安の影響等もあって不均衡は一部縮小に向いつつあるとみられる。

(黒字に転じたアメリカ,日本,イギリス)

80年のアメリカの貿易動向をみると,輸出は機械器具,中間工業製品,雑貨など工業製品が大きく伸びたほか,対ソ経済措置による一時的な落込みはあったものの穀類も増加し,輸出全体では数量ベースで前年比6.8%増,金額ベースで同21.3%増となった。一方,輸入は景気後退を反映して原材料,中間工業製品をはじめとして伸びが鈍化した。石油も平均輸入原油価格が80年には前年比56.4%高と急騰したにもかかわらず,景気後退や石油消費節約の進展から輸入量は同19.3%減と大幅減少したため,輸入額は同31.7%増にとどまった。このため輸入全体では数量ベースで同7.1%減,金額ベースで同16.5%増にとどまり,貿易収支の赤字は前年の273億ドルから253億ドルヘと縮小した。こうした貿易収支の改善に加え貿易外収支も若干改善し,移転収支は悪化したものの,経常収支は79年の14億ドルの黒字に対し80年は37億ドルの黒字となった。

しかし,81年に入ると,輸出が欧州諸国の引続く景気停滞やドル高の影響から伸びが鈍化する一方,輸入が年初の好況やドル高から増勢に転じ,経常収支黒字(季調値)は80年下期の64億ドルから81年上期は43億ドルへとその幅を縮小している。

日本の経常収支は79年の88億ドルの赤字から80年は,107億ドルの赤字となったが,年後半以後急速に改善し,81年1~9月期には36億ドルの黒字(季調値)となっている。

また,イギリスの経常収支は79年の30億ドルの赤字から80年は石油収支の黒字転化や景気停滞の深刻化等から年後半以後大幅黒字に転じ,年全体では64億ドルの黒字となった。81年については3~8月分が発表されて私ないが,石油輸出の伸び悩みにもかかわらず,景気停滞の一層の深刻化やポンド安もあり,経常収支は依然黒字基調にあるとみられる。

(赤字続く他の西ヨーロッパ諸国)

これに対してイギリス等を除く西ヨーロッパ諸国では引続き大幅な経常収支赤字が続いている。

西ドイツの経常収支は79年の53億ドルの赤字から80年は164億ドルの赤字となった。これは景気後退と石油節約の進展から輸入の伸びが鈍化したものの,依然輸出の伸びを上回り,貿易収支の黒字幅が縮小したうえに,観光収支の大幅赤字や対外援助の増加があったためである。しかし,81年に天ると輸入の伸びが引続き鈍化したうえ,マルク安の効果等もあってOPEC諸国向け等の輸出が極めて好調であり,貿易収支は急速に改善し,経常収支赤字(季調値)敏80年下期の91億ドルから81年上期は70億ドルへと縮小傾向をみせている。

フランス,イタリアでも79年の各12億ドル,51億ドルの経常収支黒字に対して,80年は各78億ドル,98億ドルの大幅赤字となった。これは主として貿易収支が石油輸入額の増大により悪化したためであり,貿易収支はイタリアでは観光収支の悪化がみられたが,フランスでは技術提供や投資収益の伸びから黒字幅を拡大した。81年については一部で改善傾向がみられるものの,経常収支は依然赤字基調にある。

3. ドルの独歩高とEMSの再調整

先進工業国の経常収支不均衡が拡大するなかで主要国通貨の相対価値は大きく変動した(第1-5-2図)。

(米ドルの動向)

米ドルは80年初から4月初まで急騰したのち5月末にかけて急落し,その後は比較的落着いた動きをみせていたが,10月半ばから再び上昇に転じ,81年に入るとますますその上げ足を速めた。しかし,8月初をピークにその後こうした米ドルの動向はドル金利の動向に歩調をあわせたものであったが,よ,り基本的には西ヨーロッパ諸国と比べてアメリカの経済パフォーマンスガ好調であり,とりわけ経常収支が大きく改善したうえに81年に入って物価が落着きをみせたことが影響している。また,レーガン政権(81年1月発足)の経済政策がインフレ抑制,供給構造改善等を通じて強いアメリカを再生しうるとの期待が高まったのに対し,西ヨーロッパでは80年秋以降のポーランド情勢の緊迫化,81年5月のフランスの政権交替等が投資環境の悪化を懸念させたことも少なからず影響した。

しかし,8月初以後米国金利が低下を始めたうえに,西ヨーロッパ諸国に景気底入れ,経常収支改善の兆しがみえ始め,またレーガン政策に不整合がみえ始めたことなどから,ドルは急騰の修正局面に入りつつある。

(日本円と英ポンド)

日本円は78年11月初来の円安傾向が80年4月上旬まで続いたのち,経常収支の大幅赤字にもかかわらず,その他の経済パフォーマンスの良さ等を背景として上昇を続けたが,81年に入ると1月末から8月初にかけて急落した。

その後,円は幾分回復したのち一進一退をたどったが,11月以後再び上昇している。

英ポンドは80年中は北海油田の原油生産本格化などを背景に上昇したが,81年に入るとインフレ鈍化などの好材料にもかかわらず,石油需給の緩和,景気停滞の深刻化などもあって他の欧州通貨と歩調をあわせて急落し,他の欧州通貨が上昇に転じた8月以後も緩やかな回復にとどまっている。

(EMS通貨の動向)

欧州通貨制度(EMS)通貨をみると,各国とも大幅な経常収支赤字とインフレ高進のなかで,対ドル相場はアメリカとの金利差と並行した動きを示し,80年初から同4月初まで下落したのち7月末まで再び上昇した。しかし,その後はポーランド情勢の緊迫化,フランスにおける政権交替などもあって,81年8月初までほぼ一貫して急落を続けた。

また,EMS内部では(第1-5-3図),80年中は総じて仏フラン,オランダ・ギルダー堅調,独マルク,伊リラ,ベルギー・フラン軟調という図式で推移した。これは西ドイツでは経常収支の急速な悪化,ポーランド情勢の緊迫化,イタリアではインフレの高進,政治的不安定などの悪材料があったのに対して,フランスでは相対的に小幅な経常収支赤字と高い金利などの好材料があったためとみられる。こうした中で,80年7~9月に伊リラが,10~11月に独マルクが急速にポジションを悪化させる局面がみられ,協調介入とともに,イタリアのリラ防衛策(9月),フランスのマルク支援策(11月)等が発動された。

しかし,81年2月の西ドイツの特別ロンバート貸付制度の導入に伴う一連の措置は独マルクに対する信認を回復させ,独マルクは一転EMS内の最強通貨となる一方,伊リラ,ベルギー・フランの軟化が目立ち,3月22日伊リラの中心相場が6%切下げられた。さらに5月のフランスの政権交替は投資環境の悪化やインフレ高進の懸念から仏フランの急速な軟化を招き,フランスは再三にわたってフラン防衛策を発表するとともに,大量の協調介入が行われた。このため,いずれはEMSの中心相場の大幅な再調整が必至とみられていたが,10月4日に至って独マルク,オランダ・ギルダーの5.5%切上げ,仏フラン,伊リラの3%切下げが発表された。調整後のEMS通貨の対ドル相場をみると,独マルクが強含みで推移するとともに,仏フラン,伊リラも落着いた動きとなっている。