昭和56年

年次世界経済報告

世界経済の再活性化と拡大均衡を求めて

昭和56年12月15日

経済企画庁


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第1章 1981年の世界経済

第3節 緩和した石油需給

1. 調整された原油価格

(下落したスポット価格)

78年末のイランの政情不安を契機に逼迫した世界の石油需給は80年に一旦緩和の様相を示した後,同年9月末のイラン・イラク紛争の本格化により再び不安定化したが,81年に入ると緩和に転じ現在に至っている。これをスポット価格の動向でみると,79年末には40ドル/バーレル以上の高水準に達したアラビアンライトのスポット価格は80年に入ると低下に転じ80年夏には31ドル/バーレル台にまで下げた。スポット市場は元来限界的市場であり,生産,価格決定の主導権が需給調整機能を持っていたメジャーズからOPECへ移ったことも影響して,在庫水準や需要予想を鋭敏に反映するのである。

こうした中で,80年9月末にイラン・イラク紛争が本格化し一挙に日量400万バーレル(世界の石油輸出量の14%に相当)の原油が市場から失われた。

そのためそれまでの過剰感は解消してスポット価格は急騰し,同年11月にアラビアンライトのスポット価格は42ドル/バーレルを超えるに至った。しかし,サウジアラビアをはじめとする一部のOPEC諸国がイラン,イラク両国の生産減少分を相殺すべく増産を行った上,豊富な在庫を有していた先進国も慎重な行動をとったため大きな需給上の混乱ぱなく,81年に入りスポット価格は軟化に向かった。

その後は需給緩和が進展する中で,スポット価格は低落をつづけ,一部原油のスポット価格は,公式販売価格をも大きく下回ることになった。なかでも米国の輸入減少の影響を大きく受けたアフリカ3か国(リビア,アルジェリア,ナイジェリア)のスポット価格は,公式販売価格がほぼ40ドル/バーレルとOPEC中で最高水準であったこともあってそれを相当程度下回った。アラビアンライトのスポット価格も81年9月にサウジアラビアの日量100万バーレル程度の減産が実施されたにもかかわらず,ほぼ32ドル/バーレル程度となるなど80年のピーク時に比べると約10ドル/バーレルも低下することになった(第1-3-1図)。もっとも,10月29日のOPEC臨時総会における34ドル/バーレルの価格統一の可能性を見越したこともあって10月末のスポット価格は34ドル/バーレルを超えることになった。

(引下げられる公式販売価格)

81年前半のこうした需給緩和を示すスポット市場軟化の中で,産油国の公式販売価格は,その水準とともに各国が独自に設定した油種間価格差が市場価格と乖離し,やがて調整されることになった。

2年近く続いていたOPEC原油価格体系の乱れは,石油情勢に関する加盟国の認識の違いから,80年12月のバリ総会においても解消せず,いわゆる三本建ての価格体系が決議された(第1-3-1表)。これはOPEC原油の価格設定は36ドル/バーレルをみなし基準原油価格として最高41ドル/バーレルまでの油種間格差を各国が任意に設定できるようにすると同時に,サウジアラビアはアラビアンライトの原油価格を32ドル/バーレル(80年11月に遡及)とするものであった。

その後約1か月内に各国が発表した価格はさらに分裂したものとなったが,需給緩和下で割高原油に対する減産圧力が強まり,やがてOPEC原油価格は油種間価格差を縮小する方向で低下することになった。

81年5月のジュネーブ総会でもバリ総会の価格に関する決定を81年末まで維持することを決定したが(但し,サウジアラビアの原油価格については言及なし)その後公式販売価格の引下げがつづいた。すなわち,公式販売価格に上乗せしていたプレミアムの減額からはじまり,7月のリビアの公式販売価格の約1ドル/バーレル下げ,8月のナイジェリアの4ドル/バーレルの実質値引き,9月のインドネシアの公式販売価格の0.2~0.5ドル/バーレル下げ,10月のイラクの公式販売価格の2ドル/バーレル下げなどである。また非OPEC石油輸出国でも,中国,メキシコ,イギリス,オマーンなどで公式販売価格の引下げが行われた。

こうした中で10月29日ジュネーブにおいてOPEC臨時総会が開催され,基準原油(アラビアンライト)価格が2ドル/バーレル引上げられて34ドル/バーレルで1982年まで維持されるとともに油種間価格差についての合意が成立し,OPEC原油価格体系が再び統一されることになった。この結果OPEC原油価格中で最高水準にあったアフリカ3か国の公式販売価格はいずれも38ドル/バーレル以下へと大幅に引下げられた。

2. 石油需給緩和の原因

(先進国の需要減少)

81年に入り世界の石油需給がこのように緩和した第1の原因は主要国の需要の減少である。先進7か国の石油需要は79年の後半から減少をはじめ81年に入っても総じて減少傾向を続けている(第1-3-2図)。国別にみると,78年と80年の間でアメリカの石油消費は約10%減少し,その他6大国(日本,イギリス,西ドイツ,フランス,イタリア,カナダ)でも約6%の消費減少をみた。石油輸入の減少幅は一層大きく,この間アメリカで22%減,その他6大国で9%減となっている。石油輸入は,81年1~6月期にも前年同期と比ベアメリカ22%,フランス23%,西ドイツ20%,日本10%といずれも減少を続けている。

こうした先進国の石油需要の大幅減少は,景気の停滞による所得効果に加え,石油の相対価格の大幅上昇による消費節約効果と石油代替エネルギーの導入並びにそれらを促したエネルギー政策によってもたらされている。

ここで長期的観点からとくに注目すべきは石油節約の進展である。主要国の実質GNP1単位当りの一次エネルギー消費量は,73年以降減少していたが,79年以降はそれに代替エネルギーへの転換が加わって石油節約が一層進んだ。

すなわち,先進国におけるエネルギー消費節約の動きをみると,73年から80年までの間に7大国の実質GNPは26.8%増大したが,その間の7大国の一次エネルギー消費量は2.0%しか増加せず,実質GNP1単位当りのエネルギー消費は19.6%も減少した。これはエネルギー消費全体では石油換算5億7,100万トンの節約に相当する(第1-3-2表)。

こうした中でとくに第2次石油危機以降代替エネルギーへの転換が進んだ。第1-3-3表にみるように,7大国のエネルギー消費の石油依存度は78年の51.4%から80年の47.6%へ3.8%も低下した。これはとくに資源量が豊富で代替エネルギーとして利用の多様化が期待されている石炭に対する依存度が,6大国で高まったのが主因である(フランスでは,原子力への依存が大きく高まった)。

その結果最近,主要国の実質GNP1単位当りの石油消費量の減少が著しくなっている(第1-3-3図)。

こうした省エネルギー,省石油の進展にはOPEC原油価格の高騰が最終製品価格に反映されたことの効果が大きく効いていると思われる。今や石油価格の決定はほとんどの先進国(カナダ,フランス等を除く)で市場に委ねられている。最大の石油消費国であるアメリカでも81年1月から国産原油価格とガソリン価格の統制を完全撤廃した。

OPEC原油価格の高騰を反映した製品価格の上昇は,直ちに石油の消費節約を誘発するだけでなく,より長期的にも産業構造の省石油型への転換,自動車の小型化等を通して省石油,省エネルギーを促進すると考えられる。

(十分な在庫の活用)

需給緩和の第2の要因として在庫の活用があげられる。

80年秋のイラン・イラク紛争で両国の石油供給が激減した時,先進国は高水準の在庫の活用等により需給と価格の安定を確保することに成功した。その後も,一段と需要が減少する中で高金利やドル高のためもあって手持在庫が放出されており(在庫水準は81年7月まで前年水準を下回った),それが需給緩和に拍車をかけた。

(非OPEC生産の増大)

需給緩和の第3の要因はOPEC以外の諸国の生産の増大である。OPE Cの原油生産は79年の日量3,083万バーレルから80年には2,684万バーレル(約13%減),81年上期にはさらに2,409万バーレル(前年同期比約15%減)へ減少したが,この間共産圏を含む非OPECの生産は79年の3,201万バーレルから80年3,292万バーレル,81年上期には3,342万バーレルと増大している。この結果世界の石油生産に占める非OPECのシェアは79年の50.9%から80年には55.1%へ,さらに81年上期には58.1%に上昇している。

非OPEC生産増大の主力は,メキシコ,北海,アラスカである。中でもメキシコの石油生産は77年から80年の間に約2倍に拡大した。北海では80年の前年比9.5%増につづき81年上期も前年同期比7.5%増となっている。アラスカの生産も80年は76年に比べ約9倍の生産増となっている。共産圏ではソ連が80年2.5%増の後81年上期も前年比1%増の生産をつづけている。

もっとも非OPEC生産の今後については,メキシコは豊富な埋蔵量を背景に国内経済開発とのパランスを図りつつ慎重ながらも増産をつづけることが期待されるが,北海は開発の遅れと資源温存策により,またアラスカやソ連では技術的にピークに達したことから余り大きな伸びは見込めないものと思われる。

(サウジアラビアの増産)

需給緩和の第4の要因はサウジアラビアが81年8月までほぼ日量1,000万バーレルという高水準の生産を維持したことである。石油価格の高騰が世界経済の混乱をひき起こすことをよしとしないサウジアラビアは,イラン・イラク紛争が世界の石油市場に及ぼす悪影響を防止するため,紛争発生後生産水準をそれまでの日量950万バーレルから同11月には1,000万バーレル程度に引き上げ,81年に入っても,それを維持したのである。そのためOPEC生産に占めるサウジアラビアのシェアは79年の31%から80年の37%へ高まり,さらに81年上期では40%を超えるに至っている。尤も,同国は9月には日量100バーレルの減産を実施した後,11月以降は生産の上限を850万バーレルヘと低下させることを発表している。

3. 今後の見通しと課題

こうして世界の石油需給は緩和しており,石油価格には低下圧力がかかっている。先進国の石油需要は,今後世界景気が回復に向かったとしても,省エネルギー,代替エネルギー開発の推進等からなお当分弱含みで推移するものと思われる。OECDの見通しでも81年から82年にかけてOECDの石油需要は消費,輸入とも減少し,OPEC原油に対する依存は一層低下するとみている(第1-3-4図)。

しかしながら石油はなお世界のエネルギー供給の約44%を占めており,しかも西側主要国石油輸入の70%を占める中東・アフリカ地域の政治情勢がいぜんとして流動的であること,産油国の資源温存策等もあって中長期的な石油の供給不安はいぜん払拭されていない。

こうした中で,石油消費国はつぎのような対応が求められている。

その第1は,80年末に石油市場の混乱を防止した役割に鑑み,ひきつづき可能な範囲で充分な備蓄の保持に努めることである。アメリカでは石油戦略備蓄を89年に7.5億バーレルに引上げることを目標に意欲的な備蓄増強計画が実行されており,その他の先進国でも需給緩和期に積増しを行なうなど機動的な備蓄政策の活用が望まれる。

第2に需給が緩和して原油価格が軟化する時期にも持続的な節約効果が期待できるような新たな節約プログラムを検討するとともに,ひきつづき代替エネルギーの開発導入を推進することが重要である。

第3に従来からのIEA等の場を通じた先進国間の協力をひきつづき強化していく必要がある。

それと同時に,より広い視野から,81年8月にナイロビに於て開催された新再生エネルギー国連会議で採択されたナイロビ行動計画等を尊重しつつ途上国でのエネルギー開発のため産消両国からの資金・技術・情報の提供等を推進するなどを通じて,産消間の対話が進展することが期待される。