昭和44年

年次世界経済報告

国際交流の高度化と1970年代の課題

昭和44年12月2日

経済企画庁


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第1部 1969年の世界経済の特色

第2章 世界的なインフレの進行とその特色

2. インフレ抑制政策の効果

以上のように,この1年間,世界経済は国際的なインフレの波を受けることになったが,これに対して各国はそれぞれ財政,金融,その他の政策手段を用いてこのインフレの抑制に努めてきたことはいうまでもない。とくに,主要国においては,多種,多様な政策措置によってインフレの抑制が図られた。また財政面では,所得税,消費税などに対する増税措置がアメリカ,イギリス,フランスでとられ,また,減税の繰延べや減税適用期間の短縮がアメリカ,フランスなどで行なわれた。またこれらの税収面での需要抑制措置がとられる一方で,政府支出も抑制された。アメリカ,フランスでは政府支出を削減する措置がとられ,イギリス,西ドイツでも支出規模が抑制された。また,カナダでも13年ぶりに黒字予算が編成された。そのほか,西ドイツ,フランスでは税の自然増収分あるいは政府投資の一部を景気調整資金に繰入れ凍結するなどの措置がとられた。

一方,金融面でも,多くの国で公定歩合が数回にわたり引上げられ未曾有の高水準に達した。また,市中銀行の貸出能力を抑制するための措置として,アメリカ,西ドイツ,フランスでは預金準備率が引上げられ,イギリス,西ドイツでは銀行貸出枠も削減された。さらに個人消費を抑制するために賦払信用規制がイギリス,フランスで強化された。このほか,アメリカでは金融引締めの効果を著しく弱めていた市中銀行によるユーロ・ダラー取入れも規制された。

これらの財政・金融面からの引締め措置のほかに,イギリスでは,「新物価・所得法」によって賃金・物価の関係に対する規制も行なわれたし,フランスでは,フラン切下げ後,短期間ではあったが物価を凍結する措置さえとられた。また,とくに注目されるのは,対外面との関連でのインフレ対策がとられたことである。西ドイツでは68年11月に国境税調整が行なわれるとともに,輸入制限が緩和されたし,さらに69年10月には,9.3%もの大幅なマルク切上げを実施して,インフレを抑制することとなった。そのほか,カナダでも,価格上昇圧力を弱めるため,ケネデイ・ラウンドに基く関税引下げ計画を2年半繰上げるなどの措置もとられた。

このようなインフレ抑制措置は68年末頃から69年にかけて,次第に強化され,しかも,主要国においては全体として,ポリシー・ミックスが採用され,また金利もこれまでにない高水準に引上げられたほか,所得政策や対外面との関連での物価抑制政策が行なわれるなど,その政策手段が進歩し,多様化したことが特色であった。しかし,こうした多様な措置がとられた後も物価の上昇は続き,多くの国では,むしろその騰勢が強まる傾向さえふられるなど,引締め政策の効果は現在までのところ必ずしも十分には現われていない。このようにインフレ抑制政策が十分な効果をあげ得ないでいる原因としては,短期的な原因と構造的な原因とが考えられる。

短期的な原因としてはまず財政政策と金融政策とを組み合わせたポリシー・ミックスが機動的かつ効果的に作用しなかったことである。

とくに財政面からの引締め措置は,実施までに時間がかかったうえに,意図された効果を容易に現わさなかった。例えば,アメリカにおいては,1967年8月に政府が要請した増税措置は,議会での審議が難航し,議会を通過したのはほぼ1年後の68年6月になった。しかもその後も政府は,これによって第3四半期のGNPが年率120億ドル,第4四半期のGNPが年率50億ドルの増加に止まることを期待したが,第3四半期のGNPは年率177億ドル,第4四半期のGNPも年率161億ドルの増加となり,期待された効果はみられなかった。一方,60億ドルにのぼる政府支出の削減も,徐々に行なわれたためにその効果が著しく縮減された。

財政措置の効果が意図されたように現われなかった事例は,イギリス,フランスにもみられた。イギリスでは,68年3月,11月,69年3月に間接税が引上げられ,それによって,消費者物価を意図的に上昇させ,消費を抑制しようという措置がとられたが,前述のように消費者物価の上昇は消費抑制よりもむしろ賃上げ圧力を強め,物価の上昇を来した。フランスで行なわれた間接税引上げも同様の意図をもつものであったが,その効果はイギリスの場合と同様であった。

以上のように,財政面での引締め措置のタイミングが遅れ,その効果も十分でなかったため,金融政策に過度の負担が課せられることとなったが,概して金融政策のなかでも,公定歩合操作を中心とした金融政策に重点がおかれた。その結果多くの国では数回にわたり公定歩合が引上げられ,金利は異常な高水準にまで上昇した。この公定歩合引上げには,国際通貨不安にともなう資本の流出入を抑制するという意味もあったことは後述のとおりである。

しかし,こうした金利の上昇も,物価の上昇テンポが速まっていたため,多くの国では,物価の上昇によって相殺され,実際に経済活動を抑制する効果は少なかったようである。物価上昇分を差引いた実質金利は名目金利が上昇したほどには上昇しなかったためである。例えば,アメリカでは,68年12月と,69年4月に公定歩合が引上げられ,1929年以来の高水準である6%に達した。これと前後して市中金利も上昇し,財務省証券レートも69年7月には7%を上回るに至った。しかし,卸売物価も前年同期比で4%以上の上昇をみたため,実質金利は長期的にみて安定した高さである3%前後の水準にとどまる結果となった。

第10図 金利と物価の上昇

この結果,金利面からの経済活動抑制効果は,住宅建設のように特に金利に敏感な部門を除いては,著しく減殺された。こうした事情は,アメリカのみならず,イギリスなどでも同様であった。

以上のように金利上昇を中心とした金融政策の効果は物価上昇によって大きく相殺されたが,これと同時にとられた通貨供給量の削減政策もそのタイミングがおくれがちであった。

通貨供給量と経済活動との間には,後にみるようにある程度のタイム・ラグをもちながら,ほぼ対応して変動しているという関係がみられる。したがって,需要抑制のためには通貨供給量の増大を抑制する措置が必要であったが,アメリカ,イギリス,フランスにおいては,財政面,金利面での措置に比べて通貨量の抑制措置は発動が遅れ,68年末になってようやく通貨供給量の伸びが鈍化をみたにすぎなかった。例えば,アメリカでは通貨供給量は,68年第1四半期に年率4%の増加を示したあと,第2四半期,第3四半期にはそれぞれ6.8%,8%とかえって増加率を高め,第4四半期に至ってようやく4.4%に伸びが落ちたが,なお増加テンポはかなり高かった。その後69年4月に公定歩合の引上げと同時に行なわれた預金準備率の引上げなどによって通貨量の抑制措置は,ようやく本格化してきたが,これはインフレ抑制政策としては,あまりにもタイミングがおそかったといえる。このほか,アメリカでは商業銀行が資金状態の悪化を避けるためにユーロ・ダラーを積極的に取り入れたため,通貨量の抑制措置の効果が弱められるという面もみられた。

こうしてアメリカにおいて通貨政策のタイミングが遅れ,その効果もユーロ・ダラー取入れによって弱められたことが,すでに述べたような財政措置の不十分さや金利引上げが,物価上昇によって相殺されたことと相まって需要抑制を困難にし,輸入の拡大を通じてヨーロッパ諸国などの需要拡大を加速化する影響を及ぼしたわけである。

今回のインフレ抑制政策が十分な効果をあげなかったのは以上のような財政面,金融面での措置の不十分さのほかに,長期構造的な問題がからんでいたことも見逃すことはできない。

その一つは,各国の需要拡大の中心が長期的観点に立った近代化投資にあったことである。第1章でみたように,この1年間の世界的な好況の主因は世界的な投資ブームにあったが,なかでも先進国では産業の近代化,合理化を進めて,需要構造の変化と技術進歩に対応し,あわせて,国際環境の変化に適応して競争力を強めることを目的とした投資が多かった。こうした投資は,長期的観点に立って行なわれるため,企業家のインフレ・マインドと相まって短期循環的な需要抑制策がとられても大幅に削減されることなく進行し,それだけ,引締めは効果を失ったのである。

長期構造的原因の第2は,インフレ・マインドの浸透である。60年代以降主要国では物価上昇が継続した結果,ある程度物価は上昇するものだとの観念が人々の間に定着してきていた。各国の政策の重点が,西ドイツのような例外を除いては,物価の安定よりもむしろ完全雇用,経済成長におかれ,物価上昇はそのための必要悪として是認する態度が各国の政策当局にみられたことも,これに影響を与えた。この結果,財貨の生産や取引,賃金交渉などに際して,物価上昇が当然の要因として織り込まれ,買い急ぎや物価上昇分を考慮に入れた賃金交渉が一般化し,物価上昇圧力が一層強まったわけである。金利水準が著しく上昇したにもかかわらず,それが需要抑制につながらなかったのは,インフレが簡単には終息せず,したがって将来とも資材の値上げがつづくとの見通しを企業が抱き,むしろ投資を急く傾向に走ったことにもよるものであった。

また,消費者の側においても,例えばアメリカにおいては今後も高い物価上昇が続くとの予想から第11図のように10%増税によって可処分所得が伸びを低めたにもかかわらず,貯蓄率の引下げあるいは消費者信用の増大によって消費支出の水準を維持するという態度がとられたのもその一つの現われであった。

しかも,このようなインフレ・マインドは国際的な通貨不安の存在によってさらに強められ,通貨への信頼感が薄れた結果,通貨から物財への逃避を呼び起した。69年3月のフラン危機に際して,パリでは,宝石をはじめ毛皮,マンションなどが爆発的に買われたことなどはその典型的な事例である。

こうして長期にわたってつちかわれてきたインフレ・マインドに加えて,第3に労働問題,社会問題など各国のかかえている構造上の問題の存在がドラスチックなインフレ抑制政策の採用を制約し,その効果を不十分なものにしたことも見逃せない。すなわち,第2次大戦後,各国では完全雇用の実現と維持および失業,疾病,老令などに対する社会保障制度の充実が主要な政策目標として追求されてきたが,これらは,一面では,景気後退期において需要を下支えし,深刻な不況を回避するうえで大きな役割を果した。

しかし,半面では,景気過熱期における強力な金融引締めや大幅な財政支出の削減を困難にすることとなった。とくにアメリカでは,黒人問題が存在するため,失業率の上昇や財政支出の削減は大きな社会不安をもたらす危険性を内包するものであったし,フランスでも引締めが強力な場合は,5月危機以後もくすぶり続けている社会不安が再燃する恐れがあった。

また,イギリスでも,失業の増大や社会保障の後退は労働不安を強め政治的危機をまねく危険性をもっていた。

第11図 アメリカにおける消費態度

一方,完全雇用を維持しつつ物価を安全させることを目的として導入された所得政策も,イギリスにおいては68年7月の「新物価・所得法」施行に際し目標とされた年率3.5%の賃上げを上回る賃上げによって破綻し,アメリカにおいてもガイド・ポストは影をひそめた。

このほか,政策措置がとられてからその効果が発現するまでに,タイム・ラグが存在することも,インフレ抑制政策の効果が69年において現われなかったーつの要因である。たとえば,過去の経験によるとアメリカをはじめ,多くの国では通貨供給量の変化と鉱工業生産,固定投資の変動との間にはほぼ2四半期のタイム・ラグが存在し,また,鉱工業生産や固定投資などの変化と物価の変動との間には1~2四半期のラグが存在する(第8図参照)。こうしたタイム・ラグは,財政措置についても認められ,前述のようにアメリカにおいて増税措置の効果が期待通りに現われなかったのも,一つには効果発現までのタイム・ラグの存在によるものであった。各国でインフレ抑制政策のため種々の措置がとられたのちも,しばらくの間は需要拡大,物価の上昇が続いたのは,この面からみれば当然のことであったといえる。そうした意味で,アメリカをはじめ多くの国の引締め政策が現実に本格的な効果を発現するのは70年に入ってからであろう。

第12図 アメリカにおける通貨供給量の変化とその先行性

以上にみてきたように,各国は財政,金融その他の多様な政策手段を用いて,この1年間インフレの抑制に努めてきた。しかし,最近のインフレが単に景気循環的な要因によって発生しているだけでなく,労働力不足問題や社会問題など各国の有する長期的,構造的な要因にも関連したものであるだけに,その抑制政策も従来の財政政策,金融政策だけでは不十分なものとらなざるを得なかった。各国が目標としている完全雇用の維持,経済成長,国民福祉の向上,さらには国際収支の均衡と物価水準の安定とをいかに矛盾なく実現していくかに関し,従来以上に財政政策,金融政策を有効に運用していくことが必要とされていると同時に,長期的,構造的な観点に立った新しいインフレ抑制政策の樹立が世界的に必要とされる時代になったものといえよう。


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