昭和53年度

年次世界経済報告

石油ショック後の調整進む世界経済

昭和53年12月15日

経済企画庁


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第3章 成長条件の変化と先進国経済

第1節 アメリカと西ドイツの景気格差

まず第二の政策要因についてであるが,景気が停滞した西ヨーロッパのなかでもフランス,イギリス,イタリアなどの場合には,インフレ抑制,経常収支改善のために,76年から77年にかけて緊縮政策がとられたことを考えれば,成長率が低かったのも当然の結果だともいえる。これに対して,西ドイツの場合は,石油ショック直後も経常収支は大幅な黒字を示し,インフレもいち早く鎮静化するなど,75年当時にはアメリカに比べて優るとも劣らぬ良好な経済情勢を示していた。それにもかかわらず,76年央以後における西ドイツの景気回復は著しく鈍化し,77年の成長率は2.6%にすぎず,78年に入ってからも期待はずれの回復にとどまっている。そして,EC9か国のGNPの3分の1を占める西ドイツ経済の予想外の不振が,西ヨーロッパ全体の景気回復にも少なからずマイナス要因になっていることは否定できない。アメリカと同じように,経済的な好条件に恵まれた西ドイツが,このような状態にとどまっていることは,米欧の景気格差の中でも一つのきわだった現象である。したがって,政策要因の相違はアメリカと西ドイツとの対比にしぼることにするが,その前に両国の景気上昇パターンにどのような相違が生じているのかを整理しておこう。

1 景気上昇パターンの相違

従来の景気循環局面では,景気刺激措置の導入→公共投資の増加,個人消費(とくに耐久財)の回復,輸出の増加→設備投資の回復→輸入増加→輸出増加という最終需要の回復に在庫の自律的反転作用が加わって,景気が底入れしてから約1年半後には景気上昇が軌道にのるのが平均的な回復過程であった。

アメリカでは,こうした従来からの回復パターンに近いメカニズムが今回も作用しているのに対して,西ヨーロッパや日本では自律的な景気復元力が弱まっているという違いがみられる。

アメリカの今回の景気上昇局面における成長要因を前2回のそれと比較してみると,①個人消費,とくに耐久財の回復が今回も景気反転のリード役となっており,②住宅投資がこれに次いで急拡大し,③在庫投資も削減から再蓄積へ転換した。さらに,④非住宅固定投資も従来よりはかなり出遅れたものの,77年以降は急速な回復を示すようになり,⑤政府支出の増加とともに景気拡大の牽引力となるなど,多少のタイミングの差はみられるものの,ほぼ同様のパターンを辿っていることがわかる。

この結果,景気が底入れしてからの三年間の実質GNPの伸びは年率約5%となっており,主要な需要項目の伸びもほとんど過去2回の上昇局面のそれに匹敵している(前出第I-1-3表)。

これに対して,西ドイツでは,①輸出と個人および政府消費が景気底入れの主役となった点は今回も前回(谷67年5月-山70年3月)と同様であるが,いずれも回復2年目頃から上昇力を弱めでいること,②機械・設備投資も今回のほうがむしろ回復の出足が早かったものの,前回にみられたような加速化過程を示していない,などのちがいがみられる(第III-1-1図)。

このように,西ドイツの場合には,当初は従来の回復パターンに近いものがみられたものの,回復2年目に入って中だるみとなり,輸出,投資主導型の上昇軌道にのるだけの十分な浮揚力に欠けていることを示している。

2 経済政策の相違

75~76年当時の西ドイツは物価面でも対外収支面でも先進国中もっとも良好なパフォーマンスを示していた。消費者物価の上昇率はいち早く低下に向かい,76年には5%を割るに至ったし,経常収支は石油ショック後も黒字で,76年の黒字幅は38億ドル,GNPの0.9%にのぼった(第III-1-2図)。

この点は,76年の消費者物価が6%近く上昇し,経常収支が43億ドル(GNPの0.3%)の黒字となっていたアメリカに比べても,景気拡大を実現するための条件はむしろととのっていたといえる。

しかも,アメリカでは77年になるとインフレの鎮静化は足ぶみ状態となり,経常収支が大幅の赤字を示すようになったのに対して,西ドイツでは物価は期を追って落着きの度合いをたかめ,経常収支も黒字基調をつづけた。

このように,西ドイツはアメリカよりも制約条件が少なかったにもかかわらず,今回の回復局面でとられた景気対策はアメリカに比べてかなり慎重であり,それが西ドイツの景気回復緩慢化の大きな要因になったと考えられる。

もとより,アメリカの場合も,インフレ再燃に対する警戒などから,76年以後の財政政策は決して非常に積極的であったとはいえないが,西ドイツに比べると財政面からの景気刺激効果は大きかったとみられる。

なお金融面では,通貨供給量の増加率には両国の間に大きな差はみられない(前出第I-1-4表参照)。

(1) 財政政策の米・独比較

財政政策の景気に与える影響については,歳入や歳出の規模や具体的内容を考慮すべきであって,単純に財政赤字の大小及び変化によってのみこれを比較することには限界がある。しかし,資料上の制約等もあって,ここでは財政の景気に与える効果を大づかみに把握するために,連邦政府の財政収支バランスをみると,両国とも74年以降の赤字が大幅となっているが,GNPに対する比率は,アメリカでは,75年に4.6%に達したのに対し,西ドイツでは3.2%であった。その後,両国ともこの比率は低下したが,77年でもアメリカは2.6%で,西ドイツの1.9%を上回っている(第III-1-1表)。

もっとも,年々の景気に及ぼす効果は,赤字幅の大きさそのものよりも,前年に比べて,赤字幅がどの程度変化したかによるところが大きい。このような見方に立って,財政赤字幅の変化額がGNPの何%に相当したかを計算してみると,第III-1-1表(C)欄のようになる。これでみると75年にはアメリカの赤字はGNPの3.8%分も拡大したのに対して,西ドイツでは赤字幅の拡大はGNPの2.1%で,景気刺激効果はアメリカの方が格段に大きかった。しかし,76,77年は両国とも赤字幅は縮小し,しかも,その縮小幅はむしろアメリカの方が大きくなっている。したがって,これだけからみると,76,77年の財政収支は両国とも景気に対してマイナスとなり,その程度はアメリカの方が大きかったようにみえる。

しかし,景気回復期における財政赤字の縮小には,順調な所得の上昇と,それにもとづく税収入の増大によってもたらされる場合と,支出の削減によって生ずる場合があり,表面上の赤字の動きは同じでも,その意味は全く異なる。

この点を検討するために,両国連邦政府の歳出,歳入の動きをみると,第III-1-2表の通りである。歳出については,アメリカではこの2年間,平均8.9%の増加となっているのに対して,西ドイツでは4.6%にとどまっている。両国の物価上昇率の差(GNPデフレーターで,アメリカ5.5%,西ドイツ3.5%)を考慮しても,アメリカの歳出拡大の方が大幅である。一方,歳入の伸びはそれぞれ14.4%,9.9%で,アメリカのほうが高いが,名目GNP増加率に対する弾性値でみると,ほぼひとしい。76~77年を通じて,アメリカの所得増加は西ドイツを大きく上回っている点からみれば,この弾性値はむしろアメリカの方が高くなって当然といえる。したがって,この2年間については,財政赤字の縮小は,アメリカでは主として所得上昇による税収増によるものであり,西ドイツでは歳出増加の抑制によるものであったと判断される。

また,財政収支が経済に与えた効果についてのOECD事務局の試算結果でみても,75年から77年までについては,西ドイツの方が景気刺激効果が小さかったことが示される(第III-1-3表)。たとえば,76,77年の2年間について支出の増大,減税など意図された政策による効果をみると,アメリカではGNPの0.2%に相当する拡大効果があったのに対して,西ドイツの場合は0.1%となっている(同表A欄)。

以上,財政収支の結果に表われたものの経済効果を検討してきたが,このほか,政府の政策態度の相違も,心理的に少なからぬ影響を及ぼしたと思われる。アメリカでは,77年はじめに,景気の上昇を持続させ,失業を減らすことを目標に,カーター新大統領によって,77,78年度の2年間にわたる総額約320億ドル(76年GNPの1.9%)にのぼる財政刺激策が提案された。

77年1~3月の個人貯蓄率が大きく低下したのも,この提案の影響によるところが少なくなかったとみられる。もっとも,その後景気上昇が予想外に順調だったこともあり,77年4月にはその一部(77年春に予定された所得税の還付114億ドル)は撤回された。さらに,78年初めにも,大統領は同年10月から平年度250億ドルの減税を実施することを提案した。今回も,78年央になって,失業の減少が予想以上に進み,反面インフレやドルの低下が大きな問題になってきたため,提案の減税規模を圧縮し,実施時期を3か月おくらせることになった。

これに対して,西ドイツではインフレ抑制や財政赤字削減の観点から,77年度当初予算は,前年度(当初予算)比歳出増4.4%,歳入増14.4%という控え目なものとなり,この結果連邦財政の赤字額は76年度の327億マルクから77年度には211億マルクへと縮小することが予想されていた。しかし,77年春以後景気が予想外に停滞し,失業も増加に転じたため,同年秋になって財政上の刺激策が講じられることになり,結果的には77年の財政赤字は222億マルクとなった。

(2) 財政政策慎重化の背景

このように,西ドイツの財政政策が,アメリカよりも制約条件がきびしくないにもかかわらず,より慎重なものになったのは,主としてつぎのような理由によるものと思われる。

第一は,財政赤字の規模が石油ショック後急拡大し,とくに,そのインフレに対するマイナス面が強調されたことである。すなわち,従来,西ドイツでは財政バランスは必ずしも赤字ではなく,赤字であってもその規模はきわめて小さく,連邦政府の一般会計赤字はGNPの0.2~0.5%程度であり,67,68年不況時にもその比率はほぼ1%以下にとどまっていた。しかし,74年以降,この比率は大幅に高まり,65~73年平均の0.4%に対して,74~77年平均では2.1%に上昇している。

財政赤字規模の急拡大および対GNP比率の高まりは,アメリカにおいても生じており,GNP比率はむしろアメリカのほうが高く,65~73年平均の0.8%に対して,74~77年平均は2.8%となっている。

アメリカでは,こうした財政赤字の拡大を循環的なものとみて,不況期の赤字を好況期の黒字で相殺し,全循環をならしてほぼ均衡すればよいとする見方がかなり有力である(たとえば,ハンセン,ヘラー)。これに対して,西ドイツでは,近年の財政赤字の拡大には,不況による循環的要因が作用していることはむろんであるが,それよりも,社会保障関係費の膨張などの構造的な要因が大きいとする考え方が強い。

こうした財政構造の硬直化に対処するために,西ドイツ政府は75年,財政構造改善法を成立させ,失業保険料率の引上げ,公務員人件費の削減など支出面での抑制をはかる一方,付加価値税引上げなどの増税措置をとることとした。この基本方針は,景気回復力が弱いにもかかわらず,その後も財政政策を拘束している。たとえば,76年度予算案や77年初の77年度予算案作成時にも,この構造改善法による財政赤字の中期的解消の重要性が再確認されている。

第二には,こうした財政赤字の急拡大に対する法的な歯どめ措置の導入の背後に,西ドイツにおける伝統的な強いインフレ・アレルギーがあることである。

戦後の物価パフォーマンスからみると,西ドイツは先進国中スイスとならんで最も優れており,財政赤字規模もとくに大きいわけではないので,こうしたインフレ懸念は当らないとOECDなどではみている。ただ,西ドイツでも60年代後半から,労働コストの急上昇による経済のインフレ体質化がすすんでおり,とくに最近では,賃金についての協調行動が破綻をきたしていることから,今後の政策運営がより複雑化していくことは事実であろう。

第三は,経済政策運営に関する基本的考え方において両国の間に大きな相違があるとみられることである。もとより,アメリカでもインフレ抑制は大きな政策目標であり,現にカーター大統領も,なるべく早く消費者物価上昇率を4%に引下げる旨公約していた。しかし,76年以来,どちらかといえば政策の重点は経済拡大の持続による雇用情勢の改善におかれていたと思われる。この点は,78年はじめに,年間6%程度の消費者物価上昇を予想しながら,前述のような減税提案が行なわれた点にもうかがわれよう。

これに対して西ドイツ政府当局は,何よりも物価安定に重きをおいている。その背後には,つぎのような考え方がある。つまり,最近数年間における先進国経済の困難は,主として戦後二十数年にわたり各国がインフレ的政策を続けたことによるものであり,インフレ・マインドが一掃されない限り,その場限りの需要拡大策をとっても,効果は一時的にすぎない。物価が落着き,賃金上昇もおさまれば,それにともなって企業経営も改善され,将来に対するコンフィデンスも回復してくる。このような状況のもとで,企業の投資意欲がたかまり,それによって経済が拡大を示すことこそが本当の意味の景気回復であり,政府はこのような環境をつくり出すために長期的観点からの対策をすすめるべきだという考え方である。77年はじめに西ドイツ政府が,諸外国からの景気刺激策採用への要求を拒否する一方で,成長基盤強化のための4年間にわたる「中期公共投資計画」を採用したこと,78年夏に決定された財政刺激策の中でも,所得税を中心とする減税とならんで,研究開発の促進に重点がおかれたのも,そのあらわれと考えられる。

いずれの行き方が正しいのか,一概に断定できないが,アメリカの場合,本年春以降累次にわたるインフレ対策がとられ,成長政策が大幅に修正されつつある一方,西ドイツでは,失業の増大を阻止するために,2年連続して追加策の採用を余儀なくされている点は見逃せない。この両国の対照的な政策と経済動向は,インフレなき成長への道を探求している現在の先進諸国の苦悩を表わしているように思える。