昭和45年

年次世界経済報告

新たな発展のための条件

昭和45年12月18日

経済企画庁


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第1部 1970年の世界経済動向

第2章 アメリカの景気後退とその影響

1. 景気後退の経緯

(1)経緯と現状

1961年以来,民主党政府のもとで採用された高雇用,高成長政策は相当な成果を示して,アメリカ経済は未曽有の長期的繁栄をおう歌した。こうした過程で国内需要もひっ迫の度合いを強めていったが,とくに65年以降,ベトナム戦争の拡大に伴う海外軍事支出の増大は,財政収支の大幅赤字をまねき急速な金融の膨張をひき起こすとともに,労働力その他の生産資源の需給関係を著しくひっ迫させた。こうして65年央以来,アメリカ経済はインフレと国際収支赤字の増大という内外両面での不均衡の拡大に悩まされることになったのである。

これに対し,政府は早くから引締めの必要を感じ,67年の予算書でもすでに増税が予定されていたが,68年に入ると本格的に引締め政策が採用されるようになった。すなわち,1月には預金準備率が引上げられ,公定歩合も3月,4月,12月と三度にわたって引上げられた。さらに前年以来懸案の10%の付加税もようやく68年7月に実施に移され,また69年度の連邦政府支出の削減も決定された。しかし,こうした一連の政策がすでにかなり時期を失していたこともあって,過熱した景気は大した衰えを見せず,かえって物価は騰貴速度を早め,また国際収支も悪化を続けた。

69年から新たに登場したニクソン政権は,引き続きインフレ圧力を緩和する決意を述べ,69,70年度の黒字予算を提案し,また10%の付加税は据え置いた。さらに4月には増大を続ける設備投資の抑制を目的に,7%の投資減税廃止を議会に勧告するとともに,公定歩合を5.5%から6.0%へと,1929年以来の最高の水準に引き上げ,預金準備率も引き上げて,金融面からの引き締めを一段と強化した。こうした中でも,設備投資や個人消費は相変らず増勢を続けていたが,連邦政府支出が減少にむかったため実質国民総生産の伸び率は年初以来鈍化傾向を強め,69年第2四半期には前期比2.2%増にまで低下した。しかし,物価の騰勢は依然として強く,たとえば卸売物価は69年第1から第3四半期にかけて,それぞれ前年同期比3.1%,3.8%,4.1%とかえってその上昇速度を高めた。このため,8月に防衛支出を31億ドル削減し,9月には建設計画を削減するなど財政面でも引締めの追うちをかけるとともに,通貨供給量の縮小をはかった。こうした結果,ようやく国内の資金不足状態が実感されるようになったが,これもアメリカの銀行によるユーロ・ダラーの大量取り入れが続いて,引締め効果を減殺させてしまったため,10月16日以降取入れ規制措置がとられた。このため,企業の流動性は低下し,金利は第4四半期に急騰,12月には財務省証券レートは7.720%(3カ月もの)に達して,前回引締め時のピークをもはるかに上回る異常な高水準となった。

こうして第4四半期にはさしも根強かった設備投資も,実質額では横ばいに終り,ベトナム戦縮小にともなう財政支出の減少,在庫投資の激減も加わって,実質国民総生産は年率で前期比0.9%減少した。これで,61年以来続いた息の長いブームに終りを告げることになったが,他方で物価騰貴,国際収支の逆調は依然続いた。たとえば,国際収支は第4四半期に総合で年率17億ドルの黒字(流動性ベース)を記録したものの,ドル防衛措置による民間資金の一時的環流をはじめとする資本取引きの改善によるものであって,課題とされてきた経常収支はむしろ悪化していたのである。

このため,政府は既定の路線に従って,71年度予算の歳出を1.5%増にとどめ,収支尻では13億ドル黒字の引締め予算を編成し,また通過供給量も70年2月まで引続き引締め基調にあった。

こうして第1四半期には設備投資の減少,在庫投資も激減のほか,乗用車を中心とする耐久消費財支出の不振も加わって,70年第1四半期の実質国民総生産は前期比2.9%(年率)の減少を示すに至り,景気の沈滞ははっきりとその様相を現わした。これとともに69年末に3.5%にすぎなかった失業率も70年1月には3.9%,2月4.2%,3月4.4%と急速に増大を続けた。

第5図 アメリカの主要経済指標

60年代央以降完全雇用水準を続けてきたアメリカ経済にあっては,こうした失業率の急増及び景気沈滞という事実は政策の転換を余儀なくさせる。政府は,物価騰貴,国際収支の逆調という内外不均衡が解決をみないままに,ここに慎重ながらも引締め緩和をはからねばならなくなった。すなわち2月10日の連邦公開市場委員会は「今後数カ月間の通貨,銀行信用のゆるやかな増加を刺激するため」漸進的に金融を緩和することを決定,3月以降,通貨の供給量はしだいに増大を示した。一方,政府は3月17日に前年9月の建設支出規制のうち州,地方財政による支出15億ドルの規制を解除し,金融,財政政策の転換が確認された。

次いで,4月に連邦公務員給与と社会保障給付が引上げられ,5月には財政見通しの改定があり,70年度連邦予算の黒字幅は18億ドルに増大したものの国民所得勘定ベース(実績)では第1四半期の17億ドル赤字から第2四半期は142億ドルの赤字へと拡大した(いずれも季節調整済み,年率)。このような財政刺激から個人所得は急増して個人消費支出も増大をみせ,在庫も回復に変って実質国民総生産は前期比0.6%増(年率)と,わずかながらも増加を示すに至り,ここに2四半期にわたった総生産の減退は終りを告げた。

こうして5月以来の民間住宅着工件数の増加に加えて,7月にはさらに鉱工業生産,小売り売上高が増加し,耐久財新規受注も大幅な増加を示すなど,景気回復を示す指標が増え,実質国民総生産も第3四半期は前期比1.4%(年率)の増加を示した。しかし,景気後退下に比較的堅調を続けてきた設備投資はここにきて若干投資意欲に弱まりがみえはじめている。たとえば,年初における70年の見通しは前年比10.6%増とみられていたが,その後調査のたびごとに低下を示しており,7~8月の商務省の予想調査では6.6%とはかばかしくない。また製造業の売上げ見通しも増加が見込まれてはいるものの過大に終りそうである。他方,卸,小売,製造業在庫水準は比較的高いため,この面からも急速な回復は期待できない。

しかも物価上昇がこのところやや鈍化をみせているとはいうものの,景気停滞下のインフレというジレンマが根本的に解決されたわけではなく,強力なリフレ政策の導入を困難にしている。さらに9月央に発生したGMストは長期化し,アメリカ経済に与えた影響はかなり大きかったものと思われる。

こうしたことから最近の通貨供給量の増大や,これに伴う金利の低下,また預金準備率の引下げという金融面からの緩和政策にもかかわらず,アメリカ経済は急速な回復に入ることなく一進一退の横ばい状態にある。

(2)政策的背景

今回の景気後退の経緯は上にみてきたごとくであるが,その過程において,政府諸政策がもった影響は非常に大きかったとみられる。また,このような政策が適切であったか否かについては議論の分れるところであるので,今少し,今回とられた財政金融両面からの措置を財政収支尻と通貨供給量の面から検討してみよう。

財政政策を財政の収支尻でみると,1953~54年,57~58年の不況期には赤字となり,他方,55~56年,さらに59~60年の好況期については,黒字になるという形を示しており,いわゆる財政のビルトイン・スタビライザー(財政の歯止め)としての働きが明瞭に観察される(第6図)。これに対し60年代に入ってからは,ケネデイ政権が誕生し,減税,財政支出の拡大など財政政策を積極的に活用することにより,高度成長を目指す政策に転換したことから,60年代前半は未曽有の好況であったにもかわからず,財政収支尻はかつての好況期ほど黒字幅を拡大させずほぼ均衡ラインで推移している。この結果,アメリカは史上空前の長期繁栄を続けることとなり,ケネデイ政権の成長政策はかなりの成功をおさめたといえよう。しかしながら,65年を境にベトナム戦争のエスカレーションによって,軍事支出が大幅に増大したことから,財政収支尻は66年以降赤字幅を拡大させ,67年の年頭教書でジョンソン大統領が所得税に対する付加税を提案したものの認められず,67,68年と大幅な赤字を続けた。そして,このような財政赤字は,高成長政策を反映した民間需要の旺盛と相まって,65年以降顕在化したインフレ傾向,それに続く国際収支の赤字など今回の景気過熱の収束を難しくさせた。

このような景気過熱に対して,金融面からはかなり早期に対応策がとられていた。すなわち,65年末の公定歩合の4.0%から4.5%への引上げがそれである。その後も67年のミニリセツション期のあと67年末から再三にわたって公定歩合の引上げが行なわれ,69年4月には,65年の水準からみれば2.0%の上昇となり,金利の上げ幅からみる限り,前2回の景気調整期に比べても今回の金融面からの引締めはかなり強いものであったといえよう(第7図)。

しかしながら,金融引締めも需要の削減には目立った効果をみせず,通貨供給量は強い景気過熱の傾向を反映して67年,68年とむしろ伸びを高めることとなった。ところが,このような金融面からの引締めに加え,①68年6月にはようやく懸案の10%付加税が成立したこと,②さらに大きいと思われるのは,ベトナム戦争の縮小から69年に入って軍事支出の伸びがほとんど横ばいとなったことから財政収支尻は大幅な黒字に転じた。このことが69年に入ってからの景気過熱の鎮静化,さらには景気後退に大きな役割を果したと思われる。

以上みたように,65年以降の景気過熱については,高成長政策の浸透に伴う民需の高まりとともに,ベトナム戦争に基づく軍事支出の増大,所得税の付加税法案の成立に1年半もかかり,財政面の対応が遅れたことなど財政政策の影響はかなり大きかったが,同様に景気後退期についても財政面の影響がかなり大きかったといえよう。


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