昭和55年

年次世界経済報告

石油危機への対応と1980年代の課題

昭和55年12月9日

経済企画庁


[目次] [年次リスト]

序章 世界経済の潮流変化

戦後の世界経済の安定的発展を支えて来た諸条件は1970年代に入ると大きく変化した。発展途上国の中から新興工業国と呼ばれる一群の国々が輸出主導の工業化に成功し,世界経済に登場した。市場経済と計画経済とその運営原理を異にする東西両経済圏の交流が米ソ2大国の間の緊張緩和の推進とともに進展していたが,70年代末には緊張緩和は一頓座を来した。また国際経済の相互依存関係が深まる中で経済に対する政治の関与・介入が増大している。

しかしながら,こうした諸々の変化の中で70年代に世界経済を基本的に変えた最も重要なものは,アメリカの地位の相対的な低下と産油国の力の強まりの2つである。

(アメリカの地位の相対的な低下)

戦後,1960年代までの世界経済はアメリカの圧倒的な経済力とそれに裏付けされた政治的指導力によって支えられていた。固定平価制に基づく国際通貨体制は金との交換性を保証されたドルによって支えられており,国際貿易体制はアメリカの市場開放によってその自由貿易主義を維持していた。さらにアメリカは戦後ヨーロッパ復興のためのマーシャル・プランに引き続いて,発展途上国開発のための経済援助を主導した。自由世界の防衛についても,同盟国との安全保障条約の下でその多くの費用を負担した。

いいかえると,世界経済の円滑な運営に必要な費用の主要部分はアメリカによって負担されていたのである。

しかしながら,1970年代に入る頃からアメリカの地位が相対的に低下するようになった。アメリカの経済力の傘の下で,日本,西欧さらには新興工業国が順調な経済成長をつづける一方,アメリカの経済的困難が増大してきたためである。ベトナム戦争を契機にインフレが進行し始めると固定レートの下でアメリカの国際競争力が低下し,71年には戦後初めて貿易収支が赤字に転落,ドル不安から金の流出が激化して,ついにアメリカはドルの金交換を停止せざるを得なくなったのである。

その後もインフレは悪化の一途をたどり,加えて生産性上昇率が目に見えて鈍化し,エネルギーの海外依存度が高まるなど,アメリカ経済の相対的な地盤沈下は一層進んだ。こうした経済力の弱まりは,ベトナム戦争,ウォーターゲート事件等での挫折や対ソ軍事優位の低下等と相まってアメリカの指導力をも弱めている。

1980年代初頭の世界経済は,リーダーの力の低下した世界である。アメリカの経済力はいぜん大きいが,その地位はかつてのようにズバ抜けたものではない。四半世紀前には世界のGNPの4割弱を占めていたアメリカも今は2割強になった。79年にはECのGNPがアメリカを抜いた。またかつて(1955年)アメリカの6%にすぎなかった日本のGNPが今やその半分弱に達し,1人当たりでは8割に達しようとしている。こうして世界はかつてのアメリカのズバ抜けた経済力に支えられたパックス・アメリカーナ-アメリカの時代‐から米・欧・日さらには産油国,新興工業国等の割拠する多極化時代へ変ったのである(第0-1図)。

(産油国の力の強まり)

アメリカの地位の相対的低下が70年代の世界経済不安定化の深部を流れていた底流であったとすれば,より直接的かつ劇的に70年代の世界経済を揺り動かしたのは,産油国の力の強まりであった。

OPECがメジャーズの公示価格の一方的引下げに対抗してサウジアラビア,イラン,イラク,クウェート,ベネズエラの5か国で組織されたのは1960年であったが,OPECが一つの勢力として世界経済の舞台に登場したのは70年代に入ってからであった。すなわち,71年OPECはテヘラン協定によってはじめて加盟国の公示価格の引上げ等に成功したのである。さらに73年には第4次中東戦争を契機に石油価格を一挙に4倍近くに引き上げ,78年秋のイラン政変を契機に段階的に2倍半に引き上げた。このため,世界経済は70年代に2回にわたっていわゆる「石油ショック」にさらされるに至ったのである。70年代はまさに「OPECの年代」というにふさわしかった(第0-2図)。

こうしてOPECが世界経済に大きな影響を与えるようになった背景には,世界の石油資源が潤沢から不足へ大きく変化したという事実がある。50年代,60年代には,中東を中心とする大油田の発見が相次ぎ,生産が増大し,価格が低位に安定する中で世界のエネルギー需要が石油に急傾斜していったが,70年代に入る頃から,大油田の発見テンポが鈍り出し,大量消費が資源の壁に突き当るようになった。

こうした中で産油国の資源主権意識が高まり,資源保存的生産政策がとられ,また流通面でも産油国の販売量のシェアが高まりメジャーズのそれが低下するなど国際石油市場も変化した。中東政治情勢の一層の不安定化,ソ連東欧圏の需給ひっ迫化の可能性等も石油供給の基調を不安定なものとしている。

こうして,一時的な需給の緩和はあったとしても,代替エネルギーが十分に供給されるようになるまでの期間は,中長期的に石油は需給のひっ迫基調,供給攪乱の可能性等が続くものと覚悟しなければならない状態にある。

世界経経が「石油の囚人」から脱却できない時期「OPECの年代」は80年代も続く恐れが大きい。

(世界経済の諸問題)

こうした2つの流れが70年代に世界経済を大きく変えた。そのあらわれの第1は,世界経済の枠組の変化である。

アメリカが担っていた枠組はアメリカの力の弱まりと共に変質せざるを得ない。国際通貨体制においては,主要国通貨が変動相場制に移行し,またマルク等ドル以外の通貨の役割が増大してきている。国際貿易体制は,南北問題や資源ナショナリズムの台頭もあって,自由,無差別,多角,互恵の原則が揺ぎ,保護主義的動きが強まっている。また,援助,安全保障面でもアメリカの負担力が落ち,負担の分担を求めている。

そのあらわれの第2は世界経済のパフォーマンスの悪化である。

70年代を通じて貿易のひきつづく拡大や新興工業国の成長等いくつかの成果もあったが,世界経済の枠組の動揺と石油価格の急騰は,各国の国内的コスト・プッシュ要因の強まり等と相まって,アメリカのみならず多くの国の経済的パフォーマンスを悪化させた。アメリカにみられるスタグフレーション(インフレと失業の共存)の悪化,生産性の伸び悩み,石油への過度の依存は,その他の主要国でも程度の差はあれ重大な問題となり,また非産油途上国では債務累積が深刻な問題となっている。

しかもこうした大きな変化は世界経済の相互依存が一層強まる中で起っている。世界経済の相互依存は通信・運輸等の技術進歩や情報・知識の拡散に支えられながら,国際貿易を通じて,また国際資本市場を通じて絶え間なく進展している。それは北の国々の間で,南の国々の間で,南と北の間で,また東と西の間でも強まっている。

地域間の関係だけではない。貿易,エネルギー,資本の流れ等異る問題の間の相互関係も強まり,経済と政治の間のそれも強まっている。

こうした相互依存の強まりは,国際分業の利益を増大させることによりすべての国民の福祉を向上させるはずであるが,その反面それぞれの国の対応の自由度を狭め,国内での困難の増大と相まって国際摩擦を増幅することにもなっている。

内部にそれぞれ問題を抱え,互いに外部からの影響を受けやすくなった世界。そこで生ずる様々な問題に世界経済がどう対処していくべきか。80年代最初の世界経済報告として,70年代の中で作り出されたこうした問題を中長期的観点から分析し,80年代へ向けての世界経済の課題を明らかにするのが本報告のねらいである。

本報告の構成はつぎのとおりである。

第1章「1980年の世界経済」では,1979年から80年にかけての世界経済の動きを重点的に整理して叙述し,第2章以下の分析の背景を明らかにする。

第2章「石油危機と経済変動」は,石油危機に対する主要消費国の対応を前回と今回とで対比して分析することにより,石油危機克服のための方策を探る。

第3章「オイル・マネーの再出現と国際通貨問題の新展開」では,ドルの地位の相対的低下に加え,オイル・マネーの再出現で変貌しつつある国際通貨情勢を展望し,とくに非産油途上国の国際収支赤字ファイナンスと累積債務問題を分析する。

第4章「供給管理政策の登場とその課題」では,1970年代における先進国経済の最大の問題であったスタグフレーションの悪化,生産性の伸び悩み,石油への過度の依存等に対処するため登場した供給管理政策をアメリカ,イギリス及び西ドイツにみ,あわせて貿易摩擦の現状と積極的調整政策,エネルギー政策の動向をみる。


[目次] [年次リスト]