昭和48年

年次世界経済報告

新たな試練に直面する世界経済(資源制約下の物価上昇)

昭和48年12月21日

経済企画庁


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第2章 先進諸国の物価問題

4. 先進各国の物価対策

(1) 物価・賃金への直接規制の広がり

(物価安定の困難性)

物価上昇は福祉社会の根底をゆるがすものとして,先進各国では物価上昇抑制に努め,さらに物価上昇によって生じる種々の弊害をとり除く努力もあわせて行っている。

しかしながら,現在の物価上昇はその原因が複合化していることや,各国にとって今一つの重要な政策目標である完全雇用とのバランスから物価対策が制約を受けるという面があり,物価の安定は容易なことではない。特に後者は70~71年のスタグフレーション以降多くの先進国で強く意識されるようになっている。失業の少ない西ドイツでは,物価の抑制を厳しく行っているが,失業の多いイタリアやイギリスなどでは,物価の安定に対して西ドイツほどの厳しさはみられず,成長政策が優先されている。

(多様化する物価対策)

先進各国は,73年に入ってから,物価の抑制に一層の努力を傾けているが,物価対策には従来のものに比べ,次のような特色がみられる。

第1は,物価対策がより多様化していることである。第2は,とくに物価や賃金への直接規制を採用する国が大幅に増加していることである。

まず,物価対策の多様化についてみよう。

物価上昇の原因が複雑化し,また従来のように強力な総需要抑制策が,雇用などとのかねあいからとりにくくなったことから,物価対策は一層多様化している。

現在各国でとられている種々の物価対策と物価上昇の原因との関係を図式化すれば第2-14図のようになる。もとより,これらの原因は相互に絡み合っており,それに対する対策も単に一つの原因のみ有効というわけではない。

72年以降各国でとられた物価対策の中で,いくつか注目される特色をみると,第1に,73年に入ってから多くの国で総需要抑制策がとられたが,ますます金融政策偏重の傾向が強まっている。現在,財政面からきびしい引締めが行れているのは大国では西ドイツのみとなっている。こうした傾向は財政支出の削減が福祉政策推進などのため困難な面が強いことのほか財政支出の増減ないし税率の変更に議会の審議を必要とするなど,機動性に欠ける点があげられる。

それだけ金融政策への負担が重くなり,公定歩合が多くの国で戦後最高の水準に達するなど,世界的な高金利状態を招いている。

第2に,為替政策に対する考え方が,世界的に柔軟となってきていることを反映して,71年末以降物価対策の一環として為替政策を活用する国がふえている。物価対策として為替レートを切上げたとみられる国は,西ドイツ,オランダ,スイス,オーストリア,フィンランド,アイルランド,オーストラリア,ニュージーランド,南アフリカ連邦などかなりの数にのぼる。特に小国は貿易依存度が高いため今回のような国際商品市況が高騰したときは,国内物価への影響はきわめて大きい。従って,レート切上げによる輸入品価格の安定化効果への期待も大きくなっている。これらの国の国際収支が好調なことも,レートの切上げによる輸出競争力の問題より物価の安定を最優先させる背景になっているといえる。

第3は,物価対策として輸出規制がとられたことである。農産物の世界的な需給ひっ迫,価格高騰に対し,73年6月,アメリカは戦後初めて主要農産物の輸出を禁止し9月の収穫期まで続けた。輸出規制はアメリカの物価抑制に寄与したが,こうした動きは,カナダ,EC,東南アジア,南アメリカなど世界的な広がりをみせ,輸入国の物価を一段とおしあげる原因になった。

(物価・賃金の直接規制の広がり)

最近の物価対策にみられる第2の特色は,物価や賃金に対する直接規制を採用する国が,大幅に増加していることである。

第2-6表は,主要なOECD加盟国の直接的な物価規制を一覧表にまとめたものだが,現在,こうした政策を何もとっていない国は,先進国では西ドイツと日本のみとなっている。

① 直接規制導入の背景とねらい

直接規制の採用が広まってきたのは物価上昇の原因として,コスト圧力の強まりやインフレマインドの定着化などから,物価の抑制に従来の総需要管徘政策では,十分対処しきれなくなったためである。これは60年代後半の物価対策としてとられた引締めから各国が70~71年にかけてスタグフレーションに直面したあと,こうした政策が広く採用されるようになった事情からもうかがわれる。

しかし,現在各国で採用されている価格や賃金への直接規制は消極的な政策ではなくアメリカ,イギリス,スウェーデンなどの例からもうかがわれるように,経済成長を維持しつつ物価の安定を図ろうという積極的な意味あいをもっている点が注目される。

すなわち,一方で過大な値上げ,利益,賃上げを抑制するとともに,成長政策を進め生産性の増加を図ることによって,賃金の上昇(所得水準の上昇)と物価の安定とを図ろうとするところに目標がおかれている。

イギリス,アメリカの例でみると,企業に対して原材料コストの製品価格への転嫁を認めてはいるが,賃金コストの製品価格への転嫁を規制し,さらに利潤マージンを規制することによって企業に対し,利益の維持・拡張のためには生産性の向上と,販売数量の増大を図るようにしむけ,一方で総需要の拡大によって政府がこれを支持している。

ただ経済が完全雇用状態に近ずくと,生産性の上昇テンポは鈍化し,需給もひっ迫するので直接規制による物価安定の維持は困難になる点が指摘される。

このため,アメリカなど物価・賃金への直接規制を行っている国でも,73年に入ってから財政,金融の両面から総需要の抑制が行われている。総需要の管理を誤まれば,物価を凍結しても闇市場が発生するなど物価安定のための手段が役に立たないばかりか,資源の最適配分を損う事態を引き起し,さらに社会の不公正を助長することにもなりかねない。

ところで,価格や賃金の規制など国民の分配に関する問題は,本来国民各層の自主的な合意と協力のもとに行われるのが望ましい。この点オーストリアでは,一部の重要品目の物価規制を除くと,57年に設置されたParity Commission(各界の代表により構成)を中心に,自主的な所得政策が実施され,最近まではかなりの成果をあげてきた。

しかし,オーストリアの場合は,数少い成功例でありほとんどの国で法的規制に頼らざるをえないのが実情である。

(物価上昇による被害救済)

物価上昇が早期に,また,容易に終束出来るものであれは問題はない。しかし先進国の物価上昇は,70年以降のあしどりにもみられるように,その抑制にかなりの時間とある程度の犠牲が伴わざるをえない。したがって,大幅な物価上昇が進行している現時点で,物価上昇によって苦しんでいる人々を積極的に救済し,物価上昇の弊害を出来る限り緩和していくことが,物価抑制策と並行して社会的公正の原則を実現するために必要といえよう。

物価上昇による被害の救済策としては,主に物価上昇のもたらす所得分配の不均衡拡大を是正し,特に被害の大きい低所得者層を救済しようとするものが中心となっている。社会保障の拡充,年金の物価ないし貨金スライドなどが主なものである。年金の物価ないし賃金スライドは,欧米先進国ではほとんど完備している(第2-7表)。

賃金の生計費スライド制は北欧諸国やフランス,イタリアで実施されており,アメリカでも70年以降その採用が急速に一般化している。さらにイギリスでも物価・賃金の直接規制第3段階移行ではこの制度が採用されている。

この制度は物価上昇を促進するとの批判もある反面,労働者の過激な賃金要求を抑えることが出来る利点が指摘されている。

物価上昇による被害の救済とは逆に,物価上昇による不当な利得を吸収する対策も進められている。イタリアでは地価増価税が徴収されているが,イギリス,西ドイツなどでもこの税法案が検討されている。

物価上昇のもたらす所得や富分配の不均衡拡大を是正することは,所得や富の分配の公平を求める社会的な意識の変化に応ずるだけでなく,ひいてば物価の抑制につながることが強調されるべきであろう。

×       ×       ×本節では以下,それぞれに特色のある物価対策を進めている次の5カ国をとりあげ,物価対策の違いは何に起因するか,その有効性などそれぞれの物価対策とその問題点をより詳しくみることにしよう。なかでも先進国で急速な広がりをみせている物価・賃金への直接介入は物価対策としてますます重要性を増しているので,これが各国でどう受とめられ,物価対策の中でどのように位置づけされているか検討しよう。

以下とりあげる国は

    ① 西ドイツ…総需要抑制と為替政策に重点をおき,直接規制は何もとってない

    ② スウェーデン…70年以降直接的な物価規制を採用

    ③ フランス…戦後,物価への直接規制を継続している

    ④ アメリカ…71年以降,物価・賃金への直接規制を採用

    ⑤ イギリス…72年より再び物価・賃金への直接規制を採用

    ⑥ ブラジル…物価スライド制を全面的に採用している

(2) 西ドイツの物価対策(総需要抑制策と為替政策に重点をおき,直接規制はとっていない)

(経済動向と物価対策)

西ドイツ経済は,71年景気停滞にみまわれたが,72年に入ると景気は回復に向い,とくに秋以降は急テンポの経済拡大となった。

一方,消費者物価は72年はじめから春頃まで一時騰勢の鈍化をみせたあと再び反騰しはじめ,とりわけ9月以降は急テンポの高騰となり,73年に入っても物価の騰勢が加速化した。

こうした経済情勢を背景に,73年年次経済報告書は安定成長法に規定されている物価安定,高雇用,持続的成長,国際収支均衡の4つの目標のうち,成長,雇用,国際収支(主として経常収支)については懸念がないが,物価安定が脅かされているとして,本年度の政策の最重点を物価の安定化におくと述べている。

西ドイツの物価は72年秋以降上昇率が加速化したが,その主因は不作による食料品価格の上昇にあった。しかし,景気の好転がコスト増の価格転嫁を容易にしたという要因もあり,また早すぎる景気上昇テンポをそのまま放置しておけば景気過熱につながる懸念もあったため,同年秋に総需要抑制政策としてまず金融政策が発動された。現在の公定歩合の水準7%は,70年3月~7月間の7.5%を例外とすれば戦後の最高であり,また預金準備率引上げや債券担保貸出停止など銀行流動性規制措置は戦後のどの引締め期よりきびしい。

財政面でも2月と5月に安定化計画を発表,景気付加税(法人,高額所得者に10%),安定国債の発行(総額40億マルク),11%の設備投資税,鉱油税の引上げ,財政支出の削減などを実施している。

こうした積極的な財政政策の活用は,他の諸国にあまりみられない大きな特色といえる。

財政金融の引締め措置の他,為替政策も主要な物価対策としてしばしば活用された。61年と69年の切上げは,物価安定のほかに国際収支の基礎的不均衡の是正を目的としたものであったが,71年以降のそれは投機的な資本流入の阻止と物価安定化が主眼である。切上げは投機的な資本流入とそれによる国内流動性の膨張を阻止することでインフレ圧力を抑え,また輸出価格(外貨建て)の引上げを通じて輸出を抑えることで総需要抑制策の一環ともなる。さらに切上げは輸入価格(マルク建て)の引下げと輸入数量の増大を通じて国内物価の安定化に寄与する。

西ドイツでは物価・賃金の直接規制はとられていないが,物価・賃金問題について政府と労使代表との意思疎通をはかったり,自粛要請の形での道義的説得はしばしば行われている。

さらに長期的,構造的な物価対策として競争政策の強化がはかられた。総需要抑制策とともに市場機構を活用するためである。

このほか,今回の物価上昇期に新たに採用または強化された政策ではないが,マンパワー・ポリシー,勤労者財産形成制度など以前から実施されている構造政策のなかには,物価安定につながる政策も少なくない。

以上のように,西ドイツの物価対策は,他の諸国と比べると総需要抑制の度合が強いのと,財政措置をかなり弾力的に運営していること,また為替政策上の措置をひんぱんにとっている点に特徴がある。

金融財政を通ずる強力な総需要抑制策がとられている理由は,①西ドイツでは物価アレルギーともいうべきインフレ嫌悪症が強い,②失業問題を顧慮する必要性が少なかった,③直接的な物価・賃金規制をやっていないなどの理由によるものである。

また財政が比較的弾力的に運営されている理由は,67年制定の経済安定成長法により,政府の自由裁量で財政措置の採用が可能となったのと,財政の景気調整についての経験が重ねられたためであろう。

為替政策をしばしば採用してきた理由は,マルクの切上げ通貨としてのイメージが定着して,投機の対象となりやすく,投機対策として切上げに追いこまれたという事情のほか,今回の西ドイツの物価上昇は輸出の著増や原材料などの輸入品価格の高騰による部分が大きく,したがって為替政策が物価対策として有効であると考えられたからである。

西ドイツの詳しい物価対策は第2-8表にまとめられている。

(物価対策の有効性)

72年2月発表の政府年次経済報告書においては,73年の消費者物価の上昇率を年平均で5.5%ないし6%へ抑えることが一応の目標とされたが,実際の消費者物価上昇率は2月に既に6.8%であったし,その後も上昇をつづけて6月には7.7%となるなど,政府の目標は発表当時既に非現実的なものとみられていた。その後,政府もこの点を認めて5月の第2次安定計画以降は安定政策の目標を「物価のすう勢的転換」というやや漠然たる言葉で表現するようになった。

現実の経済情勢の推移をみると,金融引締めにより銀行の自由流動準備は73年3月以来ほとんど枯渇しマネーサプライ(M2)も,73年3月の前年同月比20%増から8月の17%増へ鈍化,とくにM1は同期間に14%増からわず,か1%増へと鈍化した。銀行の対民間貸出増加額も年初来前同期を下回っている。需要面においても,切上げによる輸出の抑制には成功しなかったが,金融引締めで建築や在庫投資などを中心に増勢の鈍化がみられ,生産活動は6月以降弱含みとなった。失業数もわずかながら増加傾向にあり,失業率は年初の1.0%から9,10月の1.4%へ上昇した。物価の動きをみると,消費者物価は7月以降ほぼ横ばいとなり,前年同月比上昇率は6月の7.9%をピークに9月の6.4%まで鈍化した。卸売物価に相当する工業品生産者価格も9月に著しい増勢鈍化をみせ(前月比0.2%高),前年同期比でもはじめて鈍化した。しかし,10月には消費者物価,工業品生産者価格とも再び上昇率が高まった。

景気情勢の悪化,とくに建築業界や一部消費財工業の情勢悪化に直面した政府は,11月に入って社会的住宅の促進など財政面から引締め政策の一部手直しを行い,また金融政策でも債券担保貸出の再導入や再割枠の引上げなど部分的に手直しの姿勢をみせはじめたが,基本的には引締め政策堅持の方針を変えていない。

ごのいうに政府や連銀が当面その引締め基調を変えないのは,一つには賃上げ攻勢が激化したせいであろう。賃上げ幅は73年はじめは約8.5%で政府の年次目標9~10%の範囲内におさまっていたが,その後物価上昇を反映して12~13%の賃上げが定着し,さらに年未の金属労組(賃金リーダー)の賃金交渉では15~20%の賃上げ要求が予想されており,政府の安定政策が賃金面から崩される懸念がある。

(なぜ物価・賃金の直接規制をしないか)

西ドイツでは67年の安定成長法成立以来・同法にもとづいて,「協調のとれた行動」とよばれる労使代表と政府との懇談会が年4,5回定期的に開催され,経済情勢についての情報と意見の交換が行われてきた。また政府は同法により,経済的均衡が脅かされるおそれのある場合に,政府と労組,企業団体の協調的な行動のための「指針資料」(ほぼガイド・ポストに相当する)を提示する義務をおわされている。毎年年初の年次経済報告書で示された経済見通し(国民経済計算の形をとり,そのなかには雇用者所得,法人所得の伸び率も示される)の数値がそのまま指針資料とされるのがっねであったが,70年秋のように賃金攻勢の高まりに直面して10月に「指針資料」を示したこともあった。この「指針資料」は法的には拘束性はないが,道義的に或る程度の効果をもっていた。しかし「協調のとれた行動」は近年労組の態度変化などにより形がい化しており,また「指針資料」についても現政府は,72年以来この言葉の使用を避けている。とはいえ,毎年の年次報告書で賃金所得の上昇率が目標値として示され,「協調のとれた行動」の席上でそれが説明されるからには,少なくとも政府がどの程度の賃上げを望ましいとみているかが明らかになるはずである。73年はじめの年次経済報告書では,物価安定化を妨げない雇用者1人あたり賃金上昇率を9~10%としていた。

物価・賃金の直接規制については,戦後全くやっておらず,現在も政府にはその意志がない。最近における物価,賃金の上昇加速化に直面して,6月はじめ与党の有力者から物価・賃金凍結の提案が出され,それを契機にこの問題がやかましく論議されるようになったし,また,最近はドイツ労働総同盟(DGB)が寡占的商品について価格監視機構を設置せよと提案しているが,政府ばいずれも拒否している。凍結を含めて一般的な物価規制に対しては学界ないし経済専門家の間には非常事態下における時間稼ぎの短期的な緊急措置ならば是認できるとの意見もかなりある。

物価・賃金の直接規制とくに凍結に対する反対論拠を製理すると,ほぼ次のようになる。

    ① 秩序政策上の原則的反対-戦後西ドイツは「社会的市場経済」のスローガンの下に自由主義的経済政策をとり,高成長,完全雇市,国際収支黒字など「西ドイツの経済奇蹟」を達成したこともあって,自由主義経済,自由な市場機構に対する信頼の念が官民とも強い。これはナチス統制経済下のにがい経験が一つの背景となっている。

    ② 諸外国の経験からみても,直接規制とくに凍結は,インフレ対策として効果がない。

    ③ 物価規制は,闇市場の発生,製品品質の劣悪化,資源配分の不適正化などむしろ有害な結果をもたらす。

    ④ 技術的な側面についていえば,物価・賃金規制のためには膨大な統制機構が必要であるが,現在の西ドイツにはそのような機構がない。

    ⑤ 景気局面からみると,好況のブーム局面においては,インフレ対策は総需要抑制策に重点をおくべきヤあって,73年は物価・賃金の直接規制実施の時期でない(72年末発表の経済専門家委員会年次報告書)。

なお,直接規制をやらないことの背景として,西ドイツの労組が比較的穏健であり,この賃金政策がイギリスなどに比べて,景気感応的であるという事情も指摘できよう。近年は下部の意識変化による賃上げ要求で,労組もアグレッシブになってきたことは事実であるが,それでもなお,西ドイツの労組は比較的穏健であるといえよう。ブーム期には賃上げ要求が膨張するが,景気の先行きがおかしくなると賃上げよりも職場の確保に重点が移り,賃上げ要求を手控える傾向がある。たとえば,71年第1四半期には工業賃金率はまだ前年同期を1.8%も上回っていたが,その後景気の停滞と失業の漸増傾向に伴い,次第に鈍化して,同年第4四半期にはわずか7%へ低下したのである(72年は8.6%)。

(物価上昇のもたらす被害の救済措置)

公的年金を除いてスライド制はない。公的年金は過去3年間の平均賃金に見合って毎年引上げられる賃金スライド制がとられている。

賃金の物価スライド制はとられていない。賃金のスライド制はむしろ物価上昇を促進するとの考え方が強い。しかし事実上は,物価上昇期には物価上昇分を織り込んだ賃上げ要求が出されやすい。73年においても,年初の金属労組の賃上げ率は8.5%であったが,その後の物価上昇で組合員の不満が強く,8月に各町で山猫ストが頻発し,物価上昇に見合う一時金の支給という形で収束された。

物価上昇期には物価上昇による所得の減価ばかりでなく,累進課税で実質増税となる。日本では基礎控除や抹養控除が毎年引上げられて,それがある程度の物価上昇による被害救済となっているが,西ドイツの場合は基礎控除(1,680マルク)ば58年以来据置きであり,扶養控除も同様である。

(3) スウェーデンの物価対策(直接的な物価規制を採用)

(経済動向と物価対策)

スウェーデン経済は71年リセッションに見舞われる一方,物価は付加価値税引上げ(10%→15%)もあって急騰するというスタグフレーションの様相を呈した。

しかし,その後の金融緩和政策と積極大型予算による財政面の景気刺激策により景気は徐々に回復した。72年から73年にかけては個人消費,輸出を中心に景気は上向き,73年は5%の実質経済成長が見込まれている。

しかし,この間食料を中心に物価の騰勢は強く,政府は物価対策として70年8月から直接規制を導入した。また73年度予算では公共投資,住宅信用を抑える形で若干引締める措置を講じた。

ただし,スウェーデンにおいては国際収支は近年改善してきたものの,将来の国際競争力確保の見地から,また,いぜん高い失業の解消や長期的な物価対策のためにも,民間設備投資の促進が強く要請されており,これが物価安定とともに,2大政策課題となっている。

したがって,金融政策は71年来設備投資促進のためほぼ一貫して緩和基調にあり,また福祉国家の典型として社会福祉関係の支出が財政上大きな比重を占め,しかも国民各層の要求を満たすため年々増加する一方なので,財政面でのきびしい引締めは困難とみられる。

このように総需要管理には限界があるため物価対策としては70年8月から直接規制がとられた。

スウェーデンの詳しい物価対策は第2-9表にまとめられている。

(直接規制採用の背景)

後述するように,スウェーデンは60年代末賃上げ圧力が強まり,消費者物価も食料を中心に急騰した。これに対し政府は70年8月,物価統制法を発動して部分的物価凍結を導入した。同法の目的は異常事態において,出来るだけすみやかにかつ効果的に,問題となる財およびサービスに限って規制することだが,その意図は戦時中のような物価統制への復帰ではなく,自由競争が物価の調整者として正常に機能し,そのメリットを消費者に還元することにある。本措置はこうした直接的な目的とともに,間接的に賃金と物価のスパイラルをたち切ろうとしたものである。したがって,2政府は凍結措置を長期間にわたって続ける意志はなく,導入して約半年後には凍結対象分野を漸次縮小し始めた。これにかわる物価モニター制度は物価カルテル庁(SPK,1957年設立)が小売段階の価格の動向を調査し,企業,商工組合,労組,農民などの代表との間にコスト動向の検討や価格引上げの協議を行うほか,S PKや地方の物価担当事務所を通ずる消費者からの通告を受け付け,不当な値上げに対してはこれを撤回させるという制度である。

これと同じような観点からとられた制度に監視官制度がある。これは19世紀初から法の秩序と市民生活を守るために創られたものだが,新たに反独占監視官(1954年),消費者監視官(1971年)が任命され,自由競争の制限や不当商行為を調査するとともに,消費者からの苦情を受け付け,これに対処している。このようにスウェーデンの物価対策はあくまで自由競争のメリットを生かそうとするのが基本であるが,72年12月,再び一部食料品の凍結を行った如く,最近のインフレ高進の常態化に対しては,物価モニター制度のような緩やかな規制も含めてこうした直接的規制措置の長期化は避けられないようである。

(直接規制の有効性)

こうした物価の直接規制に対し,企業側,消費者ともかなり協力的とみられる。物価モニター制度移行に際して,主要経営者団体はこれに協力する共同声明を出しているし,消費者からもかなりの通告がなされ,協調的に運営されているといわれる。しかし,直接規制期間中も食料中心に消費者物価の騰勢は根強い(第2-15図)。いまとくに問題となる食料品についてみると,凍結中も規制対象品の騰勢がむしろ強い。それは規制対象品目ほど価格上昇圧力が強いということであろうが,こうした物価の上昇は次のような要因によるものとみられる。

第1は大幅な賃金上昇である。70年8月の凍結開始から71年6月までは賃金コストの上昇を理由とする値上げは認められなかったが,労働協約改訂による賃上げが実現した7月以降はやむを得ぬ場合それを認めることにした。

政府は凍結措置を採るとはいえ,雇用の減少や生活必需品の不足の危険を考慮しなければならないからである。この結果,賃金,物価のスパイラルは容易にはたち切れない。71年7月の賃上げは消費者物価を前月比2.5%押し上げたとみられている。

第2は,輸入原材料,農産物の価格上昇である。輸入原材料は国際市場で価格が決定されるため,製品価格への転嫁が認められるからであるが,これはスウェーデンの全輸入の1/4を占める。また,71年7月の農業協約改訂に伴う農産品価格の上昇は,消費者物価を前月比0.5%押し上げたとみられる。

第3は,福祉国家の構造的な問題である。賃金,年金とも,エスカレーター条項があるため,タイム・ラグはあるが,物価上昇をカバーでき,さらに良質な政府住宅信用を受けやすいこともあって,個人消費を下支えする一面がある。また,高率の税負担は直接,物価を押し上げるとともに,間接的に賃上げ圧力となる。ちなみに消費者物価上昇に対する間接税の寄与率は71,72年に各々47%,7%であり,73年も22%と見込まれている。

政府は間接税負担の増大,農産物価格や家賃などのある程度の上昇は,福祉増進のための財源を確保する一方,農民など物価調整条項を持たぬ国民層を救うためには不可避と考えている。

(労使関係)

賃金に対しては直接的規制はとられず,労使間の自主的な交渉による決定がなされている。労働者,経営者とも組織率は高く,労使間の交渉権は両者を代表する中央機関に集中され,中央交渉で労働協約を結び,下部組織はその範囲内で個別の補足契約を結ぶ。この方式は公務員も同様である。労働協約は通常,期間3年で,物価調整条項を盛り込み,この期間中は双方とも和平の義務を負う。一方,政府は両者の仲介の労をとることはあるが,非介入を原則としている。こうした制度がおおむね良好な労使関係を育ててきた。

しかし,60年代末以降の賃上げ圧力の増大や山猫ストなど労働紛争の発生が目立ってくるにつれ,政府は公共部門の雇用主としての立場を利用して,政府主導型の賃上げ決定を行うことになってきた。労働争議によって失われた労働日数も先進国の中では低く,こうした方式は比較的うまく運営されているとみられる。現在のところ,政府・民間ともアメリカ,イギリス型の厳し,い物価・賃金に対する直接規制の導入は考えていない。

(物価上昇による被害救済策とその評価)

賃金に対しては前述のように物価スライド制が労働協約に盛り込まれる慣行があり,年金も3%の物価上昇に対する増額の規程がある。また,直接税の負担が高水準にあるとはいえ,税控除制度や児童手当などの補助金制度により,低所得層の直接税負担は実質マイナスになる。物価スライド制は発動にタイム・ラグを伴うとはいえ,スウェーデンの所得保障制度は高水準にあるとみられる。

しかし,こうした福祉政策を進めてでたスウェーデンは現在次のような問題に直面している。

    ① 政府,労組の賃金平準化政策に対し,相対的高所得者層の不満が強まり,労働紛争の一因となっている。

    ② 所得保障政策が,一面で潜在的な個人消費力を底上げし,需要圧力をもたらす。

    ③ 社会保障関係の財政支出の規模が大きく,年々堅調に関するなど硬直性が強まっているため,財政のスタビライザー機能が低下してきた。

(4) フランスの物価対策(戦後直接規制を継続)

(経済動向と物価対策)

フランス経済は,1970年リセッションに見舞われたが,71年初来,政府のリフレ措置により早くも景気の回復過程に入った。この間,物価の騰勢はかなり強かったが,物価の抑制はほぼ戦後一貫して採られてきた直接的な物価規制に依存していた。しかし,72年後半以降景気は急速な拡大を示す反面,物価の上昇も著しくなったため,政府は72年8月公共料金の値上げストップなど直接規制を強化するとともに,10月以降金融引締め政策に転換し始めた。

しかし,物価の相次ぐ上昇から政府は12月新たに財政金融面の一連の物価対策を打ち出した。こうした物価対策強化が効を奏し,73年第1四半期の物価上昇率は鈍化し,マネーサプライ(M2)の伸びも鈍化してきた。しかし,その効果も第1四半期までで第2四半期以降再び騰勢は強まったため4月から直接規制(年間価格管理計画)を継続し,目標として他のEC諸国より物価上昇率を1%方低位に抑えるとした。さらに7月以降も第2-10表のように物価対策を強化してきた。

しかし,きびしい金融引締めの一方で74年度予算は才出規模で前年比12.4.%増と景気刺激的となっているなど物価抑制効果を期待できないとみられるため,物価対策の重点は金融政策と価格管理政策にあるといえる。

現在政府の当面する政策課題は経済成長と物価・賃金安定という2大経済政策目標の同時達成である。こうした経済運営の背景は政策のプライオリティを適度な経済成長においていることとともに,フランスには基本的に物価上昇に対し次のような思想があったためといえる。即ち71年から75年にかけて実施中の第6次計画でも言明されているように,フランスでは急速な物価上昇に対して短期的かつ急激なインフレ制御措置を講ずることは成長の鈍化をもたらし中期的成長を喪失させることになると考えられていることである。したがって過度なネトップ・ゴー政策をとってまでも物価を安定させることには抵抗があるわけである。こうしてみると,フランスの物価対策は,中期的成長でパイを大きくし,需給のバランスをとりつつ物価を安定させる,というかなりロングレンジな見地からなされているといえよう。ただし,最近では騰勢の激しさから金融政策を中心とした総需要抑制にも力を入れている。

(直接規制採用の背景)

では,フランスに特徴的な直接規制がとられている背景はなにか。

フランスでは戦後一貫して物価直接規制がとられでおり,その間26,000件の法令がだされている。最近25年間をみても自由な価格変動が認められた期間はわずかに7か月間にすぎなかった。こうした統制は第2次大戦直後の欠乏期における物価の全面的固定および統制にはじまるが,47年から53年にかけ経済復興を目的に実施された第1次計画で基礎産業重視の傾斜生産方式をとった結果物価が急騰し,52年夏に当時のピネー尊府が物価安定のため意図的に価格凍結を行ってから統制は恒常的な経済政策となったといえる。統制を可能にした条件としては,まず第1に,フランスでは国営企業が圧倒的に多く(石炭,ガス,電力は全て,その他自動車,化学,銀行など主要産業の3~7割が国営)コントロールがしやすかったことがあげられる。第2は,物価統制担当の官僚機構がしっかりしていることがあげられよう。現在では全国で合せて2,000人の職員が物価担当として働いているといわれるほどである。更にフランスでは物価上昇時に賃金を抑えることは難しい(フランス銀行)ため賃金抑制より物価統制で物価上昇を抑制しようとする傾向が底流としてあったことも否めない。

(直接規制の有効性)

こうした物価統制は,現在実施中の年間価格管理計画の場合,労働組合からは,成長より物価の安定のため厳格な統制を求められる一方,財界からは,統制は企業の投資意欲を減退させ企業の市場への適応能力を阻害しその発展を妨げるため,価格決定自由化を迫られるなどその有効性については議論が多い。政府側見解としては,物価統制は,統制が統制を呼び資源配分を歪めるとの弊害をもつことは認めつつも,投機的現象の発展と累積的物価上昇を避ける上では有効でインフレマインド抑制を可能にするとしている。

しかし,消費者物価上昇率(前年比)の推移をみると,65~67年は63年の物価凍結の効果もあって2%台のおちついた動きをみせていたが,68年の5月革命以来上昇に転じ,69年からは5~6%,最近では常時7%台を記録するに至っている。最近の物価上昇の大きな原因は,①賃金上昇による物価とのスパイラル現象,②供給不足やEC価格支持制度による食料品価格の高騰,それと関連して輸入原材料価格の上昇,③銀行貸出を中心としたマネーサプライの急増とみられるが,更に,④好況に伴う需給ひっ迫からくる供給面のボトルネックのほかに,⑤フランスで特に強く意識されている国際通貨制度混乱に基づく輸入インフレ,もあげられる。

以上のように,統制では直接的にカバーできぬ面もかなりあるといえるわけだが,物価統制自体にも問題があるといえよう。即ち,現行の統制は工業品価格について原材料価格高騰分につき「考慮する」方式を企業に選択可能としたり,サービス価格についてはその費用構成に占める賃金上昇分については「考慮する」とし実質上認めるなど,産業界の反発に対して弾力的要素を織り込んでいる点である。このため統制しているにも拘らず,企業経営者は熟練労働者不足に対応すべく賃金上昇を容認するため,また将来の投資に備え企業マージンを確保するため,ある程度の価格引上げを行っているのが現実といえる。こうした点からも統制の結果は芳しいとはいえぬとの評価が多いようである。

(労使関係)

フランスの労働組合の組織率は20~25%といわれ,かなり低い水準であるが,労働組合の影響力は大きく68年5月のゼネストにみるように未組織労働者の突発的組織化の可能性をはらんでいる。労使関係は一般に良好だが,最近は,ルノーのストライキ,リップ時計工場の労働争議などもおこり,12月6日には物価高騰に抗議して68年以来のゼネストが実施された。フランスの賃金交渉は50年の労働協約法以降は賃金統制にかわって労使の自主的賃金決定がなされるようになった。その後は,68年のゼネスト収拾のためのグルネル協定など,政府が労使交渉に関与レた例もみられたが最近は,交渉は自主的に行われている。なお,最低賃金の物価スライド条項を含む協約は全体の約10%程度である。

賃金政策として政府は企業,組合に対し賃金上昇の自粛を呼びかけている。また,物価・賃金への直接規制についてはアメリカで導入されて以来注目され,最近ではポンピドゥー大統領も「いつの日か価格と賃金の凍結政策に至ることもありえないことではない」との徴妙な発言をしているが,上記の如き労働情勢とともにフランスは従来から所得格差が大きく,一律に所得凍結をすることは社会不安を招く危険もあり,物価・賃金への直接規制導入については「絶対的に社会的コンセンサスが必要」(OECD)との見方が多く,問題がある。

(物価上昇による被害救済策とその評価)

フランスにおいては前述の労働協約法以後,決定最低賃金制度が確立され,52年から最低賃金は消費者物価指数にスライドして上昇することとなった。最近の物価上昇を反映して最低賃金は7月,10月,12月に引上げられ各々前年比で20.9%,23.7%,19.3%増となっている。こうしたスライド制は前述したように賃金とのスパイラル現象をおこしているともいえるが,この上昇が物価高騰への国民の反発に対するバッファーとなっている面もあると思われる。また,年金は賃金にスライドし予算法で引上げが決められている。しかし両者の調整にラグがあるため物価スライドが望ましいとされている。

(5) アメリカの物価対策(物価・賃金の直接規制の採用)

(経済動向と物価対策)

アメリカの物価は,ケネディ,ジョンソン両大統領時代の高成長政策とベトナム戦争の拡大による景気過熱から68年以降急速に上昇した。このため増税,金融引締めなどの物価対策がとられたが,この結果69年から70年にかけて,景気停滞が生じたものの物価の騰勢はおさまらず,国際収支も輸入の急増を主因に大幅な赤字を示した。

かくしてアメリカ経済は,失業の解消と物価の安定国際収支の改善と短期的には互に背反する性格の強い諸政策目標の同時的な解決に迫られることになった。

71年8月に発表された新経済政策は,①ドルの交換性一時停止,②賃金・物価の90日間凍結,③積極的な景気刺激策を軸にしてこうした事態に対処しようとするものであるが,物価対策は総需要抑制政策から物価・賃金の直接規制へと大きく変わることになった。

71年秋以降金融が大幅に緩和されるとともに,72年度財政は完全雇用予算という名で約116億ドルの赤字予算が編成されるなど,景気刺激のため積極的な手が打たれた。このため景気は71年末を底に回復に向った。とりわけ72年第4四半期から今年第1四半期には実質GNPが8%(年率)を上回る急速な拡大を示し,春以降基礎資材を中心に供給不足が目立ってきた。失業率は71年(年平均)の5.9%から73年1月には5%に低下した。

この間物価対策は,賃金・物価の90日間凍結のあと,強制的な物価・賃金統制(第2段階)に移り,72年の消費者物価上昇率が3.3%(主要工業国中最低)にとどまるなどかなりの成果をあげたため,73年1月から自主規制(第3段階)に移行した。

73年に入ると,需給が次第にひっ迫するとともに,物価が再び騰勢を強めてきた。このため金融ははっきりと引締めに転じ,政策の重点目標は失業の解消から物価上昇抑制に移った。物価対策もこれまでの物価・賃金の直接規制に併せて総需要抑制政策が用いられるようになった。需給がタイトになるにつれ物価・賃金の直接規制の効果が現われにくくなってきたためである。

72年から大幅な上昇を続けている農産物については,6月から前例のない輸出制限措置が打出され,日本をはじめ各国に大きな影響を与えた。

6月半ばには一時緩和された物価・賃金の統制をふたたび強化した(第4段階へ移行)。9月には農産物の供給増加もあり輸出規制を緩和,卸売物価は下落したが,工業品の値上りは続いている。

物価対策の詳しい内容は,第2-11表にまとめられている。

(物価・賃金の直接規制採用の背景)

① 物価・賃金の直接規制導入の背景

71年8月に緊急対策として採用された物価・賃金の凍結は,結局今日まで強弱の差はあるにしても,賃金・物価への直接的な公的介入として継続されている。71年8月の物価・賃金凍結は,70年から71年にかけてのスタグレーションを克服し,高成長による完全雇用の達成と,物価安定の実現をめざしたものであった。

当時,消費者物価と卸売物価(工業品)は71年5,6月には,季節調整後でそれぞれ年率5%の.テンポで上昇していた。

労使協約による初年度の賃上げ幅は69年の9.2%から70年の11.9%,71年第1~3四半期では12.4%と加速し,一方生産性上昇率は4%余にすぎなかった。その差8%はコスト圧力となり物価上昇を加速させた。

こうした中で,失業の解消と物価の安定を図るため物価・賃金の直接規制が実施された。

② 過去のガイドポストの反省

アメリカでは,かつて1962年初め,ケネディ大統領の時にガイドポスト政策がとられたことがあるが,これはアイゼンハワー前大統領時代の低成長を打破し,インフレを伴わない高成長を実現するための物価・賃金の誘導指標であった。基本的には,賃上げの範囲を毎年の生産性の上昇範囲内にとどめようと考えていた。5カ年平均の生産性増加率をもってガイドポストとし,66年には長期的生産性上昇トレンドに切り換えたが,いずれも3%をやや上回る程度であった。

このガイドポスト政策は強制力を持たなかったために,労使の協力が基本となった。労使紛争の仲裁や調停に当たって望ましい賃上げ枠に留意させるという意味で心理的な効果はあった。しかし多くの賃上げはガイドポストの枠内にはおさまらず,66年4.8%,67年5.7%と上昇,大統領経済諮問委員会(CEA)も非公式には5%の賃上げもやむをえないとする方向に変った。

68年になるとブームを反映して賃上げ幅はさらに8%に上昇,ガイドポストとの差が拡大したため翌年から事実上廃止された。

このような苦しい経験に省みてニクソン大統領はもともと物価賃金の直接規制には反対であった。しかし過大な賃上げは続き,70年には野党民主党の提案による「1970年経済安定法」によって,物価・賃金凍結権限が大統領に付与されたこともあって,71年8月物価賃金の90日間凍結に踏み切った。

③ 物価賃金の直接視制のねらい

71年8月,大統領は物価・賃金の凍結に当たりそのねらいを,ア.新たな繁栄を求めて物価・賃金の悪循環を断っことと述べたが,それはあくまでも,イ.一時的なものであり,ウ.必要なら政府が介入するか,統制のための巨大な官僚機構はつくらないと言明した。

新たな繁栄のために大統領は,ア.より多くのすぐれた職場の創出,イ.ドルに対する投資の防止,ウ.生計費上昇の抑制という目標を掲げ,物価賃金の直接規制によって,その目標達成を側面から保証しようとした。

(物価・賃金の直接規制の有効性)

① 物価・賃金の直接規制の支持

物価賃金の直接規制は法的規制の有無に関係なく,国民各層の協力を基本とする。これは国民にとっても,かなりの苦痛に違いない。しかし,アメリカでは,幅広い国民の支持を得,あとで述べるように物価・賃金の直接規制をある程度成功に導く原動力となった。これは長い間の失業とインフレのディレンマのうち,まず後者をたちきるには物価・賃金の直接規制の導入もやむをえないと判断されたためとみられる。ガイドラインが強制された第2段階では,労働組合側から5.5%の枠は低すぎるとの強い反対があり,当初賃金委員会はガイドラインを上回る賃上げを承認した。その後労組以外からの風当たりが強まったため,審査を厳格化したところ,72年3月に賃金委員会を構成する労組代表5名中4名が辞任,委員会は改組を余儀なくされた。しかしアメリカの労組は政府の政策にかなり協力的である。73年6月の物価凍結後に実施されたギャラップの世論調査で,労組員世帯でも物価・賃金の凍結に賛成するものが多いことは,労組の協力的態度を裏書きするものだろう(賛成47%,反対41%,意見なし12%)。この点次に述べるイギリスとかなり事情を異にする。

② 第2段階はかなり成功

物価・賃金の直接規制の各段階別の物価・賃金の上昇テンポは第2-12表に表されている。審査開始後,72年夏までに127万の労働者を含む6,004件を処理し,平均5%の賃上げに抑えた。

しかしながら,審査を受けない中小労組などもあるので全産業労働者の付帯賃金を含めた年平均賃上げは72年中7.4%であった。政府の目標を上回るとはいえ前年に比べればかなり低い水準である。

とくに,消費者物価は第2段階に移行した直後,約3カ月は若干反騰したが,その後落ちつき,72年の上昇率は3.4%と主要先進国中最も低い伸びにとどまった。

卸売物価は72年後半に入って農産物の世界的な価格上昇を映じて年末には凍結前の騰勢を上回った (第2-12表)。

③ なぜ,73年1月に自主規制に切り替えたか

こうした中で,ニクソン大統領は,73年1月,突如第2段階から物価・賃金の自主規制(第3段階)に移行した。そのねらいは必ずしも定かでないが,1つは,物価賃頃の直接規制導入の主目的とされたインフレマインドの払拭にかなり成功し,物価・賃金の安定した慣行作りの道がつくられてきたこと,第2に,拡大する経済の中で,物価・賃金統制を長期化すると,統制の負担が将来増大するとみられたためであろう。

④ 自主規制はなぜ失敗したか

第2段階で,かなりの成果をあげたのは,国民各層の協カに加え,経済環境にも恵まれていたことが指摘される。72年のアメリカ経済は,なお,かなりの未稼動設備があり,景気上昇局面で大幅な生産性上昇が可能であり,賃金更改も少なかった。

しかし,第3段階移行時は,ア.年率8%を上回る高成長が続き,強い需要圧力が存在したこと,イ.卸売物価は前年秋から急騰過程にあって,消費者撚価に影節し始めていたときだけに,第1,第2段階で抑制された物価の反騰を招きやすくなっていたこと,ウ.73年2月にドルがさらに10%切下げられたため,輸入価格が上昇したこと,などのため消費者物価,卸売物価とも大幅な上昇となった。政府は6月に物価を再凍結(最高60日間)したが,食料品(とくに食肉)などの需給がひっ迫していたので,価格の凍結は闇市場の発生を招き,供給は一層減少した。7月央に第4段階に移行したが,ここで総需要の抑制,農産物など供給量の増大措置があわせとられている。

(アメリカにおける物価・賃金への直接規制に対する評価の変遷)

物価・賃金の直接規制実施当初は,労組に反対があったが,物価の抑制には賃金の安定が一つの条件であるとの認識が国民の間で高まった。また失業率が高かったため,財政,金融の引締めによる需要調整には限度があり,物価・賃金の直接規制をやむをえないものとして一時的に認めようとする考え方も初期には強かった。

しかし長期間続くと,物価・賃金にひずみを増すだけでなく,73年春の凍結が物資の供給を妨げたように経済の安定成長をかえって阻害する。そこで往年の物価・賃金の直徒規制賛成者バーンズ連邦準備理事長さえも,73年10月,現行の物価・賃金統制は,74年4月末以降まで継続すべきではないと主張している。

(物価上昇のもたらす被害救済策とその評価)

物価上昇のもたらす被害を救済するため,各種の対策がとられており,中でも低所得層の所得保障には連邦の支出が急増している。1974年度予算では社会保障支出を節約したとはいえ所得保障給付は前年度よりも10.3%引き上げられており,1人当たり給付も近年大幅に増額された。

1938年10月に最低賃金法が制定されて以来,68年までに7回増額が決定されて今日に至っているが,政府は現行1時間1.60ドルを1.90ドルに引上げ,76年までに段階的に引上げて2.30ドルとするよう議会に要請した。失業保険給付も年々引上げられ,73年4月12日に失業保険制度を大幅に改正,多くの州で給付を引上げる法案が提出された。

また,71年以降,激しい物価上昇に対抗するため,労働組合が労働協約の中に生計費エスカレーター条項を取り入れる動きが増加している。この動きは50年代に増加したが,60年代には減少をみせていた。70年11月に合同自動車労組とGMとの間で無制限生計費エスカレーター条項が復活し,以後この適用を受ける組合員の数は急増している。

生計費エスカレーター項項はインフレを是認し,インフレを促進するという批判もあるが,現在では賃金の実質水準を保障することにより,労働組合の過大な賃金引上げ要求をかわすことが出来る利点が指摘されている。実際,72年10月から73年6月にかけて労働者の実質可処分所得は,好況にもかかわらず激しい物価上昇のため減少したが,73年の労働協約改訂交渉は平穏に妥結している。その理由として大労組が既に生計費条項を獲得しており,組合員は生計費の上昇分を自動的に受け取ることが出来る点を指摘する人が多い。

(6) イギリスの物価対策(物価・賃金への直接規制を再採用)

(経済動向と物価対策)

イギリス経済は,69年以降景気停滞が続くなかで大幅な賃上げを背景に物価騰勢が強まり,71年には実質GNP2.1%増に対し消費者物価は9.4%高という典型的なスタグフレーションに見舞われた。このため政府は失業解消を主眼に成長政策へ転換,大型減税を軸とした財政政策と金融緩和政策など景気刺激策をとる一方で,物価高騰に対してはCBI(イギリス産業連盟)の自主的な価格規制を推進し物価の抑制を図った。

こうした施策により景気は72年央以降上向き73年上期には実質GDP7.6%増と政府見通し7.1%を上回った。しかし,物価の騰勢は衰えをみせず,72年央以降は常時7%台を記録し,深刻化してきたため,政府は11月に「インフレーション抑制(臨時措置)法」を成立させ,物価・賃金凍結の再導入に踏み切った(第1段階)。73年4月からは第2段階としてガイドライン方式による強制的な物価・賃金の統制を実施し,更に73年11月には第2段階をより弾力化した第3段階へ移行している。

このように現在のイギリスにおける物価対策は物価・賃金の直接規制を中心にすすめられており,財政金融政策は物価・賃金の直接規制の効果を確実にすることを目的として運用されている。すなわち,ポンド相場が急落したさい,これによる輸入物価の急騰が物価・賃金の直接規制の効果を減殺するおそれがでると,財政面では5月に公共支出の削減計画を発表し,金融面では特別預金制度の預入率引上げ,最低貸出し金利の大幅引上げなどの措置を講じている。

政府は,高成長の達成,維持が生産能力の拡充を通じて長期的なインフレ対策となることを強調している。このほかにも,長期的,構造的対策として①独占委員会の活用による独占力の行使のおそれのある大型合併の禁止,新公正取引法(1972年11月)による制限的慣行への介入の強化など競争条件の整備,②労働力活用のための職業訓練,紹介などを行っており,たとえば,74年1月に設置が予定されているマンパワー・サービス委員会は労使の協調による労働力市場の効率的再編算を主目的としている。

(物価・賃金の直接規制再導入の背景)

労働党による物価・賃金の直接規制を批判してきた保守党が,72年秋,法的規制を伴う厳しい物価・賃金の直接規制の導入に踏切ったのは,主としてつぎのような事情を反映したものとみられる。

第1は,イギリス経済は,戦後,先進国中もっとも低い成長を続けてきたが,物価はトップ級の上昇率を示していた。このため,物価の抑制は成長率を抑えることではは解決されず,むしろ,低成長こそが供給面からの制約要因となってインフレ圧力を強めているとする意見が一般化した。

こうした低成長は主に国際収支面からくる制約から,ストップ・ゴー政策を続けてきたためであるとして,現保守党政権は70年6月に政権に復帰して以来積極政策に転換した。72年6月のフロート制への移行は国際収支上の制約を軽減し,一方,同年11月からの物価・賃金の直接規制はインフレを抑制することによって,こうした積極政策を側面から補う意味をもっていた。

第2は,生産性の伸びを上回る賃上げ要求,山猫ストの頻発がイギリスの物価上昇の主因であるとする見方が次第に強まっていたことである。とくに70~71年の不況期には,成長率が2%以下に低下したにもかかわらず,物価は急騰(消費者物価70年6.4%,71年9.4%)するという,いわゆるスタグフレーションの現象が強くあらわれた。このため,物価上昇→賃金上昇→物価上昇という悪いスパイラルを断ち切ることの必要性がとくに強く意識されるようになった。

第2-13表 イギリスの物価対策

第3は,保守党政権が基本としていたCBIによる民間の自主的物価コントロール方式が行きづまったことである。

当時,アメリカ物価・賃金の直接規制(第2段階)がそれなりに効果をあげていたことも,保守党を物価・賃金の直接規制の再導入に踏切らせた1つの要因となったとみられる。

(現行物価・賃金直接規制の目的と有効性)

イギリスの現行政策の目的は,当初より一貫して,①高成長を維持して実質所得の向上をはかり,②低所得層および年金生活者の地位を改善し,③コストおよび価格上昇率を小幅化することにあるとされている。

① 国民の支持

イギリスの今回の物価賃金の直接規制は,過去のものに比較してかなり効果があったとする見方が強いようである。これによって,インフレ・マインドが多少なりとも払拭されており,国民各層の協調の必要性がより強く意識されるようになっているためである。

とくに,今回の物価・賃金の直接規制は,経済成長を維持するという前提条件があるため,TUC(労働組合会議)やCBIの協調をよりとりつけやすくなっている。

② 凍結期間(第1段階)中の効果

消費者物価の上昇率は,凍結期間中も年率9%を上回る上昇を続けた。主として凍結対象外の食料品と輸入品の急騰によるものであり,非食料品は年率7%程度に鈍化している。

卸売物価(工業品)は,大幅な鈍化となったが,原燃料は国際商品相場の異常な値上りを反映して凍結期間中年率31.2%も上昇した。とくに食品加工業のそれは年率33.0%にも達した。

イギリス経済は原燃料を海外からの供給に大きく依存しており,とくに食料の自給率が59.1%と先進国のなかでも目立って低いこと(西ドイツ78.4%,イタリア84.3%,ベルックス84.1%,日本74.8%,OECD資料)が,昨年度秋以降のような異例の国際商品市況の高騰の影響をまともに受けることとなったものである。

一方,賃金率(時間当り全産業)は凍結期間中ほぼ横ばいにとどまり,前年同月比も72年11月の16.5%増から73年3月には13.5%増へ鈍化した(第2-14表)。

③ 第2段階移行により騰勢が強まる

第2段階移行後は,凍結期に抑制されていたものが一斉に引上げられたこともあって,物価も賃金も上げ足をはやめた。とくに,これまで小幅の上昇にとどまっていた工業品卸売物価が,凍結期間中の年率2.6%高から5~9月間に13.2%高へ急騰しているのが目立つ。

これは,主として第2段階の価格規制方式が不可避的なコスト増の価格転嫁を認めているため,原燃料価格の引続く急騰(年率40.6%,うち食品加工用は42.5%)が製品価格の値上げとなってあらわれていることによる。

消費者物価については,全体として上昇率の鈍化がみられるが,これは食料価格の急騰が小幅化したためであり,上述したような卸売物価の大幅上昇が今後,消費者物価にはねかえることが懸念されている。

賃金も4月の第2段階移行を契機として,これまで凍結されていた妥結分が実施されたこともあって4~9月間に年率18.4%上昇した。

物価・賃金の直接規制にもかかわらず,物価がかなり上昇し,これによる実質賃金の抑制が労組側の不満を高めて労働争議を誘発するという悪循環も十分に断ち切れたとはいい難い。

以上みてきたように,イギリスの物価・賃金への直接規制は必ずしも期待された効果を十分発揮できたとはいえない。そこで,以下その主な理由をふりかえって,今後有効性を高めていくための条件を検討してみよう。

(物価・賃金の直接規制が十分効果をあげえない理由)

第1は,今回の物価・賃金の直接規制は,すでに指摘したように,異例の世界的農作物不作による世界的食料価格の高騰期に遭遇したため,物価規制の対象外の輸入品や生鮮食料品の上昇によって効果がかくされてしまったことがあげられる。

また,72年6月以来のフロートによるポンドの実質的切下げも,輸入品価格の急上昇をもたらした。さらに,73年初のEC加盟に伴うEC共通農業政策への接近もまた農産物価格上昇を制度面から加速する要因となったとみられる。

第2に,第2段階移行後の賃上げ圧力が強いことである。物価上昇が進むなかで凍結によって実質賃金の低下がみられたために労働者のキャッチ・アップの要請がきわめて強い。

とくに,イギリスの労働組合が職能別に組織されていて横のつながりが強く,所属企業の生産性向上や利潤の伸びとば直接関係なく,一率に賃上げ要求が行われていること,また,71年以来新労使関係法が施行されているにもかかわらず,いぜんとして山猫ストがあとを絶たないことも賃金コストの上昇を加速しているとみられる。また,物価については不可避的コスト増の転嫁を認めるという規制方式のため,物価上昇は根強い。

第3は,73年初から夏にかけて,需給逼迫が高まる中で,需要管理政策は引きつづき成長優先の方針がとられたために,物価・賃金の直接規制への負担が強まったことである。

政府は基本的には成長政策を変更する意思がないことを最近も再権認している。しかし,この政策が破綻しないためには,有効な物価・賃金への直接規制による支援が必要であるが,同時に,最近のような需給逼迫下では,物価・賃金の直接規制の有効性が低下するというディレンマがある。

(物価・賃金への直接規制は第3段階へ)

11月から実施された物価・賃金の直接規制の第3段階の内容はアメリカの第3段階に比較してより厳しいものとなっている。第3段階は,第2段階と同様に,法的強制力を持ち,賃金については自主的交渉の余地を広げる一方で,物価については規制をより強化するという選別的な内容となっている。

これは主として,アメリカの第3段階における規制の緩和によって,大幅な物価・賃金の反騰に見舞われ,遂に再凍結に逆転しなければならなかったことに対する反省に立つものであろう。

(イギリスにおける物価・賃金の直接規制に対する評価の変遷)

イギリスは戦後はやい時期から物価・賃金の直接規制にとり組んでおり,今回の保守党による物価・賃金の直接規制も過去の実績と反省のうえに立って実施されている。

イギリスにおける物価・賃金の直接規制の展開過程は,おおむね次の4段階にわけられる。

    ① 1948~61年:物価・賃金の直接規制の前段階

    ② 1961~64年:保守党による具体化の段階

    ③ 1964~70年:労働党による強力な推進期

    ④ 1971年以降:現保守党による新たな展開

この間,物価・賃金の直接規制に対する内外の評価は徐々に変化してきたが,これまでの失敗の歴史にもかかわらず,根強いインフレ圧力を背景に,概して物価・賃金の直接規制への期待は高まっているようである。

第1および第2期においては,賃金抑制策に偏ったために,物価・賃金の直接規制=賃金抑制という認識が広まり,労働者の強い反発を招いた。

第3期の物価・賃金への直接規制は,この点にとくに留意し,労使の自発的協調を尊重する方式がとられたために,労組は当初きわめて協力的であった。しかし,物価・賃金の高騰がやまず,一方,ポンド危機がますます悪化したために,政府はしだいに強制力を強化する方向にすすみ,野党ばかりでなくTUCを中心とする労働者の反対を強めた。

現行の保守党による物価・賃金の直接規制はこうした過去における苦い経験を経ているだけに,きわめて慎重に運営されており,これまでのところ十分効果があがったとはいえないが,労使ともに協力の姿勢を示している。

(物価上昇のもたらす被害の救済策とその評価)

消費者物価の上昇テンポが2桁に迫る高率となっているため,国民生活は大きな被害を蒙っている。とくに,食料価格の大幅値上りは,家計に大きな打撃を与えており,たとえば値上りの大きい牛肉をその他の食肉や魚に切りかえる動きがみられた。こうした消費の抑制ないし転換を強制された国民の不満は,将来の生活に対する不安感の高まりを招き,ひいては現政権への不信をつのらせている。

このため,政府は物価・賃金の直接規制を中心として物価上昇の抑制に取組んでいるが,一方で,物価高騰のもたらす幣害を最少限に抑えるため,食料品に対する補助金の支給や年金受給者の保護などの措置をとっている。

年金受給者の保護についてはこれまでのところ年金の物価スライド制はないが,政策スライドを頻繁に実施しており,さらに75年からは毎年調整を行う方針である。また,物価・賃金の直接規制の実施と平行して,年金受給者に対する一時金の支給が行われており,72年12月には1人当り一率10ポンド,また,第3段階移行にともなって73年12月にもさら(う10ポンドの支給が予定されている。

(7)ブラジルのインフレ・スライド制度について

(経済の発展とインフレの鈍化)

ブラジル経済は68年を境に不況とインフレの併存という状況から抜け出し,ブラジルの奇跡といわれる繁栄を続け,世界的関心を集めている。

1964年3月のクーデタにより成立した第一次革命政府は漸進的方法によってインフレを抑制しつつ経済の発展を促進する政策を提唱し,経済安定化政策を実施した。

経済安定化政策の主体はオーソドックスな総需要抑制策であったが,これと同時に「通貨価値修正」制度が導入された。

第2-15表 ブラジルの実質成長率と物価上昇率

需要抑制政策のため景気は停滞したが,物価上昇は急激に鈍化した。67年3月に成立した第2次革命政府は引締政策を緩和し,以後生産は拡大を続けている。一方,インフレは生産の増加とともに徐々に鈍化している。

ブラジル経済は高度成長を達成しつつ,インフレ抑制にかなり成功した。

それには,①軍事政権をバックに64~67年に強力な経済安定化政策を実施した。②あらゆるものを物価スライドさせる「通貨価値修正」の実施により,インフレの経済への影響を出来るだけ中立化するよう努め,国内貯蓄の増加を図った。③小刻み平価切下げ(min idevaluation)の導入により輸出の増進を図った。④外資の導入を積極的に行った。⑤税制改革を実行し,財政,金融の両面から農工業の輸出振興を行った,などがあげられる。

以下①,②,③の点についてみることにしよう。

(経済安定化政策)

64~67年に実施された経済安定化政策は,生産の停滞による不況をもたらすなど,国民にかなりの負担を強いるものではあったが,インフレ抑制の基礎を築くという政策目標は実現された。いろいろな措置がとられたが,最も重要なものは政府支出削減,税制改正による税収増などによって財政の赤字を削減したこと(GDPに対する財政赤字の比率は63年の4.3%に対し71年には0.3%になっている)と,金融制度の改革である。

(物価スライド)

通貨価値修正(物価スライド)は経済安定化政策の一環として実施されたのであるが,その考え方は「ラテン・アメリカでインフレを根絶しようとするのは無理なことで,要はインフレが実体経済へ及ぼす弊害を最小限にすること」であるとされている。通貨価値修正は64年7月から実施され賃金,家賃,公共料金,住宅建設の賦払額,固定資産,運転資金の再評価,国債,祉債,定期預金,不動産証券の額面価格などに適用されている。通貨価値修正の係数は企画調整省が決め,発表している。この措置により,国外へ逃避していた資金や不動産売買に使われていた資金は,国内貯蓄へ向けられるようになった。賃金については,賃上げと物価上昇のスパイラル現象を断つ工夫がなされている。即ち過去2年の平均賃金をベースとしてこれに過去1年間の生産性上昇率および翌年度の政府計画のインフレ予想率の5割を掛けたものを賃金上昇額として加算する方式が採られている。

(小刻みの為替レート)

小刻みの為替レートの変更はインフレによるクルゼイロの価値の低下を修正しようとするもので,68年8月から採用されている。切下げは小刻みに2週間~2カ月おきに実施されており,年間の切下げ幅はブラジルの卸売物価上昇率からアメリカの工業製品卸売物価上昇率を差し引いたものになっている。