昭和51年

年次世界経済報告

持続的成長をめざす世界経済

昭和51年12月7日

経済企画庁


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第1部 景気回復下の世界経済

第2章 景気回復過程の問題点

第3節 インフレ再燃の可能性

現在の景気回復傾向をつづけ,持続的な拡大を実現するためには,インフレの再燃を防止することが不可欠である。インフレが再燃すれば,消費者が再び支出節約に傾く可能性があるうえに,政府としても引締政策の採用を余儀なくされるからである。

75年中鎮静化傾向を示していた物価は,76年に入って西欧諸国では春頃一時上昇率が高まったが,大勢としては比較的落着いた動きを示している。しかし,国別の格差が大きく,とくに,イギリス,フランス,イタリアなどでは最近再び騰勢のたかまりがみられる。

ここでは76年に入ってからの物価動向を検討するとともに,今後インフレ再燃をひきおこす可能性のある要因―賃金コスト,基礎資材の供給力不足,利幅の動向,マネー・サプライの動き―について検討する。石油やその他の一次産品価格の動きについては次節でとり上げることにする。

1. 1976年の物価動向

(1)消費者物価

OECDM国の消費者物価を全体としてみると,76年春頃から鎮静化傾向に足ぶみがみられる (第2-8表)。ヨーロッパ諸国については,OECDヨーロッパ平均でみると75年第4四半期には,前期比年率10%に下っていた上昇率は,76年第1,第2四半期には,それぞれ12%,14%と,かなりたかまっている。

これは主として季節性食品,酪農品,肉類など食料品の値上りと電力,ガスなどの公共料金の引上げが集中した国が多かったことによるもので,工業品の上昇テンポはひきつづいて鈍化を示していた (第2-9, 10,11表)。その後,これらの要因がおさまるにつれて,ヨーロッパ諸国の消費者物価は,再びやや落着きをとり戻しているが,国別の格差はいぜんとして大きく,とくに,イギリス,イタリアなどでは為替レートの大幅低下(第2-12表),干ばつなどを主因に大幅な上昇をつづけている。

一方,アメリカでは,76年はじめには,食料品やガソリンの値下りから,消費者物価は年率3~4%の上昇にとどまっていた。春頃からは食料品の反騰を中心に上昇テンポがややたかまったものの,年率5~6%と,比較的低い上昇にとどまっている。ただ,夏頃から,工業品の上昇テンポが年率8~9%にたかまっている点が注目される。

(2)卸売物価

一方,卸売物価は多くの国で75年秋ごろから上昇テンポをたかめた。そして,76年1~7月間の上昇率は,ほとんどの国で75年後半のそれを上回り,とくにイタリア,フランス,イギリスの加速が著しい (第2-12表)。

その原因としては,つぎの四つが挙げられる。

    第一は,先進国の景気回復や需要増大をみこしての投機などから,それまで低下をつづけていた国際商品相場が反騰したことである。これをエコノミスト指数(1970=100,ドル建て)でみると,75年12月の206から,76年7月には268となり,この間に30%の上昇となっている。工業原材料の中では,とくに銅(40%),すず(37%),綿花(48%)などの値上りが激しかった。

    第二は,景気の回復にともなう需要の増大を背景として,鉄鋼,非鉄金属,繊維などの市況商品の価格が75年秋から76年夏にかけて,大幅に上昇したことである。

    第三に,不況下の需要不振から,コスト上昇を価格に転嫁することが困難であって企業が,値上げ(建値の引き上げなど)によりマージンの回復を図ったとみられることである。アメリカで75年秋から76年夏にかけて,アルミの建値が3回,銅の建値が4回も引き上げられたのは,そのあらわれとみられる。

    第四に,為替相場が大きく低落した国(イギリス,イタリア,フランス)では,輸入価格,とくに原燃料価格が大幅に上昇し,それが製品価格にはね返ったことが大きく影響している( 第2-12表)。

以上のような要因から,各国の卸売物価は76年上半期にかなり大幅な上昇を示したが,夏場には,経済拡大テンポの鈍化,一次産品相場の軟化などを反映して,上昇率がやや鈍る気配を示していた。また,この間,多くの国で賃金上昇が比較的小幅であったうえに,労働生産性がかなり急速に向上したことが,物価によい影響を与えたことは見逃せない。

2. インフレ再燃要因の検討

以上のように,75年末から76年にかけての物価鎮静化の足ぶみには,食料品の値上りや公共料金の引上げなどの特殊要因による面もあるが,一方,卸売物価の再上昇,国際商品相場の反騰のように,景気回復を背景としたものもあり,今後の景気動向との関連が注目される。

ここでは,72~73年の同時的景気上昇期と比較しながら,現在の物価をめぐる諸条件を検討してみよう。

まず,今回の上昇局面において,物価をめぐる環境が70年代はじめにくらべて有利とみられる側面がいくつかある。

    第一は,需給ギャップないし余剰設備能力が大きいことである。アメリカでは,景気回復後1年余を経た76年第2四半期にはGNPギャップ(能力GNPと実際のGNPの差)は11%と推計されており,前回の回復1年後(71年第4四半期)のGNPギャップが5%であったのにくらべて遥かに大きい。アメリカ,西ヨーロッパ,日本における製造業の操業度も,前節でみたように非常に低い水準にある。

    第二に,部分的な供給力不足が発生する可能性も,前回ブーム期にくらべればかなり小さいとみられる。72~73年当時は,全体としての操業度が未だそれほど高くならないうちに,鉄鋼,非鉄,紙・パルプなど,一部の基礎資材生産にボトルネックが生じ,これがインフレ加速の大きな原因となった。

    もとより,現段階でみても,部門によって操業度にはかなりの差がみられる。たとえば,アメリカについて商務省調査の結果をみると, 第2-13表 のように,76年3月の製造業全体の操業度は82%であるが,自動車(98%),紙・パルプ(89%),繊維(89%)などはかなり高くなっている。また,これらの産業では,操業度は71年末を上回るか,それに近い水準にある。

    しかし,一次金属,化学など,紙・パルプ以外の基礎資材産業の操業度はかなり低い。そのうえ,前節でも見たように,これらの産業では,74,75年の不況期に比較的高水準の投資をつづけ,鉄鋼をのぞいては76年の投資額もかなりの増大が予定されていることを考えると,よほど急速なブームが生じない限り,当面,ボトルネックとなる可能性は小さいと考えられる。

    同様のことは西ドイツについてもいえる。今回の不況過程では設備投資が2年にわたって減少したため,設備能力の伸びが低下していることは事実である。しかし,資本財産業の稼働率は現在88%であり,78年ごろまでは資本財産業の供給力が不足するおそれはないとみられている( 表2-14表 )。

    第三は,賃金の上昇率が比較的小さく,賃金コストの上昇がインフレを大きく加速するおそれも,比較的少ないとみられることである。76年第1四半期までの1年間と,それ以前の1年間について,主要国の製造業賃金と賃金コスト(生産一単位当りの賃金)の上昇率をみると, 第2-15表 の通りである。これでみても,賃金上昇率はすべての国で鈍化しており,一方,生産の回復を反映して労働生産性は大幅に上昇しているため,最近1年間の賃金コストは,フランス,イギリスを除いて小幅の上昇にとどまり,西ドイツではむしろ低下している。

    76年に入ってからの賃金の動きをみても,アメリカの時間当り賃金収入は前年比8%程度の上昇にとどまっており,西ドイツの春の賃上げは5.5~6%で妥結している。日本の春闘賃上げも9%程度であった。従来著しく高かったイギリスでも,76年7月には,前年比13%台に低下しており,8月からは賃金の1年間の上昇を5~6%とする自主協定が実施されており,漸次上昇テンポは落ちついていくものと考えられる。ただ,フランスでば,年率14~15%の賃上げがつづいており,とくに鈍化する気配はみられない。

    以上のように,一部に例外はあるものの,多くの国の賃金上昇は,労働市場の需給がゆるんでいることもあって概しておだやかである。

    第四は,各国の政府当局の政策運営が,72-73年当時にくらべて,慎重になっていることである。75年に財政面から種々の刺激策をとった国でも,76年の予算は概して中立的ないし小幅の拡大効果をもつ程度にとどまっている。金融面では,インフレ再燃防止の見地から,マネー・サプライの管理に多くの国が努力しており,アメリカ,西ドイツ,フランスなど,マネー・サプライの目標を公表して,その実現を図る国がふえている。このため,主要国のマネー・サプライのふえ方は,第2-16表にみられるように,比較的おだやかになっており,72~73年当時にくらべて低くなっている。

一方,現在の方が,72~73年当時にくらべて不利とみられる要因もいくつかみられる。

    その一つは最近のインフレ期を通じて,一部の国ではインデクセーションの普及がみられたことである。このシステムの下ではーたん物価の上昇率が高まると,それが次々に賃金・年金・物価等に波及していく効果が比較的強まっているものと思われる。

    その二つは,物価の上昇率が依然として高いこともあって,インフレ心理が再燃しやすい状況にあるとみられることである。

    その三は,国により,産業により異なっているが,これまでの不況局面で累積したコスト圧力がかなり高くなっているとみられることである。主要国の工業品について,生産者の投入価格と産出価格の動きをくらべてみると( 第2-10図 ),いくつかの国では,73年以来の投入価格の急上昇が産出価格には十分反映されていないようである。データの性格上正確なことは分らないが,イタリア,イギリスなどでは,投入コストの上昇は産出価格をかなり大幅に上回っているとみられる。今後操業度の上昇にともなって,コストが低下する可能性はあるが,なお部分的には値上げ圧力として働くことが考えられる。

    その四は,今後の物価に影響を与えるとみられる不確定要因が少なくないことである。次節で述べるように,原燃料価格は,72-73年当時のような大幅上昇はないにしても,工業国の生産拡大につれて上昇傾向を示すとみられる。また利潤が大幅にふえたり,消費者物価が予想以上に上昇する場合には,来年の賃金上昇率がたかまる可能性も否定できない。

    たとえば,西ドイツで67年不況後の68年には,当初の賃上げ率は低かったものの,利潤の激増から労組の反発をかい,69~70年の賃金上昇が大幅なものになったことは記憶に新しい。

以上のような点を考えると,当面,72~73年のような大幅なインフレが生ずる可能性は余りないとみられる。しかし,回復2年目に入って,生産性向上のテンポが鈍化すると予想されることや,原材料価格の堅調,原油価格の引き上げなどを考慮すると,多くの国では,当面,これ以上物価の上昇率が低下しつづけるかどうかについては不確定要素はあるものの,その可能性は小さいと考えられる。