昭和53年度

年次世界経済報告

石油ショック後の調整進む世界経済

昭和53年12月15日

経済企画庁


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第2章 フロート制下の為替相場変動と国際収支

第2節 ドル低落の原因と影響

1 ドル低落の原因

77年秋以降のドルの下落は著しく,77年9月末から78年10月末までの間の下落率は26.8%(ロイター・カレンシー・インデックスによる)にも及んでいる(第II-2-1図)。これは,76年の英ポンドやイタリア・リラの下落幅に匹敵するものであり,基軸通貨であるドルがこのように大幅な下落を示したのはフロート以後初めてのことである。

ドル相場が下落した原因は第一に前述のようにアメリカの経常収支が77年以来大幅な赤字を続けているうえに78年に入り,アメリカの物価上昇率が高まり,とくに,日本,西ドイツとの間にインフレ格差が生じていることである。第二は,これは原因であり,また結果でもあるが,アメリカからの資本流出が増大したことである。アメリカの資本収支(アメリカ及び外国の公的準備資産増減を除く米商務省発表資料から作成)は,77年1~9月では四半期平均35億ドルの流出超となっていたが,その後純流出額は,10~12月98億ドル,78年1~3月121億ドルと急速に拡大し,4~6月も97億ドルといぜん大幅なものとなっている。こうした資本流出の増加はドルの値下り予想に基づく短期資本の流出によるところが大きいとみられる。第三は,ドルの先安感から投機が活発化したことである。アメリカにおいてエネルギー法案の成立やインフレ対策の発表が遅れたこともドルに対する不信感を高め,投義売りを誘発する結果となった。第四の原因としては,こうした投機を助長した膨大な海外ドル残高の存在があげられる。いうまでもなく,ドルはフロート制下にあっても実質上基軸通貨として財,サービス,さらに金融取引きなどあらゆる対外取引に使用されるのみでなく,世界の準備通貨の役割をも゛果している。従って,海外に累積されているドル残高は巨額にのぼる。7′7年末現在海外の公的機関が保有するドル残高は,約1,300億ドル,ユーロダラー残高はグロスで約5,000億ドル(モルガン銀行調べ)にも達していると推計されている。

そこでこうした流出ドルが投機圧力として今回のドル低落にどのような影響を与えたかを検討してみよう。第II-2-2図は,アメリカの経常収支と対外公的債務残高の推移,および世界輸入額に対する対外公的債務残高と民間保有短期ドル債務残高の割合を示したものである。これをみると,ニクソン・ショックの起った71年にはアメリカの経常収支はそれまでの一貫した黒字基調から一転して14億ドルの赤字(総合収支では298億ドルの大幅赤字)となり,これを反映して,アメリカの対外公的債務残高は70年の238億ドルから71年には4512億ドルへと急増している。この結果,世界輸入額に対するアメリカの対外公的債務残高の割合は,70年の8.0%から71年の15.4%へと急上昇を示した。一方,民間保有短期ドル債務残高は,この間72億ドルの減少となり,世界輸入額に対する割合も70年の7.1%から71年の4,4%へ大きく低下している(69年は10.7%)。これは,アメリカの国際収支悪化によるドル不安を背景に70年,71年と民間保有ドルが大量に売られ,固定レート制の下でこれを買い支えに回った外国公的当局のドル残高に吸収されていったことを示している。

それでは77年の動きはどうであったであろうか。77年のアメリカの経常収支赤字幅は153億ドル強に及び総合収支(アメリカにおける外国公的資産の増減プラス公的準備資産の増減)も352億ドルの大幅赤字となった。これを反映して,77年の対外公的債務残高の増加は338億ドルにのぼり,対外公的債務残高の世界輸入額に対する比率も,71年ほどではないものの76年末の10.0%から77年末の11.9%へとかなりの上昇を示している。

一方,民間保有短期ドル債務残高は77年は69億ドルの増加にとどまり世界輸入額に対する割合はほとんど変化していない。アメリカの総合収支が赤字となればそのかなりの部分は民間保有のドル残高の増加になるはずであるから,アメリカが352億ドルもの大幅赤字を出しながら世界輸入額に対する民間保有短期ドル債務残高の比率が変わっていないのは,民間部門がかなりのドル売りを行なったことを示すものといえる。また,フロート下での対外公的債務残高の増加の大宗は公的当局による買い支えによるとみられ,71年ほどの激しさはなかったとしても,今回もドル過剰感によるドル売り圧力はかなり大きいものがあったといえる。

ただ,71年と比べて民間のドル売り,公的介入がさほど大きくなかったのには,フロート制の下で為替レートが大きく変動したことにより,投機圧力を吸収したという面があったと思われる。

2 ドル低落の影響

基軸通貨であるドルの低落は,他の通貨の場合と異なり,単にアメリカの国際競争力を高め,またアメリカのインフレを助長するにとどまらず,世界経済に対しても様々な形で影響を与えている。

その一つは,ドル離れの動きが表面化してきたことである。例えば,ドルの低落に対処して78年6月に設立されたOPEC高級専門家委員会では,7月下旬石油価格をこれまでのドル建てから複数通貨の加重平均による通貨バスケット方式へ移行させるべきであるとの意見が多数を占めたと伝えられる。また,ドル離れの動きは産油国の資産運用面にもはっきり現われている。第II-2-1表は最近のオイルダラー運用の動向を示したものである。産油国の余剰資金の減少(78年上期は77年下期の約半分)を反映して,いずれの地域においても流入額の減少がみられるが,とくにアメリカへの流入額(ネット)は,77年下期の38億ドルから78年上期には5億ドルへと激減している。一方,全体の4~5割で推移してきたその他諸国への流入額(ネット)は,77年下期には68%,78年上期には,109%へと急速に高まっている。すでに巨額のドル資産を抱えているOPEC諸国が,ドルの減価を助長するような急速なドル離れを起すことは当面はないとみられるものの,こうした動きは,オイルダラー還流の新しい流れとして注目される。こうしたドル離れ,他通貨への乗り換えは,産油国のみならず,非産油途上国でも,例えばいくつかの東南アジア諸国が外貨準備に円を積みますなどの形で徐々に進行しているとみられる。

また,77年秋以降の金価格の急騰も,一種のドル離れと捉えることができよう。

第二は,ドルの低落によって石油値上げ要求の強まっていることである。

OPEC諸国の石油輸出価格がドル建てで決められ,それが,77年6月以来据置かれているため,OPEC諸国の交易条件は悪化している。77年における中東産油国の輸入総額の3分の2は,アメリカ以外の先進国からの輸入で占められている。このため,産油国は,石油輸出によって得たドルのかなりの部分をドルに対して高くなっている通貨の国(西ドイツ,日本など)からの輸入に使用することになり,石油所得の実質購買力が低下している。このような,ドルの減価と先進国のインフレによる輸入価格の上昇による購買力の低下を補てんするために,石油価格の値上げを主張する声が産油国の間に高まっている。

第三は,EC諸国の通貨統合への動きが活発化したことである。西ドイツ,フランスの主導により,新欧州通貨制度構想が78年夏以後急速に具体化した背景には,念願のEC通貨同盟への第一歩をふみ出すというだけではなく,ドル下落にともなうヨーロッパ諸通貨の混乱を防止するという意図があるとみられている。

第四は,発展途上国の債務のうち,ドル以外の通貨建て,たとえばマルク,円建ての債務の実質負担が増加することである。発展途上国の多くは現在でも為替レートをドルにリンクさせている。このため,ドル安によって輸出競争力が強まるという側面もあるが,反面,マルク,円などによる政府借款の元利払いの負担が重くなる傾向が生じている。

第五は,基軸通貨ドルの動揺に起因する世界的な不安定感の高まりである。ドルの低下傾向と各国通貨の大幅な変動がつづいているため,企業家の投資マインドなどにも,いろいろな心理的影響を及ぼしているとみられる。

このように世界経済に広範な影響を与えているドルの下落傾向を阻止するためには,何よりも,赤字国であるアメリカがインフレの抑制や経常収支の改善に努力することが必要であるが,同時に黒字国は,景気拡大に努めることが望ましい。また,より長期的な課題として,国際通貨制度におけるドルの位置づけや海外ドル残高問題にも取り組んでいく必要がある。


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