昭和51年

年次世界経済報告

持続的成長をめざす世界経済

昭和51年12月7日

経済企画庁


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第1部 景気回復下の世界経済

第5章 主要国の政策と景気上昇の現段階

第1節 政策の現状とその影響

1. インフレなき持続的成長指向

今回の景気回復期において「インフレなき持続的成長」の達成が各国の経済運営の基本となったことは極めて特徴的であった。

これはインフレ再燃や行き過ぎた景気の同時回復を避けながら雇用状態を改善する必要が大きいからである。すなわち,現在の大量の失業を早期に解消するには,当面成長率をできるかぎり高める方が望ましい。しかし景気が余りに急速に回復すると①まだ充分冷めていないインフレ心理を助長したり,②一部諸国でボトルネックを発生させる可能性が高まる。また,各国が同時的な回復をする場合には,景気の国際波及過程を通じて,回復が一段と加速化し前述①,②の傾向を増幅し,更に⑧石油等一次産品市況の高騰を招く危険性も高まる。政策当局としては現在の比較的高水準の物価上昇の下ではインフレが再燃すれば直ちに引締めに転ずる他なく,そうなれば景気回復は短命に終り,失業の解消も達成できない。以上の様な観点から,各国は,経済の拡大ペースを供給能力の増加率をやや上回る程度の漸進的なものにして,インフレの再燃を防止することが長い目でみて結局は雇用の安定に結びつくという考え方をとっている。

2. 慎重な政策運営

景気底入れ後の各国の景気政策をみると,前述のような考え方から物価面に対する配慮が濃厚で,金融面ではマネー・サプライ管理を重視し,財政面では総じて拡大色に乏しい運営がなされている。

(1) マネー・サプライ管理の重視

最近,当局がマネー・サプライを重視するようになったのは,①マネー・サプライは長期的には物価と密接な相関関係を有することと,特に②72~74年のインフレ発生の原因の一つがそれに先行したマネー・サプライの増勢にあったとの認識に基づくものであった。このため多くの国において,マネー・サプライの増加率を金融政策を行うたあたっての目標値ないし参考値として設定,公表するに至った。

76年についてみると,マネー・サプライの増加目標値は概ねいくらか抑え気味の感があり,しかもその後に修正された場合も概ね下方改訂に限られている。

すなわち,アメリカでは連邦準備制度理事会が各種マネー・サプライについて各々短期目標,長期目標を設定・公表しているが,そのうち長期(1年間)目標については76年5月た,M1,M2の目標上限値を各々0.5%引下げる等物価安定のためのきめ細かい配慮を加えている。また76年春には当時の比較的速い景気回復テンポに鑑み,マネー・サプライの増加抑制を図るため連邦準備制度は短期市場金利の引上げを誘導する等の措置もとっている。

西ドイツでは,76年の中央銀行通貨残高(現金預金+市中銀行の国内債務に見合う準備預金)の増加目標値を年平均8%増と定めた(75年12月)。これは回復期にみられる貨幣の流通速度の増加を考慮すれば76年の政府名目経済成長率見通し8.5~9.5%に見合うものとされているが,昨年の目標値(年間8%増)は下回っている。また76年春を中心とする欧州為替市場の動揺による外貨流入に伴う国内流動性増加には,準備率引上げ(76年5,6月)で対処するなど当局の物価警戒感が窺われる。

フランスでは76年のM2の年間増加率を名目経済成長率(13~14%)並みに抑制することを目標としている。こうした方針のもとで設定された基準貸出枠のうち76年下期については抑制的とみられている。

この他,イギリスでもインフレ抑制目標と見合う76年のM3の増加率を約12%とし,当局はマネー・サプライの抑制を図ることを明らかにしている(76年7月)。さらにカナダも75年11月に発表したM1の増加目標値(年率10~15%)を物価上昇鈍化につれ引下げ(年率8~12%,76年8月)ている。

ただマネー・サプライをコントロールすること自体は,短期的にはマネー・サプライが不安定な動きをみせる他,長期的にも金融当局が必らずしも全ての発生経路を有効に管理できる立場にないため,なかなか容易ではない。

こうしたこともあって,前述の国のうち,西ドイツ,フランス,イギリスについてはマネー・サプライを本年の目標内に抑えることがかなり難しいものとみられる。

第5-1表 政府取引のGNP(GDP)増減寄与度

第5-2表 主要国の予算の概要

(2) 拡大色に乏しい財政

財政は,75年には景気刺激的に働いていたが,76年については景気に対しては総じてほぼ中立的となっている。

ちなみに,OECDの試算(Out1ook No.191976年7月),に従い政府支出と個人所得税(ネット)の動きを合わせたもので財政の経済に及ぼす影響をみると(第5-1表),アメリカ,西ドイツ,フランス,イギリス,イタリア,カナダ,日本の7大国全体では,財政は,75年には同年のGNP(GDP)を2.3%も押し上げたが76年には0%となり景気を下支えする機能しか果していない。これは主として76年度当初予算の性格を反映したものである。そこで76年度当初予算および成立までの動きをみると,次の特徴点が見い出せる。

いずれも景気対策実施直後および財政赤字の膨張をみたあとの予算編成としてみれば当然との一面もあるが,今回は特にそれが財政面からくるインフレ圧力を極力回避しようとの配慮にも基いていた。

国別にみると,以上の動きはドイツ,アメリカでは相対的に強く,前述のOECDの試算によれば,76年のGNPを各々0.5%,0.25%押下げるまでになっており,イタリアでは中立,フランス,イギリスではGDPの増加に寄与している。

なお,77年度についても判明している国でみる限り(第5-2表),財政全体としては景気促進的とはならない公算が大きい。すなわちアメリカ(第二次合同決議,76年9月),フランス(政府原案,76年9月)では,歳出規模の伸びは各々前年並みでかつ名目経済成長率に見合っており,支出面では前年同様成長を支持するものの,赤字幅が前年比縮小し,この面ではマイナスの効果が働こう。またイタリア(政府原案,76年9月)も財政赤字幅自体にECよりの借款の見返りとして枠が定められており,イギリスも77年の財政支出を76年2月に発表した中期財政支出白書での計画にくらべ約2%弱削減する方針を明らかにしている。

3. 政策運営の二極分化

前述のように「インフレなき持続的成長」を目指し,各国とも程度の差こそあれ慎重な政策運営を行ってきたが,景気回復の進展につれ,現実の主要国の政策運営は二極分化した。

すなわちアメリカ,西ドイツは景気回復の初期段階からやや緩和ないし中立的政策運営を維持している一方,フランス,イギリス,イタリアでは早くも引締め策への転換を余儀なくされ,これら3国の金利は急騰している。このため,これら3国のうちでは比較的余裕をもっているフランスについては,スローダウンは余儀なくされようが景気回復の持続そのものの可能性は残っているが,イタリア,イギリスについては当面全く,の先行き見通し難となっている。

3国が引締めに転じた動機をみると,直接的にはイタリア,イギリスは自国通貨の大幅下落に伴う通貨防衛,フランスは自国通貨下落と根強いインフレに対処するためのインフレ対策にある。しかしこの背景には,インフレ抑制をより重視していたアメリカ,西ドイツとの政策運営の差異がある他,より基本的には両国と3国の間には,石油危機以後一層顕在化したとみられる経済力,国際収支格差や政治・社会情勢の差異が横たわっている点を見逃しえず,二極分化にはかなり根深いものがあるとみるべきであろう。

以上の観点を踏まえ,75年秋過ぎ以降を中心に,主要国の経済政策動向を簡単にみてみよう。

① アメリカ

概ね中立的な政策運営がなされているが,金融面では,連邦準備制度は75年央~9月,76年春にマネー・サプライの増勢傾向等から,やや引締め気味の政策運営を行い,これにつれて短期金利が強含みとなった。しかし何れもその後,景気回復テンポの鈍化,物価安定化などに鑑み緩和気味の運営に転じたとみられる。

財政面では,「75年減税法」が,2回に亘り延長されたあと,76年10月には,77年末まで延期されることとなった。ただしこれは減税法適用期限切れ後に増税となることを防いだもので景気促進策ではない。

なお77年度予算(76年10月~77年9月)に関し,大統領は抑制意向(77年度の歳出規模を前年度収支見積り比5.5%増に圧縮,76年1月予算教書)を表明していたが,議会では予算教書比歳出189億ドル増の4,131億ドル,赤字幅同76億ドル増の506億ドルで可決した(76年9月)。 

② 西ドイツ

75年末に76年中央銀行通貨残高の増加目標値がややきつめに設定された。その後3月のマルクの買投機などによる外資流入に対処するために預金準備率が引上げられ(5,6月実施),さらに7月以降のマルク投機再燃に伴う通貨量の膨張を阻止するため共同フロート内でのマルク切上げも実施された(10月)。76年中のブンデスバンクの政策スタンスは概ね中立的ながらも物価警戒感をもった方向を続けている。こうした中で短期金利は76年央まで漸落のあと下げ止まり,また長期金利は76年春頃からやや反騰していたが最近は弱含みになっている。

76年5月に成立した同年度予算(1~12月)をみると,赤字幅は前年並み(327億マルク)ながら歳出が前年実績見込比5%増(政府の76年名目経済成長率見通しは8.5~9.5%)に圧縮されるなど抑制色が強い。なお個別の景気対策をみると,順調な景気回復の進展から,損失繰戻し制の導入(76年1月)など小幅かつ追加的なものに止まった。また中期的財政健全化のため77年以降に増税(付加価値税と酒・煙草税)を計画していたが,その内付加価値税は連邦参議院で否決された。

③ フランス

76年1月のイタリアの公的為替市場閉鎖の余波をうけフラン売り攻勢が強まった。このため当局は金融面からも74年央以降一貫して低下を続けてきた短期市場金利を引上げる等フラン防衛を図ったが,結局3月15日フランスは共同フロートから離脱を余儀なくされた。その後7月に入り干ばつの悪影響懸念,貿易収支赤字の持続等によるフラン下落に対処するため公定歩合を引上げた。

この間,財政面では,西ドイツと同様好調な景気上昇から法人税の一部延納措置(76年3月)等補正的景気対策が発表されたに過ぎない。

しかし,76年9月に至り,根強い物価上昇,フランの続落等に対処するため広範なインフレ対策(バール・プラン)が発表され,フランスは引締政策に転換した。主な内容は,一時的物価凍結,公定歩合引上げとマネー・サプライの抑制(77年のM2の増加目標値は名目予想経済成長率を若干下回る12.5%増など),均衡財政への完全復帰,賃金抑制の勧告等である。

④ イギリス

成長,物価,国際収支(通貨)の何れをとっても難問を抱えるイギリスでは,所得政策を含むポリシー・ミックスによって対応し,金融政策の負担は当初は必らずしも過大なものでなかった。しかしその後ポンド防衛のため金融面でもきわめて厳しい引締めを余儀なくされている。

まずインフレ対策としては,価格規制を続けるとともに,賃金面についても,75年8月以降の自主的規制(賃金上昇を一律週6ポンド)を経て,76年8月には更に一段と厳しい第二段階(賃金上昇を週2.5~4ポンドに自主規制,76年8月~77年7月)に移行した。労働組合の支持も得られ,賃金上昇率は鈍化しつつある。

財政面をみると,76年4月に発表された76年度政府予算案はインフレ抑制を目指し景気中立型とされている。その中で,所得税減税が前述の所得政策の実施の見返りとして提案(実施済)されたのは新機軸として注目に値しよう。なお中期財政支出計画(1975~79年度,76年2月)では,適正な経済成長を達成するとともに,インフレ抑制及び国際収支改善のため財政規模の増大抑制(79年度の歳出規模は75年度比実質4.2%増)を図っており,更に76年7月には同計画の77年支出額を約10億ポンド(2%に相当)削減する方針が発表された。

金融面では,75年秋以降緩和方向にあったが,76年3月に入りポンドが1ポンド=2ドルを割る(76年3月5日)等急落したため当局はポンド防衛のため引締め気味の政策スタンスに移行した。その後9月以降ポンドが再び急落し,マネー・サプライも増加傾向にあったため,当局は特別預入率引上げ,最低貸出金利引上げ等引締め策を強化し,特に10月には最低貸出金利は市場の実勢に先行して引上げられ(13→15%)史上最高水準となった。

⑤ イタリア

国際収支の再悪化に政局不安を契機とする資本流出の激化が加わり,リラ相場は76年初に急落し,イタリアは公的為替市場の閉鎖(76年1月21日~2月末)等非常事態に陥った。このため通貨防衛を図る必要から引締め政策への移行を余儀なくされ,76年2月以降,公定歩合引上げ(2,3月)預金準備率の引上げ及び特別準備率設定(2月),財政赤字削減(3月,1.1兆リラ減,75年名目GNPの約1%に相当),為替管理の強化(5月)及び対外支払い預託金制度の導入(5月)等厳しい引締め策が相次いで実施された。その後に経済活動や物価上昇テンポの鈍化がみられたにも拘らず,リラの下落は止まず,76年秋には第二次特別準備率設定(9月),公定歩合の大幅引上げ(12→15%,10月)など引締め強化に追い込まれた。

第5-3表 最近のマネー・サプライの動き

第5-1図 最近の主要国の公定歩合推移


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