昭和48年

年次世界経済報告

新たな試練に直面する世界経済(資源制約下の物価上昇)

昭和48年12月21日

経済企画庁


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第1章 72~73年の世界経済

5. 東西交流の進展

(1) 概  況

東西の経済交流は,72年から73年にかけて,米中,日中,独ソ,米ソ,日ン間のあいつぐ首脳会談など東西関係の緩和を強力なテコとして,貿易から広範な経済・技術協力や金融関係の提携へ,さらにはソ連,東欧と西側諸国との資源開発と工場建設のための協力へと深まっている。またソ連,東欧は自国製品の販売促進を目的として西側企業との合弁ないし資本参加による進出を試み,一部東欧諸国では西側との合弁企業の設立の動きがみられる。

他方,世界貿易体制においても東西の関係は深まりつつある。ユーゴは別として東欧諸国のうちGATT加盟国は従来チェコ,ポーランドの2国であったが,71年11月にはルーマニアが,73年9月にはハンガリーが新規加盟国となった。またIMFには72年12月にルーマニアが加盟した。

さらにソ連・東欧などコメコン諸国は従来ECとの統一的な通商交渉を行う用意を示していなかったが,中国とECの経済関係が進展したこともあって,その態度を緩和し,73年8月にはコメコンとECの当局者の非公式会談が行われた。こうして貿易ブロック間でも東西接近の動きがみられる。

(2) 中国における国際化の高まり

(急速に展開する東西の経済交流)

1971年秋の国連参加を契機に自由諸国との国交回復が相次いだ。未承認国のアメリカとの間にも相互に外交特権をもつ「連絡事務所」が設置された。

さらに73年春のベトナム停戦によって,政治環境はいっそう好転し,中国と日本およびアメリカを頂点とする自由諸国との経済交流は急テンポで拡大し始めている。

72年の中国の貿易総額は57億ドルを超えた。71年の45.7億ドルに比べると約25%の増大である。貿易相手地域別にみると,自由圏諸国との貿易額が約80%を占め,共産圏諸国との貿易額は約20%である。伸び率も自由圏諸国の方がはるかに大きい。もちろんこれは,中ソ間の微妙な政治情勢を反映するもので,中国の対外貿易は,今後ますます自由圏諸国に傾斜することとなろう。

好調な対外貿易は,73年に入って一段と拡大テンポを高めている。自由圏諸国のうち23カ国を網羅したOECD諸国との貿易は,1~6月間に前年同期比で中国の輸出59.4%増,中国の輸入90.0%増となった。とくに日本,アメリカ,西ドイツ,イギリス,フランス,カナダなど主要国は軒並みに増大を示している。

このような自由圏諸国との貿易増大は,米ドル切下げにともなうドル表示額の各目的な増加分もあり,また輸出入価格の上昇も影響しているが,前述のように中国の国際化の高まりを反映したものといえよう(第1-18表,第1-8図)。

① 西欧および日本との貿易

自由圏諸国との貿易拡大のなかで,欧中貿易は,67年に輸出入総額で9.7億ドルのピーク水準に達した後停滞し,72年にようやく67年水準を若干上回った。しかし73年に入って欧中貿易も増勢を示し始め,石油化学プラント,航空機,貨物船などプラント成約も再開された。また戦前から上海に支店をおいて,人民政府の厳しい管理のもとで長らく営業活動を停止していた英系銀行(香港上海銀行,チャータード銀行)も,最近輸出業務にタッチするようになり,その取扱高は中国の輸出総額の約5%を占めるという。

これに対し,日中貿易は文革期間中にも着実な増加を示して,72年には67年水準の倍増に近い11億ドルに達した。さらに73年1~11月には,すでに前年の年間実績を大きく上回って17.7億ドルとなった。鉄鋼,肥料,機械輸出のほかに石油化学関係のプラント契約が相次いでいる。また,これまで中国から輸入する物資が乏しいと言われていたが,最近では生糸,絹織物,綿織物,家具など日本国産品の価格上昇や消費ブームを反映した輸入増加によって,日本の出超幅は著しく縮小した。日本側では物価対策の面からも,中国の農産品輸入に寄せる期待が大きいので,中国に農産品輸出の余力が出てくれば,輸入の見通しは必ずしも悪くない。石油をはじめ鉄鋼原材料なども,将来期待されている輸入資源である。

日中貿易の伸びが欧中貿易に比べて相対的に大きいのは,中国の主要輸入品である化学肥料,鉄鋼などに関し,基本的に日本の競争力が強いこと,さらに日本の当該産業の設備過剰による輸出圧力が強かったせいもある。機械輸出については航空機,ディーゼル機関車,特定のプラントなど西欧諸国の技術水準の高いものを除いては,全体としてスエズ運河封鎖後の海上運賃で上昇がネックとなっていること,またデリバリーの期間が西欧は1.5~2ケ月を要するのに,日本のそれは2週間程度であり,計画経済体制をとっている中国では,とくにデリバリーに対して敏感であることなどが影響しているようである。

文革後,中国のプラント輸入も再開されているが,航空機,通信機械などを除いては,引合いの大部分は日本に集中しているようである。72年以降現在(73年10月末)までに,日中間に成約された輸銀ベースのプラント契約は11件,そのほか現金ベースのものもふくめて,成約高はドル表示で約5億ドルに達する。内容的には中国の国内産油の増産を背景とした石油化学コンビナート用のプラントおよび尿素プラント,火力発電プラントが主力である。

今回のプラント輸入の特徴は,電力,石油化学,尿素,鉄鋼,輸送施設(航空機,貨物船,海洋掘さく船)等の各分野に広くまたがり,とくに石油化学と輸送施設に重点がおかれており,53~57年段階のソ連からのプラント輸入が鉄鋼,機械,エネルギーなど基礎産業に重点がおかれ,63~66年段階の西側工業国からのプラント輸入が,化学肥料,鉄鋼分野に重点がおかれてきたのと明らかな相違をみせている。

② 米中貿易

72年2月のニクソン大統領の訪中を契機に,アメリカのビジネスマンの広州交易会の参加が実現し,1950年以来実に22年ぶりに米中間の直接取引が開始された。チェス・マンハッタン銀行と中国銀行との間にコルレス契約も締結された。アメリカ政府は米中貿易の拡大に積極的な姿勢を示し始めたが,商務省に新たに東西貿易局を新設し,73年3月には,米経済界の有力者によって米中貿易促進を目的とする「米中貿易全国審議会」が発足し,経済使節団の訪中も実現した。また,戦時中に凍結されていた中国の在米資産の解除と,アメリカの中国に対する資産請求についても原則的な合意に達した。

米中貿易は,72年に総額で9,350万ドルとなったが,73年1~11月間には総額で6.1億ドルとなり,昨年の年間実績をすでに大きく上回った。

米政府当局の発表によると,73年に入って成約された小麦,とうもろこし,綿花,大豆など農産品のほか,航空機,スクラップ,通信機器の引渡しが済めば,年間8~9億ドルの貿易規模に達する見込みである。西欧諸国をぬいて,日本に次いで第2の貿易相手国となることは間違いない。

(経済交流進展の背景と問題点)

70年代に入って,中国を軸とした東西間の経済交流が急速に進展し始めたのは,いうまでもなく米中対立の国際緊張が,ベトナム停戦を契機に大きく緩和され始めたためである。そして60年代以降現在もなおひき続いている中ソ対立によって,中国の窓は西側諸国に向って大きく開かれ始めた。

こうした対外要因が,急速に進展する東西間の経済交流進展の主因となっていることはもちろんだが,国内的にみても文革後の経済回復と投資活動の再開が,西側工業国の技術と資材・設備需要を高めている点も指摘しなければならない。中国の貿易政策の基調は「輸入需要先行主義」であって,比較優位原則的な行き方ではなく,中国の言葉でいえば「有無相通」である。つまり自国で余力あるものは輸出し,不足するものを輸入するという考え方である。そこで資源の許す範囲内で,中央政府の管轄する大規模工業センターにおいて西側工業国から技術革新用の技術,資材・設備を輸入し,国際的にも競争しうる産業をつくりあげようとしている。こうした観点から中国にとってプラントの輸入は現在最も重要になっている。

さらに72年に発生した農業災害が,食料,綿花など農産品の輸入量を大幅に増大させた。しかし,これは緊急輸入的な性格をもつので,資本財輸入の増加を図るためにもいずれ農産品輸入の縮小を図らなければならないであろう。

急テンポで拡大ずる輸入の増加に対して,中国は当然のことながら外貨獲得に力を入れ始めている。73年春の広州交易会における中国産品の20~300%にも及ぶ大幅な輸出価格の引上げ,あるいは北京の友誼商店(外人専門店)での商品価格の引上げ,香港における中国系銀行の人民元建預金金利の引上げなどもすべて中国の外貨獲得熱の一端を示すものである。香港市場では農産品,繊維品など伝統的輸出商品にまじってポリエステル,アクリル系の合繊の新製品も登場しはじめた。綿製品,衣類など現在の輸出産業のより急速な拡充と同時に,輸出産業として中間財など新しい分野を開拓してゆくことも考えられている。新製品,新市場を開拓する輸出努力は今後いっそう強まろう。

資本財の輸入に当って,中国は一般的商慣習としての延払決済は受入れるが,海外からの借款供与は一切受入れず,輸出力の増強によって貿易収支の均衡化を図ろうとしている。

国際化の高まりのなかで,増大する輸入需要に対して,輸入決済問題は今や重要な課題となりつつあるが,ソ連からの借款返済の経緯からみて,政治的圧力がからむ2国間のタイド・ローンは今後とも受入れることはないだろう。

(3) 東西経済交流深まるソ連

(対西貿易は大幅に伸びている)

1972~73年にソ連の西側諸国との貿易は,きわめて大幅な伸びを示した。72年の輸出総額は127億ルーブルで,経済の停滞を反映して前年に比べて2.4%の増加にすぎなかったが,輸入は133億ルーブルで約19%も拡大,その結果,ソ連貿易は64年以降はじめて赤字となった(国連統計ではドル表示で輸出154億ドル,前年比11.3%増,輸入160億ドル,28.6%増)。西側からの輸入の伸びはとくに大幅で,コメコン諸国の輸入の伸びをも上回ったほどであった(第1-19表)。

このような西側貿易の大幅な拡大は,いうまでもなく機械と穀物の輸入の増加によるものである。輸入総額の3分の1余りを占める機械の輸入は,全体として前年を20%も超え,そのうちコメコン諸国からの輸入は23%と大きく伸びたが,西側からの機械輸入も15%とかなりの拡大を示しrこ。穀物の輸入については,ソ連の発表は実体を明らかにしていないが,1,500万トン,約7.5億ルーブル(72年末のドル換算レートで9億ドル)に達したとみられる。

西側との貿易を国別にみると,72年にドル表示でOECD諸国への輸出は全体として前年に比べ13%増加したのに対し,輸入は47%も伸びた。国別の輸入でば西ドイツ55%,日本34%,アメリカが3.4倍も著増し,アメリカはソ連の輸入相手国として一躍して第3位に進出した。

日本,西ドイツ,アメリカ3国との貿易の拡大が,さきに述べた機械と穀物の輸入によることはいうまでもない。日ソ貿易は,72年に日本むけ輸出は木材,繊維原料などの原料品を中心に著増を示したが,日本からの輸入は,機械,金属品や一部の軽工業品などいっそう大幅に伸びて,対日輸出超過の幅は縮小した。

73年に入って,1~8月に西ドイツ,アメリカからの輸入は前年同期比それぞれ2.4倍,3.4倍と前年を上回るテンポで伸びており,とくにアメリカが首位を占めている。これとは対照的に日本からの輸入は73年年間で前年に比べ3.3%減ったが,これは日本の国内需要増による鋼材,繊維品の減少,プロジェクト輸入の一段落など一時的要因によるものとみられる。

このような72~73年の西側からの輸入の大幅な拡大は,つぎの諸事情によるものである。①対西側外交が従来に比し格段の進展ぶりをみせ,とくに70年の独ソ条約の成立,72年以降の独ソ,米ソ,日ソの首脳会談が相次ぎ,経済交流の気運が高まりつつあること,②技術進歩と労働生産性の向上に重点をかけた第9次5カ年計画(1971~75年)が進められているが,ソ連,東欧のコメコン体制による設備,技術の域内自給は困難で,西側に先端技術を求めなければならないこと,③71,72年と2年続いて穀物の減収に見舞われ,しかも消費の充実をうたった5カ年計画に従って畜産の維持のための飼料の確保も必要になっていることなどがそれである。

72~73年には,従来の東西関係の緩和と経済交流の拡大が明確になったのであるが,この傾向は一貫して強まってきている。そうした環境のもとで,ソ連と西側諸国との経済関係は,長期の貿易協定や経済・技術協力協定の締結,政府間ないし西側民間との経済合同委員会の組織と運営を通じてますます深まり,貿易だけでなく,生産,技術,開発,金融など多方面の協力関係に発展しつつある。

(拡大する西側との経済協力)

このような協力関係のうち根幹となっているのは資源開発と工場建設という2つの類型の産業上の提携である。そしてこれらは,ソ連の対西側貿易の輸出入の構造(第1-9図)に基礎をおいている。西側へのエネルギー源や原料の輸出につながるものは開発プロジェクトであり,また西側からの設備と技術の輸入に結びついているのが建設プロジェクトである。しかもこれらには多くの場合西側から借款が供与される。

開発プロジェクトの一例をあげると,1969年にソ連とイタリア,西ドイツ,オーストリア3国との間で締結された天然ガス開発プロジェクトがある。これによると,3国は6億ルーブルのクレジットにより大口径管とガス工業設備を供給し,ソ連側は20~23年にわたって天然ガスを金額にして24億ルーブル供給するというもので,すでにオーストリアの天然ガスの所要量の半分がこれによって充されており,また73年10月から西ドイツへの供給も開始された。日本はすでにシベリアの森林開発を行ない,さらにチュメニの石油,ヤクートの天然ガス,石炭の開発プロジェクトの交渉を進めている。シベリア開発にはアメリカや西ドイツも関心をましており,日ソの共同開発にはアメリカも参加する可能性もある。

設備,技術の輸入と結びついた工場建設プロジェクトとしては,イタリアのフィアット社と提携したボルガ自動車工場(乗用車年産60万台),フランスのルノー公社,アメリカ自動車関係企業等と提携したカマ自動車工場(トラック)があり,乗用車工場はすでに一部操業が開始された。このようにこれらのプロジェクトは,ソ連が自動車の量産体制に移るため西側の技術を導入した好例である。また72年11月には西ドイツの鉄鋼会社と鉄鋼一貫工場の建設(30億マルク)の契約が調印されている。73年4月にアメリカの石油会社との間に肥料コンビナート建設協力協定が結ばれたが,こめ工場群にはアメリカから20年にわたり過リン酸肥料原料も供給して,ソ連からアンモニア,尿素を輸出し,その総額は80億ドルに達する予定といわれる。

これらの開発・建設プロジェクトに対する融資は,単純な延払いと異なり,借款団によるバンクローン供与という形態をとるようになっている。すでに述べた先進国の対ソ・クレジットの長期化による借款供与額は1964~69年にフランス463百万ルーブル(10~12年),イタリア379百万ルーブル(10~14年),イギリス234百万ルーブル(10~15年)にのぼったが,最近ではアメリカが穀物輸出について5億ドルの信用を供与し,また主として前述のカマ自動車工場の建設にアメリカから輸入する設備の支払に充てるため米国輸出入銀行その他から約2億ドルの借款を与えることになっている。

そのほか,金融の面でもソ連と西側との交流がみられる。ソ連の外国貿易銀行がユーロダラー,ユーロポンド市場における資金調達を行なっていること,従来のモスコー・ナロードヌイ・バンク(ロンドン),北欧商業銀行(パリ),ウオスホード・ハンデルスバンク(チューリヒ)などの在外ソ連銀行のほかに71年にはオスト・ウェスト・ハンデルスバンク(フランクフルト)が設立されたこと5,西側の大手銀行の駐在事務所がつぎつぎとモスクワに開設されたことなど金融面の交流の進展を示している。

以上のようなソ連と西側の経済交流の進展には,アメリカでソ連内ユダヤ人の出国問題に関連して対ソ最恵国待遇の議会承認が離航していることなどにみられるように,なお障害がひかえている。貿易のいっそうの拡大,多額の対ソ借款を要する大規模な工場建設や資源開発の実行,その見返りとしての西側への資源輸出の確保のためには,東西の長期かつ安定的な関係が望まれる。


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