昭和55年

年次世界経済報告

石油危機への対応と1980年代の課題

昭和55年12月9日

経済企画庁


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第1章 1980年の世界経済

第5節 国際収支と為替相場の動向

78年から79・80年にかけての世界の経常収支動向には2つの大きな変化が見られた。その1つは,石油黒字と石油赤字が再び出現したことであり,その2つは,3大工業国,米,日,独の経常収支が大きく変化したことである。

1. 石油黒字,石油赤字の再出現

78年まで縮小して来たOPECの経常黒字は(78年50億ドル,公的移転前),79年には石油価格の大幅引上げにより684億ドルと大幅に拡大し,80年には,さらに1,150億ドルに増大するものと予測されている(第1-5-1表)。これに伴い,石油輸入国では工業国の経常収支(公的移転前)が78年の335億ドルの黒字から79年には98億ドルの赤字へ,さらに80年には500億ドルの赤字へ転ずると見込まれている。また,非産油途上国の経常収支(公的移転前)は78年の358億ドルの赤字にひきつづき,79年529億ドル,80年700億ドルの赤字になるものとみられている。

OPECの経常黒字の78年から79年への増加分635億ドルの中味をみると,貿易収支黒字の増加分が693億ドルとなっている。これは輸出量は1.0%増にとどまった反面,78年には10.5%悪化した交易条件が79年には29%も改善し,一方,輸入量がイランの輸入減等から,4.3%減少したためである。

78年から79年へのOPECの経常黒字増大分の分担をみると,先進国が432億ドル,非産油途上国が171億ドルと,先進国が2倍半以上の額を負担している。73年から74年にかけてはこの比率はほぼ1:1だったから,今回は先進国が石油赤字のかなりの部分を負担しているのが分る。これは,79年中は先進諸国の景気が堅調に推移したのが一つの原因と思われる。

2. 米,日,独の経常収支の大幅変化

78年には143億ドルに上ったアメリカの経常赤字(ここでは公的移転後,以下同様)は79年にはわずか8億ドルに縮小した。これに対して78年に165億ドルの大幅黒字となった日本が79年には88億ドルの赤字に転じだ。西ドイツの経常収支も78年の88億ドルの黒字から79年の58億ドル,の赤字となった(第1-5-1図)。

こうした変化は,第1にアメリカの成長が78年から79年にかけて減速したのに対して,日本は79年も高い成長を維持し,西ドイツは逆に成長率を高めたことが響いている。第2の理由は,78年中のドル安,円高,マルク高の影響がようやく現われて来たことである。

この成長率格差と,為替の2要因の影響は石油以外の貿易収支の動向に一層明確に現われている。すなわち,アメリカの非石油収支は8年の37億ドルの黒字から79年の247億ドルに大幅な改善を見せているのに対して西ドイツのそれは161億ドルの黒字から79億ドルの黒字へ悪化しており,日本も西ドイツと同様の悪化がみられる。

アメリカの経常収支改善には,そのほか,海外投資収益の増大による貿易外収支黒字幅の拡大が貢献している。逆に西ドイツでは,旅行収支赤字や外人労働者送金収支赤字の傾向的拡大から貿易外収支,移転収支とも構造的に悪化しており,原油輸入の増大とともに経営収支悪化の大きな要因となっている。

80年に入っても基本的には同様の姿が続いているが,若干の変化もみられる。

まずアメリカの経常収支はひきつづき改善基調にあるものとみられる。アメリカの経常赤字は上半期で51億ドルと79年下半期の29億ドルから再び拡大したが,これは主にサウジアラビアによるアラムコ国有化で海外投資収益の取扱いが変わったためで,石油輸入のひき続く減少などから貿易収支赤字幅は80年1~3月をピークにその後は縮小している。

西ドイツはいぜん高水準の経常赤字(原数値)を続けている。80年1~9月の経常赤字は245億マルク(約137億ドル)と前年同期の87億マルク(約47億ドル)を大幅に上回った。これは貿易収支の黒字が,高水準の石油輸入に加え,日,米等からの製品輸入の増大等で縮小しているのが主因である。

日本は80年7~9月には,貿易収支が黒字に転じたことから経常収支赤字幅は縮小したが1~9月では113億ドルの経常収支赤字(原数値)となり前年同期(51億ドル)を大幅に上回る赤字を出している。

3. これまでのところ順調な赤字ファイナンス

石油輸入国における経常収支の大幅な悪化にもかかわらず,これまでのところそのファイナンスはほぼ順調にいっているように思われる。

79年の石油輸入国の経常収支赤字のファイナンスぶりをみると,まず工業国全体では資本流入と外貨準備の取崩しで経常赤字を大幅に上回る資金を生み出して,IMFクレジットの返済や外国通貨当局への債務返済に充てた。

また,非産油途上国でも経常収支赤字を大幅に上回る資本流入により外貨準備を積み増してさえいる。これは後述するように(第3章第1節),国際資本市場の流動性が高くなお借手市場であったためである。

79年における工業国のファイナンスの状況を主要国についてみると,日本では経常収支の赤字化に加え資本も流出したため外貨準備の取崩しが極めて大幅になった。これに対して西ドイツも外貨準備を取崩したが,それと同程度に資本流入分で賄っている。また,イタリア,フランスは79年は経常収支が黒字だったこともあり,またイギリスでは資本流入が大幅だったため,これら3国は79年には外貨準備を積み増している。

80年に入ると,日本は長期資本が流入に転じたが,西ドイツでは資本流入(とくに長期)が細っており,資本流入規制の緩和や高金利の維持を通じて流入の促進が図られている。

4. おおむね安定的に推移した為替市場

こうした中で為替市場も79年以降,円,ポンドを除いて,おおむね安定的に推移した。工業国通貨の実効レートの月ごとの変動率の年間平均は78年の1.44%に対し79年は0.96%となっている。円,ポンドを除外すると,これはさらに小さくなる。第1次石油危機後の時期の変動率が1.41%であったのと比較すると79年の安定ぶりがうかがわれる(第1-5-2表)。

(ドルの安定)

第2次石油危機中であったにもかかわらず為替市場がこうして比較的安定的に推移したのは,ドルの回復によるところが大きい。77年9月頃から78年10月まで実効レートで15.3%下落したドルは,78年11月以降回復に向い79年12月には78年10月対比4.4%の上昇となった。これは78年11月1日にアメリカがドル防衛対策を発表し,主要国通貨を調達して為替市場に介入することも辞さずとの強い決意を表明したのが直接のきっかけであるが,基本的には,すでに述べたアメリカの経常赤字の改善傾向が本格化したことによる。78年以降のアメリカの経常収支の推移を見ると,赤字幅は78年1~3月期をピークに期を追って縮小に向い,79年1~3月期には黒字となっている。それと対照的に,日本の黒字は78年後半から急速な縮小,さらに赤字化に向い,西ドイツも79年に入って赤字化へ向った。もっとも為替相場に影響を与える基礎的条件の1つであるインフレについては改善が進まず,そのため,ドルは一時的に下落する局面もあった。こうしたことから,79年夏以降相ついで公定歩合が引上げられたうえ,79年10月には金融の量的規制に重点を置いた新しい金融引締め措置がとられた(第1-5-2図)。

80年に入ると,インフレが一段と高進したうえ,資金需要が根強く,また,3月14日には信用規制措置をふくむ新インフレ対策が打ち出されたことから市中金利が急騰した。この間,西ドイツ,スイス,日本などでも公定歩合が引き上げられたが,アメリカの金利上昇スピードに追いつけず金利格差が拡大し,ドルが急騰,4月上旬には1ドル=1.97マルク,260.70円の高値となった。

しかし,その後はアメリカの異常金利が解消に向うとともにドルも歩調を合わせて下落し,金利が底入れした6月央からは落着いた動きとなっている。

(EMSの発足)

79年以降の為替市場の安定に寄与したもう一つの要因は欧州通貨制度(European Monetary System,以下EMSと略す)の発足である。EMSは,それまでのマルクを中心とする共同フロートにフランス・フラン,イタリア・リラ,アイルランド・パントが加わり,79年3月にイギリスを除くEC8カ国でスタートした。発足後の推移をみると中心レートの調整は,79年9月のドイツ・マルクの2%の切上げ(デンマーク・クローネに対しては5%)と,11月のデンマーク・クローネの5%の切下げの2回だけでいずれも早めに調整がなされている。

ただ,80年3月からイタリア・リラが国際収支の大幅悪化,インフレが引続き高水準であることなどからEMS内で急速に下落した。このため,7月には総合緊急経済対策が発表され,さらに9月には公定歩合が1.5%引上げられるなど,リラ防衛策が打ち出された(第1-5-3図)。

また,ドイツ・マルクも経常収支の大幅赤字がつづいていることから10月に急落し,EMSにおける乖離点の下限に接近している。

(円とポンド)

こうして全体としての為替市場がほぼ安定的に推移する中で日本円と英ポンドは大幅な値動きとなった。円は78年10月末に1ドル=176円の高値となった後,79年を通じてほぼ一貫して下落し,79年11月下旬には1ドル=251.50円と250円を割り込んだ。これは,①経常収支の赤字幅が拡大したこと,②OPECの石油値上げとイラン情勢悪化による石油の供給不安,③卸売物価の騰勢が続いていたことなどによるものである。この後,円は4月に米国金利の上昇等によって1ドル=260.70円まで下げたが,7~9月期には貿易収支が黒字に転じ,また対日証券投資の増大を反映して資本流入が増加したことなどから円はおおむね安定的に推移している。

一方,英ポンドはこうした円の動きとは対照的に上昇を続けた。すなわち,79年秋に一時的に下落したほかは,78年春以降一貫して強調裡に推移し,80年9月には75年3月以来5年ぶりに1ポンド=2.4ドルを突破した。

これは,インフレが相当の高水準になっているにもかかわらず,北海油田の生産が軌道に乗ったこと,サッチャー政権の厳しい金融引締めによって高金利が維持されていることによる。