昭和43年

年次世界経済報告

再編成に直面する世界経済 

昭和43年12月20日

経済企画庁


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第1章 1967~68年世界経済

1 再拡大局面を迎えた世界経済

(1) 先進工業国の景気上昇

1960年代前半に50年代を上回る高成長をとげた先進工業諸国の経済は,65年前後からインフレ圧力に見舞われ,その是正のためにとられた各種の引締め政策により,次第に成長率の鈍化をまねき,ついに67年上期には,イタリアと日本を主要な例外として,ほとんど世界的な景気停滞に陥ったのであった。欧米諸国の同時的な景気不振という意味では,58年以来の経験であったが,幸いにも生産や貿易の低下幅はごく僅かであり,その期間も短くてすみ,早くも67年下期には欧米とも景気回復に向い,その勢いが68年にもつづいた。その結果,アメリカ,イギリスでは再びインフレ圧力と国際収支支に難見舞われ,引締め政策の再採用をよぎなくされるまでになっている。

1) 鉱工業生産増大

景気上昇過程を鉱工業生産(季節調整済み)の動きでみると 第1図 および 第1表 に示すように,OECD全体として67年上期に前期比0.4%低下したあと,下期には2.8%上昇し,さらに68年下期には4.2%上昇した。とくにアメリカの生産は67年下期に0.8%上昇のあと),68年上期には3.6%と上昇率が高まった。西欧の生産上昇率は逆に67年下期の2.6%から,68年上期の2.1へ鈍化したが,これは主としてフランスの生産が政治・社会危機により5~6月にストップしたためである。その他の西欧諸国では,西ドイツが4.7%という高い伸び率を示したのをはじめとして,おおむね順調な伸びをみせた。

68下期の生産については,アメリカの鉱工業生産が8月以降,鉄鋼在庫調整の影響で一時的低下した半面,西ドイツの引きつづく上昇,フランスの5月ストの反動による急上昇など,相反する動きが見られ,総合してOE CD全体では緩慢な上昇基調を持続しているものと思われる。

第2表 OECD諸国の実質成長率

以上のような鉱工業生産の動きは,国民総生産にも反映されいる。すなわち,季節調整済み数値で上期と下期を分けてみると,成長率は67年上期の2.6%(前期比,年率)から,67年下期の4.5%へと高まっており,さらに68年上期には推定5.5%と一層高い成長率を示した。国別にみても,アメリカと西ドイツを先頭としてほとんどすべての国の成長が67年下期から68年上期にかけてたかまった。

2) 雇用状勢と生産性の動き

こうした工業生産の回復に伴い,雇用状勢も最近はやや改善されてきたが,概して生産ほどには回復していないようである。もっともこの点についてはアメリカと西欧とではきわだった対照がみられる。すなわちアメリカでは67年上期の停滞期にも失業がやや増えた程度で,完全雇用水準を維持することができた。そのため同年下期からの景気回復に伴い,労働力市場が再びひっ迫し,とくに68年にはいってからは失業率が3.6%前後とうい低い水準で推移している。これは53年以来の最低の失業率で,現在アメリカのインフレの大きな要因になっている。

これに対して西欧では,西ドイツを顕著な例外とすれば,雇用状勢は今回の上昇過程を通じてさして改善されておらず,むしろ,失業の増加をみた国が多かった。西ドイツでは,66~67年の景気後退期に失業が非常に増え,アの場合とは失業率の定義が異るが,67年の失業は2.1%へ上昇した。

67年下期以降の再拡大過程で失業が大幅に吸収され,68年9月には失業率(季節未調整)も0.8%という低水準へ落ちこんだ。この失業率は67年9月の失業率1.7%にくらべて著しい改善であるが,過去の最低である65年9月の0.4%にくらべるとまだ高いといえる。そのうえ,西ドイツの場合には,66~67年景気後退過程で外国人労働者の本国帰還,主婦等の家庭復帰などにより労働力人口が減少しているので,(65~67年間に2.5%減,)表面上の低い失業率が示する以上に,労働力の余裕はまだあるとみられている。

その他の西欧諸国で雇用の改善をみたのはわずかにイタリアだけで,他の諸国では今回の景気再上昇過程を通じて失業率がむしろ高まっている。

とりわけイギリスの失業率は67年には2.5%へと高まり,68年上期にはさらに2.6%に上昇している。フランスにおいても,67年の失業は1.8%へ高まり,さらに68年にはいってからは5~6月危機の以前に2%前後に高まっていたようである。

もともと景気回復の初期段階では,生産の増加は主として操業度の上昇によって賄われるし,また景気不振期に概して合理化措置がとられ子とも,回復期における労働生産性の上昇をもたらすから,雇用の増加は,生産の回復よりも若干遅れるのがつねである。

しかし,最近の西欧諸国の失業の上昇は,そうしたタイム・ラグのみでなく,これら諸国で産業再編成や企業の体質改善が急速に進んでいるため,いわば経済の近代化,合理化の結果として起っている面もあるので,こんごの経済運営に一つの問題を残すことになろうと思われる。

第3表 欧米諸国の失業率

第4表 欧米諸国の工業雇用と労働生産性の変化

3) 賃金・物価の動向

アメリカと西欧にみられるこのような労働力需給の対照的な動きは,賃金の動きにも反映している。すなわち,アメリカでは68年にはいって賃金の上昇率が加速化してインフレ圧力を生み出しているのの対して,西欧諸国の賃金上昇率はおおむね鈍化傾向にある。

アメリカの賃金収入の上昇率は,66年の4.7%から67年の3.6%へ鈍化したあと,68年1~8月には前年同期比6.1%に達した。68年年央までに妥結された賃金協約でもおおむね6~7%の賃上げが実現している。最近のアメリカの工業生産性の上昇率は年平均3%余にすぎないから,このような大幅な賃上げがコスト・インフレをもたらしていることは明らかである。

一方,西欧諸国についてみると,とりわけ西ドイツの賃金上昇率が66年の7.3%から67年の3.9%,68年1~8月の2.6%へと著しい鈍化ぶりであるのが目につく。これは66~67年の景気後退で失業が大量にふえ,労組側が賃上げよりもむしろ職場の防衛を主眼としたためである。このような賃金上昇率の著しい鈍化は,物価安定の見地からは好ましいが,有効需要の増強と景気上昇の持続という点ではむしろマイナスであり,西ドイツ政府も景気拡大と国際収支黒字の削減という見地からもっと賃金を引上げるべきとの態度をとっている。68年春頃妥結した賃金協約はおおむね4~5%の賃上げを内容としていたし,最近では8%前後の賃上げ要求も出ているので,今後は景気の一層の上昇とともに,西ドイツの賃金上昇率も高まるものと思われる。西ドイツのほかベルギー,スイス,スェーデン,ノルウェーなど,68年にはいって賃金上昇率が鈍化した国が多い。例外はフランスイギリスであり,フランスでは5~6月危機による大幅賃上げ(年間約13%)があり,またイギリスでは66年央に導入された賃金凍結措置が67年央に期限切れとなり,その反動で賃金の大幅上昇が生じている。イギリス政府は68年3月の緊縮予算(68年度)の発表に際して,賃金・配当を含むあらゆる所得の年間増加率を少なくとも69年まで3.5%に仰えるという方針を明らかにしたが,その後の経過は必ずしも政府の意図通りにいっていない。

物価の動きも,上述の賃金動向とほぼ並行している。まず卸売物価の動きをみると,アメリカでは,67年後半から上昇しはじめ,68年上期には前年同期比2.7%高となった。これに対して西欧の卸売物価は67年から68年にかけておおむね横ばいないし弱含みとなっている。主要な例外はイギリスで,これはポンド切下げにもとずく輸入物価の上昇によるものである。

消費者物価は,卸売物価とは違って,景気不振期にも低下せず,上昇率が鈍化するだけという戦後の一般的な趨勢が67年にもみられた。68年の景気回復期においても,アメリカの消費者物価の上昇率が加速化し,1~8月の水準は前年同期比4.2%高という,60年年代最高の高騰を記録した.これに対して,西欧では,イギリスの消費者物価がポンと切下げと間接税引上げ,フランスの消費者物価が68年始めの付加価値税の小売部門への部門への適用と5~6月危機という特殊な要因によって,68年1~8月にそれぞれ前年同期比4%余も騰貴したのを例外とすれば,おおむね落ついた動きを示している。

第5表 製造業の賃金収入の変化

第6表 卸売物価の変化

第7表 主要国の消費者物価上昇率

4) 経済拡大をリードしたアメリカと西ドイツ

欧米諸国の生産雇用,賃金,物価などの動きにみられる今回の上昇局面の特徴を要約するとつぎのとおりである。すなわち,アメリカでは再拡大後半年足らずの間に再びインフレ圧力に直面して,物価上昇と国際収支の悪化に見舞われたのに対して,西欧では,特別な国際収支上の問題と抱えるイギリスを別とすれば,概して物価の比較的安全下のでの拡大がつづいており,しかも,労働力の需給状況からみて,なお相当の拡大余力を残している,という点である。アメリカの場合67年上期の景気停滞が長いブームのなかでの一時点な足踏みにすぎず,この停滞期に労働力需給がほとんど緩和されなかったために,景気の再上昇後いくばくもなくしてインフレ圧力が発生した。これに対して西欧では66~67年前半の景気不振期に労働力や設備にかなりの遊休が生じたため,67年下期以降の新たな上昇局面においてもインフレ圧力を伴うことがなかった。つまり同じく景気上昇といっても,アメリカと西欧とではその性格にかなりの相違があったとみるべきであろう。

今回の欧米景気の高揚をもたらした要因として各国に共通しているのは,第1に景気対策の効果と,第2に西欧の場合は輸出の大幅増加をあげることができる。

67年上期の景気不振期に各国政府は多かれ少なかれ何らかの景気刺激策をとり,それが直接的,間接的に下期以降の再上昇を助けた。ただ,アメリカとイギリスの場合は,その再上昇過程で重大な国際収支難に見舞われたため,経済政策の方向も67年末から68年にかけて引締めの方向へ変ってきていることは前述のとおりである。

経済政策のほかに,67年下期以降における西欧諸国の経済再拡大を助けた外部的要因として,輸出の大幅な伸長があげられる。とりわけアメリカの輸入が68年に入って一般的な景気過熱のほか,鉄鋼や銅など特殊要因も加わって大幅に増えた(1~9月で前年同期比23%増)ことが西欧の景気上昇寄与した。また西欧内部で最大の輸出国である西ドイツの輸入が67年末から68年にかけて急増したこと(1~9月で前年同期比16%増)も西ドイツ市場に対する依存度の高い近隣諸国の景気に好影響を与えた。

西欧経済に対するアメリカの影響力は,貿易だけにかぎってみれば通常,必ずしも量的に大きいものではない。しかし,西欧の景気不振であるか,または回復の初期段階にある時期に,アメリカ景気が高揚して輸入が大幅に増えるような場合には,アメリカの輸入増加が西欧の維持または上昇に大きな役割を果たすのである。68年1~7月におけるOECDヨーロッパの輸出総額は前年同期比8.4%増加したが,そのうちアメリカ向けは28%増え,西欧の輸出増加分28%を占めた。とりわけ西ドイツ,ベネルックス3国などの対米輸出は大幅に増加した。( 第8表 )。

アメリカの景気上昇並んで,今回の西欧景気の回復に大きな役割を果たしたのは西ドイツの景気回復である。67年上期の西欧景気の不振には西ドイツの輸入が66年下期から67年上期にかけて大幅に減少したことが大きく影響したが(67年上期の西ドイツの輸入は前年同期比7%減),逆に67年下期以降の西ドイツの景気回復と輸入の増加が近隣諸国の輸出を大幅に増やすことでその景気回復に重要な役割を果たしたのである。

5) 主要国の経済政策と景気動向

つぎに今回の欧米景気の上昇過程において重要な役割を果たしたとみられる各国の景気対策を景気動向との動向において簡単にみることにしょう。

① アメリカ―経済拡大テンボの鈍化がみられはじめ66年末頃から,金融当局はそれまでの引締め政策をやめて次第に金融緩和の方向を打ち出し,67年3月には貯蓄性預金に対する支払準備率を引下げ,また4月には公定歩合後を引下げた。また,財政についても67年6月には7%の投資減税と,早期償去制の回復を実施した。こうした金融緩和によって,住宅建築は次第に立直り,設備投資も67年秋頃から回復してきた。そのうち在庫調整の終了とベトナム軍需の増大,さらには耐久消費財,とくに自動車に対する需要が68年にはいって著増したため,景気の盛上がりは急速に進んできた。その結果,67年上期にはほとんど横ばいだった実質国民生産も下期には年率3.4%上昇し,68年上期には鉄鋼スト見越しの在庫蓄積という特殊要因も加わった年率5.6%という大幅な上昇をみせるようになった。

このような景気上昇過程でアメリカ経済は再びインフレ圧力に見舞われ,物価の上昇と国際収支の赤字が目だちはじめた。そこで金融政策も再び引締めの方向に転換され,67年11月には公定歩合が4%から4.5%へ引上げられた。

さらに,68年1月には一連のきびしい国際収支対策が発表され,当座預金準備率が引上げられた。68年3月になると公定歩合の再引上げも行なわれ,また,1月発表の69年度予算案では,4月実施予定の自動車,電話に対する消費の引下げ延期,法人税の繰上げ徴収のほか,10%所得税増税などの財政引締め措置が織込まれていた。しかし増税案は議会の抵抗により時期的に遅れ,ようやく6月に財政支出削減(60億ドル)と抱合せで成立した。

この財政緊縮措置の成立により,金融引締めがやや緩和され,8月には公定歩合が0.25%引下げられた。

現在までのところこの増税措置は個人消費の抑制にはあまり役立たず,個人消費は自動車需要を中心にまだ活発に増加しており,その結果,第3四半期の国民総生産は引続き上昇した。増税がこれまでのところあまり効果がなかったのは,①個人所得が引き続き増加していること。②消費者が増税罰に異常に高かった貯蓄率を引下げて支出していること。③消費者信用が増大していること,などの理由によるものとみられている。

いずれにせよ国内需要が旺盛なため,輸入の増勢はまだ鈍化をみせておらず,貿易収支の改善はなおさきに伸びそうである。

第9表 アメリカの国民総生産の動き

② イギリス―イギリスでは67年はじめに国際収支の一時的な好転と失業増加を背景に金融緩和措置がとられたあと,同年夏には賦払い信用の緩和,社会保障支払金の引上げ,投資プレミアムの繰上げ支給,地域雇用プレミアムの導入等の景気刺激策がとられた。これらの措置に加えて66年央に導入された賃金凍結措置が67年央で期限切れとなり,その反動で賃金が大幅に増加したこともあって,とりわけ個人消費を中心に67年秋頃から景気が回復しはじめた。その半面で景気上昇による輸入の増加のほか,中東戦争とスエズ閉鎖,港湾ストなどの要因が重なって,国際収支が再び悪化し,強いポンド投機と相まって,ついに同年11月にポンド平価の切下げをよぎなくされた。ポンド切下げと同時に,公定歩合が8%という超危機レートまで引上げられ,銀行貸出制限,賦払信用規制の再強化などの措置がとられた。さらに68年1月には国防支出を含む政府支出の削減が発表され,また3月の68年度予算では戦後最大の増税措置が実施された。政府としては,これらの引締め政策により生産資源を国内需要(とくに個人消費)から解放して,輸出の伸長と輸入の代替に振向けることが狙いであった。

その後の経過をみると,輸出は予想以上に伸びたが,輸入は依然として高水準にあるため,貿易収支の改善が十分に進んでいない。そこで政府は消費抑制の見地から,11月にはいって賦払信用規制の強化,ガソリン,煙草,酒など間接税の引上げにより消費抑制につとめると同時に,輸入担保金制度の導入により輸入を直接抑える政策をとった。

第10表 イギリスの国内総生産の変化

③ 西ドイツ―66~67年に戦後最大の不況に見舞われた西ドイツでは,67年はじめから金融政策が緩和され,さらに同年3月までに特別償却制(67年10月末まで有効)と公共投資の増額(25億マルク)を実施した。在庫投資と設備投資の減少を主因とする景気後退は67年春頃に一応底入れとなり,年央から回復のきざしをみせはじめたものの,本格的な景気回復のためにはさらに追加的な財政的刺激措置が必要であるとの判断から,同年9月に第2次景気対策(財政投融資53億マルク増)を実施した。これらの景気対策が直接的,間接的に呼び水的役割を果し,輸出の好調と相まって,67年末頃から本格的な景気回復となり,名目国民総生産は67年上期に前期比年率1.0%減少のあと,下期には年率3.6%上昇し,さらに68年上期には年率11%もの大幅な増加を示した。68年下期になると,公共投資と在庫再蓄積に代って設備投資が拡大の主役となり,さらに従来停滞的であった個人消費も増えはじめており,ようやく自律的な景気上昇過程にはいったと判断される。そのため69年度予算も景気中立的予算となった。

このような景気上昇の持続により,68年経済見通しもしばしば上向きに改訂され,年初の4%成長(実質)から9月はじめの5.5%,さらに最近は6%の成長は確実とみられている。68年上期の成長率が6.2%(前年同期比)であったこと,また下期における工業生産や製造業受注の動きからみて,実質成長率6%余の達成はおそらく可能と思われる。物価も年初に付加価値説の導入に伴い一時的な上昇をみせたあと,おおむね落ちついており,物価安定下の高成長という理想的な姿を示しているが,問題は前述のように67年にひきつづいて経常収支が大幅な黒字を出していることである。

この経常収支の大幅黒字を削減するために,11月に付加価値税にもとづく輸入調整税の税率を4%引下げ(現在は11%),逆に輸出については現行法律では付加価値税全額免除であるのを4%の付加価値税を課することになった。これにより当然輸入価格が安くなり輸出価格が高くなるから,輸入促進的,輸出抑制的に働いて,経常収支黒字の削減に役立っであろう。政府の推定では,この措置による輸入増加額は37億マルク,輸出減少額は13億マルクとされ,合計して約50億マルクだけ貿易黒字が削減されるとしている。本年の貿易黒字額は1~9月で120億マルクに達しており,年間では約150億マルクとみられるから,それから50億マルクを差引くと約100億マルク程度の黒字となる。この程度の黒字であれば(貿易外と移転収支の合計赤字額は近年70~80億マルク)経常収支の黒字幅は20~30億マルク程度となり,一応妥当な水準となるであろう。

輸入促進効果は比較的早く出てくるだろうが,輸出抑制効果は現在輸出向け受注残が多いために緩慢にしか出てこないかもしれない。

ただし,輸出受注が61年のマルク切上げ時のように比較的早めに減少するかもしれず,そうなると折角盛りあがってきた企業の投資意欲に悪影響を与えることとなろう。しかし,61年当時にくらべると,現在の景気上昇局面はまだ若く活力があるので,景気に対する悪影響は当時よりも軽いとみてよかろう。

なお,この国境税の調整と同時に,思惑的な短資流入の阻止のために,非居住者預金の準備率が大幅に引上げられた。

第11表 西ドイツの国民総生産の変化

④ フランスーフランス経済は66年秋から67年上期にかけて停滞局面を迎えた。これは,65年下期以降の景気回復がまだ自律的に上昇の段階にいたらぬうちに西ドイツ向けを中心に輸出の大幅鈍化があり,さらに国内での失業増加傾向から個人消費が停滞したためであった。政府は67年6月と7月の2回にわたり,官公需発注の繰上げ実施,設備投資に対する間接税の軽減,不動産融資条件の緩和,民間企業に対する政府融資の強化,賦払い信用規制の緩和等の措置をとった。これらの措置と輸出の回復により・67年下期から景気の回復がみられたものの,失業の増大傾向がやまず,また,5年計画の目標成長率5%の達成も困難とみられた。このため68年1月にはさらに所得税徴収延期,老令年金と家族手当増額,住宅融資の強化,不況地域に対する政府援助など,総額30億フランに達する財政上の景気刺激措置をとった。これは一つにはポンド切下げやアメリカの国際収支対策から生ずるデフレ的影響に対処しようとしたもので,フランス政府の積極的な姿勢が注目された。ところが5~6月に政治・社会危機が発生して約3週間にわたり主要な経済活動がストップする半面で,事態収拾策の一環として大幅な賃上げが行なわれた。それに伴いフラン切下げに対する激しい投機が発生し,金外貨準備の著しい損失を蒙るにいたった。この5~6月危機による生産のロスは大きく,たとえば,5月の鉱工業生産は前月比33%減となった。INSEE(フランス統計経済研究所)の推定によれば,ストによる労働時間喪失分は年間総労働時間数の3%に相当し,とくに工業生産は年間生産の4~5%を喪失したとされている。生産活動の停止は当然ながら輸出入にも影響を与え,5月の輸出は前年同月比16.4%減,また5月の輸入は前年同月比27%も減少した。しかし,6月上旬から生産活動が次第に再開され,7月以降生産,貿易とも急上昇しつつあるが,それでも5~6月危機による生産喪失分は年内に完全には取戻せないものどみられている。

フランス政府はこの危機に対処するために,従来の間接的な価格統制を強化するとともに,政府部門の賃金引上げや,農業補助金の増額を賄うために,高額所得層を対象とした増税を実施し,さらに,一時的に為替管理を実施した。また,68年末までを期限とする輸入制限と輸出補助金措置を採用したほか,7月はじめ公定歩合を3.5%から5%へ引上げた。その後フラン投機がややおさまったのを機会に,9月はじめに為替管理を撤廃すると同時に,成長促進を主眼とした69年度予算を発表した。それによれば69年度予算の規模は本年度当初予算比18.4%増,実行予算比1.2%増となり,また,10%の投資控除制の導入,その他一連の投資刺激措置をとった。それにより69年の実質成長率を7.6%まで高め,生産の拡大と生産性の上昇により大幅賃上げによるコスト増を吸収し,失業の増大を抑え,現行5ヵ年計画の目標成長率を達成しようというのが,政府の狙いであった。

このように,フランスは5~6月危機のあと,その跡始末の意味もあって,かなり大胆な成長政策へ転換した。しかし,大幅賃上げによる物価上昇,成長政策による国際収支悪化の懸念などからフラン不安はその後もまた続き,11月にはマルク切上げ思惑の再然から短資流出が再び加速化した。また,国内的にも過大な信用膨張の気配がみえたため,中旬に公定歩合の再引上げ(6%)預金準備率の引上げ等を含む一連の金融引締め措置をとったあと,下-旬には財政支出の約50億フラン削減,輸出補助金,為替管理の再導入など一連のフラン防衛策がとられた。

第2図 主要国の公定歩合の変更

⑤ イタリアーイタリア経済は他の西欧諸国と異り,67年中も比較的活発な上昇をつづけ,67年の国民総生産は実質で5.9%という高い成長率を達成した。イタリアの景気回復がはじまった65年はじめ頃から数えると戦後最も息の長い上昇局面であったといえる。

67年におけるイタリアの経済拡大は主として内需とくに設備投資需要の増大に支えられたものであった。この67年の活発な経済拡大は,金融緩和政策がひきつづき堅持されていた点を除けば政府の特別な刺激措置に負うものではなかったが,それ以前の時期にとられた政府の景気刺激措置がようやく実を結んだとみることができる。

しかし68年にはいると,イタリア経済に若干の変調があらわれてきた。輸出の好調で生産は一応伸びているものの,その伸び率は67年の半分にすぎなくなった。このような経済拡大テンポの鈍化は主として設備投資の不振と個人消費の鈍化によるものとみられている。設備投資の不振は64年に景気対策の一環として導入された企業の社会保障拠出金の国庫肩代りが67年末に廃止されたことや,5月の総選挙による暫定内閣の成立と先行き見通し難などから企業の投資態度が慎重となったためとみられている。このような内需の停滞により失業数も若干増し,輸入も停滞的となってきた。そこで政府は,内需振興の見地から69年度予算案を拡大予算とし,さらに9月はじめには一連の景気刺激策を発表,一部は既に実施に移された。その内容は,投資刺激のため投資減税,南部企業の社会保障拠出金の一部国庫肩代り,財政投融資の増加,家庭用電力消費に対する間接税の廃止などが主なものである。

67年から68年にかけての主要国の経済政策と景気動向の概要は以上のとおりであるが,このほかの諸国の場合にもこの時期に各種の景気刺激措置がとられた。64~66年の景気高揚期に世界の諸国がおおむね引締め政策をとり,成長よりも安定に重点がおかれていたのとは対照的に,67~68年にはアメリカ,イギリスを除いて,概して安定よりも成長に政策の重点がおかれたことが一つの特色であった。

このような各国それぞれの景気対策措置のほかに国際的な協力または政策調整も67年から68年にかけてひきつづき進展した。とくに国際通貨体制の激動の年であっただけに,とりわけ国際金融面で主要先進国による金買入れ自粛申合わせ,国際収支黒字国における拡大政策採用,ポンド残高処理のための長期融資など主要国間の協力が進んだこともこの一年の特色として注目すべき現象であろう。

(2) 低開発諸国の経済動向

1) 順調な経済拡大

最近1年間の低開発国の経済は先進諸国の景気回復や農業増産を反映して,概して好調に推移したといえよう。

すなわち低開発諸国の輸出は,IMFの資料によると,67年下期に先進国向けを中心に増加しはじめ(67年上期の前年同期比1%増から下期の5%増),さらに68年上期には前年同期比6.4%増となった。他方,輸入の鈍化傾向は68年上期中もつづき,前年同期比2.8%増にとどまった。このように輸出が増勢を高めた半面,輸入の鈍化がさらにすすんだこともあって,低開発諸国の金外貨準備は68年に入ってからも増加を続け,68年上期中に約10直ドル増加した(67年は8億ドル)また,低開発国の経済動向を左右するもう一つの要素である農業生産も東南アジアを中心に画期的な増産を示した。すなわち,低開発諸国の農業生産は過去数ヵ年間における停滞のあと,67年に約8%も増加したと推定されている。その結果,工業生産の伸びが鈍化したにもかかわらず,低開発諸国の国内総生産は67年に5%増加した。この成長率は64年以来の高成長であり,また同年における先進工業国の平均成長率3.3%をも上回るものであった。

他方,低開発国に対する先進国からの援助は,67年もひきつづき増加した。すなわち,先進16ヵ国からなるDACの低開発国向け援助は67年に113.6億ドルに達し,前年比8億ドル増となった。しかしアメリカ議会における対外援助費の大幅削減,第z世銀の資金難など,低開発国向け援助の先行きについては楽観できぬ材料が多い。

第12表 低開発国の生産と貿易

2) 東南アジア経済の動き

低開発国のなかで,わが国と関係が深い東南アジア諸国も68年には先進国の景気上昇の影響で輸出の伸びが大幅に高まり,農業生産,工業生産もかなり上昇した。

いま主要な諸国について67年から68年にかけての経済情勢をみると,次のとおりである。

第13表 東南アジア諸国の鉱工業生産

第14表 東南アジア諸国の貿易

① インド―インドの67年度の食糧生産は,9,500万トンに達し,前年比27%も増加した。

この豊作により,67年度のインド経済の実質成長率は9%(前年度2%)に高まり,インド経済は,2年続きの凶作による不振から著しく回復した。

この豊作は今年度も続くことが予想され,インド政府は,今年度の食糧生産の目標を前年度比7%増の1億200万トンに置いている。引続く豊作と5~6%の工業生産の伸びを前提にインド政府は68年度の実質成長を5%とすることを目標としている。

② パキスタンとセイロン―インド経済と同様に,パキスタン,セイロン両国の経済も67年には農業生産の力強い回復を基盤に,過去2年に比べ,大幅な伸長を示した。パキスタンは,67年度には66年度の5%を大幅に上廻る8.3%の実質成長率を示したが,これは目標の7%をも上回るものであった。また,セイロンの実質成長率も,66年の2%から67年の4.2%へと高まった。

この両国は,68年も,前年の経済成長を基盤に拡大を続けることが予想されている。

③ 中国(台湾)―67年の中国(台湾)経済は,実質成長率8.9%,工業生産17%増,輸出20%増,輸入30%増という数字から察せられるように,過去数年来の好況をひきつづき持続することができた。68年にはいっても,上期の工業生産は前年同期比18%増と好調であり,輸出も,第1四半期には若干鈍化したものの,第2四半期以降増勢に転じ,68年もほぼ前年なみの伸びが予想されている。

④ 韓国―韓国経済は,67年も工業生産で17%増と引続き拡大を続けたが,68年に入ってから,さらに拡大テンポを早め,上期の工業生産は前年同期比44.5%増となった。このため67年度の韓国の実質成長率は,13.3%と高い水準を記録した。このような韓国の高度成長の半面,今年にはいってから干ばつの影響もあり,65年以来やや安定基調にあった物価が米価を中心に騰貴し,また輸入も著しい増加を示している。

⑤ タイ,マレーシア―これら諸国の経済は輸出不振が,その経済を拡大させる制約となった。タイの場合は,67年は主に干ばつにより,米,ゴム,ケナフの生産が落ち,輪出は66年に比較してほとんど増加しなかった。

また,東南アジアの中でも著しく輸出依存度の高いマレーシアは,ゴム価格の低迷により,67年の輸出は前年に比べ3%減少した。しかし68年に入り,これらの国の農業生産は回復してきており,他方,ゴムを中心とする主要農作物も安定してきているので,これらの国の経済も今後は上向くことが期待されている。

⑥ インドネシアー67年から68年にかけて低迷を続けるインドネシア経済は,引締政策の効果もあり,従来のインフレ傾向は次第に終熄の方向に向っており,69年4月1日から実施される5ヵ年計画に基いて,その経済復興を本格的にはかろうとしている。この5ヵ年計画では米穀自給体制の確立を中心とした農業部門と豊富な地下資源の開発に重点が置かれている。

(3) 社会主義諸国の経済動向

1967~68年には社会主義諸国の経済もまた好調に推移した。66年に新5ヵ年計画の実施に入ったソ連・東欧諸国経済はほとんどの国が5ヵ年計画を上回る成長を達成したが,67年には全体として,6.9%の拡大を示し,前年の7.5%を若干下回った。これは,工業生産が労働生産性上昇と技術進歩の加速化によって増加テンポを速めたにもかかわらず,農業生産の伸びが前年より小幅であったためである。ただ,この伸びの低下は,66年の作柄がきわめて良好だったことによるもので,67年の農業も概して好調であり,これが工業を含めて経済全体に好影響を及ぼした。しかし,68年に入ってからの工業生産は,ソ連と一部東欧諸国で増加率の低下を示している。

他方,中国では67年に文化大革命の激化によって工業生産と輸送に停滞が生じ,15%の減産となったが,文革の影響を受けることの少なかった農業生産は天候の好条件にも恵まれて好調に推移した。しかし,68年に入って文革の収拾にともなって,工業生産も漸次回復を示し,農業も前年に引続き好調を維持している。

1) 停滞から回復に転じた中国経済

中国では1966年に第3次5ヵ年計画(66~70年)が発足して,年率4~5%の国民所得の伸び(西側推計)が予定されたが,66年央から激化した文化大革命は,67年に入って生産,流通,輸送など国民経済の各分野にマイナスの影響を与え,生産は停滞しはじめた。文革の影響が比較的軽微だった農業分野では天候条件にも恵まれて前年比5.O%の増産となり,穀物生産も5~6%の伸びを示したが,鉱工業生産は前年水準を大きく下回り,15%の減産となった。とくに石炭,石油,鉄鋼など基幹産業の減産が著しかった。

こうした工業生産の停滞によって,固定投資も前年比9%の減少となったが,半面,消費の急増が目立った。これは農業所得の増大によるほか,文革の進展に伴う混乱の最中に企業が中央の指令をまたず独自で,賃金および奨励給の追加支払をおこなったためとみられている。

第15表 中国の生産動向

68年に入って文革もやや事態収拾の動きが看取されるよラになり,工業生産は期を追って上昇テンポを高めている。第4四半期の生産が順調にすすめば,68年の工業生産は停滞前の66年水準に回復するものとみられている。一方,農業生産は,年初来の干ばつ,水害の影響が懸念されていたが,夏季作物(主として小麦)の生産は比較的好調で,秋季作物(主として米,綿花)なども平年作を上回り,豊作だった67年の生産水準にほぼ達するものとみられる。

対外面では,67年に輸出は前年に比べ9%減少したが,輸入は6.5%増加し,輸出入バランスの上で2.5億ドルの赤字となった。しかし,国内生産の上昇とともに68年年央あたりから輸出入とも漸次回復傾向を示し始めてぃる。市場別にみると対ソ貿易を中心とする圏内貿易の比重はますます低下する一方で,これにかわって西ドイツ,オーストラリア,日本など西側先進国の比重の増大が顕著である。

2) ソ連経済に伸び悩み傾向

第8次5ヵ年計画(1966~70年)を好調のうちに発足させたソ連経済は,67年には農業生産の停滞から前年に比べその成長率が若干低下したものの,国民所得の伸びは6.7%と年次計画を上回った。

第3図 ソ連の経済成長率

67年の工業生産が10%の伸びを示したなかで,生産財生産部門の生産増加率も66年のそれをかなり上回ったが,とりわけ消費財生産は従来にない大幅な拡大を示した。このような動きは,66年の農業の豊作によって消費財産業への原料供給が好転したという特殊要因によるほか,新5ヵ年計画における「重工業優先」の緩和と消費財生産を重視する政策を反映するものである。

ところが,67年の好調とは対照的に,68年に入って工業生産の拡大テシポは鈍化の傾向をたどっている。1~9月の実績は前年同期比8.2%増で,年間計画の増加テンポをわずかに上回ってはいるものの,実績が計画をかなり上回るという近年の状況からみると,異例の低さといっていいだろう。とくに注目されるのは,増産テンポの低下がほとんどすべての工業部門に及んでいることで,消費財生産の増加率を生産財のそれより高く決定した68年の特徴的な工業生産計画の達成も危まれる。こうした工業生産の増加テンポの全面的な低下は,投資活動のおくれと経済改革の急速な実施にともなう一時的な攪乱要因によるものとみられる。

他方,農業生産は,67年には,穀物以外の農産物は多かれ少なかれ前年の生産を上回ったものの,穀物生産が減少したため,全体としては,ほぼ前年の水準にとどまった。これに対して,68年の農業生産はかなり増加するものと予想されており,穀物生産は67年より12%近く増加する一方,畜産物の生産も前年の水準を上回りそうである。

67年の貿易は輸出入合計で8.5%増と,前年の3.3%増に比べてかなり大幅に拡大し,とくに輸出は近年にない伸びとなった。これはコメコン諸国との貿易が66年の停滞を脱して急増したためで,これと対照的に西側工業国との貿易は前年の伸びを下回った。このような動きは,第8次5ヵ年計画の発足を転機として,コメコン諸国との計画の調整を通じてこれらの諸国との貿易が回復したことを示すものとみられる。

68年に入っても,貿易総額は上期には前年同期比約9%増と前年に引続いてかなりの伸びを示している。

3) ソ連,東欧における経済改革の進展

社会主義諸国の最近の経済動向にとって見逃すことのできないのは,経済改革の進展である。いわゆる利潤導入など,ソ連,東欧諸国における経済計画,管理制度の改革の目的は従来の中央集権的,指令計画的な経済体制に分権化の要素を導入し,個別企業における自由裁量の余地を拡大するとともに,有効な報奨制度を創設することによって,経済の効率を高めることにある。中央集権的体制を緩和して,個別企業の自主性を高めるとともに,物的インセンティブを強め,中央の管理の手段としては行政的方法よりも価格,信用など経済的方法を重視するため

    ① 計画の面では,企業に上から与える計画指標を減らして,細目にわたる指標は企業自体に決定させる。

    ② 国民経済全体では,年次計画より中・長期の計画が重視される。

    ③ 物的インセンテイブを強めるため,企業の成績を判定する重要な基準を利潤あるいは利潤率とし,これに基づいて利潤の一部で企業の部分的拡張と合理化,住宅福利施設の拡充,従業員に対する報奨などを行なえるようにする。

    ④ 卸売価格を改定して,原則として企業利潤を保証し,また,利潤を国家財政に吸上げる場合,一部を企業の固定資本ストックおよび在庫量に対する一定割合をもって行なう(いわゆる「フォンド使用料」)などが主要なものである。

ソ連・東欧諸国は,以上のような経済改革を1966~70年の5ヵ年計画期間中に実施しようとしているが,ソ連では新制度への移行の準備が不足なため,十分な効果を上げていない企業があることや,中央の管理当局が各企業の計画課題や報奨基金への利潤の積立て基準,企業間の連係をしばしば変更するなど,旧態依然たる態度がみられること,さらには漸次中小企業が新制度に移されるにしたがって種々の問題が発生することなどの問題点が指摘されており,当初の予定ほどには効果が上っていない。

他方,チェコ,ハンガリーなどの改革はソ連のそれと比べると急進的であり,とくに経済的困難のはなはだしかったチェコの場合には一層顕著である。例えば価格制度をとってみると,ソ連ではなお従来の固定価格制がとられるのに反して,チェコでは,中央で設定する価格,上限,下限を定める制限価格,自由価格の三本立てとなっており,ある種の市場機能の導入がはかられる。このようなチェコの改革方針に対して,ソ連は従来批判的態度をとってきたことからみて,現在のソ連対チェコの関係のもとでは,改革の内容はかなり後退することも余儀なくされよう。

4) チェコ事件の経済的影響

68年8月のチェコ事件は,チェコ経済に少なからず直接被害を与えた。チェコ側の発表によると,緊急事態発生以来10日間で,生産の損失が1日2.5~5億コルナ,資本の損失が40~50億コルナ,建物の損害が約50億コルナ(公定レートで7.2コルナが1ドル)で,建物の修復だけでも最低3年かかる見通しといわれる。このような損害の復旧のみならず,チェコ経済は,①60年代に入ってからの経済困難を打開するための経済改革の実施,②コメコン諸国(64年まで)とくにン連との貿易における黒字の累積と西側先進国との貿易における慢性的赤字という貿易収支の不均衡の処理などの問題を抱えている。

チェコ事件後の「正常化」措置の推進にともない,9月10日ソ連,チェコ両国は,天然ガスの長期にわたるチェコ向け供給とパイプラインの建設協力に関する協定,その他の経済問題に関する議定書(内容未発表)に調印した。しかし経済面の「正常化」にはなお長期の日時を要するであろう。

一方,対外面では,西側との経済交流の大幅な増大,とくに西側への輸出増強のための品質向上に関連する西側の設備,技術の輸入と借款(5億ドル以上を予定)など,一連の政策が封ぜられた現在,コメコン域内にその代替を求めなければならない。またチェコの累積債権もコメコンの枠内で処理されなければならない。

今後,チェコ問題の解決にともなう「コメコンの強化」は,これらの重要課題に答えることにあるといえよう。

(4) 世界貿易も拡大へ

1) 世界貿易全体の動き

工業国の景気停滞の影響をうけて,67年上期の世界貿易(社会主義国を除く)がほとんど停滞的に推移したため,67年全体としての世界輸入の伸びはわずかに5.2%にとどまった。この伸びは,66年の伸び率9.7%を大きく下回るばかりでなく,60年代においては61年についで低い伸び率であった。

しかし,67年第4四半期頃からは,欧米の景気回復を反映して世界貿易も回復しはじめ,68年上期には前年同期比三7.5%の伸長となった。7月以降もケネディラウンドにもとずく関税引下げ実施などにより,世界輸入は高い伸びを続け1~9月間には前年同期比9.7%の伸びとなった。最近の動向からみても,68年全体としては,これをあまり下回らない伸びを続けるものとみられる。

2) 工業国の輸入需要の増加

68年上期の世界輸入を地域別にみると,貿易の増加がほとんど工業諸国の輸入増加によるものであったことがわかる。すなわち工業国の輸入は前年同期比10%もふえ,世界貿易増加額に対するその寄与率は94%に達した。他方,低開発国の輸入はわずか2.8%増にすぎず,67年の増加率5.0%を大きく下回った。

第16表 世界輸入の変化

工業国のなかで最も輸入需要が伸びたのはアメリカであった。アメリカの輸入は68年上期に前年同期比21%も増加し,この時期における世界輸入増加額の約40%をしめた。アメリカについでは西ドイツの13.3%増(寄与率15%)であって,この両国の輸入増だけで68年上期における世界輸入増加の実に55%をしめた。このほか日本,カナダ,ベルギーなども前年同期比で10%前後の伸びを示した。

68年の世界貿易の拡大にもっとも大きく寄与したアメリカの輸入が大幅に増加したのは,成長率が高く,輸入需要が強かったうえに,ストまたはスト見越しの銅や鉄鋼の輸入が異常に増加したためである。鉄鋼輸入は前年同期比46%も増え,また非鉄金属の輸入も30%増加した。このほか,ヨーロッパ,日本,カナダなどからの自動車輸入が60%も増加した。この鉄鋼と非鉄と自動車の3品目だけで68年上期のアメリカ輸入増加の45%をしめたのである。

いずれにせよ,景気拡大による国内需要の高揚と鉄鋼,銅などの特殊要因が重なって,68年のアメリカの輸入を異常に膨張させたわけである。

3) 先進国間貿易の拡大と低開発国からの輸入増

地域間の貿易の流れをOECD貿易を中心に分析してみると,やはり先進工業国間の貿易拡大が主であったといえる。OECDの輸入の地域別内訳をみると,OECD諸国間の貿易が68年上期に前年同期比9.4%と,平均以上の伸びを示した。だがそれと同時に,OECD以外の地域からの輸入も6.9%とかなり高い伸びをみせ,とくに低開発国からの輸入は8%も増加した。

これは工業地域における工業活動の上昇に伴い,原材料輸入がかなり増えたためである。67年にはOECD諸国の原材料輸入が減少し,とくに低開発国からの原材料輸入は約7%減少したが,これは先進工業国の景気不振により原材料の在庫べらしが行なわれたためであった。その反動で68年上期には在庫用をも含めて原材料輸入が著増した。

低開発諸国のなかではアジアとアフリカからの輸入は,67年にひきつづき低調であったことが特色であった。

第17表 68年上期におけるアメリカの商品別輸入増加率

4) 最大の伸びを示した日本の輸出

他方,輸出についてみると,工業国の輸出が7.7%増(前年同期比)であったのに対して,低開発国の輸出も6.4%増と,かなりの伸びを示した。これは前述のように工業国向け輸出がふえたためと思われる。

主要国別に68年上期における輸出実績をみると,前年同期比で最大の伸びを示した国は日本(20%増)であって,ついでカナダ(16%増),イタリア(13%増),ベネルックス3国(11%増)であった。これに対して西ドイツは,工業国の平均(7.7%)をわずかに上回っただけであったが,7月以降は増勢が高まり,1~9月では前年同期比12%増となった。一方,アメリカの輸出は68年上期に5.8%の伸びにとどまった。アメリカの場合,輸出の伸びが工業国平均の伸びを下回ったのは,国内過熱による輸出余力の相対的減少,価格上昇による価格競争力の低下によるほか,機械類の輸出が不振であったためである。

第18表 OECD貿易

このほかフランスの輸出は68年5~6月のストの影響で,上期にわずか3.6%しか伸びなかったが,7月以降にはかなり盛り返し,第3四半期の輸出は前年同期比25%増となった。またイギリスの輸出が68年上期に前年同期比で3.3%減となったのは,ポンド切り下げにより68年のドル表示額が減少したからであって,ポンド建では12.1%増であった。この上期の輸出増には,67年末の港湾ストからの反動増がかなりあり,それを調整すると約5.5増となり,世界輸出の平均増加率を下回った。しかし68年央以降は輸出の伸びが高まり,ポンド切下げの効果が輸出面でようやくあらわれはじめたとみることができよう。

5) 東西貿易の動き

最後に東西貿易の動きをみるとこの数年来,世界貿易あるいは資本主義国,社会主義国の総貿易の伸びをはるかに上回る拡大基調が続いてきたが,67年には,その伸びはいくぶん低下し,68年に入ってさらに鈍化傾向が強まっている( 第20表 )。西側との貿易を国別にみると,東欧および中国で輸出入とも鈍化傾向が著しく,ソ連では他の社会主義国に比べ貿易の伸びは概して高率を維持している。

第19表 世界輸出の変化

このように,67年に入って西側の輸入の増勢が全般的に鈍化したのは,西欧諸国の景気後退によって輸入が抑制されたためで,中国では減産による輸出力の減退もかなり影響した。また西側の輸出の増勢鈍化は,主に東側の農業生産の好転による食糧輸出の減少と,とくに東欧諸国および中国における外貨不足が原因となっている。

しかし,いずれにしても東西貿易の拡大という基調には変りはなく,67年の西側の総貿易に占める東西貿易の比重は4.7%と前年並みの水準を維持している。各国別でみると,西ドイツ,イギリス,フランスで比重の増大がみられるのに反し,日本ではむしろ比重低下の傾向にある( 第21表 )。